かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

2023年06月

いなせなロコモーション / サザンオールスターズ

1980_06_いなせなロコモーション_サザンオールスターズ



今回の1曲セレクトは、「いなせなロコモーション」サザンオールスターズです。

まずはデータなのだ〜。

・タイトル    いなせなロコモーション
・アーティスト  サザンオールスターズ
・作詞      桑田佳祐
・作曲      桑田佳祐
・編曲      サザンオールスターズ
・リリース日   1980年5月21日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 16位
・売上げ枚数   11.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位
・タイアップ アサヒ飲料「三ツ矢サイダー」CM曲

キターッ !!!

サザンオールスターズ、「茅ヶ崎ライブ」4日間開催決定!!





1978年6月25日「勝手にシンドバッド」でデビューから45周年となる今日。 ・・・・の直前。

昨夜23時からの東京FMの「桑田佳祐のやさしい夜遊び」内で、ついに発表されましたね。

いやー、待った。

今年がデビュー45周年というのは、昨年からずっと周知されていたことであり、、絶対に、今年は「サザン」としてなんかやってくるはず・・・・と思いーの、今まで全く音沙汰もなかったんで。。。

考えてみれば、デビュー40周年だった、2018年も結局ツアーはやらずに、「ROCK IN JAPAN」にサプライズ出演しただけだったし。。。
まあ、最終的には翌2019年に全国ツアーをやりましたけどね。

今回もそのパターンか・・・と思いーの、今年の「ROCK IN JAPAN」の出演者にその名前もなかったんで。。。

いったいどうしたんや、今回はなんもやんないんですかね? 

・・と思っていた矢先、デビュー記念日直前まで引っ張ってくるとは。。。。

いずれにしても、↑で書いたように「サザン」としては、個人的に2019年以来4年ぶりのライブとなるわけなんで、もちろんチケット狙いに行きますわ。

たださあ、本当に昨夜発表された「茅ヶ崎ライブ」だけなんですかねぇ。。。

茅ケ崎球場のキャパは2万人。4日間開催なんで8万人。

これまでの全国ドームツアーでのチケットでも、「ファンクラブ」会員の私でさえ、2回に1回は「落選」なのに、どう考えても「超プラチナ」なんですけど。。。
下手すると「月の石」くらいのプレミアチケットになりまっせ。

でもまあ、冷静に考えると、昨日のラジオで「『今年』はサザンオールスターズとして全力で活動してまいります」と言ってたわけだしさ。
茅ケ崎ライブの時期と、昨年の桑田氏のソロツアーの日程を踏まえると、その後、年末に向けてツアーをやる・・・ともとれるんだよね。

まあ、発表されたわけではないんで、現状では、あくまで「考えられる」というだけだけど。。。。

なので、個人的には、もちろん茅ヶ崎ライブのチケットを応募しようと思いますが、あくまで「運試し」という感じで行ってみようか・・と。

当たれば、超ラッキー。 当たんなかったら、その後の全国ツアー開催に期待をかけて・・・っていうスタンスで行きますわ。



・・・・と、いつものごとく、前置きが長い。。。。

「いなせなロコモーション」ですね〜。


この曲は1980年5月。 8作目のシングルとしてリリースされたわけですわね。

少し前の「涙のアベニュー」でも書いたけども、 デビュー以来、テレビの歌番組はもちろん、バラエティーにも出る、ツアーもやる、・・といった肉弾戦的な活動を続けたサザンだけども、こんな活動にほとほと疲れて、1980年前半、半年間の充電期間に入ってしまったわけで。。。

