かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1982年

アンサーソングは哀愁 / 早見優

1982_11_アンサーソングは哀愁_早見優


今回の1曲セレクトは、「アンサーソングは哀愁」早見優です。

まずはデータでする。

・タイトル      アンサーソングは哀愁
・アーティスト    早見優
・作詞        阿久悠
・作曲        馬飼野康二
・編曲        萩田光雄
・リリース日     1982年10月19日
・発売元       トーラス
・オリコン最高位  29位
・売上げ枚数   4.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 34位


あー、今回セレクトしてきた曲は、どう捉えたらいいんだろう? って言う曲なんですよね。
どうも、出だしのマクラがなかなか思いつかない。
そのくらいヒット当時、関わり合いが薄い曲だったんだよね。 ・・・うーん、関わり合いっていうのも変な表現だな。。。
単純に、あんまり聴いて無かったと言った方がいいのかな。

早見優さんの「アンサーソングは哀愁」。

花の82年組の1人っていうのは、ここ読んでくださってる殆どの方は周知の通りだと思うけど、そんな82年組の早見さんのデビュー第3弾がこの曲ですね。

「花の82年組」ということで、たくさんのアイドルが華々しくデビューを飾った訳だけど、第3弾シングルともなると、順調に伸びトップアイドル街道をまっしぐらのグループと、すでにネタ切れ・・・というか息切れ気味のグループと大きく分かれて来てたような印象があるな。

その中で、早見さんはというと、・・・・ 正直、82年組のトップグループの中でも、とりわけ存在感が薄いな・・・82年の秋も深まる今頃は、そう言う感じに今頃はなって来ていたような印象が強い。

それもこれも、第3弾シングルであるこの曲がジミ過ぎたっていうのが大きかったよなぁ。

確かに、同期の同い年くらいの他のアイドルよりも、見た目年上、やや大人っぽくは見えた。 
だから、少し子供っぽさが残るデビュー曲、「急いで初恋」はちょっとイメージと違うな・・って言う印象はあった。でも、第2弾の「Love Light」は、その辺りを修正してきたように思えたし、だから、個人的には「Love Light」って曲は好きだったんだよね。

そして第3弾のこの曲ですよ。たしかにミディアムの落ち着いた佇まいの曲調は、さらに大人っぽさを前面に出したような曲調ではあるけど、これはちょっと背伸びが過ぎるんじゃないか。

当時13歳のワタシでも、そう感じたな。

まあ、実際は、そんなオヤジっぽいストレートな批評感はさすがになかったけど、、なんか違うなって言う違和感は大きく感じてたんだよね。

曲だけ見るとこれがデビュー第3弾の曲とは思えない、デビュー5年目くらい、すでに20歳を過ぎた女性歌手が歌うような落ち着きがあるんだよな。

・・・なんか回りくどい書き方になっちゃったけど、簡単に言えば、ポップじゃないのよ、この曲。

同期の82年組の、少なくともトップグループの人たちは、みんなポップだっじゃん、曲調が。 
それなのに、この落ち着きだからさ。 まるで、早くもアイドル路線を諦めて歌謡曲路線の路線変更したかのような・・・。

あ〜、アイドル路線から脱落したか、残念だけど・・・

率直なところ、そう感じた部分が大きかったんだよ、個人的には。


それ以上に、この曲自体の問題ですよね。

今、手元に月刊明星付録の歌本「Young Song」の1982年12月号がある。

この「アンサーソングは哀愁」が新曲として掲載された号ですね。 

当然、お決まりの近田春夫氏の「新曲激評」の対象曲となっていたんだけど、こんときの近田氏のコメント


「あ、モロ「カサブランカ」と同じメロ。堂々としてるなァ。そもそも「アンサーソングは哀愁」ってタイトル、悪ふざけじゃん。これは日本歌謡界への皮肉だよね。こういう作家としてのメッセージがハッキリ出た曲を歌うのって、早見さんしんどいだろうねぇ」 (原文ママ)


そうなんだよね、 この曲、ジミとかポップではなく歌謡曲っぽい・・・と言う前に、Bertie Higginsの「Cassablanca」、まんまなのよ、曲調が。

あ、「Cassablanca」で分かんなかったら、郷ひろみ氏の「哀愁のカサブランカ」

近田氏が「アンサーソングは哀愁」ってタイトル、悪ふざけじゃんって言っているのは、曲調が似てる上に郷ひろみ氏の「哀愁のカサブランカ」をもじったようなタイトルだったからなんだけどさ。

いや、はっきり言ってワタシもこの近田氏のコメント通りと思ってたのよ。 これは、ちょっと悪ふざけじゃんっていう・・・。

ただ、当時・・・いや、最近まで意味が分かんなかったのは、「これは日本歌謡界への皮肉だよね。こういう作家としてのメッセージがハッキリ出た曲」っいう後半の部分。

これってどういう意味だったんだろう?   っていうのがずーっと引っかかってたのよ。
まあ、深い意味はないのかもしれないけど・・・。


でさ、この機会に、再度、自分なりにちょっと考えてみた。

で、浮かんできたのが・・・。

もしかしてさ、Bertie Higginsの「Cassablanca」って、郷ひろみ氏のカバーが決まる前に、早見さんサイドがカバーするつもりでいたんじゃないか・・・ってこと。

そう考えれば、1曲前の「Love Light」が外人の作曲だった意味も分かる。つまりさアイドルの王道路線ではなく、より洋楽ポップに向かうって言うベクトルだよね。

そう言う路線を画策していた時に、郷ひろみ氏のカバーが決まってしまった。
(ちなみに、郷氏のカバーは、当時ニッポン放送のアナウンサーだった、はたえ金次郎氏が郷氏サイドに売り込んで決まったとなっている)

相手はアイドルの大先輩でありアイドル界のスーパースター。こちらは一介の新人。
当然だけどダイレクトに抗議も出来ない。

そんな事があったがための抗議と言う意味をこめての「アンサーソングは哀愁」って曲でありーの、近田氏のコメント。

もちろん、これは、ワタシの妄想でアリ、事実であるかどうかは全く分からないんだけどさ。

でも、こう考えれば、 

・タイトルからして悪ふざけな事 
・メロディがモロ、「カサブランカ」な事
・近田氏が「日本歌謡界への皮肉だよね」と言ってる意味 
・そういう皮肉を込めた曲を派手にする訳にも行かず、ジミな曲にするしかなかった事

・・・など全ての流れの辻褄が合うような気がするんだよなぁ。


ただ、タイトルとしては、近田氏が言うように「悪ふざけじゃん」ってダイレクトに分かるんだけど、歌詞内容は正直良く分かんない。

大御所・阿久悠氏の作詞だけど、正直、最近まで阿久悠氏が作ったとは思わなかったもの。

♪ 奪われる 奪えない 奪うもの 奪え〜 ♪とかさ、国語文法の五段活用か  なんて思える、なんじゃこりゃ・・って言う歌詞だったりするし。。。

この曲を「リリース」する事が前提で、歌詞の内容はさほど重要じゃない・・・って言っているようにも思えたりしてさ。

尤も、阿久氏は、フィンガー5の「恋のダイヤル6700」の♪ リンリンリリン〜♪ などのように「擬音」を歌詞に多用したりするところもあったりするんで、五段活用的な歌詞も、ある意味阿久氏らしさと言えるのかもしれないけど。。。



この曲のような地味な展開もあり、一時はアイドルとして死んだ・・・と思えた早見さんだっただけに、次の年の「夏色のナンシー」は、アイドルとして起死回生、一発逆転ホームラン的なインパクトがありましたね。

洋楽路線とはならなかったものの、そんな早見サイドの方向性を感じ取り、第2の南沙織にしようとした、筒美京平ってヒトは、やっぱり天才なんだな・・・と思わずには居られなかったよな。


ちなみに、当時は、ジミーで触手が伸びなかった、この「アンサーソングは哀愁」も、今はいいんだよね。
ワタシもそれだけオヤジになり、ポップな曲よりもシブい曲の方が安心できるようになったって事なのか。。

いや、その前に、今となっては完全に忘れ去られている、この曲は手垢が少ないってことで、それだけ、未だに新鮮に聴けるって事が大きいんだろうな。
早見さんって言ったら、みーんな判を押したように「夏色のナンシー」とか「誘惑光線クラッ!」などばっかなんだもん。 今となっては、この曲なんかセレクトするヒトってほとんど居ないから。。。。


あ、それから、どーでもいい事なんだけど、↑で引き合いに出した、「Young Song」1982年12月号の新曲激評には、同じく当時新人だった原田知世さんの「ときめきのアクシデント」の近田氏の評があるんだけど、この時の評が「ひでぇ下手な歌だな。これじゃ作家のヒト怒るぜ。」とバッサリ。
今だったらネットで炎上ざたのようなコメントだけど、当時は、これはこれで見方の一つとして「アリ」だったんだよね。


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MOMOKO / 近藤真彦

1982_07_ハイティーンブギ_近藤真彦


今回の1曲セレクトは、「MOMOKO」近藤真彦です。

まずはデータです。

・タイトル      MOMOKO
・アーティスト    近藤真彦
・作詞        松本隆
・作曲        山下達郎
・編曲        山下達郎
・リリース日    1982年6月30日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 −位
・売り上げ枚数  −位
・THE HITCHART HOT30最高位 −位
・タイアップ:映画「ハイティーン・ブギ」挿入曲
※シングル「ハイティーン・ブギ」片面

今週はジャニーズ事務所「総帥」のジャニー喜多川氏の死去と言うニュースが、各ワイドショーのみならず一般のニュースにも広く報道された1週間でしたわな。
年齢的にもそうだし、先月くも膜下出血で倒れたという報道からも、もしかしたら・・・と言う予感が高まっていた訳ではあるんだけども、いざ来てみると、その存在の巨大さに改めて気づかされた1週間でもあったな。
改めて、ご冥福をお祈りいたします。

そういうこともあり、今回の1曲セレクトもジャニーズの曲を外すけにゃ行けないだろ・・と言う思いがあり、真っさいに浮かんだ曲がこの曲だったんだな。

まっち先生の「MOMOKO」

この曲覚えてる方ってどのくらいいるだろ? 昔、まっち先生のファンだった方は当然知ってるかな?

