かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1984年

唇のプライバシー / 河合奈保子

1984_09_唇のプライバシー_河合奈保子


今回の1曲セレクトは、「唇のプライバシー」河合奈保子です。

まずはデータです。

・タイトル    唇のプライバシー
・アーティスト  河合奈保子
・作詞      売野雅勇
・作曲      筒美京平
・編曲      鷺巣詩郎
・リリース日   1984年8月28日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数 12.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1984年9月10日〜9月24日付


えー、ずっと1曲セレクトを見ていただいている方はすでにお分かりだと思いますが、この1曲セレクトは、書いてる時点とほぼ同じ時期にヒットしていた「過去」の曲をセレクトしているんだよね。
 まあ、セレクトする曲は、ワタクシの独断と偏見で決めている訳で。過去の同じ時期にヒットしていた曲っていうのも、ま、自分でもヒットチャート作ってるし、オリコンの過去のランキングも持ってるんで、その辺はぬかりない・・・・はずなんだけどねぇ

意外と、事前にちゃんと調べないで、自分の記憶だけで、曲を決めちゃったりする事があるんだよね。
まあ、いざ「書く」と言う時点で、過去のチャートを引っぱり出して「確認」はしてるんだけどさ。

ところがね、いざ書こうと思って、過去のチャートを確認したときに、実際にヒットしてたのと時期が「ズレ」てる事ってあるんだよなぁ。
まあ、ヒットしてからだいぶ時間が過ぎてる曲もあったりするんでねぇ・・・、っていうのは言い訳になっちゃうけど、自分の記憶も当てらならないんだよな。

今回の1曲セレクトは、そんな自分の記憶と、実際のヒット時期がズレていた曲をひとつ。

河合奈保子「唇のプライバシー」。

この曲は、河合奈保子さんにとっては、1984年の「勝負曲」だったわけで、秋にかけて各音楽祭で、頻繁に歌ってた曲ですわ。

ただね、個人的には、この曲「夏」の曲だった・・・っていう印象が強いんだよね。

ま、確かに、リリースは8月29日なわけで、夏の曲に違いはないんだけど、実際にベストテン入りしてたのは9月だったんだよなぁ。。。

うーむ、でも、そういう印象はなくて、この曲と言うと、1984年の夏休み・・・って言う印象が強いんだけどなぁ。

だからね、最初は8月に書こうと思ってたんだよね、この曲。

でも、オリコンの過去チャートで、実際は9月だったことを改めて確認して、今まで待ってたんだけどね。


だけど、この1カ月のズレはなんで何なんだろう・・なんて思ったんだけどさ。

まあ、結局は、当時聴いてたラジオの影響・・・というか印象が強く残ってるんだろうな。
特に、以前も書いたように、文化放送の「決定!全日本歌謡選抜」。 あの番組は兎に角、新曲情報が早くて、リリース1カ月以上前からバンバンかけてましたからねぇ。
早い時は、白盤(プロモーション用のレコード盤)が出来る前、マスターテープの段階で流しちゃってた事もあったからなぁ。

リスナーのこちらとしては、情報が早いって言う事は非常にありがたかったんだけどさ、反面、いざ、リリースされる時期には、すでに聴き飽きてたりしてね

今振り返ってみると、この曲もそんな曲の一つだったんだよなぁ。 うん、確か8月中に、この曲良く聴いてたんだよ、ラジオで。でも、実際のリリース時には、すっかり飽きてたんですよ。。。。

その記憶がそっくり今に残っちゃってるんだよなぁ。 だから、この曲というと、8月のイメージが強いんだよな、未だに。

まあ、それだけ、ラジオでもこの曲、推してたんだろうなぁ、今考えると。 まあ、この年の「勝負曲」でしたからねぇ。

個人的にも、この曲はシングルっぽくて良いと思った。

この曲の河合奈保子さんというと、3月に尾崎亜美さんの「微風のメロディー」、6月に八神純子さんの「コントロール」と立て続けにニューミュージック系アーティストの曲を歌ってきていたけど、今一つ盛り上がらなかったんだよね。
それは、やっぱり、シングルとしてのインパクトが今一つ足りなかったんじゃないんかなぁ。

でも、この曲はシングルっぽかったですよね。 シンプルかつキャッチー、それでいてインパクトがあるメロディライン。
さすがは筒美京平氏としか言えなかったんだけどさ、当時も。

ま、全体的なイメージとしては、前年の「UNバランス」の続編のような曲調ではあったけどね。

そそそ、下敷きとしてドナ・サマーの「情熱物語」があって・・・って感じのメロディライン。。特にラッパの使い方がねぇ。
・・・というか、個人的には、この年流行りだった、ボニータイラーの「ヒーロー」の匂いがしたんだけどね、この曲には。とくにラッパの使い方が。

まあ、兎に角、この年の夏から秋にかけてのアイドルポップス・・・特に女性アイドルは、「ヒーロー」一色だったからなぁ。

この曲も、そんな「ヒーロー」な曲の一つ・・・だと思ってたんだけど、モノの本によると、どうも、それよりも、やっぱり「情熱物語」の延長戦・・・って言う見方が強いようですね。つまりは、前年「UNバランス」の延長ですね。

まあ、「UNバランス」よりも、スピード感があり、しかもヘヴィーな所がありますけどね。 
そそ、このヘヴィーってところが、この頃の河合奈保子さんの一つの要素になって来るんですよね。
ヘヴィーな部分でも地声で乗り切るっていう力強さが、この頃の奈保子さんには身についてたんだよなぁ。
デビュー5年目にして、本格的な歌唱力開眼っていうかさあ。

でも、反面、個人的には、そんな本格的な女性シンガーになりつつあった奈保子さんにちょっと寂しさも感じてたんだけどね。
 このヒトには、例えばこの年だったら春の「微風のメロディー」のような、ソフトで永遠の少女って感じの曲を歌ってて欲しい・・・なんて願望があったからなぁ。

まあ、そんなこと永遠には無理な訳で、この曲曲のような曲こそ、シンガーとして成長するには必要って、片方では分かってはいたんだけどさ。




「ベストテン」かあ。それにしては音も映像もきれいだなぁ。32年前とは思えないですわ。
こりは、すぐに消されてしまうかも。。。
みたい方は、早めにどうぞ。


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夢伝説 / スターダスト・レビュー

1984_08_夢伝説_スターダストレビュー


今回の1曲セレクトは、「夢伝説」スターダスト・レビューです。

まずはデータでする。

・タイトル    夢伝説
・アーティスト  スターダスト・レビュー
・作詞      林紀勝、根本要
・作曲      根元要
・編曲      スターダスト・レビュー
・リリース日      1984年5月25日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 40位
・売上げ枚数 5.3万枚
・タイアップ:カルピスCM曲

