かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1978年

宿無し / 世良公則&ツイスト

1978_06_宿無し_ツイスト


今回の1曲セレクトは、「宿無し」世良公則&ツイストです。

まずはデータです。

・タイトル    宿無し
・アーティスト  世良公則&ツイスト
・作詞      世良公則
・作曲      世良公則
・編曲      ツイスト
・リリース日   1978年4月10日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数  52.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1978年5月1日〜7月31日付

前回書いたゴールデンカップスは、ちょこっと「引き」が弱かったかなぁ。
まあ、ほぼ50年前の曲になるからなぁ、そうなっちゃうのもしょうがないのかもしれないな。
で、今回は、前回よりも10年時代を戻りまする。1978年の今頃のヒット。

世良公則&ツイスト「宿無し」。

ツイストのヒット曲も、これまでほぼ書きつくした・・・って思ってたんだけども、なぜか、この曲だけ抜けてたんだよな。
 うーむ、今のワタシは、ツイストあってこそ・・・ってくらい、78〜79年当時心酔してたんだけどなぁ、このヒトたちには。
 以前も書いたと思うんだけども、ワタシ、世良氏になりたかったんだよねぇ。だってカッコ良かったんだもん、単純に。
 あの頃、当時の世良氏と同じ髪型にしてたもんな。髪が肩にかかるくらいの長髪でぇ、ホウキもってツイスト歌ってたもの。 小学3年生で 
 でも、髪が長かったんで、先生にはいっつも注意されてたな。小学生だったんで頭髪検査までは無かったけどさ。
 でも、眼中になったんだよねぇ、当時のワタシは。 
今はノミの心臓なワタシも、当時は怖いもん知らずだったからなぁ。

たださ、この曲がヒットしてた頃は、正確に言えば、まだヒット曲の世界に足を突っ込んではいなかった訳なんだよね。
 うむ、ヒット曲の世界に足を突っ込んだ頃、ツイストは「銃爪」を歌ってたからさあ。この曲の数カ月後のことですわ。

だから、この曲を歌番組でリアルタイムで見た記憶って、意外とないんだよね。実を言うと。

ザ・ベストテンでは、この曲、新潟の万代橋脇で、数千人が押しあいへしあいになった中継が有名だけど、その時もまだ、ベストテン見てなかったしさ。

それでも、この曲知ってたんだよな、なぜか。 どこで聴いたのか、どこで覚えたのか、38年経った今では、よく覚えてないんだけどねぇ。


この曲は、前曲のデビュー曲「あんたのバラード」を受けての、シングル第2弾になる訳だけど、前曲の勢いが、ますます「加速」したって感じで、50万枚突破の大ヒットでしたわね。「あんたのバラード」は43万枚だったからさ。
でも、日本のヒット曲界が、明らかに変わったような印象が強いですよね、このヒトたちが出てきた頃って。
 
 よく言われるのが、このヒトたちが出てきたことで、ロックがお茶の間に浸透したってことだけど、確かにそうで、それまでロック畑のヒトたちは、テレビの歌番組にはほとんど出なかったのに対して、このヒトたちは、逆にテレビで大きくなったってところがあったからなぁ。
 ちなみに、サザンがデビューしたのは、まさに、この「宿無し」が大ヒットしていた最中だったわけで、ツイストとサザンが、日本のロックをお茶の間に浸透させたってのは、間違いないですよね。

曲調としても、「あんたのバラード」が、タイトル通りのミディアムバラードだったのに対して、この曲はアッパーチューン。一連の大ヒットの中でも一番のアッパーチューンだったよな。ロックと言うよりはロックンロールでしたよね。
 それでも、世良氏独特の粘っこい歌い方は健在。・・というか、この曲の歌い方が一番セクシーだったかもな、世良氏は。 
 前曲から売り上げを伸ばしたっていうのは、勢いもあるだろうけど、この曲での世良氏のセクシーさっていうのもあったんじゃないのかなぁ。

 だからねぇ、この曲をリアルタイムで見てなかった・・というか、あと数カ月早くヒット曲の世界に足を突っ込んでいればなぁ・・・なんて、後悔することもあるんだよなぁ。

いずれにしても、個人的にはヒット音楽の世界の「原点」・・・ウンニャ、出発点のような曲ですね、この曲は。


動画・・どうもようつべでリンクしたい動画が、悉くようつべに直リンクにしないと弾かれちゃうんで、直リンク

https://www.youtube.com/watch?v=cAfrzGH6b08

動画を見たい方は上のリンクをクリックしてくだされ。

それにしても、このヒト達ほど、スポットライトが似合うバンドもいなかったよなぁ。ベストテンを含め当時、このヒト達の時は、いろいろなスポットライトで演出してましたよね。
 それにもまして、男の匂いっていうか、男の色気がムンムンのバンドだったよな。まあ、ここに当時のティーンエイジャーの女子たちはクラクラッと来ていた訳なんだけどさ。
 最近は、こういう、男の色気、男のフェロモン全開のバンドって居なくなったからさあ。「草食男子」なボーカルばっかでさあ。ダメだよね、やっぱ、男は肉食じゃなくては。
 逆に言えば、こういう「骨」のあるバンドは今、空席な訳だからさ、今後はここが狙い目なんだよな。

バイブレーション / 郷ひろみ

1978_05_バイブレーション_郷ひろみ








今回の1曲セレクトは、「バイブレーション」郷ひろみです。

まずはデータです。

・タイトル     バイブレーション
・アーティスト   郷ひろみ
・作詞       島武実
・作曲       都倉俊一
・編曲       船山基紀
・リリース日    1978年3月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  21.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1978年4月3日~5月15日付

今回の1曲セレクトは、ここ暫く70年代の「アイドル」な曲を書いてなかったんで、久々に70年代アイドルへ遡ってみますかね。
 まあ、70年代と言っても、個人的に「リアルタイム」な曲となると、70年代後半になっちゃうんで、どうしてもその時期になっちゃうんだけど。。。

はい、今回は郷ひろみ「バイブレーション」

この曲は1978年の今頃のヒット・・・・とずっと記憶してたんだけども、実際は、ヒットのピークは「4月」で、ゴールデンウイーク明けの今頃は、ランクも下降線だったんだよね。
 どうもね、リリース時期を1カ月間違えて記憶していたようなんだよなぁ。 そそそ、この曲のリリースばずっと、1978年の4月21日だとばっかり思ってたの。
だから、5月に入って書けば、ちょうどヒットのピーク時期だな・・・なんて思ってたんだけどねぇ。

どうも、1978年の今頃の曲ってヒットの時期を「ズレ」て記憶している曲が多いんだよな。
例えば、西城秀樹氏の「炎」も、「5月」のヒットだとばっかり記憶してたんだよねぇ。 だから、この「バイブレーション」と、「炎」はヒットの時期が被ってた・・・なんて思ってたんだけど、実際はちょこっとズレてたんだよね。

