かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

そして、またアーティストの時代がやって来る。。。と思う

この間の「楽曲の時代とアーティストの時代」というトピックスの中で、今は楽曲の時代、2006〜2015年くらいはアーティストの時代と書いたんだけども、レコード会社的に見ると、アーティストの時代の方がやりやすいんだよね。

なぜかといえば、この間書いたようにアーティストの時代は固定ファンが強いんで、収益の見込みを立てやすい。固定ファンは楽曲クオリティに関わらず、どんな曲でも食いついてくれますから。

だから、逆に今のような楽曲の時代は、レコード会社は大変でしょうね。楽曲が売れる売れないは浮動票の動き次第なんで、収益見込みがなかなか立てられないところがあるだろうし。

楽曲の時代の「今」は、どんなに大ヒットが出たとしても次、ヒットするかどうかの保証が出来ない。
個人的には楽曲クオリティ重視なんで、現在のような楽曲の時代推しではあるんだけども、楽曲の時代のネックはそこだろうな。 いわいる「一発屋」的なヒトが増えるってことですね。
だから、レコード会社寄りの人にしてみれば、浮動票はいらない・・っていう意見が多くなるわけんだよね。

そういうわけで、今の状況を憂いているヒトもいるだろうし、恐らくこの先、そういう方たちの「逆襲」により、再びアーティストの時代が来るんだろうな・・と予想ができるんですよね。

今までずっとそうだったからね。
顕著だったのは 

・78〜79年のニューミュージックの時代⇒80年〜の80年代アイドル時代への変化

・90年代前半のカラオケ発のビッグヒット時代 ⇒90年代後半の小室やつんくによるプロデューサー発のヒットの時代への変化
あたりでしょうか。

 今度アーティストの時代になるとしたら、どういう形でそうなるのかは、よくわからないけど。。。
でも「楽曲の時代」と「アーティストの時代」は二律背反。これらの時代をグルグルらせん状に回転しているわけなんで、いずれまたアーティストの時代が来ることは間違いないハズ。。
いつから? と言われても困ってしまうけど。。。
ワタシが毎週ランキングを付けているのは、こういう変化にできるだけ早く気が付くためというのもありますね。

そしてアーティストの時代がまた来たら・・・。 
きっとワタシは、また過去曲に逃げるんだろう・・・な、 きっと。。。
そのために、今、シコシコと音源集めをしている・・とも言えなくもないわけで。。。

楽曲の時代とアーティストの時代

「関ジャム」2000〜2020年プロが選ぶ最強のベスト30
https://post.tv-asahi.co.jp/post-144778/?fbclid=IwAR233wfBneqnTa0LNjM1m8t3n5VI8t7O_ls5dXcCGOLaljYiOsWC7Acy9xc


もしかしたら、ここ読んで下さっている方にも見た方が多いかもしれないですが。
何分「濃い」プロの方たちが選ぶランキングなんで、当初は、かなりマニアックにランキングになると思っていたんですが、結果的には、意外と「まとも」なランキングだったな・・・と。


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番組当初、21〜30位の時点で、思ったよりもまともな曲が出てきたんで、このままだと、1位はSMAPの「世界に一つだけの花」かいな  と思いながらみてたんだけども1位はヒゲダンということで、
ヒゲダン推しのワタシにはうれしい結果ではあったんですが。。。

全体的に見て、売り上げ枚数重視よりも、音楽的にクオリティが高い楽曲中心だったというのは、さすがに現役バリバリの「プロ」が選んだだけあるなとは思う。
ただ、結果から見て、2000年〜2005年 と2015年以降に、見事に偏ったよなぁ。

こう見ると、2000年代って2006年〜2015年くらいの時代って「音楽的」に見て素敵な曲が少なかったんだな・・というのは、これを見ても実感できるし、個人的にも納得。


それじゃ、2006年〜2015年くらいの時代ってどういう時代だったか・・といえば、2006年に倖田來未女史がシングル毎週リリースなんていう無茶ぶりを発揮したり、EXILEなどのエイベックス勢が元気だったり、 その後にAKBクループが出てきたり、西野カナが出てきたり、大まかに見ると「アーティスト」の時代だったんじゃないかと思う。
楽曲クオリティよりもアーティストパワーの方が重視された時代ですわな。

逆に2000年〜2005年(特に2003〜2004年にかけて) あるいは、2015年以降現在までは「楽曲の時代」ではないのかと思うんだよね。
なぜこう言えるか・・・ 「楽曲の時代」というのは、ロングセラーが多くなる傾向が昔からあるのよ。
これは、楽曲のクオリティの高さにより、そのアーティストの固定ファン以外のいわいる浮動票も噛むからですね。
浮動票と言うのは、得てして固定ファンよりも動きが遅いので全体的なヒットの流れから見るとロングヒットになりやすい。
2018年以降、現在にかけてもゴリゴリのロングヒットの時代だし、2000年初頭、特に2003年〜2004年にかけてもロングヒットが多かったですからね。

逆に「アーティストの時代」は、固定ファンが強い時代なので、瞬発的には爆発的な売れ方を見せるけれど短命なヒットになりやすい。
2009〜2015年頃にかけてのワタシのランキングでの猫の目のように毎週動きが激しかったころのチャートを思い出してもらえれば一目瞭然ですわな。

そういう観点から見ると、結局、アーティストの時代っていうのは、後々になって印象に残る曲が少ないってことなんだろうな・・っていうのが、今回の結果から見ても分かるな。
恐らく、90年代で同じ企画をやっても同じような結果が出るんじゃないのかな。


ちなみに、このブログの1コーナーである「1曲セレクト」って、いわいる過去のヒット曲を書いてるわけなんだけども、書き始めたのが2005年。
なぜ2005年当時に「過去のヒット曲」について書き始めたのか・・というと、つまりさ、2005年時点での「今」の曲に積極的に聴きたいと思える素敵な曲が少なくなってきていたんで、「過去曲」に逃げた・・とも言えるわけよ。
2005年時点では、「今」の曲よりも過去の曲の方が素敵に思えたからさ。

逆に、最近「1曲セレクト」を書く頻度が低くなってきたのは、確かにこれまで大分書いてきて書こうと思える曲が少なくなってきたからというのが、一番の理由ではあるんだけども、「今」の曲が、クオリティの高い素敵な曲が多くなってきたんで、「過去」に逃げなくても良くなってきたから・・・とも言えるんだよね。

