かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

2020年09月

Dance With You / TUBE

1987_09_Dance With You_チューブ


今回の1曲セレクトは、「Dance With You」TUBEです。

まずはデータから。

・タイトル    Dance With You
・アーティスト       TUBE
・作詞      亜蘭知子
・作曲      栗林誠一郎
・編曲      長戸大幸
・リリース日   1987年8月26日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   11.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1987年9月14日〜10月12日付

昨日、夏の終わりを感じさせる曲ということで、C-C-Bの「不自然な君が好き」を書いたんだけども、本当は、今日引っ張ってきた、この曲が本命だったのね。

TUBE 「Dance With You」

正確には「夏の終わりを感じさせる」というよりも、「秋を感じる」というほうが正しいんだけども。

なぜにこの曲が「秋を感じさせる」のか・・と言ったら、やっぱり、ザ・ベストテンでの黒柳さんの「秋でも売れるチューブになってよかったですね」っていうコメントに尽きますね。

前年の「シーズン・イン・ザ・サン」のブレイク以来、「チューブ=夏」っていうイメージが定着して・・・うんにゃ、んな生易しいもんじゃなく、夏以外は活動してないようなイメージになっちゃったじゃん。

まあ、現実に前年の86年については冬はシングルリリースしてなかったしな。 いや、正確に言えば
9月に「ビコーズ アイ ラブ ユー」っていうバラードをリリースしてたんだけども、ベストテン入りできずに、今一つ不発だったために、一層「チューブ=夏」っていうイメージが強くなっちゃったんだよね。

そんなわけで、翌87年は、秋にリリースしたこの「Dance With You」も、めでたくベストテン入りし、件の黒柳さんのコメントに繋がったんだろうね。

たださ、やっぱり、私的には勘違いしてたんだよなぁ。 

「秋でも売れるチューブ」ということで、やっぱり9月リリースの10月のヒット曲とずっと思いこんでたんだよなぁ。

そしたら、実際はリリースが1987年8月26日の、9月のヒットだったんだよね。

うーん、そうだったかなぁ。 やっぱり昨日書いたC-C-Bの「不自然な君が好き」同様、この曲と言ったら、スズムシの鳴き声っていうイメージが強いんだけどねぇ。。。

そそそ、当時、この時期になると毎年、おふくろがどこかからか貰ってきて飼ってたスズムシ。

その証拠に、ベストテンから録音したカセットの後ろにスズムシの鳴き声も入ってたんだけどなぁ。。

いや、あれは、徳永英明の「輝きながら」だったかなぁ・・・・。

ただ、今、この曲のベストテン入り期間を改めて調べたら、確かにランクインしてきたのは、1987年9月14日と、丁度33年前の今頃だったわけだけど、それから1か月間ランクインしてたわけで、やっぱり10月までベストテン入りしてたんだよな。

恐らく、ワタシの中では、そんなベストテン入り終盤の頃の記憶が残っていたのかもしれないな。

昨日のC-C-B「不自然な君が好き」はニューウェーブっぽくて、当時は引っかからなかったと書いたんだけども、この「Dance With You」は好きだったな。

まさか、TUBEがこんなダンサブルなポップチューンをやってくるとは思っても見なかったし、これがダンスナンバーが合うんですわ。

デビュー曲からそうだったけど、この人たちはもっと土臭い曲の方があってるようなイメージだったんだけどね。

その証拠に、前年秋にリリースした「ビコーズ アイ ラブ ユー」は、いわいるシティポップっぽいバラードだったじゃん。どこかオメガトライブを意識したかのような。
だからあんまり売れなかったのか・・とも思えちゃったりするし、 そうなるとやっぱり土臭い、どこかダサい曲の方がこの人たちには合ってるのか・・ともますます思えたりしてたんだよね。

そこにきて、このダンスチューン。 でも、予想に反してこの人たちにもあってたんだよなぁ。

やっぱり、オメガトライブになり過ぎてなかったのがよかったんだろうな。 つまりダンスチューントイッテもシティポップにより過ぎなかったところかよかったんではないかってこと。

作詞 亜蘭知子  アレンジ 長戸大幸 っていうのは、「ビコーズ アイ ラブ ユー」と同じ布陣だけど、勉強したんだろうね。 同じ轍は踏まないってところは、さすがはビーイングの中心メンバーというところですかねぇ。

