かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1998年

幸せな結末 / 大瀧詠一

1998_01_幸せな結末_大瀧詠一


今回の1曲セレクトは、「幸せな結末」大瀧詠一です。

まずはデータです。

・タイトル    幸せな結末
・アーティスト  大瀧詠一
・作詞      多幸福
・作曲      大瀧詠一
・編曲      井上鑑
・リリース日   1997年11月12日
・発売元     ソニーレコーズ
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   97.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1997年11月24日〜1998年1月26日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「ラブジェネレーション」主題歌

先日、佐野元春氏の「約束の橋」で、70年代、80年代の「大御所」アーティストのドラマ主題歌で取り上げられねがれは、この辺から下火になる ・・と感じで書いた。
まあ、確かに頻度としては、90年代頭から92年くらいまでに比べると落ちた印象が強いんだけどね。
実際は、それ以後も90年代後半まで続いたわけで。

その「とどめ」として出てきたのが、このヒトのこの曲だったんじゃないのかなぁ。

大瀧詠一「幸せな結末」

最後の「大物」として、やっとドラマの主題歌で出てきたか・・・なんて、思った方も多いんじゃないんですかねぇ。

wikipediaを見ると、当時の大物ドラマプロデューサー、亀山千広氏から、大瀧氏へなんども、依頼をしていたものの、ずっと断られ続けた ・・とあるんで、ずっと前からオファーはされていたようなんだけどね。

まあ、70代〜80年代にかけて、テレビには出なかったアーティストも含め、超大物アーティストが次々とドラマ主題歌に抜擢されていく中で、 大物中でもさらに大物である大瀧氏にオファーが行かないわけもないわけで。

でもまあ、大瀧氏も当初は断り続けていたようなんだけどね。亀山氏の粘り強い交渉と、その他諸事情が整い、ここに実現したわけでね。

当時、ドラマ主題歌に大瀧氏の「新曲」・・ということを知ったとき、正直、個人的には複雑な心境だったな。

まず、大瀧氏の「新曲」が聴けるということ。 なんせ、待って待って待ち続けてましたから。。。
この曲の前にリリースされたシングルは、1985年11月の「フィヨルドの少女」まで遡るわけで。

中学2年(1983年)のちょうど今頃、親友だった「お寺」の息子のI君に強制的に聴かされた「A LONG VACATION」のカセットを強制的に聴かさせた。

衝撃的だったのよ。  なんだ、この音楽は。その頃主に聴いていた「ヒットチャート系」とは全然違う。 あの頃自分の中で求めていた「音楽」がすべて詰め込まれていたような気がして。

強制的に聴かされたカセットを、今度は、ワタシから「強制的」に借りてダビングしたな。
丁度、AIWAの「ダブルカセット」ラジカセを購入したときで、カセットからカセットへダビングしたのが、「A LONG VACATION」。

依頼、ワタシゃ、大瀧フリークになったのよ。

当然「EACH TIME」のLPも、 85年の「フィヨルドの少女」のシングルも聴き倒したな。

当時のマスコミ的な流れだと、次のアルバムは88年、その次は91年・・か?  とか言われていたわけで。。

でも、88年も 91年も 何の音沙汰もなし。 そろそろと次のアルバムの準備期間か? などの質問にも、まだ「EACH TIME」の整理期間 などとはぐらかされるばっかりで、ニューアルバムどころか新曲の声も一向に出てこないし。。。

もう、大瀧氏の新曲は永遠に出ないかもしれない。。。 なんて諦めに変わったりして。

そのうち、90年代の新たなアーティストが台頭する中で、大瀧氏については、ほとんど忘れかけていたんだよね、ワタシも。


そんな折に、突然ふっと湧いてきた「新曲」の情報。
やっと来たか・・と思ったのは言うまでもなかったのよ。

・・と同時に、一体どういう曲になるんだろう? 90年代の「NEW」大瀧詠一氏を見せてくれるのか、という期待があった。

反面、「ロングバケーション」の焼き直しだったらやだな・・っていう不安もあった。
時に90年代も後半。 すっかり70年代、80年代の匂いも一掃されていた頃だったからさ。
ここに「ロングバケーション」が来られても、時代錯誤のような気もしたのよ。

で、曲を聴いて、その不安は的中したな。 まったく「ロングバケーション」の再現だったから。
これは、亀山氏の意向でもあった様なんだけど。。。

BUT、そんな個人的な見立てとはウラハラに、売り上げ97万枚と、大瀧氏のシングルとしては、ダントツの売り上げを記録。

そもそも、シングルでオリコンのベストテン入りしたのも、この曲が初めてだったし。。。

まあ、あの当時、飛ぶ鳥落とす勢いだったキムタク主演の「月9」の主題歌だったわけで、大ヒットは約束されていたわけなんだけども、それにしてもミリオンセラー近くの売り上げっていうのは、正直、個人的には複雑な気分だったな。

メディアミックスでCDが売れるっていうのは、決して悪いことではないと思ってたし、今でも思ってるんだけどね。
でも、これは、あくまでニューカマーアーティストがブレイクする。そのきっかけとしてのメディアミックスなら・・って思うのよ。個人的には。

果たして、大瀧氏ほどの大物が、ドラマの主題歌としてメディアミックスが必要だったのか・・・というのは、やっぱ引っかかっていたし、そういう曲が、いとも簡単にミリオン近くまで売れるっていうヒットの風潮にも引っかかった。

佐野元春氏が「約束の橋」の時に、「ドラマの主題歌になんないとみんな聴いてくれないのか?」と疑問を呈したコトバが、甦ってきたりして。。。

待望の新曲が聴けたのは、うれしかった。けども、そんな理由から、もろ手を挙げて賞賛は出来なかったんだよな。 以来、この曲を聴くと、いつもどこかに、何かが引っ掛かったような違和感を感じたりしてね。




↑で、なんだかんだ書いても、今となっては、1998年の今頃の曲って頭になっているのは自分の中でちゃんと昇華してるんだろうな。 1998年の今頃って当時の仕事でも色々ツライことが多かったのよ。そういう時期の曲って好き嫌い抜きにして、印象に残りますね。


ちなみに、この曲がヒットしていた、ちょうどこの頃、個人的にはインターネットを始めたんだよね。
1997年12月の暮れだったな。
年末年始休暇を利用して、自宅PCとネット回線を繋いだの覚えてるわ。
TCP/IPとか手動で設定しなきゃならないところかあって、接続するまで結構苦労したんだよな。
あの頃OSは、まだWindows95、回線はISDN、今みたいに常時接続は高くて個人では無理だったからダイヤルアップでしたね。 もちろんテレホーダイで。
日中は、直近のアクセスポイントまで3分10円の通信料がかかるから、接続は23時から翌日8時の通信料が一律になるテレホーダイタイム。
でも、考えることはみんな一緒で、23時になるとたちまち接続が重くなったりしてね。。。

仕事でネットを使うのを含めて、IT系の人たちに宵っ張りが多いのは、この頃のテレホーダイの慣習の名残だよなぁ。。。

いずれにしても、ネットに接続したことで、自分のサイトのランキング集計も、全部PC上で集計ができるようになったわけで。。今に続く環境が整った頃ですね。

それまでは、すべて紙媒体を利用して集計してたんで。。。。

でも、ネットにつないだことによって、あの当時の仕事を辞めようと思い始めたんだよな。


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タイミング / BLACK BISCUITS

1998_05_タイミング_ブラックビスケッツ



今回の1曲セレクトは、「タイミング」BLACK BISCUITSです。

まずはデータどえす。

・タイトル     タイミング
・アーティスト   BLACK BISCUITS
・作詞       森浩美、ブラック・ビスケッツ
・作詞       中西圭三、小西貴雄
・編曲       小西貴雄
・リリース日    1998年4月22日
・発売元      バウンシーレコーズ
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    148.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1998年5月4日〜7月13日付
・タイアップ:日本テレビ系「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」より


