かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1983年

夏のクラクション / 稲垣潤一

1983_08_夏のクラクション_稲垣潤一


今回の1曲セレクトは、「夏のクラクション」稲垣潤一です。

まずはデータです。

・タイトル     夏のクラクション
・アーティスト      稲垣潤一
・作詞       売野雅勇
・作曲       筒美京平
・編曲       井上鑑
・リリース日    1983年7月21日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位 25位
・売上げ枚数   8.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 27位

個人的な「夏のイベント」が終わっちゃったなぁ・・・。そう、「ROCK IN JAPAN」っすね。
毎回参戦する度に終演後、「ああ、終わっちゃったなぁ」って言う脱力感に襲われたりするんだけど、今回は大トリのサザンがめっちゃ凄かったからさあ、例年以上に脱力感がきたりしてね。

今は、夏の終わり・・・

そんな気分ですね。

今回は、そんな「夏の終わり」を感ずる1曲を一つ。

稲垣潤一「夏のクラクション」

夏の終わりを彷彿させる曲は、多々あるけど、個人的には、この曲もその一つだなぁ。

1983年の夏の終わり間近。 当時、ワタシは中2。 自由だった、あの夏。

この曲を聴くと、決まってあの夏の光景が夢想される。 自由だった、あの夏・・・って↑では書いちゃったけど、実際、自由だったのは2週間ぐらいだったんだけどさ。 

うん、部活やってたからなぁ。、吹奏楽部。 ワタシが通っていた中学校は夏のコンクールは出てなかったものの、毎年9月に定演(定期演奏会)をやってたんで、全く練習が無い日は夏休み中でもそんなに無かった。

それでもお盆前後の2週間位、部活も休みがあった。 それだけでも、とてつもなく自由を感じた夏の終わり近くだった夏休み。

8月の午後の白い光、乾いた空気、独特の夏の匂い。 その下で描いてた夏休みの宿題の風景画。 

そんな光景がフラッシュバックする。

不思議なもので、夏休みのカラーって、7月と、8月ではガラッと変わる。 7月はもっと色が夏色でももっと色が濃いイメージ。 でも、8月に入った途端、そのカラーが白っぽく感じるんですよ。

そうだなぁ、1日に例えると、7月は午前中の日差し。 8月は午後の白っぽい日差し・・・そんなイメージかな。

この曲は、後者なんだよね、午後の陽ざしを感じるんだよね。 まあ、実際ヒットのピークは、今頃8月の中旬過ぎだったわけで、ヒットの時期的にそう言うイメージが強かったんだろう。


個人的に、この曲好きだったんだよな。 ↑のデータのように、必ずしも大ヒットした訳でもない。いわいるスマッシュヒットで終わった曲なんだけど・・・。

シャレてたんだよね。 それまでのニューミュージックとは、ちょっと違った空気感。 うーむ、今一ついいコトバが出てこないんでまどろっこしいんだけど・・・。

いや、確実に、前年の1982年までには感じられなかった、カラッと乾いた空気感っていうのかなぁ・・・。

そうそう、例えば、扇風機で暑さをしのいだ1982年、それに対して、クーラーの中で過ごす1983年・・・っていう違いかなぁ。

つまりさ、1982年の夏の曲って、めっちゃ湿気感があったんだよね。そそそ、熱帯感っちゅうのかなぁ。 まあ、実際、82年の夏は「長雨と冷夏」だったんだけとも、ヒット曲のイメージね。

対して83年夏、特にニューミュージック界に於いては、カラッとした空気感の曲が多かった。 そう感じたのは、この曲のイメージが大きかったから・・・って言っても過言じゃないんじゃないかなぁ。

中流階級志向。 これは70年代にユーミンが言った言葉だけど、このコトバに現実味があらわてきたのが83年頃だったと思う。 
まだバブルな時代ではなかったけど、確実に生活のステータスは上がったよね・・・って実感できた頃って言うのかなぁ。
そんな時代感覚に間髪をいれず、ヒット曲にも変化があったんだよね。 いわいるシティポップス的なオシャレ感覚な音への変化、それが83年だったんだよね。

いや、個人的にはそう感じてたりするんだよな。

兎も角、70年代の残像が完全に払拭され、完全に80年代のカラーに移行された年、それが83年だったんですよ。

まあ、それとなんと言っても、ワタシは中2だったからさあ。 いわいる「中2病」って言われる年代だったじゃん。大人っぽく背伸びしてみたい年頃でもあったんだよな。
 本当に意味が分かってんだか分かってないんだか、この曲シャレてんじゃん・・・なんて、リリース早々、シングル買っちゃったりしたもんなぁ。 



この曲と言ったら、 ♪ 夏のおうおうお〜 ♪っちゅうサビの譜割りだったするんだろうな。やっぱり、このメロディラインはどうしても耳に行っちゃったりするもんね。

一見、歌詞とメロディがシンクロしてないんじゃん・・・なんても思えたりするけど、そうじゃない。やっぱりこのメロディラインありきだったんだろうなと思えるもんね。

ただ個人的には、ここもそうだけど、 この後の ♪ ベイビィ もう一度〜 ♪ の ♪ ベイビィ〜 もう一度〜 ♪から ♪ In my Heart〜 ♪ のメロディラインに、ピンと来ちゃったんだよな。 なんて事無い譜割りだし、コトバなんだけどセクシィなんだよね。 
このフレーズだけで、シングル買っちゃった・・と言っても過言じゃ無かったりして・・・。

ちなみに、さっき、ラジオ日本の「続きの続き」で、売野氏が出演されていて、この曲について言及してたけど、この曲のモチーフは、湘南の国道134号沿いだとか。

出だしの ♪ 海沿いのカーブを きみの白いクーペ〜 ♪ って部分だよね、モロ。

ああ、やっぱりそうなのか・・・。 ナットク。

このオシャレな感覚は、やっぱりあのあたりのイメージだよなぁ。 
チバにも、例えば内房沿いの127号にも海沿いのカーブはあるけど、 チバの海じゃ、こうオシャレにはならんもんなぁ。。。

そもそもチバの海に「白いクーペ」なんてアイテムはねぇ・・・・。 なんて書いたら元も子もないが・・・千葉県人のワタシとしては。。。



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カム・フラージュ / 柏原芳恵

1984_01_カム・フラージュ_柏原よしえ

今回の1曲セレクトは、「カム・フラージュ」柏原芳恵です。

まずはデータです。

・タイトル     カム・フラージュ
・アーティスト   柏原芳恵
・作詞       中島みゆき
・作曲       中島みゆき
・編曲       萩田光雄
・リリース日    1983年12月1日
・発売元      フィリップス
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  19.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1983年12月19日〜1984年1月23日付

1曲セレクトを書くとき毎回困るのが、ま、確かに「どの曲を書くか」っていう曲選びもそうなんだけど、いざ、書こうと思った時の文章の出だしがね〜、これが困るのよね。
何か「引っかけるモノ」があればいいんだけど、なーんも引っかけるものが無い曲の時が困る。

実は、今回引っ張ってきた曲もそうなんだよなぁ。

柏原芳恵「カム・フラージュ」。

いや〜、困ったねぇ。。。。困ったんで、↑のような出だしになってしまったんだけど。。。

そんなトピックスに困る位、ヒット当時のこの曲のエピソードっていうのが無いんだよなぁ・・・。というか、思い出せないって言うかねぇ・・・。 まあ、思い出せないっていうのは、個人的な事で、もしかすると人によってはこの曲で忘れられない想い出がある方もいらっしゃるかもしれない。

でも、個人的には・・・・う〜ん、何もないんだよなぁ。。 

まあ、だから、約20万枚も売れたこの曲を今まで書いてなかったのかもしれないけど・・・。

この曲、作詞、作曲が中島みゆき女史なんだよね。 いや、もしかすると、そんなことすら今となっては忘れ去られた事実かもしれない。 いや、考えて見れは、ヒット当時も、それほどの話題にならなかったんだよな。

中島みゆきさんと、柏原さん・・・といえば、この年(1983年)頭に大ヒットした「春なのに」であり、 翌年1984年にヒットした「最愛」であり・・・ってとろこが話題だったからねぇ。

