かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1978年

Deep / 渋谷哲平


1978_08_DEEP_渋谷哲平



今回の1曲セレクトは、「Deep」渋谷哲平です。

まずはデータです。

・タイトル    Deep
・アーティスト  渋谷哲平
・作詞      松本隆
・作曲      都倉俊一
・編曲      都倉俊一
・リリース日   1978年7月10日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 52位
・売上げ枚数   4.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 40位(1978年9月18日付)

またまた、以前「1曲セレクト」で書いたことあったような気がするんだけども、ブログに上がっていない曲シリーズ。

で、今回は渋谷哲平の「Deep」なぞをひとつ。。。

いや、この曲、昔、絶対書いたような気がしたんだよね。

・・・と思って、mixiのアーカイブを探してみたら、やっぱりありましたわ。

ここのブログを始める時に、以前書いた曲は全曲移植したと思ったんだけどなぁ。。。。

抜けがあるようですね。

・・・あ、そうそう、ここのブログを始めたのが2015年の正月で、正月休みを利用して移植したんだけども、どうも季節感が出ないよなぁ・・・って思った曲は、移植を見送ったような気がする。。。

この曲、夏っぽいからなぁ。。。 それで移植を見送ったのかもしれない。。。 それかめんどくさかったか。。。

いずれにしても、この曲を書くには絶好の時期なんで、以前書いた内容を移植しつつ、加筆したいと思います。


この曲、以前mixiにかいたのが、2007年のちょうど今頃で、当時のmixiの「日記」を読み返すと、どうも、売れなかったんだけど、「いい曲」って言うのを引っ張り出す仕事の依頼があって、いろいろと曲を物色していたらしい。。。。

今となっては、えー、そんな仕事したっけなぁ。。。全然覚えてないんだけども。。。。。

そん時の日記の内容を「まんま」引用すると、

------------------------------------------------------------------------------------

 最近、ちょっとした仕事の依頼がありまして、昔の売れなかったんだけど、「いい曲」って言うのを引っ張り出して、いろいろ聴いてるんだけど、結構あるんだよね、なんで、この曲が売れなかったの? っていう曲が。
 最近の「安い うまい 早い」の吉野家方式で安直に作られた曲より、全然いい曲がねぇ、いっぱいあるんですよ。
 
-------------------------------------------------------------


ってことで、今回の渋谷哲平「Deep」を書いたらしい。。。。

 まあ、この曲も確かに「売れなかった」といえば、売れなかった曲ではありますが・・・
なんせ、オリコン最高位52位。左ページに入らなかったですから。

それでも4万枚のセールスがあったっていうんだから、78年当時は、レコードの売上げは景気良かったんですよね。4万枚売れれば、確実に「黒字」ですから。

いずれにしても、この曲が、いい曲であるかどうかは、それぞれの方々にお任せするとして・・・

この曲知ったのって、「とんねるずのみなさんのおかけです」で・・・っていうヒトが結構多いんぢゃないかなぁ?

一時期、「DEEP隊」だっけ? あれでとんねるずが真似してたじゃん。この曲の「フリ」の・・・

そそそ、あのイントロの部分の奇妙なフリっすよ〜。 




 まあ、とんねるずの場合、特に石橋がけっこうオーバーにやってたところもあるけど、実際、この曲、本人(渋谷哲平)が歌ってたときも、似たようなもんだったんだよね。


今、YOU TUBE見ても笑える

・・・というか、今だから笑える・・・って言った方がいいのかな。

ちょうど「DEEP隊」が流行ってた頃、われわれの「オリコンチャート研究会」のメンバーの間でも、流行ってたのよ。あのフリが。

メンバーの三宅さんが、なんかの飲み会の時にギャグったのかなぁ・・・。
まあ、石橋の「大げさ」なフリに対してなんだけどね。。。

一時期、集まるたびに踊ってたような気がする。


フリもそうなんだけど、この曲のAメロのバックコーラスも笑えるんだよね


♪ Deep (Deep) 青い海 (うみうみ) 〜
  Deep(Deep) ヨットから (からから)〜 ♪

とか


♪ Deep (Deep) 蒼ざめた(めためた)〜 ♪

とか、究極は

♪ Deep(Deep) サーフィンで(んでんで)〜 ♪


※( )内バックコーラス部分


 なんなんだよ「めためた」とか「んでんで」っつうのは・・などなど、突っ込みどころ満載の曲ですわ。
とにかく、最後まで聴いてる方を飽きさせない曲なんだよなぁ

 まあ、だから、とんねるず もネタに使ったんだろうけどさ。

 
 でも、今から44年前は、テレビで真剣に歌ってたんだから、のどかな時代だったんだよね。まだまだ。

 いやいや、真剣に歌ってるから、今になってみると、余計笑えるんだけどさ。


 この曲は、都倉俊一氏の作品だけど、あのころピンクレディーで手一杯だったんだろうね。。。
 だってさぁ、バックコーラスは笑えるもん。まあ、手抜きとは言わないけどさ。

 サビの

♪ ブルーになっちまうよ〜 ♪

からは、ピンクレディーの「透明人間」になっちゃったりして・・・。
 ちょっとパクッてきました・・・ってかんじ?

 いやいや、ともに都倉氏の作品だから、パクリとはいわないですね・・・引用してきました
ってところでしょうか。。。

 うーん、いや、「透明人間」の方が後だから、「透明人間」が引用してきました・・・って感じなのかな?

 同じようなメロディラインでも売上げは全然ちがったけど。。。。




うーむ、どうも画像が悪いな。。  ということで、

 


ところで、この曲、作詞は松本隆氏なんだよね。

松本氏も、自ら書いた詞が、↑にかいたように「めためた」とか「んでんで」なんてコーラス入れられて、どう思ったんだろうなぁ・・・なんて感じたりして。。。

それにしても、都倉俊一氏と、松本隆氏の組み合わせって珍しいよなぁ・・・と思ってJASRACのデータベースみたら25曲あった。

25曲が多いか少ないかだけども、膨大な曲を書いている両氏のキャリアの中で25曲っていうのは、やっぱり少ないよなぁ。

調べてみると岡田奈々さんの曲ではアルバムを含めて、多数の曲でコンビを組んでいたようだ。

あとは、高田みずえさんの「パープルシャドウ」とか、「花しぐれ」。
まあ、どちらとも、この「Deep」と同じ1978年だけども。

渋谷哲平氏の曲としては、この「Deep」とC/Wの「ファイヤー」のみだったようだ。

いずれにしても、やっぱ、都倉俊一氏といえば、1978年たったんだよな・・・。なんて今更ながら思えたりしますね。



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切手のないおくりもの / 財津和夫

1978_06_切手のないおくりもの_財津和夫


今回の1曲セレクトは、「切手のないおくりもの」財津和夫です。

まずはデータです。

・タイトル     切手のないおくりもの
・アーティスト   財津和夫
・作詞       財津和夫
・作曲       財津和夫
・編曲       青木望
・リリース日    -
・発売元      -
・オリコン最高位  -
・売上げ枚数    -
・タイアップ: NHK「みんなのうた」より

昔から耳馴染んでいた曲が、意外な作曲者だったことがある。
まあ、最近では、「生業」としての仕事柄、まずは作詞・作曲者を調べてから、実際の曲を耳にするってことが多くなったんで、そういうことも少なくなったんだけども、昔はあったんだよね。

特に、学校の教科書に載ってた曲には、そういう曲が多かったなぁ。
以前、ここでも書いた、トワ・エ・モアの「虹と雪のバラード」、赤い鳥「翼をください」なんてのは、典型的な曲ですね。

そもそも、これらの曲って、音楽の教科書に載っているということで、いわいる「唱歌」だと思ってたもの。 もともとは一般の「ヒット曲」だとは思ってなかったんだよね。

今回引っ張ってきた、この曲もそうだったなぁ。


財津和夫「切手のないおくりもの」

この曲、当初どういう経緯で書かれた曲なのか・・という細かいところは良く分からないんだけども、wikipediaを見る限りでは、1977年NHK「歌はともだち」という番組で発表されたのが最初だったとか。

うーむ、個人的には、このこの番組は見た記憶はないんだけども、いかにも、当時の「NHK」を彷彿とされるようなタイトルですな。

で、この番組で発表されるや否や、NHKに問い合わせが殺到し、 翌78年6月〜 のNHK「みんなのうた」で、作詞、作曲した財津和夫氏、本人が歌ったバージョンが流れた訳ですね。

恐らく、一般的には、この時に広く知られるようになったんだと思う。

個人的に、この曲知ったのはいつだったんだろう? 少なくともこの時ではなかったような気がするが・・・。 いや、この時だったのかなぁ。

あれは小学校5年生の頃だったか、音楽の教科書の「副読本」として、ポケットサイズの「歌集」が配られた。 そこにこの曲が載ってたんだよね。恐らく存在自体はその時知ったんじゃないかとは思うな。
 で、音楽の授業で、この曲もやったのかなぁ・・・・。その辺、ちょっと記憶が定かではないんだけども。。。。

確実に覚えているのは、1982年11月。叔父の結婚式で福島に向かっている道中で、ラジオから流れてきた財津和夫氏バージョンのこの曲だった。

この時点では、財津和夫氏が、チューリップのリーダーで、松田聖子さんなどのヒット曲も手掛けられているヒットメーカーということも分かっていたんだけども。

そんな財津和夫さんが、この曲を歌っているっていうのは、意外だった。

そそそ、この時点では曲は知ってたけど、誰が作った曲なのか・・・っていうのを知らないで聴いたからさ。うん、音楽の教科書に載ってたんで、「唱歌」だと思ってたんだよね。