ゴールデンウイーク真っ最中ですな。
今年はカレンダーの並びで最大9連休・・ということで、9連休を満喫されている方も多いんぢゃないのかなぁ。。。
ワタシは・・・といえば、本来ならばカレンダー通りで、5/1、2は出勤だったんだけども、5/1は先月休日出勤した分の代休・・・ということで、前半3連休、5/3からの後半が5連休・・・

そんじゃ、5/2も有給とっちゃえばよかったのに・・・なんて思われる方も多いかもなぁ・・。

どうも「平日に休むのは悪」っていう・・・年代的なもんもあってか、いまだに平日休むのは気が引ける。。。。

そもそも、ゴールデンウイーク、カレンダー通りに休むようになったのは、今の会社に入ってから・・だと思うなあ。。

以前いた某D社で、着メロ、着うたやってた頃は、ゴールデンウイーク明けに迫る新機種発売に備えて、新機種用の着メロファイルの準備に追われ、ゴールデンウイークも出勤してた記憶があるし。。。

それ以前、新卒で入社した、某害虫駆除会社では、この時期「シロアリ」の駆除のかき入れ時&、休みじゃなきゃ出来ないインテリジェンスビルや食品工場の衛生防除作業で、カレンダー通り休んだ記憶がないし。。。。

まあ、そんなわけで、これでも、社会人になって以来、ゴールデンウイークは一番休めているかもしれない。。。


・・・・なんて、毎度毎度、音楽とは関係のない話で始めしまった、今回の1曲セレクトだけども、いや、実は関係があるんだよな。。。


BLACK BISCUITS 「タイミング」

この曲は、当時の大人気バラエティ「ウリナリ!!」から派生した、ビビアン・スー、天野ひろゆき、ナンチャンのユニットの第2弾シングル。

まあ、96年にリリースされた、千秋、ウド鈴木、ウッチャンのユニット「ポケットビスケッツ」の向こうを張ったユニットですわな。

で、もって、「ウリナリ!!」から派生したシングルの中では一番売れたのがこの曲。

オリコンでは、ベストテン入りも11週連続と、ポケットビスケッツの「YELLOW YELLOW HAPPY」の12週連続に次ぐベストテンロングヒット。
ただし、TOP100まで広げると、「YELLOW YELLOW HAPPY」の31回に対して、「タイミング」は34回と、こちらの方が100位以内キープ期間は長い。

もっとも、これは、文字通り「タイミング」よく、年末紅白出場が決まったことによる紅白効果というところもあっただろうけども。。。

今や、一般的に広く知られたことだけども、1998年は日本の音楽史上、CDが最も売れた年、オリコンの年間ランキングを見てもミリオンヒットシングルは14作生まれている。

ただ、大まかに見ると、短期間に爆売れという初動型のミリオンヒットが多かった中、長躯ベストテンをキープしてのミリオンヒットというのも珍しかったんだよな。

この年でいうと、他にはKiroroの「長い間」が9週ベストテンをキープしていたけども、それ以上のベストテンロングランだったわけだから。。。

それだけ広く支持されたという訳で、昨年、再結成で一時的に話題になったのも、頷けることだったかもなぁ。


この曲、1998年4月22日にリリースされ、ゴールデンウイークの丁度、今頃は、ヒットチャートに躍り出たころだ。

前回、Coocoの「樹海の糸」の時と同じように、この曲を初めて聴いたのは、bay fmの「パワーカウントダウンHOT30」。 当時のカレンダーを見るとゴールデンウイーク真っ只中の5/2だったと思うな。

そそそ、会社の社用車の中で、仕事にうんざりしながら聴いた記憶があるわ。

カレンダーを見ると、あの年は、5/2から4連休、4/30、5/1を有給にすれば7連休だったはずだけども・・・。 ワタシゃ、休みは5/4の1日だけだったと記憶してるな。

そりゃ、ウンザリもするわな。。。。。

そんな中聴いた、めっちゃ楽しそうな、この曲がウラメシかったのよ。

だからということもないんだろうけども、当時は、この曲がどうにも好きになれなかった。

なんか短絡的だけども、あの当時は、そんなもんだったのよ。

まあ、それだけ、あの頃は、仕事をこなすことが精いっぱいで、ヒット曲を味わうだけの余裕が全然なかったんだよな。

逆に、ポケットビスケッツが1996年に「YELLOW YELLOW HAPPY」でブレイクしてきたときは、まだ曲を味わうだけの余裕があった。
「変な曲」と思いながらも、ついつい刺さっちゃいまして、この曲を聴けば、あの頃の情景がフラッシュバックするし、それだけあの当時、曲を聴きこんではいたんだよね。

それに対して、この「タイミング」に関しては、なんも残ってない。 
この曲を聴くと、ただ、ただ、あの頃仕事辛かったな・・・っていう黒歴史のみがフラッシュバックしたりして。。。。


いや、それ以前に、この曲、あの「Choo Choo TRAIN」をプロデュースした中西圭三氏の作曲ということもあり、ダンスナンバー色が強かったわけで、パッと聴き、あまり刺さらなかった・・・っていうところが大きいんだろうな。

ワタシねぇ、いまだにそうなんだけども、いわいる「踊れる曲」っていうのに鈍感なんだよねぇ。
あんまり刺さらない。

ワタシ自身、踊れないっていう「ピンク・レディー」以来のコンプレックス、トラウマがあるのか、いまだに、この手のダンスナンバーはダメなんだよね。

あ、もちろん、全部が全部ではないけども。 ダンスナンバーでも、メロディラインとか、コード進行、サウンドそのものに刺さる曲もあるし。。。

ポケットビスケッツの「YELLOW YELLOW HAPPY」なんかは、爆風のパッパラー河合氏がプロデュースしただけあって、ダンスナンバーというよりも、バンドサウンドに近かったじゃん。 まあ、めっちゃ「薄く」だけども。。。。その分、個人的にも刺さったんだよね。


たださ、「タイミング」の場合、ダンスナンバーだからこそ、「今」の時代に再度スポットが当たったんだろうけどね。
そそそ、昨年TikTok上では、この曲大バズリとなり、その結果、BLACK BISCUITS再結成という運びになったみたいだからねぇ。

だから・・・という訳ではないけども、今、個人的に、この曲を再度、きちんと聴きなおしているところなんだよね。

いや、この曲に限らず、あの頃、1997〜1998年にかけて、仕事の忙しさに紛れて、ちゃんと聴いてこなかった曲全体的にだけどさ。

それから、アーティスト名の「BLACK BISCUITS」は、当時のオリコンの表記から。
「ブラックビスケッツ」て書けばわかりやすなったんだけどね。。。





ヒット当時、まともに聴いてことなかったこの曲なんで、これまで、まともにMV見てこなかったわけだけども、今、こうしてMVを見てみると、なんていうかね。
全編ニューヨークでの撮影だけども、まずもってN.Yワールドトレードセンター屋上でのダンスシーンなんてのは、今見ると信じられないですね。
あの9.11が勃発するのは、これから3年半後のことですわ。


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冬のうた / Kiroro

1997_12_冬のうた_Kiroro


今回の1曲セレクトは、「冬のうた」Kiroroです。

まずはデータでする。

・タイトル   冬のうた
・アーティスト Kiroro
・作詞     玉城千春
・作曲     玉城千春
・編曲     重美徹
・リリース日  1998年11月21日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 12位
・売上げ枚数  23.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1998年12月14日〜12月21日 1999年1月18日付
・タイアップ:明治製菓「メルティーキッス」CM曲(2001年)

