かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

2021年04月

晴れ、ときどき殺人 / 渡辺典子

1984_04_晴れときどき殺人_渡辺典子



今回の1曲セレクトは、「晴れ、ときどき殺人」渡辺典子でする。

まずはデータから

・タイトル    晴れ、ときどき殺人
・アーティスト  渡辺典子
・作詞      阿木燿子
・作曲      宇崎竜童
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1984年4月21日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 11位
・売上げ枚数   15.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 17位
・タイアップ:角川映画「晴れ、ときどき殺人」主題歌

久々に1日に2曲目の「1曲セレクト」。
まあ、本日は1日雨だったし、久しぶりになーんにもやる事のない1日だったんでもたまには複数曲書く日もあっていいかな・・・・と。 ここんところ、あんまり1曲セレクトも書いてなかったしな。

本当は初め違う曲を書こうと思っていたんだけどさ、84年の今頃のオリコンチャート見てたら、まだ書いてなかった曲があったのに気が付いて、急遽、曲変更。

当初書こうと思ってた曲は、今の時期、すでにランクも下降しちゃってたんで、またいずれ・・・ということで。

で、引っ張ってきた曲が

渡辺典子「晴れ、ときどき殺人」

なんとも物騒なタイトルだけど、これは、同名映画の主題歌ということで、もともとは赤川次郎の小説のタイトルですわな。

・・・と、さも小説も読んだように書いたけど、実際小説は読んでない。映画も見てない・・・ということで、一体どういうストーリーなのかも分からなかったりして。。。。

当時、薬師丸ひろ子さん、原田知世さんにつぐ、角川三人娘の一人であった、渡辺典子さんだっただけに、もちろん、これも角川映画であったわけで、その主題歌だったわけだけども。。。

正直、この頃になると、個人的には角川映画にも「飽き」が来てたんだよね。

いや、実を言えばこれ以前にも、角川映画はあんまり見てなかったんだよな。 自分で進んで映画館に見に行ったのは、81年薬師丸ひろ子さん主演の「ねらわれた学園」だけだったような気がする。

83年原田知世さん主演の「時をかける少女」は、大林宣彦監督、尾道三部作第2弾ということで、この後テレビで見たし。
薬師丸さんの「セーラー服と機関銃」や「Wの悲劇」なんて、実は最近BSで見たのが初めてだったの。

当時、邦画にはあんまり興味がなかったというのと、そもそも千葉まで行かないと映画館がなかった時代、そうそう映画を見に行くってこともしなかったというのが、一番大きかったな。

だから、この「晴れ、ときどき殺人」って映画も見てなかったわけですわ。

しかも、その主題歌だった、この曲さえ、ヒット当時は、まともに聴いてなかったんですよ、実は。

この曲オリコン最高位11位ってことで、ベストテン入りしてなかったしね。

当時のラジオのベストテン番組でも、ベストテン入りしていた番組は少なかったと思う。

唯一ベストテン入りしていない曲も、たくさんかけていた文化放送の「決定!全日本歌謡選抜」も、
高校受験対策で通い始めた「塾」の時間がかぶっちゃって、じつは、84年4月〜85年2月にかけては、ほとんど聴けなかったんだよね。 
塾が終わってチャリを飛ばして、ベストテン発表に何とか間に合うような状態だった。 

だから84年ってベストテン内の曲は、よく覚えてるんだけども、ベストテンに入らなかった曲って、あんまり覚えてないんだよな。

この曲なんかは、その「割を食った」1曲だったろうな。

サビの ♪はーれ ときどき キルミー〜 ♪ って部分は知ってたけどさ。 
だから、この曲も曲全体を改めて聴いたのは、 実はごく最近だったりするのよ。

いつぞや、ラジオでこの曲が流れてて、最初は全然、何の曲だか分かんなかったの。

まさかこの曲が、フルオーケストラのミュージカル風な楽曲だったなんて、知らなかったんだもの。

完全にタイトルに騙されてましたね。 ↑で書いたように「晴れ、ときどき殺人」なんて物騒なタイトルが付いてるじゃん。 もっとオドオドロシイ曲かと思ってたの。ずっと。

渡辺典子さんのこの曲の次の曲で「いつか誰かが」って少しサスペンスががった曲があるんだけど、そういうイメージがあったんだよな。全くイメージと違うんだもの。

 イントロだけ聴くと、「ゴールデン洋画劇場」か なんて思っちゃうし。 その後も全編にわたって、まるでディズニー映画の音楽の世界だよな。

当時の日本映画の映画音楽のイメージからするとちょっと驚きな曲調ではあるな。

そもそも特に薬師丸さんが出てきた以後の角川映画の主題歌って、たしかに曲そのもののクオリティは、普通のアイドル映画よりは高かったものの、どうしても通常の「ヒット曲」の曲想からは離れなかったし、これ以後もそうだったしな。

