かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

Over Drive / JUDY AND MARY

1995_06_Over Drive_JUDY MARY



今回の1曲セレクトは、「Over Drive」JUDY AND MARYです。

まずはデータでする。

・タイトル    Over Drive
・アーティスト  JUDY AND MARY
・作詞      YUKI
・作曲      TAKUYA
・編曲      JUDY AND MARY
・リリース日   1995年6月19日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   67.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1995年7月17日〜8月7日付
・タイアップ:トヨタ「カローラツーリングワゴン」CM曲

マイカーの車検、通そうか、それとも買い替えようか、迷ったんだけども、結局、今回は通してとしまった。
20年物の「初代・Wish」。そそそ、宇多田ヒカルの「Colors」がCMで使われた時のクルマだ。
展示車だったのを「新古車」として買ってやつ。走行距離も18万Kmとなり、車検の際、修理、部品交換個所も増えたし、仮に車検通しても次も同じくらいの部品交換個所が出てきそうな気もするんでね。 そろそろ車新しくするか・・・という気持ち半分。

ただねぇ、なんせ20年も乗ってきたんでね。自分の手足のように自在に動いてくれるし、なかなか離れがたい気持半分。。 
車検時に部品交換個所はあるものの、半年ごとにディーラーで点検してもらっているんで、エンジンそのものは問題ないんで判断を遅らせているってのもあるし、、今回車検を通した要因でもあるな。

ただ、次の車検は・・・・。 さすがにそれまでには車を変えたい。
18万超えてると、遠出の勇気がなかなか出ないのよ。 でも、コロナも落ち着いてきて、そろそろ長距離ドライブもしたいしねぇ。


・・ということで、今回は「クルマ」に関係した曲を一つ。

ジュディマリの「Over Drive」

オ〜マイ・ガット  この曲まだ書いてなかったんだ。。。。。

ジディマリの主な曲は、あらかた書いたと思っていたんだけども。。。。


・・・っつか、最近じゃ、このCMに使われてるし。。。

↓ コレ



初め、あれ? 聴いたことあるけど、だれの曲だったっけ・・・なんて思っていたんだけども。。。。



この曲は、ジュディマリ初のベストテンヒットですわ。

前年「Hello! Orange Sunshine」でベスト30のスマッシュヒットを出し、個人的にもこの曲でジュディマリを知ったわけなんだけども。

やっぱり、トヨタ「カローラ」のCMに起用されたのが大きかったんだろうね、事実上のブレイクは、この「Over Drive」といってもいいだろうな。

くしくも、この曲がヒットし始めたころに、ワタシもクルマ変えてたんだよ。

それまで乗ってた「カローラ供廚ら「マーク供廚法

それまで乗ってた「カローラ供廚FMが入らなかったのよ。でも買い替えた「マーク供廚FM OKだし、カーステでCD聴けるし。当時としては至れり尽くせりだったんだよね。

そんで、初めてのドライブで聴いてたFMから流れてきたのが、この曲だったって記憶してるんだよなぁ。それでのこの曲覚えていたんだよな。

ただ、ヒット時期ってもうちっと早かったような印象があったんだけどね。 そそそ1995年の5月頃じゃなかったかと・・・。

でも、実際はリリースが6月だった。1か月履き違えていたんんだよな・・・。


そうか、それで、この曲の音源、長い事手元になかった理由も分かった。

この年のちょうど今頃、当時勤務していた、某大手害虫駆除会社での、「文化財害虫防除」作業の一環として「ガス燻蒸」作業の実地研修を受けに、まるまる1週間「川越市博物館」にカンヅメになってたんだ。
それだけでなく、翌週は、この研修の成果として「佐倉市美術館」の「ガス燻蒸」作業で、また、まるまる1週間カンヅメ。都合2週間家に帰ってなかったのよ。

おかけで、当時、ヒット曲収集の拠り所としていたbay fm「パワーカウントダウンHOT30」を2週間聴けなかったはずだ。
それらの週にこの曲、ランクインしてたんだよな。

当時、「パワカン」からエアチェックした音源をカセットに編集して、個人的なヒット曲集の音源としていたんだけども、たしか、あの頃、初登場の週は、ほぼフルでかかってたんだよね。それを目当てとしていたんだけども、初登場週にあぶれて、1コーラスしかかからない週ばかり聴くことになったんだ、それがいやで、この曲、当時のパワカンから編集したカセットに入ってないんだ。。。。


たしかに、個人的に刺さらなかった曲は、カセットに入れてなかったんだけども、この曲は、そういう理由ではなかったんだよね。

むしろ、刺さった。。。 というか、↑でかいた、初めてFMでこの曲を聴いたときに、「あ、これは来る」って感じたもんな。

前年、初めてジュディマリを知った「Hello! Orange Sunshine」は、もっととっ散らかってた。
まあ、だからこそ、ある種のパワーも感じたりして、「ニューカマー」が出てきたなとは感じてたな。

けど、この曲は、まとまっているのよ。 その分、「Hello! Orange Sunshine」のようなギラギラしたエネルギッシュなパワーは感じないけど、分かりやすいし、キャッチー。 これぞ「シングル」という感じ。当たり前のように売れると思ったな。

ただ、ここまで来るとはね、オリコン最高4位というのも、そうだけども、売り上げ枚数が67万枚だったからねえ。 それまでのシングルは10万枚も売れなかったわけだから、ここまで急激にブレイクしてくるとは、当初は思わなかったな。

やっぱり、天下の「トヨタ」のCM曲として起用っていうのは、デカかったんだろうね。

いずれにしても、この曲をきっかけにして、ジュディマリもビッグバンドの地位を不動のものにしたわけですわね。




この曲を今の今まで書かなかったのは、このMVがようつべに上がるのを待ってたっていうのもあるかもな。
このMV、メンバーの後ろ姿で面白いんだよね。
まあ、このMVでなくても、この曲自体の動画が上がるのを待ってたんだよね。 ちょっとまえまで、この曲の動画、ようつべになかったんですよ。

もっとも、ここ数年、この時期になると「生業」が忙しくて、1曲セレクト書いてる余裕が無かったっていうのもあるんだけども。。。。

それにしても、YUKIさんさすがに若いな。 そりゃそうかワタシも、この時まだ25才だったんだよな。 YUKIさんは、ワタシよりも学年で言えば2つ下なんで、こんとき23才だったハズ。

改めて今きくと、いつもよりも、丁寧に歌っていたような気がする。
トヨタのCMって先にありきだったのかしらん    だから、いつもより丁寧に歌ってた? その辺はよく分からないけど・・・。 でも、好感が持てたのは事実ですね。

いわいるメロコア系のバンドに、キュートな女性ボーカルっていう形式の男女混合バンドで成功した人たちって、今でこそ、いろいろと出て来ているけど、当時は少なかったですよね。

確かに「LINDBERG」も同じ形態のバンドだったけど、ボーカルの渡瀬さんは、YUKIさんのようなキュートなボーカルではなかったし。

まあ、同じ時期にMY LITTLE LOVERのAKKOっていうキュートな声質なボーカルユニットが大ブレイクしてるけど、ラウドなバンドはないってところは、ジュディマリとは異なるしね。


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はじまりはいつも雨 / ASKA

1991_06_はじまりはいつも雨_ASKA






今回の1曲セレクトは、「はじまりはいつも雨」ASKAです。

 まずはデータでーす。

・タイトル     はじまりはいつも雨
・アーティスト   ASKA
・作詞       ASKA
・作曲       ASKA
・編曲       澤近泰輔
・リリース日    1991年3月6日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    116.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位  1位
・ベストテンランクイン期間:1991年3月18日〜9月2日付
・タイアップ:パナソニック「コンポhalf」CM曲

 ロングセラー。いまぢゃ、まずほとんど聞かなくなった言葉だけどね。
 いや、たしかに、いまでもロングセラーっていう単語は時々使うんだけど、そうは言っても、あっという間にチャートから消えていく大多数の曲に比べたら「ロングセラー」というだけであって、ベストテンに10週前後ランクインしている曲でさえ、昔のロングセラーという比ぢゃないよね。