いやいや寒い日が続きますね。クリスマス寒波到来ということで、日本海側はまたもやドカ雪となっているようで。。。
私のところは太平洋側なので、まだ雪の心配はないんだけども、空っ風が冷たい。
ワタシんちは、木造なんでとにかく、どこからともなくすきま風が入り込んでくるのですわ。
だからねぇ、暖房をつけていないと途端に寒くなる。

あれは1997年の冬だとおもうけど、今の家を購入して最初の冬を越した冬。
それまでオヤジが務めていた会社の寮住まいで、その寮っちゅうのが鉄筋コンクリートの冷暖房完備だったもんで、まともな暖房器具なんて持ってなかったの。

唯一持ってた、小さな電気ストーブぢゃまともに暖かくならない部屋で、身震いしながら、今回引っ張ってきた曲を聴いていた。。。。。

・・・・ような記憶があったんだよね、ワタシの中では。。。


はい、そうです。  Kiroro 「冬のうた」


・・・なので、ワタシの記憶の中では、1997年今頃のヒット・・・と思っていたんだけども、先ほど改めて調べてみたら、本来は1998年今頃のヒットだったわ。。。

うーむ、どこでどう記憶違いをしたのか、よくわからないけど、 いずれにしても私の記憶の中では1年ずれていたようだ。

うーん、この曲を聴きながら、寒くてまんじりもしない極寒の部屋で、これから始めようとしていた、インターネットの接続設定した・・・ような記憶があったんだけどなぁ。。。。

でも、冷静に考えたら、Kiroroがメジャー1stシングル「長い間」の大ヒットで、ブレイクしたのが、1998年2月だから、第3弾シングルであるこの曲が、1997年の今頃のヒットのわけがないんだけどね。。。

どうなのかなぁ。 この曲の持つ、透明で凛とした空気感が、 1997年の冬の、あのくそ寒い自分の部屋の空気感に通じるものがあったのかもしれないなぁ。

まあ都合のいい、勘違いではあるけど。。。。

それ以前に、今考えると、この曲のもつ、凛とした正統的な曲想が1998年今頃のヒット曲の空気感とは、離れているからかもしれない。

1998年の今頃といえば、まだ小室系サウンドが幅を利かせていた頃。 なかでも鈴木あみが一番人気だった頃ですわ。
あのピッチなんて全然気にしてない調子はずれの歌唱にしてミリオンセラーなんて、絶対世の中違っている・・・と当時のヒット曲に憤っていたことを考えると、この曲の正統性ってというのかね、どうにも1998年の今頃のヒットとかけ離れているようにも思えたのかもしれないですね。

そんな、1998年の今頃のヒット曲に憤っていた私に、「宇多田ヒカル」という衝撃が走ったのは、この年の暮れ。
忘れもしない、1998年出社最終日。たまたま聴いてたbayfmで流れた「Automatic」。
1998年のクリスマスのわずか数日後のことでしたね。


もっとも、ヒット年代を間違っていたのは、個人的に、今の今まで、この曲の音源って持っていなかったのもあるんだけども。。。。

個人的に所有している音源は、すべてヒット順に並べてあるから、持っていれば、勘違いすることはないんですけどね。。。。

そうそう、曲想から見ると、どちらかといえば、1998年の冬というよりも、1997年の冬なんだよね、ワタシの中では。

うん、1997年の冬の方が、まだ、ヒット曲全般的に、まだ凛とした冬らしい空気感があった。
SPEEDの「WHITE LOVE」とかさ。




kiroroは、沖縄出身のデュオだけども、沖縄の匂いを感じさせないのが、一番の特徴といえば特徴ですわね。
アーティスト名は、「北海道」のアイヌの人たちの「キロロ」からとったということで、だからというわけではないけど、一番、北海道を感じさせるこの曲なんでいうのは、本来の意味からすると、もっとも番kiroroらしい1曲なのかもな。

こんばんは、クリスマスイブですわ。
巷では、超定番のクリスマスソングが流れ、みんな集まってワイワイ過ごす方も多いんだろうけども、ひとり静かに過ごすクリスマスっていうのもいい。
いわいる「ぼっち」クリスマスってやつだけども。

ワタシなんかは、みんなでワイワイと過ごす・・というより、ひとり静かに過ごすクリスマスの方が落ち着くんだよね。

クリスマスソングというわけではないんだけども、そんな一人で過ごすクリスマスに、この「冬のうた」なんてのはBGMにいいんですわ。



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夏色 / ゆず

1998_06_夏色_ゆず


今回の1曲セレクトは、「夏色」ゆず です。

まずはデータなのだ。

・タイトル     夏色
・アーティスト   ゆず
・作詞       北川悠人
・作曲       北川悠人
・編曲       寺岡呼人 ゆず
・リリース日    1998年6月3日
・発売元      セーニャ&Co.
・オリコン最高位  17位
・売上げ枚数    27.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位  12位
・タイアップ:ロッテ「爽」CM曲(2017年)

仕事柄、新曲を聴いて、この曲はどのくらい売れるか・・・なんて「予測」することがあるんですね。
まあ、今は、著作権関係の仕事なんで、それほど頻繁ではないけど、以前、某C社で着メロ運用として選曲の仕事をしていた時は、新曲を聴いては、毎日のように「予測」してましたねぇ。

ネットの仕事をしている方ならば常識だと思うけども、 サイトのページの上の方にあるコンテンツほど動きがいいのね。ユーザーのつまりさ注目度が大きいわけよ。
着メロ、着うたで言えば、「注目度」が高い「ウレセン」の曲をページの上に持ってくれば来るほど、ダウンロード数の動きが倍増するわけよ。
だから、いつも、何月何日リリースの新曲のウレセンランクをいつもいつも考えていましたねぇ。

オリコンフリークならばご存じだと思うけど、「チャートバトル」っていう、いわいチャート予想企画、今でも「You大樹」(カスタマー用有料サイト)でやってるけど、あれの「実用版」ってところですかね。
なにしろ外れれば外れるほど死活問題になってくるんで、まあ、毎日が針のむしろ、胃が痛くなる日々だったんだよな。

それでも、当たる事ばかりじゃなく、もちろん予想が外れることもあるわけで。。。。

やっぱね、客観的に見ないで、自分の好みか、好みじゃないか・・・っていう「主観」が入るとダメでしたね。


新曲が売れるか売れないか。 このアーティストが当たるか当たらないか

これは、仕事として予測する以前にも、ヒット曲を聴くようになってから、当たり前のようにいつも考えてきたような気がする。特に、オリコンを読むようになってからは、顕著でしたね。

まあ、仕事として予測していた以前は、どうしても「主観」的に考えることが多いから外れることのほうが多かったですけどね。


今回引っ張ってきた、 ゆずの「夏色」って曲。

今から23年前、1998年のちょうど今頃のヒットですわ。

当時、この曲を聴いたときは、直感的に「この人たちは売れないな」って思ったんだよね。
売れても最初だけだろう・・・と。

なんせ、アコギでのフォークっぽい人たちだったでしょ。 めちゃくちゃアナクロ感を感じたわけよ。

時代は1990年代後半。世は小室ファミリーやSPEEDなどのダンス系、 はたまた、GLAY、ラルク、LUNA SEAなどのバンドサウンドの時代だというのに、めっちゃ時代錯誤だな・・・と真っ先に感じたんだよねぇ。

いや、それで素晴らしい曲であるならば分かる。 正当なフォークではないけど、山崎まさよし など独特の世界観を持っていた人たちは、アコースティックギターサウンドでもヒットを飛ばしていたわけで。 だから、アコギだから売れないというわけではなかった。