その間に、毎月、5か月連続でシングルリリースを続けたわけだよね。

いわいる「FIVE ROCKSHOW」と銘打ったリリースで。

その「FIVE ROCKSHOW」で3枚目にリリースされた曲が、この「いなせなロコモーション」ですわな。

5枚のシングルの中でも、もっとも、アッパーなポップロックナンバーがこの曲。

・・・・ということもあってか、5枚の中では一番売り上げが高かったこの曲ですわ。

とはいうものの、オリコンでは、「涙のアベニュー」と同じく、最高位16位。 売上枚数は11万枚強。

何度も書くようだけども、今のサザンを基準に考えると、この1980〜1981年のサザンって、めっちゃ信じられないくらい低迷ぶりでしたからねぇ。

まあ、これも、何度も書いてきたことだけども、当時は、テレビに出てなんぼの時代。

テレビには出ないことで、売れなくなったマイナス面は計り知れなかったわけで。。。

そんな天秤にかけても、テレビの活動を切ったということは、あの時代、バンドとしてそれだけ疲労がたまっていたわけなんだよね。

ただ、個人的には、あの当時の「音楽の情報源」のすべてがテレビだったわけでさ、そのテレビに出ないってことは、曲どころか「消息」も全く知らないってことになるんだよね。

うん、いきなりベストテンから消えたからさ、サザンも終わっちゃったか・・・って思っていましたよ。「チャコの海岸物語」が出てくるまでは。。。

だから、もちろん、この「いなせなロコモーション」も、ずっと耳にしないままになっていた。

まあ、オリコンのランクからして、「ザ・ベストテン」でも、11〜20位には入っていたはずなんだけどね。 1980年の今頃って、一時的に「11〜20位」をやらないことがあったのよ。

この時期 永ちゃんの「THIS IS A SONG FOR COCA-COLA」が11‐20位にいたんで、「キリン」提供のベストテンでは流せないから・・とか言われたりするけども。。。

もっとも、あの時期「11〜20位」やってたとしても、耳にはしてなかっただろうけど。。。

うん、この曲をはっきりと耳にしたのは、件のTBS系ドラマ「ふぞろいの林檎たち」(1983年)ですわね。

そそそ、主題歌が「いとしのエリー」だったのは有名なところだけども、劇中歌はすべて「サザン」の曲だったし、この「いなせなロコモーション」もだいぶ使われてましたからね。

もっとも、「ふぞろいの林檎たち」は、本放送ではなく、再放送から見たんで、1984年くらいでしたかね。この曲の存在をはっきりと知ったのは。

だから、この曲を聴くと1984年ごろの匂いを感じてもいいと思うんだけども、なぜか、1980年の匂いなんだよね。
↑のように1980年には聴いてなかったはずなのに。。。それが不思議。


1980年、小学5年生の夏休み。

学校からは、子供だけでは学区内から出ていけません・・・って言われていたのに、そんなこと眼中になかった、ワタシは、チャリンコで最寄りの常磐線・泉駅に走らせた。

あの頃・・・いや、今でもだけども・・・・「時刻表」鉄でさ。 時刻表片手に、泉駅の一番端っこの空き地で、電車を見てるのが好きだった。

特に、上野⇔青森間を走っていた583系の特急「みちのく」が好きでさ。  ・・・っつうか、クリーム色と深い青色の583系の車両が好きでさ。お目当てはこれだったんだけども。。。

上りの上野行きの「みちのく」は、11時30分に泉を通過するの、時刻表から知ってたからさ。
それに間に合うように、休みの日はよく泉まで、片道40分くらいかけてチャリンコ走らせていたな。

1980年の夏の光景というと、決まって、そんな泉駅からの帰り、藤原川の堤防の砂利道をチャリンコで飛ばしていた風景ですわ。

どこまでも続く青い空にぽっかりと浮かんだ白い雲。昼下がりの白い光。むわっとした空気。土手の両脇に生える背の高いススキの群れ。個人的に感じる夏の匂いがそこにあったして。
自由だった、あの夏の風景ですわ

この「いなせなロコモーション」を聴くと、決まって、1980年夏のあの風景が浮かんでくる。
1984年の風景ではないんだよね

あの夏、どこかでこの曲聴いてたのかなぁ・・と思っちゃうほど。。。

そういえば、以前書いた、同じく「FIVE ROCK SHOW」のラスト曲である「わすれじのレイド・バック」も、きちんと聴いたのは1985年のはずなのに、浮かんでくる風景は1980年の夏だ。。

