かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

2016年06月

さよならのオーシャン / 杉山清貴

1986_06_さよならのオーシャン_杉山清貴


今回の1曲セレクトは、「さよならのオーシャン」杉山清貴です。

まずはデータです。

・タイトル     さよならのオーシャン
・アーティスト   杉山清貴
・作詞       大津あきら
・作曲       杉山清貴
・編曲       佐藤準
・リリース日    1986年5月28日
・発売元      バップ
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数  20.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1986年6月16日〜7月14日付
・タイアップ:ダイドードリンコ「ダイドージョニアンコーヒー」CM曲

少し前に、市川文化会館で行われた「ポプコン」同窓会コンサートについて書きまして。
その中でも、杉山清貴氏についてチラリと書いたんだけども、まさかね、今回セレクトしてきた、この曲をやるとは思わなかったんでね、不意を打たれてしまいましたね。

はい、今回の1曲セレクトは、杉山清貴氏のソロデビュー曲であった、「さよならのオーシャン」です。

でもさあ、気がついてみたら、この曲がヒットしてから30年が経つんだよな。 なんかビックリだよなぁ。マジでついこの間っていう感覚なんだけどなぁ。
1986年6月〜7月にかけてでしょ。 ワタシは高校2年。毎日放課後部活終了後、先輩たちとツルンで、フラフラしてた頃だよなぁ。
もう時効だから書いちゃうけど、部活の顧問の先生(当時独身)の部屋に、高校生なのに酒を持ちこんで飲んだくれててたりさあ。 やりたい放題だったもの。
お陰で、あの頃からの蓄積が今頃になって、「痛風」というしっぺ返しにあってますよ

この曲を聴くと、あのやりたい放題だった頃のワタシを思い出しますね。

でもね、正直言うと、当時はこの曲はあんまり好きじゃなかったんだよな。
まだ、杉山清貴&オメガトライブの残像が残ってた頃だったじゃん。 オメガトライブは好きだったんですよ、個人的にも。でも、この曲はなんかしっくりこなかったんだよなぁ。

パッと聴き、オメガトライブの頃とそんな大きく変わったところは感じ無かった・・・というばそうかもしれないけど、でも、なんか違うんだよね。
やっぱり、オメガトライブの頃の林哲司氏の作品と、杉山氏本人が作ったという曲調の差なのかなぁ。
サウンド的に大きく変わったところも無かったしね。 
なんていうのかなぁ、杉山氏のメロディって、ダサいんだよな。・・・・なんて書くとクレームが来そうだけど、うん、そうそう大衆的なんですよ。
 林哲司もメロディも大衆的だけど、若干、洋楽っぽい硬質感があるんだよな。 それが、オメガトライブっていう「シティポップス」のイメージにマッチしてたと思うんですよ。
でも、この曲は、そういう硬質感っていうところがあんまり感じられなかったからなぁ。

そこにギャップを感じたんだと思うな。

ちなみに、この少し前に、1986オメガトライブと言う形で、新生オメガトライブもデビューしてたけど、正直言えば、そちらもあんまりピンと来なかったんだよね、個人的には。

やっぱり、オメガトライブといえば、杉山清貴氏だと思うしね。

発展的解消と言う形で、1986オメガトライブと杉山清貴氏のソロデビューとそれぞれ分かれたはずだと思うんだけど、正直言えば、マイナス点の方が目だったような感じがしたな、当時は。
 サザンの桑田氏ど同じように、オメガトライブをやりながら、杉山氏のソロ活動っていう感じには出来なかったのかなぁ・・・・なんてね、今にしてみれば、そんなことも思ったりするんだけどね。

ただね、先日のポプコンコンサートで、久しぶりにこの曲を聴いたけど、当時のような違和感は感じ無くなってたんだよね。素直に聴けた・・・というかね。

やっぱ30年と言う時間が、当時の違和感を解消してくれましたかねぇ。
なんだかんだと言っても、あの青春の日々を思い出させてくれる1曲だからねぇ。
 



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シクラメンのかほり / 布施明

  1975_06_シクラメンのかほり_布施明


今回の1曲セレクトは、「シクラメンのかほり」布施明です。

まずはデータです。

・タイトル     シクラメンのかほり
・アーティスト   布施明
・作詞       小椋佳
・作曲       小椋佳
・編曲       萩田光雄
・リリース日    1975年4月10日
・発売元      キング
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 105.2万枚
・ベストテンランクイン期間:1975年4月21日〜9月1日付

仕事が繁忙期に入りつつあり、ここ暫く疲れがたまってきてるんだよねぇ〜。そんなこともあり、ここ数日は1曲セレクトを書かずに寝てしまっておりまして。。。
 今日も、直前まで気分が乗らなかったんだけども、書かないのもどうも気分が悪くてねぇ、ついついPCの前に座ってしまったワタシが居たりして。。。

うむ、書こうと思っている曲は自分の頭の中に何曲かストック出来ているんでね、今回はその中の1曲をセレクトしますか。

布施明「シクラメンのかほり」。

1960年代からスターの座を駆け抜けてきた布施明氏にとっても、突然の超大ヒットと言いますかねぇ。まあ、前年の1974年に「積木の部屋」っていう大ヒットは出していたものの、この曲は、その2倍の売り上げでしたからねぇ。
 一体何があったんでしょうか・・・っていう感じの大ヒットでしたよね、この曲は。
1975年にリリースされた曲の中では、唯一のミリオンセラーだったしさあ。もちろん、布施氏にとっても、初のミリオンセラーであり、唯一のミリオンセラーでしたからねぇ。

時代はフォークからニューミュージックへと言う流れの中で、75年あたりは、まだフォーク寄りの曲が強かったですからね、そんな流れにうまく乗っかった・・・って言う感じだったのかなぁ。
 
 作詞、作曲の小椋佳氏が最高潮の時代でしたね、この頃は。72年にリリースされた、アルバム「彷徨」が井上陽水の「氷の世界」に次いで90万枚セールスに達したのもこの頃ですわ。
 