まあ38年も前の事なんで、記憶もあいまいになるよなぁ・・・なんて言うのは自己弁護だったりするんだけど。。。
 やっぱ、リアルタイムで聴いてた曲と言っても、正確に言えば、ヒットのピークの時期は、まだ「ヒット曲」の世界に入ってなかったからなぁ。記憶も曖昧になっちゃうんだよな。

ところで、以前から、個人的には、昔、郷ひろみ氏の曲はあんまり好きじゃなかった・・・と書いてるワタシですが、当然この曲についても、当時は、あんまり興味なかった・・・と思う。

なぜなのかなぁ? まあ、ガキの頃には生理的には合わなかった・・・としか言いようが無いのかもしれないけど。。。でも、西城秀樹氏の曲は好きだったんだよね。 

恐らくガキの頃は生理的にヨーロッパ系なイメージの曲が好きだったのかもしれない。

この「バイブレーション」もそうだけど、このころの郷ひろみ氏の曲って、カラッとしたイメージでヨーロッパ的な匂いがしないからさあ。
 ・・というか「○○的」っていう匂いがあんまりしないんだよね、都倉氏の曲って。かといって無国籍的でもないし。。。
 ま、ともかく、この時期の都倉氏の曲って、どの曲もかなり似てましたよね。温度感・・・というか湿度感がカラッとして、メロディラインもどこかピンク・レディーで聴いたような・・・っていう独特の都倉カラーで。
 ま、それが都倉氏の作るメロディの特徴だったかもしれない。当時、ピンク・レディーの曲に積極的な興味がわかなかったのも、そう言うところからだったんだろうなぁ。
 郷ひろみ氏の曲も、もう少し前の時期の筒美京平氏が作ってた頃の曲は、もっとヨーロッパ的・・というか、これも当時の筒美氏の特徴である、バタ臭いイメージだったんだけど、個人的には、こちらの方が生理的にはあってたんだよね。

どうなのかなぁ、歌謡ポップスの王道というか、この間も使ったコトバで恐縮なんだけども、軽薄短小なイメージだったりしたのも、当時は今一つしっくりこなかったのかもしれない。
 そう言う意味では、80年代のトシちゃんの曲も、もう少しリアルタイムで聴くのが遅かったら、そんなイメージだったのかもしれないなぁ。

 そう言う意味では「立ち位置」として、新御三家の中の郷ひろみと、たのきんトリオの中の田原俊彦って似たようなポジョンって見られていたのはあながち間違いじゃなかったような気もするんだよね。

楽曲のバリエーションとしても、郷ひろみ氏、田原俊彦氏も、「3人組」の中では一番バリエーションに富んでて、
今聴き返すと、一番飽きが来ないしね。

もちろん、当時は生理的にあんまり受け入れられなかったこの曲も、今では好きですよ。音源も持ってるしね。 


ちなみに、ランキング的には、オリコン(レコード売り上げ)では、それほど目を見張る所はなく、最高位も6位にとどまっているんだけども、その他の要素を含めた総合チャートでは軒並みベスト3入り果たしているんだよね。
 これは、当時のラジオチャート、有線でも結構人気があったのよ、この曲。 「ザ・ベストテン」でも、最高3位まで行ってるしね。

 今は、アイドルといえば、レコード(CD)売り上げがメインのヒットチャートではあるけども、当時は、レコード売り上げは、今ほどは重要なファクターじゃなかったんだよね、アイドルは。
1年に一度、「勝負曲」でバシッと売れれば、「つなぎ曲」ではそこそこ売れればいい・・・と。 その辺が当時と今との意識の違いだろうな、売り方としての。
 まあ、当時は「国民的」な大ヒット曲が多く、A級アイドルといえども、簡単にオリコンの上位に立てなかった・・・ってくらいランキングに重みがありましたからね。
 もちろん、ピンク・レディーは別格として。。。なんせ1978年のオリコンのレコード売り上げシェアには邦楽、洋楽っていう大別ジャンルの中に「ピンク・レディー」っていうジャンルが存在してましたんで。。。。




動画、めぼしいのはこれしかなかったんだけど、少し前だったら、これすらなかったようなんで、今回かいて正解だったかもな。。。。


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微笑がえし / キャンディーズ

1978_04_微笑みがえし_キャンディーズ








今日の1曲セレクトは、「微笑みがえし」キャンディーズです。

まずは、データです〜。

・タイトル      微笑がえし
・アーティスト    キャンディーズ
・作詞        阿木耀子
・作曲        穂口雄祐
・編曲        穂口雄祐
・リリース日     1978年2月25日
・発売元       CBSソニー
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数     82.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1978年3月6日〜5月22日付

今日4月4日は、何の日だったか覚えてますか?

・・・・と書いて、ハイハイハイと即座に言える方は、もう50代以上の方々になっちゃうかなぁ。

 そうです、キャンディーズのファイナルコンサート「バイバイカーニバル」が、今は無き「後楽園球場」で行われた日ですねぇ。

1978年4月4日 火曜日

あれから38年・・・・・。月日が経つのは、ほんとに早いわけで・・・。
 
 と言っても、ワタシは直接見に行ったわけではないので、あんまり大きな口を叩けないのですが・・。
 
でも、あのときのフィーバーぶりはホントすごかったですよねぇ。
今、AKB、ももクロが凄い・・・なんていっても、あの時のキャンディーズフィーバーには足元にも及ばないと思いますわ。

  ワタシゃ、当時、まだ、小学3年生になったばかりの頃で、まだ、「ヒット曲」の世界には入り込んできていなかったけど、それでも、なんか、異常なフィーバーぶりは感じましたね。
いや、これでも当時はキャンディーズ派だったからさあ、ワタシも。ピンク・レディーよりもキャンディーズだったの。 

 ファンがファンにより、ファンのために盛り上げたというかね。もちろん、仕掛けはあったんだろうけど、それを感じさせない、ファン自らが主導になったフィーバーだった気がする。
全キャン連(全国キャンディーズ連盟)っていう、全国組織のファンクラブ・・・というか「親衛隊」が主体となって、あのフィーバーぶりを盛り上げましたからねぇ。


その証拠の1つに、当時の「ザ・ベストテン」があるんですよね。

1978年3月23日放送分で初めて1位を取ってから、4週1位を守った、翌週の4月20日では、ピンクレディーの「サウスポー」に1位の座を奪われたんだよね。
 これを見た、キャンディーズファンが「決起!」、「ベストテンにリクエストを」運動を展開して、翌週のハガキリクエトでトップを奪取、みごと1位に返り咲いた・・・というより、1位を「奪還」したという、話は、キャンディーズファン、当時のベストテンファンの間でも有名な話ですよね。