そう、シングル「ハイティーン・ブギ」の片面だった曲ですね。 当時まっち先生が主演した、たのきん映画第4弾「ハイティーン・ブギ」の挿入曲。 まっち先生演じる主人公「翔」の相手役 「桃子」を歌った曲ですわ。

なぜ、この曲が真っ先に浮かんだのか

もちろん、タイトル曲の「ハイティーン・ブギ」が丁度今頃のヒットだった事も大きい。
けど、それ以上に大きいのは、今年のこの夏の天候不順なんだよな。 

これは昔、「表題曲」の「ハイティーン・ブギ」書いた時にも触れた事なんだけども、この曲がリリースされた1982年夏ってさあ、今年同様、天候不順な夏で、気温が低く、雨の日が多かったんだよ。
典型的な「冷夏」な夏だった訳で。

あの時と同じような天気が続く、ここ暫くの天気。 今日も同じような天気か続いている訳で。。
今頃の雨の日の日曜日というと、どうしてもあの1982年の夏とオーバーラップしてしまう。
その時決まって耳の奥から聴こえてくるのは、この「MOMOKO」だったするんだよ。

そんな天候不順だった1982年夏を彷彿させるこの曲は、文字通り「珠玉のバラード」と言ってもおかしくないような、名曲なんだよね。
山下達郎氏が紡ぎたす、名バラードが、決してウマくない、まっち先生の歌唱を包み込むって言いましょうかねぇ。

今聴いても、到底、当時のアイドルの曲の範疇を超えてるような本格的なバラードだもんね。

http://yamashitatatsuro.blog78.fc2.com/blog-entry-218.html?sp

によると、演奏メンバーは

・G. 山下達郎
・B. 伊藤広規
・Dr . 青山純
・Key. 難波弘之

とある。

もろ当時の「達郎バンド」のメンバーやん。。。 そりゃ、アイドル曲の範疇を超えてるクオリティだよな。。
いや、82年当時の水準で言えば・・・の話だけど。
これが80年代も中盤を過ぎると、これが「デフォルト」になる。 例えば86年の中森明菜の「DESIRE」なんかもこの系統人脈のレコーディングだったはずだ。

イントロの優しい、フェンダーローズの音色からして、これはちょっと違うと思わせてくれる。 当時アイドルの曲で、これだけフェンダーローズが前面に出てる曲ってあんまりなかったし。
どちらかというと、70年代と言う時代を彷彿させる様なニューミュージック系アーティストの必須アイテムだった。

つまり、匂いは完全にニューミュージックなんだよね。  そもそもテンション系コードをふんだんに使ったコード進行からして、アイドル曲というよりニューミュージックそのものなんだけどさ
テンションコードに 前年の寺尾聰氏のミリオンセラーアルバム「Refrections」で多用され、耳の奥に刻む込まれていた世界が、この曲でも展開されてるんだよな。

それにも増して耳が行ってしまうのは、間奏部の達郎氏直々の、泣きのギターソロ。
これがめっちゃブルージーなのよ。

正直、今聴くと「すげぇ」って驚嘆するようなプレイでは決してない。(もしかして本人が一番分かってたりして。。)
今剛氏や、矢島賢氏の方が、もっと確実性のあるギターソロだったかもしれない。
現に、表題曲の「ハイティーン・ブギ」のギターソロは、矢島賢氏がプレイしてたりする。
でも、味があるんだよな。少なくとも、ワタシにはあの時の沈んだ心模様にはマッチする。

そう、1982年夏っていうのは、個人的にもさらに特殊な環境の夏で。 つまりは1982年の7月の頭に福島から千葉に越してきたっていう、大きな環境変化があった夏でもあったんだよね。

今だからカミングアウト出来る事だけど、あの年は本当に辛かったんだよ。 友達も全然いないし、自分をアピールしようと思っても全然理解してもらえず友達も出来ない。所詮はよそ者扱いに過ぎなかったんだよ。
孤独だった。ずっと福島に帰りたいってばかり思ってた夏だった。

そんな個人的に辛い時期だっただけに、この曲の達郎氏の泣きのギターソロには、ひときわグッとこみ上げるものがあったし、それは今でも変わらない。


それ以前に、そもそもこの曲を知ったきっかけは、月刊明星付録の「ヤンソン」に楽譜付きで載ったからなんだよな。
「ハイティーン・ブギ」の「片面」ということは通常B面なわけで、あまり世間一般には表に出てこない。
ただ、この曲は「両A面」扱いだったんだよね。 
まあ、「ハイブギ」人気と相まって、ヤンソン側も譜面付きで載せたんだろうけど、そうじゃなきゃ今頃完全に死角に入っちゃってただろうな。 今となっては感謝ですね。


 


ところで、当時、「たのきん映画」って好きでさ、第3弾の「グッドラックLOVE」まで、全部映画館で見たんだけど、この「ハイブギ」から見なくなっちゃったんだよな。
 この作品については、もう見なくてもどうでもいいとは思わなかったけど、やっぱ引っ越したばっかってことが大きかったんだよな。 千葉の事、全然分かんなかったし。

今になって、当時の配給収入を調べたりすると、この「ハイティーン・ブギ」、1982年度の邦画配給収入は18億で、薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」について2位だったんだねぇ。

http://www.eiren.org/toukei/1982.html

どうやら一連の「たのきん」映画の中では一番ヒットした作品だったらしいんだよね。


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スニーカーぶる〜す(別テイク) / 近藤真彦

1982_04_ふられてBANZAI_近藤真彦


今回の1曲セレクトは、「スニーカーぶる〜す」近藤真彦です。

まずはデータです。

・タイトル     スニーカーぶる〜す
・アーティスト   近藤真彦
・作詞       松本隆
・作曲       筒美京平
・編曲       戸塚修
・リリース日   1982年3月31日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 -  位
・売上げ枚数     - 万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 - 位

・・・と書いて、ちょっと待て〜〜  って普通思いますよね。 少なくとも80年代を知ってる方なら。

そもそも、まっち先生の「スニーカーぶる〜す」のリリースは「1980年12月12日」であり、↑のリリース日も違ってるじゃん。
それ以前に、なに? オリコン最高位も売り上げ枚数も 「−」になっているのは

もっと、細かい所を指摘するなら、アレンジャーが「馬飼野康二」氏ぢゃないじゃん。。。

・・・なんて、あたりがクレームが来そうな所かなぁ。。

But But 、間違ってないですから。

うん、当時の事をちょっと知ってる方なら、このタネあかしは、知ってますよね。

これは、まっち先生のデビューシングルとして、公式にリリースされたテイクとは別テイクの「スニーカーぶる〜す」のことを指している訳です。
そそそ、シングル「ふられてBANZAI」のB面に収録されているバージョンの「スニーカーぶる〜す」。

いや、正式に言えば、元々・・・というか、最初に出来あがったテイクの「スニーカーぶる〜す」は、こちらの戸塚修氏がアレンジしたテイクであり、世に出ている「スニーカーぶる〜す」は、このテイクからさらに手を加えた「後発」テイクということになる。

ちなみに、このバージョンを「スニーカーぶる〜す Part2」って言ってるヒトもいるけど、これは間違い。
「スニーカーぶる〜す」の大ヒットからの続編作って訳じゃないんだよね。

たしかにこのテイクは、歌詞も違えば、もちろんアレンジも違う。メロディはほぼ同じではあるけどメロディ進行も違うし、尺も違う。
まあ、続編⇒Part2と勘違いするしてもおかしくは無いけど・・・。

こちらのテイクの方が、尺が長い。歌詞も ♪ Buzのレコード聴いてた寒い夜明けが懐かしい〜 ♪ とか、大人っぽいし、これ生かすようなドライブがかかったアレンジは、ほとんどニューミュージックなんだよね。
少なくともアイドルのデビュー曲とは到底思えないような・・・。

ただし、音楽的にはほとんど完成された仕上がりにはなっている。 うん、まっち先生のボーカルも、「通常」の「スニーカーぶる〜す」よりも数段上手いしさ。


こんな音楽的に見てほぼ完成されたテイクを、当時のまっち先生のプロデューサーだった、小杉理宇造氏は切ったわけだ。

で、今、普通に聴かれるテイクの「スニーカーぶる〜す」に作り替えた。

今普通に聴かれる「スニーカーぶる〜す」は、当初のテイクから比べると、正直言ってダサい。 まっち先生のボーカルもシロウトっぽい。

ただ、初めのテイクに比べ、余計なフレーズが削られメロディ進行もシンプル。

当初のテイクと詞、メロディとも全く同じなのはCメロの ♪ 街角は雨 ぶるーすのようさ・・・♪ の部分のみだ。


ぢゃ、なぜ当初の音楽的に完成されたテイクを切って、「ダサい」テイクに作り替えたのか?

