かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1985年

DJ in My Life / シブがき隊

1985_04_DJ in My Life_シブがき隊


今回の1曲セレクトは、「DJ in My Life」シブがき隊です。

まずはデータです。

・タイトル    DJ in My Life
・アーティスト  シブがき隊
・作詞      JOEY CARBONE
・作曲      JOEY CARBONE
・日本語詞   売野雅勇
・編曲      後藤次利
・リリース日   1985年4月3日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数  17.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1985年4月22日〜5月27日付
・タイアップ:映画「バローギャングB.C」主題歌

自分が思ってたヒット時期と、実際のヒット時期がずれて覚えている事ってあるんだよなぁ。
こんな事、最近随分多くなってきたような気がする。 昔はこんなこと無かったんだけどなぁ。 地頭は偉そうに言えるほど良かないけど、記憶力だけは自信あったんだよな、昔は。。。。
ジジイだね、ワタシも。

今回の1曲セレクトは、そんなヒット時期を間違えて記憶していた曲をひとつ。

シブがき隊「DJ in My Life」

この曲さあ、85年にリリースされたって事は覚えているんだけども、リリースは2月だとばっか思ってたのね。
だからさ、2月にこの「1曲セレクト」で書こう・・と思って用意してたんだけど・・・。
実際書き初めて、リリース日調べたら4月だったのよ。。。

あれ〜 そうだったけなぁ・・・。 85年の春と言ったら、中学校を卒業し、高校に入学した頃だ。
なんで、だいぶ環境が変わった訳でさ、それに引っかけて当時のヒット曲も覚えているからさ、間違い様がない・・・筈だったんだけどね。。。。

たしか、この曲を初めて聴いたのは、まだ高校受験が終わりきって無かった頃・・・・だったような。。。

う〜ん・・・・。 やっぱしあれから32年経つと記憶も曖昧になっちゃうんですかねぇ。。。

そうか、ヒットしてたのは、高校に入学してからだったか。。。。

それにしては、この曲を聴くと、まだ、寒かったよな・・・っていう印象を強く受けるんだよな。。。
そそそ、昔のヒット曲って、聴くと、当時の匂いがしてくるじゃん。それと温度感とかさあ。 それからすると、まだコートを着てたような温度感を感じるんですよ、この曲からは。


・・・・いや、まてよ。。。。

思い出した。。。    

そうだ、この曲、85年のゴールデンウイークに会津と裏磐梯へうちの家族と、オヤジの会社の同僚家族とドライブ旅行に行ったときに、頻繁にラジオから流れてたんだ。。。

・・・とすると、やっぱり、今の時期のヒットだったんだよな。。。

まあ、考えてみりゃ、この曲の前の曲「男意ッ気」のリリースが1月だったんだよな。 うん、これはよく覚えてる。
明星の付録の歌本「Young Song」の85年2月号の新曲に出てたのをはっきり覚えてるんで。。。

だとしたら、当時新曲リリースは3ヵ月ローテーションだったから、次の新曲は4月になるはずだからさ、計算が合う訳よ。


あー、前置きが長くなった。。。

この曲、シブがきには珍しく、カバー曲だったんだよね。 もともとは、向こうの「アニー」っていう女の子が歌った曲でさ。 あの頃ホンダのCMに使われてたんだよな。

・・・・とネット上に書いてあることをそのままコピペしたりしてさ。。。

・・・っつか、完全に忘れてるワタシが居たりして。。。 CM曲ねぇ・・・そうだったっけ。。。 そうだったような気もする。。   

曲を聴いてみた

↓ コレ


あー、そうそう、あったよね、コレ。。。

でもさ、 個人的には、この曲というと、シブがきなんだよなぁ、完全に。

ま、確かに、それまでのシブがきのような、イロモノに近いヘンチクリンな曲ではなく、至極まともな曲だった・・・っていう印象は強い。
 そういう影響なのか、暫く売り上げが減少傾向で、流石に人気のピークは過ぎたよな・・・なんて思われたシブがきだったけど、この曲では、久しぶりに売り上げが伸びたんだよね。

とは言っても、前曲より数万枚程度だったけど・・・。

で、シブがきのこの曲と言ったら、映画「バローギャングB.C」の主題歌だったってことだよな。
そそそ、シブがきの3人が主演の。。。

なんて言ってもねワタシャ見てないけど・・・。 確か、ヒロイン役として、このすぐ後にレコードデビューした、松本典子さんと網浜直子さんが出てたんだよな・・・ってくらいしか知らないんだけどねぇ。

シブがきの先輩格だった、たのきんは、例の「たのきん映画」を既に止めていたのに、シブがきはまだ続けていたんだな・・・っつうことで印象に残ってたんだよな。

まあ、それだけって言えばそれだけなんだけど。。。

ところでさ、映画タイトルの「バローギャングB.C」の「B.C」って一体何なのか・・・。当時は全然分かんなかったんだよな。「紀元前」のことか・・・とか
今、調べてみたら、ボニー&クライドのことらしいわね。「俺たちに明日は無い」の。。。

なんじゃいそりゃ・・・って言う感じもするけど、そんな感じだったんだよね、30数年前の日本映画のレベルって。。。





うーん、オリジナルの「アニー」バージョンと並列で並べると、やっぱシブがきバージョンの方は、ダッタダサだよねぇ。
今だったら、かなりオリジナルと変わらないくらいのクオリティになるけどさ、カバー曲も。 
例えば、今のディズニー映画の「モアナと伝説の海」だっけ  それの主題歌「どこまでも〜How Far I'll Go」なんてさ、オリジナルもカバーも両者遜色がないじゃん。

でもさ、32年前はと言うと、向こうと、日本と・・じゃ、まだまだ大きな隔たりがあったんだよな、音楽のクオリティって言う面でさ。

それでも、個人的にはダッサダサの方が好きだったんだけどね。



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情熱 / 斉藤由貴

1985_12_情熱_斉藤由貴


今回の1曲セレクトは、「情熱」斉藤由貴です。

・タイトル     情熱
・アーティスト   斉藤由貴
・作詞       松本隆
・作曲       筒美京平
・編曲       武部聡志
・リリース日    1985年11月15日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   17.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1985年11月25日〜12月9日 12月23日〜12月30日付
・タイアップ:映画「雪の断章」主題歌


先ほど、「めざましどようび」見てたら、斉藤由貴さんが登場してきた。twitterのタイムライン見てると、それについてのツイートが結構出て来てるけど、それにしても斉藤さん、最近よくテレビに出てきてるよなぁ。

