かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

traveling/ 宇多田ヒカル

2001_traveling_宇多田ヒカル


今回の1曲セレクトは、「traveling」宇多田ヒカルです。

まずはデータでする。

・タイトル    traveling
・アーティスト  宇多田ヒカル
・作詞      宇多田ヒカル
・作曲      宇多田ヒカル
・編曲      河野圭 宇多田ヒカル
・リリース日   2001年11月28日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   85.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位  1位
・ベストテンランクイン期間:2001年12月13日〜2002年2月7日付
・タイアップ:NTT docomo「FOMA」CM曲

さっきラジオを聴いてたら、今日12月9日は宇多田のデビュー日だったんだな。
1998年12月9日に「Automatic」でデビューしてから22年。
22年かぁ。。。。早いもんだよなぁ。 初めて「Automatic」を聴いたときの「衝撃」は、以前書いた「Automatic」に委ねるとして。。。。
今考えると、あの当時、個人的には宇多田のシングル曲と共に過ぎていたように感じるなぁ。
当時のシングルを聴くと、その時々に感じていた「絵」や精神状態がフラッシュバックするんだよね。すでに30過ぎたおっさんだったけど、それだけ身近にあったのかもしれない。

かといって、それほどヘビーローテーションで聴いてたわけでもないんだけどね。
それだけ、当時の宇多田の曲には、強烈な色彩、個性、インパクトがあったんだろうな。

今回引っ張ってきた「traveling」。
2001年初冬にリリースされた、宇多田の9枚目のシングルだ。

当時、ワタシは某D社の子会社C社にて、D社運営の公式着メロサイトの主に楽曲配信運用のディレクター兼プロデューサーだった。 
着メロサイトがローンチされてから半年、順調に会員数を伸ばした2001年12月、新たに「ボイスサイト」をローンチすることになった。

この時が大変だったんだ。

実際にサイトのページhtmlやコンテンツが納品されてきたのがローンチギリギリだったと思う。
で、早速テストサイトに上げてみたところ・・・・。 html、コンテンツ共にバグだらけで話にならない。 しかもローンチは目前。。。。
兎に角、ローンチまでには間に合わせなければならない・・ということで徹夜でバグつぶし。
でも「1徹」ぢゃ終わらなくてねぇ・・・。 結局私は「3徹」。 いや実際は「3徹」でも終わらなかったんだけども、当時、一番年長だった私は「3徹」で免除してもらったんだよね
若手は、もう「1徹」し〜の、「4徹」して、何とか公開できるようになったんだよな。
ただ結局、本来のローンチ日までに間に合わなかったんだよね。

あの時、ワタシの頭の中でグルグルと「ヘビーローテーション」で流れていたのが、この「traveling」だ。 突発的だったのかもしれないけど、あのとき「着メロ」のダウンロードNo.1だったのが、この「traveling」だったこともあり、ワタシの中でこの曲が大きく占めていたのもあったのかもしれない。

兎も角、以来というものの、この曲が聴こえてくると、真っ先にフラッシュバックするのが、あの時の「3徹」の時の情景だ。 情景ばかりではなく部屋の温度感も思い出すんだよね。 12月の寒い日でさ、室内のエアコン暖房をガンガンに付けていた湿気がある温度感。 それも思い出させるな。
「3徹」から解放された帰りの京葉線で死んだように爆睡したのは言うまでもない。

フラッシュバックというよりも、もはや半ばトラウマって感じですね。

ちなみに、この曲の後の「SAKURAドロップス」の時も大変だったんだよな。 
ちょうどdocomoの「504i」リリース対応の時で。この時も 徹夜だった。この時は「2徹」で済んだけど。。。

あ、でもこの時も帰りの京葉線で、つり革掴みながら死んだように爆睡したっけ。。。

で、やっぱり、今「SAKURAドロップス」を聴くと、あの時の情景がフラッシュバックするんだよな。

こんな感じで、当時は宇多田の曲がリリースされるごとに、何かしらの印象に残る出来事が起きていたような気がする。仕事の事であったり、生活の事であったり、個人的な病気であったり・・・。

だから、個人的にはあの頃は宇多田の曲と共に過ぎたように感じるんだろうなぁ。

特に今回引っ張ってきた「traveling」の時の「3徹仕事」は、ホント未だに強烈に印象に残っていますね。

たださ、だからと言ってあの時の仕事って決して嫌いだったわけじゃないんだよね。
「ブラック」「社畜」と思えるような拘束時間だったけど、今思えばそんな徹夜仕事も楽しかったのよ。なにより、2次著作物ではあったけども、モノをクリエイトしてるっていう充実感があった。
まあ、30代前半で若かったから出来たんだけども。 今「3徹」したら確実に死ぬだろうな。。。。





↑で書いたように、この曲を聴くと「トラウマ」のようにあの日がよみがえってくるんで、未だにこの曲、落ち着いて聴けなかったりするんだよな。
でも決してキライではないんだけどね。 単に落ち着いて聴けないという事で。。
むしろ、それまでの宇多田の曲の中では好きな部類だなぁ。

個人的には宇多田の曲は、スローな曲よりも、この曲のようなBPMが速い、アップチューンの方が好きだった。
セカンドシングルの「Movin'on without You」とか2000年4月の「Wait&See〜リスク〜」がお気に入りだったしね。 

もう一つ、この曲が良かったのは、それまでのR&Bの香りが大分消えてストレートに、よりポップになったことですね。
もっとも完全に消えたわけではなく底辺には、まだR&B臭が残っていたわけだけど、ポップになった分、聴きやすくなったし。

ただ、ポップになった分それまでのくどい様なインパクトは少なくなったかもしれない。 この曲がミリオンに届かなかったのはその辺りが大きかったかもな。


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$10 / SMAP

1993_12_10$_SMAP


今回の1曲セレクトは「$10」SMAPです。

まずはデータです。

・タイトル   $10
・アーティスト SMAP
・作詞                 林田健司 森浩美
・作曲       林田健司
・編曲      CHOKKAKU
・リリース日   1993年11月11日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数  31.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位
・タイアップ フジテレビ系「夢がMORI MORI」オープニングテーマ

今でこそ超一流と言われるアーティストでも、デビュー当時は「超一流」ではなかった人たちは多い。
例えば、ミスチルだって、オリコンでベストテン入りを果たしたのは、デビュー4枚目シングルの「CROSS ROAD」からだったし。AKBだってオリコン1位に到達するまでデビューから3年8か月かかっていたりする。
後々「国民的」と言われるアーティスト人たちでも最初は苦戦してた人は多いんだよね。
むしろ、デビューの最初の最初から超売れっ子だった人たちの方が少ないだろうね。

今回引っ張ってきたSMAPも、最後は国民的アーティストと言われるようになったものの、最初は思ったように売れなかったアーティストですわ。

でも、最終的に「国民的」アーティストと言われるようになったからには、どこかにターニングポイントがあったわけなんだけど、今回は、そんなSMAPの最初のターニングポイントとなった曲を一つ。

「$10」

まあ、ここ読んでくださってくれている多くの方には説明不要の曲ですよね。
SMAPのデビューから10枚目のシングルですわ。

正直ね、個人的にはこの曲が出るまでは、SMAPっていう人たちはほとんど眼中になかったんだよね。

SMAPのデビューは1991年9月。 

ヒット曲界は、チャゲアスの「SAY YES」のモンスターヒットに湧きかえり、 槇原が「どんなときも。」で大ブレイクを果たしていたころだ。

ま、簡単に言えば、J-ROCKとシンガーソングライターの時代。 

対してアイドルはと言えば、80年代型アイドルはオタク化の進行が止まらず地盤沈下。「アイドル冬の時代」と呼ばれてた頃ですわ。

そんな時代の中デビューしてきたSMAPだったわけで、関心が行かなかったのも当然だったかもしれない。 そもそもデビュー曲の「Can't Stop」を聴いたときから、「あ、これはダメだ」と思ったんだよね。 80年代のジャニーズ・・・ま、具体的に言えば、光GENJIの後追いのような印象が強かったから。

