かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1985年

オリコンウイークリー通巻300号(1985年6月24日号)

性懲りもなく・・・またまた
オリコンウィークリー通巻300号!
(1985年6月24日号)
〇表紙 とんねるず

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とんねるず、「一気!」で大ブレイクした少し後で、まさに上昇機運だったからなぁ、この時。
オリコンも300号を祝うには、とんねるず起用っていうのはもってこいのキャスティングだったんだろうね。
とんねるずは、この頃丁度放送していた「夕焼けニャンニャン」を足掛かりにさらにビッグになっていく。
極めつけは、やっぱ、この年秋のベストテンin静岡 での大暴れ事件だろろうなぁ。 そそそ、「雨の西麻布」の時の。
そりにしても、見ての通りのお祭りムードな表紙と巻頭特集。
オリコンの記念号の大々的なお祭り騒ぎは、ここから始まったんだよね。
300号記念特集での極めつけは、やっぱ1979年8月第2週の「創刊号」の復刻掲載だろうなぁ。
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これには、ワタシもびっくりしたし、穴が開くほど見入っちゃたもの。 
写真の冊子は、当時リアルタイムで購入した「私物」だけども、おかげでこの号はボロボロよ。
創刊号「復刻」掲載の後ろページに、「創刊号」持ってます・・っていう読者特集があり羨ましかったなぁ。
個人的に定期的に購入し始めたのは、1984年4月の長山洋子さん表紙の通巻241号から。 
あわよくば、遡って昔のオリコンを手に入れたい・・と思い始めたのも、この読者ページを見てからですね。


〇今週のランキング
例の如く、週間ランキングを写真掲載するとオリコンさんに怒られちゃうので、テキストのみで。。
(っつうか、↑の創刊号もやばいんだけど。。。)

・シングル 1位は「今だから」松任谷由実・小田和正・財津和夫

1985_06_今だから_松任谷由実 財津和夫 小田和正


前週に引き続き2週目の首位。
これは、あれよ。国立競技場で開催された「ALL TOGETHER NOW」っていう世紀のイベントのテーマソング。
吉田拓郎氏を頂点に、はっぴいえんど、サディスティック・ミカバンド、松任谷由実、オフコース、チューリップなど1970年代前半デビューの第1世代、
サザン、佐野元春、ラッツ&スター、白井貴子、山下久美子など70年代後半〜80年代初頭デビューの第2世代、 
チェッカーズ、それ以降デビューの第3世代・・・と、いわいるロック・ニューミュージック系アーティストが世代を超えて集結した超大型イベントでしたね。
まあ、はっぴいえんどの細野氏のようにニューミュージックの葬式だという趣旨の方もいらっしゃって、必ずしも、出演者全員の意識が一枚岩のイベントでは無かったですが・・・・。
ちなみにこのイベントで注目されたのは、白井貴子さんでバックコーラスをしていた、デビュー直後の渡辺美里さん。
悔しいのは、当時、高校1年だったワタシは、このイベントのチケットが取れなくてね。 オリコンの読者伝言板に掲載された「チケット売ります」の応募にも外れて、結局参加できなかったのよ。 確か開催された1985年6月15日は土曜日で、ガッコさぼって行こうとしてたんだけどさ。。。。
今だったら、チケットサイト総動員してでもチケットとりに行くんだけどなぁ。。。あの当時はネットなぞあるわけもなく、ハガキ応募かプレイガイドの「窓口」に並ぶのが普通だったからねぇ。
2位が、まっちの「夢絆」。

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3rdシングル「ブルージーンズメモリー」から続いていたオリコン連続1位記録が14作で途絶えた瞬間でしたねぇ。
前作「ヨイショ!」から急激に売り上げが下がって来てましたからね。RVCからCBSソニーへの移籍は裏目に出たかんじだったよな。 この曲で日本テレビ音楽祭のグランプリを受賞したけど、たんなる箔付けにしかならなかった気がする。

・LP  The 9th Wave 松田聖子さんが初登場1位。
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週間売り上げ枚数 11.3万枚は、 2位の「We are the World」の約5倍とぶっちぎりのトップ。
まあ、兎も角、この頃、聖子さんのアルバムは強かったのよ。片や、中森明菜さんのアルバムも強力でしたけどね。
売上げ的に両者甲乙つけがたく、当時のアイドル2大巨頭の構図は、完全に出来上がっていましたね。

ちなみに、この週は同時に1985年上半期ランキング発表にもあたってましたね。
シングル1位 チェッカーズ「ジュリアに傷心」
アルバム1位 井上陽水「9.5カラット」
結局、この両者が、そのまま年末の年間ランキングの首位でもありましたね。
これから見ても、レコード売り上げの縮小は徐々に進んでいたのが分かるな。


〇その他のアラカルトランキング
この頃になると、アラカルトランキングはさらに縮小が進み、テレビ視聴率は月1回の掲載に・・・。 この週は掲載週に当たらなかったんで掲載無し。。。。

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そんなアラカルトランキング縮小に対して、「オリコン通信」という、いわいる読者ページが増ページと、幅を利かせて来ていたのもこの頃ですね。

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それとともに、チャート情報誌・・というよりもアイドル誌的な面が顕著になってきていたのもこの頃からだな。
それは、このすぐ後、「おニャン子クラブ」のレコードデビューで決定的に。。。。
ランキングや、アーティストなどの「情報」を手に入れるために購入していた方々のオリコン離れが始まってきていたのも、この頃からじゃないかなぁ。




メロディ / サザンオールスターズ

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今回の1曲セレクトは、「メロディ」サザンオールスターズです。

まずはデータです。

・タイトル    メロディ
・アーティスト  サザンオールスターズ
・作詞      桑田佳佑
・作曲      桑田佳佑
・編曲      サザンオールスターズ
・リリース日   1985年8月21日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   26.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1985年9月9日〜10月28日付

台風が接近して蒸し暑さが戻ってきた昨日だったけど、台風が去ってから北風になり一転して涼しい朝を迎えましたわ。ただ天気は依然として「どん曇り」。
いずれにしても、風が北風に変わると秋の気配を感じられてきますわな。
真っ青な秋空というのもいい。 けど、個人的にはむしろ今日のような北風が吹く曇天模様の日のほうが秋を感じたりしてね。

昨日も太田裕美さんの「九月の雨」がラジオから流れてきたけど、この曲のように9月、10月と言うと秋の長雨のシーズンでもあり、今日のような曇天模様の日も意外と多いわけで、こういう日の方が秋を感じるのかもしれないなぁ。

・・・ということで、この曲を聴くと、今頃の曇天模様を思い出す曲を一つ。

サザンオールスターズ「メロディ」。

この曲も「すでに書いててもおかしくないのにまだ書いてなかった曲」なんだろうなぁ。
ただ、サザンは、これまで動画落ちてなかったんで、なかなか書きにくかったんだよね。
ここに来て、ようやくyoutubeでも見れるようになったんで、今回改めて引っ張ってきたんだけどさ。

ところで、なんで、この曲を聴くと曇天模様なのよ・・・なんて、言われちゃうかもしれないけど、ま、あくまで個人的に感じるというわけで。。。

この曲がリリースされたのは1985年8月の終わり。 以前からここでも書いてきているように、この年の夏は天候不順の日が多かったんだよね。
この年の夏の記憶と言ったら、雨の中に出かけた記憶しかない。 その傾向は秋も続いたように思えるなぁ。

今思うと、80年代って、昨今のように「猛暑」だった年って、数えるほどしかないんだよね。どちらかと言えば、冷夏、かつ天候不順の年の方が多かったように感じる。 だからなのか、秋と言えば、曇天模様という記憶が多いんだよなぁ。

