かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

2016年10月

とんぼ / 長渕剛

1988_10_とんぼ_長渕剛


今回の1曲セレクトは、「とんぼ」長渕剛です。

まずはデータです。

・タイトル     とんぼ
・アーティスト   長渕剛
・作詞       長渕剛
・作曲       長渕剛
・編曲       瀬尾一三 長渕剛
・リリース日    1988年10月26日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  103.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1988年11月7日〜1989年2月20日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「とんぼ」主題歌

うーむ、最近ちょこっと年代が偏ってるかなぁ・・・と思いつつ、またまた1988年の曲を持ってまいりました。
本来、年代関係なく幅広く書いていきたい・・・とは思っているものの、結局は自分が「一番」真剣に音楽を聴いていた80年代が一番多くなってしまっるんだけどさ。

ただ、その中でも80年代終盤って、実は、意外とまだ書いてない曲があるんだよね。

ま、個人的な環境もあって、80年代終盤は、音楽を聴くペースが、それまでよりは下がっていたっていうのが大きいかもしれない。だから振り返ってみても「いの一番」には浮かんでこないんだよね。

だから、こんな大ヒット曲も残っていたりする。

長渕剛「とんぼ」。

アナログレコードからCDへの移行に伴って、レコード売り上げが低迷していた80年代終盤にあって、83年の細川たかし「矢切りの渡し」以来、5年ぶりでミリオンセラーを記録したこの曲なのにねぇ。

個人的には、「オリコン」を買い始めて以来、「初めて」のミリオンがこの曲だったんだよな。
オリコンのチャート表で、累積売り上げ枚数が「6桁」になった時は感激したもんなぁ。

え? 100万枚だった7桁だろ? ・・・なんて言う方は、流石にいませんよね。

そそそ、今でこそ、オリコンも売り上げ枚数が「1枚」単位で表記してあるけど、当時は「10枚」単位だったんだよね。だから、10万枚で5桁、100万枚で6桁表記だったんですわ。

それまで、ミリオン確実といわれた、わらべの「もしも明日が」も、小林明子の「恋におちて」も、100万目前にしてランクダウンしてたからなぁ。 まあ、ぬか喜びが続いたんだよね。

だから、ワタシにとってはオリコンを買い始めてから「3度目の正直」だったわけですわ。


そんな想い出がある曲なら、当然、既に1曲セレクトを書いててもおかしくない・・・んだけど、どうも、この曲、レビューを書くって言うのが難しいんだよな。
上記のように5年ぶりで「100万枚」突破しました・・・・で、筆が止まってしまう。

だからかなぁ、今まで書いてこなかったのは。

曲としてキライだった訳じゃないんだよね。 まあ、容姿は、「ヤクザ」な長渕になって引いてたところはあったけど。

そそそ、その証拠に、この曲が収録されている、アルバム「昭和」も、レンタルじゃなくてレコード屋で買ったもんな、当時。

で、カセットに落として毎日のように聴いてたし。

うん、ヤクザだとか、なんだかんだ言っても、音楽屋としての長渕は好きだったんだよな当時。


当時、大学受験浪人で、予備校と家の往復だった毎日の、うるおいのひと時だったような気がする。

だからねえ、この曲を聴くと、未だに、あの暗くて重い浪人生活の日々が甦って来るんだよな。 

あ、今まで書かなかったのは、そのイメージが強いって言うのもあるのかもしれないな。

そんな最中に起こった、昭和天皇の崩御。

そうだ、昭和の「最晩」っていうイメージが、この曲にはあるんだよな。 
なんかさ、いろんなイメージ・・というか絵が浮かんでくるんだよな、この曲を聴くと。おろらく、それは、昭和の歴史の流れの絵かもしれない。そんなイメージがあるんだよね。

そんなところが、少なくとも「平成」の御世とのギャップを感じるんだよな。 うん、今の時代にはどうしてもしっくりこないんだよね。そんなところも今まで書いてなかった理由だったかもしれない。

あー、やっぱり、何書いてんだか分かんなくなってきた。

こういう時は、曲に行こ。


 

あ、ちなみに、この曲が主題歌だったドラマ「とんぼ」は、見てたな。全部ではなかったけど、なんか怖いもの見たさで、つい見ちゃってたような感じだったな。
最終回、長渕が殺されるシーンは壮絶だったよな。


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CATCH ME / 中山美穂

1987_10_CATCH ME_中山美穂


今回の1曲セレクトは、「CATCH ME」中山美穂です。

まずはデータです。

・タイトル    CATCH ME
・アーティスト  中山美穂
・作詞      角松敏生
・作曲      角松敏生
・編曲      角松敏生
・リリース日   1987年10月7日
・発売元     キング
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 21.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1987年10月19日〜12月7日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「おヒマなら来てよネ!」主題歌

うーむ、何日ぶりの1曲セレクトなんだ? ・・・なんて分かんなくなる位間が空いたかな。 もしかして今週初めての1曲セレクトだったかな。。。
まあ、いいや。
ともかくも、ようやっと週末。今週もなんとか乗り切った感じのワタシです。。。

・・ということで、久々の1曲セレクト、最近書いてなかったヒトをと思って、ちょこっと掘り返していたんだけど、目にとまったヒトがいまして。。。

ミポリン。。。

うーむ、この曲の曲も、今まで結構書いてきてたつもりだったんだけど、意外と、まだ「抜け」があったりするんだよな。。

丁度いいんで、こういう時に書いてこうか・・・と思いまして、引っ張って来ました。

「CATCH ME」

この曲、まだ書いてなかったんだな。。。なんかねえ、むかーし、書いてたような気がするんだけどなぁ。うーむ。
恐らくね、いろいろと引き合いには出してたんだよな。でも、改めて「CATCH ME」という曲タイトルでは書いてなかったのかもしれない。

なにせ、この曲、ミポリンにとってはレコードデビュー3年目にして、初めてオリコン1位を取った曲でしたからねぇ。。。

・・・・なんて、改めて書くと、そうか、そうだったよな・・・なんて自分でも納得したりして

デビュー2作目以降、毎曲ベストテン入りしてた訳で、だからそれまでにも何度かオリコン1位を取っていておかしくない実力はあったんだけどもねぇ。リリースタイミングに恵まれてなかったんだろうな。
デビュー11作目にして、ようやく掴んだオリコン1位だった訳ですわ。

ただね、個人的には、ちょっと納得行かなかったんだよなぁ、この曲での1位・・・ってのはさ。

やっぱりね、このヒトには、松本隆−筒美京平っていう黄金コンビラインの曲で1位を取って欲しかった。

この曲、どうもしっくり来なかったんだよな、当時は。

ま、今考えると、松本−筒美っていう黄金ラインから、新しい展開を見せるということで、角松敏生なんていう、気鋭のソングライターを起用して、ダンサブル路線っていう新たな路線を開拓しようとしたんだけどさ。

