かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1980年

酒場でDABADA / 沢田研二

1980_11_酒場でDABADA_沢田研二

今回の1曲セレクトは、「酒場でDABADA」沢田研二です。

まずはデータです。

・タイトル     酒場でDABADA
・アーティスト   沢田研二
・作詞       阿久悠
・作曲       鈴木キサブロー
・編曲       沢健一
・リリース日    1980年9月21日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数   14.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1980年11月3日付

一気に寒くなりましたね。
寒くなって来ると、「あー、年末も近くなってきたよなぁ」・・・なんてシミジミと感じてしまうワタシだったりしますが。。。
 でもねぇ、ここ何年も、この時期なると「音楽祭」だよなぁ・・・っていう感覚はすっかり無くなりましたねぇ。
昔はさあ、11月ともなると、各局こぞって「音楽祭」を開催してたじゃん。大晦日の「レコード大賞」を筆頭に、「歌謡大賞」だぁ、「FNS音楽祭」だぁ、「有線放送大賞」だぁ、なんだぁ、かんだぁ・・・とさ、各テレビ局とタイアップして。
だからさ、この時期ともなると、毎週、どこかしらの局で「音楽祭」の特番をやってしましたよね。

かく言う、ワタシも一時は、毎週毎週、ほとんど全部の音楽祭を見てた事があるなぁ。
で、そんな「熱」が上がっていたのが、1980年前後じゃ無かったかな・・・振り返ると、そう思うな。 

今思うと「アホらし・・・」とか思ったりもするんだけど、当時は、それだけ「エネルギー」があったんだよな、ワタシも。

ま、実際、1980年はいわいる「五・八戦争」とか言われて、各音楽祭で五木ひろしと八代亜紀との熾烈な大賞争いを繰り広げてたしな。加えて松田聖子、田原俊彦を筆頭に新人も勢いがあったんで、歌謡祭としての賞レースも見てて面白かったんだよね。

今回は、そんな1980年の各賞レースで歌ってた、ジュリーのこの曲をセレクト!

「酒場でDABADA」

・・・っつかさ、正直言ってこの年のジュリーの賞レースは、この曲だったのか・・・っていうのは、今思うと不思議だったんだよなぁ。
どう考えても、この年のジュリーっていったら、「TOKIO」の筈だったんだけど・・・。

まあ、この時点で最新曲だったから・・・って事なんだろうけど。。 

ただね、音楽祭向きの曲だったか・・・っちゅうと、ちょっと頭をひねりたくなるんだよな。

悪い曲ではないんだけど、ちょっと難しい・・というかひねり過ぎているっていうか・・・。 まあ、簡単に言えば、ソングフェスティバル向けの、誰が聴いても分かりやすい曲・・・では無いって感じだったんだよな。

当時、小学5年生で、何でもかんでも手当たりしだいに聴いて、聴いたそばから吸収して行ってたワタシも、この曲は、正直分かりにくかった。

ジュリーっていうと、キザ、モテ男、奇想天外(なファッション)・・・っていうところが真っ先に頭に来てた訳でさ。

この年にしても、件の「TOKIO」では、例の「電飾衣装」に落下傘背負って来てたり、この曲の前の「恋のバッド・チューニング」では、色が変わるカラーコンタクトしてきてたり、70年代にもまして奇想天外というかね奇抜なフッションを前面に、表に出て来てましたよね。

この曲では、そう言った、奇想天外なところも、エンターテイメント的なモテ男っていうのも見られなかった。

楽曲的にも、「勝手しやがれ」や「サムライ」、「LOVE(抱きしめたい)」で大ヒットを飛ばしていた頃に比べても、スケール感を感じ無くなって来ていたし・・・。

そう言うところから、なんで、この曲をわざわざ「音楽祭」に持ってきたんだろ・・・って言う疑問は、まだ11才のクソガキだったワタシも感じてたんだよね。


でもやっぱその辺りは、一般的にも感じられていたのかなぁ、オリコンではベストテン入り出来なかったし、売り上げも14万そこそこ。奇しくもこの曲のちょうど1年前にリリースされた「ロンリーウルフ」と同じように「低迷」しちゃったんだよなぁ。

ま、「ロンリ―ウルフ」とちがったのは、この曲では「ザ・ベストテン」ではベストテン入りしたし、上記のように各音楽祭で毎週のように流れていたんで、「ロンリーウルフ」よりは一般的な認知があったことだったろうね。

個人的にも「分かりにくい曲」だなぁ・・・と思いながらも、毎週のように聴いてたら流石に覚えちゃったし、80年秋のジュリーといったら、この曲って言うイメージはしっかり付いちゃったしね。




上で書いたように、前曲まで見られていた奇想天外なエンターテイメント性が無かったこの曲だったから、ついにそろそろ「ネタ」切れだったのかなぁ・・・なんても思えたりもしたんだよね。
いや、当時は、圧倒的にそう感じてた。

まあ、阿久悠氏の詞は別にしても、そもそも作曲者に鈴木キサブロー氏を持ってきたっていうのもちょっと意味が分かんなかったし。。。
ましてや、アレンジャーの沢健一氏ってダレ? って感じだったりもしたし・・・。

でね、今、これを書くに当たって、ちょっと調べてみた。 

沢健一氏、当時バックバンドの「Always」でリードギターをやられていた方だ。 そそそ、この「酒場でDABDA」のイントロでもラフで派手目なギターを披露していた方だ。 
でね、さらに辿って行くと、その昔、「4・9・1(フォーナインエース)」という「GS」のリードボーカルだったとのこと。

まあ、「4・9・1」といっても、これと言ったヒット曲も無いし、いわいるB級、C級のGSだったようだけど、沢氏の前は、ジョー山中氏がボーカルをやっていたと言う事だから、ヒットは無かったものの、いわいるクロウト受けするようなグループだったんじゃないかとは思う。

でも、それを知って、思わずなるほどぁ〜・・・なんて思えたなぁ。

 考えてみたら、この曲の後に、ジュリーも「G.S I LOVE YOU」なんてアルバムをリリースし、その先行として「おまえがパラダイス」なんて、もろ50'Sを意識した3連ロッカバラードをこの曲の次にシングルリリースしたりさ。

つねに「一等賞」狙いだったジュリーだったけど、ヒットどがえしでも、いわいる原点回帰って言う兆しがあったんだよね、この頃ジュリーには。 
まあ、これは次の年の年頭に閉鎖が決まってた、日劇での最後の「ウエスタンカーニバル」出演という布石でもあったんだけどさ。

そこに持って行くための「橋渡し」だったんじゃないのかなぁ、この曲は・・・なんて思えてきたりして。。。



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へにほんブログ村

来夢来人 / 小柳ルミ子

  1980_03_来夢来人_小柳ルミ子


今回の1曲セレクトは、「来夢来人」小柳ルミ子です。

まずはデータです。

・タイトル    来夢来人
・アーティスト  小柳ルミ子
・作詞      岡田冨美子
・作曲      筒美京平
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1980年1月25日
・発売元     SMS
・オリコン最高位 22位
・売上げ枚数 13.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 23位

東京地方も桜の開花宣言がでましたねぇ。とは言うモノの、ここ数日肌寒い日が続いていたりして桜が咲いたなんて実感は無いんですけどね。
実際、ソメイヨシノが咲いてるの、今年はまだ見てないし。。。 ま、ソメイヨシノよりも早く咲く、河津桜とか彼岸桜は、咲いてましたけどねぇ。

