かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

2015年04月

愛が生まれた日 / 藤谷美和子 大内義昭

1994_04_愛が生まれた日_藤谷美和子






今回の1曲セレクトは、「愛が生まれた日」藤谷美和子 大内義昭です。

 まずはデータです。

・タイトル   愛が生まれた日
・アーティスト 藤谷美和子 大内義昭
・作詞     秋元康
・作曲     羽場仁志
・編曲     萩田光雄
・リリース日  1994年2月21日
・発売元    コロムビア
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数  132.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位 
・ベストテンランクイン期間:1994年3月21日〜6月27日付

 最近、カラオケって流行ってるんでしょうかねぇ。なんか、あんまりカラオケの話題っていうのも聞かなくなって来たような気がするんだけどさぁ。
 ま、個人的にもカラオケ行くことって、少なくともグループって行くことは、めっきり少なくなっちゃいましたしね。 たまに一人カラオケ⇒ヒトカラ に行くくらいかなぁ。

 その影響か、カラオケの定番ソングっていうのも、めっきり少なくなったような気がする。

 だいたいそういう曲って、まず「有線」からヒットの兆しが見えたりするんだけどさ。


 思い返せば、90年代前半って、「有線」発からロングヒットした曲って、多いのよ。 で、たいていは「カラオケ」の定番曲として、定着した曲がほとんどなんだよなぁ。

 そのクライマックスが94年〜95年にかけてぢゃなかったかなぁ。ま、80年代終盤「カラオケボックス」なるものが出現してから90年代初頭にかけてから、もう、そういう曲は数多くあったんだけど、その「最盛期」の最後を飾ったのが、94年〜95年頃だったと思う。



・・・・っちゅうことで、今日は、そんな94年の「カラオケ定番」曲から一つ。

 藤谷美和子 大内義昭の「愛が生まれた日」


 どーだ、カラオケの定番曲だろっ! これさあ、男女でカラオケに行くと、「デュエット」で歌う人が多いのよ。
 ワタシも何回歌わされたことか。。。ふらふら


 ・・・なんてことはどーでもいいことなんだけど、この曲、意外だったよなぁ。
 いや、ヒットしたこと自体からして、意外だったことは意外だったんだけど、どこから、プッツン女優の藤谷美和子と、それまで、全く売れなくて日陰でくすぶっていた大内義昭氏のデュエットっていう発想が生まれたのか・・・とかさ。

 そそそ、大内義昭氏って、小比類巻かほるの「Hold On Me」とか作曲した人だよね。
 本来は、もっとポップロック的なウタを手がけて、自らも歌っていた人が、なんで、こんな「いかにも」歌謡曲な曲を歌うきっかけになったのか・・とかさぁ。


 なんか、かなり不思議な部分が多い曲だったような気がする。

 あ、いや、藤谷美和子がうたうっていうのは、この曲が挿入曲となっていた、日テレのドラマ「そのうち結婚する君へ」の主演が藤谷美和子だったからか。ま、その辺は、納得なんだけどね。


 それにしても、一介のドラマの挿入曲が、ここまでロングヒットになって、カラオケの定番曲までなるものか・・とかね。


 まあ、それだけ、キャッチーだし、歌いやすいし・・って感じで、カラオケの定番としては、これ以上ないってかんじの曲だったからなんだろうなぁ。

 いや、たしかにさ、この曲単純に、BGMとして聴いてるだけどは、あんまし面白い曲でもないんだよね。 なーんか、ぼょにょーーーっとかったるい感じがするし。。でも、ひとたび、カラオケでデュエットすると、なんかピタリと嵌っちゃう・・というか。。。
 うむ、メロディとしては難しくないんで、だれでもデュエットできますよーん。っていうのも「うり」なんだと思うし、だから、これだけロングヒットして、「ミリオンセラー」にまでなっちゃったんだと思うけど。

 まあ、そんな感じの曲ですわねぇ。


 個人的には、昨日、中山美穂の「ただ泣きたくなるの」でも書いたように、この曲がヒットしてた頃は、大学卒業して、社会人になった頃で、そんなころの辛かった新人時代を思い浮かべちゃう曲だな、この曲は。


 ちなみに、藤谷美和子さんは、この曲のヒットで気をよくしたのか、この年「スペアキー」なる曲で、もうひとつスマッシュヒットを飛ばしたりしてましたな。
 まあ、それも、この曲のヒットの「余熱」があったからこそなんだけど。。
 ところで、最近は、結婚して、めっきり名前をきかなくなりましたが、今はどうしてらっしゃるんでしょ。。。




ちなみに、作詞は秋元康氏。 秋元氏⇒アイドル系のイメージが強いけど、アイドル冬の時代だったこの時期は、このテの曲も書いてたんだよね。
 ただ、秋元康⇒アイドルのイメージは根強かったわけで、この頃は作詞家として秋元氏の名前はあんまり見けかなかったんだけどね。作詞家としては苦しい時期だったんじゃないかな。
 でも、秋元氏としては、最初のミリオンセラーがこの曲なんだよね。