で、後日、この曲が歌っていた財津さん本人の作詞、作曲だと知って、びっくりしたんだよなぁ。
まさか、チューリップや松田聖子さんのヒット曲を手掛けているメロディーメーカーの作曲だとは思って見なかったし

まあ、音楽の教科書にも作詞、作曲者くらいは載ってるから、見れてばわかるもんだけど、小学生の頃は、そこまでは興味なかったからなぁ。


恐らく時期的に考えて、この曲聴いたのは、1982年10月〜11月にかけての2回目の「みんなのうた」で放送されたときのバージョンだったんじゃないかと思う。

改めていい曲だと思った。

1982年、福島から千葉に引っ越した私は、友達も出来ず、孤立無援状態。精神状態はどん底だったからあ。音楽に頼る事しかなかったんだよね。

その時に聴いた、この曲は凍みたわけよ。 心に響いたのよね。

元々、「みんなのうた」で流され、小学校の音楽の授業でやるくらいだから、本当にシンプルで簡単なメロディラインですよ。 でも、簡単なメロディなのに琴線に響く。 財津和夫さんが紡ぎだすメロディの一番の特徴なんじゃないかなぁ。

それに最初に気が付いたのは、松田聖子さんの「チェリーブラッサム」〜「白いパラソル」の一連の3部作の時だったなぁ。

特に「チェリーブラッサム」は、Key=Cだったし、メロディラインからコード進行からとてもシンプルだったんで、譜面を見ると、本当、音楽の教科書に載っているような感じだったしね。

それでいて、実際に聴くと、琴線にぐいぐいと刺さるんですよ。 

それとともに心が温かくなるようなメロディ。 

だれでも出来そうなんだけども、これがなかなか出来ない。 だから天性のメロディメーカーなんだよね。

この曲なんかは、その最たる曲と言えるんじゃないのかなぁ。

もっとも、本人は、「You Are My Sunshine」のような誰でも口ずさめるようなメロディということで、この曲を書いたらしいですけど。。。。。

まあ、言われてみれば、たしかに「You Are My Sunshine」にクリソツか。。。。。






これは、wikipwdiaから考えると、これは1982年10月から「みんなのうた」で放送された「第2回目」のバージョンだと思いますね。

でも音が小さいな・・・。↓の動画は音が大きいです。(ただし1996年放送の「第3回放送バージョン」ですが。。。)




1978年に放送された「第1回目」のバージョンはNHKにも映像が残っていなかったんだとか。ただ、2011年に放送された「みんなのうたフェスティバル」での「みんなのうた」発掘プロジェクトで、第1回目のバージョンが発掘され、放送されたわけですね。

↓ コレ




ちなみに、この曲の音源自体、長年CD化されていなかったわけだけど。。。もちろんシングル化もされていない。

なので、↑のデータでは、売り上げ枚数。 発売日等のデータは無しです。

1曲セレクトではかなり珍しいパターンですね。 まあ、そんなこともあって、今まで書こう書こうと思って、ちょっと躊躇していたところがあるんだけども。。。。。


そんな長年CD化されていなかったこの曲ですが、2012年にリリースされた「「財津和夫ワークス」〜40周年を記念して〜」というアルバムに、初CD化音源が収録されていたりします。

なので、今回のジャケ写は、このアルバムのもので。

ただ、申し訳ないんだけど、これを書く段階で、果たして「みんなのうた」で歌われたときのバージョンであるかどうかの確認が取れていないのですよ。

・・と思ってたら、TSUTAYA DISCUSで、レンタルして確認取れました。

1978年 第1回放送バージョンですね。 財津さんのソロというよりも、チューリップの皆さんで歌っているバージョン。 なるほど、これは儲けものだったかな?


なお、「Spotify」などサブスクで聴けるバージョンは、ギター1本での弾き語りバージョン。「みんなのうた」のバージョンとは別バージョンですね。
「なんだこりゃ」なんていうコメントも多くみられますが。。。。


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OUR SONG / 原田真二

1978_12_our song_原田真二


今回の1曲セレクトは「OUR SONG」原田真二です。

まずはデータでする。

・タイトル    OUR SONG
・アーティスト  原田真二
・作詞      原田真二
・作曲      原田真二
・編曲      原田真二
・リリース日   1978年11月21日
・発売元     フォーライフ
・オリコン最高位 19位
・売上げ枚数   6.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 20位(1978年12月25日付)

大晦日ですね。1曲セレクトもおそらく、2020年内はこれが最後だと思います。
今年1年、アクセスしてくださった皆様には感謝を申し上げるとともに、来年ものらりくらりとだと思いますが、書いていきたいと思いますので、一つ御贔屓に宜しくお願い致します。

さて、始めますか。。

どうもに気になっている曲がある。
今回引っ張ってきた原田真二さんの「OUR SONG」と言う曲。
曲調が気になっているわけではない。このところよく書いている曲へのアングルなんだけども、この曲、最初はどこで聴いたんだろう? ってこと。

いや、厳密に言えば、この曲自体ではなくて、個人的に原田真二さんってどこで知ったんだろう? っていう疑問なんだよね。

ワタシずっと、「ザ・ベストテン」だとばっかり思っていたんだだよなぁ。

ただ、「ザ・ベストテン」で・・・と言っても、ベストテン内にランクインした、「キャンディ」「シャドーボクサー」「タイムトラベル」「サウザンドナイツ」ではない。

以前もここで書いたように、個人的に「ザ・ベストテン」を見始めたのは、今でも忘れない1978年11月2日放送分からだ。

それ以前は、番組の存在すら知らなかったんで、それは間違いない。

・・ということは、ワタシがベストテンを見始めた以後にリリースれされた「OUR SONG」だったに違いない・・・なんて思ってたんだよね。

この曲、「ザ・ベストテン」でのベストテン入りは逃し最高12位だったはず。。 でも、番組で見た記憶があるんで、「スポットライト」で見たんだ・・・。

・・・ってずっと思ってたんだよね、ワタシ。

だから、以前「1曲セレクト」で「タイムトラベル」を書いた時も、原田真二を知ったのは「OUR SONG」をベストテンの「スポットライト」で見てから・・・って書いたんだけども。

でも、その後ベストテンに関する資料を調べていたら、どうも、この曲「スポットライト」で歌ってなかったみたいですね。。。。

そもそも自分のサイトのコンテンツ「ザ・ベストテン館」の「スポットライト編」登場アーティスト変遷にこの曲の記載がない。

灯台下暗し。自分のコンテンツに書いたなかったものを・・・ でもさ、これかなり昔に作ったリストなんで、以前の1曲セレクトで書いた時は「記載漏れ」があったものと思ってたんだよね。
なんせ「誤記述」はワタシの専売特許なんで。。  (爆)

でもこの曲については、どうも誤りではなかったようだ。

ぢゃ、どこで原田真二さんを知ったんだろう?  謎なんだよなぁ。。。。

うん、ワタシがヒット曲の世界に足を踏み入れた、1978年当時であることは間違いない。
兎も角、あのチリチリアフロヘアにピアノの弾き語りというスタイルはビジュアル的に強烈なインパクトがあった。
しかも、チリチリアフロなのに甘いマスクだったりして。

まあ、たしかにずっと後になって、スキマスイッチの常田氏も、全く同じスタイルだったわけだけど。
違うのは甘いマスクじゃなかったことか。。。

いずれにしてもビジュアル的にめっちゃインパクトがあった記憶はあるんだよね。

しかも、ビジュアル的にインパクトがあっただけではなく、楽曲がめっちゃいい。
この「OUR SONG」なんて、当時のヒット曲傾向から言っても、ほとんど洋楽だもんね。 よく筒美京平氏のメロディは洋楽「的」といわれるけど、「的」ではなく、もろ「洋楽」なのよ。

曲調ほとんどエルトン・ジョンだもんね。 そもそも「OUR SONG」っていうタイトルからしてもろじゃん。

洋楽に日本語が乗っている・・・しかも50年代、60年代のカバーポップスの時代のような無理やり感がなく、メロディに自然に日本語が乗っている。 

今考えると、日本のロック・ポップスもここまで来たんだ・・と思わせるような1曲ですね。

これも以前から書いてることなんだけど、ワタシ、いわいる「商業音楽」の入り口は、邦楽じゃなくて実は洋楽だったりするんですね。 起源はポール・モーリアなんですが、そこから派生して70年代HITPOPSが商業音楽を聴き始めた起源だったりするのね。
ROCK系も聴いてたりしたけど、より刺さったのはポップス系なんですよね。特にエレピを多用した曲。
だからね、和製エルトン・ジョンだとか、ビリー・ジョエルと言われた当時の原田真二の曲にも刺さったんだろうなぁ。

まあ、原田真二氏だけでなく、同様に八神純子さんにも刺さっちゃったワタシなんだけど。 兎も角、あの手のエレピが前面に出たロック・ポップが大好きなんだよね。
加えて、ゴダイゴ、ツイスト、サザンという当時のロックBIG3と言われてた人たちも、もちろん大好きだったんだけども。

だからねぇ、あの頃を思うと、今、ヒゲダンに刺さっているのって必然だよなぁ。ヒゲダンだけじゃなく、緑黄色社会とかビッケブランカとか、エレピが前面に出ている人たちって好きなんだよなぁ。

