かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1982年

あまく危険な香り / 山下達郎

1982_06_あまく危険な香り_山下達郎



今回の1曲セレクトは、「あまく危険な香り」山下達郎です。

まずはデータです。

・タイトル     あまく危険な香り
・アーティスト   山下達郎
・作詞       山下達郎
・作曲       山下達郎
・編曲       山下達郎
・リリース日   1982年4月5日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 12位
・売上げ枚数 23.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位
・タイアップ:TBS系ドラマ「あまく危険な香り」主題歌

なかなか理解しがたい曲。長年ヒット曲を追って来ると、必ずそう言う曲に遭遇するんだよね。
大体はそれまでに自分の中に無かったような曲の場合が多いんだけど、理解するだけの知識、経験が無かったって事もあるなぁ。
 特に、まだガキの頃には、理解するだけの経験・・というか、この場合は理解力っていうのかなぁ・・それが無かったために、よく分かんなかった曲っていうの往々にしてあったな。 まあ、それは、生理的にキライっていうのと、また違った感覚なんだけどさ。

今回は、そんな曲を持って来ましょうかね。

山下達郎 「あまく危険な香り」。

1982年の4月にリリースされたこの曲。TBS系金曜22時〜、いわいる「金ドラ」で同時期放送されていた「あまく危険な香り」っちゅう、同名タイトルのドラマの主題歌でしたよね。

当時、ワタシは中学1年に上がったばかり、12歳でしたわ。 もちろん、まだこのドラマは見てない。
うん、個人的にドラマに嵌まりだしたのは、この約半年後、同じくTBS系で放送されていた火曜日の「大映ドラマ」からだったからなぁ・・・。

おーっと、話が脱線しちゃうぞ・・・。元に戻す。

でね、この「あまく危険な香り」って曲。 曲自体は当時から知ってた。 うん、当時の月刊・明星付録の歌本「Young Song」にも譜面付きで載ってたしなぁ。

それに当時、すでにTBSラジオの「ザ・ヒットパレード 毎日がベストテン」は聴いてたしね。そこでもこの曲は流れてたような気がする。

でもさあ、当時は、この曲全然理解できなかったんだよねぇ。

ジャズでもない、ニューミュージックでもない軽いノリ。ラウンジっていうのかなぁ。いわいるAOR的なサウンドだよね。 抑揚も少ない、分かりやすいキャッチーなノリでもない。

12歳のワタシにとっては、一体どこが良いのかさっぱり分かんなかったなぁ。

あの当時はといえば、やっぱ「まっち先生」でありトシちゃんであり、聖子ちゃんであり、奈保子ちゃんであり・・・やっぱアイドルだったんですよ、ワタシの中のメインストリームは。

そそそ、山下達郎氏の同時期の曲といえば、この「あまく危険な香り」よりも、まっち先生の「ハイティーン・ブギ」だったからなぁ、当時のワタシは。

なんと言っても分かり安かったからさ。特に何も考えなくても自分の中にスーッと入って来たっていうかね。
キャッチーということは、やっぱり何も考えなくても浸透力があったしね。 そそそ、アブラを吸うスポンジのような音楽ですよね、言ってみれば。

それに比べると、この曲は、なかなか体の中には浸透してこなかったんだよなぁ。 それがねぇ、もどかしいところであったのかもしれない、今思うと。

上でも書いたように、決してキライな音楽じゃ無かったんですよ。 ラヴンジ系っぽい音楽ってオヤジの車で良く流れてたからなぁ。 カーステというよりはラジオから。 どのチャンネルを聴いてたのかはよく覚えてないんだけど、ラウンジ系っぽい曲とか、AORっぽい、小ジャレた大人向けの音楽っていつも流れてたんだよな。
だから、生理的にキライぢゃなかった。

けど、当時、まだ福島の田舎にいたワタシにとっては、こういうオシャレな雰囲気は日常には無かったからなぁ。そんな環境下にいたこともこの曲をいまひとつ理解し難くさせていたのかもしれない。

まあ、それよりも何よりも、テンションコードだらけ、右脳で整理しないと理解できないようなこの曲を租借出来るだけの音楽解釈が、当時はまだ出来なかったんだよね
 
正直言って、この曲、「あ、いい曲だな」って思えてきたのは、最近だもの

最近はウルサイ曲も聴き飽きたしさ、ましてや子供向けのアイドル曲もアニメ曲も受け付けなくなってるし。
逆に、こういう抑揚の少ない大人の雰囲気の曲の方が落ち着く。
まあ、最近は、この手の大人向けの曲が、ヒットチャートの上位に少なくなっちまったっていうのは残念なんだけどね。

ただ、大人向けの曲っちゅうても、当時、達郎氏って29才なんだよな。うん、まだ30前だったのよ。
それを考えたら、今でもこういう大人っぽい曲が出て来ても全然おかしくないんだけどねぇ。 当時のミュージシャンが今よりも大人だったのか、今が子供っぽくなったのか、それは分かんないんだけど・・・。



ときに「あまく危険な香り」ってどんな香りなんでしょうかねぇ・・・。
少なくとも「シャネルの5番」ぢゃねーよなぁ。

・・・ってか、それも理解できない事には、本当の意味でこの曲を理解できないか。。。

個人的には、「ムスク」の香りを想像しちゃったりするんだけど。。。っつか、この匂いが、未だにワタシにとってのPerfumeなんだよなぁ、完全にガキっぽいけど。。。

え?  Perfumeっつても、ノッチ、あーちゃん、かしゆかぢゃねーよ。





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憧れのスレンダー・ガール / シャネルズ

1982_04_憧れのスレンダーガール_シャネルズ


今回の1曲セレクトは、「憧れのスレンダー・ガール」シャネルズです。

まずはデータから

・タイトル     憧れのスレンダー・ガール
・アーティスト   シャネルズ
・作詞       田代マサシ
・作曲       鈴木雅之
・編曲       シャネルズ 村松邦男
・リリース日    1982年3月21日
・発売元      エピックソニー
・オリコン最高位 13位
・売上げ枚数   11.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位

あー、サンデーシンドローム。 日曜日の夜はユウウツだよなぁ。
昔は「サザエさん」が始まると、この「日曜日のユウウツ」が始まったもんだけど、「サザエさん」を見なくなった今、大河ドラマが終わるころには、ユウウツになるのよね。
「また、明日から会社か〜」と。。。
考えてみれば、幼稚園に入園して以来、約45年間。ずーーーーっと、この「日曜日のユウウツ」には悩まされてきた訳で。。 あ、大学の時は別だったけど・・・。
これからも定年まではずっと、これに悩まされるんだろうなぁ・・・。

 まあ、これも小学生の頃まではそれほど大したユウウツではなかったけど、中学校に上がるころからか・・・なんかユウウツが大きくなったような気がするな。

いや、振り返ってみれば、中学校に上がったころが、一番、サンデーシンドロームがはっきりしていたような気がする。

やっぱさ、前の年、小学6年の時って、一番上級生ってことで「王様」だったわけじゃん、ある意味。 それが、中学に上がる事で、一番「下っ端」になるってことがねぇ。 しかも中学生に上がると、より「タテ社会」になるわけじゃん。先輩は絶対だったし。。。。 
そんな環境の変化は「ユウウツ」を増大させたんだよな。

 しかも、この時期、うちのオヤジの仕事がうまく行かなくなってきて、家じゅうがギクシャクしてきてたんだよな。そんなことで、千葉に引っ越すの引っ越さないの・・・って言う話が出始めたのが、中学校に上がったばかりの頃だったと思う。