でも当時は、この路線が、このヒトに合っているのかどうか・・って言うの疑問に感じたんだよな。

・・・というか、まずもって、この曲で、歌い方が全く変わっちゃってたのに、違和感を感じたんだよな。
このヒトの歌い方ってもっとナチュラルだったのにねぇ、そのやや、舌足らずの歌い方に魅力があったと思うんだけど、この曲でははっきりとした発声に変わってたでしょ。

ま、角松敏生氏が、肝入りで、発声法を変えたらいんだけどさ、その変化に、やっぱり違和感だったんだよね。

その発声法が、ミポリン本人にとってよかったのか、悪かったのか、この曲を境に声が出なくなったのは確かだよなぁ。

もともと、このヒト、それほどノドは強い方ではなかったと思うんだよな。それまで舌足らずな発生だったのもそのせいだったと思うし。

そんなこともあって、この曲は、当時、積極的に好きになれなかったんだよな。 だから、当時、あんまり聴いてなかったんだよな、この曲。
まあ、当時、大学受験を控えてた身としてヒット曲ばっか聴いてられなかったっていうのもあるけどさ。(と言いつつ、受験に失敗したけど。。。)

今聴くと、このカチッとした硬質かつダンサブルなノリが、いかにもバブルが始まってた80年代後半の雰囲気だよなぁ・・・なんて思うけどね。




うーむ。この曲もバックバンドは、「Liberty Club」だったんだな。
そうすると、ベースは、現ドリカムの中村正人氏か
チラッと写ってるけど、ちょっとイメージが違うかな。
前曲の「50/50(フィフティフィフティ)の時は、一発で中村氏っていうのが分かったんだけどね。今とベースの弾き方が全く変わってなかったんでさ。


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これが私の生きる道 / Puffy

1996_10_これが私の生きる道_PUFFY


今回の1曲セレクトは、「これが私の生きる道」Puffyですわ。

まずはデータでーす。

・タイトル    これが私の生きる道
・アーティスト  Puffy
・作詞      奥田民生
・作曲      奥田民生
・編曲      奥田民生
・リリース日   1996年10月7日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 156.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1996年10月21日〜12月16日付
・タイアップ:資生堂「ティセラ」CM曲

今回はマクラ無しでいきなり始めますぞ。

Puffy「これが私の生きる道」

暫く「古い曲」が続いた1曲セレクトも、ようやく90年代に戻って来ましたわ。
・・・と言っても、この曲、ヒットから今年で「20年」経つんだなぁ。

いやいや、この曲あたりになると「昨日」って言う感覚なんだけどねぇ。 ホントあっという間ですわ。

ワタシも既に社会人だったし。そういえば、この曲がヒットしてた頃、今住んでる、マイホームを購入したんだわ。
27才なんて、若い時に買っちゃった、まあ中古住宅だけど、もう20年もローン払ってるんだな。

・・・と考えると、随分長かったような気がする。。。  

そんな家のローンも後10年残すのみ。払い始めの頃は、30年なんて途方も長く感じたし、なにより当時の若造のワタシにゃ、途方も無く莫大な「借財」に感じたけどな。
でも、今年、ローン残額の「桁数」が一ケタ減ってさ、ようやくゴールもうっすら見えてきたような、それとともに肩の重みもだいぶ減ってきたような気がしてる今日この頃だったりしてさ。


・・・・と、大分話がずれた。。。

Puffy「これが私の生きる道」。

うむ、Puffy、デビュー第2弾シングルですな。

デビューシングルの「アジアの純真」が、ああいう形でロングヒット、プラスいきなりのミリオンセラーなんて、願っても無く順調な滑り出しを見せた訳で、第2弾もやっぱり、「アジアの純真」第2弾で行くのか・・・と思っていたけど、ちょっと違ったテイストできたのが、新鮮だったんだよな、この曲。

まあ、・・とは言っても、完璧なほど「ビートルズ」のパクリなんだけどさ。Wikipediaでは、「オマージュ」っていう綺麗なコトバを使ってたけど、、いやいや「あからさま」だったよな、この曲は。

でもって、wikipediaでは、「デイトッリパー」へのオマージュってあるけど、それだけじゃないですよね。
確かに、ギターのリフは、「デイトリッパー」だけど、全体的な雰囲気は、「プリーズ・プリーズ・ミー」であり、「フロム・ミー・トゥ・ユー」だったりするもんな。

つまり










が、合体、ミックスされると、この曲になる・・・て訳ね。 

こういういわいる「パクリ」モノの場合、普通は後ろめたさ・・というか、恥じらいを感じたりするんだけどさ、ここまで「あからさま」にヤラレルと、逆に清々しさを感じたりしてね。。

だからなのか、「パクリ」というと、大概どこからか「クレーム」とうかいちゃもんが付いてくるもんだけど、この曲の場合不思議と、そういった「いちゃもん」は聴かなかったような気がするな。

まあ、なんかね、このある種の古臭さが、Puffyっていう脱力感アーティストに不思議とマッチしていたっていうのもある。
 それに、デビュー曲の「アジアの純真」」からの熱気が冷めやらぬタイミングでのリリースだったからねぇ、この曲の売り上げ156万枚っていうのが、Puffyにとっては最高売り上げなんだよな。
 合わせて、ワタシのチャートでは5週連続の1位なんて、やっぱりPuffyの最高記録だったしさ。「アジアの純真」に劣らない、ロングヒットだったんだよな、この曲も。

まあ、間違いなくアーティストパワーも最高潮の頃でしたよな、この曲の頃が。

ただ、ちょっと一気に盛り上がり過ぎた・・・って言うのもあって、この曲の後は、ミリオンセラーも出なくなっちゃったんだけどさ。
 まあ、それが今となっては、返って良かったのかもしれないけど。 あの後、さらにミリオンを続けていたら、その後の「息切れ」ももっとデカかったろうし、だから、今も残ってるアーティストにはならなかったろうしな。





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Heart and Soul / 浜田麻里

1988_10_Heart and Soul_浜田麻里


今回の1曲セレクトは、「Heart and Soul」浜田麻里です。

まずはデータですぅ。

・タイトル     Heart and Soul
・アーティスト   浜田麻里
・作詞       浜田麻里
・作曲       大槻啓之
・編曲       大槻啓之
・リリース日    1988年9月7日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数   15.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1988年10月31日〜11月7日付
・タイアップ:NHK「ソウルオリンピック放送」テーマ曲

