かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

2020年11月

リバイバル / 五輪真弓

1981_11_リバイバル_五輪真弓


今回の1曲セレクトは、「リバイバル」五輪真弓です。

まずはデータです。

・タイトル    リバイバル
・アーティスト        五輪真弓
・作詞      五輪真弓
・作曲      五輪真弓
・編曲      Michel Bernholc
・リリース日   1981年9月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 24位
・売上げ枚数   12.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 20位

長年ヒット曲を追いかけてくると、いったいどこでこの曲に出会ったんだろう? と思える曲があったりする。初めて聴いたときのことを全く覚えていないって曲ですね。
少し間前に書いた、ジュリーの「ロンリーウルフ」でも同じようなことを書いたと思うんだけども、今回引っ張ってきた曲もそんな1曲だよなぁ。

五輪真弓「リバイバル」。

いや、引っ張ってきたのはいいけど、ここ読んでくださってる方で、一体どの程度この曲を覚えていらっしゃるだろう・・・・っていうのは、いささか不安だったりもするんだけど。。。。

リリースは、今から39年前、1981年の9月だけど、丁度今頃ヒットのピークだった曲だ。
時代的には、あの超大ヒット曲「恋人よ」から、丁度1年後という事になる。

とはいうものの、何せオリコン最高位24位ですからねぇ。今となっては五輪さんのファンとか、1981年と言う時代をこよなく愛している方でもなければ、すでに死角に入っててもおかしくない曲ですわ。 
ま、売り上げ的には一応10万枚オーバーで、当時のスマッシュヒットではあったんですけどね。

・・・なんていつものごとく、さぞ当時から、よく知ってました・・のように書いてるんだけども。。。最初に書いたように、この曲を当時、何処で初めて聴いたのか、と言うのは全く覚えてない。

たださ、当時の月刊「明星」付録の「Youn Song」には新曲として載ってたなっていうのは、覚えてたりして、曲の存在は当時から知ってたんですけどね。(実際1982年1月号では楽譜入りで載ってたりする)

確実に覚えているのは、1983年秋、新聞広告で見て購入した、ソニーファミリークラブから発売した通販の「ニューミュージック大全集」に収録されていたことだなぁ。
そう、この曲の音源は、あの時に手に入れたものなんだ。だから、かなり古くから音源はあったわけで、通常であればあの時、この曲を初めて聴いたんだ・・・と思うのが普通だと思うんだけど。。。

でも、どうもイメージが違うんだよね。 あの時(1983年秋)初めて聴いたものならば、この曲を聴くときは、1983年のカラーがフラッシュバックされてもおかしくないのに、 聴くたびに、ヒット当時、1981年秋のカラーが浮かんでくる。

1981年の秋ちょうど今頃の時期のヒット曲って、ワタシの中では一様に紅葉カラーなイメージなんですよね。
いつだったか、松田聖子さんの「風立ちぬ」の時にも書いたと思うんだけど、1981年秋は、紅葉狩りを兼ねたドライブに頻繁に出かけた年だ。 まだ、福島のいわきに住んでいたころで、紅葉狩りのドライブに裏磐梯に行ったり、霊山に行ったり。 めっちゃ紅葉シーズンの頃でさ、夕日に真っ赤に染まったモミジとか、黄金色に染まった銀杏の木の光景が、39年経った今でも、未だに浮かんでくるんだよね。

で、この「リバイバル」を聴くといつも決まって浮かんでくる光景が、霊山の帰り、国道6号線を走っていた、夕日に黄金色に染まった銀杏並木。あの光景だ。

この曲、アレンジャーがフランス人である、Michel Bernholcということもあり、フレンチポップスの様相が強い。 ややアコースティック色が強く全体的に濡れていて、フレンチポップス特有のサウンド。

まあそれを言ったら、あの大ヒット曲である「恋人よ」も同じフレンチポップスの色は濃い。 イントロのストリングスのフレーズもどこかクラシック的で。
それでも、この「リバイバル」よりも安心感がある。安心感と言うのは、やっぱり日本人である船山基紀氏のアレンジと言うところもあるのかもしれない。
フレンチポップス的ではあっても、どこか日本人ならではの味付けがある。そこに安心感を感じたりしてね。