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もう一度 / 竹内まりや

1984_04_もう一度_竹内まりや






今回の1曲セレクトは、「もう一度」竹内まりやです。

 まずはデータです。

・タイトル   もう一度
・アーティスト 竹内まりや
・作詞     竹内まりや
・作曲     竹内まりや
・編曲     山下達郎
・リリース日  1984年4月10日
・発売元    アルファムーン
・オリコン最高位 20位
・売上げ枚数  10.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 23位
・タイアップ:TBS系ドラマ「くれない族の反乱」主題歌

 フジテレビの「月9」ドラマに対して、TBSには「金曜ドラマ」っちゅうのが、昔っからあるじゃん。 いや、「月9」よりもはるかに歴史があるのが、TBSの「金ドラ」の方なんだけどさ。
 「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」「金曜日妻たちへ」「想い出にかわるまで」「高校教師」「ずっとあなたが好きだった」・・・あげればキリがないかもしれん。

 たださ、ワタシ、金ドラっていったら、「金曜日9時」からのドラマだとばっか思ってたの、つい最近まで。。。

 そしたら、「金曜22時〜」のドラマだったのね。。。

 あれれ、そうだったかなぁ・・・。 

 もちろん、「ふぞろいの林檎たち」も「高校教師」もリアルタイムで見てたんだけど、てっきり金曜21時〜だった・・・って勘違いしてたんだよなぁ。。。

 あ、たしか、「男女7人夏物語」は、金曜21時からぢゃなかったっけか。。 ワタシね「男女7人〜」はずっと「金曜ドラマ」だとばっかし思ってたのよね。 それと、「ダブルキッチン」も。

 だけんど、これらは「金ドラ」ぢゃないってことなんだよなぁ。。。



・・・なんて、ま、このままだと延々と独り言をブツクサ言ってるだけになりそうなので、本題を。。


 はい、今日、引っ張ってきたのは、竹内まりやの「もう一度」

 これは、1984年4月期の「金曜ドラマ・くれない族の反乱」の主題歌だったんだよね。
 
 って書くと、今となっては結構意外ですかねぇ。 最近は、CMとか、テレビのBGMとかに、いろいろとこの曲使われるからなぁ。

 でも、リリース当初は、「ドラマ」の主題歌だったわけですわ。

 まあ、「くれない族の反乱」自体、ワタシ自身は見てなかったんですけどね。 田村正和と、今は亡き大原麗子が主演のドラマで、視聴率も20%をいつも越えてて、人気があったっていうのは覚えてるな。
 だいたい「くれない族」っていうコトバ事態、いかにも「84年」ってい感じだもんねぇ。「不倫」って言葉が一般化してきたのもこの頃だったと思うわ。

 でも、そんなドラマの内容を全く髣髴させないくらい、明るい曲だよなぁ、この曲。

 この曲は、竹内まりやの「復活」第1弾シングルっていう位置づけだったんだよね。
 「復活」っていうのは、シンガーとして「歌手活動」の「復活」ってことなんだけどさ、竹内まりやって、81年に例の「アイドル然した活動は終わりにしたい」っていうことで、無期限の活動休止状態だったわけで・・・。
 まあ、その間、山下達郎と結婚をし、その間も主にアイドル向けに曲を作ったりして、活動はしてたんだけど、シンガーとしては、ずっと休止状態がつづいてわけさ。

 で、満を持して、3年ぶりにリリースしたのが、この曲だったわけなんだけど、この曲から、自身で作詞、作曲をし、自分で歌うっていう、いわいる「シンガーソングライター」としてのスタートさせた曲なんだよね。 それまでは、他の作家が作っていた曲を歌ってたからさ。
 ま、今では信じられないことだけど。


 でも、結局は、それが成功しちゃったわけなんだけどね。

 まあ、結果論ではあるけど、やっぱ、このヒトのうたは、自分で作った曲のほうがマッチしてるもんなぁ。

 カラッと明るくて、いかにも60年代のアメリカングラフィティーっぽいポップスだし、いわいるマージービート、それが、このヒトには一番合ってるんだよね。
山下達郎も、結局は、そこが一番の好みというわけで、気合の入り方も違うしさ。
 
プラスこの曲では、フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドな味付けも感じられるよなぁ。
丁度、この曲と同じ頃、山下達郎の師匠である、大瀧詠一氏も、3年ぶりのオリジナルアルバム「EACH TIME」をリリースした頃で、「ウォール・オブ・サウンド」が今一度見直しつつあった時期なんだよね。
 達郎氏は、その辺も意識してたのかなぁ・・・なんて勘ぐったりしてみたり。。。


動画、一応、YOU TUBEにも、この曲あったんだけど、どうもリンクが張れないんで、直リンクで

https://www.youtube.com/watch?v=nSPDI3MvIB8&list=PL7LVoKJmQ9N6HI13PZ6YMhbSeXQnkDh2h&index=5