 こんな状態は、90年代後半ごろから、ジワジワと見えつつあったわけだけど、ぢゃ、90年代前半はどうだったのか・・・というと、これが「さにあらず」。
 これが逆に、ロングセラーの天下だったわけだ。特にハイライトは、1991年。

 この年は、とみにロングセラーが多かった1970年代を凌ぐくらい、ロングセラーが多かった年なんだよね。
 いわいる「メガヒット」の始まりの年だったわけだけども、90年代後半以降の「メガヒット」とは、様子が異なり、たしかに初動集中型になりつつはあったものの、その後の粘り⇒ロングセラーぶりは、最近のヒット曲には全く見られなかったような感じなんだよね。

 そんな1991年のなかでも、この「はじまりはいつも雨」は、特にその粘りぶりが際立っていたよなぁ。
 なにせベストテン内に「半年」も居座ったわけだからねぇ。
 とにかく「安定」度といったら、とんでもなかったんだよねぇ。

 どうしてなんだろ? とは思うんだけど、たしかに、あの時代「カラオケ」で歌われる曲っていうのは、ひとつ大きかったんだろうね。
 ただ、今のように、まだ、情報伝達速度は早くなかったから、口コミによって広がって行ったってのは、また、大きいだろうなぁ。

 この曲、たしかにパナソニックのコンポのCMに使われていたけど、これもヒットしてからの話で、リリース時には、ほとんど、プロモーションらしいプロモーションもあまりなかったからねぇ。

 すでに音楽番組は、テレビの世界では衰退していたし、まだインターネットも無かったわけだから、タイアップがないとしたら、ラジオくらいしかメディアは無かったわけだし。。。

 ただ、そういう状況だったから、余計、「曲のデキ」が注目されていたっていうのは、あるかもしれないなぁ。


 このころのASKAの曲は、CHAGE&ASKAも含めて、ほとんどクラシックに近いんですよね。賛美歌というかね、ちょっとそれまでのポップスには無かったようなコード運びとメロディラインが特徴でしたよね。

 それと、サウンド全体のイメージというかね。どちらかというと、バンドサウンドというよりは、大編成のオーケストラ的なスケールのでかい曲が中心になっていましたよね。

 そのあたり1989年に一時、CHAGE&ASKAの活動を休止して、ロンドン生活を送った後あたりから、変わったように思うなぁ。

 それ以前、ことにキャニオンに移籍した1986年あたりからは、どちらかというと、リズム主題のロックポップスといったような曲が多かったからねぇ。

 その辺の変化に時代が付いてきた・・・って言うのが、この1991年あたりで、結局、時代を味方につけたのもでかかったかもしれないですよねぇ。

 
 たけど、この曲は難しい。キーが高いってのもあるけど、これはカラオケぢゃなかなか歌えないですよ。

 いや、このあとの「SAY YES」もそうだけどさ。メロディラインが複雑だし、コード進行も、ポップスと思えない進行の仕方があったりして、まず、音が取りにくいんですよね。

 ただ、そういうところが逆に耳新しいって言うところはありましたよね。
 さすがにイギリスに行ってただけあって、音が「濡れている」というか・・。

 「はじまりはいつも雨」っていうタイトルにはぴったりはまるサウンドなんだよね。



 個人的には、この曲がヒットしてた頃・・・・、ランキング(ヒットチャート)に本格的にのめりこみ始めたころだなぁ。  自主チャートを毎週出すようになったのもこのころですわ。
 それと、「オリコン研究会」のサークルでで頻繁に動いてた頃かなぁ。

 だから、この曲っていうと、ヒットチャート作ってたか、千葉の中央郵便局で夜中、郵便物の仕分け作業のバイトしてたころの風景が浮かんでくるんだよなぁ
バイトしてた作業場にあったラジオから、この曲、よく流れてたんですよ。

 それとともに大学には徐々に足が向かなくなってきてた頃の曲ですねぇ

 「仕事」的な考えとしても、いまのワタシの根幹的にあるような曲なんですよねぇ。




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One Night Carnival / 氣志團

2002_06_One Night Carnival_気志團


今回の1曲セレクトは、「One Night Carnival」氣志團どぇす。

まずはデータだぜぃ。

・タイトル    One Night Carnival
・アーティスト  氣志團
・作詞      綾小路翔
・作曲      綾小路翔
・編曲      氣志團
・リリース日   2002年5月29日
・発売元     EMIミュージック
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数   18.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 14位

この時期になると、脳裏に浮かぶ曲がある。
ま、普通は梅雨の時期なんでも「雨」にまつわる曲とかさあ。そうなるんかなぁ。ラジオ聴いてると、大体そんな感じだもんね。
あとは、無理やり入れれば、ジューンブライド・・・っつうことで、ウェディング・ソングとか。。。

あ、いや、これは、最近あんまり聞かなくなったのかなぁ。。。

でもさ、個人的にこの時期と言って、未だに脳裏にこびりついているのは、ケータイの新機種対応なんだよなぁ。

あー、またもや仕事関係の話で申し訳ないですが。。。

特に、docomoの新機種対応。 503i から504i へ、504iから505iへ っていう新機種リリースがいつも決まってこの時期だったのよ。 

ま、実際のリリース日は、もうちょっと前だったんだけどね。

でもねぇ、これら新機種対応で、ワタシら着メロ業界で何が大変だったかといえば、新機種に合わせた音源ファイルのカスタマイズ、いわいる再ミックスですわ。

503i の16和音から504iでは40和音へ  さらに505iでは64和音へ 音数も音色も進化するのに伴って、これらに合わせた音源ファイルの再チューニングを行ったからさあ。

とりわけ、初めて再チューニングを行った、2002年の503i の16和音から504i 40和音への作り替えは大変だった。

あの当時で、1万曲以上配信していたと思うんだけど、それら全曲に対して504全機種用のファイルを作るってことでさ。

まあ、ほとんどの曲は機械的にファイルコンバートしていくだけの作業だったんだけども、これが上手くコンバートしない曲かあったりしてね。。。

最終的にファイル数、数えてみたら機種によってファイル数が合わなかったりして・・・。
で、どの機種の、どの曲がエラーになっているか・・調べて作り直したりして。。。
結局、あの時も2日ばかり徹夜したような記憶がある。

そうそうそう、3日目の夕方、社長が気つかって、いっちゃん高いユンケル差し入れてくれたの覚えてるワ。。。 

それでも、3日ぶりに解放された、帰りの京葉線でつり革につかまりながら、半分気絶してたもん、ワタシ。

あの気絶する直前に、ウォークマンのイヤホンで流れていたのが、氣志團の「One Night Carnival」だったのは、やけに記憶にこびりついてるんだよな。

だから・・・というわけでもないんだけど、氣志團の「One Night Carnival」を聴くたびに、2002年5月の504i対応の時の光景とか、京葉線でつり革につかまりながら気絶する直前の光景が、いまだにフラッシュバックするんだよな。。。。

だけど、氣志團の「One Night Carnival」ってどこで、初めて聴いたんだろう・・・?