今回の結果から見ても、今は音楽的にクオリティが高い曲の時代って言えると思うしさ、J-POPって。 
最近、80年代とか過去の曲好きな「若者」が増えてきているけど、もっと今の時代の曲を誇ってもいいとも思うんだよなぁ。

若者世代からすると「うっせぇわ」、だろうけど。。。

KID / 田原俊彦

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今回の1曲セレクトは、「KID」田原俊彦です。

まずはデータでする。

・タイトル    KID
・アーティスト  田原俊彦
・作詞      阿久悠
・作曲      井上ヨシマサ
・編曲      清水信之
・リリース日   1987年1月21日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   6.5万枚
・THEHITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1987年2月2日〜2月16日付

昨夜、NHKBSプレミアムで放送された「田原俊彦“還暦前夜!”スぺシャルワンマンライブ」、なかなか良かった。
90分にわたって、久しぶりにデビュー曲「哀愁でいと」からの数々のヒット曲を聴けたし。 なにより、今日2月28日で、トシも60才になったんですねぇ。
デビュー当時から「赤」が似合っていたトシではあるけど、まさか、「赤いちゃんちゃんこ」を着る年齢になってしまうとは・・・。
デビュー当時のトシから思うと、全く想像がつかなかったよなぁ。
BUT、昨日のライブでは、そんな年齢−還暦−には、全く思えないような「踊り」を披露。
「哀愁でいと」のサビ前の♪I SAY〜!♪の足上げポーズや、「原宿キッス」の、♪一度お願いしたい〜♪の開脚もみごとでしたね。
ま、確かに本人自ら指摘していたように、ターンのスピードとか、踊りの「切れ」は、20代のピーク時に比べると少し落ちていたように思えたけど。。。でも60才でここまで踊れるのは、素直にスゴイと思いましたわ。

・・・ということで、トシちゃん還暦〜60才〜を記念して、今回の1曲セレクトはトシちゃんの曲を持ってきたい。。。

・・・と意気込んだものの、さっすがに、トシの曲・・・特に今頃の時期にヒットしていた曲は、すでに大体、書いちゃったんだよな・・・・

・・・と言い訳しようかと思っていたら、1曲ありましたわ、まだ書いてない曲が。。。

「KID」 

1987年1月にリリースされ、今の時期にかけてヒットしていたこの曲、覚えてられる方、どのくらいいらっしゃるでしょうねぇ。

ま、当時、トシちゃんファンであった方には、常識的な曲ではあると思いますが、トシちゃんファン
以外の方は、すでに死角に入られている方も多いかもなぁ。

前年から4作続けて、阿久悠氏作詞、プロデュースのもと、アイドルから脱皮、大人のアーティストへのアプローチを試みたプロジェクトの最後の曲、それがこの曲になるわけですね。

デビュー7年目を迎え、アイドルから大人のアーティストへの脱皮と言うこの試みは、今となっては理解できるけど、当時は、今一つピンとこなかったな。

理解しようと思う前に、ヒット規模が以前にもまして縮小していたし、なにより、86年当時のおニャン子旋風の前に、今一つ時代との折り合いがついていないようにも映っていたんだよね。

もしかすると、このままトシちゃんはフェイドアウトしていくのかもしれない。。。なんて感じてたなぁ。

そんな中でのこの「KID」のリリース。

通常だったら、このまま引っかからなかった今間通り過ぎていたのかもしれないけど、どういうわけか、この曲にはひっかかった。

なんでなんだろう?・・・ってところなんだけど、 やっぱりジャニーズでの盟友、まっち先生と久々にヒット時期が重なったっていうのも大きかったんだろうね。

そそそ、まっち先生の「愚か者」のリリースが1987年1月1日。しかも、まっち先生にとっても久々の大ヒットだったからさ。これは、トシも一つ、久々に大ヒットで、まっち先生とのヒットチャート上の共演を・・と言う気分になった様に思いますね。

まあ、それ以前に、この曲の音の分厚さ、音圧のすごさ、ただ疾走感あふれる曲調だけに、重すぎない独特な重量感についつい耳が行っちゃったんだよな。

トシの曲って、ここまで音が厚くて音圧が凄い曲、それまでのシングルではあんまり感じたことなかったからさあ。 
イントロ最初のファンクベースに続いて、ブラス隊の分厚い音の運び。 これにやらちゃったところもあるな。
ま、当時、個人的にもブラスをやっていたこともあってブラスには耳が行っちゃってたところはあるけど、ここまでの分厚いブラスは、少なくともアイドルソングではあんまりないしね。

あ、ダークなラテン風なイントロの流れにも引っかかったと思う。
作曲の井上ヨシマサ氏による、ダークで小悪魔的、かつ音圧の高いイントロ、サウンドというと、個人的には、どうしても、91年のミポリンの「Rose」を思い浮かべてしまうんだけども、そこに至るまでの最初の曲と位置付けてもいいんじゃないのかなぁ・・なんても思ったり。


確かに82年の「原宿キッス」のイントロでの分厚いファンクベースなど局所的には音圧を感じた曲がそれまでもあったことはあった。

けど、ここまで曲全般にわたって音が厚い曲って、それまで無かった・・に少なくとも当時の時点では感じたんだよね。


兎も角、この頃になると、おニャン子のお気楽な曲調に個人的には辟易していて、もっと刺激のある曲を聴きたい・・そういう気分になっていたんだよね。
そこに持ってきて、この曲のような刺激のある分厚い曲が来たわけでさ。 引っかかったのも当然だったかもしれないな。





ちなみに、この曲って、作曲者 井上ヨシマサ氏による、曲、アレンジ同じ、歌詞違いの別曲が存在するんだよね。

↓ コレ 「赤と金のツイスト」



リリースは、この「赤と金のツイスト」の方が1か月後だけど、楽曲作成はこちらの方が早かったため、「赤と金のツイスト」の方がオリジナルだそうですわ

なんてかいてるワタシも、今回、初めてこの曲の存在を知ったんだけども。。。。

ちなみに、著作権上は「赤と金のツイスト」と「KID」は別曲扱いIになってる
(「赤と金の〜」作詞者の川村真澄女史、「KID」作詞者の阿久悠氏いずれもJASRAC会員なんで著作権使用料分配のために別曲扱いになっているんじゃないかな)けど、楽曲管理はいずれもジャニーズ事務所になってたりして。。。ちょっと変わったパターンの曲ですな。