でも、この曲は、どこの「こせがれ」だから分かんない、2人組の「若者」が力任せに歌っていたわけでさ。

スタイル的には、プロと言うよりもストリートで歌っているアマチュアの匂いがプンプンだった。

まあ、実際、横浜松坂屋前でうたっていたストリートライブから大きくなってきた2人なんで、その通りなんだけども。。。。

でも、このアマチュア感がどこまでプロの世界に通じるかどうかは、どう見ても疑問だったんだよな。
アマチュア感が抜けず、消えていった人たちを、いやという程見てきていたしね。「ゆず」って人たちも、そんな風に消えていくんだろうなぁ・・・

・・・なんて思ってたわけなのよ。

そんな感じでワタシは「ゆず」って人たちを見てたんだけども、これに反して、近田春夫氏が文春で連載していた「考えるヒット」で「ゆず」の2人を大ゼッサンしてたのよ。 うん、丁度この「夏色」がリリースされたときの「評」としてさ。

具体的にどういう「評」だったか忘れちゃったけど、「ゆず」の2人対して、才能の「埋蔵量」の多さを感じる とかいう評だったと思う。

それを見て、ちょっと待てや、近田様。 このアマチュア感たっぷりこせがれの2人のどこに才能の埋蔵量を感じるんですかね・・・・。なんて、当時は憤った記憶があるなぁ。

・・・というか、80年代アナクロなフォークグループが大嫌いで、明星の「新曲激評」では、フォーク系の曲は、ほとんど、けちょんけちょんに批判していた近田氏だったからさ。

ゆずの二人に対してのこの「ゼッサン」はちょっと信じられなかったんだよね。

近田氏の新曲評について、70年代〜80年代にかけて、「気分は歌謡曲」とか月刊・明星の「新曲激評」についてはシンパシイを感じていたけど、どうも「考えるヒット」の評には、それまでもシンパシイが感じられなかったんだけどさ。

この曲程、近田氏の評と真逆に感じた曲もなかったんじゃないかなぁ。

たしかに、この曲は、オリコンでベストテン入りしなかったし、 当初はそれほどぱっとしなかった「ゆず」の二人だったんで、 そろ見ろ・・・なんて思ってたワタシだけど、3曲目の「からっぽ」で30万枚オーバーのヒットを見せると、以後、近田氏の予想していた通り才能の「埋蔵量」の多さを見つけるようになったわけで。。。。

結果的に言えば、あの時の近田氏の見立ては「あっぱれ」だったわけですよ。
悔しいけれどね、ワタシは完全に見誤っていた訳よ。

でも、この人たちが出てきたから、そのあと「19」とか出てきたんだろうな・・と思うと、やっぱりねそういう時代・・・・フォーキーなアコギサウンドの再評価な時代・・・・だったんだろうな。

そんな時代の流れを、ワタシは見抜けなかったんだけども。。。。


ただ、果たして、あれから23年がたち、こんなにも長く第一線を張れるということが、果たしてあの時点で、近田氏にも予想できたのかどうかというのは、疑問ですけどね。

・・・なんて、負け惜しみ。。。。。


それほど、才能の埋蔵量が膨大だったってことなんだろうな、この二人。
 


しかしね、「夏色」のMVは、Youtubeに上がってないんだな。
しょうがないんで、この動画で。。。。。

で・・98年当時、こせがれなこの2人を認めていなかったワタシも、もちろん、今は違いますけどね。
意識の変化の分岐点になったのは、やっぱ2004年の「栄光の架橋」だろうな。
あの曲を見せつけられたら、どうあがいても認めざるを得ないですよ。

来月から始まる東京五輪でも、ハイライトシーンには、また頻繁に使われることになるんだろうね、きっと。


ところで、先週のMステの「ゆず」北川悠人の変貌にザワザワ・・・とネット上ではざわついているようだけど、大丈夫なんでしょうかね?

実際、ワタシは、Mステ見てなかったんで、何とも言えなんだけども。。。。




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SOUL LOVE / GLAY

1998_05_SOUL LOVE_GLAY


今回の1曲セレクトは、「SOUL LOVE」GLAYです。

まずはデータでする。

・タイトル   SOUL LOVE
・アーティスト GLAY
・作詞     TAKURO
・作曲     TAKURO
・編曲     GLAY  佐久間正英
・リリース日  1998年4月29日
・発売元    プラチナム
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  137.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1998年5月11日~6月22日付
・タイアップ:カネボウ「ブロンズラブ」98年夏キャンペーンソング

「1曲セレクト」という形では、ひっさびさのトピックスになりますわな。
世間は「コロナ禍」の真っ只中。ご多分に漏れずワタシもテレワーク勤務となって1か月以上が経ちましたわ。これ読んでくださっている皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
「STAY HOME」というキャンペーンの下、外出自粛でどこにも出かけられず・・・。世間からは暗い話ばかり。思わず下を向いてしまうような、気分が塞ぎがちになってしますわ。

だからこそ、ここはひとつ、明るく前向きな曲を聴きたくなりませんか

ということで、今回は初夏のこの時期らしい気分がスカッとなるような1曲を一つ。

GLAY「SOUL LOVE」。

うーむ、この曲もまだ書いてなかったんだね。。。

なんて言われそうな、GLAYのミリオンヒットですわ。

少し前に96年の、GLAYの実質的なブレイク曲となった「BE LOVED」の時も言い訳がましく書いたんだけど、どうもGLAYの曲は、これまで書くタイミングを逸してしたんだよなぁ。

当時、すでに20代後半の「社会人」になっていたワタシだけど、刺さらなかったわけじゃないんだけよね、GLAYに。
あの時のBIG3グループだった、ラルクやLUNA SEAよりも刺さった人たちだった。

まあ、学生ノリの汚ったないなりのバンドが主流だった70年代終盤のサウンドが原点のワタシには、
黒服のホストみたいな「いでたち」にはちょっと抵抗感があったことはあった。 当時あの手のファッションのバンドって、どうしても「ビジュアル系」っていうイメージが先行してたからなぁ。

ファッションで音楽するんではない・・・なんて変な妄想から、ビジュアル系からは距離を置いてからな。
初めはGLAYもその一派のように感じてことは事実だけど。

そんなこだわりから、ブレイクしてきたときにも距離を縮められず、少しGLAYブームに乗り遅れたのはある。

そんなGLAYとの距離を一気に縮めてくれたのが、今回の「SOUL LOVE」だったな。

もう一つ、ちょうどこのころ、確かTBSだったと思うんだけど、オリコン歴代売り上げベスト100のような特番があった。 その番組のゲストだったGLAYのTAKUROが、(当時の)アルバム歴代ベスト10で、「久保田利伸さんと松任谷由実さん」以外のアルバムは全部持ってた・・・っていう発言したんだよな。

意外だった。
見た目黒服のGLAYのリーダーがゴリゴリの洋楽ロック志向ではなく、実は邦楽ポップ&ニューミュージックが音楽のルーツだったんだって分かったことが。

なんか急にシンパシイを感じたりして。。。

まあ、単純っちゃ単純なんだけど、それが直接的なきっかけだったような気がする。GLAYの曲に本当の理解を示すようになったのは。


そんなエピソードもあったのだけど、それを置いても、この曲はよかった。

シンプルでご機嫌なメジャー系ポップチューン。

初めて聴いたときは、予想もしていなかった展開に逆に戸惑ったのを覚えてるな。
でも、イントロのさわやかなアルペジオから展開される一気加速するポップな曲調に一気に持っていかれたのを覚えてる。

シンプルだけどもキャッチーなところがいいんだよね。 この季節、ごちゃごちゃとした曲も暑苦しいし。

・・・なんて書いたら、同時リリースの「誘惑」派にの方々には、ちょっとむっとくる言い方かなぁ。

そそそ、「誘惑」の方はちょっと暑苦しかったからなぁ。それまでのGLAYを踏襲しているといえば、そうだったわけで、それまでのGLAYファンにとっては安心感のある1曲であったと思う。