 あれだけ、ファンが一丸となって盛りあげたアーティストってのも、あんまりいないんではないですかね。
うーん、まあ、昨今のSMAP解散騒動でのCD購入運動は、それに近いものはあったけど。。。

ただね、上で書いたベストテンでのハガキリクエスト運動ですが、今になって冷静に考えると、ベストテンがOAされた後、リクエストハガキ運動を起こしても次の週のハガキリクエストチャートに反映されるのはムリなんだよね。
 ベストテンのチャート集計は、OAの1週前には結果が出てるからさ。つまりOAは、集計結果が出た次の週なんだよね。 だから、4月20日のOA後に、決起して、ハガキリクエスト運動を起こしても、結果が反映されるのは、早くても2週間先のOAと言う事になる訳で。。。。

だから、この時の1位返り咲きは、ハガキリクエスト運動決起の影響・・・というよりも、4月4日のバイバイカーニバルと、そのすぐ後にこの時のライブのOA(視聴率32%)によって、ハガキリクエストが伸びた効果と言った方がいいのかもしれないんだよね。

 まあ、いずれにしても、キャンディーズは、自ら引退宣言をした訳だけども、アイドルのひとつの「引き際」の見本でもあるんじゃないかなぁ。人気絶頂期にファンに惜しまれながら引退する・・・。
 これが最高の引き際ではないかと思うわけです。


 曲の方も、引退というと、とかく、「さよなら」を強調する曲が多いんだけど、この曲の場合は、さらっと「バイバイ」といってお別れ・・・というような曲調がよかったですよね。
それでいて、聴き終わると、ついも淋しくなるのは、やっぱ、この曲で解散っていうのが、いまでも脳裏から離れないからでしょうかねぇ

 詞には、キャンディーズの歴代のヒット曲がちりばめられていて、これは、大変だったろうね。つじつまを合わせるのは。
 でも、いやみがなくさりげなくちりばめられているのは、さすがに阿木女史の作品かなと思いますね。


まあ、結局、3人とも「普通の女の子」には、戻りきれなかったわけだけど、1978年4月4日の「バイバイカーニバル」は、アイドル史上、歴史に残るコンサートだったのは、間違いないところですね。



バイバイカーニバルの前日、4月3日OAの夜ヒットから。
既に、翌日のライブに向けて、ステージ設営が始まっている、後楽園球場からの中継でしたね。
実質、最後の歌番組の出演って事になるのかなぁ。
この時も全キャン連の方々が、大勢見守ってたりしてますね。


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あなたと愛のために / 西城秀樹

1978_03_あなたと愛のために_西城秀樹








今回の1曲セレクトは、「あなたと愛のために」西城秀樹です。

まずはデータです。

・タイトル     あなたと愛のために
・アーティスト   西城秀樹
・作詞       東海林良
・作曲       大野克夫
・編曲       水谷公生
・リリース日        1978年3月5日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  21.4万枚
・THE CHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1978年3月20日〜5月1日付

西城秀樹さんの曲も、ついこの間書いたばっかりなんだけど、また今週も持ってきちゃいました。
アルフィーも「今頃」のヒットが多いんで、ここのところ毎週のように書いてるんだけど、秀樹も今頃のヒットが意外と多いんだよね。

まあ、秀樹の場合、昨年も「今頃」に何曲か書いてるんだけど、今年も去年書かなかった曲を、この先頻繁に書いていくことになりそうな気配。。。。

今回は、1978年の「今頃」のヒットであった、「あなたと愛のために」をひとつ。

正直言うと、個人的にはこの曲、大人になるまで知らなかったんだよな。
「存在」は知ってた。「ベストテン」で昔の曲を振り返っているとき、何回か出てきてたし。しかもベストテンでは、最高2位まで行ってるんだよね。

ただ、曲は良く知らなかったんだよな。

この曲って、今となってはヒデキの曲の中でも、完全に「死角」になっちゃってるでしょ。 今となっては、ラジオでもまずかからない曲だよな。
 1978年の秀樹というと、どうしても、1曲前の「ブーツを脱いで朝食を」か、この曲の後の「炎」か、そのまた1曲後の「ブルースカイブルー」か・・・って感じで、この曲を上げるヒトは、ほとんど居ないだろうしなぁ。

大体において、この曲を挟んでのリリース間隔が、通常よりも短いんだよね。この時期の秀樹って。

1月 ブーツを脱いで朝食を
3月 あなたと愛のために
5月 炎

・・・・と、2カ月間隔でリリースしている。

当時のリリースパターンは、3ヵ月ローテーションっていうのが、基本だったから、1月に「ブーツを脱いで朝食を」をリリースしたら、この曲は4月リリースっていうのが、基本のはずなんだけど、でも、1か月前倒しでのリリースなんだよね。

でさ、当時の3ヵ月ローテーションリリースっていうのは意味があってさ、つまり、曲のリリース⇒ヒットのピーク⇒ヒットの終焉 っていう曲のヒット寿命が、当時は大体3ヵ月だったんですよね。
だから、3ヵ月ローテーションで曲をリリースすることによって、そのアーティストは1年中ヒットチャートの上位に顔を出すことになり、如何にも「売れてる」って言うイメージになる訳ですよ。

まあ、出す曲出す曲、同じように売れるかどうか・・・というのは、曲の出来にもよるし、売る側の戦略にもよるんで、一概には言えないんだけど。。。

そういうわけで、この「あなたと愛のために」は2カ月間隔でリリースだったことで、どうも、まだ前曲の「ブーツを脱いで朝食を」のヒットのイメージが残ったの時期のリリースだったんじゃないのかなぁ。。。

なんで、今となっては、今一つ印象に薄い曲・・・繋ぎ曲っぽいイメージになっちゃったんじゃないかなぁ・・・なんて思ったりするんだよね。

たださ、印象が薄いイメージの割には、実際の曲は、かなり濃い口な味付けなんだよなぁ。
タイトルからして、如何にも「ロマンス」的な愛の曲・・・そうだなぁ、秀樹だったら、この曲の3年前、1975年の「この愛のときめき」あたりの曲調を想像しちゃったりもするんだけど、そうじゃない。

イントロからして、激しくさんざめくストリングスと、シンセドラムから始まったりするもんね。

実は、個人的には、この曲は一度も聴いたことない状態で、中古レコード屋からシングルを買って、聴いたんだよね。
いや、個人的にも、↑で書いた、「ロマンス」系の曲だとばっかり想像してたんで、激しいイントロにびっくりこいたんだよなぁ。 想像していたイメージと全然違うんだもの。

でも、曲のメロディ的には、正直言って、あまり「ココ」だっていうところは感じなかったなぁ。それまでのヒデキからの新しい面も感じなかったしね。 逆に言えば、当時から見て、すこし古めかしいような感じもあったね。
純粋なポップスというよりも、「歌謡曲」よりって言うのかなぁ、「歌謡ポップス」なんだよね。
うん、70年代の「歌謡ポップス」といったら、「これだ」っていうお手本のような曲って言うのかなぁ。