ところで、桜の季節になると、卒業とか、そのまま「桜」の唄が、巷には流れだしますな。

いやいや、最近は桜=卒業ってイメージなんだな。 昔・・・っちゅうか、ワタシがガキの頃は、桜っつったら、「入学式」のイメージでしたけどねぇ。
まあ、これに関しては先日、新聞にもここ50年で、桜の開花時期がこれだけ早まった・・・っちゅう特集をやってましたけどね。

だけんど、最近の「桜」の唄って、どうして、同じようなイメージなんでしょうかねぇ。しっとりとしたバラードで・・っていう「相場」がほとんど決まっちゃってるじゃん。

これってどうなのよ? ・・・なんて思ったりしてるわたしなんですが・・・。

昔は、もっとワクワクした曲が多かったような気がするけどなぁ、春って言うキーワードの曲はさあ。


今回は、そんな昔の「桜ソング」をひとつ。

小柳ルミ子 「来夢来人」

え? なんでこの曲が「桜ソング」なのよ? ・・・なんてクレームの一つも来そうな気もしないでもないけど。。。

でも、サビの部分で ♪ 桜の 吹雪を浴びて 汽車ははしる〜 ♪

ってあるじゃん。  桜ソングなのよ、この曲。

ま、リリースからして、1月25日と、これから春に向けて・・・っていう「春」を意識した曲でもあるしね。

しかしねぇ、この曲、オリコンでは22位までしか行かなかった曲なんだけどねぇ。 今から37年も前で、しかもオリコン最高22位の曲なんて、覚えてるヒト少ないよな・・・ なんて、タカをくくっていたりしたんだけども、ネット上みると、結構、この曲レビュってるヒト多いんだなぁ。

いや、誰も書いてないと思ったんで、持ってきちゃったりしたんだけどさ。  

これだけ、レビュってるヒトがいるんだったら、ワタシが書くまでも無いか・・・とかも思ったりもするけど・・・でも、まあいいか。

この曲がリリースされた頃、ワタシゃ10才。小学4年生でしたねぇ。
小学4年生にしては、マセた曲を聴いてたな・・・なんて自分でも思ったりするんだけど。。。

でもね、この曲なぜか、よく記憶に残ってるんだよな。
クイズ「ドレミファドン」でよく聴いたような気がするんだよな。それから、「ドリフ大爆笑」とか。。

ま、ともかく当時の「ナベプロ」制作番組にはよく出てたよね、この曲の頃。

とは言うモノの、いくらマセガキだったとは言っても、やっぱ引っかからなかった曲も多かったのも事実だしね、ひっかかったって言う事は、やっぱ、引っかかった要素があったんだろうな。

まずはイントロからして、よかったもんね。 この曲のアレンジャーは、萩田氏ですが、久保田早紀「異邦人」のすぐ後がこの曲だったりもして、やっぱ脂が乗り切ってる頃だったんだろうな。

ま、それ以上に、この曲、作曲が筒美京平氏なんだよな。 それまでの小柳ルミ子さんといったら、平尾昌晃氏の専売特許的なところがあった訳で、だから、筒美京平氏は、シングルタイトル曲としては、この曲が初めてなんだけど、さすがに筒美氏。
たしかに、ベースは歌謡曲らしく、少し「和」を感じるけど、それだけじゃないんだよな。
いや、小柳ルミ子さんって、デビュー曲の「わたしの城下町」から「和」を感じる「歌手」だったわけじゃん。でも、この曲は、単に「和」を感じるだけじゃないんだよな。
「和」を感じながら、どこかに「洋」を感じるって言うのかなぁ。 
例えば「どら焼き」みたいなさ。あんこが入ってんで和菓子なんだけど、小麦粉の皮で焼いてるのは洋菓子風なわけじゃん。 そんなイメージなんだよな、この曲。

メロディの流れとしては、筒美氏お得意の「Cメロ」入りの展開。 そそそ、曲の最後の方で、それまで出てこなかったメロディ展開

♪ しっかりしているつもりだけれど〜 ♪ っていうところですね。

そんな少し複雑なメロディ展開なんだけれど、そこが逆に印象に残ったりしてね。

いや、でも、これが筒美氏の持ち味なんだよね。 複雑なメロディ展開と言っても、同時期にリリースされた西城秀樹「悲しき友情」の一筆書き的なメロディ展開に比べたら、まだまだましだしね。

それと筒美氏といったら、それまでは「アイドル」中心って言うイメージが強かった訳だけど、この曲、当たり・・・79年〜80年初頭にかけては、この曲のような「アダルト」なヒトへの曲提供にシフトしていた感が強いんだよね。

ま、前年、レコード大賞をとった、ジュディ・オングの「魅せられて」もそうだろうし、この曲の少し前には、梓みちよさんの「よろしかったら」って曲もスマュッシュヒットになってたりする。
 そそそ、梓みちよさんの「よろしかったら」も、この曲同様、和テイストに洋のイメージをミックスしたような新たなイメージの曲に仕上がっていたよなぁ。

それだけ、ヒット曲の主体はアイドルから「自作自演」のニューミュージックへって言う時代だったわけで、職業作家のヒトたちにとっては受難の期間だったのかもしれないけど。。。

それでも、楽曲のクオリティを落とすことなく、きっちりと印象的な曲を残しているって言うのはさすがなんですよね。
それが功を奏した訳で、当時、小柳ルミ子さんってヒット曲がでなくて四苦八苦してたんだけど、約3年ぶりの10万枚オーバーっていスマッシュヒット。
これもやっぱ筒美京平って言う天才的メロディーメーカーの功績なんじゃないのかなぁ・・・なんて思ったりもするんだよね。


・・・などとウダウダ書きましたけど、個人的に一番印象的だったのは、実は「来夢来人」って言うタイトルかなぁ。

サビの ♪ 来る夢 来る人と書いて来夢来人(らいむらいと)〜 ♪ って言う歌詞は、なんとなくわざとらしい気もするんだけど、 「らいむらいと」っていう響きが新鮮だったんだよなぁ。

本来、最初に書いたように「春の唄」ってことで、桜のイメージの曲なんだろうけど、それ以前に「来夢来人(らいむらいと)」っていう響きが印象に残っちゃってねぇ。

らいむらいと って響きから、個人的には「ライム」色って言うかねぇ、淡い黄色のイメージがあったりしてね。

そそそ、丁度同時期に、RCサクセションの「雨上がりの夜空に」で、 ♪ジンライムのように流れる お月さま〜♪ってあったじゃん。 そんな色感のイメージが、この曲にも感じるんだよなぁ。

だから・・・と言う訳でもないんだけど、「春唄」として、桜のイメージをもったのは、極々最近なんだよな、個人的に。ずーっと、長い間、「ライム色」っていうイメージだったんだよね。



恐らく「ドリフ大爆笑」からだと思うんだけど、まだ八重歯がある頃のルミ子さんですな。
うーむ、このころは既に八重歯は無いと思ってたんだけど、意外な発見だったなぁ。
ちなみに、この時、ルミ子さん27歳。

当時の印象からして、めちゃくちゃ「大人」の女に感じたけど、まだ20代だったんだよなぁ。
まあ、今、VTR見ると、「あ、若い」って思うけどさ。 
でも、ウタは、めちゃくちゃしっかりしてますよね。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

赤と黒 / 岩崎良美

1980_02_赤と黒_岩崎良美


今回の1曲セレクトは、「赤と黒」岩崎良美です。

まずはデータです。

・タイトル     赤と黒
・アーティスト   岩崎良美
・作詞       なかにし礼
・作曲       芳野藤丸
・編曲       大谷和夫
・リリース日    1980年2月21日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位 19位
・売上げ枚数   11.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 23位