・・それが思い出せない。

CDリリースを調べなおすと、2002年5月29日とある。  いや、この時にはdocomoから504iシリーズは、すでに発売されていたはずだ。

・・ということは、もうすこし前だったハズなんだけども。。。 でも、私のウォークマンに曲が入っていたということは。。。

うーん、どこでこの曲の音源仕入れたんだ? ワシ。。。

さらに、初めてこの曲の存在を知ったのも、よく覚えていない。

この曲、EMIからリリースされる1年前に、インディーズから別バージョンでリリースされていたじゃん。 恐らく、初めに聴いたのはそっちのバージョンだったと思う。

あのころ、着メロの音源情報を仕入れるために、日ごろから、いろいろなサイト巡回していた時に、たまたま氣志團を見つけたんだったけなぁ。。。

まずもって、ビジュアルからインパクトだよね。 今どき時代錯誤なツッパリ ヤンキーグループですかい

ま、たしかに、80年代の横浜銀蝿よりも、当時のチーマー的なものほんのヤンキーっぽくは一瞬見えたけど。

あの頃、ヒップポップ系の兄ちゃんのなかには、ホントに怖そうな兄ちゃんもいたからねえ。 ついにロック界にもそういう輩が出てきたかと一瞬思ったりしたもんよ。

でも、曲を聴いてぶっ飛んだ。 演奏力がある。 各パートともにテクニシャンなのよ。
これだけのテクニックがあれば別にこんなビジュアルにしなくてもいいじゃん・・・と思えるほど。

それ以前に曲自体 キャッチーだし、一発で刺さったもの。

でも、これが、売れるための彼らなりの戦略だったんだよね。 

まあ、それまでのいろんなヤンキーがごっちゃになっているところがあったけど。。。

出だしの 「俺んところこないか」っていうセリフは、杉本哲太「On the machine」(1982年)から拝借したもの。

・・・かと思えば、 「とにかくもう 学校や家には帰りたくない」って、尾崎豊の「15の夜」(1983年)になったり。。。

さらにさらに、「行こうぜ ピリオドの向こうに」っていうセリフは、チェッカーズの「Jim & Janeの伝説」(1988年)からのパクリ・・・うんにゃ 引用だったりして。。

加えて、全体的にお茶らけたお祭りムードは、アラジンの「完全無欠のロックンローラー」っぽいよね。。

・・・ってな感じで、80年代のツッパリ方面の曲がごっちゃに引用されてる。

もろ、その世代のワシにとっては、一発でそれと分かるわけで、一気にノスタルジーな気分になったり。

逆に、ワシら世らよりも若いコたちには、あの変なパラパラ踊りと相まって、新鮮に映るんだろうな。。

そんな充分に計算された曲だし、バスるのも必然だったのかもしれないな、この曲。

加えて、丁度同時期に放送されていた、ドラマ「木更津キャッツアイ」で、木更津⇒ヤンキー っていう認識が再燃してたからなぁ。 そんな時期に、「房総ヤンキー」ってことで「氣志團」が現れたのは、めっちゃ、タイムリーだったっていうのもありましたよね。

氣志團、木更津から出てきた・・・ということもあって、急に親近感が沸いたりして。。。

え、だって、ワシも高校は木更津だもの。 同じ「JR内房線同盟」としては親近感ですよ。

・・と同時に、ツッパリヤンキーなビジュアルなのかが、すぐにわかった。この手のあんちゃん、多かったもんね、木更津周辺には。 

いや、少なくとも、ワシらが高校生の頃の木更津駅周辺には、この手のあんちゃん、いっぱいたむろしてたけどなぁ。

しかしね、綾小路君は、ワタシらより丁度10才年下ですわ。10才年下の頃でも、この手のあんちゃん多かったんですかね〜。 高校卒業以来、あまり木更津にはいかなくなったんで、何とも言えないんだけども。

それにしても、綾小路君、ワタシらと同世代? ってくらい、ワシらの世代の風俗とか、ヒット曲知ってるからな。最初は、ホントに同世代か・・・って思ったもの。


・・・なんて書いてたら、「One Night Carnival」の制作秘話なる動画が出てきた。

↓ コレ




うむ、もしかしたら、これ見てくれた方が、ワシがちまちま書くよりも、「One Night Carnival」については正確に分かるかもな。。。

・・・ということで、ワシはここいらで撤退。。。。







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魔法の黄色い靴 / チューリップ

1972_06_魔法の黄色い靴_チューリップ


今回の1曲セレクトは、「魔法の黄色い靴」チューリップです。

まずはデータから

・タイトル     魔法の黄色い靴
・アーティスト   チューリップ
・作詞       財津和夫
・作曲       財津和夫
・編曲       木田高介
・リリース日    1972年6月5日
・発売元      東芝音工
・オリコン最高位  98位
・売上げ枚数    0.2万枚

4日土曜日、東京国際フォーラムで行われた、チューリップのデビュー50周年コンサートに参戦した。

正直、前もって参戦しようとは思っていたわけではないんだけどね。。。
今年の初め、キョンキョンの40周年ライブの中野サンプラザのチケットを獲ろうと、「ぴあ」のサイトを見ていたら、たまたま、チューリップ50周年コンサートの告知が目に入ったものだから。
それがどうも気になりまして、コンサートに行ってみようかと、チケット予約してみたら取れたんですね。。。

・・なんて、なんとなくチケット予約してみた‥のような書き方だけども、もちろん、以前から1度はチューリップのコンサートを見てみたい・・という思いはずっとあった。

これもなんかの縁・・・だったのかもな。

それ以前に、チューリップのメンバーも財津さんをはじめ70代の方が多くなったわけで、もしかすると、この機会を逃すと、もうコンサート見れなくなるかも・・なんていうのも頭の片隅にはあったのも確か。

でも、コンサート参戦してみて、よかったですわ。アットホームな雰囲気に包まれて。
個人的には、年齢的に70年代の「コンサート」の雰囲気って知らないんですよね。。 でも、その一旦も味わうことができたし。。。

ま、これに関しては、また後日、ライブレポにまとめようか考えています。



そんなわけで、今回の1曲セレクトは、やっぱチューリップの曲を持ってきたい。
・・となると、タイミング的に、やっぱし、丁度50年前にリリースされた、メジャーデビュー曲のこの曲となりますよね。

「魔法の黄色い靴」。

チューリップの曲は、曲数は多くないけどこれまでも何曲かは書いた。けど、デビュー曲であるこの曲は、まだ書いてなかったんだな。。
これまでは、なかなか書くきっかけがつかめなかったのもあるかもしれないな。

リリースは1972年6月5日。 今からちょうど50年前になる。

当時のメンバー、 Key、G 財津和夫、Key、G 姫野達也、G 安部俊幸、B 吉田彰、Dr 上田雅利 

メジャーデビュー当時の、いわばオリジナルメンバーだ。


ワタシは、この時、2才9か月。 さすがにリアルタイムじゃ聴いてないなぁ。 

個人的に聴いたのはいつだろ? 

そうそう、この曲がダイドー「ブレンドコーヒー」のCMに起用され、「虹とスニーカーの頃」や「青春の影」とのカップリングで新たに8cm CD がリリースされた1993年だ。

フジテレビ深夜に放送していた「19×× 僕たちの懐かしのメロディ」から、「青春の影」にめっちゃのめりこみ、音源が欲しい・・と思っていた時に、丁度シングル曲、3曲がセットになった、「お得盤」ともいえる、この8cm  シングルCDがリリースされたのよ。すぐに買ったな。

ちなみに、このシングルCDは、オリコン最高36位。11.7万枚の売り上げを記録している。
72年のオリジナルシングルの50倍以上の売上げですわ。

もちろん、すでにチューリップというバンドのネームバリューは、72年にリリースされた当時と比べ物にならないくらい大きなものになっていたし、CMというメディアミックスの効果もかなりあったわけだから、単純には比較できないのだけど。。。

でも、個人的に「19×× 僕たちの懐かしのメロディ」には、大分影響されましたね。
高校生だった80年代後半から、始めていたんだけども、ヒット曲を現在から遡って掘ってみようと本格に70年代の曲を掘り返し始めたのも、この番組からだったし。。

で、60年代からの音源がある程度揃ってくると、時代ごとの一連のヒット曲の流れがや、曲の傾向が見えてくる。

でも、そんな一連の時代の流れの中で、少し毛色が違った曲が見えてきたりするんだよね。

この「魔法の黄色い靴」もそんな1曲だったような気がする。

1972年って、時代の転換点の年のように思えるんですよね。 歌謡曲という面ではなくて、フォーク・ニューミュージックという面から見るとだけど。。。

大まかに見ると、当時の主流は60年代末からの流れを受けてフォークといっても良かったかもしれない。吉田拓郎氏の「結婚しようよ」が大ヒットしていた時代だ。

けど、一方では、その後のニューミュージックと呼ばれる新たな音楽の「芽」が出始めた年でもあるんですよね。

吉田拓郎氏の対抗馬として、井上陽水氏に注目が集まりだし、アリス、ユーミンがデビューしたのも72年ですわ。

後のいわいるニューミュージック界の雄と言えるアーティストたちがデビューした年。 そんな中に、チューリップもいたわけですね。

もちろん、アリスもユーミンも最初からビッグヒット飛ばしたわけではない。 ユーミンのデビュー曲「返事はいらない」はオリコン100位にも入らず、本人曰く300枚しか売れなかった・・・なんて言ってたりしてますもんね。

