かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

2022年06月

Over Drive / JUDY AND MARY

1995_06_Over Drive_JUDY MARY



今回の1曲セレクトは、「Over Drive」JUDY AND MARYです。

まずはデータでする。

・タイトル    Over Drive
・アーティスト  JUDY AND MARY
・作詞      YUKI
・作曲      TAKUYA
・編曲      JUDY AND MARY
・リリース日   1995年6月19日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   67.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1995年7月17日〜8月7日付
・タイアップ:トヨタ「カローラツーリングワゴン」CM曲

マイカーの車検、通そうか、それとも買い替えようか、迷ったんだけども、結局、今回は通してとしまった。
20年物の「初代・Wish」。そそそ、宇多田ヒカルの「Colors」がCMで使われた時のクルマだ。
展示車だったのを「新古車」として買ってやつ。走行距離も18万Kmとなり、車検の際、修理、部品交換個所も増えたし、仮に車検通しても次も同じくらいの部品交換個所が出てきそうな気もするんでね。 そろそろ車新しくするか・・・という気持ち半分。

ただねぇ、なんせ20年も乗ってきたんでね。自分の手足のように自在に動いてくれるし、なかなか離れがたい気持半分。。 
車検時に部品交換個所はあるものの、半年ごとにディーラーで点検してもらっているんで、エンジンそのものは問題ないんで判断を遅らせているってのもあるし、、今回車検を通した要因でもあるな。

ただ、次の車検は・・・・。 さすがにそれまでには車を変えたい。
18万超えてると、遠出の勇気がなかなか出ないのよ。 でも、コロナも落ち着いてきて、そろそろ長距離ドライブもしたいしねぇ。


・・ということで、今回は「クルマ」に関係した曲を一つ。

ジュディマリの「Over Drive」

オ〜マイ・ガット  この曲まだ書いてなかったんだ。。。。。

ジディマリの主な曲は、あらかた書いたと思っていたんだけども。。。。


・・・っつか、最近じゃ、このCMに使われてるし。。。

↓ コレ



初め、あれ? 聴いたことあるけど、だれの曲だったっけ・・・なんて思っていたんだけども。。。。



この曲は、ジュディマリ初のベストテンヒットですわ。

前年「Hello! Orange Sunshine」でベスト30のスマッシュヒットを出し、個人的にもこの曲でジュディマリを知ったわけなんだけども。

やっぱり、トヨタ「カローラ」のCMに起用されたのが大きかったんだろうね、事実上のブレイクは、この「Over Drive」といってもいいだろうな。

くしくも、この曲がヒットし始めたころに、ワタシもクルマ変えてたんだよ。

それまで乗ってた「カローラ供廚ら「マーク供廚法

それまで乗ってた「カローラ供廚FMが入らなかったのよ。でも買い替えた「マーク供廚FM OKだし、カーステでCD聴けるし。当時としては至れり尽くせりだったんだよね。

そんで、初めてのドライブで聴いてたFMから流れてきたのが、この曲だったって記憶してるんだよなぁ。それでのこの曲覚えていたんだよな。

ただ、ヒット時期ってもうちっと早かったような印象があったんだけどね。 そそそ1995年の5月頃じゃなかったかと・・・。

でも、実際はリリースが6月だった。1か月履き違えていたんんだよな・・・。


そうか、それで、この曲の音源、長い事手元になかった理由も分かった。

この年のちょうど今頃、当時勤務していた、某大手害虫駆除会社での、「文化財害虫防除」作業の一環として「ガス燻蒸」作業の実地研修を受けに、まるまる1週間「川越市博物館」にカンヅメになってたんだ。
それだけでなく、翌週は、この研修の成果として「佐倉市美術館」の「ガス燻蒸」作業で、また、まるまる1週間カンヅメ。都合2週間家に帰ってなかったのよ。

おかけで、当時、ヒット曲収集の拠り所としていたbay fm「パワーカウントダウンHOT30」を2週間聴けなかったはずだ。
それらの週にこの曲、ランクインしてたんだよな。