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アイドルを探せ / 菊池桃子

1987_04_アイドルを探せ_菊地桃子






今回の1曲セレクトは、「アイドルを探せ」菊池桃子です。

 まずはデータです。

・タイトル   アイドルを探せ
・アーティスト 菊池桃子
・作詞     売野雅勇
・作曲     林哲司
・編曲     林哲司
・リリース日  1987年3月25日
・発売元    バップ
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  16.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1987年4月6日〜4月27日付
・タイアップ:映画「アイドルを探せ」主題歌


 なんか、久しぶりにセレクトしてきた感じがするなぁ、菊池桃子の曲って。
まあ、その前に、これまでに「主要」な曲は書いちゃった気がしてたんで、ずっと「視野」に入ってなかった・・・ってのもあったかなぁ。 いやいや、たまたま、このヒトのヒット時期に入ってなかったんだよね。

 だけんど、気が付いてみたら、まだ、書いてなかった曲があった。で、それが、ちょうど、「今頃」のヒットだったんで、ちょうどいいワイ・・・とばかりに持ってきたって感じだったりしてね。

 それが、今回引っ張ってきた、「アイドルを探せ」って曲。

 でもまあ、正直、この曲に特別思い入れがあったわけでもないのよね。
 感じてたのは、なんかねぇ、ワンパターンだよなぁ・・ってことなんだよなぁ。

 メロディラインといい、色合いといい、85年の「BOYのテーマ」とか、86年の「Say yes!」とどう違うの? って感じがしたりしてさあ。

 作曲の林哲司氏も、このころになると「ネタ切れ」だったんじゃないかねぇ・・・なんて思ったりして。。

 それは、ワタシだけでなく、多くの人が感じてことなのか、この曲が「最後の1位獲得曲」となってしまったのよね。菊池桃子としては。

 ただ、そうは言っても、この曲を聴くと、87年の風景が浮かんできたりする。
 ワタシで言えば、「高校3年」だったあの頃の風景。 それが不思議なんだよなぁ。上でも書いたように、取り立ててよく聴いてた曲でもないんだけどねぇ。。。

 それが不思議といえば、不思議な感じがする曲だよなぁ、ワタシにとっては。

 それは、きっと メロディラインは、ワンパターンでも、87年ならではの「音」があったからなんだろうけど、それがよくわからない。
 ま、確かに、初期の菊池桃子のように、林哲司氏得意の「YAMAHA DX7」のプリセット音色からは、若干離れたってところはあるかもしれない。
 ・・・とはいえ、全く離れたわけではなく、味付けとして「DX7」は鳴ってたわけで。。。


 それは、そうと、この頃になると、菊池桃子も、レコードのリリース間隔が不定期になってきてたんだよね。 
この曲にしても、前曲の「Say yes!」から半年も開けた上でのリリースだったし。

 もっとも、この間、菊池桃子自身の大学受験があったってのもあるだろう。 それとともに、「アイドル菊池桃子」からの脱却っていのもあったのかもなぁ。。。


それにしても、この頃は「アイドルを探せ」なんていう時代だったけど、最近じゃ、「桃子のヘアカラー」なんて白髪染めのCMだもんなぁ。。。
 あのCMが流れる度、時代は確実に流れている・・・なんて涙してしまうワタシです。



なんか、音程を外しまくっているイメージがあったんだけど、意外とちゃんと歌ってましたね。
それにしても、この曲を聴くと、受験と恋愛で「青春の悶々」を送っていた、17歳のあの頃を思い出すわ。



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常夏娘 / 小泉今日子

1985_04_常夏娘_小泉今日子






今回の1曲セレクトは、「常夏娘」小泉今日子です。

 まずはデータです。

・タイトル   常夏娘
・アーティスト 小泉今日子
・作詞     緑一二三
・作曲     幸幸平
・編曲     矢野立美
・リリース日  1985年4月10日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  26.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1985年4月22日〜6月3日付

 ついこの間まで、「さみーよー」なんて言っていたのに、ここんところの「暖かさ」は一体なんなの? っていうくらい暖かかったよなぁ。
 ってか、昨日、一昨日と「暑い」くらいで。。 東京は連日の「夏日」になったようで。。。4月なのに「真夏日」になったところもありました、。

 全く異常気象やね、こうも気温の寒暖さが激しいと・・・。体か付いていかん。。。



 まあ、そういう日は「夏」っぽい曲でも持ってきましょうや。

 そういう、30年前にも、「4月」だというのに「夏」な曲があったわけだから。。

 うむ、小泉今日子の「常夏娘」や〜。

 なにせ、4月リリースなのに「常夏娘」よ〜。なに、この「季節度返し」なタイトルは。。って感じでふらふら

 いや、タイトルだけでなく、実際の曲も、完全に「夏仕様」な曲なっておりまして、これが、気分は完全な「ナッツ〜」なのですな、これが。

 まあ、これは、当時、あった「季節の先取り」のリリースっていう戦法なのですな、これが。
 うむ、この曲は85年の曲だけど、当時を振り返って、85年当時に始まったことではない。それ以前から、このテのやり方・・というか、季節の先取りって言う感じでの曲のリリースってのは、行われていたわけなんだけど、ことに、この頃の、段々と「無理」なリリースの仕方をしてきてたよなぁ。