このヒト、全然老けないんだよね。50過ぎたっていうのに、雰囲気は昔のまんま。これはコワイ・・・・うにゃうにゃ、驚きですわな。

今テレビだけでなく、毎週ラジオのパーソナリティもやってるわな。ニッポン放送の「オールナイトニッポン ミュージック10」(月〜木 22時〜0時)の木曜パーソナリティ。
 これ通勤の帰宅時に、最寄駅から家までの間、よく聴いてるんだけど、声だけ聴いてると、ホント、昔のアイドル時代と全然変わんないんだよね。
  昔、やっぱり、ニッポン放送でやってた「斉藤由貴の猫の手も借りたい」って番組。 なぜか、あれ、よく聴いてたんだよな。たしか土日の夕方ごろやってたような気がるするんたけど、ラジオを流しながら車走らせてた時に聴いてたんど思う。

その頃と、声も、ちょっと舌たらずなしゃべり方も、トーク内容も全く変わらない。ほんと時代錯誤感を感じるんだよな。

まあ、「ミュージック10」では、水曜パーソナリティの鈴木杏樹さんも、昔から全然変わらない癒しボイスで時代錯誤を感じるんだけどさ。

そんな時代錯誤感プラス、最近は「おとぼけ」キャラで良い味出してきてるんだよね。

前にも書いたかもしれないけど、auのCM。「おとぼけキャラ」というか三枚目キャラというか。

このキャラは、昔の斉藤さんには無かったよなぁ。 このヒトといえば「生真面目」さっていうのが、前面に出てきちゃってた気がするしさ。 
 ウタでも、そんな生真面目さを感じたんだよね。どの曲でも、真面目に真面目に切々と歌っていたような印象が強い。

だからねぇ、最近の「3枚目キャラ」っていうのが、余計新鮮に映ったりしてね。


おおおお、ウタとは関係ない事を大分書いて来ちゃったな。
・・・・ということで、今回の1曲セレクトは、斉藤由貴さんの「情熱」を。

先ほどの「めざまし」での斉藤由貴さんベスト3では、「白い炎」「悲しみよこんにちは」「卒業」を流してたけど、さっすがにね、このクラスの曲はどれも、既に書いちゃってるからなぁ。 この曲くらいしか残ってないんだよね。

逆に言えば、いままで書かないで残っていたってのもレアかもしれないけど。。。。

でもね、こ多分にもれず、今まで書かないで残っていた・・・ってことは、個人的に、この曲があんまり好みじゃなかったっていうのが大きいんだけど。。。。

斉藤さんの 特徴って上で書いたように、どんな曲でも真面目に切々と歌うところだと思うんだよね。
そんな所と、役者との2足のわらじをはいているってところは、薬師丸ひろ子さんに似ているところがあるかもしれない。

違うのは、薬師丸さんの方が、より真面目さが際立っているってところと、発声がファルセットってところだろうな。それにより、実年齢よりも大人・・・・うんにゃ、オバさんっぽく聴こえるとろこかもしれん。
斉藤さんは、真面目に歌ってはいても、たまに見せる舌たらずな発声とか年相応の可愛らしさがあったしね。

そんな真面目さが表に出ている斉藤さんが、如何にも「ポップ」な歌を歌う・・・そこに、このヒトの最大の魅力があったと思うんだよな。

例えば、このヒトの最大のヒットとなった「夢の中で」(井上陽水カバー)にしてもユーロビートなポップアレンジだったし、「悲しみよこんにちは」にしてもポップなアップチューンだったじゃない

普段から真面目が表に出ているヒトが、ポップな歌を歌う・・っていうある種の意外性に面白みを感じるんだろうなぁ。

個人的に、このヒトのイチオシは、86年9月の「青空のかけら」なんだけどもさ。そそ、ハネ系でタップを踏んじゃう曲。 あの曲は、このヒトのキャラからするとホントに意外な曲だったもの。

そう言う点からすると、この「情熱」って曲は、意外性を感じなかったんだよな。
いかにも真面目な斉藤さんが歌いそうな「真面目な曲」っていうかさぁ。そう「如何にも」って言う言葉以上ないような。。。

そんな曲調に、個人的にも魅力を感じなかったのかもしれない。

逆に言えば、「如何にも」っていうところから、このヒトには合っていたとは思いますよ。でも、個人的には退屈さしか感じなかったんだよなぁ。

誰が作っていたのかと思えば、松本隆−筒美京平 なんちゅう、これ以上ないゴールデンコンビぢゃないですか。。
斉藤さんとはデビュー曲の「卒業」以来の担当なわけで、斉藤さんの魅力は何かっていうのは、充分分かっていたはずだと思うんだけどねぇ。。。

折角、70年代の「向こう」のポップスから斉藤さんの魅力を引き出してきていたのに、同じ70年代でも「歌謡曲」よりにしてしまった事で、時代が逆戻りしてしまったような印象が強い。
当時から見て「10年前の・・・・」って感覚だったんだよな。これはニューミュージックが出てきた頃の歌謡曲って言うイメージですよ。

まあ、この曲の場合、映画「雪の断章」の主題歌って言う縛りが初めからあった訳で、そのイメージに合わせなきゃいけないっていうところで、それいえにこういう曲調にならざるを得なかったってところは大きかったんだろうけどね。

でも、レコード売り上げだけを見ると、この曲の前、ビージーズの「若葉のころ」辺りをモチーフにしたと言われる「初戀」よりも、この曲の方が売り上げは、僅かに上がってるんだよね。
チャートでも、オリコンでは、この曲で初めてのベスト3入りを記録してるし。

まあ、チャートは他の曲との兼ね合いもあるんで相対的な部分もあるかもしれないけど、売り上げが微増したのは、ちょっと分からなかったな当時は。
それだけ、「スケバン刑事」からの人気が浸透してきていたって事もあるんだろうな、結局はさ。






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SOLITUDE / 中森明菜

1985_11_SOLITUDE_中森明菜


今回の1曲セレクトは、「SOLITUDE」中森明菜です。

まずはデータですぞ。

・タイトル    SOLITUDE
・アーティスト  中森明菜
・作詞      湯川れい子
・作曲      タケカワユキヒデ
・編曲      中村哲
・リリース日   1985年10月9日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 33.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1985年10月21日〜12月2日付