当時、「パワカン」からエアチェックした音源をカセットに編集して、個人的なヒット曲集の音源としていたんだけども、たしか、あの頃、初登場の週は、ほぼフルでかかってたんだよね。それを目当てとしていたんだけども、初登場週にあぶれて、1コーラスしかかからない週ばかり聴くことになったんだ、それがいやで、この曲、当時のパワカンから編集したカセットに入ってないんだ。。。。


たしかに、個人的に刺さらなかった曲は、カセットに入れてなかったんだけども、この曲は、そういう理由ではなかったんだよね。

むしろ、刺さった。。。 というか、↑でかいた、初めてFMでこの曲を聴いたときに、「あ、これは来る」って感じたもんな。

前年、初めてジュディマリを知った「Hello! Orange Sunshine」は、もっととっ散らかってた。
まあ、だからこそ、ある種のパワーも感じたりして、「ニューカマー」が出てきたなとは感じてたな。

けど、この曲は、まとまっているのよ。 その分、「Hello! Orange Sunshine」のようなギラギラしたエネルギッシュなパワーは感じないけど、分かりやすいし、キャッチー。 これぞ「シングル」という感じ。当たり前のように売れると思ったな。

ただ、ここまで来るとはね、オリコン最高4位というのも、そうだけども、売り上げ枚数が67万枚だったからねえ。 それまでのシングルは10万枚も売れなかったわけだから、ここまで急激にブレイクしてくるとは、当初は思わなかったな。

やっぱり、天下の「トヨタ」のCM曲として起用っていうのは、デカかったんだろうね。

いずれにしても、この曲をきっかけにして、ジュディマリもビッグバンドの地位を不動のものにしたわけですわね。




この曲を今の今まで書かなかったのは、このMVがようつべに上がるのを待ってたっていうのもあるかもな。
このMV、メンバーの後ろ姿で面白いんだよね。
まあ、このMVでなくても、この曲自体の動画が上がるのを待ってたんだよね。 ちょっとまえまで、この曲の動画、ようつべになかったんですよ。

もっとも、ここ数年、この時期になると「生業」が忙しくて、1曲セレクト書いてる余裕が無かったっていうのもあるんだけども。。。。

それにしても、YUKIさんさすがに若いな。 そりゃそうかワタシも、この時まだ25才だったんだよな。 YUKIさんは、ワタシよりも学年で言えば2つ下なんで、こんとき23才だったハズ。

改めて今きくと、いつもよりも、丁寧に歌っていたような気がする。
トヨタのCMって先にありきだったのかしらん    だから、いつもより丁寧に歌ってた? その辺はよく分からないけど・・・。 でも、好感が持てたのは事実ですね。

いわいるメロコア系のバンドに、キュートな女性ボーカルっていう形式の男女混合バンドで成功した人たちって、今でこそ、いろいろと出て来ているけど、当時は少なかったですよね。

確かに「LINDBERG」も同じ形態のバンドだったけど、ボーカルの渡瀬さんは、YUKIさんのようなキュートなボーカルではなかったし。

まあ、同じ時期にMY LITTLE LOVERのAKKOっていうキュートな声質なボーカルユニットが大ブレイクしてるけど、ラウドなバンドはないってところは、ジュディマリとは異なるしね。


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はじまりはいつも雨 / ASKA

1991_06_はじまりはいつも雨_ASKA






今回の1曲セレクトは、「はじまりはいつも雨」ASKAです。

 まずはデータでーす。

・タイトル     はじまりはいつも雨
・アーティスト   ASKA
・作詞       ASKA
・作曲       ASKA
・編曲       澤近泰輔
・リリース日    1991年3月6日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    116.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位  1位
・ベストテンランクイン期間:1991年3月18日〜9月2日付
・タイアップ:パナソニック「コンポhalf」CM曲

