1968_11_おかあさん_ザ・テンプターズ


今回の1曲セレクトは、「おかあさん」ザ・テンプターズです。

まずはデータです。

・タイトル     おかあさん
・アーティスト   ザ・テンプターズ
・作詞       松岡弘子
・補作詞      松崎由治
・作曲       松崎由治
・編曲       川口真
・リリース日    1968年9月25日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位  4位
・売上げ枚数    28.0万枚
・ベストテンランクイン期間:1968年10月14日〜11月11日 11月25日付

少し時間が過ぎてしまいましたが、作・編曲家の川口真氏が亡くられてしまいましたね。
享年83才。
東京芸大出身だから、深町純氏や坂本教授、King Gnuの常田大希の先輩にあたるわけだけど、左記の各氏が、ポップス界とは言え前衛的な音楽が特徴であるのに対して、川口氏の音楽は、純粋に「歌謡」音楽だったんですよね。
 もっとも「歌謡」音楽については、あくまでアルバイト感覚で活動していたようですが。。。 この点は業界に入りたての頃の坂本教授に近いのかなぁ。

個人的に、川口氏を意識したのは、河合奈保子さんの「愛してます」を聴いてからかなぁ。
そそそ、この曲の作曲が川口氏でしたね。
それまで、作詞、作曲者のクレジットなんて、まったく気にしてなかったけど、ちょうど、このころ月刊「明星」を買うようになって、付録の「歌本」みると、必ず作詞、作曲、編曲者がクレジットされているわけじゃん。 そこからですねぇ、ヒット曲の作家を意識するようになったのは。

歌本も何か月か見てれば、大体ヒット曲作家の面々って分かってくるじゃん。 80年代初頭だったんで、作曲家だったら筒美京平氏、馬飼野康二氏、 作詞家だったら、松本隆氏、なかにし礼氏、三浦徳子氏、編曲家だったら船山基紀氏あたりはすぐに覚えたなぁ。

川口氏は、その中の作曲家として覚えたんだけども、氏は編曲の方が多いんだよね。それを意識するようになったのは、もう少し後だったか・・・。

で、氏の曲を80年代から遡って聴くようになって、一番特徴的に思ったのは、ベースラインかなぁ。
一番特徴が出ているのは、由紀さおりさんの「手紙」だったりするんだけども、16ビート的に「動く」ベースラインがさあ刺さるんだよね。
↑の河合奈保子さんの「愛してます」もそうなんだけども。。。 (もっとも「愛してます」のアレンジは船山基紀氏ですが・・・)
  それに気が付いてからは、川口氏が作・編曲した曲はベースラインに気を付けて聴くようになったりしてね。


おっととっと またもや「マクラ」が長くなっちまった。。。。

・・・ということで、今回の1曲セレクトは川口真氏が「関わった」曲を持ってきましたわ。

ザ・テンプターズ 「おかあさん」

ワタシさあ、これまで気にして来なかったんだけども、件の「エメラルドの伝説」以降のテンプターズの一連のヒット曲って、川口氏がアレンジしてたんだねぇ。

もっと前から気にしてても良かったものの、昔、少なくとも70年代以前のヒット曲って、例えば上記の明星の歌本みても、アレンジャーの記載ってなかったし、どうも薄い存在ではあったんだよね。

そんなこともありーの、ワタシとしても、少なくともG.S時代のヒットのアレンジャーには、あまり注意してなかったこともあるな。

まあ、だからこそ、逆に新鮮ではあるんだけどさ。。。。

で、「おかあさん」。

この曲は、テンプターズ最大のヒットである「エメラルドの伝説」の次シングルということで、1968年9月にリリースされている。

当時ワタシゃ、-1才。

はい、まだこの世に生まれておりませぬ。 

なので、当然リアルタイムで聴いていないわけで、本当は知らないはずなんだけども・・・。

でも、なぜか知ってたんだよねぇ。。。。

個人的にG.Sを意識し始めた1986年。初めて買ったG.SのオムニバスCDにこの曲が収録されていたんだけども。。。

あの時点で、テンプターズの曲では、この曲の2曲前の「神様お願い」は、Kuwata Bandがカバーしてたんで知ってた。 うん、あくまで「カバー」してたからと言う意味で。
1曲前の「エメラルドの伝説」は、タイトルは知ってたものの、実際の曲は知らなかったんだよなぁ。。。このCDを聴いて・・「あ、初めて聴いた」っていう感覚だったから。。

で、件の「おかあさん」。 CDを聴いて、「あ、この曲か〜」っていう感覚になったんだよなぁ。

もっともフルで知っていたわけではなく、イントロ冒頭の  ♪ オー ママ ママー ♪っていうフレーズとか、切れ切れの記憶ではあったけど。。

どうなんだろうなぁ・・。個人的に、まだ物心が付かない頃、意識していないところでどっかで聴いてたのかもしれないなぁ。。。

この曲の ♪ オー ママ ママー ♪ と言うフレーズと、ホット・トップスの「マミーブルー」だっけ   ♪ Oh    Mammy   Mammy〜 ♪ っていう曲。