ここんところ、続けて古めの曲が続いたんで、今回は80年代に戻って来ますか。

少し前、リオオリンピック開催中の時分にも書いたんだけども、今年のNHKのオリンピック放送のテーマソングは、安室奈美恵の「Hero」ってことで、この曲、未だにチャートの上位で頑張ってたりしてロングヒットになってるけどさ。
NHKのオリンピック放送のテーマ曲って、毎回好評なんだよな。
4年に一度って言う事もあるんだろうけど、アーティストにとっても「栄誉」な向きもあるしね。 まあ、なにせ「天下」のNHKに認められたって言う向きもあるしな。暮れの紅白も当確間違いなしって言う事もあるし。。。アーティスト・・・うんにゃ、「事務所」にとっては、1粒で何度もおいしい・・って訳ですわな。

だけんどね、昔からNHKのオリンピック放送で、アーティストの曲を使っていたのか・・・というと「さにあらず」なんですよね。

初めてNHKのオリンピック放送にテーマ曲が使われたのは、1984年のロスアンゼルス五輪の時なんじゃないのかなぁ。

 そそそ、今でも時々聞くけど、ロス五輪のファンファーレandテーマ

↓ コレ


タイトルは知らなくても、ま、聴けばだれでも分かりますよね。「あ、これか」って。
そそそ、「スターウォーズ」「E.T」「シンドラーのリスト」などなどアメリカ映画音楽の巨匠、John Williams氏作曲のお馴染みのファンファーレですわ。
蛇足だけど、当時、ブラスバンドやってたワタシャ、これが憧れでしたねぇ。いつかやりたいよなぁ・・・なんて思っていたものの。ここまで吹けるヒト達が集まった部活じゃなかったからなぁ。。。

・・・とと、話がずれた。

そそ、このロスアンゼルスオリンピックは、「商業五輪」元年なんて言われた訳で、このオリンピックファンファーレを含めた、アルバム「L.Aオリンピック公式アルバム」なるアルバムまで発売されて、日本でもオリコンでベストテンに入る大ヒットを記録したもんだよな。

そんなわけで、NHKのオリンピック放送でも、このファンファーレが使われてた・・ような気がする。
で、もって、公共放送のNHKが商業主義に加担するとは何事だ・・なんて言われてた様な気もする。。

でも、そんな流れを受けて、次の1988年「ソウルオリンピック」では、オリンピック放送でアーティストの曲をテーマソングに・・・なんて事になったのかどうか・・・は分かんないけど

でも、1988年の「ソウルオリンピック」からはテーマ曲にアーティストの曲を・・・となったのは間違いない事なんだよね。

で、選ばれたのが、今回引っ張ってきた、浜田麻理さんの「Heart and Soul」。

うむ、ソウルオリンピックだったんで、タイトルにも「Soul」って引っかけてたわけだよね。

ただね、この曲・・・・というか浜田麻理さんがソウルオリンピックのテーマソングに・・・って聴いた時は、意外だったよなぁ・・。いや、マジで意外だった。

浜田麻理さんと言えば、日本での女性ヘビィメタルの草分け的な存在だったしさ。そんなハードロックの女王・・・いやいや、当時の年齢的に言えば、アイドル的な存在だった訳でさ。

・・・なんて書くと、今の「BABYMETAL」か・・・なんて思っちゃう方もいるかもしれないけど。。。
そうぢゃない、アイドルっぽいヘビメタじゃなく、ヘビメタ界のアイドル。

女性とは思えない、ハードかつパワフルなボーカルには定評があったヒトですわ。

まあ、それまでヒット曲らしいヒットはなかったんで、いわいるゴールデンタイムの歌番組にも出てなかったし、幅広く知られた存在ではなかったんだけどさ。

ワタシもね、この「Heart and Soul」以前、たまたま、夜遅くやってた歌番組に、このヒトが出てて「CALL MY LUCK」だったかな、・・を歌っててさ、思わず引っかかっちゃったんだけど。。
だから、たまたまそれを見てなかったら、恐らく、この曲が出てくるまで、このヒトの事は知らなかったと思う。

・・・ってくらいの知名度のヒトだったってこともあるけど、何より、天下のNHKがさ「ハードロック」のアーティストを起用したってところが驚きだったんだよな。

うむ、それまでのNHKだったら、もっと「安全パイ」なところからアーティストを起用してきたはずだね。
なにせ「皆様のNHK」なんで。。。

ま、今でこそ、NHKがハードロックだろうが、アイドルだろうが、ジャンルを超えてアーティストを起用することは「普通」になったような感があるけど、こと30年前は、まだまだお堅い「お役所」のイメージがあったからなぁ。

それを考えると、浜田麻里さんを起用する・・・ってことは、相当な勇気があったんじゃないんですかねぇ・・・なんて想像するんだけどね。
 でも、それまでの前例を打ち破り、このヒトを起用したからこそ、ソウルオリンピック以後は、テーマ曲、映像が一体化した躍動感あるオリンピック放送に変わった・・・ような感じはするよなぁ。

この「Heart and Soul」は、それまでの浜田麻里さんの曲に比べると、ハードロックとは言えども、まだまだ大人し目に抑えた曲調だったんだけどね。今聴くとポップにも聴こえるしね。

いずれにしても、この曲がきっかけで、浜田麻里さんもブレイク。その次の「Return to Myself」の大ヒットに繋がるって訳でさ。

まあ、時代は、アイドルからロックへ・・・っていう流れが加速して行っていた訳だし、その流れにうまく乗れたって言っても良いんだろうけどな。
そんな時代の流れをしっかり見据えていたでしょうかねぇ、NHKも。




ちなみに、1972年の札幌オリンピックでは、NHKで、トワ・エ・モアさんの「虹と雪のバラード」が使われてたんだよな。
でも、この浜田麻里さんからみると、如何にも「皆様のNHK」って感じですもんね。
そこからみると、この時の起用は如何にぶっ飛んでたか・・・って事ですよね。


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恋の季節 / ピンキーとキラーズ

1968_10_恋の季節_ピンキーとキラーズ


今回の1曲セレクトは、「恋の季節」ピンキーとキラーズです。

まずはデータなのだ。

・タイトル    恋の季節
・アーティスト  ピンキーとキラーズ
・作詞      岩谷時子
・作曲      いずみたく
・編曲      いずみたく
・リリース日   1968年7月20日
・発売元     キング
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 207.7万枚
・ベストテンランクイン期間:1968年9月16日〜1969年2月24日付

昨日の中村雅俊の「ふれあい」で、オリコン史上、初のデビュー曲ミリオンセラー・・・とか書いたんだけど、よくよく考えてみると、それ以前にも居たんだよな。デビュー曲ミリオンセラーを達成したヒトって。
 その辺の事情を知ってる方だったら、もしかしたら、クレームが来るかと思ったんだけども、とりあえず来ませんでしたねぇ・・・と胸をなでおろしているところだったりします