うん、アイドル全盛で子供な曲が多い今の時代感覚じゃ、なかなか理解しにくいところがあるんだけども、結局のところ、当時は、みんな大人だったんだろうねぇ。 単体の音楽というよりかは、文学の匂いがする音楽がもてはやさせていた時代・・・っていうのかなぁ。
 歌詞にしても、表面的なコトバというよりは、行間を楽しむって言うかねぇ、そんなところが大人の世界だったのかもしれないな。

今でこそシクラメンは「普通」の花って言うイメージだけど、当時は比較的高価だったんじゃないかなぁ。まあ、個人的に田舎にいたからかもしれないど、シクラメンなんぞ、子供の頃はあんまり見たことなかった気がする。
 それだけ高貴な花って言うイメージもあったのかもな。ただ、シクラメン自体、「かほり」はほとんどないんだけどね。
 それと、シクラメンは冬の花なんだけどさ、この曲自体は、今頃から夏にかけてがヒットのピークだったじゃない
 今考えると、ちょっとイメージとはギャップを感じるよなぁ。 それでも、これだけ大ヒットしたのは、やっぱり曲の良さなんだろうなぁ。
 後は、当時はあんまりシクラメンを知られてなかったんで、冬の花っていうギャップをあんまり感じなかったからかもしれない。


 ちなみに、正直言うと、個人的には、この曲は、よく分かんなかった。
当時、私は5才から6才になる頃だったなぁ。まあ、6歳児がこの世界を分かった方がコワイんですけどね

でもねぇ、ウチの母親がこの曲好きでねぇ、よくテレビを見ては歌ってたんだよなぁ、うん、それは良く覚えてる。
子供ながら、生意気にも「ジミな曲だなぁ」・・・とか思ったりしてね

そんなこともあり、ワタシも自然と曲は覚えちゃったんだろうなぁ。まだ、このヒット曲の世界に足を突っ込む全然前だけど、この曲は、よく覚えていたんだよな。

ただね、この曲が、この年のレコード大賞を取った事、布施明氏がギターを弾きながら、この曲を歌ってた事・・・っていうのは、当時は知らなかったな。

ま、そもそもレコード大賞っていうイベントを知ったのが、これより2年後、うん、ジュリーが「勝手にしやがれ」で大賞を取った時でしたからねぇ。

ちなみに、今、当時のオリコンでのチャートアクションを見ながら書いてるんだけど、この曲ベストテン内に20週連続でランクインしてたんだねぇ。超ロングヒットでしたね。まあ、ミリオンセラーになった曲だから当たり前と言えば当たり前なんだけども。

ただ、ちょっとチャートアクションで目が行ったのは、この年の年末年始にかけて、ランクを再浮上させて、1976年1月第1週(1月5日付)で、再度ベストテン内に再浮上させていたんだよね。

レコ大効果、紅白効果・・・って言う事で、レコ大受賞曲や紅白出場曲が、年末から年明けにかけてチャートを再浮上させるって言う傾向は80年代に入ってからはちょくちょくあった現象だけど、70年代には、まだ、そう言う傾向は少なかったんだよね。
 こんなに顕著に効果を見せたチャートアクションをみせたのは、もしかするとこの曲が最初かもしれないな。




ところで、以前、前年の「積木の部屋」を書いた時、当時のナベプロ総帥の渡辺晋氏が、「積木の部屋」を聴いて、「バカ野郎 なんで業界のプリンスが四畳半に住んでなきゃいけねーんだよ」って烈火のごとく怒ったとのことだったんだけども、この曲の時はどうだったんでしょうねぇ。
歌詞は別として、曲そのものは、やっぱり「貧乏くさい」イメージでしたけどねぇ。 
まあ、売れれば良し・・・というのが業界の慣習でもありますが。。。。


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あじさい橋 / 城之内早苗

1986_06_あじさい橋_城之内早苗


今回の1曲セレクトは、「あじさい橋」城之内早苗です。

まずはデータです。

・タイトル     あじさい橋
・アーティスト   城之内早苗
・作詞       秋元康
・作曲       見岳章
・編曲       見岳章
・リリース日    1986年6月11日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   15.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1986年6月23日〜6月30日付

この間、ここんところアイドル続きだったんで・・・ってことでロック系な曲を暫く書こうと思ってたんだけど、つい挫折しちゃいましたわ。。。 今回もアイドルの曲です。
まあ、アイドルと言っても、ちょこっと「?」が付きそうな曲ではあるんだけど。。。

城之内早苗 「あじさい橋」

城之内早苗さん、今でも現役ですねぇ。現役の「演歌」歌手ですねぇ。。
でも、アイドルなんですよね。

・・・・なんて白々しく書いたりして。。。 はっきり「おニャン子」でした・・・って書けよ・・・って事なんだけど

まあ、そんな事わざわざ書かなくても、ココ読んでくださって要る方には、百も承知の事実ですわね。

うむ、おニャン子だけど、「演歌」でソロデヒューしました・・・っちゅうわけで、AKBの岩佐美咲さんと全く同じだったわけですわ。

違うのは、この曲がオリコン1位を獲得していることだろうなぁ。しかも初登場1位。 うむ、演歌界初めての初登場1位・・・なんて騒がれてましたな、当時。
 でもねぇ、正確に言えば、「反則」なんだけどさ。 だって、曲は演歌っぽいかもしれないけど、あくまで「おニャン子」だったわけで。。。。

うむ、もっと正確に言えば、上で書いたように「演歌っぽい」曲ではあったものの、本当に演歌なの? って言う感じの「歌謡曲」なんだよね。
 時代が80年代も中盤だったから「演歌」で通じちゃったんだろうけど、これが70年代の前半だたら、おそらく「歌謡ポップス」に入れられていただろう・・・・って感じなんだよね。
 
例えば、森昌子の「せんせい」とか、小柳ルミ子の「わたしの城下町」とか、こんな感じだったわけじゃん。

だからさ、「演歌初の〜」っていう冠がつくのは、なんか違うよなぁ・・・っとは、当時も思ってたなぁ。

まあ、その前に、以前も書いたように、1986年4月以降、おニャン子は、今のAKBグループ同様、音楽業界をダメにする仮想敵のように思ってたからさあ、正直言うと、ヒット当時はまともに聴いても無かったんだけどね。