昨日のネットニュースでトシちゃんが11年ぶりに「メジャーレーベル」に復帰というのが出てましたな。
奇しくもデビュー日にあたる6月21日に「ユニバーサル」から新曲リリースとの事。

デビューから37年。未だに第一線で活躍されている様には恐れ入りますわ。 
ここまで長続きしてきた要因、いろいろあると思うけど、トシちゃんの場合は、バラエティに富んだ楽曲性だろうね。1曲ごとに曲調が全く変わる。ここが飽きられない秘訣だと思うんだよね。

まあ、デビュー当時は、「ウタヘタ」ってことで大分揶揄された訳だけども、今から考えれば、それが返って良かったのかもな。 
ウタヘタだったから、曲調にこだわらなくても良かったっていうのもあるだろうし、最初から歌唱力は期待されなかった事でさ、色々な曲にチャレンジ出来た訳なんだよね。

ちなみに、トシちゃんは「花」の1980年デビュー組のエース。

・・ということで、今回は同じ1980年デビュー組のこのヒトの曲を持って来ましょうか。

岩崎良美「赤と黒」

そそそ、岩崎良美さんの「デビュー」曲ですね。 リリースは1980年2月21日。

80年代アイドルゴールデンエイジの幕開けを切った、1980年デビュー組の中でも早いんだよね。 実質トップバッターと言う形だったんだよね。

まあ、それがこのヒトにとっては良かったのか悪かったのか・・・と言う事になる訳だけど、結果的には、あんまり良かったとは言えなかったのかもなぁ。

理由は簡単、このデビュー曲からして「80年代アイドル」らしさを感じられない・・・からなんだよねぇ。

いや、曲自体は決して悪い訳じゃない。歌唱力も、さすがに岩崎宏美の実妹だけあって完璧だし。。。

でも、そこが返ってマイナスだったんだよな。 そんな完璧なアーティスト性から返ってフレッシュをあまり感じられなかったし。。。。

なにより「時代は動いている」・・・と言うところを捉えきれなかった曲調だった所は大きいよね。

作曲は 芳野藤丸氏、アレンジは大谷和夫氏という「SHOGUN」コンビの作品。 ま、初期の3曲まではこのコンビの作品が続くんだけども、そう言うところもあって、完全に「ニューミュージック」にコミットしたような曲調なのよ。 当時、まだ18才にしては大人っぽい曲だったし。
でもさ、ニューミュージックがヒットの中心で、本来の「アイドル」という形は低迷だった、前年79年の状況が続いていれば、それでも良かった。。
・・・・というか、それが正解だったんだよね。 歌える、大人っぽいと言うところに於いてさ。

例えば、79年の新人王であった桑江知子さんにしても、同じような路線だったし。なにせ、あの竹内まりやさんでさえ、79年は「アイドル」でしたからねぇ。

まあ、そう言うところもあって前年からの流れを受け継いだようなこの曲をデビューとして持ってきたんだろうけど。。

ただ、今この曲を聴くと、ちょっと古臭いんだよね。80年代というよりも、完全に70年代の流れをくんだ曲と言う感じで。
 まあ、80年代突入して、2カ月で70年代から80年代へ、突然変異のように転換しろ・・・というのも酷な話ではあるけど。。。

どうなんだろう? もしかすると、この曲がリリースされる時点では、「アイドル」と言うモノ自体、商売にならないと感じていたんでしょうかね?  

売り上げは11万枚と、それでも70年代終盤以降のアイドルのデビュー曲としては上々の滑り出しではあった。いや、ミュージック全盛の当時、アイドルは売れて、ぜいぜいこの位・・・ってことで満足しちゃってたんではないか・・・そんな感じを受けるんだよな。


でもね、その一方で、時代は確実に動いていたんだね。 

1980年4月1日。 この日は、松田聖子さんのデビュー日だけど、正直言って、この日を境に、ヒットチャートの「色合い」がガラッと変わったような印象が強いんだよね。
 長年ヒットチャートを見てくると、「時代の転換点」と感じる時期があるんだけども、その一つは、1980年4月1日を境にした前後の違い。 これは大きく立ちはだかっていると思うなぁ。

結局何が言いたいか・・・というと、岩崎良美さんは、この「時代の転換点」に対応できなかった・・・いや、対応されなかった一人なんじゃないか・・・なんて思うんだよね。

例えば、デビュー日が2月21日という、早めのデビューではなく、4月1日以降、もっと遅いデビューだったらどうだったんだろうとかさ、やっぱり考える事はあるんだよな。
もうちょっとポップ気味な軽い曲を初めから歌ってたんじゃないか・・・とかね。 

まあ、それでも持ち前の歌唱力もあって、最初からポップ系というよりは歌唱力系な曲だったかもしれないけど。。。
やっぱり、このヒトが一番不運だったのは、お姉さんのように歌唱力を持ちながら、ディスコという歌唱系とは相反する組み合わせで、イメージを根本から変えた筒美京平氏のようなかたが居なかったからかもしれないなぁ。

そう、このヒトのイメージを根本から変えるようなブレーンが居なかった事。 そこに尽きるのかもしれない。






よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

なみだ涙のカフェテラス /ジューシィ・フルーツ

1980_12_なみだ涙のカフェテラス_ジューシィ・フルーツ


今回の1曲セレクトは、「なみだ涙のカフェテラス」ジューシィ・フルーツです。

まずはデータどぇす

・タイトル     なみだ涙のカフェテラス
・アーティスト   ジューシィ・フルーツ
・作詞       近田春夫
・作曲       柴矢俊彦
・編曲       ジューシィ・フルーツ
・リリース日    1980年10月1日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位 13位
・売上げ枚数   15.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位

昨夜はFolder5の「Believe」なんぞ書いちゃったんだけども、本来は、今回引っ張ってきた、この曲を書くつもりだったんだよね。
でも、どーしても書きだしが出来なくてさ。ウダウダしてたら、いつの間にか0時よ。
あー、だめだぁ・・・なんて思ってたら、たまたま昨日のFolder5が浮かんできちゃいましてね。。。

だけど、どーにもスッキリしないんだよな。 なんで、本来昨日つもりだったこの曲を改めて持って来ましたわ。

ジューシィ・フルーツ「なみだ涙のカフェテラス」。

この曲はジューシィ・フルーツの大ブレイク曲となった、あの「ジェニーはご機嫌ななめ」の次のシングル。
だけど、リリースは、ちょうど「ジェニーはご機嫌ななめ」が、丁度ヒットのピークだった1980年10月だったんだよね。
だから、チャート的に言えば、後追いと言う形で、「ジェニー〜」がランクダウンして来たのと入れ違いでチャートが上昇してきたんだよな。
だから、印象としては「ジェニー〜」が落ちたばっかりなのにもう新曲? って言う感じだったんだよなぁ。

まあ、出し手としては、良いタイミングでチャートに乗っかってきた感じだったんだろうけどね。

ただ、やっぱり「ジェニー〜」よりはインパクトと言う面では劣っていたよな。うむ、「ジェニー〜」の時の、ボーカル・イリアのあの「素っ頓狂」なファルセット(ウラ声)はねぇ、良い意味でも悪い意味でも、インパクトに富んでいたからなぁ。
 そこから見ると、この曲は、イリアのボーカルは「普通」に戻っちゃったからな。 あ、イントロの ♪ ヤンヤンヤーヤ〜 ♪ っていうコーラス部分ではウラ声使ってたけど・・・。