あれとごっちゃになって覚えてた感覚があるなぁ。 「マミーブルー」は1971年のヒットで、ワタシが2才の頃なんで、もしかすると、その頃、ごっちゃに聴いてたのかもしれない。。

この曲のボーカルは、ショーケンではなく、リーダーで、この曲を作曲した松崎由治氏。
デビュー曲の「忘れえぬ君」も氏のボーカルだけども、ショーケンと声質が似てるんで、ちょっと聴き、ごっちゃになってしまうんだけども・・・。

でも、この「おかあさん」での泣きのボーカルは、松崎氏ならではと言うところなんだろろうなぁ。

ちなみに、「忘れえぬ君」でもそうだけど、この「おかあさん」でも、ショーケンはバッキングのブルースハープを披露していたりする。

この曲の前の「エメラルドの伝説」もそうだったけど、ばっと聴き、「なんでぇ・・・歌謡曲じゃねえか」と思えてしまうんだけども、 ショーケンのこのブルーハープが効いてるんだよね、やっぱり。

大げさに言えばサザンロック的な匂いを感じてしまう。 そこがヨーロッパの貴公子のイメージだった、ライバル「タイガース」との最大の違いなんだろうな。 アウトローという匂いを感じさせる点で。

個人的にも、少なくとも今となっては、「タイガース」よりは「テンプターズ」なんだよね。
たしかに、ややもすれば「タイガース」のほうが知名度はあるし、曲も取っつきやすいんで、G.Sの超入門としては入りやすい。

それに比べると、テンプターズは、やや匂いがありますからねぇ。貴公子のタイガースに対して不良の匂い。
「エメラルドの伝説」なんかは、歌謡曲的でとっつきやすい。だから最大のヒットにもなったんだろうけどね。

でも、この「おかあさん」っていうタイトルは、やっぱ気恥ずさが立っちゃうよなぁ。
アウトローなテンプターズが「おかあさん」っていうタイトルはどうなのよ? ・・って印象も個人的には受けるんだけども。

実際、大人のミュージックカレンダーというコラムでの、ドラムの大口広司氏の証言によると、この曲のリリースにあたっては、メンバー間でも「埼玉のストーンズと呼ばれたテンプターズが、この曲は無いだろう」と「言い争い」になったようだ。




特に、ボーカルをとった松崎氏とショーケンの間に溝が出てきたことは間違いなかったらしい。

この曲の歌詞は、当時週刊「平凡」で、一般読者に呼び掛けて行った、テンプターズの曲の歌詞募集キャンペーンで選ばれたものが原型なんだよね。

まあ、月刊「明星」でのタイガースの曲の歌詞募集キャンペーンの末リリースされたのが、件の「花の首飾り」だったことに対抗してのキャンペーンだったことは、明白なんだけどさ。

テンプターズは、どこまでもタイガースのライバルだったのか。。。
本人たちから見れば、本心だったのかは分からないけども、少なくとも、「明星」VS「平凡」っていうのは、ガチガチのライバル誌だったわけだから、こういう後追いキャンペーンの図式になったんだろうけどね。

まあ、そんなキャンペーンが、メンバー間の溝に発展するということは、「平凡」側としても予測してなかったんだろうけど、なんとなくやるせない気分になってしまいますね。





前曲「エメラルドの伝説」では、オリコン1位の大ヒットになったのに比べると、オリコン最高4位、30万枚弱の、いわいるスマッシュヒットで止まってしまったのは、多分にこの曲のイメージが災いしてしまったんだろうなぁ。

↑の大人のミュージックカレンダーのコラムにもあるように、不良性が売りだったテンプターズの一般的なイメージとの乖離。加えて、メンバー同士での軋轢の発生。
さいしょは些細な溝だったのもかもしれないけど、その修復が出来ないまま、人気も下がって行ってしまったわけで。

タイガースが、すぎやまこういち氏を中心としたブレーンの作詞、作曲だったのに対して、松崎氏を中心としたオリジナルも出来たテンプターズは、より音楽性も高かったし、人気も高かった。
それゆえに「エメラルドの伝説」ただ1曲のオリコン1位獲得で終わってしまうようなグループではなかった思うんだけどもね、それだけに残念だし、1曲ではあるけど、その1曲がグループ内の軋轢の原因になりうるという点では、、リリースする楽曲の意味合いも考えされられますね。

後年の「チェッカーズ」がメンバーで曲を作るようになって以降、 もし、1曲のオリコン1位獲得で終わってしまったら、同じような印象になったのかもしれないな。



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村