この辺は、ネット上で他の方も大分書かれてるけど、1981年11月号の月刊「明星」の歌本「Yong Song」の「'81 MUSIC PEOPLEインタビュー」と言う連載企画での小杉氏へのインタビューによると、

「アイドルにとって、最初からクオリティが高すぎるのは危険だから」と言ってる。

つまりさ、デビュー曲であまりにクオリティが高い所まで持って行ってしまうと、2作目以降の行き場が無くなるってことなんだよね。
駄作でいいと言う訳ではないんだけど、デビュー曲は音楽的にはある程度のところでよく、2作目以降徐々にクオリティを上げて行けばいい。

そういう考えのもと、敢えてダサいテイクに変えたって言う訳だ。



ただ、「スニーカーぶる〜す」の場合は、他にもしがらみがあった。ジャニーズ側からのとんでもなく高いハードル要請だ。

「オリコン初登場1位。 売り上げ枚数ミリオンセラー」

これが、小杉氏に求められた絶対条件だったと言う。

オリコン初登場1位。 たしかにハードルが高い条件であったものの、当時のまっち先生の人気の超沸騰度から考えれば、楽曲のクオリティどがえしでも、これはある程度は予測できたかもしれない。
その保険のために、オリコン集計期間とレコード店頭販売時期を考慮して、店着日とオリコン集計期間を最大限生かしきるために12月12日なんていう、当時の通常のリリース日ローテーションから外し、敢えて「臨発」扱いにした訳で。

しかしながら、 売り上げ枚数ミリオンセラー、 この条件は当時の「アイドル」のレコード売り上げ傾向から見ると、めっちゃ高いハードルだったわけだ。

いつかも書いたけど、1980年当時、レコードは今に比べると高価なものだったんだよね。 シングル1枚、700円。 今のCDシングルよりも安いじゃんと思われがちだけど、相対的な物価が約40年前とは違う訳で・・・。

1980年の大卒初任給の平均は11万5千円。 ここから現在の価値に変換すると、シングルレコード1枚、1250円程度となる。

しかも、当時のアイドル・・・特にまっち先生のファン層の中心は、当時の小〜中学生(つまりは我々の世代ですわな)。 小学生、中学生が、例え1250円でもシングルレコードを買うっていうのは、それ相応の「覚悟」が必要だったんだよね。

そのため、当時のレコードの購買中心層は大学生から上の世代。 

それいえに、当時、オリコンでのミリオンセラーは演歌、ニューミュージックで占められてあり、アイドルでそれまでミリオンセラーを記録していたのは、ピンク・レディーだけだ。

当時すでに伝説的なアイドルであった、山口百恵、西城秀樹、沢田研二、岩崎宏美、太田裕美・・・だれもミリオンセラーを達成していない。

つまり、アイドルでミリオンセラーを記録するのは、超至難の業。しかも、それをデビュー曲で達成させるなど、一見すると無謀なハードルだったんだよ。まさに「鬼」のジャニーズと思える条件。

ただ、ジャニーズとしては、絶対にクリアできないハードルとは思っていなかったらしい。 
・・というのも、トシちゃんのデビュー曲「哀愁でいと」の売り上げが70万枚を記録。
で、当時、まっち先生のファンレターは、トシちゃんの1.5倍はあったとのこと。 
それから考えれば、まっち先生のデビュー曲でミリオンセラーは可能であるんじゃないか。そう言う考えだったようだ。実際、70万の1.5倍って言ったら105万になるから・・・。

うむ、確かに机上の数字ではそうだ・・・。
でも、実際はそんな単純なもんじゃない。

そこで引き下がらなかったのが、小杉氏が根っからのプロデューサーだったところなんだよな。

デビューを12月にしたのも一つの作戦であったと思う。
お年玉狙いって訳ですわ。 いつものお小遣いではなく、正月、お年玉使えば700円のシングルも買いやすくなるって言う狙い。

もう一つは、楽曲を分かりやすく、より多くのヒトに刺さりやすくするっていう狙い。 これが↑で書いた最初のテイクを切ったという所につながる。

この当時、より売れる楽曲にするためには、より大衆的な音楽にするのが一番の命題だったんだよね。
「音楽的にクオリティが高い」っていうのは、2の次だったんですよ。

以前NHKで放送された、「名盤ドキュメント、井上陽水「氷の世界」」で、70年代陽水氏のプロデューサーであった多賀英典氏も、「心もよう」と「帰れない二人」、どちらをシングルのタイトル曲に切るか・・・という問題で、音楽的完成度が高い「帰りない二人」ではなく、寄り大衆的な「心もよう」をタイトルシングルに切ったと言う話をされている。

つまりは、「大衆性」というのが一番だったわけだ。

結果、それらの狙いが全て嵌まり、「スニーカーぶる〜す」は、ミリオンセラーを達成する。

奇しくも、売り上げ104.8万枚っていうのは、ジャニーズが当初考えていた、トシちやんのデビュー曲「哀愁でいと」の約1.5倍だったっていうのは、事後の結果から見ると偶然であったのか目論見通りだったのか・・・・

いずれにしろ、ジャニーズのそういうところがコワイところなんだろうし、だれも文句が言えないところなんだろうな。

逆に言えば、最初のテイクでリリースされていたら・・・・、複雑な曲進行、アイドルとしては長い曲調と言うところがネックとなり、果たしてどれだけ大衆的に刺さったのか・・というのはギモンなところだ。当然、ミリオンセラーまでは行かなかっただろう。



プロデューサー感覚。 一時流行ったコトバではあるが、今プロデューサーと呼ばれる方で、本来の意味でのプロデューサーと言える方はどのくらいいいるのだろう?
確かにセルフプロデュース的なヒトは、今や業界人に限らず一般のヒトにもたくさんいる。 プロデューサーは、1から100を生み出すヒトではある。
ただ、ビジネスにおいての真のプロデューサーはヒット作を生み出し、それによって「会社」や依頼主への利益を生み出すヒトでもあるんだよね。ココが一番難しいところなんだよ。
自分へのプロデュースは出来ても、第三者をプロデュースするってことは並大抵では出来ない。

第三者へのヒット作品を生み出すにはどうするべきなのか? 
・・と言われた時、ココまで書いたように大衆的感覚が大事な訳なんだけど、ヒット作を生み出せないプロデューサーはこの感覚が欠けてるんだと思うな。独りよがりというか・・
たしかに拘りというのは大事だけど、それがどの程度大衆的なのかというところを客観視するのも大事なんだよね。


時に、ワタシも一時、某着メロサイトでプロデューサーの真似事をしてた時期があったけど、やっぱり一番心がけてたのは、「大衆的感覚」だったな。
・・・というか、実は、今回の「スニーカーぶる〜す」の小杉氏の精神っていうのが根底にあったんだよね。

当初、業界経験者がゼロ、しかも、業界でも後発のサイトでもあったため、会員数100万人突破なんて、到底夢物語といわれた某着メロサイトが、最終的に数百万人の会員数を集められた事・・・まあ、ワタシだけの力ではなく、多くのヒトの力の結集によってなんだけど・・・・なぜ達成できたのか・・・といえば、ココを最も大事にした事に尽きる・・・と今でも思ってるなぁ。
当時、第三者からは「奇跡」とか言われてたけど、当時者としては奇跡ではなかったと思っています。





ちなみに、通常版の「スニーカーぶる〜す」は↓ コチラ
http://kajiyan-net2.blog.jp/archives/52049707.html



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気絶するほど悩ましい / 沖田浩之

  1982_10_気絶するほど悩ましい_沖田浩之


今回の1曲セレクトは、「気絶するほど悩ましい」沖田浩之です。

まずはデータでする。

・タイトル     気絶するほど悩ましい
・アーティスト   沖田浩之
・作詞       阿久悠
・作曲       梅垣達志
・編曲       鷺巣詩郎
・リリース日    1982年9月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 37位
・売上げ枚数  2.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 29位