なんでなんだろう?・・・いまだに理由がよく良からないままになっていたりするな。




これ、テレビ神奈川「ファイティング80's」だそうだ。
↑で書いたように、この時期ほとんどテレビには出ていなかったサザンなんで、この「いなせなロコモーション」なんて、この当時、ほとんどテレビで歌った映像はないはずですわ。

もっとも1995年にNHKで放送されたサザン特番でこの曲歌ったからその映像はあるはずだけども。。。

これだから、テレビ神奈川って、今となっては映像の宝庫なんだよね。

ワタシも ついつい、見入っちゃいましたわ。。。
貴重だから、消されないでほしいなぁ。。。。

でもまあ、昨日の「やさしい夜遊び」でも、桑田氏が「昔の映像見るの嫌いなんだよね」とののたもうていたんで、消されちゃう可能性が高いけども。。。。

それにしても、あの頃、この曲ほど、歌詞何言ってんだか、よくわかんない曲はなかったなぁ。
コニー・フランシス、ドリス・デイ、シュープリームス・・・に、お父っつぁんと、まあ、つまりは、50〜60年代オールディーズ時代、父母の頃の色恋物語って感じの曲だよね。

もっとも、そんなこと言われても、80年当時は、個人的によくわかんないしさ。 英語っぽい発音で、何歌っているのかわかんないのは、あの頃の桑田氏のいつもことだったけども、この曲は特にわけわかんない発音で歌っていたから、一層歌詞の意味が分かんなかったりしてね。
でも、いいんだよな、この曲のグルーヴ感。 理屈じゃないんだよね・・っていうのが、もしかしたら一番わかる曲かもしれないな。




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BLOWIN' / B'z

1992_06_BLOWIN_B'z



今回の1曲セレクトは「BLOWIN'」B'zです。

まずはデータでする。

・タイトル   BLOWIN'
・アーティスト B'z
・作詞     稲葉浩志
・作曲     松本孝弘
・編曲     松本孝弘 明石昌夫
・リリース日  1992年5月27日
・オリコン最高位 1位
・発売元    BMGビクター, バーミリオン
・売上げ枚数  176.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1992年6月8日〜8月31日付
・タイアップ:カルビー「ポテトチップス」CM曲

2023年の今年はデビューから数えて「周年」アーティストが結構多いんだよね。
1998年デビュー、25周年のaiko、椎名林檎、Misha、宇多田ヒカル、藤井フミヤはチェッカーズ時代を含めると、1983年デビューなんで40周年。 1978年デビューのサザンが45周年。。。

先週、東京FMの「THE TRAD」




でも、これらデビュー周年アーティスト特集として特集が組まれてましたけど。

今回引っ張ってきた「B'z」、この人たちも1988年のデビュー以来、今年で35周年っていう、そんな周年アーティストの一組なわけなんだよね。

手元に、月刊「歌謡曲」 1988年11月号がある

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これ、個人的に当時リアルタイムで初めて買った「ゲッカヨ」なんだけども、この号に「今月デビューの新人」として「B'z」のデビュー曲「だからその手を離して」が掲載されていたりする。

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90年代に超ブレイクし、いまや国民的なアーティストに昇華した「B'z」もデビュー曲のこの曲を含めて、暫くはヒットチャートの前線に現れることはなかったんで、ずっと忘れていたんだけどさ。

後年、改めて「ゲッカヨ」を開いてみて、気が付いたりしてさ。。。



・・っつうわけで、今回引っ張ってきた曲は

B'z  「BLOWIN'」

まだ「1曲セレクト」で書いてなかった大ヒット曲・・・。探してみると、まだあるもんですね。
今回引っ張ってきた曲も、176万枚の超ミリオンセラーを記録しておきながら、まだ書いてなかったか・・・っつう曲ですわ。
うーむ、こうしてみると、やっぱ90年代の曲はまだ「抜け」が多いな。。。って感じですわな。