なんとか聴けるようになったは、おニャン子が解散した後、1988年にベスト的アルバム「家宝」を買ってからかなぁ。
 
だからね、この曲を聴くと、1986年というよりも、1988年の匂いがするんだよな個人的には。

でも、やっぱり当時の時代感と、この曲がもってる匂いにズレを感じちゃったりしてね。
だって、どう聴いても、この曲、70年代前半なんだよなぁ。色合い的にも、曲の雰囲気も。80年代というには古臭すぎるっていうか。。。。
 上で書いた、デビュー当時の森昌子的な匂いなんだよなぁ。だから、曲として評価のしようが無いって感じたのが正直なところだったかもしれないな。

ちなみに、この曲と全く同じ、作詞 秋元康  作曲 見岳章 っていう布陣で、この2年半後、美空ひばりの不朽の名作、「川の流れのように」を作ることになるって言うのは、この時点では、全く考えても無かったわけだけどさ。

 そーいえば、「私は里歌ちゃん」ちゃんなんていう、ヒット曲界に超ド級の「バクダン」を落としたのも、この2人だった。。。。。。。

なんだ、このギャップはwwwwwwww




それにしても、あれから丁度30年、まさか、本格的演歌歌手として、今も現役で歌っている・・・なんてことは、当時は考えても無かったけどな。
たしかに、おニャン子の中では歌はしっかりしていたし、コブシも廻せてたけど、それと、「プロ」の演歌歌手として通用するのか・・・ってのは、また別の話だしさ。

ちなみに、このシングルのB面が、「おニャン子クラブのあぶな〜い捕り物帖」って、タイトル通り今となっては「あぶない」曲だったんだけど、そっちが人気だったんだよな当時は。
オリコン1位とれたのは、そのおかげだった・・・ってところが強かったかもな。。。


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2016年上半期ランキング集計終了

ワタクシ目の2016年上半期チャートの集計が終了し、先ほど、サイトの方へ即日発表しましたexclamation ×2

http://www.kajiyan-net.jp/hitchart.htm


まあ、集計終了と言っても、各楽曲にID振るようになってから、EXCELのピポットテーブルを使用して簡単に、ものの数分で集計も終わるんで、全然大変じゃないんだけどね。

ふむ、1曲1曲、電卓片手にシコシコと1日がかりで集計していたのは、今は昔だからさ。



でぇ、出来あがったばかりのランキングから、速報的レビューです。

2016年1月7日〜6月30日付間ランキングで、全ランクイン曲数 716曲。

昨年の同上期半期時の、総ランンクイン曲数は738曲だったので、 昨年に比べると微減となっています。

ただし、その分1曲あたりのトータル得点は、若干ですが、昨年の上半期時に比べると、やや伸びて来ているかな・・・と言う印象がありますね。

特にベストテン内を含め上位では、総じて、昨年に比べるとトータル得点が伸びて来ているのが分かります。

ま、これには、ややカラクリがあって、有線チャートのランク付の変化が大きいんだよね。

事前にはお知らせしてなかったんですが、有線チャートのランキング方法、昨年まではジャンル分け無しで総合ランキングだったんですが、今年から、演歌部門、ポップス部門と、チャートが別になりまして。。。
 ワタシチャートは、他の要素との傾向から、当然ポップス部門のランキングを採用しています。

したがって、有線に強いポップス系の楽曲は総じて、昨年までの集計方法よりも有線からの得点を得やすくなっており、その効果もあったようです。

逆に言えば、演歌系については、有線からの得点を失う事になっており、したがって上位にほとんど演歌系は居ない・・と言う結果になっています。

まあ、これは演歌をどう見るかという主観的な部分になってきてしまうんだけど、他の要素とのバランスを見ても、演歌よりはポップス系に配分が高いのは、ヒを見るよりも明らかなんで、これも時代の流れということで、しょうがない部分と割り切っておりまする。


それぞれの楽曲個別のランキング傾向を見ると、

1位 明日への手紙 手嶌葵
2位 未来 コブクロ

っていうのは、もしかして、結構意外な楽曲でしたかねぇ。
確かにCDセールス「のみ」のチャートからすると、ちょっと考えられない順位だったかもしれない。
でも、両曲ともネット配信では強かったですからね。 それに伴い、有線、ラジオチャートも上位に引っ張られ、プラス、比較的ロングヒットになったことで、得点を伸ばしてきています。

特に、2位の「未来 コブクロ」は、今週、再チャートアップとなってきていることから、年末の年間チャートに向けてさらに得点を伸ばしてきそう。次週以降のチャートアクションにも要注意ですね。


その他、ベストテン内を見ていくと・・・・、うむ、AKBグループと「その仲間たち」なヒト達が多いなぁ

・3位 サイレントマジョリティー  欅坂46
・4位 365日の紙飛行機  AKB48
・5位 唇にBe My Baby AKB48
・9位 ハルジオンが咲く頃 乃木坂46
・10位 君はメロディー AKB48

・・・と10曲中、5曲を占めている。。。

個人的には、うーむ悔しいなぁ・・・と思いつつも、この状況は、やっぱ認めざるを得ない訳なんだろうねぇ。

特に3位の欅坂46「サイレントマジョリティー」は、CDセールスのみならず、ネット配信でも、上位で比較的長い間ランクインされて来ておりねその結果得点を大きく伸ばしてきた訳で。。
それだけ、「一般」のお客さんも呼び込めたということでね。

ただ、これらにも言えることは、総じて言えばCDセールスよりも、ネット配信で強かった曲が上位に来たというところ。で共通して言えることは、一過性的に強かった・・・と言う訳ではなく、やはりある程度、上位にロングランさせるようなチャートアクトョンを展開し、得点を稼いだことが大きかったですね。
 特に4位の「365日の紙飛行機」は、ご存じのように「唇にBe My Baby」のC/W曲なんで、ワタシのチャートでは、CDセールスは反映されません。
 つまり、CDセールスの得点は「0」な状態で、ここまでランクを上げて来ています。 それだけネット配信チャートが強かった訳ですわね。 その他、有線でも強く、結果的にこの2つの要素が強みとなって得点を伸ばしてきています。