だから、この曲って、今に至ってもかなり特殊な曲調の主題歌だったといえると思う。 

この曲がミュージカル映画だった・・というならば、分からなくもないけど、特段そういうわけでもなかったわけですよね。
まあ、実際見てないんで、何とも言えないんだけども。

それとちょっとビックリなのは、 作詞 阿木燿子、 作曲 宇崎竜童、 編曲 萩田光雄 っていう、もろ山口百恵な作家陣ですよね。

そんな、もろ山口百恵な作家陣でありながら、このミュージカル風な楽曲だもんね。まったく想定つかない・・・というか、この作家陣を見ると、どうしても山口百恵さんのような曲想をイメージしてしまう。

いや、「出し手」側も、このお三人に曲を発注するときは、それまでは端から山口百恵さんのイメージで発注したんだと思う。 
例えば83年の柏原芳恵さんの「ちょっとなら媚薬」とかさ。 この御三方でもろ百恵さんアゲインだったわけじゃん。

でも、この曲には、そんな山口百恵さん「臭」がかけらも感じない。 ここがいいですね。

まあ、たしかにこの曲の前の「少年ケニア」にもそれに近いところは感じてはいたけど、ここに来て、完全に山口百恵さんの「残像」が消えましたよね。 
そんなところからも、80年代と言う時代がさらに深まった感がある1曲ともいえるかもしれないな。






しかしさ、角川三人娘の中でも渡辺典子さんって、どうもジミだったんだよなぁ。 口悪く言えば「パッ」としなかったというか。。。。
3人の中では一番「美人」だったんだけどねぇ。

美人ではあったけど、なんていうのかなぁ、華やかさっていうのが今一つだったのかもなぁ。

それと、歌唱力っていう点ですね・・・・。

・・・なんて、原田知世さんも当時の歌唱力はどっこいどっこいだったんだけどもね。 

ただ原田さんの場合、この後、曲ごとに彼女ならではの「味」が出てきてましたからね。そのあたりが強みだったんだと思うけど、渡辺典子さんの場合は、彼女ならではの味っていう所があんまり感じなかったのも弱点だったかもな。

結局、そういうところが、レコード売り上げにも、もろ反映してたんだよな。
結局オリコンベストテン入りしたのは1曲目の「少年ケニア」だけだったわけで、2曲目のこの曲では早くもベストテン入りできなかったですから。



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あなたならどうする / いしだあゆみ

1970_04_あなたならどうする_いしだあゆみJPG



今回の1曲セレクトは、「あなたならどうする」いしだあゆみです。

まずはデータです。

・タイトル    あなたならどうする
・アーティスト  いしだあゆみ
・作詞      なかにし礼
・作曲      筒美京平
・編曲      筒美京平
・リリース日   1970年3月25日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   40.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1970年4月20日〜7月6日付  

4/17の「筒美京平の世界 in コンサート」は、とにかく素晴らしかった。
でも、まだライブレポ、書いてないんだよね。
やはり内容が内容だったこともあって、ライブ終了後の余韻が凄かったんでね。twitterとかSNSでも盛り上がっていたし。
本来だったら、鉄は熱いうちに打てとばかり、あの盛り上がりに乗り遅れるな・・・とすぐにライブレポも書いた方が良いのかもしれないけど、個人的に思いが逆でさ。
素晴らしい内容だっただけに、ちょっと寝かせておいて、皆さんが忘れたころに書きたいなと思っているのですわ。

ブログって日記と同じで、後々読み返したりするからさ、後々読んで、なんか物足りないなと思うものは書きたくないし、一時の(気持ち)の盛り上がりに流されないで少し温めておこうかと。
で、頭の中でまとまってから改めて書きたいと思っておりまする。

・・と書いといて、そんじゃ、今回は筒美京平氏の曲じゃないの? と思わせておいて、筒美京平氏の曲を持ってくるところが、いやらしいところなんだけどね  私の。


いしだあゆみさん「あなたならどうする」

この曲、先日の「筒美京平の世界コンサート」のセットリストから漏れちゃったんだよなぁ。
出演したアーティストによっては、2曲、3曲とオリジナルの筒美作品を披露した方もいたんで、いしだあゆみさんのこの曲のセットリストに入るんではないか?