それにしても、井上ヨシマサ氏も長いですね。 未だにAKBグループなどに曲を書かれているし。。。



ところでさ、1986年あれだけ全盛を誇っていた、おニャン子関係も、年が明けて1987年になると、やや求心力が落ちて来てたんだよね。

まあ、今考えると、時代の流れなんだけどさ。
そんなタイミングで、今回のトシちゃんの「KID」をはじめ、まっち先生の「愚か者」とか、明菜さんの「TANGO NOIR」、キョンキョンの「水のルージュ」とか、マイナー系ではあるけど音圧が高い、おニャン子とは毛色が違う、対極的な曲が相次いでリリースされて来てたじゃん。 

今考えると、おニャン子の他の陣営も仕掛けて来ていたんだな・・というのがよくわかるんだけども、当時は、そこまでは見えてなかったんだよね。

まあ確かに1987年っていう年はレコード売り上げは底だったんだけど、これはあくまでシングルCD化が遅れた代償であってさ、今になってみると、次のステップへの「種」は確実に蒔かれていたんだな・・っていうのが分かりますね。

そういう意味もこめて、1987年の曲については、今一度見直してみようかなぁ・・なんて思っているんですよね、個人的には。


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ぶりっ子Rock'n Roll /紅麗威甦

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今回の1曲セレクトは、「ぶりっ子Rock'n Roll」紅麗威甦です。

まずはデータでするぅ〜。

・タイトル   ぶりっ子Rock'n Roll
・アーティスト    紅麗威甦
・作詞     翔
・作曲     翔
・編曲     T.C.R.横浜銀蠅.R.S      若草恵
・リリース日  1982年1月20日
・発売元    コロムビア
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  16.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1982年2月22日〜3月1日付

Adoの「うっせぇわ」。ワタシのランクでも1位を取っちゃったりして、ヒット曲と言う意味ではホントにホンモノになっちゃったなあ。
この曲は、表向きの顔と、ウラの顔と二面性について歌われているわけじゃん。 よく言えば「ホンネ」と「タテマエ」というかさ。
まあ、だれでも持ち合わせてるといえば、そうなんだろうね。だから、これだけ広く共感を持たれて刺さった方が多いんだろうなぁ。

でもさ、今からしてみれば80年代に見られた「ぶりっ子」っていうのも、もしかすると、そんなホンネとタテマエとしての表現の一つだったんだろうね・・・とトートツに書いちゃったりして。。。

・・・なんて今回引っ張ってきた曲の「前フリ」だったりして。。。

はい、今回引っ張ってきた曲は、紅麗威甦「ぶりっ子Rock'n Roll」。

紅麗威甦としてのデビュー曲ですね。

その前に紅麗威甦  だれじゃい、一体・・・。

なんて方は、ここ読みに来てる方には、・・・居ないですかね〜。

1980年代前半 時代を味方に一世を風靡した「横浜銀蝿」の弟分としてデビューした「バンド」ですね。
今や、性格俳優としてNHKの大河ドラマにまで出演してしまうような大物になった、杉本哲太氏がボーカル、ギターだったあのバンドですわね。

横浜銀蝿の弟分ということで、当たり前のように「ツッパリリーゼント」に黒の革ジャンという、いでたち。しかも全員、当時高校生・・・だったのかな? 杉本氏の最終学歴は中退になっているけど、この当時は・・・。

同じく横浜銀蝿の弟分として、このすぐ後に、嶋大輔氏がソロデビューをすることになるわけだけど、同期のような存在でしたよね。

あの頃、リーゼントに、ドカンに、短ラン、長ランの、トッポそうな、見た目にツッパリの方ですよね・・・と分かるお兄さん、お姉さん、いっぱいいたよなぁ。

いや、正確には、この曲がリリースされた頃は、個人的には、まだ福島にいたんで、身近にはこのような「いでたち」の方たちは居なかった。 なんせ、中学生は男子は強制的に全員「坊主」だったんで、リーゼントなんて考えられなかったから。。

でもさ、すぐ後に千葉に引っ越して来たら、強制「坊主」ではなかったんで、居ましたねぇ、うちらの中学校にもツッパリファッションの方々が。。
特に、うちらの中学校と、俳優・石丸幹二氏が卒業した隣の中学校は、共にマンモス校で荒れてましたからねぇ。 まるで金八先生第2シリーズの「荒屋二中」みたいな感じで、しょっちゅうガラスが割られたり、トイレの個室に仕切りが無かったり、警察が介入してきたり・・・という感じで。。。

いずれにしても、そういう中学校だったんで、見た目この「紅麗威甦」のようなチリチリリーゼントのお兄さんや、長ーいスカートひきずったお姉さんがいっぱいいたわけよ。

ワタシゃ、平和だった福島からそういう環境にいきなり放り込まれたんで、ある意味カルチャーショックだったよなぁ。。。


あー、話がすれてきた。

そんな「紅麗威甦」のメンバーのなかでも、個人的には杉本哲太氏って怖かったんだよなぁ。
このヒト、当時は目が笑ってなかったからさ。
例えば嶋大輔氏なんかは、確かに喧嘩させたら強そうだよなぁとは感じたけど、意外と優しい目をしてたりするんだよ。

ツッパリのファンシイ化。 「歌謡界 一発屋伝説」で著者の宝泉薫氏は、当時のツッパリのフッション化をそう例えているけど、嶋大輔氏なんかは、まさにそんな感じだったんだよね。

でもさ、杉本哲太氏はちょっと違ったような印象があったんだよなぁ。このヒト、怒らせたらマジでヤバイ様な雰囲気があったのよ。
下手するとマッポ(警察)の「お世話」になってもおかしくなかったような。。。

だから、40年後の今、「相棒」シリーズで警察官僚役をやってる杉本氏を見てると、隔世を感じるよなぁ。

でもまあ、中学校の時ことを振り返ると、そんなツッパリファッションのお兄さん、お姉さんたちって、実際接してみると、見た目に反していいやつが多かったんだよ。
まあ、ワタシの周りでは偶然にもそうだったのかもしれないけど、でも、当時、めっちゃ強面でヤンチャしてた方で、今やいいオッちゃんやオバチャンになってる人って、結構多いじゃん。

