かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1984年

涙のリクエスト / チェッカーズ

1984_02_涙のリクエスト_チェッカーズ






今回の1曲セレクトは「涙のリクエスト」チェッカーズです。

 まずはデータです。

・タイトル     涙のリクエスト
・アーティスト   チェッカーズ
・作詞       売野雅勇
・作曲       芹澤廣明
・編曲       芹澤廣明
・リリース日    1984年1月21日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    67.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1984年2月27日〜6月4日付

 今まで書いてきた曲を振り返ってみると、意外と「超有名」っていう曲で書いてきてない曲があるなぁ。
 今回引っ張ってきた曲も、まだ書いてなかったんだよね・・・。
 
 ・・ということで、

 涙のリクエスト  /チェッカーズ

流石に、ここ読みに来ていただいている方は、この曲はみなさん御存じですよね〜


 この曲を最初に聴いた時のことは未だに覚えてる。
たしか、ニッポン放送の1984年1月当時、19時30分〜21時で放送していた番組だ。
 ただね、番組名が思い出せないwww

 でもね、少なくとも発売日の前に聴いてたのは確か。84年明けてすぐの頃だったと思うなぁ。

 84年が明けて、晴れて(?)「(高校)受験生」の身となったワタシは、平日は夕飯食った後19時30分ごろから夜中までラジオをかけながら勉強机に向かうのが日課になったんだよね。
 そんな矢先の出来事だったから、よく覚えてるんだなぁ、きっと。

この番組、結構「あたりそう」な曲をヘビーローテーションで毎日のように流してたのだけは覚えてる。
 この「涙のリクエスト」もそうだったなぁ。余談だけど、このすぐ後、中原めい子の「君たちキウイパパイヤマンゴーだね」にヘビーローテーションが変わって、これも大ヒットしたもんね。

 でもさ、確かにヘビーローテーションでかかっていたんだけども、それより何より、最初に聴いた時から引っかかったんだよね。この曲には。
 リリースされて、すぐに買ったなぁ、このシングル。

 
 まあ、曲的には簡単なメロディなんだけど、なんていうのかなぁ、懐かしさを感じたんだよなあ。この曲に。
 
 たしかに当初のチェッカーズの根本のところにはオールディーズの香りっていうところがあったんだけど、それがモロ出てたっていうかねぇ。オールディーズの刹那さ見たいなところがひしひしと感じたんだよねぇ。

 ただ、曲調が曲調だけに結構年上のバンドなのかな?・・って最初思ったところはあった。
 でも、まさか、当時メンバーも20歳そこそこだったとはねぇ・・・。

 でさ、何回か聴いてるうちに、また、聴きたくなってる自分がいたりしてね・・・。

「これ売れねーかなぁ・・・」とも思ってたし、逆に「いや、絶対売れる」っていう確信のようなもんも感じたりしてさ。

 この「確信の感覚」は、あみんの「待つわ」を最初に聴いた時以来だったかもしれないなぁ。
 まあ、一種のカンって言ったらカンなんだけどさ。


 だけど、案の定、来たんだよね、これが。 

リリースは1984年1月21日。ベストテン入りが2月の終わりだったから、リリースから1ヶ月かかったけどさ。

 ただ予想が付かなかったのは、一度「火」がついたら、加速が止まらない、天井知らずの「人気者」になっちゃったこと・・・。

 うん、ベストテンは予想してたけど、まさか、そのまま「ザ・ベストテン」で1位を取ってしまうとは・・・。
(ちなみにオリコンでは最高2位止まり)

 いやいや、そんな生易しいものではなくてね、空前の「チェッカーズ旋風」までもたらしてしまうとは!

 さすがにここまでは予想もしてなかったですよ。

 もちろん、曲が良かったこともあったけど、ビジュアル的にも良かったんだよね。チェッカーズフッションに髪型ね〜。

 当時、あの髪型は絶対真似できなかったもん。ガッコの頭髪検査で100%引っかかっちゃう(爆)


 それに加えて、時代が丁度、新しいヒーローを求めていたってのもあったと思う。

 確かに聖子 明菜っていう2大巨頭が時代を引っ張っていたけど、男性アイドルがやや翳りが見えてきていた時期だったし・・・。
 そこにタイミングよく、出現したのがチェッカーズだったわけね。


 たださ、もともとアイドルになるべくして出てきたヒトたちではなかったわけで、かなり戸惑ってはいただろうね・・・。

 ・・と思いきや・・・、元メンバーの高杢禎彦著「チェッカーズ」によると実際はそうでなかったらしい。

 逆に「天狗」になっていた部分が大きかったようですね。

 それが後年のメンバー同士の不和、そして解散につながって行ったようですわ。

 ちなみに、後年自分たちで曲を作るようになったのも、結局は自分たちの力を過信していたところがあったらしく、デビュー時からプロデュースしてきた芹澤氏の了解もないままだったらしい。

 つまり、黙殺だったようで、以来、芹澤氏との関係もよくなかったようですね。

 そういうこともあり、仮にこの先再結成ということがあったも、初期の頃の作品は永遠に演奏されることはないようです。

 もっとも現在にわたってのメンバー間の分裂、それ以前にドラムのクロベエ氏の死去で永遠にオリジナルメンバーでは再結成が不可能となってしまいましたが・・・。



 そんなことが全く夢の出来事であるかのようなピュアな気持ちで音楽に望んでいた時期の「涙のリクエスト」。
 だから、聴く方にも素直に刺さったんだろうなぁ。今考えると。

 音楽はテクニックだけではないんだよねぇ。伝えるべき事をピュアに伝えられるかどうか・・・ここにかかってくるんじゃないかなぁ。

 いまとなっては当たり前なことと思うんだけど、そんな事を改めて気付かせてくれた曲だったと思うなぁ、この曲は。



もう、永遠に不可能となってしまった、「オリジナルメンバー」での「涙のリクエスト」です。


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夏のフォトグラフ / 石川秀美

1984_05_夏のフォトグラフ_石川秀美


今回の1曲セレクトは、「夏のフォトグラフ」石川秀美です。

まずはデータでする。

・タイトル     夏のフォトグラフ
・アーティスト   石川秀美
・作詞       竜真知子
・作曲       小田裕一郎
・編曲       入江純
・リリース日    1984年5月3日
・発売元      RVC
・オリコン最高位  8位 (1984年5月14日〜5月21日付)
・売上げ枚数    11.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 15位

長年ヒット曲を聴いてくると、例えばリリースされた頃はあんまり聴いてなくても、今改めて聴いてみると、曲調やサウンドによって、その曲がいつヒットしたのか、時代が大体わかる。 

うん、事前にいつヒットしたかという知識なしに・・・という前提ですけどね。

昔、オリコンヒットチャート研究会っていう自主サークルを組んでいた時、よくこんな遊びをしてましたねぇ。

リーダーの家に遊びに行くと、いきなりマニアックなアイドルのカセットをかけて、この曲のリリース年は?  なんて聞いてくるのよ。

普段、ベストテン級の、いわいる「A級」もしくは「B級」アイドルくらいしか聴かない私は、ほとんど分かんなかったんだけども、あてずっぽうで言って見ても、大体当たってたりしたなぁ。
曲調とかサウンドで、大体いつ頃の曲か分かったのね。

特に、80年代中盤、そうね、84年、85年、86年頃のアイドルの曲って、例えばシンセの音色だったり、メロディラインだったり、はたまたバックの合いの手のフレーズだったり、似た曲が多かったからさ。

いつかも書いたんだけども、例えばYAMAHA「DX7」のプリセット音が聞こえてきたら、ほぼ高確率で84年か85年の曲・・・とかさ。
まあ、よく言えば80年代を象徴するような特有のサウンドだったわけですね。