カバー曲。 昔も今も変わらずある「形態」の曲だわね。
日本よりも海外の方が、その数も頻度も多いのかなぁ・・・。まあ、海外の場合は、オリジナルリリースの自国ばかりでなく他の国でのカバーも頻繁に行われているしね。もしかしたら、流通している楽曲をまとめると、オリジナル曲よりもカバー曲の方が圧倒的に多いかもしれない。

それに比べると、日本ではカバーっていうのは、そこまで頻度は高くないのかなぁ・・とは思える。まあ、昔に比べると最近はカバーっていうのも多くなってきたけどね。

でも、海外と日本のカバーの最大の違いと言ったら、カバー曲のクオリティだよなぁ。オリジナルを超えるようなカバーって少ないんだよね うん、これは今に至るまで。

向こうのカバーって、オリジナルを超えるようなクオリティのやつなんか、いっぱいあるじゃん。

どうしてなんだろうなぁ、やっぱり文化と歴史の違いなんですかねぇ。 

先人をたてる・・ってところがあるじゃないですか。先人をリスペクトするようなところ。日本人はさ。 そんな文化が、オリジナルを超えるのを躊躇させているのかなぁ。

まあ、カバーする側のアーティストが、テクニック的にオリジナルを越えられるような技量を持っていないって言うこともあるけどさ。

いや、その場合が、意外と多いんぢゃないかなぁ。

以前も書いたように80年代初頭、81〜82年にかけてカバーブームってあったんだよね。 大半が当時、デビューしたてのアイドルが、70年代のアイドルポップスをカバーする・・・ってパターンが多かったんだけどさ。

 でもまあ、その大半が、お世辞にもオリジナルを超えるようなクオリティとは言えなかったんだよね。 そもそも歌唱力から言って、70年代アイドルと80年代アイドルでは差があったしさ。 

ま、今思えば・・の話だけど。

そう言えば、今回の「気絶するほど悩ましい」もそうだけど、82年ごろのカバーブームは、CBSソニーが多かったよな。しかも酒井政利氏チームが。こん時のカバーブームは酒井氏主導だったんでしょうかねぇ・・・。

蛇足だけど、この間の石川秀美の「ゆれて湘南」でもちらっと触れたけど、このカバーブームが、「80年代」ならではのカラーを遅らせたと思うんだよね。 70年代の曲をカバーするってことは、まだ70年代を引きずっていたって事でもあった訳だからさ。

それでも、「お、これは!」なんて、引っかかったカバー曲もあったんだよね。 今回はそんな曲をセレクト。

沖田浩之「気絶するほど悩ましい」。

「気絶するほど悩ましい」っていったら、どうしてもオリジナルのCharのイメージが強いわな。
・・というか、この曲、沖田浩之がカバーしてたの? って思われる方の方が圧倒的に多いと思う。

それだけ印象に薄いとは思う。 まあ、オリコンでも最高位30位にも行かなかったしな。今となっては知らないヒトが多いのもしょうがないとは思う。

But But、個人的に「気絶するほど悩ましい」と言ったら、こっちの沖田浩之バージョンなんだよねぇ。

簡単に言えば、こちらの方を最初に聴いたんで、こちらの方が耳馴染みだったって言うこともある。 
うん、オリジナルのCharバージョンの方が後付なんですよ、ワタシは。

ただ、仮にCharバージョンの方を最初に聴いてて、こちらを後付けだったらどうだったか・・・というと、もしかすると、沖田氏のバージョンも良かったと思ったかもしれない。

うん、正直言うと、同じ曲なんだけども、全く別物って言う感じなんだよね。

オリジナルのCharバージョンは、若干R&Bがかったソウルっぽいサウンドだったじゃん。 それにCharのギターがフィーチャーされてる。 個人的にはやや薄味な味付けにも感じる。 

対して、沖田バージョンはブラス&キーボードが全面的に出ており、濃い味づけ。 それよりも個人的に感じたのは、そのドラマティックな展開なんだよな。よりエンテターテイメント性が強いって言うかさ。
特にブラスの使い方が独特なんだよね。

この曲、根のキーはマイナーだけど、サビで一度、メジャー系に転調するじゃん。 その流れがドラマティックなんだよな。 それまで薄暗い雨の中を進んでいたような展開なのに、転調するところで、いきなり太陽の光がさして来る。 ・・と思ったらサビ終わりでマイナーにも戻るところで、また薄暗い雨交じりの天気になる。。。

そんな昨今の天候変化にも似たような目まぐるしい展開が一層、この曲をドラマティックなものにしている。

オリジナルのCharバージョンは、そこまでドラマティックな展開じゃなく、サラッと流したような展開、その差が、それぞれのバージョンで、別物の曲のように感じさせられちゃうんだよな。

ちなみに、沖田バージョンのアレンジは鷺巣詩郎氏。 当時の鷺巣氏のアレンジとして松本伊代さんの「TVの国からキラキラ」でも感じてたけど、この当時の鷺巣氏のブラスの使い方は独特なんだよね。それまでの歌謡ポップスのブラスには無かったようなフレーズが出てくる。特に「TVの国からキラキラ」のサビ前のフレーズにはビックリしたよな。 ここまでスピード感がある音の重なりなんてそれまでは無かったからさ。

この「気絶するほど悩ましい 」では、「TVの国からキラキラ」のようなスピード感はないんだけど、やっぱりサビの裏から入るブラスのフレーズが斬新、かつ引っかかりがあるんだよなぁ。

この当時、特にブラスの耳に行くようになったのは、丁度この頃、ブラスを始めたってのもあるだろうけどさ。とにかく、この2曲のブラスは印象に深いんだよね。



「夜ヒット」だけど・・・・うーん、今一つレコードで聴くより弱い。
レコード音源はもっと、ドラマティックなんだけどなぁ。。。。

ちなみに、この曲のオリジナルのCharバージョンは、かなり昔に既に書いてます。

http://kajiyan-net2.blog.jp/archives/52046491.html

うーむ、この時も半分は、今回の沖田浩之バージョンについて言及して、今回と同じような事書いてたな。。。。
よっぽと、この沖田バージョンが印象に深いんだろうね。。。


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ゆ・れ・て湘南 / 石川秀美

1982_09_ゆれて湘南_石川秀美


今回の1曲セレクトは、「ゆ・れ・て湘南」石川秀美です。

まずはデータです。

・タイトル    ゆ・れ・て湘南
・アーティスト  石川秀美
・作詞      松本隆
・作曲      小田裕一郎
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1982年7月21日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 29位
・売上げ枚数  8.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 27位

一昨日、小田裕一郎氏が逝去されましたね。 享年68歳。
全くの突然の逝去のニュースであったので、ちょっとビックリしてしまったワタシなのですが。。
確かに、昨年刊行された「大村雅朗の軌跡」に掲載された小田氏の写真の風貌が、昔とは全く違っていた事には違和感を感じていましたが、まさかね・・・。こんなに若くしてお亡くなりになるとは。。。

それよりも、先週、石川秀美さんの「バイ・バイサマー」を書いたばっかりなのに・・って言う思いもあったし、ちょっと小田氏を卑下した書き方になっちゃったんで、申し訳なかったような思いが交錯した昨日今日だったり。

・・・ということは、やっぱり、今回の1曲セレクトは、小田裕一郎氏の曲で行きたい。。。

とは思ったものの、今頃のヒットで小田氏の曲って、ほとんど、既に書いちゃってたりするんだよな。

・・と、一度は諦めかけたものの、何気に1曲セレクトでの石川秀美さんのアーカイブを調べてみたら、なんと、この曲をまだ書いて無いではないか。。。。    

「ゆ・れ・て湘南」

ガーン

ワタシの中では82年の晩夏といったら、この曲・・・って言うぐらい、ワタシの中ではスタンダードなこの曲をまだ書いて無かったとは。。。。

これは完全に不覚だったな。

それに本来は連続して、同じアーティストの曲は書かないようにしてたんだけど、今回は小田氏の追悼ということもあり特別・・・と自分に言い聞かせて、引っ張って来ました。


先週の「バイ・バイサマー」でも書いたんだけども、この曲は、もろ82年の今頃"晩夏〜初秋" を象徴しているような曲なんだよね。

パッと聴き、この曲に、夏の太陽、青い空、青い海・・っちゅうもろ「夏の湘南」のイメージを持っている方はいないですよね。 
ポップではあるものの、マイナー調のこの曲は、どうしても、どん曇り、あるいは小雨交じりの〜 っていう、うす暗い夏の午後を連想してしまう。