時代の潮流に取り残されている。

そんな印象が強かったんだよな、デビュー当時のSMAPって。

ま、そんな印象は現実的なものとなり、デビュー曲の「Can't Stop」こそ、オリコン2位まで行ったものの、次第にジリ貧になっていく。4枚目の「負けるなBaby」に至っては、売り上げが10万枚に届かないという事態になったりして。

ただ救いだったのは、この人たち、それまでのアイドルの概念を打ち破って「バラエティ」に進出していたじゃん。しかも結構サマになってたりして。 
この人たちは音楽で売れなくても、バラエティでやっていけるよな。当時は、そんな風に思えたな。 ま、そのくらい、当時、楽曲の方は「アナクロ」だったんだよね。

そんな風に思えていた折リリースされた「$10」

最初に聴いたのは、やっぱり「夢はMORI MORI」だったと思う。

一発で、「あ、これは売れるかも」と感じたなぁ。

それまでのアナクロな楽曲から打って変わって、ブラコンの強烈なビート。 単純にかっこよかったんだよね。
光GENJIの亡霊・・とまでは言わないけど、それまでの曲ってどこか光GENJIを意識したような匂いを感じたんだよね。そんな光GENJIの後追いからの脱却感をまずもって感じましたね。

光GENJI以降のジャニーズの曲って、一つのフォーマットのようなものが出来上がっていたような気がするんだよな。そんなフォーマットをぶち破った1曲。
これぞ、90年代の新たな音楽という前向きな印象が強かった1曲。

この曲がリリースされたのは1993年11月。

ただね、ちょっと疑問なのは、このタイミングで、そんなジャニーズフォーマットをぶち破って、なんでこの曲を持ってきたんだろうっていうこと。

この時点で、光GENJIはまだ健在であり、光GENJIフォロワー的な位置にいたSMAPとしては、後追いを続てもおかしくなかったとも思うんだけどね。

ま、確かに、この「$10」を作曲した林田健司氏が、この曲はSMAPにあっているんじゃないかということで、SMAPに提供したタイミングってのも、もちろんあったんだろう。

でも、もし時代の変化のタイミングを捉えてのことだとしたら、SMAPはしたたかだったと思うな。

つまりさ、デビュー曲からそれまでの9曲は、究極的に言えば「おとり」だったということ。 
結局さ↑で書いたようにこの頃は、アイドル冬の時代であり、如何にジャニーズとはいえ盛大に売れることは難しい。
で、あれば、時代の変化が見えるまで、光GENJIフォロワーとして後追い的な曲でそこそこ売れればいいんじゃないかと言う読み。

なんて考えれば、80年代は1位獲得必須というジャニーズ、うんにゃジャニー喜多川氏が、オリコンベストテン下位が続いても我慢し続けていた理由が分かる。

でさ、1993年、時代の変化の兆しが見えてきたんだよね。

trfの台頭とダンスミュージック復権の兆し。

これを好機を見て、新たな流れをジャニーズに呼び込もうと、それまでのジャニーズにはなかったようなファンキーな「$10 」をシングルに起用したならば、SMAP陣営は、かなりしたたかに時代の流れを見ていたことになると思う。

まあ、あくまで想像ですけどね。

でもはっきりしているのは、この曲で初の売り上げ30万枚越えを記録したことですね。
そして、この曲を契機に売り上げは急上昇していく。 時代の流れをうまくつかんだわけですわ。




ところで、この曲がリリースされた頃、個人的には、当時オリコンウイークリー誌上で毎週開催されていた「チャートバトル」にのめりこんでいたころですね。
毎週毎週、「2週間先」のシングルベストテンを予想し、予想コメントを添えて、ハガキで応募する。で、ランキング5曲以上当たると、当たった人全員に1000円分の音楽ギフト券がもらえるっていう企画。
次の週ではなくて2週間先のランキングっていうところがミソで、これがなかなか当たらない。
なんせ、まだインターネットも普及していない時代だったしね。
毎週せっせと、オリコン提携店のCDショップに通って売上げチェックしてランク予想してたなぁ。
この企画には1回目から100回目まで2年間1度も休まずハガキ送ってましたねぇ。1993年の今頃、実は私が送ったハガキがチャートバトルに掲載されたりして、最高潮の頃ですね。

ちなみに、この「$10」がリリースされた週は、他に藤井フミヤの「TRUE LOVE」、X JAPANの「Tears」が同時にリリースされた週で、ランキング予想しやすかったのを覚えてるわ。
たしか、この週は音楽ギフト券、せしめたような記憶がある。
あ、そういえばミスチルの「CROSS ROAD」も同じ週リリースで、初登場9位の初めてオリコンベストテン入りを記録した週でもあるんだよな。 
そそそ、ミスチルの「CROSS ROAD」はチャートバトルで外したんだ。 まさかベストテン入りまでしてくるとは思わなかったんだよな。

でも、このチャートバトルの経験が、後に某着メロサイトで配信楽曲の選曲を担当することになって、直近の売れ行き予想をしつつ選曲するというところで役に立つことになるんだよな。何でも経験ですね。 


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旅愁 / 西崎みどり

1974_12_旅愁_西崎みどり


今回の1曲セレクトは、「旅愁」西崎みどりです。

まずはデータです。

・タイトル    旅愁
・アーティスト  西崎みどり
・作詞      片桐和子
・作曲      平尾昌晃
・編曲      竜崎孝路
・リリース日   1974年8月1日
・発売元     徳間音工
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   58.1万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年11月18日〜1975年2月10日付
・タイアップ:朝日放送「暗闇仕留人」エンディングテーマ

前回の五輪真弓「リバイバル」もそうだったけど、ここのところ、初めて聴いたのはいつ、どこで出会ったのか、全く覚えていない曲が続いている。今回の曲もそうだなぁ。

西崎みどりさんの「旅愁」。

この曲、はっきり覚えているのは、1991年〜1992年のナイターオフシーズンに、ニッポン放送で半年放送されていた、「オリコンベストヒット500」で流れた時ですね。

この番組、いつかも書いたけど、1991年夏に当時コンシューマー向けに毎週発行されていた「オリコンウイークリー」の創刊600号を記念してオリコンウイークリー誌上に掲載された、当時のオリコンシングル歴代TOP500と連動した企画のラジオ番組で、半年かけてオリコンシングル売上げTOP500をカウントダウンする「壮大」なランキング番組だったんだけどね。
この曲の売り上げ58.1万枚は、1991年夏の段階でたしか301位〜400位台だったと思う。
(あいまいでメンゴ。あの時のオリコンが手元にあればよかったんだけど、30年分の膨大なオリコンウイークリーの山に埋もれてしまってマス。。。
だから、当然この番組でも放送圏内だったし、そのとき意識して初めて聴いたわけだ。

でもね・・・。

この間の五輪真弓「リバイバル」と同じなんですよね。 初めて聴いたはずなのに、メロディを聴いたとたん、「あ、これ」とめちゃくちゃ懐かしい気分になった。

初めて聴いたはずなのに、どこかで聴いたことがある。でも、どこで聴いたのかはっきり思い出せないのがもどかしい感覚。

あれから30年近くたっているんだけど、この時の感覚はいまでもはっきり覚えているな。

これは、いまでも変わらないんだけども、この曲を聴いてフラッシュバックしてくるのは、まだ、福島・いわきにいた頃の映像だ。
当時5歳だったころの私が感じていたような画像・色彩。