今回の1曲セレクトは、そんな80年代アイドル独特なサウンドの1曲を一つ。


石川秀美「夏のフォトグラフ」。

石川秀美さんの84年くらいまでの、いわいる初期の曲は、これまでに大体書いた。
まあ、まだ書いてない曲も何曲かは残っているけど。。。。 でも、まあ残っている曲は、当時あんまり刺さらなかったか、あんまり聴いてなかった曲なわけで・・・。

そこから見ると、まだ書いてなかったこの曲も、リリース当時はあんまり刺さらなかった1曲なんだよね。

最も、先日、渡辺典子さんの「晴れときどき殺人」の時も書いたように、84年の今頃は、高校受験対策のため、日曜日「塾」に通うようになって、ラジオのカウントダウン番組をあまり聴けなくなったわけで。。。
その影響でこの曲もリアルタイムで、それほど耳にしてなかったというのもあるかもしれないな。

オリコンでは最高8位と健闘したものの、総合ランクが多かったラジオのベストテン番組では、この曲ベストテン入りしなかったのも多かったし、同じ理由で「ザ・ベストテン」でもベストテン入りを逃していたことも、より耳にする機会が少なくなったんだけども。

ただ、それを差し置いても、あんまり刺さらなかったんだよなぁ、この曲。

80年代アイドル曲として、オーソドックス過ぎた・・・というのが一番大きかったかもしれない。
月刊・明星のヤンソンで、近田春夫氏も指摘しているように、インパクトが弱いんだよね。

♪ 夏のフォートグラフ〜 ♪ っていう出だしは、掴みがあるとは思ったんだけども、それだけって感じがしてさ。

やっぱり、作詞・竜真知子、 作曲・小田裕一郎 っていう作家陣から生み出される曲調が、84年と言う時代から見ると古臭くなってきていたことも否めなかったと思う。

これも、当時近田氏がよく使っていたフレーズだけど、「5年前の・・・」っていうイメージなんだよね。 

・・・ってか、同じようなことを以前、同じ石川秀美さんの「バイバイサマー」の時も書いたような記憶があるんだけども・・・

お二人が紡ぎだす曲調って、80年代のそれ・・・というよりも70年代なんだよね。 84年当時から見ても古臭いような感じがしたのよ。 時代とシンクロしてない感覚があったんだよなぁ。

それでいて、アレンジャーの入江純氏が織りなすサウンドが、いかにも80年代アイドルっぽくてさあ。今聴いても、なんとなくバランスが悪いなぁ・・なんて印象を感じたりして・・・。


個人的には、この曲一つ前の「めざめ」って曲は好きだったんだよね。
ブラコンっぽいサウンドが、石川秀美っていうヒトの曲としては、新しかったし。

84年って、アイドルを含め、全体的にヒット曲ってニューウェイブに向かう傾向があったじゃない?
そういう流れにうまく乗ったな・・・なんて思ってたのよ。

そこに来て、時代を逆流してしまったようなこの曲だったんで、ちょっとがっかりした・・・と言うのが、一番の理由だったかもしれないなぁ。

さらに言えば、そのまた一つ前の「スターダストトレイン」って曲も個人的には好きだった。
メジャー系の明るい、アップチューンなポップス、この曲調がこのヒトにはフィットしてるよなぁ・・・って感じたんだよね。

まあ、このことは、それ以前、例えば83年元日にリリースされた「涙のペーパームーン」の時からも思ってたんだけども。。。

逆に、マイナー系の曲になると、途端につかみどころがない、古臭いイメージになっちゃっうんだよね、このヒト。 

当時、石川秀美さんの曲は掴みどころがない、まずは方向性を決めてから曲を作るほうがいいんじゃない? なんて、近田春夫氏からも指摘されてたわけだけど。

で、「スターダストトレイン」、「めざめ」っていうシングルから、やっとこのヒトにフィットしたような方向性が見えて来た矢先だったらさ。 個人的ながっかり感は、大きかったんだよね。




これを書くにあたって、当時のオリコンチャートを改めてひも解いてみた。
石川秀美さんの当時のチャートアクションを見てみると、この「夏のフォトグラフ」の前年の「恋はサマーフィーリング」から、ずっと、初登場時、初動は2万枚台で推移していたりするんだよね。

ただ、意外だったな・・と思ったのは登場2週目も2万枚台をキープしていたこと。
「スターダストトレイン」「めざめ」では2週目は逆に売上げを伸ばしていたりするし。。

まあ、当時は発売日が、今のようにほとんどが水曜日と曜日固定されていたわけではないんで、オリコン集計期間が、曲によってまちまちだったこともあり、一概には言えないんだけども、意外と登場2週目も健闘していたんだな・・・なんて印象を感じましたね。

後のおニャン子などと同様、初動だけ・・っていう印象が強かったんだけどもね。

逆に言えば、それ以上の週間売り上げが上積みされた曲もなかったし、結局は固定ファンだけだったんだよね・・っていう印象も改めて持ったりしたけど。。。。

これは、83〜84年にかけて累積売り上げにほとんど大きな変化が見られないっていう所からも分かりますね。

まあ、よくいえば安定した人気があったともいえるんだけども。。。。

ただ、このヒトの場合、突出したヒットが出なかったわけで、代表曲は何? と言われると困っちゃったりするんだよね。

このヒトとか堀ちえみさんとか、花の82年組の中でも、シブがき、キョンキョン、明菜に続く、第2グループに位置する人たちはそうですね。松本伊代さんだって、もし「センチメンタルジャーニー」がなかったらそうだったろうし。。。



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晴れ、ときどき殺人 / 渡辺典子

1984_04_晴れときどき殺人_渡辺典子



今回の1曲セレクトは、「晴れ、ときどき殺人」渡辺典子でする。

まずはデータから

・タイトル    晴れ、ときどき殺人
・アーティスト  渡辺典子
・作詞      阿木燿子
・作曲      宇崎竜童
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1984年4月21日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 11位
・売上げ枚数   15.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 17位
・タイアップ:角川映画「晴れ、ときどき殺人」主題歌

久々に1日に2曲目の「1曲セレクト」。
まあ、本日は1日雨だったし、久しぶりになーんにもやる事のない1日だったんでもたまには複数曲書く日もあっていいかな・・・・と。 ここんところ、あんまり1曲セレクトも書いてなかったしな。

本当は初め違う曲を書こうと思っていたんだけどさ、84年の今頃のオリコンチャート見てたら、まだ書いてなかった曲があったのに気が付いて、急遽、曲変更。

当初書こうと思ってた曲は、今の時期、すでにランクも下降しちゃってたんで、またいずれ・・・ということで。

で、引っ張ってきた曲が

渡辺典子「晴れ、ときどき殺人」

なんとも物騒なタイトルだけど、これは、同名映画の主題歌ということで、もともとは赤川次郎の小説のタイトルですわな。

・・・と、さも小説も読んだように書いたけど、実際小説は読んでない。映画も見てない・・・ということで、一体どういうストーリーなのかも分からなかったりして。。。。

当時、薬師丸ひろ子さん、原田知世さんにつぐ、角川三人娘の一人であった、渡辺典子さんだっただけに、もちろん、これも角川映画であったわけで、その主題歌だったわけだけども。。。

正直、この頃になると、個人的には角川映画にも「飽き」が来てたんだよね。

いや、実を言えばこれ以前にも、角川映画はあんまり見てなかったんだよな。 自分で進んで映画館に見に行ったのは、81年薬師丸ひろ子さん主演の「ねらわれた学園」だけだったような気がする。

83年原田知世さん主演の「時をかける少女」は、大林宣彦監督、尾道三部作第2弾ということで、この後テレビで見たし。
薬師丸さんの「セーラー服と機関銃」や「Wの悲劇」なんて、実は最近BSで見たのが初めてだったの。

当時、邦画にはあんまり興味がなかったというのと、そもそも千葉まで行かないと映画館がなかった時代、そうそう映画を見に行くってこともしなかったというのが、一番大きかったな。