この曲と言って、最も記憶に残っているのは、通っていた高校の姉妹校の野球部が秋の関東大会の決勝まで勝ち残って、我ら吹奏楽部が野球応援に借りだされ、甲府まで応援に行ったことだなぁ。

あの日も雨だった。そのため試合は次の日に順延。たしか中央道の談合坂まで行ったところで引き返し、そのまま学校の寮に宿泊した記憶がフラッシュバックするんだよな。

順延になった次の日も、今にも降りそうな雲が低く垂れこめ、薄暗い日だったことを記憶してるわぁ。

あの頃、一番聴いていたのは、リリースしたてだったサザンのアルバム「kamakura」。あの時の野球応援の時も、甲府までのバスの中で暇つぶしに聴いてようと持参したウォークマンは、買ったばかりの「kamakura」から録音したカセットだったと思う。

だからなんだろうね。この曲を聴くとあの時の光景が色濃くフラッシュバックしてくるのは。

野球応援、雨、学校の寮への宿泊、 順延後の曇り空の下での応援、試合後に支給された焼肉弁当の味。

あの時の一連のいろんな光景がフラッシュバックしてくる。

そんな曇天模様の一連の光景がフラッシュバックしてくるからなのか、どうも、この曲のイメージは「灰色」なんだよなぁ、ワタシの中では。

それと、明石家さんまが出演し、この曲が流れていた「kamakura」の販促用のCMがモノクロだったイメージもあるのかもしれない

↓ コレ




でも、実際のレコードジャケットは、↑のような深紅だったじゃん。 なんかその相反するようなコントラストが、また印象的だったりしてね。


それと、同じく↑で書いたように、個人的にはアルバム「kamakura」でこの曲を聴いていたように、シングルというよりは、「kamakura」のなかの準リード曲っていうイメージが強い。

これは、ワタシだけでなく、多くの方も感じていたのかなぁ。オリコンでは最高2位まで行ったものの、売り上げ枚数は26.6万枚にとどまっている。

「kamuraka」の制作を明らかにし、先行シングルとしてリリースされた前作「Bye Bye My Love」の38.6万枚に比べても、明らかに低めの売り上げ枚数だったしね。

逆に言えば、この曲がオリコン2位まで行ったというのは幸運だったのかもしれない。
1985年9月2日付のオリコンで、5位初登場から、翌週9日付で2位に上昇にしたんだけども、その時の週間売り上げは3万3千枚。

レコード売り上げが全体的に下がっていた1985年といっても、この週間売り上げでの2位と言うのは、それほど極端に高レベルと言うわけではない。

むしろ、初動の週間売り上げ4万枚強だったのに4位止まりだった「Bye Bye My Love」のほうが不運だったといった方がいいのかもしれない。

それだけシングルでというよりは、アルバム「kamakura」でこの曲を聴いてた方が多かったってことなんだろうな。 ワタシもその一人なんだけども。

ちなみにアルバム「kamakura」の売り上げは、1985年当時、LP 60.9万枚 カセット32.0万本と、この2アイテムだけでも90万枚以上の売り上げを記録。

まあ、いずれにしても、バラード調のこの曲は、確かにキャッチーではあるものの、単独で聴いてると、意外と単調、かつ、かっちりと固まったメロディラインということもあるのか、何度も聴いてると飽きが来たりするしさ。
いかにもシングル向きという尖がったイメージ、曲全体のインパクトもやや弱いしさ。
そういう意味では、シングルというよりもアルバムの中の1曲というほうがいいのかもしれない。

ただ、アルバムの中でも、今一つ収まりが悪い曲っていうのが、大抵のアルバムではあるじゃない!?
コンセプトアルバムだったら、なおさらに。

アルバムには今一つ収まりが悪いけど、曲をシングルに切れるかと言うと、そこまでは尖がって居ないという曲。
この「メロディ」って曲は、そういう位置づけの曲だと思うんだよなぁ。

幸運だったのは、「kamakura」がサザン初の2枚組のアルバムだったってことだよね。
片方のレコード(CD)には、先行シングルでリリースした「Bye Bye My Love」が収録されているわけで、もう片方のレコード(CD)のシングルは・・・となった時に、シングルとしては尖がって居ないまでも、アルバムの1曲としては、収まりの悪いこのメロディをシングルに切った。

つまりさ、もし、仮に「kamakura」が2枚組ではなく、通常の1枚のアルバムだったら、シングルにはなっていなかったんじゃないか。

まあ、あくまでも個人的な見方だけどさ、そう思えたりもするんだよね、この曲については。


なんて、言いたい放題書いちゃったけど、「kamakura」の楽曲クオリティが全曲通して高いだけに、そう思えたりもしたんだろうな。
これが一般的なアルバムだったならば、この曲がシングルでも全然不思議ではないんだけどね。





ところで、この「メロディ」、レコードではコーラスに原坊は参加していない。
この曲がレコーディングされたころ、ちょうど「ご懐妊」されていたんだけども、妊娠中毒症にかかってしまい、赤ちゃんが危ないかもしれないということで、「kamakura」のレコーディングは途中から外れたんだよね。

ただ、キーボードパートは押しなべて録音済みであったことが幸いだったし、原坊のソロ曲「鎌倉物語」は、自宅マンションにレコーディング車を横付けしてもらい、自宅のベッドから歌ったものだったんだよね。

なので、この「メロディ」でベストテンなどに出演した時も、当時の雑誌の取材の時も「原坊」は参加していない。

代わりにこの曲のバックコーラスに入ったのは、当時、サザンと同じアミューズ所属だった、ジューシィ・フルーツのイリア。

・・・なんて、いかにも当時から知ってました・・・普通に書きましたが、実は最近知りました(爆)

それを踏まえて、改めてレコード音源を聴くと、なるほど、たしかに「イリア」だ。。。って納得。

ただ、当時、原坊がベストテンなどへ出演、雑誌取材にも参加してなかったこと。それに加えて「kamakura」リリース後のサザン活動休止宣言から尾ひれがついて、桑田、原坊不仲説、あるいはサザン解散説・なんて雑誌に掲載されたりもしましたね。

事実は、全く違うんだろうけど、でも、結果的に、この「メロディ」と、アルバム「kamakura」リリースから、サザンは3年近くの活動休止状態に入るわけで。。。。



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ガラスのPALM TREE / 杉山清貴&オメガトライブ

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今回の1曲セレクトは、「ガラスのPALM TREE」杉山清貴&オメガトライブです。

まずはデータです。

・タイトル    ガラスのPALM TREE
・アーティスト  杉山清貴&オメガトライブ
・作詞      康珍化
・作曲      林哲司
・編曲      林哲司
・リリース日   1985年11月7日
・発売元     バップ
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数  20.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1985年11月25日〜12月30日付
・タイアップ:ダイドードリンコ「ジョニアンコーヒー」CM曲

ちょっと前に、FM東京系で毎週土曜日16時〜17時で放送されている「キリンビール"Good Luck Live"」で杉山清貴氏がゲストに出た。
その時のMCで「来年はオメガトライブで全国ツアーをやる」・・って言うのを聴き逃さなかったワタシ
・・とは言うものの半信半疑ではあったんだよね

BUT、先日チケットぴあのサイトを見てたら、本当に「杉山清貴&オメガトライブ」復活ライブのチケット予約が出てるじゃんか・・・。

マジで   ・・・と思いーの、思わず、2月9日(土)の中野サンプラザでのライブの先行予約しているワタシが居たりして。。。

もちろん、当選しました。   で、昨日無事チケットが届きました。

2階席だったけど・・・・とりあえずは、まあいいか。

ちなみに・・・「杉山清貴&オメガトライブ」としてのライブは、初めての参戦なんだよな。
杉山清貴氏のソロとしては、数年前にここんところ毎年行われている「ポプコン」の同窓会コンサートで見た。