ということは、やっぱりあの頃(5歳当時)どっかでこの曲を耳にしていたのかもしれない。

この曲は、朝日放送のドラマ「暗闇仕留人」という、「必殺」シリーズ第4弾のエンディングテーマではあったけど、さすがに「必殺」シリーズを見ていたわけではないよなぁ。
「テレビドラマデータベース」というサイトで調べてみると、このドラマは毎週土曜日の22時〜22時50分放送とある。
さすがに5歳で22時過ぎまでは起きてなかったしなぁ。 
当時で覚えているのは、21時前のニュース。福島ではFTV(福島テレビ)ニュースだったけど、これ「うすい百貨店」の1社提供でさ。
ニュースの前に「うすいデパート」のテーマ曲が流れるの。♪デートもうすい 夢のデパート〜♪って曲、当時福島県民だった方、覚えてないかなぁ。 
あの曲が流れると、「寝る時間」っていう頭があったんだよね。そそそ21時には寝てたわけよ。
・・というか、今もあのテーマ曲流れるんでしょうかね  
福島から千葉に越して来て38年。あのテーマ曲は、未だにしっかり覚えてるんだけどね。

あー、話がずれた。。。。

この「旅愁」、いずれにしても、1974年と言う時代を彷彿させるような曲調ではありますよね。
簡単に言えばモロ「歌謡曲」。

ただ、1960年頃までの演歌調の歌謡曲ではない。 濡れているんだよね。
ストリングスをふんだんに使ったアレンジ。 特に間奏部のストリングスによる迫りくるようなトレモロは、もろクラシックを彷彿とさせる。 しかもハープまではさんだりして、至極豪華なアンサンブル。
・・・なんて書くと、いかにもヨーロッパ系のサウンドを思い起こしてしまいそうになるけど、そうじゃない。この曲は、あくまで「ジャパニーズ」スタイルなんだ。

なぜか・・。

やっぱりメロディラインが日本的なんだよね。 あからさまな4、7抜きの演歌調ではないんだけども、和のテイストを感じさせるメロディ。 日本語がメロディに乗るというのは、こういう事なんだろうという見本のような。

先日逝去された、筒美京平氏は、よく洋楽的なサウンドと言われたりするけど、70年代前半頃までは、メロディラインは日本的なものも多かった。 例えば、いしだあゆみさんの「ブルーライトヨコハマ」とかさ、洋楽的なサウンドに小唄調のメロディなんて言われるわけじゃない

そういう和洋折衷、 洋楽的なオシャレなサウンドに醤油をかけたようなメロディ⇒70年代前半の歌謡曲の本流 だと思うのね。

それを考えると、この曲はその本流な曲なんじゃないのかなぁ。

ただ平尾昌晃氏っていうのは筒美京平氏よりも、この「和風テイスト」具合がより強いんだよね。
筒美氏のサウンドはバタ臭いという表現で言われるけども、より醤油風味の強い平尾氏の曲はそんな風には言われない。
だから、今聴くとどうしても「演歌」テイストに聴こえてしまう。 というか、今だったら完全に「演歌」というジャンルに入れられてしまうだろう。
でも、あの時代は、バター風味の強い曲よりも、より醤油風味の強い曲の方が支持された。 そういう時代だったんだよね。

いずれにしても今考えると1974年と言う時代は、そんな和風テイストな「歌謡曲」が最も支持された、いわば歌謡曲全盛の年ともいえるんじゃないのかなぁ。 そもそもオリコン年間ミリオンセラーシングルが4枚も出たのもこの年が初めてだったし、
この「旅愁」が58万枚も売れたのも、歌謡曲系を中心にレコード売れ行きが好調だった、この年ならではの流れだったんじゃないかとも思えたりするんだよね。

ただ、身の丈以上に売れた後は、その反動が来るわけで、翌1975年は一転してレコード売り上げは下がる。
もっとも、この間に「歌謡曲」から「ニューミュージック」へという時代の転換も起きたわけでさ。
身の丈以上の売れ方、つまり一つのジャンルの成熟は、次のムーブメントの始まりでもあるんだよね。
歌謡曲においても、和テイストの歌謡曲よりも、よりバター風味の強い「歌謡ポップス」への転換が進んだ時代。
1974年から1975年でのヒット曲傾向の変化は、こんな転換期をよく表わした現象でもあるんじゃないかなぁ。

この「旅愁」っていう曲は、その転換期端境期の曲であり、つまりは70年台前半の和テイスト「歌謡曲」全盛期の最晩期の曲も言えるんだよね。



西崎みどりさん、この時14歳。中学2年生だって。
・・・ということは、今、まだ60才、還暦を迎えたばかりですよ。
この曲、今から46年前のヒットでもあり、今、すでに70過ぎですか・・なんていう印象もあったりするんだけど。。。。
それにしても、落ち着いていますよね。 落ち着いているというよりも大人っぽいといった方がいいのかなぁ。実家が日舞の宗家で、小さいころから芸能の道に入ったっていうこともあるからかでしょうかね。
そういえば芦田愛菜も、どことなく似たような印象があるなぁ。


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リバイバル / 五輪真弓

1981_11_リバイバル_五輪真弓


今回の1曲セレクトは、「リバイバル」五輪真弓です。

まずはデータです。

・タイトル    リバイバル
・アーティスト        五輪真弓
・作詞      五輪真弓
・作曲      五輪真弓
・編曲      Michel Bernholc
・リリース日   1981年9月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 24位
・売上げ枚数   12.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 20位

長年ヒット曲を追いかけてくると、いったいどこでこの曲に出会ったんだろう? と思える曲があったりする。初めて聴いたときのことを全く覚えていないって曲ですね。
少し間前に書いた、ジュリーの「ロンリーウルフ」でも同じようなことを書いたと思うんだけども、今回引っ張ってきた曲もそんな1曲だよなぁ。

五輪真弓「リバイバル」。

いや、引っ張ってきたのはいいけど、ここ読んでくださってる方で、一体どの程度この曲を覚えていらっしゃるだろう・・・・っていうのは、いささか不安だったりもするんだけど。。。。

リリースは、今から39年前、1981年の9月だけど、丁度今頃ヒットのピークだった曲だ。
時代的には、あの超大ヒット曲「恋人よ」から、丁度1年後という事になる。

とはいうものの、何せオリコン最高位24位ですからねぇ。今となっては五輪さんのファンとか、1981年と言う時代をこよなく愛している方でもなければ、すでに死角に入っててもおかしくない曲ですわ。 
ま、売り上げ的には一応10万枚オーバーで、当時のスマッシュヒットではあったんですけどね。

・・・なんていつものごとく、さぞ当時から、よく知ってました・・のように書いてるんだけども。。。最初に書いたように、この曲を当時、何処で初めて聴いたのか、と言うのは全く覚えてない。

たださ、当時の月刊「明星」付録の「Youn Song」には新曲として載ってたなっていうのは、覚えてたりして、曲の存在は当時から知ってたんですけどね。(実際1982年1月号では楽譜入りで載ってたりする)

確実に覚えているのは、1983年秋、新聞広告で見て購入した、ソニーファミリークラブから発売した通販の「ニューミュージック大全集」に収録されていたことだなぁ。
そう、この曲の音源は、あの時に手に入れたものなんだ。だから、かなり古くから音源はあったわけで、通常であればあの時、この曲を初めて聴いたんだ・・・と思うのが普通だと思うんだけど。。。

でも、どうもイメージが違うんだよね。 あの時(1983年秋)初めて聴いたものならば、この曲を聴くときは、1983年のカラーがフラッシュバックされてもおかしくないのに、 聴くたびに、ヒット当時、1981年秋のカラーが浮かんでくる。

1981年の秋ちょうど今頃の時期のヒット曲って、ワタシの中では一様に紅葉カラーなイメージなんですよね。
いつだったか、松田聖子さんの「風立ちぬ」の時にも書いたと思うんだけど、1981年秋は、紅葉狩りを兼ねたドライブに頻繁に出かけた年だ。 まだ、福島のいわきに住んでいたころで、紅葉狩りのドライブに裏磐梯に行ったり、霊山に行ったり。 めっちゃ紅葉シーズンの頃でさ、夕日に真っ赤に染まったモミジとか、黄金色に染まった銀杏の木の光景が、39年経った今でも、未だに浮かんでくるんだよね。

