かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

夢芝居 / 梅沢富美男

1984_02_夢芝居_梅沢冨美男



今回の1曲セレクトは、「夢芝居」梅沢富美男です。

まずはデータです。

・タイトル    夢芝居
・アーティスト  梅沢富美男
・作詞      小椋佳
・作曲      小椋佳
・編曲      桜庭伸幸
・リリース日   1982年11月21日
・発売元     キング
・オリコン最高位 8位  
・売上げ枚数   48.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 15位
・オリコンベストテンランクイン期間:1984年1月16日〜1月23日付

少し前までヒットチャートは初登場週が最高位になり、あっという間にチャートから消えるという、いわいる「猫の目」的なチャートアクションが主流な時代が久しく続いた。
けど、ここ数年は、そんなチャートアクションはすっかり影を潜め、ロングヒット主流の時代が続いている。
CDからネット配信へ音楽マーケットの主流が交代し、それがロングヒットを生み出す一番の要因になっていたりするんだけどね。

不肖ながら、昨年、ワタシのランキングで年間1位になった優里の「ドライフラワー」は、1年以上もベストテン内にとどまっていたり、未だにロングヒット傾向は続いているわけで。

もっとも、ロングヒットの時代は昔もあった。ただ、違うのはヒットのスパンが、昔とは比べ物にならないくらい長くなっているんだよね。
昔は1年以上もベストテン内にとどまっていた曲なんてなかったわけで。。。そのロングヒット期間には本当に舌を巻くわけよ。

楽曲ジャンルとしても、今はロックやJ-POPでも超ロングヒットになる事が珍しくない。これも昔にはなかった傾向ですわ。

昔は、ロングヒットといったら、演歌・歌謡曲の専売特許のところがあったから。

・・・って、昨年、小林幸子さんの「おもいで酒」の時も、全く同じことを書いたような気がするけど。。。。

はい、今回もロングヒットな1曲です。

梅沢富美男「夢芝居」。

この曲リリースは1982年11月なんだけども、オリコンで最高位8位まで上がったのが1984年1月。 その長いスパンの間、、じわじわ じわじわ売れ続けた訳で、 果たして、いつ書こうか・・・というのを、ずっと迷ってたんだよね。

でも、まずは、最高位を記録したころに書こうか・・と待ってたんだけどさ。

だから、本当は1月頃書けばよかったんだけども、先月は頭回るくらいの忙しさだったんで、少し遅れちゃったんだけども。。。。


梅沢富美男氏、いまや、口やかましいコメントをかますオッサン。 レモンサワーのCMではレモンになりきってる、バラエティの大御所の一人ですわ。

最近のバラエティぶりを考えると、昔、下町の「玉三郎」、大衆演劇界のプリンスとして、おばちゃんたちをブイブイ言わせ、おひねりが乱れ飛んでたなんて、全く信じられないですけどね。

なにせ、女形をやらせたら、このヒトの右に出るヒトは居ませんでしたからねぇ。

そんな大衆演劇、下町の玉三郎に脚光を浴びたのが1982年頃だったと思う。

1982年6月から放送された、西田敏行氏主演、TBSの金曜ドラマ「淋しいのはお前だけじゃない」。
このドラマに梅沢氏も旅芸人役で出演し、大衆演劇の女形「下町の玉三郎」に一躍脚光を浴びたと記憶してますね。

そんな余波をかってこの年の11月にリリースされたのが、今回引っ張ってきた「夢芝居」ですわな。

ただ、一躍脚光を浴びたといっても、まだまだホンモノの全国区という所までは人気が浸透していたわけではなく、リリース当初は、レコードの売り上げは芳しくなかったわけよ。

当時ラジオ小僧だったワタシは、リリース時から、よく聴いてけどなぁ、この曲。

まあ、AM局ではよくかかってたからさあ。 この曲とか、同時期にリリースされた金沢明子さんの「イエローサブマリン音頭」とかさ 

あの頃、「夢芝居」を含め、どこか企画色の強い「演歌・歌謡曲」って結構あったんだよね。

大ブレイクしたヒロシ&キーボーの「3年目の浮気」なんかも、似たような匂いを感じてたし、森進一氏の「冬のリビエラ」なんかも、毛色は違うけど、企画的だったような気がする。

あの頃、主流は聖子さんやたのきんなんかのアイドルだったけど、一方で演歌・歌謡曲も奮闘していた時期で、ヒットチャートは、結構いろんなジャンルの曲が群雄割拠してたんだよね。


当時、中1だったワタシだけど、そんな状況の中、演歌、歌謡曲も含め、普通に聴いてたなぁ。

なんせ好奇心旺盛な時期だったからさ。ラジオから流れてきた曲は、ヒットしてるしてない、関係なしに何でもかんでも吸収してた頃だからさあ。

そんな中、この「夢芝居」。レコード売り上げは芳しくなかったけど、ラジオを中心に少しずつ支持され、ラジオからまず飛び火したのが、有線だったような気がする。

その証拠にワタシのランキングでは、1983年1月に一度ランクインしてるんだよね。 私のランキングの各要素別のランキング表が残っていないんで推定なんだけど、まずは有線で30位以内まで上昇。

その後もジワリと支持が広がり、1983年5月5日放送分のザ・ベストテンの「スポットライト」に登場する。

ただ、「ベストテン」に出演した時にはオリコンでは100位以内に入っていない。 オリコンで100位圏外だったのに、ベストテンのスポットライトに出演したわけだから、このころメディア的には注目されていたっていうのは分かりますね。

で、ベストテンのスポットライト出演後、1983年5月23日付オリコンで76位初登場。
うーん、これを見る限り、当時はやっぱ「ベストテン」の影響力って大きかったんですかね〜。
いずれにしても、この時点で、リリースから半年が過ぎてたりする。それでも76位よ。

ここからが、また長いのよね。 83年の間、ジワジワジワと少しずつオリコンの順位を上げ続けたにもかかわらず、なかなかベストテンまで到達できず。

やっとオリコンのベストテンに到達したのが1984年1月16日付。 オリコン初登場から35週目。(年末年始2週集計含む)
1983年紅白出場っていう、「紅白効果」なところも大きかったんだろうけど、レコードリリース から1年2か月でのベストテン到達は、かなり苦労の末のベストテン到達でしたわね。