その前に・・・・ジューシィ・フルーツと言っても、もしかすると、既に知らない方も多いかもしれない。

・ボーカル・リードギター  イリア(奥野敦子)
・リズムギター  柴矢俊彦
・ベース      沖山優一
・ドラム       高木利夫

の4人ユニット。
うむ、ギターの柴矢氏は、後にナンノちゃんの「吐息でネット」を作曲したり、2002年の「おさかな天国」を作曲した方でも有名なっちゃいましたな。
ジューシィ・フルーツの前身は、いまや大学教授におなりあそばした、近田春夫氏中心のユニット「BEEF」。だから、そんな流れで、ジューシィのプロデュースも近田氏が行っていた訳なんだよね。

デビュー曲は、この曲の前の「ジェニーはご機嫌ななめ」というわけで、BEEF時代は考えないで、単純に「ジューシィ・フルーツ」と言う面で見れば、デビュー曲がいきなり大ヒットとなった訳ですわ。

この「なみだ涙のカフェテラス」、当時テレビで初めて聴いたのは、「クイズ・ドレミファドン」ぢゃなかったかなぁ・・・。 うん、「ジェニー〜」を初めて聴いたのは「ドレミファドン」だったことはよく覚えてるんだけどね。 当時11才のクソガキだったワタシでさえ、「なんじゃこれ」って思ったもの。 まあ、それがインパクトだったんだけどさ。

 この曲もそんな「ジェニーは〜」の「続編」を期待してたところがあったんだと思う。でも、ウラ声ぢゃなくて、普通の声だったからさ。。。。
期待外れというか、面白さは感じなかったのも事実だよな。

だから、「ジェニー〜」が37万枚売ったのに対して、この曲が15万枚で止まったのも当たり前と言えば当たり前だったんだよね。
いや、逆に言えば「ジェニー〜」の大ヒットがあったからこそ、15万枚も売れたと言ってよかった訳でさ。

結局さ、立ち位置として「イロモノ」だったんだよね。このヒトたち。

・・・・っていう認識が出来ちゃってたよなぁ、完全に。

実際、当時の印象として、演奏力もそれほど感じなかったし。。。言ってみればヘタウマって感じだったんだよね。
今で言ったら、チャットモンチーとか赤い公園とか、そんな印象だったんだよな。 まあ、ボーカルが女の子でギターと言う事を考慮するとだけど。。。

ただ、あとあとちゃんと聴いたら、とんでもなかったんだけどさ。特に沖山氏の「機械」的無機質なベースはテクニックあったしな。
いや、その前に、リードギターのイリアが、当時の「女子」としては上手かったんだよ。そもそも、リードギター弾いて、ベストテンいりしてた女子なんていなかったんだけどさ。少なくとも日本に於いてのバンド形式では。
向こうでは居たけどね、「ザ・ランナウェイズ」とかさあ。

でも、当時の印象として、正統派のロックバンドというよりはイロモノ的っていうことで売れてきたのは残念だったけどな。
 いや、実力派よりもイロモノバンドって言うキーワードは、もしかすると、当時の「アミューズ」の特徴だったかもしれない。
そそそ、ジューシィ・フルーツって当時、アミューズだったんだよね。サザンだって、最初は「イロモノ」バンドって言う感じだったわけじゃん。
当時は、まだまだ新興の弱小プロダクションだった訳だからねぇアミューズも。バンドテクニックがどうこうと言う前に、まずは売りだすことが先決だったんだろうな。
今じゃ、ちょっと考えられないかもな、アミューズでこういう「突飛押しのない」ようなバンドっていうのも。



動画・・・こんなのしかなかった・・・。
画像と声があっってなかったりするし。。。。
いや、36年前のしかもベストテン入りしてなかった曲なわけで、動画落ちてただけ儲けもんか。。。

うん、この動画見ても、やっぱり「ヘタウマ」っていう印象でしょ。

でも、下の動画聴いてたら、印象変わった



これ、1981年のFM東京でOAされた、スタジオライブ番組らしいんだけど。。
音、めちゃくちゃいいんだよな。今から35年前のものとは全然思えない。
よくこんな音源いままで保管してあったよなぁ。当時、エアチェック流行ってたからなぁ。そう言う方が持ってたんでしょうね。

0秒から4分までが、この「なみだ涙のカフェテラス」なんだけども、↑のテレビでの演奏とは印象違うんだよな。
音がいいって言うところもあるんだろうけど、ヘタウマなポップロックという印象じゃないんだよね。これは完全に「ロック」ですよ。音がタイトだし適度な歪みがねツッパッてるもんな。
うーむ、当時、こういうライブ音源を聴いてたら、このヒト達のその後の印象、違ってただろうな。

ちなみに、この音源の3曲目が「なみだ涙の〜」のカップリング曲だった、「恋はベンチシート」だけど、このタイトルをもじったのが、ザ・ぼんちの「恋のぼんちシート」っていうのは、余りにも有名ですわな。

・・・つか、この音源でも「ネタ」にしてるけど。。。  うむ、プロデュースが同じ近田春夫氏ということで。。。

それにしても、当時は、こういうスタジオライブ番組、FM東京でもやってたんだなぁ。今じゃ、音楽というよりトーク中心の番組が多くて、AMとの区別が無くなって来ちゃったけどな。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へにほんブログ村

防人の詩 / さだまさし

1980_09_防人の詩_さだまさし


今回の1曲セレクトは、「防人の詩」さだまさしです。

まずはデータです。

・タイトル     防人の詩
・アーティスト   さだまさし
・作詞       さだまさし
・作曲       さだまさし
・編曲       渡辺俊幸
・リリース日   1980年7月10日
・発売元     フリーフライト
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数 56.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1980年8月4日〜9月29日
・タイアップ:映画「二百三高地」主題歌

今日は全国的に台風で荒れた1日となりましたね。こちら関東でも、丁度、いま雨風が強くなってきてますね。
こういう夜は、一人しんみりと音楽を聴きたいものです。

・・・ということで、当初は今回は別の曲を書こうと思ってたんだけども、この曲に変更します。

さだまさし「防人の詩」

うーむ、シンミリとしてますねぇ。重いですねぇ。
この曲は、1980年夏に公開された、映画「二百三高地」の主題歌として映画同様、曲の方も大ヒットしましたね。

いつかも書いたかもしれないけど、当時、8月の終戦記念日前後になると、決まって「戦争」を題材とした映画が公開されたんだよな。
 この年1980年が「二百三高地」、次の年81年が「連合艦隊」(主題歌 谷村新司「群青」)、そのまた次の年82年が「大日本帝国」(主題歌 五木ひろし「契り」)・・・と、3年続けて戦争物が公開され、いずれもヒットしたんだよね。

その中で、主題歌として一番ヒットしたのが、この「防人の詩」でしたね。

・・というか、この曲だけが突出してヒットしたんだよな。たしかに何れの主題歌も、壮大な中に重厚さを感じる曲ではあったけど。。

その中で、この曲だけが50万枚以上の大ヒットした、っていうのは、やっぱり、この曲が多くのヒトの心に「グサリ」と刺さったものがあったんでしょうね。
 さだまさし氏も、この曲を歌う時は危機迫るような迫力があったもんなぁ。 同じ人が、前年の同じ「夏」に「関白宣言」でおちゃらけていたとは思えないもの。あの曲から比べたら180度違ったもんなぁ。

