かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

2021年12月

ひとすじになれない / 米米CLUB

1991_12_ひとすじになれない_米米CLUB



今回の1曲セレクトは、「ひとすじになれない」米米CLUBです。

まずはデータでーす。

・タイトル    ひとすじになれない
・アーティスト  米米CLUB
・作詞      米米CLUB
・作曲      米米CLUB
・編曲      米米CLUB
・リリース日   1991年9月21日
・発売元     ソニーレコーズ
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   65.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1991年10月7日〜11月4日付
・タイアップ:ソニービデオカセットV CM曲

2021年の1曲セレクトは、恐らくこれが最後なんじゃないかな・・・。
今年も1年間、「1曲セレクト」を読んでいただきありがとうございました。まあ、年々、書く頻度も少なくなってきましたけど、来年も一つよろしくお願いします。

ところで、昨日、ワタシメのランキング、2021年の年間チャートベスト200を公開しました。
年間1位は、優里の「ドライフラワー」。 
まあ、1年52週あったうち、49週ベストテン入りなんていう、とんでもない超ロングヒットになったわけで、年間1位も頷けるところではあるんですけどね。

ただ、、この曲、よく分かんないって方が結構いるんだよね。
曲調として派手なわけでもないし、強烈なインパクトがあるわけでもない。でも、なんで、こんな超ロングヒットになっているのかがよくわかんない・・っていう理由ですね。

確かにそうなんだよね。 例えば、BTSの一連ヒットなんかもパッと聴きはそういう所があるんだけども、BTSの場合は中毒性がある。 何回か聴くといつの間にか嵌っちゃうんだよね。
まあ、ひげだんの「Cry Baby」なんかは、それこそインパクトの塊だったりするけどさ。

これらの曲に比べると、「ドライフラワー」って曲は、今一つよく分からない・・というのも理解できたりするんだよな。

ただ、そういうよくわかんない曲が、得てしてロングヒットすることっていうのも、ときどきあるわけなのよ。

今回の1曲セレクトは、同じように、強烈なインパクトがあるわけでもないけど、ロングヒットになった曲を一つ。

米米CLUB 「ひとすじになれない」。

この曲、もちろん覚えていらっしゃる方もいらっしゃると思うけど、いやー、覚えてないなぁ・・っていう方も多いんじゃないかなぁ。

今となっては、米米CLUBと言ったら、「君がいるだけで」と「浪漫飛行」の2択だけっていう感じになっちゃってて、他の曲にスポットが当たることは少ないもんなぁ。

ましてや、地味な存在のこの曲なんて、今となっては忘れられててもしょうがない。

時代的には、1991年9月リリース、今からちょうど30年前の曲ですわ。

1991年9月と言ったら、チャゲアス「SAY YES」と、槇原の「どんなときも。」が超大ヒットを続けており、 バブルガムブラザーズの「WON'T BE LONG」が、この2強に肉薄してきていた頃だ。

そんな中リリースされたこの曲。 上記3強の間隙を縫ってオリコン初登場は3位であったものの、それが精いっぱい。そこからはランクは下降線をたどっていき、1991年の年末、ちょうど今頃には、オリコン30位台まで一度落ちるのよ。

でも、年をまたいで1992年1月に入ると、オリコン10位台まで回復。 2月以降、再び30位台から20位台を行ったり来たりし、結局、1992年5月25日付まで、オリコン左ページ、つまりは50位以内をキープ。
リリース以来、8か月間ベスト50をキープするという、ロングヒットになる。

紅白で歌われたというならば、紅白効果で、年明けチャートが一時的にでも上向きになるということは珍しいことではない。 そういう曲は、未だに毎年のように出てくるしね。

でも、この曲は紅白では歌われていないし・・・。 っつうか、1991年時点で、米米は紅白には1度も選ばれていない。
・・にも関わらず、年が明けて、再浮上してきたわけよ。

まあ、確かに、今年の「ドライフラワー」に比べるとロングヒットの規模は小さいものの、似たようなヒットだったって言えるんじゃないのかなぁ。

あの時代、演歌でのロングヒットっていうのは、それほど珍しくなかったけど、ロック・ポップス系で8か月間オリコン左ページを維持した曲って多くなかったしね。

ぢゃ、なんで、こんなロングヒットになったのか?