だからね、この年1983年の柏原さんは、中島みゆきさんに始まり、中島みゆきさんで終わった年だったんだよね。

まあ、ほんのちょっとヘビーなサウンドと、アップテンポな曲調からして、中島みゆきさんっぽくなかったからなぁ、確かに。
で、当の柏原さんにしても、そんな上記のような曲調が柏原さんっぽくなかったってところはあったしね。

当時の柏原さんと言えは、上記の「春なのに」もそうだけど、「夏模様」「タイニーメモリー」など、ちょっとスローな落ちついた曲って言うイメージが定着してたしね。

 確かにこの年の春に出した「ちょっとなら媚薬」は、完全に山口百恵さんを意識したアップテンポだけったけど、正直、柏原さんにあっているとは、あんまり思えなかったしなぁ。
それが証拠に、その前曲の「春なのに」があんなに大ヒットだったのに対して、売れなかったからねぇ、それほど。
この曲の場合は、曲調があまりに山口百恵さんだったんで、「狙い過ぎ」なんていう酷評もあったわけなんだけどもね。 
ただ、個人的に言えば、柏原さん自身にそんなにあってたとも思わなかったなぁ。 メロディライン、サウンド云々というよりも、アップチューンな柏原さんがねぇ、どうもイメージとずれるんだよね。

だから、この曲にしても。そんなに売れるとは思わなかったんだよな、だから、そんなに注目してなかったところもあったんだと思う、当時は。

そもそも、♪ 悪い噂隠すために ワタシを呼び出させないで〜 ♪ っていう出だしAメロの部分、 特に♪ ワタシ〜 ♪って言う部分がさあ、ぶっきらぼうなんだよ、歌い方が・・・。

当時としては、「あー、そんなに歌いたくないか・この曲」なんて思っちゃってたんだよな、ワタシ。

でも、フタを明けたら、前曲「タイニーメモリー」を上回る、売り上げ約20万枚。 

いやいや、正直、これは予想外だったんだよなぁ。

でもねこの曲の場合は、曲調云々・・というよりも歌詞の深さが良かったんだろうねぇ・・・って言うのは今になって思えばの話なんだけどね。
中島みゆきさん独特の、男間における心理をついた歌詞。これが売り上げに結びついたんだろうなぁ。

サウンド重視、歌詞内容は深いところまで見てないワタシだからさ、当時はそう言う深いところまでは見てなかったんだよね。
 もしかすると、この曲は女子受けは良かったんじゃないかなぁ。まあ、はっきりとした資料がある訳ではないんだけどさ、そんな気がする。

でも、この曲あたりの男女間における、女性から見た心理戦をついた歌詞っていうのは、その後の工藤静香さんに提供した一連のヒット曲に結実しているよね。
逆に見れば、工藤さんの一連のヒット曲の歌詞のもとを辿れば、この曲あたりに行きつくんじゃないかなぁ。



うーん、やっぱり、この曲も所々、百恵さんの面影がチラリチラリと見えたりするんだけど、それはやっぱ、アレンジャーの萩田氏っていうのも多分にあるんだろうなぁ。エレキのフレーズとかさ、どうしても百恵さんなんだよね。


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家路 / 岩崎宏美

1983_09_家路_岩崎宏美

今回の1曲セレクトは、「家路」岩崎宏美です。

まずはデータです。

・タイトル    家路
・アーティスト  岩崎宏美
・作詞      山川啓介
・作曲      木森敏之
・編曲      木森敏之
・リリース日   1983年8月21日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数  32.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1983年9月12日〜10月17日付
・タイアップ:日本テレビ系ドラマ「火曜サスペンス劇場」エンディングテーマ

最近はタイアップと言えば「アニメ」が圧倒的に多く、ドラマのタイアップは昔に比べるとかなり「下火」になりましたよね。
まあ、昔はドラマタイアップというだけで、「大ヒット」が約束されていた訳だけど、最近はドラマの視聴率が下落する一方で、タイアップだからって売れるとは限んなくなったからなぁ。 それよりはアニメタイアップの方が「売れ筋」という点では動きが良い・・・・っちゅうことですわな。
 うん、タイアップの数は変わんないと思うんだよね。昔ほどヒットしなくなったったんで少なくなったような錯覚になるだけでさ。

 ドラマタイアップも、ドラマの方が好調で、タイアップ曲の方も「第1弾」が大ヒットとなると、続けて第2弾も同じアーティストが担当する・・・って事は少なくない。
たださ、 第1弾よりも、第2弾タイアップの方がヒットする・・・ってことは、これは少ないんだよね。 いや、今までそういう事例って無いような・・・。 あれ? あったっけなぁ・・・。 ちょっとすぐに浮かんでこない。。。

やっぱり、第1弾のイメージっていうのは深いからねぇ。 これを払しょくするのは並大抵じゃないですからね。

今回は、そんな、第1弾タイアップが大ヒットし、続けて第2弾タイアップも・・・となった曲を一つ。

岩崎宏美「家路」。

はいはいはい、そうですねぇ。 この曲は、日テレで80年代絶大的な人気があった、「火曜サスペンス劇場」のエンディング・テーマ。
で、もって「火サス」、「岩崎宏美」と言ったら、第1弾タイアップの「聖母たちのララバイ」ぢゃないですか。

この曲は、その「聖母たちのララバイ」の後を受け、83年5月から「火サス」のエンディング・テーマとなった曲ですわ。

でもねえ、やっぱり難しかったですよね。 兎に角「聖母たちのララバイ」のイメージがあまりにも強烈だったじゃないですか。

かく言うワタシも「火サス」は見てたんだよね。
あ、そそそ、この頃自分の部屋に「テレビ」が来てさぁ、だからそれまで見てなかったドラマもこの頃は大分見てたなぁ。
「火サス」も「聖母たちのララバイ」から、この「家路」に変わったころも見てたんだよね。

当時、中学2年の・・今からして見ればまだまだガキだった訳だけど、当時からしてみても、「軽くなっちゃったなぁ」・・・って言う印象が拭えなかったな。

っつか、何度も書くように「聖母たちのララバイ」の印象があまりにも強かったんだよね。

まあ、「聖母たちのララバイ」の頃は個人的に・・・というより家庭環境的に大分色々あったからね。その分余計印象に強いんだよね、少なくとも他の方に比べると。 そう言う印象もプラスされているからなぁ。

それより何より、曲調がね、いかにも「ドラマの主題歌」っぽくなっちゃったな・・・っていう印象が強かったんだよね、この「家路」については。


当時・・というか、それ以前も含めてだけど、ドラマ主題歌って独特な感触があったんだよな。

ドラマ主題歌って、華やかでヒットの「主軸」で、時代を作って行く・・・っていうイメージが強いと思うんだけど、それはあくまで80年代中盤以降の話であってさ。 そそそ「金妻」とか「毎度おさわがせ〜」とか、もっと言えば「トレンディドラマ」以降の話なんだよね。

それまでのドラマ主題歌ってさあ、ま、確かに大ヒットした曲もあったけど、大抵はなんか垢抜けなくてさ、ジミーな印象の曲が多かったんだよね。「洋モノ」よりのポップスというよりも「和」がかったB級歌謡的な、コトバ悪く言えば「安全パイ」な曲っていうのかなぁ。特に日テレのドラマの主題歌ってそう言う曲が多かった。

ま、早い話がそう言う曲になっちゃったなぁ・・・って言う印象だったんだよなぁ、「聖母たち〜」から変わった頃の印象って。

だからねぇ、これは売れないだろうな・・・っていうのが当初の大方の見方だったんだよね、個人的には。

そもそも、♪ワインカラーの黄昏は〜♪っていうAメロからして弱く感じたんだよなぁ。 「聖母〜」の時の出だしAメロの ♪さあ 眠りなさい〜 ♪っていうメロディの、あのゾワゾワッとした独特の小悪魔感、それから曲に引き込まれていく・・・っていう感覚が感じられなかったし。 