だから、この「晴れ、ときどき殺人」って映画も見てなかったわけですわ。

しかも、その主題歌だった、この曲さえ、ヒット当時は、まともに聴いてなかったんですよ、実は。

この曲オリコン最高位11位ってことで、ベストテン入りしてなかったしね。

当時のラジオのベストテン番組でも、ベストテン入りしていた番組は少なかったと思う。

唯一ベストテン入りしていない曲も、たくさんかけていた文化放送の「決定!全日本歌謡選抜」も、
高校受験対策で通い始めた「塾」の時間がかぶっちゃって、じつは、84年4月〜85年2月にかけては、ほとんど聴けなかったんだよね。 
塾が終わってチャリを飛ばして、ベストテン発表に何とか間に合うような状態だった。 

だから84年ってベストテン内の曲は、よく覚えてるんだけども、ベストテンに入らなかった曲って、あんまり覚えてないんだよな。

この曲なんかは、その「割を食った」1曲だったろうな。

サビの ♪はーれ ときどき キルミー〜 ♪ って部分は知ってたけどさ。 
だから、この曲も曲全体を改めて聴いたのは、 実はごく最近だったりするのよ。

いつぞや、ラジオでこの曲が流れてて、最初は全然、何の曲だか分かんなかったの。

まさかこの曲が、フルオーケストラのミュージカル風な楽曲だったなんて、知らなかったんだもの。

完全にタイトルに騙されてましたね。 ↑で書いたように「晴れ、ときどき殺人」なんて物騒なタイトルが付いてるじゃん。 もっとオドオドロシイ曲かと思ってたの。ずっと。

渡辺典子さんのこの曲の次の曲で「いつか誰かが」って少しサスペンスががった曲があるんだけど、そういうイメージがあったんだよな。全くイメージと違うんだもの。

 イントロだけ聴くと、「ゴールデン洋画劇場」か なんて思っちゃうし。 その後も全編にわたって、まるでディズニー映画の音楽の世界だよな。

当時の日本映画の映画音楽のイメージからするとちょっと驚きな曲調ではあるな。

そもそも特に薬師丸さんが出てきた以後の角川映画の主題歌って、たしかに曲そのもののクオリティは、普通のアイドル映画よりは高かったものの、どうしても通常の「ヒット曲」の曲想からは離れなかったし、これ以後もそうだったしな。

だから、この曲って、今に至ってもかなり特殊な曲調の主題歌だったといえると思う。 

この曲がミュージカル映画だった・・というならば、分からなくもないけど、特段そういうわけでもなかったわけですよね。
まあ、実際見てないんで、何とも言えないんだけども。

それとちょっとビックリなのは、 作詞 阿木燿子、 作曲 宇崎竜童、 編曲 萩田光雄 っていう、もろ山口百恵な作家陣ですよね。

そんな、もろ山口百恵な作家陣でありながら、このミュージカル風な楽曲だもんね。まったく想定つかない・・・というか、この作家陣を見ると、どうしても山口百恵さんのような曲想をイメージしてしまう。

いや、「出し手」側も、このお三人に曲を発注するときは、それまでは端から山口百恵さんのイメージで発注したんだと思う。 
例えば83年の柏原芳恵さんの「ちょっとなら媚薬」とかさ。 この御三方でもろ百恵さんアゲインだったわけじゃん。

でも、この曲には、そんな山口百恵さん「臭」がかけらも感じない。 ここがいいですね。

まあ、たしかにこの曲の前の「少年ケニア」にもそれに近いところは感じてはいたけど、ここに来て、完全に山口百恵さんの「残像」が消えましたよね。 
そんなところからも、80年代と言う時代がさらに深まった感がある1曲ともいえるかもしれないな。






しかしさ、角川三人娘の中でも渡辺典子さんって、どうもジミだったんだよなぁ。 口悪く言えば「パッ」としなかったというか。。。。
3人の中では一番「美人」だったんだけどねぇ。

美人ではあったけど、なんていうのかなぁ、華やかさっていうのが今一つだったのかもなぁ。

それと、歌唱力っていう点ですね・・・・。

・・・なんて、原田知世さんも当時の歌唱力はどっこいどっこいだったんだけどもね。 

ただ原田さんの場合、この後、曲ごとに彼女ならではの「味」が出てきてましたからね。そのあたりが強みだったんだと思うけど、渡辺典子さんの場合は、彼女ならではの味っていう所があんまり感じなかったのも弱点だったかもな。

結局、そういうところが、レコード売り上げにも、もろ反映してたんだよな。
結局オリコンベストテン入りしたのは1曲目の「少年ケニア」だけだったわけで、2曲目のこの曲では早くもベストテン入りできなかったですから。



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モニカ / 吉川晃司


1984_03_モニカ_吉川晃司


今回の1曲セレクトは、「モニカ」吉川晃司です。

まずはデータでする。

・タイトル       モニカ
・アーティスト     吉川晃司
・作詞         三浦徳子
・作曲         NOBODY
・編曲         大村雅朗
・リリース日      1984年2月1日
・発売元        SMS
・オリコン最高位    4位
・売上げ枚数      33.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1984年3月19日〜5月28日付
・タイアップ:映画「すかんぴんウォーク」主題歌


少し前に、昔書いてたmixiの日記を読み返したら、このブログに、まだ「移植」していなかった1曲セレクトが何曲か見つかった・・・って書いたんだけども、実は、今回引っ張ってきた、この曲もそんな曲の一つなんだよねぇ。

吉川晃司「モニカ」

ここから読んだ方は、「え〜、なんで、こんな大ヒット曲まだ書いてなかったのぉ〜」と思われて当然・・・・ですよねぇ。。。。  

いや、ワタシもね当然、この曲は、すでにこのブログに移植していたものと思っていたの。。
(mixi時代に書いていた曲は、このブログを始めるときに移植してきてたんですよね)

どうも、どこかで漏れてしまったんだよなぁ。。。。

ちなみに、mixiには2006年4月、今から15年前に書いてんだけどね。
そのまま転記してもいいんだけども、この機に少し加筆しながら書いてみまする。


それにしても今日はいい天気ですわ。 外に出てみれば桜は満開だし、すっかり春ですね。 
もう、こう言う気候になるとソワソワですよ。
ただまだ3月なんだよね。 
3月でこの気候ねぇ。今年は暑くなるのかねぇ? 最近は、春、秋の季節が昔に比べたら異様に短くなっているような気もするんだけども、3月でこの気候であれば、今年の夏も暑くなるだろうね、きっと。

それはそうと この「モニカ」がヒットした1984年もそうだったんだよなぁ。この年の冬は異常なくらい寒かったのよ。で、逆に夏は猛暑。気候が猛烈に変わった典型的な年だったんだよね。

そんな1984年にリリースされた、「モニカ」。
ハイ、吉川晃司のデビュー曲です。
 
この曲は、そんな、さむーい冬の最中、1984年2月1日にリリースされたのですよ。

1984年の2月は、関東地方でも10年ぶりくらいに大雪が降った年で。ここ千葉でも一晩で40cmくらいの積雪になったんだよね。 それが一度だけではなく毎週のように積雪。 兎も角寒い2月だった・・ってこと、今でもよく覚えてますよ。

そんな中、この「モニカ」って曲は、ウエストコーストなテイストがいっぱいのストレートなロックポップな曲。完全なロックとはいえないけど、太陽の光をいっぱい浴びながら聴きたくなるような、軽快なロックでしたよねぇ。

近田春夫氏いわく、佐野元春氏をうーんと、素直にしたような曲調。

 ただね、ウエストコーストの太陽の光をいっぱいに浴びたような曲調だっただけに、最初はあんまり、動きがよくなかったんだよね。
そそそ、実際の気候は、めっちゃ寒かったからさ、当初は、どうも今ひとつピンとこなかったのも事実でしたね。