そんな安心感がオリコンで「誘惑」が1位。 ちょっと変化球だった「SOUL LOVE」が2位止まりだった所以でもあるだろうしな。


前曲「HOWEVER」のようにメロディアスなGLAYもいい。
でも、バンドである限りビートの利いた1曲を聴かせてほしい。 だけど、前年の「口唇」のようなダークな1曲ではなく、もっとポップなGLAYも聴きたい。

そういう欲求もあったことはあったという記憶もある。 グッドダイミングだったんだよね。


1998年、社会人5年目。 ほんの少し重要なポストも任せられるようになったことろですね。この頃は。
反面、なかなか自分が思ったように仕事進まなくなり、ミスも多くなって・・・という具合に壁に当たっていたことも確かで、気分的に晴れない日々のだったんだよね

そんな折に聴いたこの曲。 一気に気分は真っ青な空のまぶしい光の下に。。。
仕事の壁にぶち当たって落ち込んでいた心がどんなに救われたか。 当時、同じような気分にされられた同年代の方もきっと多いんじゃないかな。

だからこそ、コロナ禍で沈んだこの世相に 今届けたい1曲・・・でもあるんだよなぁ。

ちなみに当時リアルな仕事の面ではこの曲の後、ますます行き詰まりを感じ始める。ヒット曲を聴く余裕もなくなり、だから、いつかも書いたように1998年は、今に至っても手持ち音源は一番少ない。
そんなストレス溜まりも酷くなってきて、徐々に違う道を考え始めるのもこのすぐ後だったな。




ポップなイントロもそうなんだけども、イントロでウラから入ってくるタンバリンが妙に印象に残るんだよな。まあ、どうでもいいっちゃ、いいことなんだけど。。。

ところで、同時リリースの「誘惑」とのジャケット比較なんだけど、この「SOUL LOVE」が黒で、「誘惑」が明るい「黄緑」なんだよね。

↓ コレ
1998_05_誘惑_GLAY

うーむ、曲調のイメージから見ると、真逆のような気がするんだが。。。。。
・・・っつうか、当時、どっかの掲示板で、これと同じことを書いたような。。。。
「違和感」・・・とか。



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歌舞伎町の女王 / 椎名林檎

1998_09_歌舞伎町の女王_椎名林檎


今回の1曲セレクトは、「歌舞伎町の女王」椎名林檎です。

まずはデータでする。

・タイトル     歌舞伎町の女王
・アーティスト   椎名林檎
・作詞       椎名林檎
・作曲       椎名林檎
・編曲       亀田誠治
・リリース日    1998年9月9日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位 50位
・売上げ枚数   5.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 43位

 天邪鬼なワタシは、基本、ヒトが「いい」って勧めてくれた曲やアーティストも、ワタシの中で納得しないと聴かないヒトなんだよね。
 一人っ子気質って言いましょうかねぇ、自分の考えが絶対・・って言うところがあるのよ。うん、これは否定しない。 

でもさ、「これいい」って勧めてもらって、大分放っておいた曲でも、ある日聴き直してみると、思わず嵌まっちゃう曲もあるんだよな。

今回はそんな1曲を持って来ましょうかね。

椎名林檎「歌舞伎町の女王」。


この曲は、1998年の9月・・・っていうから、丁度、今から20年前だわな・・・にリリースされた1曲。

ここでは、今までも書いてきた事だけど、丸40年ヒット曲を聴き続けてきたワタシだけど、その中でも一番ヒット曲から距離を置いていた時期ですね、1998年の9月って言ったら。

自分に合ったヒット曲が無い。 

そそそ、聴いてて刺さるような曲だよね。 それを感じられなくなってたんですよ、この当時。 だから・・というわけか、自然とヒット曲から距離を置くようになってたんだよな。

ただ、そんな状況下でも相変わらずオリコンだけは買い続けてたんだけどさ。というか、気持ち的にやめられなかったというか。。。

そんな20年前。 この曲、それなりに話題になってた・・・ような気はするんだよ。 なんせ能動的には聴いてなかったん頃なんで、記憶があいまいなんだけど、でも、ラジオでは、それなりに流れてたような気がする。

でも、けったいな曲だな・・・ぐらいしか当時は引っかかんなかったんだよね。

それから、数年後・・・。

ひょんなことから、mixiで知り合った一回り「下」の人たちとバンドを組むことになってさ。 
ワタシ、一応、中学高校の頃、「独学」でドラムやってたりしたんで、ドラムやることになってさ。 

10数年ぶりにドラムの前に座ったんだけど、叩けなくてねぇ。 頭では分かってんだけど体がついてかない。
手首のスナップが効かない。 おまけに次の日は全く体が言う事を効かないほどの筋肉痛。 って具合にさんざんな目にあってねぇ。。。

こりゃ、アカン・・・と、バンドは早々に辞退。。。

そんな時に、初めてスタジオ借りて練習した曲の中の1曲が、この「歌舞伎町の女王」だったんだよな。

この曲、リズム体的には、そんなに難しくないんだよ実際的に。基本の8ビートさえ叩けりゃ・・って感じだし。
なんせ、CDのトラックでは林檎嬢、直直に叩いてんでしょ。森高千里のドラムのような感じで(森高より上手い気がするけど)・・・。 だから、めちゃくちゃ高度な「技」は含まれてないんけどね。

それでも叩けなかったんだからさあ・・・ 。屈辱的だったねぇ。。。。。

でも、そんな事が、改めてこの曲をきちんと聴くようになったキッカケだったりするんだよ。

もろ60年代ガレージ歌謡ロックだよな、この曲は。
もろG.S。いや、「グループ」ではないから、一人G.Sってところか。

だから本来であれば、拒否反応はしない筈なんですよね。 

60年代ガレージ歌謡は、この当時既にG.Sとしてワタシの中にはあったし、 そもそも60年代ガレージロック、いや、サイケ的な音って嫌いじゃ無かったからさ。

たしかに、「歌舞伎町」っていう、夜の匂いと裏世界匂いがプンプンなところ、そんな世界を当時20歳そこそこの女子が、もろ「アバズレ女」風に歌うってところは、引っかかったんだけどさ。
それでも、リリース当時は、この曲には嵌まらなかった。


1998年当時、個人的に引っかかる曲が無い・・って思ったのは、この曲もそうだけど、ヒット曲全体に、なんかヤバい匂いを感じ始めてたんだよ。
裏世界の匂いって言うかなぁ。 実態が無いんでなんとも言い表せないんだけども、ドロドロとした闇世界の匂いっていうのかなぁ。

90年代前半、ワタシらがヒット曲ユーザーの中心に居た頃も、そういう闇世界って言うのはあったんだろうけど、表面上はドロドロとしたものは無かった。無論、「バブル」と言う中でみんな浮かれてたこともあり、そんな闇は見えなかっただけかもしれないけど。

90年代後半、そんな闇世界な部分をヒット曲から感じるようになった。 その象徴的な感じの曲なんだよ、この「歌舞伎町の女王」って曲は。 


でもさ、後年、きちんとこの曲を聴くようになって、「いや、待てよ」・・・って思ったんだよな。

何曲か前にも書いたような気がするんだけど、ワタシのヒット曲との接点の始まりって、いわいるゲ―ノー界の「華やかな世界」に感化された訳ではなく、夜に向かった世界だったはずなんだよ。 酒の匂いとタバコの煙が渦巻いた世界。 真っ黒な闇世界ではないけど、そんな世界に近いような。 それが物心つくか、つかないか・・っていうあの頃に聴いたムード歌謡。それがワタシの中のヒット曲の原点であり、接点だったはずだ。