 なんせ、杉山清隆&オメガトライブの「ふたりの夏物語」は3月リリースだったりしたりして。。「夏物語」なのにふらふらふらふら
 で、以前も書いたけど、岡田有希子が「Summer Beach」でしょ。これも4月。。。

 こんな感じで、季節先取りしすぎて、ちょこっと無理があんでねーの・・・って感じになってたのが、1985年のヒット事情ですわ。

 で、そんな無理な「季節先取り」の中でも、特に無理があんでねーの・・・って思えたのが、この曲だったりして。。。

 なんせ、4月なのに「常夏娘」ですわ。真夏の〜 ですわ。

 イメージわかね〜。 常磐ハワイアンセンターぢゃないんだから、4月に「常夏」といわれてもね〜 って感じだったりするじゃん。

 しかも、以前も書いたけど、この1985年の春ってさぁ、今年のように天候不順で、薄ら寒い日が続いてたのよ。 
 だから、余計にイメージがわかなくてさあ、なんかズレてるよな・・・って、思ったもんだよなぁ。

 これが、この前年の84年のように気温が高く、ピーカンな日が多かったら、また、別のイメージがわいたんだろうけどさ。


 だけんど、それでも、オリコンで1位。26万枚も売ったって言うわけだから、当時のキョンキョンの人気は、第一級品だったんだよなぁ。


 たださ、この年の「行きすぎ」に懲りたのか、次の年から、あんまり「過激」な季節の先取りっていうのは、なくなったんだけどさ。

うんにゃチューブがいたな、それでもあせあせあせあせ




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ただ泣きたくなるの / 中山美穂

1994_04_ただ泣きたくなるの_中山美穂






今回の1曲セレクトは、「ただ泣きたくなるの」中山美穂です。

 まずはデータです。

・タイトル    ただ泣きたくなるの
・アーティスト  中山美穂
・作詞      国分友里恵 中山美穂
・作曲      岩本正樹
・編曲      岩本正樹
・リリース日   1994年2月9日
・発売元     キング
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   104.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1994年2月28日〜5月9日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「もしも願いが叶うなら」主題歌


 毎度毎度、書くことは同じだけど、4月と言えば入社式。
・・・・ということで、今日は、ワタシが「入社式」を迎えてた頃、ちょうどヒットチャートの「1位」だった曲を。


 ふむ、中山美穂の「ただ泣きたくなるの」ですわ。

 やっぱ、この曲を聴くと、あの「入社式」の頃を思い出すな、ワタシは。
 なんだかんだ言うても、新入社員のころはキツかったからねぇ、仕事・・・というよりも社会人生活そのものが。
 だから、どーしても、その頃のことが甦るな、この曲なんか聴くと。

 キツーイ、宿泊研修から週末、家へ戻って、bay FMをかけたら、ちょうど、この曲が流れてきて、おもわず「落涙」したこともあったよなぁ。

 何の潤いも無い「仕事」から戻ってきての開放感からだったと思うけど。。。



 ま、この曲自体、中山美穂としては珍しい・・・くしはないけど・・シットリした聴かせる系の曲だったからなぁ。

 いや、それまでもこのテの曲はあったと思う。

 ・・・・だけんど、この曲に限っては、他の曲にぬきんでて「売れた」ってのは、なんでなんだろうねぇ。
 売れただけでなくて、ワタシのランクでも1位を5週。ベストテン入りは11週なんていう、ロングヒットになっていたりする。
 5週連続1位っていうのは、中山美穂の中では最長だしね。


 たしかに、自身が出演するドラマの主題歌だったことも大きいと思うけど、それだけで、この曲が他の曲を大きく引き離す売り上げを記録するもんかねぇ・・・と。

 ふむ、ちなみに、この曲が、「中山美穂」としては唯一のミリオンセラーであり、これの次に売れたのが、91年の「遠い街のどこで」の67万枚だからねえ、その差は40万枚もあったりする。

 ・・・って書くと、「世界中の誰よりきっと」はどうなんだよ・・・って言うヒトが必ず出ると思うけど、あれは、「中山美穂&WANDS」名義だから。。。あせあせ


 で、そのキモは、作曲の岩本正樹氏のサウンドにあったりしたのかなぁ。
この時期、岩本氏のサウンドがあたってたからねぇ。
 高橋由美子の「友達でいいから」もちょうど同じ時期だったし。

 個人的にも、このヒトのサウンドは、当時好きだったな。

 うまく表現できないけど、どっか懐かしいんだよね。とおーい昔、どこかで聴いたことがあるような、優しい音色っちゅうのかなぁ。

 とにかく、気持ちが優しくなるのよね。今で言えば「癒し系」ってやつか。
 いや、今と違うのは、「癒し系」でありながら、サウンドがチープでは無いところか。うん、「癒しのなかに豪華」ではあるんだよね。
 その辺がOL中心に受けたんだろうねぇ、きっと。


動画・・・。なしてこうもYOU TUBEには無いかねぇ。 取り締まりが厳しいのかしらん?
でも、他の動画にはありましたんで、そちらをリンク

http://www.dailymotion.com/video/x1zx9xh_%E3%81%9F%E3%81%A0%E6%B3%A3%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%AE-%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E7%BE%8E%E7%A9%82-%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%99%EF%BC%94%E5%B9%B4_music