結局、いいタイミングで「ザ・ベストテン」と言う番組に出会ったよな・・と今になっても思いますね。
もっとも、1978年というヒット曲の大変革期に番組が始まったこと自体大きかったんんだけども。
あれが、例えばもう少し前だったら、個人的に番組自体に嵌っていたかどうかは自信ない。

・・・というのも、1977年頃だったと思うけど、偶然見た歌番組に全然共感持てなかったのを覚えてるんだよなぁ。 いわいる「4・7抜き」を多用したメロディとブラスを前面に出したアレンジに、当時洋楽を聴いてたワタシにゃ「ちゃちさ」を感じたのよ。 

78年、ロック・ニューミュージックが主体になり、そんな「ちゃち」さが払しょくされたヒット曲界に個人的には共感が持てた・・・刺さったんだと思う。 「あ、これなら聴きたい」って思えたんだよね。当時9歳。生意気なクソガキだったと我ながら思う。


そんな、もろ「洋楽」だった壮大なこの曲だけど、売れませんでしたねぇ。
「ザ・ベストテン」では、この前の「サウザンドナイツ」まではベストテン入りしていたのにかかわらず、この曲はベストテンにも入れず。
そもそも、オリコンで19位までしか行きませんでしたからね。

2曲前の「タイムトラベル」でオリコン自己最高位を記録していたことを考えると、この急激な売上げ低下には頭をかしげたくなるばかりだけど・・・。

要因はいろいろある。

一つは、この曲から詞が、それまでの松本隆氏から自作詞に変わったこと。 これで作詞、作曲、編曲、すべて原田氏一人でのセルフプロデュースになったこと。
松本氏の分かりやすい詞の世界から、自分の内面を反映する内容に変わって、詞の世界が難解になったんだよなぁ。

特に、 

♪ ただ今は 唱えるは 明日は 必ず晴れさ〜 ♪とか 
♪だからもう 唱えよう 輝く明日を信じて〜♪ など、

一種宗教を彷彿させ、精神世界を匂わせるようなフレーズも出てきたりして、ちょっと第三者には理解しがたい詞の世界に変わったことは大きかったんだろうね。

♪ キャンディ アイラブユー 泣かないで〜 ♪というめっちゃ分かりやすい詞の世界とは偉く違ったわけでね。

確かにオーケストレーションアレンジを施した壮大なアレンジ、6分を超える長い曲調にアイドル然とした原田真二のファンだった人たちには戸惑いもあったんだろう。

後に、原田氏が某宗教に走った時に、この曲のこの歌詞のフレーズを持ち上げられて、「やっぱりそうだったんだ」と宗教に走ったことを当然のように言われたこともあった。
ただ、今wikipediaを読むと、高校受験の時に人間の潜在能力を引き出すためにプラス思考に動かす「考え方」セミナーを受けていたということで、そんな影響もあったのかもしれない。

でも、アミューズを脱退して独立したというのが何より、このヒトにとっては大きかったんだろうな。
もっとも、アイドルとしてテレビ中心にプロモーションをかけることに違和感を感じて独立したわけなんだけどね。
あくまでアーティストとして自分をさらけ出すという覚悟での独立だったんだろうしね。だから、ヒットチャート的にどうこうというのは、大きな事ではなかったんだろうけどね。



これ、何の番組だったんだろう? 服部克久氏がMCやってますね。
あ、でも、ワタシの中での原田真二氏って、このイメージなんだよね。 チリチリパーマヘアに、丸眼鏡でピアノを弾くってゆう図柄。
まさか、この番組で初めて、原田氏を見たわけじゃないよなぁ。

しかし、女の子の黄色い歓声が凄いですね。いかに当時、原田氏がアイドル的人気だったのかが分かますねぇ。
それに反して、生意気そうなコメント。
↑で急に売れなくなったのは、アーティストとして活動していくためのアミューズからの脱退が大きかったって書いたけど、もう一説は、生意気な発言から第一線から干されたというのもあったようですからね。
アミューズという後ろ盾があれば、あるいは、ここまで急激に人気が急降下しなかったのかもしれないけど。。。


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リップスティック / 桜田淳子

1978_07_リップスティック_桜田淳子


今回の1曲セレクトは「リップスティック」桜田淳子です。

まずはデータでする。

・タイトル    リップスティック
・アーティスト  桜田淳子
・作詞      松本隆
・作曲      筒美京平
・編曲      筒美京平
・リリース日   1978年6月5日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数  19.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1978年6月19日〜7月24日付

後付けで知った曲。 こういう曲も数限りなくあるわけなんですよね。
私の場合、リアルタイムでヒット曲を聴き始めたのが、1978年9月頃だったかなぁ。 実際的には1978年11月2日に初めて「ザ・ベストテン」を見始めて以降っていうのが、より正しいんだけど。
うん、この場合、「意識して」ヒット曲を聴き始めたのっていった方が正しいかもしれん。 
もちろん、それ以前にも、なんとなく聴いてた曲もあるわけなんでね。
特にこれらの端境期にあたる1978年っていう年は、意識してヒット曲を聴き始めては無くても、なんとなく聴いてた曲も多いんだよね。
 反面後年まで全く知らなかった曲も多かったりして。。。  今回はそんな曲を一つ。

桜田淳子 「リップスティック」

いや、そう書くと結構意外がられますかね。

桜田淳子さんの1978年リリース曲の中では、代表曲と言ってもいいですし、ヒット曲評論家の間でも「受け」がいいこの曲なんでね。
でも、私は耳にしてなかったんだよなぁ。理由はよくわかんない。
まだ、積極的にヒット曲を聴いてなかった時期ではあるものの、この前曲の「追いかけてヨコハマ」は、リアルタイムで知ってたんだけどね。

もちろん、歴代の「ザ・ベストテン」のランクイン曲の一つとして知ってはいたけどさ。あくまで「知識」と知っていたまでで、曲は後年まで聴いたことなかった。。 というか、ずっと忘れてたと言った方がいいかもしれん。

再び、この曲を意識しだしたのは、1995年に刊行された「歌謡曲完全攻略ガイド」で取り上げられたのを読んでからですね。

それでも、それから実際に曲を耳にするまで、さらに何年もかかったんだけどさ

曲を実際耳にしたの、実は、いまから数年前なんですわ。。。

実際曲を聴いてみて、「歌謡曲完全攻略ガイド」で読んだ印象とは大分違ったんたんだよね。それでがっかりしたような何とも言えない気分になったりして。

「歌謡曲完全攻略ガイド」を読む限りではもっとポップでスピード感があるようなイメージを持ってたんだよな。
Aメロ前の 例の ♪フッフッ♪ っていうコーラスも「歌謡曲完全攻略ガイド」を読む限りでは、もっとスビート感があるのかと思ってたんで、実際に曲を聴いてちょっと拍子抜けだったんだよな。

ただ、一番感じたのは、それまで感じていた1978年の「初夏」っていうイメージとちょっと違うなってところかなぁ。

これまで自分で所有していた音源から感じる1978年初夏って、もっとロックなイメージが強いんだよね。といっても、汗臭いロックというよりは、ポップスよりのさわやかなロックっていうのかなぁ。
いかにも初夏を思い浮かばせる緑が、このころのイメージカラーなんだよね、個人的な中では。

でもねこの曲は、ちょっとこのイメージカラーからは離れてるかなぁ・・・っていうのが真っ先に感じたところでさ。

そうだ、この曲はポップスというよりも「ソウル」なんだよね。といっても、「ソウルドラキュラ」のような重くてジメっとしたソウルではなく、ディスコっぽいダンスナンバー寄りのソウル。
スリーディグリーズの「ソウルトレイン」とか、あの類に近いよね。
そういえば、スリーディグリーズといえば「にがい涙」とか、浅野ゆう子さんの「セクシー・バス・ストップ」って筒美氏が手掛けたわけで、この手のディスコ寄りのソウルナンバーって得意なんだよね。

で、いずれの曲も、なんていうのかなぁ、ヒューミディティ的っていうのかなぁ、どことなく、湿度を感じるサウンドだったりしてね。
っていっても、なかなか伝わらないかなぁ・・・。 そうね、昨日今日の関東地方の天気のような「蒸し暑さ」っていうのかなぁ。 そんな温度感を感じたりして。

この「リップスティック」にしてもそうだなぁ。

この湿度感は、筒美氏のアレンジ特有なサウンドなんだよなぁ。 良く筒美氏のアレンジはバタ臭いっていわれたりするけど、個人的にこの言い方はなんかちょっと違うなって思えたりしてたんだけどさ。そそそ、ヒューミディティ的なんだよね。

恐らく、筒美氏が自らのアレンジする際、 特にソウルナンバーの時のややしつこいくらいの「ストリングス」の使い方から湿度感を感じるのかなとも思ったりするんだけどさ。

ただ、同じ筒美氏でも、太田裕美さんの「九月の雨」や、ジュディ・オングさんの「魅せられて」で聴かせてくれるような、いわいるポールモーリアサウンドの場合は、ソフィケートされた清涼感のあるストリングスを聴かせてくれたり。
曲調によって、全く違うストリングの使い方を魅せるっていうのも筒美氏の特徴だし、そういう使い分けができるっていうのも筒美氏サウンド幅の広さなんだよね。