1982年4月。 今から36年前ですわ。

今回の1曲セレクトは、そんな環境の変化で「ユウウツ」が増大していた1982年の今頃のヒット。

シャネルズ「憧れのスレンダー・ガール」なぞ一つ。

いやいや、80年代特に81、82、83年あたりの主要なヒット曲なんぞ、もうほとんど書きつくしたぞい。もう書ける曲がないわい・・・。

なんて思って、当時のオリコンをひっくり返してたら、あったんですねぇ・・・。それが、今回引っ張ってきた「憧れのスレンダー・ガール」。

まあ、今まで書いてなかったって事は・・・。 そうなんですねぇ、当時は、それほど引っかからなかった曲って訳なんですわな・・・。

それまで、湯川れい子、井上大輔による、もろ、ドゥアップ路線で来ていたシャネルズが、始めてメンバーによる作詞、作曲でリリースした曲。 それがこの曲だったんだよね。

そんな事もあってか、それまでの50年代〜60年代前半を彷彿とさせるようなもろドゥアップという、言ってみればある種の泥臭さっていうのが、この曲ではなりを潜めたっていうのかなぁ。よりポップな路線に移行したんだよね。

よく言えば、新たな挑戦・・・って言うところなんだろうけど、個人的には、この路線が、上手く嵌まっているようには思えなかった。

いや、やっぱ、それまでのドゥアップって言う印象が、あまりにも今日連れ立った訳で、いきなりポップな路線で来られても馴染めなかったっていうのが、正解だったのかなぁ。

なんかね、82年って言う時代に染まっていなかったようなというか、カラーではなかったような・・・って言う印象があったんですよ、この曲には。

個人的な当時のヒット曲って、もっとドス黒いようなイメージがあってね。 いや、これはきっと忌野清志郎、坂本龍一の「いけないルージュマジック」の印象があまりにも強かったんだと思うんだけど。 うん、個人的に当時の「いけないルージュマジック」って、どす黒いイメージがあってね、「あー不快だ」って思いながらも、なんか当時、頭の中を支配していたカラーに近かったんだよな。

でもこの「憧れのスレンダー・ガール」ってポップなメジャー系で、より健全な感じがしたんだよなぁ。 その違いが、この曲の方に違和感を感じたんだよね。

だからと言って、この曲、当時あんまり聴いてなかった訳じゃないんですよ。 この頃、既にラジオのランキング番組は聴き始めていたし。 そそそ、TBSラジオの平日の夜毎日放送していた、「ザ・ヒットパレード〜毎日がベストテン〜」の、特に月曜日の「ニューミュージックベストテン」では、毎週のように流れてたしさ。

それでも、時代のカラーには染まらなかった・・・というか、あんまり引っかからなかったんだよね。個人的には。



オリジナルのシャネルズではなく、後年の「ゴスペラッツ」での動画しかなかったんで、これでメンゴ。
でも、リードボーカルのマーチン、バスの佐藤氏、 トランペットの桑まんは、そのままなんで、オリジナルと全く遜色ないしね。

 上で書いたように82年当時は、時代のカラーに合わなかったって書いたけど、今になって聴けば、もろ82年っていう時代を彷彿させるような曲・・に感じるなぁ。
メロディラインとにしても、コード進行にしても、あの時代だよね・・・っていう印象がねぇ。
やっぱり、環境、立場、時代の違いによって、同じ曲でも全然違うように聴こえるからなぁ。だから、音楽って言うのは不思議というか、奥深いというか・・・切り離せないもんなんだよね。

それにしても、この曲、桑マンのペットは頑張ってるかよなぁ。 それまでのシャネルズの曲って、この曲ほどペットのフレーズって多くなかったしさ。

そうそう、たしか、この曲を聴いて中学では、吹奏楽でペットやりたいと思ったんだったっけ・・・。
結局はトロンボーンに回されちゃったけど。。。



ちなみに、個人的には、「スレンダー」な女の子はちょっとね。。。。。やっぱね女の子は、少しぽっちゃりした子に限りますっ 
もっとも、この曲がヒットしたころは「スレンダー」って意味も知らなかったんだけど。。。。





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もしかしてI love you / シャネルズ+1

1982_09_もしかしてI love you_シャネルズ


今回の1曲セレクトは「もしかしてI love you」シャネルズ+1です。

まずはデータでする。

・タイトル    もしかしてI love you
・アーティスト  シャネルズ+1
・作詞      田代マサシ
・作曲      村松邦男
・編曲      シャネルズ 村松邦男
・リリース日   1982年8月25日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 28位
・売上げ枚数  6.1万枚
・THE HITCHARTHOT30最高位 22位(1982年9月27日付)

 えー本日は氣志團万博に参戦予定。それなのに1曲セレクトなんて書いてて良いのでしょうか・・・って感じなんですが、いいんです。氣志團万博は午後からの参戦予定なんで。。。 この辺が「地元」開催フェスのいいところかなぁ。時間的に「余裕」こけるってところが。。
 問題は、この台風だよなぁ。これ書いてるのが午前9時半過ぎ。既に雨模様の千葉なんですが・・・。これ以上悪化しないでほしいねぇ。なんせ「雨・風」に弱い内房線なんで。。。

氣志團万博と言えば、千葉・袖ヶ浦。 ワタシが福島のいわきから千葉に越してきてから今年で35年ですわ。
その間、袖ヶ浦周辺も大分変わったよなぁ。 大体ねぇ35年前はマジで「田舎」だったもの。なーんにもなくて。。。
東京の近くに引っ越すということで、少しは都会な場所に越すもの・・と思いきや、「自分の田舎より田舎」って感じでさあ、戸惑ったもんよ、最初は。
 なーんにもない田舎なのに、一歩海岸線に踏み入れると一連の石油化学コンビナートでさあ。 田圃とコンビナートの異様なコントラストにも戸惑ったけどな。

ただ、一番良かったのはラジオが聴けるようになった事。 いわきに居た頃はラジオの入りが悪かったからなぁ。
夜・電波状態が多少良くなる時間に、ノイズ混じりで入ってくるTBS、文化放送、ニッポン放送っていう東京のAM放送だけが頼りだったんだよね。

だからね、千葉に来て最初に夢中になったのはラジオだったな。 まあ、友達もいなかったしね初めは。
中学1年だったけど、ちょうど夏休みだった事もあり、他にやることも無かったからなぁ。 兎に角1日中ラジオ聴いてたな。 土曜の14時からだけはニッポン放送の「オリコンヒット速報」、それ以外は大抵文化放送聴いてましたねぇ。

今回の1曲セレクトは、そんな当時、ラジオでよく聴いてた1曲をひとつ。

シャネルズ+1 「もしかしてI love you」

いやいや、この曲はマジで、当時ラジオでよく聴いてた。 
シャネルズとは、あのシャネルズですよ、「ランナウェイ」とか「街角トワイライト」とかの。 気になるのは「+1」ってところだけど、これはボーカルの鈴木マーチン氏の姉貴、鈴木聖美さんのことですね。

たしか当時は、まだプロとして本格デビュー前の事で、「アマチュア」としての参加だったんですよね。なのであからさまに名前を出す訳にも行かず、「+1」って扱いになってんだよね。