当時のカラオケブームっていうのが、大きかったんじゃないのかなぁ・・・。なんて思うわけなのよ。

この曲、オリコンのCDセールスは地味な動きだったけど、有線チャートの動きは比較的良かったんだよね。
つまりは、飲み屋の有線なんかじゃ、よくかかっていたのよ。  

あの頃、有線発のロック・ポップス系ヒット曲って増えて来てましたからね。 ↑で書いたバブルガムの「WON'T BE LONG」なんかはそうだったし。 この1991年は、他に沢田知可子さんの「会いたい」なんてぇのは、典型的だったな。
有線で耳にした曲をカラオケで歌う。 そんな流れも出来ていたんですよ。
この曲なんかも、そんな流れの1曲だったと思う。


で、さあ、この曲、実際カラオケで歌うと気持ちいいのよ。 少し音程が取りにくいところがあるけど、米米の曲の中ではまともな曲だし。。 これは「カラオケで歌う曲を前提」にした曲なんじゃないか・・とも思えたりしてね。

個人的に、そうだったけど、あの頃、兎に角飲み会にカラオケは鉄板、必須でしたからねぇ。 この曲当時、カラオケで何回歌ったか分かんないもの、個人的に。

そういう方も多かったんじゃないのかなぁ、今の40代、50代の方の中にもさあ。

そういう時代の流れに支えられてのロングヒットだったと思うんだよね。 この曲は。

結局ね、今年のワタシのチャートの年間1位だった、優里の「ドライフラワー」っていう曲も同じ様な理由なんじゃないかなと思うんだよね。

いまの時代だったら、有線発ではなく「ようつべ」とか「TIK TOK」なんかの動画発のヒットという違いはあるんだろうけど、そういう時代の流れに支えられたロングヒットであることは間違いない訳なのよ。
それに、最近の曲としては、比較的素直でわかりやすい曲ではあるしね。

まあ、動画見て、どの程度カラオケに流れたのかはよくわかんないけど。。。。




ウーン、カールスモーキー石井自ら「カラオケで歌われること前提」のようなコメントしてたりするな

カラオケでは、Cメロの ♪ 軽く愛してるよ なんて 言えないから〜 ♪ が決まると気持ちいいのよね。 

しかし、なんじゃ、この切れ方は。。。。。。

仕切り直しに CD音源動画を




すぐ消されちゃうかもしれないけど。。。。


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哀愁のワインディングロード / 横浜銀蝿

1983_12_哀愁のワインディングロード_横浜銀蠅


今回の1曲セレクトは、「哀愁のワインディングロード 」横浜銀蝿だぜい!

まずはデータ

・タイトル    哀愁のワインディングロード 
・アーティスト       T.C.R.横浜銀蝿.R.S.
・作詞      翔
・作曲      翔
・編曲      T.C.R.横浜銀蝿.R.S.
・リリース日   1983年12月5日
・発売元     キング
・オリコン最高位 16位
・売上げ枚数   11.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 18位

今回引っ張ってきた曲は、「すでに書いたと思ってたけど、実際まだ書いてなかった曲」な曲だなぁ。

横浜銀蝿の「哀愁のワインディングロード」。

この曲、とっくの昔に書いた・・・ような気がしてたんだけどなぁ。

いつもの如く、次の1曲セレクト候補を探しつつ、昔のオリコンチャートと、自分のブログのアーカイブを見比べていたら、引っかかってきたんだよね、この曲。

うーむ、これは完全に慢心だったな。  

銀蝿としては8枚目のシングル。この曲をリリースする前には、解散を発表しており、 事実上のラストシングルだったわけなんだよね。

それもあって、「哀愁のワインディングロード」と書いて、「わかれのワインディングロード」と読ませる。

リリースは1983年12月5日。 そして、12月31日の新宿コマライブを持って解散。

果たして、ラストシングルも、それまで同様、3コードの単純明快なロックンロールで行くのかと思ってたけど、、実際は、イタリアンツイストをベースにした、G.S風なガレージっぽいナンバーだったんだよね。