まあ、当時としてもオリコン記録という所までではなかったですけどね。初登場から35週目でのベストテン到達というのは。。。。
当時のオリコン記録としては、千昌夫氏の「北国の春」の初登場以来77週目でベストテン入りというのがありましたからねぇ。

ただ、あの頃は、佳山明夫氏の「氷雨」がリリースから5年かけてベストテン入り、同じく欧陽菲菲の「ラヴ・イズ・オーヴァー」が初めてのレコード化から4年でオリコン 首位とか、いろいろな形でロングヒット、時間をかけてのヒットっていう曲が相次いで出ていた時代だからさ。

この「夢芝居」なんかも、ロングヒット・・・ならぬ時間をかけてのヒットの1曲っていう認識が強いんだよね。

まあ、今となってはリリースから1年2か月かけてのベストテン入りといっても、そんなに時間を要しているようには感じないんだけども、リリース当時、中学1年だったのに、ベストテン入りしたころは、中学3年の目前だった、あの頃は、とてつもなく長い時間に感じたのもあるんだろうなぁ。





この綺麗なお姉さんが、今や全身黄色に塗りたくって「レモン」のかぶりもんしてるオッサンと同一人物とは到底思えないですよね。 

まあ、当時もこの綺麗なお女形と、「夢芝居」のシブい声の持ち主が同一人物とは、思えなかったけど。。。。


梅沢氏今のCMは、「レモンサワー」だけど、この「夢芝居」を聴くと、「たこハイ」が飲みたくなる私だったりします。
 いつかも書いたけど、1983〜84年当時は、チューハイブームやったやん。 田中裕子さんの「たこはい」のCMが流行ってた頃。

そんなこともあるのか、この曲と「たこはい」がリンクするるんだよなぁ、ワタシ。

当時、ワタシもたしなんでいたのよ、「たこはい」。 中2だったけど。。。。

37年前・・・・時効ということで。。。 

でも、あのころから酒なんか飲んでるから、30才くらいで痛風なんかになるのよ。。。。自業自得ですわ。。。。



よろしかったらポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

2022年 ネクストブレイクアーティスト(あくまで予想)

もう1か月も前のニュースだけど、Spotifyが2022年「ネクストブレイク」アーティストを発表。



先週6日放送のフジテレビの「僕らの音楽」でも紹介されていたんで、1組ずつ曲を聴いてみたんだけども、個人的にはピンとくるアーティストは今一ついなかったなぁ。

まあ、今をときめく、あいみょん、ひげだん、King Gnu、藤井風など、これまでこれに選出されたアーティストが高確率でブレイクしているところから考えて、つばをつけといても損はしないアーティストたちではあると思うけど、どうもね。。。。

ただ一組「Penthouse」って人たちはいいですね。
理由、音楽的に一番まともだから。😅😅😅😅
いや、その前にメンバーみんなテクニックがあり音楽的に完成されている。
東京大学のバンドサークル発ということで、頭脳的な部分も完成されている(!?)
楽曲を聴く限り、うんと素直にしたヒゲダンのようだし。 いやひげだんよりも洋楽センスが濃いな。ウエストコーストの匂いがするオシャレなポップロックですね。
まあ、手っ取り早く言えばウレセンな楽曲なんで、とっつきやすいという所が一番かな。
ただ、まだ今一つポイントが絞り切れていない楽曲が多いんで、もう少しインパクトの有る焦点がハッキリとしたメロディラインの曲が出てきたらブレイクしてきそうな予感。
ラジオなどのメディアでもぼちぼち紹介されてきているので、選出された10組の中では、現在のところでは、一番ブレイクに近いと思う。




【キニナル曲】ショック!/サカナクション

2022_03_アダプト_サカナクション



まずはデータよん!

・タイトル         ショック!
・アーティスト     サカナクション
・作詞       山口一郎
・作曲       山口一郎
・リリース日    ネット配信 2022年1月26日
          CD アルバム「アダプト」収録 2022年3月30日リリース予定  
・発売元      ビクター
・タイアップ    映画「ルパンの娘」主題歌

やっぱ、これですね。今一番刺さる曲は。
一瞬、ルパンかと思わせるようなジャジーなビッグバンド風なイントロから、アフロビートなラテンの世界へ。
70年代全開なこの曲に、ご機嫌ですわ。
もっとも映画「ルパンの娘」の主題歌だったこともあって、「ルパン三世」を彷彿とさせるような大野雄二風な味付けのイントロになったんだろうけどね。
以前のサカナクションって、たしかにエレクトロな2010年代を象徴していたけど分かりづらさもあった。
2015年の「新宝島」以降、昭和なダンスビートというヒントを得て、曲自体ストレートで分かりやすくなった上に、世界観も広がったよなぁ。
この間、ラジオで、この「ショック!」を皮切りに、山本リンダ「どうにもとまらない」、じゃがたら「裸の王様」と、アフロビートなラテン曲をメドレーでかけてたけど、まったく遜色が無かったし、、このメドレーを選曲したひとのセンスに感心しちゃったな。
ちなみに、東京FM、LOVEさんの「ALL TIME BEST」だけど、この番組の選曲センスは以前からいいんだよね。
ヒゲダンがまだインディーズ時代の2017年にいち早くO.Aしたのも前身の「LOVE CONECTION」だったと思う。
で、「こりゃ、やべえのが出てきた」と思ったのよ。
この曲が収録されているニューアルバムは来月リリース予定だけど、当然のように売れるだろうね。

初恋草紙 / 山口百恵

1977_02_初恋草紙_山口百恵


今回の1曲セレクトは、「初恋草紙」山口百恵です。

まずはデータどぇす。

・タイトル    初恋草紙
・アーティスト  山口百恵
・作詞      阿木燿子
・作曲      宇崎竜童
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1977年1月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   24.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1977年2月7日〜3月7日付

1か月ぶりの「1曲セレクト」です。
年明け早々、四半期ごとの超繁忙期に突入するっていうのは、分かってはいるんだけども、今回は、ちよっと訳わかんなかったですね。ワタシも。
ルーティーンの作業に加えて、新規のお客さん対応も加わったりして。さらに同僚が倒れて、ウチのチームから急遽、そちらのチームに1人異動になったりして。。ほんと、プチパニックな状態でしたわ。
まだ、やることはいろいろ残っているんだけども、とりあえず、ルーティーン作業に区切りがついたんで、久々に「1曲セレクト」なんぞ書いてます。


