かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

2021年09月

This Is a Boogie / 桜田淳子

1981_09_This Is a Boogie_桜田淳子



今回の1曲セレクトは、「This Is a Boogie」桜田淳子です。

まずはデータです。

・タイトル    This Is a Boogie
・アーティスト  桜田淳子
・作詞      実川俊
・作曲      小田裕一郎
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1981年9月21日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 - 位
・売上げ枚数   - 万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 ランクインせず

テレビとヒット曲っていうのは、切っても切り離せない関係にあると思うんだよね。
人気のテレビの歌番組に出演すれば、ヒットは約束されたものと言っても過言ではないし。
いや逆か。。。。ヒット間違いなし、あるいはヒットチャートで上位に上昇してきているからテレビに出てるのか。。。。

まあ、昔は、ベストテン方式のうち番組も多かったですが、基本はプロデューサーが出演アーティストを選択する、キャスティング方式が基本だったわけで、その中からヒットが生まれるということもあったわけですわ。

でも、そんな感じで、テレビの歌番組に出演したから・・ということで、少なくともオリコン左ページ入りが高確率で約束されたのって、それほど遠い昔からと言うわけでもないようにも思えるんだよね。

昔は、歌番組にしょっちゅう出てたよね、っていう曲でも、全くヒットしなかった曲も、意外とあったわけでさ。

今回の1曲セレクトは、そんな、「しょっちゅうテレビで聴いたよな」だけど、全くヒットしなかった曲を一つ。


桜田淳子さんの「This Is a Boogie」。

この曲、覚えている方、どのくらいいるかなぁ。 

1981年9月にリリースされた、淳子さんとしては36枚目のシングル。

桜田淳子さんと言えば、スター誕生出身、中3トリオとしてスター街道をまっしぐらだった、70年代のトップアイドルですわ。

なので、よもや、オリコンの100位にも入らなった曲なんか無いだろう・・・と思いきや、この曲、オリコン100位内に入らなかったんですねぇ。

正確に言えば、 この曲以降、ベスト100に入らなくなった・・・と言った方がいいのかな。
(もっとも、2曲前の「玉ねぎむいたら」もベスト100入りしなかったけど)

さしもの淳子さんも、時代が70年代から80年代に変わり、息切れだったんだろうね。

でも、そんな風に思えるのは、後年、オリコンチャートブックなる本を購入して、淳子さんの売り上げ推移を見たからなんだよなぁ。

うん、この曲がリリースされた1981年秋から冬にかけて、この曲、テレビでやたらと聴いたんだよね。
あの頃は、秋になると各局で音楽祭が開かれてたけど、各局の音楽祭では、必ずこの曲が歌われてた記憶があるなぁ。 そもそも、この年1981年の第32回紅白歌合戦でも、この曲が歌われていたし。

ま、そういう大きな歌番組以外でも、よく聴いたのよ。

だから、個人的には、そこそこヒットしていたものと思っていたんだよね。

個人的に、この頃オリコンの存在を知ったんだけども、まだオリコンチャート自体は購入してなかったんで、後年、オリコンチャートを買うようになってから、この曲がベスト100にも入ってなかったことを知るんだけども、あの当時の歌番組への出演頻度を考えると、まさか・・・だったんだよねぇ。

逆に言えば、「出し手側」としたら、それだけ期待して、大々的にプロモーションをかけていたんだろうね。
ってことは今だったら、よくわかるな。

それだけ期待していたのにもかかわらず、大衆的には、刺さらなかった・・・ということなんだろうなぁ。

でも、考えてみれば、テレビではよく聴いたけど、ヒットしなかった曲って、この頃は、他にもあったよなぁ。 例えば、由紀さおりさんの「両国橋」とかさあ。。。

そのほか、個人的によく覚えているのは、もう少し後だけど、以前1曲セレクトでも書いた、佐東由梨さんの「どうして!?」ですね。

そもそも、紅白で歌えば、オリコンでの上昇は、ほぼ約束されたようなもん・・・。

・・・と思えたりするんだけども、それは、あくまでも80年代後半以降のことでさ、最初に書いたように、この1981年頃は、たとえ、紅白で大々的に露出されたとしても、レコード売り上げが動かなかった曲も、まだまだあったわけなんですよ。

あれだけ、大体的に露出していながら、(少なくとも)オリコンTOP100にも入らなかったのか、理由は、よくわかんないんだけどさあ。

この「This Is a Boogie」にしても、曲自体は、悪くなかったと思う。
淳子さんにしては、珍しい、4ビートのスウィングジャズ風。ビッグバンドがよく合うような。 ・・・・というか、シングルでは、この手の「50'S」以前のオールドジャズ的な曲は初めてだったかもしれないな。

作曲は、小田裕一郎氏。 アレンジは、大村雅朗氏という、もろ、松田聖子さんの「青い珊瑚礁」の布陣だけど、作曲の小田裕一郎氏がこの手のスウィング・ジャズっぽい曲を書くのも珍しいような感じがしましたね。

そもそも「青い珊瑚礁」とはえらい曲調が違うし・・・・。

あ、でも、後年だけど、トシちやんの「エル・オー・ヴイ・愛・N・G」にしてもノリはジャズっぽ方ったもんなぁ。この手も得意だったのかもしれない。

でも、ここまでスウィングした曲調になったのは、アレンジャーの大村雅朗氏の影響が大きかったんだろうな。

大村さんも、もともとブラスでサックスをやられた方なので、この手のスウィングした、ビッグバンド風のアレンジも得意だったろうし。。。

いや、もしかすると、小田氏と大村氏のコンビで「青い珊瑚礁」の成功があったんで、きっと、この曲もヒットするだろう・・ってことで、あの当時、大々的にプロモーションを打ったのかなぁ。。。