実際の気候と、ヒット曲傾向の関係って絶対あると思うのよ。 まあ、実際調べてみたわけぢゃないけど、長年の肌感覚として。
ネットを調べると、経済動向とヒット曲の傾向との相関関係を調べた方はいるみたいだけど。。。
誰か調べてみては

・・と話がずれた。。。

まあ、これがデビュー曲という新人ということで、知名度もなかったというのも、当初ヒット戦線に今一つ動かなかったのも事実だったろうし。。。
ナベプロのイチオシ大型新人であったとは思うけど、それほど、大々的なプロモーションは、最初はなかった・・・様な印象もあったなぁ。

曲に対する評価も最初は高くなかったんだよね。
近田氏も、月刊明星の「新曲激評」のコーナーでは、佐野元春のようで面白いが、まだ、固まっていない・・というなんとも歯切れの悪い評価。

 たしかに、まだ、このヒトならではの特徴ってなかったんだよね。強いて言えば、発音が悪かったって事ですかね〜。。。
 まあ、のちのち、これがこのヒトの持ち味になるわけだけど、あの当時は、字余りの発音不明瞭っていうアーティストは、ほとんどいなかったからねぇ。ほとんどサザンの桑田氏の専売特許みたいな感じだったし。
 だから、新人のくせに「生意気な」という雰囲気もあった様な気がする。今となって思い返せば。

 BUT、暖かくなるにつれて、評価がガラリと変わってきたんだよね。
やっぱり、太陽の下で聴くこの曲ってのが、一番しっくりくるわけで、本来の形に見えてくるんだろうなぁ。
曲のもつ温度感がさ、やっぱり、「初夏」のカラリとした空気感だもんねぇ。

 このあたりは、個人的にも納得なんだよなぁ。ワタシも初めのうちは、この曲、あんまりピンとこなかったのは事実だし。
 でも、今ごろの季節の空気の中で聴くといいんだよね。とくに今日のようにスカッと晴れた日にはあうのよ、この曲。

↑で1984年って、冬はめっちゃ寒かったけど、夏はめっちゃ暑かった・・と書いたけど、今考えると「春」は短く、あっという間に「初夏」になったようなイメージが強い。
だからなんだろうね、この年の「春ソング」って少なかったという印象もあるし。

まあ、いつかも書いたように、この頃になると季節先どりの曲がめちゃくちゃ多くなっててさ、4月には「夏の〜」「渚の〜」っという感じで、ヒット曲の世界は一気に夏モードに転換していたんだよね。

この年はさ、それにリンクするかのように4月に入ると一気に初夏めいてきてたんだよね。
だからなのか、1984年4月、5月のヒットってそんな初夏の風に似合う曲が多いんだよね。
それが、この「モニカ」って曲にも追い風になったんじゃないのかなぁ・・とも思ったりするのよ。

これが1年後の1985年だったら、ちょっと状況が違ったんじゃないのか・・とかさ。
1985年は4月になっても雨がちで肌寒い日が多かったからさ、印象が違ったと思いますね。



 


やっぱ、15年の月日は大きいよなぁ。あの頃と今の文章のノリってだいぶ違うんで、どうも今一つ、うまく加筆できなかったデスわ。 すみませぬ。。。。

ちなみに、この曲のサビの

♪ Thanks ThanKs Thanks Thanks モニカ〜  ♪ の部分

 同じ時期にブレイクしてきた、チェッカーズのフミヤ氏、曰く
かの「ザ・ベストテン」にて

♪ SEX SEX SEX SEX  もう二回〜 ♪ とのたもうておられました。(爆)

どうも、その印象が未だに強いんだよね、個人的に。。。。


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ミステリーウーマン / 石川秀美

1984_11_ミステリーウーマン_石川秀美


今回の1曲セレクトは、「ミステリーウーマン」石川秀美です。

まずはデータです。

・タイトル     ミステリーウーマン
・アーティスト   石川秀美
・作詞       松宮恭子
・作曲       松宮恭子
・編曲       椎名和夫
・リリース日   1984年10月24日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 5位
・売り上げ枚数 13.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1984年11月19日付

パクリ。 なんて甘美な響きなんだろう? 

・・・なんて書いたら怒られちゃいますかねぇ
今では「サンプリング」っていう言い方で、半ば認められているこの手法も、ちょっと前までは、やれ盗作だぁ、なんだぁ、で叩かれて・・・うんにゃ揶揄されていましたよね。

80年代まで、こういった形で、どっかで聴いたことがある曲っていっぱいあったんだよね。
なんせ「ドロボー歌謡曲」なんっつう本まであったぐらいだし、今聴くと、筒美京平先生の曲は、必ず下敷きにした元曲があるっていうくらいだからさ。

あ、認められて・・・っていうのは、ちょっと誤解の部分があるかもしれないけど、正確にはサンプリングしたということで、著作権管理団体には、それらの楽曲の著作権者と併せてサンプリング元の楽曲の著作権者も申請した場合に限るんだけどさ。
だからね、今、例えばJASRACのデータベースを見てもらえばわかるけど、作品タイトルを(SAMPLE)って検索文字で中間一致検索してもらえば、かなりの件数がヒットするのよね。

まあ、こういった形で、サンプリング元の権利者も守ろうっていう方法なんだけどさ。

もちろん、こういう形で正式にサンプリング申請なしに、無断で「盗用」するのは今でも著作権法違反。
ただ、著作権ってあくまでも「申告罪」なんで、権利者から権利侵害の訴えがない限り、正式には罪にはならない。

だから、今でも「サンプリングしました〜」ってきちんとカミングアウトした曲って、多くないんだけどね、特に日本の曲は昔の曲を含めて。
本当にサンプリングしたかどうかなんて、作った本人しかわかんないからさ。 作ったら、たまたま似ちゃいました〜、ってことも往々にしてあるわだからさ。
特に、音楽が氾濫している今の世の中では、似ちゃう曲っていうのもどうしても出てくるわけなんだよね。なんせ音階なんて限られているわけだからさ。


・・・などと、お堅い話から始まった今回の1曲セレクトですが・・・。 

なぜに今回、そんな話から始めたか・・・っちゅうと、 はい、そうです、今回の曲が思いっきり「パクリ」疑惑がかかっている曲だからなんですねぇ。。。 (水爆) 

石川秀美さんの「ミステリーウーマン」

うん、このまま、このキーワードでググッってもらえると、一目瞭然なんだけど、この曲、もろBON JOVIの「夜明けのランナウェイ」、 まんまなんだよね。 

↓ コレ



世の中、おせっかいの人もいるようで、 この「ミステリーウーマン」と「夜明けのランナウェイ」、イントロを含め、メロディラインを比較すると、8割強が一致する・・・なんて分析を書いてるブログもあったりして。。。

そそそ、イントロの出だしなんて、完全に同じだったりするものなぁ。

今はYOU TUBEなんていう、便利なものがあるんで誰でもいつでも聴き比べできるけど、、この曲がリリースされた84年当時は、そんなことできなかったし、だから、知ってる人しか知らないような状況だったんだよね。 いわれて見れば似てるよな・・・ってくらいで。

だから、いわいるパクリってことも往々にしてあったわけなんだよね。

例えば、「ミステリーウーマン」の前年にリリースされた、シブがき隊の「ZOKKON命」は、まんまNIGHT RANGERの「Don't Tell Me You Love Me(炎の彼方)」だったわけじゃん。

ってか、この曲も昔から、そう言われつつパクリ疑惑がかかってたんだけど、最近になって芳野藤丸氏の「芳野藤丸自伝」っていう本に、「ZOKKON命」を作、編曲した水谷公生氏がパクったことをカミングアウトしちゃってますしね。書いてたら似ちゃったんだけど、ディレクターから「同じにしてよ」って言われたってことを。。(爆)

