かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

2016年08月

ネオ・ブラボー!! / ササンオールスターズ

1991_08_ネオブラボー_サザンオールスターズ


今回の1曲セレクトは、「ネオ・ブラボー!!」サザンオールスターズです。

まずはデータです。

・タイトル     ネオ・ブラボー!!
・アーティスト   サザンオールスターズ
・作詞       桑田佳佑
・作曲       桑田佳佑
・編曲       サザンオールスターズ
・リリース日    1991年7月10日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   43.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1991年7月29日〜9月16日付
・タイアップ:TBS系「筑紫哲哉NEWS23」エンディングテーマ

今回はマクラなしでストレートに行ってみますかね。
えー、久々のサザンどぇす。

「夏はサザン」なんて言われて久しいサザンオールスターズだけに、本当は今の季節サザンの曲を引っ張って来たい・・・なんては思っているのに今一つ引っ張りきれていないのは・・・。
まあ、単純にいつも最後にリンクを入れてる動画が、ネット上に落ちてないから・・・ってのが大きいんだよなぁ。

サザンに限らず、ユーミン、中島みゆき、竹内まりや、山下達郎・・・と、いわいるロック・ニューミュージック系の「大御所」と言われる方たちは概してネット上に動画が落ちてないんだよね。
まあ、「著作権対策」と言う名の「ガード」が硬いっていうかね。
なので、どうしても手を伸ばさなくなっている・・・っていのうが、本音の部分なんですよね。

まあ、書いてるこちとらも、著作権侵害をしようと思ってる訳じゃ無いんだけどさ。
一応レビューと言う形で書いてる「1曲セレクト」だけど、どうしても文章だけじゃ本来伝えたい事が100%は伝わらない。やっぱ音を聴くのが一番・・・って言う事で、最後に動画リンクを張らしてもらっている訳なんだけどさ。

でも、無いものはしょうがないんでね。 今回のサザンもそのつもりで書きまするぞ。


さてさて、今回セレクトしてきたのは、1991年「夏」のサザンのナンバー、「ネオ・ブラボー!!」。

ただ、この曲は、前曲・・・と言っても前年夏の「真夏の果実」と、次年夏の「涙のキッス」という、両大ヒット曲に挟まれた形になっている訳で、今となっては、やや地味な印象の曲かなぁ。

ま、実際、オリコンでは1位を獲得したものの、売り上げは43万枚・・・と、この頃のサザンとしては若干、売り上げも伸び悩んでいますしね。

しかも、91年のサザンはアルバムもリリースしていない訳で、唯一この曲だけポツンとリリースされていたんだよね。

ただね、この曲は、その後・・・というか、次年92年にリリースされたアルバム「世に万葉の花が咲くなり」を予見するような曲調であったことは間違いないんだよな。

 それまでのサザンって比較的ストレートな曲が多かったんだけどさ。まあ、90年あたりはラテンだとかスパニッシュだとか、ワールドテイストなきょくがあった事はあったけど、色で例えると原色的なストレートなイメージが強かったんだけどさ。
 
 でも、この曲は少しねじ曲がったようなサウンドになりつあったんだよな。 なんて、分かりにくい表現しちゃったけど、要はサイケデリックのようなねじ曲がったサウンドの要素が入りつつあったわけですわ。

 そう言う意味では、サザンのサウンドも、この曲からまた新たな変革が見えつつあったんだよね。
ここから発展して、92年のアルバム「世に万葉の花が咲くなり」は全編にわたってサイケデリックなアルバムだったからさ。

でも、この「ネオ・ブラボー!!」については、「世に万葉の花が咲くなり」ほど、ディープな程の湾曲は、まだしてなかったな。 あくまでシングルとして耐えうる範囲のストレートさは残ってたしさ。

 ・・・というか、この曲は、ビートルズの香りも強いんだよね。 ビートルズがサイケに走った頃の香りがするっていうかさ。
 出だしの、Aメロ ♪ 愛の夏が来れば皆 高温ブラボー 〜 ♪ あたりのメロディラインなんて、もろビートルズだったもんな。

ちなみに、この曲で言いたかったのは、当時勃発していた湾岸戦争に対する反戦でしたよね。 
この曲のタイアップは、当時TBSで放送していた「筑紫哲哉NEWS23」のエンディングだったけど、そう言う影響もあったんでしょうかね。
 