・・・とは言うものの、実際はオリコンでは最高4位。32万枚っていう、当時のヒット基準から言っても「大ヒット」の部類に入った訳なんだけどね。

それでも個人的には、クリスタルキングと同じだよなぁ・・・って考えだったなぁ。 

クリキンもデビュー曲の「大都会」でいきなりのミリオンなんちゅう超大ヒットを記録したじゃん。そそそ、あの独特のアクの強さがあった「大都会」。 でも、第2弾の「蜃気楼」では、そんなアクの強さは無かった。
当然「一発屋」だろうな・・・という見方が強かったところ、第2弾の「蜃気楼」も50万枚オーバーの大ヒットを記録した。

・・・つまりさ、第1弾の大ヒットの「余熱」が、第2弾のころもまだ残ってた、それで引きずられるように第2弾もヒットした・・・ってあれですね。

この曲についてはこの現象と全く同じ・・・ だからね、曲の出来不出来云々ぢゃない・・・ってずっと思ってたんだよな、ワタシ。




でもさあ、あれから34年の月日が経ち・・・。 今あらためて聴くと、これはこれでアリだったな・・・って思えたりして   ・・・なんて自分も大分丸くなったよなぁ。

やっぱさ、なんやかんや言う手も、この手の「歌謡曲」が自分の一番の原点なんだよな。 うん、これはどうしても切り離せない訳でさ、やっぱり聴いてて「安心」なんだよね、なんにも考えなくていい分。

でも、当時は若かったからさあ、尖がってたし、常に新しい曲調を欲してた部分が強かったからなぁ。 だから、こういう「安心感」が強い曲では、物足りなかったんだよね。




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高気圧ガール / 山下達郎

1983_05_高気圧ガール_山下達郎


今回の1曲セレクトは、「高気圧ガール」山下達郎です。

まずはデータです。

・タイトル     高気圧ガール
・アーティスト   山下達郎
・作詞       山下達郎
・作曲       山下達郎
・編曲       山下達郎
・リリース日    1983年4月23日
・発売元      アルファムーン
・オリコン最高位 17位
・売上げ枚数 12.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 24位
・タイアップ:全日空「リゾートピア沖縄」キャンペーンソング

いい天気ですわ。気候も暑くも無く寒くも無く丁度いい塩梅だし、もうね、どこかに逃亡したくなるよなぁ。
まあ、現実問題逃亡することなんても出来ないし、せいぜいリゾートミュージックでも聴きながら、現実逃避な日曜日を過ごしますか。。

・・・ということで、今回の1曲セレクトは、そんな「リゾート」感たっぷりな1曲を

山下達郎「高気圧ガール」。

この曲は、1983年の全日空(今の「ANA」ね)の「沖縄」キャンペーンソングとして、春先からTVCMでガンガン流れてた1曲ですわ。

タイトルの「高気圧ガール」ってどういう意味やねん  って感じだけど、インパクトは感じたよなぁ。タイトルを見ると、CMで流れてたサビの

♪ 高気圧ガ〜ル〜 ♪ って部分のメロディが、まだ山下達郎氏の音楽なぞ聴いてなかった、当時中学2年のワタシでも、脳裏に浮かんだもん。

↓ コレ



そそそ、当時は、まだ山下達郎氏の「音楽」は聴いてなかったんだよな、ワタシ。
この曲なんかは、CM効果もあってスマッシュヒットになった訳で、だからラジオでもちょくちょく流れてたと思うんだけども聴き流しだったんだよね。 ほとんど聴いたそばから右から左に抜けてたような感じだったもん。

やっぱさあ、当時はアイドル中心だったから聴いてたのは。 まだお子ちゃまだったんだよね実際の部分は。
業界人にして、「これは本物だぁ」て言わ占めるような音楽は、まだまだ敷居が高かったわけですわ。

・・・かといって、通ぶって、達郎氏の「師匠」にあたる大瀧詠一氏なんぞ聴いて、「いいねぇ」なんて言ってたり。   まさに中2病。

山下達郎氏の音楽を理解出来るようになったのは、ホントに最近だもの。 いや、本音を言うと、山下氏のライブに行くようになった今でも、ちょっと敷居の高さを感じたりしてるんだけどさ。

なんかさ、BGMとして聴き流しちゃいかん、ちゃんと正座して曲と対峙しなくては・・・なんていう気分にさせされるんだよな。 うん、本気で聴かなきゃバチがあたる・・・なんて感じで。そんな気分にさせられる音楽なんですよ、山下氏の音楽は。

兎に角、音に対するこだわりが強いでしょ。 この曲にしたって、♪ トゥルルル〜 ♪ってアカペラコーラス始まるイントロの部分からして、一人山下達郎って言われる例の「多重録音」。 どこを切っても山下氏・・・って表現はよくないか コーラスの全てが山下氏1人でやってるこだわり様だしさ。 やっぱ、これはちゃんと聴かなきゃ・・・って思っちゃうんだよね。

曲を聴くのに結構なエネルギーを使うし、だから、ついつい「ながら」で聴ける音楽に流れちゃうんだよな。

まあ、リゾート感が強いこの曲は、そんな山下氏のなかでも軽い気持ちで聴ける1曲ではあるんだけどさ。

この曲は、ANAのCM曲と言う事もありシングルとしてリリースされた訳だけども、もともとはこの年にリリースされたアルバム「Melodys」の中の1曲。 「Melodys」アルバムの先行シングルですね。
このアルバムでは、夏のリゾート感が強いこの「高気圧ガール」と、まさに対極にあるのが、アルバムのラストナンバーとして収録されている「クリスマスイブ」なんだけども。この曲も、例のカノン部のアカペラコーラスは、「一人山下達郎」な多重録音なのは有名すぎるくらい有名だしね。
つまりはと言えば、多重録音で始まって、多重録音で終わるアルバムなんだよね。

これだけ多重録音を多用したのも、このアルバムからだし、いろんな意味で、その後の山下氏を決定づけたようなアルバムなんだけとさ。

まあ、個人的に、それに気が付いてきたのは、85年の「風の回廊」からかなぁ。 この曲の複雑なコーラスワークによる多重録音の発展ぶりは、この「高気圧ガール」の比ぢゃ無かったですからねぇ。

そういう「技術」的な所を含めたこだわりぶりは、この曲がリリースされた時点では見抜けなかったんだよなぁ。
というか、音楽に対してそう言う聴き方も出来なかったしな。



むむむ、リンクが無効になってやがる。。。 申し訳ないんですが、上に張られてるようつべのリンクから聴いてね。

しかしねぇ、今聴くと、ホント、この曲がリリースされた辺りから当時のヒット曲の曲想が変わってきたのは、当時も感じてたなぁ。
まず、この曲はもろそうだけど、 ↑でちょろっと書いた大瀧詠一氏。「いいねぇ」って思ったのは、この頃、三ツ矢サイダーのCMで使用されていた「Cider'83」って曲なんだけど

↓コレ


たかが30秒CM用のこの曲からもリゾート感を感じたんだよなぁ。

それまでの80年代、特に前年の82年のヒット曲ってもっと泥臭い曲が多かったんだよね。 まあ、銀蝿一家全盛だったし、なんていうのかな、ブルーカラーっぽい汗と油にまみれた・・・のような。
そう言う意味では、まだまだ70年代の流れを引きずっていた所はあったと思う。

そんな状況が今回の「高気圧ガール」とか、大瀧氏の「Cider'83」が出てきた頃には一掃されたって感じでさ。
ニューミュージック界だけでなくアイドルのヒット曲も、それまでのジトッとした空気感から、カラッとした曲が多くなったしな。
 世の中が全体的に「都会的」になって来たというかね。例のカフェバーが流行り出したのもこの頃からだし。世間的な雰囲気が、前年までとはだいぶ変わったな・・・っていう思えたのが、この頃からなんだよね。
80年代も新たな一面を見せてきた頃ですわ。


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ドキドキHeartのバースディ・パーティ / 岩井小百合

  1983_03_ドキドキハートのバースディパーティ_岩井さゆり


今回の1曲セレクトは、「ドキドキHeartのバースディ・パーティ 」岩井小百合です。

まずはデータでする。。。

・タイトル     ドキドキHeartのバースディ・パーティ
・アーティスト      岩井小百合
・作詞       翔
・作曲       Johnny
・編曲       馬飼野康二
・リリース日    1983年3月9日
・発売元      キング
・オリコン最高位 20位
・売上げ枚数   6.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 22位