まあ、↑で書いたように、著作権法って申告罪だから、オリジナルの権利者から訴えられない限りは罪にならないって分かってるからこそやっちゃったんだろうけどさ。

今はネットが発達してどこにいても世界中の音楽が聴けるからバレちゃう可能性も高いけど、30数年前は、FAR EAST、「地球の果て」の日本の曲なんて、向こうの人はほとんどだれも聴かなかっただろうからさ、そういうこともやろうと思えばできたってことなんだろうね。どうせ向こうの人は誰も知らねーし・・っつう感じで。

件の「芳野藤丸自伝」で水谷氏本人も言ってらっしゃるけど、だから今にして思えば、結構乱暴な時代だったのよ、80年代って。
近年、中国を「やれ、パクリ大国だ〜」なぞと言ってる人たちが言えるかって感じだったわけなんだよね、昔の日本も。

もっとも、日本人の場合って、そういったサンプリングっていうフィルター工程を通して、オリジナルよりもクオリティが高いものを作っちゃうっていう「技」があったりするのが、ちょっとほかの国とは違うところなんだけど。。。

ちょっと話がずれたね。

 今回引っ張ってきた「ミステリーウーマン」って曲は、似てる似てるって言われている「夜明けのランナウェイ」からパクった・・・・・うんにゃ、サンプリングしたっていうことを、正式にカミングアウトされてはいないようだから、本当にサンプリングしたのか、作っちゃったら、たまたま似ちゃったのか・・・正確には謎のままなんだけど、「ZOKKON命」のことを考えると、限りなく「・・・」ってところなんだろうなぁ。

それが悪いのどうのこうのって今更言及するわけではないんだけどね。なんせあれから35年も経っていることだしさ。 

ただ、個人的に違和感だったのは、この「ミステリーウーマン」って曲、もろ「洋楽」だったってことかなぁ。
昔の本の方のブログに「歌謡曲と洋楽の融合」っていうのがあったんだけど、まあ、それですわね。

っというか、歌謡曲と洋楽の融合なんて、この時に始まったことではなく、60年代の昔からあったわけでさ。 それこそ、筒美京平先生の曲なんて言うのは、もろそういう曲なんだけど。
それでも、それまでの洋楽の融合っていうのは、あくまで洋楽っていうフィルターを通した、新たな歌謡曲っていう感じだったんですよね。 洋楽の可能的な部分を圧縮して日本人の感性に合った感じに置き換えた曲っていうのかなぁ。それが70年代来の歌謡曲の本流だったんだよね。

でもさ、この曲の場合は、もろ洋楽だったんだよなぁ。 そこが違和感でねぇ。

というか、この時期、そういった曲が増えてきてたんだよね。 石川秀美さんのこの曲にしろ、そのちょっと後の早見優さんの曲にしろ、歌謡ポップスというよりも洋楽じゃんって感じで。

まあ早見優さんは向こう育ちだし、だから、洋楽の香りが強いほうがそれらしいっていうのわかってたんでねまだ違和感は少なかったけど、秀美さんはねぇ。。。

個人的には、もっとオーソドックスなアイドルポップスのほうが好きだったんだよな。 この84年で言えば年初めの「めざめ」、その前の曲の「スターダストトレイン」はよかったんだよなぁ。

ああいうオーソドックスな、メジャー系なミディアムアッパーなポップス。 良く言えば素朴な曲、ちょっと茶化せば「ダサい」曲ですわな。 でも、それが一番この人には合ってたような気がするんだよね。
 少しエスカレートしても、この曲の前の「熱風」かな。 「熱風」の作曲者の林哲司氏も洋楽志向寄りのエッセンスが強い作家のひとりだったけど、日本人嗜好は残した曲が多かった。 だから、それほどあからさまに洋楽っていう感じではなかったんだけど、この「ミステリーウーマン」くらいまで行っちゃうとあからさまだったからなぁ。

それでもこの曲、秀美さんの曲の中では、結構売れたんですよね。 売り上げ枚数13.8万枚っていうのは、いちばん売れた83年の「Hey!ミスターポリスマン」の15.1万枚に次ぐ売り上げだったし、オリコン最高5位っていうのも、この時点では自身の最高位だったしね。

個人的には、そんな状況にも疑問だったんだけどさぁ。



でも、今、冷静に考えると、時代はアイドルの楽曲も急速に洋楽志向に流れて行ってたんだよね。
例えば、次の年の河合奈保子さん「ジェラス・トレイン」なんかも、完全に洋楽だったしな。この曲は作曲が筒美京平氏だったけど、筒美氏にしても、それまでの洋楽の官能的な部分の圧縮というよりは、完全洋楽な曲も見据えてたってわけなんだよね。

そして、洋楽そのものをカバーした荻野目洋子さんの「ダンシング・ヒーロー」が大ヒットするのは、この曲から1年ちょっと後になる。



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ラ・ヴィアンローズ / 吉川晃司

1984_10_ラ・ヴィアンローズ_吉川晃司


今回の1曲セレクトは、「ラ・ヴィアンローズ」吉川晃司です。

まずはデータです。

・タイトル     ラ・ヴィアンローズ
・アーティスト   吉川晃司
・作詞       売野雅勇
・作曲       大沢誉志幸
・編曲       大村雅朗
・リリース日    1984年9月10日
・発売元      SMS
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   19.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1984年9月24日〜10月29日付

苦手なタイプ曲がある。 
まあ、ここでもこれまでもチョポチョボと書いてきてるんだけど、少なくとも80年代で最近書いてる曲は「苦手」だった部類の曲って言うのかなぁ。 うん、当時好んで聴いてた80年代の曲はあら方、既に書いちゃったからさあ。
だから、当時苦手、あるいはレビュるのが難しい曲が残っちゃってるんだよな。

・・・と初めに言い訳がましく、書いといて・・・

今回セレクトしてきた曲は

吉川晃司「ラ・ヴィアンローズ」。

吉川、デビュー第3弾シングルですわな。 デビュー時の吉川は、キライじゃ無かったんだよ。ま、確かにフテブテシイ奴だな・・・なんてちょこっと鼻にはついてたけど。 でも、それと曲とは別の話でさ。

この曲の前の「サヨナラは八月のララバイ」なんてのは、好きだった。イントロの出だしのガラスの割れる音が派手だったし、何より無機的なイメージがある84年夏を象徴するような曲に感じてたし。

でも・・・、この曲は、正直言って、良く分かんなかったんだよね。 掴みどころが無いって言うのかなぁ。

ツルンとした抑揚の無いメロディラインっていうのか。 確かにそんな所は無機的な84年らしいメロディラインだったのかもしれない。

それにつけても、この曲は、掴めなかったんだよな。 作曲の大沢誉志幸氏も、非常に日本語が乗りづらいメロディと言っているのが象徴的なんだけど、まあ、それが、聴いてるこちらとしても掴みどころが無いように感じちゃったんだろうな。

まあ、肯定的に言えば洋楽的なメロディって言う事なんだろう。

いや、それが私個人としても、今一つ生理的に引っかかりきれなかったところなのかもしれない。

昨日の「人形の家」でも、洋楽のキャッチーな部分や、官能的な部分が凝縮されたのが歌謡ポップス、でも、それだけじゃ日本人には刺さりきれないわけで、日本人の「感性」をプラスしたメロディが歌謡ポップス・・・

つまりあんまりバタ臭いのではなく、バターに醤油をかけたような・・・そんな音楽が歌謡ポップス・・・って書いたんだけど。

たしかに、80年代初頭までは、その通りだったんだよね。如何に表向き「ロック」だぜ! っていうニューミュージック勢だって、結局のところメロディラインは、日本人好みの「和」の感性が入ったものだったわけで。

いや、それこそがワタシ個人としても「J-POP」の原点だったんだよね。

でもさ、80年代も中盤、事にこの84年くらいになって来ると、「醤油」をたらさずにダイレクトに「洋楽」的なメロディ、サウンドが増えてきたんだよ。

いわいるニューウェーブ系サウンドってやつですね。 硬質、かつ鋭角的無機質なサウンド。余計なリフや音は、極力排除されている。 それいえ、すっきりとした都会的なサウンド。 いわば当時の先鋭的な楽曲ですね。