チューリップのこの「魔法の黄色い靴」は、かろうじてオリコン100位に入ったものの、最高98位。
TOP100ギリギリ。しかも1週しかランクインしていない。

結局さ、まだまだ時代が追いついていなかったってことなんだよね。

比較的複雑なコード進行と、トリッキーな転調を伴う、この「魔法の黄色い靴」は、確かにアコースティックキターがメインの一聴すると、フォークのように聴こえるんだけども、それまでの60年代からのフォークとは違う。

そもそも、当時の主流だった拓郎氏や、社会派フォークのように人生観や社会風刺を表に出した曲ではない。 政治色がないんですよ。

でも60年代から70年代へと時代が変わったように、社会も変わっていたわけだよね。

モーレツからビューティフルへ。そんな時代の価値観の辺の中で音楽の価値観も変わってきていたわけで。

ただ72年という段階では、少なくとも音楽に関しては、まだ前時代の価値観が主流だったってことでしょうね。

そんな時代の流れの中で、チューリップも、まだ立ち位置が確立できなかったじゃないか。

バンドではあるけど、シャウトするロックではない。かといって上記のようなフォークでもない。

ポップ・ロック。

当時はそんな立ち位置のバンドは、少なかったわけですわ。

田家秀樹氏の「読むJ-POP」によると、「ネオGS」という呼び方で、際物扱いだったようですね。

ニューミュージックという言葉が出てきたのは、1973年頃。
1972年当時には、少なくとも日本の音楽界ではこのコトバは使われていなかったわけで。
ロックでもない、フォークでもない彼らに当てはまる音楽のジャンルは、当時にはなかったわけですわ。

ビートルズを下敷きにしたバンド。 林哲司氏の「歌謡曲」には、そう書かれたりするけど、確かにそうなんですわ。

この「魔法の黄色い靴」を聴く限りビートルズの香りが強い。 

たしかにビートルズ好きを公言するミュージシャンは、それまでもあまたいた。
当時、時代を席巻していた吉田拓郎氏もその一人だったはず。 でも、ここまであからさまにビートルズの匂いの強いアーティストは、あまりいなかったように思うんだよね。

口が悪い方たちからは「ビートルズのコピーバンド」とも言われていたようだ。

ただし逆な見方をすれば、それまで無かったような空気感をまとった曲であることは確か。
それは、あの当時のフォーク・ニューミュージックを発売順に聴いていくと、たしかに、この曲とか、ユーミンの「返事はいらない」は、全く違う空気を感じるんだよね。


それまでの時代・・・1960年代・・・・の空気感とは全く違った空気を感じる曲。
リリースは1972年だけども、音楽における・・・いやいや、ニューミュージックという70年代を彩る新たな音楽の地平・・・は、この曲から始まったんじゃないか・・・。 後追いで音楽を聴き始めた世代のワタシとしては、そう思えたりするな。

上記の、林哲司氏の「歌謡曲」に、この「魔法の黄色い靴」に関して、

僕は、歌謡曲でもないフォークでもないポップスがやりたかった。
(当時この「魔法の黄色い靴」を聴いて)  やられた・・・と思った。

とある。

この曲に感化されて、林哲司氏が、後の竹内まりやさんの「セプテンバー」や松原みきさんの「真夜中のドア」など、70年代終盤のニューミュージック・・・今でいうシティポップ・・・を作曲する原動力になったのなら、言ってみれば今をときめくシティポップの「祖」といっても過言じゃないんだよね。




   



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ROCK IN JAPANはやっぱりひたちなかで開催して欲しい



Green Festival '22   ひたち海浜公園で開催。

結局こういう事になるんだよね。
・・こうなるんだったら、なぜロッキンを千葉に移転させたのか・・・ということになるわけよ。

千葉在住の私から見れば、確かに場所がウチから近くなったというメリットはあるものの、心情的には、やっぱりこれまでのように「ひたち海浜公園」でやって欲しいんだよね。ロッキンには。
同じ蘇我スポーツセンターで開催された、5月のJAPAN JAM。 前哨戦として試しに参戦してみたけど、メリットといったらウチから近いというだけで、他のメリットは感じなかった。
なにより、場所が狭い。 見渡せばフェンスネット。その向こうには川崎製鉄の工場。 地面は人工芝。。っていうシチュエーション。フェス特有の開放感を感じられないのよ。

そもそも、フェス用の駐車場がないので、必然的に電車で行くしかない。
車で行けるならばドア トゥ ドアなのに、わざわざ駅まで行って電車に乗り換えるっていうもね。。。

場所が狭いということは、収容人員も限られてくるわけだし、出演アーティストも限られてくる。

さっきtwitter見てたら、ステージが減ったから、知名度が低いニューカマーアーティストや、人気がないけど実力者・・・というアーティストの出演する機会が無くなったとツイートしている方がいた。

全くその通りだと思う。 現に以前だったら出演していたであろう、今年期待のニューカマーアーティストの
出演が少ない。 もう、ヒゲダンとかmiletのように、一番小さなステージからビッグになる光景は見れなくなるんじゃないのか・・とも思えてきますね。
フェスって人気者を見れる場だけでなく、新たなアーティストを発見するショーケースの場でもあると思うだよね。

ロッキンオン側としても、この先ずっと、これまでよりもチケット販売枚数を少なくさせるっていうのは、大きなマイナスだと思うんだけども。。。。実質的な規模縮小なわけだから。

そして、3次先行で早々とチケット完売との告知が。。

スクリーンショット (20)

そりゃ、これだけの人気者ぞろいで、チケット販売枚数がこれまでよりも少なきゃ、こうなるよね。

まあ今年は開催することが重要なんだろうから譲歩しても、今後もこのままずっとそれでいいんですか・・っていう疑問はやっぱり残る。


確かに、コロナ禍中のフェスであることも考慮しなくてはいけないところだし、すでに発表されている形での開催は致し方ないところだけども、イベントにおけるコロナ対策方法もこなれてきたし、将来的には、ロッキンをひたちなかへ戻すという形にはならないものですかね。

運営的な問題、コロナ対策云々の問題はあるものの、やっぱ、なにより、あのだだっ広い芝生公園や緑に囲まれ、海からの風がここちよい、
「開放感」の中で行われるロッキンこそが、夏の風物詩だと思う。
個人的には、そこを一番重要視して欲しい訳よ。

昔、フジロックは、当初の富士山麓開催から、一度、東京に場所を移した。でも、不評で次の年に今の苗場に再移転したわけじゃん。
この例のようにフェス開催場所の複数移転の事例は今までもあるわけだからさ、ロッキンオン側にも、ぜひ一考してもらいたいところですね。


春うらら /田山雅充

1976_05_春うらら_田山雅充



今回の1曲セレクトは、「春うらら」田山雅充です。

まずはデータです。

・タイトル    春うらら
・アーティスト  田山雅充
・作詞      最首としみつ
・補作詞     中里綴
・作曲      田山雅充
・編曲      船山基紀
・リリース日   1976年2月25日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 16位
・売上げ枚数   21.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 18位

 すべてのメロディは覚えていたわけではないけど、一部のメロディは頭のどこかにこびりついているっていう曲。
そんな曲って、これ読んでくださってる方にもあるんじゃないかなぁ。
Aメロ、Bメロは忘れちゃってるけど、サビのメロディは強烈に覚えてる曲とかさあ。 いや、そうじゃなくても断片的に覚えるとか。。。