例えば、フランス料理であっても、本場のフランス人シェフが作った料理よりも、日本人シェフが作った料理の方が安心できる。。という事と同じように。

同じフレンチポップス風な曲調であっても、両者で売り上げ大きく差が開いたのは、この辺りが大きかったかもしれないな。

ま、もちろん、それだけではなく、楽曲のアクの強さ、弱さという違いも大きいとは思うけど。
この曲は、「恋人よ」に比べると、やっぱりインパクトの面で弱いですからね。


・・・・ととと、なんか話がずれた。。。 
この曲を初めて聴いたのは・・・って話でしたね。

そうそう、この曲を聴くと福島の
霊山の帰り、国道6号線を走っていた、夕日に黄金色に染まった銀杏並木の光景がフラッシュバックするって話ですね。
そんな風景が、もろフレンチっぽかったんですよね。 この曲にぴったり当てはまるような。。。

・・・ということは、恐らく、1981年11月頃、霊山にドライブにいったころは、この曲すでに聴いてたのかもなぁ。
ベストテンには入ってなかったので、「ザ・ベストテン」ではなかったはず。

もしかするとTBSラジオの「ザ・ヒットパレード毎日がベストテン」で聴いたのかもなぁ。 
そそそ、1981年11月、テレビだけでなくラジオにも進出というわけで、TBSラジオで月〜金曜の21時〜21時45分に毎日放送していた、「ザ・ヒットパレード毎日がベストテン」を聴き始めたのが丁度この頃だ。
その中の月曜日の「ニューミュージックベストテン」。きっとここで初めてこの曲を聴いたんだ。
総合ではベストテン入りはしてなくても、「ニューミュージックベストテン」にはランクインしてたと思えるしね。
うん、これなら納得するな。

  

初めに書いたように、今から39年前、オリコン最高24位ってことで、当時の動画はさすがに残ってないですねぇ。
・・というか、この曲、ヒット当時テレビで歌っていたのかなぁ・・・という疑問は残るが・・・。
そんなこともあってこの曲自体の動画が少ない。。。
しょうがないんで、一番レコードのアレンジに近い動画を引っ張ってきましたわ。

でもさ、妙なもんで、こう、テレビで歌っている音を聴くと、「恋人よ」よりも、こちらの曲の方が「歌謡曲」っぽいなぁ・・・なんて思えたりしますね。
レコード音源では、もっとフレンチポップスっぽく聴こえるんだげなぁ。

ちなみに、レコード音源は、もっと鼻にかかったようなボーカルなんだよね。
そそそ、鼻かぜをひいてたのかわからないですけど鼻声気味なのよ。 でも、個人的にはそこに引っかかっちゃったりする。 どこか、肩の力が抜けたように感じたりしてさ。
特にサビの
♪ アー 繰り返すだけの思い出は〜 ♪ の 「繰り返すだけの」の「の」が「ぬ」に聴こえたりして、なんとなくセクシーなんだよね。

ただ、今からして思えば、そんな方の力が抜けていた分、インパクトがかけてしまったのは否めなんだろうなぁ。


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斉藤由貴35th anniversary concert THANKSGIVING

コロナ禍真っ只中のご時世、今年はまだ一度もライブへ参戦してなかったのよね。
参戦以前に、そもそもリアルライブ自体自粛政策がとられ、長い事開催されていなかったわけだし。
その間、「代替え」としてオンラインライブが盛り上がってきているわけで、ワタシも、これまでオンラインライブは何回か参戦してみた。

たしかに、これまでのライブには無い視点からライブを見ることでき、それなり臨場感を体験することができる。なにより、チケット代の安さと、チケット完売の心配がないため見たいアーティストのライブをほぼ「確実」に見ることができるのは魅力的だ。

そんなことで初めは手放しに絶賛していたし、新しいライブのスタイルとして今後も発展していくと思う。

ただね・・・。

やっぱりなんか物足りないんだよね。どうなんでしょうねぇ、距離感と言うか、一体感と言うか・・・。「リアル」ライブならではの、あの高揚感、独特な雰囲気ですわな。 あれは、リアルにライブ会場に足を運ばなきゃ味わえない。

ただ、ここにきて、各種イベントの再開、ライブツアー再開が増えつつある。
それとともに、「ライブ会場のあの高揚感・・そろそろ味わいたいっ!」、ワタシの中のライブ熱がムクッ!