BUT、いつもここでは書いてるように個人的には、ダサい、もっと土臭いサウンドと、ごちゃっと音で埋め尽くされているような曲が好みだったもんでさ。 そそそ。メロディとメロディに音の隙間があると許せない・・って感じで。

だから、同じ84年でも、大瀧詠一氏の「Each Time」のような、ウォール・オブ・サウンドの方が何倍も安心するし、メロディとメロディの合間を面白い音で埋めると提唱した筒美サウンドの方が、この当時でもしっくり来てたんだよな。

あ、この志向は、今でも基本は変わらない。まあ、当時よりはやっと慣れてきたって言うかねぇ、当時よりも音数が少ない曲が多いからさ今は、強制的にでも慣らされたって感じですわな。

いずれにしろ、だから、この84年当時は、この手のスッキリとした掴みどころのないサウンドには、引っかかりきれなかった訳なんだよね。

まあ、前曲の「サヨナラは八月のララバイ」も、サウンド的にはこの曲と大きな違いがあった訳じゃないんだけど、イントロの出足のガラスの割れる音と、サビの前のコード進行には引っかかったからなぁ。
そんな部分があったのか無かったのかだけの違いっちゃ、そうなんだけど。。。






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騎士道 / 田原俊彦

1984_05_騎士道_田原俊彦


今回の1曲セレクトは、「騎士道」田原俊彦です。

まずはデータですよ〜。

・タイトル     騎士道
・アーティスト   田原俊彦
・作詞       阿久悠
・作曲       つのだひろ
・編曲       船山基紀
・リリース日    1984年5月23日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   25.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1984年6月4日〜7月9日付

えー、平日の1曲セレクトですら。
本当はねぇ、昨日書こうかと思ってたんだけども、ここんところ、持ち帰りの仕事が終わんなくてねぇ、結局、昨日は書けなかったのよね。 ま、そんな事で、平日の月曜日に書いてたりします。

今回引っ張ってきた曲は、初めから決めてたんだよね。

トシちゃんの「騎士道」

トシちゃん・・・なんて懐かしい響きやなぁ、いつ以来なんだろう、トシちゃんの曲を引っ張って来たのは・・・・。
一連のヒット曲の大半は、もう、とっくの昔に書いちゃったからねぇ。

でも、そんなヒットを続けていた最中の84年のこの曲、まだ、書いてなかったとは・・・・。

まあ、理由はいくつかあるんだけどね。

一つは、個人的にヒット時期を間違えて記憶していた事。。。 うーむ、これは厳密に言えば間違えては無かったんだけども、若干ズレてたんだよなぁ、記憶が。
うん、個人的には、この曲、「5月1日リリース」って記憶してたの。だからさ、ヒットは、ゴールデンウイークの頃だよなぁ・・・なんて長年勘違いしてたんだよな。
実際は、リリースは5月23日だったんだよね。 ベストテン入りしたのは6月だ。 

うーん、そうだったかなぁ・・・・。 34年も経つと記憶もあいまいになるわなぁ。

いや、間違いなく84年のゴールデンウイークには、この曲聴いてた記憶がある。 そそそ、文化放送の「全日本歌謡選抜」で聴いてた記憶が鮮明に残ってるだよな。

いつぞやも書いたけど、この番組、新曲紹介がやったらと早くて、リリースの1か月前には、既に、いまでいうヘビーローテーションだったんだよな。そのおかげで、リリース時になるとすでに、聴き飽きて、「もういいよ」・・・って感じだったりもしたんだけども。。。

まあ、そんな影響で、リリース時期を1ヶ月くらい早いものと間違って記憶してたんだよ。

で、この曲を今まで書いて来なかった理由、その2は、書こうと思うと、動画がようつべに落ちてなかったりね。。。
破門になったとはいえ、曲がりなりも元ジャニーズっすからねぇ、意外と動画も落ちてなかったりするんだよね。

ここんところ、今まで書いて来なかったのは、ヒット当時、あまり好きぢゃ無かったから・・・って曲が多いけど、この「騎士道」に関しては、決してそうじゃ無かったんだよね。

むしろ、個人的には気に入ってたな、当時。

トシのこの曲の前が「チャールストンにはまだ早い」っちゅう、文字通りチャールストンをベースにしたダンスチューンだった訳だけども、どっちかというと、ナンパ的な曲だったじゃん
だけどもこの曲は、打って変わって、久々に硬派なトシちゃんだったしな。 

そそそ、トシちゃんを書くたびに言及しているような気がするけど、トシの場合、1曲1曲の曲の変化が大きいんだよね。あんまり同じような曲調が続く事が無い。そこが「まっち先生」とは大きく違うところであり、トシも魅力の一つなのよ。
変化大きいってことは、飽きないって事でもあるしね。

この曲、硬派な曲と言っても、それまでのトシ には無かったような曲調だったしな。 タイトルからも想像できるようにスパニッシュ。 そそそ、「闘牛士」なあのイメージですな。
このイメージには、当初はちょっとビックリだった。 まあ、この曲で初めて阿久悠氏が詞を書いたっていうのも、
ビックリだったけどね。

でも、トシにはあってたような気がするなぁ。 この曲の後86年に、本格的に阿久悠氏とタッグを組むようになるトシだけど、ジュリーとは別な角度でトシを大人に導いたような気がする。

だってさ、この曲には、「ニンジン娘」なイメージはかけらも見えないじゃん。

それと、船山基紀氏のアレンジですねぇ。 まあ、タイトルからスパニッシュなイメージっていうのは、「モロ」っていうところは強いんだけども。

でも、トシには、船山氏のアレンジがいちばんフィットするって感じるんだよなぁ。 トシのもつナイーブさを最も引き出すようなアレンジっていうのかなぁ。
 
トシのアレンジャーブレーンのもう一人、大谷和夫氏とは、違った角度からトシを引きだすっていうのかなぁ。
大谷氏のアレンジからは、よりソフィケートされたトシ、船山氏のアレンジからは、時には少年っぽく、時にはダイナミックにトシをサポートしていた訳なんだよね。

昨日、東京FM「五線譜の解体新書」の船山基記特集で紹介されていた「ハッとして!Good」は別格として、個人的には、81年の「悲しみ2ヤング」が一番好きなんだけどさ。この「騎士道」もいいんだよね。 

この頃の船山氏といえば、どうしても柏原芳恵さんとか、キョンキョンなどのフェアライトを駆使したシンセサウンドの新たな地平的な曲っていうイメージが強いんだけども、それよりもこの曲「騎士道」のようなアナログサウンドもいいのよ。 なんて言ってもダイナミックなストリングスとブラスが織りなす調和。そこから引きだされるトシのナイーブなボーカル。このコントラストが、この曲のキモなんじゃないかなぁ。

正直言って、この曲はそこそこ、売れるんじゃないかなぁ・・・・とは、リリース当初は思いましたよ。
実際のところオリコンでも1位獲れたしね。 でも1位取った後が続かなかったんだよな。 シングルでは初めての売り上げ30万枚割れ。
・・・って書くと、83年の「ラブシュプール」も30万に届いてないじゃんって突っ込まれそうだけども、あれは「30万枚限定」だったしな。
結局のところ、シングルの右肩下がりの売り上げは、この曲でも止まらなかった・・・って訳なんだよな。




むむむむ、動画の直リンがはじかれてしまったわい。。。。 
申し訳ないんですが、動画を見たい方は「この動画はYou Tubeでご覧下さい」をクリックしてくだされ。。。。

ところで、この曲、作曲は「つのだひろ」氏なんだよね。
・・・って、この間から、つのだひろ氏作曲の曲を何曲か書いてきたんだけども、とどのつまりは、この曲に繋げたいがためだったんだよねぇ・・・
そそそ、つのだひろ氏作曲の曲って、なぜか5月、6月頃にヒットした曲が固まってる・・・ってことでさ。 