それを考えると、杉本哲太氏も、同じなのかもなぁ。。。 若気の至りってやつでさ。



だけんどさあ、この曲にしたって若気の至り感、満載だよなぁ。
なんすか ♪ブリブリ ブリッ子ROCK'N ROLL〜 ♪っていう出だしは・・・
今となっては、ほとんどギャグでしかないような曲だったりもするんだけども。。。 

いやいや、個人的には当時からして、ほとんどギャグにしか思えなかったんだけども。。。

・・というか、少し前の銀蠅の「ツッパリHigh School Rock'n Roll(試験編)からして、ギャグだったりしたからなぁ。 この曲はその延長のように感じたし。

それ以上に「歌謡曲」だよね、この曲は。たしかに表面的な形式はロックンロールではあるけども。

若草恵氏という歌謡ポップスの王道のアレンジャーが絡んできていたわけで、そうなるのも必然なんだろうけどね。

若草恵と銀蠅というと、前年、西城秀樹氏に贈った「セクシーガール」のアレンジが若草氏だった関係もあり、そこからの流れなんだろうけど、なぜこの曲で若草氏だったのかと言うのは、ちょっと理解が難しいんだよな。

銀蠅ってストレートな3コードのロックンロールがバイクでぶっ飛ばしているような疾走感があってサイコーっていうところから、族の連中を中心に、ツッパリの方々とかに受けて出てきた人たちじゃん。

それから見ると81年の「羯徒毘薫'狼琉」なんてのは、サイコーな1曲だと思うんだけどさ。

でも、そういうストレートな3コードのロックンロール一本やりでは、この後きつくなるのはわかり切っていたわけでさ。
それとツッパリお兄さん、お姉さんたちだけではなく、一般のお客さんを取り込むには、ある程度の歌謡曲化もやむなしと考えていたのかもしれないけど。。。。

ただ、杉本氏なんて、当時はこの曲どう思って歌ってんだろ?  ・・・・なんて、思えてしょうがないんだよな。
「やってらんねぇよ」とは思わなかったのかねぇ・・とかさ。 まあ、それ以上に銀蠅の嵐さんや、事務所社長の大坂氏がおっかない存在だったんだろうけどね。

それにしても、それまで、ツッパリって硬派だと思ってたところがあるのよ、個人的には。
族って組織的なタテ社会なところから硬派っていうイメージが強かったし。でも、「ツッパリHigh School Rock'n Roll(試験編)」につづく、この曲をみると、どうしてもナンパなイメージしか出て来なかったんだよな。
まあ、この曲あたりの時点では、まだ銀蠅一家のツッパリイメージに嘘臭さまでは感じてなかったけどさ。
でも、この年1982年の年末ごろになってくると、だんだん嘘臭さを感じたりしてね。 それとともに銀蠅一家の人気も急激に衰えていくんだけど。。。


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自主チャート開始30年!

書こう書こうと思ってたのに忙しさにかまけて書けないでいたんだけども、今年は自分のランキングを作り始めて、丁度30年なんですよね。作り始めたのが1991年1月なんで。

ごくごく一部の方には「かじやんチャート」と言われているアレなんですが。。。

このサイトのプロフィールにもちょろっと書いてあるんだけども、「ザ・ベストテン」が終了して1年。 その間、大学入学など環境の変化もあり、一時ヒットチャート熱が下がっていた。
でも、1990年9月に自主サークル「オリコンチャート研究会」結成をきっかけに、再度ヒットチャート熱が復活。
自主的にランキング作るのも面白いというところから、「もし、今もザ・ベストテンが続いていたら」という仮定でシミュレーション的に初めて作ったのが、今でも自分のランクに残る1991年1月14日付ですね。

「ザ・ベストテン」のランクの算出方法。
まあ、今ではネットを調べればいくらでも出てくるんだけども、あの頃はまだネットもなかったわけで。。
ただ、1986年のオリコンウイークリーの読者投稿ページに「ベストテンの得点の出し方」を投稿している人がいたのを覚えていたんで、それを参考に作ったんだよな。

いわいる、レコード・有線・ラジオチャート・はがきリクエストの4要素なんだけども、あの頃はオリコンウイークリーに有線チャートも、ラジオリクエストチャートも掲載されていたんで、オリコンウイークリー1冊と、「ベストテンの得点の出し方」さえ知ってれば、誰でも「仮想 ザ・ベストテン」を作れたんですよ。
もちろん、ハガキリクエストは出せないんで、この分の要素配点を、レコード売り上げ、有線、ラジオに均等割りで振り分けて3要素で作ったんだけども。。。
後は自主的にチャートを作る気があるかないかの違いなだけで。。

最初はあくまでシミュレーションで作ったんだけども、これがサークルの仲間内では評判が良くて、それから毎週作り始めることになったわけですわ。

1991年の今頃って、小田和正「ラブストーリーは突然に」や、夏にチャゲアスの「SAY YES」などのビックヒットが相次ぎ、特に「SAY YES」はオリコンで13週連続1位だったじゃん。 
もし「ザ・ベストテン」が今でも続いていたら、「ルビーの指環」の12週連続1位を更新できたか・・・というのが一時的に話題になったりもしたんだよね。そんな折にベストテン方式でつくっていた自分のランクは参考になったし、ちょうどそういう時流でもあっただよな。

この春番組が終了となるTBSの「CDTVサタデー」の前身番組「
COUNT DOWN100」がスタートしたのが1992年秋。
「ザ・ベストテン」終了以後、復活したランキング番組でもあったわけだけども、そんな当時の時流に乗ったからこそ出てきた番組なんだよね。

 
あー、話がずれた。
で、程なくして、国会図書館に1976年以降の「コンフィデンス」があるのを思い出して、これまた「シミュレーション」として本家・ベストテンが始まる以前の「ザ・ベストテン」を作ってみたら・・ということで、国会図書館通いが始まったりね。。

