かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1978年

巡恋歌 / 長渕剛

1978_11_巡恋歌_長渕剛


今回の1曲セレクトは、「巡恋歌」長渕剛です。

まずはデータでする。

・タイトル    巡恋歌
・アーティスト  長渕剛
・作詞      長渕剛
・作曲      長渕剛
・編曲      鈴木茂
・リリース日   1978年10月5日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 100位以内ランクインせず
・売り上枚数   −枚

えー、今回はマクラなしで直接行きますか。
久々に、「変則」曲と行きますか。変則曲っていうのもちょっとおかしいけど、後年大ヒットした曲の中で、オリジナルは全くかすりもしなかった・・って曲ですね。

長渕剛 「巡恋歌」 

どうもね、「筋肉マッチョマン」になったしまった後の長渕の印象が強いだけに、ヒトによって好ききらいが激しいアーティストでしょ、長渕って。

だから・・・って言うこともありーの、ここでもあんまり書いて来なかったアーティストの一人かもしれない。

でもね、個人的には、キライじゃないんだよなぁ、長渕って。
昔、某着メロサイトで配信曲のセレクターやってるとき、ゴーインに当時のニューアルバムの全曲特集なんてやっちゃったくらいなんで。。。
まあ、プロデューサーっていう権限で半ばゴーインにやっちゃった・・・ってのもあるけど。。。
(でもそこそこのダウンロード数を稼げて、一応面目躍如だったんだよな。。。)

・・・・ってくらいだからさ。

とは言っても、個人的にも、まだ「筋肉マッチョマン」や「ヤクザ」になる前、「やさ男」だったころの長渕が好きだったんだけどね。

今回、持ってきた「巡恋歌」はデビュー曲。 まだ、もろ「やさ男」だったころの曲ですわ。

うん、そもそも↑の「ジャケ写」の写真からして、今の長渕しか知らない方には「別人」にしか思えないかもしれないもんな。
 もしかしたら、誰かの「カバーか?」なんて思われるかもしれないけど、正真正銘、今から39年前の長渕本人なのよ。

線が細くてナイーヴで、それでいて、当時から少しひねくれていて・・というか、ヒトを信用していないようなところがありましたよね。

それでも、当時の長渕が好きだったんだよな。 なぜって言われると困るけど、古いようでなんか新しい匂いがしたっていうかね。

この「巡恋歌」。 初めて聴いたのも恐らくは、リリースされてそんなに月日が経っていない頃だと思う。
うん、いつ、どこで聴いたかっていうのは、全く覚えていないんだけど、少なくとも80年代の最初の頃だったと思う。
「順子」で大ブレイクしたのと同じくらいの頃かなぁ。 「乾杯」(と言っても80年にリリースされた「オリジナル」の方ね)と同時に聴いたのかなぁ。

どっちもね、いい曲や〜・・・って思ったのだけは覚えてるんだよな。

なんちゅうのかねぇ、簡単に言えばキャッチーの一言なんだけど、でも体に染みてくるんだよな。

ほら、ウイスキーをチビチビ飲ってるとき、体に染みてくる感じっていうかなぁ・・・。いい意味でトリハダが立つっていうか震えが来るんだよね。 

まあ、吉田拓郎氏に憧れ、拓郎フォロワーだっただけに楽曲の形式も拓郎氏そのものだし、曲自体はそれまでいくらでもあったフォークにちょいと音を厚くしたような、いわいるフォークロックやつで。
音的には全く目新しいところは無いんだけども、でも耳に入って来ると新鮮。

これが印象的だったんだよな、デビューの頃の長渕って。

まあ、デビュー曲といっても、「2回目」のデビューなんだけどね。

・・・って書くと、「なんじゃらほい?」って感じなんだけど。。。 

うん、知ってるヒトは知ってる事だけど、実際、長渕って、この曲の前に、一度、ビクターからデビューしているんだよね。 そそそ「雨の嵐山」って曲で、アーティスト名も「長渕剛(ごう)」っちゅう、本来の読みとはも少し変えられて・・・。

本人としては、アーティストとして地道にライブハウス周りをしたかったようだけど、実際は本人の思惑とは全く違い、事務所としては「芸能人」として売り出したかったらしく、デパート屋上でのキャンペーン周りの日々。

しかも、これが全く売れなかった訳で。。。。 挫折。

そんな日々に嫌気がさして、博多に戻ってしまう。 

でも1年後、「再起」をかけ、再度、1978年第15回ヤマハ「ポプコン」に応募し、本選入賞したのが、この「巡恋歌」。

そのときの画像が ↓ コレ




今聴くと、めちゃくちゃシンプル。だけど、ギターの弾き方は、後年と変わんないんだよな。当時から長渕スタイル。

それにしても甘いんだよね、声が。当時から言えば、引っかかったのはここなのかもしれないし、拓郎フォロワーを自認してたけど、一番違ったのもそこかもしれない。

そして、今と一番変わってのも、体型だけじゃなく、そこかもしれないな。

今聴くと、ホントいい曲だと思うけど・・・・でも、それでも売れなかった。 

オリコンでは100位にも入らなかった。 今でこそオリコンは101位以下も売り上げ枚数をだしているけど、昔は101位以下は売り上げを公表していなかったわけで。。。
だから、この曲の売り上げは、オリコン的に言えば「0枚」と言う訳なんだよな。

やっぱり時代と折り合いがつかなかったんだろうな。 たしかに時代はニューミュージック全盛の時代にはなっていた。
でも、時代が求めていたのは、新しい形の音楽。 

一時代の前のスタイルの長渕は、見た目上、アナクロな存在だったんだろうな。


ところで、2度目のデビューなんて今では、ほとんど聞かないけど、昔は結構いたんだよね。 再起をかけた再デビュー、再再デビューなんてさ。

五木ひろし氏なんて有名だし、フォーク・ニューミュージック系では「アルフィー」も再デビュー組として有名だよね。

その後「大御所」となって、未だに現役を続けて来ているアーティストには、こんな風に「苦節何年」なんて浪花節ぢやないけど、苦労してきているヒトたちは多い。

そして、長渕も、そんな挫折を経験したなかで、アーティストとして大きくなってきたんだよね。

でも、そんな苦節を味わってきた中での経験からなのか、「愚痴」っぽい歌詞の曲も、この頃は多かったんだよな。

まあ、この「巡恋歌」からして、愚痴っぽい曲ではあるんだけどさ。

2番の歌詞にある 

♪タバコを吸うなとか 酒を飲みなとか ワタシの勝手じゃないの〜 ♪ とかさ。

これ捉え方によっては、再デビュー前に味わった、自分の思惑とは違い、事務所に言われるがままの「営業」の日々に対する愚痴にも聴こえたりするんだよね。

いや、この曲だけに限らず、他にもあるんだよな。

例えば、80年のアルバム「乾杯」に収録されている 「暗闇の中の言葉」なんかはまさに、そんな苦い時代を吐露しているような曲だしね。

でも、そんな苦い時代を糧に長渕はビッグになって行く。 

この「巡恋歌」は、その出発点になった曲なんだよね。



つづく



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追いかけてヨコハマ / 桜田淳子

  1978_03_追いかけてヨコハマ_桜田淳子


今回の1曲セレクトは、「追いかけてヨコハマ」桜田淳子です。

まずはデータです。

・タイトル     追いかけてヨコハマ
・アーティスト   桜田淳子
・作詞       中島みゆき
・作曲       中島みゆき
・編曲       船山基紀
・リリース日    1978年2月25日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 11位
・売上げ枚数   16.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1978年3月20日〜4月3日付