・・・と僅かばかりに期待をしてたんだけども。 セットリストに入ったのは、やはり・・の「ブルー・ライト・ヨコハマ」だったからなぁ。

もっとも、いしだあゆみさん本人ではなく、伊東ゆかりさんの代唱だったですからね。

いや、その前に「ミュージック・マガジン」の昨年12月号の「追悼・筒美京平」特集でも、取り上げられた数々の筒美作品の中で、この曲は選に漏れている。

それを考えると、今となっては印象に薄い曲になっているんでしょうかねぇ〜。

いや、昨今のテレビの「筒美京平氏」特集ではVTRで取り上げられることも多いんで、決して印象に薄い曲と言うわけではないんだろうけどね。

なんせ、売り上げ枚数40.4万枚は、いしだあゆみさんの中では「ブルー・ライト・ヨコハマ」に次ぐヒットなわけだから。

じゃ、なんで「ミュージック・マガジン」では取り上げられなかったのか?

・・と言えば、やっぱり曲として特徴らしい特徴が少ないんからなんだろうな。

筒美作品にしては、「あく」が少ない平易なメロディラインといいますかね。 ひねったところが少ない印象は受ける。

どちからかといえば、なかにし礼氏の歌詞のインパクトの方が強いからなぁ。

♪嫌われてしまったの 愛する人に 捨てられてしまったの 紙屑みたいに〜 ♪

♪あなたならどうする 泣くの歩くの 死んじゃうの〜 ♪

っていう歌詞、 簡単な言葉遣いだけど、やっぱり引っかかるもんなぁ。

愛に落ちた女性像を書かせたら、右に出るものが居ないといわれた、なかにし礼氏の真骨頂を思わせる歌詞なんだよね。

まあ1970年のなかにし礼氏は初期の絶頂期でしたんでね。勢いと言うのもあったんだろうけど、そんな勢いを感じさせる1曲なんじゃないかなぁ、この曲は。

いや、だからなんでしょうね、筒美氏のメロディラインのアクが少ないのは。 この曲は、メロディ重視というよりも、歌詞を前面に出そうという曲なんだということですね。

もしかすると、「ミュージックマガジン」の筒美京平特集では、事前にそれを分かっていたがゆえに「選」から外したのかもしれないな。

ただ、この曲、「アク」が少ないメロディラインに対して、曲構成と、コード進行は結構面白い。

まずAメロの

♪ 嫌われてしまったの 愛する人に ♪ の「愛する人に」で、Emから、いきなりF#7に変わるコード進行。 普通だったら、「愛するひとに」の「に」で小節がかわるところまでEmで行くと思うんだけどさ、EmからF#7に行くコード進行が斬新。 あ、あくまでも当時の基準から見ると・・・と言う意味だけど、

最近、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」のAメロ ♪ 恋人よ 僕は旅立つ〜 ♪ の「旅立つ」の部分で、AからAmaj7に行くコード進行が斬新って言われてるじゃん。
あれと似たような印象を受けるんですよね。

そのほか ♪ あなたならどうする〜 ♪ でいきなりリズムが変ったり、 最後の ♪ 泣くの歩くの死んじゃうの〜 ♪ で、いきなりカノン調のコード進行になったり。

細かくみると短い1曲の中でも、けっこう目まぐるしく曲調が変化しているんだよね。

でも、こんな目まぐるしい変化も、歌詞のリズム、情景変化とシンクロしているんだよね。

なかにし氏の歌詞

♪嫌われてしまったの〜 ♪ のAメロ
♪私のどこがいけないの〜♪ のBメロ
♪残されてしまったの〜♪ のAメロ戻り
♪あなたならどうする〜 ♪ のサビ

それぞれで、言葉のリズムも情景もガラッと変わるんだよね。

これらの情景変化にうまく対応したメロディラインであり、リズム体の曲なんじゃないかなぁ、この曲は。
でも、そういう言葉のリズムと情景変化を汲み取り、曲調をシンクロさせる技は、さすがに希代のヒットメーカー、筒美京平氏ならではというところなんだろうなぁ。

でも、これらを考えると、詞先の曲なんでしょうかね、この曲は。 
その辺はよくわからないんだけども。


なんて書いてたら、いしだあゆみさんが春の叙勲・旭日小綬章と言うニュースが飛び込んできた。
なんてタイムリー。。。 そしておめでとうございます






ところで、この曲、どこで知ったんだっけなぁ・・・。 っていうのが気になってたりするんだよね。
リリースは1970年3月。 ワタシゃ、まだ生後9か月ですわ。 
当然リアルタイムでは聴いてない。

ネットで調べてみると 1990年にネスレのクリーミングパウダー「ブライト」のCMに起用とある。
うん、たしかに、それは覚えている。

それ以前に、「クリープ」のキャッチコピーとして「クリープを入れないコーヒーなんて」っていうのがあったじゃん。
あれと似たようなCMでしたよね。コーヒーにクリーミングパウダーを入れるの入れないの「あなたならどうする」ってことで、この曲が使われていたと思う。