寒みーーーーーーーっ まさか東京で11月に「積雪」とはねぇ。。。。11月の雪は54年ぶりだそうで。。。
もちろん、50年近く生きて来ているワタシにとっても、こんな季節での雪なんて、今まで経験した事無いぞよ。。

いつもは、季節季節の情景を、昔のヒット曲で結びつけるて書いたりするんだけど、さすがに今日の雪は、結びつけるモノがない・・・・。

ってことで、書く曲に困っちゃったんだけども。。。。

でもね、冷静に考えてみたら、こんな曲もまだ書いてなかった・・・って曲をみっけたワ 

中森明菜「SOLITUDE」

うむ、今日の雪とは直接関係ないけど、丁度今頃のヒットだったんだっけ。

明菜の曲、これまでも大分書いてきた・・・つもりなんだけども、まだ書いてない曲もちょぼちょぼあるんだよな。
まあ、ワタシの独断と偏見で書く曲を決めている訳で、だからワタシの好みの曲から書いてきている・・・ってところがあるんでさあ、だからね、まだ残ってるってことは・・・・。

そうなのよねぇ、個人的に、この曲は、ちょっとね・・・・って感じなんだよな。 この曲もそうだけど、次年秋の「Fin」も、同じく、ちょっとね・・・って感じで。。  あ、でも「Fin」は既に書いてたんだよな。。。

好みじゃない「Fin」はもう書いてて、この曲書いてなかった・・ってことは、うーん、よほど眼中になかったって事かなぁ。

明菜の曲の場合、どうしても口先中心の「もしょもしょ」っとしている曲が、どうも個人的にはダメなんだよな。
この曲もそうだったでしょ。

いや、その前に、そう言う感じの曲は、シングルではこの曲が初めてだったんだよな。

それまでの明菜の曲って、もっとスケール感があったでしょ。加えて、お得意のロングトーンを多用した曲調で。
このヒトの場合、ロングトーンの声質に「らしさ」が出るんだよね。 声が前に出てくる・・・というかさあ。
そこが良かったんだよな。

スケール感でいえば、例えば、2曲前が「ミ・アモーレ」でラテン調。前曲が「SAN BEIGE」で中東、西アジア系調・・と、ワールドワイドな世界を表現してきてたじゃん。

それがいきなり、♪25階の非常口で、風に吹かれて爪を切る〜♪ なんて狭い世界な曲になっちゃったの? っかんじだったんだよなぁ。そんな狭い世界だからこそ、口先だけのモショモショっとした歌い方になっちゃったわけで、インパクトも薄いんだよな。

まあ、簡単に言えば、これまでになかった明菜の曲調であったことで、完全に戸惑ったんだよね、きっと。

この曲、元ゴダイゴのタケカワユキヒデ氏ノ作曲ども、今一つらしさを感じなかったというかねぇ。確かに洋楽っぽい「平坦」なメロディラインは、「らしい」のかもしれないけど、ゴダイゴの時は、もっと土着的・・・というか、もっとフックがいっぱいある様なメロディラインだったんだけどなぁ。

ま、いずれにしても、やっぱり慣れない曲調には、どうも触手が伸びにくい・・って事だったのかもしれない。 プラス、まあ、生理的にこの曲調にあったか、あわなかったか・・って事なんだよね。

でも売り上げを見ると、そう言うヒトが如何に多かったか・・・ってことだよね。
この曲の累積売り上げは33.6万枚。 ま、パッと見、それでも30万枚以上売れてるし、当時の尺度から言えば、30万枚以上で「大ヒット」って感じだったから、充分大ヒットの部類だった訳だけど・・・。

でも・・・なんだよね。 前曲の「SOLITUDE」から、いきなり13万枚も売り上げがダウンした訳だから・・・。
いや、82年に「少女A」が大ブレイクして以来、この曲の売り上げが「最低」だったんだよね。
 なにせ、「ミ・アモーレ」のロングバージョンである、12インチシングル「赤い鳥逃げた」(35.4万枚)よりも、売り上げが低いんだから。。。。

そんな売り上げ傾向から見ても、この曲で戸惑ったヒトが如何に多いかが分かるな。


ただね・・・・。今にして思えば、この曲をこのタイミングで持ってきたのは、「戦略」だったのかも・・・なんでことも思えたりしてね。
 前曲の「SAND BEIGE」までのイメージから、次の「DESIRE」以降のNEW明菜への転換するための、いわば完全な「つなぎ」・・・それがこの曲だったんじゃないか・・・と。

次の「DESIRE」で、全く新たな一面を出すためには、全イメージを完全払拭する必要がある。
でも、いきなり新たなイメージを出すと、逆に引かれちゃう危険性もある。。。というこで、一つクッションを入れた。それがこの曲なんじゃないのかなぁ・・・なんてね。

案の定、次の「DESIRE」は、NEW明菜っていうイメージを定着させるほどのインパクトがあったしな。
うん、あれだけのインパクトを感じたのは、この「SOLITUDE」でインパクトがなかった分、より利いたんだよね。

なんてさ、まあ、ワタシの完全な想像だけど。。。。、でも、結構、戦略的にシングルをリリースして来ていた「明菜」チームだったからさ、その辺の前後と近い将来の計算は絶対していたはずなんだよね。


でもでも、やっぱり、この曲を歌ってた最中は、もしかしたら、これで明菜も終わりかも・・・なんて本気で感じたりもしたんだよなぁ。 
まさか、次に「DESIRE」みたいな曲が来るとは思っても見なかったからさ。





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大将 / 近藤真彦

1985_11_大将_近藤真彦


今回の1曲セレクトは、「大将」近藤真彦です。

まずはデータです。

・タイトル    大将
・アーティスト  近藤真彦
・作詞      売野雅勇
・作曲      鈴木キサブロー
・編曲      松下誠
・リリース日   1985年10月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数 12.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1985年11月4日〜11月18日付

この前に書いた、山下久美子さんの「DRIVE ME CRAZY」は、ちょっとアクセスが少なかったなぁ。
やっぱ「引き」が弱かったかなぁ。まあ、ベストテンに入らなかったし、今から22年も前の曲だしな。覚えていないヒトの方が多いのも自然な事だったかもな。

・・・と言う事もあったから・・・と言う訳でもないんだけども、今回は「まっち」先生の曲をひとつ。

ま、まっち先生の曲。ちょっと前に84年の「永遠に秘密さ」を書いてるんで、少し間が狭くなってるけどまあ良いよね。
まっち先生の曲も初期の「大ヒット」曲群は、既にほぼ書いちゃったんだけども、こと、CBSソニーに移籍した85年以降の曲は、まだ、あんまり書いてないんだよね。

ま、理由は一つで、ソニーに移籍してから大ヒット曲が少なくなったから・・・なんだけどさ。

今回セレクトしてきた「大将」は、この年の2月にCBSソニーに移籍後、第3弾のシングルになる訳だけど・・・・。
オリコン最高6位だもんね。 あの絶好時の初登場1位常連、「ザ・ベストテン」では「9時半の男」と言われる位、ベストテン上位常連だった、まっち先生も見る影もなかったもんなぁ。
 売り上げ枚数も、ようやっと10万枚越えの12万枚強だもんね。82年までは50万枚が当たり前だったわけだし、それから見ると、寂しさだけが漂っている訳ですわ、ヒット実績を見ると。

じゃ、なんでこうなっちゃったの?