ただ、この曲がリリースされた頃の月刊明星には、既に顔だしもしてたし。そう、鈴木聖美さんがプロにならずアマチュアのままだったのは、この曲をリリースした当時、子育て真っ最中でプロとして活動が難しいと言う事からだった気がする。
 ちなみに、この曲から丁度5年後に未だにカラオケで有名な「ロンリーチャップリン」がリリースされ、本格的にプロ活動をして行くことになる鈴木聖美さんだけども、そん時の理由も「子育てが一段落したんで・・・」ってことだったんだよね。

 兎も角は、アマチュアなのにアマチュアらしからぬボーカル力には、舌を巻いたけどさ、この「もしかしてI love you」の時も。

曲も聴きやすかったんだよね、この曲。 湯川れい子−井上大輔コンビによる、一連の「大ヒット」当時の曲に比べると、自分たちで曲を作るようになって大分、肩の力が抜けた曲調になってきてたしさ。
 シャネルズといえば、50年代を彷彿させるドゥアップ・・・って言うイメージが強かったわけじゃん。大ヒット曲を連発してた頃は。

でも、この「もしかしてI love you」なんてのは 、そんなドゥアップに固執したような泥臭さは抜け、ポップだったしさ。

ま、確かに最初は戸惑ったんだけどさ。やっぱりどうしても「シャネルズ=ドゥアップ」っていう耳になっちゃってたわけじゃん当時は。そこに来てポップなデュエット曲だったわけだからさ。
でも、それでも当時はラジオで大分聴いたからなぁ。 だんだん、これはこれでアリかな・・・なんて思えるようになったりしてさ。

これがさ、やっぱり自分たちで曲を作るようになった、この曲より前の「憧れのスレンダーガール」とか「サマ・ホリデー」は、ちょっと違う印象なんですよ。 
・・・というのも、まだ、これらの曲の頃は千葉に越して来る前で、ラジオであんまり聴いてなかったから・・・。
耳馴染んでないんだよな。

そう考えると、この頃のラジオの存在って、ワタシにとっては大きかったんだよなぁ。あとあと「ヒット曲」の道にどっぷり足を踏み入れて行くことを考えるとさ。

うん、この頃ラジオ聴いてなかったら、絶対に知らなかったよな・・・って言う曲が、この頃の曲にはたくさんあるんですよ。

GANGYの「スローダンサー」にしても、クリキンの「セシル」にしても、山下久美子の「マラソン恋女」にしても、沖田浩之の「気絶するほど悩ましい」にしても・・・。 みんなラジオを聴いてからこそ知った曲々なんだよねぇ。
「ベストテン」って枠にとらわれず、もっと幅広くヒット曲を知るようになれた一番のツールだったんだよね、ラジオは。


動画・・・・この曲テレビではほとんど歌っていない筈なんでないだろうな・・・って思ったら、「音」だけ落ちてた
・・・んで、リンク。

https://www.youtube.com/watch?v=E2qh6A_ytDo&list=PLODx9ykwmhxTyHW3W2xy10N7nw0a_wngF

そーそー、この曲さあ、ボーカルのマーチン氏と、鈴木聖美女史で、Aメロのそれぞれのカラミの部分で所々歌詞が違うんだよね。

例えば
 ♪ 聖美 「あの娘は?」
   マーチン 「別れた」
   聖美 「ホント?」
   マーチン+聖美 「本当さ」(マーチン) 
「うそでしょDarlin'」(聖美)  

の最後の「マーチン+聖美」のところ、同じフレーズで同時ユニゾンとしてに違う歌詞で入ってくるんで、実際聴いてると、歌詞がズレてるように聴こえたりしてね。

最初、あれ? これ、どっちかが歌詞間違ってるよ・・・っなんて思ったんだけど、これが正しいんだよね。

まあ、男と女での感じ方の違いを歌詞にするとこうなる・・・って事を表現するとこういうすれ違いになるって事を言いたいんだと思うし、それがこの曲の面白さであり、キモなんだろうな。

たださ、歌詞の仕掛けとしては面白かったし鈴木聖美氏の参加で話題になったこの曲だけど、大ヒットまでには至りませんでしたねぇ。オリコン28位とベスト20にも入らなかったからなぁ。

まあ、もともとアルバム曲からのカットっていうシングルとしては臨発だった事もあるかもしれない。

でもいずれにしても、この曲の後、シャネルズとして半年間の活動休止と、「ラッツ&スター」へのアーティスト名変更となって行く訳なんですけど。。。



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Woman / フランク永井

1982_09_Woman_フランク永井


今回の1曲セレクトは、「Woman」フランク永井です。

まずはデータです。

・タイトル     Woman
・アーティスト   フランク 永井
・作詞       山下達郎
・作曲       山下達郎
・編曲       山下達郎 乾裕樹
・リリース日   1982年6月21日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 33位
・売上げ枚数 8.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 32位

ここ暫く、ストレートなヒットストリームな曲から外れているような感じの1曲セレクトですが、今回も、そう言う意味では「変化球」と言うような曲なのかなぁ。

フランク永井「Woman」。

フランク永井さん・・・なんて書くと、もしかするとワタシと同世代、あるいは、少しの上の世代でも名前を見ただけで、(ブログ)ページを素通りされてしまいそうな感じがしますが・・・。

そうだよねぇ、ワタシらの世代としては、フランク永井氏といったら、「歌謡曲界」の大御所というような存在だったわけで、いわいるヒット曲のメインストリームである「ロック・ポップス」のヒトでは決してない・・・って言う認識が強いからなぁ。

子供の頃に、よくテレビで歌っていた「おまえに」とかさあ。。。 少なくとも、子供が聴くような「歌手」ではないって言うところが強かったですよね。
 もちろん、ワタシ自身も、オヤジとかオフクロが、飲み屋のカラオケで歌っていたような・・・っていう認識が強くてね、興味なんてなかったんですが・・・。

じゃ、なんで、1曲セレクトで引っ張ってきてるの?

・・・って事になりそうなんたけども・・・。 今回セレクトしてきた「Woman」って曲、これが素晴らしいんだよね。

プロデュースが、なんと山下達郎氏。

フランク永井氏と山下達郎・・・・。どう考えても結びつかない組み合わせ。 まあ、一種の異種格闘戦のような感じもするんだけども、普段混じり合わないような組み合わせだからこそ、時に素晴らしい出来になる事がある。
そのお手本のような曲じゃないのかなぁ。

まあ、火が無い所に煙は立たず・・・ということで、山下達郎氏は子供の頃からフランク永井氏には興味があったようなんですけどね。

 フランク永井氏は、↑で書いたようにこの曲の近辺こそ、歌謡曲に特化した曲ばかりを歌っていた訳だけど、名前から分かるように、元はジャズから入ってきていたわけで、最初から歌謡曲から出てきたヒトじゃないんだよね。もちろん、50年代から60年代にかけては、当時のポップス調の曲も歌っていた訳で。

そんなこともあり、歌謡曲調ばかり歌っていたフランク永井氏に、達郎氏はある種の不満があったようなんだよね。
 
自分だったら、本来のフランク永井を引き出す事が出来る。

そう言う信念でプロデュースした曲が、この「Woman」。

そう言うだけあって、この曲は完全なポップスだもんなぁ。 ま、ポップスといっても、当時の聖子やまっち先生の様なポップスとは違うけどさ。
 なんていうの、きらびやかなエンターテイメントの頂点と言いますか、フランク・シナトラが一世を風靡していた頃のような匂いがする様なポップス。
 そそそ、だからこそ和製シナトラと呼び名が高い、フランク永井氏が本当の意味で輝くような1曲と言いますかね。