まあ、これにはいくつか理由がありまして。。。
「1曲セレクト」を始めた当初・・・2005年あたりは、90年代からは、まだあんまり時間が経っていなかったんで、あえて、90年代の曲は外していた。
それとYoutubeに参考動画があんまり上がってなかったから・・。

そんなわけで、90年代の曲は、まだ意外と書いてない曲が残ってたりするのよ。

でも、90年代も過ぎてから、少なくとも4半世紀は過ぎたわけでさ。今後は「1曲セレクト」での割合は多くなっていくんだろうな・・という予感。


今回引っ張ってきた「BLOWIN'」のリリースは、1992年5月。
ワタシゃ当時22才。

ここでも、これまで何度も書いたけども、あの頃は 当時結成していた自主サークル「オリコンチャート研究会」のメンバーと遊び惚けてた頃かなぁ。

週末は、ほぼ毎週のように、歌舞伎町界隈で、今でいう「オフ会」を開いて、あの当時のヒット曲をはじめ、70年代、80年代のヒット曲、ヒットチャート談義を繰り広げてたよな。

今でこそ「昭和歌謡」としてもてはやされている70年代、80年代の曲だけども、ワシらこの頃からすでにやってたからさ、「昭和歌謡」の見直しを。

最近、「昭和歌謡」から脱却を考え始めているのも、あの頃からずっとやってきたんで、「今更」っていう気持ちと、そろそろ飽きちゃった・・っていうところもあるかもしれない。。。


でもって、夜は夜で、新宿三丁目にあった「てあとろん'88」っていうカラオケバーでグダグダになるまで酔っぱらっていたような気がする。。。
「オール」でカラオケもだいぶやってたよな、この頃。


若かったし、個人的に大学3年の初夏・・っていう、就職活動にはまだ少し早い時期。
学校の方は、必修科目はあらかた単位を取ってしまい、(理系だったんで)実験実習がないときは「週休5日」・・とか 、 めちくちゃいいキャンパスライフだったころですわ。

・・あ、ちなみに、22才で大学3年・・とは計算が合わない・・と思われるかもしれないですが、勉強が好きだったんで(???)、ワタシャ、ヒトよりも2年遅れているのね。。。。

ただ、あの頃の「ツケ」が今になって「痛風」ということで出てきているわけで。。。
本当は「酒」が弱い体質なのよ。でも、あの頃はそんなことも知らずに、かなりハメ外してたからなぁ。。。 後になってわかる、若さゆえの「過ち」ですわ。。。。


・・・といつものごとく、話が脱線していく。。。

えー、B'zの「BLOWIN'」ですね。

「1曲セレクト」を始める以前、まだ、自分のサイト に「CHART BBS」っていう「ネット掲示板」を載せていた頃から、読んでくださっている方ならば、わかると思うけども、自分のサイトを始めた、2000年前後って、個人的にアンチ「B'z」派だったのよ。。 