この間の「キリンビール"Good Luck Live"」でのライブもそうだったけど、まだまだ現役バリバリに声が出てるし、オメガトライブを復活させればいいのに・・・と思っていたんで、個人的には手放しで喜んでたりするんだけどね。



・・・いうことで、今回の1曲セレクトは、やっぱ「杉山清貴&オメガトライブ」で行きたいっ

・・・んだけど、オメガトライブなんて、もう大体書いちゃったよな・・・と思いーの過去のライブラリーを検索したら、むむ・・まだ書いて無い曲があるぢゃないの・・・。 しかもちょうど「今頃」ヒットしてた曲が。。。

と引っ張ってきましたわ。

「ガラスのPALM TREE」

あわわ、これは完全に「死角」だったなぁ。 うーむ、昔、一度書いたような気がしてたんだが・・・。



この曲は、「杉山清貴&オメガトライブ」としては7枚目のシングルにして、ラストシングルでしたわな。

そそそ、解散することが決まった上でリリースされたシングルですわ。

正直、個人的には寝耳に水でしたね、この解散は。

言ってみればオメガトライブとして「絶頂期」での解散宣言だったから。

いや、この年1985年のオメガトライブは、絶好調だったじゃないですか。 春先にリリースされた「ふたりの夏物語」が大ヒット。「ザ・ベストテン」では1位もとったし。アルバムは夏にリリースされた「ANOTHER SUMMER」がオリコン1位を獲得。

・・・とまさにバンドとして頂点にあった時期の解散宣言だったんだよね。

だから、当時は、なぜに解散するのか・・・と言う意味が全く分からなかった。

真相が分かり始めたのは、最近ですね。 

今回引っ張ってきた「ガラスのPALM TREE」を始め、それまでのすべてのシングルを作曲した林哲司氏の著書「歌謡曲」に詳しく出てるけど、杉山氏は、かなり以前からバンドを脱退したがっていたらしい。

オメガトライブって、バンドではあるけど、すべてのシングルの作曲が林哲司氏であるように、歌詞、曲、全てが「作られた」物だったんだよね。

それ以前に「シティポップ」「夏」っていうコンセプトでガチガチに固められた上で売り出されたバンドだったんですよ。

つまりは、杉山氏が本当にやりたいと思っている事が、オメガトライブでは出来ない・・・。そこにジレンマを感じていたらしい。  
そんな折、バンドとして絶頂を極めた事で、逆にそのジレンマが爆発してしまった。

そういうことだったようだ。

そんな思いの捌け口として、予定外だった「FIRST FINALE」というアルバムを制作。 急遽、この年1985年の12月にリリース。 このアルバムでは林哲司氏以外に、オメガトライブのメンバー作曲も収録され、杉山清貴氏自身も3曲書いている。

そしてオリコン1位獲得。

杉山氏の中では、このアルバムでオメガトライブとしては全てやりきった・・・と言う思いがあったようです。

だから・・・と言う訳ではないと思うんだけど、今回引っ張ってきた「ガラスのPALM TREE」と言う曲は、テレビでもあんまり歌われていない。
それどころか、この年のファイルナルコンサートでも歌われていない。

既に杉山清貴氏の中では「ガラスのPALM TREE」は、オメガトライブとして昇華仕切った後にリリースされたシングル。 そういう位置づけだったようですね。


ただ、個人的には、この「ガラスのPALM TREE」と言う曲は好きだった。
バンドデビュー曲の「サマーサスピション」を踏襲するようなイメージだったし。

そそそ、つまりはヤマハDX7がふんだんに使われたサウンド。 オメガトライブの真骨頂はココだと思うんだよね。

たしかにオメガトライブ=シティポップス、クリスタルって言うコンセプトは大きかったと思う。 ただれそれ以上にヤマハDX7のサウンド、これが彼らを大きくしたんじゃないかと思うんだよね。

いや、80年代中盤の象徴なんだよなヤマハDX7のサウンドって。 それをふんだん使用し、操っているオメカトライブって言うバンドも時代の象徴だったんだと思う。

逆に言えば、杉山清貴&オメガトライブの解散は、一つの時代の変わり目になったんだと思う。

そう、86年以降、ヤマハDX7のサウンドって少なくなっていくだよね。 

それからしても杉山清貴&オメガトライブの影響力がいかに大きかったのか・・・って言うのは見てとれるんじゃないのかな。

いずれにしても、カラッとした空気感は、これまでの杉山清貴&オメガトライブであり、ラストシングルっぽくないのはいい。 普通、解散前のシングルって湿っぽくなりがちじゃないですか。
これが最後・・・と思わせるところも無いし、本当に、これで解散なのか 

・・・・そんな感じがしてたな、当時は。





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月光淑女! / シブがき隊

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今回の1曲セレクトは、「月光淑女!」シブがき隊です。

まずはデータです。

・タイトル     月光淑女!
・アーティスト  シブがき隊
・作詞       森雪之丞
・作曲       Frankie T.
・編曲       鷺巣詩郎
・リリース日   1985年6月29日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数   9.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位

ここ暫くは土日に1曲ずつ書いてる、「1曲セレクト」だけど、またまた「書きたくないよう〜」病が。。。 
あー書かなきゃ書かなきゃ・・・と思いながらもウダウダしちゃったりして、昨日書くのを飛ばしちゃいましたねぇ。。。
でもね、内なるもう一人のワタシが、こりゃイカン・・・と背中を押しまして、ようやくPCに向かってたりします。

本当は、当初、別の曲を持ってこようと思ってたんだよね。でも書きだしが浮かばなくてさあ。昨日、書くのすっとばしたのは、それもあったんだけどさ。

で、昨夜、トイレで踏ん張ってたら、違う曲のメロディが浮かんできまして・・・。考えて見れば、「今頃のヒットだ〜」と思い、急遽、曲を変更。引っ張ってきちゃいました。

その曲は・・・

シブがき隊「月光淑女!」     ザザーン

なに 「げっこうしゅくじょ」   いやいや、こう書いて「ムーン・ビーナス」と読ませる・・・と。

もうね、この曲位のヒットレベルになると、ほとんど知ってるヒトしか知らないよね〜・・・くらいの存在だったりするんだけど、いかがでしょうねぇ、覚えてますかねぇ。

まあ、タイトルの読ませ方は、流石は森雪之丞氏。当て字がウマいよな・・と思ったりもするんだけど。。。


リリース順で言えば、「DJ In my Life」の次、1985年6月末リリースだったんですけどね。

 この曲に至るまで、ヤックン曰く「チェッカーズ」に人気を取られたということもあり、売り上げ枚数も右肩下がり、ヒット規模も下がって来ていたシブがき隊。 この曲でついに売り上げも10万枚を割っちゃったんだよな。
それまでなんとかベストテン中位程度で持ちこたえていたチャートアクションも、ベストテン入りギリギリになっちゃっりして。

 そんな状態の曲だったりするんで、今となっては殆ど死角な曲になっちゃったりするんだけどさ。 もしかすると、ファンの間でも忘れられた存在だったりして・・・。存在感が薄い曲だったりするんだよ。

でも、そんな存在感が薄い曲だからこそ、逆に個人的には「面白い存在」だな・・・と思えたりもするんだけどさ。「手垢」が少ないって言う意味でも。

いや、実際、曲調的にも面白いな・・・とも思えたりするんだよな。 あ、いや、実際当時は「変な曲」って思ってたんだけど・・・。

 良く言えば、いろんな曲調が次々に現れる展開が激しい曲。 悪く言えば、いろんな曲の「ごった煮」状態の曲。
そもそも、この曲のベースのリズムはどこなんだろう・・・とか思ったりして。。。 