ま、チャート成績こそ、オリコンで最高33位・・・と大ヒットと言うところまでは行かなかったけど、それでも77年の「おまえに」以来、5年ぶりに「左ページ」にランクインされ、スマッシュヒットを記録。

同時に、達郎氏のこの「仕事」については、当時も評価が高かったですよね。

でも個人的には当時は、この曲聴いてなかったんだよなぁ。 
曲自体は知ってた。なにせマスコミ的に評価が高かったし、なにより、明星付録の「Young Song」の新曲評で、あの「辛口」の近田春夫氏がベタ褒めしてたからなぁ。 だから曲の存在は知ってたんだよね。

それでも、やっぱり、フランク永井氏⇒オヤジ、オフクロ世代のヒト・・・っていう意識が強くてねぇ、曲を聴くまでは踏み込めなかったんだよな。

実際に曲を聴いたのは・・・いつだったかなぁ  オトナになってからですね。

なんかね、どこかでずっと引っかかってはいたんだよね。 きっかけは忘れちゃったけど、なんかのきっかけで、レコードを中古屋で購入して聴いてみたんだよね。

地団駄を踏んだよなぁ。 なんで、リリース当時に聴かなかったのかってさあ。
最近、「本当」のエンターテイメント性あふれる曲ってとんと見かけなくなったけど、これこそ「エンターテイメント」といえる曲なんだよなぁ。
 それでいて、リリースされた1982年の匂いもしっかりしてたりしてさ。そそそ、根っこの所はフランク・シナトラって言う感じなんだけど、それでもしっかりリリースされた時代性は踏まえているんだよね。



昔、牧伸二氏が、例の♪あ〜やんなっちゃった〜♪で、♪フランク永井は低音が魅力〜♪ってうたってけど、この曲でもご多分にもれず、 ♪ム〜〜 ♪っていう低音の魅力を入れている辺りは、達郎氏のサービス精神でしょうかねぇ

ちなみに、この曲のバッキングミュージシャン
Guitar、Glocken、Tubular Bell、Percussion & Background Vocal : 山下 達郎
Drums : 青山 純
Bass : 伊藤 広規
Guitar : 松木 恒秀
Keyboards : 清水 信之
Percussion : 浜口 茂外也
Tenor Sax Solo : 井上 大輔
Background Vocal : 山川 恵津子、鳴海 寛
Trumpet : 数原 晋、小林 正弘
Trombone : 向井 滋春、粉川 忠範
Tenor Sax : 村岡 健
Bariton Sax : 砂原 俊三
Strings : 多 忠明グループ

えー、他の方のブログから拝借してしまいましたが・・・・

基本、当時の達郎氏ではお馴染みのバックミュージシャンで固められていたりするけど、いずれも一流のスタジオミュージシャンで構成されてますよね。
やっぱり良い音楽には、いいミュージシャンなんだよね。

ちなみに、この曲、未だに評価が高いのか、最近もブログでレビューを書いている方、多いですね。
やはり達郎人気なんでしょうかねぇ、それとも、この曲を歌っているフランク永井氏自体の評価が高いんでしょうかねぇ。 いずれにしても未だに人気が高い様です。


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夏の雫 / 三田寛子

1982_07_夏の雫_三田寛子


今回の1曲セレクトは、「夏の雫」三田寛子です。

まずはデータです。

・タイトル     夏の雫
・アーティスト   三田寛子
・作詞       阿木耀子
・作曲       井上陽水
・編曲       坂本龍一
・リリース日    1982年7月7日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 28位
・売上げ枚数   6.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 25位

 昨日に引き続き、またまた変な時間に書いてる1曲セレクトどぇす。。。 なんかこの先 土日はこんな感じで「早朝」に書くのが日課になりそうな予感がするけど。。。。
 通常は夜、眠い頭の中書くんだけども、時間的な余裕があれば朝書いた方が頭もシャキッとしてるんで書きやすいって事もありますけどね。

さてさて、ここんところ、全体的にアイドルに偏ってるよなっていうのは否めないんだけども、そう言っておいて、今回も「アイドル」です。

三田寛子「夏の雫」

1曲セレクトもたまにヘンな曲を持ってきたくなるんだけど、この曲もそんな「ヘン」な曲に入るような曲ですかねぇ。
 リリースは、1982年7月。 この年の3月に以前書いた「駆けてきた処女」でデビューした三田寛子さんのデビュー第2弾シングル。
つまりは「花の82年組」というわけなんですが、この曲が今一つパッとしなかったんだよなぁ。

以前も書いたように、このヒト、デヒュー時は、数多くいた82年デビュー組の中でも、期待度も実績も、松本伊代に続く二番手だったんだよね。まあ、今考えると「意外」かもしれないけど・・・。
 そそそ同じ日にデビューしたキョンキョンよりも堀ちえみよりも「上」だったんですよ。

でも・・・・。 この曲で早くも躓いちゃいましたね。。。

デビュー時、三田寛子よりも「下」と見られていた、キョンキョンも堀ちえみも、夏にリリースした第2弾シングルは、軒並みデビュー曲を上回り、「人気」と言う点でもこの時点では完全に、三田寛子さんを抜いちゃってましたもんね。
 
なぜ、伸び悩んだかと言えば・・・・うーん、やっぱり、このヒトが本来持ってたキャラクターとのギャップがあったんじゃないのかなぁ・・・なんて思ったりして。
 このヒト、パッと見のルックスが今一つ「華やか」じゃなかったぢゃない どちらかと言えば陰がある顔立ちだったし・・・。そのあたりからなのか、この曲のジャケ写のように。少し大人っぽい「妖艶」なイメージに持って行ってしまった・・・というのが、ギャップの始まりだったかもしれないな。

少し陰がある・・・って言うイメージから山口百恵アゲイン・・・な雰囲気になってしまった感もあるし。
まあ、その辺は、当時三田寛子のディレクターだった酒井政利氏のイメージだったのかもしれないけど・・・。
デビュー曲に続き、この曲でも、作詞が阿木耀子女史を起用したのもその表れかもしれないけどね。

だからね、後年、「笑っていいとも」で見せてたような、おとぼけ「天然キャラ」っていうのを、この当時から作り手が見抜けていていれば、もう少し違った展開になっていたかもしれないな。

ところでさ、この曲で、まず目が行ってしまうのが作家陣だよなぁ。

・作詞 阿木耀子
・作曲 井上陽水
・編曲 坂本龍一

超豪華・・・というまえに、うわっ、めちやくちゃ濃いメンバーやん・・・・ って言うのが先に立ってしまったりして 
 作詞 阿木耀子、作曲 井上陽水っていうのは、前曲「駆けてきた乙女」がそこそこ成功したんで引き続き・・・って言うのはわかるんだけども、なぜにアレンジが坂本教授やねん ・・・って感じで。
超濃いメンバーでしたよね。 

でもね、実際に濃い曲なんですわこれが。  

デビュー曲「駆けてきた処女」は、作詞、阿木耀子、作曲 井上陽水・・・にしては、わりかし「まとも」なイメージで、このヒトたちの個性が、今一つ感じられなかったんだけども、この曲では、それぞれの個性が弾けちゃってる・・・というか・・・。 ま、良く言えば・・・・と言うところなんだけども。