でも、当時はTBSの「ニュースワイド」のタイアップだったけど、現在は、対抗馬の「フジ」のニュースワイドのエンディングとして、最新シングル「ヨシ子さん」に収録されている「百万本の赤い薔薇」がタイアップになっている・・というのは、なんかの因縁でしょうかねぇ。

それにしても最近のサザンは、エロやセックスネタよりも、こういった社会ネタ的な曲が多くなっているような印象があるけど、それは、この辺りから増えてきたような気がするな。90年代以降のサザンの傾向かもしれないな。


・・・・ということで、いつもだったらこの辺で、動画・・・と行きたいところだけど、最初に書いたようにサザンの場合、ネットに動画が落ちてないんで・・・
・・・といって引き下がるワタシじゃないっ! ・・・なんて言いきったりして。。。
某国のサーバーに「音」だけ落ちてたんで、そちらへリンク。

http://y.qq.com/webplayer/player.html

まあ、「某国」なんで、もしかしたらうまく繋がらないかもしれないけど。。。
もしよろしかったら、どうぞ。 
とりあえず、こちらからは繋がりました。。。。



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Dear Friend / 中森明菜

  1990_08_Dear_Frined_中森明菜


今回の1曲セレクトは、「Dear Friend」中森明菜です。

まずはデータです。

・タイトル     Dear Friend 
・アーティスト   中森明菜
・作詞       伊東真由美
・作曲       和泉一弥
・編曲       和泉一弥
・リリース日    1990年7月17日
・発売元      ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  54.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1990年7月30日〜9月24日付

ここ暫く殆ど常套句となってしまっているけど、週末も暑かったですわな。猛暑。
ワタシの住んでる所は、都心から比べると2〜3度は涼しいんだけども、それでも昨日は35℃近くあたりましたからねぇ。
とても家でメシ食う気にもなれず、ソバ屋で冷たいそばでも食おうと思って外出したものの、いつもの土日に比べるとホント人通り少なかったもんな。 こりゃ、クーラーが利いた家に居なきゃ、外に出たら熱中症になっちまうわ・・・って方が多かったんだろうね。

・・・ということで、これまで何曲も書いてきたけど、そんな猛暑を思い浮かんでしまう・・・って言う曲を今回も持って来ますか。

中森明菜「Dear Friend 」

今から丁度26年前。1990年の夏も、今年同様「猛暑」の夏だったんだよな。
この年大学に入ったワタシは、今頃は暑さにやられて外に出る気にもなれず、1日中クーラーガンガンかけた部屋で引きこもってた頃だ。

そんな折、この軽快なサウンドが耳に入ってきた・・・っていうのを覚えてるな。

確か、始めて聴いたのはミュージックステーションだった・・・と思う。
ただ、今wikipediaで調べたら、ミュージックステーションに出演したのは、8月13日とある・・・。

うーむ、そんなに遅かったかなぁ。。。。7月17日にリリースされたこの曲。なんか、もっと早い段階でこの曲、耳にしてたようなような気がするんだけどな。。。。

でもね、間違いなく全く予想外な曲調でさ、「唖然」としたのは、良く覚えてるんだよな。

まさかね、明菜嬢がメジャーキーの、こんな軽快な軽いポップスを持ってくるとはねぇ。
ちなみに、デビュー曲の「スローモーション」以来、この曲までのタイトル曲を調べてみたら、シングル24作目にして、初めての「メジャーキー」の曲なんだよね。
だからね、まさかね、メジャーな曲調で来るとは全く眼中になかったんだよね。

この曲の前が89年4月リリースの「LIAR」。この曲もご多分にもれずマイナーキーだったわけじゃん。デビュー初期・・少なくとも「ミ・アモーレ」位までの曲はべつとして、それ以降の曲は、どこか冷めたような感じの曲を淡々と歌うようなイメージが定着していたわけじゃん、明菜って。
だからね、この曲も、もちろんそう言う感じの曲だろうなんて思っていた訳なんだよね。
・・・というか、そう言う曲調しか、当時の明菜からは浮かんでこなかったんだよね。

