かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1979年

想い出のスクリーン / 八神純子

1979_04_想い出のスクリーン_八神純子








今回の1曲セレクトは、「想い出のスクリーン」八神純子です。

まずはデータでする。

・タイトル    想い出のスクリーン
・アーティスト  八神純子
・作詞      三浦徳子
・作曲      八神純子
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1979年2月5日
・発売元     ディスコメイト
・オリコン最高位 12位
・売上げ枚数  24.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1979年3月26日〜4月2日付

ここんところ「アイドル」系が続いたんで、今回は「ニューミュージック系」で行きますよん。

八神純子さんの「想い出のスクリーン」。

うーん、この曲、覚えておられる方、どのくらい居るかなぁ・・・っていうのはちょっと心配。
あの大ヒット曲、「みずいろの雨」の次のシングルなんだけど、「みずいろの雨」の売り上げ枚数からすると、約半分しか売れなかったりしたし、オリコンでは10位にも入れなかったりしたんで、ちょこっと地味な存在ではあるんだよね。

実を言えば、ワタシ、長い事、この曲の存在をずっかり忘れてたりしたんだよね

この次の曲の「ポーラースター」は、売り上げこそ、この「想い出のスクリーン」と大差はなかったのに、個人的に大好きだったこともあって、良く覚えてたりするんだけどさ。
 この曲の存在を思い出したのは、実は、ネットを初めて、チャートマニアの方々と繋がりをを持つようになってからだったするんだよね、実は。

うん、その時初めて聴いた・・・と言う訳ではないんだけどさ。 「みずいろの雨」でファンになったからさ、八神純子さんは。 当然、次のこの曲も当時、聴いてはいたんだけどね。うん、「ザ・ベストテン」ではランクインしてたしさ。
 でも、それからずっと忘れていたっていうのは、この曲、当時、カセットに録音してなかったから・・・なんじゃないかなぁ・・と思う。

うん、この曲がランクインするちょっと前から、ベストテンにランクインしてくる曲で、好きな曲を録音するようになってたんだよね。
 まあ、録音って言っても、ライン録音なんて知らないからさ、テレビの前に「ラジカセ」置いて録音したってアレですね。私と同年代か、少し上の方は、みなさんやってましたよねぇ。
途中で、電話がなったり、オヤジがしゃべりだしたりすると、それらも入っちゃった・・・ってアレですわ。

ちなみに、サザンの「いとしのエリー」を録音した時は、最後にワタシのオヤジが「ヘタクソ」って叫んでるヤジが入っちゃってたりします、ワタシのカセット。。。

でね、なぜか、この曲は、当時録音しなかったんだよなぁ・・・。 なぜだったかは、全然覚えてないんだけど。。。

当時、あんまり好みじゃなかったのかなぁ。。。

もしかすると、一度録音したんだけど、誤って上から被せちゃったのかもなぁ・・・。 当時よく、やっちゃってたからさぁ。カセット自体、まだ高かったからなぁ・・・。まあ、当時小学3年〜4年だったワタシから見ると・・・なんだけどね。そんなにそんなに新しいカセット買ってもらえなかったから、よく、上から被せちゃってたんだよね。

いずれにしろ、今に残る、ベストテンから録音したカセットが、ワタシのヒット曲ライブラリーの「起源」なんですよね。 これを下敷きに、中学〜高校〜大学の頃、中古レコードを漁って、レコード音源のライブラリーを作って行ったんで。。。

だからね、ベストテンから録音したカセットに曲がが入ってなかった事で、ずっと忘れてたってのはあるかもな。

で、後年、ネットでチャートマニア同士の会話の中で、この曲の話題が出てずっと記憶の彼方にあったこの曲を思い出して掘り返したってわけなんですわ。

まあ、曲自体、今聴いても「大人」っぽい曲だったからなぁ。 ミディアムテンポで曲の解釈も難しい感じだしさ。到底、小学3〜4年生が聴く曲じゃなかったってのはある。
 いや、多分、当時のワタシ的にも、この曲は難しいかったのかもしれないなぁ。 例えば、前曲の「みずいろの雨」なんかは、分かりやすい曲だったじゃない? 16ビートかつサンバ的ノリのリズムといい、めちゃくちゃキャッチーなサビといい。

 でも、この曲はメロディ的にも、リズム的にも、分かりやすいっていう「掴み」は無いんだよね。

サビの ♪ すこし〜 すなおな わたしを〜 ♪ ってところなんかは艶っぽかったけどさ、八神さん。 それでも、小学生が聴いて理解するには、ちょっと難しかったからなぁ。
だから、理解できないまま、忘れちゃってたってのもあるかもしれないな。

もちろんきちんと聴きこなせば、発見はいろいろあるんだけど、そこまで解釈するには、まだまだ幼すぎたんだよな、当時は。



やっぱり八神さんのウタを聴くと、いかにも「ウタ」を聴いてるぞ・・・っていう気分にさせてくれるんだよなぁ。
やっぱお金を取るなら、この位の歌唱力は無いと。。。。
 ちなみに、この曲の聴きどころの一つとして、うねるようなベースラインがあるけど、これ後藤次利氏なんだよね。
 ゴッキーというと、ワタシらの年代としては、後年のおニャン子クラブのおちゃらけた曲を作った・・・っていうのが一番印象にあったりするんだけど、ベーシストとして腕前は超一流だったりするんだよね。



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愛を止めないで / オフコース

1979_03_愛を止めないで_オフコース








今回の1曲セレクトは、「愛を止めないで」オフコースです。

まずはデータです。

・タイトル     愛を止めないで
・アーティスト   オフコース
・作詞       小田和正
・作曲       小田和正
・編曲       オフコース
・リリース日    1979年1月20日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位  31位
・売上げ枚数   9.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 33位