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ちょっとなら媚薬 / 柏原芳恵

1983_04_ちょっとなら媚薬_柏原芳恵






今回の1曲セレクトは、「ちょっとなら媚薬」柏原芳恵です。

 まずはデータです。

・タイトル   ちょっとなら媚薬
・アーティスト 柏原芳恵
・作詞     阿木耀子
・作曲     宇崎竜童
・編曲     萩田光雄
・リリース日  1983年4月13日
・発売元    フィリップス
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数  12.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位


えー、本日は、Y.M.O「君に胸キュン」、松田聖子「天国のキッス」と、1983年の曲ばかりセレクトしてきてますが、今回も1983年の曲ですっ(ヤケクソ)

今回セレクトしてきたのは、柏原芳恵の「ちょっとなら媚薬」なんだけどね、 この曲、ずっとリリース日を間違えて覚えてたんだよな

 あれぇ、この曲、「4月13日」だったっけなぁ・・・リリース日。

 ワタシのつたない記憶の中では、「3月28日」だとばっか、記憶してたんだけどなぁ。。。

 いずれにしろ、なんで「4月13日」なんて、めっちゃ中途半端な日にリリースしなくてはいけなかったのか?
 っていうのは、今となっては、判然としないんだけどさぁ。

 まあ、今は毎週「水曜日」が定期的なリリース日になっちゃったけど、当時は、そんな週ごとの定期的なリリース日なんて無かったし。。

 だいたい五、十日か、毎度書いてるように「21日」っていうパターンが一般的で、「13日」なんて中途半端な日にリリース日を設定すること自体、珍しかったわけで。。。


 ところでさ、なんで、このタイミングで、この曲を引っ張ってきたか・・・っちゅうと、あ、たまたまFMで柏原芳恵が流れてきたから・・・だったんだよね。ふらふら


 ・・・って書くと、なんて安易な・・・なんて思われちゃうかも知れないけど、だいたい、いまどき、FMから柏原芳恵なんて、流れてくるの自体、珍しいじゃん・・・。 あれ? そうでもない?

 ま、いずれにしろ、最近は、FMもAMも、そう、大して代わり映えなくなっちゃったよね。
 昼間のFM聴いてると、特にそう思うわ。

 まあ、Radikoなんて始まっちゃったから、余計だよなぁ。Radiko聴いてる分には、音質的にも全く代わり映えなくなっちゃったわけだからさ。

 そういう分では、いまどきFMから柏原芳恵が流れてきても、おかしくは無いのか。。。


・・・っちゅうことで、柏原芳恵の「ちょっとなら媚薬」だけど・・・

 これ、83年リリースの曲なんだけど、このころのアイドルって、必ず1回は、「山口百恵」をやりたがったよね。
 後追いというか、「恒例行事」というか。。。 どうしてなんだろうねぇ。
 どうあがいても、山口百恵を越えられない・・・って分かってても、なぜか、みんな1回は、山口百恵づくことが多かったんだよねぇ・・。
やっぱ、それだけ山口百恵っていう存在が偉大だったっていうわけか?

 当時、山口百恵にコミットしなかったのは、松田聖子くらいなんじゃないかなぁ。。


 この曲なんて、もろそれだもんね。

 ・・・っちゅうか、大体において、この曲の作家陣からして、もろ、山口百恵のそれな、わけで、ここまで、徹底して山口百恵づいたのも、珍しいっちゃ珍しいんだけども。。。
 作詞 阿木耀子、作曲 宇崎竜童、編曲 萩田光雄 っていうトリオから、山口百恵を連想しない・・・っていうのは、難しいわけで。。。

 うん、曲調的には、「絶体絶命」あたりのマイナー、ツッパリ路線・・・って感じをもう一度・・ってところなんだけど。

 ただ、やっぱし、この路線は、柏原芳恵には、ちと、荷が重たすぎんぢゃいですかねぇ。 
 山口百恵がこの路線を歌うと、曲のイメージというか輪郭がはっきりしたのに、このヒトが歌うと逆にくすんじゃったりして。。。

 なんか、もしゃもしゃとよく分かんない曲になっちゃった・・・っていう印象が強いなぁ。

 やっぱし、このヒトの場合は、この1曲前の「春なのに」のような、まっすぐ清純路線が一番、合ってたんじゃないですかねぇ・・・

・・・なんて今更ながら思ったりして。。。




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天国のキッス / 松田聖子

1983_03_天国のキッス_松田聖子






今回の1曲セレクトは、「天国のキッス」松田聖子です。

 まずはデータです。

・タイトル    天国のキッス
・アーティスト  松田聖子
・作詞      松本隆
・作曲      細野晴臣
・編曲      細野晴臣
・リリース日   1983年4月27日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   47.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1983年5月9日〜7月11日付

 やおら、勢いで今回の1曲持ってきちゃったんだけど、あれ? この曲、1回書かなかったかなぁ。。。まあ、過去の日記のアーカイブスから検索しても出てこなかったんで、おそらく書いてなかったんだね。
 まあ、いいか・・・