1週間ぶりのご無沙汰でした。。。 などと、まるで「ロッテ歌のアルバム」での玉置宏氏のような書き出しになってしまいましたが。。。
うむ、1曲セレクトもすっかり「週末更新」の様相になっちゃいましたねぇ。。。うーむ、平日も更新したい・・・っていう頭はあるんですけどねぇ・・・。 相変わらず腰が重いワタシだったりします。。。
 ま、世間は3連休ですからねぇ、この期間は出来るだけ、更新したい・・・と頭では思っているワタシです。。

さてさて、今回は何を書くべーな。。。
・・・などと思ってたら、今BS日テレで、1983年のベストテンなんぞやってる。。。 日テレで「ベストテン」ってコトバはねぇだろ・・・日テレっちゃ「トップテン」だろ。。。。なんて文句言いながら見てるんだけども。。。

ああ、そうだ、丁度いい ちょっと前に思いついた曲を持って来ますか。

岩井小百合「ドキドキHeartのバースディ・パーティ 」

ふむふむ、1983年の今頃のヒット曲  いつものごとく、至極発想は安易なワタシどぇす。。


・・・などと、書き始めたのは良いですが。。。  今となっては、この曲を覚えている方ってどの位いらっしゃるんでしょうかねぇ・・・。 うーむ、疑問だ。。。

・・・といっても、目ぼしい曲が減りつつある今となっては、オリコンベスト20に入ったこの曲も「貴重」な曲なので。。。

ふむ、この曲は岩井小百合さんにとって、デビュー第2弾シングル。

・・・とか書いて、もしかして岩井小百合さんも知らない方も多いかなぁ。 
最近でもたまにレポーターとして、テレビに出演してたりするんだけどさ。 1983年、昭和58年、期待の新人として、1月に「ドリーム・ドリーム・ドリーム」でデビュー。
いきなり、オリコンで最高19位。売り上げも10万枚突破と、期待の新人として、まずは成功だったわけですわな。

・・・つか、「ドリーム・ドリーム・ドリーム」は昔書いてたんだけどさ
↓ コレ
http://livedoor.blogcms.jp/blog/kajiyan0777/article/edit?id=52012914

ま、このデビュー曲続く、第2弾シングルつうわけで。。。

ただ、当時シングルは、いわいる「3ヵ月ローテーション」でリリースするのが「通例」の音楽業界・・・つうか、レコード業界にあって、この曲、前曲から2カ月で、早くもリリースされたんだよね。
 しかも、次の「いちごの片想い」は、この曲の次月の4月リリース・・・と、 当時の感覚で言えば、まあ、なんて「矢継ぎばや」にリリースするんだ〜・・・って感じだったよな。それだけ期待の新人って事だったんでしょうね。

というか、リリースされた83年3月の時点では、まだ、デビュー曲の「ドリーム・ドリーム・ドリーム」の頭でいましたからねぇ、当時のラジオのチャート番組では。

だからなのか、正直、当時、この曲はあんまり真剣に聴いたような記憶が無い。

確かにラジオでは聴いてたような気がする。うん、例の「決定!全日本歌謡選抜」では、結構流れてた・・・ような記憶がある。

でも、真剣に聴いてなかった・・・っていうのは、もしかしたら「ドリーム・ドリーム・ドリーム」より、引っかからなかったのかもな、この曲。

ウラを返せば、「ドリーム・ドリーム・ドリーム」は、結構好きだったんだよね、個人的に。
なんと言っても、このヒトの声質がねぇ、当時としては新鮮な感じだったし、古臭い曲調とマッチしていたし・・・。

この「ドキドキHeartのバースディ・パーティ」はと言えば、曲調がさあ・・・・。ダサいんだよね。

いや、本来、ダサい曲、大好きなワタシなんだけども、それでもどうも引いちゃうんだよな・・・。

まあ、タイトルからして、思わず引いちゃったんだけどね。

それに加えて、銀蝿のアニキたちが、あの「ダミ声」で、 ♪サユリちゃ〜ん♪ って親衛隊よろしくコール入れちゃったりしてるじゃん。

思わず 「うわっ ダサッ」って感じだったんだよなぁ。

このダサさ、シングルのA面というよりもB面・・・って感じだったんだよね。 曲調的に「ココ」という見せ場がないし、インパクトも今一つ弱いしね。

あ、そそそ、岩井小百合さんって、「横浜銀蝿」の「マスコットガール」としてデビューしたアイドルだったんでね、当然、曲も当初は銀蝿のアニキたちがとっかえひっかえ書いてたんだよな。

まあ、どういう顔して「アイドル」だった、岩井小百合さんに「ツッパリ」銀蝿のアニキたちが曲を書いてたのか・・・って想像すると、ちょっと笑えるんだけども。。。
ただ、銀蝿解散後、Johnnyはキングレコードでアイドルの原石の発掘、TAKUも日音(音楽出版社)で同じような仕事をしていると言う事を考えると、この辺りから「その道」の勉強はしてたんだな・・・って言うのも分かったりしてね。


で、そんなインパクトの弱い、岩井小百合さんの第2弾シングルだけど、なぜか、今、手元に音源があるんだよな。
いつ買ったんだ  って感じなんだけどさ。。。

この曲ね 出だしAメロからいきなり 

♪ Shake hand  もじもじ しないで〜 ♪ っていうサビから始まるんだけどもね。

デビュー曲と同じく、舌たらずのベイビーボイスなんだけどもね、サビの ♪ Shake hand  〜 ♪ ってところの発声がところどころ「オバちゃん」っぽいんだよな

うちのオフクロも、ばあちゃんもそうだったんだけども、息を吐き終わるくらいの発声って、どこか詰まったような感じになるじゃん。 アレっぽいのよ、この♪ Shake hand  〜♪って部分。

いや、それに気がついたのは、最近なんだよね、うん、ここ数年前。

それがなんかねぇ、妙に引っかかったんだよな。 それで、この曲の音源買っちゃった・・・ような気がする。。曲自体がいいとか悪いって言う感じではなくて。。。

こう文章に書いてみると、我ながら無駄にお金使ってるかなぁ・・とも思えたりもするんだけどさ。。。。




こうしてみると、今もコノテのアイドルって、よく見かけるような気がするなぁ。
これ34年も前なんだけど、そうしてみるとアイドルって30年来、変わってないんだよな。



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氷雨 / 日野美歌

1983_02_氷雨_日野美歌


今回の1曲セレクトは、「氷雨」日野美歌です。

まずはデータです。

・タイトル     氷雨
・アーティスト   日野美歌
・作詞       とまりれん
・作曲       とまりれん
・編曲       高田弘
・リリース日    1982年12月5日
・発売元      テイチク
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数  50.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1983年3月14日〜4月4日付

氷の部屋からコンバンワ。。。。。 と思わず書いてしまった。。。
うー、さみいよぉ〜 さみしいよぉ〜 

この間もチラと書いたんだけども、これ書いてる部屋や、めちゃくちゃ寒いのよ。もちろん家の中だけど、石油ストーブ1つしかないんで。。。。
まあ、ストーブが温まってくれば、それなりに暖かくなるんだけども、それまでがね〜。

時に、外はみぞれが降ってますよ、コンバンワ。

思わず、♪ 外は冬の雨 まだ止まず〜 ♪ と歌っちゃうぞ・・・・って言う気分になっちゃいますねぇ。


・・・とくれば、この曲だよね、やっぱ。    ・・・・ということで、今回の1曲セレクトは、コレ。

日野美歌「氷雨」。

これっきゃないですよね。 

まあ、「うわっ、ベタベタな選曲やん」・・・と思う方もいらっしゃるかもしれないけど、「ベタベタな選曲」がワタシの信念だったりして  
 いや、「分かりやすい」っていうのが、意外と「刺さりやすい」って言うのもあるからねぇ。 だから、ストレートで行きますよ、選曲は。。