それは、明菜のキャラクターなんだろうな。メジャー系を歌わせるだけの「陽」な部分が見えなかったっていう・・・。
 その昔、陽の吉田拓郎と陰の井上陽水  同じく 陽の桜田淳子と陰の山口百恵、・・なんて、ライバル同士、月と太陽のように比較される事がままあった歌謡界だけど、明菜も、陽の松田聖子と陰の中森明菜・・・って言う比較はあったしね。
 それは、やっぱり、このヒトが持ってるキャラクターがそう思わせてしまうんだろうな。だから、自然と曲もマイナー系中心になってしまう。
 それが、レコード大賞受賞以後、重圧から陰の部分がより多くなっていった・・ように感じたりしたんだよね
それに加えて、この曲がリリースされるまでの1年数カ月の間にいろいろあった訳でさ。 
そんないろいろあった中での「再出発」の曲・・ということで、それまでは無かったような曲⇒メジャー展開の曲・・・て、新たな門出をイメージングしたかったんだろうね。

 うーむ、なんか、ありきたりなことを書いてしまった感じだけど、でも、この曲の場合は、それしか感じられないんだよな。 
 兎に角、この曲がリリースされるまでの1年数カ月というものの、「陰」の部分しか表面に出てこなかったからな明菜って。

でもね、この曲でそんな部分は完全に吹っ切れたのかなぁ・・・・。そんな事を感じさせるような1曲であったことは間違いなかったな。

ただ、外見上はまだまだ、骨と皮だけってくらいやせ細っていたのが痛々しかった・・・っていう印象もあったのは拭えなかったけどな。だから、本当にこれが「復活」なのかな・・・っていうのは、疑問に思えたっていうのは、正直なところだったかもしれない。

いずれにしろ曲は文句なく良かった。 軽いスピード感のあるメロディ、清涼感のあるサウンドアレンジ、どこをとっても夏向けの良質なポップスとなっているしね。
 そそ、清涼感があるんだよな、この曲。だからね、個人的には、この曲と言うと、もちろん、あの夏の猛暑と言う事とともに、クーラーの清涼感をどことなく感じてしまうんだよな。
 恐らく、初めて聴いた時、そんなクーラーをガンガンかけてた部屋の中で聴いた・・・っていうあの空気感が脳裏に残っているんだと思うわ。


 


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50/50(フィフティ・フィフティ) / 中山美穂

1987_08_フィフティフィフティ_中山美穂


今回の1曲セレクトは、「50/50(フィフティ・フィフティ)」中山美穂です。

まずはデータどぇす!

・タイトル     50/50(フィフティ・フィフティ)
・アーティスト  中山美穂
・作詞       田口俊
・作曲       小室哲哉
・編曲       船山基紀
・リリース日   1987年7月7日
・発売元     キング
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数 21.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1987年7月20日〜9月14日付

昔のビデオを見てると、意外なヒトが映ってるって事、たまにあるんだよなぁ。
そそそ、今は超一線で活躍しているアーティストなのに、その当時は全然無名で、しかも画面の端っこに映ってるとかね。
 
え? だからなんだって? ハイハイハイ、実は、今日セレクトしてきた曲の「前振り」なんですねぇ。

中山美穂「50/50(フィフティ・フィフティ)」

でも、この曲に今超一線で活躍してるアーティストなんて居たっけ?
ま、確かに、作曲が小室哲哉だったりするし、それが意外っちゃ、意外かもしれないけど。。。

実はね、この間、この曲がランクインしてた頃の「ザ・ベストテン」のビデオを見てて、「あれっ?」って思ったんだよね。

この曲のバックバンドでベース弾いてるヒト、どっかで見た事あるぞ・・・・。

いや、見間違える訳がない。 なんとなんとドリカムの中村正人氏なんだよね。
ベースの弾き方が、今と全く変わらないのよ。

そそそ、知ってるヒトは以前から知ってると思うけど、中村正人氏って、ドリカムを結成する前はフリーのセッションアーティストで、この曲の頃はミポリンのバックバンドに居たんだよね。

1987年といったら、まだ、ドリカムの影も形も無い頃ですわ。いや、正確に言えば、この曲の数か月後にドリカムの前身ユニットを結成することになるんだけど・・・。
 
もちろん、当時は、そんなこと全く知らなかったし、中村氏も全く無名だったんで、全然気にしないでこの曲を聴いてたけどなぁ。

まあ、↑で書いたように小室哲哉が作曲した・・・って方が話題になってたもんね。 正確に言えば、この曲の丁度1年前の86年夏のシングル「JINGI愛してもらいます」も小室なんだけどさ、やっぱ「Get Wild」で大ブレイクしたすぐ後のタイミングだったんで、「JINGI〜」よりは、話題性があったような気がするなぁ。
 その影響もあったのか、ミポリンにしては比較的、長期間ベストテン入りしたロングヒットになったんだよな、この曲。