ネットの住人は、厳しいからねぇ・・・。ちょこっと間違えたりでもしたら、鬼の首を取ったようにクレーム入れてくる「輩」も多い訳で。。。
 普段から「誤植」が多い、ワタシとしては、そんなクレーム攻撃に耐えて、はや20年近く・・・。。。なんて感じだったりするんだけどさ。
 それでも、未だに誤植が治らないのは、これは性格ですね〜 ケケケケケ と、自分の間違いを、全く反省しないワタシだったりします。。。

ウム、オリコン最初のデビュー曲ミリオンセラー達成は、ザ・フォーククルセダースの「帰ってきたヨッパライ」ですわな。 ちなみに、これがオリコン最初のミリオンセラー達成曲でもある訳で。。。

次にデビュー曲で、ミリオンセラーを達成したのが、今回引っ張ってきた、ピンキーとキラーズの「恋の季節」と言う訳なんだけど。。

・・・と書いておいて、ここで、「ははんまた誤植してやがる」・・とピンと来た方は、かなりの歌謡曲通ですな。

ふむ、ピンキーこと今陽子さんは、ピンキーとキラーズ、結成前に「ピン」(ソロ)で既にレコードデビューしてたんですよね。だから、厳密に言えばデビュー曲ではないんだけど、「ピンキーとキラーズ」としては、この曲がデビュー曲というわけで、一応「デビュー曲ミリオンセラー」っていう記録には含むんだろうな、恐らく。

ただね、この曲の場合は、そう言う記録の他にも「オリコン記録」を持ってるからなぁ。
まずは、オリコン史上初の「ダブルミリオン」達成曲。そそそ200万枚を突破したのはこの曲がオリコンでは初めてなのですわ。

ま、とは言っても、オリコンがチャート発表を開始してから、1年も経っていない頃の出来事なんでね。それ以前にもダブルミリオンはあったはずですけどね。

それとなんと言っても、シングル1位獲得週記録ですわな。1位獲得週が17週。 これは48年経った今でも破られていない空前絶後な記録になっていますね。
 ま、もっとも17週連続ではなく、1968年9月23日付から、12週連続1位を獲得したのち、1週、12月16日付で2位に後退。 ただ、その次の12月23日付に返り咲き、再度5週連続で1位を獲得というチャートアクション。計17週1位獲得した訳ですわ。

ちなみに、「連続」1位は、72年〜73年にかけての宮史郎とぴんからトリオ「女のみち」の16週連続・・っちゅう記録が、こりも未だに破られずに君臨してますな。

さらに、ちなみに、アルバムを含めた、全作品でのオリコン1位獲得週記録は、井上陽水のアルバム「氷の世界」の35週。なんせ1位返り咲きが5回なんて「アホ」としか思えないチャートアクションを展開した訳で。。。


チャートまにあとしては、どうしても、そういう「記録」の面でこの曲を見てしまいがちなんですが。。。

ま、個人的には、この曲がヒットしていた頃は、まだ生まれていないんで、もちろん「後付」で聴いた曲になってしまうんだけど、でも、この曲を聴くと、どうしても60年代後半の混沌としたような世相を感じるなぁ。

なんて言うのかな、サイケデリックな気分になるんだよな。
・・・てか、サイケデリックってどういう気分? って言われてもコトバではウマく説明できなんだけど、うーむ、兎に角、あの60年代終盤の空気感ですよ。
なんて言うのかなぁ、あの時代って、良い意味でも悪い意味でも、どこかグツグツと煮えたぎったような空気感がありましたよね。猥雑というか、ベトナム反戦、安保反対っていう世相の中で、すくなくともクリアな空気感ではなかったと思う。

そんな雑然とした猥雑とした匂いを感じるんだよな。この曲からは。

特にサビの ♪ 恋は ワタシの恋は〜 ♪ からは特にサイケデリックを感じるなぁ。

まあ、悪い意味で書いている訳ではなく、ある意味憧れなんだよね、この時代の空気を吸えなかったモノにとってはさ。

作曲は、いずみたく氏。 奇しくも昨日書いた中村雅俊の「ふれあい」も同じ、いずみたく氏の作品だったけど、このヒトは、この時代・・・60年代後半から70年代にかけて、ヒット曲の顔でしたよね。象徴って言うのかなぁ。

で、この曲もそうだけど、次年の由紀さおりの「夜明けのスキャット」も、やっぱりサイケデリック感満載でしたよね。

なんかね、この方の作品を聴くと、不思議な・・奇妙な気分になる曲が結構あるんだよなぁ。

そうだ、サイケデリック感って、ウマくコトバでは表せない・・・ってかいたけど、敢えてコトバで書くと、「奇妙で不思議な感覚」なんだ。空調に浮遊しているような・・・。
 なんでいうのかなぁ、ちょっとワルいクスリを飲んでハイになった気分・・って言うかね。

そそ、個人的に60年代終盤というと、こんな感覚なんだよな。 そう言う意味でも、いずみたく氏っていうのは60年代終盤の象徴的な存在だったような感じが強いなぁ。




ピンキーとキラーズって、コーラスグループっていう印象が強いかもしれないけど、れっきとした「バンド」なんだよね。ま、それは、この動画でも分かると思うけど。
そそそ、三枚目キャラだった「パンチョ(加賀美)」さんがドラム叩いてたのよ。
 ソロ時代の今陽子さんは、全く売れなかった訳だけども、「ヒンキーとキラーズ」になった途端、大ブレイク・・・って言う流れは、後年のLINDBERGの渡瀬マキさんと同じ・・と見てもらえれば分かりやすいかな。

 ちなみに、今陽子さん、当時17才。 うーむ、高校生には見えないよなぁ。
どう見ても20歳は超えてるような・・・・ってくらい大人っぽい・・というか色気があるよな。

 
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ふれあい / 中村雅俊

1974_10_ふれあい_中村雅俊


今回の1曲セレクトは、「ふれあい」中村雅俊です。

まずはデータでする。

・タイトル    中村雅俊
・作詞      山川啓介
・作曲      いずみたく
・編曲      大柿隆
・リリース日   1974年7月1日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 126.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年7月29日〜11月25日付
・タイアップ:日本テレビ系ドラマ「われら青春」劇中歌

前も書いたかもしれないけど、長年ヒットチャートを見てくると、ちょっと信じられない現象に遭遇かる事がある。
・・・まあ、「遭遇」なんで大げさかもしれないけど。。
 それでも、自分がリアルタイムでヒットチャートを見始めた以前のチャート・・・そうね、ワタシだったら、1977年以前かなぁ・・・となるとさ、結局後付けで、チャートを見たわけじゃん。