特に、井上陽水氏のメロディね。当時としては、まあ、難解なメロディなんだよな。

出だしは、まともなありがちなサビ。 ・・・かと思ったら、いきなりぶっ飛んだようなコミカルなAメロ。 かと、おもったら、サビの続きか・・・と思わせるまともなBメロ。 ・・・かと思ったら、少しトーンダウンしたようなCメロ。

一体、どんだけ展開が変わるのよ・・・。くらい目まぐるしく変わる展開。
うん、この曲のレビューを書いてる他のブログを読むと、この展開の変化を「転調」って書いてるヒトがいたけど、転調ではないんだよね、キーは、ずっとCmのままなんで。あくまで展開が目まぐるしく変化してるって事なんですわ。

井上陽水氏は、この曲とほぼ同時に、自身のシングル「リバーサイドホテル」をリリースしてるけど、この曲も精神分裂気味な難解な曲だったじゃん。 なんかね、そんな精神分裂気味な難解なメロディをそのまま、この曲にも持ちこんじゃってた・・・ような感じも受けてさ。。。

それに輪をかけてアレンジがね。 デビュー曲の「駆けてきた処女」はアレンジが萩田光雄氏っていうプロのアレンジャーだったこともあり、井上陽水氏のクセあるメロディを上手く調和していたところあったんだけども、この曲は坂本教授でしたからねぇ。
 調和どころか、井上氏のクセのあるメロディに負けてたまるか・・とばかり、これまたクセのあるアレンジに仕上げてたりして。。。
 ま、通常、これだけ展開が激しいメロディの場合、イメージがとっちらかり気味になるんだけど、シングルとしてそれなりにまとめてあるのは、流石は教授・・・なんても思う。

・・・・かと思えば、阿木女史の歌詞。Aメロ、Bメロは直接的な関連がなさそうでいて、共に自分と彼との事・・・ってのは分かるんだけども、Cメロで、それまで全く出てこなかったKumi and Rumi なんて「謎」の女性がいきなり登場したりして ぶっ飛んでるよなぁ・・・。
(いずれもイニシャルを外すと 「umi」⇒「海」となって、次の歌詞にある「海の少女」に掛ってるんだよね。って最近知ったんだけど。。。

・・・ってな具合で、三者三様、持ち味を存分に発揮した曲ではあるけど、「歌謡曲完全攻略ガイド」でもレビューされているように、濃すぎる牛乳は、逆に飲みづらい・・・ということで、売り上げも伸び悩んだんじゃないのかなぁ・・・なんて思う訳ですわね。

ただね、それは当時思ったことであり、そういうシガラミは一切なんにも考えずに、今、この曲を聴くと、 それはそれで面白い曲ではあったかも・・・なんて再認識されてくるような曲ではありますけどね。


そういえば、この曲もデビュー曲に引き続きいて「カルピスソーダ」のCM曲・・・だったような気がするんだけどな。。
そう思って、ネットで調べてみたけど、今一つ確証が出てこないんだよね。なんで割愛しました。


・・・ということで、実際の曲を紹介したかったんだけども。。。
うーん、この曲の動画はようつべに落ちてないなぁ。。。。

・・・かと思ったら、一応ニコ動にあった。。。。
↓コレ


ちなみに、この曲の次の曲は、「色づく街」っていう南沙織さんのカバーだったんだけども、個人的には、この曲、好きだったんだよね。
今は、オリジナルの南沙織さんバージョンを知ってしまったんで、ヘタだな・・・なんて思っちゃうけど、当時は知らなかったんでね。
筒美京平氏の色っぽいメロディがセクシーなんだよね。



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聖・少女 / 西城秀樹

1982_07_聖・少女_西城秀樹


今回の1曲セレクトは、「聖・少女」西城秀樹です。

まずはデータでする。

・タイトル     聖・少女
・アーティスト   西城秀樹
・作詞       松本隆
・作曲       吉田拓郎
・編曲       瀬尾一三
・リリース日    1982年6月21日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数  17.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1982年7月12日〜19日、8月9日付

今日は雨降りの1日だったなぁ。今年は雨が少ない関東地方な訳で、1日中雨が降ってた土曜日っていうのも久しぶりって感じだったよなぁ。しかも肌寒い1日で・・・。まあ、梅雨っちゃ、梅雨らしい1日だったんかな。
 こう、1日どんよりとした薄暗く肌寒い梅雨の7月・・・というと、福島の田舎から千葉に出てきた時の事を思い出す。

あれ? 今日って7月9日だったっけ  そうか、気が付かないうちに35年目に突入したんだよな、福島から千葉に出て来て。。。 あれは、確か昭和57年(1982年)7月6日だったはず。
 やっぱり、今日のような「どん曇り」な1日だったよなぁ、雨は降ってなかったけど。

・・・とは言っても、まあ千葉に居る期間の方が、福島に居た頃よりも、すでに3倍近くなっちゃった私なんで、いまやすっかり千葉県民なんですが。。。。。


・・・・というわけで、今回は、ワタシが福島から千葉に出てきた頃にヒットしてた曲を持って来ますか。

西城秀樹「聖・少女」。

うわっ、「知らないわ、こんな曲」・・・なんて言う方の方が多いよな、きっと。。。

まあ、そんな今となっては、完全に死角に入ってしまっているような曲ですわな。でも、これでもれっきとしたオリコンベストテンランクイン曲だったりするんだけどね

↑で、34年前の今頃ヒットしてた・・・って書いたんだけども、正確には7月第3週目・・・だから、今年で言えば週明けの週にベストテン入りして来たって感じだったんだけどさ。

当時、個人的にヒット曲の情報を仕入れてたのは、ラジオしかなくてさあ。
福島から千葉に出て来て、一番嬉しかったのは、ラジオで東京キー局の音楽番組が1日中聴けるようになったことかなぁ。
福島に居た頃も、一応電波は届いてたんだけども、昼間は電波障害が酷くて、ほとんど聴こえなかったんだよね。夜、電波障害がやや改善される時間帯に、それでも雑音越しで聴いてたのが精いっぱいでさ。

そんな中、真っ先に確認したかった曲の一つが、実は、この「聖・少女」だったんだよなぁ。

・・・・・というのもね、月刊「明星」の付録の歌本には、6月発売の1982年8月号には、この曲、新曲として掲載されていたから、新曲としての情報は知ってたんだよね。

でさあ、気になったのが、この曲の作家が、 作詞 松本隆、作曲 吉田拓郎、編曲 瀬尾一三・・・っておおよそそれまでの秀樹の曲ではなかったような組み合わせだったじゃん。

まあ、作曲の吉田拓郎氏と、アレンジャーの瀬尾一三氏と組み合わせは、それまでも吉田拓郎氏自身の曲で、コンビを組んでいた訳で、珍しい訳じゃないけどさ、 そこに、作詞の松本隆氏が絡んできて・・・・。

しかもタイトルが「聖・少女」でしょ。

どうもねぇ、「聖・少女」っていうタイトルと吉田拓郎氏っていうのが、想像できなかったんだよな

この曲のちょっと前に吉田拓郎氏がリリースした曲が「唇をかみしめて」でさあ。。。
そそそ、♪ええかげんなやつじゃけ〜 ♪ってあの全編「広島弁」で歌っていた、男臭〜い曲ですわ。
それがあったもんだから、余計「聖・少女」って言うタイトルの曲が想像できなくてさあ・・・