ちなみに、

・6位 花束を君に 宇多田 ヒカル

も、「365日の紙飛行機」同様にCDセールスは「0」の状態で、ここまでランクを伸ばしてきています。
 まあ、もとよりこの曲はCDリリースはされておらず、ネット配信のみなんで、CDセールスチャートには入り様が無いんですが。。。

でも、これらの曲の傾向からも分かるように、CDセールスは曲の「ヒット」と言う点に関して、どれだけ重みが無くなっているのかが分かるような結果だったんじゃないかなぁ。

ま、それについては、昨年の年間チャートの時も言及したけど、今回の上半期チャートではね、さらに如実に進んだと感じる結果でしたわ。


昨年までに比べると、ちょっと元気が無かったと感じるのは、西野カナさんですかねぇ。

まあ、

・7位 トリセツ 西野カナ

と、ベストテン内に1曲送りこんではいるものの、去年リリースの曲だからねぇ。
今年の曲、「あなたの好きなところ」は14位と、もうひとつ伸びが見られない。「トリセツ」に比べても「粘り」という点で、得意の配信チャートでもタンパクなチャートアクションになりつつあるし。
 これは、楽曲の傾向自体、飽きられつつあることは明らかな訳ですわな。
次の曲は、曲調も、詞の内容も変えていかないと、さらに飽きられる可能性があるよ。
勝負の曲になってくるのは間違いなさそうですわ。

宿無し / 世良公則&ツイスト

1978_06_宿無し_ツイスト


今回の1曲セレクトは、「宿無し」世良公則&ツイストです。

まずはデータです。

・タイトル    宿無し
・アーティスト  世良公則&ツイスト
・作詞      世良公則
・作曲      世良公則
・編曲      ツイスト
・リリース日   1978年4月10日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数  52.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1978年5月1日〜7月31日付

前回書いたゴールデンカップスは、ちょこっと「引き」が弱かったかなぁ。
まあ、ほぼ50年前の曲になるからなぁ、そうなっちゃうのもしょうがないのかもしれないな。
で、今回は、前回よりも10年時代を戻りまする。1978年の今頃のヒット。

世良公則&ツイスト「宿無し」。

ツイストのヒット曲も、これまでほぼ書きつくした・・・って思ってたんだけども、なぜか、この曲だけ抜けてたんだよな。
 うーむ、今のワタシは、ツイストあってこそ・・・ってくらい、78〜79年当時心酔してたんだけどなぁ、このヒトたちには。
 以前も書いたと思うんだけども、ワタシ、世良氏になりたかったんだよねぇ。だってカッコ良かったんだもん、単純に。
 あの頃、当時の世良氏と同じ髪型にしてたもんな。髪が肩にかかるくらいの長髪でぇ、ホウキもってツイスト歌ってたもの。 小学3年生で 
 でも、髪が長かったんで、先生にはいっつも注意されてたな。小学生だったんで頭髪検査までは無かったけどさ。
 でも、眼中になったんだよねぇ、当時のワタシは。 
今はノミの心臓なワタシも、当時は怖いもん知らずだったからなぁ。

たださ、この曲がヒットしてた頃は、正確に言えば、まだヒット曲の世界に足を突っ込んではいなかった訳なんだよね。
 うむ、ヒット曲の世界に足を突っ込んだ頃、ツイストは「銃爪」を歌ってたからさあ。この曲の数カ月後のことですわ。

だから、この曲を歌番組でリアルタイムで見た記憶って、意外とないんだよね。実を言うと。

ザ・ベストテンでは、この曲、新潟の万代橋脇で、数千人が押しあいへしあいになった中継が有名だけど、その時もまだ、ベストテン見てなかったしさ。

それでも、この曲知ってたんだよな、なぜか。 どこで聴いたのか、どこで覚えたのか、38年経った今では、よく覚えてないんだけどねぇ。


この曲は、前曲のデビュー曲「あんたのバラード」を受けての、シングル第2弾になる訳だけど、前曲の勢いが、ますます「加速」したって感じで、50万枚突破の大ヒットでしたわね。「あんたのバラード」は43万枚だったからさ。
でも、日本のヒット曲界が、明らかに変わったような印象が強いですよね、このヒトたちが出てきた頃って。
 
 よく言われるのが、このヒトたちが出てきたことで、ロックがお茶の間に浸透したってことだけど、確かにそうで、それまでロック畑のヒトたちは、テレビの歌番組にはほとんど出なかったのに対して、このヒトたちは、逆にテレビで大きくなったってところがあったからなぁ。
 ちなみに、サザンがデビューしたのは、まさに、この「宿無し」が大ヒットしていた最中だったわけで、ツイストとサザンが、日本のロックをお茶の間に浸透させたってのは、間違いないですよね。

曲調としても、「あんたのバラード」が、タイトル通りのミディアムバラードだったのに対して、この曲はアッパーチューン。一連の大ヒットの中でも一番のアッパーチューンだったよな。ロックと言うよりはロックンロールでしたよね。
 それでも、世良氏独特の粘っこい歌い方は健在。・・というか、この曲の歌い方が一番セクシーだったかもな、世良氏は。 
 前曲から売り上げを伸ばしたっていうのは、勢いもあるだろうけど、この曲での世良氏のセクシーさっていうのもあったんじゃないのかなぁ。

 だからねぇ、この曲をリアルタイムで見てなかった・・というか、あと数カ月早くヒット曲の世界に足を突っ込んでいればなぁ・・・なんて、後悔することもあるんだよなぁ。

いずれにしても、個人的にはヒット音楽の世界の「原点」・・・ウンニャ、出発点のような曲ですね、この曲は。


動画・・どうもようつべでリンクしたい動画が、悉くようつべに直リンクにしないと弾かれちゃうんで、直リンク

https://www.youtube.com/watch?v=cAfrzGH6b08

動画を見たい方は上のリンクをクリックしてくだされ。

それにしても、このヒト達ほど、スポットライトが似合うバンドもいなかったよなぁ。ベストテンを含め当時、このヒト達の時は、いろいろなスポットライトで演出してましたよね。
 それにもまして、男の匂いっていうか、男の色気がムンムンのバンドだったよな。まあ、ここに当時のティーンエイジャーの女子たちはクラクラッと来ていた訳なんだけどさ。
 最近は、こういう、男の色気、男のフェロモン全開のバンドって居なくなったからさあ。「草食男子」なボーカルばっかでさあ。ダメだよね、やっぱ、男は肉食じゃなくては。
 逆に言えば、こういう「骨」のあるバンドは今、空席な訳だからさ、今後はここが狙い目なんだよな。