・・・といえば、ま、一つはデビューから5年が過ぎ、「アイドル」としての旬が過ぎた事。 それと、なんと言っても曲だよね。

どうもCBSソニーに移籍してから掴みどころがない曲が続いたからなぁ。
悪ガキまっちを地のままで行っていたRVCの頃のマッチはどこへ行った・・・って感じでさ。

強いて言えば、この「大将」はまっち先生らしい・・と言えば、そうだったかもしれない。 軟派のトシちゃん、硬派なマッチ・・・という時代からすれば、タイトルからして硬派なイメージがあったしな。

ただ、すこし時代錯誤な所はあったかもな。 あの頃、時代はもっとポップになって来ていたからなぁ。

軽薄短小っちゅうかねぇ、すでにおニャン子がデヒューしていたわけだし、ジャニーズでは、ちょうど少年隊がレコードデビュー間際だった頃だ。

そこに来て、「大将」と言われてもね・・・って感じだったんだよな。 ポップな時代背景を逆行するかのように、時代を遡っちゃったような印象だったよな。

うん、この曲のイメージは、「70年代」以前なんだよな。 そもそも ♪男は誰も大将 嵐のように生きる〜♪っていう時代ではなかった訳だしさ。 その辺が、今一つピントがずれてしまったような気はする。

ま、楽曲そのものは、まずまずだったんだけどね。

・・・というか、この曲聴くと、個人的には当時の情景が浮かぶんだよな。RCサクセションの「トランジスタラジオ」じゃないけど、授業をサボって学校の屋上でダベってた高校1年の頃の情景とかさ。そう言えば、よく晴れた午後の景色がきれいだったな・・・とかさ

そそそ、情景だけじゃなく、あの時の匂いまでくすぶってきたりする。 

そう、あの時、頭の中でヘビーローテーションしてた曲がこの曲だったんだよな。

ま、なんだかんだ言っても、個人的にはキニナル曲ではあったんだよな、当時。



夜ヒットだわな。丁度、85年の「歌謡大賞」を取ったすぐ後、ファンをスタジオに入れて・・・ってやつですね。
 しかし、この夜ヒットもそうだけど、まっちって、ファンをスタジオに入れて・・・って事が割と多かったよなぁ。
「ベストテン」でも同じようにファンの前で・・・ってことが何回かあったもんね。
それにしても、ファンコールが、「80年代」丸出しデス。。。。
MCの古館氏。報道ステーションから解放されて、最近復活してきたけど、この当時の軽薄なノリが復活してきたよな。

それよか、85年は、まっちだったんだよな。「歌謡大賞」。
賞レースっていうのも陳腐化が本格的になってきた頃ですね、この頃。
まあ、今は無くなっちゃったけどさ、「歌謡大賞」も。


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華麗なる賭け / 田原俊彦

1985_09_華麗なる賭け_田原俊彦


今回の1曲セレクトは、「華麗なる賭け」田原俊彦です。

まずはデータです。

・タイトル    華麗なる賭け
・アーティスト  田原俊彦
・作詞      吉元由美
・作曲      久保田利伸
・編曲      新田一郎
・リリース日   1985年8月14日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  12.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1985年8月26日〜9月2日付

1曲セレクトもここ暫くヒット曲という点では、メインストリームからちょっと外れた曲が続いたんで、ここいらで本来のメインストリーム的な曲を持って来ましょうかねぇ。 まあ週末と言う事もあるしね。

田原俊彦「華麗なる賭け」なんてとうだ

でも、うーーむ、ヒット曲のメインストリーム・・・なんて書いちゃったけど、これまた、ちょこっと「ビミョウ」なラインかなぁ。

一応、トシちゃんの曲ではあるけど、売り上げ的には下降線を辿っていた、85年の曲だからね。

それでも、この曲、オリコンでは1位取ってるんだよね。
まっち先生とは対照的に、オリコンではなかなか1位を獲れなかったトシちゅんではあるけども、この曲では、前年8月の「顔に書いた恋愛小説」以来、ちょうど1年ぶりでの1位獲得・・・・とチャートアクション的には良かったんだけどな。
 でも、ベスト100には僅か7週しかランクイン出来なかった・・・と、それまでのトシちゃんの曲としては同年2月の「銀河の神話」とワーストタイの「短命」ヒットに終わってしまった曲だからなぁ。

まあ、だからね、トシちゃんの曲とは言えど、あれから31年経った今じゃ、完全に知ってる人しか知らないよね・・・的な曲であっても不思議はないんだけどね。


ぢゃ曲的にツマンなかったのか・・・といえば、ま、個人的にではあるけども、この曲結構好きだったんだよな。
それまでの数作、ミディアムテンポな曲が続いたおかげか、それまでのトシの曲から比べれば、インパクトが救いない曲が続いたんだけどさ。そそそ、今一つ焦点が定まらない、シングルっぽくは無い曲が続いたんだけどさ。

この曲は、久しぶりに緊張感があるアップテンポだったし、曲の焦点も定まった・・というか、引きしまった感じの曲だったじゃん。
あ、久々にシングルっぽい曲が来たな・・・・なんて、嬉しかったんだけよね。 おそらく85年の勝負曲はこれだ・・・って感じ取れたとさ。 だから、これは売れてくるんだろうな・・・なんて予感があった。

BUT、フタを開けてみれば、ここまでのシングルの中でワーストの売り上げに留まっちゃったからなぁ。

デビューから丁度5年が経過し、さしものトシちゃん人気にも完全に陰りが見えてきたんだろうな・・・っていう所は拭えなかったよなぁ、この動きから見てさ。

まあ、丁度、この曲とは別に、トシ&ナオコの「夏ざかりほの字組」って曲が並行してヒットしてたって事もあるんだろうけどね、この曲の場合。
うん、「夏ざかりほの字組」は、売り上げ20万枚を超えてましたからね。そっちに「獲られ」ちゃったんだろうな。