もっとも、筒美氏自らアレンジをほとんどしなくなった80年代以降は、なかなかこのサウンドを聴く機会も少なくなるんだけども。

ただ、この「リップスティック」の場合、そうは言っても、件のコーラスにしても清涼感があるし、なんと言ってもサビとは全く異なるスローなイントロは蒸し暑さどころか、秋風を感じさせたりして、夏の汗臭さを払拭させていますね。
さすがに、当時トップアイドルであった淳子さんに、そこまで汗臭さを感じる曲はマズいっていう配慮なんでしょうかね。



それにしても「ベストテン」落ちは突然にやってくるなんて言いたくなるくらい、まさか、この曲が淳子さんにとって最後のオリコンベストテン入りなんて、よもや思わなかったんじゃないのかなぁ。

たしかに、20才を迎え、当時アイドルから大人のシンガーに脱皮する途中だったんだろうっていうのは、今になってみればよく分かんだよね。
 少なくとも、この曲のちょうど1年前にリリースした「気まぐれヴィーナス」と比べても、ぐっと大人っぽい曲調だしさこの曲は。

ただ、そんなアイドルから大人への脱皮っていう変化は、このヒトの場合は受け入れられにくかったんだろうね。
それだけ、このヒトの場合は根っからの太陽のようなアイドル気質だったんだろうし、永遠のアイドルをみんな望んでたんだろうな。
そこが陰と陽といわれ「菩薩」だった山口百恵さんとは違ったというわけで。。。



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埠頭を渡る風 / 松任谷由実

1978_10_埠頭を渡る風_松任谷由実


今回の1曲セレクトは、「埠頭を渡る風」松任谷由実です。

まずはデータです。

・タイトル     埠頭を渡る風
・アーティスト  松任谷由実
・作詞       松任谷由実
・作曲       松任谷由実
・編曲       松任谷正隆
・リリース日    1978年10月5日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位 71位
・売上げ枚数  1.9万枚

急に寒くなりましたね。 ワタシ、布団は、まだタオルケット1枚なのよ。 いやいや、さすがに昨夜は寒かった。
いい加減、掛け布団出さなきゃ・・・ってところなんだけど、掛け布団、出して1度天日で干さないと、若干湿気っぽいんだよな。
本来なら、祝日だった今日とか布団干ししたかったんだけどねぇ。。雨ではねぇ・・・。
・・かといって、湿気っぽい布団で寝る気にもならず、今日もタオルケット1枚で寝ることになるんだろうな。。。。

・・・ということで、こう、寒くなって来ると、ちょっと温度感が低い曲を聴きたくなって来る。

なんじゃ、温度感が低い曲っちゅうのは・・・  ってところなんだけども。。。

単純に秋っぽい曲・・・ではなく、ちょっと寒風を感じる曲って感じかなぁ。 特に今日のように、雨からどん曇りの暗い1日だった今日のように日には。。

・・ということで、引っ張ってきた曲

ユーミンの「埠頭を渡る風」

いやいや、前回の1曲セレクトは、三善英史さんの「雨」だったのに、今回はユーミンですかい

なんですか、この落差は・・・・

なんて言われそうだけど、このゴッタ煮状態が、1曲セレクトのいいとこなんですよん    

・・・・なんて自画自賛したりして。。。

個人的にこの曲のイメージってモノクロなんですねぇ。 初めて映像込みで聴いた時の映像がモノクロだったのかなぁ。 その辺は覚えていないけど、兎も角、この曲を聴くとモノクロの映像が浮かんでくる。

場所は横浜。赤レンガ倉庫から大桟橋あたりの風景。

どうもね、ヒット曲→港・・って言う風景だと、いつもあの辺の光景が浮かんできてしまう。 

河合奈保子さんの「愛してます」とかね。 まあ、この曲の場合、歌詞にダイレクトに「横浜」ってあるんですが・・・。

でも、この曲から浮かんでくる景色も同じなんだよなぁ。 ただ、河合奈保子さんの「愛してます」がカラーの風景に対して、この曲は絶対的に「モノクロ」なんだよね。

それだけ古さを感じる・・・と言う訳ではなく、それだけ大人の情景を感じるんだよね。「シック」なんですよ。

・・・なんて、この曲の舞台は、あくまで横浜って言うワタシなんだけど、実際は東京の「晴海ふ頭」をモチーフにした曲のようですねぇ〜。

うーむ、晴海ふ頭ねぇ・・・。     個人的には、晴海ふ頭って言うイメージは、あんまり浮かんでこないんだけどなぁ。。。

どうもね、個人的にヒット曲から浮かんでくる風景と、作詞者が実際にモチーフにした風景がずれてる曲があったりするんだよなぁ。

例えば、東京JAPの「摩天楼ブルース」ってあるじゃん。そそそ、きょんきょんが主役だった「少女に何が起こったか」の主題歌だった曲。
あの曲、モチーフは、絶対に新宿の高層ビル街だと思ってたの。 でも、作詞の売野雅勇氏曰く、モチーフは横浜だったんだってねぇ。 いや、全く横浜なイメージは無かったんだけどなぁ。

なんか、今回のユーミンの「埠頭渡る風」も含めて、全く逆なイメージを持ってたような感じの私なんですけど。。。

でも、この曲が個人的に横浜っぽく感じたのは、多分に曲調にある様な気がするんだよな。

この曲ってもろ、フィラデルフィアサウンドじゃん。 

この曲からモノクロのイメージを感じたのは、ココ・・・フィラデルフィアサウンドってところなんだろうな。

まあ、あくまで個人的なイメージなんだけども、フィラデルフィアサウンドって、どこかモノクロに感じるんだよね。
色が無い・・というわけではなく、あくまでアメリカ東海岸のイメージからそう感じるんだろう。
ウエストコーストの温暖で明るいイメージとは逆に、東海岸てうっすら寒くて暗いイメージがあるんだよね、個人的に。 そんなイメージからモノクロさを感じるのかもしれない。

下敷きは、The Stylisticsの「Can't Give You Anything (But My Love)」(愛がすべて) あたりなんじゃないのかなぁ。  

めっちゃメジャーな曲だし、ユーミンのダンナたる方が、こんな誰でも知ってる曲を下敷きに持ってくる訳無いような気もするけど、ブラスの使い方、特にトロンボーンのフレーズが似てるんだよなぁ、「愛がすべて」に。
なので、どうしても、そう言う目で見てしまうワタシがいたりして。

でもさ、逆にだからこそ、この曲についつい、耳が行ってしまうワタシがいたりもするんだよな。

・・・というのも、The Stylisticsとかさ、この辺のフィラデルフィアサウンドが、実はワタシの音楽の原点の一つでもあったりするのよ。
 
ここでも何回か書いたことあるんだけども、邦楽ヒットに足を踏み入れる前は、ポールモーリア・フリークだったワタシなんだけども、かたや、70年代中期のアメリカンヒットも聴いてたんだよね。

件にもれず、当時、オヤジの車のカーステで頻繁に流れてた8トラックカセットに、76年頃のアメリカンヒットがあってさ、その中に入ってたのよ、The Stylisticsなんかのフィラデルフィアサウンドの曲が。

だから、その辺の曲がワタシの音楽の血肉の原点でさ、中学校の時、吹奏楽部に入ったのもその辺の曲をやりたいって言う思いが強かったのかもしれない。

そういう経緯もあってか、ユーミンの曲の中でも、個人的には、この曲好きなんだよなぁ。

まあ、セールス的には全く売れなかったけどさ。 78年当時のヒット界の状況を考えると、先端の音楽をやってたよなとは言える。

って書くと意外かもしれないけどさ。  

だってさ、ブラスにストリングスなんて、当時の歌番組のバンド編成をみたら、当たり前の編成だし、そんな歌謡曲いっぱいあったじゃない!? ・・・ってところだけども、それを「ユーミン」っていう一個人でやっちゃうのがすごいんだよね

簡単に言っちゃえば、金のかけ方が違うんだよね。  

これだけの大編成ともなれば、ミュージシャンのギャラだけでも大変な額になるはずでさ。
しかも、この曲のレコーディングミュージシャンがすごいのよ

Dr.    林立夫
B.     高水健司
E.G    鈴木茂
Key.   松任谷正隆
Per.   斉藤ノブ
Tp     羽鳥幸次 数原晋
Tb     新井英治
Sax   ジェイク・H・コンセプション
Fl      衛藤幸雄 西沢幸彦 
Strings    TOMATOグループ
etc

件の「ニッポンの編曲家」で紹介されている一流ミュージシャン、全員集合って感じじゃん。

 ビジネス的にそろばん勘定すれば、ココまでの一流ミュージシャンが集合した大編成曲は、よっぽど大ヒットが見込めない限りはやらない・・・いや、やれないハズなんだよ、一介のアーティストでは。

少なくとも当時のロック・ニューミュージック系のアーティストでは、やりたくてもやれないような楽曲。 そう言う意味で先端の曲と言えると思うんだよね。

もっとも、バックにタイアップのスポンサーがついてたり、メジャーなプロダクションがついてて豊富に製作費がつく曲ならともかく。。

この曲の場合、リリース当時は、あくまでアルバム「流線型'80」の先行シングルということだけで、大きなタイアップがついていた訳ではないから。

しかも、当時のユーミンって、アルバムを含めてセールス的に苦しんでた時期なんだよね。 
デビュー以来現在までの47年間の中でも一番苦しんでいた時期と言ってもいいかもしれない。
この曲の↑のデータでも分かるように、この曲なんて2万枚も売れなかったんだから・・・。あのユーミンが。。
まあ、アルバム収録と言う事で、実際のところそれほど深刻ではないけど、シングルだけの売り上げの数字だけ見たら大赤字ですよ。
70年代中盤、「あの日に帰りたい」の荒井由実時代も過去のモノになりつつあったこの時代。 
製作費も縮小っていうのも、やむを得ないハズなのに、この曲のような大編成なわけだからさ。