長い髪の少女 / ザ・ゴールデン・カップス

1968_06_長い髪の少女_ザ・ゴールデンカップス


今回の1曲セレクトは、「長い髪の少女」ザ・ゴールデンカップスです。

まずはデータです。

・タイトル     長い髪の少女
・アーティスト   ザ・ゴールデンカップス
・作詞       橋本淳
・作曲       鈴木邦彦
・編曲       鈴木邦彦
・リリース日        1968年4月1日
・発売元      東芝音工
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数  19.2万枚

本来やりたいと音楽と、売れるための音楽のせめぎ合い。
プロのバンドマンにとっては、ここが一番頭が痛いところだろうね。本当はもっとマニアックな音楽をやりたいのに、「食うため」には、「大衆音楽」もやらなくちゃいけない・・・と。
 ま、最初から売れなくていいから自分たちのやりたい音楽を・・・と腹くくって、ずっとインディーズでやれる人たちはいいけど、こと、メジャーレーベルの「売れっ子」になればなるほど、その辺りがネックになってくるんじゃないかなぁ。
それは、今だけの話じゃなく、昔からある事なんだよね。 

今回は、そんな本当はやりたくなかったんだけど・・・・っていう、G.Sの曲をひとつ

ザ・ゴールデンカップス「長い髪の少女」。

G.Sでもっとも「硬派」なポジションに君臨し、こと、音楽についても「ホンモノ」を追求してきたカップスの、3枚目のシングルであり、一番売れたこの曲。。。

・・・だけど、本人たちは当初、かなり渋ったらしいですね。この曲をリリースするの。

なぜか・・・というと、最初に書いたように、本来自分たちがやりたかった音楽とのギャップが大きいから。

メンバーのほとんどがハーフであり、向こうの特にR&Bを得意とし、演奏テクニックも他のG.Sに比べ抜きんでてた「本物志向」の彼らにとっては、「歌謡曲」イズムなこの曲は、どうしても陳腐に映ったんだろうねぇ。

 当時、東芝音工の意向もあったのか、オリジナルのシングル曲は、基本、歌詞は日本語だったけど、どうも、それも陳腐に映る一つだったのかもね。

当時は、まだ、ロックに日本語は乗らない・・・って言うのが通説で、本物志向を目指すミュージシャンにとっては日本語ってたけで「ニセモノ」っぽん感じられたんだよね。
 だから、当のゴールデンカップスも、ステージではほとんどオリジナルのヒット曲はウタをなかったっていうんだからさ。

そそそ、シングルはあくまでTVなどのプロモーション用。本当の自分たちの音楽は別にあるって感じだったんだよね。


まあ、確かに聴いてみるとギャップを感じるんだよな。本来、このヒトたちのテクニックって、当時のレベルからすれば、超絶的だったんたけど、そんなテクニックも必要ない平坦な曲だし、なんと言っても歌謡曲テイストっていうのがね。。。バックにストリングが絡んでくる・・・っていうのは、R&Bをやってる彼らを聴いてると、ちょっと違うよなぁ・・・って思わずには居られないんだよね。
 
 どうも、当時のキャバレーとか、大衆酒場的な下世話な感じがしちゃってさあ。

でも、これが当時のウレセンだったからさあ、ウレセンを狙うとしたら、この路線に行くしかなかったんだろうなぁ。
だから当たった・・・って言うのもあるんだよね。

それでも、本来はメインボーカルだったはずのデイブ平尾氏は、どうしようもなく抵抗があったのか、この曲、メインボーカルじゃないんだよな。
 サビの部分で、 ♪ どうぞ〜 ♪ とか ♪ つらい〜 ♪とか掛け声的なコーラスを歌ってるだけ。
メインボーカルは、ドラムスのマモル・マヌー氏でしたね。

まあ、当たったと言っても、オリコンでベストテン内に入った訳じゃない訳で、超がつく程の大ヒットではなかったのは数字が表しているかな。
 
後の80年代アイドルと同じで、A級、B級、C級といった相対的な格付けがあるG.Sだけど、もちろんゴールデンカップスは、A級なG.Sな訳だよね。
 それでも、実際の売り上げ的には、こんなもんだったんだよね。 この曲がリリースされた1968年はG.Sブームの頂点の年だった訳だけども、相対的なレコード売り上げとしては、「歌謡曲」路線が絶対的だったけでさ、G.Sは、ほとんどが売り上げ枚数的には意外に少ないんだよね。

もっともアイドル的な人気だった、タイガースやテンプターズは別として。

ただ、カップスの場合、あくまで音楽的な本格志向として、こののち本格的にニューロック路線に移行。その後の日本のロック路線の礎となっている訳だよね。 


本当はヒット当時の映像があれば、リンクしたかったんだけど、なんせ50年近く前の曲だからなぁ、ある方が奇跡か。。。後年の再結成後の「オヤジ」になったころのは結構あるんだけどな。
でも、なんか違う・・・んで、レコード音源にリンク

http://www.dailymotion.com/video/x82qss_%E3%82%B6-%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%B3-%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%B9-%E9%95%B7%E3%81%84%E9%AB%AA%E3%81%AE%E5%B0%91%E5%A5%B3_music

やっぱりバックにストリングが絡んでくるアレンジは、彼らの曲としてはちょっと違うよなぁ・・・っていう感じがしますね。
まあ、だからこそ聴きやすいって言うのもあるし、60年代っていう時代背景的な匂いがするんだけど。。。


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あの素晴しい愛をもう一度 / 加藤和彦 北山修

1971_06_あの素晴らしい愛をもう一度_加藤和彦 北山修


今回の1曲セレクトは、「あの素晴しい愛をもう一度」加藤和彦 北山修です。

まずはデータです。

・タイトル    あの素晴しい愛をもう一度
・アーティスト  加藤和彦 北山修
・作詞      北山修
・作曲      加藤和彦
・編曲      葵まさひこ
・リリース日   1971年4月5日
・発売元     東芝音工
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数 23.9万枚
・ベストテンランクイン期間:1971年6月21日付