個人的には、小雨交じりの、鎌倉の七里ガ浜っていうイメージかなぁ。

というか、実際、この曲がヒットしていた82年の8月の終わりか、9月の初めごろに七里ガ浜に行ったんだよね。

当時、まだ福島から千葉に越して来たばかりで、友達も無くて、よく一人電車で放浪してたんですよ。 首都圏内ほとんどの鉄道路線はあのころほとんど制覇したんじゃないかってくらい放浪してたな。 
当時は「乗り鉄」だった事もあるんだけど、電車に乗って放浪してると、友達がいない寂しさを紛らされるっていうかさ。
で、ちょうど、この曲の頃、「江ノ電」で鎌倉から藤沢まで行ったんだよな。 その途中、七里ガ浜に寄ったんだったと思う。

どん曇りの小雨模様だったのを覚えてるわ。

そんな時、脳裏で鳴っていた曲が「ゆ・れ・て湘南」だったんだよね。 

それからというもののこの曲と言ったら、あの時の、海は鈍色、空は薄暗く、かつ肌寒かった、あのときの情景が浮かぶんだよなぁ。

ともかく、この曲から感じた情景と、あの時のリアルの情景がピッタリ一致したんだよな。

でもさ、この時がたまたま、小雨模様だった・・・って言う事でもないんだよね。 

ここでは、もう何回も書いてるけど、82年の夏って冷夏で天候不順な夏でさあ、雨の日が多かったんだよ。

まさにこの曲自体のイメージにぴったり嵌まった・・・と言うような。

そんなこともあって、ワタシの中では、82年の晩夏といったら、この曲って言うイメージが定着しちゃったんだと思う。

まあ、この曲だけじゃ無いけどね、中森明菜の「少女A」とか、サザンの「夏をあきらめて」とか、マイナー調の曲がしっくりきた夏だったんだよ。 だから、82年の夏といったら、全体的に「曇天の雲の下の〜」っていうイメージがいまでもこびりついちゃってたりするんだよね。



うんにゃ、この動画の画像のような「真夏の青い空の下〜」っていう、もろ湘南の夏のイメージぢゃないんだけどなぁ、この曲は。

ただ、いわいる「湘南ソング」って昔から、いっぱいあるけど、大体いつも、夏の太陽、青い海〜・・・っていうイメージだよね。 往年の若大将、加山雄三氏にしても、もちろんサザンにしてもチューブにしても、みんなそうじゃん。

曇天、小雨交じりの湘南・・・なんて曲は、この曲と、↑で書いたサザンの「夏をあきらめて」ぐらいじゃないのかなぁ。 調べればもっと出てくるかもしれないけど、パッとなかなか思い出せない。
湘南ソングからすると、かなり稀有な曲かもしれないな。
まあ両方とも82年の曲ということで、それだけあの年の天候不順さが分かるんじゃないかなぁ。


どうでもいいことだけど、この曲のタイトル「ゆ・れ・て湘南」・・って「ゆれて」の間に「・」が入るんだね〜。 あれから36年。いま頃気が付きましたわ〜



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あまく危険な香り / 山下達郎

1982_06_あまく危険な香り_山下達郎



今回の1曲セレクトは、「あまく危険な香り」山下達郎です。

まずはデータです。

・タイトル     あまく危険な香り
・アーティスト   山下達郎
・作詞       山下達郎
・作曲       山下達郎
・編曲       山下達郎
・リリース日   1982年4月5日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 12位
・売上げ枚数 23.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位
・タイアップ:TBS系ドラマ「あまく危険な香り」主題歌

なかなか理解しがたい曲。長年ヒット曲を追って来ると、必ずそう言う曲に遭遇するんだよね。
大体はそれまでに自分の中に無かったような曲の場合が多いんだけど、理解するだけの知識、経験が無かったって事もあるなぁ。
 特に、まだガキの頃には、理解するだけの経験・・というか、この場合は理解力っていうのかなぁ・・それが無かったために、よく分かんなかった曲っていうの往々にしてあったな。 まあ、それは、生理的にキライっていうのと、また違った感覚なんだけどさ。

今回は、そんな曲を持って来ましょうかね。

山下達郎 「あまく危険な香り」。

1982年の4月にリリースされたこの曲。TBS系金曜22時〜、いわいる「金ドラ」で同時期放送されていた「あまく危険な香り」っちゅう、同名タイトルのドラマの主題歌でしたよね。

当時、ワタシは中学1年に上がったばかり、12歳でしたわ。 もちろん、まだこのドラマは見てない。
うん、個人的にドラマに嵌まりだしたのは、この約半年後、同じくTBS系で放送されていた火曜日の「大映ドラマ」からだったからなぁ・・・。

おーっと、話が脱線しちゃうぞ・・・。元に戻す。

でね、この「あまく危険な香り」って曲。 曲自体は当時から知ってた。 うん、当時の月刊・明星付録の歌本「Young Song」にも譜面付きで載ってたしなぁ。

それに当時、すでにTBSラジオの「ザ・ヒットパレード 毎日がベストテン」は聴いてたしね。そこでもこの曲は流れてたような気がする。

でもさあ、当時は、この曲全然理解できなかったんだよねぇ。

ジャズでもない、ニューミュージックでもない軽いノリ。ラウンジっていうのかなぁ。いわいるAOR的なサウンドだよね。 抑揚も少ない、分かりやすいキャッチーなノリでもない。

12歳のワタシにとっては、一体どこが良いのかさっぱり分かんなかったなぁ。

あの当時はといえば、やっぱ「まっち先生」でありトシちゃんであり、聖子ちゃんであり、奈保子ちゃんであり・・・やっぱアイドルだったんですよ、ワタシの中のメインストリームは。

そそそ、山下達郎氏の同時期の曲といえば、この「あまく危険な香り」よりも、まっち先生の「ハイティーン・ブギ」だったからなぁ、当時のワタシは。

なんと言っても分かり安かったからさ。特に何も考えなくても自分の中にスーッと入って来たっていうかね。
キャッチーということは、やっぱり何も考えなくても浸透力があったしね。 そそそ、アブラを吸うスポンジのような音楽ですよね、言ってみれば。

それに比べると、この曲は、なかなか体の中には浸透してこなかったんだよなぁ。 それがねぇ、もどかしいところであったのかもしれない、今思うと。

上でも書いたように、決してキライな音楽じゃ無かったんですよ。 ラヴンジ系っぽい音楽ってオヤジの車で良く流れてたからなぁ。 カーステというよりはラジオから。 どのチャンネルを聴いてたのかはよく覚えてないんだけど、ラウンジ系っぽい曲とか、AORっぽい、小ジャレた大人向けの音楽っていつも流れてたんだよな。
だから、生理的にキライぢゃなかった。

けど、当時、まだ福島の田舎にいたワタシにとっては、こういうオシャレな雰囲気は日常には無かったからなぁ。そんな環境下にいたこともこの曲をいまひとつ理解し難くさせていたのかもしれない。

まあ、それよりも何よりも、テンションコードだらけ、右脳で整理しないと理解できないようなこの曲を租借出来るだけの音楽解釈が、当時はまだ出来なかったんだよね
 
正直言って、この曲、「あ、いい曲だな」って思えてきたのは、最近だもの

最近はウルサイ曲も聴き飽きたしさ、ましてや子供向けのアイドル曲もアニメ曲も受け付けなくなってるし。
逆に、こういう抑揚の少ない大人の雰囲気の曲の方が落ち着く。
まあ、最近は、この手の大人向けの曲が、ヒットチャートの上位に少なくなっちまったっていうのは残念なんだけどね。

ただ、大人向けの曲っちゅうても、当時、達郎氏って29才なんだよな。うん、まだ30前だったのよ。
それを考えたら、今でもこういう大人っぽい曲が出て来ても全然おかしくないんだけどねぇ。 当時のミュージシャンが今よりも大人だったのか、今が子供っぽくなったのか、それは分かんないんだけど・・・。



ときに「あまく危険な香り」ってどんな香りなんでしょうかねぇ・・・。
少なくとも「シャネルの5番」ぢゃねーよなぁ。

・・・ってか、それも理解できない事には、本当の意味でこの曲を理解できないか。。。

個人的には、「ムスク」の香りを想像しちゃったりするんだけど。。。っつか、この匂いが、未だにワタシにとってのPerfumeなんだよなぁ、完全にガキっぽいけど。。。

え?  Perfumeっつても、ノッチ、あーちゃん、かしゆかぢゃねーよ。





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憧れのスレンダー・ガール / シャネルズ

1982_04_憧れのスレンダーガール_シャネルズ


今回の1曲セレクトは、「憧れのスレンダー・ガール」シャネルズです。

まずはデータから

・タイトル     憧れのスレンダー・ガール
・アーティスト   シャネルズ
・作詞       田代マサシ
・作曲       鈴木雅之
・編曲       シャネルズ 村松邦男
・リリース日    1982年3月21日
・発売元      エピックソニー
・オリコン最高位 13位
・売上げ枚数   11.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位