そんな折、たまたまニッポン放送を聞いてた時に流れた、「斉藤由貴35周年コンサート」のCM。
初めは「ふーん」と言うくらいだったけど、「シングル中心でやります」っていう一言に引っかかってしまった。

気が付いたときには、チケットぴあに申し込んでいる私が居たり。。。

正直、斉藤由貴さんのコンサートは、「現役」のアイドル時代を含め、一度も見たことない。
たださ、ここの所「ビルボートライブ」などの大人向けのライブハウスでたまにライブを開いており、告知を見ては、ちょっと興味をもったりしていた。
料金も9000円近く取ったり、なかなかの「高額」であるのにも目が付いていたんだけども。
今回のライブも10,000円と決して安くない。それでも、シングル中心で行くという事ならば、高くはないかな・・とも思えたのよね。

なにより「ビルボードライブ」でライブを開くということは、少なからず「大人の雰囲気」のライブになるはずだ。
アイドル現役の頃のようなバリバリ親衛隊コールに紙テープが飛び交ういわいる80年型アイドルのコンサートではないはず。(というか、そんなコンサート今でもあるのか? だけど・・・)

・・ということは、こんなコロナ禍でもゆっくり唄を聴けるライブになるんじゃないか、久々のリアルライブの「リハビリ」にはちょうどいいんじゃないか・・という思いもあったりしてね。


11月14日(土) 3日間のライブの最終日。

コロナ禍でのオンラインワーク勤務といえど、平日参戦はやや気が引ける・・ということで、休日の最終日をチョイス。

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場所は池袋の「東京建物ブリリアホール」。 初めての「ハコ」ですわ。

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指定された席は3階D29番。 舞台に向かってほぼ真下に見下ろす角度だけど、ライブ開催間際にチケットとったんでしょうがない。
コロナ禍対策として席はひとつ飛ばし。なので、実質席の埋まり具合は半分なんだけども、それでもほぼ満席状態。うーむ、リアルライブを待っていた方は、多いようだね。
この日は、同時にネット配信も行われたハイブリット型ライブであり、舞台下には、配信用のカメラと、撮影用のレールが敷かれている。
ただ、最近はDVDリリース用のカメラが入っていることも多く、ライブ会場にカメラが入っていることに違和感はない。どちらかと言えば当たり前の光景ですね。

周りを見渡せば、50代と思しき男性がほとんど。同世代やね。 まあ、当たり前と言えば当たり前か。
でも、ライブ中に斉藤さんがMCで呼びかけたところ、20代っていう方もチラホラ。
この反応に斉藤さんもびっくりしていたけど、昨今の若いコへの「昭和歌謡ブーム」を考えば、不思議ではないですかね。
ただ20代で10,000円のコンサートへの参戦。ワタシが20代の頃は、清水の舞台から飛び降りても考えられなかったけどなぁ。 最近の若いコはお金をかけてもライブに参戦するコいるんだなぁ。

15時ちょうど。ライブスタート。
ライブで5分、10分スタートが遅れることは普通にあることだけど、1分も狂わず、15時ちょうどのスタートにはちょっと驚いた。これも配信を考慮してのことですかね。

いきなりニッポン放送「斉藤由貴、猫の手も借りたい」をモチーフにした朗読からスタート。
まあ、ニッポン放送後援ならではの演出でありますね。
そんな「斉藤由貴、猫の手も借りたい」、ワタシも聴いてたような。 と言っても自分の車を持った20代の頃、番組の最終盤あたりカーラジオで聴いてたんだ。でも10年近くも続いた番組だけあって、同世代にとっては懐かしい番組だろう。

ちょっと気になったのは、デビュー間もなくから通ったニッポン放送、 土曜日夕方からのこの番組。デビューしたてで、行くところ行くところで気を使っていたあの頃、唯一ホッとできる番組だったと語っていたけど・・・。

調べてみたら、「猫の手も借りたい」の前に「斉藤由貴 見えますか?青春輝き色」っていう番組やってたんですよね。同じ土曜日のニッポン放送で。
なので、デビュー直後・・・っていうのは、「猫の手も借りたい」ではなく「見えますか?青春輝き色」ぢゃないのかなぁ・・・なんて思ってしまった私だったり。。。
まあ、どうでもいいことではあるんですが…。