ディスコ的なイントロが来たと思ったら、60年代リズム歌謡的なAメロ、ビッグバンド風なブラスを基調にしたなBメロ・・・かと思ったら、サビへのブリッジではスパニッシュフラメンコ調、 かと思ったらサビでは、再度、リズム歌謡調・・・と。目まぐるしく変わるのよ展開が。。。

うーん、どうなんだろう? この曲の主人公のビーナスは、それほど目まぐるしいほど変わり身が激しい「淑女」なんでしょうかね

でも、全体的に共通して感じる温度感からすると、歌詞にもあるような「アフロビート」な感じなんだろうな。 
うん、熱帯・・・とまでは言わないけど、クーラーがほとんど効いて無いようなディスコのようなビートと温度感・・っちゅうのかなぁ。ずっと後年だけど、ケツメイシの「君にBUMP」でも感じたような、あの独特の蒸し暑さ。
それをこの曲でも感じちゃったりするんだよね。

だからなんだろうね、昨夜、トイレで踏ん張ってたら、この曲が浮かんで来ちゃった・・・っていうのは。

昨日の台風が過ぎて、昨夜から今朝にかけて、めちゃくちゃ蒸し暑かったからさあ。 異例の進路を取った台風12号が熱帯の空気を運んできた・・・なんて思ったもの。 まあ、風雨をさけるため、昨日は家中の雨戸も窓も閉め切っていたっていのうもあったんだろうけどさ・・・。



ただ、やっぱりまとまりが無いんだよね。 シングル曲として焦点が今一つはっきりしていないって言うのかなぁ。シングルとして説得力が今一つ欠けているかなぁ・・とは感じる。
 良く言われるようにシングルとしては今一つインパクトに欠ける、でもアルバムの1曲としては頭一つ抜け出していて居る曲なんだよね。
つまりは今一つ収まりが悪い曲。 準シングル曲って言うのかな。 そんな感じの曲なんだよね。

そう言う意味では、どの程度、本気でヒットを狙って行ったのか・・・っていうのも問われるのかもな。 ヒット規模が右肩下がりな状況を本気で替えるべく大ヒットを狙って行ったのか、 現状維持を狙って行ったのかって事。
それを考えると、やっぱり後者だよね・・・としか思えなかったりするんだよね。

案の定というか、実際は最初に書いたように、大ヒットとは至らず10万枚割れを起こしちゃったりしたんだけどさ。


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Z・刻をこえて / 鮎川麻弥

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今回の1曲セレクトは、「Z・刻をこえて 」鮎川麻弥です。

まずはデータなのだ。

・タイトル    Z・刻をこえて
・アーティスト  鮎川麻弥
・作詞      NEIL SEDAKA
・作曲      NEIL SEDAKA
・日本語詞   井萩麟
・編曲      渡辺博也
・リリース日   1985年2月21日
・発売元     キング
・オリコン最高位 15位
・売上げ枚数  9.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 22位
・タイアップ:テレビ朝日系アニメ「機動戦士Zガンダム」オープニングテーマ

毎回毎回「マクラ」で書いてるように、「久々」っていうのが、常套句のようになった最近の1曲セレクトですが、今回も2週間ぶり(?)ですな。
 最近は平日の帰宅時間が遅くなってきたんで、ちょっと書くのが難しいんで、少なくとも週末ぐらいは書きたいなぁ・・・と頭では思ってるんだけどねぇ・・・。 何分、もともと「物ぐさ」な性格なもので・・・っていうか、最近、それがだんだんエスカレートしてきて、なかなか筆が上がらないんだよねぇ。

でも・・・と思いつつ、やっとPCに向かいましたわ。

さてさて、今回引っ張ってきた曲は、鮎川麻弥さんの「Z・刻をこえて 」。

そそそそ、あのアニメ「機動戦士Zガンダム」の最初のオープニングテーマだった曲ですわな。

へぇ、アニメの曲を持ってくるとは珍しい・・・なんて思われますかねぇ。 まあ、たしかに、最近のアニメだとかゲーム関係の曲には、とんと触手が伸びないワタシなわけで、ここでもあんまりこのテの曲は書かないんだけどね。

それでも、85年当時は、まだ、今ほど気ぎらしいしてた訳でもないんだよね、アニメ関係の曲も。 ただ、たしかに85年くらいになると、アニメなんてあんまり見なくなってたからなぁ。
当時、、周りで超人気だった、「北斗の拳」だって見てなかったし・・・。 当時中学〜高校だったワタシは、「いい年こいてアニメかよ」って思い始めてたところもある。

うん、個人的には「実写」のドラマの方が好きだったしね。

でもさ、「ガンダム」関係はみてたな、当時も。 84年頃って、「ファースト」ガンダムの再放送を、まだ、たまにやってたんだよね。 もう、再放送を何度も見て、内容もセリフも覚えてるのに、それでも再放送見てたもんなぁ、ガンダムは。

だから、新シリーズとなる「Z・ガンダム」が始まるって言われて時は、楽しみだった。

でもさ、いざ、シリーズが始まって、オープニングテーマとなった、この「Z・刻をこえて」を初めて聴いた時は、違和感たっぷりだったんだよな。

だってさぁ、カッコ良過ぎるんだもの。 ワタシの中のガンダムのオープニングというと、どうしても「翔べガンダム」の、如何にも子供向け戦隊モノアニメのオープニングっていうイメージがこびりついてたからさぁ。

そこからしてみると、この「Z・刻をこえて」はカッコ良過ぎた。 まあ、今にして思えば、その後のアニメ関係の楽曲の礎のような曲ではあるんだけど、エッジが立ちドライブが聴いたサウンドは、ニューウェイブ系のそれを彷彿させるんだよな。
 簡単に言うと、如何にも80年代中盤・・・いや、もっと細かく言えば、如何にも「85年的」な音なんだけどさ。

エッジが立った輪郭がはっきりしたサウンドっていうのは、前年の84年もその傾向はあったんだけど、85年の音って、84年のそれよりももっと輪郭が深いんだよな。でもって84年よりも音が軽い。 

84年の特に邦楽って、「フットルース」っていう一つ命題があって、特にボニータイラーの「HOLDING OUT FOR A HERO」ね、これにインスパイアされたような曲が多かった。
うん、ニューウェイヴ系ではあっても、もっと猥雑なサウンドが流行りだったんだよね。
でも、85年は、そののくびきが取れ、もっと音のエッジが深くなっていく。

個人的には、このテの音が、どうも好きになれなかったんだよなぁ。 まあ、まったく受け付けられなかったって訳じゃないけど、深入りはしたくないって言うか・・・・。 だからねぇ、この85年ぐらいから、個人的な曲の好きキライっていうのかのが、はっきりしだしてきたんだよね。 キライというか生理的に受け付けられないっていうか。。。

まあ、そんなこともあって、この曲も、正直、初めて聴いたイメージが払しょくされずに・・・そのまま「闇」の中に封じ込めてしまった・・というか、全く聴かないままいつしか忘れちゃった・・・って感じだったんだよなぁ。

うん、当初、楽しみにしてた「Z・ガンダム」も、実際にみたのは最初の10回くらいだったし・・・。

・・・っつうかさ、「Z・ガンダム」って本放送は、土曜日の17時30分〜18時だったじゃん。

始まったのが、85年3月で。この時丁度、中学校を卒業したワタシは、最初は見れたんだよ。卒業式が終わって、高校入学式までの1ヶ月は暇だったからさ。

でも、高校入学して部活が始まってからは、土曜日の17時30分なんて、まだ帰宅してなかったもの。

物理的に見れなくなっちゃう訳よ。 で、いつしか忘れちゃったしさ・・・。 だからねぇ「Z・ガンダム」も「ZZ」も今となっては、、全然話が分かんないんだよね



ニューウェイブ然としたサウンドで、ヒットした当時は受け入れづらかったこの曲も、33年経った今では、理解出来るようになったな。 
この曲、若干、ノリがジャズっぽいんだよな。ハネ系のノリから一見するとモータウンって言う感じもするけど、バックのブラスがジャズっぽい。間奏部のギターソロにしてもそう。 おそらく、その辺ノリにも当時はっついて行けなかったんだろうな。