あー、サンデーシンドローム。 日曜日の夜はユウウツだよなぁ。
昔は「サザエさん」が始まると、この「日曜日のユウウツ」が始まったもんだけど、「サザエさん」を見なくなった今、大河ドラマが終わるころには、ユウウツになるのよね。
「また、明日から会社か〜」と。。。
考えてみれば、幼稚園に入園して以来、約45年間。ずーーーーっと、この「日曜日のユウウツ」には悩まされてきた訳で。。 あ、大学の時は別だったけど・・・。
これからも定年まではずっと、これに悩まされるんだろうなぁ・・・。

 まあ、これも小学生の頃まではそれほど大したユウウツではなかったけど、中学校に上がるころからか・・・なんかユウウツが大きくなったような気がするな。

いや、振り返ってみれば、中学校に上がったころが、一番、サンデーシンドロームがはっきりしていたような気がする。

やっぱさ、前の年、小学6年の時って、一番上級生ってことで「王様」だったわけじゃん、ある意味。 それが、中学に上がる事で、一番「下っ端」になるってことがねぇ。 しかも中学生に上がると、より「タテ社会」になるわけじゃん。先輩は絶対だったし。。。。 
そんな環境の変化は「ユウウツ」を増大させたんだよな。

 しかも、この時期、うちのオヤジの仕事がうまく行かなくなってきて、家じゅうがギクシャクしてきてたんだよな。そんなことで、千葉に引っ越すの引っ越さないの・・・って言う話が出始めたのが、中学校に上がったばかりの頃だったと思う。

1982年4月。 今から36年前ですわ。

今回の1曲セレクトは、そんな環境の変化で「ユウウツ」が増大していた1982年の今頃のヒット。

シャネルズ「憧れのスレンダー・ガール」なぞ一つ。

いやいや、80年代特に81、82、83年あたりの主要なヒット曲なんぞ、もうほとんど書きつくしたぞい。もう書ける曲がないわい・・・。

なんて思って、当時のオリコンをひっくり返してたら、あったんですねぇ・・・。それが、今回引っ張ってきた「憧れのスレンダー・ガール」。

まあ、今まで書いてなかったって事は・・・。 そうなんですねぇ、当時は、それほど引っかからなかった曲って訳なんですわな・・・。

それまで、湯川れい子、井上大輔による、もろ、ドゥアップ路線で来ていたシャネルズが、始めてメンバーによる作詞、作曲でリリースした曲。 それがこの曲だったんだよね。

そんな事もあってか、それまでの50年代〜60年代前半を彷彿とさせるようなもろドゥアップという、言ってみればある種の泥臭さっていうのが、この曲ではなりを潜めたっていうのかなぁ。よりポップな路線に移行したんだよね。

よく言えば、新たな挑戦・・・って言うところなんだろうけど、個人的には、この路線が、上手く嵌まっているようには思えなかった。

いや、やっぱ、それまでのドゥアップって言う印象が、あまりにも今日連れ立った訳で、いきなりポップな路線で来られても馴染めなかったっていうのが、正解だったのかなぁ。

なんかね、82年って言う時代に染まっていなかったようなというか、カラーではなかったような・・・って言う印象があったんですよ、この曲には。

個人的な当時のヒット曲って、もっとドス黒いようなイメージがあってね。 いや、これはきっと忌野清志郎、坂本龍一の「いけないルージュマジック」の印象があまりにも強かったんだと思うんだけど。 うん、個人的に当時の「いけないルージュマジック」って、どす黒いイメージがあってね、「あー不快だ」って思いながらも、なんか当時、頭の中を支配していたカラーに近かったんだよな。

でもこの「憧れのスレンダー・ガール」ってポップなメジャー系で、より健全な感じがしたんだよなぁ。 その違いが、この曲の方に違和感を感じたんだよね。

だからと言って、この曲、当時あんまり聴いてなかった訳じゃないんですよ。 この頃、既にラジオのランキング番組は聴き始めていたし。 そそそ、TBSラジオの平日の夜毎日放送していた、「ザ・ヒットパレード〜毎日がベストテン〜」の、特に月曜日の「ニューミュージックベストテン」では、毎週のように流れてたしさ。

それでも、時代のカラーには染まらなかった・・・というか、あんまり引っかからなかったんだよね。個人的には。



オリジナルのシャネルズではなく、後年の「ゴスペラッツ」での動画しかなかったんで、これでメンゴ。
でも、リードボーカルのマーチン、バスの佐藤氏、 トランペットの桑まんは、そのままなんで、オリジナルと全く遜色ないしね。

 上で書いたように82年当時は、時代のカラーに合わなかったって書いたけど、今になって聴けば、もろ82年っていう時代を彷彿させるような曲・・に感じるなぁ。
メロディラインとにしても、コード進行にしても、あの時代だよね・・・っていう印象がねぇ。
やっぱり、環境、立場、時代の違いによって、同じ曲でも全然違うように聴こえるからなぁ。だから、音楽って言うのは不思議というか、奥深いというか・・・切り離せないもんなんだよね。

それにしても、この曲、桑マンのペットは頑張ってるかよなぁ。 それまでのシャネルズの曲って、この曲ほどペットのフレーズって多くなかったしさ。

そうそう、たしか、この曲を聴いて中学では、吹奏楽でペットやりたいと思ったんだったっけ・・・。
結局はトロンボーンに回されちゃったけど。。。



ちなみに、個人的には、「スレンダー」な女の子はちょっとね。。。。。やっぱね女の子は、少しぽっちゃりした子に限りますっ 
もっとも、この曲がヒットしたころは「スレンダー」って意味も知らなかったんだけど。。。。





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もしかしてI love you / シャネルズ+1

1982_09_もしかしてI love you_シャネルズ


今回の1曲セレクトは「もしかしてI love you」シャネルズ+1です。

まずはデータでする。

・タイトル    もしかしてI love you
・アーティスト  シャネルズ+1
・作詞      田代マサシ
・作曲      村松邦男
・編曲      シャネルズ 村松邦男
・リリース日   1982年8月25日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 28位
・売上げ枚数  6.1万枚
・THE HITCHARTHOT30最高位 22位(1982年9月27日付)

 えー本日は氣志團万博に参戦予定。それなのに1曲セレクトなんて書いてて良いのでしょうか・・・って感じなんですが、いいんです。氣志團万博は午後からの参戦予定なんで。。。 この辺が「地元」開催フェスのいいところかなぁ。時間的に「余裕」こけるってところが。。
 問題は、この台風だよなぁ。これ書いてるのが午前9時半過ぎ。既に雨模様の千葉なんですが・・・。これ以上悪化しないでほしいねぇ。なんせ「雨・風」に弱い内房線なんで。。。

氣志團万博と言えば、千葉・袖ヶ浦。 ワタシが福島のいわきから千葉に越してきてから今年で35年ですわ。
その間、袖ヶ浦周辺も大分変わったよなぁ。 大体ねぇ35年前はマジで「田舎」だったもの。なーんにもなくて。。。
東京の近くに引っ越すということで、少しは都会な場所に越すもの・・と思いきや、「自分の田舎より田舎」って感じでさあ、戸惑ったもんよ、最初は。
 なーんにもない田舎なのに、一歩海岸線に踏み入れると一連の石油化学コンビナートでさあ。 田圃とコンビナートの異様なコントラストにも戸惑ったけどな。

ただ、一番良かったのはラジオが聴けるようになった事。 いわきに居た頃はラジオの入りが悪かったからなぁ。
夜・電波状態が多少良くなる時間に、ノイズ混じりで入ってくるTBS、文化放送、ニッポン放送っていう東京のAM放送だけが頼りだったんだよね。

だからね、千葉に来て最初に夢中になったのはラジオだったな。 まあ、友達もいなかったしね初めは。
中学1年だったけど、ちょうど夏休みだった事もあり、他にやることも無かったからなぁ。 兎に角1日中ラジオ聴いてたな。 土曜の14時からだけはニッポン放送の「オリコンヒット速報」、それ以外は大抵文化放送聴いてましたねぇ。

今回の1曲セレクトは、そんな当時、ラジオでよく聴いてた1曲をひとつ。

シャネルズ+1 「もしかしてI love you」

いやいや、この曲はマジで、当時ラジオでよく聴いてた。 
シャネルズとは、あのシャネルズですよ、「ランナウェイ」とか「街角トワイライト」とかの。 気になるのは「+1」ってところだけど、これはボーカルの鈴木マーチン氏の姉貴、鈴木聖美さんのことですね。

たしか当時は、まだプロとして本格デビュー前の事で、「アマチュア」としての参加だったんですよね。なのであからさまに名前を出す訳にも行かず、「+1」って扱いになってんだよね。

ただ、この曲がリリースされた頃の月刊明星には、既に顔だしもしてたし。そう、鈴木聖美さんがプロにならずアマチュアのままだったのは、この曲をリリースした当時、子育て真っ最中でプロとして活動が難しいと言う事からだった気がする。
 ちなみに、この曲から丁度5年後に未だにカラオケで有名な「ロンリーチャップリン」がリリースされ、本格的にプロ活動をして行くことになる鈴木聖美さんだけども、そん時の理由も「子育てが一段落したんで・・・」ってことだったんだよね。