淳子さんも、松田聖子さんも、同じサンミュージックだったし。。。。

まあ、あくまでもうがった見方での想像ですが。。。。


当時12歳だったワタシも、まだ、この手のスウィング・ジャズに触れたことなかったこともあったんで、最初は変な曲なんて思ってたんだけどさ。

兎も角、テレビでやたらと流れていたんで、自然と消化されてはいたんだよね。

その後、個人的にブラスをやったりして、スウィングの曲もやったりしたわけで、そういうフィルターを通してみると、この曲がよく面白く感じたりしてね。 だからさ、この曲をきちんと理解できたのは、後年ですけどね。





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神様からもらったチャンス / 三浦理恵子

1992_09_神様からもらったチャンス_三浦理恵子


今回の1曲セレクトは、「神様からもらったチャンス」三浦理恵子です。

まずはデータです。

・タイトル     神様からもらったチャンス
・アーティスト   三浦理恵子
・作詞       及川眠子
・作曲       都志見隆
・編曲       渡辺格
・リリース日    1992年9月18日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位  13位
・売上げ枚数    5.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 23位

エアチェック。 
我々の年代には懐かしい響きだよなぁ・・・って方、多いんじゃないのかなぁ。
そそそ、気に入ったラジオ番組をカセットに録音した、あれですね。
で、エアチェックしたカセットから、気に入った曲を、さらに別のカセットにダビングして「マイソング集」を作ったりしてさ。

まあ、ラジオからの録音なんで、もともと音質は期待できない上に、さらに別のカセットにダビングするんで、さらに劣化しちゃってたけど、なんせ、お金がなかったからねぇ若い頃は。

そうそう、気安くレコードとかCDは買えなかったしさ。 いわんや、昨今のようなサブスクなんかなかったし。。。。

兎も角、なんとかお金を浮かせて、出来るだけたくさん曲を集るにゃラジオから曲を録音するのが一番手っ取り早い。 ってことで、ワタシもやってましたねぇ、エアチェック。

恐らく、多くは70年代とか80年代にティーンだった方が、その当時やってたと思う。でも、ワタシは結構遅くて、実は90年代に入ってからなんですわ、やりだしたの。

確か91年だったと思うけど、遅まきながらダブルカセットのCDラジカセを購入したのと、当時、地元のbay fmで放送していた、「パワーカウントダウンHOT30」というカウントダウン番組が重なって、エアチェックから「マイソング・カセット」を作る条件が整ったからなんですよね。

91年と言えば、ワタシゃ20代になっていたし、バイトもしてから、ある程度自由になるお金はあったんで、CDをレンタルすりゃ事欠かないじゃん・・・とも思えるんだけどさ。
当時、シングル1枚、1泊借りて確か150円くらいだったかなぁ。10枚も借りると1500円は取られたわけで、毎度毎度べらぼうな枚数借りるわけにもいかなかったんだよね。

しかも、あの頃1タイトルのCDの枚数ってそれほど多くなくて、人気曲はいつも全てレンタル中になってたんで、借りたいときに借りられない曲も結構あったし。。。

そういうわけで、エアチェックを始めたわけよ。 パワーカウントダウンは、毎週30位からチャート発表してたんで、毎週結構な曲数OAしてたし、毎週欠かさずエアチェックすれば、少なくとも30位以上のスマッシュヒットの曲は網羅できるわけでさ。

エアチェックから編集したカセットの中で、特に気に入った曲だけを、改めてレンタルして高音質で聴けるようにすれば、レンタル代も浮くしね。

そういうわけで、エアチェックを始めたんだけども、これが面白くてね。2001年に音楽配信の世界に入るまで、丸10年くらい続けたと思う。 エアチェックから編集したテープも50本くらいになったのかなぁ。

だからと言うわけではないけど、90年代の曲の音源はやたらとあった。 ・・というか、今でもある。
もっとも、今は手元にカセットプレイヤーがないんで聴けないけど。。。。


ただ、↑で書いたように、あくまで、もとはFMから録音したカセットを、さらに曲の部分だけを別のカセットにダビングしてあるんで、音は劣化しているし、しかも1コーラスだけっていう曲もかなり含まれている。
さらに自分が気に入った、気にいらないに関係なく、チャートに入った曲をかたっぱしから録音したんで、今となっては自分の好み外の曲も含まれているし。。。


逆にさ、あの時、エアチェックしてたからこそ、「なんだこれは・・・」と刺さった曲があったりするんだよね。


今回、引っ張ってきた曲は、そんな1曲ですわ。 

三浦理恵子「神様からもらったチャンス」。

この曲、覚えている方いらっしゃりますかねぇ。

まあ、90年代アイドルファン、とか、CoCoのファンだった方は、覚えている方が多いだろうけど、一般的には、恐らくすでに「死角」に入っている曲なんだろうな。

そそそ、1989年、フジテレビ「パラダイスGOGO」から派生したアイドルユニット、CoCoのメンバーだった、三浦理恵子さんがソロでリリースした、5枚目のシングルですわ。

正直、個人的には、この頃になるとアイドルにはあまり興味を持たなくなってきていたし、そもそもバンドブームの中で、アイドル自体アナクロな存在になり、いわいる「アイドル冬の時代」に向かっている時代だったしさ。アイドル⇒オタク化 してた頃じゃん。

なので、エアチェックしてなかったら、おそらくスルーしてたと思う。 

そもそも、この曲オリコンでベストテン入りしてなかったしさ。 三浦理恵子さんのシングルとしては、前曲の「Jokeにもならない恋」がオリコン10位で。これが最後のベストテン入りだったんで、人気も下降線に向かっていた時の曲だったしさ。

でも、エアチェックしたカセットを聴いてたら引っかかっちゃったんだよね。

この曲、イントロが、何気にかっこいいのよ。

イントロの初めの8小節が、16ビートのコンガのリズム。 ほとんど寺尾聰の「HABANA EXPRESS」の世界だし、続く8小節は1986 OMEGATRIBEだし。 リゾートミュージック   っていう感じで、おおよそアイドルソングっていう感じがしないのよね。

