かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

2022年03月

ミチシルベ〜a road home〜 / オレンジレンジ

2004_03_ミチシルベ_オレンジレンジ_



今回の1曲セレクトは、「ミチシルベ〜a road home〜」オレンジレンジです。

まずはデータです。

・タイトル   ミチシルベ〜a road home〜
・アーティスト オレンジレンジ
・作詞     オレンジレンジ
・作曲     オレンジレンジ
・編曲    (クレジットなし)
・リリース日  2004年2月25日
・発売元    ソニーレコーズ
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  27.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:2004年3月11日〜4月8日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「FIRE BOYS 〜め組の大吾〜」主題歌

ここんところ、1曲セレクトをあまり書かなくなったのは、「生業」がめちゃくちゃ忙しくなったからなんですよね。 ・・・なんて、ちょっと言い訳がましくなっちゃうけど。。。
 会社的な事情もあってさ。ワタシのチームから別のチームにメンバーが移ることになったりして、人数が減ったのにもかかわらずクライアントの数が増えて、ニッチもサッチも行かない状態が続いてたんでね。

 以前だったら、1日1曲は義務って感じで書いてたんだけども、ここんところ、書くスピードが遅くなっちゃったんだよね。 昔だったら30分で1本かけたんだけども、最近は2時間くらいかかるのね。 
まあ、以前は自分の本当に好きな曲とか、かかわりが深い曲を書いてたからスラスラ書けたんだけども、最近は、あんまり個人的な趣味ではない曲も書いてるからね。前段階でいろいろ調べたり、書くまでが時間がかかるのよ。 

字数が昔よりも増えたってのもあるな。昔は本当に簡単なメモのようなコラムだったから、1曲セレクトも・・・。

そんなこともあって、さすがに仕事終わりに1本というわけにもいかず、なかなか書けないでいたっていうわけね。

 今日も平日の仕事終わりで、本当はちょっと書くのもつらいんだけども、明日から4月の繁忙期に入るんで、また暫く書けなくなるだろうから今のうちに書いとこうと思いーの、昨日に引き続いてPCに向かってたりします。



今回引っ張ってきた曲は、 オレンジレンジの「ミチシルベ〜a road home〜」。
2004年2月リリースの彼らの初のオリコン1位獲得ですわ。

オレンジレンジって、この前の年の夏、「上海ハニー」でいきなりブレイクしてきた、いわいるアイドルロックな人たちだよね。

なんか胡散臭かったんだよ、出てきたときは。  

今、当時のオリコン読み返してみると、「上海ハニー」でブレイクする前から、オリコンには取り上げられていたから、期待はされていたんだろうけどね。

でも、個人的にはそれほど注目はしてなかったのよ。正直言って。

ただ、当時、着メロサイトのセレクター兼、プロデューサーっていう立場だったんで、仕事がらみで聴いていたようなもんでさ。

あの頃、ロックではないけどヒップポップ系の人たちで、こんな感じで、見た目汚いナリの人たちがいろいたからさ。 そんな人たちの1組・・・っていう認識だった。

うん、「上海ハニー」は、ロックではあるけど、 Aメロからヒップポップっぽいフレーズが続くからさ、そっち方面人たちだと思ってたのよ。

・・まあ、個人的にはヒップポップってどうも苦手だったからさあ・・・。あくまで仕事という思いで聴いてたんただよね。

でも、この曲を聴いて、がらりと考えを変えたのを覚えてる。

まずもって、浮遊感の有るイントロのギターのアルペジオ。それに絡んでくる硬質で切れのあるドラム。

思わず引き込まれたんだよな。

まあ、メロディはもろティーン向けの易しく優しいラインで、これは、30過ぎのおっさんが聴く感じじゃないなと思ったけど、兎も角、イントロのギターの音色と切れのあるドラムロールに引き込まれてしまった。


あの頃、今と同じく仕事上で煮詰まっていたからねぇ。 トリプルブッキングの会議が果てしなく続いて居たりしたしさ。あの頃のグループウェアのスケジュール表みると、連日真っ黒で、ワシャ、ピンク・レディか・・・ってホントに思ったもの。

