かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1977年

青春時代 / 森田公一とトップギャラン

1977_01_青春時代_森田公一とトップギャラン


今回の1曲セレクトは、「青春時代」森田公一とトップギャランです。

まずはデータから

・タイトル     青春時代
・アーティスト   森田公一とトップギャラン
・作詞       阿久悠
・作曲       森田公一
・編曲       森田公一
・リリース日    1976年8月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  101.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1976年11月15日〜1977年3月21日付

ジャンル付に困っちゃう曲ってあるんだよな。
・・・なんて、また「主語」無しで唐突に話が始まってしまいましたが。。。

でもね、例えば楽曲検索で「ジャンル検索」なんて項目がある場合ってあるじゃん。そう言う時に、「はて、この曲はどこに分類すればいいんだろう・・・・」なんて困っちゃう事っておうおうにしてあるんだよね。

まあ、そもそも音楽をジャンル分けするって事自体ナンセンスな事ではある訳で、そんな事を考えるのも無駄って言えば無駄なんだけどもさ。。。

今回は、そんな個人的にどのジャンルに分類すればいいんだろう・・・っ曲をひとつ。


森田公一とトップギャラン 「青春時代」

ね? 困ってしまいませんか、この曲。 
この曲は一体何なんだろう? ってね。  歌謡曲? ポップス? ニューミュージック? フォーク?

っていうのを、いつから悩んでるんだろう? ・・・って感じなんだよなぁ、個人的に。

昨夜BSジャパンで放送してた「フォーク・ニューミュージックベスト30」では、ニューミュージックってなってたんだよな。
とりあえず、ワタシも家で保管している音源はニューミュージックとしてまとめてたりする。 

それ以前に、よく通販で販売してる「ニューミュージック全集」なんかにも、ニューミュージックとして収録されている。

まあ、だから、ニューミュージックとして見ていいんだろうな・・・きっと。


でも・・・ですよ。実際に曲を聴く上では、どこが、お「ニュー」な音楽なんだろう・・・なんて思っちゃうんだよな。

そもそも「ニューミュージック」ってジャンルって、それまでの音楽ではカテゴライズ出来ないような「垢ぬけた」音楽を指していた・・・と思うんだけど。

いつかも書いたような気がするんだけども、例えばチューリップですよね。それまでのフォークとも、G.Sともくくれない、洋楽の匂いが強い垢ぬけた音楽。 これをカテゴライズするジャンル用語は、最初なかったんだよね。
 だから、初めは「ネオG,S」なんて呼ばれた(らしい)。
 まあ、チューリップの場合は、「グループ」だったんで、そう呼ばれてざるを得なかったところもあったのかもしれない。

だけど、ユーミンが出現するとそうも行かなくなった。なんせユーミンは、グループぢゃなく、ソロだったから。

そんな、それまでの日本の音楽にはなかった、より洋楽傾向の強い色彩的に垢ぬけた音楽を、まとめてニューミュージックと言うジャンルにカテゴライズした・・・っていうのが、ニューミュージックの始まり・・・だったはずなんだけども。。。

うん、この「色彩的」っていうのが重要なところで、G.S時代の、いわいるサイケデリック的な「原色」のどぎつさではなく、もっと淡い色・・・昨日の、フォーク・ニューミュージックベスト30では、「パステル・カラー」と表現してたけど、そういう色合いの音楽を総称して、ニューミュージックとしたわけなんだよね。

そう言う意味合いからすると、果たして、この「青春時代」って言う曲は、ニューミュージックなんだろうか・・・なんて思っちゃったりするんだよね。
色彩的に「パステルカラー」じゃねーよなぁ、この曲。 もっと古臭いというかカビ臭いというか。。。


ま、その前に、森田公一氏というと、どうしても70年代前半の、アイドル、ポップス系の作曲家って言うイメージが強い訳でさ。 
 そんな70年代前半のトップ作家の中でも、例えばバタ臭い洋楽傾向が強かった筒美京平氏よりは、バタ臭さは感じなかったし、かといって、和テイスト傾向の歌謡ポップス的な平尾昌晃氏ほど「和テイスト」は強くなかったし、当時のポップス系作家の中では、洋楽ージャパニーズの中間的なポップスを作ってたヒトって言うイメージが強いんだよな。