うん、この「歌舞伎町の女王」に近い世界だったはずだ。 そんな風に感じるようになったんだよな。

違うのは、田舎の場末のスナックと、歌舞伎町っていう日本一の歓楽街っていう場所の違いか。

いや、この違いがワタシにはとてつもなく大きなモノに感じたんだよな。より闇が深いっていうかさ。



この曲に限った事ではないけど、椎名林檎嬢の曲ってどの曲も、絵が浮かぶんだよな。

この曲も出だしの

♪ 蝉の声を聴くたびに 目に浮かぶく九十九里浜 皺皺の祖母の〜 ♪ っところは、九十九里浜の後背の田園風景。(九十九里浜って田舎っていうイメージなんだろうね〜。 実際、田舎だけど・・・)

続く

♪ 一人訪れた歓楽街〜 ♪ で、スパッと画面が変わって、セピアがかった「歌舞伎町」の風景。ジメジメとした床と、打ちっぱなしで色あせたコンクリートのビル。

ワタシ的には、そんなイメージなんだよな。 そそそセピア色なんだよ。 それも、今の歌舞伎町ではなく、60年代の歌舞伎町。 いまよりも、もっと危ない雰囲気だった頃の。

↑の実際のMVとは、全く違うイメージがワタシの中ではあるんだけども、その方が良いだよな。

MVって、今では必須なものだけど、曲のイメージが固定化されてしまうところがある。

本来、音楽って、ヒトそれぞれ違ったイメージを感じると思うんだよね。 その点、この曲は、ワタシが感じたイメージと、実際のMVは全く違うんでさ。その分、個人的にイメージが崩されなれなくって助かるんだよね。



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ジェットコースター・ロマンス / KinKi Kids

1998_05_ジェットコースター・ロマンス_Kinki Kids


今回の1曲セレクトは、「ジェットコースター・ロマンス」KinKi Kidsです。

まずはデータです。

・タイトル    ジェットコースター・ロマンス
・アーティスト  KinKi Kids
・作詞      松本隆
・作曲      山下達郎
・編曲      船山基紀
・リリース日   1998年4月22日
・発売元     ジャニーズエンタテインメント
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  93.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1998年5月4日〜6月1日付
・タイアップ:ANA沖縄キャンペーンCM曲

前回の1曲セレクトはちょこっと時代を遡った曲だったんで、今回は逆に時代を下ってみますか。

KinKi Kidsの「ジェットコースター・ロマンス」なんぞ、どうでしょうね。

1998年の今頃の大ヒットっちゅう訳だけど、98年なんてーのは最近だもんね、ワタシの中では。 いや、今まで書いてきた1曲セレクトの中でも、かなり「最近」の部類に入ると思う。

でも、それでも気が付いてみれば、もう20年も経ってるんだよな。 以前も書いたけど98年っちゅうたら、既にインターネット使って、自分のランキングを作ったりして、ほとんど今と変わらないような事をやっていた訳でさ。

そう言う意味でも、ワタシの中では全然、「昔」って言う感覚は無いんだけどさ。

まあ、まだ、自分のサイトは開いてなかったし、仕事も大学から新卒で入った会社に居たりしたし、そう言う意味では、(ワタシ自身の)周辺環境では時間が経ったなぁ・・・っていう感覚でもあるんだけどさ。

なによりも音楽、ヒット曲への向きあい方は、今とは違いましたねぇ、この頃は。

以前も書いたけど、当時は音楽とは全然接点のない会社だったし、仕事だったからさあ、音楽との向き合い方も、普通の一般の方と変わらなかった訳よ。

年も27才だったのかなぁ、この頃。 まあ、既に20代も後半だったし、やっぱアイドルを正面から聴くって言うと歳でもなかったからさ。 

だから、このKinKi Kidsの「ジェットコースター・ロマンス」なんてのも、正面から聴く事は無かった。
まあ、「Mステ」は当時も見てたからさ。KinKiがMステに出演した時、聴いてたくらいだったのかなぁ。
あとは、会社の営業車の中で移動の時にラジオで流れてきた時くらいだったのかなぁ。

それでもね、全く無視していた訳じゃない。「理性」としてアイドル聴く年でもないよなぁ・・・と思いながらも、やっぱ、気になったりしてね

いやKinKi Kidsってヒトたちの曲は、キライじゃ無かったんだよ、当時。 むしろ、本当だったらちゃんと聴きたかったんだよね。

このヒトたちの曲って、ヒット曲らしい曲だったしさ。簡単に言えばキャッチー、分かり易い。変な仕掛けがないんだよね。
それでいて音楽志向の人が聴いても受け入れられるっちゅうかさ。

まあ、それはジャニーズの中でも音楽志向が強い2人だったからこそだったのかもしれんけど、KinKi Kidsって。逆に言えば、だからこそ、この曲の作曲である山下達郎氏であったり、この曲の次の「全部だきしめて」の吉田拓郎氏であったり、モノホンのミュージシャンが、このヒトたちの周辺に付いてきたんだろうしさ。

うん、ここまで大物のミュージシャンが周辺に付いてるジャニーズって他には無かったからねぇ。

ビジュアルというよりも「音楽」として聴けたんだよね、このヒトたちの曲って。 

正直言うと、この曲も好きだったんだよ、個人的には。

 この如何にも初夏的な温度感と疾走感。如何にも「達郎」っぽかったしなぁ。

KinKi Kidsと山下達郎っちゅうと、どうしてもデビュー曲の「硝子の少年」なんだけども、この曲は、あくまで仮想「筒美京平」としての曲なんでさ、達郎氏って言う匂いは薄い印象だった。 個人的にも筒美京平氏って思ったしさ初めは。

いや、ジャニーズの場合、たのきん・・・、いや、それ以前にもジャニーズ時代の郷ひろみ氏って頃から、筒美京平って言う看板があった。 あのSMAPにもごく初期にシングルを書いてたしね。

だから、山下達郎氏が筒美京平氏を意識するのも分かる。 

でも、この曲に関して言えば、そう言った「しがらみ」を一切断ち切ったような達郎ワールド的な曲を持ってきたって言うのが、むしろ良かったんだよな。

うん、この手の疾走感、爽快感がある初夏向けの曲っていうのは、筒美氏の曲ではそうそうなかったしね。達郎節ならではなんだよね。 そこが良かったと思う。

ただ、それでもデビュー曲から2作連続で続けたミリオンセラーは、この曲では突破できず。 

うーん、そこは個人的にはちょっと「誤算」だったかなぁ。 この曲こそ、ミリオン行っても全然おかしくない・・・っておもったんだけどなぁ。





この曲、今まで書いてなかった理由が、なんとなく分かったわ。この曲、動画が落ちてないんだよね。
なんで、本当はもっと早く書くつもりだったんだけども、いままで書いて来なかったんだ。
今も、目ぼしい動画落ちてないもんなぁ。
唯一落ちてたのが、コレ。
音も画像も悪いけどさ、まあ、どうぞ・・・ってことで。。


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散歩道 / JUDY AND MARY

1998_03_散歩道_JUDY AND MARY

今回の1曲セレクトは、「散歩道」JUDY AND MARYです。

まずはデータどぇす

・タイトル     散歩道
・アーティスト   JUDY AND MARY
・作詞       YUKI
・作曲       五十嵐公太
・編曲       JUDY AND MARY
・リリース日    1998年2月11日
・発売元      エピックソニー
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   47.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1998年2月23日〜3月30日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「ニュースの女」主題歌

なんか、久々に「平日」に1曲セレクトを書いてるような気がするけど・・・
いや、実は本当は「昨日」日曜日に1曲書こうと思ってたんだけどね。書く前にヒット時期を調べたら、3月じゃ無くて4月だったんだよね、書こうと思ってた曲のヒット時期が・・・。

