かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

2023年02月

そうだ!We're ALIVE / モーニング娘。

2002_02_そうだ!We're ALIVE_モーニング娘。



今回の1曲セレクトは、「そうだ!We're ALIVE」モーニング娘。なのだ。

まずはデータでする。

・タイトル   そうだ!We're ALIVE
・アーティスト モーニング娘。
・作詞     つんく
・作曲     つんく
・編曲     ダンス☆マン
・リリース日  2002年2月20日
・発売元    ゼティマ
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  44.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:2002年3月7日〜3月21日付
・タイアップ:TBS系「ソルトレークシティ五輪」テーマソング

米津玄師の「KICK BACK」が昨年11月のリリース以来、今だヒットチャートの上位守りを続けている。僭越ながら、ワタクシのランキングでも、最新のランキングで、まだ2位を守っていたりして。
2018年のあの「LEMON」以来のロングヒットの兆しが・・・っつうか、実際にそうなってきているますね。
アニメ「チェンソーマン」の大ヒットのオープニングに起用されてというのもでかいだろうし、何といっても曲調がね。

ラフなサウンド、鬼気迫るようなスピード感と圧迫感のせめぎあいのようなシュールな世界観は、さすが、King Gnuの常田氏とのコラボというべきか。
これだけでも、ロングヒットの条件はそろっているわけなんだけども、そのほか、この曲がモー娘の「そうだ!We're ALIVE」をパクった。。。。

いやいやいや、サンプリングしたってニュースが話題の拍車をかけたような気もするんだよね。








っつうか、はじめは、「え? この曲でモー娘。なんて使われてたっけ?」 ・・・っつうくらい、よくわかんなかったんだけども。。。。

歌詞をよくよく見ると、 イントロの部分でぶつぶつ言ってるラップのような部分で

♪努力 未来 A BEAUTIFUL STAR・・・

と「そうだ!We're ALIVE」のメロ冒頭のフレーズが引用されてるんじゃん。

そのほかにCメロの

♪ 幸せになりたい 〜 ♪ のフレーズもそうだわな。

なるほどよくよく聴いてみると、確かにサンプリングされているのがわかる。
パッと聴いただけでは、原曲の「そうだ!We're ALIVE」との楽曲の世界観が180度違うんで、全く気が付かなかったんだけども。。。。

しかも、こんな感じで、パっと外観だけでは見過ごしてしまいそうなサンプリングでも、米津玄師側のスタッフは、「そうだ!We're ALIVE」のフレーズ使用の許諾をきちんと、つんく氏に取ったという。

その話を聞いて、「うわっ、律儀」と思ってしまった私なんだけども。。。

いやいや、これが正式なやり方・・・というか「スジ」の通し方なんだよね、本来は。

以前は「ぱくり」という言い方で揶揄されてきた、まあ、曲を作る上で昔からの、ある種の「手法」なんだけども。。。
昔は揶揄されたぐらいだから、「ずる」な方法とも取られていたわけで。。。「ドロボー歌謡曲」なぞという本も上梓されたくらいなんで。。。
あれから時が流れ、今では「サンプリング」という言い方に代わって、この手法もある意味「合法」的に見られているようにも感じるんだけども、厳密にいえば、いまでも「違法」なんでね。

もっとも、あくまで「原曲者の許可なく勝手に使えば〜」にという枕詞がついてですけど。。。。

でも、意外と、それ知ってか知らずか、ちょいと他の曲のフレーズを「お借り」したような曲って意外と多いからさ。

本来は、今回の例のように、サンプリング元の「そうだ!We're ALIVE」の作詞作曲者の「つんく」氏に事前に許可を取って、そのうえで、著作権使用料もつんく氏に支払うというのが「スジ」の通し方なんだよね。

で、今回、この曲は、こんな「本来」のやり方で「スジ」を通したって聞いて、米津氏なかなかやるじゃん・・なんて思ったわけですわ。
某JASRACさん的には、「KICK BACK」を利用するときには、「そうだ!We're ALIVE」との2曲利用扱いになっているんで、使う方はご注意を。