デビュー時、3コードのロックンロールで、突っ走れるところまで突っ走る・・と明言していた銀蝿だけども、それまでのシングルから、少し変化球なナンバーに、当時は少し戸惑ったのを覚えてるな。

それでも、「哀愁の〜」のというタイトル通り、サビれた男の哀愁感がもろにじみ出ていて、それまでの銀蝿のシングルでも、個人的には印象に残る1曲ではあったんだよね。

少なくとも、もろコミックソングっぽかった、前曲の「お前にピタッ!」 とか、その前の「あせかきべそかきRocn'Roll run」の近田春夫氏曰く、道徳的な1曲 に比べると、カキワリが一切ないストレートな1曲だったしな。

ただ、最後の最後に来て、それまで貫いてきた単純明快なロックンロールから、少し変化球な曲調であったのは、やっぱり少し寂しかったことは寂しかった。

正直、それまで何があってもロックンロール1本で突っ走る・・と 文字通り「ツッパリ」通してきた意地はどうしちゃったの? なんて気分にもなったりしたなぁ。

まあ、考えるにロックンロール1本では限界が見えたから、潔く解散を決意したんだろうし、最後の最後に来て、少し変化球な曲調を持ってきたんだろうけど。

それでも、1980年のデビューから実質3年間で武道館満杯、オリコンアルバム1位獲得というデビュー時の公約は果たしたわけで、音楽界に足跡を残したことは間違いない。
ただ、オリコンシングル1位獲得という公約を果たせなかったのは、心残りなんだろうね。
最高は、「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)」の3位。

それもあって、ラストシングルのこの曲には賭ける思いもあったようだけど、さすがにそこまでのアーティストパワーは残っていなかった。 シングルではデビュー以来最低の16位に沈む。


蛇足だけど、オリコンではシングル1位が取れなかったけど、「ミュージックラボ」では、82年の「あせかきべそかきRock'n Roll run」で1位をとっていたりする。
でも、「ミュージックラボ」の1位ぢゃ、満足しなかったんだろうなぁ、きっと。


デビューの1980年から、一貫してドカンに革ジャン、リーゼントという「ツッパリ」スタイルで通してきた銀蝿。 たしかに校内暴力が横行し、族、リーゼント、ツッパリが、ファッションとして一世風靡していた81〜82年頃は、このスタイルが時代の先端にあった。

だけど、時代の流れは速いわけでさ。 1983年くらいになると、このスタイルもアナクロになっちゃってましたからね。族、リーゼント、ツッパリ・・といういわいる、ブルーカラー的なファッションは、さらにエスカレートして「極悪」な世界に昇華してたし。
うん、84年の「少女に何が起こったか」あたりからの「大映ドラマ」見りゃ一目瞭然だよね。
まあ、あくまで「ドラマ・劇画」の世界ではあるけど、それでも84年くらいなると、それがイマイかったわけで。。。

だからこそ、時代の流れを見極める嗅覚がある彼らは、そんな時代の流れをいち早く察知したんだろうね。
この曲、最高16位と、デビュー以来シングル最低ランクだったけど、この順位だったら、まだまだ先もやれたはずだし、展開次第では巻き替えも図れただろうけど、潔く1983年を持って解散っていう運びになったんだろうけどね。






1983年12月31日、新宿コマ解散ライブでの「哀愁のワインディングロード 」。

まずもって、気が付くのは、女の子たちの黄色い声援。
当初、そのスタイルに共感していた、ツッパリ兄ちゃん、ツッパリ姉ちゃんたちの希望の星の存在だった銀蝿も、最後はアイドル的な存在だったことが、この映像からも分かったりする。