うん、つまりは、当時で言う「ニューミュージック」らしさは、それほど感じなかったんだよ。
メロディラインにしても、サウンドにしても。


だからね、この曲をニューミュージックっていわれると、違和感を感じぢゃうんだよな。

結局のところ、この曲が、当時の「若者」に支持されていた・・・ってところが、ニューミュージックにカテゴライズされる一番の要因になってるのかもなぁ。

・・・なんて書くと、正直、ワタシ的には、これまた違和感なんだけどさ。。

っていうのも、どうも、この曲が当時の「若者」に支持されていた・・・って言うのがどうしても結びつかなくてねぇ。

この曲っていうと、ワタシの母親たちが歌ってた・・・って言うイメージが強いんだよなぁ。
この曲がヒットしてた76年〜77年の今頃っちゅうと、ワタシゃ7才。 小学校1年生でしたわ。

少し前にも書いたかもしれないけど、当時、 母親が学校の「PTA」をやってた関係で、家がPTAの溜まり場になってて、よく宴会やってたんだよな。 その宴会で、よく歌われてたんだよ、この曲。

だからね、この曲というと、あの頃の家での宴会が浮かんできちゃうワタシだったりするし、だからか、若者に支持されてた・・・っていうよりも、オジさん、オバさんたちに支持されていた・・・っていう印象が強いんだよな。
(といっても、今のワタシの年齢よりは若かったはずだが。。。。)


でも、チャートアクション的に見ると、ワタシのランキングでもそうだけども、オリコンでも4カ月近く、ベストテン内に居座り続け、77年の今頃をピークに、5週間も1位を獲得したこの曲。
そんなチャートアクションの末、最終的にはミリオンセラーまで到達したわけでさ。

そんなロングヒット、かつミリオンセラーに達するようなヒットなんてさ、当時でもオジさん、オバさんだけの支持だけでは無理な訳でさ。 当時の若者を含めた、幅広い年齢に受けなきゃね、こういうチャートアクションは生まれなかったですからね。

でもね、考えてみれば、最初に書いたような、この曲が、どの楽曲ジャンルの曲なのか、はっきりとカテゴライズ出来なかった事が、結果的には幅広い年齢から受けたのかもしれないな。
汎用的な楽曲っていうんですかねぇ。これって、ヒットを生み出す上でも意外に大事な事なんだよなね。
・・・ってことをこの曲は教えてくれているのかもな。

 うん、これから幅広い年齢層に支持されるような楽曲を生み出す上の「参考曲」として、意外と大事な曲なのかもなぁ。



これ、「トップスターショー〜歌ある限り〜」っていう、当時TBSの木曜21時枠で放送してた歌番組ですね。
二谷英明氏と、久米さんが司会だった。
久米さん若っかい
この番組の後番組が、「ザ・ベストテン」になるわけですわ。


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禁猟区 / 郷ひろみ

1977_12_禁猟区_郷ひろみ


今回の1曲セレクトは、「禁猟区」郷ひろみです。

まずはデータです。

・タイトル     禁猟区
・アーティスト   郷ひろみ
・作詞       阿木耀子
・作曲       宇崎竜童
・編曲       萩田光雄
・リリース日    1977年12月5日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 8位
・売上げ枚数  16.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1977年12月19日〜1978年1月16日付

ここんところ、個人的に「歌本」熱が再燃してきてるんだよね。 
古くからの歌謡曲ファンにはお馴染みだと思うけど、月刊「明星」とか「平凡」の付録についてきてたアレですね。
あるいは、今は廃刊になっちゃったけど月刊「歌謡曲」とかさ。歌詞カードと楽譜が載っかっている本。

うむ、個人的には「平凡」よりも「明星」派だったんで、明星の歌本「Young Song」。今も後生大事に取ってありますわ。
基本、音楽を聴く時って、楽譜見ながら聴くのが好きなんで、やっぱり歌本は必須なんだよね、ワタシの場合。
譜面見ながら音楽聴くと、不思議と譜面から絵とか風景が浮かんできたりしてね。