まあ、米津氏が所属するのは、天下のソニーだし、その辺のスジの通し方は、コンプライアンスがうるさい、このご時世ですからね。なんかあった場合に大変なことになる・・ということも考えての上での、今回のやり方だと思うんだけどね。
それでも、まだまだ本来のスジの通し方をやらていない曲も多いですから。。。

なぜかって? そりゃ、著作権法自体が「申告罪」だからですね。 つまりは、訴えられないと実質的な罪にならないってこと。 だから、バレなきゃいいや・・・見たいなところもあると思うのよ。

まあ、一昔前だったら、そういう理由が最も強かったんだろうね。
なんせ「Far East」の日本の曲なんて、向こうの人はほとんど知らなかったわけじゃん昔は。
だからというわけでもないんだろうけど、向こうの曲をサンプリングしたフレーズの曲で、今聴くと、今だったらアウトっていう感じの曲って、結構ありますからね。

もっとも、サンプリングする場合は、本来だったらサンプリング元に許諾を取って、詞・曲をサンプリングする場合は著作権使用料を払うというのを知らなかったりすることは、以前から多かったんだろうし、今でも多いんだろうけど。。。。

ただ、今はネットっちゅうもんのおかげで、世界中どこでも、リアルタイムで曲が聴けるしね。だから、勝手にサンプリングすればバレることも多くなっているはずなんでね。もし、これ知らなかった方はご注意を。。


あー、またまた、マクラが長くなっちてしもた。。。。

・・・っつうことで、本来の「そうだ!We're ALIVE 」。

なんか、最近、モーニング娘。ばっか書いてるじゃんとか言われそうなんだけども、↑のように米津くんの曲と引っ掛けるのにちょうどタイミングが良かったんで、ご了承くだされ。。。


この曲を初めてきたのって、今でもよく覚えてる。

あれは、2002年の2月の頭だったと思うんだけども・・・。前にも何回か書いたように、当時、某着メロサイトのディレクターをやってたワタシゃ、例のごとく、午前1時20分着の京葉線の終電で蘇我駅へ。で、そこから車で30〜40分かけて家まで帰宅してたんだけども。。。

なんで、最寄りの駅ではなく、わざわざ車で30〜40分かけて蘇我まで行っていたか・・というと、京葉線の終電が、最寄りの駅までの終電に比べて1時間30分ほど遅かったからさあ・・・。

入社後、はじめ、それで終電に乗れなくて「朝まで会社」コースをしたことが何回かあったんで、わざわざ蘇我まで車で行ってたわけなのさ。

で、車を止めてたち勇者場の近くに「セブン」があってさ、決まって腹が減るんで、帰りがけによるのが日課になってたわけで。。。

そんな時に車で夜食の焼きそばを食べながら聴いてた「オールナイト」でかかったのが、この曲を初めて聴いたときだ。

だから、なんだろうけど、いまだに、この曲を聴くと、あんときの光景と「焼きそば」の匂いがフラッシュバックする。

なんか、因果なもんですな。。。。

初めて聴いた時、ブリッジのインストの部分で「ジンギスカン」っぽいリズムになったり、スピードが上がったり変則的なアレンジだったりするんで、 「なんか変な曲」と感じたのが第一印象だったな。

それでも、また聴きたくなったりして、個人的には引っかかったのよ、この曲にも。

ただ、前曲「Mr.Moonlight〜愛のビッグバンド〜」での「ヅカ風」なミュージカルアレンジよりは、とっつきやすさを感じたけど、統一感という意味ではさ。
こんな変則的なアレンジで、印象がとっ散らかるような曲がどこまで売れるのか・・というのは、少し疑問だった。

当然売れるよな・・・というよりは、売れてほしい・・・っていう感じの曲って感じだったかなぁ。

でも、結局、CD売り上げという点で「Mr.Moonlight〜愛のビッグバンド〜」を7万枚ほど下回り、50万枚割れ。 CD売り上げだけではなく、ベストテン入り期間も短縮と、ヒット規模自体の縮小にも歯止めがかけられなかったわけでね。

モーニング娘。という「時代の波」は本格的に過ぎてきたな。。と「数字」の上でも実感した曲でもありましたね。





それにしても、米津玄師くんが、この曲をサンプリングしたってことは、米津くん自体この曲を聴いてたってことだよね。ってことを感じた時に、日本の音楽界も変わったなぁ・・・と思わずにはいられなかったワタシだったりして。。。