ちなみに、この「華麗なる賭け」の作曲者は久保田利伸氏。 うんシンガーとしては、まだブレイクする前ですね。
個人的にも、この曲で久保田氏の名前を知ったのかな。
 久保田氏といえば、そのご「FUNKY」というキーワードで80年代終盤、大ブレイクしたアーティストだけど、この曲については、その後の「FUNKY」さっていうところは感じなかったんだよな。

いかにもそれまでの既存のポップス的な流れの曲だったしさ。どちらかと言えば、アレンジャーの新田一郎氏の色合いが強かったんだよな。イントロを初め、ブラスが比較的前面に出てきてたりするし。

久保田氏本来の「FUNKY」な一面がクローズアップされたのは、この曲に続いて次の「It's BAD」からだろうな、やっぱ。この曲・・・と言うよりも、「It's BAD」をきっかけにブレイクして言った感が強いからねぇ。



動画・・・リンクしたい動画が、You Tube以外からだと弾かれちゃうんで、You Tubeへ直リンク

https://www.youtube.com/watch?v=WhgFoZ0y6nI


個人的には、この曲の派手めな間奏が好きなんだよね。 いかにも「華麗なる」って感じでさ。
まあ、根っこの所は1985年・・・というよりも、もっと古い60年代〜70年代のエンターテインメント華やかかりし時代の雰囲気なんだけどさ。。。
 でも、個人的には、この曲の間奏部分を聴くと、1985年の今頃が一瞬にしてフラッシュバックされるんだよな。


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水の星へ愛をこめて / 森口博子

1985_08_水の星へ愛をこめて_森口博子


今回の1曲セレクトは、「水の星へ愛をこめて」森口博子です。

まずはデータです。

・タイトル    水の星へ愛をこめて
・アーティスト  森口博子
・作詞      NEIL SEDAKA
・作曲      NEIL SEDAKA
・日本語詞   売野雅勇
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1985年8月5日
・発売元     キング
・オリコン最高位 16位
・売上げ枚数  7.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 21位
・タイアップ:テレビ朝日系アニメ「機動戦士Zガンダム」主題歌

 前回のスターダスト・レビュー「夢伝説」に引き続き、今回もちょこっと変化球な曲かなぁ。
まあ、前回に比べれば、まだマシかな 

ハイ今回の1曲セレクトは、森口博子さんの「デビュー」シングル、「水の星へ愛をこめて 」ですわ。

まあ、この曲の場合、機動戦士「Z」ガンダムのオープニングテーマと言った方がしっくりくるヒトの方が多いかもなぁ。
かくゆう、ワタシも当初は、森口さんのデビュー曲というよりも、ガンダムの主題歌っていう認識が強かったような気がするなぁ、この曲に関しては。

アニメはあんまり見ないワタシだけど、当時「ガンダム」は見てたからねぇ。この「Z」は、ファーストガンダム「1年戦争編」の続編と言う位置づけだったじゃん。「ファーストガンダム」は、再放送や劇場版でセリフまでそらんじるほど見てたからなぁ、もちろん、続編となる「Z」も見なきゃなぁ・・・と意気込んでたからなぁ、当初は。

ただね、放送時間が確か、土曜日の17時30分〜だったんだよね。
当時、高校で部活をやってた身からして、土曜日と言えど、夕方はまだ帰ってなかった事が多かったからねぇ。最初の10話くらいまでは、毎週見てたんだけど、だんだんと見れなくなってきて、この「水の星へ愛をこめて 」で主題歌になったくらいはほとんど見れなくなっちゃってたんだよな、そう言えば。

この曲が主題歌になる前は、鮎川麻弥の「Z・刻をこえて」って曲が主題歌だったじゃん。たがら、ある日、久しぶりに「Zガンダム」を見たら、この曲が主題歌に代わってて、ちょっと違和感を感じたのを覚えてるなぁ。

違和感・・・ってのも変だけど、それまでの主題歌がスピード感があって、戦隊モノ的なイメージが強かったからさあ、この曲は、戦隊モノの主題歌にしては、大人しい感じがするからさあ、その辺に当初は違和感を感じてたんだよね。

ただ、アニメの主題歌・・・というところを離れて、いちアイドルとしての曲というと、やっぱり、なんか今一つ寂しかったのを覚えてるなぁ。
 やっぱり、当時のアイドルの曲は、もっと尖がった曲が多かったからさあ、メロディラインももっとキャッチーだったし、華やかさがあったからね。

そこから比べると、この曲は、アイドルの曲にしては「大人」っぽさがあったからなぁ。
メロディラインも他のアイドルの曲に比べると難易度があったしな。まあ、作曲者が、あの有名なニール・セダカ氏でしたからねぇ。
 日本のアイドルのことなど、考えてはいらっしゃらなかっただろうし、だから、難易度があったのは当然だったろうけどね。
ただ、そういう難しい曲を、いともさらりと歌う、森口さんもまたアイドルらしさから無かったんだけどさ。

・・・でも、ルックスはアイドルそのものだったんだよね。聖子ちゃんカットだったしさ

そそそ、まだ「バラドル」に行く前、正統派アイドルとして売り出したんですよ、当初は。

この曲こそ、そこそこ売れたんでね、85年デビュー組のアイドルとして出足は良かったんだけど、後が続かなかったからねぇ。

まあ、アイドル的なルックスではあったものの、今一つ華やかさがなかったからなぁ。ウタが達者だったっていうのも、当時のアイドルとしては、マイナスだったかもしれない。まあ、ヘンな話ではあるんだけども。。。
 例えば、やっぱりウタがウマかった、本田美奈子さんよりも「パンチ」は無かったからなぁ。そそそ、達者ではあるけどもインパクトは薄い・・・って言うかね。
それらの面でアイドルとしては、インパクトが弱かったんだろうなぁ。

うん、その後、やっぱり85年デビュー組の井森美幸とともに「バラドル」っていう新たなフロンティアを開拓して、成功するんだけどさ。
ま、当初の「既存」のアイドルとして成功できなかったからこそ、新たな道に行けたんだと思うし、それはそれでよかったんだよね。

・・・・ということで、「聖子ちゃん」カットの頃の森口さんのウタを。。



うーん、やっぱり、当時のアイドルの水準からするとウタ、達者だったんだよなぁ。
高音部の声の伸びがきれいだったしね。
ただ、やっぱりバラドルとして成功した後に比べると、今一つ線が細いよね。
個人的にも、この曲の後は、消えるだろうなぁ・・・とは思ってたよなぁ、当時。

ちなみに、今回のデータには、作詞・作曲者ともに「ニール・セダカ」氏とし、日本語詞を売野雅勇氏と記載しました。
ネット上見ると、作詞者は、売野氏になっているところが多いんだけども、JASRACの作品データベースを見ると、作詞・作曲者共にニール・セダカ氏になっているので、それに合わせました。

ちなみにちなみに、この曲のオリジナルタイトルは、「FOR US TO DECIDE」って言うんだよね。それは、知られていないかな?