ここのところ、自分にとって冒険的な曲が続いているけど、今回セレクトしてきた曲も、かなり冒険的な曲なんですよね。

オフコース「愛を止めないで」。

冒険的っていうのは、正直言うとこれまであまりきちんとは聴いてきていない曲って事ですね。
事実、今回セレクトしてきた「愛を止めないで」は、音源持ってないんですよ、ワタシ。

・・・なんて書くと、「え?」って思われるかもしれないけどさ。。
自称「ヒット曲ウォッチャー」と言っている割には、なんてお粗末様な。。。とかさ。。。

だよね、オフコースの中でも人気が高い曲だもんなぁ。 そんな曲の音源すら持っていないとはね。。。
・・・と言われても仕方ないよな、確かに。

ま、そんな状況なんで、もしかすると「的外れ」な事を書いちゃうかもしれないけど、そこは予めご了承いただければ・・・と思いまする。


じゃ、なんでオフコースの中でも人気が高い、この曲の音源を今まで持っていなかったか
まあいくつか理由があるんですけど、一番の理由は単純にオフコースの曲、全体的に、個人的にはあんまり「刺さらなかった」から・・・なんだろうね。

オフコースの曲・・・・というか小田氏の曲って理詰めなんですよね。 キチンと計算されているように感じるんだよなぁ。整然としたフレーズが並んでいて、そこに計算されたコード進行があって・・・って言うイメージなんですよ。
ま、その辺りは、流石に「理系」の小田氏らしい音楽だな・・・とは思うんだけどさ。何分パッパラパーな性格なワタシには(自分も理系のクセして)、「キチンとし過ぎる」ような音楽に感じるんだよね。どうもその辺りが刺さらず、逆に頭が拒否しちゃってたのかもしれない。
 サザンとかは、パッパラパーな音楽じゃん。音楽らしい音楽っていうのかな。文字通り単純に音を楽しんでる。そういう音楽の方が、聴いてて楽だし、自然と入ってくるよね。
だから、オフコースはずっと素通りだったんだろうな。

唯一、大ヒットになった「さよなら」は、自分でシングル買ったりしたんだけどね。うん、この曲だけはよかった。コーラスワークが素晴らしかったんで。。。

それと、このヒトたちも当時・・・というか今もそうだけど、ほとんどテレビの歌番組には出演拒否していたってのも大きいよな。 
 ここでは何度も書いてるように、当時、個人的な音楽の情報源は、ほとんどテレビが全てだったからさあ。テレビに出ない・・・というだけで、ほとんど耳に入ってこなかったからなぁ。


でもね、一度「ベスト盤」は買おうと思ったことはあるんだけとね。

82年の武道館10daysの後、活動休止に入っちゃったじゃない? で、その翌年にベスト盤である「YES-YES-YES」っていうアルバムがリリースになったんだけど、それ買おうと最初は思ってたんですよ。
 82年のシングル「YES-YES-YES」は好きだったしさ。だから、それをきっかけに過去の曲を掘り下げたいと思ってたんだよね。
 でも、結局はそれを買わないで、他のアルバム買っちゃったんだよな。 それ以来、接点がつかめず今に至る・・・って感じなんだよな。

まあ、そんなことで、未だにこの「愛を止めないで」の音源はワタシの手元には、まだ無い・・っちゅう訳ですわ。


もちろん曲は知ってますよ、この曲。
・・・とは言うモノの、キチンと曲を聴いたのは、かなり後年になってからですけどね。
おそらく、1991年元日深夜に放送された「19××スペシャル 僕らの青春のメロディ」だったと思う。 これで、例の82年の「武道館10days」の「愛を止めないで」が流されましたからね。
 そそそ、未だによく、この時のVTRは見かけるし、現にYOU TUBEなどの動画サイトにも上がってるしね。

だからねえ、リリースから10年以上後になりますね、きちんと聴いたのは。

うん、やっぱりいい曲だと思った。初めて聴いたはずなのに、不思議と「1979年」っていう時代感を感じたしさ。
やっばり、サビの ♪ 愛を止めないで〜 ♪ の部分のインパクトは強いよね。 否が応でも曲に引きずり込まされてしまう。 ま、それ以前にAメロからキャッチーなんだけどさ。

じゃ、なんで、もっと早く音源買わなかったの? って感じなんたけどさ。しつこい様だけど

でも、考えるに、これは「売れるため」の手段として、ここまでキャッチーになったんじゃないかな。

当時、アリスの谷村氏も言ってたことだけど、自分たちがやりたい音楽と、「売るため」の音楽は違うって事なんだよね。
 兎に角、「クサッ」と思うくらい、インパクトがあり、分かりやすいメロディに徹すること。これが売るための最低条件なんですよ。いわいる「ウレセン」のメロディって事なんだけど、アリスでは、ブレイク曲となった「冬の稲妻」がそうですね。 この曲は、それまでのアリスの曲とは全く違う、最初から売れるために書いたと谷村氏は言ってたしな。

そんなアリスの「冬の稲妻」と同じ立ち位置であったのが、オフコースでは、この「愛を止めないで」だったんじゃないかな? なんて思う訳ですわ。
だから、それまでのオフコースの曲とは、この曲は雰囲気かなり違うしな。
ウレセンと言うところもそうだけど、メロディラインがポジティヴというかさ。

まあ、そう言う感じになったのも、この曲から「正式」に5人体制になったってことが大きいのかもしれない。

そそそ、初めオフコースって小田氏と鈴木氏の2人だったんだよね。 デュオでの完全なフォークタッチの曲をやってたわけですわ。
 でも曲によってはバンド形式の曲もあった訳で(1975年の「眠れぬ夜」など)、それらの曲の際は、ゲストアーティストによるバンド編成にしてたんだよね。
 で、1976年にドラムの大間氏、ギターの松尾氏、ベースの清水氏が加わったものの、あくまで「ゲスト」と言う枠組みだった訳ですね

そんな感じで3年余りやってきた訳だけど、この「愛を止めないで」で正式メンバーとして、5人体制のバンドとして再スタートを切った訳ですわ。
 
なぜ、そんなことが言える? 