 ロングセラー。いまぢゃ、まずほとんど聞かなくなった言葉だけどね。
 いや、たしかに、いまでもロングセラーっていう単語は時々使うんだけど、そうは言っても、あっという間にチャートから消えていく大多数の曲に比べたら「ロングセラー」というだけであって、ベストテンに10週前後ランクインしている曲でさえ、昔のロングセラーという比ぢゃないよね。

 こんな状態は、90年代後半ごろから、ジワジワと見えつつあったわけだけど、ぢゃ、90年代前半はどうだったのか・・・というと、これが「さにあらず」。
 これが逆に、ロングセラーの天下だったわけだ。特にハイライトは、1991年。

 この年は、とみにロングセラーが多かった1970年代を凌ぐくらい、ロングセラーが多かった年なんだよね。
 いわいる「メガヒット」の始まりの年だったわけだけども、90年代後半以降の「メガヒット」とは、様子が異なり、たしかに初動集中型になりつつはあったものの、その後の粘り⇒ロングセラーぶりは、最近のヒット曲には全く見られなかったような感じなんだよね。

 そんな1991年のなかでも、この「はじまりはいつも雨」は、特にその粘りぶりが際立っていたよなぁ。
 なにせベストテン内に「半年」も居座ったわけだからねぇ。
 とにかく「安定」度といったら、とんでもなかったんだよねぇ。

 どうしてなんだろ? とは思うんだけど、たしかに、あの時代「カラオケ」で歌われる曲っていうのは、ひとつ大きかったんだろうね。
 ただ、今のように、まだ、情報伝達速度は早くなかったから、口コミによって広がって行ったってのは、また、大きいだろうなぁ。

 この曲、たしかにパナソニックのコンポのCMに使われていたけど、これもヒットしてからの話で、リリース時には、ほとんど、プロモーションらしいプロモーションもあまりなかったからねぇ。

 すでに音楽番組は、テレビの世界では衰退していたし、まだインターネットも無かったわけだから、タイアップがないとしたら、ラジオくらいしかメディアは無かったわけだし。。。

 ただ、そういう状況だったから、余計、「曲のデキ」が注目されていたっていうのは、あるかもしれないなぁ。


 このころのASKAの曲は、CHAGE&ASKAも含めて、ほとんどクラシックに近いんですよね。賛美歌というかね、ちょっとそれまでのポップスには無かったようなコード運びとメロディラインが特徴でしたよね。

 それと、サウンド全体のイメージというかね。どちらかというと、バンドサウンドというよりは、大編成のオーケストラ的なスケールのでかい曲が中心になっていましたよね。

 そのあたり1989年に一時、CHAGE&ASKAの活動を休止して、ロンドン生活を送った後あたりから、変わったように思うなぁ。

 それ以前、ことにキャニオンに移籍した1986年あたりからは、どちらかというと、リズム主題のロックポップスといったような曲が多かったからねぇ。

 その辺の変化に時代が付いてきた・・・って言うのが、この1991年あたりで、結局、時代を味方につけたのもでかかったかもしれないですよねぇ。

 
 たけど、この曲は難しい。キーが高いってのもあるけど、これはカラオケぢゃなかなか歌えないですよ。

 いや、このあとの「SAY YES」もそうだけどさ。メロディラインが複雑だし、コード進行も、ポップスと思えない進行の仕方があったりして、まず、音が取りにくいんですよね。

 ただ、そういうところが逆に耳新しいって言うところはありましたよね。
 さすがにイギリスに行ってただけあって、音が「濡れている」というか・・。

 「はじまりはいつも雨」っていうタイトルにはぴったりはまるサウンドなんだよね。



 個人的には、この曲がヒットしてた頃・・・・、ランキング(ヒットチャート)に本格的にのめりこみ始めたころだなぁ。  自主チャートを毎週出すようになったのもこのころですわ。
 それと、「オリコン研究会」のサークルでで頻繁に動いてた頃かなぁ。