夢絆 / 近藤真彦

1985_07_夢絆_近藤真彦


今回の1曲セレクトは、「夢絆」近藤真彦です。

まずはデータです。

・タイトル     夢絆
・アーティスト   近藤真彦
・作詞       売野雅勇
・作曲       鈴木キサブロー
・編曲       チト河内
・リリース日    1985年6月5日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  16.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1985年6月17日〜7月8日付

あー、あちいよあちいよ〜・・・・なんて、何日続けて書いてますかね〜。
気温は猛暑日にはならないんだけども湿度がねぇ・・・・、ジトジトジト・・・・と纏わりつく様ですこぶる気持ちが悪いですわ。そんな中、今日はクーラーを付けずに扇風機一つで書いておりまする

さて、今回の1曲セレクトは、久々に「まっち」先生を持ってまいりましたわ。
・・・と言っても、初期のRVC時代の曲は、大分書いちゃったからなぁ、今回はCBSソニーに移籍後の曲ですね。
RVC時代とは対象的に、CBSソニーに移籍後の曲は、まだあんまり書いてないんだよね。
今回は、そんな1曲。

「夢絆」。

夢絆・・・とかいて「きずな」と読む。 まあ、ここ読んで下さってる方には、こんな注釈は無用だと思いますが

CBSソニーに移籍してからの曲はあんまり書いてない・・・っていうのは、ま、はっきり言うと「まっち」先生らしくない曲が続いたからだよなぁ。
 まっち先生といったら、やっぱり、ハチャメチャで押しの一手の硬派な曲・・・って言うのが定番だったと思うけど、移籍してからは、その辺の「ハチャメチャ」さが陰を潜めたからなぁ。
 
 大人っぽさら前面に出した・・・といえば聞こえがいいけど、ただ、実際には今一つ中途半端さが表に出ちゃったような曲が多いんだよね。まあ、レコード大賞をとった「愚か者」とかは別としてさ。

今回引っ張ってきた「夢絆」。これなんかは中途半端な感じを受けたなぁ。
なぜに、まっちガこの曲のようなミディアムテンポを歌わなゃいけないのか・・・というのが、理解出来なかったんだよなぁ。
その前にまっちらしくないんだよね、この曲。 その辺に戸惑いを感じるような曲だったんだよなぁ。

やっぱり聴く方としては、↑のようにハチャメチャまっち期待していた訳で・・・そしたら思いっきり期待してた曲と違う曲が来たんでさあ・・・。

その辺の戸惑いは、チャートにも如実に出まして・・・。 まあ、売り上げが16.5万枚なんて、、それまでのまっち先生からは、想像も出来ないような「低レベル」だったのもそうだけど、 なによりオリコン連続1位記録が、この曲で途切れた・・・ってのは、やっぱ大きかったよね。
 前曲「ヨイショ!」も変な曲だったけど、それでも1位は確保した。 だから、この曲でも1位は行けるんじゃないか・・・と思っていたのに、これまた予想外な最高2位。
 81年の「ブルージーンズメモリー」から続いていた連続1位は14曲で途切れた訳ですわ。
ちなみに1位を阻止したのは、松任谷由実・小田和正・財津和夫の「今だから」っていうのも正直言って意外だったんだけどさ。

まあ、そのくらい、戸惑った曲だったんだよな、この曲は。

ただ、今となっては、それも遠い昔で、これはこれでよかったのかも・・・なんて思えるようになったりしてるんだけどね。
少なくとも、1985年の今頃を感じる1曲ではあるんだよね、個人的には。


あ、いや、正直言うと、ワタシねぇ、この曲もヒット時期を間違っていたんだよね。今頃ぢゃなくて、5月の終わりから6月頃・・・って記憶してたんだよなぁ・・・。
 まあ、細かく言えば、7月の第3週目はすでにヒットのピークは過ぎ、ベストテンからは墜ちちゃってたんだけどさ

でも、この曲聴いてた時期って、もっと肌寒かったような記憶があったんだよなぁ・・・。だから、5月の終わりごろだったかな・・って思ってたんだけども。。。。

ま、たしかに85年も、以前書いたような88年程ではなかったけど、涼しい夏だったんだよね。どん曇りの日が続いて・・・。 だから、あの年は「ギンギンギラギラ」っていう太陽の下で・・・っていう印象は薄いいんですよね。
この曲がリリースされた6月の初めっていうのもまだ涼しかった・・・ような気がする。
その辺の季節感が、今とはまるで違う・・ってことで、ちょっと誤って記憶してたのかもな。


ちなみに、レコードジャケット、今回、これを書くにあたって初めて見ましたわ
うーむ、なんかインパクト弱いなぁ・・・。コレの辺からも売れそうな感じがしないよなぁ・・・・。


動画・・・・うーむ、やっぱね、この位ジミな曲ともなると、You Tubeにも適当な動画がないなぁ・・・
・・・ってかジャニさんの動画対策なんだろうとげさぁ・・・
 しょうがないんで、「海外」のサーバーにリンク

http://v.youku.com/v_show/id_XMjYzNzQ3ODY0.html

一応、こちらからは繋がりましたが、繋がらなかったらスミマセン。



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墜ちないでマドンナ / 田原俊彦

1985_06_墜ちないでマドンナ_田原俊彦


今回の1曲セレクトは、「墜ちないでマドンナ」田原俊彦です。

まずはデータです。

・タイトル    墜ちないでマドンナ
・アーティスト  田原俊彦
・作詞      佐藤ありす
・作曲      佐藤健
・編曲      水谷公生
・リリース日   1985年5月16日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数 16.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1985年6月3日〜6月10日付