どうも、そこに引っかかっちゃったんだよね。

初めて聴いたとき、またOMEGA TRIBEみたいなグループが出てきたのかいな? なんて思ったもの。

そしたら、いきなり三浦理恵子さんの、あの「ベビーボイス」だもの。 
思わずひっくり返っちゃいましたわ。 

全体的な曲想と言えば、80年代のリゾートミュージックぽいのね。 まるで林哲司氏の世界のような。

すでに、そのフィルターを通ってきた私なんかには、なじみ深い音だし、だから刺さりやすかったのかもしれない。

ただ、リゾートミュージックにしては今一つ勢い、華やかさには欠けてたりするけどさ。

もっとも、ヘビーボイスで、パンチがない三浦さんの声質では、勢いがありすぎると埋もれちゃうだろうし、このくらいが限界だったのかもしれないけど。。。。

それと、9月中旬リリースと言う時期的に、この手の音はどうだったんだろう? もう半月早かった方が良かったんじゃないかなぁ・・・とは、当時から感じたりしましたね。

まあ、いずれにしても、この曲のイントロに、ちょっと驚いちゃったワタシなんですが。。。。




しかしさ、↑で「この頃になるとアイドルにはあまり興味を持たなくなってきていたし」とか書いてる割には、三浦理恵子さんの音源は当時から持ってたりするんだよな。
この曲の前の「Jokeにもならない恋」も持ってたりするし。。。。
やっぱり、この頃始めたエアチェックの影響は大きかったんだよね。

ちなみに、あの当時のエアチェックにあたる部分が、今はSpotifyに置き換わってますね。
結局、Spotifyなどのサブスクって、圧縮音源だし、音質的にはFMよりも、やや良いっていう程度だからさ。 私にとっては音楽のメインのツールとまでは言えないんだよね。
Spotifyで昔の曲はあんまり聴かないしさ。

あくまで、90年代当時、新曲の音源をかき集めるためにFMからエアチェックしていたことが、今はSpotifyに置き換わっただけと言う感じですね。

で、今はSpotifyで聴いて気に入った曲だけを、CDなり、ハイレゾ音源でダウンロードしてコレクションにしている・・・と。




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昭和世代へのリスペクトでもありヒニクでもあるよね。

いつもの如く仕事をしながら東京FM流してたら、久々のあいみょん。
「ナウなヤングにバカウケするのは当たり前だのクラッ歌」
なにこれ? 面白いやん。 もしかして新曲?
・・・かと思ったら今から6年前のデビューミニアルバムに収録されてた曲だった。。。。
ワシらの世代にはおなじみ、でも今となっては「死語」・・っていうコトバがぎょうさん並んでいる、ちょい変な曲。
これは現代のZ世代から見た、ワシら昭和世代への悪ふざけでもあり、皮肉でもあるよねん。
でも、こういうコミカルなあいみょんもいいんじゃないかと思うな。
まあ、こうブレイクしちゃうと、この手のノベルティ的なコミックソングってなかなか出来ないだろうけど、またやって欲しいなあ。
MV。 6年前、デビュー直後、ブレイク前で、まだ20歳のあいみょんは、全く垢抜けてない。。


by myself / hitomi

1996_09_by myself_hitomi


今回の1曲セレクトは、「by myself」hitomiです。

まずはデータです。

・タイトル   by myself
・アーティスト hitomi
・作詞     hitomi
・作曲     小室哲哉
・編曲     小室哲哉
・リリース日  1996年8月7日
・発売元    エイベックストラックス
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数  29.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「もう我慢できない!」エンディングテーマ曲

本来はメロディラインや曲想は、あんまりおもしろいとは思わないんだけども、バックで使用されている、あるひとつの楽器のフレーズ一つでグッと引き立つっていう曲がある。

まあ、そういう曲はしょっちゅうあるわけではないけど、長年ヒット曲を聴いてくると、たまたまそういう曲にも出くわすっていうレベルではあるけど。。

今回引っ張ってきた曲は、そんな1曲ですね。

hitomi   「by meself」

この曲は、hitomi7枚目のシングル。1996年の秋口。丁度いまごろがヒットのピークだった曲ですね。
今から丁度25年前にある。

いやいや、そう書くと、すでにだいぶ前の曲になりますね。 
毎度毎度、書いてるような気がするけど、90年代の特に後半になると、つい最近っていうイメージが未だにあるんだけども、実際振り返ってみると、かなり時間が経っているんだよね。

なぜ、特に90年代の曲って、時間経過が経たないんだろう? っていうのは、ずっと不思議にも思えるんだけども、結局さ、音楽の形態があの当時と大きく変わってないからなんだろうね。

あの当時もMVは存在していたわけで、あの当時のMVの多くは、いまやYou tubeでも見れるし。TVの音楽番組のVTRだって、最近とほぼ変わらない画質で見れるわけでさ。

曲想だって、そう大きくは変わっていないようにも思えるしさ。。。

多くのメディアを通して当時の曲を見ても聴いても、今と大きな変化はないんだよね。

これが昭和の曲だったら、ちょっと様相が変わるじゃん。MVは無かったし、TVの歌番組の画質だって今とは大分違う。

何よりも音楽そのものの雰囲気も違うしね。

だから、「あー、大分時間が経ったよなあ」・・・という頭になれるんだと思いますね。

恐らく、今の若いコたちに「昭和歌謡」が刺さっているのは、そういうところが大きいんだろうな。
文化、音楽形態が今とは違うっていう所がさ。

まあ、これは、あくまでワタシの「年代」的に感じる事なんで、今の若いコたちは、また違った感じ方があるんだろうけどさ。



・・・・ととと、話が脱線しましたね。

hitomiの「by mysef」。 この曲は今思うと偶然耳にした・・・ような印象があるなぁ。

あの当時、個人的に「今」の音楽との接点は、オリコンウイークリーとby fmの「パワーカウントダウンHOT30」だけだったんだよね。

既に社会人3年目で、土日も仕事ってことも多くなってきていたんで、土曜日OAだった、パワカンも聴けないことが多くなってきていた。

あの当時、今のradikoみたいな機能があればなぁ・・・とは、思うけどさあ。

兎も角も、そんなわけで、この当時になると、ヒットチャート上位の曲も、毎週すべてくまなく聴いて、すべての曲を把握できていたわけではなく、かなり「抜け」が出来ていたことも事実ですね。