ここんところ、KBC(九州朝日放送)ラジオで毎週土曜日の13:00〜19:00で放送している、「サタデーミュージックカウントダウン」に嵌っているんだよね。
今どき6時間ものワイドなランキング番組なんて、少なくとも関東地区のラジオ番組ぢやないし。
「今」のランキングだけでなく、「タイムマシーン」っていうコーナーで、毎週「お題」を設けて、お題に沿った「過去曲」をリクエストを交えてO.Aされるのよ。

この「タイムマシーン」で流れる曲が、個人的には、いちいちツボでさ。
ワタシは、千葉なんだけどもradioプレミアムを通じて毎週聴いてますわ。 

いやいや、今は便利なツールがあるよね。  ラジオのランキング番組に毎週末、6番組ハシゴしていた1980年代には、こんなことできなかったからさあ。
確かに、夜、電波状態が良くなってから、かすかに聞こえてくる関西のラジオを聴いたりしてことはあったけど。。

で、昨日(2/5放送)は、特集のお題が「あの大ヒット曲の次の曲、覚えてますか?」

オンリーワンビッグヒットソングを持ったアーティストなどの誰もが思い浮かぶような大ヒット曲の、その次のシングル曲にスポットを当て、覚えている曲なのか?はたまた全く記憶にない曲なのか?を探ってみたいと思います

これまたいろいろツボな曲がかかったわけなんだけども。。。

ただ1曲、山口百恵さんの「横須賀ストーリー」の次の曲・・ということで、「パールカラーにゆれて」がかかった。

まあ、リスナーのリクエストでかかったんで、第三者のワタシがどうこういう筋合いはないんだけども。。。

うーむ、山口百恵さんだったら、このパターンだよな・・・

と、個人的には思ったパターンがありまして、引っ張ってきたのが、今回の「1曲セレクト」の曲。


山口百恵さん「初恋草紙」


この曲、以前「赤い衝撃」を書いた時に、チラチラ書いた記憶があるんだけども。。。。

そそそ、百恵さんのシングルのリリース順で言えば、「赤い衝撃」の次のシングル。かつ、「夢先案内人」の1曲前のシングル。

つまりさあ、50万枚セールスだった前曲「赤い衝撃」と、これまた40万枚セールスだった「夢先案内人」っていう、百恵さんのシングルでも代表格に匹敵する大ヒットにポツンと挟まれた、世間的にみれば印象に薄いシングルなんだよね。

なにせ、74年の「ひと夏の経験」で大ブレイクして以降、引退するまでの一連のヒットシングルの中で下から3番目に売り上が低い1曲なわけでさぁ。。。


正直、個人的にも、この曲ずっと知らなかったんだよなぁ。いわいる「懐かし番組」なんかでも、この曲は流れているところを聴いたことなかったし。。。

1977年1月リリースといえば、ワタシゃ7才。 小学1年生の頃ですわ。 まだ、ヒット曲は知らなかった頃。

だから、この曲の存在を知ってからは、逆にずっと気になっていたりしたんだけども。。。


実際音源聴いたの、つい最近ですわ。 百恵さんのベスト盤「ゴールデン☆ベスト 山口百恵 コンプリート・シングルコレクション」あたりで聴いたんじゃなかったかなぁ。

だから最近も最近。 1曲セレクトをすでに書き始めた後ですね。

イントロのオカリナの音色にしても、全体的に歌謡曲タッチな曲調にしても、まずもって「素朴」というのが印象なんだよね。百恵さんのシングルにしては珍しいくらいの。

ただ、やっぱりインパクトに薄い・・っていうイメージは拭えない。
どちらかといえば、A面タイトル曲というよりは、B面に近いような。

・・・かといって、全くのB面的かといえばそうとも言えない。。。 判断が難しい曲ではあるんだよね。
アルバムの1曲で、やや目立つ曲があったりするじゃない? それじゃシングルに切れるのかといえば、そうじゃない・・・っていう曲。 そんなイメージなんだよな。 この曲。
口悪く言えば、「つなぎ」の曲っつうか。。。。

例えば、79年の「美・サイレント」のころだったら、恐らく、この曲B面だったような気がする。
「美・サイレント」B面の「曼珠沙華」なんてすごかったじゃん。インパクトの塊で。あの曲でタイトル曲じゃないんだもの。(もっとも尺が長いんで・・という見方もあるが)
79年くらいの百恵さんは、そのくらい楽曲的には充実してたし。

それよりも、わずか2年前とは言え、77年の初動の頃は、まだそこまでの充実度は、なかったんじゃないのかなぁ。 百恵さんの楽曲が本当の意味で充実したのは、「夢先案内人」以降のように感じるんだよね。


それに、この曲リリースサイクルの辻褄合わせて的なリリースでもあったしな。

前年76年まで、百恵さんのリリースは、3、6, 9, 12月のいわいる四半期最後のサイクルだったわけよ。

でも、76年は11月に「赤い衝撃」のリリースがあったんで、それまでのサイクルが狂ってしまった。

この「初恋草紙」の作家陣からして、恐らく、この曲のリリースは本来は1976年12月だったんだろうね。 でも、「赤い衝撃」がリリースされたために、12月に連続リリースというわけにはいかなくなって、1977年1月にずれた。 

ただ、それじゃ、次の「夢先案内人」のリリースを、また2か月間隔にして3月リリースにすれば・・とも思うんだけども これまた4月1日にずらされていたりするんだけどね。

これは、「夢先案内人」のリリースを3月にすると、「1976年度」のリリース枚数が5枚になってしまって、契約枚数を越えてしまう。。

そんな所なのかもなぁ。。。 まあ、あくまで、私の勝手な想像ですけど。。。。

これが本当ならば、1977年度は77年4月から78年3月まで、シングル5枚出しているんで、どうなんだ? って話にもなるし。。。



和風テイストで言えば、79年の「愛染橋」に近いイメージもあるけど、あれよりも、もっと「素朴」。

そういえば、「ひと夏の経験」で大ブレイクして以降、引退するまでの一連のシングルのなかで、一番売り上げが2番目に低かったのが「愛染橋」の22.1万枚。


もっとも、一番売り上げが伸びなかった「赤い絆」は、ドラマの主題歌で「臨発」っていうイメージが高かったからな。


だから、実質的には「和風テイスト」の2曲が、売り上げが伸びなかった、ワースト2曲とも言えなくもないのよね。

ようべつの動画のコメントなんか見ると、「この曲好きです」っていうコメントも多いんだけども、一般的には、今一つ、なんか物足りない・・・っていう印象だったんでしょうね。
百恵さんのイメージではなかったのかもしれないな。