ヒット曲ウォッチャーとして、個人的には音楽と言えば「ヒット曲」中心の生活なんだよね。
うん、ヒット曲と言うと、まあ、大体は、オリコン30位程度の曲・・・と言う事なんだけどね。
だからねぇ、ほかの「音楽好き」と称している方に比べると聴いてる音楽はかなり「浅い」ですよ。まあ、聴き方はかなりディープで、兎に角何千回と聴きますけどね。所有した音源については。
だからねぇ、逆に言えば、何万曲も音源所有出来ないんだよね。そんなにたくさん、何千回も聴けないし。。。
ただ、それが何十年と溜まって来ると、それでも結構な曲数になって来るんだけどね。

でも、そうは言っても、オリコン30位外の曲でも、個人的に「刺さった」曲は勿論聴きますけどね。 今回は、そんなオリコン30位外だったけど、個人的に刺さった曲をひとつ。 

スターダスト・レビュー「夢伝説」。

もしかすると、タイトルだけでは曲が浮かんでこない方もいらっしゃるかもしれないですけどね、実際に曲を聴けば、大体の方は知ってらっしゃるんじゃないのかなぁ。

1984年夏、うん、今から32年前の夏、カルピスのCM曲として、かなりヘビーローテーションで流れてましたもんね、この曲。

もちろん、ワタシもご多分にもれず、「カルピス」のCMからこの曲を知ったんだけどさ。

CMで使われている Aメロの ♪ 遠い 昔の事さ〜 夢で見たんだ〜 ♪ の部分もさることながら、サビに至るまで、全てがキャッチーなんだよね、この曲。

逆に言えば、オリコン最高40位っていうのが不思議なくらいなんだよなぁ。

もっと上位に行っても全然おかしくなかったんだけどね。

まあ、当時としては、スタレビも、まだまだ一般的に知られていない存在だったしね。
レコードデビューは1981年。でも、この曲が出るまでの3年間は、チャート的には全く振るわず、この曲が初めてのベスト100入りだったわけだからね。

今からしてみれば、歌詞の通り「遠い昔の事」っていう永遠のノスタルジーっていうのかなぁ、当時も聴くたび、キュンとしたけど、年を経るごとに、この曲聴くと、ますますキュンとして来るんだよなぁ。
 曲自体は1984年のままだけど、時間だけはどんどん、あの1984年の夏から遠くなっていく・・・っていうのが、実感として感じるんだよね、この曲聴くと。

・・・ということで、カルピスのCM



・・・・そそそ、このCM。
当時は大分見た記憶があったけど、「氷カルピス」っていうキャッチだったっけなぁ・・・。それは忘れてたな。
でも、このCMに出てるお姉ちゃんたちも、大分大人になっただろうねぇ。
ってか、ワタシも、当時中3だったから、同じくらいの年になってると思うんだけど。。。

・・・ということで、フルで曲を聴いてみますか。



↑でサビに至るまで全てがキャッチーって書いたけど、実際に曲を聴くと、やっぱり、♪ Somebody's Watchin' You 〜♪ から始まるサビだよなぁ。 この部分を聴くと、いつもいい意味でトリハダが立ってしまう。

CMで使われているAメロの部分ではどうしても、CMの風景に限定されるんだけども、サビの部分は、それとはまた別の風景というか、もっと広がりのある情景が一気に広がるんだよね。
 普遍性のある、コード進行っていうのかなぁ、キーはDメジャーなのに、Dメジャーに捉われないコード進行。ここにより壮大な景色が見えるんだよね。それでトリハダが立っちゃうんだよなぁ、きっと。



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アッパレ!フジヤマ / シブがき隊

1984_07_アッパレ!フジヤマ_シブがき隊


今回の1曲セレクトは、「アッパレ!フジヤマ」シブがき隊です。

まずはデータです。

・タイトル    アッパレ!フジヤマ
・アーティスト  シブがき隊
・作詞      売野雅勇
・作曲      井上大輔
・編曲      佐藤準
・リリース日   1984年7月7日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数 17.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1984年7月16日〜7月30日付

ボヤッキー・・・・もとい、グロッキー
本日は仕事がキツカッタわい・・・・。なので、本当は1曲セレクト書かないで寝ちゃおうかなぁ・・・なんて所なんですが、ここ2日書いてなかったからなぁ。
 今までの傾向を見ても3日あけるとね、ちょっとアクセス数にも変化が出来るんで、ここは一つ体に鞭打って、PCに向かってたりします。。

でもね、いろいろ調べたりするのはちょっとご勘弁・・って感じなんで、「直感」的にかける80年代の曲を持って来ちゃいました。
 本当は、70年代の曲とか持って来たかったんだけどねぇ、70年代とか60年代は、それほどヒット曲に深入りしてなかった分、書く前にいろいろと調べなきゃいけないんでさあ。。その点、80年代は、ほとんど「惰性」で書けるからなぁ。 

・・・とブツブツ言いながら引っ張ってきた曲。

シブがき隊 「アッパレ!フジヤマ」

うーむ、最近、ジャニーズ付いてる1曲セレクトですが、今回もジャニーズで行かせてくだされ。
・・・というか、シブがき隊なんて、なんか久しぶりに書き様な気がするなぁ。 まあ、「代表曲」と言える曲は、すでに大体書いちゃってましたからね。

今回ひっぱってきた「アッパレ!フジヤマ」は、1984年の今頃のヒット。

そうそう、ちょうど、「ロスアンゼルス五輪」開催されてた頃だ・・・。あ、いや、今ちょこっとネットで調べたら、開幕が1984年7月28日になってるから、丁度32年前だ。
あの、インパクトのあるオリンピックファンファーレが鳴り響いた日から32年かぁ〜。
 今年もオリンピックイヤーだからね。なんか相性がいいかな・・・と思って引っ張ってきたってのもある(←こじ付け)