ワタシも、断片的にしか覚えてなくて、たまたまラジオで聴いて、「あ、こういう曲だったんだ・・」さて思う曲は未だにありますねぇ。

今回引っ張ってきた曲なんかも、そんな1曲だなぁ。

田山雅充「春うらら」

この曲リリースは1976年2月というから、ワタシは6才。 丁度、幼稚園から小学校に上がるころだ。
リリースは2月だったけど、ヒットのピークはこの年の6月。
オリコンでは1976年6月21日付で最高位16位を記録。
そんなロングヒットだったこともあり、最高16位までしか行かなかったけども、売上げは20万枚のスマッシュヒット。


まあ、いずれにしても そんな時代のヒット曲なんで、リアルタイムでは聴いてない。

・・・はずなんだけどもね。 でも、曲自体はずっと知ってたのよ。

いや、最初に書いたように、この曲の全篇を覚えていたわけではなくて、断片的に覚えてた感じで。

そそそ、 ♪ アゥ〜 アゥ〜  春うらら〜 ♪ っていう、 地声から一気にファルセットに上がる例のサビの部分だよね。

あそこだけは、強烈に記憶に残っていたのよ。

もちろん、オリコン的には最高位16位だったのにも関わらず、売上げ20万枚以上のスマッシュヒットを記録したこの曲だったから、存在自体はオリコンチャートを見始めた当時から知ってた。

だけど、長い事、例のサビの部分以外、この曲のAメロ、Bメロのメロディって知らなかったのよ。

正直、つい最近よ、この曲の「全貌」知ったの。 うん、ここ10年くらい。

この「1曲セレクト」のネタ探しに、改めて60年代以降のヒット曲の音源を掘り返していた時に改めて全部聴いてみたってところですね。

全篇聴いてみて「あ、これ」っていう聴き覚えがある感覚。 やはりでしたね。 
サビを覚えていたってことは、当時、この曲、一通りは聴いてたんだよ。

でも、覚えてなかったってことは、当時はサビ以外は刺さらずに、記憶の奥底に沈んでいたんだろうね。 

当時、刺さらなかったのは、日本の土着的匂いのするフォークに近いメロディラインだったからなのかもな。

70年代終盤のロック・ニューミュージックブーム前夜のミュージックシーンでは、より洋楽的な音楽は、オシャレな音楽として確かに盛り上がりつつはあったけど、 まだ前衛的な音楽という感覚でしたよね。
それよりもこの手の土着的な匂いのするフォーク路線っていうのが、まだウレセンだったわけで。。

ただ、個人的には、この手の土着的な匂いのする音楽よりは、当時から、より洋楽的な匂いのする音楽の方にシンパシイを感じてたのよ。

・・・なんて、当時6才のガキンチョが、なにがシンパシィじゃ・・・だよな。

うん「刺さった」のよ。

土着的な匂いのするフォーク・・、あの頃で言えば、かぐや姫とかNSPとかですよね。さだまさしさんなんかもそうだったかな。 ほんの少し時代を下れば、松山千春さんとか・・。

それよりも、やっぱり、ユーミンとか、井上陽水さん、チューリップなどの方が音楽的には刺さったし。。

今回引っ張ってきた「春うらら」は、どちらかといえば、前者よりの匂いが強い曲だったわけじゃん。
特にAメロ、Bメロなんかは。 それは、メロディラインの他、歌詞にも感じたりね。

♪ 二人コタツにくるまって 触れ合う素足が ほてりほてり〜 ♪ とかさ、いかにも日本的な情景じゃん。

そもそも 「春うらら」っいうタイトルからして、日本の土着的な田舎の風景を思い浮かべたりして。

個人的には、タイトルから浮かんでくる風景は、春、田植え前の水の張った田んぼと、周りの菜の花と、田んぼの畔の水路のカエルの卵、 そこに吹きぬける、春の優しい風ですわ。

当時、この曲と全く同時期にキャンディーズの「春一番」が大ヒットしていたわけだけども、あの曲のようなアグレッシヴで動的な春の情景とは、ちょっと違った感じで。。。

ただ、そんな土着的であるからこそ、安心もあるのも確かで。。だからこそ、当時は、そういう曲の方が、洋楽寄りで都会的な曲よりもウレセンだったんだろうな。 
・・っていうのも分かりますね。

少し前にも書いたんだけども、70年代中盤、生活の欧米化の波は進行していた・・とは言えども、まだまだ日本独自の文化や風景が残っていたのも事実なわけで

当時ユーミンが言っていた「中産階級」っていうのは、あくまで都会の一部の層の意識だったんじゃないか・・なんて思うわけなのよ。

当時、福島・いわきに住んでたワタシだけどさ。76年といえば(常磐)炭鉱が閉山した年で、まだ、いわいる「炭鉱長屋」があちこちに残っていた頃なんだよね。
繁華街でも一本裏通りに入れば、昭和30年代、40年代初頭の高度成長期以前の匂いがそのまま残っていたし。。。

ワタシの家は炭鉱長屋ではなかったけど、あの頃の記憶としては、そういう生活環境の記憶が強くて、とてもユーミンがいう中産階級の生活環境とは言えなかったし。そういう中産階級的な生活は、まだ憧れの中の存在だったわけよ。

まあ、いわき以外でも、当時の地方都市は、ほぼそういう状況だったんじゃないのかな。

だからこそ、こういう日本特有の土着的な匂いのするフォークのほうが、安心感を感じる・・っていうか、より生活に近い感覚があったわけでさ。だからこそ、当時はまだウレセンだったんだろうね。

そそそ、当時、個人的に、この手の曲よりもユーミンなどの、より洋楽的な匂いのする曲に、個人的にシンパシイを感じたのも、現実の生活にはなかった、あの頃の「憧れ」だったんだろうな・・と。今、振り返れば思えますね。




Youtube上では、当時の映像としては、これが唯一の映像のようだけども、77年のNHKフォークフェスティバル。

でもさ、この時の「フォークフェスティバル」って




を見ると、↑で対抗的な立ち位置として出した、ユーミンも出演していた模様。





いや、逆にユーミンがメインのコンサートだったようだ。

※蛇足だけども、コンサートは1977年8月19日とある。 ワシの8歳の誕生日だ。

その他の出演アーティストは、大橋純子&美乃屋セントラルステーション、ハイ・ファイ・セットで、番組タイトルのような「フォーク」とはとても思えない出演アーティスト。純粋なフォークシンガーは、田山雅充氏だけだったようですね。

でも1977年と言えば、ニューミュージックブームの賭場口の年だったし、音楽シーンもフォークからニューミュージックに完全に意識が変わっていた頃。

「春うらら」がヒットした1976年だったら、出演アーティストも大分違っただろうけどね。
それだけ、急激に音楽シーンの主流が変化してた頃とも見て取れるんだよね。



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オリコンウイークリー通巻400号(1987年6月8日号)

またまた、凝りもせず、オリコンウイークリー記念号!
今回は通巻400号(1987年6月8日号)

●表紙 荻野目洋子さん
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前回の300号同様、一目で「記念号」と分かる表紙でしたね。
300号の時は、オリコンウイークリー創刊号の復刻掲載が「目玉」だったけど、400号での目玉は、何と言っても筒美京平氏のスペシャルインタビューだったろうなぁ。

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マスコミには出ない・・と公言し、当時マスコミのインタビューはほとんど断り続けていた筒美京平氏でしたからねぇ。
その筒美京平氏がオリコン誌のインタビューに登場する。これだけでもスゴいことだったしね。まあ、筒美京平氏の作曲家デビュー20周年と、オリコンウイークリー400号というタイミングがうまい具合に重なったことと、あの頃はバブルが始まっていたし、お金をかけることも出来たこともあったんだろうね。そういうことで、こんな豪華インタビューが実現したんだろうなぁ。
一時は、「幻」なんじゃないか、何人かで構成されるゴーストライター集団の総称なんじゃないか・・なんてささやかれていた筒美氏だったし、ご尊顔を拝見して感激しましたねぇ。

もう一つの、スぺシャル特集はこの当時時点までの、オリコン歴代売上げランキングの掲載でしたね。シングルについては、それまでも何度か目にしていたものの、アルバムの歴代売上げランクについては、この時がはじめて目にしたような気がする。
併せて、1968年のオリコンスタート以降の年度別の年間ランキング、シングルTOP20&アルバムTOP10の年間売り上げ枚数入りでの掲載と、データについては大盤振る舞いしてくれましたね。