加えて、管理職にもなったからさ。 いや、たまたま成功したサイトのオープニングメンバーだったからってことで、「ご祝儀」で管理職にしてもらったようなもんで、別に本当の実力があったわけじゃないのよ。
むしろ、それまでの人生、「ダメ人間」っていうレッテルで生きてきたからさ。人の上に立つって分かんないのよ。 まあ、今でも分かんないけど、あの頃は、輪をかけて分かんなかった。
あの頃は八方美人だったからなぁ。チーム内をいい方向にまとめようとみんなにいい顔してたから。。
それが逆むしろ効果だったのよ会社行っても人間関係がギクシャクしてきてて。。。
人間関係がストレスだったのよ。

一方では、自分のサイトを、会社から帰って夜中から朝方まで更新したり、掲示板のコメント書いたりして。。。 ほとんど寝てる暇もなかったり。。。。 

いまだったら、別にいい関係じゃなくてもいいや・・とある程度は割り切れるんだけとね。あの頃は若かったから。
現に、今のチームでは、ワタシなんてダメオヤジの嫌われもんだから。 でも、それでいいと思ってる。リーダーなんてみんなから好かれちゃだめよ、自分の考えを通し続けるにはさ。

でもまあ、そんな状態が2年近く続いたんで、精神的に病んできちゃってさ、あの頃。

ホント、今考えても精神的に不安定だったのよ。 なんかいつもイライラしてたし。。。

そんな折、今の「M-ON」当時は Viewsic TVったっけな・・・日曜日の朝っぱらから昼過ぎまで、日中延々とやってた、Countdown 100。

あの番組を、うつらうつらしながら 見てたら、この曲のMusic ビデオが流れて来てさ。

↑に書いたように、南国の温度感、浮遊感が有るイントロのギターのアルペジオ。それに絡んでくる硬質で切れのあるドラムに一発で引き込まれた。

いやいや、癒されましたね。精神的に。

それで初めて、コイツラは、ちゃんと評価してやらなきゃいけないな・・っていう気になったんだよね。

現に、ドラマの主題歌というタイアップが付いてたいたとはいえ、この曲で初の1位を獲ったし。
次の「ロコローション」〜「花」と、急激にスターダムの階段を上ることになったわけなんだけどさ、オレンジレンジも。

その賭場口の曲で引っかかったっていうのも、まだ、あのころは、この先ホンモノになりそう(売れてきそう)だな・・って嗅覚はあったんだろうね。最近はすっかり鈍っちゃったけさ。。。


そういえばオレンジレンジの「花」が大ヒットしていた頃、当時運営していたBBSに、業界に対する当時の考えを長々と書いて、その筋の方に褒めてもらたっけ。一部引用したいとか言われて。。。

内容はすっかり忘れちゃったけど、日ごろのうっぷんが溜まっていたんだろうね。あの頃の個人的に感じてた業界に対する想いを叩きつけるように書いたような気がするんだよね。


まだ30代前半だったけども、今はもう、ああいう熱い文章は書けないな。

もっとも、最近は慢性的な寝不足で頭が回らないんで、まともな文章が書けなくなったていうのもあるんだけども。。。




いまは、当時のMVは、ようつべに上がってないんだな。
どうも、この手のライブ映像ばっかで、ちょっとつまんないんだけども、しょうがないですわな。



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想い出の樹の下で / 岩崎宏美

1977_03_想い出の樹の下で_岩崎宏美




今回の1曲セレクトは、「想い出の樹の下で」岩崎宏美です。

まずはデータです。

・タイトル   想い出の樹の下で
・アーティスト 岩崎宏美
・作詞     阿久悠
・作曲     筒美京平
・編曲     筒美京平
・リリース日  1977年1月25日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数  23.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1977年2月14日〜3月14日付