ただですよ・・・。オリコン最高位は前曲の「サマードリーム」と同じ3位まで行ったものの、売り上げが半減なんだよなぁ。
うーむ、このあたりがちょっと個人的には納得しがたいんですけどねぇ。。。。

秋でも、ベストテン入り、売れてよかった・・というても、やっぱりTUBEは「夏」っていうイメージが俄然強いって事だったんだろうね。




「ザ・ベストテン」の初登場の時のだ。
うーん、スタジオで歌った時があったんだな。 どうも、この曲って野外で歌っているイメージが強かったんでね、ちょっとこれは意外だった。
しかも、キーが半音低いよな。 だからなのかレコードで聴いたときのスピード感、独独のドライブ感も今一つですねぇ。

それでも高々2分半のワンハーフ(TV用)でも、ここまで生演奏でノせてくれるとはね。メンバー一人一人は、まだまだみんな若かったけどテクニックはあったんだよね。
さすがはビーイング系というべきですかね。


関係ないけど動画の冒頭は、年末にジャニーズ退所を発表した少年隊のニッキ。「君だけに」でランクインしてた時ですね。


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不自然な君が好き / C-C-B

1986_09_不自然な君が好き_C-C-B


今回の1曲セレクトは、「不自然な君が好き」C-C-Bです。

まずはデータなのだ

・タイトル    不自然な君が好き
・アーティスト  C-C-B
・作詞      松本隆
・作曲      関口誠人
・編曲      大谷和夫 C-C-B
・リリース日   1986年8月27日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   14.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1986年9月8日〜10月20日付

涼しくなってくると、脳裏をかすめる曲がある。 うん、1曲や2曲ではないですね。 各年にそんな曲があるからもう何十曲もあるわけで。 それらの曲を聴いただけで、それぞれの年の夏の終わりの風景がフラッシュバックするな。同じ夏の終わりでも、それぞれの年によって風景が変わるからねぇ。

まあ、これも年を重ねてきたせい・・・いやいや、これは年を重ねなきゃ味わえない風景ですな。

今回は、そんな夏の終わり、うん、1986年の夏の終わりを感じさせてくれる1曲を引っ張ってきますか。

C-C-B   「不自然な君が好き」。

まあ、夏の終わりを感じると言っても、当時、この曲を好んで聴いていたわけでもないんだけどね。
むしろ、あんまり聴いてなかったんじゃないのかなぁ。

あの当時、毎年今頃になると決まっておふくろがどこかからスズムシをもらってきて水槽で飼ってたんですよ。これが夜になると一斉に鳴きだしてさ。秋を感じたものですよ。

いつだったか詳しい日時は覚えてないけど、たしか「ベストテン」でこの曲が流れてた時、件のスズムシが一斉に鳴きだしてさ、一気にシミジミとした気分になったのを未だに覚えてるんだよね。

その記憶のせいなのかなぁ、この曲を聴くと夏の終わり〜秋を感じるのは。

いや、正確に言えば夏の終わりじゃないんだよね。時期的にもう少し秋が深まってたような記憶があったんだんだけどね。

逆に言えば、この曲が9月の今頃のヒットだったとは思ってなかったんだよね。10月のヒットだったような・・・って記憶してたんだけど。。。

あ、いや、でもベストテンランクイン期間をみるとあながち間違ってもいないのか。。。

C-C-Bという、一時代を築いたバンドの曲なのに、今まで1曲セレクトで残っていたのは、やっぱり、当時、個人的にあんまり引っかからなかったというのが大きいな。


この曲、ブレイク後初めて筒美京平氏から離れ、メンバーの関口氏が作曲。
だから、どうしてもメロディに戸惑うんだよね。特にAメロのメロディラインの流れは尖ってるし、それでいて無機的でね。当時は違和感いっぱいだったなぁ。

この頃になると、特にバンド系の曲ってエッジが効いた無機質なサウンドが増えたんだよね。
いわいるニューウエイブ系な音。 簡単に言えば80年代以降の洋楽、特に当時のブリティッシュ系っぽい音っていうのかなぁ。