ただ、イントロのストリングに絡んでくる、シンセドラムの「ポコポコポコ」って言う音は、やっぱり新しいかったんじゃないのかなぁ。
・・・なんて推定で書いてるけど。。。そそそ、ワタシがこの曲を聴いたのは、かなり後になってからだから、シンセドラムなんてのは、全然目あたしくなかったしさ。 
でも、当時の「歌謡ポップス」では、この手のシンセドラムを使ってたっていう前例はあんまりなかったはずだしね。だから新鮮だったはずだしな。
 だから、この曲の「キモ」は、メロディラインかじゃなくて イントロのこのシンセドラムなんじゃないかなぁ・・・なんて思ったりもするんだよね。

ちなみに、このシンセドラム、この曲と同時期の、ピンク・レディーの「サウスポー」にも使われてたりするな。
、当時の流行りだったのかなぁ・・・。なんて思っちゃったり。。。まあ、それだけ当時は斬新だったんだよねシンセって。







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あんたのバラード / 世良公則&ツイスト

1978_03_あんたのバラード_ツイスト








今回の1曲セレクトは、「あんたのバラード」世良公則&ツイストです。

まずはデータです。

・タイトル    あんたのバラード
・アーティスト  世良公則&ツイスト
・作詞      世良公則
・作曲      世良公則
・編曲      ツイスト
・リリース日   1977年11月25日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  43.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1978年1月23日〜2月13日付

ポプコングランプリ受賞曲。 大ヒットした曲は、すでに大分書いてきたんだけど、過去のアーカイブをみていたら、意外な曲をまだ書いてなかったんだよな。
 今回、ちょうどいい機会なんで、そんな曲を引っ張って来ますわ。

世良公則&ツイスト「あんたのバラード」。

いやぁ、超盲点だったな。 まさか、この曲をまだ書いてなかったとは。。。。

世良公則&ツイスト、ワタシにとってはリアルタイムで聴いて、ヒット曲っていう世界にどっぷりと嵌まってしまった頃の「原点」なヒト達ですわ。
うん、このヒト達と、サザンとゴダイゴ。 あの頃「ロックBIG3」って言われていたグループの方々。

もし、このヒトたちが居なかったら、ワタシ確実にここに居ない・・・・というかヒット曲の世界にはどっぷり嵌まった人生は送ってない・・・と100%と言えるヒト達ですわ。その位、私にとってはインパクトがでかかった人たちだよなぁ。

 特に世良さんのワイルドな歌い方に憧れてさあ、髪型まで似せちゃったもん、あの頃。 
うん、当時9歳だったんだけどね。。  当時の写真見ると、髪が肩まであったりするんだよな
まるで女の子みたいでしたわ。。。 で、世良氏をまねて、ホウキもって歌ってましたねぇ。

なんつうのかなぁ、ワイルドで野性味のある男の色気に惚れちゃったのかなぁ。同性(男)から見ても、セクシーだったもんなぁ。
・・・・なんて、9才のクソガキが思う事じゃないけど、でも、やっぱり引き込まれちゃったのは間違いない訳で。。。

たださ、個人的に最初にツイストに接したのは、3枚目のシングルだった「銃爪」だっんだよね。
だから、この「あんバラ」の時は、厳密で言えば、まだリアルタイムではない。
けど、「銃爪」から、すぐに遡って聴いてたりしたから、当時からこの曲は良く聴いてましたけどね。

最初ら書いたように、この曲は、ポフコンのグランプリ曲。 うん、1977年10月に開催された、第14回YAMAHAポピュラーミュージックコンテンストでグランプリを獲得。
 で、その翌月に行われた、第8回「世界歌謡祭」でもグランプリ獲得と華々しい経歴を持ってデビューとなった曲な訳ですわね。

まあ、「世界歌謡祭」とは銘打ってはいるものの、大体は「泊付」のためのような音楽祭ではあった訳だけども。。。
 
 ちなみに、その2年前の1975年にも中島みゆきが「時代」で、そのまた2年前の1973年には小坂明子が「あなた」が、全く同じ経歴でデビューしていたわけで、ポプコングランプリ受賞者では、それほど珍しい経歴ではなかったんだけど。。。

だけども、この曲は、ショッキングだったよなぁ。上記のような世良氏の、野性味あふれる線の太いボーカルもそうだし、曲もね、めちゃくちゃラフなんだけども線太いサウンド。めちゃくちゃ泥臭いロックでしたね。

当時、日本のロックといえば、80年代のシティポップスではないけど、ニューミュージックっていうカテゴリーの出現のお陰で、どちらかと言えば都会的で洗練されたサウンドの方向に向かってたからさ。
少なくとも、ここまで泥臭いロックは、逆に言えば「空席」だったかもしれない、当時は。
そこに突然、このヒトたちが出てきたからさ。そう言う意味ではショッキングだったんだよな。

それと、惜しげもなくテレビの歌番組に出演するっていうのも、ロックアーティストとしては珍しかったからなぁ。当時は。
 
 当時はテレビは「ゲ―ノー的」のモノ。ロックは自分たちの世界を最優先にするってのが、当たり前にあって、だから、「滅私」的なテレビには出ないっていうが常識だったからねぇ。まあ、反商業主義というかね。
数少なかった「ロック」中心の番組を覗いては。

でも、このヒトたちあたりから、歌番組に出演拒否しないロックアーティストがちょびちょび出てくるようになったんだよなぁ。その魁的なヒト達だよね。

そのおかけで、ロックもお茶の間でも聴けるようになった訳で、日本のロックの間口が格段と広がってくるんだよね。
ま、そういうロック系アーティストを出演させた、「ザ・ベストテン」とか「夜ヒット」なんかは、功績は、やっぱりでかかった訳なんだけどもさ。

でも、そう言うおかげで、ワタシとか、当時8才、9才のガキんちょでも、このテの曲をお茶の間で聴けたわけだからさあ。いい時代だったのかもな。
その前に、そんなクソガキなワタシにこのテの唄を聴かせてくれた、ウチの親たちにも感謝。 



これは、恐らく上記の「ポプコン」か「世界歌謡祭」の時の「音」だと思うんだけどさ。
実は、この時のメンバーと、デビュー後、テレビに出演するようになってからのツイストって、実はメンバーが違うんだよね。

あれ? これって有名な話かなぁ?