とろこで、毎回、これでもか・・ってぐらいインパクトの強い曲をリリースし続けたシブがき隊だけど、その中でも、今回の「アッパレ!フジヤマ」が最強だったんじゃないかなぁ。
 インパクトというか、アクが強いっつうか、音の密度が濃い・・・というか・・・。 当時、中学3年で、どんな音楽でもいらっし〜い・・・ってくらい音に強かったワタシでさえ、この曲は「ヘヴィ」だったんだよな。
よく「ヘヴィメタ歌謡」とか、言われてたシブがきだけど、これは、ヘヴィメタ・・・というよりは、超濃厚牛乳・・・というかねぇ、単に音の密度が高すぎ・・・って感じだったんだよな。

流石にこれはやり過ぎだよな・・・・なんてぇのは、新曲の段階で初めて、この曲を聴いた時感じたことだたよなぁ。

案の定、オリコンでの初動順位3位っていのうは、まずまずだったけど続かなかったよね。僅か3週でベストテンからダウン。
売り上げも17万枚止まりと、この曲から20万枚に届かなくなったんだよな。
ヘヴィメタぶりもエスカレートし過ぎるとただの「重い音」って感じだったんだよな。 

ただね。流石にこの先、この路線に行き場はない・・・とおもったのか、次の「べらんめぇ伊達男」から、少し方向転換したシブがきだけど、正直、この路線変更も成功だったとは言えなかったしな・・・。
ネタぎれ気味のシブがきでしたよね、この頃から。

ただ、薬丸氏は、この売り上げダウンを、チェッカーズに人気を取られた・・・と感じたらしく、チェッカーズには対抗意識を持っていたらしいですけどね。



ネタぎれっていうのは、メロディにも出てきてたりするんだよね。
サウンドは重くなったけど、メロディラインは、それまでの「シブがき」だよね。って感じだったりしてね。
それほど新しいところってないんだよな。
サビの ♪ アッパレ アッパレ〜♪ って変拍子になる所くらいかなぁ。ちょっと変わってたなって言うところは。


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メイン・テーマ / 薬師丸ひろ子

1984_07_メイン・テーマ_薬師丸ひろ子

今回の1曲セレクトは、「メイン・テーマ」薬師丸ひろ子です。

まずはデータです。

・タイトル    メイン・テーマ
・アーティスト  薬師丸ひろ子
・作詞      松本隆
・作曲      南佳孝
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1984年5月16日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  51.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1984年5月28日〜8月13日付
・タイアップ:映画「メイン・テーマ」主題歌

あぢぃ・・・っす。。。。とろけそうな気温ですな。。。これでもまだ梅雨明けじゃないんですねぇ。
これ梅雨が明けて「本格的」なナッツ〜になったら、どうなるんでしょうねぇ・・・。

さてさて、今回の1曲セレクトは、久々に薬師丸ひろ子さんですわ。
どうも、角川映画も、今年で40周年らしいですねぇ。そそそ角川映画第一弾「犬神家の一族」の公開が1976年だったから、それから今年で40周年・・・と言う訳ですわ。
 最近は、それほど派手にCMを打つって事はしなくなったけど、それこそ、当初は毎回、めちゃくちゃスポットを打ってましたもんね、角川映画って。

で、そんな角川映画の80年代と言ったら、薬師丸ひろ子、原田知世という2大スターが華やかなりしころですわ。

・・・となると、やっぱし、このタイミングで、このヒト達の曲を持ってこなくては・・・ということで、今回は1984年の「メイン・テーマ」を引っ張ってきたわけですわ。

ただね、個人的に言えば、当時の薬師丸の曲を心の底から受け入れていたか・・・というと、そうじゃなかったんだよね。
むしろ、それほど好きじゃなかった。 この曲の前曲の「探偵物語」は、カップリングの「すこしだけやさしく」が良かったんで、唯一受け入れられたけどねぇ・・・。 
全体的に言えば、いつもなんかはっきりしないでしょ、このヒトの曲って。どこか靄ってる・・っていうか霞がかってる・・っていうか。。。

この曲に至っては、そんな霞の中から、なんか( 妖怪?)が出てきそうなイメージだったし。。。。

とは言うモノの、このヒトの曲が無いと時代を語れない・・・というかね。

うん、タイトルは「メイン・テーマ」となっているけどバイブイヤー的な存在と言うかね、絶対に「メイン」ストリームを行くような曲じゃない。
でも、少なくとも1984年の今頃を語る上では、無いとなんか落ち着かない・・・そんな存在なんだよな。

そもそも、この曲、売り上げ50万枚強もあるんだけども、当時の印象からしても、そんなに売れていたような印象が無いもの。なんか、ぬるっとチャートに入ってきて、気が付けば50万枚も売れてた・・・って感じなんだよな。

いや、それ以上に3カ月近くもベストテン内に居た・・・って言う印象も薄い。

それは、きっと、当時、個人的にこの曲があんまり好きじゃなかったんで、例えばラジオのベストテン番組でかかっても、それほど真剣に聴いてなかったからかもしれないし、それにテレビもこの曲ではあんまりでなかったしね。 だからね印象に薄いのかもしれないな。

ただ、サビの最後の ♪20年も生きてきたのにね〜 ♪ って言う歌詞は、なんか意味もなく気持ち悪くて印象に残るんだよな。


ちなみに、この曲、作曲者の南佳孝氏が歌った「スタンダード・ナンバー」とは歌詞違いの同じ曲って事は、ここ読んでくださってる方は、みなさんご存知ですよねぇ。

↓ コレ


まあパターンとしては、「セーラー服と機関銃」のオリジナルは、来生たかお氏の「夢の途中」だった・・っことと全く同じ訳ですな。
 「セーラー服と機関銃」の時は、当初は来生氏の「夢の途中」が主題歌として決まっていたところ、途中から薬師丸が得たぇことに変更になったけど、この曲の場合、当初から南佳孝氏の「スタンダードナンバー」は別曲とし存在した事が違うかな。
 それと、「夢の途中」は、ご存じのように大ヒットとなったけど、この「スタンダードナンバー」は、それほどの大ヒットにはならなかった事も違うかな。






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君が嘘をついた / オフコース

  1984_06_君が嘘をついた_オフコース


今回の1曲セレクトは、「君が嘘をついた」オフコースです。

まずはデータです。

・タイトル    君が嘘をついた
・アーティスト  オフコース
・作詞      小田和正
・作曲      小田和正
・編曲      オフコース
・リリース日   1984年4月21日
・発売元     ファンハウス
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  31.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1984年4月30日~6月4日付