当時、個人的にはこれが生理的にダメでね。ま、それもあって当時ヒット曲から意識的に距離を置いてたんだよね。 
ニューウェイヴ系なロックサウンドばかりじゃなく、おニャン子一辺倒な状況に加えて、急激にオタク的マニアック化したアイドル系にも辟易して、86年のちょうど今頃からヒット曲そのものに距離を置いてたわけなのよね。

もちろん、当時オリコンは定期購読してたし、ベストテンも毎週見てたんたんで、完全に距離を置いてたというわけではないけど。

まあ、オリコンもベストテンもこの頃「惰性」で見てたんだけどね。 ベストテンは毎週ランクを記録してたのもあって、やめるにやめられない状態だったし。
そそそ、歌を聴くというよりもランクを記録するのが一番の目的になってたのよ。。。  
だからね、この当時以降、ベストテンでの実際の歌の場面ってほとんど覚えてないんですよ、ワタシ。

歌の場面になると、オリコンの記事やランキング、あと、明星の歌本読んでたりして、テレビほとんど見てなかったんで。。。


 ニューウェーヴ系には引っかからなかったけど、この「不自然な君が好き」と同時期にベストテン入りしてたアルフィーの「ROCKDOM〜風に吹かれて〜」って曲には引っかかったんだよな。
曲そのものというよりも、歌詞の内容に。
いや、それ以前にこの曲で歌われていた1969年、新左翼運動、学園紛争、ロックアウトっていう、ちょうど私が生まれた当時の世相に。

恰も、当時17歳になったばかりのワタシには、私はいったい何者なのだ? っていうアイデンティティも生まれて来ていたのかもしれない。
それと、アルフィーの「ROCKDOM〜風に吹かれて〜」で歌われていた、ワタシが生まれた時代という世界観が丁度リンクして引っかかったのかもしれないけど。

丁度この年の10月からTBS系で「テレビ探偵団」が始まったりして、時代を回顧すること自体が流行りのようになってきたようなところもあった。
 そんな機運にのっかったというのもおかしいけど、いずれにしろ個人的に1960年代っていう時代に傾倒してたんだよね。

もちろんヒット曲への興味も時代をさかのぼり始めたわけで、東京・蒲田の中古専門店「えとせとらレコード」に足しげく通いだしたのもこの頃だったと思う。
そんな流れの中で音楽に関してはG.Sが見直されて来ていて、ちょっとしたブームになってたんですよこの頃。いわいる「ガレージ」なサウンドだよね。 
個人的には80年代のニューウェーブな音よりも、60年代のガレージのほうが生理的に合ったんだよなぁ。
どこか不良っぽいし、なにより夜に向かった音じゃん、ガレージなサウンドって。
この間のゴールデン・カップスでも書いたように、酒とタバコと・・・っていう夜の匂いと不良な音楽が個人的に音楽の記憶の原点だったりするんでさ。 そこにはガレージなサウンドがあったんだろうね。だからさ、初めて意識してG.Sを聴いたときは「これだ」と思ったのよ。これが私の原点だと。
生理的に嵌ったのも当然だったかもしれないな。
そんなわけで、最新ヒットについては、すっかり疎かになっていましたね、この頃。

1986年の後半、特に今頃で一番記憶にあるのはそんな時代の流れなんだよね。


あ、話がかなりずれたな。。。。メンゴ 




件の「ザ・ベストテン」。
この時も絶対に見てた(ハズ)なんだけども、↑のように理由で、今動画を見ても全く記憶になかったですわ。。。。
この曲、ベストテンでは一度「中継」で歌ったことがあったと思うんだけど、その時の記憶はあるんだけどなぁ。

たださ、当時、聴き込んでなかったこともあり、今聴くと結構新鮮だったりしますね。
例えば「Romanticが止まらない」なんてのは、「懐かし番組」ぢゃ未だに頻繁に流れるし、だから新鮮味は感じないけど、この曲なんか、いまとなっちゃまず流れないしな。その分、新鮮なんだよね。