同時は、まだ「楽曲」の時代だったし、だから楽曲の力で多くの人を動かす時代だったんだよね。

今だったら「クサッ」と思える曲だけどさ、当時は、曲の形式よりも、如何に多くのヒトに刺さる曲であるかっていうのが重要だったんだよな。

そう言う上で、ヒットチャートっていうものも「重み」があったんだよね。

この間の大江千里「格好悪いふられ方」の時に、91年当時は日本のヒットチャート史上最強期って書いた。

確かに、超ロングヒットが多かったという意味では、91年当時のヒットチャートは最強だったかもしれない。

けど、ランクそのものの「重み」と言う意味では、「80年」っていう年は、本当に重みがあったんだよな。
なんて言うのかなぁ、ランクされた1曲1曲、そのものが本当の意味でのヒット曲って感じだったじゃん。
もちろん、曲そのものも良かった。
だから、そんな時代にオリコン2位まで行った、この曲は本当にヒットしたと思う。。。

・・・と大そうに書いてしまったけど、本当の所を言うと、個人的には、ここまで売れていたとは思わなかったんだよね。
 
うん、当時はまだ、オリコン買ってなかったしさ。だから、どの曲がどのくらい売れたか・・・っていうのは全くしらなかった。
まあ、「ベストテン」は見てたから、「ベストテン」の範囲内でのヒット感しか知らなかったんだよね。

その範囲でのは、この曲それほどヒットしていたとは感じなかったんだよなぁ。

まあ、当時、さだ氏は、それほどテレビに出なかったというのもあると思う。
この曲も「ベストテン」には出演した事があったけど、それほど回数出演してなかったしさ。

でも、その数少ない出演した時、しっかり録音してたんだよな、ワタシ。

で、この曲、当時何回も聴いたなぁ。 ・・というか、この頃の曲、個人的にも大好きでさあ。 まあ、テープが伸びるんじゃないか・・・と思うほど、毎日飽きずに聴いてたよなぁ。

だからね、この曲を含め、この頃の曲を聴くと、未だに鮮明に当時の風景が浮かんできますわ。
ワタシは小学5年生 11才だったな。

うん、正直言って、詞の内容は全く分かんなかったんだけども、曲がね、どうしても染みるんだよね、心に。

ちなみに、当時ベストテンからとったテープはこの曲の次が、ジューシィ・フルーツの「ジェニーはご機嫌ななめ」だったして。。。  かなり落差があったんだよな。。。



なつかしいなぁ、そう、こんな感じでしたよ。
レコードでは、オーケストラ編成だったけど、テレビでは、アコギ1本の弾き語りだったんですよ、この曲。
この動画はベストテンではないけど、ベストテンも、これとほぼ同じアレンジだったんだよな。
だからね、個人的にはレコードアレンジよりも、このアレンジがしっくり来るんだよな。
レコードアレンジよりも、さだから訴えかけがダイレクトに感じるし。

ちなみに、この曲で、この年の「紅白歌合戦」に出演した、さだまさし氏ですが、この曲、テレビアレンジで歌っても5分以上あるんだよね。
通常、余程の大御所でない限りそんな尺は貰えない。せいぜい3分がいいところだったんだけど、それじゃ、この曲の意味が通らない・・・と5分のテレビバージョンまるまる歌ったんだよね。 それで当時、いろいろ批判を受けてましたよね。



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

ライディーン /イエロー・マジック・オーケストラ

O


今回の1曲セレクトは、「ライディーン」イエロー・マジック・オーケストラです。

まずはデータです。

・タイトル    ライディーン
・アーティスト  イエロー・マジック・オーケストラ
・作詞      なし
・作曲      高橋ユキヒロ
・編曲      イエロー・マジック・オーケストラ
・リリース日   1980年6月21日
・発売元     アルファ
・オリコン最高位 15位
・売上げ枚数  22.5万枚

そりが合わないヒトって居るよね。ワタシさあ、子供の頃から協調性ゼロって言われるくらい「個人主義」なんで、そりが合う、合わない・・・っていうのが、人一倍あるんだよなぁ。
それは、大人になった今でもある訳で・・・。仕事上、本当はそれじゃ行けないんだけどね。・・・と理性としては分かっているんだけども、本能がそれが許さない・・・とかね。だから、「あーやだやだ」ってすぐに顔に出ちゃう訳ですわ。
 うーむ、本来なら「勤め人」としては一番向いていないタイプなんだよな。でも、働かないとメシ食えないから、向いてないな・・・と思いながらも半ば仕様が無く勤め人やってる訳ですわ。 宝くじでも当たれば即日、辞めると思うけどさ。

・・・・と、なんでいきなりそんな事を書くか・・・というと、今回セレクトしてきた曲の「前振り」なんですねぇ。

イエロー・マジック・オーケストラ「ライディーン」。

でも、みなさん、「ライディーン」と「そりが合わないヒト」と何の関係があるの・・・なんて思いますよねぇ。
それがあるんですわ、私の中では。

Y.M.O が話題になって、この曲がシングルチャートの上位にランクアップしてきたのが、1980年の今頃。ワタシは小学5年の時。その頃、学校では放送委員をやってワタシなんだけど。・・・というか、小4〜卒業するまでずっと放送委員だったんだけどさ。
放送委員は、曜日別に放送当番が決まってて、小4〜小6まで各1人ずつのチームを作らされていたのね。

で、さあ、この曲がヒットしてた1980年前期の時に組んでた、当時の小6の奴(まあ先輩なんだけど。。。)とそりが全く合わなくてね。すぐ、ヒトを小馬鹿にするイヤミな奴でさあ。 

そいつがある日、「ライディーン」ってしってる? なんて言って来た訳さ。

当時、ワタシ、Y.M.O知らなくてねぇ。 だから「ライディーン」なんて知らなかったんだけどさ。
でも、そこで知らないなんていったら、またヒトを小馬鹿にしてくるのが分かってたんで、知ったかぶりで「知ってるよ」なんて言っちゃったわけよ。

実はね ワタシ ↓コレ だと思ったのよ



「勇者ライディーン」  (爆)

バカにされたなぁ。小馬鹿じゃなくて、大馬鹿扱いされたもの。
でもさあ、あながち間違いじゃないじゃん
・・・とか、あんときは、心の中では思ったワタシだったんだけどね。。。
結局そいつとは、1980年度前期が終了する9月まで、チームを組まされたな。、
後期は、そいつ放送委員に落選したんでさ、顔合わせなくなって、まあせいせいした事。


でもね、それがきっかけとなって、逆にキニナッた、Y.M.Oの「ライディーン」なんだよな。
だから、そんな出来事があったあとですよ、この曲を実際に聴いたのは。

これが悔しいかな、良い曲なんだわ。うーん、良い曲っていうのは、ちょっと語弊があるかな。面白い曲でしたね。
 正直、それまで思いに聴いてた「ヒット」曲は全く感じなかった硬質感。無機質って言った方がいいのかなぁ。

 実際は、これ聴く前に「テクノポリス」は知ってた訳だから、Y.M.Oサウンド自体全く知らなかった訳じゃないんだけど、「テクノポリス」よりもさらに無機質感を感じたんだよな、こちらの曲には。
それでいて、メロディはよりキャッチーだったしな。 だから、すっと曲に入っていけた。
 まあ、当時はまだガキだったから、吸収力が凄かったからね。音楽に対してのキャパシティがでかかったから、聴くモノはなんでも吸収して行ってたようなところもあったからな。
 SE的に、当時ゲーセンに置いてあったようなテレビゲームのシューティングゲームのようなSEもあったでしょ。あれも刺激的だったしな。
今となってはちゃっちい8ビット的な音なんだけど、当時は、これでも充分刺激的だった訳なんだよね。