・・・なんていうのはワタシぐらいなもんかなぁ。。。

まあ、幼稚園の頃、電話帳から風景が浮かんでくる・・・なんて電話帳眺めてた不思議ちゃんなんで。。。

最近は、自分が買い始める前の「Young Song」とか「ゲッカヨ」をヤフオクで少しずつ落としたりしてたりね

でも、最近、いつの号をヤフオクで落としたのか、すっかり忘れちゃってたのもあるんだよな。

いつもこれを書くにあたって、傍らにサイドデスクを置いて、デスク上にオリコンなどの資料を置きながら書いてるんだけど、なにげにサイドデスクの引き出しを開けたら、1978年3月号の「Young Song」が出てきた。

うん? これいつ買ったんだ?  全然覚えてない。。。。

でもペラペラめくってたら、まだ書いてない曲が・・・。

あ、ちょうどいい、今回の1曲セレクトは、これにしよう。。。・・・と引っ張ってきたのがこれ。

郷ひろみ「禁猟区」。

うーむ、だんだんとセレクトの仕方が「ゴーイン」になってきたような気もするけど。。


 少し前に、野口五郎氏の「風の駅」でも書いたんだけども、この郷ひろみ氏の「禁猟区」も、ザ・ベストテンの第1回ランク発表の1978年1月19日放送分でランクインしていた曲。その時は5位でしたよね。なので、ベストテン史上6番目に登場したのが、この曲と言う事になるんだよね。

ただ、以前からここで書いてるように、当時は、個人的に郷ひろみ氏は好きじゃなくてねぇ。うむ、秀樹派だったからさ だから70年代から80年代にかけて、郷ひろみの曲ってほとんどまともに聴いてなかったんだよね。

個人的に評価するようになったのは、郷ひろみ氏がベストテンに主演拒否するようになってから。 だから82年の終わりごろからかなぁ。

だからね、この「禁猟区」についても、ヒット当時はまともに聴いてなかった。

まあ、それ以前に、この曲がヒットしていた頃は、まだ、ヒット曲の世界に足を踏み入れていなかったけど。。。。
でも、仮に当時から足を踏み入れていたとしても、ちゃんと聴いてなかっただろうなぁ。

それでもなんとなしにキニなる存在ではあったんだよね。フルサイズは流れないにしても、ベストテン第1回放送のランクイン曲ってことで、その後もたまにVTRで流れたりしたじゃん。
妙に耳に残ったりしてさ。

サビ前の ♪ テン テン テン〜 ♪ っていうフレーズとかさ。 歌詞カードを見ると、 「、、、」になってたりしてさ。
誰ですか、こんなトリッキーな歌詞を書く方は・・・・と思ったら、作詞は阿木耀子女史。 阿木耀子さんとくれば、作曲は宇崎竜童氏。 そんなで持って、当時の郷ひろみ氏のレコーディングディレクターは酒井政利氏。

・・・うむ、この3人と来れば、やっぱし山口百恵さんですよね。 

・・・ってところで、繋がった。  なにが? 

そうかぁ、ここから79年の百恵さんの「美・サイレント」に繋がるんだぁ。 

そそそ、あのサビで歌詞が「消える」フレーズ。 例の♪ あなたの〜 ○○○○ が欲しいのです〜♪ ってやつですね。
ま、この「禁猟区」では歌詞カードでは「、 、 、」と書いて「てんてんてん」って読ませており「サイレント」ではないけど、発想は同じようなものだよね。

・・・ということは、やっぱり、「美・サイレント」を遡れば、ここに来るんじゃないかなぁ。うん、突然的な発想じゃなかったんだね。

でも、この曲を皮切りに、次の年の、やっぱり百恵さんの「プレイバックPart2」では、途中で音を止めちゃったり、阿木耀子−宇崎竜堂−酒井政利っていうトリオでは、常に実験的な事をやらかしていたよなぁ。

そこがヒット曲の面白いところでもあり、魅力的なところでもあったんんだよね。

この曲のサウンドは、聴いてすぐに分かるようにラテン調。 フラメンコ調とでもいうかな。
この頃のヒット曲では、よく使われてたんだよなラテン調。 この曲を聴いてすぐに浮かんでくるのが、やっぱり翌年78年の中原理恵「東京ららばい」とかさ。
そう言えば、↑で上げた、百恵さんの「美・サイレント」も少しフラメンコ調的であったしね。