で、この「リバイバル」を聴くといつも決まって浮かんでくる光景が、霊山の帰り、国道6号線を走っていた、夕日に黄金色に染まった銀杏並木。あの光景だ。

この曲、アレンジャーがフランス人である、Michel Bernholcということもあり、フレンチポップスの様相が強い。 ややアコースティック色が強く全体的に濡れていて、フレンチポップス特有のサウンド。

まあそれを言ったら、あの大ヒット曲である「恋人よ」も同じフレンチポップスの色は濃い。 イントロのストリングスのフレーズもどこかクラシック的で。
それでも、この「リバイバル」よりも安心感がある。安心感と言うのは、やっぱり日本人である船山基紀氏のアレンジと言うところもあるのかもしれない。
フレンチポップス的ではあっても、どこか日本人ならではの味付けがある。そこに安心感を感じたりしてね。

例えば、フランス料理であっても、本場のフランス人シェフが作った料理よりも、日本人シェフが作った料理の方が安心できる。。という事と同じように。

同じフレンチポップス風な曲調であっても、両者で売り上げ大きく差が開いたのは、この辺りが大きかったかもしれないな。

ま、もちろん、それだけではなく、楽曲のアクの強さ、弱さという違いも大きいとは思うけど。
この曲は、「恋人よ」に比べると、やっぱりインパクトの面で弱いですからね。


・・・・ととと、なんか話がずれた。。。 
この曲を初めて聴いたのは・・・って話でしたね。

そうそう、この曲を聴くと福島の
霊山の帰り、国道6号線を走っていた、夕日に黄金色に染まった銀杏並木の光景がフラッシュバックするって話ですね。
そんな風景が、もろフレンチっぽかったんですよね。 この曲にぴったり当てはまるような。。。

・・・ということは、恐らく、1981年11月頃、霊山にドライブにいったころは、この曲すでに聴いてたのかもなぁ。
ベストテンには入ってなかったので、「ザ・ベストテン」ではなかったはず。

もしかするとTBSラジオの「ザ・ヒットパレード毎日がベストテン」で聴いたのかもなぁ。 
そそそ、1981年11月、テレビだけでなくラジオにも進出というわけで、TBSラジオで月〜金曜の21時〜21時45分に毎日放送していた、「ザ・ヒットパレード毎日がベストテン」を聴き始めたのが丁度この頃だ。
その中の月曜日の「ニューミュージックベストテン」。きっとここで初めてこの曲を聴いたんだ。
総合ではベストテン入りはしてなくても、「ニューミュージックベストテン」にはランクインしてたと思えるしね。
うん、これなら納得するな。

  

初めに書いたように、今から39年前、オリコン最高24位ってことで、当時の動画はさすがに残ってないですねぇ。
・・というか、この曲、ヒット当時テレビで歌っていたのかなぁ・・・という疑問は残るが・・・。
そんなこともあってこの曲自体の動画が少ない。。。
しょうがないんで、一番レコードのアレンジに近い動画を引っ張ってきましたわ。

でもさ、妙なもんで、こう、テレビで歌っている音を聴くと、「恋人よ」よりも、こちらの曲の方が「歌謡曲」っぽいなぁ・・・なんて思えたりしますね。
レコード音源では、もっとフレンチポップスっぽく聴こえるんだげなぁ。

ちなみに、レコード音源は、もっと鼻にかかったようなボーカルなんだよね。
そそそ、鼻かぜをひいてたのかわからないですけど鼻声気味なのよ。 でも、個人的にはそこに引っかかっちゃったりする。 どこか、肩の力が抜けたように感じたりしてさ。
特にサビの
♪ アー 繰り返すだけの思い出は〜 ♪ の 「繰り返すだけの」の「の」が「ぬ」に聴こえたりして、なんとなくセクシーなんだよね。

ただ、今からして思えば、そんな方の力が抜けていた分、インパクトがかけてしまったのは否めなんだろうなぁ。


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斉藤由貴35th anniversary concert THANKSGIVING

コロナ禍真っ只中のご時世、今年はまだ一度もライブへ参戦してなかったのよね。
参戦以前に、そもそもリアルライブ自体自粛政策がとられ、長い事開催されていなかったわけだし。
その間、「代替え」としてオンラインライブが盛り上がってきているわけで、ワタシも、これまでオンラインライブは何回か参戦してみた。

たしかに、これまでのライブには無い視点からライブを見ることでき、それなり臨場感を体験することができる。なにより、チケット代の安さと、チケット完売の心配がないため見たいアーティストのライブをほぼ「確実」に見ることができるのは魅力的だ。

そんなことで初めは手放しに絶賛していたし、新しいライブのスタイルとして今後も発展していくと思う。

ただね・・・。

やっぱりなんか物足りないんだよね。どうなんでしょうねぇ、距離感と言うか、一体感と言うか・・・。「リアル」ライブならではの、あの高揚感、独特な雰囲気ですわな。 あれは、リアルにライブ会場に足を運ばなきゃ味わえない。

ただ、ここにきて、各種イベントの再開、ライブツアー再開が増えつつある。
それとともに、「ライブ会場のあの高揚感・・そろそろ味わいたいっ!」、ワタシの中のライブ熱がムクッ!

そんな折、たまたまニッポン放送を聞いてた時に流れた、「斉藤由貴35周年コンサート」のCM。
初めは「ふーん」と言うくらいだったけど、「シングル中心でやります」っていう一言に引っかかってしまった。

気が付いたときには、チケットぴあに申し込んでいる私が居たり。。。

正直、斉藤由貴さんのコンサートは、「現役」のアイドル時代を含め、一度も見たことない。
たださ、ここの所「ビルボートライブ」などの大人向けのライブハウスでたまにライブを開いており、告知を見ては、ちょっと興味をもったりしていた。
料金も9000円近く取ったり、なかなかの「高額」であるのにも目が付いていたんだけども。
今回のライブも10,000円と決して安くない。それでも、シングル中心で行くという事ならば、高くはないかな・・とも思えたのよね。

なにより「ビルボードライブ」でライブを開くということは、少なからず「大人の雰囲気」のライブになるはずだ。
アイドル現役の頃のようなバリバリ親衛隊コールに紙テープが飛び交ういわいる80年型アイドルのコンサートではないはず。(というか、そんなコンサート今でもあるのか? だけど・・・)

・・ということは、こんなコロナ禍でもゆっくり唄を聴けるライブになるんじゃないか、久々のリアルライブの「リハビリ」にはちょうどいいんじゃないか・・という思いもあったりしてね。


11月14日(土) 3日間のライブの最終日。

コロナ禍でのオンラインワーク勤務といえど、平日参戦はやや気が引ける・・ということで、休日の最終日をチョイス。

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場所は池袋の「東京建物ブリリアホール」。 初めての「ハコ」ですわ。

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指定された席は3階D29番。 舞台に向かってほぼ真下に見下ろす角度だけど、ライブ開催間際にチケットとったんでしょうがない。
コロナ禍対策として席はひとつ飛ばし。なので、実質席の埋まり具合は半分なんだけども、それでもほぼ満席状態。うーむ、リアルライブを待っていた方は、多いようだね。
この日は、同時にネット配信も行われたハイブリット型ライブであり、舞台下には、配信用のカメラと、撮影用のレールが敷かれている。
ただ、最近はDVDリリース用のカメラが入っていることも多く、ライブ会場にカメラが入っていることに違和感はない。どちらかと言えば当たり前の光景ですね。