あ、これまで1曲セレクトでB'zをあんまり書いてこなかったのは、その影響もあるかもしれない。

まあ、「アンチ」になった理由はいろいろあったんだけどさ。。。


ただ、この「BLOWIN'」がリリースされた90年代の初めから中盤ごろまでは、普通にB'z聴いてたのよ。 

ま、ブレイクしてきた90年ごろは、「TM NETWORK」の二番煎じの匂いが強く、どこかうさん臭さも感じてたのであんまり好みぢやなかったんだけどさ。

前曲「ALONE」あたりから、サザンロック的なB'z独自の匂いが強くなり、俄然、良さを感じられてきたんだよね。

それを受けての「BLOWIN'」

初めて聴いたときから、「あ、これ、いい」と思ったな。

この曲からは、前曲の「ALONE」のような大陸的な「サザンロック」の匂いは感じられない。

・・・けども、ポップで、なにより分かりやすかったから。 あの時点でのシングルでは一番わかりやすかった曲だと思うな。

ポップといっても、90年の「太陽のKomachi Angel」とか「LADY NAVIGATION」のようなTM NETWORKの匂いもあまり感じない。

うん、「これ、いい」という前に、「これは売れるよね」・・・っていう予感だよね。

あの頃は「カラオケで歌える」っていう要素は、ヒット曲としては最重要ポイントだったわけでさ。

ただ、あの時点で、それまでのB'zって、カラオケで歌える曲って限られてたからなぁ。。。
まあ、B'zファンならともかく、ワシみたいな一般のヒット曲ファンとしてはさ。

その点、この「BLOWIN'」は、シャウトする部分があるわけでもなく、 サビの ♪ BLOWIN'   BLOWIN' IN THE WIND〜 ♪ からもみんなで歌えたしさ、ノレるしさ。


↑で書いた、「てあとろん'88」は、カラオケボックスではなく、客席の前方にライブハウスさながらのステージがある飲み屋でさ。他の客が歌っているところを見ながら酒を飲むっていう空間だった。
あの当時としては、普通のカラオケボックスにない曲のカラオケもおいてあるってことで、カラオケボックスで歌えない曲を歌うためによく行ってたんだよね。

余談だけども、今でこそカラオケも「通信カラオケ」になったんで曲数も飛躍的に増えたけども、92年当時はまだ通信カラオケは発達しておらず、ディスクカラオケが主流だったからさ。曲数も今に比べると大分限られていたのよ。
歌いたいのにカラオケボックスにはない・・・っていう曲もかなり多かったんだよね。
だから、「てあとろん'88」のようなカラオケバーは重宝してたんですよ

それでも、この当時、「てあとろん」でも「BLOWIN'」歌ってた人が多かった・・・記憶があるなぁ。

これらを考えると、176万枚っていう、この時点でのB'zの最高売り上げを記録したこと。
2か月間ベストテン内を維持と「浮動票」を巻き込んだような、当時としては比較的ロングヒットになったことは、納得だったんだよね。


ところで、この曲カルビー「ポテトチップス」のCM曲だったんだよね。。

なんか記憶ねぇなあ。。。とおもったら、動画が落ちてた




宮沢りえさんねぇ。。。。 うーん、やっぱり、記憶がない。。。。






なんか、すぐに消されそうなんで、一応「公式動画」もリンクしておく。1分半しかないけど。。。





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渚のファンタシィ / 酒井法子

1987_06_渚のファンタシイ_酒井法子


今回の1曲セレクトは、「渚のファンタシィ」酒井法子です。

まずはデータです。

・タイトル   渚のファンタシィ
・アーティスト 酒井法子
・作詞     竹花いち子
・作曲     タケカワユキヒデ
・編曲     新川博
・リリース日  1987年5月21日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数  6.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1987年6月8日付

今回の1曲セレクト、引っ張ってきた曲から、なんで今まで書いてなかったんだろう? シリーズに入るんかなぁ。。。。

のりぴーの「渚のファンタシィ」。

80年代でベストテン入りした曲は、もう、大分書いたしなぁ。この曲なんかは当然書いててもおかしくないよなぁ・・・。

・・なんて思われかもしれないな。。。

でもさ、ワタシ、のりぴーって、まだ、ほとんど書いてなかったんだよな。。。。

現状、自分のところに音源がある曲・・・をこれまで優先的に書いて来たっていうのもあるんだろうな。

そこから見ると、ワタシ、いまだにのりぴーの曲って音源、ほとんど持ってないのよ。。

なんでなんだろうねぇ・・・って、これは理由が簡単。当時、音源購入するのが恥ずかしかったから。。

今でこそ「アイドル」っていう存在って、一般認知されて、我々のような大人でさえ、躊躇なく購入できるようになったけどさ。
1987年当時は、高校生にもなってアイドルかよ・・・って思われるような時代だったのよ。