 だから、この曲っていうと、ヒットチャート作ってたか、千葉の中央郵便局で夜中、郵便物の仕分け作業のバイトしてたころの風景が浮かんでくるんだよなぁ
バイトしてた作業場にあったラジオから、この曲、よく流れてたんですよ。

 それとともに大学には徐々に足が向かなくなってきてた頃の曲ですねぇ

 「仕事」的な考えとしても、いまのワタシの根幹的にあるような曲なんですよねぇ。




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One Night Carnival / 氣志團

2002_06_One Night Carnival_気志團


今回の1曲セレクトは、「One Night Carnival」氣志團どぇす。

まずはデータだぜぃ。

・タイトル    One Night Carnival
・アーティスト  氣志團
・作詞      綾小路翔
・作曲      綾小路翔
・編曲      氣志團
・リリース日   2002年5月29日
・発売元     EMIミュージック
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数   18.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 14位

この時期になると、脳裏に浮かぶ曲がある。
ま、普通は梅雨の時期なんでも「雨」にまつわる曲とかさあ。そうなるんかなぁ。ラジオ聴いてると、大体そんな感じだもんね。
あとは、無理やり入れれば、ジューンブライド・・・っつうことで、ウェディング・ソングとか。。。

あ、いや、これは、最近あんまり聞かなくなったのかなぁ。。。

でもさ、個人的にこの時期と言って、未だに脳裏にこびりついているのは、ケータイの新機種対応なんだよなぁ。

あー、またもや仕事関係の話で申し訳ないですが。。。

特に、docomoの新機種対応。 503i から504i へ、504iから505iへ っていう新機種リリースがいつも決まってこの時期だったのよ。 

ま、実際のリリース日は、もうちょっと前だったんだけどね。

でもねぇ、これら新機種対応で、ワタシら着メロ業界で何が大変だったかといえば、新機種に合わせた音源ファイルのカスタマイズ、いわいる再ミックスですわ。

503i の16和音から504iでは40和音へ  さらに505iでは64和音へ 音数も音色も進化するのに伴って、これらに合わせた音源ファイルの再チューニングを行ったからさあ。

とりわけ、初めて再チューニングを行った、2002年の503i の16和音から504i 40和音への作り替えは大変だった。

あの当時で、1万曲以上配信していたと思うんだけど、それら全曲に対して504全機種用のファイルを作るってことでさ。

まあ、ほとんどの曲は機械的にファイルコンバートしていくだけの作業だったんだけども、これが上手くコンバートしない曲かあったりしてね。。。

最終的にファイル数、数えてみたら機種によってファイル数が合わなかったりして・・・。
で、どの機種の、どの曲がエラーになっているか・・調べて作り直したりして。。。
結局、あの時も2日ばかり徹夜したような記憶がある。

そうそうそう、3日目の夕方、社長が気つかって、いっちゃん高いユンケル差し入れてくれたの覚えてるワ。。。 

それでも、3日ぶりに解放された、帰りの京葉線でつり革につかまりながら、半分気絶してたもん、ワタシ。

あの気絶する直前に、ウォークマンのイヤホンで流れていたのが、氣志團の「One Night Carnival」だったのは、やけに記憶にこびりついてるんだよな。

だから・・・というわけでもないんだけど、氣志團の「One Night Carnival」を聴くたびに、2002年5月の504i対応の時の光景とか、京葉線でつり革につかまりながら気絶する直前の光景が、いまだにフラッシュバックするんだよな。。。。

だけど、氣志團の「One Night Carnival」ってどこで、初めて聴いたんだろう・・・?