またまた、久々の1曲セレクトです。
・・・って、前回はここから長々とマクラを書いちゃったんだよな。
なので今回は、すんなり本題に入りますぞ。

さてさて、今回引っ張ってきた曲は、岩崎宏美さん、1977年1月にリリースされた8枚目のシングル

想い出の樹の下で

この曲さあ、いっつもヒット時期間違えるんだよな。

曲の内容からして、卒業、新たな旅立ちを想像させるし、曲調からも「春」を連想させるんで、3月頃のヒットだとばっかり思ってたのよ。

でも、実際は、リリースが1月で、ヒットのピークは2月なんだよね。

曲のイメージからすると、実際は1か月ほど早い。 で、3月の今頃はヒットのピークは過ぎて下降線に入ってた頃なのよ。

だから、いっつも書く時期を逸するんだよな。 

まあ、今回もややヒット時期からすると、ずれ気味ではあるけど、ここで書いとかないと、また書く時期を逸するんじゃないかと思いーの、ひっぱってきちゃいました。。。


個人的に、この曲嫌いじゃないんですよ。 むしろ、宏美さんの初期の曲の中では好きな曲の部類なんだよな。

この曲も、デビュー以来携わってきていた、筒美京平氏の作曲だけど、明らかにここまでの曲とはサウンドが違ってたからさ。

モノの本では、初期の宏美さんの曲は、ディスコサウンドと言われる。まあ、これは、当の筒美氏も公言しているから間違いないところなんだけども。

そそそディスコといっても、70年代終盤のサタデーナイトフィーバーではなく、バンプを経た後の、フィラデルフィアサウンドがベースとなったディスコですね。ヴァンマッコイの「ザ・ハッスル」などの黒っぽいサウンドのディスコ。

榊ひろと氏の「筒美京平ヒットストーリー1967-1998」によると、これらのディスコサウンドがベースとなっているが、うわもののストリングスなどは、それまでの歌謡曲を踏襲した・・とある。

そそそ、だから、ぱっと聴きは、それまでの70年代のヒットポップスと大きくは変わらないんだよね。
でも、リズム体は明らかにそれまでのポップスとは一線を画す。それを榊氏は「過渡期」と書いてるけど、まさにそんな感じですね。

いつかも書いたけど、70年代って前半と後半では、サウンドが全然違うって書いたことがあったけど、宏美さんの初期の一連のヒットって、まさにそんな時代の変革期真っ只中の時期のヒットなんだよね。

ただ、個人的には、大ゼッサンしたくなるほどではなかった。まあ、もともと70年代中期のディスコサウンドって、大得意ってわけじゃないからなぁ。

たしかに、大ヒットの「ロマンス」は別格だけども、その他の初期のヒットはそれほど引っかかってこなかったんだよね。 

でも、この曲では、ディスコから、ソウルへ、本格的なフィリーソウルを見せてくれたじゃん。 それが良かった。

いや、個人的には、フィラデルフィア・ソウルのほうが、ディスコよりも全然好きだったから。

あ、これは、子供頃から。

透明感のあるストリングスに、キラキラとしたブラスが絡まってくる。 

ヴァンマッコイのディスコサウンドは、黒っぽさが際立っていたけど、ソウルになると、黒っぽさは薄れ、もっと洗練されたサウンドに昇華してくるというかさ。
そんなフィリーソウル・サウンドが大好きだったんだよな。

77年は個人的には、ポールモーリアな嵌ってた頃なんだけども、そんなフレンチ・ヨーロッパ系のサウンドに対しての、もう一つの心のよりどころだったのが、実は、フィリーソウルだったりするんだよね。 多分、その二つのサウンドが個人的な音楽の根っこに今でもなっていると思うんだけども。。

うん、わが心の70年代ですよ。これらのサウンドは。

ちなみに、筒美京平氏は、この年1977年、この「想い出の木の下で」でフィリーサウンドを、秋には太田裕美さんの「九月の雨」でポールモーリアを下敷きにしてきている。
個人的な音楽の根っこのサウンドを両者とも取り入れている。だから、筒美サウンドはやめられないのよ。