だからね、実際の曲としては、曲の内容からこの位売れたのかなぁ・・・なんて想像でしかないんだよね。
その想像と、実際に売れた枚数が、大体近い時もあれば、全く「当て外れ」の時もある。

今回は、そんな想像とは全く「当て外れ」だった曲を持って来ましょうかねぇ。

中村雅俊「ふれあい」

当時、「青春真っただ中」だった方々・・・、そうだなぁ、今、還暦前後の方には懐かしい曲ですよね。 みんな知ってるよなぁ、流石に。
 そそそ、当時、1974年4月から、日テレの「青春ドラマ枠」だった、日曜20時〜21時で放送されていた、「われら青春」の劇中で流れて、超大ヒットしてた曲ですよね。
 以前、青い三角定規の「太陽がくれた季節」でも書いたように、70年代から80年代初めにかけて、日テレの日曜20時は「青春ドラマ」枠だったんですよね。NHK大河ドラマの真ウラなんていう一見「不毛」とも思える枠で、そこそこ頑張っていたんだから、やっぱ、当時は青春ドラマ、人気があったんだよね。

そして、ここは当時の若手男性俳優の登竜門・・・ということで、今回の「ふれあい」を歌った中村雅俊氏が主役だったわけですね。
 当時23歳。青春ドラマということで、まあ「高校」の先生役だった訳だけど、当時の年齢からして、ほんとうに兄貴のような年齢だったわけだわね。まさに「青春」だったわけですわ。

ただね、当時5才だったワタシは、もちろん、このドラマ見てたわけじゃなんで、ちょっとその辺の事情にはうといんだよな。

だからね、この曲にしてもこんな超大ヒットしてたっていのうが、ちょっとピンとこなかったんだよなぁ。

なんせ、中村雅俊氏のレコードデビュー曲にして、いきなりのミリオンセラー。126.5万枚も売れたわけでさ。
しかも、オリコンでは、74年8月19日〜10月21日付まで、「10週連続」の1位獲得・・・なんて大偉業だったわけなんだよね。

もちろん、デビュー曲でのミリオンセラーっていうのは、オリコン史上、当時としては、これが初めての快挙だったんじゃなかったっけなぁ。

この辺のチャート事情、個人的には信じられなかったんだよなぁ。

オリコン10週連続1位で、売り上げ130万枚弱といえば、寺尾聰の「ルビーの指環」と、ほぼ同じ規模のヒットと言う事になるんだよね。

どう割り引いても、「ルビーの指環」と同じ程度のヒットには感じないんだけどな。。。

この曲、個人的にも昔から知ってはいたけど、ミリオンセラーになるような曲には、どうも思えなくてさあ。


当時、ミリオンセラーと言ったら、ヒット曲でも特別なそん存在だった訳でさ、それだけに特別なオーラを感じたわけなんだけどなぁ、この曲は、そう言うオーラは感じなかったしさ。
 
 その前に、この曲、ワタシ、中学生の時、ワタシが変わってた中学校の「全校合唱曲」だったんだよな
その印象がどうも強くてねぇ。。
 当時は、なぜにこんなに暗い曲を歌わにゃいけんのだ・・・なんて思ってたもんだよなぁ。今から30年数年前の中学生にとっては、刺激が少なかったんだよなぁ、この曲は。

でも、それより丁度10年前では、この曲、ミリオンセラーになってたわけだから、10年の間でヒット曲も大分刺激が強くなった訳なんだよなぁ。
・・・なんて感じたりもしたよなぁ。 そのくらい、よく分かんなかったんだよね、この曲がミリオンセラーって言う現実は。まあ、あくまで個人的な感想だけどさ。

やっぱ、70年代前半は、フォークブームだったですからねぇ。そう言うブームの真っただ中にリアルタイムに居ないと分かんない事って多いですからねぇ。
 

ちなみに、1974年って言う年は、比較的ロングセラーが多い年で、年間に4作もミリオンセラーが出たんだよな。
1980年前半まで、長らく、シングルのミリオンセラーは、年に1作か2作っていうのが通常だったから、それからしてみれば、年間4作っていうのはミリオンセラーの豊作年って言えるだよね。
 まあ、この年は、演歌と、この曲と同様にフォークが強い年でしたからねぇ。 演歌がロングセラー傾向が強いのは、昔はも今も変わらない・・・って訳なんだけども、フォークっていうのも意外とロングセラーの傾向が強いんだよな。
 ジミーにジワーリと売れるんだよね。まあ、曲調からしてジミーにジワーリっていう傾向が強いからなぁ。だからね、意外とこれら両ジャンルともに似たところがあるんだよなぁ。




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想い出のセレナーデ / 天地真理

1974_10_想い出のセレナーデ_天地真理


今回の1曲セレクトは、「想い出のセレナーデ」天地真理です。

まずはデータです。

・タイトル    想い出のセレナーデ
・アーティスト  天地真理
・作詞      山上路夫
・作曲      森田公一
・編曲      竜崎孝路
・リリース日   1974年9月1日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数 32.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年9月16日〜11月18日付

いや〜気持ちの良い秋晴れですね。こんな「秋らしい」日は、今年初めてかもしれない。
こういう日は、やっぱり「秋日」を歌った曲を持って来たいもんです。

・・・と言っても、80年代の「秋の歌」って結構既に書いちゃったし、90年代以降は「季節感」ある曲も減って、秋っぽい曲も少なくなっちゃったからなぁ。
今回は、やっぱり70年代に遡ってみますか。

天地真理「想い出のセレナーデ」。

秋と言えば恋の季節。 今現在進行中の恋もあれば終わってしまった恋もある。
この曲は、「後者」を歌った曲ですね。 いわいる「傷心」ってやつで。。。 これも秋って季節はぐっと来るんですよね。
そんな終わってしまった恋心を綴ったこの曲、ではあるんだけども、思いドンヨリとしてイメージではなく、いかにも「秋の日」を連想させる日差しの中で想い出しているあの恋・・・・そんなイメージなのかなぁ。

個人的には、この曲は秋の日差しの中で聴きたい1曲・・・そんな感じなんだよな。

いや、そう感じるのは、オリジナルである、この天地真理さんバージョンだからなのかもしれない。

うん、個人的にこの曲を知ったのは、天地真理さんのオリジナルではなく、82年に浜田朱里さんがカバーしたバージョンなんだよな。
 浜田朱里さんバージョンについては、以前、既に書いちゃったんだけど、こちらは82年の冬の日にリリースされた・・・と言う事もあってか、基本的にはオリジナルに忠実なカバーではあるけども、ピアノのリフにさらなる物悲しさを感じるし、だから秋の曲というよりかは、「冬の日」の曲って言うイメージが強いんだよね。