ちなみに、この曲の作詞、作曲者はニールセダカ氏。 そそそ、50〜60年代のオールディーズの立役者の一人ですわな。 だからか、どこかオールディーズの匂いが・・・いいや、そんな匂いは全くしないんだよな、この曲は。
あくまで80年代のニューウエイブなんだよ。

 なんでニールセダカ氏なの? って考えると不思議な気もするけど、この頃、結構オールディーズの立役者が日本の曲を書くのがちょっと流行りだったんだよね。83年のトシちゃんの「さらば・・・夏」も、ポールアンカだったりするしさ。
まあ、この曲は、あくまで「カバー」曲だけどさ。 原題は「BETTER DAYS ARE COMING 」


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生意気 / 中山美穂

1985_11_生意気_中山美穂


今回の1曲セレクトは、「生意気」中山美穂です。

まずはデータです。

・タイトル    生意気
・アーティスト  中山美穂
・作詞      松本隆
・作曲      筒美京平
・編曲      船山基紀
・リリース日   1985年10月1日
・発売元     キング
・オリコン最高位 8位
・THE HITCHART HOT30最高位 16位

松本隆氏が今年の紫綬褒章受章というニュースが広がってますねぇ。
まあ、松本氏くらいの「実績」であれば、受賞して当然であるとは思いますけどね。むしろ、遅いくらいではないのかなぁ。
同じく70年代、80年代のヒット曲界を席巻したもう一つの2大作詞家、阿久悠氏は99年62才で受賞していたりする。ユーミン、桑田佳佑氏、中島みゆき女史は50代でしたからねぇ。
松本氏は今年68才だったそうで、それを考えるとやっぱ遅かったよね。長年の盟友である作曲家の筒美京平氏が、2003年に受賞しているけど、その時でも良かった位かもなぁ。

いずれにしても70年代、80年代の音楽界を「作って」来た方も、「国」から認められる賞を受賞する年代になって来たわけなんだよねぇ。

それをかんがえると、やっぱ、自分も年を取るわけだよなぁ・・・などと考えずにはいらなかったりして。。


・・・ということで、やっぱ、今回は松本隆氏の曲を持って来ましょうかねぇ。。。

と思って、考えてた曲があったんたけども、今リリース日を調べてみたら、もうちょっと「後」だった。。。

うーむ、「11月1日」リリースだとばっかり思ってたんだけどなぁ。。。。。「あの曲」

まあしょうがない、他にもあるさ〜・・・などと軽く思ってたんだけど、浮かんでくる曲が悉く、これまでに書いてるんだよな。。。  

で、絞り出してきた曲がこの曲。

中山美穂「生意気」。

なあ、「絞り出してきた」っていうのは大げさかもしれないけどさ、ミポリンのデビュー第2弾シングルですわな。

この曲、まだ書いてなかったんだな、ワタシ。

ま、確かに、当時から印象に薄い曲ではあった。 もちろん音源はかなり昔から持ってたし、だから知らなかった訳じゃないんだけども。。。

なんかね、知らない間に「ヌルッ」とチャートの上位に居た・・・。 そんなイメージなんだよな、個人的には。

それは、恐らく個人的な事情もあるかもなぁ・・・いや、多いにあると思う。

・・・というのもね、この曲がヒット当時・・・1985年10月から今頃にかけてだよね、 当然、毎週のようにオリコンウイークリーを買いーの、ヒット曲情報を集めていたワタシだったけど、「唯一」このころのオリコンが欠けてるんだよなぁ・・・。

なぜか・・・っちゅうと、このころオリコン手に入らなかったんだよ、個人的に。

この頃と言えば、毎週、高校があった木更津の駅前の某書店に、毎週月曜日(オリコンウイークリー発売日)になると、足しげく通ってたんだけど、85年の10月頃から、発売日当日にも関わらず売り切れになっちゃう事が多くなったんだよなぁ。置くのをやめた訳ではなく売り切れ。

それ以前からそれほど多数冊置いてあった訳ではなかったけど、この時期、ホント、手に入らないようになっちゃったんだよな。
 
原因はね、まあ、恐らくは「おニャン子」の影響だったんだろうな、きっと。 うん、絶対そう。

この当時、オリコンウイークリーでかなり扱ってたからなぁ、おニャン子。 

だからね、それまでヒットチャートなんか興味が無かった人まで買うようになっちゃったんだよオリコン。 その挙句、取り合いになっちゃったのよ。もともと入荷数少なかったから。。。
 ワタシは部活やってたからさあ、書店に行く時間も遅かったからねぇ、必然的に「帰宅部」の連中には後れをとっちゃう訳よ。。。

そんな訳で、何回涙をのんだ事か。。。

だからね、このころ、85年、10月〜12月にかけては、未だに所有欠になってる号が多いんだよなぁ。

この「生意気」って曲は、そんな個人的にオリコンの所有が「欠号」してたころリリースされたからさあ、事前の情報を得損ねたって感じだったんだよな。 

だからさ、個人的には、ホント気が付いたらリリースされてたって感じだったんだよ。

それ以前に、曲自体もそれほどインパクトが強かった訳ではないんだけどさ。 

デビュー曲の「C」のように、思わず引き込まれるようなイントロでもないし、疾走感があった訳でもない。

そもそもシンガポールを舞台にした恋愛劇っていうのも、当時の「ミポリン」からしてちょっと背伸びし過ぎって言う感じだったしなぁ。 うん、確かに大人っぽいルックスではあったけど、まだ15才だった訳だし、やっぱりリアル感が感じられないんだよね。

曲も、この頃の筒美氏としては、新鮮さを感じなかったしなぁ。 85年頃の筒美氏の曲って、いろいろ新たな事を試しているような、新鮮さを感じさせる曲が多かったんだけど、この曲にはその辺が感じられなかったしさ。

まあ、今にして思えば、次の「BE-BOP HIGH SCHOOL」への「つなぎ」的な位置づけだったんだろうけどね。




たださ、そんな「つなぎ」的な曲であったにせよ、そんな曲でもオリコンで「ベストテン」入りさせてきたのは、やっぱり大きかったんだよね。 うん、この曲がミポリンにとって、初のオリコンベストテン入り曲だったのよね。
 デビュー曲の「C」は、ベストテン入り出来なかったからさ(オリコン最高12位)。 大型新人と期待されながらもベストテン入り出来なかったからなぁ。

今思えば、「つなぎ」的なこの曲でベストテン入り出来た事で、その後の本格ブレイクの可能性が見えたわけでさ。 うん、確実にファンは付いてきてたって言う証拠にもなったしね。

もし、この曲でもコケてたら、その後のミポリンも無かったかもしれないな。


ところで、↑件の「オリコン」が売り切れ状態になった件だけどさ、あまりにも解消しないんで、この年の年末にオリコンと「定期購読」の契約をしたんだよね。 そそそ、当時1年契約で定期購読が出来たからさ。
だから、1986年からは、本屋で「売り切れ」を心配することも無くなったんだよね。


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Love Fair / 岡田有希子

  1985_11_Love Fair_岡田有希子


今回の1曲セレクトは、「Love Fair」岡田有希子です。

まずはデータです。

・タイトル    Love Fair
・アーティスト  岡田有希子
・作詞      橿淵哲郎
・作曲      橿淵哲郎
・編曲      松任谷正隆
・リリース日   1985年10月5日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数 12.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1985年10月21日付
・タイアップ:江崎グリコ「セシルチョコレート」CM曲