 TMとか90年代の小室サウンドに馴染んでるヒトにとっては、あんまり小室っぽい感じ無いかもしれないけど・・・。
まあ、この曲の場合、小室がタッチしているのは作曲だけで、アレンジは船山基紀氏だったりするんでね。
YAMAHA、ROLAND系のシンセが多かった小室に対して、船山氏はなんと言ってもフェアライトなヒトだったからなぁ。その辺のサウンドの違いは大きかったんだよね。

ただ、この曲はシンセを使いながらも、全体的にカリブ海をイメージした中南米系のサウンドがね、ミポリンとしては新鮮だったのは確かだな。スティールパンをサンプリングしたシンセのサウンドは、軽快かつ軽ーい曲で、如何にも夏向けって感じだったしな。

50/50って書いてフィフティ・フィフティって読ませるタイトルもなんか新鮮味があって面白かったしな。



はいはいはい、ミポリンの右ななめ後ろで、ベースを弾いてる中村正人氏です。
そそそ、やっぱり、ベースの弾き方とかリズムの取り方が、今と全く変わらないんだよな。独特の風貌なんだよね。 意外にノリノリで弾いてたりして
 ちなみに、ミポリンもこの曲あたりまでは、まずまず声が出てたんだよな。 次の「CATCH ME」で角松敏生氏にシゴかれて声が出なくなった・・・ともっぱらの噂ではあるが。。。


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ライディーン /イエロー・マジック・オーケストラ

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今回の1曲セレクトは、「ライディーン」イエロー・マジック・オーケストラです。

まずはデータです。

・タイトル    ライディーン
・アーティスト  イエロー・マジック・オーケストラ
・作詞      なし
・作曲      高橋ユキヒロ
・編曲      イエロー・マジック・オーケストラ
・リリース日   1980年6月21日
・発売元     アルファ
・オリコン最高位 15位
・売上げ枚数  22.5万枚

そりが合わないヒトって居るよね。ワタシさあ、子供の頃から協調性ゼロって言われるくらい「個人主義」なんで、そりが合う、合わない・・・っていうのが、人一倍あるんだよなぁ。
それは、大人になった今でもある訳で・・・。仕事上、本当はそれじゃ行けないんだけどね。・・・と理性としては分かっているんだけども、本能がそれが許さない・・・とかね。だから、「あーやだやだ」ってすぐに顔に出ちゃう訳ですわ。
 うーむ、本来なら「勤め人」としては一番向いていないタイプなんだよな。でも、働かないとメシ食えないから、向いてないな・・・と思いながらも半ば仕様が無く勤め人やってる訳ですわ。 宝くじでも当たれば即日、辞めると思うけどさ。

・・・・と、なんでいきなりそんな事を書くか・・・というと、今回セレクトしてきた曲の「前振り」なんですねぇ。

イエロー・マジック・オーケストラ「ライディーン」。

でも、みなさん、「ライディーン」と「そりが合わないヒト」と何の関係があるの・・・なんて思いますよねぇ。
それがあるんですわ、私の中では。

Y.M.O が話題になって、この曲がシングルチャートの上位にランクアップしてきたのが、1980年の今頃。ワタシは小学5年の時。その頃、学校では放送委員をやってワタシなんだけど。・・・というか、小4〜卒業するまでずっと放送委員だったんだけどさ。
放送委員は、曜日別に放送当番が決まってて、小4〜小6まで各1人ずつのチームを作らされていたのね。

で、さあ、この曲がヒットしてた1980年前期の時に組んでた、当時の小6の奴(まあ先輩なんだけど。。。)とそりが全く合わなくてね。すぐ、ヒトを小馬鹿にするイヤミな奴でさあ。 

そいつがある日、「ライディーン」ってしってる? なんて言って来た訳さ。

当時、ワタシ、Y.M.O知らなくてねぇ。 だから「ライディーン」なんて知らなかったんだけどさ。
でも、そこで知らないなんていったら、またヒトを小馬鹿にしてくるのが分かってたんで、知ったかぶりで「知ってるよ」なんて言っちゃったわけよ。

実はね ワタシ ↓コレ だと思ったのよ



「勇者ライディーン」  (爆)