いや、ワタシらの世代の感覚からすれば、いわいるシンガーソング系の「アーティスト」が聴く音楽って向こうの曲オンリーで、日本の曲、ましてやアイドルの曲は、ほとんど聴かないって頭があるからさあ。うん、自ら作ることはあってもさ。

件の「LEMON」を聴いていても、アイドルの匂いなんて全然しないし、当然、向こうの曲メインで聴いてるんだろうな・・なんて感じたりしてたんだけどさ。

もっとも、もともと米津くんって、ニコ動から出てきたアーティストだし、アイドル、アニメ系から音楽に入ってきていたっておかしくないんだけどね。
そういう頭がないワタシからすると、世代間ギャップを感じずにはいられないですよ〜。

もっとも、細野晴臣氏だって、Y.M.Oのころからアイドルの曲を掘っていたらしいし、桑田氏だって大瀧詠一氏だって昭和歌謡が好きだったわけだし。。。
昔からアイドル好きなシンガーソングライターもいたわけで、特段驚くことじゃないんだけどね。


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今日のアニソンの礎

漫画家の松本零士氏が亡くなった。

一昨日は1日中テレビ・ラジオの各メディアは大々的に伝えてましたね。なにせNHKの7時のニュースまで伝えてましたから。。。

松本零士氏と言えば、何と言っても「宇宙戦艦ヤマト」であり、「銀河鉄道999」であり、我々は「どストライク」な世代に当たるわけでね。
今、マスコミの「中枢」にいる方たちと同世代ということもあり、だからこそ、このような各マスコミの対応になったんだろうね。

個人的には、「銀河鉄道999」は、テレビシリーズは一応見た・・・けども強烈に刺さったわけではない。
「ヤマト」もしかりなんだよね。 申し訳ないけど。。。

個人的には、「アニメ」そのものよりは、やっぱり主題歌だよね。
チャートマニアとして、「宇宙戦艦ヤマト」が、アニメ主題歌として初めてオリコンチャートにランクインしたということと、やっぱ、ゴダイゴの「銀河鉄道999」だよなぁ。。。インパクトがあったのは。
もっとも、ゴダイゴの「銀河鉄道999」はテレビアニメではなく、劇場版の主題歌だけど。。。
あの曲・・・ゴダイゴの「銀河鉄道999」があったから、今のワタシがいる・・・と言っても過言じゃない。。(あ、いや過言かも。。。)


ちなみに、「宇宙戦艦ヤマト」主題歌が、初めてオリコンチャートにランクインしたというのは、「劇場映画版」が公開されたから。

まあ、細かいことではあるんだけども、あの当時、コロムビア、ビクターなどの老舗レコード会社の「学芸部」制作のレコード・・・つまりはテレビアニメ主題歌とか童謡のレコードだよね・・・は、オリコンチャート集計対象外だったのよ。
なので、あの当時、絶大な人気でミリオンも突破したといわれている「キャンディ・キャンディ」の主題歌もオリコンの「シングルランキング」にはランクインされていない。


その代わりに当時は、「TVまんが主題歌・童謡ランキング」が存在しており、

IMG_20230223_154744


これら老舗レコード会社の「学芸部」制作のアニメ主題歌は、こちらのランキングに放り込まれていたわけで。。。。
(↑は1981年の「TVまんが主題歌・童謡ランキング」)


この辺については、ガンダムシリーズの総監督であり、ファーストガンダム当時の楽曲を自ら作詞されていた、富野氏も↓のように語っていたりしますね。





件の「宇宙戦艦ヤマト」もレコードのリリースはテレビアニメが放映開始された1974年11月10日、コロムビアからなんだけども、劇場版公開までの3年間、通常のシングルランキングには入っていない。
↑の「TVまんが主題歌・童謡ランキング」に入っていたものと思われる。

それが1977年 劇場版公開となったとたん、いきなり通常のシングルランキングにランクインしてきたわけだからさ。

新たにレコードがリリースされたわけでもなく、レコードナンバーも1974年リリース時のままだったわけだから、あの頃、毎週オリコン見てたチャート小僧は「なんじゃこりゃ〜」だったろうねぇ。