まあ、たまに変化球投げたくなることもあるけどね。

・・・ということで、「氷雨」。 この曲はというと、佳山明夫氏バージョンが一番有名だろうし、一番売れたんだけどもね。
でも、流石に、佳山明夫氏の「氷雨」は、去年書いちゃったからなぁ。。。

↓ コレ
http://livedoor.blogcms.jp/blog/kajiyan0777/article/edit?id=52022566

それに加えて、2月の今頃というと、佳山明夫さんバージョンは、ベストテン内にランクインしてきた頃なんだけども、今回セレクトしてきた、日野美歌さんバージョンは、まだ、ベストテン入りまでは到達していなかったんだよね。 うん、大体1ヶ月くらい遅れてたからさ。チャート上のチャートアクションがさ。

なので、本来ならば、ベストテン入りしてきた来月頃書くのがベスト何だろうけどね。 でも、昨今は、3月というとね暖かくなる日が多いからなぁ。 さずかに「氷雨」って言うタイトルに相応しい日があるかどうか・・・。
ちっと不安なところもあって、「今日」引っ張って来ちゃったってのもあるな。

日野美歌さんにとっては、この曲がデビュー2作目のシングル。

ジャケット見ても分かるように、見た目「大人の女」って感じだったからねぇ。さぞかし、「芸歴」も長いんでしょう、苦節○○年何でしょう・・・って言う感じに見えたんだけどさ、最初は。

でも、じつは、この曲がデビュー2作目。 デビュー1年にしてベストテン入り「歌手」となったという、演歌歌手にしてはラッキーな境遇の持ち主だったりするんだよね。

しかもですよ、「大人の女」にみえたけども、生まれは1962年。この時「20歳」だったんだよね。
うん、誕生日が12月なんで、20歳になったばっかですよ、この時。

うむ、松田聖子さんと「同い年」なのよね。(松田聖子さんは1962年でも早生まれなんで、学年は1つ下ってことか。。。)

うわっ、見えねー ・・・・。 絶対に聖子ちゃんよりも年上だよねぇ、見た目。

・・・っつうか、それは、当時も「ギャグ」として使われてたりしたけどさ

うーん当時から言われてた事だけど、どうして、演歌系の女性っていうのは、こうも「マセテ」たりしますかねぇ。当時30歳っていっても、全然違和感なかった感じだったもんね。 

大体、歌い方からしても落ち着いてもんね、堂々としてた・・・っていうか。 うーん、どう聴いてもデビュー2作目のシングル・・・っとは思えなかったな。



83年の紅白歌合戦。 
うーん、どう見ても20歳そこそこには見えないよなぁ。
特に、昨今の20歳の「アイドル」歌手と比べるとねぇ。。。。なんだこの違いは・・・。ってか、同じ20歳には見えんぞ〜。

オリジナルの佳山明夫さんは、「女うた」らしく、女々しい歌い方だったけど、このヒトのバージョンはどっしりとしたるもんね。逆に「男歌」っていう感じなんだよな。
まあ、演歌というよりは、アレンジもサウンドも「歌謡曲」なんだけどさ、このヒトのバージョンは。

それにしても「競作」盤っていうのも、ヒット曲のキーワードでしたねぇ当時は。 まあ、ここでは何回も書いたキーワードなんだけどさ。
でも、やっぱり、83〜84年当時は、競作盤の当たり年だったからねぇ。 それに加えて演歌系がつよい時期でもあったよね。

うん、大まかに見ると80年代はアイドルの年代っていうのが、一般的な見方なんだけども、83年〜84年頃は、加えて演歌系の時代でもあったんだよね。 特に83年の今頃は演歌系が強かったんだよなぁ。 佳山明夫さん、日野美歌さんの「氷雨」。 森進一氏の「冬のリヴィエラ」。大川栄策氏の「さざんかの宿」・・・と、複数曲がベストテン内にランクしてたからさあ。 

当時 中一のガキだったけど、演歌が複数ベストテンに入ってたからと言っても、特に違和感は感じないで聴いてましたねぇ。 なんせ、当時は、ヒット曲に関しては「雑食」だったかんね。何でもかんでも聴いてたから。。。


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噂になってもいい / 武田久美子

1983_02_噂になってもいい_武田久美子


今回の1曲セレクトは、「噂になってもいい」武田久美子です。

まずはデータです。

・タイトル     噂になってもいい
・アーティスト   武田久美子
・作詞       来生えつこ
・作曲       加藤和彦
・編曲       清水信之
・リリース日   1983年1月25日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数  8.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 19位

久々の1曲セレクトです。。。って最近、いっつも書いてるよなぁ・・・。
毎日、書かなきゃ・・・っていう半ば「強迫観念」的に思ってたりするんだけども、結局は、今回も「週末」になってしまいましたねぇ。。。うーむ、どうにかせねば。。。

最近、平日、なかなか筆が上がらないのは、確かに、先月からリアル仕事の繁忙期ということもあって、平日になかなか書いている余裕がなかった・・・というのもあるけど、それ以上に、これ書いてる部屋が寒くてね なんせ、我が家は、自ら「氷の部屋」と思うほど寒いもんで。。。 それで、どうもねぇPCに向かう気が萎えてしまう・・・っていうのもあるかも。。。な

だから、暖かくなってくれば、平日もまた書き始めるかも。。。な

・・・っつうことで。。

今回は女性アイドル・・を持って来たい・・・・と思いーの、色々と考えてはいたものの、これ・・と言った曲がなかなか浮かんでこない(いつもの事ですが。。。)

・・・・で、思いあぐねたすえ引っ張ってきた曲が、この曲。

武田久美子「噂になってもいい」。

ジャジャン! ・・・ですよ、ワタシにとっては。 この間書いた南野陽子さんの「さよならのめまい」もそうだったけど、この曲も、個人的には「冒険」的な曲なんだよなぁ。
なにせ、この曲ヒットしてた頃も、それほど熱心に聴いてた訳じゃないんだよな。

って感じの、武田久美子さんのレコードデヒュー曲ですわな。

リリースは1983年、今から34年前の丁度今頃だ。 ワタシは中学1年生。

振り返ってみれば、一番ヒット曲を熱心に聴いてた頃なわけで、何でもかんでも「雑草」のように聴いてたんだよな。
それでも、この曲は、それほど熱心に聴いてなかった・・・ってことは、引っかからなかったんだろうねぇ、この曲には。

リリース前、下馬評は高かっんだよ、この曲。 

いや、この曲・・・というよりは、武田久美子さんの下馬評なんだけどね。

前年の82年、例の映画「ハイティーン・ブギ」でのまっち先生の相手役・・・っちゅう、これ以上も無いヒロイン役に抜擢された訳でさ。
なんせ、当時の、まっち先生の人気は凄まじかったですからねぇ。 そのヒロイン役・・・となると、自ずから業界内での評価は高まる・・・っちうのも、まあ自然の成り行きだった訳だよね。

だからね、83年のアイドルの頂点は、このヒトだ ・・・みたいな雰囲気が一時はあったんだよな。

手元に月刊・明星の付録歌本「Young Song」、1983年4月号がある。
この号で、1983年の新人特集が組まれていて、当時、アイドルボイトレの第一人者だった、大本恭敬氏の評価が、「A B C」ランクで付けられているんだけども、武田久美子さんだけは「?」になってる。

つまりは、それだけ未知数な部分が多く、「化けるとでかい」っていう、当時の業界内の評価を表しているんじゃないかな。


でもね、でもね・・・・ですよねぇ、事実は違ったんだよね。

うん、結局のところは、化けずに「パッ」としないまま終わっちゃったんだよな。・・・・っていうのは、アイドル史が証明しているよなぁ。

どこがいけなかったか?