当初はあくまで「ベストテンが始まる以前の・・・」ということで始めたんだけども、自分のランクは「本家・ベストテン」とは要素と得点配分が異なるんで、これでは後々単純比較ができないな・・ということで、1978年以降も自分の要素で作り続けることにして、現在の形が出来たわけです。
(1990年以前の「過去」チャートと「現在」のチャートが繋がったのが1997年末だったと思う。大学卒業後も仕事の合間をみつけて国会図書館に通ってたんだよね。大分頻度は落ちたけど。。。 あの頃はまだPCもなかったんで集計はひたすら手作業というアナログ的作業だったんで、結局1976年以降のランクを作るのに足掛け7年かかりました)

以降、それまで自主サークル内だけで公開していたランクを2000年に件のサイトを作って一般公開を開始し、現在に至るまで毎週、ジミーにコツコツ作り続けてきたわけですわ。。。

まあ、当時は大学生で時間がいくらでもあっんたんで出来たことでしょうね。 
もし、1990年に「オリコンチャート研究会」なる自主サークルを結成しなかったら、併せて当時大学生で無かったら、恐らくこういう発想はしなかったんじゃないかなと思う。
いや、発想はしたかもしれないけど行動しないだろうな。めんどくさくて。
まだ、行動力があったあの頃だったから出来たことで。併せてサークルメンバーとの出会いが大きかった。
人生一期一会、これは、自分のチャートを通じて痛感したことですね。

P.S
昔、某C社にいたころ、当時のボスから、「なんでこんな膨大なデータコンテンツ持ってるのにビジネスにしないの? 俺だったらビジネスにするけどな」と言われたことがある。あの時は返答に窮して答えなかったんだけども、今考えてみると事業化に明るい意気投合できるパートナーと出会わなかったから・・と言うだけだったかもしれないな。私はそちら方面にはトンと疎いので、一人で事業化することはできない。
もし、経営化とか、事業化に明るい人に出会っていたら、もしかすると事業化に動いていたかもしれないけど。。。
でも、事業化せずに好き勝手にやってきたので30年も続けて来れたとも言えるんですけどね。。

Good-bye My Loneliness / ZARD

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今回の1曲セレクトは、「Good-bye My Loneliness」ZARDです。

まずはデータです。

・タイトル   Good-bye My Loneliness
・アーティスト ZARD
・作詞     坂井泉水
・作曲     織田哲郎
・編曲     明石昌夫
・リリース日  1991年2月10日
・発売元    ポリドール
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数  21.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「結婚の理想と現実」主題歌
       クラリオンレーザーカラオケCM曲

先ほどラジオを聴いてたら「今日はZARDデビュー30周年」なんて出て来て、思わず不意を打たれた。
1991年2月10日デビュー
そうだぁ、そうだったぁ。そんなことは全く意識の外だったぁ。 

たしかにね、1981年から40年、2001年から20年ということは意識してたんだよね。 この「1曲セレクト」のネタになりそうな予感がしてたんで。。。

でも、1991年から30年というのは、ほとんど意識の外だった。

いや、実は1991年の今の時期にヒットしてた別の曲を2曲ほど頭の隅にはおいていたんだけども、この曲は、全く意識の外だった。 いやいや不覚だったなぁ。。


なんて、今は亡き坂井泉水さんへのお詫びのしるし・・・・ということで、今回の1曲セレクトは、このZARDのデビュー曲を持ってきましょうか。


Good-bye My Loneliness

1991年の今頃だったか、もう少し後だったか、この曲はよく耳にしてたんですよ。

いや、CDを聴いてたわけじゃない。 テレビのCMでよく耳にしてたんだよね。

↑のタイアップには、第1にフジテレビのドラマ「結婚の理想と現実」主題歌と書いたんだけども、個人的にはこのドラマは見てなかった・・・ような気がする。

それよりもクラリオンのCMでこの曲、よく耳にしてたんですよ。

あの当時、まあ、よく流れてましたよね、CM。

実際に比較したわけではないけど、夜中のカメリアダイヤモンドと、このクラリオンのカラオケのCMは双璧・・・って思えるほどよく聴いた記憶があるなぁ。

でさ、あの頃は、まだZARDって何者なのかよくわかってなかったんですよ。 そもそもテレビには出なかったし。

私ねぇ、クラリオンのCMで、マイクもってこの曲を歌ってた(? 口パクだったよな・・・)、大河内志保さんをZARDだとばっかり思ってたの

そう思ってたの、ワタシくらいか・・と思ってたんだけども、ネット調べてみると同じように思ってた方、他にも結構いらっしゃるようですね 

ただね、曲としては妙に引っかかったな。

・・というか、どうも、この頃の「ガールズポップ」な曲って、一時的に区別がつかなくなってきてたんだよね。

個人的にはこの曲と、同時期にスマッシュヒットしてた平松愛理さんの「素敵なルネッサンス」とかね。

いや、たしかに全然違うんですよ曲調は。 違うんだけど、なぜかごっちゃになってたんだよな。

うーん、イメージなのかなぁ。  

このころは今ほど、音源聴き込んでなかったですからねぇ。 

そうそう、この頃音源手に入れるの苦労してたんだ。 
このころ、近くのレンタルビデオ兼CD屋からCDを借りてカセットに落としてたんだけども、シングルCDの入荷が悪くてさあ。めぼしいシングルは、いつも貸し出し中になってたんですよ。だから気になる曲をなかなか借りることが出来なくてさ。。。

そんなこともあって、この当時の曲っていまだに、あんまり聴き込んでないんだよね、実をいうと。

さすがに、今はこの「Good-bye My Loneliness」と平松愛理さんの「素敵なルネッサンス」の区別は付きますけど。。。

でも、「Good-bye My Loneliness」や「素敵なルネッサンス」もそうだったけど、丁度この頃はガールズポップが元気になり始めてた頃ですねぇ。

他にも永井真理子さん、辛島美登里さんなどが元気でしたしね。 
革新的に新しい音楽ではなかったんだけども、明らかに80年代とは違う香りがするポップスという印象を受けましたね。

個人的には、あ、時代が動いてきたな、90年代に入ったんだな・・という感覚はあったな。

もっとも、1991年といえば、ちょうど今頃は、「東京ラブストーリー」主題歌の小田和正氏「ラブ・ストーリーは突然に」が超バカ売れしてたし、 夏には「101回目のプロポーズ」主題歌のチャゲアス「SAY YES」と、フジの月9主題歌の超ド級ヒットに湧いた年だった。 そんなブームの陰に隠れてしまっている感があるけど、ガールズポップと言うムーブメントも確実に流れ出していた年でもあるんだよね。