つまりは、劇場映画化されたことによって、「学芸部」扱いから離れたってことだったんだろうけど。。。。
テレビアニメから劇場映画化されたのは「ヤマト」が初めてだったこともあり、この曲の主題歌が初めてオリコンにランクインしたアニメ主題歌になったわけなんだよね。

この辺の違い、「銀河鉄道999」でも ささきいさお氏が歌ったテレビアニメ版主題歌



これは、オリコンチャートにランクされてないけど、

ゴダイゴの劇場版「銀河鉄道999」



これは、オリコン2位まで上がったってことでも顕著にわかるわけで。。。。

つまりは、テレビアニメ版の「銀河鉄道999」の主題歌は、旧知のとおりコロムビア学芸部制作であったのに対し、劇場映画版のゴダイゴの「銀河鉄道999」は、通常の制作部での制作であったということ。


ただ、「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」の劇場映画化によって、TVアニメ主題歌も老舗レコード会社の「学芸部」から、離れたところで制作された作品が増えたのも間違いないわけでさ。

ちょっと前に書いた、キティ制作の「ラムのラブソング」(「うる星やつら」主題歌)とか「想い出がいっぱい」(「みゆき」主題歌)なんかはそうだよね。
むろん、これらの楽曲は、普通にシングルチャートに入ってきたのは周知のとおりで。。。

そう考えると、現在につながるアニメ主題歌の礎になった作品ともいえるわけで。

なんせ、いまやアニメ主題歌がオリコンチャート上位から消えることがないくらいだからさ。。。
松本零士氏の功績は別の意味でデカかったとも言えるんだよね。

言葉にできない / オフコース

1982_02_言葉にできない_オフコース



今回の1曲セレクトは、「言葉にできない」オフコースです。

まずはデータです。

・タイトル    言葉にできない
・アーティスト  オフコース
・作詞      小田和正
・作曲      小田和正
・編曲      オフコース
・リリース日   1982年2月1日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 37位
・売上げ枚数   3.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 33位

BSフジで放送された「輝き続けるオフコース」を見た。

1982年に開催された、武道館10daysライブの時の映像をふんだんに使用した、番組内容は、なかなか面白かったですね。

でもさ、ここでは、これまでも何回か書いたと思うんだけども、オフコースが全盛期だった1980年前後、個人的には、どうも、今一つ刺さらなかったんですよ、オフコースって。

生理的に合わなかったわけではない・・とは思うんだよね。いつも、どこかで気にはなっていた。

あれから40年以上たった今でもそうなのよ。 気になる気になると思いながらも、今一つ刺さり切れない。

何でなんだろうね。。。 その理由が知ることができるかもしれない・・

この番組を見た最大の理由はそこだったわけなんだけども。。。。



オフコースに刺さり切れなかった理由の一つとして、テレビに一切出なかった・・・・ということは、まあ、大きいだろうな。

あの頃、個人的にヒット曲の情報源としてはテレビがすべてだったからさ。 そそそ「ザ・ベストテン」ですね。

オフコースは当時「ベストテン」だけではなくテレビには一切出なかったんでね。曲を聴きたい、知りたいと思っても知りようがなかったわけで。。。。

でも、オフコースに刺さらなかったのは、テレビに出なかったという理由だけじゃなかったことは、ラジオというメディアを聴きだしてわかるんだよね。

初めてラジオというメディアに興味を持ち始めたのが、1981年の年末だったと思うな。
新聞のラ・テ欄を見てたら、TBSラジオの21時〜21時40分「ザ・ヒットパレード・毎日がベストテン」という文字が目に入っちゃってさ。聴きだしたら、これが面白い。

それからほどなくして、この「言葉にできない」がランクインしてきたのを覚えてるな。
月曜日の「ニューミュージックベストテン」だったと思う。

でも、刺さらなかったのよ。。 ・・というか、この曲の世界には入り込めなかったんだよ。


なんで、この曲の世界に入り込めなかったのか?