ラジオ番組をモチーフにした朗読につづき、デビュー曲「卒業」のイントロが流れる。
丁度、中学校卒業と同時に大ヒットしたこの曲。 どうしても思い入れが大きくなってしまう。
あれから35年、果たして当時のような声が出るんだろうか・・というのは危惧したくなってしまうが、杞憂だった。
それどころか、キーが当時のまんま。 いや、この曲だけでなく、この日のセットリストで歌った曲はすべて、オリジナルキーのまんま。 これは、ちょっとビックリしましたね。
35年も経てば、普通、キーも下がるもんですぜ。 もっとも、そこにがっかり感を感じてしまったりするんだけども。。。

「卒業」につづき、3rdシングル「初戀」、4thシングル「情熱」と、先日お亡くなりになった筒美京平3部作。
「情熱」が主題歌となった、初主演映画「雪の断章-情熱-」で監督の相米慎二氏にしごかれた事、ゴミのように扱われた話に花が咲く。
それ以上にやはり、斉藤由貴さんにとってもデビュー時の筒美作品には思い入れが強いんだろうか。 筒美さんの曲を歌う時は今でも緊張してしまう。力が入ってしまうとのコメント。

この時、デビュー曲の「卒業」を筒美京平さんが作曲した時のデモテープを当時のレコーディングディレクターだった長岡和弘氏がもっていたということで、このデモテープを会場に流す。

昨年、編曲家の船山基紀氏のトークライブの際にも話が出た、クリック音に続いて始まる打ち込みベースのデモテープのクオリティの高さにビックリ。リズム体もすでに出来上がっているし。
何と言っても、学校のチャイム音を模した、あのイントロ出だしのあのフレーズが、筒美さんのデモの段階ですでにあったんだ・・というのが驚きでした。

まあ、このことは「ニッポンの編曲家」と言う本でもアレンジャーの武部聡志氏も薄く語っているし、16日のテレビ朝日「関ジャム」の「筒美京平特集」で武部氏本人からも直に証言があったんで、見た方も多いと思うけど、実際のデモテープが聴けたのはライブに行った人の特権でしたね。
この部分だけでも10,000円のライブ代の価値があったなぁ。 少なくとも私にとっては。

でも、思うにそうやって筒美氏自ら完成度の高いデモを作って、当時目をかけた若手アレンジャーを育ててたのかもなぁ・・と思いましたね。武部氏も「卒業」当時はまだまだ駆け出しでしたからね。


筒美京平氏のコーナーに続いてては、谷山浩子さんの作詞曲コーナー。
筒美さんの曲から解放され、ここから自由にできると語る由貴さん。

小ネタを含めた「土曜日のタマネギ」。なるほど開放感がでてきた。 そしてシングルとなった「MAY」。 うん、私にとっての1986年だ。 このイメージ。
斉藤さんがよくやってたポニーテール姿によく似てたあの子を好きだった1986年。
あの頃のイメージ「土曜日のタマネギ」とか「MAY」で歌われているイメージそのものだ。

どうでもいいけど、「MAY」のテレビバージョンは、なぜに2番から始まるんだろう? なんてくだらないことを考えてしまうけど、さすがにこの話までは出てきませんでしたね。

そして、最後は「数少ないアップテンポ」の曲です。というMCを挟さみ、「砂の城」をはじめとしたアップチューンコーナーで締め。

アンコールを含め17曲のセットリストは、サザンの20数曲、3時間越えのライブを体験している身からするとちょっと、物足りなさもあったりするけど、リアルライブの「リハビリ」と考えると、丁度良かったかもしれない。

ただ、心残りだったのは、確かに「シングル」中心のセットリストではあったけど、「白い炎」、「青空のかけら」が聴けなかったこと。

この日のゲストコーナーは上白石萌歌だったけど、前日が武部聡志氏、初日が「白い炎」を作詞した、森雪之丞氏と、3日間とも違うゲストだったんですよね。もしかすると「白い炎」は初日、森雪之丞氏がゲストの時やったのかもしれないけど。。。
それと、↑で書いた筒美京平さんのデモテープも、3日間とも違った曲を披露したみたいで。
そんな感じで、3日間で異なる演出の部分あったみたいで、斉藤さんMCが大変だったみたいですね。
訳が分かんなくなったところがあったのか、ところどころMCに詰まったところがあったりして。。。