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サムライ・ニッポン / シブがき隊

  1984_02_サムライニッポン_シブがき隊


今回の1曲セレクトは、「サムライ・ニッポン」シブがき隊です。

 まずはデータです。

・タイトル   サムライ・ニッポン
・アーティスト シブがき隊
・作詞     売野雅勇
・作曲     後藤次利
・編曲     後藤次利
・リリース日  1984年1月15日
・発売元    CBSソニー
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数  22.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1984年1月23日〜2月27日付

今回の1曲セレクトは、のっけから、シブがき隊exclamation  どえす。。

これまでも、何曲かシブがき隊の曲を取り上げてきたんだけど、今聴くと、なぜか、シブがき隊の曲がよい。
まあ、個人的な感想なんだけどね、新鮮なんだよね。

 きっと、「たのきん」の曲に比べると、ヒット当時はあんまり聴いてこなかったっていうせいもあるかな。
音源を手に入れたのが、かなり後になってからっていうのもあるな。
 「たのきん」の曲は、ヒット当時から随分、持ってたもんなぁ。だからさ、あまりに聴いてきたんで、ちょっと新鮮さが失われているっていうのはあると思うわ。

 で、今回セレクトしたのは、1984年の今頃のヒット「サムライ・ニッポン」よ。

 なに? 「侍ニッポン」の間違いぢゃないかって? サッカーぢやないんだから。。

 ってか、この曲の動画探してたら、やたらと「侍ニッポン」で引っかかってきた。。。 むー、やっぱ、今の時代はサッカーなんだろうねぇ。


 ところで、この曲、タイトルだけみると「演歌か?」なんて、思わず、思いたくなるけど、まさかまさかだよな。

 実際は、全く異なる「ファンキー」な曲よ。 
 ベースは作曲の後藤次利氏が自分で弾いていると思われるけど、イントロからいきなり「ジャングル」っぽいリズム。黒っぽさいっぱいのファンキーなベースを展開してたりして。
 
 このころって、このテのジャングルっぽい、「黒っぽい」ビートが一時的に流行ってたのかねぇ。。 考えてみれば、サザンのアルバム「綺麗」に収録されている「All Star JUNGO」もこんな感じのファンキーなインストだったりしたもんな。
 恐らく、「ファンキー」ってコトバがキーワードとして出てきてのも、この頃だと思うな。

 ま、リズム的に言えば、それまでの、もろロックな「ヘビメタ歌謡」から、この曲で、ずいぶん変わったんだよね。
なんせこの曲の前作が「挑発∞」だもんなぁ。この曲のクサさったら無かったからねぇ。もう行きつくところもまでいったか・・・ってくらいで。
それに比べたら、この曲は大分軽かったしな。 うん、サウンド的にってところで。音がスカスカって訳ではないんだけど、音圧は前曲に比べたら薄かったしさ。
まあ、それもこの曲だけだったけど。。
 だから、この曲だけは、シブがきの中でも、やや「異色」な匂いがする曲っていえるかもな。

 たださ、当のシブかぎの3人は、リズム的に乗り切れてないっていうか、歌いきれてないっていうか、かなりショボイ、ボーカルになってたりしてふらふら、それかネックかもなぁ。 ビシッと決まってれば、もっとかっこよかったのにねぇ。

 ・・・というか、歌いきれてないほうが、シブがきっぽくていいって言うのもあるけどさ。。 やっぱ、ジャニーズはウタがうますぎるのもバツだろうし。。。



最初にシブがきの曲を聴くと「新鮮」なんて書きながら、今まで「1曲セレクト」であんまり書いて来なかったのは、落ちてる動画が少ないって言うのもあるんだよね。
 この曲にしても、今回引っ張って来たのしか落ちてなかったのよ。本当はベストテンとかトップテンとか落ちてればよかったのにね。 まあ、その辺りに当時のシブがきの人気と、現在の認知度に表れてるんかなあ、
決して、シブがきがジャニーズだったからって言う訳じゃないと思うんだよな。
・・・っつか、ジャニーズだったことを忘れてる方も居たりして。。。


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リトル・プリンセス / 岡田有希子

1984_07_リトル・プリンセス_岡田有希子


今回の1曲セレクトは、「リトル・プリンセス」岡田有希子です。

まずはデータなのだ〜。

・タイトル    リトル・プリンセス
・アーティスト  岡田有希子
・作詞       竹内まりや
・作曲      竹内まりや
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1984年7月18日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数  9.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 19位

 ここんところ、ほとんど書いてなかった1曲セレクトなんで、↑のデータ項目の並びを忘れてしまってたワタシがいた ・・・なんてことはどーでもいい事でして。。。。
この間久しぶりに書いた、しまざき由理さんの「面影」はちょこっと「引き」が弱かったな。 まあ、ヒット当時50万枚の大ヒットと言っても今となっては知ってる人しか知らない・・・って感じの曲だから、しょうがないと言えばしょうがないか・・・

・・・・と言う事で、今回は「引き」が強いであろう・・・と思われる曲を引っ張って来ましたぞ。

岡田有希子さんの「リトル・プリンセス」。

過去の「今の時期」のヒット曲をセレクトする・・・って言うコンセプトで書いてる1曲セレクトだけど、そのコンセプトからすると、この曲はちょこっと時期がずれてるんじゃね?

・・・・なんて指摘してくる人もいるかなぁ・・。 当時、オリコンでランキングをチェックしてたチャート小僧で、「細かい」所をついてくるような方はさ。

まあ、正確に言えば、84年7月リリースだったこの曲から、84年9月当時はオリコン的には既にランクも下降線に入ってた時期ではあるんだよね。だから厳密に言えば「ヒット」の時期から過ぎて来てた頃と言ってもいいかもしれない。

ただね、細かく・・・といっても「自分のチャート」だけど・・・を基準してみると、最高位を記録したのは、実は今頃だったんだよな。

つまりね、オリコンでは既にヒットの下降線に入っていたこの時期、他のチャート要素で総合的にはランクを上げていたんだよね。それが84年の今頃。

ただねぇ、どの要素でランクを上げていたのか・・・当時の各要素順位を記録した「紙」を廃棄してしまった今となってははっきりしないんだけどねぇ・・・・。まあ、当時アイドル系は概して有線が弱かったことは明白なんで、ラジオチャートが跳ね上がったのがこの時期だったんだと思うけど・・・。

レコード売り上げのチャートから遅れて、他のランク(この場合ラジオチャートね)が上がってくる・・・っていうチャート要素によってチャートの動きに「時間差」があった事・・・・実は、これが実際的な岡田有希子さんの人気バロメーターが当時、上がって来ていた事の表れだったんじゃないかなぁ。

 今も傾向は変わらないけど、レコード売り上げっていうのは、特にアイドルの場合、初動の動きが早いんですよ。っというのも、レコードの場合、初動は「固定ファン」が買うモノって相場が決まってるから。 ちょっと「浮動票」側に居るヒトは、初めレコード買うのは見送りますよね。
 他のメディア・・・例えば当時で言えば、ラジオだとかテレビで曲を聴いて、気に入ればレコードを買うっていう流れがあったんだよね。 つまりさ人気が上昇中のヒトの中には、ラジオチャートはレコード売り上げよりも動きが遅いこともあった。
岡田有希子さんの場合は、そのパターンだったんだよね。 その証拠に累積売り上げで10万枚に届かなかったこの曲だけど、次の「恋はじめまして」では、それまでの3枚のシングルで最高の売り上げを記録している。
つまりは、人気が右肩上がりだった訳ですわ、この時期。