●今週のランキング
えー、毎度毎度のことですが、週間ランキングの写真掲載はメンゴ。
▼シングル
1位は、おニャン子クラブ「かたつむりサンバ」が初登場首位。

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表紙の見出しにもなっているように、おニャン子クラブとして6作目の1位。
とはいえ、次の週は9位に急降下。ベスト100位内にわずか5週しかとどまれない・・というように、1位獲得したものの、この頃になると人気も完全に「一般性」を失っていた訳よ。
件の「夕ニャン」の視聴率もだだ下がりで、これから2か月後の8/31を持って終了。同時に、おニャン子クラブは解散。
・・というわけで、この曲がおニャン子クラブとしては最後のシングル1位獲得曲というわけですな。

その他ベストテン内を見ると

3位 サマードリーム チューブ
7位 IT'S TOUGH 渡辺美里
8位 モノトーンボーイ レベッカ
9位 Get Wild TM NETWORK
10位 Strangers Dream ジャッキーリン&パラビオン
と半分はロック、ニューミュージック勢と、再びロック・ニューミュージック勢の躍進が目立ってきていた頃。 
まあ、ジャッキーリン&パラビオンをロック、ニューミュージック勢の範疇に入れていいかは微妙だと思うけど、昨今で言えばシティポップスなので。。。
いずれにしても70年代終盤〜80年代初頭にかけてのニューミュージックブームの頃の、ロック第2次世代とはまた違う、ダンスビートや鋭角的で独特なグルーヴが特徴のロック第3世代の台頭が本格的になってきていたのよ。
逆にアイドルはマニア向け化が進行。いわいるB級、C級といったマニア向けアイドルの拡大が進んできていた頃ですな。
そんな音楽トレンドの変化がランキング上でも目に見えて分かるようになってきた頃ですね。

▼アルバム
1位は、 松田聖子「Strawberry Time」が前週からの1位を堅持。

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この週 
2位 SUMMER DREAM チューブ
3位 JOY AND PAIN 池田聡
4位 Mr.ASIA チャゲ&飛鳥
といったいずれも強力ラインナップの「初登場」勢を抑え、2週連続での首位。
これは、結婚以来一時活動休止していた、聖子さんが本格活動再開した際にリリースされたアルバムですわな。
前回300号の時の「The 9th Wave」でも書いたけど、聖子さんはアルバム強かったんだよね。
ちなみに、シングルの「Strawberry Time」は、前週までの1位は死守できずにこの週は2位
なお、ここに書いたのは「LP」ランキングだけども、他にCD、カセットチャートでも1位。 いわいる「3冠」達成週というわけですな。

1987年6月第1週時点では、アルバムチャートは、まだ、LP、CD、カセット、それぞれ個別のチャートとして掲載されていたけど、この年の10月からは、これら3チャートの合算ランキングとして新たにアルバムチャートがスタートすることになる。
この頃になると、LPよりもCDの売り上げの方が確実に高くなっていて、いわいるアナログレコードの下火が顕著になってきていましたしね。
ただし、シングルCDは、この時点ではまだリリースされていない。なので、シングルは、この時点ではすべてアナログの売り上げ。
CDの売り上げが拡大している中で、全体的なシングル売上げ低下が進んでいるのも当然で、一時はこのままシングルCDの発売が無ければ、そのうちシングルは無くなるんじゃないか・・なんて個人的には思っていたなぁ。
そんな危惧も、翌年2月末のシングルCDリリース開始で一気に解決しましたが。。。

でも、あの頃のアナログレコードが置かれた状況を知っているだけに、昨今のアナログレコード復権の兆しは不思議な現象・・・に感じるんだよね。
まあ、これも時代の流れなんだろうけどね。


●その他のトピックス
前回の300号でも書いたように、いわいるオリコン読者向けのための、「オリコン通信」のページ数が多くなっている時期ですね。 

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その中からオリコン読者有志による「読者集会」なるイベントが盛んになってきていたのがこの頃。今で言えば「オフ会」だよね。
まあ、ほとんどがアイドルファン同士の交流の場であったこともあり、チャートファンだったワタシは参加したことは無い。
ただ、これら「読者集会」を取りまとめていた一人である、当時奈良県在住だった「THE CHARTER☆7」さんとは、件のオリコンチャート研究会を通して、この後、知り合うことになる。
ハンドルネームでも分かるように、もともとはアイドルファンというよりは、チャートマニアでオリコンを読み始めていたこともあり、うちらのグループにも接触してくれたとの事だったかなぁ。
もう久しくお会いしていないけど、元気でしょうかね。 

ちなみに、ワタシは、この時17才 高校3年。
半年後には大学受験というのに、まだのほほんとしていた頃。
そりゃ、受験失敗するよなぁ〜。

オリコンウイークリー通巻300号(1985年6月24日号)

性懲りもなく・・・またまた
オリコンウィークリー通巻300号!
(1985年6月24日号)
〇表紙 とんねるず

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とんねるず、「一気!」で大ブレイクした少し後で、まさに上昇機運だったからなぁ、この時。
オリコンも300号を祝うには、とんねるず起用っていうのはもってこいのキャスティングだったんだろうね。
とんねるずは、この頃丁度放送していた「夕焼けニャンニャン」を足掛かりにさらにビッグになっていく。
極めつけは、やっぱ、この年秋のベストテンin静岡 での大暴れ事件だろろうなぁ。 そそそ、「雨の西麻布」の時の。
そりにしても、見ての通りのお祭りムードな表紙と巻頭特集。
オリコンの記念号の大々的なお祭り騒ぎは、ここから始まったんだよね。
300号記念特集での極めつけは、やっぱ1979年8月第2週の「創刊号」の復刻掲載だろうなぁ。
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これには、ワタシもびっくりしたし、穴が開くほど見入っちゃたもの。 
写真の冊子は、当時リアルタイムで購入した「私物」だけども、おかげでこの号はボロボロよ。
創刊号「復刻」掲載の後ろページに、「創刊号」持ってます・・っていう読者特集があり羨ましかったなぁ。
個人的に定期的に購入し始めたのは、1984年4月の長山洋子さん表紙の通巻241号から。 
あわよくば、遡って昔のオリコンを手に入れたい・・と思い始めたのも、この読者ページを見てからですね。


〇今週のランキング
例の如く、週間ランキングを写真掲載するとオリコンさんに怒られちゃうので、テキストのみで。。
(っつうか、↑の創刊号もやばいんだけど。。。)

・シングル 1位は「今だから」松任谷由実・小田和正・財津和夫

1985_06_今だから_松任谷由実 財津和夫 小田和正


前週に引き続き2週目の首位。
これは、あれよ。国立競技場で開催された「ALL TOGETHER NOW」っていう世紀のイベントのテーマソング。
吉田拓郎氏を頂点に、はっぴいえんど、サディスティック・ミカバンド、松任谷由実、オフコース、チューリップなど1970年代前半デビューの第1世代、
サザン、佐野元春、ラッツ&スター、白井貴子、山下久美子など70年代後半〜80年代初頭デビューの第2世代、 
チェッカーズ、それ以降デビューの第3世代・・・と、いわいるロック・ニューミュージック系アーティストが世代を超えて集結した超大型イベントでしたね。
まあ、はっぴいえんどの細野氏のようにニューミュージックの葬式だという趣旨の方もいらっしゃって、必ずしも、出演者全員の意識が一枚岩のイベントでは無かったですが・・・・。
ちなみにこのイベントで注目されたのは、白井貴子さんでバックコーラスをしていた、デビュー直後の渡辺美里さん。
悔しいのは、当時、高校1年だったワタシは、このイベントのチケットが取れなくてね。 オリコンの読者伝言板に掲載された「チケット売ります」の応募にも外れて、結局参加できなかったのよ。 確か開催された1985年6月15日は土曜日で、ガッコさぼって行こうとしてたんだけどさ。。。。
今だったら、チケットサイト総動員してでもチケットとりに行くんだけどなぁ。。。あの当時はネットなぞあるわけもなく、ハガキ応募かプレイガイドの「窓口」に並ぶのが普通だったからねぇ。
2位が、まっちの「夢絆」。