1980年12月27日
Yellow Magic Orchestra World Tour '80  最終日
武道館でのライブの時の「ライディーン」ですね。

それにしても、この時のツアーメンバーが、Y.M.Oのツアーの中でも最強だったんじゃなのかなぁ。

Y.M.Oの3人
細野晴臣
坂本龍一
高橋ユキヒロ

に加え、サポートメンバーとして
ギター 大村憲司
キーボード 矢野顕子
コンピューターマニピュレーター 松武秀樹

松武氏、若いですね。 矢野顕子さんも若いなぁ。 この時25才だって。
飛び跳ねながらキーボード弾いてる矢野顕子さんも珍しいわな。 このライブの1か月後には、あの大ヒット曲「春咲小紅」がリリースされることになる。

でも、レコードでは無機的に聴こえるこの曲も、実際にライブで、「手弾き」でやると、たちまち有機的に聴こえるのは不思議ですわな。
いくら、機械的に発達したと言っても、やっぱり、ヒトが実際に弾いてる音楽には叶わないんだよね。

 ちなみに、この時は、キーボード3人に、松武氏のマニピュレーターって言う存在も必要だったけど、あれから36年。いまでは、これらキーボードとマニピュレーター、4人分を1人でも十分賄えるようになったよな。
 だから、この時6人で廻ってたツアーも今じゃ、ギター、ドラム、キーボードの3人で充分・・・いや、ドラムもいまはコンピューターで充分だから、2人いればカバー出来るようになったわな。 機材技術の進歩だよなぁ。
 逆に、実際に演奏しているヒトのテクニックは、逆に衰退しているように感じるけど。。。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

大きな森の小さなお家 / 河合奈保子

1980_06_大きな森の小さなお家_河合奈保子


今回の1曲セレクトは、「大きな森の小さなお家」河合奈保子です。

まずはデータです。

・タイトル     大きな森の小さなお家
・アーティスト   河合奈保子
・作詞       三浦徳子
・作曲       馬飼野康二
・編曲       馬飼野康二
・リリース日    1980年6月1日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位 36位
・売上げ枚数 7.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 41位

あー、今週は仕事がきつかったわい。 普段使わない「脳みそ」を使った1週間だったんで、仕事終わりゲソッと疲れたわ。。。今はそんなキツかった1週間の余韻に浸っている時間だったりして。。。

などと、「1曲セレクト」とは全く関係ない「マクラ」になってしもたな。


さて、今回のセレクトしてきた曲は、河合奈保子さんのデビュー曲、「大きな森の小さなお家」。

うーむ河合奈保子さんの曲は大分書いてきたけど、まだ残ってた曲があったんだな。しかも「デビュー曲」を書いてなかったか。。。

この曲はねぇ、当時、なんか、こっぱずかしかったんだよな、聴いてて。

詞の内容が子供っぽかったでしょ。 タイトルからして「大きな森の小さなお家」でもんね。まるでメルヘン童話な世界って感じだったじゃん。
 当時、オリコンウイークリーで「1980年デビュー組」の比較対決っていう企画がありまして、河合奈保子評としては、「アイドルらしいアイドル」なんてなってたりしたんだけどさ。
 たしかに、今の感覚からすると、如何にも「アイドル」 っていう曲だったりするんだけど、当時、同じ1980年組の他のアイドルの曲って、得てしてもっと大人っぽかったんだよね。
岩崎良美にしかり、鹿取洋子にとかり・・・  松田聖子だって、当初は、子供っぽいなぁ・・・っていう印象があったけど、それでも、もう少し上の年齢・・・そうね、高校生とか大学生向きって感じだったじゃん。
 それに対して、河合奈保子さんのこの曲は、どう聴いても「小学生」向きだよな・・・っていうイメーシが強くてねぇ・・・。

・・・・なんて、当時小学5年だったワタシが言うのもおかしな話だけど。。。

この曲は、作詞は三浦徳子さん。 うーむ、奇しくも松田聖子さんのデビュー曲「裸足の季節」と一緒だったんですねぇ。
でも・・・やっぱり、比較しちゃうんだよね「裸足の季節」の詞の内容と。。。なんか、大人と子供・・・って言うくらいの違いを感じちゃったりね。
 曲は、馬飼野康二氏。 この間、西城秀樹氏の「激しい恋」を書いた時、「絶叫系」な曲こそ馬飼野氏らしい・・・なんて書いたんだけども、この曲では、そう言う世界は全く感じられないもんね。
 硬派、軟派・・っていえば、思いっきりナンパな訳じゃないですか。まあ、そんなレンジの広さも馬飼野氏ならではといえば、そうなんだけどさ。
でも、その後の河合奈保子さんのヒット曲を考えると、馬飼野氏との相性が一番良かったような気がするな。
まあ、後年の筒美京平氏の起用により、河合奈保子さんの新たな一面を引き出せたのは別として。

兎も角も、人前で堂々と聴くのは、今一つ気が引ける曲だな・・・っていう感覚があったのは確かだよなぁ。

ただね、アイドル嫌いだった、ウチのオヤジが、当時、河合奈保子さんだけは認めてたのは、印象的だったんだけどなぁ。松田聖子さんに対してはボロカスだったもんね。
 やっぱね、ぽっちゃりとした童顔なルックスに対して、揺れる「ちち」っていう、アンバランスな容姿が、男心くすぐった訳だったんだろうな・・・・なんて今になって思うけどさ。

もちろん、ワタシも、当時は松田聖子さんよりは、断然、河合奈保子派だったんだけどさ。

曲は別として、やっぱり、上で書いたように、名前の通りの可愛さだったしさあ、まあも今もそうだけど、スレンダーなコよりも、ぽっちゃりしたコの方が好きだからさあ。

それに性格も良さそうだったじゃん。裏表がなさそう・・・っていうかさ。 それまでのアイドルには無かったというか・・・、より親近感は感じたよね。

ま、その「親近感」っていうキーワードが、その後、80年代アイドルの最大の特徴になってくるんだけどさ、そう言う意味では、80年代なアイドルのフォーマットは、河合奈保子さんが元祖と言ってもいいかもしれないな。



いやいや、初々しい奈保子さんですね。デビュー直後高々1コーラスしか歌わせてもらえないのに、一生懸命歌っているのが印象的。
でもさ、36年前は、聴くのが恥ずかしかったこの曲だけど、今聴くと、普通に聴けるんだよなぁ。
それだけワタシも年をとったのか、それとも、最近の曲が全体的に子供っぽくなって、何とも感じ無くなったのか・・・・どっちかだろうなぁ。
 


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

タブー(禁じられた愛) / 郷ひろみ

1980_06_タブー_郷ひろみ


今回の1曲セレクトは、「タブー(禁じられた愛)」郷ひろみです。

まずはデータです。

・タイトル       タブー(禁じられた愛)
・アーティスト  郷ひろみ
・作詞       浅野裕子
・作曲       網倉一也
・編曲       萩田光雄
・リリース日   1980年5月1日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 8位 
・売上げ枚数  15.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1980年5月26日〜6月23日付