うーん、やっぱり、ルックスと声質、それにもまして「歌唱力」のギャップの大きさだったんだろうね、きっと。

大人っほかったんだよね、ルックスは。 ワタシより学年が一つ上の武田さんなんで、当時14歳、中学2年生でしたよね。
それにしては、大人っぽい精悍な顔立ちだったじゃん。 そのルックスからして、きっと、声質も大人っぽいに違いない・・・・と想像していたんだけども。。。。

これがまるで「コドモ」だったんだよね。、そこで、まず最初のギャップ。

そして、極めつけは、このヒトの「歌唱力」だよなぁ。。。。    

兎に角、「ヘタ」なのよ、ウタが。。。。 これには、さしものワタシも「カウンターパンチ」でしたねぇ。。。

そう言った見た目と、実際のウタとのギャップ・・・・これは、大きかったんじゃないですかねぇ、ワタシだけでなく、多くのヒト達のとっても。

岩井小百合。 言わずとしれたデビュー当時、武田久美子さんの、「ライバル」と評されたヒトですわ。
年も同じ、当時14歳、中学2年生・・・ってところもあったしね。

 このヒトも武田さんと同じく、声質は「コドモ」・・・っていうより赤ちゃんか・・・ってくらいの「ベイビーボイス」だったわけだけども。
 それでも違和感なく聴けたのは、このヒト、ルックスも「コドモ」だったってのは大きかっただろうなぁ。そそそだから違和感なく聴けたんだよね。

そんな、ルックスと声質、はたまた歌唱力のギャップってのは、いくら歌唱力は「割引」のアイドルと言えども、ギャップがあまりにも大きいと影響はデカイよな・・・っていうところは痛感させられたよな、このヒトには。

だからねぇ、この曲、内容に関しては良いか悪いのかよく分かんないんだよ、ワタシ。

まあ、簡単に言えば古臭いんだよな。 加藤和彦氏作曲、清水信之氏編曲、加えて言えば「冬のリリース」ってことで、81年の伊藤つかささんの「夕暮れ物語」に近い曲調ではある・・・ってところは分かるけど。。。

 この曲も81年当時にしてみれば、アナクロっぽい雰囲気だったもんな。80年代・・・というより70年代の・・・そう、私たちが、小学校に上がる前のころにどこからか聴こえてきたような、童謡のような・・・って言う雰囲気。

そそそ、これは大衆音楽っていうよりは童謡っぽいんだよね。 「〜っぽい」っていうのは、完全にそれって言う訳じゃなくて、あくまでそんな「雰囲気」って事なんだけど。。。 その辺に曖昧さも感じちゃったりしてさ。

例えば、同時期に大ヒットした、わらべの「めだかの兄妹」なんかは、完全に「童謡」だったじゃん。そのへんに潔さを感じたりした訳なんだけども、この曲にそこまでの潔さがあった訳じゃない。 それが曖昧さ・・中途ハンパさに感じちゃったりするんだよな。
 
この曲が今一つ売れなかったのは、そんな中途ハンパさにもあったのかもしれないな。


動画・・・・まあ、この曲くらいのクラスになると・・・って感じだけども、動画があんまりない・・・ってことでニコ動で
コメントがやかましいけど、割り引いてみてくだされ。。。



でも、今見ると、当時14歳といっても気が強そうな雰囲気は出しているわな。
まあ、まっち先生の相手役。しかもキスシーンもありーの・・・なんてことで、まっちファンからは相当の嫌がらせがあったようだけど、こうしてゲーノー界で生き延びてこれてるってことは、並大抵の気の強さじゃない訳で。。。


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哀しみの黒い瞳 / 郷ひろみ

1983_01_悲しみの黒い瞳_郷ひろみ


今回の1曲セレクトは、「哀しみの黒い瞳」郷ひろみです。

まずはデータです。

・タイトル    哀しみの黒い瞳
・アーティスト  郷ひろみ
・作詞      RAMON ARCUSA , JULIO IGLESIAS
・作曲      RAMON ARCUSA , JULIO IGLESIAS
・訳詞      岩谷時子
・編曲      川口真
・リリース日   1982年11月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数 18.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1983年1月10日付

この間も書いたように「リアル仕事」が、只今繁忙期真っ最中でして。昨日、一つの山場だったんですけどね。
もう一つの山場が1週間後に来るんだけども、それまでは気が抜けない毎日ですワ。
 いやいや、お陰で精神的にクタクタよ。今日は若干、悪寒が。。。カゼ引くのかなぁ。 ヤバイ・と思って、ドリンクタイプのベンザエースをゴクリ。

精神的にクタクタよ・・・と言えば、以前もここでグチった事があるんだけども、中1の今時分、クラス中から総スカンをくってた事があるんだよな。 簡単に言えばイジメってやつですわ。
 そもそものイジメの理由って言うのはくだらない事なんだよ、今考えてみれば。
ワタシ、中1の途中から、福島から千葉に越してきた訳で、いってみれば転校生だったんだよな。ココだけだったと思う。結局、転校生ってことで、元から居た奴にとってみれば「異星人」なわけよ。そんなことがきっかけだったんだよ。
 でもねぇ、味方が誰もいないっていうのは、マジでつらいんだわ。 幸いあの時以来、そう言う目は合っていないけど、未だにトラウマですね、人間関係には。信じられるのは自分だけ、周りは全部敵・・・って思う事、よくあるもん。

あー、湿った話が続いた。 今回は、そんなイジメられていた日の中で、未だに「トラウマ」になっている曲をひとつ。

郷ひろみ 「哀しみの黒い瞳」。

そう、この曲がヒットしていた渦中の頃、もっともイジメがエスカレートしていた頃だ。だから・・・って事が往々にしてあるんだけども、この曲聴くと、これから35年も経っているっていうのに、未だにあの時代の光景がフラッシュバックしてくるんだよな。

まあ、そんなこともあってか、この曲、結構長い間、耳にするのもヤだったんだよな。

なんとか、普通に聴けるようになったのは、大人になってからですねぇ。20年くらい前かな。
良いこともヤなこともひっくるめて、昔を回顧できるようになってからですねぇ。

この曲がトラウマになったは、確かに上記のように精神的に追い込まれるような「事件」があった・・っていうのは、個人的には一番大きなことではあったんだけども、 この曲の曲調自体重い感じだったからなぁ。

重く切ないメロディをうろうろと歌い上げるようなカンツォーネと言おうか。

そそそ、まあ、これ読んで下っている方の多くはすでにご存じだと思うけど、この曲はスペインが生んだスーパースター、フリオ・イグレシアスのカバーなんだよね。

オリジナルはコレ↓


まあ、曲を聴いてみれば、大概の方は「ハイハイハイ」ですよね
切ないイントロから、♪ンナタリ〜 ♪と歌い上げる、ヨーロッパ特有の甘く濡れたメロディ。
これにやられた方も多いんじゃないかなぁ。

そそそ、前年の1982年の「ビギン・ザ・ビギン」の大ヒットを受けて、この1983年にかけて、ヨーロッパだけではなく、日本でも一大ブームでしたもんね、フリオ・イグレシアス。
最近では、このテの正統派なカンツォーネを歌いあげるような向こうのアーティスト、少なくとも日本では絶滅ってかんじだけど、やっぱり時代だったんでしょうかねぇ。

それにしても、ヨーロッパ系の「刹那系」のメロディってこうも、心にグサッと刺さって来るんでしょうかねぇ。
系統としては、例えば、ニノ・ロータの「ゴットファーサー〜愛のテーマ〜」とかさ、あの感じに近いですよね。
でも同じように心にグサッと刺さるんだよな、痛いくらいに。

個人的にアメリカンな曲よりもヨーロッパ系の曲が好きなのは、その辺なんだろうな、きっと。
コーヒーも薄味のアメリカンよりも、濃厚なエスプレッソが好きなようにさ。


まあ、そんな一大ブームだったわけで、同じソニー所属だった、郷ひろみ氏がカバーに動いたっていうのも至極自然な流れだったんだろうね。

おりしも、当時、日本のヒット曲界そのものが、一大カバーブーム期でもあったしね。

アイドル中心に、70年代回顧って感じのカバーが多かったけど、その点では郷ひろみ氏は、ちょっと違ってましたよね。うん、当時ヒットしていた曲のカバーでしたからね。
 この曲の前が、あの「哀愁のカサブランカ」だったわけだけど、当時のヒット曲、バーティ・ヒギンズのカバーだったしね。