ただ、ぱっと聴き、「70年代」というイメージではあるんだよね。 そそそ、70年代の歌謡ポップス。
ポップスとついてるけど、どこかあか抜けない。

なんていうのかなぁ、街の中の純喫茶のような。 そそそ、「カフェ」ではなく「純喫茶」。

コーヒー店なのに、あんみつとか、やきそばとかも出すような。

でも、そんなあか抜けないところに、どこか安心感を感じてしまうような。
70年代ってそういう時代だったような印象が強いんだよね。 例えば、布施明の「積木の部屋」とか、野口五郎の「私鉄沿線」なんかもそうじゃない?  

一見あか抜けていそうで、実はあか抜けていない。 そこに安心感があった時代だったと思うのよ。70年代って。

まあ、この「初恋草紙」は、そんなあか抜けない、70年代歌謡ポップスの典型と言える1曲なんじゃないのかなぁ。




でも、つなぎといえば、ジュリーの全く同じ時期のシングル「さよならを言う気もない」も、「コバルトの季節の中で」と「勝手にしやがれ」という両ヒットの間に挟まれた、つなぎっぽい曲ではありましたよね。
秀樹の「ラストシーン」も、ファンの間では人気が高いけど考えようによっては、つなぎっぽくも感じるし。。

1977年のこの時期って、得てしてそういう時期だったのかもなぁ。

1977年って、春ごろから一気に曲調が華やかになったような印象が強い。 1977年の今頃って、業界全体的にそういう時期だったのかもな。



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

青空、ひとりきり / 井上陽水

1976_01_青空、ひとりきり_井上陽水


今回の1曲セレクトは、「青空、ひとりきり」井上陽水です。

まずはデータです。

・タイトル    青空、ひとりきり
・アーティスト  井上陽水
・作詞      井上陽水
・作曲      井上陽水
・編曲      矢野誠
・リリース日   1975年11月25日
・発売元     フォーライフ
・オリコン最高位 8位
・売上げ枚数   25.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1975年12月10日〜12月29日付

2022年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
さて、今年1発目の1曲セレクトは、そのタイトルから、今の時期の曲ということを忘れて、気が付くとヒット時期をいつも逸してしまっていたこの曲。

井上陽水「青空、ひとりきり」。

どうもね、タイトルからして、初夏とか、夏のイメージがあるんだよね、この曲。
で、いつもその頃になると思いだして、引っ張ろうと思うんだけども、実際のヒット時期を調べると、真冬の今頃なんだよね。

1976年の初夏の頃、たしかに井上陽水氏のヒット曲あったよな・・・という頭はあるんだけどね、どうも、次のシングルの「Good,Good-Bye」と間違って覚えている節もあるのよ。

今回、偶然にも、今の時期に「そういえば・・・」というのを思い出して引っ張ってきましたわ。

リリースが1975年11月でしょ。ワタシゃ6才、幼稚園の年長組の頃ですわ。

当然、井上陽水氏の曲はリアルタイムで聴いてないよなぁ。

ただ、自分のランキングを作り始めた時、 そそそ、1976年1月から作り始めたんで、その一番最初の週でベストテン近くにいたんで、よく覚えてますわ。

1976年のチャートを作り始めたのは、ワタシが大学生の頃なんで、かれこれ30年近く前になる。

冬なのに、「青空、ひとりきり」って、どうも冬っぽくないタイトルなんで。

一体どういう曲なんだろう? っていうのは、ずっと引っかかっていた訳よ。

きちんと聴いたのは、いつだろう?  いや、それほど昔ではなかったはずだ。

でも、初めて意識してこの曲を聴いたとき、 Aメロの

♪ 楽しい事なら何でもやりたい〜 ♪ という出だしのメロディをいた途端、「あ、この曲か〜」っていう思いがあったんだよね。

きっと、メロディとタイトルが一致していないところで、昔聴いてたんだろうな、この曲。

もちろん、いつ聴いていたかという記憶は全くない。

でも、今、この曲を聴いて浮かんでくる、絵面は、どこまでも70年代の中盤ですわ。
TBSの「おはよう700」っていう、平日の朝のワイド番組やってたじゃん。あの中の人気企画だった「キャラバン隊」。 あそこでかかっていた一連の曲、例えばこの時期だったら、ダニエルブーンの「ビューティフルサンデー」とかさ、もう少し後では、のジョニー・ウエイクリン「イン・ザイール」とかあの辺で思い浮かんだ絵面に近い。

うーん、うまくコトバにならないんだけども、70年代中盤頃の空気感なんだよ、どこまでも。

このころ、いわいるニューミュージックがメジャーになりつつあったんだけど。
そそそ、今をときめく「シティ・ポップス」を含めた、新たな形態の音楽だ。対歌謡曲としてのシンガーソングライターを中心とした新しい音楽の地平。

この曲も、当時確立されつつあった、そんなニューミュージックに属する1曲なのかもしれない。
フォークでもない、ロックでもない新しいタイプの1曲。

ただ、今でいう「シティ・ポップス」ほどは垢ぬけていない。 まだどこかフォークの残り香も感じるし。 ただ、かぐや姫のような純粋なフォークではない。あくまでベースとしてのフォークあであり、表面的な部分はもっと別の音楽なのよ。 あの頃世界的にはやっていたソウル的でもあるし、バックでなっているブラスは、この曲の少し前のブラスロックっぽくも聴こえるし、R&Bっぽくも聴こえる。

恐らく高中正義氏が弾いていると思しき、イントロのギターリフの音色とかね。少し前の「猫」の「雪」っていう曲を彷彿させたりして、つまりは表面的には黒っぽい音なんだよね。

そんなサウンドに、悲鳴にも似た金切声っぽい陽水氏の高音のボーカルが乗っかると、何とも言えない不思議なグルーヴになるのよ。 なんていうのかなぁ、もう少し後の時代の言い方だと、「無国籍」な音楽っちゅうのかなぁ。