まあ、確かにネットを見ても、公式な見解はなかなか見当たらないんだけど、この曲のジャケ写から「5人」で写ってるんですよね。
これは、「5人」でやって行こう・・・と正式に決意が固まった現れなんじゃないのかなぁと思う訳ですわ。
 
そういう状況だったから、流石に頭の固い小田氏も、是が非でも売りたいと思ったんじゃないのかなぁ。それが、こういうキャッチーな曲になった最大の理由だと思いますよ。



で、やっぱし動画は82年の「武道館10days」の時のになっちゃう訳ね。


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夢一夜 /南こうせつ

1979_01_夢一夜_南こうせつ







今回の1曲セレクトは、「夢一夜」南こうせつです。

 まずはデータです。

・タイトル    夢一夜
・アーティスト  南こうせつ
・作詞      阿木耀子
・作曲      南こうせつ
・編曲      石川鷹彦
・リリース日   1978年10月25日
・発売元     クラウン
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   45.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1978年11月20日〜1979年2月5日付
・タイアップ:資生堂「78年冬のキャンペーンソング」

えー、今回セレクトしてきたのは、南こうせつ氏の大ヒット曲「夢一夜」。

あれ? この前似たようなタイトルの曲セレクトしてこなかったけ? 

うんにゃ、工藤静香の「恋一夜」ぢゃないかんねぇ。。


ヒット曲を聴き続けて約40年。・・・と一口で言いますが、まあ、やっぱ、いろいろな曲があったわな。
でも、なんて言っても、衝撃度という点では、やっぱ、聴き始めの頃が一番強かったねぇ。
なんでも新鮮だったからさあ。

38年前、個人的に、一番新鮮だったのは、ピンクレディーでも山口百恵でもなくて、実はテレビに出ないアーティストがいるってことだったねぇ。
 「歌手」っていのき、テレビに出るのが当たり前って思ったからなぁ。まさか、テレビ「出演拒否」する人がいるんだ・・・って知ったのはやっぱり衝撃だったんだよね。

 その一人が、丁度38年前でいえば、松山千春でありーの、もう一人が、今回引っ張って来た、南こうせつ氏だねぇ。

「ザ・ベストテン」をみてると、いつも、久米さんが「お謝り」してましたがあせあせ、子供心になんか不思議な光景でしたねぇ。
 どうして、テレビにでないのか・・・っていうのが、理解できなかったんだよねぇ。

 ま、それ以上に曲調にもインパクトを感じてんだけど、この曲。

 まあ、当時はプロモーションの手立てとしては、一番がテレビのウタ番組に出る事でしたからね。そのテレビに出ない・・・という前提で、オリコン3位、45万枚も売るって事は、確かに化粧品のキャンペーンのタイアップがついていたと言っても、それこそインパクトがなくちゃ成り立たないんだよね。


サビの部分の

♪ あなたにあう日の〜〜〜 と〜〜きめきは〜〜 ♪

の ♪ と〜〜きめきは〜〜 ♪ でファルセットになる部分は、よくマネしてたよなぁ。

 うん、テレビには出演しなくても、しっかりと曲だけは覚えてたんだよね。

 ま、それは、例の「化粧品」のキャンペーンCMでバンバン流れてたからってのが大きいんだけどさ。

 いや、化粧品の「冬」のキャンペーンソングっていうのも、めずらしかったんだけどさ。。
 だいたい、化粧品って、大々的にキャンペーンを張るのは、春、夏、秋の3シーズンで、冬はお休み っていのうが、通常だったから。。。

 冬は、あんまり、メイクなどのオシャレは、あんまりにあわないってことだったんだろうね。


 でも、当時は、ほとんど化粧品CMが云々とかこだわってなかったから、テレビ見てて、「ビビッ」っときた曲をマネしてた・・・みたいなところもあったしなぁ。

 この曲はさ、当時から言うと、意味はよくわかんないんだけど、曲を聴いてるだけで、「絵」は浮かんでくるんだよね。

 出だしからの

♪ 素肌に肩袖 通しただけで、色とりどり 脱ぎ散らかした 床に広がる絹の海〜 ♪

ってところは、ほんと絵になるよなぁ。もちろん、根っこの部分は日本的で・・・。
 で、もって、そうなると、この場合は、「脱ぎ散らかした 床に広がる絹の海〜」はやっぱ、キモノだろうなぁ・・ とか、いろいろとさ

さすがは、阿木耀子女史の作品。プロっぽいよなぁ。


ま、いまになって、よくよく聴くと、この曲って、「不倫」の唄なんだけどさ、当時は、そんなのよくわかんなかったから。。。

 それでも、艶っぽい日本情緒な絵っていうのは、浮かんで来たもんだよなぁ。この季節だから、バックには、雪が降ってたりして・・・。

 もしさ、「ベストテン」に出演して、セットがあったら、こんな感じのセット・・・っていうのが、浮かんでくるようよ。


 ま、ウタって言うのは本来、そういうもんじゃなきゃイケンものだっていうのがよく分かるんだよね。


 しかし、当時、「テレビに出ない」とツッパッてた、南こうせつも、いまや、ぜーんぜん、普通にテレビにでてるもんねぇ・・・。やっぱ年とって丸くなったんですかねぇ。
 松山千春もそうだけどさ。。 千春の場合は、なんせ、「ベストテン」に出演した・・・ってだけで、ニュースになっちゃったくらいだからふらふら