周りを見渡せば、50代と思しき男性がほとんど。同世代やね。 まあ、当たり前と言えば当たり前か。
でも、ライブ中に斉藤さんがMCで呼びかけたところ、20代っていう方もチラホラ。
この反応に斉藤さんもびっくりしていたけど、昨今の若いコへの「昭和歌謡ブーム」を考えば、不思議ではないですかね。
ただ20代で10,000円のコンサートへの参戦。ワタシが20代の頃は、清水の舞台から飛び降りても考えられなかったけどなぁ。 最近の若いコはお金をかけてもライブに参戦するコいるんだなぁ。

15時ちょうど。ライブスタート。
ライブで5分、10分スタートが遅れることは普通にあることだけど、1分も狂わず、15時ちょうどのスタートにはちょっと驚いた。これも配信を考慮してのことですかね。

いきなりニッポン放送「斉藤由貴、猫の手も借りたい」をモチーフにした朗読からスタート。
まあ、ニッポン放送後援ならではの演出でありますね。
そんな「斉藤由貴、猫の手も借りたい」、ワタシも聴いてたような。 と言っても自分の車を持った20代の頃、番組の最終盤あたりカーラジオで聴いてたんだ。でも10年近くも続いた番組だけあって、同世代にとっては懐かしい番組だろう。

ちょっと気になったのは、デビュー間もなくから通ったニッポン放送、 土曜日夕方からのこの番組。デビューしたてで、行くところ行くところで気を使っていたあの頃、唯一ホッとできる番組だったと語っていたけど・・・。

調べてみたら、「猫の手も借りたい」の前に「斉藤由貴 見えますか?青春輝き色」っていう番組やってたんですよね。同じ土曜日のニッポン放送で。
なので、デビュー直後・・・っていうのは、「猫の手も借りたい」ではなく「見えますか?青春輝き色」ぢゃないのかなぁ・・・なんて思ってしまった私だったり。。。
まあ、どうでもいいことではあるんですが…。

ラジオ番組をモチーフにした朗読につづき、デビュー曲「卒業」のイントロが流れる。
丁度、中学校卒業と同時に大ヒットしたこの曲。 どうしても思い入れが大きくなってしまう。
あれから35年、果たして当時のような声が出るんだろうか・・というのは危惧したくなってしまうが、杞憂だった。
それどころか、キーが当時のまんま。 いや、この曲だけでなく、この日のセットリストで歌った曲はすべて、オリジナルキーのまんま。 これは、ちょっとビックリしましたね。
35年も経てば、普通、キーも下がるもんですぜ。 もっとも、そこにがっかり感を感じてしまったりするんだけども。。。

「卒業」につづき、3rdシングル「初戀」、4thシングル「情熱」と、先日お亡くなりになった筒美京平3部作。
「情熱」が主題歌となった、初主演映画「雪の断章-情熱-」で監督の相米慎二氏にしごかれた事、ゴミのように扱われた話に花が咲く。
それ以上にやはり、斉藤由貴さんにとってもデビュー時の筒美作品には思い入れが強いんだろうか。 筒美さんの曲を歌う時は今でも緊張してしまう。力が入ってしまうとのコメント。

この時、デビュー曲の「卒業」を筒美京平さんが作曲した時のデモテープを当時のレコーディングディレクターだった長岡和弘氏がもっていたということで、このデモテープを会場に流す。

昨年、編曲家の船山基紀氏のトークライブの際にも話が出た、クリック音に続いて始まる打ち込みベースのデモテープのクオリティの高さにビックリ。リズム体もすでに出来上がっているし。
何と言っても、学校のチャイム音を模した、あのイントロ出だしのあのフレーズが、筒美さんのデモの段階ですでにあったんだ・・というのが驚きでした。

まあ、このことは「ニッポンの編曲家」と言う本でもアレンジャーの武部聡志氏も薄く語っているし、16日のテレビ朝日「関ジャム」の「筒美京平特集」で武部氏本人からも直に証言があったんで、見た方も多いと思うけど、実際のデモテープが聴けたのはライブに行った人の特権でしたね。
この部分だけでも10,000円のライブ代の価値があったなぁ。 少なくとも私にとっては。

でも、思うにそうやって筒美氏自ら完成度の高いデモを作って、当時目をかけた若手アレンジャーを育ててたのかもなぁ・・と思いましたね。武部氏も「卒業」当時はまだまだ駆け出しでしたからね。


筒美京平氏のコーナーに続いてては、谷山浩子さんの作詞曲コーナー。
筒美さんの曲から解放され、ここから自由にできると語る由貴さん。

小ネタを含めた「土曜日のタマネギ」。なるほど開放感がでてきた。 そしてシングルとなった「MAY」。 うん、私にとっての1986年だ。 このイメージ。
斉藤さんがよくやってたポニーテール姿によく似てたあの子を好きだった1986年。
あの頃のイメージ「土曜日のタマネギ」とか「MAY」で歌われているイメージそのものだ。

どうでもいいけど、「MAY」のテレビバージョンは、なぜに2番から始まるんだろう? なんてくだらないことを考えてしまうけど、さすがにこの話までは出てきませんでしたね。

そして、最後は「数少ないアップテンポ」の曲です。というMCを挟さみ、「砂の城」をはじめとしたアップチューンコーナーで締め。

アンコールを含め17曲のセットリストは、サザンの20数曲、3時間越えのライブを体験している身からするとちょっと、物足りなさもあったりするけど、リアルライブの「リハビリ」と考えると、丁度良かったかもしれない。

ただ、心残りだったのは、確かに「シングル」中心のセットリストではあったけど、「白い炎」、「青空のかけら」が聴けなかったこと。

この日のゲストコーナーは上白石萌歌だったけど、前日が武部聡志氏、初日が「白い炎」を作詞した、森雪之丞氏と、3日間とも違うゲストだったんですよね。もしかすると「白い炎」は初日、森雪之丞氏がゲストの時やったのかもしれないけど。。。
それと、↑で書いた筒美京平さんのデモテープも、3日間とも違った曲を披露したみたいで。
そんな感じで、3日間で異なる演出の部分あったみたいで、斉藤さんMCが大変だったみたいですね。
訳が分かんなくなったところがあったのか、ところどころMCに詰まったところがあったりして。。。

それを差し置いても「青空のかけら」は個人的には聴きたかったですねぇ。 タップダンスを踏む斉藤さんなんて一番斉藤さんらしくないけど、曲は斉藤さんらしくて、個人的には好きだったんだよなぁ。

そんな残念な部分はありましたが、総括するとアットホームなライブでしたわ。
80年代アイドルの今の姿を体験するライブも悪くない。 そう思えるライブでしたね。



斉藤由貴35th anniversary concert THANKSGIVING 11月14日セットリスト

〜朗読〜
1. 卒業    (1985年 1st シングル)
2.あなたの声を聞いた夜  (1986年 3rdアルバム「チャイム」より)
3.初戀   (1985年 3rd シングル) 
4.情熱   (1985年 4th シングル)
5.土曜日のタマネギ  (1986年 6th シングル ※12インチシングル)
6.Doll House  (1989年 8thアルバム「age」より)
7.MAY  (1986年 8th シングル)
8.少女時代(with  上白石萌歌)    (1988年 6thアルバム「PANT」より)
9.ナラタージュ(上白石萌歌)
10.なぜ  (1994年 14thシングル)
11.AXIA〜かなしいことり〜  (1985年 1stアルバム「AXIA」より)
12.予感  (1986年 3rdアルバム「チャイム」より)
13.砂の城  (1987年 9thシングル)
14.悲しみよこんにちは  (1986年 5thシングル)
15.夢の中へ  (1989年 12thシングル)

アンコール
1.Moon Waltz〜月の輪舞〜  (1991年 10thアルバム「LOVE」より)
2.THANKS!   (1988年 6thアルバム「PANT」より)