・・それが思い出せない。

CDリリースを調べなおすと、2002年5月29日とある。  いや、この時にはdocomoから504iシリーズは、すでに発売されていたはずだ。

・・ということは、もうすこし前だったハズなんだけども。。。 でも、私のウォークマンに曲が入っていたということは。。。

うーん、どこでこの曲の音源仕入れたんだ? ワシ。。。

さらに、初めてこの曲の存在を知ったのも、よく覚えていない。

この曲、EMIからリリースされる1年前に、インディーズから別バージョンでリリースされていたじゃん。 恐らく、初めに聴いたのはそっちのバージョンだったと思う。

あのころ、着メロの音源情報を仕入れるために、日ごろから、いろいろなサイト巡回していた時に、たまたま氣志團を見つけたんだったけなぁ。。。

まずもって、ビジュアルからインパクトだよね。 今どき時代錯誤なツッパリ ヤンキーグループですかい

ま、たしかに、80年代の横浜銀蝿よりも、当時のチーマー的なものほんのヤンキーっぽくは一瞬見えたけど。

あの頃、ヒップポップ系の兄ちゃんのなかには、ホントに怖そうな兄ちゃんもいたからねえ。 ついにロック界にもそういう輩が出てきたかと一瞬思ったりしたもんよ。

でも、曲を聴いてぶっ飛んだ。 演奏力がある。 各パートともにテクニシャンなのよ。
これだけのテクニックがあれば別にこんなビジュアルにしなくてもいいじゃん・・・と思えるほど。

それ以前に曲自体 キャッチーだし、一発で刺さったもの。

でも、これが、売れるための彼らなりの戦略だったんだよね。 

まあ、それまでのいろんなヤンキーがごっちゃになっているところがあったけど。。。

出だしの 「俺んところこないか」っていうセリフは、杉本哲太「On the machine」(1982年)から拝借したもの。

・・・かと思えば、 「とにかくもう 学校や家には帰りたくない」って、尾崎豊の「15の夜」(1983年)になったり。。。

さらにさらに、「行こうぜ ピリオドの向こうに」っていうセリフは、チェッカーズの「Jim & Janeの伝説」(1988年)からのパクリ・・・うんにゃ 引用だったりして。。

加えて、全体的にお茶らけたお祭りムードは、アラジンの「完全無欠のロックンローラー」っぽいよね。。

・・・ってな感じで、80年代のツッパリ方面の曲がごっちゃに引用されてる。

もろ、その世代のワシにとっては、一発でそれと分かるわけで、一気にノスタルジーな気分になったり。

逆に、ワシら世らよりも若いコたちには、あの変なパラパラ踊りと相まって、新鮮に映るんだろうな。。

そんな充分に計算された曲だし、バスるのも必然だったのかもしれないな、この曲。

加えて、丁度同時期に放送されていた、ドラマ「木更津キャッツアイ」で、木更津⇒ヤンキー っていう認識が再燃してたからなぁ。 そんな時期に、「房総ヤンキー」ってことで「氣志團」が現れたのは、めっちゃ、タイムリーだったっていうのもありましたよね。

氣志團、木更津から出てきた・・・ということもあって、急に親近感が沸いたりして。。。

え、だって、ワシも高校は木更津だもの。 同じ「JR内房線同盟」としては親近感ですよ。

・・と同時に、ツッパリヤンキーなビジュアルなのかが、すぐにわかった。この手のあんちゃん、多かったもんね、木更津周辺には。 

いや、少なくとも、ワシらが高校生の頃の木更津駅周辺には、この手のあんちゃん、いっぱいたむろしてたけどなぁ。

しかしね、綾小路君は、ワタシらより丁度10才年下ですわ。10才年下の頃でも、この手のあんちゃん多かったんですかね〜。 高校卒業以来、あまり木更津にはいかなくなったんで、何とも言えないんだけども。

それにしても、綾小路君、ワタシらと同世代? ってくらい、ワシらの世代の風俗とか、ヒット曲知ってるからな。最初は、ホントに同世代か・・・って思ったもの。


・・・なんて書いてたら、「One Night Carnival」の制作秘話なる動画が出てきた。

↓ コレ




うむ、もしかしたら、これ見てくれた方が、ワシがちまちま書くよりも、「One Night Carnival」については正確に分かるかもな。。。

・・・ということで、ワシはここいらで撤退。。。。







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魔法の黄色い靴 / チューリップ

1972_06_魔法の黄色い靴_チューリップ


今回の1曲セレクトは、「魔法の黄色い靴」チューリップです。

まずはデータから

・タイトル     魔法の黄色い靴
・アーティスト   チューリップ
・作詞       財津和夫
・作曲       財津和夫
・編曲       木田高介
・リリース日    1972年6月5日
・発売元      東芝音工
・オリコン最高位  98位
・売上げ枚数    0.2万枚