当時、大学生だったメンバーは、あくまで大学時代の思い出としてポプコンに出演した訳で、グランプリを取ったら解散、そして大学は卒業という事になっていたんだよね。で、ポプコン⇒世界歌謡祭で見事グランプリ獲得。
ここで、実際、一度、ツイストは「解散」してるんですよ。
でも、当時の慣例として、世界歌謡祭でグランプリを獲得したアーティストは、「夜ヒット」に出演させるっていう不文律が存在していたために、急遽、メンバーを集めて「再結成」されたのが、ワレワレが良く知ってる「ツイスト」なんですよね。

 だから、ドラムのふとがね金太氏も、ベースの鮫島秀樹氏も、ポプコンの頃は、まだメンバーじゃないんだよね。(キーボードの神本宗幸氏だけはそのまえからのメンバー)

だからさ、今、世界歌謡祭の時のVTRを見ると、バックのメンバーが違うんだよね。 
以前、まだ、この事を知らない頃、この時のVTRを見て、「あれ?」とは思ってたんだけどさ。 ドラムがふとがね金太氏の独特の叩き方じゃないしさ。

ネットが一般的になりWikipediaが見られるようになって、「なるほどね」なんて思ったんだよな。


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冬が来る前に / 紙ふうせん

1978_03_冬が来る前に_紙ふうせん








今回の1曲セレクトは、「冬が来る前に」紙ふうせんです。

まずはデータです。

・タイトル     冬が来る前に
・アーティスト   紙ふうせん
・作詞       後藤悦次郎
・作曲       浦野直
・編曲       梅垣達志
・リリース日    1977年11月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   43.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1978年2月13日〜3月27日付

 音楽の教科書に載っている曲ってさあ、なんか野暮ったく感じたりしましたよね。なんでなんかなぁ・・・。なんて、今となっては思ったりするんだけど、まあ、結局は「マジメ」っぽく感じるからだよなぁ、きっと。
 そもそも、音楽は、ヒトに強制されて、歌ったり聴いたりするもんじゃないしさあ。それにヒトそれぞれの好みもあるしね。
 ただ、音楽の時間にやった曲って、意外と、その後も覚えてたりするんだよな。 あれ? ワタシだけですかね〜。
 小学校でやった、「ヨット」って曲とかね、
↓ コレ


なぜか、いまでも、たまーに脳裏に浮かんできたりしますね。

中学校の時は、吹奏楽やってたんで、音楽の先生が顧問だった訳じゃない? だから、音楽はマジメにやってたからなぁ。

そんな中学校の音楽の教科書に載ってた曲を、今回は一つ。

紙ふうせん「冬が来る前に」

いや、確かにこの曲、中学校の時の音楽の教科書に載ってんですよ。 っつか、実際に授業でやったんだよな。
 当時はまだ、この曲は、その昔ヒットチャート上位まで行った、「ヒット曲」って確か知らなかったんだよな。
後で知ってびっくりよ。しかも、あの「ザ・ベストテン」にも出てたって事が分かったりしてさ。

この曲が「ザ・ベストテン」にランクインしたのが、1978年3月9日放送分。
個人的には、まだ、ベストテンは見てない。 見始めたのが、この年の11月2日放送分からだからなぁ。。。
だからね、知らなかったんだよね、最初は。 この曲がヒット曲だったって事は。
だってさ、マジメな曲じゃないですか・・・・。 文部省唱歌に推薦してもいい様な。。。。

当時のヒット曲っていったら、「ホレタハレタ」の世界だったでしょ。いかがわしい世界だったんですよヒット曲って。
この曲は、そんなゲーノー界の「ドロドロ」した空気を感じさせない。まっすぐな世界を感じるんですよね。

いや、あの頃は、この曲のような「まっすぐ」な曲って、意外とあったんだよな。 うん、「文学的な匂いのする」真っ直ぐさ・・・というか清純さというか。

そうそう、行間を読ませる詞の世界なんですよね。

歌詞は至ってシンプルじゃないですか。でも、どういう解釈も出来るる 聴く人それぞれが、それぞれの絵面を夢想してもいいんだよね。
そういうところが文学的に感じるんだよなぁ
「文庫本」をいつも持ち歩いている女の子が好きそうな純真な世界だったよね。

さだまさし、松山千春を始めとした、フォークのヒトたちは、概してそんな空気のヒトが多かったじゃない。
で、そう言う曲がまだまだ「大衆支持」を得てた部分も大きかったんですよね。

個人的には、サザン、ツイスト、ゴダイゴからヒット曲に入ったヒトだったからさあ。もう少し下世話な感じの曲が原点なんだよね。
 だけどね。こういう真っ直ぐな曲もキライじやなかったな。 下世話な曲には無かった匂いがあったしさ、それが新鮮だったりもしたしなぁ。
ま、兎に角は、ヒット曲の世界の「入口」にあった頃なんで、なんでも新鮮に感じたんだろうね。


ところで「紙ふうせん」って、後藤悦次郎氏と、平山泰代さんのデュオグループっていうことは、みなさんご存知ですよね。
 そう、もともとは、「赤い鳥」に居た方たち。 1974年に「赤い鳥」が解散し、山本潤子さん 、山本俊彦氏、大川茂氏が「ハイファイセット」、さして、後藤悦次郎氏と平山泰代さんが「紙ふうせん」と、2つのグループに分裂したわけですわ。

ハイファイセットは、スマートでハイソサエティなコーラスグループに変貌し人気を得た訳だけど、紙ふうせんは、赤い鳥の路線を踏襲し、引き続きフォーク畑に残ったんだよね。
ただ、そこそこヒットを飛ばしていたハイファイセットに対して、このヒトたちは、この曲までなかなかヒットに恵まれなかったんだよね。
で、この曲でようやく芽が出た訳だ。 しかも、元々はラジオから火がついたんだよね。まあ、当時はラジオ発のヒット曲っていうのは多かったですからね。 特にフォーク系のヒトたちは、テレビにはほとんど出ないヒトが多かったんで、そう言う傾向が強かったですからね。

ただ、本格的に「火」がつくまでには、ちょっと時間がかかりましたね。リリースは1977年の11月1日。タイトル通り「冬が来る前に」っていう頃だったけど、ヒットのピークは、1978年のちょうど今頃。
冬も終わりに近づき、もうすぐ「春」って時期でしたからねぇ。「冬が来る前に」っていうタイトルには、ちょっと違和感を覚えたりしてね。

で、まあ、大ヒットに結びついたのは、この曲のみ。今風にいえば「ワン・ヒット・アーティスト」って事になりますかね。
あー、なんか耳馴染みないな。うん、いわいる「一発屋」ですわ。

 でも、元「同僚」のハイファイセットも、いくつかヒット曲は持っているものの、ベストテンヒットは、「フィーリング」1曲だけなんでね、その点は「紙ふうせん」と同じって訳で。。。



それにしても、この曲1曲でも、今も「現役」なんだよね、お二人とも。
演歌のヒトは1曲大ヒットを出せば、一生食っていけるっていうのは定番だけど、フォークシンガーも意外とそう言うところがあるのかなぁ。もちろん、なかなか表舞台には出て来ていませんけどね。