当時、あれだけ嫌だった、ニューウェーヴ系の音も、今は全く違和感なく聴けるしね。


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愛する君に / ザ・ゴールデン・カップス

1968_09_愛する君に_ザ・ゴールデンカップス


今回の1曲セレクトは、「愛する君に」ザ・ゴールデン・カップスです。

まずはデータです。

・タイトル    愛する君に
・アーティスト  ザ・ゴールデン・カップス
・作詞      なかにし礼
・作曲      鈴木邦彦
・編曲      村井邦彦
・リリース日   1968年9月1日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 13位
・売上げ枚数   14.8万枚

先週のことになりますが、元ザ・ゴールデン・カップスのマモル・マヌー氏が亡くなってしまいましたね。
G.S全盛期の実力派R&Bバンド、ゴールデンカップスのドラマーとしてドラムをたたきながらのボーカルがトレードマークだったですね。このところは長いこと体調を崩しドラムも叩かなくなっていましたが。。。
もちろん、ワタシが生まれたころ絶頂だったわけで、現役バリバリの頃は知る由もないですが、2004年、カップスの自伝的映画「ゴールデンカップス・ワン・モア・タイム」完成記念で渋谷公会堂で行われたライブ。
このライブで、カップスの生演奏に触れることができたのが、個人的には唯一の救いかなぁ。
たしか、あの時はマモル氏もドラムを叩いていたような気がするが。。。
あの後、何年も経たないうちにメインボーカルのデイブ平尾氏も亡くなってしまいましたしね。。。
最大のヒット曲「長い髪の少女」。 こんな歌謡曲歌うのヤダ・・とメインボーカルを固辞したデイブ氏の代わりにメインボーカルを張ったマモル氏。71歳での死去は若すぎましたよ。

そういうことで、今回の1曲セレクトは、カップスのこの曲をチョイス。

「愛する君に」

この曲は、「長い髪の少女」の次のシングル。
↑で書いたように「長い髪の少女」は、もろ歌謡曲色の強い1曲。
でも、もともとカップスは、日本のバンドでありながら唯一外国のバンドであると言われたくらい、洋楽オンリー。しかもテクニックも他の日本のバンドに抜きんでていたという程の本格R&Bバンド。
それいえに、本来のこの人たちの持ち味との乖離はデカかったわけで。

確かに歌謡曲寄りにしたことで、認知は全国区となり一般的なファンは急増した。
ただ、それまでのカップスを支持していた、R&B志向が強いコアなファンからは懐疑的な意見が続出したんですよね。

そんな一般的なファンと、コアなファンとのギャップを埋めるべく、リリースされた曲が、この「愛する君に」だったんじゃないのかと思う。

・・・・「思う」って信憑性が低いな・・なんて思われてしまうかもしれないけど、如何せん、ワタシ、この曲がリリースされた時点では、まだ生まれていないんで、実際的なところがよくわからないもので。。。

ただ、これを書くにあたって、先ほど家にある映画「ゴールデンカップス・ワン・モア・タイム」を見直したんだけど、内田裕也氏、忌野清志郎氏、鈴木ヒロミツ氏・・などカップスを愛し、尊敬する名だたるロック・ミュージシャンの方たちも、この「愛する君に」は許せると証言している。

ネットを見ていても、先日のマモル・マヌー氏の死去の書き込みをされている方が数多く居られましたが、「長い髪の少女」よりも「愛する君に」を推している方の方が多いんですよね。

このことからも、1968年のヒット当時も、この「愛する君に」によって、「長い髪の少女」で生まれたギャップっていうのは、解消したんじゃないかとは思えてくるんですよね。

実際この「愛する君に」は、「長い髪の少女」と打って変わって、洋楽的な匂いが強い。

ま、確かに、本来カップスが演ってきていた向こうのR&Bには、まだまだ遠くはあるけど、1968年という時代を考えると、この程度が先端だったんじゃないかと思えますね。

個人的には、洋楽的というよりも、どことなくマカロニウエスタン的に聴こえちゃったりもするんだけど。。。 
イントロとか、チャールズ・ブロンソンが出演してたマンダムCMの「男の世界」っぽく聴こえちゃったり、ヒデとロザンナっぽく聴こえり。。。。