4日土曜日、東京国際フォーラムで行われた、チューリップのデビュー50周年コンサートに参戦した。

正直、前もって参戦しようとは思っていたわけではないんだけどね。。。
今年の初め、キョンキョンの40周年ライブの中野サンプラザのチケットを獲ろうと、「ぴあ」のサイトを見ていたら、たまたま、チューリップ50周年コンサートの告知が目に入ったものだから。
それがどうも気になりまして、コンサートに行ってみようかと、チケット予約してみたら取れたんですね。。。

・・なんて、なんとなくチケット予約してみた‥のような書き方だけども、もちろん、以前から1度はチューリップのコンサートを見てみたい・・という思いはずっとあった。

これもなんかの縁・・・だったのかもな。

それ以前に、チューリップのメンバーも財津さんをはじめ70代の方が多くなったわけで、もしかすると、この機会を逃すと、もうコンサート見れなくなるかも・・なんていうのも頭の片隅にはあったのも確か。

でも、コンサート参戦してみて、よかったですわ。アットホームな雰囲気に包まれて。
個人的には、年齢的に70年代の「コンサート」の雰囲気って知らないんですよね。。 でも、その一旦も味わうことができたし。。。

ま、これに関しては、また後日、ライブレポにまとめようか考えています。



そんなわけで、今回の1曲セレクトは、やっぱチューリップの曲を持ってきたい。
・・となると、タイミング的に、やっぱし、丁度50年前にリリースされた、メジャーデビュー曲のこの曲となりますよね。

「魔法の黄色い靴」。

チューリップの曲は、曲数は多くないけどこれまでも何曲かは書いた。けど、デビュー曲であるこの曲は、まだ書いてなかったんだな。。
これまでは、なかなか書くきっかけがつかめなかったのもあるかもしれないな。

リリースは1972年6月5日。 今からちょうど50年前になる。

当時のメンバー、 Key、G 財津和夫、Key、G 姫野達也、G 安部俊幸、B 吉田彰、Dr 上田雅利 

メジャーデビュー当時の、いわばオリジナルメンバーだ。


ワタシは、この時、2才9か月。 さすがにリアルタイムじゃ聴いてないなぁ。 

個人的に聴いたのはいつだろ? 

そうそう、この曲がダイドー「ブレンドコーヒー」のCMに起用され、「虹とスニーカーの頃」や「青春の影」とのカップリングで新たに8cm CD がリリースされた1993年だ。

フジテレビ深夜に放送していた「19×× 僕たちの懐かしのメロディ」から、「青春の影」にめっちゃのめりこみ、音源が欲しい・・と思っていた時に、丁度シングル曲、3曲がセットになった、「お得盤」ともいえる、この8cm  シングルCDがリリースされたのよ。すぐに買ったな。

ちなみに、このシングルCDは、オリコン最高36位。11.7万枚の売り上げを記録している。
72年のオリジナルシングルの50倍以上の売上げですわ。

もちろん、すでにチューリップというバンドのネームバリューは、72年にリリースされた当時と比べ物にならないくらい大きなものになっていたし、CMというメディアミックスの効果もかなりあったわけだから、単純には比較できないのだけど。。。

でも、個人的に「19×× 僕たちの懐かしのメロディ」には、大分影響されましたね。
高校生だった80年代後半から、始めていたんだけども、ヒット曲を現在から遡って掘ってみようと本格に70年代の曲を掘り返し始めたのも、この番組からだったし。。