そうだ、そんな「無国籍」なグルーヴ感が、あの1970代中盤のころのニューミュージック確立前夜の音楽から醸し出される匂いなんですよ。

スナックで飲むコーヒーの香りっていうのかなぁ。 コーヒーの香りと、酒の匂いが入り混じって充満しているような空間の匂い。
あの頃、幼馴染の友達の家で経営していたスナックに遊びに行ってたんで、その匂いの記憶がこびりついているんだろうけど、私的に1970年代中盤という言って感じる匂いは、そんな匂いですわ。

たださ、この曲の次のシングル「Good,Good-Bye」になると、俄然、シティ・ポップっぽい、都会的なあか抜けたサウンドになる。

この間、僅か数か月なんだけども、この間に、ニューミュージックっていうジャンルは、完全に確立されたといってもいいんだろうね。

確かに、ユーミンの「翳りゆく部屋」なんかも、全く同じころの作品だし、まさに時代の変革期が、この数か月の間で進んだとも言えるんじゃないかなぁ。

そんなまさに時代の端境期の只中にあった1曲ですね。 この「青空、ひとりきり」っていう曲は。


ちなみに、「青空、ひとりきり」も「Good,Good-Bye」も76年3月にリリースされたアルバム「招待状のないショー」に収録されている。
そんな時代の端境期、サウンドの変化が1枚に凝縮されているアルバムだったりもするんだよね。




なお、この「青空、ひとりきり 」から、陽水氏もフォーライフからのリリースになったわけですね。
1975年、小室等氏を社長として、井上陽水、泉谷しげる、吉田拓郎という、当時のトップフォークアーティスト4人で設立したレコード会社。

レコード制作だけではなく、アーティスト自ら、営業、宣伝までの全権を握りたいという、日本で初めてのアーティスト主導のレコード会社として設立。

紆余曲折はあったものの、その後の業界にもたらした影響は大きいわけですわな。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

45年間オールタイムランキング公開しました

またまた、ワタクシメのランキングの話で恐縮です。
少し前にFBには告知してあったのですが、1976年→2021年45年間のオールタイムTOP3000を発表しました。

http://www.kajiyan-net.jp/

一人よがりっちゃ、一人よがりだけども、結構面白いランキングがでましたね。

以下は、主な「キリ番」ランキング曲

・1位   Lemon  米津玄師 2018年 
・50位   浪漫飛行 米米CLUB 1990年
・100位  乾杯   長渕剛   1988年
・500位  BEAT   河村隆一  1997年
・1000位  別れましょう私から消えましょうあなたから 大黒摩季  1993年
・1500位  Endless Sorrow 浜崎あゆみ 2001年
・2000位  風のエオリア 徳永英明  1988年
・2500位  1億のスマイル 酒井法子  1988年
・3000位  love the world Perfume  2008年

以下 未公開
・4000位  THANATOS LORAN&MASH 1997年
・5000位  ヴァージニティー NMB48 2010年
・10000位  ローレライ ゴスペラーズ 2008年

昔、ニッポン放送で1991年当時の「おりこん歴代TOP500」を半年かけてカウントダウンした、「オリコンTOP500」見たいな番組をやるんだったら、データ貸してもいいんで、こんな感じの時代を超えた大型ランキング番組をやってみるのも面白いと思うんだけどなぁ。

どこかの局で考えてくれないかしら。。。。

ひとすじになれない / 米米CLUB

1991_12_ひとすじになれない_米米CLUB



今回の1曲セレクトは、「ひとすじになれない」米米CLUBです。

まずはデータでーす。

・タイトル    ひとすじになれない
・アーティスト  米米CLUB
・作詞      米米CLUB
・作曲      米米CLUB
・編曲      米米CLUB
・リリース日   1991年9月21日
・発売元     ソニーレコーズ
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   65.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1991年10月7日〜11月4日付
・タイアップ:ソニービデオカセットV CM曲

2021年の1曲セレクトは、恐らくこれが最後なんじゃないかな・・・。
今年も1年間、「1曲セレクト」を読んでいただきありがとうございました。まあ、年々、書く頻度も少なくなってきましたけど、来年も一つよろしくお願いします。

ところで、昨日、ワタシメのランキング、2021年の年間チャートベスト200を公開しました。
年間1位は、優里の「ドライフラワー」。 
まあ、1年52週あったうち、49週ベストテン入りなんていう、とんでもない超ロングヒットになったわけで、年間1位も頷けるところではあるんですけどね。

ただ、、この曲、よく分かんないって方が結構いるんだよね。
曲調として派手なわけでもないし、強烈なインパクトがあるわけでもない。でも、なんで、こんな超ロングヒットになっているのかがよくわかんない・・っていう理由ですね。

確かにそうなんだよね。 例えば、BTSの一連ヒットなんかもパッと聴きはそういう所があるんだけども、BTSの場合は中毒性がある。 何回か聴くといつの間にか嵌っちゃうんだよね。
まあ、ひげだんの「Cry Baby」なんかは、それこそインパクトの塊だったりするけどさ。

これらの曲に比べると、「ドライフラワー」って曲は、今一つよく分からない・・というのも理解できたりするんだよな。

ただ、そういうよくわかんない曲が、得てしてロングヒットすることっていうのも、ときどきあるわけなのよ。

今回の1曲セレクトは、同じように、強烈なインパクトがあるわけでもないけど、ロングヒットになった曲を一つ。

米米CLUB 「ひとすじになれない」。

この曲、もちろん覚えていらっしゃる方もいらっしゃると思うけど、いやー、覚えてないなぁ・・っていう方も多いんじゃないかなぁ。

今となっては、米米CLUBと言ったら、「君がいるだけで」と「浪漫飛行」の2択だけっていう感じになっちゃってて、他の曲にスポットが当たることは少ないもんなぁ。

ましてや、地味な存在のこの曲なんて、今となっては忘れられててもしょうがない。

時代的には、1991年9月リリース、今からちょうど30年前の曲ですわ。

1991年9月と言ったら、チャゲアス「SAY YES」と、槇原の「どんなときも。」が超大ヒットを続けており、 バブルガムブラザーズの「WON'T BE LONG」が、この2強に肉薄してきていた頃だ。