ただそういうムーブメントが流れ出していたものの、まだ確実に「実」をつけていたわけではないんだけどね。

たしかにこの「Good-bye My Loneliness」ではオリコン最高9位とデビュー曲としては申し分ないヒットと言えなくもないけど、その後の大ブレイクからみると、まだまだ物足りなさを感じるわけでさ。

ZARDが「眠れない夜を抱いて」で、平松愛理さんが「部屋とYシャツと私」で共に大ブレイクするまでは、この時点から、まだ1年余り待たなくてはいけないわけで。。。。





うわっ、今聴くと、なんか新鮮。
・・というのも、じつは、ワタシ、この曲の音源未だに持ってないんですわ

↑で書いたように、ヒット当時、なかなかCD借りられないでいて、ずっとそのままになっちゃっているんだよな、30年も。。

たとえば、今だったらサブスクリプションでいつでも聴けるようになったわけなんだけども、どうも、いつでも聴ける、音源が手に入るようになると、逆に、いつでもいいや・・・っていう気になっちゃったりしてね。 ・・・で、30年が過ぎた・・と。

今、改めて聴くと、イントロがポリスの「見つめていたい(Every Breath You Take)」だな・・・・とか、新たな発見があったりしてね。
・・・というか、ネット調べると、タイアップドラマのプロデューサーであった亀山千広氏の要望でこうなったという確信犯だったようですね。


坂井さんのボーカルも、まだまだ初々しい。
坂井さんのボーカルは、その後もずっと変わらない・・・っていう認識でいたけど、それでも、後年の堂が入ったボーカルとは明らかに違うな。
ただ、コーラスで参加していたという、大黒摩季、姐さんは、よくわかんなかったですね。

なにより1993年頃には辟易していたビーイング系のサウンドも、この頃はまだ新鮮でしたねぇ。

2007年に40歳という若さで亡くなった坂井泉水さん。もし今も生きていれば、つい先日54歳になったばかりだったはず。。。。。



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音楽評論は娯楽でなくちゃいけないのですヨ


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筒美京平氏の追悼特集ということで、「MUSIC MAGAZINE 12月号」を購入してペラペラ読んでたら、近田春夫氏の連載コラムが。。。

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うーむ、この間文春の「考えるヒット」の連載を止めたと思ったらこっちに書いてたのね。
しかるにこのコラム読みやすい。考えるヒットの文体とは大分違って、かなりぶっちゃけてますね。昔、ポパイに連載されていた「気分は歌謡曲」に近い。
これこれ、これよ。近田氏はこうじゃなくちゃ。
この号のお題は「音楽評論は娯楽として魅力があるのだ」。
その通りよ。 近田氏曰く、最近の音楽評論はジミすぎると指摘。いいなぁ、この切り口。 ワタシもそう思いますよ。 マジメだし、硬いんだよね、わたしもいつも言うじゃん、最近は左脳を使わせられる文章が多いって。エンターテイメント(娯楽)じゃなくて一種の論文なのよ。どうしてなんだろうね。
砕けた文章だと、批評が多いのかしらん? 最近はちょっと砕けるとすぐ文句言う人がいるからなぁ。


ちなみに、近田氏の自伝「調子が悪くてあたりまえ」も購入したんだけども。これも読みやすい。 まだ生誕からハルヲフォン結成当たり。全体の1/3程しか読んでないけど、読み始めると止まらなくなりますね。
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それにしても、筒美京平氏の「いい曲と売れる曲は違うのよ」というのはやっぱり名言だと思う。
ワタシは、筒美氏の同様、売れる曲を追いかけていきたい。
いい曲を追求するのも大事かもしれないけど、商業音楽である以上、売れることが第一だと思うわけで。
最近のアーティストはこの意識が希薄なんですよね。何を差し置いてもいい曲を追求する人が大半だと思う。
まあ、それが自作自演アーティストの性であるわけで、それを否定はできないんだけども。
売れる曲を追求したいワタシなんかにとってはやっぱり寂しい傾向ですね。

【キニナル曲】2992 / millennium parade


2021年2月_THE MILLENNIUM PARADE


今回の「キニナル曲」はこれだ

・作品タイトル   2992
・アーティスト   millennium parade
・作詞       ermhoi
・作曲       Daiki Tsuneta
・リリース日   2021年2月10日(デジタル配信 2021年1月8日)
アルバム「THE MILLENNIUM PARADE」より
・発売元     アリオラジャパン
・タイアップ:NHKスペシャル「2030 未来への分岐点」テーマ曲

先々週のSpotify Release Radar聴いていて、これは凄いと思ってたmillennium paradeの曲。タイトルを控え忘れていて、どの曲だかわからなくなっていたんだけど、たまたま、さきほどNHKスペシャル「2030 未来への分岐点」の再放送を見ていて、「これだ‼」と改めて分かった。

millennium parade「2992」。
NHKスペシャル「2030 未来への分岐点」テーマ曲。
ハードなバンドサウンドと生楽器によるオーケストレーションとの融合。 
たしかに昔、X JAPANのYOSHIKIもやっていた形態ではあるけど、この曲はあのようなメロウな響きではない。もっとハードだ。電気楽器と生楽器によるオーケストレーションのハードなせめぎあいが今までありそうでなかった響きを醸し出してくれてる。それが新しい。
さすがは東京芸大出身(中退のようだが)の常田だけのことはあると思う。
この番組が提言している、2100年地球環境クライシスの分岐点と言われる2030年問題に向けての警鐘をよく表現している。

それにしても、今この番組を見ていて、2100年地球環境クライシスのシミュレーションを見ているといささか怖くなりますね。
SDG'sと盛んに言われている今、これを否定する人も結構いるみたいだけど、地球環境持続化のためにも我々も今から出来ることをやっていかなくゃいけないんだよな・・と改めて気づかさせられるな。 少なくとも大学で生物多様性という柱の下、動物生態を専攻してきた一人としては。。。(←ワタシのことです。。。)