 ・・とか、前回のY.M.Oに引き続いて、1983年の曲になっちゃったな。。。しかも、作曲が同じY.M.Oの細野晴臣氏。作詞が松本隆・・・という。完全に被りまくりですね。。。

 ・・・とかセレクトしてきたのが、松田聖子の「天国のキッス」だったりして。。


 もうね、松田聖子の曲ってかなり書いてきたんで、まだ、どの曲書いてないか・・・なんて、わかんなくなっちゃいましたわ。。。ふらふら

 ・・・つか、これ読んでる若いコには、この曲自体、知らん・・って言うヒトも出てきてるかねぇ。。なんせ32年前の曲だもんね。。。

 ♪Kiss in Blue Heaven もっと遠くに〜 ♪ って曲。

 って書けば、たいていの人は、「あーあの曲ね」ってわかってもらえますかね。

 いや、この曲、転調の嵐なんだよね。ま、今となっては、Aメロからサビに行くときに転調することなんて、ごく普通になってるけど、あのころは、そういうことはあんまりなくてさ。
 逆に言えば、「ちゃちい手を使いやがって・・」なんて批判される時代だったんだよね、まだ。

 ま、いまでも個人的には、ちゃちい手だとは思ってるけどさ。 だってさ、イメージが崩れるじゃん。いきなりサビで転調されたら。。
 それって、きっと、この曲があったからだと思うね。例の近田春夫氏が当時、同じことを言ってたんだよ。曲の途中で転調するなんてちゃちい手を使いやがって・・・って。 
 それが、イメージに強く残っててさ。いまでも抜けないんだよね。だから、基本、曲の途中で転調する曲は、シングルでは認めませぬ。
 
 なんて、いっても、この曲は好きだけどね、単純に。なんて言っても、一番ヒット曲を聴いてた頃だからなぁ、当時は。 


 あ、それと、この曲といったら、チャートマニアの間では、やっぱ、「4.27決戦」ということになりますかねぇ。

 うむ、この曲と、近藤真彦「真夏の一秒」との「4月27日」発売決戦・・・ってやつでさ。
 ま、今でも、「1位」確実視されるアーティストが同一週リリースっていうのは、避ける傾向が強いけど。 ま、これは、仲良く1位を分け合いましょ。。 なんていう、業界の「仲良しごっこ」の慣例からくるもんなんだろうけど。 だから、こういう、「1位獲得」が確実視されるアーティストの、ましてや、「同日」リリースなんていうのは、かなり珍しいことだったよね。

 おりしも、松田聖子は、前曲「秘密の花園」で打ち立てた、10曲連続1位っていう当時の連続1位記録の更新を伸ばそうとしていた時期だし、まっちにしても、前曲「ミッドナイトステーション」まで7曲連続で1位を獲得していた、まさに当時の「頂上決戦」だったから、注目されたわけだわね。


 でぇ〜・・・・結果ですか?



 ま、長いことチャートを見て来ている方には常識だけど。。結果的には、この勝負「引き分け」ってことですね。
 うん、結果的にどっちの曲も1位を獲得して、めでたし、めでたし・・・と。

 両曲が初登場した、1983年5月9日付ランキング

・1位 真夏の一秒 /近藤真彦   71,290枚
・2位 天国のキッス /松田聖子  70,930枚

 今で言う、初動(当時は初動なんてコトバは使わなかったのよ)は僅差ながら「まっち」の勝ち。


 で、次の週5月16日付ランキング

・1位 天国のキッス /松田聖子  67,180枚
・2位 真夏の一秒 /近藤真彦   65,250枚

 と、登場2週目で松田聖子が1位に浮上・・・と、結果的に両者「分け」っていう結果に終わったのよね。

 まあ、期待していたわりには、なんかそっけない結果に終わった「4.27」決戦だったような気もするけど、でも、初動が強いまっちと、若干粘り型の松田聖子っていう、両者の特徴が、こんな結果をもたらせた・・・ともいえますねぇ、、よく書けば。。

 え? 悪く書けば・・・ですか。。。ふらふら

 ・・・・当時の両ジムショの力関係どえすね。。。ふらふらふらふらふらふら




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君に胸キュン / Y.M.O

O






今回の1曲セレクトは、「君に胸キュン」Y.M.Oです。

 まずはデータです。

・タイトル    君に胸キュン
・アーティスト イエロー・マジック・オーケストラ
・作詞      松本隆
・作曲      イエロー・マジック・オーケストラ
・編曲      イエロー・マジック・オーケストラ
・リリース日   1983年3月25日
・発売元     アルファ
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   34.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1983年4月25日〜6月6日付
・タイアップ:カネボウ83年夏のキャンペーンソング

 さてさて、「君に胸キュン」でございます。
「胸きゅん」ですぞぉ、完璧に「死語」だよね、今となっては。リアルタイムで使ってたってヒトは、すでにアラフィフ世代だよなぁ、きっと。
えー、でもでも、32年前は「ナウ」(←これも死語!)かったんですっ 