それぞれのアーティストにはターニングポイントってあるんだよなぁ。
特にビックヒットを連発していた、いわいるトップアーティストになればなるほど、そのターニングポイントっていうのは顕著になってくるんじゃないかなぁ。
あれがあったからトップアーティストにブレイクした。逆に、あれを境にヒットから遠ざかった・・って言う境ですね。

要因としては、特によく見られるのが時代との折り合いですよね。 楽曲が時代と折り合わなくなったとかさ。それと、単純にアーティストパワーが弱くなってきたっていうのかな。 まあ、この2点が複合的に絡み合うっていところが一番多いかもしれない。

ヒット曲クロニクルの時代的なターニングポイントとして、振り返ってみると、その一つとして1978年って言うのがある。
 70年代アイドル時代の終焉と、反面、ニューミュージックの台頭って言う時代の流れですね。 その中間的な役割として「ザ・ベストテン」があったもするんだけどさ。

今回は、そんな1978年がターニングポイントとなった方の曲をひとつ。

桜田淳子「追いかけてヨコハマ」。

この曲覚えてる方、いらっしゃいますかぁ〜。 いや、あの時代を知ってる方は、まだ、知ってらっしゃる方も多いかな。

この曲の前が、「しあわせ芝居」っていう中島みゆき、作詞作曲で話題になった曲。 それまで暫く「中だるみ」的な売り上げとなっていた、桜田淳子さんだけど、この「しあわせ芝居」で、再び息を吹き返した・・・という。

で、今回の「追いかけてヨコハマ」それにつづく、中島みゆきさん作詞作曲の第二弾シングルですね。

でもですね、約36.5万枚の売り上げを記録し、オリコンで3位まで行った「しあわせ芝居」に対して、この「追いかけてヨコハマ」は、売り上げ16.4万枚。オリコンではベストテン入りも逃す・・・という、トップアイドルの座について以後、初めてと言ってもいいほどの低レベルの売り上げに終わってしまう。

まあ、要するに「柳の下にドジョウは2匹」居なかった・・・って事になる訳なんだけどもね。

だけんども、なぜに、急にこれだけ売り上げが下がったのか・・・って言うのもあるんだよね。

なにせ、前作からいきなり半分以下の売り上げ。 それだけでなく、オリコンではベストテン入りも出来なかった・・・と。

ま、そこが最初に書いたような時代の流れ、時代のターニングポイントだったんじゃないか・・・そんな風に感じる訳なんだよね。

同じような傾向にあったトップアイドルが、もう一人。 そそそ野口五郎氏もそうなんだよな。

まあ、桜田淳子さんも、野口五郎氏も、オリコンは別として、「ザ・ベストテン」では、78年中はベストテン入りしてたし、野口五郎氏なんかは、78年秋に「グッドラック」のヒットで息を吹き返したように思えたんで、あの時点では、それほどのダメージは感じなかったかもしれない。

でもさ、今振り返ってみると、それ以前、数年の「全盛期」に比べると、確実に売り上げは下がってきてたからなぁ。
その傾向が富に現れたのが78年なんだよね。

特に桜田淳子さんは、この「追いかけてヨコハマ」を皮切りに、次の「リップスティスック」でぎりぎり、オリコン10位に食い込んだものの、それが「最後」のベストテン入りとなってしまう。
明らかなアーティストパワーダウン・・・そう言う傾向の時期だったんですよね。


まあ、上で再三書いたように時代の流れとアーティストパワーというのは大きな要因ではあるんだけども、曲調の変化っていうのも大きかったんじゃないかなぁ。

この「追いかけてヨコハマ」って曲。 今聴くと、ほぼ「歌謡曲」なんだよね。前年まで見られた「ポップス」的な曲調とは明らかに違う。

ま、その過渡期となった、前曲の「しあわせ芝居」もそれまでの曲調とは違った。 けど、この曲はそれまでのアイドルには無かったような曲調が新鮮だったんだよね。
 メロディラインがクラシック的でさ。 いや伝統的なクラシックというよりは、イージーリスニング的というかね。そんなメロディラインが新鮮だった。それに加えて中島みゆきさんがアイドルに曲提供したっていう話題性も加わったしね。 

でも、この「追いかけてヨコハマ」って言う曲は、おなじ中島みゆきさんの曲でも、それほど新鮮味がないんだよね。もろ歌謡曲的。
 時代は歌謡曲からニューミュージックへ・・・っていう曲調の変革期。いかにそれまで無かったような新しい楽曲が出てくるか・・・って言う期待があった中、時代を逆行して行ったかのような感じが強いんだよな、今聴いても。
そそそ、78年の曲と言うよりは、75年くらいの匂いがするんだよね。

当時、桜田淳子さんはまだ19才だったはずなんだけど、それにしては大人びた・・・いや、老けた感じの曲だよな・・・って言う印象も拭えなかったりもしてさ。

まあ、それらの要因が色々と絡み合っての売り上げだったんだろうな。

ただね、色々と書いたけど、個人的には、意外とこの曲印象に残ってたりするんだよね。 
当時、まだ、ヒット曲の世界には足を踏み入れてなかったワタシだけど、この曲は覚えてたりしたもんな。
むしろ、この曲の次の最後のオリコンベストテン入りとなった「リップスティック」の方が印象に無い。

本来なら、松本隆−筒美京平っていう、個人的に大好物路線である「リップスティック」の方が印象に残りやすそうに思えるんだけどね。

やっぱ、中島みゆきさんの曲っていうのは、時代性を超えたアクの強さっていうのがあるんだろうな。 だから、それが洋楽的だろうと、歌謡曲的だろうとアクの強さで印象に残ってしまう・・・と。

そんな所を感じさせる1曲だったりしてね。



ちなみに、この曲と全く同時期にヒットしていたのが、木之内みどりさんの「横浜いれぶん」。
奇しくも、同じ「横浜」を舞台にしたヒット曲だったしたけど、印象としては、やっぱこの「追いかけてヨコハマ」がひとつ上だったかな。

それにしても、この後も「横浜」を舞台にしたヒット曲って多いよね。
「歌謡曲」っていう音楽のイメージが、横浜と合うんだろうねぇ。
どこか異国情緒を感じる趣と、日本的な趣が交差する街って言う雰囲気が差。 
歌謡曲も、向こうの音楽の官能的な部分と、日本情緒が交差した音楽だからさ。そんな異種交流的な雰囲気がシンクロするんだろうな。


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グッド・ラック / 野口五郎

1978_09_グッド・ラック_野口五郎


今回の1曲セレクトは、「グッド・ラック」野口五郎です。

まずはデータです。

・タイトル    グッド・ラック
・アーティスト  野口五郎
・作詞      山川啓介
・作曲      筒美京平
・編曲      高田弘
・リリース日   1978年9月1日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 4位
・売り上げ枚数  22.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1978年9月16日〜10月9日付

心情的に「あー、書きたいわぁ」と思っても、なかなか腰が上がらない曲ってあるんだよね、個人的には。
ま、大体が、ヒット当時は、それほど「真剣」に聴いてなかったんだけど、後年になって「お、良いぞ」と心変わりした曲なんだけどさ。