そんなこともあって、hitomiの一連の曲も、すべて聴けてたわけじゃない。だから、未だに耳にした事がない曲も多いですよ。
この「by myself」も、パワカンの上位にランクインした週、たまたま聴くことが出来、たまたま
耳にしたものだったと思う。

そしたら、耳に刺さった・・・。  と。

まず、この曲がそれまで持ってたhitomiのイメージとは、かなり違ったこと。

個人的には、hitomiというと、この前年1995年の「CANDY GIRL」であり、「GO TO THE TOP」っていうイメージだったのね。

「CANDY GIRL」は、あの時代特有の小悪魔的ギャル。「GO TO THE TOP」は、もっと時代をさかのぼったような、80年代アイドル歌謡的。

いずれにしても、このヒトはアイドルだと思ってたわけよ。

でも、この曲では、1年前の「ギャル」な雰囲気がまるでない、大人のシンガーに変身していたからさ。

少しジャズの香りがする、大人のミディアムポップス。 

どころからともなく吹いてくる、やさしい秋口の風のような。そう。1996年の秋口というと、この曲のイメージが強いんだよなぁ。

一番、効果的だったのは、Bメロからバックに入ってくるフルートだろうな。 少し気だるいフルートの音色が、曲をアンニュイに、そしてよりシックに引き立ててくれている。

だけどさ、フルートっていう楽器は不思議な音色なんだよね。 

普通は清楚なイメージ強い。 やっぱり、フルートと清楚なお嬢様っていうイメージがぴったりするからなのかなぁ。

でも、例えば寺尾聰氏の「ダイヤルM」のようなヘビーでダークな音色にもなるし、この曲のようなアンニュイな雰囲気にもなる。

吹き方次第で、いろんな表情に変えられる不思議な楽器でもあるんですよ。

小室氏とフルートって、どうも、結び付かないし、どういう意図で、フルートを持ってきたんだろう・・・っていうのは分からないけど、この選択は効果的だったし、正解だったと思う。

個人的には小室氏の曲には、あんまりシンパシイを感じないんだけども、そういう意味でもこの曲は良かったと思う。

そんな曲ではあったから、オリコン最高7位という、この当時のhitomi最高順位だったのは納得でしたね。 ただ売り上げが前作「In The Future」の35万枚から、6万枚ほど下がったのは、ちょっと納得しがったけど。。。
まあ、「CANDY GIRL」の流れを汲み、ダンサブルな「In The Future」とは、180度変わった曲調。いわば冒険的な曲でもあったわけで、売り上げ枚数が下がるのも折り紙済みだったのかもしれけないけど。。。

それにしても、小室氏の場合、安室のように全力投入した楽曲よりも、このhitomiとか、アイドルに提供した曲の方が、力が抜け、すっきりとしていい曲が多いような気がするんだよね。

全力投球した曲はどうもくどい曲が多くてさあ。。。。。






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メロディ / サザンオールスターズ

1985_09_メロディ_サザンオールスターズ


今回の1曲セレクトは、「メロディ」サザンオールスターズです。

まずはデータです。

・タイトル    メロディ
・アーティスト  サザンオールスターズ
・作詞      桑田佳佑
・作曲      桑田佳佑
・編曲      サザンオールスターズ
・リリース日   1985年8月21日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   26.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1985年9月9日〜10月28日付

台風が接近して蒸し暑さが戻ってきた昨日だったけど、台風が去ってから北風になり一転して涼しい朝を迎えましたわ。ただ天気は依然として「どん曇り」。
いずれにしても、風が北風に変わると秋の気配を感じられてきますわな。
真っ青な秋空というのもいい。 けど、個人的にはむしろ今日のような北風が吹く曇天模様の日のほうが秋を感じたりしてね。

昨日も太田裕美さんの「九月の雨」がラジオから流れてきたけど、この曲のように9月、10月と言うと秋の長雨のシーズンでもあり、今日のような曇天模様の日も意外と多いわけで、こういう日の方が秋を感じるのかもしれないなぁ。

・・・ということで、この曲を聴くと、今頃の曇天模様を思い出す曲を一つ。

サザンオールスターズ「メロディ」。

この曲も「すでに書いててもおかしくないのにまだ書いてなかった曲」なんだろうなぁ。
ただ、サザンは、これまで動画落ちてなかったんで、なかなか書きにくかったんだよね。
ここに来て、ようやくyoutubeでも見れるようになったんで、今回改めて引っ張ってきたんだけどさ。

ところで、なんで、この曲を聴くと曇天模様なのよ・・・なんて、言われちゃうかもしれないけど、ま、あくまで個人的に感じるというわけで。。。

この曲がリリースされたのは1985年8月の終わり。 以前からここでも書いてきているように、この年の夏は天候不順の日が多かったんだよね。
この年の夏の記憶と言ったら、雨の中に出かけた記憶しかない。 その傾向は秋も続いたように思えるなぁ。

今思うと、80年代って、昨今のように「猛暑」だった年って、数えるほどしかないんだよね。どちらかと言えば、冷夏、かつ天候不順の年の方が多かったように感じる。 だからなのか、秋と言えば、曇天模様という記憶が多いんだよなぁ。