・・・で、この「想い出の樹の下で」は、そんなフィリーサウンドを取り入れたっていう所が、それまでのシングルとは違うし、だからこそ、新鮮味も感じるんだよなぁ。

取り入れたというか、イントロ出だしのホルンの響きは、バリーホワイトの「愛のテーマ」の間奏部のホルンの響きを彷彿とさせるし。 「愛のテーマ」は下敷きにしてるよね、間違いなく。

↓ コレ





ただ、個人的な思いとはウラハラに、どうも、一般的な評価は、それほど高くなかったりするんだけどさ、この曲。

B面の「わたしの1095日」のほうが、業界的な評価が高かったりするし、こっちの方が好きだっていう人も多くて、ちょっと悲しいかな・・と個人的には思ったりするんだけどさ。。。

そんな業界的な評価の低さが、売り上げにも反映されているのか、売り上げを見ても、大ヒットとは言い切れなかったんだけどね。




やっぱり、間奏のトランペットは気持ちいいよね。 
榊ひろと氏は、フィリーソウルから、スタイリスティックスの「愛がすべて」のイントロのトランペットを彷彿とさせるとおっしゃっているけど、個人的にはメイナード”・ファーガソンの「Theme From Star Trek 」を思い起こしちゃったりして・・・。

そそそ、「アメリカ横断ウルトラクイズ」のテーマ曲の。。。




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時の扉 /WANDS

1993_03_時の扉_WANDS



今回の1曲セレクトは、「時の扉」WANDSです。

まずはデータです。

・タイトル    時の扉
・アーティスト  WANDS
・作詞      上杉昇
・作曲      大島康祐
・編曲      明石昌夫
・リリース日   1993年2月26日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   144.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1993年3月8日〜5月3日付
・タイアップ:テレビ朝日系「ネオドラマ」主題歌

今年の冬はとみに寒かったですわ。個人的にエアコンの「温風」が苦手なんで、冬場は未だに「石油ストーブ」なんだけども、この冬は灯油代がいくらかかったか。。。
でも、ようやく春っぽくなってきましたね。

ただ、春っぽくなってくると「花粉症」が・・・・。 まあ、最近は、ジジイになってきて鈍感になってきたのか、花粉に慣れてきたのか、昔ほどひどい症状は出なくなってきたけど、それでも、多少は症状が出るな。 ここ数日、鼻水が。。。

振り返ってみれば、1993年春の花粉症が一番ひどかった気がする。かんでもかんでも止まらない鼻水に加え、鼻づまり、微熱が3〜4月の間ずっと続いてたなぁ。

大学4年になろうとしていた春。卒研のための所属研究室をめぐって各教授へのお願いと、就活開始時期が重なって何かと気苦労が多かった春だ。

そう考えると、花粉症っていうのも精神的なところもあるのかもな。

・・・・ということで、今回はそんな個人的に花粉症が酷かった1993年春から1曲。

WANDS  「時の扉」

うーむ、この曲未だに書いてなかったんだな。  ・・というか、過去に書いた曲アーカイブスを調べてみると、WANDSって意外と書いてなかったんだよね。

1993年の今頃と言えば、ビーイング系アーティストが、チャートを席巻し始めていた頃だ。

どうもね、ある系統のアーティストがランキングを席巻し始めると、それらのアーティストから距離を置きたくなるところが、昔からあるんだよね、ワタシ。

例えば、それ以前だったら、おニャン子関連なんかまさにそんな感じだったな。

たくさんの方たちと共有できるヒット曲が好きな反面、ヒットチャート上、あまりにそれらの系統のアーティストばかりになると、途端にいやになる。 天邪鬼ですよ。

そんな傾向が、93年の今頃には、いわいるビーイング系のアーティストに出て来てたんだよね、ワタシ。

だからということもあるんだろうけど、この1曲セレクトで、全盛期だった1993年のビーイング系の曲って、未だにあんまり書いてないんだよね。

もっとも 当時のビーイング系のすべての曲に拒否反応があったわけじゃない。
例えば、WANDSだったら、この「時の扉」の次の「愛を語るなら〜」は、一時期カラオケの十八番だったくらい好きだったし。。。