長い事キャリアを持つアーティストをずっと聴いてくると、時々「虚」を突かれることがありますよね。
アーティストって、常に変わりたいっていう願望が本能的に持ってたりするから、「保守的」になることを嫌う傾向が強い訳で、だから、時々、聴き手のこちらが予想もしなかったような曲をリリースする事があるんだよね。

まあ、最近は「保守的」な傾向が昔以上に強くなってきたんで、新曲で「虚」を突かれるようなことも少なくなってきたんだけどさ。

今回は、そんな「虚」を突かれた1曲をセレクト。

オフコース「君が嘘をついた」。

1982年6月、武道館10days Liveから、暫く活動休止していたオフコースが、2年ぶりに活動再開・・・ということで、復活第1弾シングルがこの曲でしたね。

活動休止中に、オフコース結成時メンバーだった鈴木康博氏が脱退し、4人での再スタート・・・ということで、「新生」オフコースなんて言われてたよなぁ。

そんな「新生」オフコースの復活第1弾は、果たしてどんな曲になるのか? ・・・っていうのは、当時大分話題になりましたね。

でもねぇ、実際、この「君が嘘をついた」が出てきた時は、個人的にはめちゃくちゃ戸惑いましたね。
正直、初めの頃は全く受け入れらけなかった・・と言うかねぇ。

やっぱり、活動休止以前のオフコース像って言うのが脳裏には色濃く残ってたしさあ。
ま、その前に、個人的にオフコースを受け入れけら他のが、休止直前にリリースされた「YES-YES-YES」からなんだよね。 それ以前の曲は、もちろんリアルタイムで聴いてた曲もあったけど、正直良く分かんなかったんだよね。
 でも、「YES-YES-YES」はいい曲だと思った。 だからね、また、この曲のようなコーラスワークと、ソフトタッチな曲を期待していたんだよね、新生オフコースにも。

そしたら、思いっきり期待を裏切られた・・・って感じだったもんなぁ。

まさかね、デジタル系な手触りのハード路線で来るとは思わなかったしな。。ってか、それ以前にここまでハードで硬質な感じの曲って無かったじゃん、オフコースって。
1980年の「YES-NO」が「硬質感」と言う意味では近いところもあるけど、ここまでハードじゃなかったし、なによりデジタルじゃなかった。

そういう、それまで全くなかったモノを出してきた・・・ってところに戸惑ったんだよな、当時は。

ま、そこは、立ち止まることがキライな小田和正氏の「狙い」だったんだろうけどね。「新生」に相応しく、それまでにはなかった新しい面を前面に出そうって言う狙い・・・って言うのかなぁ。

ちなみに、この曲がリリースされる数か月前に、それまでのベスト盤「YES-YES-YES」がリリースされたんだけど、それは小田氏が承知しなてところでのリリースだったらしく、リリースを知った時はかなり激怒したらしいですね。

それは、リリースを承知していない所で、リリースされた・・・と言うよりも、これから「新しい一面」を魅せようとしているのに昔のイメージを甦られることが心外だったようですね。
それだけ、この曲で魅せてきたような「新しい」オフコースを魅せる事を考えていたようですわ。

でも後になって考えると、このイメージチェンジは、成功だったと思いますねぇ。

この曲、どことなくニューウェイヴ系の匂いがする訳だけど、84年ってニューウェイヴ系が台頭した年だったしな。そう言う意味では充分、時代の波に乗った曲だったとも言えるんだよね。

個人的に、当初、この曲を受け入れられなかったっていうのは、そんなニューウェイヴ系の匂いを感じたたから・・・ってのもあったんだろうな。 なにせ、ニューウェイヴ系に弱い、私なんで・・・

いや、弱い・・・っていうより、昇華して自分の中に取り込まれるまで時間がかかるんだよな、この手の曲って。

もちろん、今じゃ、全然受け入れられてますけどね。 逆に、この手の曲は1984年の匂いをプンプン感じてますよ。






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ギザギザハートの子守唄 / チェッカーズ

1984_05_ギザギザハートの子守唄_チェッカーズ








今回の1曲セレクトは、「ギザギザハートの子守唄」チェッカーズです。

まずはデータです。

・タイトル    ギザギザハートの子守唄
・アーティスト  チェッカーズ
・作詞      康珍化
・作曲      芹澤廣明
・編曲      芹澤廣明
・リリース日   1983年9月21日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 8位
・売上げ枚数  39.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1984年5月7日〜5月28日、6月11日付

のっけから・・・・・眠いっス!  昨夜は自分のサイトのトップページに「アクセスカウンター」を設置するのに、久々にCGIと格闘しつつ、気がついてみたら「あさ〜っ」ってのをやってしまいまして。。。。
いや、昔、レンタルサーバーを借りてた時も付けてたんだけど、一時、お金が無くてやむなく無料のレンタルサーバーに引っ越しした時に外しちゃったんだよね。
 でも、昨年、再度、「有料」のレンタルサーバーを借りて独自ドメインを復活させたんで、ちょっと遅くなっちゃったけど、アクセスカウンターを復活させようと思ったんたけど。。。。

 うーむ、久々にCGIのプログラムや、ファイルのパーミッション設定なんかと格闘したんだけどねぇ。 最終的には表示できるようになったんだけど、どうも、数字がランダムになっちゃってウマく表示できなかったんだよね。

・・・なんで、結局、徹夜までしたのに破棄。 ネットに落ちてた無料カウンターをつけたら、ものの5分でついた。。

むー、最初からそうすりゃよかった。。。。 眠いっス。頭が回らなっス。。。。

なんで、早く書いちゃいますね。


さて今回セレクトしてきた曲は、チェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」。

うむ、栄えあるチェッカーズのデビュー曲ですわな。
・・・・ってことは、ここ読んでる方はみなさんご存知ですよね  まさか「涙のリクエスト」がデビュー曲って思ってる方は、よもやいらっしゃいませんよね 

うーむ、まあ、今となっては「栄えある〜」なんて書けちゃいますけど、リリースから暫くの間は、まったくヒットしなくて、泣かず飛ばずの状態が続いた・・・っていうのは、当時、リアルタイムでこの曲聴いてた方なら、良くご存知ですよね。