でも、ヒデとロザンナは別にして、「男の世界」は洋楽か。。。。そうなるとやっぱり向こうの曲っぽいと言えるんだよな。

この曲も、「長い髪の少女」に続いて鈴木邦彦氏の作曲ではあるんだけど、アレンジが村井邦彦氏に代わっているんですよね。

村井邦彦氏。 この後アルファミュージックを設立し、ユーミンや赤い鳥などのアーティストを発掘する、作曲家、音楽プロデューサーですわ。
洋画の映画音楽をベースに、洋楽的センスに長けていた村井氏がアレンジしたことによって、歌謡曲的なメロディラインを残しつつも、より洋楽的なサウンドに仕上がったんでしょうね。

いずれにしても「歌謡曲なんて歌えねぇ」と「長い髪の少女」ではメインボーカルを突っぱねて歌わなかったデイブ平尾氏、この曲ではボーカルに復帰しているところから見ても、洋楽的な妥協点をクリアしていたんだろうな。

ちなみに、オリコン最高位は、「長い髪の少女」が14位だったのに対して、この曲は13位。 売り上げ枚数は届かなかったけど、グループのシングル最高位を記録したのはこの曲だったりするんだよね。



東京12チャンネルで当時放送されていた「ジャポップス・トップ10」(日曜19時30分〜20時)という番組のVTRらしいです。
よく保存していた方がいらっしゃったな・・と感心するばかりですが。。。
ちなみに、映画「ゴールデンカップス・ワン・モア・タイム」でも、このVTRが使用されています。

マモル・マヌー氏が亡くなって、この動画へのコメントもすごいことになっていますね。。。

この時のメンバーは、Vo デイブ平尾、G エディ潘、B ルイズルイス加部、Dr マモル・マヌー、Key ミッキー吉野。
オリジナルメンバーの、ケネス伊東氏は抜けていましたが、代わりにキーボードにミッキー吉野氏が加入していたころですね。
ミッキー吉野氏は、いわずとしれた後年のゴダイゴのキーボーディストですわ(なんてわざわざ書かなくても分かるか)

Aメロでのデイブ平尾氏のボーカルに加えて、サビからドラムのマモル・マヌー氏のボーカルにチェンジ、ここにエディ潘氏のサイドボーカルが絡んでくるという強力なボーカル体制でしたね。

画面を見ても変わるように当時のマモル・マヌー氏、イケメンなんですよね。 デイブ平尾氏曰く、68年当時最強のイケメンだったということで横浜、湘南地区では知らない人がいなかったとか。

でも、ミッキー吉野氏曰く、めちゃくちゃ「不良」。あんなに悪さしてたやつはいないというほど、かなりのやんちゃ者だったようです。

そもそも、カップスのメンバー全員、当時の本牧地区では曰く付きのやんちゃ者が集まったグループでしたからね。
当時の本牧地区は、まだ大半が米兵居住地区であり、金網を一つ隔てれば「アメリカ」という環境。
それいえに常にトラブルや喧嘩が絶えない場所だったわけですわ。 そんなところで曰く付きの不良だったってわけで、半端なワルじゃなかったんですよね。

そういう不良なことは私には絶対できないけど、どこか憧れはあるんですよね。
そもそも、ワタシの死んだ父親も母親も、若い頃はそこそこのヤンチャしてたようで、ワタシがまだ幼稚園とか小学校に入るか入らないかの頃、夜な夜なスナックによく連れてかれていたんだよね。
酒の匂いとそれとコーヒーの香りとタバコの煙が充満しているような・・・。
あの独特な不良な匂いと、煮えたぎったような熱気、そんな光景がいまだに脳裏残ってるし。
だから、G.Sの中でもそういう匂いの特に強いカップスにはついつい惹かれちゃうんところがあるんだよね。


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ねじれたハートで / 桃井かおり 来生たかお

1982_09_ねじれたハートで_桃井かおり 来生たかお


今回の1曲セレクトは、「ねじれたハートで」桃井かおり 来生たかおです。

まずはデータです。

・タイトル    ねじれたハートで
・アーティスト  桃井かおり 来生たかお
・作詞      来生えつこ
・作曲      来生たかお
・編曲      星勝
・リリース日   1982年7月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 13位
・売上げ枚数   16.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位

いやいや、久々の「1曲セレクトですわ」。書き方忘れてしまっていそうですねぇ。
ここの所、リアル仕事が詰まっていて、週末も「自主的」に仕事しててなかなか1曲セレクトを書く時間がなかったわけなんですが。 たまたま今週末は時間が空いたんで、久々にPCに向かってたりします。