昨日は野口五郎氏を持ってきたわけで、今回もまた、新御三家の曲を持ってこずには居られない・・・ってことでね
今回は、郷ひろみ氏の曲を持って来ましたわ。

・・・と言っても、どの曲を持ってこようかな? 時期的に、この季節の曲で、郷ひろみ氏と言ったら、81年の「お嫁サンバ」だよなぁ・・・なんて真っ先に思いつくんだけど、この曲はすでに書いちゃったんだよね。
 なので、今回は、それより1年前、1980年の今頃のヒットだった「タブー(禁じられた愛)」なぞひとつ。。。

・・・でもねぇ、果たして、郷ひろみ「タブー(禁じられた愛)」と書いて、反応してくれる方がどの程度いるのか・・・っていうのは、かなり不安。
 もうね、今となっては、郷ひろみ氏の数あるヒット曲の中でも、完全に「死角」に入っちゃってるような曲だろうなぁ。 今頃、こんな曲を引っ張ってきてるのなんてワタシぐらいだよねぇ、きっと。
なんて事が脳裏をよぎるんだけどね。。。。

でもねぇ、この曲、意外と最近のワタシ的には好きな曲なんだよねぇ。
うん、ヒット当時はキライだったんだけどさ  ・・・っつか、昨日も書いたように、当時、新御三家と言えば秀樹派だったんで、郷ひろみ氏も野口五郎氏も、あんまりねぇ・・・って感じだったんだよね。

 しかも、この曲の時の郷ひろみ氏って、アメリカ帰りの反動か、チリチリ、アフローヘアーだったじゃん。あ、この曲のシングルジャケット見れば一目瞭然なんだけどさ。これが似合わないんだわ

そんな見た目からして、「なんかなー」って感じだった事は覚えてるんだよな。だからなのか、この曲、当時、まともに聴いてなかったもの。

でも、今はいいんだよね。

なぜなのかなぁ・・・・。まあ、あれから36年経ってる訳で、ワタシも大人になったからなぁ・・・ってのは説得力が無いよな。
いやねぇ、この曲、よくよく聴くと、素晴らしい「歌謡ポップス」なのよ。
 歌謡ポップスの魅力は、やっぱ「無国籍」的なところだよなぁ。 この曲、イントロのトランペットのメロディからも、Aメロの出だし ♪ 信じられた 愛は〜 ♪ 直前のアコギからも、一見スパニッシュ系な印象を受けるんだけど、AメロからBメロに移行する間に挟まる、シツコイくらいにめちゃくちゃクドいストリングスは、一体どこの音楽なんだよ・・・なんて言いたくなったりして。

いやいや、このクドいくらいのストリングスの動き、そしてブラスの動きこそ、歌謡ポップスだよなぁ・・・なんて感じるんだよね。
 主旋律(メロディ)があって、その間に挟まるストリングスとブラスがメロディに対して「合いの手」になって入るこそが、歌謡ポップスの魅力の一つだと思うんだよねぇ。
もうね、正直言って「クドい」んですよ。この「クド」さがいいんだよね。

・・・というか、このクドさが「許せん」ってヒトは、恐らく歌謡ポップスとは縁が無いだろうなぁ・・・なんて思うなぁ。

アレンジは、萩田光雄氏。なるほどね、流石に、超大げさな現実離れした世界観っていう歌謡曲の王道的なアレンジはウマいですよねぇ。

最近の曲って、この合いの手の部分・・つまりさ、ストリングスとかブラスの動きってなが、ほとんどないからな。
その分、すっきりとはしているんだけど、この当時の「クドい」歌謡ポップスで育ってきた身としては、スカスカ過ぎてツマンナイ・・・ってのはあるな。

作曲は、網倉一也氏なんだ あ、これは、今知ったかも。。。
まあ、考えてみれば、前年の「マイレディー」も、スパニッシュ系統な曲だったけど、あれも網倉一也氏だったからなぁ、それを考えれば、「続編」って感じだったのかもなぁ。
 まあ、アレンジは、「マイレディー」よりもぜんぜん「クドい」けど。。。。

だけんど、作詞の浅野裕子さんってヒトが、今一つ謎なんだよな。 この曲の次の年の伊藤つかさの「少女人形」とか作ったヒトなんだだけどさ。Wikipediaによると、元モデルだったそうだけど。。。。


動画・・・さっすがにさ、今となっては「死角」には行ってしまっているような曲だからか、You Tubeには、めぼしい動画が無いわ。。。
しょうがないから、別のサイトにリンク

http://www.dailymotion.com/video/x1ytd9j_%E9%83%B7%E3%81%B2%E3%82%8D%E3%81%BF-%E3%82%BF%E3%83%96%E3%83%BC-%E7%A6%81%E3%81%98%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%84%9B-1980_music

「ザ・ベストテン」だけど、バックのオーケストラは、レコードに比べると、若干、あっさりしてるかなぁ。
レコード音源は、もっとクドいんだよね。これでもか〜・・・ってくらい。
 個人的には、そっちの方がいいな。

でも、考えてみれば、ちょっとクド過ぎたのかもなぁ。 この曲の前の「セクシーユー」も、この曲の次の「Howmanyいい顔」も20万枚オーバーだったのに対して、この曲は20万枚に届かなかったもんね。
牛乳も濃すぎると飲みづらい・・・ってあれだったかもな。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

道化師のソネット / さだまさし

1980_03_道化師のソネット_さだまさし








今回の1曲セレクトは、「道化師のソネット」さだまさしです。

まずはデータです。

・タイトル    道化師のソネット
・アーティスト  さだまさし
・作詞      さだまさし
・作曲      さだまさし
・編曲      渡辺俊幸
・リリース日   1980年2月25日
・発売元     フリーフライト
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  40.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1980年3月17日〜4月21日付
・タイアップ:映画「翔べイカロスの翼」主題歌

今回はマクラ無しですぐに本題。

さて今回ひっぱってきた曲は、さだまさし氏の「道化師のソネット」。

いや、個人的には、かなり「難題」な曲をセレクトしてきたつもりなんですよね。 
・・・・というのもこの曲は、どこからどう書いて良いのか、とっかかりがなかなか見つからない。
こういう曲のレビューって、難しいようにも思えるんだけど、ここから書こう・・・っていうとっかかりが見つかれば、筆が進むのは意外と早いんだけどね。 うーん、この曲は難しいな。

ま、この曲がヒットしたのは、1980年の丁度今頃ですわ。今から36年前ですね。
最近もNHKを中心にちょくちょくテレビで見かける、さだまさし氏ですが、「ヒット」と言う点からみれば、前年の「関白宣言」を頂点として、一番「脂」が乗り切ってた時期ですね。
前曲「親父が一番長い日」もオリコンで1位を記録してたし。 だから、この曲の最高位2位っていうのは、後年のおちゃらけた、さだまさし氏しか知らないヒトから見れば意外かもしれないけど、当時は「必然」だったんだよね。

・・・・とは言うモノの、正直言うと、ワタシもこのオリコンの順位と売り上げ枚数を初めて知った時は意外だったんたけどさ。

この曲がヒットしてた1980年当時は、まだオリコンは読んでなかったのよ。というか、存在すら知らなかったんだよね。
日本のヒットチャートは、「ザ・ベストテン」だとばっかり思ってた頃だから  
でもベストテンでは、さだ氏は、あんまり上まで行かなかったからなぁ。「関白宣言」でさえ、最高2位でしたからね。 この「道化師のソネット」は最高7位だったな、たしか。

 なんで、オリコンとベストテンでは順位に開きがあったか・・・といえば、単純に、さだ氏が「はがきリクエスト」に弱かったからなんだけどね。 当時のベストテンは、はがきの得点配点が高かったからね。