あーめっちゃ気持ちいい秋晴れだ、気候もいいし。 これは絶好のドライブ日和ですな。
よし、これからどっか行こうか。。 その前に1曲セレクトを書かねば。。

こういう「秋」を感じさせる日には「秋っぽい」曲がいいですねぇ。

だけんど、秋っぽい曲ねぇ・・・と考えーの、浮かんできた曲がこれ。

岡田有希子「Love Fiar」。

いや、この曲、以前に書いたよな・・・。なんて、ずっと思ってたんだけどねぇ。 過去のアーカイブを検索したら出てこない。。

ありやりゃ、そうだったかなぁ。 岡田有希子さんの「シングル」はすでに全て書いたと思ったんだが。。。

でもね、岡田有希子さんというと、どうしてもあの忌々しい出来事が脳裏に浮かんでくる。 そんなこともあってこの曲をかくのを今まで躊躇していたかもしれない。

84年デビューの岡田さんは、竹内まりや氏を起用して、「お嬢様⇒プリンセス」路線という、このヒトにピッタリの路線を開拓し、それがピッタリ嵌まった年だったと思う。

だけど、デビュー2年目の85年の曲は、どうも今一つしっくり来ないんだよね。ま、個人的にだけど。

出す曲出す曲がウラメに出ている・・っちゅうかねぇ。曲が前面に出てこない。 ユッコにも100%合っているような感じもしなかったしな。

そもそも、4月にリリースした「Summer Beach」からして、この年の「天候不順」の影響もあって空振りだったしな。そそそ、早かったんだよこの曲はリリースが。そこがケチの付け始めだったような気がするんだよね。

前年の「プリンセス路線」から少し飛躍し過ぎていたのかもしれない。ま、今思うとだけど。

この「Love Fair」にしても、当時は、そんな「飛躍路線」の延長線上な曲だと思ってたな。 どこか今一つしっくり来なかったんですよ。

悪い曲ではないとは思った。 Aメロ出だしの ♪Love Fair〜♪ってところのファルセットにはちょっと驚いたしな。

ただ、やっぱ、この曲の聴きどころは、サビでそれまでのマイナー調からメジャー調に一転。 華やかな雰囲気に変わるところなんだろうなぁ。

うん、サビなんかは、岡田さんにウマくフィットした「雰囲気」だな・・・とは感じたな。

でもね、なーんかね、どーもね、しっくり来ないんですよ。今一つ前に来ないんだよな、曲が。 逆に遠くに後退してしているように感じたりしてさ。

なんでなんだろうねぇ。

なんかさ、岡田有希子さん自身、楽しそうじゃないんだよね、逆にどこか悲壮感を感じたりして。

前年の曲のような温かみが感じないんだよね。硬質的というか無機質的というか。

ま、ファルセットのAメロなんかは、そもそもがそう言うイメージなんだろうからいいんだけど、本来、そんなイメージが逆転するはずのサビでさえ、温かみが今一つ感じない、逆にどこか悲壮感を感じるんですよ。

たしかこの曲の頃、オリコンウイークリーの表紙になった事があったような気がする、岡田有希子さん。
それを見て、「あ、ちょっと雰囲気変わったな」っていう印象を感じたこともあったな。

この曲は、あの「事件」の半年前にリリースされた曲だ。でも、そう言う半年前のこの時点から、あの事件を予見されるような「前兆れ」っていうのがあったのかなぁ。

まあ、そんな事をあれから30年以上経った「今」、何を言っても、全ては後付けの事でしかないんだけどね。


ちなみに、売り上げ的には、この曲の前曲の「哀しい予感」で10万枚割れを起こしたユッコでしたが、この曲でオリコンのベスト5入りが復活。売り上げも10万枚を復活。
そして、次の「くちびるNetWork」に繋がって行く・・・という、人気と言う面では本格ブレイクへという第2エンジンがかかって来たように思えた曲ではあったんですよね。



うーむ、今改めて聴くと、上で書いた事とちょっとイメージが違うかな。 
無機質的、硬質的に感じるのは、この曲のサウンドのせいなんだ。バックトラックがもろ向こうの80年代ポップスを下敷きにひいてるよね。マドンナ、マイケルジャクソンあたりの、いわいる80年代ポップスの「王道」なサウンド。

それに対して、プリンセス系なイメージとなるサビは、一転してもっと時代を遡る。70年代的なんだよね。
70年代的といっても、向こうの70年代というよりかは、日本の70年代アイドル的って言うのかなぁ、この甘酸っぱさは。 向こうで言えば60年代後半って言うイメージ。ほんの少し、フィル・スペクターの「ウォール・オブ・サウンド」の匂いも感じるし。

そのアンバランスが、この曲の全てなのかなぁ。 でも、そのアンバランスさから悲壮感を感じるんだろうな。


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俺たちのロカビリーナイト / チェッカーズ

1985_08_俺たちのロカビリーナイト_チェッカーズ



今回の1曲セレクトは、「俺たちのロカビリーナイト」チェッカーズです。

まずはデータです。

・タイトル     俺たちのロカビリーナイト
・アーティスト   チェッカーズ
・作詞       売野雅勇
・作曲       芹澤廣明
・編曲       芹澤廣明
・リリース日   1985年7月5日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  44.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1985年7月15日〜9月16日付

果たしていつ以来の1曲セレクトだろうか・・・なんて、この前書いたのが忘れてしまった位、間が空いてしまいましたわ。。暫くは「土日」に書いてたけど、その間隔も崩れちゃっいましたねぇ。。。
うーむ。書く曲が無くなってしまった訳ではないんだけど、7月は「生業」が繁忙期ということもありーの、それが終わった・・・と思ったら、持病の「痛風発作」が再発。。。。
 今度は「膝」に来ちゃいましてねぇ。。。 これが辛いんですわ。膝関節に激痛が走り、パンパンに腫れちゃったんで膝は曲がらないし。。。。 まあ、こりゃアカン・・・っつうことで、いざという時にしか飲まないように隠しておいた、最後の切り札「ボルタレン」が効いたのか、今日になって、腫れはまだあるものの、ようやっと痛みが引いてきた。

・・・・つうことで久々に筆を進ませてたりしまする。。。

ところで、今日は8月12日。 ニュースでも頻繁に流れているけど8月12日というと、「日航機墜落事故」の日なんだよな。
まあ、これについては、以前にも85年8月12日、あの日はこうだった、ああだったって書いてるんだけども、個人的にはどうしても1985年のあの日を思い出してしまう。

なので、今回の1曲セレクトも1985年8月12日にヒットしていた曲を持って来たい・・・・と真っ先に思い浮かんだ訳なんだけども。

でもねぇ、流石に85年の今頃のヒットって大分書いちゃったんだよな・・・。 

さてどうするベか・・・とおもってたら、まだ書いて無い曲があった。

チェッカーズ「俺たちのロカビリーナイト」

コレは不覚だったなあ。 こんな大ヒット曲をまだ書いたなかったんだ。。。。。

いい機会だから、今回はこの曲に決定!