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SACHIKO / ばんばひろふみ

1979_12_SACHIKO_ばんばひろふみ






今回の1曲セレクトは、「SACHIKO」ばんばひろふみです。

 まずはデータです。

・タイトル    SACHIKO
・アーティスト  ばんばひろふみ
・作詞      小泉長一郎
・作曲      馬場章幸
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1979年9月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   75.1万枚
・ザ・ベストテン最高位 2位
・ザ・ベストテンランクイン期間:1979年12月6日〜1980年2月14日放送分

 一時期話題になってたキラキラネームってやつも、どうもブームが去ったみたいだね。まあ、一時的に「加熱」するんで、ブームって言う訳で、飽きっぽい日本人の性格からして、そんなに長くは続かないと思ってはいましたけどね。
 
 ところで、最近、女性の名前がタイトルになってる曲って、とんと見かけなくなったよなぁ。
 昔はさぁ、それこそ、なんでもありじゃないけど、いっぱいあったよなぁ。 「順子」でしょ、「洋子」でしょ、「ゆうこ」でしょ・・・・。

 うーん、どうして最近はないんだろうねぇ・・・。 演歌っぽいから?

ま、仮に、最近「女性」の名前がタイトルになった場合、「○○子」っていうのは、ないだろうなぁ・・・。
 最近は、あんま、「○○子」ってパターンも少なくなってるからねぇ。



・・・・っつうことで、今回は、もろ女性の名前の曲、どえす。

 ばんばひろふみの「SACHIKO」

 うーん、遅かったくらいだよね、書くの。 いや、でもさ、なかなか、いままで書くタイミングがなくてさぁ・・・、のびのびになってたんだよねぇ。

 この曲、当時、ワタクシ、好きでねぇ、よくウタってましたねぇ。歌詞の意味もわからずに。あせあせ

っつうか、今、思うと、完全に「歌詞」間違えて覚えてたんだよねぇ。

 当時は、もちろんネットなんかなかったし、レコードは高くて、小学生の小遣いじゃ変えなかったし、まだ、「明星」「平凡」は読んでなかったし・・・、唯一さ、テープレコーダーで歌っているところを録音して、「耳」で覚えるしかなかったんだよね。いわいる「耳コピ」よ。

 でもさ、レコーダーで録音・・・っつても、モノラルだからさあ、音が悪くて、だから、歌詞が聴きづらい曲も多かったのよ。

 でも、当時は、それでも全然、平気だったよなぁ。

 この曲なんかさ、2番の歌詞に

♪ 窓にひたいを押し当てて 家を出たいとつぶやいた〜 ♪

ってとろこがあるんだけど、ワタタシ

♪ 窓にひたいを押し当てて 家もでっかいとつぶやいた〜 ♪

だとずっと思ってたもんふらふらふらふら

 いや、そう聴こえたのよ、当時は。ふらふら

ま、そんなこともあってか、どうもイマイチ、自分でも意味がわかんない曲だよなー・・・なんて、思ってたりしたんだよねぇ。


 うん、もちろん、レコード音源を手に入れて、歌詞カードも手に入れ時からは、意味も通じるようになりましたけどね。

でもさ、今、歌詞を読むと、可愛らしいしだよなぁ。 


要は、「幸せを語ったら5分もあれば終わっちゃうけど、不幸せを語ったら1日でも足りないよ」ってところから、「SACHIKO」っていう自分の名前は「ヒニク」に感じるよ。

 っていう内容だよね。

 まあ、ティーンエイジャー特有の可愛らしい悩み・・・ってところからなぁ。

 でもさ、当時のニューミュジックって、この間、中島みゆきの「わかれうた」を書いたときにも、そう書いたけど、喫茶店に置いてあるような「なんでもノート」に書いてあるような、内容の曲ってのも、結構合ったんだよね。

 ま、その内容からして、女性向きの曲っていうのかなぁ・・・。

 この曲なんかは、もろそのパターンだったんじゃないかなぁ。うん、いま思うとだけどね。最初に書いたように、個人的には、この曲、当時は、好きだったからさあ。

・・・・あ、今は、ちょっと、聴きすぎ・・・ってのもあって、若干、食傷気味なんだけど。。。ふらふら

 ちなみに、この曲のヒットが1979年で、ばんばひろふみ氏のその前のヒット「いちご白書をもう一度」が1975年の丁度同時期なんだよね。 4年に1度ヒットを飛ばすってことで、オリンピックアーティストとか呼ばれてましたねぇ。
 しかも、この「SACHIKO」も、「いちご白書をもう一度」も売り上げがほぼ同じの「75.1万枚」。 何の因果かこうなっちゃってるんだよねぇ。。




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大阪で生まれた女 / BORO

1979_12_大阪で生まれた女_BORO






今回の1曲セレクトは、「大阪で生まれた女」BOROです。

 まずはデータです。

・タイトル    大阪で生まれた女
・アーティスト  BORO
・作詞      BORO
・作曲      岡山準三 BORO
・編曲      BORO
・リリース日   1979年8月1日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 23位
・売上げ枚数   17.9万枚

 最近では絶滅した曲・・・って考えて、そーいえば、泥くさーい、ロックな曲ってなくなったよなぁ。
 まあ、厳密に言えばロックぢゃなく、演歌・歌謡曲な世界なんだろう、今で言えば。でも、昔はそれでもロックだったって曲。

 今回、引っ張ってきたのは、そんな曲よ。

 BOROの「大阪で生まれた女」。

 うわっ、泥くさっ・・・・って感じでしょ? 今となっては。

 でも、どうして、この手のコテコテの関西風な泥臭い曲って、最近なくなったんでしょうねぇ。まあ、探せばあるんだろうね、インディーズの片隅とかには。
 でも、少なくともメジャーな世界では、とんとお目にかかれなくなった。

 なぜか?