だけども、オリジナルの天地真理バージョンは、もっと温かみのあるアレンジ。
その温度感が、冬の曲というよりは「秋」を感じる曲なんだよね。

ま、実際、秋の日・・・・今頃・・・がヒットのピークだったわけでね。

最近だからこそ、9月下旬になっても30℃を超えるような日がでたりしてるけど、昔、少なくともこの曲がヒットした、今から42年前なんてのは、10月にもなるとすでに寒いくらいだった・・・と記憶してるからなぁ。
 
記憶してる・・・なんてぼやかして書いてるのは、42年前は、ワタシャ、まだ5才だったからして、ほとんど記憶の外・・・だからなんだけどさ
 それでも、記憶に残ってる小学生の頃でも、9月下旬〜10月初めで既にかなり涼しかったと記憶してるし、今も残る当時の日記を見ても、そんなようなことが書かれてるんだよね。

ま、今住んでる千葉(首都圏)と、当時住んでた福島じゃ、気温の違いって言うのもあるけどね。

そうか、だからね、この曲、あの日差しの中で・・・を連想させるって書いたけど、田舎の秋の風景なんだ。
この牧歌的である種の平和感を感じるのは。すくなくとも都会の真ん中の・・・っていうイメージではないんですよね。

70年代の曲って、そんな感じの都会的・・・というよりは「地方」的なイメージの曲が多い・・っていうのは、今から思うと特徴かなぁ。少なくともニューミュージック勢が台頭してくる、70年代中盤以前は。
ユーミンなんかは、根っこにあるのは、そんな「地方感」からの反発と脱却だもんね。

でも、実際、当時のヒット曲はそんな牧歌的なイメージから、中心は都会的な・・・って言うところに移っては来てたんですよね。
 具体的に言えば、本当に牧歌的だった、第1次70年代アイドル・・・、具体的に言えば、この天地真理さんや南沙織さん、麻丘めぐみさん・・・あたりは、この曲がヒットしていた頃を境に、人気も下降線を辿って行く。

実際、天地真理さんも、この曲が最後でしたからねぇ、ベストテン入りした曲って。

そんな所から見るとさ、「あの栄光の日々」に対しての「想い出のセレナーデ」・・・なんて感じなくもないんだけどさ


70年代の「第1陣」アイドルとして、前年の73年なんて、あれだけスーパーな人気・・・・今のAKBなんか足元にも及びませんよね・・・を誇った、天地真理さんだけど、時代の流れは早かった・・というかね、下火になるのはあっという間だった・・・って言う感覚があるなぁ、今思うと。
第一線で活躍してたのは、72年〜74年までの正味3年間でしたからねぇ。


1974年って、昭和で言えば「49年」、つまり昭和40年代の終わりの年だったんですよね。
今でこそ、70年代、80年代、90年代・・・と「西暦」で年代を区切った見方が中心だけど、昔は「昭和」の年代で区切った見方もあったからなぁ。
昭和40年代、50年代、60年代っていう・・・。 そんな昭和の年代で区切ってみても、西暦で見た区切り方と同じような時代の変化がありましたからねぇ、少なくともヒット曲界に於いてはさ。

昭和40年代と50年代の境目という時代の変化。
ひとつが、上で書いたような、第1次70年代アイドルの人気の下降線と、第2次70年第アイドルへの世代交代。
第2次70年代アイドル・・と言えば具体的には、新御三家、(当時の)中三トリオ・・・ってところですね。
もう一つが、ニューミュージック(シンガーソングライター)の台頭ですね。

そんな時代の変化に、おいてけぼりを食らってしまった人の一人。 それがね、この天地真理さんだったんじゃないかなぁ。
今考えると、時代の変化について行ける・・・そんな器用さを持ってヒトではなかったし、なにより時代の変化のスピードが早かったですからね。
 それにアイドルっていう「ジャンル」が確立して初めての時代の変化だったわけで、そんな時代の変化にどう対応していくか・・・っていうノウハウが確立されていなかったってのも大きかったのかもしれないけどさ。

まあ、あくまで現在から、ヒット曲をクロニクル(変遷史)的に見た場合の話ですけどね。





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HAPPY AGAIN / 酒井法子

1988_10_HAPPY AGAIN_酒井法子


今回の1曲セレクトは、「HAPPY AGAIN」酒井法子です。

まずはデータですら。

・タイトル    HAPPY AGAIN
・アーティスト  酒井法子
・作詞      森浩美
・作曲      西木栄二
・編曲      船山基紀
・リリース日   1988年9月21日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数  8.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位 
・ベストテンランクイン期間:1988年10月3日〜10月24日付
・タイアップ:日本自動車工業会キャンペーンソング

いやはやキツイ1週間どした。。。 
ウチの某「業界」は、四半期ごとに「繁忙期」がやって来るんだけど、10月はその「繁忙期」に当たるんですよね。
ちょうど、今週がその「山場」でして。。。そんな山場な時に祝日が挟まってたりしたもんだから、まあも大変ですわ。そんな訳で、今週はウチに寝に帰ってくるだけの生活だったわけでね。
ようやく週末と言う事言うことで、仕事から解放されて、今、この瞬間が一番「HAPPY」な時間かなぁ。思わず鼻歌なんか出てしまいそうですわ 

・・・ということで久々の「1曲セレクト」。 月曜以来ですかね、「1曲セレクト」を書くのは。

で、持ってきた曲、 のりぴーの「HAAPY AGAIN」。

ハッピーな時間には、ハッピーな曲を。。。っちゅうことで、いつもながら安易なセレクトですわな。。

だけんど、のりぴーの曲なんていつ以来かな  この1曲セレクトでは、あんまり書いてないんだよな。

まあ、個人的に、のりぴーの曲って当時も好んで聴いてなかったって言うのもある。いや、曲自体が悪い訳じゃなくて、なんかね、80年代終盤にもなると「アイドル」の曲に疲れてきちゃってましてね、触手が伸びなかったっていうのもある。 だからね、未だに、あんまり曲知らないんだよな。
のりぴーの曲って。

ただ、この曲がリリースされた1988年の、のりぴーの曲は、なーんか引っかかったんだよなぁ。 
この1曲前の「1億のスマイル」からさ。

やっぱり、曲自体弾けてたからかなぁ。このヒトの「キモ」は、やっぱり「明るさが弾けてる」っていうところなんだよね。
「夢冒険」とか、少し陰が見える曲なんかも人気があったけど、個人的には、それよりも、メジャー系の明るい曲が良いんだよな。
やっぱ、アイドルは「笑顔」が一番よ。