バカにされたなぁ。小馬鹿じゃなくて、大馬鹿扱いされたもの。
でもさあ、あながち間違いじゃないじゃん
・・・とか、あんときは、心の中では思ったワタシだったんだけどね。。。
結局そいつとは、1980年度前期が終了する9月まで、チームを組まされたな。、
後期は、そいつ放送委員に落選したんでさ、顔合わせなくなって、まあせいせいした事。


でもね、それがきっかけとなって、逆にキニナッた、Y.M.Oの「ライディーン」なんだよな。
だから、そんな出来事があったあとですよ、この曲を実際に聴いたのは。

これが悔しいかな、良い曲なんだわ。うーん、良い曲っていうのは、ちょっと語弊があるかな。面白い曲でしたね。
 正直、それまで思いに聴いてた「ヒット」曲は全く感じなかった硬質感。無機質って言った方がいいのかなぁ。

 実際は、これ聴く前に「テクノポリス」は知ってた訳だから、Y.M.Oサウンド自体全く知らなかった訳じゃないんだけど、「テクノポリス」よりもさらに無機質感を感じたんだよな、こちらの曲には。
それでいて、メロディはよりキャッチーだったしな。 だから、すっと曲に入っていけた。
 まあ、当時はまだガキだったから、吸収力が凄かったからね。音楽に対してのキャパシティがでかかったから、聴くモノはなんでも吸収して行ってたようなところもあったからな。
 SE的に、当時ゲーセンに置いてあったようなテレビゲームのシューティングゲームのようなSEもあったでしょ。あれも刺激的だったしな。
今となってはちゃっちい8ビット的な音なんだけど、当時は、これでも充分刺激的だった訳なんだよね。



1980年12月27日
Yellow Magic Orchestra World Tour '80  最終日
武道館でのライブの時の「ライディーン」ですね。

それにしても、この時のツアーメンバーが、Y.M.Oのツアーの中でも最強だったんじゃなのかなぁ。

Y.M.Oの3人
細野晴臣
坂本龍一
高橋ユキヒロ

に加え、サポートメンバーとして
ギター 大村憲司
キーボード 矢野顕子
コンピューターマニピュレーター 松武秀樹

松武氏、若いですね。 矢野顕子さんも若いなぁ。 この時25才だって。
飛び跳ねながらキーボード弾いてる矢野顕子さんも珍しいわな。 このライブの1か月後には、あの大ヒット曲「春咲小紅」がリリースされることになる。

でも、レコードでは無機的に聴こえるこの曲も、実際にライブで、「手弾き」でやると、たちまち有機的に聴こえるのは不思議ですわな。
いくら、機械的に発達したと言っても、やっぱり、ヒトが実際に弾いてる音楽には叶わないんだよね。

 ちなみに、この時は、キーボード3人に、松武氏のマニピュレーターって言う存在も必要だったけど、あれから36年。いまでは、これらキーボードとマニピュレーター、4人分を1人でも十分賄えるようになったよな。
 だから、この時6人で廻ってたツアーも今じゃ、ギター、ドラム、キーボードの3人で充分・・・いや、ドラムもいまはコンピューターで充分だから、2人いればカバー出来るようになったわな。 機材技術の進歩だよなぁ。
 逆に、実際に演奏しているヒトのテクニックは、逆に衰退しているように感じるけど。。。


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おどるポンポコリン / B・Bクイーンズ

1990_08_おどるポンポコリン_B・Bクイーンズ


今回の1曲セレクトは、「おどるポンポコリン」B・Bクイーンズです。

まずはデータです。

・タイトル    おどるポンポコリン
・アーティスト  B・Bクイーンズ
・作詞      さくらももこ
・作曲      織田哲郎
・編曲      織田哲郎
・リリース日   1990年4月4日
・発売元     BMGビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 164.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1990年5月14日〜10月29日、11月12日、1991年1月14日〜1月28日付
・タイアップ:フジテレビ系アニメ「ちびまる子ちゃん」エンディングテーマ & オープニングテーマ

ブームはいつやって来るかわからない。 いや、だから、熱狂的なブームって来るんだろうね。最初っから、これ流行るってわかってたら、それほど熱狂的に大多数のヒトが食いつく訳がない訳で。。。