どうもPCの調子が今一つ良くない。立ち上げると長い時間HDDをガリガリガリ・・・と。どうも、OSのシステムのどこかにエラーが発生しているようだ。ちょっこっと調べなきゃいけんな。。。
ここ数日、そんな状態が続いていて、一昨日少しイラッと来たので、昨日は、なんも書かずに寝ちゃいましたが、流石に2日空けるのは「痛い」と思いーの、本日はPCを立ち上げましたわ。

ま、昨日1日間をあけたのは、ここのところアイドルが続いたんで、ちょっと傾向を変えようと思い、1日クールダウン日を作ったってのもありますけどね。

・・・ということで、今回は、前回のキョンキョンからは、また、かなり傾向が違う曲です。
しかも90年代から、一気に時代を20年遡り70年代初頭です。

加藤和彦 北山修「あの素晴しい愛をもう一度」

うーむ、どうだろう? この曲と言ったら、やっぱし、学生時代の音楽の教科書の・・・っていうイメージになっちゃうのかなぁ。
 いや、正直言うと、ワタシもそうだったからねぇ。 この曲っていったら、中学校の時の音楽の時間に「合唱」曲としてやった・・・っていうイメージがあったしな。
 まさかね、オリコンでベストテン内入りしてた「ヒット曲」だったっていうのは、知らなかったんだよねぇ、昔は。

オリコンでベストテン入りしてた、オリジナルは、元フォーククルセダースの加藤和彦氏と北山修氏のディオだったって知ったらのは、実は高校生の頃だったんだよな。

この曲と言ったら、イントロでも象徴されるように、アコースティックギターでのスリーフィンガー。

最近のヒット曲では、ほとんど聴かなくなった、アコギのピッキングテクニックの一つだよね。
・・というか、最近は、「プロ」のギター弾きでもスリーフィンガーもアルペジオも出来ないヒトも多いって言うからなぁ。 最近は、ジャカジャカ、ストロークしてるだけっていうバンドマンも多いしさぁ。
情けないよなぁ。

最近は、ギターテクニックを売りにしているギターマンも少なくなったしなぁ。MIYABIくらいか、若手で超絶ギターテクニックを売りにしているのは。

でも、この曲を最初に聴いた時は、一体どうやって弾いてんだろう? なんて思ったもんですわ。

まあ、ワタシ自身、ギターは全然ダメなんで、弾けもしないんだけど。

でも、やっぱり、アコギでのスリーフィンガーやアルベジオを聴くと、「自分の時代」の曲っていう感じがするんだよなぁ。安心する。

ジャンル的にはフォークに分類されるんだろうけど、この時代70年代に入った頃のフォークは、この後歌謡曲方向へコミットする流れと、ニューミュージック方向へ流れ、その後ロックと融合するフォークの2つに分類させて来ていたように感じるんですよね。

この曲はどっちだろう? 

やっぱり後者ですよね。、後にニューミュージックへ発展するフォーク。まあ、個人的な見解だけど、この後、加藤和彦氏は、サディスティック・ミカ・バンドで本格的にロックに向かいましたしね。
 なにより、少なくともこの少しあとにブームとなった「四畳半フォーク」のようなジメッとした閉鎖的な空気感が無いんだよね。解放感がいっぱいじゃん。
 そんな解放感・・というか自由な空気感が、後のニューミュージックに繋がっているような気がするな。

・・気がするな・・っていうのはいささか説得力が無いけど、如何せん、個人的にはまだ、リアルタイムに経験した訳じゃないからなぁ。
 この曲のヒットが1971年の今頃でしょ。ワタシゃまだ2才になる少し前だしさあ。

ただ、時代背景的には、この頃って好きなんだよな。もちろん、2才とは言え、すでに生まれていた訳だから、この時代は空気は吸っていた訳だけど、なんせ記憶にないからなぁ。 後5年は早く生まれたかったですねぇ。




トノバン(加藤和彦)氏も亡くなってしまった今、この曲も加藤和彦氏の生演奏では聴けなくなってしまいましたね。
時代と言えばそうなんだろうけど、加藤氏には、もっと長生きして欲しかったですよねぇ。



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あなたに会えてよかった / 小泉今日子

1991_06_あなたに会えてよかった_小泉今日子


今回の1曲セレクトは、「あなたに会えてよかった」小泉今日子です。

まずはデータです。

・タイトル     あなたに会えてよかった
・アーティスト    小泉今日子
・作詞       小泉今日子
・作曲       小林武史
・編曲       小林武史
・リリース日       1991年5月21日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 105.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1991年6月3日〜9月16日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「パパとなっちゃん」主題歌

前回書いた中森明菜の「ジプシークイーン」もヒット当時は個人的に好きになれなかった曲だったんだけども、今回セレクトしてきた、この曲もヒット当時は、なんか今一つピンとこなかった曲なんだよなぁ。

小泉今日子「あなたに会えてよかった」

この曲がピンと来なかった・・・なんて書くと、一斉にブーイングが聴こえてきそうなんだけどさ。。。
なにせ、キョンキョン最大のヒットであり、唯一のミリオンセラーを記録した、この曲ですからねぇ。そんな曲をピンと来なかったなんてねぇ。。。

でも、どーも今一つキョンキョンの曲としては刺激が足りなかった・・・って言うかさあ。
少し前に書いた「Fade Out」もそうだけど、キョンキョンと言ったら、あんまり他のアイドルはやりそうもない、キョンキョンならではの曲世界があった訳じゃないですか。
独自路線っつうの?