この辺り、80年代の栄光を見据えた、つまりは先行投資というべきか。
それが、「流線型'80」なんていう、あたかも栄光の80年代を予感させる様なタイトルのアルバムに収録されているって言うのが、如何にもユーミンらしいんだよな。

でもさ、ユーミンが常々口にしてる、貧乏くさい音楽はキライだしやらない・・・っていうのは、結局はこういう事なんだろうね。




しかしねぇ、レコード制作での金のかけ方と言う事で、ユーミンの右に出るものは居ないような事を↑で書いちゃいましたけど、ユーミンを上回る人が一人いましたね。

大滝詠一氏。

「A LONG VACATION」での製作費は一体いくらかかったんでしょ・・・ってくらい湯水のごとく製作費をつぎ込んだ1枚ですから。。。
なんせ「君は天然色」のアコギだけで4人も使ったって言うんだから・・・・。
今じゃ、逆立ちしてもあり得ないですね。

それだけ当時の業界は景気が良かったし、みんないい曲作りたいっていう気概があったんだろうな。




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ドール / 太田裕美

1978_09_ドール_太田裕美


今回の1曲セレクトは、「ドール / 太田裕美」です。

まずはデータです。

・タイトル     ドール
・アーティスト   太田裕美
・作詞       松本隆
・作曲       筒美京平
・編曲       筒美京平
・リリース日    1978年7月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 22位
・売上げ枚数   9.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 18位

大々的にと言う訳ではないですが、太田裕美さんが「乳がん」告白と言うニュースが、先日からネットに流れてますね。
7月に手術、8月から抗がん剤治療を開始しているとのこと。
年齢的にと言う事もあるのかもしれないけど、太田裕美さんあなたもか・・って言う思いもあるなぁ。
来年春までのスケジュールが決まっているので、休養はせず歌いながら治療していくとのことで、現在のところ重度な症状ではないと思われますが、無理せずに治療して行って欲しいですね。

・・・ということで、今回の1曲セレクトも、太田裕美さんの曲で行きたい

・・と思ったものの、毎度毎度のことながら、今頃の太田さんのヒットでまだ、書いて無い曲が、あんまりないんだよな。。。。

9月なんで「九月の雨」・・・と行きたいところでもあるんだけども、何分、太田さんの代表曲の一つ。まだ書いて無いわけが無く・・・・。

うーん、 と考えた・・すえに、この曲でいいかな・・と引っ張ってきたのが、「ドール」


この曲、厳密に言えば、9月の今頃はは既にヒットのピークは過ぎてたんだよね。

リリースは1978年7月1日。 78年「夏」のヒット曲と言う事になる。 9月の今頃はヒットチャート上でも既にヒットのピークは過ぎ、オリコンでも「右ページ」(51位以下)まで下がって来ていたのが、丁度今頃の時期だ。

個人的には、既にピークは過ぎていたものの、まだオリコン30位くらいには残ってた頃かな・・・と思ってたんだけど、意外とタンパクなヒットチャートの動きだったんですよね。

まあ、最もオリコンでは最高22位 10万枚も売れなかったんでねぇ。


唐突だけど、太田さんと「ザ・ベストテン」というと、どうしても「不運」と言うコトバが付きまとってしまう。

ベストテンが後3カ月早く始まっていたら、当然、太田裕美も「ザ・ベストテン」ランクイン歌手の仲間入りだったのに。
いや、当初はそれが濃厚だったんだよね。 ・・というのも、もともと「ベストテン」は1977年10月スタートの予定だったんですよ。
でも、Wikipediaによると、ベストテンのランキング方式の意見の対立によりスタート時期がずれ込んだとある。
また、キャンディーズ解散にも密接に関係しているともある。
まあ、キャンディーズの解散コンサートの放送権はTBSが持っていた事もあり、いろいろ「大人の事情」が絡んでいたものとは思うが。。。

いずれにしろ、その事が、太田裕美には不運の一つだったんだよな。

1977年9月リリースの、件の「九月の雨」が36万枚の大ヒットとなったものの、次の「恋人たちの100の偽り」から、いきなり10万枚以下という大幅売り上げダウン。 もちろんオリコンでもベストテン入りはせず、以後、ベストテン入りには縁が無くなってしまう。

その中でも、今回引っ張ってきた「ドール」って曲は、その曲調からして、恐らくは売り上げ巻き返しの1曲だったのかもしれない。

作詞 松本隆  作曲 筒美京平

っちゅう、超ゴールデンコンビは変わりないものの、 それまでの太田さんのシングルでは見らなかったようなちょっと、とっぽい感じのアップチューンからも、起死回生を狙ったよな・・って言う意気込みは感じ取れるんだけどね。

でも・・・・、思ったほど売れなかったんだよなぁ。

賞味期限・・・と言っちゃ失礼だけど、以前も書いたように、一度売り上げが右肩下がり傾向に入ったアーティストを巻き返すっていうのは、並大抵のパワーじゃダメなんだよね。 その辺にアーティストマネイジメントの難しさがあるわけで。。

今、改めて曲を聴いても曲自体は悪くはない・・・。 というか、松本隆-筒美京平っちゅう、ヒット曲請負人の超ゴールデンコンビ、駄作な筈もない。

ただ、ひとつ、この曲の中国音階的、かつ、日本的情緒・・という、いわいる4-7抜き的なアジアンテイストな曲の味付けはどうだったんだろう? っていう疑問は残るんだよ。

個人的に、太田裕美さんと言えば、田舎の(←失礼)の素朴で、アジアンテイストというよりもヨーロッパ系が似あう、ちょっと綺麗なお姉さんって言うイメージ強い。

まあ、デビュー曲の゜雨だれ」、「最後の一葉」、「九月の雨」のようなヨーロッパ系、「木綿のハンカチーフ」「赤いハンカチーフ」のような素朴系 ・・・このイメージなんですよ。
「しあわせ未満」はカントリーががってちょっと毛色が違うけど、それでも素朴ではあった。

それら、それ以前のヒット曲からみても、この曲はちょっとテイストが違うんだよね。

そもそも、ヨコハマっていう土地柄や、中国音階っぽい味付けが太田裕美さんのキャラクターにあっていたんだろうか・・・っていうと、個人的にはちょっとしっくりこないところがあるんだよね。

この曲のすぐ後に、ゴダイゴの「ガンターラ」を初めとした、「西遊記」による一連のヒットから、アジアンテイストを持ってきた方向性が間違ってたとは思わないんだけど、あくまで太田さんにその方向性の曲があっていたかと言うところだよね。

まあ、これも後の結果から感じ事かもしれない訳で、それなりにベストテン入りほどのヒットらなっていたら、そうは感じなかったのかもしれないけどさ。

ちょっと肩に力が入り過ぎたのかな・・・っていうキライはあるな。 オーバープロデュースっていうかさ。 今は、そんな風に感じられるんだよね、この曲からは。




ちなみに、個人的に、この後、太田裕美さんの曲でしっくりきた・・というか、引っかかったのは80年の「南風」でしたね。
↑で書いたようにヨーロッパ系テイストの他、ウエストコースト風な「からっ」とした空気もあってるんだ・・っていうの発見だったな。



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時代遅れの恋人たち / 中村雅俊

1978_12_時代遅れの恋人たち_中村雅俊


今回の1曲セレクトは、「時代遅れの恋人たち」中村雅俊です。

まずはデータですよ〜

・タイトル     時代遅れの恋人たち
・アーティスト  中村雅俊
・作詞       山川啓介
・作曲       筒美京平
・編曲       大村雅朗
・リリース日   1978年11月1日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 18位
・売上げ枚数   17.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 26位
・タイアップ:日本テレビ系ドラマ「ゆうひが丘の総理大臣」主題歌

私事なんだけど、先週知り合いが主催する「イントロクイズ」参加しましてね

↓ コレなんですけど
https://peatix.com/event/455948?fbclid=IwAR21C4P1k-sIGHo0Kre4tXxvAX2PbFFDb2YAs_fNeP4annMv2jInavc0gEA

「80年代 イントロ十番勝負」   

サザン

じつは、6月に別主催のチーム戦のイントロクイズにも出たんですけど、そんとき優勝したんですよ。
で、今回もその時の優勝メンバーで出ましょうよ・・・というお誘いがありまして。。

まあ、80年代縛りなら良いかな・・・と思いーの参加したんですが・・・

結果・・・・

なんとなんと、まさかまさかで「優勝」してしまいました  

今回は総勢100名の「歌謡曲・イントロクイズ」フリークが参加・・と言う本格的なイベント。 
今回も5人1組、20組でのチーム戦だったんですけどね。 6月で一度組んだ、気心の知れた仲間でチーム組んだのが良かったのか抜群のチームワーク功を奏したのか、予選、準決勝と圧倒的な強さを発揮
でも決勝戦は崖っぷちでした。
他の組にリーチをかけられ、絶体絶命の危機から、ワタシ以外のメンバーの猛烈な追い上げで劇的逆転優勝!... 盛り上がりましたねぇ!