時に秀樹も、出身は広島だったし、やっぱり、「唇をかみしめて」のような。タイトルとはミスマッチな男臭いメロディなのかねぇ・・・なんて思ったりして。。。

だからね、ラジオのベストテン番組で、この曲がかかるのを期待してたわけですわ。

で、千葉に越してきて、翌週のベストテン番組ですわ。確か文化放送の「全日本歌謡選抜」だったと思う。
雑音が全く入らないクリアな音で「歌謡選抜」が聴けるようになったのが嬉しくてさ。
期待通り、この曲がかかって聴いてみたら・・・・・

あ〜ら、予想してた様な雰囲気とは、ぜーんぜんちがう、軽いタッチのポップスじゃないですか。

・・・というかね、メロディを辿って行くだけでは、吉田拓郎氏の匂いを全く感じない。

それまで拓郎氏が、他のヒトに提供した曲、例えば、キャンディーズの「やさしい悪魔」にしても、森進一氏の「襟裳岬」にしても拓郎氏の匂いは感じた訳じゃないですか。

でも、この曲はそういう匂いを感じさせないんですよね。


なるほど、それはそれで凄いな・・・と思うと度もに、ちょっと期待外れ・・・だった部分もあったりね。

当初予想していたような、男臭い「聖・少女」ってところが無かったんでさ・・・。

特に、サビの ♪ Say it〜〜 少女 ♪ って部分、実は、明星の新曲情報で掲載されていた楽譜で、あそこが一番気になっていたんだよね。
 これ、男臭い曲だったら、どう歌ってんだろ とかさ

でも、実際は、軽く歌ってたじゃん。 瀬尾氏が、ここまでポップに仕上げたアレンジってのも、それまでは聴いた事無かったんだけどさ。やっぱりフォーク、ニューミュージック畑のヒトですからね。
だから、なんか拍子抜け・・・っていうのも否めなかったんだけどさ。でも、やっぱり吉田拓郎氏の臭いは感じなかったなぁ。

 一体、吉田拓郎氏は、一体どういう感じでこの曲書いたんだろう とかさ、逆に謎が深くなっちゃりして。。。


・・・なんて思ってたら、ようつべに、アルフィーの坂崎氏との「オールナイトニッポンゴールド」で、この曲について語ってた時の模様が落ちてたね

↓ コレ


ぷぷぷ、余計な話だけで、曲についてはほとんど言及してないワwwww
でも、冒頭、アコギでこの曲を演ってるけど、アコギでやると、なんか急にフォークソング・・・否、拓郎節っぽく聴こえますね、やっぱり。。。

坂崎氏とのバカ話を聴いてると、この曲、それほど深く考えて書いてなかったような。。。


・・・ということで、本家、秀樹で曲をひとつ。。。






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スローモーション / 中森明菜

1982_06_スローモーション_中森明菜


今回の1曲セレクトは、「スローモーション」中森明菜です。

まずはデータです。

・タイトル    スローモーション
・アーティスト  中森明菜
・作詞      来生えつこ
・作曲      来生たかお
・編曲      船山基紀
・リリース日   1982年5月1日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 30位
・売上げ枚数 17.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 28位

どうなんだろう? 今回セレクトしてきた曲も「なんで今まで書いてなかったんだろう?」っていう部類に入るのかなぁ。。。。

はい、今回セレクトしてきた曲は、中森明菜のデビュー曲、「スローモーション」ですわ。

そうだよなぁ、この位の曲になるとすでに書いていても全然おかしくなかったんだけどね。
いや、実は、昨年の今頃も、一瞬、書こうと思い立ったんだけども、昨年は、mixi時代に書いたものの「焼き直し」がメインで、中森明菜の他の曲も頻繁に出してたんでさあ、1年間待ってた・・・って言うのもあるんだよね。
で、いつ書くか、いつ書くか・・・なんて最近ジリジリしてたんだけど、そろそろ書いても良いよね・・・ってことで
ま、その前にmixi時代に書いとけよ・・・って感じもするんだけど。。。

今となっては、有名・・というか、当時を知る方は、ほとんどの方は知ってらっしゃるだろう、この曲だけど、そうは言ってもオリコン最高30位でしたらねぇ、やっぱり、次の「少女A」に比べると、やや格が落ちるかな・・・っていう気もしちゃうんだよね。
 
 ・・というか、オリコン最高30位っていうのも、今となっては信じられないんだけどさ。なんせ、30位までしか行かなくても売り上げは17.5万枚も行ってますからねぇ。
 それだけ、チャートに長くランクインしてたったて訳なんだけども、オリコンベスト100には、39週ランクイン。もちろん、これは、明菜の楽曲の中では最長ランクインとなる訳なんだけどね。

 「花の82年組」と言われた、昭和57年デビューの明菜だけど、なにせデビュー日が「5月1日」と他の82年組に比べると「後発」でしたからねぇ。
 どうしても「出遅れ」っという感じが当初は否めなかった訳で、チャートアクション的に言えば、最初はそれほどパッとしなかったんだよね。
初登場は、82年5月10日付で58位。 そこから「12週」もかかって、最高ランクの30位まで到達している。

通常アイドルのチャートアクションって、デビュー曲でも比較的早い段階で最高ランクを記録するもんなんだけどさ、12週もかけて最高ランクに到達するチャートアクションは、当時としても異例ともいえる動きだったよなぁ。

まあ、曲がね、アイドルらしからぬ・・・って言っちゃ失礼かもしれないけど、少なくとも他の82年組に比べると、全然大人っぽかったじゃん。だからね、、初めはアイドルと言うよりは、ニューミュージック的なアイドルなのかなぁ・・・なんていう印象もあったよなぁ。

 当時は、今では完全にニューミュージック系にカテゴリされるけど、アイドルっぽいヒトって割といたじゃん。杏里、竹内まりや、石川優子・・・とかさ。
 そんな部類のヒトなのかな・・・なんて言う印象が若干あってさ。 だって、曲が完全にニューミュージックって感じだったじゃん。 他のアイドルのコの曲に比べると大人だったよね。 
大体アイドルのデビュー曲というと、きゃぴきゃぴ感があったもんだけど、この曲は、そういうところが全然なかったしね。
それが、返って印象が地味に映ったのかもしれない。

正直、テレビに出ても、本当に最初の頃は印象に薄かったんだよね、明菜って。インパクトに薄いって言うかさ。

ちなみに、この頃、月刊「明星」で、82年デビュー組の各人が、事務所の先輩をおんぶするって言う企画があったんだけども、確か明菜は、当時同じ研音だった浅野ゆう子さんをおぶっていたのかな?
でもね、堀ちえみとか小泉今日子とかに比べると、確実に印象が薄かったもの。

だからね、ややもするとB級アイドルで終わるんじゃなかろうか・・・っていう感じもしたんだよね。

でも、分からないもんなんだよね、まさか第2弾が「少女A」で、あそこまでブレイクするとは、全く思えなかったしなぁ、最初は。

でも、ブレイクすると、あんなに地味に感じてた明菜がキラキラ「後光」が差したような印象を受けたし、と、共に途端に曲も良く聴こえてくるから不思議なもんでさ。 
うん、個人的に、この曲を改めてちゃんと聴く様になったは、「少女A」がブレイクした後だったんだよね。

だからか、個人的にはこの曲は、不思議と82年の今頃の匂いは感じ無い。むしろ、明菜を遡って聴いてた83年の頭頃の匂いを感じるんだよなぁ。



コレは83年頃の動画だけど、この頃は明菜ってホントに可愛かったよなぁ。ぽちゃぽちゃしててさ。
この後の「ホネカワ」だけの容姿になっちゃったのとは違って。やっぱし、人間痩せすぎるのも考えもんだよねぇ。
「スローモーション」だけじゃなく、「少女A」もついてるけど、おまけって事で。。。