ちょっちまだ早いよなぁ〜・・・と思いーの、書くのやめたんだけども、折角、書こうっちゅう気になってたんでね。

調べたら、ありましたよ、今頃のヒットでまだ書いて無い曲が・・・。

・・・ということで、急遽、持ってきた訳なんですわ。

JUDY AND MARY 「散歩道」。

いや〜、もうね、こんな「ヒット曲」はとうの昔に書いたと思ってたんだけどねぇ、まだ書いてなかったんだよな。
・・というか、ジュディマリの曲って意外とまだ書いて無い曲があったりするんだよね。 この先もたまに書くことになるかもなぁ。

いや、「こんなヒット曲」なんて書いちゃったんだけども、売り上げ枚数を調べてみると、実際はジュディマリの曲の中でも特段の大ヒット・・・と言う訳でもないんだけどね。
ジュディマリの中で一番売れ、ミリオンセラーとなった「そばかす」に比べたら半分以下だしさ。

うーむ、自分の中ではジュディマリの曲の中でも結構売れた曲・・・のように感じてたんだけどねぇ。ちょっと意外だったな。

自分の中で結構売れた・・・って思っていたのは、この曲、当時は結構、ヘビロテで聴いてたからかもしれない。
単純に好きだったんだよね、この曲。
いや、その前に、ジュディマリって言うと「春先」って言うイメージが強かったからかもなぁ。 例えば件の「そばかす」も96年の今頃だったでしょ。 次の年97年の今頃は「くじら12号」、で翌98年の今頃が、今回引っ張ってきた「散歩道」・・・って具合に、毎年春先に決まってシングルリリースがあったんだよねジュディマリって。

でさ、この「散歩道」の前年の「くじら12号」が今一つはっきりしなかったんでさ、売り上げ的にも曲的にも。それに比べると、この「散歩道」って分かりやすかったしさ、やっぱキャッチーだっからなぁ、結構聴いてたんだよ当時も。
そんな訳で、ジュディマリの一連のヒット曲の中でも印象に残ってる1曲なんだろうな。


まあ、それ以外にもこの曲がヒットしてた頃は、いろいろと生活環境の変化もあったからなぁ。 この間も別トビで書いたように、自宅に通信回線を引いてネットに繋いだのもこの頃だしさ。 だからねぇ家でネット始めて20年なんだよね丁度。 
それとともに自分のランキングの資料もネット経由で集めるようになったしね。うん、それまでは「紙媒体」から資料集めてたからさ。

そんな感じでネットでいろいろと情報を集めるようになって、リスルタイムのヒット曲も割と聴いてたんだよな、この頃は。
まあ、なにより個人的に刺さる曲がこの頃は比較的多かったって言うのもある。 ただ長くは続かなかったんだよな。 今頃の反動からか初夏以降はパタンとヒット曲聴かなくなったんだよ。刺さる曲がなくなったんだよな。

そんな個人的には変化の大きい98年だったな。



でもさ、個人的になんで当時ジュディマリには刺さっんだろ? なんて思ったりもするな。
正直、サウンド的に、音は汚ったねぇじゃん、この手のいわいるラウド系バンドって。
個人的には、もっとクリアな音が好きだしさ。だから、当時もあんまりこの手のバンド系の音には刺さらなかった。
98年の春以降、刺さる曲が少なくなったっていうのは、この手のラウドやビジュアル系のバンドサウンドが元気になってきたからなんだろうな。
でもでも、ジュディマリは例外的に刺さった。 っていうのは、音が汚ったなかったけどポップだったからなんだろうな。それと何よりもキャッチー。 これに尽きるんだと思うわ。

やっぱポップスが好きなんだよな、個人的には。だからバンド系にもポップさを求めちゃうんですよ。 ジュディマリは、そこに当てはまったんだろうなぁ、きっと。


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モーニングコーヒー / モーニング娘。

1998_02_モーニングコーヒー_モーニング娘。


今回の1曲セレクトは「モーニングコーヒー」モーニング娘。です。

まずはデータどぇす。

・タイトル        モーニングコーヒー
・アーティスト       モーニング娘。
・作詞       つんく
・作曲       つんく
・編曲       桜井鉄太郎
・リリース日    1998年1月28日
・発売元      ワン・アップ・ミュージック
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  20.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1998年2月9日付

この間は時代の区切りの曲っていうことで、1992年の今頃、工藤静香さんの「めちゃくちゃに泣いてしまいたい」なんて引っ張って気んだけども、時代の区切り・・・ま、個人的にね・・・っていうのは、1つだけじゃない訳で、まだまだある訳ですわな。
今回も、前回に引き続き、そんな「個人的な」時代の区切りの頃の1曲を引っ張って来ますか。

モーニング娘。「モーニングコーヒー」

今から丁度20年前、1998年の今頃のヒットでありーの、モーニング娘。としては記念すべきメジャーデビュー曲というわけですわーな。

そそそ、ここから今に続く、女性「団体」アイドルの変遷が始まった・・・って言っても過言ではない訳で、そんな意味では、まさに「時代の区切り」と言えるかもしれない。

でもねぇ、個人的にはちょっと違うんだよな。 うん、この1998年の1月から、ネットを使って、ワタシメのチャート集計を始めたんだよね〜。
まあ、第三者の方にはどーでもいい事だろうけど・・・。 でも、個人的には結構感慨深い時代の変わり目なんだよなぁ。
まあ、この頃、正確にはもうちょっと前なんだけども本格的にネットを使い始めたんだよね。だからネット歴も20年になるんだよなぁ。 早いもんだねぇ。

当時は、まだISDN 64kbpsだったもん、ウチの回線。 しかも常時接続なんて高くて使えないからダイヤルアップの従量制よ。
だから昼間、ちんたらネットに繋いでたら通信料が大変なんで、もっぱらオフラインか、テレホーダイで夜11時以降だったよなぁ、ネットに繋ぐの。
古いヒトには懐かしいよね、テレホーダイも。 考える事はみんな一緒で、だから、テレホタイムになると急に回線が重くなってさ〜。 スケベサイトからたかが数十kbyteの画像を落として来るのに何十分かかるんだって・・・って感じだったもんな。

だから、最初のうちはランキング用の調査も結構大変だったんだよね。なるべく金と時間をかけないように、夜中に集計してたもんなぁ。

ちなみに、IT関係のヒトが未だに宵っ張りの夜型人間が多いのは、このころのテレホーダイ時代の名残だよな。
みんなテレホで夜中にネットしてたから。

でもさ、そんな今と比べれば貧弱なネット環境でも、ワクワクしたよなぁ。なんか俺ってサイバーだよね・・・って感じで。。。  結局その後、当時勤めてた会社を辞めて、IT関係に移り、今に至る・・・ってわけだから、よほど、性にあってたんだろうなネットっていうシロモノは。

ま、そんなこともありーの、この1998年っていうのは、ワタシにとっても今に至る大事な時代の節目だった訳ですわ。


でもでも・・・やっぱ最初に書いたように、ゲ―ノー界的には、今に至る「団体」アイドル全盛の節目という意味で、時代の変わり目の年だったって言う方が良いのかなぁ・・。

まあ、個人的にはどーでもいい事なんだけどね・・・っちゃ、怒られるわな

現に、今をときめく、モーニング娘。のこの記念すべくデビュー曲であるこの「モーニングコーヒー」だって、当時はろくに聴いてなかった・・・ような気がする。

もちろん、モーニング娘。の存在はリリース前から知ってた。ま、なんと無しにだけどさ。

当時、「手売りでCD5万枚売ったら」デビューっていうのは、一応の話題になってたから。でもね、個人的にはそれまでだったんだよね、当初は。

たしかに一介のシロウトの女の子たちがCD手売りで5万枚っていうのは凄い事だと思ったけど、この曲を聴いた途端、あまりの「シロウト」っぷりに、こりゃダメだわって思ったんだよなぁ。

一介のシロウト集団アイドルっていうと、世代的に、どうしてもおニャン子と比較したくなっちゃうんだけど、たしかにおニャン子とし違う色合いは感じたし、まとまりも感じた。