僕ですか・・・僕ぁ、よかったのは準決の時だけですね。決勝戦は1問も答えられませんでしたよ〜。 優勝できたのはホント僕以外のメンバーのおかげですっ

分かる問題は何問かあったけど、悉く押し負けるんだよね。まだまだ未熟なワタシデス・・・。

と言っても、ワタシ的には特段、イントロクイズ対策はやっては居ないんだよね。
あくまで、昔の曲を頻繁に聴くくらいかなぁ。

とりあえず、60年代以降のヒット曲を、ヒット順に並べた音源をウォークマンに入れてあるからさあ。 それは、通勤時の帰りにほぼ毎日のように聴いてはいるんだけどね。 そのくらいですね。

ただ、今はあんまりやってないけど、昔、小学〜中学生の頃、明星の付録の歌本(Youn Song)とか月刊・歌謡曲の楽譜を見ながら曲聴くのが好きでさあ。 
その頃は自分で音源あんまり持ってないからラジオのベストテン番組を聴きながら譜面を見る訳ですよ。
で、出来るだけ曲の最初から譜面見たいからさ、イントロが出た瞬間、当該の曲ページを猛然と探すのよ。 そんな事をやってたら自然とイントロに強くなっちゃったんだよね。
中学生の頃は「ドレミファドン」のイントロクイズも回答者より先に大体分かっちゃってたし。。。25年くらい前にアーケードゲームで対戦型のイントロクイズがあったのよ。 それでも負けたこと無かったな。

とは言うものの、あれから30年近く経ってる訳で、流石にあの時に比べると頭の回転も反射神経も悪くなってるのは自覚としてあるんからさ。 
うん、瞬間的に曲としては分かるんだけども、曲名が出てこない・・とかさ
プラス、最近はクイズとして「イントロクイズ」専門に対策を立ててる方も多いんでね。
そんなわけで、今自分がどれだけ実力があるのか・・・って言うのは全く自身が無かったんだよね。
だから、今回の優勝はホント嬉しかったわ。 もっともワタシだけの実力ではないけどさ。



・・・ということで、今回の1曲セレクト、そんな「イントロ」のまつわる曲を持って来たい・・・っちゅうことで。。。

中村雅俊「時代遅れの恋人たち」

なんで、この曲がイントロクイズと関係あるの? ・・・って感じなんだけども。

いや、実はさあ、つい昨日なんだけども、買い物行く時に、いつものようにカーステで昔の曲を聴いてたのよ。
たまたま78年の今頃のヒットの並びだったんだけども・・・。 自分で曲順を並べたんで次はどの曲・・・って分かるはずなんだけども・・・・。
この曲のイントロが出た瞬間・・「あれ?」って考えちゃったんだよね。

そそそ、曲が分かんなかったの。 自分で入れた曲なのにねぇ。。。

ま、たしかに、曲がマンネリ化してきたんで、少し前に新たに曲を足したんだけどさ、その中にこの曲が含まれていた事を忘れてたんだよなぁ・・・。

いずれにしても、イントロが出た瞬間、曲が分かんなかった事で、「未熟」とか思っちゃったりして、引っ張ってきちゃいました。。。


あー、前振りが長っ

この曲は、日本テレビ系ドラマ「ゆうひが丘の総理大臣」の主題歌でしたねぇ。 

そそそ、中村雅俊氏主演の学園ドラマっすよ。 一時、柳沢慎吾がマネしてたよなぁ。

ワタシ、このドラマ好きだったぁ。 ・・・とは言っても、本放送の時はまだ小学3〜4年だったからさ、本放送では見てない。 後年、夕方4時ごろから頻繁に再放送してたじゃん。 「太陽にほえろ!」とかと繰り返しで。
そん時だよね、見てたのは。 中学生の頃だったかなぁ・・・。

なんか羨ましかった、青春してるんで。 高校生になったらこんな青春出来るんか なんて思っちゃりして。。

まあ、実際的に、あんな生徒思いの「熱い」先生なんて、そうそうは居ない訳でさ。。。

で、この曲は、そのオープニングテーマですね。

↓ コレ


オープニングフイルムでも気がついた方も多いと思うけど、いろんな「才能」が集まっているんですよね。
ドラマ脚本の畑嶺明氏は、後にTBS系ドラマの「うちの子にがきって」「毎度おさわがせします」の脚本で大ブレイク。
劇中曲 作曲の小六禮次郎氏は、後にNHK大河ドラマのオープニングテーマや、吹奏楽のオリジナル曲作曲を手掛けるなど、今や劇番作曲の大御所ですわ。


そんな今や大御所となられた才能の若かりし頃、てがけられたドラマってわけですね。


で、肝心の主題歌の「時代遅れの恋人たち」はというと・・・

詞は山川啓介氏。 まあ、これはなんとなくわかるんですけどね。 後年、火曜サスペンス劇場の件の「聖母たちのララバイ」など、日テレ系のドラマテーマ曲の詞を何本か書いてたし。

ただ、意外だったのは、作曲が筒美京平氏なんだよね。 いや、これは全くの意外だった。
ぱっと聴き、筒美京平氏っぽくないしさ。 時代的には、大橋純子さんの「たそがれマイラブ」とか、庄野真代さんの「飛んでイスタンブール」「モンテカルロで乾杯」など一連のヒットの頃ですわ。
つまりは、あの頃の筒美氏の曲ってバタ臭かったんだよね。 この曲のように「汗飛び散る」っていう青春群像な曲のイメージは無かったからさ。

それ以上に意外だったのは、、アレンジが大村雅朗氏なんだよね。 そそそ、時期的には八神純子さんの「みずいろの雨」と同じ頃ですわ。
 つまりは、アレンジャーとして大ブレイクした、丁度そのこのろって言う訳なんだけども。。。 
だからなのか、後年、松田聖子さんや、一連のニューウェイブ系作品を手がけた80年代の、あの洗練されたイメージはまだない。
そもそも、大村氏の、こんなカントリーミュージック的なアレンジってのも、80年代の一連の大村作品からすると、想像つかないしなぁ。 ちょっと雑っぽいアレンジが初々しいっちゃ、初々しいんだけどね。
だから、近年までこの曲のアレンジが大村氏だったことは、全く気がついて無かったんだよね。

いずれにしても、ドラマのヒットもあって、この曲自体もそこそこのヒットとなりましたよね。オリコンでは最高18位ながらも、売り上げが約18万枚のスマッシュヒット。
累積の売り上げだけ見たら、瞬間的にベストテン入りしてもおかしくなかったですからね。


動画・・・どうもうまく貼れなかったんで、ようつベのサイトの直リンク
https://www.youtube.com/watch?v=_6qEYiRV8x4



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ブルー / 渡辺真知子

1978_11_ブルー_渡辺真知子


今回の1曲セレクトは、「ブルー」渡辺真知子です。

まずはデータです。

・タイトル     ブルー
・アーティスト   渡辺真知子
・作詞       渡辺真知子
・作曲       渡辺真知子
・編曲       船山基紀
・リリース日    1978年8月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数   33.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1978年9月18日、10月2日〜10月30日、12月4日付


ここんところ、リアル仕事が忙しくてねぇ。 FBには書いたんだけども、上役に挟まれ、下にも挟まれ・・っちゅうサラリーマン中間管理職の悲哀(?)っちゅうかねぇ、金曜日はガタガタニ疲れた頭で中森明菜の「難破船」を聴いてたらシミジミとなったことをグチグチと書いたりしてさ。。。

まあ、そんな事ですっかりと忘れていたんだけども、週末の11月2日で、ワタシが、ヒット曲の世界に足を踏み入れて、丸40年となったんですねぇ。

なんで、そんな事が分かるのか? って思われる方もいらっしゃるかもしれないですが、その辺の経緯は、ワタシのサイトのプロフィールに書いてたりするんだけどね。

忘れもしない、1978年11月2日ですよ。 この日は木曜日だったんですねぇ。 次の日が文化の日で祝日じゃ無いですか。 なんで、ワタシ、同級生の友達の家に泊まりに行ったんだよね。 ほら、ガキのころ、やったヒトも多いと思うけど、いわいる「お泊まり会」ってやつね。 当時ワタシは9才。小学校3年だったな。

その当時、ワタシ、ヒット曲なんて聴いて無くてさ、もちろん歌番組も見たこと無かった。 

いつか、ここでも書いた事があったと思うけど、オヤジが歌謡番組がキライでさあ。 「8時だよ!全員集合」なんかもコントのところは見るんだけども、歌が始まると、チャンネルまわしちゃったりね。 

うん、当時はテレビは当然、家に1台、チャンネル権はオヤジが持ってたからなぁ。

だから、むしろヒット曲には同級生に比べると疎かった。

でもさ、泊まりに行った友達には2つ上のアニキがいて、当時から歌番組見てたんだよ。 で、木曜って事は「ザ・ベストテン」も当然見てて、付き合いがてらについつい見ちゃったんだよなぁ。

これが今に続く「顛末」の始まりだったんだ。

衝撃でしたねぇ。 世の中にこんなに面白い番組があるんか・・・ってぐらいの衝撃。  まあ、当時ランクインしてた曲も良かったんだよね。 サザンもそうだったけど、ツイストとかさ。 歌謡曲とは明らかに一線を画した、それまで聴いた事が無いような曲だったから。