この曲も、そんな「1億のスマイル」に続いて、ハジけた曲だったからなぁ、好きだったな。
まあ、曲のインパクト、まとまり・・・って言う点では「1億のスマイル」程ではなかったけど、それでも引っかかりはあったよね。 まあ、メロディラインのインパクトは、「1億のスマイル」がチャゲアスの飛鳥涼だったのに対して、この曲は、無名の西木栄二氏(ただし、のりぴーの曲は結構書いてるんだよな)だったからなぁ、その差はあったかもしけない。
なんせ、当時の飛鳥氏は、「光GENJI」っていう後ろ盾もあって勢いがあったからなぁ。

ちなみに、この曲も、詞の内容的には「応援歌」的なイメージなんだよな。
この間書いた、浅香唯さんの「DREAM POWER」もそうだったけど、この時期・・・秋先・・・の曲って、わりと応援歌的な曲が多かったんですかねぇ。
 まあ、のりぴーの曲自体、それほどディープな恋愛観がある曲って言うのも少ないってところから、偶然だったかもしれないけど。




「ザ・ベストテン in 鹿児島」ですな。
そそそ、ベストテン史上、初めて視聴率が10%を「割った」・・・・という、伝説的な回ですわ
ちょうど、ウラで「とんねるずのみなさんのおかげです」のレギュラーが始まって、そっちに視聴率を取られたんだよね。 その影響をモロうけた・・・っちゅう。

あん時は「とんねるず」にはらわた煮えくりかえってたけど、今から考えると「ベストテン」も賞味期限切れてたんだろうなぁ。 ここから、よく1年間持たせたと思いますわ。


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DREAM POWER / 浅香唯

1989_10_DREAM POWER_浅香唯


今回の1曲セレクトは、「DREAM POWER」浅香唯です。

まずはデータでする。

・タイトル     DREAM POWER
・アーティスト   浅香唯
・作詞       森浩美
・作曲       吉実明宏
・編曲       中村哲
・リリース日    1989年9月27日
・発売元      ハミングバード
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数  9.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1989年10月9日〜10月23日付

この間までの「残暑」もいつの間にか収まり、やっと秋の気配・・・とおもったら、今朝は、また「ジメッ」した少し蒸し蒸しするな。
でも明日は「秋晴れ」が期待できる・・・っつうことで、やっと秋本番ですかねぇ。

秋が来ると聴きたい曲がある。
ま、ばっと浮かぶのが、松田聖子の「風立ちぬ」や「野バラのエチュード」だったり、いかにも秋っぽい曲だったりするんだけども、個人的には、もうちょっと変化球的な「秋の曲」も聴きたくなってきたりする。

今回の1曲セレクトは、そんな1曲を持って来ましょうか。

浅香唯「DREAM POWER」


いやいや久々の「浅香さん」ですわな。

うーん、まあ、この曲が「秋の曲」であるかどうかは別として、曲の雰囲気としては「秋」っぽい曲だったからなぁ。
全体的に柔らかで、しっとり目の曲だったり。

ま、この時期にヒットとしていたって言うのが一番大きいですけどね。

実はねぇ、浅香唯さんの曲としては、個人的には、この曲「Believe Again」と並んで好きなんだよなぁ。
聴くとどこか元気になって来る。 そそそ、落ち込んだ時に聴きたくなる曲でもあるんだよな。

この曲がヒットしていた1989年の今頃は、正直、「胸突き八丁」な心境だったんだよね。
うん、大学受験。 

そう言えば、「Believe Again」の時は、「現役」の時の大学受験の時だったよなぁ。ヒットのピークは。
どうも、浅香唯さんの曲は、受験と縁があったような、個人的には。

でも、この「DREAM POWER」の時は、なにせ、2浪してたしさ、「後が無い」が状況での「秋」だったかんね、
でもさ、高校受験の時もそうだったけど、個人的にはどうも、「10月」って鬼門なんだよな。季節が良くなって来ると、どうしても中だるみで出てくる。
この時も、夏までは順調過ぎるくらい順調に受験勉強が進んでたのに、この時期、いきなり「息切れ」してきてさあ、ちょっと苦しんでたんですわ。

その時聴いた、この曲。

正直ね、元気が出た。 何か知らないけど元気が出た。

ぱっと聴き、それほどインパクトが強くないし、尖がったような曲でも曲じゃないんだけどさ。シングルのA面の曲というよりは、B面的・・・と言った方がいいような。

でも、ささった。  まあ、個人的にだけどね。

歌詞の内容的に「応援歌」的な曲だったじゃん。 普段は、あんまり刺さらないような曲でも、ああいう「追い込まれてきた」環境に居ると、そういう「応援歌」的な曲につい刺さってしまうような曲もあったりするんだよな。

それと、♪ OK   JUMPIN' IN THE DREAM〜 ♪ からのサビね。 この部分のメロディラインが好きなんだよなぁ。コードのメジャー展開をそのままなぞったようなメロディで、単純といえば単純なんだけども、そういうシンプルさに引っかかる時もあるんだよね。

う〜ん、でも、やっぱり、ああいう、ちょっと追い込まれた時期だった・・・って言うのが大きかったかもしれないなぁ。もし、これが順風満帆な環境に居たら、引っかかったかどうか・・・。

正直、89年の浅香唯さんって、前年の「大活躍」が嘘のように萎んじゃった時期じゃない 
個人的にも、前曲の「恋のロックンロールサーカス」とか、ほとんど聴いてなかったからなぁ。うん、はっきりいって、「旬」は過ぎたか・・・って感じだったのよ。だから、本来なら自分の中でもフェイドアウトだったと思うんだけどね。

ただ、全体的な人気・・・という点では「下降線」は止められなかった訳で。。
87年の「虹のDreamer」以来長らく続けてきた、売り上げ10万枚っていうのも、この曲でついに途切れてしまったんだよね。
まあ、オリコン的な順位は、この曲は3位まで行ったけど、初動だけで後が続かない3位なんでね。逆に言えば、3位まで行った方が不思議なくらいだったんだけど。  

それでも、未だにこの曲を聴くと、あの切羽詰まってきた心境が甦って来るんだよなぁ。



むむむ、この曲の頃はバックバンドついてたんだな。生で歌っているところ初めて見たような・・・。
まあ、演奏はカラオケっぽいが・・・・。(ん? 一応 生演奏?)
この頃は、歌番組ほとんど見てなかったからなぁ。ちょうど「ベストテン」が終わった頃で、そう言う意味でもぽっかりと空洞が出来ていた時期だ、気持ち的にはね。
これは「夜ヒット」だけど、「夜ヒット」も見てなかったしな。

ま、その前に「受験勉強」の方が大事だった頃なんで。。。。


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グッド・ラック / 野口五郎

1978_09_グッド・ラック_野口五郎


今回の1曲セレクトは、「グッド・ラック」野口五郎です。

まずはデータです。

・タイトル    グッド・ラック
・アーティスト  野口五郎
・作詞      山川啓介
・作曲      筒美京平
・編曲      高田弘
・リリース日   1978年9月1日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 4位
・売り上げ枚数  22.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1978年9月16日〜10月9日付