 だけど、例の近田春夫氏にいわせれば、それでも、当時から「アナクロ」って言ってたよなぁ。「胸キュン」ってコトバ。その前の年が「赤道小町・ドキッ」だったじゃん。カネボウの夏のキャンペーンって。それと同じじゃん・・・ってわけですな。

 今は、もっと言葉の流行り廃りのスピードは速いけど、当時でも、さすがに1年も時間があれば、完全に流行り言葉なんて変わってたからねぇ。まあ、言われてみれば、たしかに、ちょこっと「アナクロ」だったかねぇ・・・っていう気もする。

 大体にして、Y.M.Oがいまさら「唄入り」の歌謡曲? ってことで、随分、批評してたのを思い出す。

 当時は、随分、キツイなぁ・・・なんて思ってたけどね。 うん、それでも最初は、なんとなく新鮮だったのよ、この曲。近田氏が言うほど、アナクロって感じもしてなかったし。なにより、曲の独特の温度感、湿気感っていうのが、ちょうど、「初夏」のこれからの季節にちょうどマッチしてた・・・って感じてたんだけどさ。

 BUT、BUT、今になってみれば、あの時、近田氏が言おうとしてたことがなんとなく理解できるようになったけどねぇ。
 ・・・っていうか、この曲、今まで聴きすぎて、完璧に飽きちゃってるってこともあるんだけど、たしかに、なんで「いまさら?」っていう感じもするんだよねぇ。

 「胸キュン」っていうコトバも、考えてみれば、それまで糸井重里氏が使い古していたようなコトバの使いまわしのような気もするし、なんで、いまさらそれを松本隆氏が持ってくるの? ・・・みたいな気もしたりするし。。

 まあ、化粧品のキャンペーンのキャッチコピーだからして、タイトルは、もともと決まってたんだろうけどさ、広告代理店のヒトが考えて。
 そうか、そう考えると、広告代理店の方でネタぎれしてたんだな、きっと。


まあ、そうは言っても、ヒットしちゃいましたけどねぇ、当時。

ちなみに、このときの目標が「シブがき隊」だったのよね。
ジャケ写もそれを意識してたとか。(ぜんぜん見えないけど。。。)



これ、当時のPVなんだけど、このPVは見た事あるな。地元の新星堂で結構頻繁に流れてたなぁ。


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私は里歌ちゃん / ニャンギラス

1986_04_私は理歌ちゃん_ニャンギラス






今回の1曲セレクトは、「私は里歌ちゃん」ニャンギラスです。

 まずはデータです。

・タイトル     私は里歌ちゃん
・アーティスト   ニャンギラス
・作詞       秋元康
・作曲       見岳章
・編曲       見岳章
・リリース日    1986年4月1日
・発売元      ワーナーパイオニア
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    17.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1986年4月21日〜4月28日付

えー、よく、ある物事の以前と以後では、まったく状況が異なるってことがありますが、かつてヒット曲界にも、この曲の以前と以後では、状況が全く異なるって曲が存在ました。

私は里歌ちゃん  ニャンギラス

 「私は里歌ちゃん」バクダン・・・という、かつてないほど超メガトン級核爆弾がありまして、それまで築き上げてきた、80年代アイドル界ばかりでなく、ヒット曲界すべてを木っ端微塵に吹き飛ばしたんだよなぁ。。。

 いや、間違いなく、この曲がリリースされた後と前では、状況が変わったと思いません? あのころヒット曲聴いてた御仁。

 まあ、それほど影響力があった曲ですわ。もうね、今となっては、80年代アイドルの「最終兵器」といわれてますからねぇ、このヒトたちの存在は。。

 なにがって、あまりにも「ウタがヘタ」すぎて、もうね、存在自体全部が間違ってるの。。。ふらふらふらふら
 だってさあ、肯定できるところがないんだもーん。

 個人的に、それまでは、おニャン子クラブには、肯定的だったんですよ。でも、この曲で完全に見切りましたねワタシャ。

 だからさあ、あのころって、まぢでクレイジーな時代だったと想うのよ。今、思えば。
 だってさあ、そんな曲がオリコンで当たり前のように1位とったりして、しかも17万枚も売れちゃうっていう事実からして、めっちゃ「クレイズィー」だったじゃん。
 ちなみに、初動は10万枚・・・・。

 今にして想えば、いったい、1週間に10万枚も誰が買ったんだろうなんて、首を傾げたくなったりして。。。

少なくとも、それまでヒットチャートマニアを語っていた方の何割かは、この曲のお陰でヒット曲界に愛想を尽かして、確実にヒットチャート界から去りましたからねぇ
 いや、それまで純粋にチャートを追いかけ、プラス、それらの曲を追いかけ、ヒット曲を楽しんでいた方の何割かは、確実にこの世界から去ったのよ、あまりにもヒットチャートが安っぽくなりすぎて。

 うん、現に私の周りにも、そういうヒトが何人かいた。

 実際さあ、あのころオリコンウイークリーって、ヒットチャートの雑誌というより、アイドルおたく様ご用達な雑誌になっちゃってたしなぁ。。チャートに興味がないヒトが読んでたりして。