いや、ビーイング系の曲って、刺さるか刺さらないかの差が激しかったのよ、個人的に。

例えば、T-BOLANなんて、普段はあんまり刺さらなかったのに「Bye For Now」なんて大好きだったし。。

うん、全体的に見て、ビーイング系がブームだった1993年よりも、ブームが下火になりかけて来ていた、1994年の曲の方が個人的には刺さったのよ。
WANDSだったら、「世界が終わるまでは・・・」、DEEN「瞳そらさないで」、MANISH「走りだせLONELY NIGHT」、T-BOLAN「マリア」・・・。
みんな1994年の曲ですわ。

1994年ってミスチルに加えて、小室系からtrfっていう、新たな勢力が急成長してきたころ。それに伴い明らかにビーイング系の分が悪くなり始めて来てた頃だったからさ。

そうなると、なんか愛おしくなってきたりするんだよね、ワタシ。

まあ、そんなところもあったんだろう。、今回引っ張ってきた「時の扉」って曲、1993年当時は、めちやくちゃ好きだったわけじゃないんだよね、個人的には。

まあ、だから、145万枚なんちゅう、いわいる「メガヒット」になったこの曲なのに、いままで1曲セレクトで書いてこなかったんだろうけど。。。

この曲よりも、同時にリリースされたチャゲアスの「YAH YAH YAH」のほうが個人的には、何倍もは刺さってたしなぁ、この頃は。

この曲の前の「もっと強く抱きしめたなら」は、インパクがあったのよ。分かりやすいしポップだし・・・。 今となっては信じられないけど、当時の一つのヒットの法則のトレンドだった有線発のブレイクだった。

有線発のヒットというと、一見地味な印象があるけど、ジワジワ広がる口コミ効果が、ネットがなかったあの頃はデカかったからさ、有線発のヒットは。ブレイクするとロングヒットの傾向が強かった。

WANDSもそんなところからブレイクしてきたわけよ。今となってはすっかり忘れられていると思うけど。。。。

この「時の扉」はそんな大ブレイクを受けてのシングルであったんだけど、「もっと強く〜」とは異なり、初めからヒットが約束されたような曲調に、当時はやや違和感を感じたのかもしれないな、個人的に。

「もっと強く〜」は、謙虚だったじゃん。 もちろんブレイク狙いというところからそうだったのかもしれないけれど、1曲でそんなに変わっちゃうの? っていう思いもあったしな。

まあ、もっとも、ポップな「もっと強く〜」よりも、よりロックテイストな、この「時の扉」のほうが、本来のWANDSに近いんだろうけど。。 それは、後年1995年の「SECRET NIGHT」の時に感じたことなんだけどさ。 でも、93年のこの時点ではまだわからなかったのね。

だから、謙虚さが戻ってポップな曲調だった、次の「愛を語るより口づけをかわそう」は刺さったんだと思う。 うん、93年時点ではそういうポップロックな人たちだと思ってたから。

もっとも、当時のボーカル・上杉昇の見た目のヤンチャさから、違和感はあったけど。。。。






今、当時の事を振り返って、残念だな・・と思うのは、あの頃はライブに行かないヒトだったのね、ワタシ。
ブログに「ライブレビュー」なんてカテゴリー作っている今の私からすると信じられないんだけどさ。

たしかにあの時代もライブに行ってみたいっていう欲求はどこかにあった。
まだ、ネットが無く、ライブチケット言えば「チケットぴあ」なんかの店頭に並ばなきゃ買えなかった時代。 どうせ人気アーティストのチケットはすぐに売り切りだろうと、半ばあきらめてたところもあるな。実際、それまで何回か店頭販売に申し込んでは「ハズレ」が続いてたこともあったからさ。