で、60年代からの音源がある程度揃ってくると、時代ごとの一連のヒット曲の流れがや、曲の傾向が見えてくる。

でも、そんな一連の時代の流れの中で、少し毛色が違った曲が見えてきたりするんだよね。

この「魔法の黄色い靴」もそんな1曲だったような気がする。

1972年って、時代の転換点の年のように思えるんですよね。 歌謡曲という面ではなくて、フォーク・ニューミュージックという面から見るとだけど。。。

大まかに見ると、当時の主流は60年代末からの流れを受けてフォークといっても良かったかもしれない。吉田拓郎氏の「結婚しようよ」が大ヒットしていた時代だ。

けど、一方では、その後のニューミュージックと呼ばれる新たな音楽の「芽」が出始めた年でもあるんですよね。

吉田拓郎氏の対抗馬として、井上陽水氏に注目が集まりだし、アリス、ユーミンがデビューしたのも72年ですわ。

後のいわいるニューミュージック界の雄と言えるアーティストたちがデビューした年。 そんな中に、チューリップもいたわけですね。

もちろん、アリスもユーミンも最初からビッグヒット飛ばしたわけではない。 ユーミンのデビュー曲「返事はいらない」はオリコン100位にも入らず、本人曰く300枚しか売れなかった・・・なんて言ってたりしてますもんね。

チューリップのこの「魔法の黄色い靴」は、かろうじてオリコン100位に入ったものの、最高98位。
TOP100ギリギリ。しかも1週しかランクインしていない。

結局さ、まだまだ時代が追いついていなかったってことなんだよね。

比較的複雑なコード進行と、トリッキーな転調を伴う、この「魔法の黄色い靴」は、確かにアコースティックキターがメインの一聴すると、フォークのように聴こえるんだけども、それまでの60年代からのフォークとは違う。

そもそも、当時の主流だった拓郎氏や、社会派フォークのように人生観や社会風刺を表に出した曲ではない。 政治色がないんですよ。

でも60年代から70年代へと時代が変わったように、社会も変わっていたわけだよね。

モーレツからビューティフルへ。そんな時代の価値観の辺の中で音楽の価値観も変わってきていたわけで。

ただ72年という段階では、少なくとも音楽に関しては、まだ前時代の価値観が主流だったってことでしょうね。

そんな時代の流れの中で、チューリップも、まだ立ち位置が確立できなかったじゃないか。

バンドではあるけど、シャウトするロックではない。かといって上記のようなフォークでもない。

ポップ・ロック。

当時はそんな立ち位置のバンドは、少なかったわけですわ。

田家秀樹氏の「読むJ-POP」によると、「ネオGS」という呼び方で、際物扱いだったようですね。

ニューミュージックという言葉が出てきたのは、1973年頃。
1972年当時には、少なくとも日本の音楽界ではこのコトバは使われていなかったわけで。
ロックでもない、フォークでもない彼らに当てはまる音楽のジャンルは、当時にはなかったわけですわ。

ビートルズを下敷きにしたバンド。 林哲司氏の「歌謡曲」には、そう書かれたりするけど、確かにそうなんですわ。

この「魔法の黄色い靴」を聴く限りビートルズの香りが強い。 

たしかにビートルズ好きを公言するミュージシャンは、それまでもあまたいた。
当時、時代を席巻していた吉田拓郎氏もその一人だったはず。 でも、ここまであからさまにビートルズの匂いの強いアーティストは、あまりいなかったように思うんだよね。

口が悪い方たちからは「ビートルズのコピーバンド」とも言われていたようだ。

ただし逆な見方をすれば、それまで無かったような空気感をまとった曲であることは確か。
それは、あの当時のフォーク・ニューミュージックを発売順に聴いていくと、たしかに、この曲とか、ユーミンの「返事はいらない」は、全く違う空気を感じるんだよね。


それまでの時代・・・1960年代・・・・の空気感とは全く違った空気を感じる曲。
リリースは1972年だけども、音楽における・・・いやいや、ニューミュージックという70年代を彩る新たな音楽の地平・・・は、この曲から始まったんじゃないか・・・。 後追いで音楽を聴き始めた世代のワタシとしては、そう思えたりするな。