ワタシねぇ、それまではヒット曲は聴いたなかったけど、ポールモーリアはずっと聴いてたんだよね。ガキのくせして。 オヤジも歌謡曲は嫌いだったけど、ポールモーリアは好きだった。 っつか、誰かからポールモーリアの「8トラ」のテープ譲ってもらって来たのも、オヤジだったし。 その他、当時の洋楽ヒットも聴いてたな。 その頃流行りだった、フィラデルフィアサウンドな洋楽ヒットね。 その辺はオヤジも好きだったんだよ。

いわいる、ストリングスありーの、ブラスサウンドありーの、分厚いサウンドな音楽ですわな。

まあ、そんな影響で、そう言うサウンドがワタシ的も好きだった・・というか、ワタシの原点なサウンドですね。特にストリングスが好きだったんですわ。 フィラデルフィアサウンドでは、高音系のさんざめくような、それていて澄んだストリングスの動きが特徴だったじゃん。 これははポールモーリアでも共通してたしね。

こういう音は、日本のヒット曲には無いと思ってたんだよな。日本の曲の音はもっとチープだと思ってたの。

でもねぇ、件のベストテンを見て、目からうろこでしたねぇ。 自分が思ってたようなサウンドとは全く違ってたし。
特にツイストの、分厚い音と、独特のグルーヴ感だよね。 これに参っちゃたんだよな。

以来・・というか、次の週から自分の家でも見まくりましたよ〜、ベストテン。 

それまで家では、ウラ番組のドラマ見てたのかなぁ、ワタシは夜9時には寝てたし。 
でも、ワタシが「ベストテン」見たいっていったらシブシブ見せてくれたな。 恐らく、オヤジもその1回だけだと思ったんじゃないかなぁ。 でも、毎週毎週見るようになって、それまで自分が見てたドラマが見れなくて、ブーブー言い始めたんだけども、オヤジも久米さんと黒柳さんのやり取りが気に入ったんだろうね、シブシブだけど、ベストテンを見せてくれるようになったんだよね。

以来、木曜夜9時と言ったら、何があってもずーっと「ベストテン」だったし、 終了後もずーっとヒット曲を追い続け、あれから40年も経っちまったって訳だね。

あー、またまた、前置きが長くなっちまった。

で、今回の1曲セレクトは、そんな、ワタシがヒット曲の世界に足を踏み入れた頃、丁度ヒットしてた曲を一つ。

渡辺真知子「ブルー」。

ウム? この曲、まだ書いて無かったんだ。。。   ワタシがヒット曲に足を踏み入れた頃のベストテンヒットな曲って、すでに書いた・・とばかり思ってたし、個人的に、それ以前から渡辺真知子さんの曲って好きだったから。

いや、個人的に好きだった・・・っていうか、オフクロが好きだったんだよね。 真知子さんのデビュー曲の「迷い道」。 これ、まあ、良く、よく口ずさんでたもの。 で、知らず知らずのうちに覚えちゃったんだよな、ワタシ。

次の「かもめが翔んだ日」もそう。オフクロ好きだったんだよな。 だから、知らず知らずのうちに覚えちゃってたし・・・。

でもさ、今回引っ張ってきた「ブルー」って曲は、口づさんでなかったんだよね。

だからなのかなぁ・・・今まで、1曲セレクトで書いて無かったの。

オフクロがこの曲、口づさんでなかったのは、きっと、この曲が難しかったからなんだと思う。

特に ♪ あたなは 優しい目〜 ♪ っていう出だしのところ

♪あたなは〜♪ がウラから、変拍子気味に入るメロディじゃん。 入るタイミングが難しいんだよね。  

それにも増して、 ♪ とりとめのない心〜 ♪から先に続く、ファルセットの部分。

きっと、なかなか口づさみづらかったんだろうね、オフクロも。

そんなこともあって、家で、あんまり流れていなかったことありーの、個人的にも長い事記憶の外のところがあったような気がする。

決して、この曲がキライだったんじゃないんだよ。  いや、むしろ個人的には、この曲の方が好きだった。

前2曲よりも手垢が少なかった・・・ってのもある。 けど、難しい曲だからこそ引っかかるってのもあったな。

オフクロが口づさめなかった、ウラから入るAメロ出だしも変わってて面白かったし、 それよりもサウンドだよね。

北風が吹きこむような冷たいサウンドっていうのかなぁ。秋から冬へって言う温度感にマッチしてたし。 まあ、リリースしたのが8月だった訳で、だから、リリース当時は暑苦しかったのかもしれないけど、 ヒットのピークだった、今頃にはピッタリの温度感と重量感だったように思う。

そうそう、この冷たい温度の手触りと重量感が、ポールモーリアの「雪が降る」と類似してるような感じがしたんだ、この曲。 

いや、イントロの駆け上がりから出てくるチェンバロ。

Bメロの ♪ 呼びたしたのに〜 ♪ から絡んでくるストリングスなどを含め、 どこかホールモーリアサウンドを彷彿としたんだよね。

でね、だから、こういう曲だったら、日本の曲でも聴いてもいいな〜。 なんて、当時9歳のガキだったワタシは、クソ生意気にも思ったんだよな。


いずれにしろ、インパクトはあるものの、前2曲に比べると華やかさと言う点では劣るのは否めないところですね。 まあ、楽曲のテーマがテーマなんで、「華やか」部分を前面に出すのは難しんだけど。。。

でも、「華やか」ではないからこそ、長い間、より多くの方に支持される・・・っていう場合もある。
これは、今年の米津玄師の「LEMON」が超典型的な例だと思うけど、 この曲もそうだったんだよね。

オリコンでは最高10位に留まったものの、「ザ・ベストテン」では2回、僭越ながらワタシメのランキングでも2回、ベストテンに返り咲き、と言う感じで、約3ヵ月間もベストテンギリギリでのチャートアクションを維持している。

いつまり、楽曲内容同様、華やかなチャートアクションではなかったものの、ジミに、その分、息の長いヒットとなった訳なんだよね。


 


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モンテカルロで乾杯 / 庄野真代

1978_09_モンテカルロで乾杯_庄野真代


今回の1曲セレクトは、「モンテカルロで乾杯」庄野真代です。

まずはデータです。

・タイトル     モンテカルロで乾杯
・アーティスト   庄野真代
・作詞       ちあき哲也
・作曲       筒美京平
・編曲       筒美京平
・リリース日    1978年7月10日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数   31.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1978年8月28日〜9月25日付

昨日も「暑ーね」ってことで、森口さんの「恋はタヒチでアレアレア」なんて引っ張ってきたんだけども、あれは、自分の中では「前座」のつもりだったのね。
で、本来ひっぱって来たかった曲が、別にあって本当は昨日2曲書くつもりだったんだけども・・・。萎えた。

うーむ、最近はダメっすねぇ、1日2曲書くのかなりキツイですわ〜。 以前は湯水のごとく文章が浮かんできてたんだけども、最近は結構、考えながらじゃ無いと文章浮かんでこないんだよな。うん、昔は「右脳」でかいてたけど、今は「左脳」で書いてるようで。。。だからねぇ、疲れるのよね。 ワタシ、考える力が無いんで・・・。

ま、愚痴はこの辺にしといて、本来引っ張ってきたかった曲。

庄野真代「モンテカルロで乾杯」

そそそ、庄野さんのブレイク曲「飛んでイスタンブール」の次なんだけども、連続で大ヒットした曲ですわ。

タイミングが良かったんだよね。 ・・・というか「飛んでイスタンブール」がロングヒットだったんだけどもね。
「〜イスタンブール」は、リリースがこの年の4月1日だったわけだけども、 得てしてブレイクには時間がかかるってことで、ベストテン入りするまで3カ月かかってましたからねぇ。

ベストテン入りまで3カ月かかったってことは、この「モンテカルロで乾杯」がリリースされた頃に、「〜イスタンブール」がベストテン入りした訳なんですわ。

まあ、そんなヒットタイミングだったことで、「〜イスタンブール」のヒットが落ち着いてきた頃に、入れ替えでこの曲がベストテン入りしてきた・・・。

っつうことで、見た目には、まさに「連続ヒット」っていう形になった訳なんだよね。

ま、いずれにしても、庄野さんにとっては、78年の夏っていうのは「大当たり」だったわけだよね。


個人的にも、もちろん「〜イスタンブール」も、ヒット当時から知ってはいた。 けど、なぜか、この「モンテカルロで乾杯」の方が記憶が深いんだよな。

・・というか、長い事音源持って無かったんで、正直言うとずっと忘れてたんだよね、この曲。
でも、いつだったか、おそらくラジオで流れてるのを聴いて、めっちゃ、懐かしい気分になったのを覚えてるなぁ。

まあ、この曲がヒットしてた頃が、ワタシがヒット曲に足を踏み入れた頃の原点って言うこともあるかもしれない。

でも、それ以上に、記憶の奥深くに留まっていたものがあるような気がするんだよなぁ。

恐らくね、当時、この曲を聴いて、その曲調に刺さったんだろうなぁ。 

なんていうんだろうねぇ、なかなかコトバで表すのが難しいんだけど、筒美京平氏独特のバタ臭さっちのうかなぁ、筒美氏ならではのグルーヴ感、独特の温度感なんだよな。 夏場に聴くとかなり湿度が高いよな・・・っていうウェット感。 そうそうそう、常磐ハワイアンセンターの内部の、あの独特のジメッとした湿度感。 それなんだよ。