もしかすると、時代の流れ云々の前に、そんなファン層の変化にも限界を感じていたのかもしれないな。

まあ、1983年に一度は解散した横浜銀蝿だけども、90年代後半頃からはちょくちょく再結成もしてますけどね。昨年もデビュー40周年ということで、再結成してツアーもやってましたね。
キングレコードのお偉いさんに出世していたギターのJohnnyも参加してオリジナルメンバーがそろっての再結成になったし。


ちなみに、1983年12月31日(土)。 私は、福島・いわきの、母方のばあちゃんの家にいた。
少し前にじいちゃんが倒れて、ばあちゃんは病院に付きっきりになったため、うちの家族3人で留守番を頼まれてたんだ。
めっちゃ寒い夜でさあ、ストーブのないコタツだけの居間で、ブルブル震えながら、家族3人で紅白歌合戦見たのを、よく覚えてるわぁ。
結局、最初から最後までちゃんと紅白見たのって、あれが最後だったような気がする。次の年は高校受験前で紅白どころじゃなかったし、高校に入ったら紅白はもういいやと見なくなった・・・以来、ちゃんと見てないような気がする。

なんで、1983年12月31日は土曜日だったのか、覚えているかといえば、次の日1984年1月1日。
ワタシと父親は、一足早く自宅に帰ってきたんだけども、帰りの車のカーラジオで、文化放送「決定!全日本歌謡選抜」を聴いた記憶があるから。あの頃は元日でも放送してたんだよね。

まあ、どうでもいい事ですけど。。。。。


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紅白には「ガチ」の「歌合戦」をやって欲しいのよ

今年は初日の出を見に行こうと思いーの、大晦日は早々と寝ようと思っているんで恐らく見ないんだろうけど紅白の話題。

曲順が決まったようだ。



それにしても、最近は赤→白→赤→白と単純交互に歌わないんだな。確か以前は前半後半で先取交代してもこんなに頻繁にはやんなかったよね。男女ジェンダー問題の配慮なんでしょうか。

そういえば、男女っていう性別で紅白に分けるのはどうなんだ? って問題になっているってこの間、朝日新聞に出てましたね。
そのうち性別ではなくて男女混合での紅白になったりして。小学校の運動会みたく。
でも、そうやって男女混合で組み分けしたほうが歌合戦ぽくなったりしてね。

兎も角さ、「歌合戦」という看板を掲げているんだったら、「ガチ」の歌の勝負をやって欲しい訳よ、紅白には。

今「M-1」があそこまでバズっているのは、ガチ真剣勝負の漫才が見どころだからだよね。
それに、今「THE FIRST TAKE」って形で、「ガチ」の歌唱動画が受けてるのは、みんな一曲入魂の「ガチ」の歌が聴きたいからなんだと思う。
今年はその辺の流れをうまく掬い取る絶好の機会だと思うんだよね紅白も。

たださ、紅白でも、以前は「不毛」なメドレーが大半を占めていたのに比べると、今年は「1曲」勝負ばかりになったってことは、少なくとも1曲入魂に向かっている現れとも思えるんで、いい傾向だと思いますけどね。


ハーフムーン・セレナーデ / 河合奈保子

1986_12_ハーフムーンセレナーデ_河合奈保子


今回の1曲セレクトは、「ハーフムーン・セレナーデ」河合奈保子です。

まずはデータです。

・タイトル    ハーフムーン・セレナーデ
・アーティスト  河合奈保子
・作詞      吉元由美
・作曲      河合奈保子
・編曲      瀬尾一三
・リリース日   1986年11月26日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   8.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 14位

時代と折り合う。ヒット曲がヒット曲として、大きなムーヴメントとなるかならないかというところでは、重要なファクターなのよ。
不思議なもので、年が変われば、ヒット曲の色合いって毎年変わってくるんだよね。 
以前、別のトピックスで、時代とヒット曲の傾向は、螺旋階段のようにぐるぐる回っているって書いたことがある。 たしかにそうなんだけども、傾向的には似ていても、全く同じ色合いになるってことは絶対にないといっていいのよ。。必ずどこかしら違ってくるし。
まあ、それがヒット曲の進化というものなんだろうけどね。