ちなみに、この曲のオリコン初登場って何位だったかご存知でしょうか。 

168位だったんですねぇ。(1983年10月3日付)。。。

168位ですわ〜。っつか、詳細はワタシも今、知ったんですけどね。。。
当時のオリコン(ウイークリー)ってシングルは200位まで掲載してあったんで、当時のオリコンをひっくり返してみましたわ〜
 そそそ、当時のオリコンを所有しておられる方ならご存知だと思うけど、今でこそYOU大樹では200位まで売り上げ枚数は記録されているものの、当時は、101位以下は集計「誤差」が大きいという理由から、あくまで「参考」ランクであり、売り上げ枚数も出してなかったんだよね。

当時からすると、オリコン100位以下の曲は、そのアーティストの余程のファンで無い限り、一般的にはほとんど誰も知らない曲であり、ほとんど注目もされなかったんで売り上げ枚数があろうが無かろうが、影響はなかったんだけどさ。

だから、つまりは、当初は、この曲は、ほとんど見向きもされなかった曲だった訳無なんですよね。
 そんな状況下の中、当時、デビューキャンペーンで各地を回った際は、観客もほとんどおらず、「リンゴ箱」の上で歌ったこともあったとか。。。 

まあ、当の本人も、もともと「こんな演歌歌えるか」って言う気持ちだったようなので、仕掛けた側には「それみたことか」っと言う気持ちだったようなんですが。。。


 そそそ、もともとチェッカーズって、件のアイドルバンドなんかじゃなくて、ヤマハのライトミュージックコンテストのジュニア部門、後の「YAMAHA TEENS' MUSIC FESTIVAL」に相当するコンテストで優秀賞を受賞した実績のあるバンドだったんだよね。
 なので、当然、バリバリのバンド系、とくに当初はシャネルズのようなドゥアップなど黒人系音楽をやっていたので、そちらの方向でデビューすると思っていたところ、いきなり「アイドルバンド」にさせられ、しかも「演歌・歌謡曲」みたいな曲でデビュー・・・ということで、少し「ふてて」たところもあったようだ。

だから、当初、売れなかったときは「それ見た事か」・・・と思ったようなんだよね。


BUT、年が明け第2弾の「涙のリクエスト」がラジオでヘヴィーローテション的にかかるようになって、状況が変わる。
 オリコン初登場168位なこの曲もジワジワジワとランクを上げ、100位内に初登場したのが、1983年12月19日付(81位初登場)。その後も、ノラリクラリと、業界用語でいうところの「右ページ」(51位〜100位)を少しずつランクアップしていたところ、「涙のリクエスト」リリースと同時に、「左ページ」に躍進。
以後も、ジワリジワリとランクアップし続け、1984年5月14日付でついにベストテン内に到達。。。とまさにシンデレラストーリーを字で行くようなチャートアクションを展開しましたよね。

うん、その間に、第2弾の「涙のリクエスト」、第3弾の「哀しくてジェラシー」の大ヒットもあり、一躍「時の人」な存在になってしまった訳なんだけども、チャートマニアからすれば、この曲のようなジワリ型ヒットっていうのが、一番見応えがあったわけなんだよね。
ま、確かに3曲中では、一番ジミーな存在であることは確かなんだけどさ。

ちなみに、この曲がベストテン内に到達した、1984年5月14日付チャートは、チェッカーズが、それまで前人未到の3曲同時にベストテン入りさせた・・・なんていう歴史的なチャートなんだけどさ。

1位 哀しくてシェラシー
5位 涙のリクエスト
9位 ギザギザハートの子守唄

いや、まさにチェッカーズ旋風が吹きまくっていたころですね。

でも、これよりホンの半年前のことを考えると、上で書いたようにほとんど客もいない前でデビューキャンペーンを行っていたなんて、まったく信じられない状況だったよな。
 っか、逆に、1983年の大晦日の時点で、次の年にチェッカーズ旋風が来るなんて、全然予想もしてなかったことだったもんな。

たださ、そんな予感がしてたのかどうかは分かんないんだけども、当時、月刊明星付録の「YOUNG SONG」の1984年2月号(年末特大号)。楳図かずおと近田春夫の「年末対談」って言う企画の中で、「来年はハデハデグループが出てきて欲しいな」なんていう件があるんだよね。
 あとからすると、いや、まさにその対談内容が「図星」で当たっちゃったわけなんだけども、すでに業界内では、チェッカーズが爆発する・・・っていう噂はあったんでしょうかねぇ。 まあ、今となっては全く分からないことなんですが。。。。



うわうわ、チェッカーズヘアのフミヤや。
当時、この髪型にしようとすると、ガッコの頭髪検査で、絶対引っかかった・・・という。
ちなみに、オートバイを生産していたYAMAHAにおいて、YAMAHA所属のチェッカーズが、♪ 仲間がバイクで死んだのさ〜♪ とは何事だ〜・・・って言う事もあったようですね。
 それでもリリースしちゃったんだから、いい時代だったよね。 いまだったらコンプライアンスがなんじゃらかんじゃらで、もっと問題になったろうけどね。
 だいたい、こういうエンターテイメントに「まともな意見」が絡んでくるとツマンナクなるのよ。

サザンのアルバム「NUDE MAN」の1曲目の「D.Jコービーの伝説」にあるように 「オリコウなやつぁGET OUT、アーパーならC'MON」って行く方がいいのよね、エンタテイメントは。



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誘惑光線・クラッ! / 早見優

1984_04_誘惑光線・クラッ_早見優








今回の1曲セレクトは、「誘惑光線・クラッ!」早見優です。

まずはデータです。

・タイトル    誘惑光線・クラッ!
・アーティスト  早見優
・作詞      松本隆
・作曲      筒美京平
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1984年3月31日
・発売元     トーラス
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数  15.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1984年4月30日付
・タイアップ:資生堂「バスボン ヘアコロンシャンプー・リンス」CM曲


なんか、最近書く「年」が偏ってるなぁ・・・なんていつも書いてるような気がするけど、今回は1984年。
あー、ちょっと前に、中井貴一氏の「青春の誓い」を書いたばっかりなんたけど、またまた1984年の曲を引っ張って来ちゃいました。

早見優「誘惑光線・クラッ!」

うーん、この曲なんかは去年、すでに書いていても全然おかしくない曲なんだけど、まだ書いてなかったんだなぁ。まあ、去年も今頃、大分1984年の曲を書いたかんね、この曲は、飛ばしていたのかもしれない。