この曲と言って、最も記憶に残っているのは、通っていた高校の姉妹校の野球部が秋の関東大会の決勝まで勝ち残って、我ら吹奏楽部が野球応援に借りだされ、甲府まで応援に行ったことだなぁ。

あの日も雨だった。そのため試合は次の日に順延。たしか中央道の談合坂まで行ったところで引き返し、そのまま学校の寮に宿泊した記憶がフラッシュバックするんだよな。

順延になった次の日も、今にも降りそうな雲が低く垂れこめ、薄暗い日だったことを記憶してるわぁ。

あの頃、一番聴いていたのは、リリースしたてだったサザンのアルバム「kamakura」。あの時の野球応援の時も、甲府までのバスの中で暇つぶしに聴いてようと持参したウォークマンは、買ったばかりの「kamakura」から録音したカセットだったと思う。

だからなんだろうね。この曲を聴くとあの時の光景が色濃くフラッシュバックしてくるのは。

野球応援、雨、学校の寮への宿泊、 順延後の曇り空の下での応援、試合後に支給された焼肉弁当の味。

あの時の一連のいろんな光景がフラッシュバックしてくる。

そんな曇天模様の一連の光景がフラッシュバックしてくるからなのか、どうも、この曲のイメージは「灰色」なんだよなぁ、ワタシの中では。

それと、明石家さんまが出演し、この曲が流れていた「kamakura」の販促用のCMがモノクロだったイメージもあるのかもしれない

↓ コレ




でも、実際のレコードジャケットは、↑のような深紅だったじゃん。 なんかその相反するようなコントラストが、また印象的だったりしてね。


それと、同じく↑で書いたように、個人的にはアルバム「kamakura」でこの曲を聴いていたように、シングルというよりは、「kamakura」のなかの準リード曲っていうイメージが強い。

これは、ワタシだけでなく、多くの方も感じていたのかなぁ。オリコンでは最高2位まで行ったものの、売り上げ枚数は26.6万枚にとどまっている。

「kamuraka」の制作を明らかにし、先行シングルとしてリリースされた前作「Bye Bye My Love」の38.6万枚に比べても、明らかに低めの売り上げ枚数だったしね。

逆に言えば、この曲がオリコン2位まで行ったというのは幸運だったのかもしれない。
1985年9月2日付のオリコンで、5位初登場から、翌週9日付で2位に上昇にしたんだけども、その時の週間売り上げは3万3千枚。

レコード売り上げが全体的に下がっていた1985年といっても、この週間売り上げでの2位と言うのは、それほど極端に高レベルと言うわけではない。

むしろ、初動の週間売り上げ4万枚強だったのに4位止まりだった「Bye Bye My Love」のほうが不運だったといった方がいいのかもしれない。

それだけシングルでというよりは、アルバム「kamakura」でこの曲を聴いてた方が多かったってことなんだろうな。 ワタシもその一人なんだけども。

ちなみにアルバム「kamakura」の売り上げは、1985年当時、LP 60.9万枚 カセット32.0万本と、この2アイテムだけでも90万枚以上の売り上げを記録。

まあ、いずれにしても、バラード調のこの曲は、確かにキャッチーではあるものの、単独で聴いてると、意外と単調、かつ、かっちりと固まったメロディラインということもあるのか、何度も聴いてると飽きが来たりするしさ。
いかにもシングル向きという尖がったイメージ、曲全体のインパクトもやや弱いしさ。
そういう意味では、シングルというよりもアルバムの中の1曲というほうがいいのかもしれない。

ただ、アルバムの中でも、今一つ収まりが悪い曲っていうのが、大抵のアルバムではあるじゃない!?
コンセプトアルバムだったら、なおさらに。

アルバムには今一つ収まりが悪いけど、曲をシングルに切れるかと言うと、そこまでは尖がって居ないという曲。
この「メロディ」って曲は、そういう位置づけの曲だと思うんだよなぁ。

幸運だったのは、「kamakura」がサザン初の2枚組のアルバムだったってことだよね。
片方のレコード(CD)には、先行シングルでリリースした「Bye Bye My Love」が収録されているわけで、もう片方のレコード(CD)のシングルは・・・となった時に、シングルとしては尖がって居ないまでも、アルバムの1曲としては、収まりの悪いこのメロディをシングルに切った。

つまりさ、もし、仮に「kamakura」が2枚組ではなく、通常の1枚のアルバムだったら、シングルにはなっていなかったんじゃないか。

まあ、あくまでも個人的な見方だけどさ、そう思えたりもするんだよね、この曲については。


なんて、言いたい放題書いちゃったけど、「kamakura」の楽曲クオリティが全曲通して高いだけに、そう思えたりもしたんだろうな。
これが一般的なアルバムだったならば、この曲がシングルでも全然不思議ではないんだけどね。





ところで、この「メロディ」、レコードではコーラスに原坊は参加していない。
この曲がレコーディングされたころ、ちょうど「ご懐妊」されていたんだけども、妊娠中毒症にかかってしまい、赤ちゃんが危ないかもしれないということで、「kamakura」のレコーディングは途中から外れたんだよね。

ただ、キーボードパートは押しなべて録音済みであったことが幸いだったし、原坊のソロ曲「鎌倉物語」は、自宅マンションにレコーディング車を横付けしてもらい、自宅のベッドから歌ったものだったんだよね。

なので、この「メロディ」でベストテンなどに出演した時も、当時の雑誌の取材の時も「原坊」は参加していない。

代わりにこの曲のバックコーラスに入ったのは、当時、サザンと同じアミューズ所属だった、ジューシィ・フルーツのイリア。

・・・なんて、いかにも当時から知ってました・・・普通に書きましたが、実は最近知りました(爆)