・・・・なんて、いつもとはちょっと毛色が違うマクラから始めてしまいましたが・・・。 はい、今回は、そんな「予期」もしてなかった一大ブームとなったこの曲を。

B・Bクイーンズ「おどるポンポコリン」。

言わずと知れた・・・ってくらい、ほとんどの方が知っているであろう、アニメ「ちびまる子」ちゃんの「初代」エンディング・テーマ曲ですわ。

・・・・なんて書くと、「え?」なんて思う方もいらっしゃるかなぁ・・。 そうね、最近の「ちびまる子」ちゃんでは、この曲エンディングではなく、「オープニング」曲になってるもんね。

でも、当初は、紛れもなく、この曲は「エンディング」曲だったのですよね。

ぢゃ、初代オープニング曲は? ・・・っていうと、

↓この曲


関ゆみ子さんの「ゆめいっぱい」。

あっ懐かしいなぁ・・・って言う方は、それなりのお年かなぁ。
なんせ、今年で26年も続いているアニメな訳で、当初から見てる・・・・って方は、少なくとも26才以上だもんね。

個人的には、この曲の方が「ぽんぽこりん」よりも、90年の「夏」を思い出すなぁ。
90年の夏、この曲が頭んなかをヘビーローテーションしてたんだよなぁ。

ワタシねぇ・・・っていうと、意外と最初の頃から見てるんだよね、「ちびまる子ちゃん」って。
放送開始が1990年1月でしょ。 ワタシねぇ、この年の3月には確実に見てるんだよね。

大相撲の流れで、NHKからフジテレビに合わせていたのが、当時のルーティーンだったからなぁ。
だから、大相撲の1990年の3月場所の後にフジに回したら、たまたまやってた・・・って感じだったんだよな。確か。そそ、予備知識もなんも分かんないで見始めたんだよ、たしか。

で、エンディングの「おどるポンポコリン」だよね。 オープニングの「ゆめいっぱい」は如何にもアニメのオープニングだったのに対して、「ポンポコリン」は一体何もんなんだ? なんて当初から気になったのは確か。

まさかね、ビーイングのアーティスト集合体、いわば「覆面バンド」なんて思いもしなかったからな。

まあ、その前に、この曲の当時は、後の「ビーイング」時代・・・と呼ばれるほど、ビーイングは一般的ではなかったんだよな。B'zも、まだ本格的ブレイク目前の頃だったし、TUBEぐらいか、ビーイングでメジャーだったのは。

しかも、ビーイングの中でも「実力」肌と名高かった、ギターの近藤房之助氏を筆頭に、ボーカルの坪倉唯子、ベース、栗林誠一郎、コーラス Mi-ke とその後のビーイングの中心人物となって行く方々が参加。

・・・・とどう見ても、こんなコミックソングを歌うような人たちが歌っているとは考えられなかった陣容だったよな。

まあ、だから、そんな意外性が大いに受けたんだろうしね。 なにより、音楽を知っているヒト達がやってる「おちゃらけ」だったからこそ、おちゃらけでも音楽的には崩れてなかったっていうのも良かったんだろうな。

なんせ、あの頃の主な「支持者」といったら、当時の「おこちゃま」達でしたからねぇ。
ま、最初からそれが狙いだったのか 意外にもそうなっちゃったのかっていうのは、よく分かんないんだけどさ。

ただ、少なくとも「子供」が一番のお客さんだった事には変わりはなかった訳で。。。
でも、子供って言うのは、逆に言えば大人以上に「シヴィアー」だからねぇ。音楽だって、「ホンモノ」ぢゃないとすぐそっぽを向く所ってあるじゃん。
 でも、そこは「音楽のプロ」集団だった事が長期間にわたって「子供」に受け、結果的に超ロングヒットになった要因なんだろうな。


・・・なんてのは、後付的に言える事であってさ、少なくともヒットする前から見てると、まさか、ここまでヒットするとは考えなかったよな・・・っていうのき正直なところなんだよね。
 おりしも、この時は、あの「およげたいやきくん」からは15年だったわけで、・・・そう言う意味では、忘れた頃に子供が絡んだ大ブームっていうのはやって来るんだよねぇ・・・って感じだったよなぁ。




それにしても、近藤房之助氏、よく手袋してギターが弾けるよな・・
うそうそ、弾いてないやん


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juice / B'z

2000_08_Juice_B'z


今回の1曲レクトは、「juice」B'zです。

まずはデータです。

・タイトル    juice
・アーティスト  B'z
・作詞      稲葉浩志
・作曲      松本孝弘
・編曲      稲葉浩志 松本孝弘
・リリース日   2000年7月12日
・発売元     ルームスレコーズ
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  67.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:2000年7月27日〜8月10日付