上記の、林哲司氏の「歌謡曲」に、この「魔法の黄色い靴」に関して、

僕は、歌謡曲でもないフォークでもないポップスがやりたかった。
(当時この「魔法の黄色い靴」を聴いて)  やられた・・・と思った。

とある。

この曲に感化されて、林哲司氏が、後の竹内まりやさんの「セプテンバー」や松原みきさんの「真夜中のドア」など、70年代終盤のニューミュージック・・・今でいうシティポップ・・・を作曲する原動力になったのなら、言ってみれば今をときめくシティポップの「祖」といっても過言じゃないんだよね。




   



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ROCK IN JAPANはやっぱりひたちなかで開催して欲しい



Green Festival '22   ひたち海浜公園で開催。

結局こういう事になるんだよね。
・・こうなるんだったら、なぜロッキンを千葉に移転させたのか・・・ということになるわけよ。

千葉在住の私から見れば、確かに場所がウチから近くなったというメリットはあるものの、心情的には、やっぱりこれまでのように「ひたち海浜公園」でやって欲しいんだよね。ロッキンには。
同じ蘇我スポーツセンターで開催された、5月のJAPAN JAM。 前哨戦として試しに参戦してみたけど、メリットといったらウチから近いというだけで、他のメリットは感じなかった。
なにより、場所が狭い。 見渡せばフェンスネット。その向こうには川崎製鉄の工場。 地面は人工芝。。っていうシチュエーション。フェス特有の開放感を感じられないのよ。

そもそも、フェス用の駐車場がないので、必然的に電車で行くしかない。
車で行けるならばドア トゥ ドアなのに、わざわざ駅まで行って電車に乗り換えるっていうもね。。。

場所が狭いということは、収容人員も限られてくるわけだし、出演アーティストも限られてくる。

さっきtwitter見てたら、ステージが減ったから、知名度が低いニューカマーアーティストや、人気がないけど実力者・・・というアーティストの出演する機会が無くなったとツイートしている方がいた。

全くその通りだと思う。 現に以前だったら出演していたであろう、今年期待のニューカマーアーティストの
出演が少ない。 もう、ヒゲダンとかmiletのように、一番小さなステージからビッグになる光景は見れなくなるんじゃないのか・・とも思えてきますね。
フェスって人気者を見れる場だけでなく、新たなアーティストを発見するショーケースの場でもあると思うだよね。

ロッキンオン側としても、この先ずっと、これまでよりもチケット販売枚数を少なくさせるっていうのは、大きなマイナスだと思うんだけども。。。。実質的な規模縮小なわけだから。

そして、3次先行で早々とチケット完売との告知が。。

スクリーンショット (20)

そりゃ、これだけの人気者ぞろいで、チケット販売枚数がこれまでよりも少なきゃ、こうなるよね。

まあ今年は開催することが重要なんだろうから譲歩しても、今後もこのままずっとそれでいいんですか・・っていう疑問はやっぱり残る。


確かに、コロナ禍中のフェスであることも考慮しなくてはいけないところだし、すでに発表されている形での開催は致し方ないところだけども、イベントにおけるコロナ対策方法もこなれてきたし、将来的には、ロッキンをひたちなかへ戻すという形にはならないものですかね。

運営的な問題、コロナ対策云々の問題はあるものの、やっぱ、なにより、あのだだっ広い芝生公園や緑に囲まれ、海からの風がここちよい、
「開放感」の中で行われるロッキンこそが、夏の風物詩だと思う。
個人的には、そこを一番重要視して欲しい訳よ。

昔、フジロックは、当初の富士山麓開催から、一度、東京に場所を移した。でも、不評で次の年に今の苗場に再移転したわけじゃん。
この例のようにフェス開催場所の複数移転の事例は今までもあるわけだからさ、ロッキンオン側にも、ぜひ一考してもらいたいところですね。


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