甘い生活 / 野口五郎

1974_11_甘い生活_野口五郎


今回の1曲セレクトは、「甘い生活」野口五郎です。

まずはデータです。

・タイトル    甘い生活
・アーティスト  野口五郎
・作詞      山上路夫
・作曲      筒美京平
・編曲      筒美京平
・リリース日   1974年10月20日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   49.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年11月4日〜1975年1月20日付

筒美京平氏が亡くなって1か月余り。
ヒット曲を聴き始めて42年が過ぎた私にとっても、切っても切り離せない存在だっただけに、やっぱりデカい出来事でしたね。
そういう影響もあってか、ここ1か月余り1曲セレクトがなかなか書けない状況にあったんですが、引きずってばかりいてもいけない・・・と徐々に思えるようになり、ようやっと筆を上げる気分になりました。

そうは言っても、今回はやっぱり、筒美京平氏の曲で行きたいわけで、この曲を引っ張ってきました。

野口五郎 「甘い生活」。

テレビの筒美氏追悼番組を見ていると、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」、ジュディ・オングさんの「魅せられて」・・といった。筒美氏の代表曲ばかり扱われていたようで、この曲なんかはついぞ出てこなかったような気がするけど。。。

それでも、オリコン1位を獲得したれっきとした大ヒットなんだよね。

いや、そればかりではなく、野口五郎氏の初のオリコン1位獲得曲であり、しかも、野口五郎氏のシングルの中で最高売り上げを記録した曲でもある。

そう書くと、今となっては意外かもしれないな。

野口五郎氏といったら、どうしても「私鉄沿線」が最も「売れた」曲のような印象が強い。
「懐かし番組」で野口五郎氏の曲として取り上げられるのも、大体が「私鉄沿線」だしな。

確かに「私鉄沿線」もオリコン1位を獲得してはいるものの、売り上げ枚数はこの甘い生活よりも4万枚ほど少ない45.3万枚にとどまっている。

つまりさ、野口五郎氏は50万枚ヒットを出せなかったんだよね。

同じ新御三家として、西城秀樹氏も郷ひろみ氏もクリアした50万枚の壁を唯一クリアできなかったわけだ。

「50万枚の壁」。 これについてもいつか書いたんだけども、70年代アイドルにとって、売り上げ50万枚っていうのは壁だったんだよね。
郷ひろみ氏も50万枚の壁をクリアしたと言っても、70年代で50万枚を突破したのは、この「甘い生活」と同時期に大ヒットした「よろしく哀愁」だけだ。しかも50.6万枚とギリギリのクリア。
いや、西城秀樹氏も79年の「YOUNG MAN」が出るまでは、50万クリアは「激しい恋」の1曲だけだった。
新御三家に対して、中3トリオの森昌子さんはデビュー曲の「せんせい」、桜田淳子さんは、「甘い生活」と同時期にリリースした「はじめての出来事」、ともに1曲のみが50万枚クリアしている。

つまりあの時代アイドルにとって、売り上げ50万枚っていうのはとてつもなく大きな壁だったわけだ。

そういう意味では、50万枚を5枚出している山口百恵さんの偉大さが際立つし、逆に新御三家、中3トリオの中で唯一、50万枚をクリアできなかった野口五郎氏は無念だったろうな・・なんて思えたりするんだけど。

ただ、こうしてみると、1974年の今頃から明けて1975年の冬にかけて、

・郷ひろみ「よろしく哀愁」
・野口五郎「甘い生活」
・山口百恵 「冬の色」
・桜田淳子 「はじめての出来事」

と、続けざまにオリコン首位を獲得し、併せてすべて売り上げ50万枚前後を記録していたわけで、今から考えると、新御三家、中3トリオ共に全盛期だったんだよね。

そんな新御三家全盛の1974年〜1975年にかけて新御三家の中で売り上げ的に一番安定した居たのが
実は野口五郎氏だったりするんだよね。
この「甘い生活」を皮切りに、5作連続でオリコン2位以上を獲得してたりする。

ベストテン世代で、「ザ・ベストテン」でともに1位を獲得した郷ひろみ、西城秀樹氏を見てきた私なんかは、いまひとつイメージがわかないんだけど、実はそうだったんだよね。

「甘い生活」。

いわいるフォークソングでいう「四畳半フォーク」的な、いかにもしみったれた、心の隅の一場面を切り取ったような、いかにもミニマムな世界観の詞の世界を、大げさすぎるほどのドラマティックな曲調で歌う。
いかにも1974年と言う時代を写し取っているような曲だよなぁ。

この曲と全く同じよう曲想であった、布施明氏の「積木の部屋」も同じ1974年の大ヒットだったし。

ただ違ったのは、筒美氏の曲調だったろうな。 「積木の部屋」は、もっとフォークに近かった。

けど、この「甘い生活」は、もろカンツォーネ的だった。 いやヨーロッパ的と言った方がいいかな。

でも、ヨーロッパ風曲調は、この時代のいわいる、ポップス系ヒットの一つの流行りだったんだよね。
73年の「魅せられた夜」に始まる、ジュリーのいわいるフランス系の一連のヒットでもそれは顕著だったし、同じ74年のヒットとしてヒデキの「傷だらけのローラ」にしてもそうだったわけじゃん。

そういう時代の流れを的確につかみ取り、四畳半フォーク的な日本人特有なしみったれた心情とうまく融合させた筒美氏の技が光る1曲だと思うなぁ。

この頃5歳で、物心つき始めたころの私にとっても、この時代の曲調って記憶の根底に残ってるしさ、だからなのか、ヨーロッパ系の曲調って懐かしさがこみ上げるんだよなぁ。
アメリカンなサウンドよりも、ヨーロッパ系、特にフランス系、イタリア系、北欧系のメロディラインであったり、サウンドは、個人的にはやっぱ好きなんだよね。

ま、もっとも、この次の年の1975年にポールモーリアっていう、もろヨーロッパ系の人に心酔しちゃったからねぇ。

そんなこともあってか、個人的にもこの「甘い生活」って曲は懐かしさがこみ上げたりするんだよなぁ。
もちろん、5歳だったんで意識して聴いてたわけじゃないんだけど。




1974年「第16回日本レコード大賞」作曲賞を受賞した熱唱の場面ですわ。
筒美京平氏自ら指揮を執ったという、昨今話題になった動画ですね。
当時、マスコミやテレビには一切出なかったいう筒美氏の超貴重な一場面ではないでしょうか。

野口五郎氏のブログによると、歌唱賞候補に落選、ただ筒美氏がこの曲で作曲賞を受賞という知らせを聞いたとき、スタッフからは出演するのを辞退しようという話が出たとか。

でも、筒美先生が受賞したんだから僕出ます・・と。

で、元々出演の予定がなかった京平先生が突如「五郎ちゃんが出るなら僕も出て指揮するよ!」とリハーサル無し、ぶっつけ本番で指揮をしてくれたのが、この時だったとか。


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筒美京平さん逝く

なんてこった。
Facebookで音楽界の訃報が止まらないと書いたばかりなのに筒美京平さんまで逝ってしまった。
コロナ渦中とはいえなんて年なんだろう。
謹んでお悔やみ申し上げるとともに、急ぎトピックスをアップさせていただきました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201012/k10012659581000.html

さきほど、東京FMでは西田佐知子さんの「くれないホテル」がかかった。
洋楽と邦楽のハイクオリティなミックスバランスから業界内では評価が高いこの曲だけど、筒美氏本人は「あー、あの売れなかった曲ね」と「にべ」もない返事をしたというのは伝説ですね。 
筒美さんの意識としては作品として素晴らしくても、売れなかかった曲に興味はなかったというわけですわ。

 でも、それが商業音楽に携わる者の本当の姿なんじゃないかって思う。個人的に筒美さんに惹かれるたのはそんな姿勢だと思う。
 
筒美さんには、本当に数えられないほどたくさんのヒット曲があります。どの曲が一番いいのかなんて決めきれないくらい。
でも、個人的には、あの曲が良かった、この曲が良かったという個々の楽曲の評価より、ヒット曲作家としての姿勢そのものが凄さを感じたし、惹かれたんだよね。