 兎も角は、アマチュアなのにアマチュアらしからぬボーカル力には、舌を巻いたけどさ、この「もしかしてI love you」の時も。

曲も聴きやすかったんだよね、この曲。 湯川れい子−井上大輔コンビによる、一連の「大ヒット」当時の曲に比べると、自分たちで曲を作るようになって大分、肩の力が抜けた曲調になってきてたしさ。
 シャネルズといえば、50年代を彷彿させるドゥアップ・・・って言うイメージが強かったわけじゃん。大ヒット曲を連発してた頃は。

でも、この「もしかしてI love you」なんてのは 、そんなドゥアップに固執したような泥臭さは抜け、ポップだったしさ。

ま、確かに最初は戸惑ったんだけどさ。やっぱりどうしても「シャネルズ=ドゥアップ」っていう耳になっちゃってたわけじゃん当時は。そこに来てポップなデュエット曲だったわけだからさ。
でも、それでも当時はラジオで大分聴いたからなぁ。 だんだん、これはこれでアリかな・・・なんて思えるようになったりしてさ。

これがさ、やっぱり自分たちで曲を作るようになった、この曲より前の「憧れのスレンダーガール」とか「サマ・ホリデー」は、ちょっと違う印象なんですよ。 
・・・というのも、まだ、これらの曲の頃は千葉に越して来る前で、ラジオであんまり聴いてなかったから・・・。
耳馴染んでないんだよな。

そう考えると、この頃のラジオの存在って、ワタシにとっては大きかったんだよなぁ。あとあと「ヒット曲」の道にどっぷり足を踏み入れて行くことを考えるとさ。

うん、この頃ラジオ聴いてなかったら、絶対に知らなかったよな・・・って言う曲が、この頃の曲にはたくさんあるんですよ。

GANGYの「スローダンサー」にしても、クリキンの「セシル」にしても、山下久美子の「マラソン恋女」にしても、沖田浩之の「気絶するほど悩ましい」にしても・・・。 みんなラジオを聴いてからこそ知った曲々なんだよねぇ。
「ベストテン」って枠にとらわれず、もっと幅広くヒット曲を知るようになれた一番のツールだったんだよね、ラジオは。


動画・・・・この曲テレビではほとんど歌っていない筈なんでないだろうな・・・って思ったら、「音」だけ落ちてた
・・・んで、リンク。

https://www.youtube.com/watch?v=E2qh6A_ytDo&list=PLODx9ykwmhxTyHW3W2xy10N7nw0a_wngF

そーそー、この曲さあ、ボーカルのマーチン氏と、鈴木聖美女史で、Aメロのそれぞれのカラミの部分で所々歌詞が違うんだよね。

例えば
 ♪ 聖美 「あの娘は?」
   マーチン 「別れた」
   聖美 「ホント?」
   マーチン+聖美 「本当さ」(マーチン) 
「うそでしょDarlin'」(聖美)  

の最後の「マーチン+聖美」のところ、同じフレーズで同時ユニゾンとしてに違う歌詞で入ってくるんで、実際聴いてると、歌詞がズレてるように聴こえたりしてね。

最初、あれ? これ、どっちかが歌詞間違ってるよ・・・っなんて思ったんだけど、これが正しいんだよね。

まあ、男と女での感じ方の違いを歌詞にするとこうなる・・・って事を表現するとこういうすれ違いになるって事を言いたいんだと思うし、それがこの曲の面白さであり、キモなんだろうな。

たださ、歌詞の仕掛けとしては面白かったし鈴木聖美氏の参加で話題になったこの曲だけど、大ヒットまでには至りませんでしたねぇ。オリコン28位とベスト20にも入らなかったからなぁ。

まあ、もともとアルバム曲からのカットっていうシングルとしては臨発だった事もあるかもしれない。

でもいずれにしても、この曲の後、シャネルズとして半年間の活動休止と、「ラッツ&スター」へのアーティスト名変更となって行く訳なんですけど。。。



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Woman / フランク永井

1982_09_Woman_フランク永井


今回の1曲セレクトは、「Woman」フランク永井です。

まずはデータです。

・タイトル     Woman
・アーティスト   フランク 永井
・作詞       山下達郎
・作曲       山下達郎
・編曲       山下達郎 乾裕樹
・リリース日   1982年6月21日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 33位
・売上げ枚数 8.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 32位

ここ暫く、ストレートなヒットストリームな曲から外れているような感じの1曲セレクトですが、今回も、そう言う意味では「変化球」と言うような曲なのかなぁ。

フランク永井「Woman」。

フランク永井さん・・・なんて書くと、もしかするとワタシと同世代、あるいは、少しの上の世代でも名前を見ただけで、(ブログ)ページを素通りされてしまいそうな感じがしますが・・・。

そうだよねぇ、ワタシらの世代としては、フランク永井氏といったら、「歌謡曲界」の大御所というような存在だったわけで、いわいるヒット曲のメインストリームである「ロック・ポップス」のヒトでは決してない・・・って言う認識が強いからなぁ。

子供の頃に、よくテレビで歌っていた「おまえに」とかさあ。。。 少なくとも、子供が聴くような「歌手」ではないって言うところが強かったですよね。
 もちろん、ワタシ自身も、オヤジとかオフクロが、飲み屋のカラオケで歌っていたような・・・っていう認識が強くてね、興味なんてなかったんですが・・・。

じゃ、なんで、1曲セレクトで引っ張ってきてるの?

・・・って事になりそうなんたけども・・・。 今回セレクトしてきた「Woman」って曲、これが素晴らしいんだよね。

プロデュースが、なんと山下達郎氏。

フランク永井氏と山下達郎・・・・。どう考えても結びつかない組み合わせ。 まあ、一種の異種格闘戦のような感じもするんだけども、普段混じり合わないような組み合わせだからこそ、時に素晴らしい出来になる事がある。
そのお手本のような曲じゃないのかなぁ。

まあ、火が無い所に煙は立たず・・・ということで、山下達郎氏は子供の頃からフランク永井氏には興味があったようなんですけどね。

 フランク永井氏は、↑で書いたようにこの曲の近辺こそ、歌謡曲に特化した曲ばかりを歌っていた訳だけど、名前から分かるように、元はジャズから入ってきていたわけで、最初から歌謡曲から出てきたヒトじゃないんだよね。もちろん、50年代から60年代にかけては、当時のポップス調の曲も歌っていた訳で。

そんなこともあり、歌謡曲調ばかり歌っていたフランク永井氏に、達郎氏はある種の不満があったようなんだよね。
 
自分だったら、本来のフランク永井を引き出す事が出来る。

そう言う信念でプロデュースした曲が、この「Woman」。

そう言うだけあって、この曲は完全なポップスだもんなぁ。 ま、ポップスといっても、当時の聖子やまっち先生の様なポップスとは違うけどさ。
 なんていうの、きらびやかなエンターテイメントの頂点と言いますか、フランク・シナトラが一世を風靡していた頃のような匂いがする様なポップス。
 そそそ、だからこそ和製シナトラと呼び名が高い、フランク永井氏が本当の意味で輝くような1曲と言いますかね。

ま、チャート成績こそ、オリコンで最高33位・・・と大ヒットと言うところまでは行かなかったけど、それでも77年の「おまえに」以来、5年ぶりに「左ページ」にランクインされ、スマッシュヒットを記録。

同時に、達郎氏のこの「仕事」については、当時も評価が高かったですよね。

でも個人的には当時は、この曲聴いてなかったんだよなぁ。 
曲自体は知ってた。なにせマスコミ的に評価が高かったし、なにより、明星付録の「Young Song」の新曲評で、あの「辛口」の近田春夫氏がベタ褒めしてたからなぁ。 だから曲の存在は知ってたんだよね。

それでも、やっぱり、フランク永井氏⇒オヤジ、オフクロ世代のヒト・・・っていう意識が強くてねぇ、曲を聴くまでは踏み込めなかったんだよな。

実際に曲を聴いたのは・・・いつだったかなぁ  オトナになってからですね。

なんかね、どこかでずっと引っかかってはいたんだよね。 きっかけは忘れちゃったけど、なんかのきっかけで、レコードを中古屋で購入して聴いてみたんだよね。

地団駄を踏んだよなぁ。 なんで、リリース当時に聴かなかったのかってさあ。
最近、「本当」のエンターテイメント性あふれる曲ってとんと見かけなくなったけど、これこそ「エンターテイメント」といえる曲なんだよなぁ。
 それでいて、リリースされた1982年の匂いもしっかりしてたりしてさ。そそそ、根っこの所はフランク・シナトラって言う感じなんだけど、それでもしっかりリリースされた時代性は踏まえているんだよね。



昔、牧伸二氏が、例の♪あ〜やんなっちゃった〜♪で、♪フランク永井は低音が魅力〜♪ってうたってけど、この曲でもご多分にもれず、 ♪ム〜〜 ♪っていう低音の魅力を入れている辺りは、達郎氏のサービス精神でしょうかねぇ