そんな中リリースされたこの曲。 上記3強の間隙を縫ってオリコン初登場は3位であったものの、それが精いっぱい。そこからはランクは下降線をたどっていき、1991年の年末、ちょうど今頃には、オリコン30位台まで一度落ちるのよ。

でも、年をまたいで1992年1月に入ると、オリコン10位台まで回復。 2月以降、再び30位台から20位台を行ったり来たりし、結局、1992年5月25日付まで、オリコン左ページ、つまりは50位以内をキープ。
リリース以来、8か月間ベスト50をキープするという、ロングヒットになる。

紅白で歌われたというならば、紅白効果で、年明けチャートが一時的にでも上向きになるということは珍しいことではない。 そういう曲は、未だに毎年のように出てくるしね。

でも、この曲は紅白では歌われていないし・・・。 っつうか、1991年時点で、米米は紅白には1度も選ばれていない。
・・にも関わらず、年が明けて、再浮上してきたわけよ。

まあ、確かに、今年の「ドライフラワー」に比べるとロングヒットの規模は小さいものの、似たようなヒットだったって言えるんじゃないのかなぁ。

あの時代、演歌でのロングヒットっていうのは、それほど珍しくなかったけど、ロック・ポップス系で8か月間オリコン左ページを維持した曲って多くなかったしね。

ぢゃ、なんで、こんなロングヒットになったのか?

当時のカラオケブームっていうのが、大きかったんじゃないのかなぁ・・・。なんて思うわけなのよ。

この曲、オリコンのCDセールスは地味な動きだったけど、有線チャートの動きは比較的良かったんだよね。
つまりは、飲み屋の有線なんかじゃ、よくかかっていたのよ。  

あの頃、有線発のロック・ポップス系ヒット曲って増えて来てましたからね。 ↑で書いたバブルガムの「WON'T BE LONG」なんかはそうだったし。 この1991年は、他に沢田知可子さんの「会いたい」なんてぇのは、典型的だったな。
有線で耳にした曲をカラオケで歌う。 そんな流れも出来ていたんですよ。
この曲なんかも、そんな流れの1曲だったと思う。


で、さあ、この曲、実際カラオケで歌うと気持ちいいのよ。 少し音程が取りにくいところがあるけど、米米の曲の中ではまともな曲だし。。 これは「カラオケで歌う曲を前提」にした曲なんじゃないか・・とも思えたりしてね。

個人的に、そうだったけど、あの頃、兎に角飲み会にカラオケは鉄板、必須でしたからねぇ。 この曲当時、カラオケで何回歌ったか分かんないもの、個人的に。

そういう方も多かったんじゃないのかなぁ、今の40代、50代の方の中にもさあ。

そういう時代の流れに支えられてのロングヒットだったと思うんだよね。 この曲は。

結局ね、今年のワタシのチャートの年間1位だった、優里の「ドライフラワー」っていう曲も同じ様な理由なんじゃないかなと思うんだよね。

いまの時代だったら、有線発ではなく「ようつべ」とか「TIK TOK」なんかの動画発のヒットという違いはあるんだろうけど、そういう時代の流れに支えられたロングヒットであることは間違いない訳なのよ。
それに、最近の曲としては、比較的素直でわかりやすい曲ではあるしね。

まあ、動画見て、どの程度カラオケに流れたのかはよくわかんないけど。。。。




ウーン、カールスモーキー石井自ら「カラオケで歌われること前提」のようなコメントしてたりするな

カラオケでは、Cメロの ♪ 軽く愛してるよ なんて 言えないから〜 ♪ が決まると気持ちいいのよね。 

しかし、なんじゃ、この切れ方は。。。。。。

仕切り直しに CD音源動画を




すぐ消されちゃうかもしれないけど。。。。


よろしかったらポチッと押してね。
にほんブログ村 音楽ブログ J-POPへ
にほんブログ村

哀愁のワインディングロード / 横浜銀蝿

1983_12_哀愁のワインディングロード_横浜銀蠅


今回の1曲セレクトは、「哀愁のワインディングロード 」横浜銀蝿だぜい!

まずはデータ

・タイトル    哀愁のワインディングロード 
・アーティスト       T.C.R.横浜銀蝿.R.S.
・作詞      翔
・作曲      翔
・編曲      T.C.R.横浜銀蝿.R.S.
・リリース日   1983年12月5日
・発売元     キング
・オリコン最高位 16位
・売上げ枚数   11.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 18位

今回引っ張ってきた曲は、「すでに書いたと思ってたけど、実際まだ書いてなかった曲」な曲だなぁ。

横浜銀蝿の「哀愁のワインディングロード」。

この曲、とっくの昔に書いた・・・ような気がしてたんだけどなぁ。

いつもの如く、次の1曲セレクト候補を探しつつ、昔のオリコンチャートと、自分のブログのアーカイブを見比べていたら、引っかかってきたんだよね、この曲。

うーむ、これは完全に慢心だったな。  

銀蝿としては8枚目のシングル。この曲をリリースする前には、解散を発表しており、 事実上のラストシングルだったわけなんだよね。

それもあって、「哀愁のワインディングロード」と書いて、「わかれのワインディングロード」と読ませる。

リリースは1983年12月5日。 そして、12月31日の新宿コマライブを持って解散。

果たして、ラストシングルも、それまで同様、3コードの単純明快なロックンロールで行くのかと思ってたけど、、実際は、イタリアンツイストをベースにした、G.S風なガレージっぽいナンバーだったんだよね。

デビュー時、3コードのロックンロールで、突っ走れるところまで突っ走る・・と明言していた銀蝿だけども、それまでのシングルから、少し変化球なナンバーに、当時は少し戸惑ったのを覚えてるな。

それでも、「哀愁の〜」のというタイトル通り、サビれた男の哀愁感がもろにじみ出ていて、それまでの銀蝿のシングルでも、個人的には印象に残る1曲ではあったんだよね。

少なくとも、もろコミックソングっぽかった、前曲の「お前にピタッ!」 とか、その前の「あせかきべそかきRocn'Roll run」の近田春夫氏曰く、道徳的な1曲 に比べると、カキワリが一切ないストレートな1曲だったしな。