さてさて、先月来のトシちゃんです。
トシちゃんの曲もめぼしい曲は、すでに大分書いたんだけど、意外と1985年以降の曲ってまだ書いてないんだよね。
今回はそんな1985年の1曲どぇす。

「墜ちないでマドンナ」

85年の今頃のヒットですね。

なぜに85年以降の曲を未だ書いてなかったか・・・と言えば、ま、簡単に行っちゃえば、84年以前までに比べると大ヒットと言える曲が少ないから。それを裏付けるように今一つ引っかかりがある曲が少ない事なのかなぁ。
 引っかかりが少ない・・・っていうのは、必ずしも駄作ばかりと言う訳ではなく、今となっては印象に薄い曲って言う意味ですわね。

やっぱり、80年代前半のトシちゃんの曲は、良いも悪いもインパクトが強かったし、だからどの曲も印象に残っているんだよな。 以前も書いたけど、トシの曲ってまっち先生に比べるとバラエティに富んでいたからさ。
でも、それは、80年代前半って言う意味合いが強い訳だよね。

でも、この85年あたりから、やや楽曲パワーが弱くなってくる。それとともに売り上げも落ちて聴いた訳だけどさ。

トシちゃんだけに限らず、まっち先生も、その他の80年代前半から活躍してきた、いわいるA級アイドル全般に言えたことだけど、曲調がニューウェイヴ系っぽくなってきたんだよな、85年って。
まあ、ヒット曲全体の傾向がそうだったから、アイドルもそれを追っかけていたんだろうけど、ただ、どうも、アイドルとニューウェイヴっていうのは、相性が今一つだったような気が、個人的にはするんだよね。
それは、やっぱり曲のインパクトって言う面でさ。

まあ、としちゃん、まっち先生は、共にデビュー5年目を迎え、そろそろ世代交代を見据え、端からのヒット狙いっていう所から意識的に脱皮し始めていたって言うのもあるのかもしれないですけどね。

うん、この曲なんか聴いてると、そんな感じを受けるんだよね。それは、85年当時も感じたかなぁ。

まあ、ちょっと淋しかったけどね。トシちゃんには、まだまだトップアイドルとして先頭を引っ張って行ってもらいたかったし、それにふさわしい、インパクトに富んだ曲を歌って欲しかったしな。
 そんなトップアイドルへの復権は、88年の「抱きしめてTONIGHT」まで待たなければいけなかった訳だけども、だから、「抱きしめてTONIGHT」がリリースされた時は嬉しかった訳ですわ。

ともかくも、路線が変わって来ちゃったな・・・って感じた1曲でしたね、この曲は。


動画・・・ようつべにも落ちてたことは落ちてるんだけど、「最近」のしかないんで、別のサイトへリンク

http://v.youku.com/v_show/id_XNTM3NjA1NzY4.html

中国のサーバーだけど、とりあえず、繋がりは良いです。
もし繋がらなかったら ようつべの「最近」の歌唱を ↓



うーん、どうも印象が違うなぁ。
トシちゃんの声は、もう少しチャーミングでなくては。。。


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スクール・ガール / C-C-B

1985_05_スクール・ガール_C-C-B








今回の1曲セレクトは、「スクール・ガール」C-C-Bです。

まずはデータです。

・タイトル    スクール・ガール
・アーティスト  C-C-B
・作詞      松本隆
・作曲      筒美京平
・編曲      船山基紀
・リリース日   1985年4月25日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 8位
・売上げ枚数  21.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1985年5月13日~6月24日付

いやいや暑い1日でしたわ。ここ数年5月だというのに「真夏日」とか頻繁に観測されたりして、正直80年代までの感覚だと、「本当に5月?」って言いたくなるような感じがしますよね。
 いや、80年代・・・そうだねぇ、ワタシらが「TEENAGER」と呼ばれてた頃は、5月なんていったら、まだうすら寒い日が続いてたよなぁ。
 そそそ、6月1日衣替えで、制服も冬服から夏服にチェンジするじゃん。最初は寒かったもんね、マジで。

今回は、そんな、まだうすら寒かった1985年5月のヒット曲。

C-C-B「スクール・ガール」。

なんで、マクラに80年代の5月ってまだうすら寒かったよね・・・なんてことを持ってきたか・・・というと、この曲の記憶で、まず浮かぶのが「寒かった事」なんだよなぁ。 なんかねぇ、サムサムチキン(トリ肌)立ててブルッと震えながら聴いてた記憶があるんだよなぁ、この曲。
 その前に、1985年の初夏~夏っていうのは、天候不順な日が多くて肌寒い日が多かったんですよね。いや、85年に限らず、85年~88年にかけては夏場、肌寒い日が多かったよなぁ。
 
 丁度、この期間高校生だったワタシだけど、当時、夏場に「熱中症」なんてコトバを聞いたことはほとんどなかったもの。


ところで、この曲は、あの大ヒット曲「Romanticが止まらない」を受けて、次のシングルだった訳だけど。。。
兎角、大ブレイクした次の曲って言うのは難しい訳だけど、この曲も難しかったですよね。
大ヒットの余熱で、ある程度のヒットは約束されているわけだけど、果たしてどういう曲を持ってくるのかっていうのが難しい訳ですよ。

まあ、大体は大ブレイク曲Part2見たいな曲を持ってくることが多いんだけど。。。一番楽だしな。

でも、C-C-Bの場合は、敢えて()、「Romanticが止まらない」とは違う曲調を持ってきたっていうのは、今から考えるとエラかったな。
 
イントロの ♪ Goog-Bye ~ ♪ ってビーチボーイズ風のファルセットで始まった時は、ちょっとビックリしましたけどね。初めて聴いた時は。

ま、「Romanticが止まらない」以前の、「ココナッツ・ボーイズ」って名乗っていた頃のサウンドに一部戻ったということも言えますけどね。
うん、C-C-Bってシンセバリバリのポップロックって言うイメージが強いけど、もともとはビーチボーイズ風のコーラスポップが得意だったんだよね。まあ、それに一時的に戻ったって感じだったかな、この曲では

ただ、やっぱり、どうしてもインパクトっていう点では、「Romantic~」には遠く及ばなかった訳で、売り上げも「Romantc~」の半分以下の20万枚で止まっちゃいましたけどね。

 当時の個人的な期待からすると、やっぱり「Romanticが止まらない」PART2のような曲が聴きたかったっ言う部分が強かったんだよね。そう思ったヒトはやっぱり多かったんじゃないかなぁ。それは、売り上げに如実に出てましたよね。