でも、当時は大学生だったからこそ、今よりももっといろんなライブに参戦できたろうし、もっと積極的になるべきだったなぁ・・なんて、今になって思ったり。

あの時代、CDとかテレビだけでなく、実際、生で見ることで、アーティストとか楽曲の感じ方も大分違っただろうしなぁ。

この動画の観客の人たちって、おそらく、ほぼワタシと同年代の人たちだろうけど、なんか羨ましい。
今、こうしてライブ映像を見ると、そう思えるな。



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恋人はワイン色 / チャゲ&飛鳥

1988_02_恋人はワイン色_チャゲ&飛鳥



今回の1曲セレクトは、「恋人はワイン色」チャゲ&飛鳥です。

まずはデータですよ。


・タイトル   恋人はワイン色
・アーティスト チャゲ&飛鳥
・作詞     飛鳥涼
・作曲     飛鳥涼
・編曲     十川知司 西平彰
・リリース日  1988年2月5日
・発売元    ポニーキャニオン
・オリコン最高位 16位
・売上げ枚数  6.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 15位
・タイアップ:テレビ朝日系ドラマ「あぶない雑居カップル」主題歌


この間、他の方のブログをチラチラ見てたら、シングルCDリリースされたのが、ちょうど今頃・・と書かれているのがあって、ハッとしたのね。

そうだ、初めてシングルCDという形態で「シングル」がリリースされたのが、1988年2月21日。今から34年前になる。

・・・で、そういえば、あの頃のオリコンに「シングルCDリリース開始」っていう特集記事があったな・・と思ってあの頃のオリコンウイークリーを引っ張り出してみた。

・・・ありましたわ。 1988年2月29日、3月7日号オリコンウイークリー。

アナログ最後の日〜いよいよシングルもCD化〜

っていう特集記事が。。。

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いやいや、それにしても今、オリコン読むと字が「ちっちぇ」ぞ〜。 昔は全然気にならなかったんだけどねぇ。。。 ジジイになったな・・と思わずにはいられない瞬間。。。

シングルCDリリース・・・個人的には、「おー、いよいよか」と思ったなぁ。
それまでのシングル売上げ減少の原因の大元は、アルバムはほぼCD化されているのに、シングルはアナログのままだったってことだったしね。 
シングルのCD化の遅れは、それまでのCDプレイヤーの多くがシングルのCD形態だった「8cmCD」が未対応だったのが、今考えれば大きいんだろうな。
 で、「8cmCD」対応プレイヤーの普及を見据えつつ、1988年2月という、この時期のCDシングルリリースとなったんだろうね。

ただ、かくいうワタシが当時使っていたCDプレイヤーは8cmCD未対応だったんで、8cmCDを「疑似」12cmCDにする「アダプター」をつけなきゃいけなかったんだけども。。。 
本来はシングルCD1枚ずつにつけるんだろうけど、アダプター1枚300円・・と結構な価格だったんで、1枚のアダプターをとっかえひっかえ使ったりして。。。この付け替えが、まあ、面倒なことこの上なかったっていうのが懐かしい。
しかも、当時のシングルCDは、アナログが1枚700円だったのに対して、1000円と割高だったし。。。
それと難を言えば、この当時のCDって今思えば、必ずしも音質が良くは無かったんだよね。
音が高音域に偏っているうえに硬い。今聴くとキンキンするのよ。この当時のCDの音質は。その上、音量レベルも低い。

たしかにいかにも「デジタル」という感じはするけど、今考えれば、よくもまあ、「レコードを超える高音質」なんて言えたもんだよな・・・って感じますね。
正直、このころのアナログレコードの音質レベルってめっちゃいいのよ。浅香唯の「Believe Again」をアナログで聴いたとき、びっくりしたもの。

唯一のメリットは、音がレコードよりは経年劣化しにくいってことだったろうな。(実際は劣化するんだけども。。。)
まあ、そんな感じで個人的にはあんまりメリット無かったんだけども、一般的にはこれでシングルの売り上げ低迷も底を打つだろうな・・・と真っ先に思ったなぁ。 
大半がCD化されていたアルバムは、すでに全体的な売上げがV字回復してきていたし、この盛り上がりから、シングルがCD化したらV字回復するのも目に見えていたしね。