そう言う曲が、最近溜まってきてるんだよなぁ。

まあ、自分本位でセレクトして行くと、どうしても自分の中でずっと引っかかりが強い曲を最初に書いちゃう訳で、逆に、あんまり引っかかりが少ない曲、あるいは、ヒット当時、引っかからず接点が少なかった曲って残ってきちゃいますからねぇ。

・・・なんて、今回は愚痴っぽいマクラで初めちゃいましたが。。。

今回は、そんな「当時」は、引っかからなかったんだけど・・・今は引っかかってますよ〜・・・って曲をひとつ。

野口五郎「グッド・ラック」

なんて書くと、「え?」なんて思う方も多いかなぁ。

この曲は1978年(昭和53年)の今頃ヒットのピークを迎えていた、野口五郎として、78年の「勝負曲」とも言える1曲ですね。

オリコンチャート的に言えば、前年10月の「風の駅」(ザ・ベストテンの第1回ランキングでの第10位。つまりはベストテンで最初に出演した曲として有名ですね)以来、3作ぶりにベスト5入りさせ、同時に20万枚オーバーを記録した曲。

ま、そんな所からも78年の勝負曲だったってことは覗える訳なんだけども、逆に、この曲が最後のオリコンベストテンランクイン曲だったんだよね。

・・・なんて書くと、うそやん、その後も「ザ・ベストテン」じゃ、ランクインしてたやん・・・とか、言われる方もいらっしゃると思いますがね。。。

まあ、ベストテンの場合、オリコンなどのレコード売り上げだけじゃなく、他にも有線、ラジオ、はがきの要素を合算した総合チャートでしたからねぇ。
 レコード売り上げが低くても、他の要素で上位に来れば、充分にベストテン入り出来るまでの得点を補えたわけですわ。

とりわけ、野口五郎氏は、西城秀樹氏と並んで、「はがきリクエスト」がめっぽう強かったからなあ。

ちなみに、80年の「コーラスライン」なんて、オリコンじゃ、最高24位までしか行かなかったけど、「ザ・ベストテン」では、はがきリクエストと、ラジオチャートでベストテン入りさせていたんで、総合でもベストテン入りさせていたりします。


・・・・ととと、少し話がずれた。

というわけで、「グッド・ラック」ですが、この曲、大人っぽかったよなぁ。当時流行りだった、AOR(Adult Oriented Rock)、、つまりは大人向けのアダルトな雰囲気のロックって事なんだけど・・・。

まあ、当時の日本でのジャンルでいえば、「ニューミュージック」に当たるような音楽といったほうが簡単なんだろうけど、向こうじゃこういう名称か、あるいはアダルトコンテンポラリーって言われてましたからねぇ

ただ、日本的なAORと言うと、ニューミュージックよりも、もっと「大人びた」音楽だったような気がする。

例えば、この曲と同時期のAORだと、大橋純子の「たそがれマイラブ」とかね。とりわけ、「大人向け」の音楽でしたよね。

そんなAORに、当時はまだアイドル的な存在だった、野口五郎が挑戦する・・・ってことで注目されたんだろうな。この曲が当時売れた要因なのは。

なんて、推測的に書いちゃいましたけど、実は、個人的には、この曲の時点では、まだヒット曲の世界に入ってきていない。。。
・・・っちゅうのは、「ウソ」で、実は、既に片足入れてたんだけどね。

うん、初めて「ベストテン」を見た週の、第10位がこの曲だったんですよ

でーも、全く記憶が無いんだよな。。

ピンク・レディ、山口百恵、西城秀樹・・・あたりは記憶にあるんだけどなぁ。。。

・・・というのも、当時、ワタクシ、新御三家ではビテキ派でして、野口五郎氏も、郷ひろみ氏も、全く眼中になかったもので。。。。

まあ、それでなくても、この「大人」びたAORな1曲を、当時9歳のワタシが「ひっかかった」か・・っていうのは自信が無いな。

うん、曲としては、あんまり引っかかりが少ない曲でしたからね。 

♪ ごめんよ〜 どうやら〜 別れの時間だ〜♪ からのサビの部分にしても、それほど強烈なフックとなる部分を感じないし。 そうね「歌謡曲」としてのフックとなるような部分ね。
だから、全体的は「ツルン」とした印象なんだよな、この曲は。 まあ、個人的な印象ではあるけど、当時の歌謡ポップスって、エグいくらいのフックがある曲が多かったですからね。 まあ、それがインパクトとなった訳なんだけどね、それから比べると、この曲は、大きなインパクトの部分は無かったからなぁ。

ただね、だからこそ、より洋楽的に聴こえたんだろうね。

考えてみれば、同時期、郷ひろみ氏は、「ハリウッド・スキャンダル」で、初めて洋楽的な「ショービス」にアプローチした曲を歌っていた訳だし、新御三家の3人はそれぞれ、より洋楽にアプローチしていた時期なのかもしれない。

↑で書いたように、郷ひろみ氏が「ショービス」な世界、西城秀樹氏は歌唱力を生かしたワールドワイドな世界、そこからみると、野口五郎氏がAOR路線を選んだのは、そのキャラクターを考えると正解だったのかもしれないな。




この間、twitterに別途、「78年のベストテンVTR」持ってるヒトっているんだ・・・って書いたのは、実は、この動画の事なんだよね。
「グッド・ラック」、2本入ってるけど、2分40秒過ぎからの画像は「ベストテン」になるんだよな。
この時、第10位なんだけど、実は、個人的に「ベストテン」を初めて見たのが、まさに「この週」なのよ(1978年11月2日放送分)。
だらね、うーむ、フルで見てみたい

でもねぇ、ホントよく、こんなVTR取ってたヒトがいるもんなんだよねぇ。
どうやって取っておいたんだろ? その前に当時、ビデオデッキって高かったんだよな。一般家庭に、まだそんななかったもの。 さらにそれ以前にビデオテープがねぇ、めちゃくちゃ高かったのよ。
以前、国会図書館で、当時の新聞に掲載されていた広告を見てたんだけど、120分テープで1本3000円くらいしてたんだよな。だから、そう何本も買えなかっただろうし、普通は1回見たら、上からダビングしちゃうのが常だったと思うんだよね。
だからねぇ、こんなふうに40年ちかくも画像を取ってあると思うと頭が下がる訳ですわ。


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終わりのない歌 / 惣領智子

1978_09_終わりのない歌_惣領智子


今回の1曲セレクトは、「終わりのない歌」惣領智子です。

ますばデータです。

・タイトル    終わりのない歌
・アーティスト  惣領智子
・作詞      及川恒平
・作曲      惣領泰則
・編曲      惣領泰則
・リリース日   1978年7月5日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 21 位
・売上げ枚数 11.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 24位
・タイアップ:TBS系ドラマ「愛がわたしを」主題歌

ヒット当時は聴いた事が無いハズなのに、実際聴いてみると昔聴いた・・・よう曲っていうのはありますよね。
この1曲セレクトも、元々のコンセプトは、そんな曲を表に引っ張ってこようと思って始めたんですよね。

ま、曲を書いてくウチに、そう言ったコンセプトもだんだん薄れて来ちゃったんたけどさ。

今回は原点にもどって、そんなヒット当時は聴いていたはずが無いんだけど・・・っていう曲を引っ張って来ますかねぇ。

惣領智子「終わりのない歌」。

・・・・と書いて、曲をパッと浮かんでくる方は、40年近く前ヒット曲ファンだったか、そうじゃない方は結構なJ-POP通な方ですよね。
 リリースは今から38年前の1978年7月。
そそそ、連日、猛暑が続き、日本列島がピンク・レディー一色で染まっていた、あの暑い夏の頃ですわ。