ただ、最後の最後に来て、それまで貫いてきた単純明快なロックンロールから、少し変化球な曲調であったのは、やっぱり少し寂しかったことは寂しかった。

正直、それまで何があってもロックンロール1本で突っ走る・・と 文字通り「ツッパリ」通してきた意地はどうしちゃったの? なんて気分にもなったりしたなぁ。

まあ、考えるにロックンロール1本では限界が見えたから、潔く解散を決意したんだろうし、最後の最後に来て、少し変化球な曲調を持ってきたんだろうけど。

それでも、1980年のデビューから実質3年間で武道館満杯、オリコンアルバム1位獲得というデビュー時の公約は果たしたわけで、音楽界に足跡を残したことは間違いない。
ただ、オリコンシングル1位獲得という公約を果たせなかったのは、心残りなんだろうね。
最高は、「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)」の3位。

それもあって、ラストシングルのこの曲には賭ける思いもあったようだけど、さすがにそこまでのアーティストパワーは残っていなかった。 シングルではデビュー以来最低の16位に沈む。


蛇足だけど、オリコンではシングル1位が取れなかったけど、「ミュージックラボ」では、82年の「あせかきべそかきRock'n Roll run」で1位をとっていたりする。
でも、「ミュージックラボ」の1位ぢゃ、満足しなかったんだろうなぁ、きっと。


デビューの1980年から、一貫してドカンに革ジャン、リーゼントという「ツッパリ」スタイルで通してきた銀蝿。 たしかに校内暴力が横行し、族、リーゼント、ツッパリが、ファッションとして一世風靡していた81〜82年頃は、このスタイルが時代の先端にあった。

だけど、時代の流れは速いわけでさ。 1983年くらいになると、このスタイルもアナクロになっちゃってましたからね。族、リーゼント、ツッパリ・・といういわいる、ブルーカラー的なファッションは、さらにエスカレートして「極悪」な世界に昇華してたし。
うん、84年の「少女に何が起こったか」あたりからの「大映ドラマ」見りゃ一目瞭然だよね。
まあ、あくまで「ドラマ・劇画」の世界ではあるけど、それでも84年くらいなると、それがイマイかったわけで。。。

だからこそ、時代の流れを見極める嗅覚がある彼らは、そんな時代の流れをいち早く察知したんだろうね。
この曲、最高16位と、デビュー以来シングル最低ランクだったけど、この順位だったら、まだまだ先もやれたはずだし、展開次第では巻き替えも図れただろうけど、潔く1983年を持って解散っていう運びになったんだろうけどね。






1983年12月31日、新宿コマ解散ライブでの「哀愁のワインディングロード 」。

まずもって、気が付くのは、女の子たちの黄色い声援。
当初、そのスタイルに共感していた、ツッパリ兄ちゃん、ツッパリ姉ちゃんたちの希望の星の存在だった銀蝿も、最後はアイドル的な存在だったことが、この映像からも分かったりする。

もしかすると、時代の流れ云々の前に、そんなファン層の変化にも限界を感じていたのかもしれないな。

まあ、1983年に一度は解散した横浜銀蝿だけども、90年代後半頃からはちょくちょく再結成もしてますけどね。昨年もデビュー40周年ということで、再結成してツアーもやってましたね。
キングレコードのお偉いさんに出世していたギターのJohnnyも参加してオリジナルメンバーがそろっての再結成になったし。


ちなみに、1983年12月31日(土)。 私は、福島・いわきの、母方のばあちゃんの家にいた。
少し前にじいちゃんが倒れて、ばあちゃんは病院に付きっきりになったため、うちの家族3人で留守番を頼まれてたんだ。
めっちゃ寒い夜でさあ、ストーブのないコタツだけの居間で、ブルブル震えながら、家族3人で紅白歌合戦見たのを、よく覚えてるわぁ。
結局、最初から最後までちゃんと紅白見たのって、あれが最後だったような気がする。次の年は高校受験前で紅白どころじゃなかったし、高校に入ったら紅白はもういいやと見なくなった・・・以来、ちゃんと見てないような気がする。

なんで、1983年12月31日は土曜日だったのか、覚えているかといえば、次の日1984年1月1日。
ワタシと父親は、一足早く自宅に帰ってきたんだけども、帰りの車のカーラジオで、文化放送「決定!全日本歌謡選抜」を聴いた記憶があるから。あの頃は元日でも放送してたんだよね。

まあ、どうでもいい事ですけど。。。。。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

紅白には「ガチ」の「歌合戦」をやって欲しいのよ

今年は初日の出を見に行こうと思いーの、大晦日は早々と寝ようと思っているんで恐らく見ないんだろうけど紅白の話題。

曲順が決まったようだ。



それにしても、最近は赤→白→赤→白と単純交互に歌わないんだな。確か以前は前半後半で先取交代してもこんなに頻繁にはやんなかったよね。男女ジェンダー問題の配慮なんでしょうか。

そういえば、男女っていう性別で紅白に分けるのはどうなんだ? って問題になっているってこの間、朝日新聞に出てましたね。
そのうち性別ではなくて男女混合での紅白になったりして。小学校の運動会みたく。
でも、そうやって男女混合で組み分けしたほうが歌合戦ぽくなったりしてね。

兎も角さ、「歌合戦」という看板を掲げているんだったら、「ガチ」の歌の勝負をやって欲しい訳よ、紅白には。

今「M-1」があそこまでバズっているのは、ガチ真剣勝負の漫才が見どころだからだよね。
それに、今「THE FIRST TAKE」って形で、「ガチ」の歌唱動画が受けてるのは、みんな一曲入魂の「ガチ」の歌が聴きたいからなんだと思う。
今年はその辺の流れをうまく掬い取る絶好の機会だと思うんだよね紅白も。

たださ、紅白でも、以前は「不毛」なメドレーが大半を占めていたのに比べると、今年は「1曲」勝負ばかりになったってことは、少なくとも1曲入魂に向かっている現れとも思えるんで、いい傾向だと思いますけどね。


ハーフムーン・セレナーデ / 河合奈保子

1986_12_ハーフムーンセレナーデ_河合奈保子


今回の1曲セレクトは、「ハーフムーン・セレナーデ」河合奈保子です。

まずはデータです。

・タイトル    ハーフムーン・セレナーデ
・アーティスト  河合奈保子
・作詞      吉元由美
・作曲      河合奈保子
・編曲      瀬尾一三
・リリース日   1986年11月26日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   8.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 14位