 まあ、ひとことで言えば、売れない・・・と思われたからだろうなぁ、

 今ってスマートなサウンドな曲が大半を占めてるし、こんな地べたを這いずり回るような、泥臭い音楽は敬遠される・・・というか、最近の作り手は聴いたことないんだろうな。
 
 うーん、だからこそ、今の時代、新鮮に写るかも知れないんだけどなぁ。この泥臭さ、今の世知辛い、重たい時代にぴったりだと思いますわ。

 どこから聴いても、浮かんでくるのは、灰色の薄暗い風景だし、今の世の中と同じやん。

 そういうところ、スピリッツ的にはロックな世界だと思うんだけどなぁ。なにも惚れた腫れたの世界だけがロックじゃないわけで、世相を繁栄するのもロックなんだけどなぁ・・。

 ・・・といっても、この曲がリリースされた1979年は、今ほど景気が悪かったわけじゃないし、考えてみれば世知辛い世の中でもなかった気がする。まあ、まだ、子供だったから感じなかったのかもしれないけどさ。
 あ、でも、いまよりは貧乏だったよね、大抵の家庭は。とくに若い世代は。まあ、そういうこともあって、この手の曲もこのころはまだ、随分あったんだよね。

 華やかさはないけど、実感としてワイてくるんだよね、曲から絵が。そういういジワリとした感じが、売上げにも反映している・・というか、ランキング的にはそりほど、上位まで行ったわけではないけど、結果的には17万枚強と、BOROでもっとも売れた曲であり、代表曲になってたりする。

 いや、こういう曲だと思う、いま必要なのは。最初から「売れる」曲を想定するんではなく、結果的に売れたよねって言う曲。金の力ではなくクチコミの力で売れた曲。こういう曲が増えれば、今の音楽界、もっと層が厚くなると思うんだけどねぇ。

 まあ、言うは易く・・・なんだけどさあ。。


 とろこで、この曲、本来は18番まであるんだよね。 で、フルバージョンだと、30分以上にも及ぶという大作なんだよね、本来は。
 でも、それじゃ、レコードにならないんで、4番と6番と16番だけを抜粋して、シングルにしたってこと、「一発屋伝説」に書いてあったよなぁ。
 一度、1番から18番まで聴いてみたい・・・なんて思ったりもしたりするけど・・・。コテコテ感いっぱいの曲であるからして、それなりの聴く覚悟も必要かなぁ・・・。ふらふら



個人的には、このチープなエレクトーンの音色が聴こえてくると、「あ、自分の時代」なんて思うんだよね。このチープさが懐かしいんだよなぁ。昭和の匂いなんですよ。
 平成生まれの今の若い子には、わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ。。。


ちなみに、1番から18番までの「フルバージョン」なんてのもありましたんで、一応リンク。 33分もあるんで、お暇ならどうぞ




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真夜中のドア / 松原みき

1979_11_真夜中のドア_松原みき






今回の1曲セレクトは、「真夜中のドア」松原みきです。

 まずはデータです。

・タイトル    真夜中のドア
・アーティスト  松原みき
・作詞      三浦徳子
・作曲      林哲司
・編曲      林哲司
・リリース日   1979年11月5日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 28位
・売上げ枚数   10.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 33位

 今日から12月。東京は昼間はまだ過ごしやすいけど、朝晩はすっかりひんやりとした空気が入るようになってきましたね。
こう、ひんやりした空気が入ってくると、なぜか、シティポップスが恋しくなる・・・・ってことはないかふらふら

 でも、シティポップスのあの冷たい肌触りは、やっぱし、こう、キーンと寒い空気のイメージなんだよね。

 ところで、シティポップスなんて書いたけど、これは正式なジャンルではないのよね。
 ま、あくまでAORなアーバンな雰囲気を醸し出している、「硬質」な音系の音楽よ。

 さて、日本ではいつ頃から出てきたんだろ? っていうと、これは定かじゃないんだけどさ。ま、80年代の前半〜中盤あたりが全盛だったよね。

 林哲司氏の作る音楽が、その雰囲気なんだよねぇ。 で、まあ、考えてみたら、多分、この曲くらいからじゃないかなあ・・・と思った曲を、引っ張ってきましたわ。

 松原みき 「真夜中のドア」

松原みきさんのデビューシングルですね。

 林哲司氏によれば、この曲は完全に意識的に洋楽風な「邦楽」(なんじゃそれ・・・)を作った曲ということで、たしかに、それまでの邦楽には、あんまりなかったような曲調ではある。

 ま、一言で言ってしまえば、完全なAORですわ。あの当時でいえば、完全なニューミュージック系なんだけど、そういう意味では、それまでの日本の音楽界にはなかったような雰囲気の曲ではある・・・という意味でも、「ニューミュージック」だったのかもしれない。

 考えて見れば、そんな新しい音楽が、次から次へとでてきたのが、ちょうど、この時期なんだよね。まさに「ニューミュージック」全盛期っていうのに相応しい時期だったよな。

 やっぱ、なんだかんだいっても、この時期の音楽が一番、音楽らしい音楽だと思うわけで。。。そんな時期の1曲だね。


 ただ、そういう割には、売上げ的には、それほど爆発的に売れたわけではないのよ。
 ま、このテの音楽は、それほど「商業的」じゃなかったからねぇ。テレビに頻繁に出演するわけでもなかったし、まあ、聴くヒトを選ぶ曲・・・っていう感じで、オリコン最高28位ってところだったかねぇ。

詞は、またまた三浦徳子さん。いやぁ、こまっちゃいますね。あ、この詞面白いと思うと、三浦徳子さん。
三浦徳子さんの詞は分かりやすいんですよね。分かりやすいんだけども時には強烈にインパクトがあるでしょ。
女性なのに男よりも強烈な言葉が並んでたりして。
70年代後半〜80年代にかけては、松本隆氏とは双璧でしたね。作詞家のヒットメーカーとしては。
 この曲は、そんな三浦徳子さんの詞の中でもソフトタッチな部類でしたね。