でも、この曲はオリコン、最高21位までしか行かなかったですからねぇ。 それほど一般的ではないし、当時も少しJ-POPをかじったような人しか耳にしてなかったんじゃないかなぁ。

・・・なんて「推定」的に書いちゃったんだけどさ。

まあ、当時、ワタシは、まだヒット曲の世界に入ってきてなかったからなぁ。 
だから、もちろん、この曲を「能動的」に聴いてた記憶が無いし、どのくらい一般的だったのかも体験してないしね。

それでも売り上げは、10万枚強と、いわいる「スマッシュヒット」の領域の売り上げは見せていたんだけどね。

これは、この曲がTBS系のドラマの主題歌だったって事も大きいんだろうな。

当時、木曜22時〜っていう「ベストテン」の後に放送していた「木曜座」っていうドラマ枠で、78年6月〜9月クールで放送されていた「愛がわたしを」っていうドラマの主題歌。

主演は、大原麗子さんと近藤正臣氏 

・・・とさも見てたような書いちゃいましたけど、はい、完全に「ウケウリ」です。


でも、そんな当時見ても無かったドラマの主題歌をなんで書いんの?  言われそうではあるけど。。。。

うん、なんかね、ずっと引っかかってきた曲ではあるんですよね。この「終わりのない歌」タイトル。

当時は聴いてなかった・・と思うんだけど、オリコンを見るようになって、当時の過去チャートを見てると、なぜか引っかかって来るんですよ。

最初は、作詞、及川恒平、作曲 惣領泰則 音楽の教科書に載ってたんだったけなぁ・・なんても思ってたんだけどさ。

だから、いつか実際聴いてみたい・・と思ってたんですよね。

で、実際聴いたのは・・・。 実は、意外と最近なんだよなぁ。 たしかここ10年以内だったと思う。

うん、ずっと想像していた曲とは、大分違ったんだよね。

アーティストの惣領智子さん、ジャケ写の印象では、美人だしもっと声の線が細い方だとばっかり思ってたんだよな。その想像イメージからもっとソフトな曲だとばっかり思ってたんですよね。

でも、実際は、めちやくちゃブルージーだし、惣領さんの声も太く、はっきりとした声質なんですよね。
うん、想像とは、全く違ったんでびっくりしたんだよね。

惣領智子さんは、この曲の作曲者の惣領泰則氏の、当時の「奥さん」ですね。当時26歳。
ちなみに、惣領泰則氏といえば、海援隊の「贈る言葉」のアレンジャーだったりして、当時のフォークロック系畑の方でしたよね。

え? 26才で、このウタの上手さは何? 
wikipediaによると、国立音大出身、在学中にアメリカ留学とある。
なるほど、どおりでウタはしっかりしてるはずですね。

でもそれを置いても、今聴いても魅力的な声の持ち主だよなぁ
兎に角、これほど線が太くて、はっきりとした声質で、これほどブルージーな曲が合う女性アーティストって当時もそれほど多くなかったと思うし。

曲もめちゃくちゃよかった。

ブルージーと書いたところからも、曲調は都会的ではないし、どこかカントリーを思わせる長閑さも感じるんだけども、それだけにスケールが大きいんだよね。
都会の片隅のシミッタレタ・・・・っていうところが無い。曲を聴くと、どこか広々とした風景が広がるんだよな。

でもね、その広がる風景っていうのが、どころ自分の田舎(福島・いわき)だったりするんだよなぁ。

うーん、なぜかいなぁ   なんて、ずっと思ってたりするんだけど、もしかして、当時、無意識のうちの、この曲聴いてたのかなぁ・・なんても思ったりして。

特に サビ終わりの  ♪ 私はここに いるわ〜 ♪ の少しスローダウンする部分から見える風景ってそうなんだよな。

 
いずれにしても、この曲は「当たり」な曲ではあったことは間違いないなぁ。
今回セレクトしてきたのも、そう言う曲だからこそ、駄曲が多い、今の時代にもっと多くのヒトに知ってもらえたら・・・って部分が大きいんだよね。






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シンデレラ・ハネムーン / 岩崎宏美

1978_09_シンデレラハネムーン_岩崎宏美


今回の1曲セレクトは、「シンデレラ・ハネムーン」岩崎宏美です。

まずはデータです。

・タイトル     シンデレラ・ハネムーン
・アーティスト   岩崎宏美
・作詞       阿久悠
・作曲       筒美京平
・編曲       筒美京平
・リリース日    1978年7月25日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 13位
・売上げ枚数  14.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位

さてさて、昨日のLINDBERGに続いて、複数のオリコン1位獲得曲を持っているアーティストの小ヒットだった曲どえす。

岩崎宏美「シンデレラ・ハネムーン」。

う〜む、この曲まだ書いてなかったんだ。昨年書いたとばっかり思ってたんだけども。。。

まあ、未だに時々巷に流れているし、恐らく知っている方も多いであろうこの曲を「小ヒット」なんて呼ぶのもちょっとおこがましいけど、ま、ヒットチャート上の記録では、オリコンでベストテン入り出来なかったし、売り上げも15万枚弱と、お世辞にも大ヒットとは呼べない状況なんでね。
そそそ、俗に言う「スマッシュ・ヒット」ってやつですね。

まあ、この曲がリリースから38年経った今でも、巷に流れ、知っている方も多いっていうのは、やっぱ「コロッケ」の「ものまね」によるところが大きいよな。 それに最近じゃ高橋真麻も歌ってるからな。
 
wikipediaによると、コロッケのものまねがあまりに強烈なんで、本人がこの曲を歌うと失笑が飛ぶってことで、一時期この曲を封印していた事もあったけど、でも、コロッケや高橋真麻の影響もあって、最近では本人もまた歌うようになって喜ばしい事ではあるよね。

作詞は阿久悠、作曲は筒美京平・・・っちゅう70年代の黄金コンビは、岩崎宏美さんでは前年の「想い出の樹の下で」以来6作振りってことなんだけど、そうか、そんなに離れてたんだ。
 作詞の阿久悠氏は、その間も岩崎宏美さんへの詞の提供をしていたけど、筒美京平氏がずっと離れてたんだよね。

・・・そんな岩崎宏美さんへの黄金コンビ復活と言う事もあってか、曲調も初期のディスコサウンドが復活。
まあ、初期の「ロマンス」あたりは、ディスコと言っても当時流行だったフィラデルフィアサウンドの匂いが強く、ディスコというよりもソウルっぽいテイストだったんたけども、この曲は「正調」なディスコでしたよね。

まあ、当時は「サタデーナイトフィーバー」を軸とした超ディスコブームな時代。猫も杓子もディスコでフィーバってる時代でしたからねぇ。
 流行り物を下敷きにするのがウマい筒美氏としたら、当然の路線だったろうな。 しかも、この曲はディスコに若干ロックテイストもプラスして、全体的に激しさもあったしね。 その辺が今でも通じる所以なのかもしれないですね。