 この時期、8月の「日本テレビ音楽祭」を皮切りに「賞レース」が始まっていたからさ、新人賞争いってことでテレビで歌う機会も増えてたっていうのも、「浮動票」をとりこんで人気バロメーターを上げるには大きかったかもしれないな。
ま、とは言ってもレコード売り上げが10万枚そこそこで止まっていたのは、ちょこっと解せなかったけどさ。


当時、岡田有希子さんの「対抗軸」として、菊池桃子さんがいた訳じゃない 
桃子さんが、この曲とほぼ同時期にリリースした、デビュー第2弾の「SUMMER EYES」がオリコンでベストテン入りしたのに対して、この曲は最高14位だったわけでさ。

この差はなんだろ? なんて思ってたなぁ。 

ビジュアル的からして「アイドルらしさ」って言うところで言えば、菊池桃子さんよりも岡田有希子さんだったからさあ。 正直言って解せなかった部分もあったなぁ。

でもよくよく考えてみれば、「下世話性」だったんじゃないかなぁ・・・。 あ、ちょっと分かりにくい表現か。。。
「シロート性」って言った方がいいのかなぁ。

時代は動いてきていたんだよね。 それまでの既存のアイドルらしさから、もっとシロート性の強い下世話なアイドルへ・・・っていう時代の動き。

それが、まだ捉え切れてなかったんだよな、当時のワタシは。 

80年代アイドルの、まさに時代の転換期だったんだよな、この時期が。

その時代転換期って言う動きが、急加速して表面化するのが次の85年なんだけどね。

そう言う点から言えば、岡田有希子って言うヒトは、今からして思えばちょっと遅れて出てきたアイドルだったんだよね。 うん、「正当派」な80年代アイドルとしてね。
この84年の前年の83年は「ニュー」アイドルの不作の年だった。 例えばさ83年にこのヒトが出て来ていたら、アイドル勢力は少し変わってたかも・・・なんて今となっては思ったりするな。
 
実際、このヒトのレコード売り上げの低さからみて、そう思えるんだよなぁ。 うん、このヒトの「正当派」としての80年代アイドルの「アイドル性」からみてさ、もっとレコード売れてしかるべきだと思ったもの。



これPVなんだけどさ、いつも思うんだけど当時のアイドル系のPVってどこで流してたんだろう? なんて思ったりさ。
当時、テレビ神奈川のミュートマ(ミュージック・トマト)など、PVを流すテレビ番組も出て来ては居たけど、アイドル系は流さなかったと思うし・・・。レコード店の店頭用だったのかなぁ。 
かすかな記憶だけど、新星堂の店頭のモニターではこの手のアイドル系もビデオも流れてたような気がするしな・・・。


ところで、↑でいろいろ書いちゃったけど、PV見ながら、改めてこの曲を聴くとさ、「プリンセス」っていうコンセプトは、岡田さんに良く合ってたと思う。

・・・けど、84年当時からしてみてもちょっとアナクロだったかなぁ・・・と。 

以前、何回も書いたけど、70年代アイドルは「ウンコしない」、「霞を食って生きてる」・・・などなどまさに「偶像」扱いだったけど、80年代はそこまで極端じゃなかったわけじゃん。 でも、この曲を聴いてるとコンセプト的に70年代アイドルに戻っちゃったんじゃないかなぁ・・・なんて感じたな。

 それは、曲的にもそうで、竹内まりやさん的には、コニー・フランシスとかドリス・デイとか、60年代オールディーズのアメリカンポップスアイドルを意識してたんだろうな・・・とは思うモノの、実際的には70年代アイドル的な曲になっているのがインパクトに出て来ているかなぁ。

この辺のギャップは、次の「恋はじめまして」で、よりオールディーズっぽくなったことで解消されましたけどね。。

まあ、この辺は、この曲のアレンジャーだった大村氏と、「恋はじめまして」のアレンジャーだった萩田光雄氏の解釈の違いだったんだろうな。


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コントロール / 河合奈保子

  1984_07_コントロール_河合奈保子


今回の1曲セレクトは、「コントロール」河合奈保子です。

まずはデータです。

・タイトル    コントロール
・アーティスト  河合奈保子
・作詞      売野雅勇
・作曲      八神純子
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1984年6月1日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数  15.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1984年6月18日〜6月25日付

まあ、蒸し暑い1日でしたわ。クーラーはあんまり点けないたちなんで(と言うか電気代ケチってるだけですが・・)、本日もほとんどクーラーをつけず、汗をだらだらかいて過ごしましたわ。
まあ、寝る時も暑いとしんどいんで、今になって寝るまでの間クーラーをつけてるけど。。。
ただね、暑かったおかけで血液のめぐりがよくなったのか、昨日ほどの痛風の痛みは無くなってきたような気がしますね。うーむ、やっぱり「自然」治癒っていうのが一番の治療なんでしょうかねぇ。
さてと、後は水をガバガバ飲んでプリン体を外に出さなくては・・・。

昨日は、個人的にキライだった曲ということで、中森明菜さんの「Blonde」を書いた訳だけど、今回セレクトしてきた曲もねぇ、ヒット当時はあんまり好みじゃなかった曲なんだよね。

河合奈保子「コントロール」

いやね、河合奈保子さんは当時好きだったし、この曲を作曲した八神純子さんもデビュー時からのファンだった訳で、本来ならこの曲だって好みになって当然・・・の筈なんだけどねぇ。

でも、実際は触手が伸びなかったんだよなぁ、この曲。

きっとね、個人的にはもっと「ポップ」な曲を期待してたんだと思う。 そそそ、八神純子さん作曲ということで、「パープルタウン」「Mr.ブルー」・・はたまた「みずいろの雨」とかね。
ソフィケイトされたメロディと、高音域でのロングトーン・・・そんな良質なポップあたりをね。

でもさ、実際のところ、確かにアップテンポなポップスではあったものの、サウンドがさ硬いんだよね。 メロディラインも以前の八神さんらしさを感じなかったし、いや、むしろ、もろ「84年」的でしたよね。

そう言う曲調になんかさガッカリしちゃったんだよな。期待してた曲とあまりに違うんで。

当時、河合奈保子さんのシングルもちょっとパワーを失っていたような気がしてたんだよね。 前曲の「微風のメロディ」なんてのは、決して嫌いではなかったけど、今一つ勢いを感じなかったし。

だからね、この曲には期待してた部分があったんだよね。八神さんのソフィケイトされた、かつ伸びのあるメロディラインは、河合奈保子さんにも嵌まりそうな気がしたからさあ。

でも、実際はそんな期待してた曲調と全く違ったからなぁ・・・。ガッカリだったんだよな。

そう言う事もあってか、この曲未だに音源持ってないんですよ、ワタシ。 河合奈保子さんのこの頃のシングル音源は殆ど揃ってるんだけどさ、この曲は当時も買わなかったんだよね。
ま、そんなこともあって、この1曲セレクトでも今まで書いて来なかったんだけど。。。

硬質で角ばったサウンドは、八神さんらしさというより、むしろ作詞の売野氏が得意にしてたようなサウンド・・・そそそ、だから一聴して84年、85年的なんだよな。

80年代の曲って「年」によって特徴がはっきりしてるからさ。 このテの硬質かつ角ばったサウンドなのが、84年、85年の特徴。
 だから、知らない曲でも曲聴いただけである程度年代が分かっちゃったりね。 この曲なんてぇのはその最たるところじゃないかなぁ。

正直今となっては、河合奈保子さんの一連のヒット曲の中では死角に入っちゃってるような曲だと思う。でも曲を聴けば、「あー、84年頃の曲だよね」っていうのがすく分かっちゃうんだよな。

まあ、それはそれで凄い事なんだろうけど、だから何? って感じもするしな。




まあ、たしかに奈保子さんのパンチの効いた歌い方は、ある意味アイドルの一線を越えたような感じはするんだけどね。 でも、個人的に当時求めていたのは、こういうパンチの利いた曲調ではなかったんだよね。
もっと伸びのある曲が聴きたかったんだよな。


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