>


それにしても、松原みきさんも若くして逝ってしまいましたね。 
艶っぽい声質を持った方だったんですよね。 ワタシとは丁度10才違いなので、この曲の時、20歳。
え? 20才ですよ。 最近の20歳のアイドルのクソガキみたいな声質とは全然違うやんけ。
享年44歳。あまりにも若すぎた。 これからますます円熟味がでてくるという時期だったのにね。
日本の音楽界、惜しいヒトがどんどん居なくなっていますよね。


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C調言葉に御用心 /サザンオールスターズ

1979_11_C調言葉にご用心_サザンオールスターズ






今回の1曲セレクトは「C調言葉に御用心」サザンオールスターズです。

まずはデータです。

・タイトル    C調言葉に御用心
・アーティスト  サザンオールスターズ
・作詞      桑田佳祐
・作曲      桑田佳祐
・編曲      サザンオールスターズ
・リリース日   1979年10月25日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   37.7万枚
・ザ・ベストテン最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1979年11月15日〜1980年1月10日分


 困った時の、サザン頼み。。。。
はい、今回の1曲セレクトはどーしようかなぁ・・・と困っていたのですよ。
 ・・ということで、困ったときのサザン頼みで、今回はこの曲を引っ張ってきました。

 C調言葉に御用心

 うん? C調言葉ってなに? ・・・・ってこの曲がヒットした頃からずーっと思っていたんだけど、要するに「調子がいいこと」だよね。それが逆になって「C調」ってことですか?
 ギョーカイ用語みたいね。

 だけどさぁ、この曲、あの当時、ベストテンなんかで歌ってる時はさ、何歌ってんだか、サッパリわかんなかったの。
・・っていうか、桑田氏の歌い方は、それで通ってたんだけど、この曲は特に何歌ってんだか、さーーーっぱりわかんなかったなぁ。
 わたしゃほとんど、スキャットに聴こえましたぞよ。サビの部分だけでしたね、歌詞が「読解」できたの。

でもさ、レコード聴いて初めて歌詞が理解できたんだけど、うーん、たしかにスキャットっぽく歌ってていいか・・と。

 うーん、歌詞に意味がありけでなさそで・・って感じなんだよね。

 ただ、サビのところ

♪ あ ちょいと C調言葉にだまされ〜 ♪

「あ、ちょいと」っつう言葉の歌詞はすごいなぁ。だいたい、ロックアーティストで「あ、ちょいと」なんつうことば使ったヒトは、この人たちくらいなもんでないのかなぁ。植木等の「スーダラ節」みたいやね。

 ♪あ、スイスイスーダラタッタ〜♪ のあのノリ。

 結局さ、言葉もリズムの一つっていう捉え方なんだよね。桑田氏の場合。
 だから、意味不明でもいいんすよ。それが「音楽」の一部であれば。

 そんな感じを受けた1曲っすねぇ。初期の「ノイローゼ」って叫んでた直後の作品だけど、ノイローゼでもこれだけの作品が作れるんだから、桑田氏はやっぱし天才やね。


ちなみに、この曲の片面は「I'm a Panty」っつう曲なんだけど、決まった歌詞がないの。
 歌詞カードみると「○△◆◎・・・」ってほんとに書いてるんすよ

 この当時のサザンの曲ってこういう曲が結構あるんすよ。レコード聴くと一応、歌詞らしく歌ってんたけど、とくに「指定」の歌詞ぢゃないんですよね。てきとーに歌っているみたいなんですわ。

 まあ、この辺からもこの当時は、言葉もメロディの一部っていう解釈だったんだろうね。

・・・・なーんてのは、表向きで、本心はノイローゼで歌詞まで手がまわんなかったんぢゃないのかなぁ・・・と勘ぐってみたりして・・・。

しかしさ、今年の新潟でのライブのアンコールで、期せずしてこの曲が聴けたことは嬉しかったですねぇ。
サザンのファンになって37年。まさかね〜、生でこの曲が聴ける日が来るとはね。
少なくとも、この曲がヒットしてた頃、お茶の間で「ベストテン」を見てた頃は、全く考えもつかなかったな。



動画・・・・。うーん、毎度のことだけど、サザン関連の動画は、全削除になっているんで、この曲もないっ!
削除と言うか、アップロードの段階で「ブロック」されちゃうようですねぇ。 
うーむ、何かいい方法を考えねば。。



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SOPPO / ツイスト

1979_11_SOPPO_ツイスト








今回の1曲セレクトは「SOPPO」ツイストです。

まずはデータでーす。

・タイトル     SOPPO
・アーティスト   ツイスト
・作詞       世良公則
・作曲       世良公則
・編曲       ツイスト
・リリース日    1979年10月21日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位  6位
・売上げ枚数    24.0万枚
・ザ・ベストテン最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1979年11月8日〜1980年1月10日

 このところ、暫くアイドルが続いたんで、今回は久しぶりに派手なロックです。

 ツイスト 「SOPPO」

 ん? SOPPOってどういう意味? ってずっと思ってるんだけどね。「ソッポを向く」のSOPPOって意味なんでしょうな。

 この曲は、それまでのツイストのギタリストだった、太刀川紳一、大上明が相次いで脱退、代わりのギタリストに松浦善博が加入した際にリリースされた曲なんだよね。

 でさ、松浦のお披露目と言う意味もあったのか、間奏部の派手なギターソロが、この曲の「肝」だよね。

 いや、あの♪ギュワ〜ン ♪と入ってくるギターソロは、今からするとめっちゃカッコいいんだよね。

 ここまで、派手なギターソロな曲っていうのも、意外と珍しいし。 あ、これは、ヒット曲という括りの中では。

 ま、兎角、泥臭いロックが定番だったツイストの中にあっても、この曲はとりわけ泥臭かったよなぁ。

 まあ、この曲の前が、あの「燃えろい女」だったかんね。資生堂のキャンペーンソングということで、ロックの中にもキャッチーさが先行する曲だったから、その次の曲としては、ここまで泥臭くてもよかったんぢゃないかなぁ。