今回引っ張ってきた曲。 いい曲なんですよ。 名バラードといっても過言ではない。

ただ、時代と折り合っていたかといえば、必ずしもそうじゃなかったんじゃないか・・と思う曲を一つ。

河合奈保子さんの「ハーフムーン・セレナーデ」。

この曲は、1986年11月、27枚目のシングルとしてリリースされた曲ですね。

もともとは、アルバム「スカーレット」のラストを飾っていた曲だけど、ここからシングルカットという形で、アルバムリリースから1か月後にシングルリリースされている。

当時23歳になっていた奈保子さん。 アイドルから大人のアーティストへの脱皮を図る。 
そのためには、歌詞の内容が深く、スケールな大きなバラードである、この曲は最適だったんだろうね。

アイドルから大人のアーティストの脱皮を図る。 長い事第一線のアイドルを張ってきた方たちには、必ず通る、「通過事例」なわけだけど、あの時、果たして本当に大人への脱皮は必要だったのか?

最近は、30になっても40になってもアイドルにこだわる方も少なく無いんで、今となってはそう思ってしまったりするんだけども。。。
まあ、それは、それぞれのヒトたちの考え方もあるだろうし、事務所の戦略もあるんだろうから、一概には言えないですけどね。

ただ、1986年当時、初めてこの曲を聴いたとき、個人的には何とも言えない複雑な気分になったのは、正直なところですね。


いい曲だったんですよ。 それは、喜ばしい事だったんだけども、この曲を河合奈保子さんが歌うっていう所に複雑な感情があったんだよね。

やっぱり、あの時点では、個人的な頭の中の河合奈保子さんは、「スマイルフォーミー」の頃のナハハ笑いの奈保子さんっていうイメージが強かったからさあ。

まあ、そんな「頭」だったんで、この曲がシングルとしてリリースされた時は、やっぱりショックだったんだですよ。

たしかに、同じ奈保子さんではある。けど、80年代初頭のあの奈保子さんではなくなっちゃったな・・と思えるとともに、少し存在が遠くなってしまったようにも思えたりしてさ。

まあ、それで曲が大ヒットともなったなら、諦めもついたんだろうけども、必ずしもそうとも言えなかったんでねぇ。

オリコン的に見れば、 オリコン最高位6位、売上げ8.4万枚というのは、前年秋にリリースされた「ラヴェンダーリップス」以来の好成績となる。

あの当時、CDの台頭でシングルが売れなくなってきていたことを考えれば、数字以上の健闘だったかもしれないな。

ただ、この曲以降、先が続かなかった。 楽曲の良さと、イメージチェンジということでの一時的なカンフル剤にはなったけど、持続的なものにはならなったってことですね。

紅白はこの年1986年の出場が最後となり、 「ザ・ベストテン」のベストテン内ランクインもこの曲が最後となる。(オリコンでは、翌年7月の「十六夜物語」の最高10位が最後)


結局さ、そこが時代との折り合いなんだろうな。
80年代って「軽薄短小」な時代と言われている。  まあ、本来は電化製品が軽くて薄く、短くて小さいものに「進化」していくってことに使われるコトバなんだけどさ。
ただ、これとは別に「
薄っぺらくて中身が無い」という表現にも使われていたわけよ。

実際、80年代ってそういう時代だったんだよね。 今振り返えると、あんまり中身が無い文化も多かったな・・・とも思ったりもするのね。

そのピークが1986年前後だったんじゃないかなぁ・・と。

そもそもおニャン子勢にオリコンチャートを占拠され、アイドルの粗製乱造が本格化し、歌が上手い、「ホンモノ」のアーティストよりも、シロートの方が受けた1986年。
あの年からして、「軽薄短小」にぴったりな年だったわけじゃん。