実際のその通りになり、シングルCDがリリースされるまで4年出てなかったシングルミリオンセラーも、次の年、長渕剛の「とんぼ」で達成しましたね。
もっとも、90年代のダブルミリオンからのメガヒットの時代が来るとまでは想像できなかったけど。。。。
ただ、ヒット曲の大きな変革期にあったことは間違いないですね。

あれから34年。いまやCDは衰退し、ネット配信が全盛の時代。
まあ、リリース⇒ヒット⇒衰退(世代交代) というヒット商品のサイクルは、長くて30年と言われているわけで、それから考えるとCDも衰退しても何の不思議はないんだけどね。
それよか、「アナログ最後の日」っていうこの記事のタイトルを覆して、あん時「衰退」の道を辿ったアナログが、最近復権しつつあるのは、なんとも不思議な現象ではあるけど。。。
世代交代の副産物なんだろうな。。


・・・・うう、マクラが長い。。。

ということで、今回はそんな時代の変革期にちょうど、ヒットしていた曲を一つ。

チャゲ&飛鳥「恋人はワイン色」。

この曲は、そんなシングルCDリリースが開始された1988年2月の初めにリリースされた、チャゲアス20枚目のシングルですわ。

オリコンでも16位まで上昇。まあ、いわいるスマッシュヒットでしたわな。 ただ、売上げ6.1万枚ということからもわかるように、この後90年代前半のメガヒットなチャゲアスからすると、全く持って物足りない売り上げではあるけどね。

いや、86年の「モーニングムーン」でのヒット以来、少なくともシングルでは、この曲程度の横ばい程度の売り上げが続いていたわけで。

つまりさ、堅い絆で結ばれたコアファンには支持されていたけど、なかなか浮動票を噛むヒットまでには結びついていない時期 ・・だったんだよね。この頃は。


正直、ワタシも、この当時はBGMとしてラジオから流れているのを聴き流している程度で、あまり積極的には聴いてなかったのよ、チャゲアスは。

たしかに、耳障りがある曲もあったのよ。以前書いた86年秋の「指環が泣いた」とかさ、この「恋人はワイン色」の前曲の「ロマンシングヤード」なんかは耳障り程度には引っかかってきたしね。

たた、正直言うとこの「恋人はワイン色」は、88年当時には引っかからなかった。

うーん、引っかからなかったというより、聴いてなかった・・というのが正解かもな。

前も書いたように、このころ大学受験に失敗したワタシは、音楽どこじゃなかったからさあ。
浪人が決まって、身の拠り所の確保の方が先決だったから。

だから、この頃は、音楽は聴いてなかった。。。 いや、冷静に考えるとそんなことは無かったなぁ。
↑前出のようにオリコンは毎週買い続けていたし、文化放送の「歌謡選抜」だけは聴き続けていた記憶がある。

ただ、それ以前のようにヒットのめりこんでは無かったのかもしれないな。あくまでBGMとして聴き流していたというのが正解かもしれない。

でもさ、後年、90年代に入って「スーパーベスト供廚房録されていたこの聴いたときは、地団駄を踏んだなぁ。
なんで、88年当時、もっとちゃんと聴いてなかったのか・・と。この曲とレベッカの「MOON」。

あのころ、もっとちゃんと聴いてたら88年の今頃の印象が大分変っていたかもなぁ。。。

チャゲアスのシングルって、ポニキャに移籍し「モーニングムーン」をヒットさせて以降、基本的には「攻め」の姿勢のシングルが多かったんだよね。

↑で書いた「ロマンシングヤード」なんかも、ミディアムテンポではあったけど、攻めた曲調だったじゃない

そこからみると、この「恋人はワイン色」は、同じミディアムテンポでも、落ち着いた曲調に変わったし。

88年当時は気が付かなかったけど、何かが変わった印象は強く感じたりするんだよね。
実際、この次の「ラプソディ」以降のチャゲアスは曲調ががらりと変わるんだけども。。。