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色つきの女でいてくれよ / ザ・タイガース

1982_04_色つきの女でいてくれよ_ザ・タイガース








今回の1曲セレクトは、「色つきの女でいてくれよ」ザ・タイガースです。

まずはデータです。

・タイトル     色つきの女でいてくれよ
・アーティスト   ザ・タイガース
・作詞       阿久悠
・作曲       森本太郎
・編曲       伊藤銀次
・リリース日        1982年2月5日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   42.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1982年3月29日〜5月17日付
・タイアップ:コーセー化粧品「82年春のキャンペーンソング」

今回は、今まで書かなきゃ書かなきゃ・・・と思いながらね、長い事ペンディングしてた曲ですねぇ。

ザ・タイガース「色つきの女でいてくれよ」。

この曲は1982年今頃のヒットなんだけども、ここのところ82年の曲を頻繁に書いてたからなぁ。ちょっと偏ってるなぁ・・・・と思いーの、だから、少し書くの待ってたんだよね。
 でも、このまま書かないでいると、ヒットの時期が過ぎちゃうよなぁ・・・と、この間、82年の曲(西城秀樹「南十字星」を書いたばっかなんだけど、ぴっぱって来ちゃいました。

まあ、ここ読んでくださってる方の多くは、すでにご存じの曲だと思いますが、71年に解散した、ザ・タイガースも解散10周年ということで、「再結成」されたときにリリースされた1曲ですわね。
 時に、コーセー化粧品の「キャンペーンソング」に使われた事もあって大ヒットでしたねぇ。それもあって改めてタイガースの人気の凄さを確認出来たって感じだったかなぁ。

 ワタシらの世代は、世代的に「G.Sブーム」の頃のタイガースって知らないからさ。なんせ生まれた頃の話なんでねぇ、観月ありさの曲じゃないけど、「ママの頃のラブソング」だった訳ですよ。

でも、10年過ぎても相変わらずの人気を保っているってことは、やっぱりG.Sの西の雄だったタイガースだったわけですわね。
・・・・って書くと、東の雄は? って事になるだろうけど、やっぱ、大宮出身のテンプターズになるんだろうな。

うん、テンプターズについては、また後日改めて書こうかと思いまする。

この「色つきの女でいてくれよ」は、曲も良かったですしね。分かりやすいメロディだし、キャッチーだし。
口悪く言えば「ウレセン」だった訳なんだけどさ。

でも、その辺りは予め計算していたようですけど。。、当時の、沢田研二氏のインタビューを読むと「皮算用通り」なんて発言もしてるしね。
 ただ、計算的にウレセン的にしたのは、やっぱ、再結成するからには、「昔の遺産」だけでの再結成ではなく、新たに82年当時のヒット曲を出したい・っていう願望もあったようで、だから、皮算用通りでも、このヒットはメンバーにとっても嬉しかったようですね。 

G.Sといえば、この当時、81年、82年当たりに再結成って言うグループが意外と多かったんですよね。
81年に、ワイルドワンズ、ザ・ジャガーズが再結成してたしね。
 おりしも、60年代末期〜70年代初頭にかけての、G.Sブームから、丁度10年っていう「区切り」もあったし、なにより81年に、有楽町にあった「日劇」が閉館ということで、G.Sブーム当時、各グループにとっての最大のライブの場だった、「ウェスタン・カーニバル」も終焉。。。
・・・なんいう区切りの中で、かつてのG.Sの再結成って言う流れが出てきてたんですよね。

ま、タイガースの再結成って言う流れは、そんな流れの最大の「見せ場」でもあったようですが、直接的には、81年1月の最後の「ウェスタン・カーニバル」が引き金になっていたようですね。

ただ、この時の再結成時には、ドラムの「瞳みのる」氏は参加せず(慶応大付属女子高校の古文の教師をやられてたんですよね)、代わりに、ベースの岸辺一徳氏の実弟の岸辺シロー氏が参加してたわけなんだけどさ。
 だから、この時の再結成は、「不完全」再結成と捉える向きもあったなぁ。 瞳みのる氏って、ジュリーと並んで人気があったようですからね。

そんな瞳みのる氏は、停年を迎えるまで教師一筋で、芸能活動からは一切手を引いていた訳だけども、定年後の、タイガース再結成の時には、何十年ぶりかでドラムとして参加してましたねぇ。
 この時の「再結成」の時は、メンバー全員の年がねぇ・・・・  ちょこっと涙を誘ってしまった感じだけど。。。。

もし、今回セレクトしたきた「色つきの女でいてくれよ」の82年再結成時に、瞳みのる氏も参加してたら、さらにヒットしてたんじゃないのかなぁ・・・なんてのは感じたりするなぁ。
 この曲の売り上げは42万枚だったわけだけど、タイガース最大のヒットは、68年の「花の首飾り」の67.6万枚。
82年の再結成時に新たにファンになった方も多かったと思うんで、もしかすると「花の首飾り」に匹敵してたかもなぁ・・・なんても思ったりしてね。



 



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南十字星 / 西城秀樹

1982_04_南十字星_西城秀樹








今回の1曲セレクトは、「南十字星」西城秀樹です。

まずはデータです。

・タイトル    南十字星
・アーティスト  西城秀樹
・作詞      竜真知子
・作曲      水谷公生
・編曲      佐藤準
・リリース日   1982年3月25日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  22.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1982年4月19日〜5月10日付
・タイアップ:映画「南十字星」主題歌


新年度が始まって半月ほどが経ちましたねぇ。 今年新入学、新社会人になられた方々は、新しい環境に慣れましたでしょうかねぇ。
 ヒトによっては、新しい環境に順応するのが早い方もいらっしゃったりしますが、ワタシはどうも、その辺が苦手でねぇ、新しい環境に慣れるには、時間がかかるヒトなんだよね。

なんて考えてたら、そう言えば、新たな環境に慣れてなかった頃の曲を、今回は持ってこようか・・・と思の、今回はこの曲をセレクト。

西城秀樹「南十字星」

この曲は、1982年のちょうど「今頃」ヒットしてたんだけど、ワタシ的には、この時中学1年だったな。
中学生っていう新しい環境に慣れなくてねぇ、かなり戸惑ってた頃の曲ですわ。

この曲を聴くと、あの時の「戸惑い」っていうのかなぁ、かんな地に足がついてなかったような頃を思い出んだよな。
 そういえば、新しく友達になったばかりのやつと、山の上の公園に遊びに行った帰り、その友達が下り急斜面で自転車のハンドルを取られて転倒、頭に数針縫うけがをしたっけ・・・とかさ。
なんか、そんなマイナスな事が、この曲を聴くと思いだされたりするんだよなぁ。

まあ、それも、この曲自体、淋しい曲だから・・・って事もあるのかなぁ。

この曲、映画「南十字星」っていう、戦争モノの映画の主題歌だったんだってねぇ。。。うーん、それは覚えてないなぁ。 たしかに、なんかのタイアップがついていたような気はしてたけど。。。
 
淋しい曲調ななのは、戦争映画っていうところから来ているようですね。

 ただ、かといって、ガチガチの戦争系の曲・・・と言う事もない。

 「ガチガチの戦争系」・・・なんてかいてもよく分かんないですよね。。

いや、あの頃はさあ、毎年終戦記念日近くなると、戦争モノの映画って毎年のように作られていたんだよね。
1980年は「二百三高地」、前年の1981年は「連合艦隊」、この年1982年は「大日本帝国」・・・なんて具合にさ。