この曲、リリースが3月31日なんだよね。うーむ、ずっと3月21日リリースだと思い込んでいたんでね、なんか変な日にリリースだよなぁ・・・とも思うんだけど。。。なんで1日ずらして4月1日リリースしないの? とかね。
 でも、まあ、今となっては、そうかと思うんだけども、いわいる決算日に合わせたって事ですよね。
うむ、あくまでこの曲は「1983年度」(会計の)曲だという事で・・・・。
 2000年代に入って、こんな曲が増えましたけどね。だから、最近は3月下旬リリースの曲が多い訳なのよ、決算前に飛び込みリリースして、上乗せ決算したいって事で。。。
 
 まあ、もちろん、84年当時はそんなこと全く考えてませんでしたけどね


でも、この曲は、なんか面白かったな。 前曲の「抱いてマイラブ」が、若干ハード路線だったのに対して、随分ポップな路線に戻りましたもんね。
 前年、83年にブレイクした、「夏色のナンシー」「渚のライオン」と同じ筒美作品に戻ったわけだけども、楽曲そのものもデジタルポップな路線に戻った訳なんだけども。
 ただ、前年の「夏色のナンシー」や「渚のライオン」のデジタル路線とは、ちょっと肌触りが違ったな。

まあ、アレンジャーが、バリバリデジタルな茂木由多加氏から、大村雅朗氏に変わったってのも大きかったろう。

大村氏のアレンジは、シンセを使用しながらも、ストリングスは生音を使ったりして、デジタルとアナログのバランス感覚がありましたしね。
 例えば、前年の松田聖子の「SWEET MEMORIES」のデジタルとアナログのバランス感覚は素晴らしかったじゃないですか。

 ま、この曲は、あの「SWEET MEMORIES」よりかは、「お気楽感」があったけど、それでもそれまでの早見優の曲にはなかったような、新たな手触りを感じだよな、この曲には。

まあ、タイトルにもあるように「クラッ!」っていうコトバの感覚も新しかったしね。

それと全体的なサウンドなんだけど、この頃…1984年の春先あたり・・・からの「音」っていうのが独特なんだよなぁ。 うーん、コトバではなかなか表現しにくいんだけど、「匂い」っていうのかなぁ、「1984年春」独特の匂いってのがあるんですよ。

 以前も書いたんだけど、この年の冬ってのが、寒い冬でさ、記録的な大雪に見舞われたんだけど、それに対して春は、結構暖かったんだよね。好日晴天な日が多かった印象があるなぁ。特に今頃、ゴルデンウイークくらいは、好天で汗ばむような日が続いていたような気がする。

そんな天候を象徴している・・・っていうかさ、この年の今頃の「音」っていうのは、明るいんだよなぁ印象が。
色で例えると、「レモン色」っていうか薄い黄色って言う感じでさ、まあ、暖色系ですよ。

この曲なんかもそうだし、キョンキョンの「渚のはいから人魚」も中森明菜の「サザンウインド」も明るかったじゃん、音が。
ま、マイナー系な曲よりも、メジャー系の曲が多かったって言うのもあるかもしれないけど、そんなイメージだったな。

だからね、この曲なんかも、晴れた天気の下で聴いたな・・・って言うイメージが強いんだよなぁ。

そうだ、親父の車のカーラジオで聴いてた、ニッポン放送の「オリコン全国ヒット速報」とか、文化放送「全日本歌謡選抜」っていうイメージなんだ、この曲は。
 
 当時、母方の爺さんが亡くなる直前で、頻繁に田舎(福島・いわき)に行き来してたんだよね。
その時、カーラジオから流れてた、「オリコン全国ヒット速報」とか「歌謡選抜」っていうのが、この時期の一番強い印象だったりするんだよなぁ。
 そのなかで、この曲も随分聴いたよな・・・っていうイメージが強かったりするんだよね。





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青春の誓い / 中井貴一

1984_04_青春の誓い_中井貴一








今回の1曲セレクトは、「青春の誓い」中井貴一です。

まずはデータです。

・タイトル    青春の誓い
・アーティスト  中井貴一
・作詞      岩谷時子
・作曲      加瀬邦彦
・編曲      飛澤宏元
・リリース日   1984年3月21日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 22位
・売上げ枚数  7.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 26位
・タイアップ:TBS系ドラマ「青春泥棒 徹と由紀子」主題歌

えー、たまに変な曲をセレクトしたくなったりするんだけど、今回は「変な曲」です。。
・・・・・なんてね

いやいや、ヘンな曲じゃないですよ。 ちゃんとしたまっとうな曲です
でも、中井貴一・・・なんて書くと、「え?」なんて思うヒトも多いんじゃないかなぁ・・・とね。

そそそ、あの俳優の中井貴一氏なんですけどねぇ。その昔、今から32年前、「ウタ」を出していたんですねぇ。

まあ、俳優がウタを出す・・・っていうのは、珍しい事じゃない訳で、ほとんどは俳優業の余技って感じも多く、だからほとんどヒットしないことも多いんですけどね。

 ただ、時々なんかの間違い・・・いやいや、曲が良くて大ヒットすることもありますけどね。
まあ、中村雅俊氏とか、余技の範疇を越えて、完全に演技とウタを両立させていたりする方も中には居らっしゃいますけどね。

じゃ、この曲はどうなのか・・・というと、これは、完全に「余技」な感じでしたよね。

でもね、曲は良かった・・と思う。まあ、個人的な好みの問題でもあるとは思うんだけど、もろ60年代後半の青春歌謡ポップスって感じでさあ。

 うーん、歌謡ポップスっていうのは語弊があるかなぁ。そう書くと橋幸夫、西郷輝彦、舟木一夫・・な御三家みたいなイメージだもんね。
まあ、中井貴一氏のルックスから言うと、そんな感じがしないでもないけど・・・。

でも、曲的には「歌謡曲」というよりはポップスでしたね。そそそ、加山雄三とか、ワイルドワンズあたりのエレキサウンズ。
 と言っても、G.S的なもろガレージっぽくはなく、あくまでも良家の子息って言うイメージの・・・って感じですね。

まあ、作曲がワイルドワンズの加瀬邦彦氏だし、作詞が、加山雄三氏一連の曲を書いていた、岩谷時子女史ですからね、まあモロなんですけどね・・・。

なので、60年代後半の時代をリアルタイムで経験した方には懐かしい響きだったろうし、逆に当時はまだ生まれてなかったワタシなんかは、新鮮に感じたなぁ。

うん、この曲の当時は、まだネオG.Sブームも起こってなかったし、個人的にも時代を遡って音楽を聴くって事もしてなかったからなぁ。単純に、その当時の曲として新鮮に感じてたんだよね。