ちなみに、下敷きにした曲は、Donna Summer 「Once Upon A Time 」・・・ということで。。。
↓コレ


なるほど、モノの本で言われているようにイントロやリフは、この曲からいただいているようですねぇ。。。
似てる。。。

筒美氏ってドナ・サマー好きなんだよね。後年、80年代に入ってから、河合奈保子さんの「UNバランス」もドナ・サマーの「情熱物語」だったもんね。

プラス 間奏とCメロの ♪ワタシは一人爪など切りながら〜♪ の部分がVillage Peopleの「San Francisco」

↓コレ


この2曲が下敷きになってるんですよね。
ふむふむ、筒美京平氏の場合、大体は下敷きになってる曲が存在するんで、それらを発掘しながら聴くのも面白いんだよな。

ま、いずれにしても当時のディスコですよ。

いつも岩崎宏美さんとディスコって、今一つ結びつかないなぁ・・・なんても思うんだけど、そう言うところを微塵も見せず、躊躇なくディスコサウンドを提供した筒美氏って、一体、岩崎宏美さんのどういうところを見てたんでしょうねぇ。

岩崎宏美さんというと、「すみれ色の涙」とかどうしても「日本的」な匂いが先に立つもんなんだけどなぁ。

その辺が普通のヒトとは見るところが違うんでしょうね、筒美氏は。



えー、冒頭に久米さんと黒柳さんが映ってるんで「ベストテン」のようにも感じるけど、「レコード大賞」ですね。
そそそ、1978年のレコード大賞は、ベストテンの成功もあって、久米さんと黒柳さんの司会だったんだよね。

ところで、Aメロの ♪シンデレラハネムーン〜 ♪の部分のヘンチクリンな振りは、いつからやってたんでしょうねぇ。この曲リリースした頃は、こんなヘンチクリンな振りは無かったような気がするんだけどなぁ。
でも、レコード大賞の時にやってるんだから最初から振りはあったんですかねぇ。。。

このヘンチクリンな振りを見る度、何か曲とあってねぇな・・なんて違和感を感じるワタシデス。。


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宿無し / 世良公則&ツイスト

1978_06_宿無し_ツイスト


今回の1曲セレクトは、「宿無し」世良公則&ツイストです。

まずはデータです。

・タイトル    宿無し
・アーティスト  世良公則&ツイスト
・作詞      世良公則
・作曲      世良公則
・編曲      ツイスト
・リリース日   1978年4月10日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数  52.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1978年5月1日〜7月31日付

前回書いたゴールデンカップスは、ちょこっと「引き」が弱かったかなぁ。
まあ、ほぼ50年前の曲になるからなぁ、そうなっちゃうのもしょうがないのかもしれないな。
で、今回は、前回よりも10年時代を戻りまする。1978年の今頃のヒット。

世良公則&ツイスト「宿無し」。

ツイストのヒット曲も、これまでほぼ書きつくした・・・って思ってたんだけども、なぜか、この曲だけ抜けてたんだよな。
 うーむ、今のワタシは、ツイストあってこそ・・・ってくらい、78〜79年当時心酔してたんだけどなぁ、このヒトたちには。
 以前も書いたと思うんだけども、ワタシ、世良氏になりたかったんだよねぇ。だってカッコ良かったんだもん、単純に。
 あの頃、当時の世良氏と同じ髪型にしてたもんな。髪が肩にかかるくらいの長髪でぇ、ホウキもってツイスト歌ってたもの。 小学3年生で 
 でも、髪が長かったんで、先生にはいっつも注意されてたな。小学生だったんで頭髪検査までは無かったけどさ。
 でも、眼中になったんだよねぇ、当時のワタシは。 
今はノミの心臓なワタシも、当時は怖いもん知らずだったからなぁ。

たださ、この曲がヒットしてた頃は、正確に言えば、まだヒット曲の世界に足を突っ込んではいなかった訳なんだよね。
 うむ、ヒット曲の世界に足を突っ込んだ頃、ツイストは「銃爪」を歌ってたからさあ。この曲の数カ月後のことですわ。

だから、この曲を歌番組でリアルタイムで見た記憶って、意外とないんだよね。実を言うと。

ザ・ベストテンでは、この曲、新潟の万代橋脇で、数千人が押しあいへしあいになった中継が有名だけど、その時もまだ、ベストテン見てなかったしさ。

それでも、この曲知ってたんだよな、なぜか。 どこで聴いたのか、どこで覚えたのか、38年経った今では、よく覚えてないんだけどねぇ。


この曲は、前曲のデビュー曲「あんたのバラード」を受けての、シングル第2弾になる訳だけど、前曲の勢いが、ますます「加速」したって感じで、50万枚突破の大ヒットでしたわね。「あんたのバラード」は43万枚だったからさ。
でも、日本のヒット曲界が、明らかに変わったような印象が強いですよね、このヒトたちが出てきた頃って。
 
 よく言われるのが、このヒトたちが出てきたことで、ロックがお茶の間に浸透したってことだけど、確かにそうで、それまでロック畑のヒトたちは、テレビの歌番組にはほとんど出なかったのに対して、このヒトたちは、逆にテレビで大きくなったってところがあったからなぁ。
 ちなみに、サザンがデビューしたのは、まさに、この「宿無し」が大ヒットしていた最中だったわけで、ツイストとサザンが、日本のロックをお茶の間に浸透させたってのは、間違いないですよね。

曲調としても、「あんたのバラード」が、タイトル通りのミディアムバラードだったのに対して、この曲はアッパーチューン。一連の大ヒットの中でも一番のアッパーチューンだったよな。ロックと言うよりはロックンロールでしたよね。
 それでも、世良氏独特の粘っこい歌い方は健在。・・というか、この曲の歌い方が一番セクシーだったかもな、世良氏は。 
 前曲から売り上げを伸ばしたっていうのは、勢いもあるだろうけど、この曲での世良氏のセクシーさっていうのもあったんじゃないのかなぁ。

 だからねぇ、この曲をリアルタイムで見てなかった・・というか、あと数カ月早くヒット曲の世界に足を突っ込んでいればなぁ・・・なんて、後悔することもあるんだよなぁ。

いずれにしても、個人的にはヒット音楽の世界の「原点」・・・ウンニャ、出発点のような曲ですね、この曲は。


動画・・どうもようつべでリンクしたい動画が、悉くようつべに直リンクにしないと弾かれちゃうんで、直リンク

https://www.youtube.com/watch?v=cAfrzGH6b08

動画を見たい方は上のリンクをクリックしてくだされ。

それにしても、このヒト達ほど、スポットライトが似合うバンドもいなかったよなぁ。ベストテンを含め当時、このヒト達の時は、いろいろなスポットライトで演出してましたよね。
 それにもまして、男の匂いっていうか、男の色気がムンムンのバンドだったよな。まあ、ここに当時のティーンエイジャーの女子たちはクラクラッと来ていた訳なんだけどさ。
 最近は、こういう、男の色気、男のフェロモン全開のバンドって居なくなったからさあ。「草食男子」なボーカルばっかでさあ。ダメだよね、やっぱ、男は肉食じゃなくては。
 逆に言えば、こういう「骨」のあるバンドは今、空席な訳だからさ、今後はここが狙い目なんだよな。

バイブレーション / 郷ひろみ

1978_05_バイブレーション_郷ひろみ








今回の1曲セレクトは、「バイブレーション」郷ひろみです。

まずはデータです。

・タイトル     バイブレーション
・アーティスト   郷ひろみ
・作詞       島武実
・作曲       都倉俊一
・編曲       船山基紀
・リリース日    1978年3月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  21.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1978年4月3日~5月15日付

今回の1曲セレクトは、ここ暫く70年代の「アイドル」な曲を書いてなかったんで、久々に70年代アイドルへ遡ってみますかね。
 まあ、70年代と言っても、個人的に「リアルタイム」な曲となると、70年代後半になっちゃうんで、どうしてもその時期になっちゃうんだけど。。。