心情的に「あー、書きたいわぁ」と思っても、なかなか腰が上がらない曲ってあるんだよね、個人的には。
ま、大体が、ヒット当時は、それほど「真剣」に聴いてなかったんだけど、後年になって「お、良いぞ」と心変わりした曲なんだけどさ。

そう言う曲が、最近溜まってきてるんだよなぁ。

まあ、自分本位でセレクトして行くと、どうしても自分の中でずっと引っかかりが強い曲を最初に書いちゃう訳で、逆に、あんまり引っかかりが少ない曲、あるいは、ヒット当時、引っかからず接点が少なかった曲って残ってきちゃいますからねぇ。

・・・なんて、今回は愚痴っぽいマクラで初めちゃいましたが。。。

今回は、そんな「当時」は、引っかからなかったんだけど・・・今は引っかかってますよ〜・・・って曲をひとつ。

野口五郎「グッド・ラック」

なんて書くと、「え?」なんて思う方も多いかなぁ。

この曲は1978年(昭和53年)の今頃ヒットのピークを迎えていた、野口五郎として、78年の「勝負曲」とも言える1曲ですね。

オリコンチャート的に言えば、前年10月の「風の駅」(ザ・ベストテンの第1回ランキングでの第10位。つまりはベストテンで最初に出演した曲として有名ですね)以来、3作ぶりにベスト5入りさせ、同時に20万枚オーバーを記録した曲。

ま、そんな所からも78年の勝負曲だったってことは覗える訳なんだけども、逆に、この曲が最後のオリコンベストテンランクイン曲だったんだよね。

・・・なんて書くと、うそやん、その後も「ザ・ベストテン」じゃ、ランクインしてたやん・・・とか、言われる方もいらっしゃると思いますがね。。。

まあ、ベストテンの場合、オリコンなどのレコード売り上げだけじゃなく、他にも有線、ラジオ、はがきの要素を合算した総合チャートでしたからねぇ。
 レコード売り上げが低くても、他の要素で上位に来れば、充分にベストテン入り出来るまでの得点を補えたわけですわ。

とりわけ、野口五郎氏は、西城秀樹氏と並んで、「はがきリクエスト」がめっぽう強かったからなあ。

ちなみに、80年の「コーラスライン」なんて、オリコンじゃ、最高24位までしか行かなかったけど、「ザ・ベストテン」では、はがきリクエストと、ラジオチャートでベストテン入りさせていたんで、総合でもベストテン入りさせていたりします。


・・・・ととと、少し話がずれた。

というわけで、「グッド・ラック」ですが、この曲、大人っぽかったよなぁ。当時流行りだった、AOR(Adult Oriented Rock)、、つまりは大人向けのアダルトな雰囲気のロックって事なんだけど・・・。

まあ、当時の日本でのジャンルでいえば、「ニューミュージック」に当たるような音楽といったほうが簡単なんだろうけど、向こうじゃこういう名称か、あるいはアダルトコンテンポラリーって言われてましたからねぇ

ただ、日本的なAORと言うと、ニューミュージックよりも、もっと「大人びた」音楽だったような気がする。

例えば、この曲と同時期のAORだと、大橋純子の「たそがれマイラブ」とかね。とりわけ、「大人向け」の音楽でしたよね。

そんなAORに、当時はまだアイドル的な存在だった、野口五郎が挑戦する・・・ってことで注目されたんだろうな。この曲が当時売れた要因なのは。

なんて、推測的に書いちゃいましたけど、実は、個人的には、この曲の時点では、まだヒット曲の世界に入ってきていない。。。
・・・っちゅうのは、「ウソ」で、実は、既に片足入れてたんだけどね。

うん、初めて「ベストテン」を見た週の、第10位がこの曲だったんですよ

でーも、全く記憶が無いんだよな。。

ピンク・レディ、山口百恵、西城秀樹・・・あたりは記憶にあるんだけどなぁ。。。

・・・というのも、当時、ワタクシ、新御三家ではビテキ派でして、野口五郎氏も、郷ひろみ氏も、全く眼中になかったもので。。。。

まあ、それでなくても、この「大人」びたAORな1曲を、当時9歳のワタシが「ひっかかった」か・・っていうのは自信が無いな。

うん、曲としては、あんまり引っかかりが少ない曲でしたからね。 

♪ ごめんよ〜 どうやら〜 別れの時間だ〜♪ からのサビの部分にしても、それほど強烈なフックとなる部分を感じないし。 そうね「歌謡曲」としてのフックとなるような部分ね。
だから、全体的は「ツルン」とした印象なんだよな、この曲は。 まあ、個人的な印象ではあるけど、当時の歌謡ポップスって、エグいくらいのフックがある曲が多かったですからね。 まあ、それがインパクトとなった訳なんだけどね、それから比べると、この曲は、大きなインパクトの部分は無かったからなぁ。

ただね、だからこそ、より洋楽的に聴こえたんだろうね。

考えてみれば、同時期、郷ひろみ氏は、「ハリウッド・スキャンダル」で、初めて洋楽的な「ショービス」にアプローチした曲を歌っていた訳だし、新御三家の3人はそれぞれ、より洋楽にアプローチしていた時期なのかもしれない。

↑で書いたように、郷ひろみ氏が「ショービス」な世界、西城秀樹氏は歌唱力を生かしたワールドワイドな世界、そこからみると、野口五郎氏がAOR路線を選んだのは、そのキャラクターを考えると正解だったのかもしれないな。




この間、twitterに別途、「78年のベストテンVTR」持ってるヒトっているんだ・・・って書いたのは、実は、この動画の事なんだよね。
「グッド・ラック」、2本入ってるけど、2分40秒過ぎからの画像は「ベストテン」になるんだよな。
この時、第10位なんだけど、実は、個人的に「ベストテン」を初めて見たのが、まさに「この週」なのよ(1978年11月2日放送分)。
だらね、うーむ、フルで見てみたい

でもねぇ、ホントよく、こんなVTR取ってたヒトがいるもんなんだよねぇ。
どうやって取っておいたんだろ? その前に当時、ビデオデッキって高かったんだよな。一般家庭に、まだそんななかったもの。 さらにそれ以前にビデオテープがねぇ、めちゃくちゃ高かったのよ。
以前、国会図書館で、当時の新聞に掲載されていた広告を見てたんだけど、120分テープで1本3000円くらいしてたんだよな。だから、そう何本も買えなかっただろうし、普通は1回見たら、上からダビングしちゃうのが常だったと思うんだよね。
だからねぇ、こんなふうに40年ちかくも画像を取ってあると思うと頭が下がる訳ですわ。


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