曲のクオリティが高いことは当たり前のことで、その上であくまでも売れること。これがヒット曲作家の宿命だと思う。

まあ、最近はニッチな曲ほどもてはやされる時代なんで、そんなこと書くと「あほか」って思われるかもしれないけど、個人的にもあくまで曲クオリティが高いうえで「売れた」「売れる」曲にこだわりたいわけです。

そんなヒット曲作家としての良心を持った作家は今は・・・いないな。 
もうこんな「巨星」ヒットメーカーは出てこないと思う。
だからこそ筒美さんの死去は、音楽界にとって計り知れない損失だったんじゃないかなと思うわけです。

ロンリー・ウルフ / 沢田研二

1979_10_ロンリーウルフ_沢田研二


今回の1曲セレクトは、「ロンリー・ウルフ」沢田研二です。

まずはデータです。

・タイトル     ロンリー・ウルフ
・アーティスト   沢田研二
・作詞       喜多条忠
・作曲       大野克夫
・編曲       後藤次利
・リリース日    1979年9月21日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位  18位
・売り上げ枚数   8.9万枚

もうね、いつものマクラ言葉になってますが、「久しぶり」の1曲セレクトです。
毎度毎度、間が空いてしまってあいスミマセンと頭を下げたくなってしまいます。
相変わらずリアル仕事が忙しくて、なかなか筆が上がらない状態が続いてまして。。。
暫くは長ーい目で見ていただけるとありがたいです。

さて、長い間仕事をしてくると何もかもが上手く行く事もあれば、逆に全く上手く行かない事もありますわな。
ヒット曲も同じで、どんな大物アーティストでも、いつもいつも大ヒットするわけぢゃない。

まあ、最近は楽曲内容にかかわらず、どの曲もミリオンセラーを続けている某アーティスト見たいな方たちもいるみたいですが。。。

こと、昔、楽曲志向が高かったころは、超一線級のアーティストでも楽曲によっては、コケてしまうこともあったわけです。

今回はそんな1曲を

沢田研二「ロンリー・ウルフ」

いやいや久っさびさのジュリーですな。1曲セレクトで書くのいつ以来だろう?

この曲、覚えている方どのくらいいるでしょうねぇ。 
なんせ、人気全盛の頃、突然ベストテン入りを外した曲なんでね。
しかも、臨発ならいざしらず、ローテーションの定期リリースでしたからねぇ。

時期的には、今から41年前、1979年の今頃の曲だったんですけどね。
曲順から言うと、「OH!ギャル」と「TOKIO」の間のシングルですね。

さすがにジュリー第3期のオープニンングと言うべき「TOKIO」を知らないという方は少ないでしょうけど、もしかすると「OH!ギャル」は知らない方もいるかなぁ。
まあ、死角っちゃ死角なのかもしれないけど、ジュリーが化粧した、ゲイぢゃねーのかと言われた曲で、ベストテン入りも果たし、売り上げ的にも27万枚ほど売れてましたんでね。

・・ということで、ヒット曲とヒット曲に挟まれた本当に「谷間」のシングルなんだよね、この「ロンリー・ウルフ」っていうのは。

突然ベストテン入りも果たせず、売り上げも10万枚にも届かず。。という塩梅でしたから。

・・・・なんて、さぞかし当時から知ってましたよ〜・・・風に書いてるワタシも、正直、「ザ・ベストテン」しか情報がなかった、ヒット当時は知らなかったんだけどね。。

いや、もしかするとラジオかなんかで聴いていたかもしれない。でも、記憶に残るほど聴き込んでなかったのは事実ですね。

意識して聴いたのは、83年に買った「沢田研二大全集」みたいなカセットに収録されていたのを聴いてからなんだよね。
もちろん、そのころは、「あ〜あの売れなかった曲」くらいの認識はあったんだけど。

でも、売れなかったから「駄曲」だったのか・・と言えば、さにあらず。
それまでのアウトローなジュリーを彷彿とさせるような佳曲だ。
むしろ、軽いタッチのポップスだった前曲の「OH!ギャル」よりも、ジュリーらしい曲だなと感じたな。

静寂感のある少し重め曲調は、秋というリリース時期にもマッチしていたし、そういう意味では前年の「LOVE(抱きしめたい)」に近い曲調ではある。
シングルとして「尖って」いないのかというと、これまたそうではなく、それなりの尖りがあり、シングルタイプの曲でもある。

ぢや、なんで、売れなかったのか?

同じ暗めの重いバラードではあるものの前年の「LOVE(抱きしめたい)」のような華がない。
本当に「重いだけ」のバラードなんだよ。
ジャケットのそれと同じでどこまでもモノクロのイメージ。確かにアウトローなジュリーを演出するにはこのイメージでも間違いではないのかもしれないけど、今一つ引っかかりないのは事実なんだよね。

加えて、致命的だったのは「時代の流れ」だろうなぁ。

1年前の78年までの時点では、アウトローというシチュエーションでも充分行けたんだろう。ただ、78年⇒79年の間に時代は大分動いていたんだよね。

勿論78年時点でもその流れは始まっていたけど、ヒットの主役は歌謡曲からニューミュージックへという変化。 それと79年は「JAPAN AS NO.1」と呼ばれた年。7月にSONY WALKMANが発売され、音楽も含め、世の中の意識もこの1年の間に大分変化してたんだよね。

つまりさ、アウトローっていうシチュエーションも78年は「カッコよかった」んだけども、79年ではアナクロだったわけですわ。

だからなのか、この頃のヒット曲と一緒に続けざまにこの曲を聴いてみると、この曲は明らかに浮いた感じがするんだよなぁ。
浮かんでくる絵面は79年の・・というよりも75年の・・・って感じがしてさ。

うん、この曲1曲単体で聴く分には充分かっこいいんですよ。 でも何曲かまとめて聴くとやっぱり時代錯誤的な感覚なんだよなぁ。

手元に月刊・明星付録の歌本「YOUNG SONG」1982年7月号がある。この号での連載企画「82年MUSIC PEOPLEインタビュー」にジュリーのインタビュー記事が掲載されているんだけど、そのなかに

「「TOKIO」は出すのが半年遅かった。その前に「ロンリー・ウルフ」をだして失敗するんですよ。それまでにある程度、売れるという事を経験したから、じゃあ、今度はスローな曲を歌って沢田も歌がうまいと思われたくて出したのが失敗」

と、ジュリー自ら、時代の変化に気が付き、この曲のリリースは失敗だったことを認めてたりする。

スローな曲を歌って、歌がうまいと認められたい・・というのことも、まあ、確かにわからなくもないですけどね。

ただ、じゃ、このインタビューのように「TOKIO」をもう半年早く出して、それでよかったのか・・というのも、個人的にはちょっと疑問ではあるな。

あれは、1980年1月1日リリースっていう、「軽薄短小」な80年代という時代のオープニングを飾ったからこそ、より価値が上がったような気もするし。。
79年後半とはいえ、70年代に「TOKIO」ではちょっと、時期が早かったんじゃないかと、今となっては思えたりね。

・・・ということは、あくまで「つなぎ」という意味も込めて、この「ロンリー・ウルフ」って曲のリリースも、もしかすると必然だったのかもしれないな。





うーん、確かに「モノクロ」のイメージではあるけど、今VTRを見ると男の色気が凄いね。いまは、こんな、ただ佇むだけで存在感のあるアーティストって少ないからなぁ。
バックは井上堯之バンドですね。 確かバックバンドはこの曲までで、この後「オールウェイズ」に変わったんじゃなかったっけな。
↑のように、この曲のイメージはアナクロだって感じたのは、多分に井上堯之のサウンドも関係しているんだろうね。
少し埃にまみれたような骨太でアウトローなサウンドは、紛れもなくかっこいいし、誰が何と言おうとも個人的にはジュリーには、このサウンドが一番しっくり来るんだけども。
如何せん、70年代という時代を彷彿させる音なんだよね。時代の流れには勝てなかった。
この曲をもって、ジュリーのバックバンドから引退⇒解散となるわけだけど、これはしょうがなかったんじゃないのかなぁ。