はい、今回は郷ひろみ「バイブレーション」

この曲は1978年の今頃のヒット・・・・とずっと記憶してたんだけども、実際は、ヒットのピークは「4月」で、ゴールデンウイーク明けの今頃は、ランクも下降線だったんだよね。
 どうもね、リリース時期を1カ月間違えて記憶していたようなんだよなぁ。 そそそ、この曲のリリースばずっと、1978年の4月21日だとばっかり思ってたの。
だから、5月に入って書けば、ちょうどヒットのピーク時期だな・・・なんて思ってたんだけどねぇ。

どうも、1978年の今頃の曲ってヒットの時期を「ズレ」て記憶している曲が多いんだよな。
例えば、西城秀樹氏の「炎」も、「5月」のヒットだとばっかり記憶してたんだよねぇ。 だから、この「バイブレーション」と、「炎」はヒットの時期が被ってた・・・なんて思ってたんだけど、実際はちょこっとズレてたんだよね。

まあ38年も前の事なんで、記憶もあいまいになるよなぁ・・・なんて言うのは自己弁護だったりするんだけど。。。
 やっぱ、リアルタイムで聴いてた曲と言っても、正確に言えば、ヒットのピークの時期は、まだ「ヒット曲」の世界に入ってなかったからなぁ。記憶も曖昧になっちゃうんだよな。

ところで、以前から、個人的には、昔、郷ひろみ氏の曲はあんまり好きじゃなかった・・・と書いてるワタシですが、当然この曲についても、当時は、あんまり興味なかった・・・と思う。

なぜなのかなぁ? まあ、ガキの頃には生理的には合わなかった・・・としか言いようが無いのかもしれないけど。。。でも、西城秀樹氏の曲は好きだったんだよね。 

恐らくガキの頃は生理的にヨーロッパ系なイメージの曲が好きだったのかもしれない。

この「バイブレーション」もそうだけど、このころの郷ひろみ氏の曲って、カラッとしたイメージでヨーロッパ的な匂いがしないからさあ。
 ・・というか「○○的」っていう匂いがあんまりしないんだよね、都倉氏の曲って。かといって無国籍的でもないし。。。
 ま、ともかく、この時期の都倉氏の曲って、どの曲もかなり似てましたよね。温度感・・・というか湿度感がカラッとして、メロディラインもどこかピンク・レディーで聴いたような・・・っていう独特の都倉カラーで。
 ま、それが都倉氏の作るメロディの特徴だったかもしれない。当時、ピンク・レディーの曲に積極的な興味がわかなかったのも、そう言うところからだったんだろうなぁ。
 郷ひろみ氏の曲も、もう少し前の時期の筒美京平氏が作ってた頃の曲は、もっとヨーロッパ的・・というか、これも当時の筒美氏の特徴である、バタ臭いイメージだったんだけど、個人的には、こちらの方が生理的にはあってたんだよね。

どうなのかなぁ、歌謡ポップスの王道というか、この間も使ったコトバで恐縮なんだけども、軽薄短小なイメージだったりしたのも、当時は今一つしっくりこなかったのかもしれない。
 そう言う意味では、80年代のトシちゃんの曲も、もう少しリアルタイムで聴くのが遅かったら、そんなイメージだったのかもしれないなぁ。

 そう言う意味では「立ち位置」として、新御三家の中の郷ひろみと、たのきんトリオの中の田原俊彦って似たようなポジョンって見られていたのはあながち間違いじゃなかったような気もするんだよね。

楽曲のバリエーションとしても、郷ひろみ氏、田原俊彦氏も、「3人組」の中では一番バリエーションに富んでて、
今聴き返すと、一番飽きが来ないしね。

もちろん、当時は生理的にあんまり受け入れられなかったこの曲も、今では好きですよ。音源も持ってるしね。 


ちなみに、ランキング的には、オリコン(レコード売り上げ)では、それほど目を見張る所はなく、最高位も6位にとどまっているんだけども、その他の要素を含めた総合チャートでは軒並みベスト3入り果たしているんだよね。
 これは、当時のラジオチャート、有線でも結構人気があったのよ、この曲。 「ザ・ベストテン」でも、最高3位まで行ってるしね。

 今は、アイドルといえば、レコード(CD)売り上げがメインのヒットチャートではあるけども、当時は、レコード売り上げは、今ほどは重要なファクターじゃなかったんだよね、アイドルは。
1年に一度、「勝負曲」でバシッと売れれば、「つなぎ曲」ではそこそこ売れればいい・・・と。 その辺が当時と今との意識の違いだろうな、売り方としての。
 まあ、当時は「国民的」な大ヒット曲が多く、A級アイドルといえども、簡単にオリコンの上位に立てなかった・・・ってくらいランキングに重みがありましたからね。
 もちろん、ピンク・レディーは別格として。。。なんせ1978年のオリコンのレコード売り上げシェアには邦楽、洋楽っていう大別ジャンルの中に「ピンク・レディー」っていうジャンルが存在してましたんで。。。。




動画、めぼしいのはこれしかなかったんだけど、少し前だったら、これすらなかったようなんで、今回かいて正解だったかもな。。。。


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微笑がえし / キャンディーズ

1978_04_微笑みがえし_キャンディーズ








今日の1曲セレクトは、「微笑みがえし」キャンディーズです。

まずは、データです〜。

・タイトル      微笑がえし
・アーティスト    キャンディーズ
・作詞        阿木耀子
・作曲        穂口雄祐
・編曲        穂口雄祐
・リリース日     1978年2月25日
・発売元       CBSソニー
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数     82.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1978年3月6日〜5月22日付

今日4月4日は、何の日だったか覚えてますか?

・・・・と書いて、ハイハイハイと即座に言える方は、もう50代以上の方々になっちゃうかなぁ。

 そうです、キャンディーズのファイナルコンサート「バイバイカーニバル」が、今は無き「後楽園球場」で行われた日ですねぇ。

1978年4月4日 火曜日

あれから38年・・・・・。月日が経つのは、ほんとに早いわけで・・・。
 
 と言っても、ワタシは直接見に行ったわけではないので、あんまり大きな口を叩けないのですが・・。
 
でも、あのときのフィーバーぶりはホントすごかったですよねぇ。
今、AKB、ももクロが凄い・・・なんていっても、あの時のキャンディーズフィーバーには足元にも及ばないと思いますわ。

  ワタシゃ、当時、まだ、小学3年生になったばかりの頃で、まだ、「ヒット曲」の世界には入り込んできていなかったけど、それでも、なんか、異常なフィーバーぶりは感じましたね。
いや、これでも当時はキャンディーズ派だったからさあ、ワタシも。ピンク・レディーよりもキャンディーズだったの。 

 ファンがファンにより、ファンのために盛り上げたというかね。もちろん、仕掛けはあったんだろうけど、それを感じさせない、ファン自らが主導になったフィーバーだった気がする。
全キャン連(全国キャンディーズ連盟)っていう、全国組織のファンクラブ・・・というか「親衛隊」が主体となって、あのフィーバーぶりを盛り上げましたからねぇ。