ちなみに、この曲のバッキングミュージシャン
Guitar、Glocken、Tubular Bell、Percussion & Background Vocal : 山下 達郎
Drums : 青山 純
Bass : 伊藤 広規
Guitar : 松木 恒秀
Keyboards : 清水 信之
Percussion : 浜口 茂外也
Tenor Sax Solo : 井上 大輔
Background Vocal : 山川 恵津子、鳴海 寛
Trumpet : 数原 晋、小林 正弘
Trombone : 向井 滋春、粉川 忠範
Tenor Sax : 村岡 健
Bariton Sax : 砂原 俊三
Strings : 多 忠明グループ

えー、他の方のブログから拝借してしまいましたが・・・・

基本、当時の達郎氏ではお馴染みのバックミュージシャンで固められていたりするけど、いずれも一流のスタジオミュージシャンで構成されてますよね。
やっぱり良い音楽には、いいミュージシャンなんだよね。

ちなみに、この曲、未だに評価が高いのか、最近もブログでレビューを書いている方、多いですね。
やはり達郎人気なんでしょうかねぇ、それとも、この曲を歌っているフランク永井氏自体の評価が高いんでしょうかねぇ。 いずれにしても未だに人気が高い様です。


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夏の雫 / 三田寛子

1982_07_夏の雫_三田寛子


今回の1曲セレクトは、「夏の雫」三田寛子です。

まずはデータです。

・タイトル     夏の雫
・アーティスト   三田寛子
・作詞       阿木耀子
・作曲       井上陽水
・編曲       坂本龍一
・リリース日    1982年7月7日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 28位
・売上げ枚数   6.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 25位

 昨日に引き続き、またまた変な時間に書いてる1曲セレクトどぇす。。。 なんかこの先 土日はこんな感じで「早朝」に書くのが日課になりそうな予感がするけど。。。。
 通常は夜、眠い頭の中書くんだけども、時間的な余裕があれば朝書いた方が頭もシャキッとしてるんで書きやすいって事もありますけどね。

さてさて、ここんところ、全体的にアイドルに偏ってるよなっていうのは否めないんだけども、そう言っておいて、今回も「アイドル」です。

三田寛子「夏の雫」

1曲セレクトもたまにヘンな曲を持ってきたくなるんだけど、この曲もそんな「ヘン」な曲に入るような曲ですかねぇ。
 リリースは、1982年7月。 この年の3月に以前書いた「駆けてきた処女」でデビューした三田寛子さんのデビュー第2弾シングル。
つまりは「花の82年組」というわけなんですが、この曲が今一つパッとしなかったんだよなぁ。

以前も書いたように、このヒト、デヒュー時は、数多くいた82年デビュー組の中でも、期待度も実績も、松本伊代に続く二番手だったんだよね。まあ、今考えると「意外」かもしれないけど・・・。
 そそそ同じ日にデビューしたキョンキョンよりも堀ちえみよりも「上」だったんですよ。

でも・・・・。 この曲で早くも躓いちゃいましたね。。。

デビュー時、三田寛子よりも「下」と見られていた、キョンキョンも堀ちえみも、夏にリリースした第2弾シングルは、軒並みデビュー曲を上回り、「人気」と言う点でもこの時点では完全に、三田寛子さんを抜いちゃってましたもんね。
 
なぜ、伸び悩んだかと言えば・・・・うーん、やっぱり、このヒトが本来持ってたキャラクターとのギャップがあったんじゃないのかなぁ・・・なんて思ったりして。
 このヒト、パッと見のルックスが今一つ「華やか」じゃなかったぢゃない どちらかと言えば陰がある顔立ちだったし・・・。そのあたりからなのか、この曲のジャケ写のように。少し大人っぽい「妖艶」なイメージに持って行ってしまった・・・というのが、ギャップの始まりだったかもしれないな。

少し陰がある・・・って言うイメージから山口百恵アゲイン・・・な雰囲気になってしまった感もあるし。
まあ、その辺は、当時三田寛子のディレクターだった酒井政利氏のイメージだったのかもしれないけど・・・。
デビュー曲に続き、この曲でも、作詞が阿木耀子女史を起用したのもその表れかもしれないけどね。

だからね、後年、「笑っていいとも」で見せてたような、おとぼけ「天然キャラ」っていうのを、この当時から作り手が見抜けていていれば、もう少し違った展開になっていたかもしれないな。

ところでさ、この曲で、まず目が行ってしまうのが作家陣だよなぁ。

・作詞 阿木耀子
・作曲 井上陽水
・編曲 坂本龍一

超豪華・・・というまえに、うわっ、めちやくちゃ濃いメンバーやん・・・・ って言うのが先に立ってしまったりして 
 作詞 阿木耀子、作曲 井上陽水っていうのは、前曲「駆けてきた乙女」がそこそこ成功したんで引き続き・・・って言うのはわかるんだけども、なぜにアレンジが坂本教授やねん ・・・って感じで。
超濃いメンバーでしたよね。 

でもね、実際に濃い曲なんですわこれが。  

デビュー曲「駆けてきた処女」は、作詞、阿木耀子、作曲 井上陽水・・・にしては、わりかし「まとも」なイメージで、このヒトたちの個性が、今一つ感じられなかったんだけども、この曲では、それぞれの個性が弾けちゃってる・・・というか・・・。 ま、良く言えば・・・・と言うところなんだけども。

特に、井上陽水氏のメロディね。当時としては、まあ、難解なメロディなんだよな。

出だしは、まともなありがちなサビ。 ・・・かと思ったら、いきなりぶっ飛んだようなコミカルなAメロ。 かと、おもったら、サビの続きか・・・と思わせるまともなBメロ。 ・・・かと思ったら、少しトーンダウンしたようなCメロ。

一体、どんだけ展開が変わるのよ・・・。くらい目まぐるしく変わる展開。
うん、この曲のレビューを書いてる他のブログを読むと、この展開の変化を「転調」って書いてるヒトがいたけど、転調ではないんだよね、キーは、ずっとCmのままなんで。あくまで展開が目まぐるしく変化してるって事なんですわ。

井上陽水氏は、この曲とほぼ同時に、自身のシングル「リバーサイドホテル」をリリースしてるけど、この曲も精神分裂気味な難解な曲だったじゃん。 なんかね、そんな精神分裂気味な難解なメロディをそのまま、この曲にも持ちこんじゃってた・・・ような感じも受けてさ。。。

それに輪をかけてアレンジがね。 デビュー曲の「駆けてきた処女」はアレンジが萩田光雄氏っていうプロのアレンジャーだったこともあり、井上陽水氏のクセあるメロディを上手く調和していたところあったんだけども、この曲は坂本教授でしたからねぇ。
 調和どころか、井上氏のクセのあるメロディに負けてたまるか・・とばかり、これまたクセのあるアレンジに仕上げてたりして。。。
 ま、通常、これだけ展開が激しいメロディの場合、イメージがとっちらかり気味になるんだけど、シングルとしてそれなりにまとめてあるのは、流石は教授・・・なんても思う。

・・・・かと思えば、阿木女史の歌詞。Aメロ、Bメロは直接的な関連がなさそうでいて、共に自分と彼との事・・・ってのは分かるんだけども、Cメロで、それまで全く出てこなかったKumi and Rumi なんて「謎」の女性がいきなり登場したりして ぶっ飛んでるよなぁ・・・。
(いずれもイニシャルを外すと 「umi」⇒「海」となって、次の歌詞にある「海の少女」に掛ってるんだよね。って最近知ったんだけど。。。

・・・ってな具合で、三者三様、持ち味を存分に発揮した曲ではあるけど、「歌謡曲完全攻略ガイド」でもレビューされているように、濃すぎる牛乳は、逆に飲みづらい・・・ということで、売り上げも伸び悩んだんじゃないのかなぁ・・・なんて思う訳ですわね。

ただね、それは当時思ったことであり、そういうシガラミは一切なんにも考えずに、今、この曲を聴くと、 それはそれで面白い曲ではあったかも・・・なんて再認識されてくるような曲ではありますけどね。


そういえば、この曲もデビュー曲に引き続きいて「カルピスソーダ」のCM曲・・・だったような気がするんだけどな。。
そう思って、ネットで調べてみたけど、今一つ確証が出てこないんだよね。なんで割愛しました。


・・・ということで、実際の曲を紹介したかったんだけども。。。
うーん、この曲の動画はようつべに落ちてないなぁ。。。。

・・・かと思ったら、一応ニコ動にあった。。。。
↓コレ


ちなみに、この曲の次の曲は、「色づく街」っていう南沙織さんのカバーだったんだけども、個人的には、この曲、好きだったんだよね。
今は、オリジナルの南沙織さんバージョンを知ってしまったんで、ヘタだな・・・なんて思っちゃうけど、当時は知らなかったんでね。
筒美京平氏の色っぽいメロディがセクシーなんだよね。



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