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Official髭男dism ONLINE LIVE 2020 – Arena Travelers -

9/26(土)のヒゲダンのオンラインライブ、「Official髭男dism ONLINE LIVE 2020 – Arena Travelers -
リアルタイム視聴者は12万人だったとのこと。


ワタシは丁度その時間、ZOOMミーティングやってたんでリアルタイムでは見られなかったけど、後日アーカイブで視聴。
なるほどリアルタイム12万人視聴は頷ける熱いライブだった。ホーンセクションを加えた分厚いサウンドはソウルフル。 
2018年のROCK IN JAPAN HILLSIDE STAGE、初めてヒゲダンを見た時のあのフレンドリーな感覚はすでにない。
キーボード主体のポップなサウンドを完全に超越していましたね。ヒゲダン進化してるやんか。そう思わせるライブだった。
全19曲。中断してしまった今年のアリーナツアーと曲目的にはほぼ同じセットリストだったけど、単なるオンラインライブ以上のものを魅せたいというフロントマン・藤原の言葉通り、リアル感覚いっぱいのライブだったと思う。

特に、1曲目の「HELLO」から4曲連続キラーチューンというのは、強力なセットリストでしたね。
それだけ今のヒゲダンの楽曲の層の厚さを示したともいえるんじゃないかな。
・・ただ、やっぱり、ヒゲダン、またリアルライブで見たいな・・っていうのは偽らざる感想ですね。

それと蛇足だけど、リアルタイムはどうだったかわかんないけど、アーカイブでの本編ライブが始まるまで20分くらいPVを延々と流すのは無しにしてほしかったな。



Official髭男dism ONLINE LIVE 2020 – Arena Travelers -セットリスト

1.HELLO 2.宿命 3.ノーダウト 4.パラボラ 5.ビンテージ 6.Rowan 7.夏模様の猫 8.イエスタデイ 9.Laughter 10.たかがアイラブユー 11.115万キロのフィルム 12.異端なスター 13.旅は道連れ 14.夕暮れ沿い 15.FIRE GROUND 16.Stand By You 17.Pretender 18.I LOVE... 19.ラストソング



Dance With You / TUBE

1987_09_Dance With You_チューブ


今回の1曲セレクトは、「Dance With You」TUBEです。

まずはデータから。

・タイトル    Dance With You
・アーティスト       TUBE
・作詞      亜蘭知子
・作曲      栗林誠一郎
・編曲      長戸大幸
・リリース日   1987年8月26日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   11.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1987年9月14日〜10月12日付

昨日、夏の終わりを感じさせる曲ということで、C-C-Bの「不自然な君が好き」を書いたんだけども、本当は、今日引っ張ってきた、この曲が本命だったのね。

TUBE 「Dance With You」

正確には「夏の終わりを感じさせる」というよりも、「秋を感じる」というほうが正しいんだけども。

なぜにこの曲が「秋を感じさせる」のか・・と言ったら、やっぱり、ザ・ベストテンでの黒柳さんの「秋でも売れるチューブになってよかったですね」っていうコメントに尽きますね。

前年の「シーズン・イン・ザ・サン」のブレイク以来、「チューブ=夏」っていうイメージが定着して・・・うんにゃ、んな生易しいもんじゃなく、夏以外は活動してないようなイメージになっちゃったじゃん。

まあ、現実に前年の86年については冬はシングルリリースしてなかったしな。 いや、正確に言えば
9月に「ビコーズ アイ ラブ ユー」っていうバラードをリリースしてたんだけども、ベストテン入りできずに、今一つ不発だったために、一層「チューブ=夏」っていうイメージが強くなっちゃったんだよね。

そんなわけで、翌87年は、秋にリリースしたこの「Dance With You」も、めでたくベストテン入りし、件の黒柳さんのコメントに繋がったんだろうね。

たださ、やっぱり、私的には勘違いしてたんだよなぁ。 

「秋でも売れるチューブ」ということで、やっぱり9月リリースの10月のヒット曲とずっと思いこんでたんだよなぁ。

そしたら、実際はリリースが1987年8月26日の、9月のヒットだったんだよね。

うーん、そうだったかなぁ。 やっぱり昨日書いたC-C-Bの「不自然な君が好き」同様、この曲と言ったら、スズムシの鳴き声っていうイメージが強いんだけどねぇ。。。

そそそ、当時、この時期になると毎年、おふくろがどこかからか貰ってきて飼ってたスズムシ。

その証拠に、ベストテンから録音したカセットの後ろにスズムシの鳴き声も入ってたんだけどなぁ。。

いや、あれは、徳永英明の「輝きながら」だったかなぁ・・・・。

ただ、今、この曲のベストテン入り期間を改めて調べたら、確かにランクインしてきたのは、1987年9月14日と、丁度33年前の今頃だったわけだけど、それから1か月間ランクインしてたわけで、やっぱり10月までベストテン入りしてたんだよな。

恐らく、ワタシの中では、そんなベストテン入り終盤の頃の記憶が残っていたのかもしれないな。

昨日のC-C-B「不自然な君が好き」はニューウェーブっぽくて、当時は引っかからなかったと書いたんだけども、この「Dance With You」は好きだったな。

まさか、TUBEがこんなダンサブルなポップチューンをやってくるとは思っても見なかったし、これがダンスナンバーが合うんですわ。

デビュー曲からそうだったけど、この人たちはもっと土臭い曲の方があってるようなイメージだったんだけどね。

その証拠に、前年秋にリリースした「ビコーズ アイ ラブ ユー」は、いわいるシティポップっぽいバラードだったじゃん。どこかオメガトライブを意識したかのような。
だからあんまり売れなかったのか・・とも思えちゃったりするし、 そうなるとやっぱり土臭い、どこかダサい曲の方がこの人たちには合ってるのか・・ともますます思えたりしてたんだよね。

そこにきて、このダンスチューン。 でも、予想に反してこの人たちにもあってたんだよなぁ。

やっぱり、オメガトライブになり過ぎてなかったのがよかったんだろうな。 つまりダンスチューントイッテもシティポップにより過ぎなかったところかよかったんではないかってこと。

作詞 亜蘭知子  アレンジ 長戸大幸 っていうのは、「ビコーズ アイ ラブ ユー」と同じ布陣だけど、勉強したんだろうね。 同じ轍は踏まないってところは、さすがはビーイングの中心メンバーというところですかねぇ。

ただですよ・・・。オリコン最高位は前曲の「サマードリーム」と同じ3位まで行ったものの、売り上げが半減なんだよなぁ。
うーむ、このあたりがちょっと個人的には納得しがたいんですけどねぇ。。。。

秋でも、ベストテン入り、売れてよかった・・というても、やっぱりTUBEは「夏」っていうイメージが俄然強いって事だったんだろうね。




「ザ・ベストテン」の初登場の時のだ。
うーん、スタジオで歌った時があったんだな。 どうも、この曲って野外で歌っているイメージが強かったんでね、ちょっとこれは意外だった。
しかも、キーが半音低いよな。 だからなのかレコードで聴いたときのスピード感、独独のドライブ感も今一つですねぇ。

それでも高々2分半のワンハーフ(TV用)でも、ここまで生演奏でノせてくれるとはね。メンバー一人一人は、まだまだみんな若かったけどテクニックはあったんだよね。
さすがはビーイング系というべきですかね。


関係ないけど動画の冒頭は、年末にジャニーズ退所を発表した少年隊のニッキ。「君だけに」でランクインしてた時ですね。


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