そこに来て、この「ハーフムーン・セレナーデ 」は、スケールの大きな本格的なバラードだったわけだから。 どうしても時代のカラーとは違うなぁ・・と思えたんだよね。

これが1年早かったり、逆に1年遅かったら、少し感じ方が違っていたかもしれない。
1年前1985年の秋から冬にかけては、小林明子の「恋におちて」の大ヒットでピアノの弾き語りというのも注目されていたし。 逆に1年後の1987年の秋から冬にかけて、中森明菜の「難破船」という名バラードの大ヒットもあり、スケールの大きなバラードに注目が集まってきていたところもある。

87年8月に、おニャン子の解散ということもあり、87年秋ごろになると、86年当時の「軽薄短小」なバカ騒ぎも大分沈静化して、徐々に「聴かせる」ような本格的エンターティメントな曲が受け始めて来てましたからね。

ピアノの弾き語りでのスケールの大きなバラード。

いずれも、この「ハーフムーン・セレナーデ」が持っていた要素ですわ。 そこから見ると、、タイミング的には、一番リリースしてはいけない時期に、この曲はリリースされてしまったんじゃないかと思えて仕方ないんだよね。




↑で、いろいろ書いちゃったけど、、今、改めて曲を聴いてて、どうして、この曲の後、ヒットが続かなかったのか・・・。
結局さ、この曲でイメージチェンジを図ったあとの明確な方向性が定まり切れてなかったんじゃないか・・なんて思えたり。。。

基本的には、自作自演のアーティスト方向に舵を切ったんだろうけど、この後、ヒットを続けて行くだけのキャパが、まだまだ足りてなかったのかもな。

個人的には、自分で曲を作りながらも、他のアーティストからの楽曲提供を受けながら、もっといろいろなことを吸収していった方が良かったんじゃないかと思ったりもするんだよね。

もっとも、この後ヒットチャート的なヒットは、もうご自身では望んでいなかったのかもしれないですが。。。


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もっと愛しあいましょ / LINDBERG

1995_12_もっと愛し合いましょ_LINGBERG



今回の1曲セレクトは、「もっと愛しあいましょ」LINDBERGです。

まずはデータです。

・タイトル     もっと愛しあいましょ
・アーティスト   LINDBERG
・作詞       渡瀬マキ
・作曲       川添智久
・編曲       LINDBERG   井上龍久
・リリース日    1995年11月1日
・発売元      TMC
・オリコン最高位  5位
・売上げ枚数    35.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 14位
・タイアップ:テレビ朝日系「かざあなダウンタウン」エンディングテーマ曲

最近はあんまり書かなくなったけど、個人的には、あんまり他の方々の「手垢」が付いていない曲が好きなのね。
うん、リリースしたもののヒットせずに、ホントに知る人ぞ知るというレアな曲・・・というよりは、リリース当時はそこそこヒットしたものの、今となっては「死角」になっている曲ですね。
 今は多くの方々には忘れられているけど、引っ張っりだぜば、「ああ、そういえばそんな曲があったね」っていう曲。できれば、そういう曲が理想かなぁ。

ほとんどの方が知ってるなら、ここに引っ張り出してくる意味っていうのもね、薄くなるだろうしね。
逆にヒットすることなしにレアな曲は、引っかかりも少ないだろうしね。

だから、リリース当時はそこそこヒットした、 あるいは、意外とヒットした・・けど、今となっては多くの方の意識の外にあって、 引っ張ってくることで、「そういえば・・・」っていう曲が書く側としては理想だったりするんだよね。


今回引っ張ってきた曲は・・・うーん、どうなのかなぁ、、そんな「理想」の範疇にある曲なのかなぁ・・・。

LINDBERGの「もっと愛しあいましょ」。

いやー、どうなんだろう? 恐らく多くの方には、今となっては「そういえば、そんな曲があったね」という曲なんじゃないのかなぁ。 あるいは、もしかすると「そんな曲あったの?」って曲なのかなぁ。