ま、結果的には、オリコンで最高22位まで行った訳で、そこそこ「スマッシュヒット」の部類にはなりましたよね。

ちょうど、32年前の今頃、「オリコンウイークリー」を定期的に買うようになった頃でさ、この曲のチャートアクションに一喜一憂してたったけな。この曲が最高位22位を取った前後、当時は週間売り上げが1万枚前後で、20位台って事が多かった頃でね、週間1万枚を超えては喜んでたりしたな。

まあ、単純にこの曲好きだったんだよね。 シングル盤ももちろん買ったしさ。


しっかし、この曲の動画、無いんだなぁ・・・・。 まあ、32年前のしかも「スマッシュヒット」だもんね。そんなにある訳ない・・・んだけどさ。。。
 ↑でこの曲好きだった・・・言いながら今まで書いて書いてなかったのは、動画が落ちてなかったからなんだよなぁ。

でも、めげませんよーだ。 ネットを探して、見っけてきましたわ

http://v.youku.com/v_show/id_XMTQ4MjUyNjUy.html

中国のサーバーなんで、もしかしたら繋がらないかもしれないけど、その時はスミマセン。
(こちらで繋げた時は、一応繋がりました)



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ト・レ・モ・ロ / 柏原芳恵

1984_03_トレモロ_柏原芳恵








今回の1曲セレクトは、「ト・レ・モ・ロ」柏原芳恵です。

まずはデータです。

・タイトル    ト・レ・モ・ロ
・アーティスト 柏原芳恵
・作詞      松本隆
・作曲        筒美京平
・編曲      船山基紀
・リリース日  1984年2月29日
・発売元    フィリップス
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数  15.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 12位

コンピュータへの打ち込みで曲を作る。 今では当たり前の作業だけど、こんな感じで曲を作るようになったのは30年くらい前、80年代中盤頃からですよね。
 ま、実際はその以前にもY.M.Oがシンセによる打ちこみで音楽を作っていたんだけど、まだまだ限られたヒト達しかやっていなかった手法だった訳だし。
 それが、一般的になりつつあったのが80年代中盤頃。家庭用のパソコンも普及しつつあり、シンセも自動演奏用のシーケンサーも手ごろになりかけてから、って感じだったよな。

そんな状況だったんで、この間、高橋由美子さんの「Good Love」の時もチラッと書いたんだけど、80年代の打ち込み曲は、かなりカチッと作ってあるんだよね。
 それは、打ちこみの技術的にも、機材的にも発展途上で、ある意味実験的な部分が多かったこともあるよね。
80年代の技術的なノウハウと、機材の発展に加え、初めから打ちこみをメインに曲を作る、いわいるネイティヴな打ちこみクリエーターの出現によって、90年代の打ち込み音楽はより自然なサウンドに発展したような気がするなぁ。

・・・ってことで、今回は、80年代半ば、そんな「打ちこみ」音楽としてヒットチャート上位まで来た、最初の頃の曲を持って来ましょうかね

柏原芳恵「ト・レ・モ・ロ」。

ま、ここに来ていただいている、特に80年代フリークの方なら、知っている方も多いと思うけど、完全なテクノ(歌謡)ポップスでしたね、この曲は。

アレンジャーの船山基紀氏が、オーストラリアで仕入れてきたフェアライトCMIを駆使した、完全テクノポップスでしたなぁ。

「完全」とつけたのは、作詞 松本隆  作曲 筒美京平 編曲 船山基紀という、この曲と全く同じ作家陣でこの曲以前にもテクノポップスを作っていたんですねぇ。
そそそそ、榊原郁恵さんの「ロボット」ですわね。

ただし、「ロボット」の頃は、まだ打ちこみするのに時間がかかるってことで、シンセは、全て「手弾き」してたんだよね。シーケンサーは使っていなかったんですよね。

それから4年余り経ち、船山氏もフェアライト操作に慣れつつあったときにリリースされたのが、この「ト・レ・モ・ロ」って訳ですね。
 もちろん、この曲は、4年前の「ロボット」とは違い、完全な打ちこみとシーケンサーによる自動演奏。進化したんですねぇ。
 これにより、アイドル歌謡っていうジャンルにも、完全に「デジタルサウンド」が完成したって言えるんですよね。

ま、これはアレンジャーの船山氏の野望というよりも、作曲の筒美氏が70年代末から80年代にかけてY.M.Oの成功を見て、テクノをアイドルポップスに取り入れたいっていう強い願望によって実現した部分が大きいんですけどね。 うん、あくまで船山氏一人の功績じゃないんだよね。
 船山氏曰く、当時は筒美氏の「書生」でしたから・・・というように、当時の絶対的な権限は筒美氏にありましたからねぇ。 船山氏は、あくまで技術的な部分を習得し、筒美氏が作るアイドルポップスのメロディラインを筒美氏が描いたように如何に具体的にデジタル化させるかっていう役割が大きかったですからね。

ただ、この曲で、アイドルポップスのデジタル化に成功した・・・と言っても、まだまだ100%打ちこみだけによる・・・って訳じゃなかったんですけどね。
 例えば、E.Guiterは、矢島賢氏が「手」で弾いてたものだし、バックコーラスは、前年「想い出がいっぱい」が大ヒットしたH2Oの二人がやってたりね。
 ま、H2Oの二人がこの曲のコーラスをやってたって言うのは、結構有名かなぁ。

いずれにしても、今だったら、例えばコーラスは初音ミクを使ったりしたかもしれないし、ギターパートも打ちこみで充分再現できるようになったけど、当時はまだ100%打ちこみだけで曲を作るとはいかないって部分も多々あったんだよね。


でもね、じゃ曲そのものはどうだったのか・・・っていうと、正直言うと、個人的には、この曲自体には、それほど引っかからなかったんだよな。
 なんかね、如何にもデジタル的って言うのかなぁ。抑揚が少ない無機的なメロディラインとサウンドだったじゃない? 特にこの「無機的な・・・」って部分がね、逆に鼻に付いた・・・っていうのかなぁ。
 当時は、ダサイ曲・・・というか、人間味あふれる「有機的」な曲が好きだったからさ。 あ、それは今でも変わらないか。。。

ま、でも言えることは、この曲はアイドルポップスのデジタル化に向けた「実験作」だったのかもしれない・・・ってことんなですよね。だから敢えて、デジタル化したぞって分かりやすい様に無機的なメロディラインにしたのかもしれない・・ってのは後で感じた事なんですけどね。