その証拠の1つに、当時の「ザ・ベストテン」があるんですよね。

1978年3月23日放送分で初めて1位を取ってから、4週1位を守った、翌週の4月20日では、ピンクレディーの「サウスポー」に1位の座を奪われたんだよね。
 これを見た、キャンディーズファンが「決起!」、「ベストテンにリクエストを」運動を展開して、翌週のハガキリクエトでトップを奪取、みごと1位に返り咲いた・・・というより、1位を「奪還」したという、話は、キャンディーズファン、当時のベストテンファンの間でも有名な話ですよね。

 あれだけ、ファンが一丸となって盛りあげたアーティストってのも、あんまりいないんではないですかね。
うーん、まあ、昨今のSMAP解散騒動でのCD購入運動は、それに近いものはあったけど。。。

ただね、上で書いたベストテンでのハガキリクエスト運動ですが、今になって冷静に考えると、ベストテンがOAされた後、リクエストハガキ運動を起こしても次の週のハガキリクエストチャートに反映されるのはムリなんだよね。
 ベストテンのチャート集計は、OAの1週前には結果が出てるからさ。つまりOAは、集計結果が出た次の週なんだよね。 だから、4月20日のOA後に、決起して、ハガキリクエスト運動を起こしても、結果が反映されるのは、早くても2週間先のOAと言う事になる訳で。。。。

だから、この時の1位返り咲きは、ハガキリクエスト運動決起の影響・・・というよりも、4月4日のバイバイカーニバルと、そのすぐ後にこの時のライブのOA(視聴率32%)によって、ハガキリクエストが伸びた効果と言った方がいいのかもしれないんだよね。

 まあ、いずれにしても、キャンディーズは、自ら引退宣言をした訳だけども、アイドルのひとつの「引き際」の見本でもあるんじゃないかなぁ。人気絶頂期にファンに惜しまれながら引退する・・・。
 これが最高の引き際ではないかと思うわけです。


 曲の方も、引退というと、とかく、「さよなら」を強調する曲が多いんだけど、この曲の場合は、さらっと「バイバイ」といってお別れ・・・というような曲調がよかったですよね。
それでいて、聴き終わると、ついも淋しくなるのは、やっぱ、この曲で解散っていうのが、いまでも脳裏から離れないからでしょうかねぇ

 詞には、キャンディーズの歴代のヒット曲がちりばめられていて、これは、大変だったろうね。つじつまを合わせるのは。
 でも、いやみがなくさりげなくちりばめられているのは、さすがに阿木女史の作品かなと思いますね。


まあ、結局、3人とも「普通の女の子」には、戻りきれなかったわけだけど、1978年4月4日の「バイバイカーニバル」は、アイドル史上、歴史に残るコンサートだったのは、間違いないところですね。



バイバイカーニバルの前日、4月3日OAの夜ヒットから。
既に、翌日のライブに向けて、ステージ設営が始まっている、後楽園球場からの中継でしたね。
実質、最後の歌番組の出演って事になるのかなぁ。
この時も全キャン連の方々が、大勢見守ってたりしてますね。


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あなたと愛のために / 西城秀樹

1978_03_あなたと愛のために_西城秀樹








今回の1曲セレクトは、「あなたと愛のために」西城秀樹です。

まずはデータです。

・タイトル     あなたと愛のために
・アーティスト   西城秀樹
・作詞       東海林良
・作曲       大野克夫
・編曲       水谷公生
・リリース日        1978年3月5日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  21.4万枚
・THE CHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1978年3月20日〜5月1日付

西城秀樹さんの曲も、ついこの間書いたばっかりなんだけど、また今週も持ってきちゃいました。
アルフィーも「今頃」のヒットが多いんで、ここのところ毎週のように書いてるんだけど、秀樹も今頃のヒットが意外と多いんだよね。

まあ、秀樹の場合、昨年も「今頃」に何曲か書いてるんだけど、今年も去年書かなかった曲を、この先頻繁に書いていくことになりそうな気配。。。。

今回は、1978年の「今頃」のヒットであった、「あなたと愛のために」をひとつ。

正直言うと、個人的にはこの曲、大人になるまで知らなかったんだよな。
「存在」は知ってた。「ベストテン」で昔の曲を振り返っているとき、何回か出てきてたし。しかもベストテンでは、最高2位まで行ってるんだよね。

ただ、曲は良く知らなかったんだよな。

この曲って、今となってはヒデキの曲の中でも、完全に「死角」になっちゃってるでしょ。 今となっては、ラジオでもまずかからない曲だよな。
 1978年の秀樹というと、どうしても、1曲前の「ブーツを脱いで朝食を」か、この曲の後の「炎」か、そのまた1曲後の「ブルースカイブルー」か・・・って感じで、この曲を上げるヒトは、ほとんど居ないだろうしなぁ。

大体において、この曲を挟んでのリリース間隔が、通常よりも短いんだよね。この時期の秀樹って。

1月 ブーツを脱いで朝食を
3月 あなたと愛のために
5月 炎

・・・・と、2カ月間隔でリリースしている。

当時のリリースパターンは、3ヵ月ローテーションっていうのが、基本だったから、1月に「ブーツを脱いで朝食を」をリリースしたら、この曲は4月リリースっていうのが、基本のはずなんだけど、でも、1か月前倒しでのリリースなんだよね。

でさ、当時の3ヵ月ローテーションリリースっていうのは意味があってさ、つまり、曲のリリース⇒ヒットのピーク⇒ヒットの終焉 っていう曲のヒット寿命が、当時は大体3ヵ月だったんですよね。
だから、3ヵ月ローテーションで曲をリリースすることによって、そのアーティストは1年中ヒットチャートの上位に顔を出すことになり、如何にも「売れてる」って言うイメージになる訳ですよ。

まあ、出す曲出す曲、同じように売れるかどうか・・・というのは、曲の出来にもよるし、売る側の戦略にもよるんで、一概には言えないんだけど。。。

そういうわけで、この「あなたと愛のために」は2カ月間隔でリリースだったことで、どうも、まだ前曲の「ブーツを脱いで朝食を」のヒットのイメージが残ったの時期のリリースだったんじゃないのかなぁ。。。

なんで、今となっては、今一つ印象に薄い曲・・・繋ぎ曲っぽいイメージになっちゃったんじゃないかなぁ・・・なんて思ったりするんだよね。

たださ、印象が薄いイメージの割には、実際の曲は、かなり濃い口な味付けなんだよなぁ。
タイトルからして、如何にも「ロマンス」的な愛の曲・・・そうだなぁ、秀樹だったら、この曲の3年前、1975年の「この愛のときめき」あたりの曲調を想像しちゃったりもするんだけど、そうじゃない。

イントロからして、激しくさんざめくストリングスと、シンセドラムから始まったりするもんね。

実は、個人的には、この曲は一度も聴いたことない状態で、中古レコード屋からシングルを買って、聴いたんだよね。
いや、個人的にも、↑で書いた、「ロマンス」系の曲だとばっかり想像してたんで、激しいイントロにびっくりこいたんだよなぁ。 想像していたイメージと全然違うんだもの。

でも、曲のメロディ的には、正直言って、あまり「ココ」だっていうところは感じなかったなぁ。それまでのヒデキからの新しい面も感じなかったしね。 逆に言えば、当時から見て、すこし古めかしいような感じもあったね。
純粋なポップスというよりも、「歌謡曲」よりって言うのかなぁ、「歌謡ポップス」なんだよね。
うん、70年代の「歌謡ポップス」といったら、「これだ」っていうお手本のような曲って言うのかなぁ。