ただ、個人的には、もう少し前からこの曲知ってたと思うんだよなぁ。
「ブライト」の前に、「リコー」かなんかのCMでもこの曲使われなかったでしたったけねぇ。

1987年10月からTBSで朝6時から放送されていた「ドーナツ6」っていう谷村有美さんがMCをやってた番組のCMで流れていたような気がするんだよね、この曲。
「ドーナツ6」、あの番組の学校に行く前に見てたんだよね。

ちょうど、大学受験の頃でさ この曲のマイナーなメロディを聴いては、なんか落ち込んだ気分になった記憶があるんだよなぁ。

大学受験に失敗したら・・・ ♪ あなたならどうする?   泣くの歩くの死んじゃうの〜 ♪ なんていうのが呪文のように頭の中を駆け巡った

・・・・ような気がするんだけどなぁ。。。。

何分33年も前の事なんで・・・・違ったかもしれないけど。。。。。


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14歳で聴いた音楽がその後の音楽好みが形成する!?

LIFE TIME AUDIO MY PLAY LIST 14歳のプレイリスト

人は14歳の時に聴いた音楽で その後の音楽好みが形成されるという記事をヒントに、14歳の時に聴いていた 好きだった音楽をテーマにお届けするプログラム
いま、ましゃ(福山雅治)が14歳だった→1983年 の時に聴いていた曲として、THE MODSの「激しい雨が・・・」を語っているけど、やっぱ同い年ですね。 ワタシもこの曲を聴くと、1983年の情景がフラッシュバックしますわ
1983年 私もモロ14歳でしたわ。
中学に入学したころの緊張感もなく、かといって受験のプレッシャーもなかった中学2年生。
たしかに何にも考えずに音楽に没頭してた1年だった・・ような気がする。
そもそも、「はしご」でラジオのヒットチャート番組聴いてたの、1983年が頂点だったな。
・土曜日
FM東京 「コーセー歌謡ベストテン」(13:00〜14:00)
ニッポン放送 「オリコン全国ヒット速報」(14:00〜16:00)
文化放送 「全国歌謡ベストテン」(16:00〜17:00)
・日曜日
ニッポン放送 「学校ぐるみ放課後ベストテン」(8:00〜8:30)
ニッポン放送 「不二家歌謡ベストテン」(9:00〜10:00)
文化放送 「決定!全日本歌謡選抜」(13:00〜16:30)
・野球シーズン外 月〜金(木曜日以外)
TBSラジオ 「ヒットパレード毎日がベストテン」(21:00〜21:45)
・木曜日
TBS 「ザ・ベストテン」(21:00〜21:54)
土曜日は、午後からどっぷりとベストテン漬けだったからなぁ。
アホですか・・なんて言われそうだけど。。😅😅😅
もっとも土曜日は、部活があったから上記全部聴けたのは
定期テスト前後の部活がない時だけだったけど。。。
定期テスト前後は、本来は勉強するために部活がなかったんだけども、あのころ勉強しなくてもそこそこの成績取れてて「学校の勉強は馬鹿がするものだ」とか訳わかんない理屈をつけて、勉強そっちのけでベストテン漬け。
まあ、そこそこの成績って言っても、私の中のそこそこだったんで、第三者から見ればたかが知れてる成績かもしれないけど。。。😵😵😵
でも、おかげで、今の私が出来上がりました。
あんとき、ちゃんと勉強しとけば、もう少しましな人生を送れた・・・とも思ったりもするんだけど。。。
ちなみに、この時点では、まだ「オリコン(ウイークリー)」には出会ってない。もし出会ってても、もう少し違った人生になったかもな。
・・・というわけで、この番組が言うように「14歳の時に聴いた音楽で その後の音楽好みが形成される」というのは、モロあってますね。 それどころか、その後の人生も形成してしまったわけで。。。😅😅😅😅😅😅

日曜日の娘 / puffy

1999_04_日曜日の娘_Puffy


今回の1曲セレクトは「日曜日の娘」puffyです。

まずはデータなのら。

・タイトル   日曜日の娘
・アーティスト puffy
・作詞     奥田民生
・作曲     奥田民生
・編曲     笹路正徳
・リリース日  1999年4月1日
・発売元    エピックソニー
・オリコン最高位 15位
・売上げ枚数  4.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 16位
・タイアップ:ヤマハ発動機「Vino」CM曲。

いやー、天気のいい1日でしたね。 こういう日は、朝からどっかに出かけたい・・・と言う気分になるわけなんですが、現在、「生業」が超繁忙期真っ只中のワタシとしては、どこへも出かけられず、radikoで日本全国のラジオ局のカウントダウン番組を、タイムフリーで聴きながら、ひたすら仕事をしていたわけで。。。 今月はガマン。 