蒸し暑〜い ・・・ってこの夏何回書いてんだ 
でも、今晩は本当に蒸し暑いですわ。もうね、シャツ着るのも億劫で、パンツ一丁でコレ書いてるワタシです。

蒸し暑い日・・・といって連想できる曲、今年は何曲か書いてきてるけど、今日もそんな曲を持ってきたくなっちゃいますね。

・・・・ということで、今回の1曲セレクトは、コレ。

B'z「juice」

前回も書いたけど、ここんところアイドルに偏っちゃってたんで、ちょっと目先を変えたかったのもありーの、ハードロックを持って来ましたわ。

いやいや、それにしてもこの曲は聴いただけで、蒸し暑くなっちゃいますわ、ワタシなんかは。
ま、リリースされたのが、2000年の7月と、今と同じようにムシ暑いじきだったからタイトルを連想するだけでも蒸し暑さを感じるんだけども、何分曲がね、これまた「暑苦しい曲」だったでしょ。

・・・・なんて書くと、「ケッ、またB'Z 貶しかよ」・・・とか思われちゃうかもしれないけど・・・。 ま、たしかに前々から「アンチ」B'z・・・と言ってきたワタシではあるけど、この曲は例外。うん、なんかこの曲はいいんだよな。

暑いときに「熱い」モノが食いたくなる・・・。っていうのと同じで、暑いときに「暑苦しい曲」を聴く・・・っていうのもなかなかオツなんだよな。生理的にすっきりする・・・というか。
 やっぱり、暑い時こそ、汗をかかなきゃ・・・っていう生理なんだろうな。ウム、暑いからと言ってクーラーに充てってばっか居たんじゃダメッてことなんですよね。
なんかも、この曲聴くとそんな事が思い浮かんじゃったりするんだよな。

サウンド自体暑苦しい曲だけど、この曲、詞の内容がね、これまたストレートなんだよな。
うむ、そのままSEX「行為」やん。   なんてストレートに書いていいんやろか・・・んて思ったりするけど、ま、実際そうだからさ。

 しかしB'zが、そのまんまSEXな事を歌うとはね、ちょっと意外だった訳で、あ、だからこそ個人的には、アンチB'zでも良かったのかも。B'zらしくなくて
 
それにしても、この曲の場合、「行為」といってもまるでスポーツだよな。いや「行為」自体歌った曲って言うのは、それまでもたくさんある訳だけど、大体がドロドロした艶めかしい雰囲気な感じなわけじゃん。
 この曲は、同じ「行為」でも、そう言う部分がない。 だから、そう言わなきゃ、もしかすると分かんないかもな・・・。
・・・って事はないか  でも、やらしさは感じないよな、少なくとも。

例えば、同じロックでも、サザンの「行為」は、もっと「ヤらしい」けどね。 でも、そのヤらしさが描写的で、個人的には好きなんだけどさ。

この曲は、そういう描写的な感じはしないんだよな。

ま、サビの部分の ♪ 熱いJuice しぼりだす ぶったおれるまでやりきる〜 ♪ って言うくだりは描写的だけど・・・


ただ、チャート的には、少し下降線を辿りつつあった頃ですね。
売り上げとしては、この曲ではまだ67万枚強あったものの、ベストテン内は3週しか居なかったからな。

まあ、この曲がリリースされた翌週が、2000年夏の陣・・・と言うべく、サザン、ラルク、GLAYなんていう、当時の超グレイトバンドが、同時リリースなんていうとんでもない週になってしまったため、1週前リリースだったB'zは吹き飛ばされた・・・とも言えるけど。。。
それにしても思ったよりは、タンパクなチャートアクションになっちまった印象が強いんだよな、この曲。

ちなみに、この曲でオリコン25作連続1位獲得・・・と、それまでの松田聖子の24作連続を抜いて歴代1位になったB'zだけど、今振り返ってみると、それほど大々的なニュースにはならなかったような気がするな。
 まあ、オリコンチャートも曲がり角に差し掛かってきてた頃だったからな、当時。




この曲と言ったら、札幌でのゲリラライブでのこのPVだろうな。
16年前の今頃、このPVは何回見たか分かんないくらい見てたよなぁ・・・。

でも、ようつべには1分15秒バージョンしかないんだよな・・・。
それじゃ淋しいんでね、フルバージョンの別動画をひとつ





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