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カナダからの手紙 / 平尾昌晃 畑中葉子

1978_03_カナダからの手紙_平尾昌晃畑中葉子








今回の1曲セレクトは、「カナダからの手紙」平尾昌晃 畑中葉子です。

まずはデータでする。

・タイトル    カナダからの手紙
・アーティスト 平尾昌晃 畑中葉子
・作詞      橋本淳
・作曲      平尾昌晃
・編曲      森岡賢一郎
・リリース日  1978年1月10日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 70.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1978年2月13日〜5月1日付

カラオケも今や、完全に日本の「文化」に溶け込んでしまいましたね。 
「しまいましたね」っていうのは、大げさかもしれないけど、今や、余程、自分で歌う事に自信が無い方以外は、ボックスや、スナックなんかの飲み会で、1回はマイク握ってるるんじゃないですかねぇ。
まあ、「ここ」みたいな音楽系のブログを覗きに来られるくらいの方でしたら余計ですよね。

今は、カラオケボックスとか、ゲーム機、はたまた着うたサイトにまでカラオケが入ってくるらいだから、めちゃくちゃ手軽に楽しめるようになったけど、昔、まだまだカラオケの黎明期は、飲み屋に行かなきゃ、専用機がなかったんだよね。
 最初は、酒のお供だったんだよね。 それから「8トラ」(8トラック)の家庭用カラオケ専用機が出てきて・・・って感じだったよなぁ。

 かくいうワタシもね、初めて「カラオケ」と言うモノをやったのは、この8トラの家庭用カラオケ機でしたねぇ。うん、友達の家にあったんだよね、これが。
たしか、1977年か、1978年の頭だったと思う、うん。まだ小学2年生だったことは覚えてるから。

でもね、当時は、まだカラオケというと、「宴会」とか飲み会の余興って感じだったから、オジさん、オバさん用の曲がほとんどでさ、若者向けのポップスのカセットはほとんどなかったんだよなぁ。


 今回の1曲セレクトは、そんな「ワタクシ」がはじめてカラオケをやった頃のヒット曲をセレクト。

平尾昌晃 畑中葉子「カナダからの手紙」

いやあ、この曲もカラオケでは、長年すっかり「お馴染み」の曲だよなぁ。「デュエット」曲としては超定番だよね。

そんな感じの曲だから、今となっては、「演歌・歌謡曲」っていうイメージが強くなってしまった、この曲だけど、リリース当時は、全然そんな感じじゃなかったよなぁ。
 サウンド的にも78年当時の他のポップスと変わりなかったし、歌謡曲特有の古臭さを感じなかったんだよな。
だから、完全にポップスっていうイメージでしたよね。

まあ、確かにあれから38年経っている訳で、今聴くと、流石に古いよなぁ・・・って感じだけどさ。

サウンド以外に古臭さを感じなかったっていうのは、この曲のシチュエーションだよね。
「カナダからの手紙」ということだから、今でいう長距離恋愛ですわな。そのシチュエーションが当時としては、一歩進んているように思えたんだよね。まあ、当時も長距離恋愛」してた方いっぱい居ただろうけど、まだエンターテメント的にクローズアップされていなかった時代だし。

ちなみに、遠距離恋愛っていうシチュエーションもあってか、平尾氏と畑中さんがバラバラな場所で歌うってこともあったよなぁ。
 その一番のハイライトは、「ザ・ベストテン」で、平尾氏がGスタ、畑中さんが「甲子園球場」っていう初の2元中継での歌唱っていうのが話題になりましたよね。
 今でこそ、特段な技術ではないけど、当時は、別々な場所で歌って音を合わせるっていうのは大変な事でしたから。


あ、話がずれた。。。
 それと、「カナダ」って地名だよね。この曲がリリースされる2年前に、カナダのモントリオールでオリンピックがあったんだけど、まだ当時は、大多数の方にはカナダってよく知られてなかったような気がするなぁ。
ただ、時折テレビで放映される、カナディアンロッキーの大自然って言うイメージが強かったのは確かだけど。。。だからね、カナダって言うと「きれいな大自然」っていうイメージだったよな。

そんな大自然のカナダと、せせこましい大都会東京どの恋愛って言うシチュエーションからこれまた途方もなく遠距離に感じちゃったりして、この曲をより一層ドラマチックに感じされちゃったんじゃないですかねぇ。

・・・ってか、そんな風に受け止めた方が、多かったんじゃないかなぁ。
・・じゃなきゃ、オリコンで1位取るほどの大ヒット曲にはならなかったんじゃないかな。

うん、当時のオリコン1位の重みは、現在の比じゃなかったですからね。それじゃなくても「ピンクレディー」っていうモンスターが人気絶頂の時代ですから。。
 その時代に、オリコン1位をもぎ取るっていうのは、それこそ大変な時代だった訳ですからねぇ。

ちなみに、この曲の大ヒットお陰で、このすぐ後、カナダブームが来た・・・って覚えてるんですが・・・。
まあ、個人的な記憶の中なので、定かじゃないけど。。。。


ところで、畑中葉子さんは、この曲がデビュー曲となる訳だけど、もともとは平尾昌晃ミュージックスクールの生徒だったヒト。
 そそそ、デュエット相手の平尾昌晃氏のお「弟子」さんですわね。 
wikipediaで調べてみると、1959年生まれとあるから、ワタシと丁度10才違いですわね。・・・ということは、ヒット当時は18才〜19才・・・と高校卒業の頃だわなぁ。
 それにしては、オトナっぽいよなぁ。ウタもしっかりしてるし。やっぱり、当時の歌い手さんは早熟な方が多かったんだよね。
  まあ、だからして、その後20才そこそこで脱いじゃったりしても全く違和感が無かったのかも・・・な



 
どーでもいいけど、やっぱ「夜ヒット」の演奏は、「お粗末」なんだよなぁwwww。
エレキギター、どうにかならなかったんでしょうか。。。
ダン池田氏も「芸能界本日モ反省ノ色ナシ」なんて暴露本書いてる場合じゃなかったんじゃなかったんじゃないですかねぇ。そんなことしてる間にバンドの練習して欲しかったよね。。。。。。


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い・に・し・え / 日暮し

1978_02_いにしえ_日暮し








今回の1曲セレクトは、「い・に・し・え」日暮しです。

まずはデータです。

・タイトル      い・に・し・え
・アーティスト     日暮し
・作詞       武田清一
・作曲       武田清一
・編曲       星勝
・リリース日   1977年11月25日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位  14位
・売上げ枚数  21.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 15位
・タイアップ:日本テレビ系ドラマ「恋歌」挿入曲

 特別大ヒットした訳じゃないのに、なーんか気になってしまう曲が時々あるんだよね。
曲をちゃんと聴いた訳でもないのに、例えば雑誌でタイトルの「文字列」を見ただけで、なんか引っかかっちゃうとかね。
ハイハイ、今回セレクトしてきた曲も、そんな1曲だったりします。