ところで、なんでradikoまで使って、日本全国のラジオ局のカウントダウン番組巡りをしているか・・というと、最近、関東地区はラジオでのカウントダウン番組ってほとんどなくなっちゃったんだよね。
昔は、AM、FMとも各局で、2つも3つもカウントダウン番組ってあったのにねぇ。
時代は変わるもんで。。。

でもさ、個人的に「新曲」を聴くスタンスとしてはカウントダウン番組は欠かせない・・と、最近改めて気が付いたんだよね。 
そもそも、この(ヒット曲の)世界に足を踏み入れたのも「ザ・ベストテン」という究極のカウントダウン番組からだったし、その後ラジオのカウントダウン番組も、毎週嫌と言うほど聞いて、逐一新曲情報を集めてましたんでね、1980年代は。
個人的には、カウントダウン番組を聴きながら新曲を仕入れるっていうのが、基本的なスタイルなんだよね、「今」の曲を聴く上ではさ。

ま、そんなわけで、「今」のヒット曲をちょっと本腰を入れて聴きたいと思って、全国のカウントダウン番組巡りを始めたわけです。

今回引っ張ってきた曲は、まだ関東地区のラジオ局でもカウントダウン番組が聴けた頃の1曲ですわ。

puffy 「日曜日の娘」。

この曲がリリースされたのは1999年4月1日。 今から22年前のちょうど今頃ですね。

あの頃は、地元千葉のbay fmで「パワーカウントダウンHOT30」っちゅうカウントダウン番組をバリバリ放送中だったからさあ、毎週土曜日15:00〜は聴いてましたねぇ。
90年代、新曲情報は「パワカン」から仕入れてたところが大きかったからねぇ。

22年前、ワタシは29才。 当然、すでに社会人だったわけで、某環境衛生管理会社の千葉の営業所で技術営業をやっていた頃だ。もちろん土曜日が仕事の時もあったんだけども、営業車で移動中は絶対にbay fmに合わせてたなぁ。

今回、引っ張ってきた「日曜日の娘」って曲も、会社の営業車で移動中に初めて聴いたような気がする。

モノラルの「ラウンジ風」ていう、それまでのpuffyにはなかった曲調に、はじめはちょっとびっくりしたけど・・・
その前の「たららん」って曲の、夏の終わり、秋風が舞い込んで来たかのようなフォーキーな曲調からは、想定も出来ないような曲調だったからさ。でも嫌悪感はなかったな。

それよか、これは懐かしい・・と言う気分のほうが大きかったですね。

このラウンジ感は、遥か昔に味わった、あの感じ。

そうそう、子供の頃、ごくたまーに連れていかれた、地元ではちょっと高級だったレストランのBGMで、かかっていたようなまさにラヴンジ系のあのサウンドだ。

・・と書いても、なかなか文章じゃ伝わらないよなぁ。。。。。

兎も角、1960年代のステータスを感じるような。 そう、今から見るとモノクロ・・・いやセピア色なホテルのラウンジの風景ですよ。
当時、子供だったワタシも優越感・・というか、大人になったような気分にさせられた。

そんな、風景がフラッシュバックしてくるような1曲でしたね。

特に、サビから聴こえてくる、エレクトーンの響きが、もろ、それっぽくてさ。

あ、関係ないけど、子供の頃、ラヴンジ系のエレクトーンの音色に惹かれて、小学校に入ってすぐ、エレクトーン習いにヤマハの音楽教室に通い始めたこともあったからなぁ。

そそそ、個人的には、このサウンドは音楽の原体験に近い感覚なんだよね。

だから、これは面白いなぁ。・・・と思ったものの、逆にヒットという面ではどうなんだろう・・とも思えたんだけどさ。

やっぱ、「アジアの純真」なんかに比べるとインパクトに欠けたしさ。 

まあ、前年の「たららん」を聴いていても、この時期のpuffyは、なにがなんでも「大ヒット」を狙っているようには感じられなかったわけで、その延長線上と考えると、この曲もありえたのかもしれないけどね。

ただ、それにつけても、この曲で売り上げが急降下したのは、ちょっと想定外だったなぁ。

オリコンでベストテン入りしなくなったのはもちろんのこと、売り上げが、この曲から10万枚にも達しなくなっちゃいましたからねぇ。

↑で書いたようにインパクトに欠けるといっても、それまでのPuffyのアーティストパワーから考えば、10万枚は行くだろう・・・とは考えていたんだけどもね。個人的に想定していた以上に受けなかったんだよなぁ。
やっぱり、puffyらしくない・・・と見られちゃったんでしょうかね。