で・・それぞれの主題歌が、さだまさし「防人の詩」、谷村新司「群青」、五木ひろし「契り」だったするんだけど、それぞれの曲をごぞんじなら、どんな感じかわかりますよね、「ガチガチの戦争系」の曲調って。
 文部省のお役人が泣いて喜ぶような・・・感じ・・・といったらいいでしょうか。

ま、そういう、ガチガチに真面目な曲調・・・と言う訳ではなく、程良くポップス系な味付けは残っているって感じですね。

それでも、前曲の「ジプシー」っていう激しい曲からすると、かなり落差があった訳で、最初は、ちょっと戸惑ったような気がするな。

あ、そうそう、その時の戸惑いが、中学生になったばかりの戸惑いとリンクしてたんだ、ワタシの場合。

ただ、それでも、この曲、売り上げは20万枚オーバーと、当時の秀樹としては80年12月の「眠れぬ夜」以来、1年数か月ぶりの20万枚越えだったりしたんだよなぁ。
 うむ、結構、支持はあったんだよね、この曲。 ただ、それ以来30数年、今の今まで20万枚オーバーの曲は出てないんで、実質これが最後の20万枚オーバー の曲って事になるのかな。

 ちなみに、この曲の途中で、デビュー以来の累積売り上げが、1000万枚を突破したんだよね。

今でこそ、オリコンも50年近くの歴史をかさねたんで、累積売り上げ1000万枚のアーティストも数多く出ているけど、当時はまだ、数少なくてね、 ピンク・レディー、森進一、山口百恵、沢田研二に続いて、オリコン史上5組目の1000万枚突破アーティストでしたね。

そんな記念の曲でもあったんだよな、この曲は。



この曲というと、なぜかバックが「カラオケ」って事が多かったんだけど、珍しく「生演奏」だったんで、
この動画をセレクト。



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とっておきの君 /竹本孝之

1982_04_とっておきの君_竹本孝之








今回の1曲セレクトは、「とっておきの君」竹本孝之です。

まずは、データですー。

・タイトル     とっておきの君
・アーティスト   竹本孝之
・作詞       小椋佳
・作曲       馬場孝幸
・編曲       鷺巣詩郎
・リリース日    1982年4月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位  31位
・売上げ枚数    8.6万枚
・タイアップ:日本テレビ系ドラマ「陽あたり良好!」主題歌

 えー、今回もアイドルに戻りまする。 ただね、アイドルと言っても、ここんところ続けて来ていた女性アイドルではなく、久しぶりに「男性アイドル」に行ってみますかね。

 竹本孝之 「とっておきの君」

なっつかしいなぁ・・・って言う方と、全然知らないや・・・って方と二分されちゃいますかねぇ。

この曲は1982年4月1日リリース。 丁度、ワタシが中1になった時リリースの曲ですわ。

 ま、そんな事はどうでもいいか。。。

日本テレビで、当時、日曜20時から放送していた、「陽あたり良好!」っていうドラマの主題歌。

これまた、わあ、なっっかしいなぁ・・・って言う方と、全然知らないや・・・って方と二分されますかねぇ。
一応、原作は、80年初頭に「週刊少女コミック」に連載されていた、あだち充先生のマンガなんだけどね。

そそそ、その後の、「みゆき」、「タッチ」に続く、青春学園物の実写化ドラマですね。
 
でも、ワタシん中では、かなりマイナーなドラマの一つかなって、ずっと思ってたんだけどね。
 だってさ、放送が日曜日の20時〜21時。当時は、NHK大河ドラマとフジテレビ「家族対抗歌合戦」が強かったわけで・・・。
 たしかに、日テレ、日曜20時枠は、その昔から「青春ドラマ」を延々と放送し続けてきた、「由緒」ある時間枠だったんだけど、それにつけても、この当時の視聴率は散々だったかんね。
 だから、このドラマにしても知ってるヒトってすくねーよなー・・・と思ってたんだけど・・・、

 BUT、結構みなさん、知ってるんですよねー。

 まあ、再放送も何回もしてたからなぁ。 ・・・・とかいてるワタシも、本放送は見てなかったんだけどね・・・。

 当時は、我が家にはテレビ1台しかなかったし、あの時間帯はオヤジが「大河ドラマ」見てたからなぁ。
 
 主演が竹本孝之、相手役が伊藤さやか でしたねぇ。
ドラマが、マイナーだったからさ、だから、この主題歌もマイナーだよなぁ。なんせ、オリコン最高31位だからさ。

 でも、意外とこの曲みんな知ってんだよな〜。カラオケの隠し玉にはサイコーですよ。


 まあ、昔、松村邦洋が、ネタとしてかなりやってたからな〜。

 曲の方は、ほぼ完全な「アイドル青春歌謡」でしたよね。
やっぱ、出だしの部分が印象に残るのかな。

♪ とっておきの春をつれてきたよ君に そよ風を駆け抜ける華やいだ君を〜 ♪

さすがに小椋佳さんですよね、何気ない言葉遣いだけどダサクない、当時の普通のアイドル歌謡よりは、1ランク上の雰囲気が漂いますね。

日テレの青春物、小椋佳・・・というと、中村雅俊の「俺たちの旅」を想像しちゃう方も多いと思うけど、この曲なんかは、そんな路線を狙ったんでしょうかねぇ。(曲は全然違うけど。。。)

メロディもとっても素直。ほとんど、「仕掛け」とか特徴がないのが、「特徴」っていうかね。まあ、ほとんどドラマの主題歌用って分かりきって作られた曲って感じがしないでもない。 
 いや、だから、逆に「からおけ」にはいいんだよね。歌いやすいしさ。キーは高くないしさ。それでいて、だいたい、みなさん知ってるしさ、オススメですよ。

 あ、みなさん知ってる・・・っていっても、ワタシと同じ年代では、ということです

 竹本孝之は、この前の年の1981年デビュー。でもさ、この年って、まっちが飛び抜けてたからなぁ、人気は。
 だから、そのほかの「男性アイドル」は、全然目立たなかったんだよね。このヒトにしろ、堤大二郎にしろ。。。
 あ、あと、アイドルではないけど、山川豊もいたな。

 このヒトたち、当時の「音楽祭」の新人賞部門では、いつも顔をあわせてたのに、ぜんぜん目立たなかったという・・・。

 BUT、あれから34年たったいまでも、竹本孝之は、現役の俳優ですねぇ。ちなみに俳優、堤大二郎も俳優で活躍、山川豊は、中堅の演歌歌手と、みなさんしっかり残ってるんだよね。
 ・・ということは、今思うと、レベルは結構高かったんだよね。1981年の新人も。
 如何せん、「まっち」が強すぎたってことなんだけど・・。 (っつうか、当時は、男性アイドルということだけで、ジャニーズからの圧力がすごかったらしいが。。。。)


 あ、最初に日本テレビ、日曜20時〜21時枠は、伝統的に「青春ドラマ」枠って書いたけど、それも、この「陽だまり良好」で終了。やっぱし、視聴率取れなかったんだろうねぇ。
 このドラマのあと番組に、「久米宏のTVスクランブル」っちゅう、情報番組がスタートしました。
 これは、ワタシも見てたな。。  ハイ。
久米宏と故 横山やすしっていう、異色の掛け合いが面白かったんだよね。





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