・・・・と、あたかも、みなさん知っているように書いちゃったけど、実際は、この曲から、ツイストもパワーダウン傾向だったんだよね。

 上記のようにメンバーの脱退、新加入、ややウレセンラインからはみ出たような曲調・・と、若干ヒット戦線からはハズレ気味の曲だったからなぁ。
 ブレイクから2年たち、そろそろ、それも意識的なところだったのかもしれないけどね。

 そのあたりは、ワタシもガキながら、どっかで感じてたのかなぁ。この曲はそれまでのツイストとはちょっと違うっていうのは、感じてたなぁ。 ・・というか、当時はあんまり好きではなかったんだよね。

 BUT、今ではこの曲大好きですわ。世良のボーカルもこの曲が一番ねちっこくてさ、それこそ泥臭いんだよね。そこがまたよくてさ。
 それと、元に戻るけど、間奏部のギターソロだろうなぁ。とにかく、この部分でこの曲はキマリ! っ手感じなんだよね。インパクトは、兎に角強い。

 あれから36年だけど、なかなか、このテの泥臭さとセクシーさを併せ持ったバンドって出てこないなぁ。

 この曲のジャケ写もヤサグレてて個人的には好きなんですよね。


 ちなみに、件の松浦善博氏は現在、レコード会社のディレクター(ビクターだっけな?)、ベースの鮫島秀樹氏は、ハウンドドックを経て、現在「訴訟中」。。。。 
 世良氏は、「下町ロケット」に明日から出演 
 ふとがね金太氏は 




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セクシャルバイオレッドNO.1 / 桑名正博

1_桑名正博






今回の1曲セレクトは、「セクシャルバイオレッドNO.1」桑名正博です。

 まずはデータです。

・タイトル     セクシャルバイオレッドNO.1
・アーティスト   桑名正博
・作詞       松本隆
・作曲       筒美京平
・編曲       桑名正博&Tears Drops、 戸塚修
・リリース日    1979年7月21日
・発売元      RVC
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    59.2万枚
・ベストテンランクイン期間:1979年9月10日〜11月19日付
・タイアップ:カネボウ79年秋のキャンペーンソング

 今回引っ張って来た、桑名正博の「セクシャルバイレッドNO.1」。
 これ、前々から、書こう書こうと思いながら、いざ、書こうと思うと気分が萎えちゃったりして、なかなか書けなかったのよね。
 そうは言っても、どうも書かないことに引っかかっちゃっててさ。
・・・なら、書いちゃうか・・・と一念発起(大げさたけど)して、引っ張ってきましたわ。

 うん、そろそろヒットしてた時期も過ぎつつあるんで、書くなら早めにと言うこともあったんだけど。



・・・なかなか書けなかったのは、正直、この曲は、どう書いたらいいか分からん。。。ってのが、大きいな。
 もう一つは、今となっては、引っ掛かりが弱いんじゃないかなぁ。。。と。

 まあ、当時はオリコン1位も獲得した大ヒット曲なんだけどね。今となっては、ほとんど忘れられちゃった曲のような気もしたりしてねぇ。

 なんか、そんなことが、どうも、書く気を削いで居たんだけどねぇ。


 しかしさあ、この曲、当時は「不良」な曲だとばっか思ってたの。
いや、当時、桑名氏って、ジャケ写のようなチリチリパーマで網タイツなんか履いてちゃったじゃん。
 見た目、ロックじゃん。。な格好だったし。 当時、10才。まだ小学4年生だったワタシにゃ、ロックな格好は不良に見えたのよ。

 曲も、もろロックで、不良な音楽っぽかったしさあ。

 逆に言えば、そんな不良っぽさが、カッコよかったんだけどね。

 だけど、今考えてみると、この曲、松本隆−筒美京平って、思いっきりポップスな黄金コンビで作られていたんだよねぇ。

 いや、あのころは、筒美京平氏は、いろんなタイプのアーティストに曲を提供してたからなぁ。
 自分が、このヒトと思えるヒトには、ジャンルを問わず、曲を書いてたしね。

 桑名正博氏もお気に入りのアーティストの一人だったんだよね筒美京平氏は。 
 証拠に、この曲のみならず、売れない頃からずっと書いてたしねぇ。

 この曲は、例のカネボウのキャンペーンソングだったこともあって、ま、特別な存在ではあったんだけどね。

 大体において、「セクシャルバイオレッドNO.1」なんて、タイトルは、すんごいよなぁ。
 意味がありそうで、よくよく考えてみると、なんも意味がないのよね。

 イメージよ、イメージ。コトバのさ。 聴いた感じ、すごそうなタイトルじゃん。

 特にカネボウのキャンペーンキャッチって、後年にわたって、すごかったからねぇ。よくよく考えて見れば意味がないコトバのられつ。

・・・なんだけど、パッと聴きキャッチーな・・・。「君に胸キュン」とかさ。

 そんな、タイトルのキャッチーさで、半分売れたようなところもあるだろうね。


 もちろん、曲もキャッチーだからこそ、オリコンでも1位取れたんだけどね。

 なにせ、当時、オリコンの1位は獲得が難しかったからねぇ。今と違って。 それだけ、権威があったのよ。チャートに重みがあった時代の1位だから。



 ところでさ、 サビに行く前の


 ♪ You make feel good 〜 ♪

 って歌詞、 昔、高校の英語の文法の授業で使われませんでした?