まあ、99年当時、ラウンジという曲調は「イマ」くなかったのかもね。 その後、ラウンジ系の曲もJ-POPで受け入れられるようになったけど、ちょっと時代が先行しすぎたのかもなぁ。
ちょっとダイレクトにラウンジ系のサウンドが過ぎたのかもしれないな。





この曲のPVって初めて見たような気がするけど、「海浜幕張」で撮ってたんだねぇ。
頭から20秒くらいから出てくる、バックのビルですぐわかりますわ。海浜幕張公園ですね、これは。
この当時、海浜幕張でのロケって結構頻繁にあったのよ。

↑で書いた、某環境衛生管理会社の仕事、海浜幕張に、結構、お客さん持ってたからさ。
土日に仕事で海浜幕張周辺通ると、よくテレビなんかのロケにぶつかったもんよ。

GLAYが幕張メッセの駐車場で20万人ライブやったのがこの年の7月だったし、1999年当時、海浜幕張ってトレンドだったんだよね。

そういえば、↑で書いたbay fmの「パワカン」もこの頃は海浜幕張のWBG(ワールドビジネスガーデン)のスタジオから放送してたしな。

ちなみに、この「日曜日の娘」がリリースされた頃には、この会社を辞めようと心には決めてた頃ですわ。
この「日曜日の娘」がリリースされる1か月前、仕事さぼって本屋で立ち読みしてたら、田家秀樹さんの「読むJ-POP」って本に出合ってさ、「俺、こんな仕事してる場合じゃないわ」って思ったの。
で、この年いっぱいで会社辞めたんだよね(実際は、有給使ったんで退職は2000年2月末)。

そういう意味では、人生を変えるきっかけとなった時期だったかもなぁ、この頃って。
でも、会社辞めようと心では決めてたんで、気分的にはだいぶ楽になってた頃でさ、だから、気持ちよく音楽も聴けてた頃でもあったんだよね、1999年の今頃って。


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カウントダウン番組はしご

朝っぱらから、9日放送分のFM AICHI「Countdown friday」の後半戦タイフリーからのKBC「サタデーミュージックカウントダウン」昨日放送分タイムフリー・・とカウントダウン番組はしご。
このあと12時からはFM802「OSAKAN HOT100」本放送をエリアフリーで。
カウントダウン番組のはしご視聴なんぞ、何十年ぶりだろう?
80年代は、それこそラジオではカウントダウン番組の全盛期で、土日だけでカウントダウン番組6番組聴いてましたが、あれ以来かも。
やっぱ、個人的にはこの聴き方が「今」のヒットの聴き方の原点ですねぇ。 新曲は強制的にでも音楽を「注入」しないと、なかなか消化できないんだよね。 これは、昔っからそう。
すこし、本腰を入れて「今」の曲を消化したくなって、何十年ぶりかでカウントダウン番組はしごをしてみよう・・と。
ネットだと自分が興味がある曲とか目に留まった曲しか聴かないじゃん。そうじゃなくて、興味がなさそうな曲も強制注入。そうすることで、意外な発見もあったりするんだよね。
まあ、いつまで続くか分かんないけど、今はradikoっていう便利なものがあるんで使わないとね。
ところで、今聴いてるKBC「サタデーミュージックカウントダウン」のアシスタントMCの「真璃子」さんって、86年デビューのあの「真璃子」さんだったんだ。写真を見る限りでは全く分かんなかった。
今は福岡在住とのことで、KBCに出ているようですね。