それを踏まえて、改めてレコード音源を聴くと、なるほど、たしかに「イリア」だ。。。って納得。

ただ、当時、原坊がベストテンなどへ出演、雑誌取材にも参加してなかったこと。それに加えて「kamakura」リリース後のサザン活動休止宣言から尾ひれがついて、桑田、原坊不仲説、あるいはサザン解散説・なんて雑誌に掲載されたりもしましたね。

事実は、全く違うんだろうけど、でも、結果的に、この「メロディ」と、アルバム「kamakura」リリースから、サザンは3年近くの活動休止状態に入るわけで。。。。



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アーティストのブレイクを見極めるのは難しいのよ

この間のミスチル「君がいた夏」の時に、

これからブレイクしそうなアーティストを掘っていくような聴き方をしているけど、空振りっていうのも多かった

って書いた。


アーティストがブレイクするかどうか、見極めるのは、実際難しんだよね。

曲は良くても、時代の流れで、思ったほど売れなかったヒトもいるし、プロモーションの失敗で売れなかったヒトもいるしさ。

結局のところ「時の運」っていうのも大きいと思う。

まあ、それを言ったら元も子もないんだけどさ。。。。


ところで、個人的に「あ、これ!」と思って空振り・・・って言っちゃ失礼だけど、売れなかったコで、今でも時々思い出すのは、 奥村初音ってコですねぇ。

2008年7月にリリースされた3rdシングルの「ホントはね」と言う曲を聴いて、「あ、この子は来そう」と思ったんだよね。

まあ、いつもの如く勘ではあるんだけども、「あ、これ」っていう感覚があったのよ。

2008年当時としては、たしかにアナクロ的なキライはあったけど、素直すぎるくらい素直だったし、耳になじむ曲調が良かったのね。

この子はいいと思って、赤坂blitzでのファーストライブにも行っちゃったもの。 それでますます気に入っちゃったりして。

but、実際のところはこの3rdシングルのすぐ後の1stアルバムをリリースしてから、フェイドアウト。
奥村初音から初音と改名して音楽は続けているようではあるけど、その後の消息は、はっきりとしない。

ホント、なんで売れなかったんだろうなぁ・・なんて思ったりしますよ。

どうなんだろうなぁ、今となってみれば、この素直な曲調でavexからのデビューというのが無理があったのかもしれないとも思うんだよな。
どう考えてもavexのカラーじゃないもの。

ソニーかポニキャってイメージなんだよな。

もし、これらのレーベルの所属だったら、もう少し違った道が開けたのかも・・なんて思ったりもするんだけどね。

いや、それでも変わらなかったかなぁ。
結局、この曲同様、性格的に素直すぎるくらい素直だったってことなんだろうね。プロの水にはなじまなかったのかもしれない。




ちなみに「ほんとはね」のデータ
・作詞 奥村初音
・作曲 板垣祐介
・編曲 十川知司
・リリース日 2008年7月23日
・発売元 エイベックストラックス
・オリコン最高位 69位
・売上げ枚数 0.5万枚
作曲はAKBグループでもおなじみの板垣祐介氏、アレンジは、チャゲアスの「SAY YES」など、チャゲアスの黄金期を支えた、十川知司氏。 けっこういいブレーンで書かれた曲なんだよね。

君がいた夏 / Mr.Children

1992_09_君がいた夏_Mr.Children


今回の1曲セレクトは、「君がいた夏」Mr.Childrenでする。

まずはデータでする。

・タイトル    君がいた夏
・アーティスト  Mr.Children
・作詞      桜井和寿
・作曲      桜井和寿
・編曲      Mr.Children 小林武史
・リリース日   1992年8月21日
・発売元     トイズファクトリー
・オリコン最高位 69位
・売上げ枚数   2.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 52位

どうも、ここ何日か体調がすぐれない筆者だったりします。
朝晩になると、空咳が頻繁に出てきたり。。。。
あるいは、コロナに感染しちゃったかなぁ・・・とも思ったりもしたんだけども、熱はないし、食欲も普通にある。どうも、急性アレルギー性の気管支ぜんそくに罹ったようだ。 
先日、毎月通ってる持病の痛風の診察の際に、かかりつけ医に相談の上、気管支を広げる薬と咳止め薬はもらってきたんだけども、今一つ、よくならんのね。
しばらく様子を見て、改善しないようならば他の呼吸器科に相談しようと思っています。

・・・なんて言っている間に、今年も夏が終わっていきますな。
ここ数日、残暑が振り返したと思ったら、今日なんかは、涼しかったり。

毎年の事なんだけども、この時期になると「夏の終わり」の曲をなんか引っ張ってきたいなぁ・・とし思ったりするんだよね。

で、真っ先に浮かぶのが、件の山下達郎氏の「さよなら夏の日」だったりするんだけども。。。

でも、いつかも書いたように、今となっては、夏の終わりの超定番曲なこの曲、実は、リリースもヒットも、今の時期じゃないのよ。 リリースは5月だったりするしさ。。。

なので、「今の時期のヒット」には当たらないんで、引っ張ってこれない。。。。

まだ書いてない曲で、「夏の終わり」を彷彿とさせる曲は、他にないもんかねぇ〜。

・・・と考えてたんだけども、ありましたわ。


Mr.Children  「君がいた夏」。

いまや押しも押されぬ、超ビッググループとなった、ミスチルの記念すべきデビューシングルだ。

ヤマタツの「さよなら夏の日」ほどは、超定番ではないけども、

♪ また 夏が終わる もうさよならだね〜 ♪  というサビの歌詞から、もろ夏の終わりを象徴とする曲には変わりない。

リリースは1992年8月21日。 歌詞にそぐわず、夏の終わりのヒット曲に間違いない。

しかしね、いまや押し押されぬ〜 超ビッググループのデビュー曲を、今まで書いてなかったわけで。。。

なぜ?