でも、カバーといえどいい味だしてるんだよな、カバーというよりも自分のオリジナルっていう感じだったもの。

まあ、個人的には、当時は、郷ひろみ氏の事は好きじゃなかったんで、ちょっと煙たい存在ではあったんだけどさ、でも、今になって改めてじっくり聴くと、いいんだよね。
 ・・というか、この頃の郷氏の曲って、あの頃の時代背景を感じるんだよな。 

NHKで、夜中によくやってるじゃん。その当時のヒット曲のバックに当時の事件とか世相のフィルムを流してる番組。
 郷ひろみ氏のこの当時の曲を聴くと、そんな絵面が浮かんでくるんだよね。 そそそ、曲のバックに当時の世相が浮かんでくるんだよな。

ま、それもこれも、最初に書いたように、このころ個人的にいろいろあったからなんだろうな、
よく、楽しい記憶、嬉しい記憶はすぐに忘れるけど、つらい記憶、苦しい記憶はいつまでも残るっていわれるけど、その通りだと思いますね。



この曲、訳詞は、岩谷時子女史だったんだね。
いや、これ書いてて、マジで今知った。 
やっぱり、フレンチポップスを中心にヨーロッパ系の濡れた感じの曲には岩谷女史の訳詞が一番響くんだよね。
そういえば、この年の夏にリリースされた、トシちやんの「さらば・・夏」も岩谷さんの詞だったよね。
まあ、あの曲はポール・アンカだったわけで、ヨーロッパ系ではなかったけど、曲想的には濡れてたからなぁ。
そう言う曲が合うんだよね。


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背中まで45分 / 沢田研二

1983_01_背中まで45分_沢田研二   


今回の1曲セレクトは、「背中まで45分」沢田研二です。

まずはデータです。

・タイトル    背中まで45分
・アーティスト  沢田研二
・作詞      井上陽水
・作曲      井上陽水
・編曲      白井良明
・リリース日   1983年1月1日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 20位
・売上げ枚数 8.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 18位

明けましておめでとうございます。 ことしもよろしくお願いします。
目ぼしい曲もだいぶ少なくなってきちゃいましたが、今年も行けるところまで行ってしまおうと思いまする。
今年も一つお付き合いいただけると幸いです。

さて、毎年新年の1発目は、「1月1日」リリースの曲を書き続けてきたんだよね。
そんな事を何年やってきたのかなぁ、「1月1日」リリースのヒット曲ってのも、大分書いて来ちゃったんだよなぁ。だから、めぼしい曲が・・・・・。

・・・と困ってしまうんだけども。。。

でも、前々から気にはしてたんだけども、ずっと書いて来なかった「1月1日」リリースの曲があるんだよな。

今回は、その曲をセレクト。

沢田研二 「背中まで45分」

この曲は1983年1月1日リリース。 時代的に言えばこの曲の前が「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」。
そそそ、 ♪ 毎日ボク 眠れない やるせない Ha Ha Ha〜 ♪ とデビットボウイよろしく、右手を突き上げてたあの曲ですわ。

 この「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」は覚えてらっしゃる方も多いですよね。もちろんオリコンでもベストテン入りし、26万近くうれましたしね。「ザ・ベストテン」では3位まで行ったしね。

でも、さすがにこの「背中まで45分」を覚えてる方は、少ないんじゃないかなぁ。 なんせオリコンで20位までしか行かなかったし、売り上げも、いきなり8万枚強に急降下しちゃったからなぁ。

当時の感覚から言って、まあ、初めから、これは売れないだろうな・・・とは思った。 ただね、いくら売れないと思っても、ベストテン入り出来ないほどの急降下になるとは、正直思わなかったんだけどね、個人的には。
 ジュリーほどのスーパースターともなれば、楽曲パワーが弱くても、それまでの実績・・・余熱でベストテン位はキープ出来るはず・・・・っていうのは、当時13歳のクソガキだったワタシでも生理的に分かってたんだよね。

生理的っていうのはおかしいか。。。 人気の尺度っていうのかなぁ。

でも、実際は、予想をはるかに下回る結果だったからさあ、正直ちょっと焦ったな。

ま、結局さ、それくらいパワーが弱い曲だったんだよね。 うーん、これも表現がよろしくないかなぁ。
パワーが弱い・・・というか、「大衆」的に求心力が弱いんだよね、楽曲的に。

うん、簡単に言えば「難解」過ぎるんですわ。

曲は、作詞、作曲共に井上陽水氏。 正直、これにも面を食らったんだけどもね。

井上陽水氏の曲は、70年代の当初から、正直、凡人のワタシニャ、よく理解できない世界の歌詞だったわけじゃん。でも、曲が素晴らしかったこともあり、理解が難しい詞の世界でも、なぜか自分の中に入ってくる。
うん、引っかかる・・・という生易しいものではなく、入って来るんだよね、まるで心霊現象のように。

80年代に入ると、さらにエスカレートしたというかねぇ、81年の「ジェラシー」は、まだいいとしても、82年夏の「リバーサイド・ホテル」はさあ、これは難解の局地だったもんな。
 いや、13歳のクソガキには、全く理解できない世界だった。すくなくとも身近には存在しえないような別の世界の物語のような・・・。 それに、それまではメロディ自体は理解しえたけど、「リバーサイド・ホテル」っていうのは、メロディでさえも、理解できなかったしなぁ。
いや、理解できなかったっていうのは、メロディを楽譜に置き換えた時、理解できないような譜面の羅列が想像できたからかもしれない。
言ってみれば、曲を左脳で理論的に聴いた場合、理解できないって事だったんだろうな。

それが、そのまんま、ジュリーのこの「背中まで45分」でも感じたんだよなぁ、きっと。

例えば、クラシックでジュゼッペ・タルティーニの「悪魔のトリル」っていう、超絶難関の曲があったりするでしょ。
でも超絶難関に思えるのは、おそらく、理論的な部分で左脳で考えてしまった場合に起こり得るんじゃないか・・・なんて思うんだよね。

ま、個人的にこの曲を弾いたことないから、あくまでも「想像」でしかないんだけどさ、例えとしてね。

でも、「悪魔」と言う部分では、共通してたかなぁ。陽水氏自信の「リバーサイド・ホテル」もそうだったけど、共通して、悪夢の世界というかねぇ、悪魔的なイメージがあったんだよね。
少なくとも、色鮮やかな世界の曲ではないじゃん。かといって暗黒の世界でもない。そうだね、暗いセピア色の世界と言うか。

実際に、当時の月刊・明星の付録の「ヤンソン」で、この曲の楽譜が掲載されてたけど、中1の自分からみても、正直、難解な譜面だったんだよね。で、譜面から感じる世界も、どこかモノクロや、ダークなセピア色の世界だったんだよな。

おそらく、そこから始まっているんじゃないかなと思うんだよな、この曲との付き合い方として。
やっぱり、そんなダーク世界の曲は積極的に聴きたいとはあんまり思わないからさ。 だから、ずっと、この曲を封印してきてたんですよ。 今の今まで。。。。


でも、これを書くにあたって、ひっさびさに聴いてみた。

うん、音源は持ってるんだよね、この曲の。。。 ま、ジュリーのベスト盤持ってるからさ。 でも、ずっと聴いて来なかったの。

でも、おや、当時感じた印象とは全く違うな。 そもそもイントロ最初のシンセの音からして、こんなに軽かったか
ま、たしかに、メロディライン自体は、変わらず難解だけど、でも、当時感じた悪魔的なセピアな世界は感じない。
うん、当時感じたダークな世界ではないな、今聴くと。 軽いんだよね、イメージが。

でも、どっかで聴いたようなイメージはある。 そうだ、ヒッキーの「Beautiful World」に似たイメージなんだ。
モノクロなんだけども、薄い靄がかかったような湿った感覚。

そうだ、その感覚から言うと、 当時のUKロックなんだよなこの曲は。 例えばイントロのシンセの音色なんてカルチャークラブっぽいし。。

そうだとすると、この曲も前曲の「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」の延長線上にあったと言えなくもないのかもな。前曲はデビットボウイだったわけじゃん。ただ、前曲がグラムロックだとしたら、この曲は、もっと軽い小悪魔的軽いロックのイメージだったのかねしれない。
ただ、その根っこには、「UK」っていうのがあったわけで。

世界的な音楽の流れで言えば、ちょうど、この頃からアメリカ発よりもイギリス発のUKポップスやロックが、アメリカンポップスやロックを凌駕し始めていた頃だ。

だから、当時のジュリーは、そんな世界的な音楽の流れに乗っかってたとも言える。

でもね、当時は、まだ、そこまで日本のオーディエンスは、ついて行けるような状況ではなかったんだよね。
あまりにも先を行き過ぎていたんですよ。 

時代よりも半歩進んだ感じ。 ヒットの条件としては、これが大事だと言われるんだよね。
時代よりも「1歩」進んでも、1歩遅れてもダメ。 時代の潮流に乗り遅れるヒトのためにも「半歩って言うのが大事なんですよ。

それからいうと、この曲は時代よりも1歩も2歩も進んじゃっていたのかもしれないな。




当時の画像がなくてスンません。 まあね、34年前でベストテン入りしていない曲だからねぇ。


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泣いちっちマイ・ハート / 風見慎吾

1983_12_泣いちっちマイハート_風見慎吾


今回の1曲セレクトは、「泣いちっちマイ・ハート」風見慎吾どぇす!