昨今のシティポップス熱からは距離を置こうと思っています。

少し前にブログに「グローバルバイラルチャートで過去曲が上位に来ることはめでたいことなのか」ということで、半ば、昨今のシティポップス流行りを牽制するような・・というか、水を差すようなトピックスを書いたんだけども。
これ書いた本当のところは、いかにシティポップスが流行ってきているといっても、ヒットシーンのメインストリームまで昇華するのは難しいだろうなと言う、個人的な考えが大きいな。
たしかにシティポップスというジャンルの曲は音楽的には素晴らしいと思う。これは、誰にもケチをつけられない事実だと思いますよ個人的にも。
だからこそ、向こうの耳が肥えたDJには刺さったんだろうし、取り上げられたんだろうと思う。
でもね・・・。
いい曲と売れる曲は違うんだよね。 
これは、筒美京平氏のコトバでもあるんだけど、ワタシも全くそう思うんですよ。
例えば、井上陽水氏の「心もよう」と「帰れない二人」の例。
この2曲のうち、どちらをタイトル曲に出そうかと迷ったという話。
業界的には「帰れない二人」を推す声が高かった。理由は音楽的なクオリティは「帰れない二人」の方が高かったから。
でも、プロデューサーの多賀英典氏は、敢えて「心もよう」を推したという。 理由は「心もよう」の方が大衆性が高かったから。そうしたところの大ヒット。
多賀氏は、筒美京平さん同様、大衆力の重要性がわかっていたから、そういう判断が出来たんだろうね。
結局さ、音楽的に素晴らしい曲が必ずしも売れるとは限らないってことですよ。それよりも大衆性の方が強いという事。
ある意味の「下世話」性と言うべきですかね。
正直、最近いわれるシティポップスっていう音楽は、音楽クオリティ的には高いけど、下世話ではないんだよね、スマートすぎるんですよ。
果たして、そういう音楽が大衆的に大きく広まっていくかというのは、疑問なんだよね。だって昔からずっとそうだったもの。急に今の時代になって変わるとは思えない。
これは、日本に限らず向こうのヒット曲にも言えることだと思うし。
だから、例えば松原みきさんの「真夜中のドア」のようにバイラルチャートでは上がってきたとしても、BTSの「Dynamite」のようにビルボード的なヒットにはなれないと思うんですよ。
なので、個人的には最近のシティポップス熱からは、距離を置こうと思っているわけなのね。
個人的には、やっぱり「下世話」な曲が好きだし、大衆的なヒット曲を追いかけていきたいと思っているんで。

ちなみに、シティポップスっていうコトバは70年代の頃からあったけど、昔で言うところのシティポップスと、今言われるシティポップスは、同じ言葉でもちょっとニュアンスは違うと思う。
70年代、80年代でいわれたシティポップスって、いわいるニューミュージックと同意語的だったじゃん。だから、守備範囲もひろかった。
けど、最近言われているシティポップスって、よりスマートな音楽に限定されてきていると思う。ニューミュージックというよりもひところのAORだよね。昔よりも狭義的に感じるんだよね。 だから、よけい大衆的なところからは離れているように感じるわけなんだよね。


ultra soul / B'z

2001_04_Ultra Soul_B'Z


今回の1曲セレクトは「ultra soul」B'zでする。

まずはデータでする。

・タイトル     ultra soul
・アーティスト   B'z
・作詞       稲葉浩志
・作曲       松本孝弘
・編曲       稲葉浩志 松本孝弘 徳永暁人
・リリース日    2001年3月14日
・発売元      ルームス・レコーズ
・オリコン最高位  1位
・売り上げ枚数   87.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:2001年3月29日〜5月3日 5月17日付
・タイアップ:世界水泳福岡大会2001テーマソング

これまでも、ヒットした当時、あまり聴いてなかった曲、積極的に聴いてなかった曲って、何曲も書いてきたけど、今回引っ張ってきた曲も、ヒットした当時、積極的には聴いてなかった曲の一つですね。

B'z 「ultra soul」

この曲がヒットした時期に開催された2001年世界水泳福岡大会のテーマソングに起用され、いまや、世界水泳のたびにテレ朝での世界水泳の中継のテーマソングに使用されてるこの曲。

♪ そして輝く ultra soul  ♪ という大サビのキメフレーズでは、だれでも否がおうにも盛り上がる。

そんな曲であるのに、ヒット当時、触手が動かなかった・・とは、「不感症」と思われても致し方ないかもなぁ。

でも、これは事実。

ま、確かにこの頃は、この曲に限らずB'zの曲に反応しなくなっていたのもあるな。

古くからワタシとお知り合いの方は、覚えているかもしれないけど、この頃、結構アンチ発言をしてたからさ、B'zに対して。

それも要因の一つだけど、こういう派手な曲調の曲は拒否したい気分でもあったんだよね、精神的に。

丁度この頃、前年から1年に及び、ぷー太郎な生活をしつつ、ネットワーク管理者養成講座の専門学校に通ってたんだけども、その講座が終了の頃にリリースされたんだよね、この曲。

でも、まともな転職口も決まっていなくて、かなり焦っていた頃だ。
それでも、当時は、まだITバブルが残っていた頃で、IT未経験者でも就職口はあり、1か月余りの転職活動でもホスティングサービス会社に就職先を得ることができた。で、転職したのが2001年4月。
でも、そこがブラックな会社だったのよ。いまでいうパワハラが凄くてさ。 進捗ミーティングが毎日のようにあり、作業の進捗が少しでも遅いと会議に出席している全メンバーからドヤされる。ターゲットになる方がいつも決まっていたんだけども、毎日のようにドヤされていたな。だれも弁護する人も居なくて見ていて可哀そうだった。
幸いワタシはターゲットにはならなかったんだけども、そういうブラックな会社の文化に耐えられなくてさ。結局、精神的に持たなくて、いわいる「5月病」から出社拒否になって、2か月で辞めることになるんだけどね。