理由は簡単で、今でこそ「超ビッググループ」であるミスチルも、デビュー曲であるこの曲の頃は、ほとんど無名だったからですわ。

なにせ、オリコン最高69位だからねぇ〜。

今では考えられないほどの低調ぶりなんだけども、そのくらい、まだ無名だったんだよね。

ワタシも、この曲がリリースされた、92年当時は、ミスチルの存在は全く知らなかった。

でも、そんな、まだ無名だったミスチルを、当時からNext  Breakerに推してた人がいるのよ。


何を隠そう、当時、ワタシが属していた、自主サークル「オリコンチャート研究会」でいっしょに活動していた、コバヤシ君。

彼は、サークル結成当初から先見の明があるっていうのかなぁ。兎に角、これからブレイクしそうなアーティストを掘り起こすのに長けてたんだよなぁ。 彼が、次に来るって言ってたアーティストは、それまでもほとんどブレイクしてきてたから。

あれは、確か1993年正月に、ワタシんちで、恒例のサークルの新年会を開いたときに、「今年(1993年)ブレイクしそうなアーティストは・・・・」っていう話になって、 それぞれ何人かずつ上げていったんだけども、コバヤシ君は、 迷わず「ミスチル」を挙げたのよ。

絶対に、この人たちが来るって断言したのを覚えてるなぁ。

でも、1993年頭の時点で、ワタシ、まだミスチルって知らなくてさ。 半ば「はあ?」って感じで聞いてたんだけども。。。。

コバヤシ君は当時、「日本レコードセンター」に勤務していて、白盤とかよく聴かせてくれたんだけど、その中にミスチルもあってさ。 確か2ndシングルの「抱きしめたい」だと思うんだけども、聴いてみた。

でも、あの時点では、今一つピンとこなかったんだよな、ワタシ。 カラーとして1993年っぽくなかったら。

たしかに瑞々しさはあるんだけども、少し洋楽っぽいなとは思ったのを覚えてるな。 でも、あの当時は、まだ、既存のヒット曲っぽい、分かり安いキャッチーなメロディが主流だったからさ、これは主流ではないな・・っていう思いが強かったのかもしれない。

それから、1年もしないうちに、4枚目の「CROSS ROAD」で大爆発しちゃったじゃん。

うわっ、本当に来た・・・。 ってビックリしちゃってね。

コバヤシ君の眼力は、これは凄いな・・・と感心するのと同時に、これからブレイクしそうなアーティストを掘っていくっていうのも、面白いかもなぁ・・・って思ったんだよね。

それまでは、あくまで、ベストテン番組を通して、ブレイクしてきたアーティストを追いかけるってだけだったからさ。

聴き方が広がったっていうのかなぁ、 次はだれが来そうっていう意識の広がりだよね。

「CROSS ROAD」が大ブレイクしたあと、改めて遡ってミスチルを聴いてみた。 恐らくそのとき初めて、この「君がいた夏」を聴いたと思う。

その時、コバヤシ君が、次はミスチルが来るって言った意味が、分かったような気がしたんだよなぁ。

当時ヒットの主流だった、誰にでも分かりやすいキャッチーなメロディ。

ただ、でも、やっぱりあの当時のカラーは感がなかった。 けど、結果的には、「次の主流」となるカラーを持ち合わせていたんだよね。

これは、ある種の勘としか言えないんだけども、 「あ、これ」っていう感覚を感じる時ってあるんですよ。 どこか懐かしいんだけども、実際的には今まで無かった新しいカラー、匂いを感じる、独特の感覚。

これを感じた時に新しい波が来るんだよね。

まあ、これは、本当に感覚的なところでしかなく、文字ではうまく表現できないのが歯がゆいんだけどさあ。

コバヤシ君って、この感覚というか嗅覚に長けてたんだろうなぁ。

不肖ながらワタシも、「CROSS ROAD」の後、遡って、この「君がいた夏」を聴いたときに、まさにそんな感覚を感じたのよ。

ぱっと聴き、どこか懐かしい感じがするんだよ、この曲。
でも、実際的なところ、この曲以前にこの曲のようなカラーの曲ってなかったんだよね。 だから、瑞々しい新鮮さを感じるし。

ただ、惜しいかな、全体的なインパクトがまだまだ弱い。 そこが今一つヒット戦線に乗らなかった要因なんだろうな。


まあ、僕の場合は、次にミスチルがくるって断言したコバヤシ君が羨ましくもあり、ミスチルのブレイクを事前に見抜けなかった自分が悔しくもあったりしたんだけどさ。

で、自分もこういう感覚を持ちたいと思ったんだよね。 

以来、これからブレイクしそうなアーティストを掘っていくような聴き方をしていったわけなのよ。
そういう聴き方が、後に「着メロ」のセレクターの仕事にむずび付いたわけなんだけどさ。

ただ、確証はなかったんだよね。 その後も、出来る限り「これから来そう」って曲を意識的には聴いてきたつもりなんだけども、空振りっていうのも多かったしさ。

いや、それは、今もそう。

そこそこ「あ、当たった」と思ったのは、以前書いた、平原綾香の「Jupiter」と大塚愛の「さくらんぼ」ですね。

ただ、これらの曲でさえ、ミスチルの時に感じたほどの確証っていうのは、なかなか得られなかったんだけど。。。。

でも、あれから四半世紀、この「君がいた夏」を初めて聴いたあの時と全く同じ感覚を感じた人たちが出てきた。それが実はヒゲダンだったんだよねぇ。

そそそ、ヒゲダンがまだ、メジャーデビュー前に聴いた「LADY」。 これ初めて聴いたときは「ビビビ」と電流が走ったもの。 真っ先に感じたのが、そうミスチルの「君がいた夏」を聴いたときの、あの感覚ですわ。