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化けてきました。

先月「キニナル曲」で書いた、Adoの「うっせえわ」。
この先、化けてくるかもしれないって書いたんだけども、その通り化けてきましたね。

現在Youtube再生回数5500万回。「キニナル曲」を書いた3週間前から3000万回上積み。
Spotifyバイラルチャート1位。オリコンストリーミングチャート、ダウンロードチャート共に1位、合算ランクも3位と、ついに総合でベスト3入りしてきた。

ここまで上がってきたのは、ここんところテレビ、ラジオなどの既存メディアで取り上げられる回数が増え、認知のすそ野が広がってきたのが大きいんだろうね。
「キニナル曲」で書いた時はYoutubeこそ再生回数上位にいたものの、ラジオチャートや有線では、まだ動きがなかったから。
ネットのパワーと言われて久しいけど、、なんやかんやいうても、中高年が主に支持するラジオ、テレビなど既存メディアにおける「マス」の力っていうのは、まだまだ侮れないんだろうね。
とはいっても、ネット中心の若者の力も侮れないわけで。
この曲だって、もともと火が付いたのは「若年層」からですからね。ネット上で。
ワタシが「キニナル曲」で取り上げた時に、Youtube再生回数は、すでに2800万回あったわけだから。

何が言いたいかって、「今」大ヒットを出そうというならば、若者のパワーだけ、中高年のパワーだけなどの世代間ギャップではだめで、広い世代、幅広い層に認知、支持されて初めて大ヒットが生まれるようになってきたんじゃないかってこと。
1990年以降は、ある世代〜まあ、主に若者世代だけど〜に支持されただけでも爆発的なヒットは生まれてきた。
でも、今は、ある世代にだけ、ある層だけに支持されたんではだめなんですよ。
まあ、70年代、80年代を考えると、それがデフォルトだったわけで、最近そういう傾向が復活してきたんじゃないかと。
これは、昨年の瑛人やLiSAを見ててもそうだったし、YOASOBIやNIZIUだってそうだよね。
というか、個人的には、一昨年あたりからのヒット曲の状況〜大ヒットに至るまでのプロセス〜を見てて、もしかするとそうなんじゃないか・・とはあたりをつけていたんだけども、この「うっせえわ」のヒットの仕方を見てて、確信を得られたような気がしますね。
で、昨今の大ヒットの傾向を見ると、いずれもロングヒットなんですね。 なぜそうなのかと言えば、若者⇒中高年と支持の裾野が広がるまで時間がかかるからに他ならないわけで。
つまりさ、この「うっせえわ」なんか見てると一目瞭然で、最初は若者から火が付いたわけじゃん、ネットで。
いつの時代もアクティブなのは若者世代というのは変わりないわけで、「流行」の発信基地は若者世代なのよね。
でも、そこから既存メディアに広がり、幅広い世代へ、幅広い層への認知、支持のすそ野が広がるにはどうしても時間を要すんですよ。だから見かけ上、ロングヒットになるわけなんだよね。
まあ、いいかえれば、そういう「ロングヒット」に耐えうる曲で無ければ「大ヒット」にはなるのは難しいともいえるけど。。

カメレオン・アーミー / ピンク・レディー

1979_01_カメレオンアーミー_ピンク・レディー


今回の1曲セレクトは、「カメレオン・アーミー」ピンク・レディーです。

まずはデータです。

・タイトル    カメレオン・アーミー
・アーティスト    ピンク・レディー 
・作詞     阿久悠
・作曲     都倉俊一
・編曲     都倉俊一
・リリース日  1978年12月5日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  70.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1978年12月18日〜1979年2月19日付

昨日、このブログのタイトル表記修正を行いまして。。
現在の表記は、例えばこの「1曲セレクト」の場合、タイトル表記は「作品タイトル / アーティスト名」で統一しているんですね。
これまでのアクセス解析をすると、どうも検索いただく方々もこの方が検索しやすいような動きが見えたので。
でも、初期の頃は「作品タイトル」のみだったんですよ、表記が。

ちょっと乱暴な表記だったのね。・・というのも、同名異曲っていうのがあるわけでさ。
例えば「卒業」なんてタイトルはいっぱいあるわけじゃないですか。 なので、まあ、書いた当時はだれの「卒業」なのかという事を覚えていても、時間が経っちゃうと、書いた本人でさえわかんなくなっちゃったりしてね

それは、そのまま、検索していただく方も感じる事と思いまして、現在の表記に統一すべく、タイトル表記を統一しました。

おかげで、昨日から今日にかけて、これまであんまり検索されてこなかった曲まで検索されてきているようで成功でした。  
これならもっと早くやっておくんだったな。。。


ただね、逆に、すでに書いていても全然おかしくない曲をまだ書いてない・・・なんてのも判明しちゃったりして。。。。

その中の1曲が、幸か不幸か、ちょうど、「今頃」のヒットだったもんで、引っ張ってきちゃいました

ピンク・レディー「カメレオン・アーミー」

じゃじ〜ん

60年代以降のヒット曲、これまで1600曲ほど書いたっちゅうのに、ピンク・レディーなんて、スーパースターの大ヒット曲をまだ書いてなかったとは。。。。。ぷぷぷぷ


この曲のリリースは、1978年12月。
ワタシが、ヒット曲の世界に足を踏み入れたのが1978年11月なんで、ヒット曲の世界に足を踏み入れた直後、まともに接した、最初のピンクレディーの曲がこの曲になる。

ま、もっともそれ以前の曲も、もちろん知ってましたよ。

さすがにピンク・レディーくらいのモンスター級スーパーアイドルともなると、いくら当時小学3年生でも、曲知らない方が「もぐり」だったわけじゃないですか。

ただ、知ってたとはいえ、学校でクラスの仲間外れにされないくらいに知っていただけで、きちんと聴いてたわけじゃない。

いつかもここで書いたように、ワタシゃ、ピンク・レディー派ではなく、キャンディーズ派だったんでさぁ。

あの当時、みーんなピンク・レディー踊ってたじゃないですか。 でも、ワタシは、興味無いから、外で見てた類なんだよね。 まあ、それ以前に運動音痴だったワタシにゃ、ピンク・レディーは踊れなかったんだけども。。。

あ、だから、キャンディーズ派だったっていうのが、もしかすると正解だったかもしれない

ま、いずれにしろ、ヒット曲としてキチンと聴いた、ピンク・レディーの最初の曲が、ワタシにとってはこの曲だったわけです。


イントロが「およげたいやきくん」のパクリだとか、いろいろいわれたこの曲ですが、ピンクレディーとして、まさか最後のオリコン1位獲得曲になるとはねぇ。。。
「ザ・ベストテン」でこの曲を聴いてた頃は、全くそんなことも考えては居なかったわけで。。。