これは、この時期、キーボードの十川知司氏、澤近泰輔氏を中心とした、BLACK EYESがサポートメンバーについたことが大きかったんだろうな。

それ以前のチャゲアスって、どらかといえばライブバンドの様相が強かった。 

もちろん、この「恋人はワイン色」以降もライブバンドとしてのチャゲアスは変わらなかったけども、加えて聴かせる曲の要素も加わたんだよね。メロディアスで聴かせる楽曲。

BLACK EYESというハイテクニックなサポートメンバーがついたことで、以前よりも高度でメロディアスな曲にも耐えられるようになる。


最初に書いたように時代はアナログレコードからCDへ本格的に移行した変革期だったけど、奇しくもも同じ時期に自身の変わり目、バンドしての変革の起点となったのが、この「恋人はワイン色」だったんじゃないかなぁ。

聴かせる曲という「武器」が加わったことで、それまでのチャゲアスよりも一回り大きくなった印象が強いしね。

実際、聴かせるメロデアスな曲中心になって以降、レコード・CDの売り上げも上がってくる。
もっとも、CD普及による全般的な売上げアップということもあるんだけども、それを差し引いてもそれまでよりは売り上げが伸びて来てましたよね。
最初に書いたようにそれまでは、コアファンだけに熱狂的に支持されていていたのが、徐々に浮動票もついてきたわけなのよ。

そんな右肩上がりの状況なところに、あのダブルミリオンのメガヒット「SAY YES」がリリースされる。 

この「恋人がワイン色」がリリースされてから、3年強後の事ですわ。




そういえば、ASKAのコンサートツアーが復活し、4月には東京国際フォーラムでのライブがあるとか。
ASKAも、完全復調と見ていいんでしょうかね。

そし可能ならば、チャゲとの和解、チャゲアスの復活も見てみたいとも思うんだけど、どうなんでしょうねぇ。 今は形上では、チャゲアスは解散したことになっているけど。。。



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いただきましたコメントについて

当ブログ かじやんのヒット曲&チャートレビューを読んでくださりありがとうございます。

その上で、たくさんのコメント、ありがとうございます。
皆様からいただいたコメントは興味深く拝見させていただいたおります。

ただ公開ブログということもあり、「いたずら書き」的なコメントも多いため、いただいたコメントはいったん非公開にし、当方で確認したうえで、公開しています。

そのため、コメント公開まで時間を要すことがありますので、ご理解いただけますと幸いです。

これからもよろしくお願いします

【キニナル曲】月 / ao

2022_03_look_ao

今回のキニナル曲はこの曲!

・タイトル   月
・アーティスト ao
・作詞     ao
・作曲     ao
・リリース日 2022年3月2日
・発売元   ビクター
※EP 「LOOK」より

先日書いたSpotify「Next Break2022」に選出された10組の中の一人のao。
少し前に聴いたときは、そんなに引っかからなかったんだけども、いま改めて聴くと、やっぱすごいな、このヒトは。
なにが? どうきいても15才の中学3年生には思えない。
ぱっと聴き、miletと間違えるようなハスキーボイス。20才は超えてるよなって感じの大人びた声質。
それ以上に憂いのあるメロディラインがさぁ、ホントに中学生が作ったの? なのよ。
15才にしてすでに出来上がったシンガーですわ。
何を食ったらこんなに大人びた15才になれるのか。。オジサンには理解不能だわぁ・・。
・・というか、日本のシンガーのレベルもここまで高くなったのか・・驚いてしまいますね。
宇多田が15才で出てきたときもびっくりしたけど、シンガーとしての才能はそれに匹敵するかも。
ただ、惜しいかな、楽曲のインパクトという点では、宇多田が「Automatic」で出て来た時程は強くない。 
だからなのか、あの時よりは印象的にジミなんだよね。
いずれにしても、ビクターさんは、ダイヤモンドの原石を手に入れたかも。
大事に磨いて欲しいですね。


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