日暮しの「い・に・し・え」。

タイトルを見て、「なーつかしいなぁ」って言う方と、「全然分かんない」って言う方と、恐らく完全に2つに分かれちゃう曲だろうなぁ。

・・・と書いてるワタシも、実はリアルタイムの頃は、全く存在すら知らなかったんだけどね。

これよりずっと後、ワタシが自分のランキング作りに夢中になっていた大学生の頃、1977当時の「コンフィデンス」を国会図書館で見てて、どうも気になるグループが居たのね。それが、この「日暮し」っていうグループ。

当時は、まだ曲も知らないから、70年代当時よくあった、フォーク系のグループだろう・・と思ってたんだよね。
あの頃、いっぱいありましたよね。フォーク系のグループって。

でも、さらに数年経って、「歌謡曲完全攻略本」っいう本を手に取ると、この曲が取り上げられていたんだよね。
しかも「ロック系」のカテゴリーで紹介されている。

なんかねぇ、ものすごいギャップを感じたんだよね。そそそ、上で書いたように、個人的にはフォークグループだと思ってたから。。。

それとともに、なんかこの曲に興味が出てきてさ、中古レコード屋を駆けずり回ってこの曲のEP盤を購入。

聴いてみると・・・・。うんにゃ、当たり障りはフォークっぽいなぁ・・・って言う印象。
それよりも。ボーカルの榊原尚美さんの、ファルセットボーカルが強烈なんだよよね。 

今じゃファルセット唱法の歌手なんて、とっくに絶滅したもんなぁ。 いや、それは、この曲を聴いた頃もすでに絶滅だったから、逆に新鮮に感じたんだよね。

ただ、フォークはフォークでも、流石に斬っての「流行歌愛好家」達が「ロック」のカテゴリーに入れただけあって、ただのフォークじゃねぇぞ。
 重いんだよね。リズムが。なるほど、これはフォークというよりロックと言った方がいいかもしれない・・・と納得するような。

そんな重いリズムと、ボーカルのファルセットとのアンバランスさがね、面白いんだよね。

アレンジは、それまで井上陽水と組んでいた、星勝氏が担当。なるとぼ、この辺りは星勝氏のアイデアだよね。

井上陽水氏が、「氷の世界」で大フレイクしたのも、フォークというよりニューミュージックの旗手といわれたのも、星勝氏の「4畳半」然なフォークではなく、よりロックに近付けたアレンジのフォークだったからだしね。

その手法はそのまま、この曲でも感じ取ることが出来たりするんだよね。

まあ、その前に、この曲を中心とした、同時期にリリースした「ありふれた出来事」っていうアルバムのバッキングミュージシャンを見ると、これが至極豪華なんだよね。

Drums 村上"ポンタ"秀一 etc
Bass  小原礼、後藤次利 etc
Electric Guitar 大村憲司, 高中正義, 椎名和夫 etc
Keyboard 深町純 etc

このメンツを見て、単純にフォークとカテゴライズするのは、やっぱり、間違ってるようなぁ・・・なんて感じたりして。

それと、作詞作曲した、武田清一氏は、中学高校時代に後のRCサクセション、忌野清志郎氏(まだ、本名の栗原清志だった頃)、ベースの小林和生氏とフォークグループを結成していた・・という、いわば「RC」人脈の一人でもあるんだよね。

今回、これを書くにあたって、ちよこちょこネットで調べたりしたんだけど、「歌謡曲完全攻略本」で、この曲を「ロック」に分類したヒトは、実際の曲以前に、これらの流れを分かっての上のカテゴライズだったのかもなぁ・・・なんて妙に納得しちゃったりもしてね。

ちなみに、この曲がヒットしてた頃は、RCサクセションは、まだロックのメジャー戦線には浮上していない。全く持ってインディーな存在でしかなかった頃。
 したがって、忌野清志郎氏と、旧知の仲である、武田清一氏のほうが一足早く「ヒット」を出した事となる。

ただ、「日暮し」のヒットは、この1曲のみ。俗に言う「一発屋」で、このヒットから2年後の1979年に解散。
で、RCがメジャー戦線に浮上し、ロックの王道をバクシンし始めるのが翌1980年。
こんなの見ると、時代ま流れは皮肉だよね。

あ、それと、蛇足だけど、ボーカルの榊原尚美さんは、その後、杉村尚美と改名して、1981年に「サンセットメモリー」を大ヒットさせましたよね。
そそそ、あのファルセットボイスの杉村尚美さんが、「日暮し」のボーカルだったんですよね。




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赤い絆〜レッド・センセーション〜 / 山口百恵

1978_01_赤い絆_山口百恵








今回の1曲セレクトは、「赤い絆」山口百恵です。

まずはデータでする。

・タイトル     赤い絆〜レッド・センセーション〜
・アーティスト   山口百恵
・作詞       松本隆
・作曲       平尾昌晃
・編曲       川口真
・リリース日        1977年12月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数   21.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1978年1月16日〜2月6日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「赤い絆」主題歌

 山口百恵さんの曲も、ワタシがリアルタイムで聴いてた、70年代終盤〜引退までの曲はすでに大体書いたんだよね。
 なので、今年は、リアルタイムで聴いてた78年から以前に遡ることになるのなぁ。
まあ、78年以前は現時点でも、あんまり聴いてないんでね、どこまで書けるかはちょっと不安だけど。。。

・・ということで、今回は、まだ、リアルタイムでは聴いてなかった、78年の今頃のヒットを持って来ますか。

赤い絆〜レッド・センセーション〜。

TBSで放送されていた大映ドラマ「赤いシリーズ」の第6弾、同名タイトルの主題歌ですわね。
ま、改めて書かなくても、ワタシらの世代くらいまでは覚えてる方も多いんじゃないかなぁ。

今、調べたら、平均視聴率29.5%だって。すんごいですねぇ。。。今は、単発でも30%近いドラマなんて皆無だもんなぁ。いかに当時の百恵さん主演のドラマ、うんにゃ「赤いシリーズ」が人気があったか・・・ってのが分かりますよね。

・・・といかにもワタシも見てたぞ・・・風に書いてたりするけど、スミマセン、ワタシ見てなかったです。。。。

なので、これ以上ドラマのことは語れないんだけどさ。。。


でも、この曲は、これまで大分聴いてきたよなぁ。

この曲と言ったら、なんと言っても、番組開始時の「ザ・ベストテン」だろうなぁ。 

初めてのベストテンを発表した1978年1月19日放送分では11位。 
僅かにベストテンから漏れてんですよね。それでいて、出演拒否だった中島みゆきさんの「わかれうた」は4位にランクインされていて、この事で、当時の若手ディレクターたちは、上からこっぴどく怒られたそう。

当時の正直から言えば、ランキング操作してでも、数字がとれる山口百恵を入れて、出演拒否の中島みゆきさんは落とすのが通例・・・と言う事なんですよ。 しかも同じTBSのドラマの主題歌だもんね。