 いやいや、純粋にヒットチャートとヒット曲を追いかけていたヒトたちにとっては、つらい時期だったよねぇ、あのころ。


っつかさあ、なんか、今って、あのころの状況に似てねぇ? あのころレコード不況があったように、今はCD不況じゃん。
 音楽の状況がつまんねーって、一般の人たちがそっぽ向いてしまっていたのも、あのころと同じだぁ。

 
 そんな状況を「打破」すべく、純粋にヒットチャートとヒット曲を楽しむ人たちで「オリコンチャート研究会」を結成するのは、これから4年後ですわ。

ま、実際は、反面教師というか、この曲によって80年代アイドルが安っぽくなったおかげで、その後のバンドブームやカラオケブームが加速し、CD売り上げが急速に伸びることになるんだけどね。

 果たして、この先、あの時と同じように、音楽業界も立ち直れる時期が来るんですかねぇ。

そんじゃ、最終兵器な曲を聴いてみますか。。。みなさん耳栓のご準備を。。。




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横浜いれぶん / 木ノ内みどり

1978_04_横浜いれぶん_木ノ内みどり






今回の1曲セレクトは、「横浜いれぶん」木之内みどりです。

 まずはデータです。

・タイトル   横浜いれぶん
・アーティスト 木之内みどり
・作詞     東海林良
・作曲     大野克夫
・編曲     船山基紀
・リリース日  1978年2月25日
・発売元    キャニオン
・オリコン最高位 28位
・売上げ枚数  8.9万枚

実を言うと、今回セレクトした木ノ内みどりさんの「横浜いれぶん」は、掲載しようかどうか、ちょっと悩んだんだよね。そんなに超売れた曲でもないしね。
 でも、未だに知ってる方は知ってるし、70年代アイドルマニアの間でも根強い人気があるんで、一応、掲載しました。

 70年代アイドルって、実際知っているようで、意外と知らないんだよね、ワタシらの年代って。
 知っているのは、トップスターなアイドルな人たちだけで、ちょこっと二線級ともなると、あんましねぇ・・・って感じになる。まあ、名前くらいは聞いたことあるわ・・・って感じで。

 今日、ひっぱってきた、木之内みどりってヒトもやっぱり、そんな感じなんだよねぇ。 いや、少なくともワタシにとっては、そんな感じだよなぁ。
 ちょうど、ワタシが、ヒット曲を聴き始めて位の頃、このヒトなんかも居たんだけど、そこは、二線級アイドル(まだB級アイドルって言葉はなかったのですよん)の悲しさかな、やっぱし、曲は聴いたことなかったんだよなぁ。
 いやいや、実際は聴いてたんだろうけど、どうも、いまひとつ印象に残ってなかったりして。

 このヒトなんかは、やっぱし、ワタシより、もう一世代上のアイドルだったんだろうな。やっぱし「ぎんざNOW」世代だもんね、どっちかといえば。

 あ、あと「刑事犬カール」ですか。。このヒトって言ったら。。

 でも、ワタシとしてみれば、「刑事犬カール」は大場久美子だよなぁ・・とか思ったりして。。

 っつか、実際、このヒトの存在すら、結構、後まで知らなかったくらいだから、ワタシ。

 この曲の後、後藤次利氏と「恋の逃避行」事件を起こして、ゲーノー界から「失踪」するんだよね。 そのちょっと前にして、このヒト最大のヒットが、今日ひっぱってきた「横浜いれぶん」な訳だけども。

 タイトルの「横浜いれぶん」ってわざわざ「いれぶん」がひらがなになっているところは、さすがに松本隆氏だよな・・・って思ってたんだけど。。
 ありゃりゃ、この曲、作詞は松本氏ぢゃないんだ。。。うーむ、この曲の前まで松本氏が書いてたんだけどな。。。

 まあ、詞のことはあんまりよくわかんないんだけどね、この曲については。
 曲は、思いっきり70年代っぽい作りだよねぇ。大野克夫氏らしいというか。。思いっきりジュリーっぽいイメージで。なんつうのかな、上のジャケ写なんか象徴的だけど、カラーなイメージぢゃないんだよなぁ、ワタシなんかは。どうも、モノクロっぽいイメージが浮かぶな。

 その辺からしても、ワタシにとっては、一世代前かなぁ・・・ってイメージが出てくるんだけどさぁ。

 それと、完全なアイドルっぽい曲ではないんだよね、明らかに。やっぱ、当時の高校生〜大学生にファンが多かったっていうことからか、若干、曲調が大人びてる。
 アイドルというよりもニューミュージックよりな香りが強いんだよね。まあ、その辺は、70年代型アイドルが下火に向かっていた、当時の音楽界の世相を垣間見ることも出来たりするんだけどさ。

 まあ、いろいろな意味で、当時のゲーノー界のクロニクルをチラリと見ることが出来る1曲ですよ。



当時は、歌がヘタなアイドルの代名詞のような木ノ内みどりさんですが、今聴くと、意外にまともだったりして。


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