けど、どうにも「かっぺ」だったんだよなぁ。うん田舎のお姉ちゃんっていうイメージがねぇ、どうしてもした訳。

当時のウレ線っていうと、安室を初めとして女性アーティストもカッコよくなってたからねぇ。それに比べると・・・ってどうしても感じちゃうんだよね。

この「モーニングコーヒー」って曲も素朴過ぎるくらい素朴だったしな。 果たしてこれでゲーノー人として渡って行けるんだろうか

ま、話題性として最初はソコソコ売れるだろうけど「1発屋」だろうな・・・

とは、まずもって感じましたねぇ。


まさか、この曲から2年足らずのうちに、「化ける」とはねぇ。。。。  
はっきり言って、この曲がリリースされた時点では、全く想像もつかなかったですよ、「国民的」なモンスターアイドル集団になるとは。。。。

そんなモーニング娘。のデビュー曲ですわねぇ。 あれから20年ですわ。



↑のデータにもあるように、この曲、一応20万枚売れたんだよな。
今から思うと、そんなに売れたっけ って言う感覚なんだけどさ。うん、感覚的には10万枚も売れなかったような感じなんだよね。
 まあ、それだけ当時はCDバブルだったって訳だよな。10万枚、20万枚程度の売り上げじゃ、全然驚かなかったし。。。

ちなみに、この年1998年は全CDのトータル売り上げ高が史上最高を記録した年。 あれから20年。いまや見る影もないもんなぁ、CDって言う代物の売り上げも。

個人的には・・というと、90年代で一番ヒット曲から遠ざかっていた年だな。この年のヒット曲傾向と、個人的な好みの曲とは、大分かけ離れてたんだよね。引っかかった曲は殆ど無かった年だったなぁ。
未だに所有音源が一番少ないんだよなこの年は。

まあ、ヒット曲から距離を置いていたのは、引っかかった曲が少なかったからだけどはなく、当時勤務してた会社の仕事の方が忙しくなり音楽をじっくり聴く余裕も無くなってたっていうのもあったけどさ。
そんなこともあってか、ストレスも少しずつ溜まってきてたんだよな。ネットに現をぬかすようになったのも、そんな仕事のストレスのはけ口っていうところも大いにあったかもな。


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空の下で / MY LITTLE LOVER

1998_02_空の下で_MY LITTLE LOVER


今回の1曲セレクトは、「空の下で」MY LITTLE LOVERです。

まずはデータですよ〜。

・タイトル    空の下で
・アーティスト  MY LITTLE LOVER
・作詞      小林武史
・作曲      小林武史
・編曲      小林武史
・リリース日   1998年1月21日
・発売元     トイズファクトリー
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  11.9万枚
・THE HITCHRT HOT30最高位 11位
・タイアップ:日産「ウイングロード」CM曲

今日は1日天気がぐずついていたけど、昨日は雲ひとつない綺麗な晴天でしたな。ここの所、北風が冷たい日が続いていたけど、昨日はそんな風もおさまって小春日和だったし。

こういう日は外に出たい。

・・・というかね、ここの所、「遅ればせ」ながら、「ポケモンGO」に嵌まってまして 。。。

昨日のような天気がいい休日は、「ポケストップ」が多く存在する、千葉市の公園に毎週通ってたりするんだよね

もちろん、昨日も行ってたんだけどさ。  まあ、半分は「健康」のためって言うのもあるんだけどさ。公園って言っても割とでかくて1週4〜5kmあるからさ。ポケモンGoやりながらと言っても、結構いい運動になるんですよ。

でぇ、今回の1曲セレクトは、昨日のように、気持ちのいい小春日和の晴天な日に聴きたい1曲をひとつ。

MY LITTLE LOVER 「空の下で」。

この曲、去年もそうだったけど、今頃書こう書こうと思ってて、いつも時期を逸しちゃうんだよな。なので、今のうちに書いておこう・・と思っていたんだけど。。。

で、まあ、本来なら、天気の良かった当日だった、昨日書けばよかったんだけどね。 運動したおかげか、夜、ついつい、ウトウトと寝ちゃったんだよな。。。

なので、1日遅れで。。。

いつも書く時期を逸しちゃう・・・って事なんだけども、この曲、ヒット時期が短かったんだよな。
売り上げが11万枚そこそこだったでしょ。 ま、数字だけみれば、そこそこな売り上げとも思えるんだけども、マイラバの中では、それほどの大ヒットでは無かったし、なにより、メガヒットな時代のピーク時だったかんね。この曲がリリースされた1998年は。11万枚そこそこのヒットは、珍しくもなんともなかったんだよね。
 
まあ、そんな訳で、ヒット期間もきわめて短かった訳で、いつも、気がついたらヒット時期が過ぎてたんだよな。

それ以前に、この曲が1月21日リリースで、2月の今頃がヒットのピークだったってことからして忘れてる事が多かったんだけどさ。

この曲、気持ちいい晴天の日に聴きたくなるような曲ということからも、ホント気持ちいい曲なんだよね。

Aメロ出だしの ♪ 自転車が回転する〜 坂道を登りきると視界が開けてく〜 ♪ ってところからも、本当に自転車をこいで坂道を登りきると、青空の下に視界が広がって行くような光景が浮かんできたりしてさ。

そうだな、この曲はドライブをしながら聴きたい・・・というよりも、自転車を漕ぎながら聴きたい1曲だよなぁ。

遠い昔、ワタシが小学生の頃は、自転車小僧でさあ、学校から「子供だけで学区内から出てはいけません」ってキツク言われてたんだけども、そんなもん全く眼中になくてさ、一人で、自転車でよく遠乗りしてたんだよね。

うん、あの頃から、天邪鬼だったんだよ、ワタシ。 ヒトに言われた事に従うのがやなんだよな、ワタシはワタシの判断で行く・・・っちゅうかね、カッコよく言えば。 まあ、サラリーマンには向いてない性格ですよ。

あ、また話がずれた。。。

そそそ、そんな子供の頃、自電車で遠乗りしてた頃、坂道を上切りきって、一気に視界が広がった時に見えた光景が、広がるんだよね、この曲を聴くと。
そうだ、この時も、昨日のように気持ちのいい晴天だったんだ。

だからなのかなぁ、この曲を聴くと、いつも懐かしい気分になるんだよな。

ま、上で書いたAメロの部分からして、優しい旋律でどことなく懐かしい気分にさせられてしまうんだけどね。90年代後半というよりも70年代後半から80年代初め頃に感じた、あの優しくて懐かしい感覚っていうのかなぁ。

いや、小林武史氏の書く曲って、同じように遠い昔感じたような懐かしい気分にさせらけるって言うところがあるんだけどね。 例えば、キョンキョンの「My Sweet Home」だったら、70年代前半、まだ幼稚園に上がるか上がらないかってころ、夕方、茜空の下、公園のラッパスピーカーから流れてきた「夕焼け小焼け」を感じたりね。
 この曲は、そこまでは古さは感じないんだけども、それでも、やっぱり、子供の頃に感じたようなノスタルジックな光景なんだよね、根本は。

小林武史氏が「受けた」っていうのは、そこなんだろうねきっと。ワタシだけではなく、多くのヒトがそんなノスタルジーを感じたからじゃないのかなぁ。


ただ、そうは言っても、この曲、売れなかったからなぁ。 そこが残念でね。
日産自動車の「ウィングロード」のCMで相当かかってた訳で、大体が方が聴けば分かると思うし、個人的にもCMの時から、この曲気に行ってたんだけどもねぇ。。。




いま、改めて歌詞を見ながら聴くと、この曲、「恋の終わり」の時の曲だったんだな。。。。
今まで、まったく意識して聴いてなかったワ。
いや、曲を聴いてる限りでは、ここまで書いてきたように、気持ちいい曲なんでさ。。。


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