だけど、今までチェッカーズの曲は随分書いてきたのに、なんでこの曲はずっと書いてこかなかったんだろう

うーん、タイミングのずれだったのかなぁ。 ヒット当時も決してこの曲がキライだった訳じゃない。


ただ、チェッカーズのリーダーの武内氏もコメントしているように「印象に薄い」曲だったっていえば、確かにそうだったかもなぁ。

84年に「涙のリクエスト」で大ブレイクしてから1年半。 この曲の半年前の「ジュリアで傷心」でブームの頂点を迎えたチェッカーズだけども、その後は・・と言えば、徐々にではあるけど一時のブームも「沈静化」に向かっていたんだよね。ちょうど、そんな頃のヒットだったわけだ、この曲は。

その証拠に、「涙のリクエスト」以来、「大ヒット」の目安である50万枚を切った事が無かったチェッカーズだけど、この曲ではオリコンで1位は取ったものの、50万枚割れ。

そんなチャートアクションに、個人的にも「あー、落ちてきたなぁ」って言う印象が強かったな。 丁度さ、安全地帯の人気が最高潮の頃だったからさ。余計時代の流れを感じちゃったりしてね。

まあ、元々バンド系の人気は「水もの」であり、「絶頂期」は1年、長くて2年っていうのが、それまでの「ルーティーン」だったからねぇ、さしものチェッカーズもそんな時代の流れには逆らえないよな・・・っていう思いもあったな。

ただね、個人的に言うと、この頃のチェッカーズ曲って意外と好きなんだよな。やっぱさあ「涙のリクエスト」とか前年の「チェッカーズブーム」の頃の曲に比べると、なんとなしに手垢が少ないからかなぁ。。

曲調はモロ50年代だよね。それまでもオールディーズっぽいところを前面に出していたチェッカーズだけど、この曲あたりから「50's」って言う部分をより強調してきたように思えるんだよな。

まあ、音自体ダークなんだけども。 うん暗いよね。 まあ、フミヤも以前からカミングアウトしているように、この頃はチェッカーズ自体精神的に追い込まれていた頃で、ゲ―ノー界に対して「反感」を抱いていた頃なんだよな。

それがストレートに「音」にも出ていたような気がする。 この曲にしても、次の「神様ヘルプ!」にしても。

音がさあ、粗いんだよな、この頃のチェッカーズって。 まあ、その辺が当時の個人的の気分とシンクロしてたのかもしれない。

うん、今思うと、当時、どこかいつもモヤモヤしてたんだよな精神的に。 個人的には16才になるかならないかの頃で、まあ大人への階段を上り出していた頃なんだろう。なんて勝ってに書いたりして・・・。 でも、そうだったんだよな。いつもモヤモヤ、気分がすっきりしない日が続いていた・・・ような気がする、この曲の当時は。

少なくとも、前年・・、まだ中学3年生だった頃・・・の夏休みの「純」な気分ではなかったんだよな、この年の夏休みは。

そんな当時の気分と、この粗くダークな「音」とシンクロしたんだろうな、きっと。

たださ、当時のチェッカーズのメンバーの心情を、いま考えれば同情も出来たりね。 
もともと「アイドル」として出てきた訳じゃないわけじゃん。ヤマハのライトミュージックコンテストから出てきたヒトたちだったけだからさ。

それがアイドルバンドとして「頂点」を極めてしまったばっかりに、本来自分たちがやりたかった音楽が出来ない。 それが2年近く続いた訳なんだから精神的ストレスも溜まるよな。

・・・なんてことは、あれから32年経ちーの、個人的にも色々と人生経験を積んできたからこそ理解出来る事なんだけどさ。






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DJ in My Life / シブがき隊

1985_04_DJ in My Life_シブがき隊


今回の1曲セレクトは、「DJ in My Life」シブがき隊です。

まずはデータです。

・タイトル    DJ in My Life
・アーティスト  シブがき隊
・作詞      JOEY CARBONE
・作曲      JOEY CARBONE
・日本語詞   売野雅勇
・編曲      後藤次利
・リリース日   1985年4月3日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数  17.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1985年4月22日〜5月27日付
・タイアップ:映画「バローギャングB.C」主題歌

自分が思ってたヒット時期と、実際のヒット時期がずれて覚えている事ってあるんだよなぁ。
こんな事、最近随分多くなってきたような気がする。 昔はこんなこと無かったんだけどなぁ。 地頭は偉そうに言えるほど良かないけど、記憶力だけは自信あったんだよな、昔は。。。。
ジジイだね、ワタシも。

今回の1曲セレクトは、そんなヒット時期を間違えて記憶していた曲をひとつ。

シブがき隊「DJ in My Life」

この曲さあ、85年にリリースされたって事は覚えているんだけども、リリースは2月だとばっか思ってたのね。
だからさ、2月にこの「1曲セレクト」で書こう・・と思って用意してたんだけど・・・。
実際書き初めて、リリース日調べたら4月だったのよ。。。

あれ〜 そうだったけなぁ・・・。 85年の春と言ったら、中学校を卒業し、高校に入学した頃だ。
なんで、だいぶ環境が変わった訳でさ、それに引っかけて当時のヒット曲も覚えているからさ、間違い様がない・・・筈だったんだけどね。。。。

たしか、この曲を初めて聴いたのは、まだ高校受験が終わりきって無かった頃・・・・だったような。。。

う〜ん・・・・。 やっぱしあれから32年経つと記憶も曖昧になっちゃうんですかねぇ。。。

そうか、ヒットしてたのは、高校に入学してからだったか。。。。

それにしては、この曲を聴くと、まだ、寒かったよな・・・っていう印象を強く受けるんだよな。。。
そそそ、昔のヒット曲って、聴くと、当時の匂いがしてくるじゃん。それと温度感とかさあ。 それからすると、まだコートを着てたような温度感を感じるんですよ、この曲からは。


・・・・いや、まてよ。。。。

思い出した。。。    

そうだ、この曲、85年のゴールデンウイークに会津と裏磐梯へうちの家族と、オヤジの会社の同僚家族とドライブ旅行に行ったときに、頻繁にラジオから流れてたんだ。。。

・・・とすると、やっぱり、今の時期のヒットだったんだよな。。。

まあ、考えてみりゃ、この曲の前の曲「男意ッ気」のリリースが1月だったんだよな。 うん、これはよく覚えてる。
明星の付録の歌本「Young Song」の85年2月号の新曲に出てたのをはっきり覚えてるんで。。。

だとしたら、当時新曲リリースは3ヵ月ローテーションだったから、次の新曲は4月になるはずだからさ、計算が合う訳よ。


あー、前置きが長くなった。。。

この曲、シブがきには珍しく、カバー曲だったんだよね。 もともとは、向こうの「アニー」っていう女の子が歌った曲でさ。 あの頃ホンダのCMに使われてたんだよな。

・・・・とネット上に書いてあることをそのままコピペしたりしてさ。。。

・・・っつか、完全に忘れてるワタシが居たりして。。。 CM曲ねぇ・・・そうだったっけ。。。 そうだったような気もする。。   

曲を聴いてみた

↓ コレ


あー、そうそう、あったよね、コレ。。。

でもさ、 個人的には、この曲というと、シブがきなんだよなぁ、完全に。

ま、確かに、それまでのシブがきのような、イロモノに近いヘンチクリンな曲ではなく、至極まともな曲だった・・・っていう印象は強い。
 そういう影響なのか、暫く売り上げが減少傾向で、流石に人気のピークは過ぎたよな・・・なんて思われたシブがきだったけど、この曲では、久しぶりに売り上げが伸びたんだよね。

とは言っても、前曲より数万枚程度だったけど・・・。

で、シブがきのこの曲と言ったら、映画「バローギャングB.C」の主題歌だったってことだよな。
そそそ、シブがきの3人が主演の。。。

なんて言ってもねワタシャ見てないけど・・・。 確か、ヒロイン役として、このすぐ後にレコードデビューした、松本典子さんと網浜直子さんが出てたんだよな・・・ってくらいしか知らないんだけどねぇ。