 S+V+O+C 第5文型 で、この場合の「make」は使役動詞「〜させる」になるんですよ〜・・・ ってやつ。ふらふらふらふら

 高校の英語で使われたような気がするんだけど・・・・、違ったかなぁ。 予備校で浪人してたときか?


・・・なんて、この曲聴くと、いつもそんなことを思い出したりして。。。ふらふら




ちなみに、この曲、この頃、フジテレビで始まった、「ビッグベストテン」なる、哀しいほど「ザ・ベストテン」のコピーのベストテン番組の第1回放送の1位だったのよね。
 放送時間が金曜日夜8時からで、ウラが「金八先生」と「太陽にほえろ!」なんてとんでもない高視聴率番組だったんで、視聴率が全く取れず、半年で消えた・・・という




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しなやかに歌って / 山口百恵

1979_10_しなやかに歌って_山口百恵






今回の1曲セレクトは、「しなやかに歌って」山口百恵です。

まずはデータです。

・タイトル    しなやかに歌って
・アーティスト  山口百恵
・作詞      阿木耀子
・作曲      宇崎竜童
・編曲      川口真
・リリース日   1979年9月1日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 8位
・売上げ枚数   27.1万枚
・ザ・ベストテン最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1979年9月27日〜11月22日放送分

 昨日言及した、河合奈保子さん、ヒデキに続いて、山口百恵さんも10月はヒット曲が意外と多いんだよね。
なので、今月は何曲か書くことになると思いますわ。
 当時は、新曲は3ヵ月ローテーションリリースが基本で、特に4半期末月の9月頃リリースって多かったからなぁ、特に「強力」アーティストはその傾向が強かったですからね。まあ、レコード会社も、次の4半期に向けて、4半期締めの月は確実に(売り上げが)見込める、強力アーティストで・・・って言う事になったんだろうけどね。
ということで、今月は、結構強力アーティストの曲が揃っているんだけど、逆に「選曲」って面では、どう出していこうか、意外と悩むんですよ。

・・・まあということで、ここいらで山口百恵さんの曲を持ってくるか・・・・今回は79年の「しなやかに歌って」

 この曲は、ややマイナーなハード気味な曲が続いた、79年の山口百恵の中でも、もっともソフトで軽い曲でしたよね。

 おそらく、作り手側も、ハード路線が続いてきた・・ってことと、季節的なこと、それから時期的に音楽祭っていうのも、にらんで、やや軽めな曲を持ってきたんでしょうけどね。

 ただ、個人的には、この曲が好きでねぇ。 当時8トラのカラオケでよーく、この曲を歌ってた記憶があるんですよね。

 うーん、なんつうのかなぁ、山口百恵のハード路線って、たしかに味があるんだけど、下世話なんだよね。
 まあ、のちに中森明菜にも引き継がれるツッパリ路線でもあるんだけど・・・。

 対して、ソフト路線のこの曲には下世話な匂いがほとんどしないんですよ。ヨーロッパ系っていうか、どこか地中海の爽やかな風っていう、ちょっと高貴な匂いがするんだよね。

 特に、

♪ すがおのままで 私は一人 あなたの帰り まっているのです〜 ♪

の件の部分。 ここのメロディラインとコード進行のマッチングがアンニュイでグッドなのですよ。

 当時「いわき」という田舎町にいたワタシでも気分はシチリアでしたよ、この曲を聴いた時は・・(←なんて大げさな表現!)

 ところで、この曲はアレンジはいつもの萩田光雄氏ではなくて、川口真氏だったんですねぇ。
 うーん、だから、いつもとイメージが違うんですわね。ヨーロッパ的なイメージっていうのは、どうも、アレンジャーの川口氏の影響ですよね。

 前にも書いたように川口氏のアレンジはベースラインが特徴なんだけど、この曲もその特徴がでてますよね。

 Bメロの部分

 ♪夜は 33の回転扉、開ければそこにも愛が あふれているのに〜 ♪

のベースラインなんて、凝った動きですしね。

 続く

♪ レコードがまわるだけ あなたはもういない ♪

のコードレスで、バックにハープだけながれているっていうアレンジも素敵だったしね。

 そんな感じで、コノ曲はアレンジの勝利っていう曲だったんぢゃないかなぁ。

 ま、それでも、やっぱし、世間はもっと下世話な曲が受けてた時代だから、セールス枚数は、落ちてましたけど。。。

 オリコンでは最高8位。


 それでも、「ザ・ベストテン」では1位取ってるんだよね。
このあたり、オリコンと随分、差があるよなぁ・・というかんじだけど、まあ、これまでも何度も書いてるように79年の、このじきってレコードセールス上位のアーティストとハガキ上位のアーティストって食い違いが激しかったからねぇ。

 その代わりどの曲も得点が伸びずに、この曲にしたって1位の時の得点は8300点でしたからねぇ。

 しかも、上位、下位との得点差も薄くて、2位⇒12位・・・なんていうベストテン史上初のベスト3内からいきなりベストテン圏外・・なんていうチャートアクションも見せておりました。

 そんなことで、この曲を覚えている人も多いんぢゃないかなぁ。


 そういえば、この曲のサブタイトルが「80年代に向かって」って言うんだよね。
 なんか、時代を感じるサブタイトルだよねぇ。

 でも、考えてみれば、このころ婚約発表をしたわけで、すでに、この曲の頃には山口百恵自身、その先を見越していたんだろうなぁ・・ということを勘ぐって見たりして。。



結果的に最後の「紅白」となった、昭和54年の紅白より。
歌う姿はさしずめ「菩薩」と言われた、山口百恵だけど、この時は「アイドルスマイル」だったんですねぇ。
最初静止画で見た時、浜崎あゆみかと思っちゃいましたよ
なんて、書いたらクレームが来るんだろうな、きっと



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