同時に、もしかするとこいつらは「凄いかも」と、真っ先に「キニナル曲」に書いたのを覚えてるな。

まさか、ここまでのビックバンドまで昇華するとは、思っても見なかったけど。。。。

もっとも、ミスチルだって、「CROSS ROAD」を聴き、遡ってこの「君がいた夏」の曲を聴いたときも、現在のような「超ビッグバンド」まで昇華するとは思っても見なかったんだけどさ。




だけど、あれから30年近く経とうとしているのに、この曲のメロディは、いつ聴いても切ない。
どうして、夏の終わりっていうのは、こうも切ないんだろうねぇ。

そういえば、この間だれか言ってたけど、季節の区切りとして、「〜の終わり」ってつける季節は夏だけですわ。 春の終わりとも秋の終わりともあまり言わない。 今の時期〜夏の終わりっていうのは、それだけ特別な季節なんじゃないかな・・・と思うわけなんだよね。


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書くきっかけがつかめなくてね〜「若者のすべて」フジファブリック〜

ネットニュースですでにご存じの方も多いだろうけど、米津玄師「Lemon」と共にフジファブリックの「若者のすべて」が高校の音楽の教科書に掲載されるようだ。

2007年リリースのこの曲だけど、夏の終わり特有の寂しさがよく出ている。個人的に最近この曲好きでよく聴いてるんだけどね。
ただ、リリースが11月で、夏の終わりじゃねーな・・と、きっかけがつかめなくて未だにブログに書けずにいたりして・・・・。

当初はシングル用の曲として自信満々でコンペに出したところ、他のメンバーとスタッフには、評判がよくなく、一度却下になったようなんだけども、翌2008年1月にリリースされた「teenager」の先行シングルとしてちょうどいいじゃないかということで、急遽、先行リリースという形で、発売されたため、歌詞内容と全く異なる季節のリリースになってしまったということですわ。

でも、最近は歌詞に内容に沿った方とで、夏の終わりの定番曲という感じで、今の季節になるとラジオから頻繁にかかるようになったわけで。。今年もご多分に漏れず、最近よく耳にしてますわ。

それにしても、この曲と山下達郎氏の「さよなら夏の日」は、罪な曲なんだよなぁ。

いやね、ヤマタツの「さよなら夏の日」も、この「若者のすべて」同様、今となっては去り行く夏を思う、夏の終わりの定番曲となっているけど、もともとリリースは「夏の終わり」じゃないんだよね。
オリジナルのリリースは1991年5月10日なんで。。。。 全く夏じゃないのよ。。。。

ワタシみたいに「ヒット時期」にセレクトしてきていると、どうしても季節的にずれちゃうのね。
まだ夏になってもいないのに「さよなら夏の日」と言われてもね。。。。

それと同じことが「若者のすべて」でもいえるわけで。これまでなかなか書くきっかけがつかめなかったんだよね。

まあ、リリース時期に改めて1曲セレクトでは取り上げようと思うけど、とりあえず紹介がてら。。。




若くして逝去してしまった、ボーカルの志村氏の作品だけど、志村氏がまだ健在のころライブで聴いときゃよかった・・と今になって後悔しきり。 
いや、もしかしてCDJで、当時ライブ見てたかも。。。。
2007年ということは、今のブログはまだやっておらず、mixiに書いてた頃なんで、mixiで当時の日記をひっくり返してみた。
たしか、何年かのCDJで、Puffy待ちでフジファブリック見たような気がするんだよな・・・。
・・・と思ってたら、2006年のROCK IN JAPANでフジファブリック見てたようだ。。。。 全く覚えておらん。。。。
しかも、2006年じゃ、まだ「若者のすべて」リリース前だわ。。。

初登場以来48週目で首位!

えー、久々にワタシのランキングネタで恐縮なのですが。。。。

今週のランキング、back number「水平線」。昨年9月3日付61位で初登場以来48週目で首位。
これ、1976年以来のワタシのランキングで初登場以来週数を要して首位を獲得した新記録なのよ。

これまでの記録は、吉幾三の「雪国」が初登場以来46週かかっての首位獲得(1986年3月17日44位初登場⇒1987年2月9日付首位)だったから、34年7か月ぶりに記録を更新したことになる。
back number「水平線」は、ネットニュースにもなっていたように、昨年のインターハイがコロナ禍の影響で中止になったことを受けて急遽制作され、本来、インターハイ開会式予定だった2020年8月18日午前0時からいきなりYouTubeに楽曲発表。
以来、動画サイトではずっと人気を保ってきていた曲ですわ。

当然、昨年の動画公開以来、動画視聴回数ランキングでも常に上位をキープし続けて来ていたわけで、ワタシのランキングでもずっとランクインし続けていたんだよね。

Youtubeに公開されていたといっても、長らく配信やCDリリースがなかったこともあり、ヒットの広がりがなく、総合ではずっと30位以下に位置していたこともあり、ほとんどの方は存在は知らなかったと思う。

ただ、動画配信開始から1年が過ぎた、先月13日からネット配信が開始され、一躍ヒットの輪が広がり、ネット配信、動画配信のみならず、ラジオ、有線と既存メディアチャートにもひろがり、総合ランクが急上昇。初登場以来約1年越しの首位獲得となったわけですわ。

この間の1曲セレクト、「おもいで酒/小林幸子」でもちょろっと書いた超ロングヒットについてもそうなんだけども、これまで「雪国/吉幾三」が長い間記録を持っていた、今回の「初登場以来週数を要して首位を獲得」記録。 こういうロングスパン関係の記録って昔は演歌の「専売特許」だったんだよね。

でも、いまや超ロングヒットにしても、今回の記録にしても、ふつうのJ-POPが達成しちゃっているわけで、こういう傾向を見ても、「ヒットの仕方」は昔とは変わってきていることは分かるんですよね。




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