時代と折り合う。ヒット曲がヒット曲として、大きなムーヴメントとなるかならないかというところでは、重要なファクターなのよ。
不思議なもので、年が変われば、ヒット曲の色合いって毎年変わってくるんだよね。 
以前、別のトピックスで、時代とヒット曲の傾向は、螺旋階段のようにぐるぐる回っているって書いたことがある。 たしかにそうなんだけども、傾向的には似ていても、全く同じ色合いになるってことは絶対にないといっていいのよ。。必ずどこかしら違ってくるし。
まあ、それがヒット曲の進化というものなんだろうけどね。

今回引っ張ってきた曲。 いい曲なんですよ。 名バラードといっても過言ではない。

ただ、時代と折り合っていたかといえば、必ずしもそうじゃなかったんじゃないか・・と思う曲を一つ。

河合奈保子さんの「ハーフムーン・セレナーデ」。

この曲は、1986年11月、27枚目のシングルとしてリリースされた曲ですね。

もともとは、アルバム「スカーレット」のラストを飾っていた曲だけど、ここからシングルカットという形で、アルバムリリースから1か月後にシングルリリースされている。

当時23歳になっていた奈保子さん。 アイドルから大人のアーティストへの脱皮を図る。 
そのためには、歌詞の内容が深く、スケールな大きなバラードである、この曲は最適だったんだろうね。

アイドルから大人のアーティストの脱皮を図る。 長い事第一線のアイドルを張ってきた方たちには、必ず通る、「通過事例」なわけだけど、あの時、果たして本当に大人への脱皮は必要だったのか?

最近は、30になっても40になってもアイドルにこだわる方も少なく無いんで、今となってはそう思ってしまったりするんだけども。。。
まあ、それは、それぞれのヒトたちの考え方もあるだろうし、事務所の戦略もあるんだろうから、一概には言えないですけどね。

ただ、1986年当時、初めてこの曲を聴いたとき、個人的には何とも言えない複雑な気分になったのは、正直なところですね。


いい曲だったんですよ。 それは、喜ばしい事だったんだけども、この曲を河合奈保子さんが歌うっていう所に複雑な感情があったんだよね。

やっぱり、あの時点では、個人的な頭の中の河合奈保子さんは、「スマイルフォーミー」の頃のナハハ笑いの奈保子さんっていうイメージが強かったからさあ。

まあ、そんな「頭」だったんで、この曲がシングルとしてリリースされた時は、やっぱりショックだったんだですよ。

たしかに、同じ奈保子さんではある。けど、80年代初頭のあの奈保子さんではなくなっちゃったな・・と思えるとともに、少し存在が遠くなってしまったようにも思えたりしてさ。

まあ、それで曲が大ヒットともなったなら、諦めもついたんだろうけども、必ずしもそうとも言えなかったんでねぇ。

オリコン的に見れば、 オリコン最高位6位、売上げ8.4万枚というのは、前年秋にリリースされた「ラヴェンダーリップス」以来の好成績となる。

あの当時、CDの台頭でシングルが売れなくなってきていたことを考えれば、数字以上の健闘だったかもしれないな。

ただ、この曲以降、先が続かなかった。 楽曲の良さと、イメージチェンジということでの一時的なカンフル剤にはなったけど、持続的なものにはならなったってことですね。

紅白はこの年1986年の出場が最後となり、 「ザ・ベストテン」のベストテン内ランクインもこの曲が最後となる。(オリコンでは、翌年7月の「十六夜物語」の最高10位が最後)


結局さ、そこが時代との折り合いなんだろうな。
80年代って「軽薄短小」な時代と言われている。  まあ、本来は電化製品が軽くて薄く、短くて小さいものに「進化」していくってことに使われるコトバなんだけどさ。
ただ、これとは別に「
薄っぺらくて中身が無い」という表現にも使われていたわけよ。

実際、80年代ってそういう時代だったんだよね。 今振り返えると、あんまり中身が無い文化も多かったな・・・とも思ったりもするのね。

そのピークが1986年前後だったんじゃないかなぁ・・と。

そもそもおニャン子勢にオリコンチャートを占拠され、アイドルの粗製乱造が本格化し、歌が上手い、「ホンモノ」のアーティストよりも、シロートの方が受けた1986年。
あの年からして、「軽薄短小」にぴったりな年だったわけじゃん。

そこに来て、この「ハーフムーン・セレナーデ 」は、スケールの大きな本格的なバラードだったわけだから。 どうしても時代のカラーとは違うなぁ・・と思えたんだよね。

これが1年早かったり、逆に1年遅かったら、少し感じ方が違っていたかもしれない。
1年前1985年の秋から冬にかけては、小林明子の「恋におちて」の大ヒットでピアノの弾き語りというのも注目されていたし。 逆に1年後の1987年の秋から冬にかけて、中森明菜の「難破船」という名バラードの大ヒットもあり、スケールの大きなバラードに注目が集まってきていたところもある。

87年8月に、おニャン子の解散ということもあり、87年秋ごろになると、86年当時の「軽薄短小」なバカ騒ぎも大分沈静化して、徐々に「聴かせる」ような本格的エンターティメントな曲が受け始めて来てましたからね。

ピアノの弾き語りでのスケールの大きなバラード。

いずれも、この「ハーフムーン・セレナーデ」が持っていた要素ですわ。 そこから見ると、、タイミング的には、一番リリースしてはいけない時期に、この曲はリリースされてしまったんじゃないかと思えて仕方ないんだよね。




↑で、いろいろ書いちゃったけど、、今、改めて曲を聴いてて、どうして、この曲の後、ヒットが続かなかったのか・・・。
結局さ、この曲でイメージチェンジを図ったあとの明確な方向性が定まり切れてなかったんじゃないか・・なんて思えたり。。。

基本的には、自作自演のアーティスト方向に舵を切ったんだろうけど、この後、ヒットを続けて行くだけのキャパが、まだまだ足りてなかったのかもな。

個人的には、自分で曲を作りながらも、他のアーティストからの楽曲提供を受けながら、もっといろいろなことを吸収していった方が良かったんじゃないかと思ったりもするんだよね。

もっとも、この後ヒットチャート的なヒットは、もうご自身では望んでいなかったのかもしれないですが。。。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村
記事検索
QRコード
QRコード
読者登録
LINE読者登録QRコード
livedoor プロフィール

かじやん