だからね、翌1981年にオリコンを知って、さだまさし氏の各曲の売り上げ枚数と、最高位を知った時は結構びっくりしたな。 この曲も40万枚越えだったし。。。
 うん、さだ氏もそうだったけど、総じて、ニューミュージック系のレコード売り上げ枚数って、自分が感じていたよりも高かったんだよね。アリスなんかもそうだったなぁ。

まあ、当時のレコード購買層とニューミュージック勢のファン層は、ぴったりシンクロしていた訳で、総じてそう言う傾向になった訳なんだけとさ。当時は、そういう細かいところまでは分からなかったからなぁ。あくまで自分の「感覚」だけだったからさ、ヒットの大きさって。

ちなみに、この曲、個人的には、当時はあんまり聴いてなかったんだよね。
ま、今でこそ、ちゃんと音源持っているんでしょっちゅう聴いてるけど、当時はテレビが唯一の情報源でしたからねぇ。
でも、当時は、さだ氏ってあんまりテレビで出なかったからなぁ。 出てもあくまでレコードのプロモーションのためにちらっと出るくらいだったから。 ベストテンでもこの曲は、1度しか出なかったんじゃなかったかなぁ。

でもね、今聴くと、懐かしいんだよね。 聴くたびに、どこからか1980年の今頃の匂いがしてきて、情景が脳裏をかすめる。
 当時は、あまりこの曲聴いていなかったはずなのに不思議なもんなんだよなぁ。
意識としては完全に埋もれちゃっているんだけど無意識の記憶の中のどっかに残ってるんだよね。
だから、音楽って不思議。

それと、この曲ではじめて、さだ氏の音楽でニューミュージックの匂いを感じたんだよなぁ。 それまでは、このヒトは完全フォークのヒトだと思ってたんだよね、個人的には。
 
うん、レコード音源で聴く限りでは、この曲の前の曲、「天まで上がれ」にとかさあ、ニューミュージックっぽいアレンジになってたりするけど、テレビの時はアコギメインでとかさ、フォークっぽかったんだよね。

 フォークとニューミュージックの境ってなんじゃらほい? と言われると困っちゃうんだけどさ、そもそもニューミュージックっていうジャンルの定義からして曖昧なんで。。。
 でも、ニューミュージックっていう音楽は、音場広さっていうのかなぁ、空間が広く感じるんだよね。フォークって、どうしても「四畳半」の世界とかさ、なんか空間が狭っちいしみったれた音楽に感じるじゃん。
さだまさし氏の音楽も最初は、そんな感じだったんだよね。 いや、そんな感じに聴こえたんですよ。 

でも、この曲に関しては最初から、音場が広く感じてさあ。

そもそも、♪ 笑ってよ きみのために〜 ♪ っていう歌の出だしから、わーっと一気に世界が広くなったような感じをうけるじゃん。 あ、これは、フォークじゃない、ニューミュージックだ・・・って思ったんだよね。

 なんて・・・ホントに当時、小学5年のクソガキだったくせにそんなこと思ったのか・・・なんて言われそうだけど、そう思ったんですぅっ   まあ、いつも書いてることだけど、いまのクソガキに負けす劣らずな「ませたガキ」だったからさあ。





よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

ひとり上手 / 中島みゆき

1981_01_ひとり上手_中島みゆきjpg

 







今回の1曲セレクトは、「ひとり上手」中島みゆきです。

 まずはデータです。

・タイトル     ひとり上手
・アーティスト   中島みゆき
・作詞       中島みゆき
・作曲       中島みゆき
・編曲       萩田光雄
・リリース日    1980年10月21日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位  6位
・売上げ枚数    44.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1980年12月1日〜1981年1月26日付

今晩はしばれるなや。 石油ストーブしかない8畳間の私の部屋は寒いですぞ。
いや、ちゃんとエアコンはついてるんだけど、暖房は電気代食うんで、石油ストーブでケチケチと使ってる訳です。今、灯油も安くなってますからねぇ。

 しかし、以前にも書いたけど、寒くなると決まって中島みゆきが聴きたくなる。これは、ほとんど条件反射、まるでハプロフの犬状態ですな。

 あ、でも、最近の中島みゆきではないですよ。初期の頃の中島みゆきですね。 
どうしても、あの暗いよー、寒いよー、とどこからか聞こえてきそうな曲が聴きたくなってくるのですよ。

 そんな時は決まって「ひとり上手」ですね。ワタクシは。

 だけど、どうして、こう、シンシンと冷えて寂しい夜は「中島みゆき」なんでしょうね。

 どうしても、この寂しい内容の曲と、今の自分をシンクロさせちゃうからだろうなぁ。

♪ 私の帰る家は貴方の声がする街角 冬の雨に打たれて貴方の足音をさかすのよ ♪

 いやー、寂しいよ〜 暗いよ〜 っていういう雰囲気ですね。それに加えて、この「くらーい」声で歌われたあかつきには、やはりたまらないものがあるのですよね。

 うーん、でも、最近の中島みゆきしか知らないヒトは、ちょっと雰囲気が違うかなぁ。 最近の中島みゆきは、声が怒っててるもんね。昔は違ったのですよ。もっとくらーい感じだったのですよ。その分優しい感じはするんだけどね。

まあ、この曲の場合は、それだけではない何かがあるんだよなぁ。まず、メロディラインがいいよね。中島みゆきとしては、かなり素直なメロディラインとでも言いますかねぇ。それでいて、すぐ「中島みゆきだ」って分かるよね。

 それと、詩がね、絵が浮かんでくるよね。まあ、やっぱりどうしても低い雲の下の・・・っていう雰囲気のえづらなんだけどさ。


でも、「ひとり上手」ね。。。これは、ワタシのことですか。いやはや、そんな感じがするなぁ。ワタシもろ「ひとり上手」だもんなぁ。
 いや、でも、この曲これだけ売れているっていうことは、世の中、「ひとり上手」なひとが多いんですかねぇ。
 なんか、共感持てちゃうんだよねぇ。

 ワタシにとっては、1981年の今ごろっていうと、先日書いた五輪真弓の「恋人よ」と同時に、真っ先にこの曲が浮かんでくる・・・って言うくらい、ずっと印象に残っている曲ですね。
 ただ、↑で「低い雲の下で・・・」って書いたんだけど、実は、個人的には、この曲を聴くと、今頃の午前中の陽だまりの下っていうイメージが浮かんでくるんですよね。
 はじめてこの曲を聴いたのが、親父の当時の車の中で、暖かな陽だまりの下を走ってたんですよ。
そんな中、AMラジオから流れてきた、この曲、印象が強かったなぁ。

あの頃は中島みゆきってテレビにはでなかったからねぇ。ラジオで聴くしかなかったんだよな。しかも、田舎はFMは、NHK-FMしかなかったから、AMのモノラルの音で。

あれから35年も経つのに、この時の光景ってよく覚えてるんだよなぁ。
やっぱり、子供の頃の光景って、いつまでも脳裏に残るもんなんですよね。

だからねぇ、この曲っていったら、未だにステレオのいい音で聴くよりも、モノラルの少し饐えた音で聴く方がしっくりくるんだよな。



この頃の中島みゆきって言ったら、通常、アレンジは船山基紀氏が担当してたんだけど、この曲は萩田光雄氏なんだよね。
だから、このころの中島みゆきの曲とは、ちょっとイメージが違うのかもなぁ。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村
記事検索
livedoor プロフィール
QRコード
QRコード