だからこそ、キョンキョンであったわけでさ、聴いてるこちらも、納得できたんだよねぇ。

でも、この「あなたに会えてよかった」は、そこから見るとキョンキョンぽくないなぁ・・・っていうのが、当時の率直な感想だったんだよね。

しかもそう言う曲が、キョンキョン最大のヒットになったっていうのも、ちょっと納得できなかった・・・って言う部分もあったんだよな。


まあね、曲自体が悪いって言う訳じゃなと思うんですよ。
小林武史ならではの、昭和30年代〜40年代を彷彿させる様な哀愁漂うメロディ、サウンド。 そそそ、このヒトのサウンドってさ、例えば夕方5時になると、近所の集会所とかのラッパスピーカーから流れてくる「夕焼け小焼け」のような独特の哀愁感があるじゃん。
 それは、この曲にもバッチリ現れている訳で、そう言う意味では小林武史ワールド全開な曲ではあるんだよね。

あくまで、そう言う世界観が、キョンキョンに合っていたか・・・というと、個人的には物足りなさを感じてたって訳なんだよな。
 うん、このテの音楽であれば、キョンキョンじやなくても成り立つような気もするしさ。 その辺の物足りなさだと思うんだよな。


ところで、この曲のバッキングは、ギターが佐橋佳幸氏 ベースが根岸孝旨氏、キーボードはもちろん小林武史氏だけど、ちょっと前、佐橋佳幸氏がtwitterで暴露してたところによると、 この曲の編曲は小林武史氏となっているけど、実際は、ほとんどが、佐橋氏と根岸氏が行ったそう。
 だけど、実際のクレジットは小林武史氏になった挙句に、この曲で小林氏がレコード大賞、「編曲賞」を受賞したもんだから、根岸氏共々ブチぎれた・・・・そうな。。。

私自身の当時の感想もそうだけど、何かと曰くつきの曲ですわね。

ちなみに、主題歌となっていたドラマ「パパとなっちゃん」も見てなかったんだよな、ワタシ。
確か、田村正和氏が、キョンキョンのパパ役で、ダウンタウンのはまちゃんも出てたんだけども、その辺の出演者のTBSのドラマに飽きちゃってたってのが大きかったな。



実を言うとこの曲、「生」で歌っているところってあんまり見たような気がしないんだよな。
当時は、すでに歌番組も少なくなっていた訳で、レギュラーの歌番組と言えば「Mステ」ぐらいだったか
でも、その「Mステ」でも見た記憶が無いんだよな。
それにしても、キョンキョンの声、ザラザラですな。


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ジプシークイーン / 中森明菜

1986_06_ジプシークイーン_中森明菜


今回の1曲セレクトは、「ジプシークイーン」中森明菜です。

まずはデータです。

・タイトル     ジプシークイーン
・アーティスト   中森明菜
・作詞       松本一起
・作曲       国安わたる
・編曲       小林信吾
・リリース日    1986年5月26日
・発売元      ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  35.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1986年6月9日〜7月28日付

えー、最近1曲セレクトは、アイドルの曲が多いな・・・なんて思われるかもしれないけど、今回もアイドルです。
ま、単純にアイドルの曲の方が読んでくださる方々の「引き」が強い・・というか、「受け」がいいんだよね。
本当は、幅広いジャンルの曲を書きたい気持ちもあるんで、それじゃいかん・・・とは思っているんだけども
どうしても「お客さん」優先になっちゃうんだよねぇ お客様は神様です

とは言っても「過去曲」は「資源」が限られているわけで、あんまり書き過ぎると枯渇しちゃうんで、どっかで区切らざるを得ないんだけどさ。

・・・ということで、今回セレクトしてきた曲は、中森明菜さんの「ジプシークイーン」。

この間デビュー曲の「スローモーション」を書いたばっかりなんだけども、この曲もまだ書いてなかったんだよな。
しかも「今頃」がヒットのピークだったともあって、引っ張ってこない手はない・・・と思いーの引っ張って来ましたわ。

事に80年代中盤の明菜さんの曲って、他は大体書いてしまったいたのにこの曲は、いままで書いていなかったか・・・というと、理由ははっきりしてるんだよな。
忘れていた訳じゃなくて、個人的にこの曲、あんまり好きじゃなかったからなんだけどさ(爆)

昔mixiに1曲セレクトを書いてた頃は、よく書いてたんだけども、どうもねぇ86年くらいからの明菜って、今一つ好きになれないんだよなぁ。
 85年くらいまでの曲調と明らかに違ってたでしょ。明菜の良さって、このヒトの特有の「伸び」のある声質だと思うんだよね。
 でも、86年・・・いや、85年秋の「SOLITUDE」からかな・・・そんな伸びのあるメロディラインが陰を潜め、なーんか、もしゃもしゃっとしたメロディの曲が多くなってきたでしょ。
 サウンド的にニューウェイヴっぽくなってきたって言うのも、個人的に今一つ受け入れられなかったって言うのもある。

先日トシちゃんの「墜ちないでマドンナ」の時も言及したように、85年あたりからアイドル・・・特に80年代初頭から活躍してきたA級アイドルと言われてきたヒト達の曲調が、一斉に変わったんだよね。
 当時のニューウェイヴ系台頭の流れがアイドルにもって感じで、ニューウェイヴっぽい曲が多くなってくたんだよな。
 それは、明菜も同様で、↑で書いたように86年あたりから曲調がニューウェイヴッっぽいサウンドが多くなった訳よ。
 それは、作品の作家陣にもたんて気に表れて来ていた訳で、この曲も作詞 松本一起、作曲 国安わたる っていう当時は新鋭の作家陣だったもんなぁ。

 だから、本当は新しい「血」を吹き込んだっことで、新鮮さを感じるはすなんだけど、どうも、個人的には、それが裏目に出ていたような気がしてならなかったんだよなぁ。

まあ、こういう動きは時代の流れだけではなくて、明菜本人の年齢的なところもあったとは思うんだけどもね。
明菜はこの時、21才になる直前。
今の感覚から言えば、それでも若いって感じだけどさ。 今21才っていったら、もっとガキっぽいアイドルなんて掃いて捨てるほどいる訳じゃない
当時の感覚から言えば、アイドルとしてはかなり「大人」なイメージだったからなぁ。

だから、意識的にも変わって行かなくちゃいけない・・・っていう感覚もあったのかもしれない。

なんせ、「おニャン子」がガキっぽいアイドルだったからさ、少なくともそれと差別化するためには、変わらなくちゃいけなかったんだよね、少なくとも当時、何年かのキャリアを積んで来ていたアイドルはさ。