1曲前の「飛んでイスタンブール」との違いは、そこなんだろうなぁ。 うん、「〜イスタンブール」のアレンジは、船山基紀氏でしたからね。
 ここまでウェットじゃないんだよね。 カラッとしてる。 まあ、そこが地中海性気候の「イスタンブール」っていう地名にフィットしてるんだけどさ。

でも、この独特の湿度感が、意外と日本の夏場のフィットするんだよな。 サウンド的にはバタ臭いんだけども、日本の夏場特有のウェットな感覚もあるっちゅうかさ。

そそそ、同時期に同じような感覚になった曲が、もう1曲。 大橋純子さんの「たそがれマイラブ」。この曲も、筒美京平氏だったじゃん。
しかも、アレンジも筒美氏っていうのがミソなんだよね。

この独特のウェット感は、どこから来るんだろう・・・って思うけど、きっと楽器の使い方が独特なんだよね、筒美氏自身のアレンジって。特に弦楽器の使い方がおおよそ「歌謡曲」って言う感じじゃ無いんだよね。オーケストラに近いっちゅうかさ。

まあ、77〜78年頃の筒美氏は、一方ではフィラデルフィアサウンドに傾倒して居たりね かと思えば一方では、ポールモーリアに傾倒して居たり・・って感じでしたからね。
 ただ、いずれにしてもストリングスの使い方に特徴があった訳でさ、そんな影響も、この辺の曲には出て来てるんだろうな・・・と思うわけでさ。

でも、だからこそ、個人的には刺さったともいえるんだよね。 っちゅうのも、ここでも何度も書いてるけど、当時のワタシャ、ポールモーリアに超ハマリの、マセガキだったからさあ。この曲のようなサウンドには、親和性があったんだよね。

まあ、そういうところが記憶の奥底に未だに深く刺さっているんだろうなぁ。


ところでさ、インタンブールの時もそうだったけど、モンテカルロってのも、一体どこにあるねん・・・なんて、調べたりしませんでした

ワタシは調べたなぁ。 当時はインターネットなんてもちろん無かったし、頼りは、ウチにあったでっかい地球儀。
うん、小学校に入学する時、勉強机は近所の兄ちゃんのお下がりをもらってきたくせに、なぜか地球儀はめっちゃデカイのを買ったのよ。 それで、調べたの覚えてるわぁ。

ちなみに、モンテカルロも、インタンブールと同じく地中海に面してるんだよね。 
・・・ということは、地中海性気候であり、この曲のようなウェットな感じじゃないんだけどなぁ・・・・。

・・・なんて今になって思ったりして。。。






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泣き上手 / 野口五郎

1978_06_泣き上手_野口五郎


今回の1曲セレクトは、「泣き上手」野口五郎です。

まずはデータです。

・タイトル     泣き上手
・アーティスト   野口五郎
・作詞       岡田冨美子
・作曲       佐藤寛
・編曲       クニ河内
・リリース日    1978年5月10日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数  17.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1978年5月29日〜6月12日付

えー、今回はマクラなしで、のっけから行きますね。

野口五郎 「泣き上手」

先週、秀樹の曲を書いたんで、次も「新・御三家」の曲だよね・・・って、自分の中では決めてたんだよね。なんで、郷ひろみか、野口五郎か・・・ってなる訳だけど、ちょっと前から時期が来たら引っ張って来るか・・・って考えてた曲があったんで・・・・

それが、今回引っ張ってきた「泣き上手」ですわ。

考えてみれば、最近、野口五郎氏の曲、頻繁に書いてるような気がするんだけどさ・・・ このきょくの1曲前の「愛よ甦れ」もちょっと前に書いたしなぁ〜。

いや、逆に言えば、これまで殆ど書いて来なかったんだよな、野口五郎氏の曲は。
新・御三家の中でも、ワタシがまだヒット曲世界にのめりこむ前に、一番早く少し落ち目になっちゃったのが、野口五郎氏で、だから、正直言うと、タイムリーで聴いてた曲ってのが少ない・・・っちゅうこど、これまであんまり書いて来なかった一番の理由なんだけどさ。

ときに、今回引っ張って来た「泣き上手」も、まだ「ヒット曲」の世界に足を踏み入れる前のヒットなんですわ。

うん、ほんのちょっと前なんだけどね。この曲の次の「グッド・ラック」からだからさ、ワタシがタイムリーで聴いた野口五郎氏の曲って。

でもさ、「泣き上手」の頃は、既に「ザ・ベストテン」は始まっていたし。だから、ベストテンの「懐かしの名場面」とかでも、ダイジェストでは見たことはあったし、どんな曲なのか・・・ってのも興味はあった。

ただ、実際に曲を耳にするまでは、大分かかっちゃったんだよなぁ。 ホント最近なんだよね、この曲ちゃんと聴きだしたのは。

個人的に所有している、昔のヒット曲の音源。とりあえず70年代以降のクロニクル的な流れはとりあえず出来ているんだけど、まだまだちょぼちょぼ抜けてる曲があるんですわ。

その一人が野口五郎氏、もう一人が桜田淳子さんだったりするんだよね。 だ、もんで、最近、このお二人の音源を重点的に集めてたりしたわけなんですわ。

で、最近集めた音源の一つが、前回書いた「愛よ甦れ」だったり、今回ひっぱってきた「泣き上手」だったりするんだですわ。

そんな流れでここんところ、頻繁に引っ張ってきてるところが大きいかな。 

でも、とりあえず、「ベストテン」が始まって以来の、音源はこれで一応は集まったんでね、以前ダイジェストでしか聴いてなかった曲もちゃんと聴けるようになったんだけどさ。


そんな中でのこの曲の第一印象・・・・ うーん、「もろ歌謡曲ですねぇ」っちゅう印象。

「愛よ甦れ」の時も書いたような気がするんだけど、これがさ70年代中盤・・・そうだなぁ、75年くらいまでであれば、これはこれで「アリ」だと思うんだけどさ。この曲がリリースされたのは78年だったわけでさぁ。

うん、これも以前書いたんだけども、ヒット曲の曲調って、78年くらいから劇的に変わってくるんだよね。
ヒット曲でも、洋楽的なメロディやサウンド色が俄然強くなってきた訳なのよ。 その中で「歌謡曲」的なサウンドっちゅうのは、ひと時代前の・・・っていうイメージが出てきた頃なんだよね。

保守的、いわいる「アナクロ」的な色合いだよね。  この曲を聴くと、まずはそこに耳が行ってしまう。

つまりは78年っていう時代の色合いに合っているのか・・・っちゅうと、やっぱりズレてるんだよなぁ。
78年のヒット曲の先端は、もっとバタ臭いからさあ。こういう「醤油」系の匂いじゃないんだよね。

だから、うーん、どう考えても「大ヒット」な曲って言う感じではないよね・・・ってなっちゃうんだよね。

まあ、実際、前曲「愛よ甦れ」で落ち込んだ売り上げ枚数が、V字回復にはなっていないし、オリコンでの最高位も前曲同様に「9位」とベストテン入りギリギリのラインで落ち着いてしまってたりする。

だから、全般的にダメな曲なのか・・っちゅうと、正直最初はねそう思ったの。  メロディに字足らずの歌詞があったりして、なんとなしにアンバランスに感じちゃったりもしてさ。

でもさ、何回か聴いてると、どうも引っかかってくるフレーズがあるんだよな。

うん、サビの ♪ そこがいい そこがいい〜 ♪ って部分。

なんちゅうのかなぁ、「そこがいい」っていうコトバが纏わりついて来るんだよねぇ。 

なるほど、この曲の「キモ」はここか・・・・。 なんて、いうのを最近気が付いてきたりしてね。


それとさ、レコード音源で聴くのと、「ようつべ」なんかで動画で見るのと、印象が大分違うんだよな。
動画で見ると、レコード音源で聴くよりも良いんだよ。 音がしっかり1978年のサウンドになってるし。。。

っちゅうか、そりゃ1978年の歌番組の動画なんだから、当時のサウンドであって当たり前なんだけど。。。

なんちゅうのかな、「ウタ番組」ありきで作られた曲っちゅうのかなぁ。 そそそ、テレビの「ウタ番組」で歌われるのを「前提」で作られた曲っちゅうのかなぁ。 そういう印象が強い。

いや、でも、当時のヒット曲ってそう言う曲って多いんだよな。 レコードで聴くとなんかイメージが違う曲って。

うん、テレビの方が断然かっちょいいの。 音が太くて華やかで独特のグルーヴ感があって。。。

そそそ、この「独特のグルーヴ感」、ここにやられちゃったんだよな、当時のワタシは。 それが「ヒット曲の道」に嵌まった最大の要因なんだよなぁ。

いつか、ツイストの「燃えろいい女」を書いた時も同じような事書いたんだけどさ。あの曲もテレビとレコードじゃ、大分イメージが違うんだよな。ワタシは、テレビ、特に「ベストテン」で歌ってた時の「燃えろいい女」が一番好きなんだよな。

もしかすると、この曲もヒット当時例えば「ベストテン」で聴いてたら同じような印象があったんぢゃないか・・・そんな風に思える1曲ですねぇ。




「夜ヒット」、毎度毎度の事ですが、演奏がねぇ・・・やっぱ下手なんだよねぇ。 とりあえずはミストーンをなんとかして欲しい・・・っては、いつも書いてるような気がするんだけど。。。。



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