ただ、イントロのストリングに絡んでくる、シンセドラムの「ポコポコポコ」って言う音は、やっぱり新しいかったんじゃないのかなぁ。
・・・なんて推定で書いてるけど。。。そそそ、ワタシがこの曲を聴いたのは、かなり後になってからだから、シンセドラムなんてのは、全然目あたしくなかったしさ。 
でも、当時の「歌謡ポップス」では、この手のシンセドラムを使ってたっていう前例はあんまりなかったはずだしね。だから新鮮だったはずだしな。
 だから、この曲の「キモ」は、メロディラインかじゃなくて イントロのこのシンセドラムなんじゃないかなぁ・・・なんて思ったりもするんだよね。

ちなみに、このシンセドラム、この曲と同時期の、ピンク・レディーの「サウスポー」にも使われてたりするな。
、当時の流行りだったのかなぁ・・・。なんて思っちゃったり。。。まあ、それだけ当時は斬新だったんだよねシンセって。







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あんたのバラード / 世良公則&ツイスト

1978_03_あんたのバラード_ツイスト








今回の1曲セレクトは、「あんたのバラード」世良公則&ツイストです。

まずはデータです。

・タイトル    あんたのバラード
・アーティスト  世良公則&ツイスト
・作詞      世良公則
・作曲      世良公則
・編曲      ツイスト
・リリース日   1977年11月25日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  43.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1978年1月23日〜2月13日付

ポプコングランプリ受賞曲。 大ヒットした曲は、すでに大分書いてきたんだけど、過去のアーカイブをみていたら、意外な曲をまだ書いてなかったんだよな。
 今回、ちょうどいい機会なんで、そんな曲を引っ張って来ますわ。

世良公則&ツイスト「あんたのバラード」。

いやぁ、超盲点だったな。 まさか、この曲をまだ書いてなかったとは。。。。

世良公則&ツイスト、ワタシにとってはリアルタイムで聴いて、ヒット曲っていう世界にどっぷりと嵌まってしまった頃の「原点」なヒト達ですわ。
うん、このヒト達と、サザンとゴダイゴ。 あの頃「ロックBIG3」って言われていたグループの方々。

もし、このヒトたちが居なかったら、ワタシ確実にここに居ない・・・・というかヒット曲の世界にはどっぷり嵌まった人生は送ってない・・・と100%と言えるヒト達ですわ。その位、私にとってはインパクトがでかかった人たちだよなぁ。

 特に世良さんのワイルドな歌い方に憧れてさあ、髪型まで似せちゃったもん、あの頃。 
うん、当時9歳だったんだけどね。。  当時の写真見ると、髪が肩まであったりするんだよな
まるで女の子みたいでしたわ。。。 で、世良氏をまねて、ホウキもって歌ってましたねぇ。

なんつうのかなぁ、ワイルドで野性味のある男の色気に惚れちゃったのかなぁ。同性(男)から見ても、セクシーだったもんなぁ。
・・・・なんて、9才のクソガキが思う事じゃないけど、でも、やっぱり引き込まれちゃったのは間違いない訳で。。。

たださ、個人的に最初にツイストに接したのは、3枚目のシングルだった「銃爪」だっんだよね。
だから、この「あんバラ」の時は、厳密で言えば、まだリアルタイムではない。
けど、「銃爪」から、すぐに遡って聴いてたりしたから、当時からこの曲は良く聴いてましたけどね。

最初ら書いたように、この曲は、ポフコンのグランプリ曲。 うん、1977年10月に開催された、第14回YAMAHAポピュラーミュージックコンテンストでグランプリを獲得。
 で、その翌月に行われた、第8回「世界歌謡祭」でもグランプリ獲得と華々しい経歴を持ってデビューとなった曲な訳ですわね。

まあ、「世界歌謡祭」とは銘打ってはいるものの、大体は「泊付」のためのような音楽祭ではあった訳だけども。。。
 
 ちなみに、その2年前の1975年にも中島みゆきが「時代」で、そのまた2年前の1973年には小坂明子が「あなた」が、全く同じ経歴でデビューしていたわけで、ポプコングランプリ受賞者では、それほど珍しい経歴ではなかったんだけど。。。

だけども、この曲は、ショッキングだったよなぁ。上記のような世良氏の、野性味あふれる線の太いボーカルもそうだし、曲もね、めちゃくちゃラフなんだけども線太いサウンド。めちゃくちゃ泥臭いロックでしたね。

当時、日本のロックといえば、80年代のシティポップスではないけど、ニューミュージックっていうカテゴリーの出現のお陰で、どちらかと言えば都会的で洗練されたサウンドの方向に向かってたからさ。
少なくとも、ここまで泥臭いロックは、逆に言えば「空席」だったかもしれない、当時は。
そこに突然、このヒトたちが出てきたからさ。そう言う意味ではショッキングだったんだよな。

それと、惜しげもなくテレビの歌番組に出演するっていうのも、ロックアーティストとしては珍しかったからなぁ。当時は。
 
 当時はテレビは「ゲ―ノー的」のモノ。ロックは自分たちの世界を最優先にするってのが、当たり前にあって、だから、「滅私」的なテレビには出ないっていうが常識だったからねぇ。まあ、反商業主義というかね。
数少なかった「ロック」中心の番組を覗いては。

でも、このヒトたちあたりから、歌番組に出演拒否しないロックアーティストがちょびちょび出てくるようになったんだよなぁ。その魁的なヒト達だよね。

そのおかけで、ロックもお茶の間でも聴けるようになった訳で、日本のロックの間口が格段と広がってくるんだよね。
ま、そういうロック系アーティストを出演させた、「ザ・ベストテン」とか「夜ヒット」なんかは、功績は、やっぱりでかかった訳なんだけどもさ。

でも、そう言うおかげで、ワタシとか、当時8才、9才のガキんちょでも、このテの曲をお茶の間で聴けたわけだからさあ。いい時代だったのかもな。
その前に、そんなクソガキなワタシにこのテの唄を聴かせてくれた、ウチの親たちにも感謝。 



これは、恐らく上記の「ポプコン」か「世界歌謡祭」の時の「音」だと思うんだけどさ。
実は、この時のメンバーと、デビュー後、テレビに出演するようになってからのツイストって、実はメンバーが違うんだよね。

あれ? これって有名な話かなぁ?

当時、大学生だったメンバーは、あくまで大学時代の思い出としてポプコンに出演した訳で、グランプリを取ったら解散、そして大学は卒業という事になっていたんだよね。で、ポプコン⇒世界歌謡祭で見事グランプリ獲得。
ここで、実際、一度、ツイストは「解散」してるんですよ。
でも、当時の慣例として、世界歌謡祭でグランプリを獲得したアーティストは、「夜ヒット」に出演させるっていう不文律が存在していたために、急遽、メンバーを集めて「再結成」されたのが、ワレワレが良く知ってる「ツイスト」なんですよね。

 だから、ドラムのふとがね金太氏も、ベースの鮫島秀樹氏も、ポプコンの頃は、まだメンバーじゃないんだよね。(キーボードの神本宗幸氏だけはそのまえからのメンバー)

だからさ、今、世界歌謡祭の時のVTRを見ると、バックのメンバーが違うんだよね。 
以前、まだ、この事を知らない頃、この時のVTRを見て、「あれ?」とは思ってたんだけどさ。 ドラムがふとがね金太氏の独特の叩き方じゃないしさ。

ネットが一般的になりWikipediaが見られるようになって、「なるほどね」なんて思ったんだよな。


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