そんな、転職→出社→退職 の一連の流れにリンクするかのようにヒットしていたのが、この「ultra soul」だ。

恰も、そんなつらい会社生活の中で、脳内ヘビロテしていたのが、この「ultra soul」だったと記憶しているな。

つらい記憶は消し去りたいもの とはよく言うけど、そんな状況下で脳内ヘビロテしていたこの曲も、消し去りたい記憶の一つになったんだよな。
まあ、この曲だけではないんだけどね、2001年の3月〜5月頃にヒットしていた曲って、ワタシの中では苦い記憶しか浮かんでこない時期で、長い事、記憶から消し去りたかったのよ。

今年はあれから20年だもんなぁ。昨日のように覚えているけど早いもんだよね。

そんな精神的にどん底状態の時期を経、その後の人生をある意味変えた、某C社に巡り合うのが2001年6月。

そんな「人生の変革期」が目の前に来ようとしていたのを、全く知らずに、毎日精神的につらい毎日を過ごしていたのが、丁度20年前の今頃だ。

もし今20年前に戻れたら、あと2か月後には人生変わるよ・・と言ってあげたいくらい。
ホント、すぐ先に何があるかわからない、これが人生ですね。 


ただ、そんなブラックな会社でも一つ分かったこと。 IT業界というところは、仕事のやり方から何もかも、手取り足取り教えてくれないということ。必要なスキルは自分で調べて見つける事ですね。
そもそも、当時のIT系の会社では転職初日に会社に行っても机にPCが置いてあるだけで、配線接続は自分でやんなきゃいけないし、PCの設定も自分でやんなきゃいけないのが当たり前だったしね。
少なくとも、PCスキルや知識はネット調べれば、自分の力である程度は解決できるわけで。
まあ、他の会社はどうなのか分かんないけど、今の生業の会社では、新たな方が就業するときは、就業前にPCもちゃんと設定してあげたりして、20年前とは大分変りましたね。
でも、初めから人を当てにしすぎない、まずは自分の力で問題を解決する努力をすることは、ブラックな風潮の中でも、暗黙で分かったし、20年経った今でも肝に銘じてますね。

・・・と、今回も曲内容とは、全く関係ないことをツラツラツラ・・・と書いてきちゃいましたが。。。

↑のように20年前は、「思い出したくない」曲の1曲だったこの曲も、今では全くそんなことはなく、普通に聴けるんだけども、細かい部分では、正直、この曲のどこが良いのか、悪いのか・・というのは、今になってもよくわかんない。。。

・・・・っていうのが、結局の結論だったりして。。。。

ただ一つ言えるのは、 

♪ そして輝く ultra soul  ♪ っていう大サビのフレーズは、やっぱ強烈に強いよなってこと。

このフレーズがある限り永遠に無敵だと思う。

この前曲「RING」から、売り上げで30万枚以上跳ね上がったこの曲だけど、 ここのインパクトだけで売上げが跳ね上がったといっても過言じゃないんぢゃないかなぁ。

・・・・と誰でもいえるような「感想」を書いたりして。。。。

もう一つは、シンプルにまとまっている事かなぁ。 尖がって居るけど誰が聴いても分かりやすいメロディライン。
シングルとして基本的なことではあるけども、そんな基本的な部分に忠実に沿った1曲だと思いますわ。






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今更ながらのradikoプレミアム

「今」のヒット曲を感じたくて、radikoプレミアムを登録してみた。まあ、今更・・という感じもするけど。。。
SpotifyのバイラルチャートもRelease Raderもいいんだけど、カウントダウン感がもう一つなので。。
以前も書いたように関東ではラジオでの「ヒットチャート」番組特に邦楽オンリーなカウントダウン番組はほぼ絶滅なので、リアルタイムで「今のヒット」をダイレクトにまとめて聴ける番組がほとんどない。

東京圏でカウントダウン番組は、J-WAVE の「TOKIO HOT100」くらいか。 でも、この番組は「洋楽」重視なんで、邦楽ファンとしては、ちょっと物足りない。
ニッポン放送「サンデーヒットパラダイス」は、バラエティ色が強いし時々全く今とは関係のないランクもやんで。。。

でも、名古屋圏、関西圏、福岡圏では従来のようなカウントダウン番組がいまだに残っているんで、ちょっと聴いてみたくなりまして。
ただいま、先週のFM802「OASAKAN HOT100」のタイムフリー視聴中。

https://funky802.com/hot100/

久しぶりで従来のオーソドックスなカウントダウン番組
当然ですが、CMが大阪圏のもので不思議な感じ。。。
時間があれば、そのほか
・FM FUKUOKA BUTCH COUNTDOWN RADIO
・FM 熊本 FMKTOP30
など聴いてみたい
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