個人的には、後者なんじゃないのかなぁ・・・。っていう気もするんだけどもね。

・・というのも、自分のチャートでは、この曲最高14位。 ベストテン入りしなかったのよ。

自分では、ずっとその頭でいたのね。 それに、この曲がリリースされた1995年頃って、LINDBERGって、ひところの勢いもなくなってきていたからさ、この曲なんてぇのは、今や知ってる人も少ないだろうなぁ・・・と思っていたんだけどさ。

LINDBERGといったら、「今すぐKISS ME」を筆頭に、90年代前半だもんね。ヒットチャート上でブイブイ言わしていたのは。

で、これを書くにあたって、改めて当時のオリコン引っ張り出してみたら、この曲、オリコン最高5位。売り上げも35万枚強も行ってたんじゃん。

Wikiによると、LINDBERGとしては7番目に売れた曲になっていたりして。 
だって、阪神の藤川球児の登場曲として有名になった、1996年の「every little thing every precious thing」の31万枚よりも売れた訳なのよね。

うーむ、今となっては、そんなに売れた印象、ないんだけどなぁ。

いや、だから、この曲、個人的には好きだったのかもしれない。 ↑で書いたように、絶対に大ヒットした曲もももちろんいいんだけども、ヒットはしたけども影が薄い、 しかも「ダサい」曲が個人的には好みだからさあ。

1995年のLINDBERGの曲って、この曲の前曲「水着とBeachとBoys」もそうだったけど、ダサい曲なのよ。
90年代前半の、ラウド系よりのロックでブイブイ言わせてた頃のLINDBERGはどこへ行ったというくらい、片から力が抜けたような。。 ロックというよりはポップスに近かったかもしれない。

歌詞内容も、少し間抜けな恋愛モノであったりして。どちらかといえばノベルディ的なポップスって感じだったのよ。

そんな曲調が、初期からのファンには不満だったのか、「水着とBeachとBoys」はオリコンでもベストテン入りしなかったしさ。

あ、これは、ブレイクして5年過ぎたんで、もうシャカリキにベストテンは狙っていないんだ・・・なんて個人的には思ってたりしたなぁ。

ただ、力が抜けた渡瀬マキさんのボーカルが、なんかコミカルで「水着とBeachとBoys」は個人的には好きだった。 

で、今回引っ張ってきた「もっと愛しあいましょ」も、方向性は「水着とBeachとBoys」と同じだったしさ、今回もそれほど売れないだろうな・・と思っていたら、そこそこ売れちゃったんだよね。

うーむ、この違いが、今一つ、よく理解できないんだけどさあ。

まあ、コミカルという点では、「水着とBeachとBoys」よりも、もう一段突っ込んだような気もするけどさ。 そもそも、後年のtommy february6のような、ツンツン眼鏡に、モンキーダンスよろしく、へんてこりんな振り付け。 ほとんどコミックソングになっちゃいましたから。

テレビに結構出たのも良かったのかもしれない。そういえば、「水着とBeachとBoys」はテレビで見た記憶があんまりないけど、この曲は、結構テレビで見た記憶があるしな。

たしか「Mステ」で初めて見て、「なんだこりゃ」って引っかかような気がする、この曲。

まあ、そんな所を含めて、意外なインパクトがあったんだろうね、この曲。 その分、売り上げが戻ったのかもしれない。

ただ、あくまでカンフル剤のようなもので、人気としては、いっぱいいっぱいのところはあったんだろうね。

翌96年の「every little thing every precious thing」に続いて連続リリースされた「Green eyed Monster」が最後のベストテン入りとなり、以後は人気は低迷していく。

まあ、時代の流れというのも大きかったんだろうね。1996年って、ヒット曲の流れとして90年代の前半と後半を分けたターニングポイントとなった年でもあるしさ。 この年を境に前後ではベストテン入りメンバーも大分変ったからさ。




NHK「ポップジャム」

あれ? ♪たしかイチローが満塁ホームラン♪ っていう歌詞が ♪たしかあの選手が満塁ホームラン♪ に変わってる。。。。

さすがはNHK。この頃も「固有名詞」NGだったわけね。

山口百恵さん「プレイバックPART2」とか、松本伊代さんの「センチメンタルジャーニー」と同じだったわけですわ。

本来は ↓  






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【キニナル曲】ハート / あいみょん 

2021_12_ハート_あいみょん




今回のキニナル曲は、これだ!