食べ物でもそうなんだけど、子供の頃は嫌いだったけども、大人になるとおいしく感じる食べ物ってありますよね。
音楽も同じなんだよなぁ。
子供の頃嫌いだった曲でも、大人になるとなぜか受け入れられる曲ってありますよね。 まあ、演歌の世界なんてのはそういう曲が多いかな。
この世に生を受けてから数十年。紆余曲折しているうちに、好みの音楽も変わってくるってやつですかねぇ。

今回引っ張ってきた曲も、そんな1曲ですね。

桃井かおり 来生たかお 「ねじれたハートで」

この曲、子供の頃(と言ってもヒット当時、すでに中学1年になっていましたが)、どうもキライだったのね。キライというか、生理的に受け付けたくなかった・・というか。

今考えると、どうしてだったんだろう? なんて首をひねりたくなったりもするんだけど。。。

あの頃、大人の世界に反感があったんですよ。 まあ、反抗期ってやつですね。
小学生の低学年の頃、あんなに早く大人になりたいなんて大人の世界に憧れがあったのがウソみたいに嫌だったんだよな、あの頃。

1982年夏。 ここでは、もう何度も書いてるけど、それまで住んでいた福島から千葉に越してきたという大きな環境変化があったころですわ。
親父が勤めていた会社の寮暮らしという、急に周りが大人ばかりの環境に放り込まれたというのが大きかったのかもしれない。

兎に角、一時、大人の世界が煙たくてしょうがなかった時期があった。

転校生という事ですぐには友達も出来ず、千葉の生活にもなじめず、水も合わずずっとおなかの調子も悪い・・1982年の夏。

そんなイライラもたまっていたのもあるんだろうな。兎に角、このころ、大人の世界が煙たくてしょうがなかったんだよな。

そんな中、流れてきた、4ビートのジャジーな調べが、この「ねじれたハートで」だった。
4ビートのジャジーな曲は、詞の内容からして大人の世界そのものだった。

鬱陶しかったかったんだよな。 この曲が醸し出す大人の世界観が。

そんな個人的感情とはウラハラに、この曲はヒットし、ラジオのヒットチャートを含め頻繁にかかるようになったのが、38年前の丁度今頃だったと思う。

来生たかおさんがキライだったわけじゃないんだよね。この年の年頭に大ヒットした「夢の途中」なんて大好きだったし。 
デュエット相手の桃井かおりさんは、大人の女の色気ムンムンで、当時13歳の私にはちょっと近寄り難い雰囲気ではあったけど。

でもまあ、アダルトと言っても、今の私の年齢から見ると、当時の2人は全然年下なんですけどね。

ちなみに、当時、来生たかお氏 桃井かおりさん 共に31歳。
いやー、あの時の私からは、もっともっとアダルトに見えましたけどねぇ。。。。。

プロデュースは、CBSソニーの酒井政利氏。
 
たださ、キライキライというても、今から思うと本心からではなかったんだと思う。 
うん、どっか引っかかってはいたんだよね。

結局さ、今から思うと大人の世界を拒否したかっただけなんだよ。曲に罪はなかったんだよ。

これは、ちょうど同じ時期に同じようにヒットしていた、五木ひろし氏の「契り」にも同じような感情を覚えてたなんだよね。やっぱり、アダルトな路線を拒否したかったという一時の感情だったんだと思う。


それにしても、来生たかお氏の実姉の来生えつこさんの詞っていうのは、ホント性的だよね。
この曲のちょっと前に大ヒットした大橋純子さんの「シルエットロマンス」の「モロ」性行為ってところから見ると、この曲はまだマシではあるけど。
男と女の色恋物語であることは違いないわけで。。

まあ、当時13歳だったワタシは、まだ「性」に目覚め切っていなかったころだったけど、もう少し後に、この曲なんてヒットしてたら、この曲だけでご飯2杯くらい食えたかもなぁ 

え? エロ話のことですよ。。。。

いまは、こういう性的な色気があるヒット曲って、ホント少なくなっちゃったですからね。
最近のヒット曲に魅力が少なくなったと感じるのは、やっぱりこの部分−エロエロ−を感じる曲が少なくなったからなんだろうな。


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