それを差し置いても「青空のかけら」は個人的には聴きたかったですねぇ。 タップダンスを踏む斉藤さんなんて一番斉藤さんらしくないけど、曲は斉藤さんらしくて、個人的には好きだったんだよなぁ。

そんな残念な部分はありましたが、総括するとアットホームなライブでしたわ。
80年代アイドルの今の姿を体験するライブも悪くない。 そう思えるライブでしたね。



斉藤由貴35th anniversary concert THANKSGIVING 11月14日セットリスト

〜朗読〜
1. 卒業    (1985年 1st シングル)
2.あなたの声を聞いた夜  (1986年 3rdアルバム「チャイム」より)
3.初戀   (1985年 3rd シングル) 
4.情熱   (1985年 4th シングル)
5.土曜日のタマネギ  (1986年 6th シングル ※12インチシングル)
6.Doll House  (1989年 8thアルバム「age」より)
7.MAY  (1986年 8th シングル)
8.少女時代(with  上白石萌歌)    (1988年 6thアルバム「PANT」より)
9.ナラタージュ(上白石萌歌)
10.なぜ  (1994年 14thシングル)
11.AXIA〜かなしいことり〜  (1985年 1stアルバム「AXIA」より)
12.予感  (1986年 3rdアルバム「チャイム」より)
13.砂の城  (1987年 9thシングル)
14.悲しみよこんにちは  (1986年 5thシングル)
15.夢の中へ  (1989年 12thシングル)

アンコール
1.Moon Waltz〜月の輪舞〜  (1991年 10thアルバム「LOVE」より)
2.THANKS!   (1988年 6thアルバム「PANT」より)



甘い生活 / 野口五郎

1974_11_甘い生活_野口五郎


今回の1曲セレクトは、「甘い生活」野口五郎です。

まずはデータです。

・タイトル    甘い生活
・アーティスト  野口五郎
・作詞      山上路夫
・作曲      筒美京平
・編曲      筒美京平
・リリース日   1974年10月20日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   49.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年11月4日〜1975年1月20日付

筒美京平氏が亡くなって1か月余り。
ヒット曲を聴き始めて42年が過ぎた私にとっても、切っても切り離せない存在だっただけに、やっぱりデカい出来事でしたね。
そういう影響もあってか、ここ1か月余り1曲セレクトがなかなか書けない状況にあったんですが、引きずってばかりいてもいけない・・・と徐々に思えるようになり、ようやっと筆を上げる気分になりました。

そうは言っても、今回はやっぱり、筒美京平氏の曲で行きたいわけで、この曲を引っ張ってきました。

野口五郎 「甘い生活」。

テレビの筒美氏追悼番組を見ていると、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」、ジュディ・オングさんの「魅せられて」・・といった。筒美氏の代表曲ばかり扱われていたようで、この曲なんかはついぞ出てこなかったような気がするけど。。。

それでも、オリコン1位を獲得したれっきとした大ヒットなんだよね。

いや、そればかりではなく、野口五郎氏の初のオリコン1位獲得曲であり、しかも、野口五郎氏のシングルの中で最高売り上げを記録した曲でもある。

そう書くと、今となっては意外かもしれないな。

野口五郎氏といったら、どうしても「私鉄沿線」が最も「売れた」曲のような印象が強い。
「懐かし番組」で野口五郎氏の曲として取り上げられるのも、大体が「私鉄沿線」だしな。

確かに「私鉄沿線」もオリコン1位を獲得してはいるものの、売り上げ枚数はこの甘い生活よりも4万枚ほど少ない45.3万枚にとどまっている。

つまりさ、野口五郎氏は50万枚ヒットを出せなかったんだよね。

同じ新御三家として、西城秀樹氏も郷ひろみ氏もクリアした50万枚の壁を唯一クリアできなかったわけだ。

「50万枚の壁」。 これについてもいつか書いたんだけども、70年代アイドルにとって、売り上げ50万枚っていうのは壁だったんだよね。
郷ひろみ氏も50万枚の壁をクリアしたと言っても、70年代で50万枚を突破したのは、この「甘い生活」と同時期に大ヒットした「よろしく哀愁」だけだ。しかも50.6万枚とギリギリのクリア。
いや、西城秀樹氏も79年の「YOUNG MAN」が出るまでは、50万クリアは「激しい恋」の1曲だけだった。
新御三家に対して、中3トリオの森昌子さんはデビュー曲の「せんせい」、桜田淳子さんは、「甘い生活」と同時期にリリースした「はじめての出来事」、ともに1曲のみが50万枚クリアしている。