まあ、まだガキだったしな当時は。 戦略的なことまでは見えなかったからさ。

今から考えると、戦略的な部分も強かったんだろうね、「Romanticが止まらない」のようなアッパーチューンではなく、ミディアムテンポの曲を持ってきたっていうのは。

筒美氏って、1曲単位ではなく、それぞれのアーティストの先々について戦略的に考えて曲作りをするスーパーな天才だから、おそらく同じ曲調を続けて、アーティストの幅を狭くするよりも、敢えて違う曲調をもってきてC-C-Bの可能性を探ったんじゃないか・・・なんて今では思えたりするんだけどさ。

数字って見方によっては捉え方が変わってくるじゃない  この曲を持ってる事で「20万枚しか」売れなかったのか、あるいは、こんなにインパクトが少ない曲でも「20万枚も」売れたのか・・・っていう捉え方の違い。

筒美氏は、後者的な捉え方だったんだろうね。
うん、上でも書いたように、大ブレイクの次の曲っていうのは、大ブレイク曲と同じように売れる事はまずない・・・って言うのを見越したうえで、インパクトが小さいミディアムテンポの曲を持ってくるとね。。。そこで可能性を見出し、次の第3弾に繋げていく・・・っていうのが、当時の筒美氏のパターンだったような気するなぁ。

例えば、まっち先生なんかそうだったじゃないですか。 大ブレイク曲の「スニーカーぶる~す」の後、あえてインパクトの少ない「ヨコハマチーク」を持ってきて、次の「ブルージーンズメモリー」に繋げていったとかね。
 
それと同じはパターンをC-C-Bでも試していたんだろうな・・・ま、一種の実験的な曲だったんだよね、この曲は。
っていうことは、今となってみれば感じますね。

作詞の松本氏は、言わずと知れた「大作詞家」だし、だから、いい詞を書くのは最初から分かってるんで、それだけ、冒険というか、実験的なことが出来たようなんだよね、当時、松本−筒美コンビで、連続してシングルに携わっていた時は。

70年代~80年代頃の曲って、こんな風に「戦略的」なところまで感じながら聴くのも面白いですよね。
最近の曲って、あんまり戦略的な部分が見えなかったり、あるいは見えすぎでかえってつまんなかったりするんでさ。。。。

まあ、C-C-Bのプロデュースは、筒美氏の実弟の渡辺忠孝氏だったからなぁ。兄弟としてそりゃ軽視できないアーティストだったろうけどね。

なに? 実弟なのに筒美氏と名字が違うって  筒美京平っていうのは「ペンネーム」ですよ~。
本名は、渡辺栄吉氏ですからねぇ~

・・・なんて書かなくてもわかってるか。。。ここ読んでくださっている方たちは。。。



それにしても、いつも書いてるような気がするけど、この時代一世を風靡していた、C-C-Bもチェッカーズも、「メンバーの死」ってことで、「オリジナルメンバー」では、再結成が絶対に不可能になってしまいましたね。
高々30年前なのか、それとも30年も前なのか、いずれにしても隔世の感じがするよなぁ。




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ジェラス・トレイン / 河合奈保子

1985_03_ジェラス・トレイン_河合奈保子








今回の1曲セレクトは、「ジェラス・トレイン」河合奈保子です。

まずはデータです。

・タイトル    ジェラス・トレイン
・アーティスト  河合奈保子
・作詞      売野雅勇
・作曲      筒美京平
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1985年3月5日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  9.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位

さて、久々に河合奈保子さんです。
「久々に」・・・って言うのは、実は、河合奈保子さんのめぼしい曲は、もう大体書いちゃったんだよね。なので、そろそろ打ち止めかなぁ・・・なんて思ってたんだけど。。。

でも、まだ書いてない曲がありましたねぇ。

1985年の今頃のヒットである「ジェラス・トレイン」。

この曲、今まで書いてなかった理由は、ただ、一つ、個人的に好きじゃないから・・・。だったりして。。。ジャジャン

いや、それじゃダメでしょ。。。。。

・・・ってことで、意を決してセレクトして来ましたわ。。。。

この曲、なぜダメなのか・・・というと、単純なんだけどさ、アイドルの曲っぽくなかったからなんですよね。
まあ、個人的な嗜好なんだけど、河合奈保子さんは、あくまでアイドルでいて欲しかったんだよなぁ。曲も大人っぽくなって欲しくなかったんですよ。

この曲は、もう、完全に「洋楽」だもんね。メロディラインからして。
この曲も、筒美京平氏の曲だけど、こんなに洋楽、洋楽なメロディも珍しくなかったかなぁ。
確かに昔からバタくさいメロディとサウンドで定評があったけど、それでも底辺にはジャパニーズアシッドがあったように思うんだよね。
 例えば、この曲と同時期にヒットしていた、斉藤由貴の「卒業」なんてのは、そんな感じだったじゃない? だから、すんなり受け入れられたんだよな。

でも、この曲は、イメージは洋楽的なのよ。 そこがちょっと、個人的には受け入れられなかったのかもしれない。

まあ、この曲の前の「北駅のソリチュード」、そのまた前の「唇のプライバシー」から続く、大人路線3部作の最終作ではあった訳で、筒美氏の、ある種の「実験」だったのかもしれないけどさ。

でも、この曲の次の「デビュー」は、河合奈保子の原点に戻ったような、爽快感があったでしょ。だからね、「デビュー」の時は、ホッとした、いや、ほんと随分ホッとした。

この曲の時は、このまま「大人」なアーティストになっちゃうのかな・・・なんて一抹の寂しさがあったからね。
そんな寂しさから、どうもこの曲から足を遠のけちゃったような気がするな。
 でも、そう思ってた方、意外と多いんじゃないのかなぁ。 この曲でついに、レコードの売上げも10万枚を割っちゃいましたからね。
 筒美氏の、河合奈保子「大人計画」は必ずしも成功じゃなかったような気がするな。


ちなみに、この曲の音源は持ってるんだよな  「ベスト」盤持ってるからさ。

でも、↑の様な理由から、この曲は今までほとんど聴いてなかったのよね。。。。

あ、そう言えば、この曲、「ザ・ベストテン」では3週連続10位で、そのまま10位圏外に落ちちゃったんだよな。
珍しいチャートアクションだったのよ。 うん、それは、未だに記憶に残ってる。
 でも、上には上が居て、82年のイモ欽トリオ「ティア・ドロップ探偵団」は、4週連続10位で、そのまま10位言外に落ちた珍記録を作ってたからなぁ。





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