あいみょんの新曲「ハート」。

まずはデータでする。

・タイトル    ハート
・アーティスト  あいみょん
・作詞      あいみょん
・作曲      あいみょん
・編曲      田中ユウスケ 立崎優介
・リリース日   2021年11月24日 (シングルCD)
                                2021年10月20日 (ネット配信)
・発売元     ワーナーミュージックジャパン
・タイアップ   TBS系ドラマ「婚姻届に判を捺しただけですが」主題歌

シングルCDは先月24日リリースだったけど、ネット配信開始からは、すでに2か月が経とうとしているわけだけど。。。

初めは、まずもって、地味だよなぁ、ミディアムバラードだからなんだろうけども、今一つパッとしないなぁ。
今回の曲はドラマ主題歌ということで、こういう曲調なのかもしれないけど、それを差し引いても地味な印象は拭えないなぁ。。。と思ってたんだよね。


あれから2か月近く経って、少しは楽曲になれてきては来て、徐々に曲を消化できているけど。。。
でも、まだ慣れ切れない自分がいたりして。。。。

もしかすると時代との折り合いがつかなくなってきているのかもなぁ。
「マリーゴールド」の頃のようなオーラが、ここの所、薄くなってきているようにも思える。 

あいみょんの良さって、ミディアム調のポップスから繰り広げ去られる子音の声質だと思っているのね。
個人的には。
この手のバラードでは、そんな声質が今一つ生かしきれないんじゃないかそんな印象が強いんだよね。

同じような印象が昨年のヒゲダンでも感じたんだけども、彼らは今年リリースの「Cry Baby」でそれらの危惧を払しょくし、新たな領域に踏み込んだと思うのね。彼らの持ち味であるロングヒットも復活した。


あいみょんも同じように新たなステージに踏み込む時期来ているんじゃないのかな。そうんな気がするんだよね。 

確かに、これまでのイメージをつづければ、暫くは安泰かもしれないけど、だんだんジリ貧になっていくだろうし。。 
今回の曲で、配信先行、シングルCD後追い・のリリースで、よりヒットを狙ってきているようにも思えるのに、ここまでは思ったほどヒットが拡大してきていないんだよね。 

たしかに、同じバラード系の楽曲だった昨年の「裸の心」では、同様な戦法でロングヒットとなった。
けど、今のところ、この曲では昨年の「裸の心」ほどの効果が出ていないのよ。

「裸の心」だけではなく、「マリーゴールド」で顕著だったように、チャート上位ロングランというのが、あいみょんの持ち味だったわけよ。そこはヒゲダンと同じですね。

でも、今年は前作の「愛を知るまでは」でも、そうだったように、以前のロングヒットに陰りが見えてきている。それは、この曲でも同じ傾向が出て来ている。「ジリ貧」のサインが出て来ているんだよね。

で、あるならば、そろそろヒゲダンと同じように、これまでのイメージをいったん壊してでも、あらたなあいみょんを打ち出す時期なんじゃないか。 個人的にはそう思うんだよね。

今年は昨年まで程のリリースペースからは落ち着いてきているけど、Newあいみょんを打ち出すためにも、少しリリースペース落とした方がいいと思うんだよね
たしかに、あいみょん位になるとタイアップ依頼も多いんだろうし、なかなかリリースペースを落とすのも難しいんだとは思うけど、そこは、ぐっと我慢の時なんではないかな。

このまま「ジリ貧」でフェイドアウト方向に向かうのか、持ち直すのか、次の曲は分岐点になるかもしれないな。






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