 その表れが、この曲にも出て来ているんじゃないかなぁ・・・なんてのは、今となってみれば思ったりもするんだけどね。流石にあれから30年経って、今では客観的に当時を見れるようになったからさあ。

でも、リアルタイムだった当時は、やっぱり「解せなかった」んだよな、この曲のような曲調は。
そもそも 冒頭の歌詞にあるように、 なんで「125ページ」で終わらなきゃいけなかったの? ・・・なんて腰を折るようなことを考えたりさ



好きキライは別として、やっぱり、今なっては、この曲を聴くと、丁度30年前の今頃。1986年の光景が脳裡に浮かぶよな。
 当時は、ワタシは高校2年。17才になる直前。 大学受験もまだ2年近く先の話だったし、将来の事などなーんも考えてなかった頃だ。
RCサクセションの「トランジスタラジオ」ぢやないけど、授業中、ずっと居眠りしてて目が小さくなっちまった・・・頃 。学校には勉強しに行ってた・・・というよりも部活しに行ってた感じ・・の頃。
そして当時好きだった女の頃の尻ばっか追いかけて、悶々としてた頃  
 当時、もうちっとまともに勉強してたら、その後の人生、随分変わっただろうになぁ。 この頃の生活態度が今の私を決めちゃったような気がするなぁ、今振り返ると。


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大きな森の小さなお家 / 河合奈保子

1980_06_大きな森の小さなお家_河合奈保子


今回の1曲セレクトは、「大きな森の小さなお家」河合奈保子です。

まずはデータです。

・タイトル     大きな森の小さなお家
・アーティスト   河合奈保子
・作詞       三浦徳子
・作曲       馬飼野康二
・編曲       馬飼野康二
・リリース日    1980年6月1日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位 36位
・売上げ枚数 7.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 41位

あー、今週は仕事がきつかったわい。 普段使わない「脳みそ」を使った1週間だったんで、仕事終わりゲソッと疲れたわ。。。今はそんなキツかった1週間の余韻に浸っている時間だったりして。。。

などと、「1曲セレクト」とは全く関係ない「マクラ」になってしもたな。


さて、今回のセレクトしてきた曲は、河合奈保子さんのデビュー曲、「大きな森の小さなお家」。

うーむ河合奈保子さんの曲は大分書いてきたけど、まだ残ってた曲があったんだな。しかも「デビュー曲」を書いてなかったか。。。

この曲はねぇ、当時、なんか、こっぱずかしかったんだよな、聴いてて。

詞の内容が子供っぽかったでしょ。 タイトルからして「大きな森の小さなお家」でもんね。まるでメルヘン童話な世界って感じだったじゃん。
 当時、オリコンウイークリーで「1980年デビュー組」の比較対決っていう企画がありまして、河合奈保子評としては、「アイドルらしいアイドル」なんてなってたりしたんだけどさ。
 たしかに、今の感覚からすると、如何にも「アイドル」 っていう曲だったりするんだけど、当時、同じ1980年組の他のアイドルの曲って、得てしてもっと大人っぽかったんだよね。
岩崎良美にしかり、鹿取洋子にとかり・・・  松田聖子だって、当初は、子供っぽいなぁ・・・っていう印象があったけど、それでも、もう少し上の年齢・・・そうね、高校生とか大学生向きって感じだったじゃん。
 それに対して、河合奈保子さんのこの曲は、どう聴いても「小学生」向きだよな・・・っていうイメーシが強くてねぇ・・・。

・・・・なんて、当時小学5年だったワタシが言うのもおかしな話だけど。。。

この曲は、作詞は三浦徳子さん。 うーむ、奇しくも松田聖子さんのデビュー曲「裸足の季節」と一緒だったんですねぇ。
でも・・・やっぱり、比較しちゃうんだよね「裸足の季節」の詞の内容と。。。なんか、大人と子供・・・って言うくらいの違いを感じちゃったりね。
 曲は、馬飼野康二氏。 この間、西城秀樹氏の「激しい恋」を書いた時、「絶叫系」な曲こそ馬飼野氏らしい・・・なんて書いたんだけども、この曲では、そう言う世界は全く感じられないもんね。
 硬派、軟派・・っていえば、思いっきりナンパな訳じゃないですか。まあ、そんなレンジの広さも馬飼野氏ならではといえば、そうなんだけどさ。
でも、その後の河合奈保子さんのヒット曲を考えると、馬飼野氏との相性が一番良かったような気がするな。
まあ、後年の筒美京平氏の起用により、河合奈保子さんの新たな一面を引き出せたのは別として。

兎も角も、人前で堂々と聴くのは、今一つ気が引ける曲だな・・・っていう感覚があったのは確かだよなぁ。

ただね、アイドル嫌いだった、ウチのオヤジが、当時、河合奈保子さんだけは認めてたのは、印象的だったんだけどなぁ。松田聖子さんに対してはボロカスだったもんね。
 やっぱね、ぽっちゃりとした童顔なルックスに対して、揺れる「ちち」っていう、アンバランスな容姿が、男心くすぐった訳だったんだろうな・・・・なんて今になって思うけどさ。

もちろん、ワタシも、当時は松田聖子さんよりは、断然、河合奈保子派だったんだけどさ。

曲は別として、やっぱり、上で書いたように、名前の通りの可愛さだったしさあ、まあも今もそうだけど、スレンダーなコよりも、ぽっちゃりしたコの方が好きだからさあ。

それに性格も良さそうだったじゃん。裏表がなさそう・・・っていうかさ。 それまでのアイドルには無かったというか・・・、より親近感は感じたよね。

ま、その「親近感」っていうキーワードが、その後、80年代アイドルの最大の特徴になってくるんだけどさ、そう言う意味では、80年代なアイドルのフォーマットは、河合奈保子さんが元祖と言ってもいいかもしれないな。



いやいや、初々しい奈保子さんですね。デビュー直後高々1コーラスしか歌わせてもらえないのに、一生懸命歌っているのが印象的。
でもさ、36年前は、聴くのが恥ずかしかったこの曲だけど、今聴くと、普通に聴けるんだよなぁ。
それだけワタシも年をとったのか、それとも、最近の曲が全体的に子供っぽくなって、何とも感じ無くなったのか・・・・どっちかだろうなぁ。
 


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