つまりあの時代アイドルにとって、売り上げ50万枚っていうのはとてつもなく大きな壁だったわけだ。

そういう意味では、50万枚を5枚出している山口百恵さんの偉大さが際立つし、逆に新御三家、中3トリオの中で唯一、50万枚をクリアできなかった野口五郎氏は無念だったろうな・・なんて思えたりするんだけど。

ただ、こうしてみると、1974年の今頃から明けて1975年の冬にかけて、

・郷ひろみ「よろしく哀愁」
・野口五郎「甘い生活」
・山口百恵 「冬の色」
・桜田淳子 「はじめての出来事」

と、続けざまにオリコン首位を獲得し、併せてすべて売り上げ50万枚前後を記録していたわけで、今から考えると、新御三家、中3トリオ共に全盛期だったんだよね。

そんな新御三家全盛の1974年〜1975年にかけて新御三家の中で売り上げ的に一番安定した居たのが
実は野口五郎氏だったりするんだよね。
この「甘い生活」を皮切りに、5作連続でオリコン2位以上を獲得してたりする。

ベストテン世代で、「ザ・ベストテン」でともに1位を獲得した郷ひろみ、西城秀樹氏を見てきた私なんかは、いまひとつイメージがわかないんだけど、実はそうだったんだよね。

「甘い生活」。

いわいるフォークソングでいう「四畳半フォーク」的な、いかにもしみったれた、心の隅の一場面を切り取ったような、いかにもミニマムな世界観の詞の世界を、大げさすぎるほどのドラマティックな曲調で歌う。
いかにも1974年と言う時代を写し取っているような曲だよなぁ。

この曲と全く同じよう曲想であった、布施明氏の「積木の部屋」も同じ1974年の大ヒットだったし。

ただ違ったのは、筒美氏の曲調だったろうな。 「積木の部屋」は、もっとフォークに近かった。

けど、この「甘い生活」は、もろカンツォーネ的だった。 いやヨーロッパ的と言った方がいいかな。

でも、ヨーロッパ風曲調は、この時代のいわいる、ポップス系ヒットの一つの流行りだったんだよね。
73年の「魅せられた夜」に始まる、ジュリーのいわいるフランス系の一連のヒットでもそれは顕著だったし、同じ74年のヒットとしてヒデキの「傷だらけのローラ」にしてもそうだったわけじゃん。

そういう時代の流れを的確につかみ取り、四畳半フォーク的な日本人特有なしみったれた心情とうまく融合させた筒美氏の技が光る1曲だと思うなぁ。

この頃5歳で、物心つき始めたころの私にとっても、この時代の曲調って記憶の根底に残ってるしさ、だからなのか、ヨーロッパ系の曲調って懐かしさがこみ上げるんだよなぁ。
アメリカンなサウンドよりも、ヨーロッパ系、特にフランス系、イタリア系、北欧系のメロディラインであったり、サウンドは、個人的にはやっぱ好きなんだよね。

ま、もっとも、この次の年の1975年にポールモーリアっていう、もろヨーロッパ系の人に心酔しちゃったからねぇ。

そんなこともあってか、個人的にもこの「甘い生活」って曲は懐かしさがこみ上げたりするんだよなぁ。
もちろん、5歳だったんで意識して聴いてたわけじゃないんだけど。




1974年「第16回日本レコード大賞」作曲賞を受賞した熱唱の場面ですわ。
筒美京平氏自ら指揮を執ったという、昨今話題になった動画ですね。
当時、マスコミやテレビには一切出なかったいう筒美氏の超貴重な一場面ではないでしょうか。

野口五郎氏のブログによると、歌唱賞候補に落選、ただ筒美氏がこの曲で作曲賞を受賞という知らせを聞いたとき、スタッフからは出演するのを辞退しようという話が出たとか。

でも、筒美先生が受賞したんだから僕出ます・・と。

で、元々出演の予定がなかった京平先生が突如「五郎ちゃんが出るなら僕も出て指揮するよ!」とリハーサル無し、ぶっつけ本番で指揮をしてくれたのが、この時だったとか。


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