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3rdシングル「ブルージーンズメモリー」から続いていたオリコン連続1位記録が14作で途絶えた瞬間でしたねぇ。
前作「ヨイショ!」から急激に売り上げが下がって来てましたからね。RVCからCBSソニーへの移籍は裏目に出たかんじだったよな。 この曲で日本テレビ音楽祭のグランプリを受賞したけど、たんなる箔付けにしかならなかった気がする。

・LP  The 9th Wave 松田聖子さんが初登場1位。
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週間売り上げ枚数 11.3万枚は、 2位の「We are the World」の約5倍とぶっちぎりのトップ。
まあ、兎も角、この頃、聖子さんのアルバムは強かったのよ。片や、中森明菜さんのアルバムも強力でしたけどね。
売上げ的に両者甲乙つけがたく、当時のアイドル2大巨頭の構図は、完全に出来上がっていましたね。

ちなみに、この週は同時に1985年上半期ランキング発表にもあたってましたね。
シングル1位 チェッカーズ「ジュリアに傷心」
アルバム1位 井上陽水「9.5カラット」
結局、この両者が、そのまま年末の年間ランキングの首位でもありましたね。
これから見ても、レコード売り上げの縮小は徐々に進んでいたのが分かるな。


〇その他のアラカルトランキング
この頃になると、アラカルトランキングはさらに縮小が進み、テレビ視聴率は月1回の掲載に・・・。 この週は掲載週に当たらなかったんで掲載無し。。。。

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そんなアラカルトランキング縮小に対して、「オリコン通信」という、いわいる読者ページが増ページと、幅を利かせて来ていたのもこの頃ですね。

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それとともに、チャート情報誌・・というよりもアイドル誌的な面が顕著になってきていたのもこの頃からだな。
それは、このすぐ後、「おニャン子クラブ」のレコードデビューで決定的に。。。。
ランキングや、アーティストなどの「情報」を手に入れるために購入していた方々のオリコン離れが始まってきていたのも、この頃からじゃないかなぁ。




Stand Up / 倉木麻衣

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今回の1曲セレクトは、「Stand Up」倉木麻衣です。

まずはデータです。

・タイトル    Stand Up
・アーティスト  倉木麻衣
・作詞      倉木麻衣
・作曲      徳永暁人
・編曲      徳永暁人
・リリース日   2001年4月18日
・発売元     GIZA Studio
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   47.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位  1位
・ベストテンランクイン期間:2001年5月3日〜5月31日付
・タイアップ:日本コカ・コーラ「爽健美茶 Natural Breeze 2001 happy live」CM曲

あー、ゴールデンウイークが終わっていく。。。 まあ、厳密に言えば今週、土日もゴールンデンウイークの範疇なんだろうから、まだ終わっていないんだろうけど、明日、普通に仕事だかんね。

個人的な中では、今日でゴールデンウイークも終わりだぁ〜 っていう意識なんだよなぁ。

あー、ユ・ウ・ウ・ツ。   

五月病なんてさあ、社会人なりたての若い方がかかるもんなんだろうけど、ワタシみたいな50過ぎのロートルおっさんでも、そういう気分になるもんなのよ。

特に明日は、普通に出勤しなきゃいけないしさあ。。 ここ3年、すっかりテレワークに慣れきってしまった身には、早起きして、満員電車に揺られなきゃいけないと思うと、出勤・・ということだけでもユ・ウ・ウ・ツなのよね。

これは、定年を迎えるまでは、毎年そういう気分が続くんだろうね。


・・・なんて、暗い話題のマクラになってしまったけど、今回は2001年ゴールデンウイーク明け頃のヒット曲を一つ。

倉木麻衣さんの「Stand Up」

アーカイブを調べてみたら、倉木さんの曲って1曲セレクトで、まだほとんど書いてなかったんだな。

うーむ、どうも、この年代あたりになってくると、本当に「昨日」な感覚なんだよね。
でも、冷静に見ると、20年以上経ってるんだよなぁ。 そろそろこの辺りの曲も書いていかないとね。

まあ、2001年は、すでに自分のサイトをオープンしてから1年過ぎてたし、恐らくこの曲なんかは、当時のBBS に「新曲」の寸評として、当時一度書いてたと思うんだけどさ。

そのBBS も既に過去の遺産。 ブログで再度残すのもいいしね。



個人的に、この曲好きだったのよ。 倉木さんにはしては珍しく、ギターを前面に出したラフなサウンドだったじゃん。

5月病の憂鬱な気分を吹き飛ばしてくれるような・・・。まあ、そんな単純な理由からだったけど・・・。

いや、実際、あの年(2001年)のゴールデンウイーク明けは、個人的に大変な目に合った時期でさ。 まあ、あまりにも愚痴になってしまうから、詳しくは書かないけど、兎も角、精神的にはどん底だったのよ。

そんなどん底の気分を吹きとばしてくれた1曲ですね。この曲。

この曲までの数曲の倉木さんの曲って、個人的には、それほど触手が伸びなかったのよ。

具体的には、前年秋の「Simply Wonderful」なんかは、キラキラとした面白い音色の曲だな・・とは思ったけども、その後の「Reach for the sky」も「冷たい海」も今一つ、はっきりしない印象が先に立ってたし。。

そんな流れから倉木麻衣ってヒトは、「2000年」に限定した人で、2001年以降・・・というか2000年代をリードしていくヒトではないのかな・・とも思えて来ていたんだよね。

ここでもよく書いてるけど、その年、その年でヒット曲の傾向、カラーって変わってくるじゃない

倉木麻衣ってヒトは、2000年っていう時代のカラーにはドンピシャ嵌っていたけど、2001年っていう時代のカラーからは外れているんじゃないか・・・なんて思えてたんですよ。

そんな折、↑で書いたように、それまでの倉木さんの曲にはなかったようなラフなギターサウンドだったからさ。

そそそ、この乾いた空気感なのよ2001年のカラーって。
どこまでも続く青い空と、乾いた空気を思わせてくれる。まるで、カリフォルニアの乾いた空気なような。。。

そう思えたのは、やっぱLOVE PSYCHEDELICOとかが出てきたからなんだろうな。

向こうのアーティストで言えば、Sheryl Crowのような独特の乾いた空気感。

そんな時代の空気感に旨く嵌ったような手ごたえがあったんだよね、この「Stand Up」って曲。

でも、そう思えたのは、実際「爽健美茶」のCMが、そんなどこまでも続く青空だったから・・・と、ずっと記憶してたんだけども・・・。 どうも、実際は違ったみたいですね

↓ コレ


ウーン、この曲から浮かんでくる、あの青空と、乾いた空気感は、一体どこから連想したんだろうな。。。 


ところで、今回この曲を書くにあたって、ネット上を物色していたら、倉木麻衣の制作サイドはパロディ好きだ・・・って趣旨のブログに出くわしたりして

↓ コレ



なんか、いろいろと批判的なことが書かれたりするけど、本人はあくまで倉木さんファンのようですね。

その中にこの曲の下敷きにした曲ってのが書かれたりしてるけど

↓ コレ




なるほど、やっぱ下敷きにしてる曲があったのね。
まあ、いきなり曲調が変わったんで、なんかあるんだろうな・・とは当時から思えたけど。。。
個人的には、この曲が下敷きで間違いなさそうとは思えるけど、真相は如何に。。。


昔だったら、パクリだぁ・・・とワタシも騒いだだろうし、↑のブログが書かれた2009年頃も、まだパクリ疑惑があった頃でもあるから、記事にもそのように書かれたりするけどさ。
今や、サンプリングって言う概念も一般的になったし、J-POPって下敷きになっている曲が多いってことが、今となってはみんな知ってるようになりましたからね。特段騒ぎ立てる事でもなくなりましね。 