・・・って、同年代の方じゃなきゃわかんないか。。。

1987年といったら、ワタシゃ17〜18歳。高校3年。

いや、根っからのアイドルファンならば、割り切っていただろうけども、どうも、ワタシは割り切れなかったんだよな、あの頃。

あの頃、ワタシの周りでは、当然のようにみんな音楽って好きだったけども、大半はロック系派だった。アイドル系派だった友達って居なかったのよ。

中学生の頃には、大半がアイドル系派だった友達も、高校生にもなると、みんなロック系に行っちゃってたからねぇ。
前にも書いたけども、1987年、周りはみーんな「BOOWY」だった。 あとは「ブルハ」とか、「渡辺美里」。 浜田省吾の「J BOY」なんか聴いてる人も多かったな。

高3にもなって、まだアイドル系にはまってた人って、ごく少数。 

大抵、マジメで、暗くて、いつも教室の端の方にいて、友達がすくなそーな「オタク」って相場が決まってたような。。。

そそそ、あの頃でいえば「宅八郎」みたいな。。。

そういえば、あの当時、オリコンウイークリーにも「暗い子クラブ」ってオタクの集いのような書き込みコーナーがあったじゃん、あんな感じ

あ、あくまで、ワタシの周りではよ。 全国的にはそうじゃなかったかもしれんけど。。。
でも、あの後、バンドブームが本格化してきてことを見ると、全国的にそうだった・・・とみてもいいのかもしれないな。


で、アイドル系の曲を聴いてると、みんなに馬鹿にされたもん。

だから、アイドル系の曲って、少なくとも外では聴けなかった。

もっとも、家でもアイドル嫌いなオヤジが「いい年こいて・・・」ってバカにするし、、家でも聴けなかったんだけども。

まあ、個人的にも、アイドル系の曲からは、ちょっと距離を置いていたところはある。
オリコンは毎週読んでたけどね。

何分、前年の「おニャン子」旋風に辟易し、アイドルに食傷してたのは大きいですね。

それよりも、時代を遡って、それまで知らなかった曲を掘っていく・・・っていう作業のほうが面白くなってたんだよねぇ、あの頃のワタシは。

小遣いも限られていたわけだから、あれもこれも音源を買う訳にもいかず、何を削るか・・・って考えた時に、当時のアイドル系を削ったわけよ、ワタシは。

アイドル系の曲は「ベストテン」からウタの部分を録音したやつでいいや。。。って感じでさ。


そんなわけで、のりピーも、音源は当時から買ってなかった。

正直、あの当時のヒットチャート上位に行った曲でさえアイドル系の音源を集めるようになったのなんて、ごく最近だもの。
ただ、まだ、のりピーの曲まで手が延ばすることが出来てない・・・っていう状況で、いまだに音源がほとんど手元にないのよ。


もちろん、本音を言えば当時からキライではないんだけどさ。

正直1987年は、新人賞は、のりぴーの年に間違いない・・・とデビューで出てきたときから思ってましたよ。

・・・っつうか、この頃から、自分よりも「年下」のアイドルが普通に出てくるようになったんだよね。なんか変な感じだったな。
のりぴーは、ワタシらよりも1学年下になる。


デビュー曲の「男のコになりたい」も、悪くはなかったと思うけども、真の勝負は第2弾のこの曲だろうな・・というのは、リリースされる前から分かってたんだけどね。

もう、この頃になると、デビュー第2弾で売れたヒトはビッグになる・・・っていうシングスは分かってたからね。

そそそ、聖子さんにしかり、明菜にしかり、頂点を極めたアイドルって、デビュー第2弾で爆発した人が多かったから。

それで出てきたデビュー第2弾が、この「渚のファンタシィ」。

正直、悪い曲とは思わなかったんだよね、あの当時も。ただ、これでブレイクが「決まり」とも感じなかったな。

たしかに、初夏を思わせる爽快感は、コンパクトにまとまった「男のコになりたい」よりは、あの当時のアイドルポップとしては出来は良かったと思うし、ヒットしそうな予感はあった。