ただ、いま、ヒット曲マニアとしてオリコンの売り上げ枚数を見るようになると人気下降は予想される動きではあったんだよね。
この曲の累積セールスは70.8万枚。 それでも当時のアイドルからすると高水準な売上げ枚数ではある。

でも、2曲前の「モンスター」が110万枚、3曲前の「サウスポー」が146万枚、4曲前の「UFO」が155万枚。。。

・・と当時の売り上げ枚数からするとそれこそモンスター級売り上げを立て続けに出していたところから見ると、この曲では急激に売り上げが下がってきていたわけでさ。

丁度1年前にリリースされた「UFO」から見ると半分以下ですからね。

まあ、今から考えると、ピンク・レディーのブームって、一種のバブルだったんでしょうね。
でなきゃ、あんな、気違いじみたブームはなかなか起こりませんよ。
そんなバブルが破裂する瞬間の曲・・・。それがこの「カメレオン・アーミー」だったんじゃないかな。
 
なにせ、この次の「ジパング」の売り上げが70万から27万枚に急落。オリコン1位獲得も途絶えるといった、バブル崩壊が起こったわけなんでね。

まあ、他にも、例えば、1978年の「レコード大賞」を受賞したことで、ピンク・レディーは昇華したとか、紅白に出演拒否したことで干されたとか、いろいろ言われたりしましたけどね。

でも、一番の要因は、曲の題材だったんじゃなかいんですかねぇ。 
いわいるネタ切れってやつですわ。

「カメレオンアーミー」ね〜。。。随分苦しんでんなぁ・・と。
今では、そんな風に感じたりするんだよね。
兎も角、
曲の題材としてはちょっと頭をひねりたくなる内容だったんだよなぁ。直感的にわかんないんですよ。そもそも、当時9歳の私には「アーミー」っていう意味が分かんなかったし。。。

 たしかに、ピンクレディーの場合、作詞者の阿久悠氏曰く、近くにありそうで、じつは「影」になっている言葉や風景を題材に、とにかく走れるところまで走ろう・・と言うところから始まったプロジェクトだったわけだけど、さすがに「カメレオン」っていうのはどうなの? って感じだったしなぁ。 それまでの「UFO」とか「サウスポー」に比べるとインパクトに欠けるというか。。
まあ、1曲前の「透明人間」なんてのは、いい題材だったと思うけどね。直感的にわかったじゃん。

それと、あまりにも子供相手という風になってしまったのも、どうなんだろう? ってところがあったしね。。
当初は、あの当時の他のアイドル同様、高校生や大学生をターゲットにしていたわけじゃん、ピンク・レディーも。 だから、適度なお色気があった。

でも想定外に「コドモ」に受けてしまったというのがピンク・レディーだったわけで・・・。
それとともに、急激に子供相手のようなプロモーションになっていくんだよね。
例えば、「ザ・ベストテン」とかでも、「モンスター」とか、この「カメレオン・アーミー」では、後ろで着ぐるみが踊ってたりさ。

当時は、まさにピンク・レディーの世代真っ只中の「おこちゃま」だったワタシは、あの着ぐるみを見て、かわいいなんて思ったことなくて、逆に「あ、ナメられてる」なんて思ったもんですよ。もっと大人扱いしてくれよ・・・と。

大人になると忘れちゃうけど、子供の感性って、大人以上に鋭いものなんだよね。
それとともに興味が移るのが速い。
79年になると、コドモの興味はピンク・レディーから、「銀河鉄道999」に急激にシフトしていく。

ピンク・レディーのパブル崩壊→失速の一番の要因はこれらにあったんじゃないのかなぁ・・・なんて今になって思うわけですわ。

ちなみに、ベストテンでは、この「カメレオン・アーミー」は最高4位止まり。 ピンク・レディー、ベストテンでは全然ダメだったんですよね。

調べてみると有線とハガキリクエストが弱わかったのね。

まあ、有線が弱いというは、アイドル特有の現象でそれほど珍しい事ではなかったけど、ハガキが弱い、そんなバカな。あんなに人気あったじゃん・・・って感じですよね。
でも、これは、ベストテンの当時の視聴者層を完全に物語っているんだよね。

 当時は高校、大学生がベストテン視聴者の中心だったんですよね。なんせ木曜21時〜っていう時間設定は、当時の小学生にはちょっと遅い時間帯だったわけです。
当時、小学3年、9歳だったワタシも、木曜以外は21時なんて言ったら寝る時間だったしね。
そそそ、ベストテンは親にねだりこんで特別に見させてもらっていたんだよね。
それが、普通だった当時としては、小学生、中学生のアイドルだったピンクレディーは、ベストテンでは全くだったわけですわ。

ベストテンでのチャートアクションと、実際のレコード売り上げの乖離。これがピンク・レディーの本来の姿であり、実はネックだったんだよね。
出し手側は、そこをちゃんと見るべきだったんですよ、本来は。

まあ、今となっては何とでもいえることだけど。。。






しっかし、「激務」がたたって、2人ともこのころが一番「ヤセテ」たらしいですよー。
 たしかに、たまーにVTRをみると、このころ、2人とも骨と皮だけって感じで、今見るとイタイタしいっす。。。
 それとは逆に、踊りの方は、この曲がもしかしたら、一番動いてたんではないかと思うほど、かなり激しかったですよね。

サビの部分 ♪見えつ隠れつ変幻自在 スパンコールのカメレオンアミー ♪ の部分とかさ。。

蛇足だけど、この曲と言うと、90年代に活動していた「オリコンチャート研究会」と言う自主サークルのリーダーだった松永さんを思い出す。
超ピンク・レディーフリークだった彼は、ピンク・レディーの他の曲はいつも完璧に踊っていたのに、この曲だけやりたがらなかったんだよね。
曰く「あんまり覚えてないから」と言ってたけど、本音は、この曲の踊りがきつくてあまり踊りたくなかったみたいだったなぁ。

ちなみに、この曲の踊りという部分では ↓の動画の方がよくわかるかな。
最近の動画だけど。。。






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