ところで、↑でこの曲がヒットしていた2001年のゴールデンウイーク明けは、個人的に大変な目に合った時期でさ・・・って書いたんだけども、この1か月後に、その後の人生に関わって行く、某C社の求人広告を目にすることになる。

もし、この曲がヒットしていた頃の自分に会えるとしたら、あと1か月後に人生変わるぞ・・と言ってあげたいですねぇ。。。

そんな人生のターニングポイントに差し掛かるほんの少し前ってことでも、印象に残ってる曲だな、この曲は。 

まあ、あくまで個人的なことですけどね。。。


蛇足だけどさ、倉木さんのwikipediaには、各シングルとアルバムの詳細売上げ枚数出てるけど、オリコンさんに怒られないんですかねぇ。
ボキは、昔、怒られたけどさ〜。


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オリコンウイークリー通巻200号(1983年7月8日号)

少し前に出した「通巻100号」に続いて、性懲りもなく
オリコンウイークリー通巻200号!
1983年7月8日号

〇表紙
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この頃のオリコンは、アーティストの表紙から、ごくごく初期のように「新聞記事」のような表紙に戻ってたんだよね。
(ちなみに裏表紙は「ビクター」の広告でしたね)
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・・・・なので、特に一組をズームアップしていたわけではないけど、この週は、サザンの"NEW"アルバム「綺麗」の特集と、ジェニファービールスが取り上げられていますね。
時は映画「フラッシュダンス」公開直前。タイムリーな話題だったわけです。

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「創刊200号」って文字が「100号」の時よりも大きくなりましたな。 ただし、200号だからと言って、特集記事がそれほど大きくなく、比較的ひっそりと200号を迎えたのは、「100号」の時と同じ。


〇今週のチャート
前回の100号に続いて、最近、オリコンさんが煩いので、写真掲載はメンゴ。
シングル1位は 薬師丸ひろ子さん「探偵物語/すこしだけやさしく」が5週目の1位。

1983_06_探偵物語_薬師丸ひろ子

映画「探偵物語」の主題歌で、超話題になったあの曲ですわな。
初動週間売り上げ14万枚は、直近では前年のあみん「待つわ」の週間売上げ17万枚に次ぐ数字じゃなかったかなぁ。
それだけにミリオンセラーが期待されたけど、最終的には84万枚止まり。 レンタルレコードの影響とか言われましたね。
レンタルレコードの影響により、全体的なレコード売り上げ減少が顕著になってきたころですね。
なお、「探偵物語/すこしだけやさしく」は7週連続1位。
あ、「すこしだけやさしく」は、TBS「わくわく動物ランド」エンディングテーマでしたね。
ちなみに、当初は「すこしだけやさしく」が「探偵物語」だったんだけども、どうも薬師丸さんがお気に召さなかったようで、カップリング予定だった「海辺のスケッチ」という曲を「探偵物語」にしたというのは、作者の大滝詠一氏の弁。

アルバム(LP) 1位は 山下達郎「MELODIES」が前週に引き続きいての首位。

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今や超スタンダートナンバーとなっている「クリスマスイブ」がラストに収録されている、8枚目のオリジナルアルバム。
前作「For You」、前々作「RIDE ON TIME」に引き続いてのオリコン首位獲得で、トップアーティストの座を揺るぎないものにした1枚ですね。

ちなみに、2位には松田聖子さん7枚目のアルバム「ユートピア」が付けているんだけども、「MELODIES」の前の首位が「ユートピア」で、この週の週間売り上げ枚数も「MELODIES」と大きな差が無い。

ユートピア_松田聖子

この頃にもなるとアイドルは「シングル」・・という以前の常識は覆され、「アルバム」も売れることがトップアイドルとしての証明になってきていましたね。

〇その他のチャートアラカルト

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100号の頃4ページにわたっていろいろなランキングの掲載があったけど、この頃は大分削られ2ページに。。。。
その中でテレビ視聴率の掲載は健在。

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音楽  ザ・ベストテン TBS 27.9%
ドラマ おしん     NHK 52.1%
バラエティ クイズ面白セミナール NHK 35.7%
アニメ  サザエさん  フジ 29.3%
がそれぞれこの週の首位(いずれも関東地区)
音楽番組は「ザ・ベストテン」が依然として強し。 ただし前回100号(1981年)に比べると視聴率は下がりつつあるころですね。
この週は関西地区では30%を上回ったようですが、30%を上回ることは少なくなってきたころ。
音楽番組が成熟していく中で、ベストテンも「全盛期」は過ぎていましたね。

ドラマは、「おしん」が強し! この週の最高視聴率は52.1%❗️ 関東地区全世帯の2軒に1軒以上は見てた・・と。 
ちなみに、番組最高視聴率はこの年11月12日放送の62.9%。
この週の52.1%は、まだ、最高視聴率に向かう「賭場口」に過ぎなかったわけですね。さすがに社会現象になったドラマだけありまして。。。

2位はこの年の大河ドラマ「徳川家康」。
100号時(1981年)の「おんな太閤記」(豊臣秀吉が主人公)もそうだったけど、大河は「織田、豊臣、徳川」に勝るものなしっていうのが、よく分かるんだよな。
やっぱ、分かりやすいからなぁ。 来年も「松潤」で徳川家康やるらしいけど、どうなりますことやら。。。
いずれにしても、この年もNHKの朝ドラ、大河が他のドラマを圧倒した年になりましたわな。

バラエティ NHK「クイズ面白ゼミナール」が首位。
うーん、これって当時の視聴率ランクを常に見てなかった方にしてみると意外なのかなぁ。。。
個人的には、意外に感じたんだけども・・・。、日曜19:20〜と大河の前番組だったんだけども、次の大河の視聴率が良かったこともあって、つられて見てたって方も多かったんじゃないかなぁ。。。いわいるぶら下がり健康番組という。。。
その他では、やっぱり「欽ちゃん」が強かったんだよね。
当時の冠番組である「欽どこ」「欽ドン!」「週刊欽曜日」、いずれも20%越え。 視聴率100%男と言われていたのがこの頃ですね。 ちなみに「欽ドン」では、「良川先生」をギバちゃんがやってた頃。

〇そのほかの特集記事
この週はなぜか「ハンバーガーショップ」の特集。

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当時、巷に展開していたハンバーガーチェーン店の比較特集でしたね。
「マック」はさておき、「ウェンディーズ」「ロッテリア」「森永ラブ」「ファーストキッチン」「サンテオレ」・・と今では名前を聴かなくなったチェーン店が。。。。逆に「モス」は取り上げられていない。
当時すでにチェーン展開していたはずだけども、まだまだマイナーな存在だったわけですわ。


ちなみに、この200号の時、私は13才。中学2年。
いわきから千葉に越して来て丁度1年が過ぎ、千葉の生活にもだいぶ慣れてきたころだ。
めちゃくちゃラジオ小僧で、週末「6本」ものラジオのランキング番組にかじりついていたのもこの頃。
オリコンウイークリーの存在も既に知っていて、あちこち、本屋を探し回ったけど、なかなか見つからなくてね。。。
本当は、行きつけの「新星堂」においてあったんだけども、当時のオリコンってサイズがでかくて、ポスターのように丸めて売ってたのよ。 それわかんなくて、ずっと見逃してたんだよな。。。😅😅😅


前回の100号あたりは、ヤフオクでもなかなか出ないけど、この200号辺りは、比較的出品されますね。
この頃になると、オリコンも部数が大分増えていたんで、それだけ現在でも存在しているものと思われます。
ヤフオク、注意深く閲覧していれば落とせる確率は高いですね。 興味がある方はどうぞ。

写真の冊子は、ウチにあるやつだけども、実はワタシのではないんだよね。
以前、一緒に「オリコンチャート研究会」という自主サークルを組んでいた時にリーダーが所有していたもの。
リーダー、2000年に33歳の若さで早逝してしまったんだけども、その際、形見分けということで、通巻102号〜240号までを私が引き継いで、自宅に持ち帰ってきたもの。
なので、正確に言えば預かり品ということで。。。
まあ、そんな大事なものならば、もっとキレイに扱えよ・・・ってとこなのですが。。。😵😵😵😵








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