ただ、だからと言って、大ヒットに繋がりそうなといえば今一つ弱いのよ。なにより、フックになりそうなフレーズがないし、その分インパクトが弱い。
これでは、並のアイドルソングの域を出してないな・・・っていうイメージなんだよね。

・・かといって、それじゃ、どうすれば、もっと大ヒット狙いできたのか・・というと、今一つはっきりとした答えも出てこない。

結局のところ、のりぴーっていうタレント性のポテンシャルの大きさだったんだろうな。

たしかに、かわいらしいい、ウタも他の同期アイドルの中では、まずます巧い。
だからといって、強烈に引き付けられるカリスマ性を感じるかというと、そういうわけではないしさ。


80年代前半に確立した「80年代アイドル」の成功で、80年代後半は、アイドルの数は飛躍的に増えた。
あの頃一番重要だったのは、強烈な個性とかタレント性よりも素人性だったわけじゃん。

そそそ、となりのクラスの「〇〇ちゃん」という。。

そんなわけで、結局曲も強烈な個性とかインパクトというよりも、誰でも歌えそうな素人性の方が重要になってきてたんだろうね。

インパクトが薄い曲では、売り上げがなかなか上がらないのも当然。結局みんな、個性的で強烈なインパクトな曲を買いたくなるわけだからさ。

それを考えると、あの当時レコードが売れなくなって来ていたのも当然だと思うんだよね。

当時は、アナログレコードからCDに切り替わる端境期。 だから、レコードは売れなくなってきてたのよ。。。っていうのが今までの通説だったけども、必ずしも、それだけの理由じゃなかったんじゃないか・・・とも思うわけなのよ。

だってさ、このちょっと後、光GENJIが出てきて、明菜が「難破船」を出したころからレコード売り上げが少し回復傾向にあったわけじゃん。

底だったのは、この「渚のファンタシイ」が出た87年のちょうど今頃でさ。
ぢゃ、なんで「底」だったの? と言ったら、たしかに季節的な物もあるとは思うけども、結局は強烈なインパクトの曲が少なかったからと思うわけなのよ。

それにしても、このころ、タケカワユキヒデ氏は、頻繫に曲提供してましたね。
そそそ、ゴダイゴのボーカルのタケカワユキヒデ氏。

この年の頭には、浅香唯の「STAR」、で、この曲でしょ。 同時期に池田聡の「Jealousy」なんてヒットもあったな。 まあ、長年、他の方に提供し続けているタケカワ氏だけども、特に1987年っていう年はヒットが集中してたな、

タケカワ氏にとっては当たり年だったのか、タレントの巡りあわせがよかったのか、本気で小銭稼ぎをしていたのか・・・・理由はよくわからないけどさ。





むむむ、この曲「PV」作ってあったんだな。

PVっていっても、今でいう「Music Video」というよりは、文字通りの販促プロモーション用のVTRって感じですね。

どこで流してたんだろ? って感じだけども、そういえば、この頃、地元の新星堂にプロモーション用のモニターが置いてあって、定期的にプロモーションビデオ流してたな・・・っていう記憶がありますね。そういうレコードショップでの販促用に作ってあったんだろうな。

確かに原宿、表参道ってことで、いかにもアイドル向けのPVって感じだけども、そもそも、ビクターの「近所」だし。。。。金かかってねぇな。。。。

ただ、1987年(昭和62年)の原宿、表参道の様子はよくわかりますね。 
「昭和好き」な今の若い子には、結構刺激的なんじゃないかなぁ。。。

時折通る、学生服のお兄さん、お姉さん、きっと私らと同年代に違いない。。。
今頃は50代になっていると思われ、あれからどういう人生を送っているんだろう・・・とか。。。
余計なお世話だけど。。。。


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