でもまあ、この曲で、アイドルのデジタル化に成功し、一応の売り上げも記録出来た事で、ここからアイドルポップスのデジタル化に拍車がかかったことは間違いないだろうしね。
 そして、この曲では無機的だったメロディラインも、徐々に有機的なフレーズも含んできたりね。
例えば、同じ 作詞 松本隆  作曲 筒美京平 編曲 船山基紀っていう作家チーム、そして同じ船山氏のフェアライトCMIが威力を発揮した、小泉今日子の「迷宮のアンドローラ」では、切ないメロディラインも魅せたしね。
さらには、次の年のC-C-Bの大ブレイクに繋がっていったって感じだよなぁ。


曲自体とはかんけーないけど、この曲、リリースが「2月29日」なんだよね。
これまた、不思議なリリース日を設定したもんだよね。
当時は、今みたいに主に「水曜リリース」なんていう曜日縛りのリリースではなかった訳だから、「定期」のリリース日を考えれば、次の日の「3月1日」が通常だったはずなんだけどね。

でも、これで1984年は「うるう年」だったって事が分かるわな。
・・・・っつうか、うるう年は「4で割り切れる」いわば、4の倍数の年っていうのは、小学生でも分かるだろうから、1984年は「うるう年」って事はすぐにわかるか。。。。



アイドルポップスのデジタル化云々・・・と書いといて申し訳ないんだけど、どうも動画は、
「生演奏」でのアナログ的な音しか落ちてなかったもんで・・・・。
なんか、ダサい「ト・レ・モ・ロ」になっちゃたな。。。。


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抱いてマイラブ / 早見優

1984_01_抱いてマイラブ_早見優








今回の1曲セレクトは、「抱いてマイラブ」早見優です。

まずはデータです。

・タイトル     抱いてマイラブ
・アーティスト   早見優
・作詞       松本一起
・作曲       JOHN STANLEY
・編曲       茂木由多加
・リリース日    1983年12月21日
・発売元      トーラス
・オリコン最高位 13位
・売り上げ枚数  15.7万枚
・THE HIRCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1984年2月6日付

 昨日のオリコンの「オリスタ」(旧オリコンウイークリー)休刊のネットニュース、個人的にはショックでしたねぇ。
1979年8月の創刊から約37年。個人的にはそのうち25年以上買い続けてきましたからねぇ。
 オリコンウイークリーを通じて、たくさんのチャートファンと交流もしてきたし、そもそも、今の自分の大部分を作り上げてくれた雑誌が無くなるとはねぇ。。。。
 まあ、紙媒体も過去の遺物となってきているし、こうなるのも時代の流れ、仕方ない・・・とは分かってはいてもやっぱり淋しいもんです。

今でこそ、1981年、通刊98号からのオリコンウイークリーを所有しているワタシですが、自分で毎週買うようになったのが1984年4月、通刊241号から。デビュー時の長山洋子さんが表紙の時ですねぇ。
 あれからシコシコ、よくも飽きないで、毎週毎週買ったものだよなぁ。

購入したバックナンバーは全て保管してありますよ。確か2010年頃まで買ってたはずだから26年分ですかね。千数百冊になっているはず。。。 ただね、1冊1冊はペラペラな雑誌だけど、それが千冊以上となると、これがとてつもなく重くなりまして・・・・、床が抜けそうなくらいなっちゃったんで、流石に買うのやめて、今はYOU大樹にしちゃいましたけど。。。まあ、そこまでの思い入れがある雑誌だったんですよね。

・・・ということで、今回は、オリコンウイークリーを買い始めた1984年の曲を・・・・。

・・・と思ったんだけど、これがなかなか残ってないんだよね。すでにめぼしい曲はほとんど書いちゃったんで。。。


・・・・と思ったら、ありましたよ。

早見優の「抱いてマイラブ」。


・・・と書いて、果たして、どのくらいの方がこの曲覚えてくれているか、って言うのはちょこっと自信ないんだけど。。。

まあ、そのくらい、今となっては死角に入っちゃっている様な曲だよなぁ。

早見優さんの曲順から言えば、「ラッキイリップス」の次、「誘惑光線クラッ!」の前と、筒美作品に挟まれた形でリリースされた曲なんだけど、これが当時からして印象が薄い曲だったんだよなぁ。

いや、実際の曲は、早見優さんとしては、それまで無かったようなロック調っていう、味付けは濃い作品だったんだけどさ。でも、印象は薄い・・・・と。

うーむ、やっぱり、当時の早見さんには、いまいち合っていなかったんじゃないのかなぁ・・・とも思えたりするんだよな。
 以前、「ラッキイリップス」を書いた時、筒美京平氏は、早見優さんを南沙織にしたかったんじゃないか・・・って書いたんだけど、個人的にもその方向性は間違ってなかったんじゃないか・・と当時から思ってたんだけど、いきなり、この曲は全く違う方向に行っちゃいましたからねぇ。
一体、なぜに、このタイングで、こういうロックっぽい曲に行ってしまったのかって言うのが、当時も、いまいち良く分かんなかったなぁ。

でも、次の「誘惑光線クラッ」で、いち早く軌道修正したのは、流石に筒美氏・・・なんても思ったりしたんだけどね。

 ちなみに、この曲、オリコンでは、最高13位とベストテン入りを逃したんだけど、「ザ・ベストテン」では1週だけランクインしたんですよね。

 この前後「大雪」が降ったんだよなぁ。関東地方にも。

奇しくも、今晩から明日にかけて、関東地方も大雪の予報が出てますけどねぇ・・・。

・・・・まあ、だからこそ、この曲を、このタイミングで引っ張ってきた・・・って言うもあるんだけど

うん、個人的には、この曲というと、あの年の「大雪」を思い出してしまうんだよねぇ。
大雪のおかけで、1週間近く学校が休校になったんですよ。その間やる事もなくて、ずっとラジオ聴いてた記憶があるなぁ。そんなとき、この曲が良く流れてたんだよね。

 兎に角1984年の冬ってのが、異常なくらい関東地方は雪が降った年なんですよね。1月〜2月は毎週のように積雪だったもんなぁ。前週降った雪が融けきらないうちにまた降って、一時は根雪状態でしたから。
 今年もそうならないといいですけどねぇ・・・。雪かきが大変なんで。。。。






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