でも、ランクをきちんとしたからこそ、その後の「ベストテン」として成り立ったのだから、これでよかったんだよね。

ま、「ベストテン」には、次の1月26日放送分には、晴れて8位にランクイン。
「ベストテン」では、その次の2月2日放送分が一番の話題だったろうなぁ。

この時は、5位が桜田淳子さん「しあわせ芝居」、そして4位が「赤い絆」と、淳子&百恵が並んでランクイン。
先日、桜田淳子さんの「はじめての出来事」を書いた時、二人での1位争いは、その時1回だけ・・・と書いたけど、「ベストテン内」に範囲を広げると、さすがに結構、二人並びでのランク争いはあったんだよね。

で、この時の「セット」が話題になったよねぇ。 淳子さんの「しあわせ芝居」が衣装の青に合わせた白い部屋のセット。そして歌が終わった直後、天井が反転して、赤い階段が現れ、一番上に山口百恵・・・って言う構図のセット。
 ま、文字で書くとこんな感じなんだけど、実際、動画で見てみると

 ↓ コレ
http://v.youku.com/v_show/id_XNTE1MzU5NDk2.html

今見ると、それほど大掛かりではないようにも見えるけど、当時としてはかなり大がかりなセット反転ということで、話題になりましたよねぇ。
 これも、当時、「全員集合」での「盆回し」と言われたセット反転技術があったTBSだからこそ出来た「技」でしたよね。


ところで、この曲、作詞は、松本隆氏なんだよねぇ。 山口百恵と言えば、前半は千家和也氏、後半は阿木耀子女史というイメージが強かったわけで、松本隆−山口百恵っていう印象は全くないんだけどねぇ。
実際は、シングルのタイトル曲としては、この曲と、80年のやっぱり今頃のヒット、「愛染橋」の2曲を書いてたりする。
 まあ、どちらの曲も、山口百恵としては、「低レベル」な売り上げだったからなぁ。印象に薄いんだろうね。
70年代の松本隆氏といったら、どうしても太田裕美っていうイメージが強いし、やっぱり80年代の松田聖子の松本ブランドが強力だったからなぁ。

その前に、歌詞云々というより、山口百恵ってヒトの存在感がでかすぎましたね。
さしもの松本隆氏のネームバリュームも吹っ飛んでしまった・・・って感じで。

ただね、この曲、ドラマの高視聴率に対して、売り上げが低レベルだったのは、テレビではTBSでしか歌っていなかった・・・ってのが大きかったみたいね、やっぱり。
 さすがにTBSのドラマの主題歌、他の局じゃ歌えないもんなぁ。だから「夜ヒット」でもこの曲は歌っていないし。
当時は、テレビの「歌番組」が売り上げを左右するって言うほど、歌番組の影響力は大きかったですからねぇ。




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俺はぜったい!プレスリー / 吉幾三

1978_01_俺はぜったいプレスリー_吉幾三






今回の1曲セレクトは、「俺はぜったい!プレスリー」吉幾三です。

まずはデータでっす〜。

・タイトル    俺はぜったい!プレスリー
・アーティスト  吉幾三
・作詞      やまだあつし
・作曲      山鉄平
・編曲      (クレジットなし)
・発売元     クラウン
・リリース日   1977年11月25日
・オリコン最高位 25位
・売上げ枚数   12.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 27位


 えー、今回はコミックソングです。
タイトルをみて、「かじやんは、ついに頭がおかしくなったのか?」と思われた方、うーん、まあ、半分当たってるかな!?
・・・・でも、ご心配なく・・、とりあえず、生きてます


 ・・・なんてね。。

 ここんところ、ちょっとマジメな曲が多かったんで、ちょっと横道にそれたくなっただけですヨ。


 しかしさあ、最近、このテの「コミックソング」ってほとんど無くなっちゃったねぇ。 
 お笑いのヒトが歌う曲は多いけど、あれは、別にコミックソングではないからさぁ。
 お笑いではなく、正真正銘の「アーティスト」が歌う、「おふざけ」ソングですよ。

 どうしてなんだろうねぇ。ウケないから? うーん、今だから、逆に受けるような気もするんだけどなぁ。

 まあ、アーティストのヒトたちも、みなさんマジメになったってことなんだろうねぇ。ぶっちゃけたヒトが少なくなったというか・・・。

 でもさ、この曲の場合、たしかにコミックソングだけど、実際、吉幾三氏が青森弁丸出しで「なまって」マジメに歌ってるのがいいんだよね。

 覚えてないですかねぇ

♪ 俺は田舎のプレスリー 百姓のせがれ〜 村じゃ人気のプレスリー 田舎のプレスリー ♪ 

ってやつですねぇ。 ま、これと同じパターンで、この曲から丸7年後に「俺ら東京さいぐだ」が出たんだけど、曲としては、それよりは、かなり朴訥としてますよ、今からして思えば。

 そうそう、フォークソングなんだよね。うーん、フォークコミックとでもいいましょうか。

 あ、いやいや、これぞ正真正銘のジャパニーズカントリーだっぺね。(頭の中でなまってくだされ。。)

 吉幾三も、この曲ではアコギ弾きながら、弾き語りでうたってんすよ。 

 後年の吉幾三を思い浮かべる方は、「え? このヒトって演歌なんでないの?」って思われるかもしれないけど、いやいや、じつは、最初は、「フォーク」から出てきたんだよね。

 あ、これって意外かなぁ?

 ちなみに、「俺ら東京さ行ぐだ」も、オリコンではフォーク・ニューミュージックにカテゴライズされておりました。だから「俺ら〜」もオリコンでは演歌チャートではなく、フォーク・ニューミュージックチャートに入ってたんだよね。

 まあ、これも、この「俺はぜったい!プレスリー」があったからこそと思うんだけどさ。


 でも、ワタシ、この曲の頃はまだ、この世界に入る前だったんだけど、この曲は、なんか、はっきり覚えてるんだよなぁ。
「全員集合」とか、お笑い番組にも随分出てたからかしらね。

 だけんど、吉幾三氏もこの曲から、例の「俺ら東京さ行ぐだ」まで7年間は、全くの泣かず飛ばずだったんですよね。

 その後の地元、青森五所川原の「白亜御殿」からは想像もつかないけど、売れない間はかなり大変な生活だったようですよねぇ。

 まあ、今も昔も売れれば天国、でなけりゃ地獄なゲーノー界だけど、70年代は、ことフォークアーティストは、極貧生活を強いられていたヒトが多いようですねぇ。



なんだ、♪ ウンコも踊りだす ♪ ってさあ(爆)

だけど、今回、最後まで聴いたんだけど、最後は「出てけ」って言われちゃうんだね。
コミックソングなのに、最後はなんか哀しい終末になっちゃうのね。


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