シブがきの先輩格だった、たのきんは、例の「たのきん映画」を既に止めていたのに、シブがきはまだ続けていたんだな・・・っつうことで印象に残ってたんだよな。

まあ、それだけって言えばそれだけなんだけど。。。

ところでさ、映画タイトルの「バローギャングB.C」の「B.C」って一体何なのか・・・。当時は全然分かんなかったんだよな。「紀元前」のことか・・・とか
今、調べてみたら、ボニー&クライドのことらしいわね。「俺たちに明日は無い」の。。。

なんじゃいそりゃ・・・って言う感じもするけど、そんな感じだったんだよね、30数年前の日本映画のレベルって。。。





うーん、オリジナルの「アニー」バージョンと並列で並べると、やっぱシブがきバージョンの方は、ダッタダサだよねぇ。
今だったら、かなりオリジナルと変わらないくらいのクオリティになるけどさ、カバー曲も。 
例えば、今のディズニー映画の「モアナと伝説の海」だっけ  それの主題歌「どこまでも〜How Far I'll Go」なんてさ、オリジナルもカバーも両者遜色がないじゃん。

でもさ、32年前はと言うと、向こうと、日本と・・じゃ、まだまだ大きな隔たりがあったんだよな、音楽のクオリティって言う面でさ。

それでも、個人的にはダッサダサの方が好きだったんだけどね。



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情熱 / 斉藤由貴

1985_12_情熱_斉藤由貴


今回の1曲セレクトは、「情熱」斉藤由貴です。

・タイトル     情熱
・アーティスト   斉藤由貴
・作詞       松本隆
・作曲       筒美京平
・編曲       武部聡志
・リリース日    1985年11月15日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   17.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1985年11月25日〜12月9日 12月23日〜12月30日付
・タイアップ:映画「雪の断章」主題歌


先ほど、「めざましどようび」見てたら、斉藤由貴さんが登場してきた。twitterのタイムライン見てると、それについてのツイートが結構出て来てるけど、それにしても斉藤さん、最近よくテレビに出てきてるよなぁ。

このヒト、全然老けないんだよね。50過ぎたっていうのに、雰囲気は昔のまんま。これはコワイ・・・・うにゃうにゃ、驚きですわな。

今テレビだけでなく、毎週ラジオのパーソナリティもやってるわな。ニッポン放送の「オールナイトニッポン ミュージック10」(月〜木 22時〜0時)の木曜パーソナリティ。
 これ通勤の帰宅時に、最寄駅から家までの間、よく聴いてるんだけど、声だけ聴いてると、ホント、昔のアイドル時代と全然変わんないんだよね。
  昔、やっぱり、ニッポン放送でやってた「斉藤由貴の猫の手も借りたい」って番組。 なぜか、あれ、よく聴いてたんだよな。たしか土日の夕方ごろやってたような気がるするんたけど、ラジオを流しながら車走らせてた時に聴いてたんど思う。

その頃と、声も、ちょっと舌たらずなしゃべり方も、トーク内容も全く変わらない。ほんと時代錯誤感を感じるんだよな。

まあ、「ミュージック10」では、水曜パーソナリティの鈴木杏樹さんも、昔から全然変わらない癒しボイスで時代錯誤を感じるんだけどさ。

そんな時代錯誤感プラス、最近は「おとぼけ」キャラで良い味出してきてるんだよね。

前にも書いたかもしれないけど、auのCM。「おとぼけキャラ」というか三枚目キャラというか。

このキャラは、昔の斉藤さんには無かったよなぁ。 このヒトといえば「生真面目」さっていうのが、前面に出てきちゃってた気がするしさ。 
 ウタでも、そんな生真面目さを感じたんだよね。どの曲でも、真面目に真面目に切々と歌っていたような印象が強い。

だからねぇ、最近の「3枚目キャラ」っていうのが、余計新鮮に映ったりしてね。


おおおお、ウタとは関係ない事を大分書いて来ちゃったな。
・・・・ということで、今回の1曲セレクトは、斉藤由貴さんの「情熱」を。

先ほどの「めざまし」での斉藤由貴さんベスト3では、「白い炎」「悲しみよこんにちは」「卒業」を流してたけど、さっすがにね、このクラスの曲はどれも、既に書いちゃってるからなぁ。 この曲くらいしか残ってないんだよね。

逆に言えば、いままで書かないで残っていたってのもレアかもしれないけど。。。。

でもね、こ多分にもれず、今まで書かないで残っていた・・・ってことは、個人的に、この曲があんまり好みじゃなかったっていうのが大きいんだけど。。。。

斉藤さんの 特徴って上で書いたように、どんな曲でも真面目に切々と歌うところだと思うんだよね。
そんな所と、役者との2足のわらじをはいているってところは、薬師丸ひろ子さんに似ているところがあるかもしれない。

違うのは、薬師丸さんの方が、より真面目さが際立っているってところと、発声がファルセットってところだろうな。それにより、実年齢よりも大人・・・・うんにゃ、オバさんっぽく聴こえるとろこかもしれん。
斉藤さんは、真面目に歌ってはいても、たまに見せる舌たらずな発声とか年相応の可愛らしさがあったしね。

そんな真面目さが表に出ている斉藤さんが、如何にも「ポップ」な歌を歌う・・・そこに、このヒトの最大の魅力があったと思うんだよな。

例えば、このヒトの最大のヒットとなった「夢の中で」(井上陽水カバー)にしてもユーロビートなポップアレンジだったし、「悲しみよこんにちは」にしてもポップなアップチューンだったじゃない

普段から真面目が表に出ているヒトが、ポップな歌を歌う・・っていうある種の意外性に面白みを感じるんだろうなぁ。

個人的に、このヒトのイチオシは、86年9月の「青空のかけら」なんだけどもさ。そそ、ハネ系でタップを踏んじゃう曲。 あの曲は、このヒトのキャラからするとホントに意外な曲だったもの。

そう言う点からすると、この「情熱」って曲は、意外性を感じなかったんだよな。
いかにも真面目な斉藤さんが歌いそうな「真面目な曲」っていうかさぁ。そう「如何にも」って言う言葉以上ないような。。。

そんな曲調に、個人的にも魅力を感じなかったのかもしれない。

逆に言えば、「如何にも」っていうところから、このヒトには合っていたとは思いますよ。でも、個人的には退屈さしか感じなかったんだよなぁ。

誰が作っていたのかと思えば、松本隆−筒美京平 なんちゅう、これ以上ないゴールデンコンビぢゃないですか。。
斉藤さんとはデビュー曲の「卒業」以来の担当なわけで、斉藤さんの魅力は何かっていうのは、充分分かっていたはずだと思うんだけどねぇ。。。

折角、70年代の「向こう」のポップスから斉藤さんの魅力を引き出してきていたのに、同じ70年代でも「歌謡曲」よりにしてしまった事で、時代が逆戻りしてしまったような印象が強い。
当時から見て「10年前の・・・・」って感覚だったんだよな。これはニューミュージックが出てきた頃の歌謡曲って言うイメージですよ。

まあ、この曲の場合、映画「雪の断章」の主題歌って言う縛りが初めからあった訳で、そのイメージに合わせなきゃいけないっていうところで、それいえにこういう曲調にならざるを得なかったってところは大きかったんだろうけどね。

でも、レコード売り上げだけを見ると、この曲の前、ビージーズの「若葉のころ」辺りをモチーフにしたと言われる「初戀」よりも、この曲の方が売り上げは、僅かに上がってるんだよね。
チャートでも、オリコンでは、この曲で初めてのベスト3入りを記録してるし。

まあ、チャートは他の曲との兼ね合いもあるんで相対的な部分もあるかもしれないけど、売り上げが微増したのは、ちょっと分からなかったな当時は。
それだけ、「スケバン刑事」からの人気が浸透してきていたって事もあるんだろうな、結局はさ。






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