今回の「輝き続けるオフコース」で、盟友・財津和夫氏が語っていたコメントに、ハッとさせられたな。

「普通、僕らは、具体的な映像が浮かぶような詞を書きたがるんだけども、小田君の詞は抽象的なんだよね・・・」

そうだ、これなんだ。。。

オフコース、うんにゃ小田和正っていう人が作る詞の世界って、はっきりとした風景が見えない。温度感も感じない。 まるで抽象画的な感覚なんだよね。

片や曲想ははっきりしているのよ。コード進行にしても実に計算されているんだよね、論理的というか左脳的というか・・・。

すくなくとも、感情のままに綴られた右脳的なメロディではないと思う。

あたかも、コードという設計図の上に論理的に建築されたようなち密な音楽・・・という印象が強いのよ。無駄というか、遊びの部分を一切感じない。

wikipediaを読むと、小田和正っていう人は、オーバープロデュースが嫌いだったようだ。

余計な言葉、 余計な音はいらない。

言ってみれば隙間が多いサウンドということなんだろうけど、そういうった隙間⇒行間は、聴く人各々の感性で好きなように埋めて(感じて)もらえばいい。

この「言葉にできない」って曲は、その典型のような曲だと思うのよ。

必要最低限の音しか入っていない。 サウンドも歌詞も無駄が一切ない。 まさに極限までそぎ落とされたような曲。

それだけに、音と音の隙間、行間が多い。リスナー側にいろいろと考えさせるような音楽。

さすがは、早大大学院の建築科を出ている小田氏。音楽に対してもスマートなんだろうね。

偏差値が高い音楽というか。。。

そういう音楽が好きだっていう方には、オフコース・・・いやいや小田和正氏の曲は刺さったんじゃないのかなぁ。
とりわけ当時、オフコースのファンに外観からも知的とわかる女性ファンが多かったのは、そういう所もあったんだろうな。
女性は、こういう知的な音楽が好きな人が多いですから。1980年前後、当時はそういう傾向が今よりも強かったんじゃないかなぁ。

当時のオフコースのサウンドが洋楽っぽかったのも、行間が多い音楽だったっていうところが強かったんだろう。


逆に個人的に刺さらなかったのは、そこなんだろうな。

未だにそうなんだけども、もっと:下世話で頭悪そうな猥雑な音楽が好きだからさ。 サザンが好きなのも多分にそういう理由が大きいんだろうな。

何より、あの頃は「行間の隙間を埋める」ような音楽が好きだったから。

そそそ、この「言葉にできない」とは逆のような曲。

筒美京平氏が言われていたような、メロディとメロディの間の隙間を面白い、キャッチーなフレーズで埋めるような曲。

まあ、あの頃のアイドルの曲が主なんだけども、ニューミュージックにしても、ヒット曲は、そういう曲が多かったですからね。

こういう、行間を感じる曲っていうのは、あの頃は、個人的に理解できなかったんだよね。






なんか、大分固く、まじめに書いた割には、実際、この曲のチャート成績を見ると、「なんでぇ、こんなもんなんかい?」と思われるかもしれないな。

オリコン最高位 37位 売上げ枚数 3.6万枚

この間の「輝き続けるオフコース」でも言われていたことだけども、この「言葉にできない」は、前年12月にリリースされたアルバム「over」からのシングルカットされた曲ですわ。
シングル盤の方の売り上げが↑の程度に甘んじたのは、その影響なんだよね。
ちなみにこの曲が収録されている、アルバム「over」は、アルバムチャートで1位 売上げ41.4万枚(LP)の大ヒット。 

ほとんどの方はアルバムで買ってる・・ということで、シングルは伸びなかったわけですわ。

その前の「We are」もアルバムチャートで1位 売り上げ46.2万枚。 

アルバム20万枚セールスで大ヒットと呼ばれた時代。これだけを見ても、当時のオフコースの人気がいかにすごかったのか、人気絶頂だったのか・・というのとともに、いかにアルバムアーティストだったのかというのが分かりますな。

「We are」に続いてのアルバムが「over」。 つづけると 「We are over」   となり、これはオフコース解散を指しているんではないかと騒がれ始めていた頃。

「言葉にできない」というシングルリリースがその疑惑をより大きくさせ、にわかに真実味が出てきたように思えたのが、ちょうど41年前の今頃だった・・・ような気がするな。

実際は、オリジナルメンバーである鈴木康博氏の脱退が、このころすでに決まっており、それが、このタイトルにつながったようではあるんだけどね。



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