まずはデータだっぺ

・タイトル     泣いちっちマイ・ハート
・アーティスト   風見慎吾
・作詞       森雪之丞
・作曲       後藤次利
・編曲       後藤次利
・リリース日    1983年11月16日
・発売元     フォーライフ
・オリコン最高位 13位
・売上げ枚数  16.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 12位

1曲セレクトを始めて以来、これまでに書いてきた曲も1400曲余りになってきた。その中でも、やっぱり「80年代」の曲が一番多く、半分強の750曲程度、書いてきてんだよね。
 でも、さっすがにねぇ、この位書いてくると、いわいるヒットチャート上位の曲って大分書いてきていることになっている訳で、めぼしい曲もだいぶ少なくなってきてるんだよな。
 うん、みんなが知っているような曲だよね。 まあ、一部の「マニア」受けしそうな曲は、まだ残っているんだけども。。。

そう言う事もあり最近は、お客さん(アクセス数)もだんだん少なくなりつつあるんだよな。
やっぱり、みんな知っていて、かつ、今は死角なっているような曲っていうのが、みんな一番興味あるだろうしな。
「マニア」受けしそうな、知ってる人しか知らないような曲では、やっぱウケが悪いよね。

まあ、それだけじゃなく、ここの所、間を空けることも多くなったせいもあるけどさ。 
お客さんってシヴィアだからねぇ。更新回数が減って来ると途端に足を向けられなくなる。
しかも、一度アクセス数が減って来ると、なかなか挽回して出来ないのよ。再び上昇傾向に持ってくるのも大変なんだよね。
だからねぇ、ある一定のアクセス数を確保しようとすると、ガムバッて「新鮮」なトピックスを更新し続けるしかないんだよな。。。。。うむ、ブロガーっていうのも大変なのよ。

いわんや、これを「生業」にしてる方は、ホント大変だろうなぁ・・・・。

・・・なんて他人事のように書いてるけど、今回の曲も、恐らくは多くの方は忘れちゃってるだろうなぁ。。。

風見慎吾「泣いちっちマイ・ハート」

大体の方は「え?」だよね、きっと。

風見慎吾っていったら、どうしてもデビュー曲の「僕 笑っちゃいます」であり、少し知ってる方でも、85年1月の「涙のtake a chance」くらいまでだろうしなぁ。そそ「ブレイク・ダンス」の。

この「泣いちっちマイ・ハート」は、「僕 笑っちゃいます」に続く、第2弾シングルなんだけどさ、何分、「僕 笑っちゃいます」に比べると、売れなかったからなぁ。

ま、一応売り上げ的には、約17万枚・・・と数字上はそこそこ売れたように思えるけど、約34万枚売った「僕 笑っちゃいます」に比べると、半分以下だからねぇ。
言ってみれば、「僕、笑っちゃいます」の「余熱」でここまで売れたようにもんだからさ。ランキング的には、いきなりベストテン入り出来なくなっちゃってたしさ。

ま、曲自体、「僕 笑っちゃいます」の続編っぽい雰囲気があったんだよね。

いや、よりチープだったかもしれない。 そもそもイントロのシンセの音色からしてチープだったんだよね。
え? デモテープですか? のような。。。。

歌詞も、2番の ♪ ディスコで二人 はしゃいでも チークタイムには座るのさ〜 ♪ってあるけど、これ結構「え?」だったんだよなぁ。 「え? 座っちゃうの?」ってさ。 せめてチークタイムにゃ、チークダンス踊るんじゃなの?
とか。。。

なんかいちいち、気分が萎えちゃうような・・・っていうイメージの曲だったんだよね。

そんな所からも、この位売れれば御の字だったんじゃないかなぁ・・・とか思ったりして。
個人的に、もし、今の年齢で、当時この曲にぶち当たったら、恐らく、ほとんど聴いてなかったかもしれない、「ツマンネー」って。

でも当時は、それでも聴いてたわけだから、やっぱり、バイタリティーあったんだよな、ヒット曲に対してのさ。
素直だったんだよね。まだ、余計な事は何も考えなかったからさ。

個人的には、この曲がヒットした1983年は中学2年だったわけでさ。 それから見ると、巷で言われる「中二病」ではなかったな。もっと素直だったんだよな。

でも、wikipediaにある「売れたバンド(あるいはヒット曲)を「売れる前から知っている」とムキになる」っていう中二病の例にあるようなところはあったかもしれない。
 いや、確実にあったな。そのために、友達よりもヒット曲の情報を早く仕入れることに躍起になってたもん。必死こいてた。それで自分のアイデンティティを保ってたって言う部分も大きかったし。。。。

だからね、曲自体、ツマらなかろうがどうであろうが、何でもかんでも聴いてたってところはあるんだよね、当時は。

それに加えて、なにせ、この頃はラジオを聴いてたからなぁ。
ちょうど、この曲がヒットしてた1983年12月頃っていうと、父親方の爺さんが亡くなったり、それと並行して母方の爺さんが入院したりして、頻繁に田舎(福島・いわき)の往復を繰り返してたんだよね。

もちろん、往復は車だったからさ。
1983年当時は、東関東道は成田(空港)までしか通ってなかったし、常磐道もたしか石岡までしか開通してなかったんだよな。 
だから、千葉からいわきまで、ひたすら下道(一般道)で往復ですよ。 片道6時間かかったんだよな。
高速一本で行けるようになった今じゃ、片道3時間半もあれば悠々着けるけどさ。
当時は日立市内を抜けるのが大変だったんだよ。大体渋滞してたな。そそそ、日立の渋滞が酷い時は、片道7時間以上かかったこともあったな。

その間、ほとんどずっと、ラジオをかけっぱなしだったからさあ。 
だからね、この当時のヒット曲というと、あの時、往復していた車の中の光景が脳裏に浮かんでくる。

この曲もこ多分にもれずでさ、この曲聴くと、西日が当たった「潮来」付近の光景が浮かんでくるんだよな。
車の中で、よく文化放送の「全日本歌謡選抜」聴いてたんでさ、この曲の時、丁度、「潮来」辺りを走ってたんだろうな、きっと。


動画・・・落ちてないなぁ。。。。そんなところからも、この曲が、今となっては如何にマイナーな存在になってしまっているか分かるよなぁ。
今まで、この曲を書いてなかったっていうのは、ま、確かに、個人的にそれほど印象に残っている曲じゃなかったこともあるけど、動画が落ちてないってのもあったんだよな。

でも、挫けませんよーだ。 探してみたら「中国」のサーバーにあった。。。それをリンク。

http://www.zhuatieba.com/video/XODQyMTk5NjQ4.html


多分繋がると思うけど、見れなかったらスミマセン。。。
懐かしの「週刊・欽曜日」。うむ、いま「金スマ」やってる枠でやってた、伝説のバラエティですわな。そそそ「欽ちゃんバンド」ってやつ。
まあ、ウタはウマくないけど・・・、でも時代は感じるわな。。。


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