やっぱ、情熱的なんだよね、ラテン、フラメンコ調の曲って。 つい聴いてて熱くなるんだよな。

ただ、今聴くと、やっぱ古さを感じたりしてね。70年代の歌謡ポップス独特の匂いっていうのかなぁ。





うわっ、ドハデな衣装と演出だなぁ。キンキラリン(⇒死語!)の衣装の後は、ハネハネな衣装で
少しあとにベストテンでもやってそうな演出だけど、このころは夜ヒットでもやってたんだな。
目立とう精神全開な時代だったんだよね、この頃はさ。歌謡ポップス全盛の時代だったんだよ。






 








風の駅 / 野口五郎

1977_11_風の駅_野口五郎


今回の1曲セレクトは、「風の駅」野口五郎です。

まずはデータです。

・タイトル     風の駅
・アーティスト   野口五郎
・作詞       喜多条忠
・作曲       筒美京平
・編曲       筒美京平
・リリース日    1977年10月25日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数  25.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1977年11月14日〜12月26日付

ここのところ90年代中心に書いてきた1曲セレクトだけど、ちょこっと偏り気味なんで、今回は70年代へ遡ってみますか。。。

野口五郎 「風の駅」なんてどうでしょうかねぇ。

この曲と言って、真っ先に「ピン」と来た方は、「ザ・ベストテン」フリークですよねぇ。
そそそ、「ザ・ベストテン」が放送開始後、第1回目のチャート発表で、一番最初に登場したのが、この曲だったんですねぇ。
 つまりは、第1回ランク発表の時の、第10位がこの曲だったって事ですわね。 それが1978年1月19日放送分の事。

うむ、「ベストテン」フリークだったら、常識中の常識なんだけどね。

でもね、実際78年の1月第3週で、オリコンではどうだったのか・・・・というと、この曲、すでに40位にランクダウンしてたんですねぇ。
まあ、、ベストテンの場合、実際はランク発表の前週分のチャートを使用・・・ということは、1月19日放送分については、1月第2週のランクを使用していた訳だから、40位までは下がっていないまでも、オリコンでは1月第2週は、30位だったんだけどね。。。。

・・・となると、「え? なにこのランキングの差は・・・」って事になるだろうけどねぇ。

うむ、ベストテンの順位はレコード売り上げだけで決まるのではなく、その他、有線、ラジオ、ハガキリクエストの4要素の順位の総合ランクだったんでね。
 だから、レコード売り上げは如何に下がっていても、他の要素で補てん出来れば、おのずからランクは上になる仕組みだったんだよね。

ちなみに、この時の各要素の順位は、レコードの他、有線もラジオもベストテン外だったんだけども、ハガキリクエストだけは「4位」・・・とハガキリクエストが圧倒的に強かった事が分かるんだよね。

加えて、ベストテンって、放送開始当時は、4要素の中で、ハガキリクエストの得点比率が一番高かったからさ、だから、他の3要素でベストテン入りしていなくても、ハガキが強かったらベストテン入りも十分可能だったんだよね。

そんな恩恵もあって、レコード売り上げは既に下降線を辿っていたこの曲が、「ザ・ベストテン」ではベストテン入り出来たって訳なのよね。

五郎だけではなく、当時は秀樹もハガキが強かったからねぇ。 この「風の駅」がダウンしてすぐ後、秀樹の「ブーツを脱いで朝食を」がベストテンでは1位になってるんだけど、これは完璧にハガキリクエストの効果だったもんな。 なんせ、オリコンでは、この曲最高8位だったわけで。。。

まあ、この当時だけでなく、ベストテンが終わるまで、アイドル系は得てしてハガキリクエストが良かったんだけどもね。 ただ、これもだんだんエスカレートしてきて、ファンクラブぐるみでリクエスト・・・いわいる「組織票」の割合が酷くなって行ったんで、ハガキの得点比率は、年ごとに下がって行ったんだけどさ、「ベストテン」も。



ところで、肝心の曲の方だけど、正直言って、当時はよく分かんなかったんだよな、この曲。
まあ、この曲の頃は、個人的には、まだ「ベストテン」は見てなかったし、・・・・というか、まだヒット曲の世界に足を踏み入れてなかったし、だからリアルタイムでは聴いてなかったからねぇ。

後年、ベストテンとかで、第1回放送での最初のお客様・・・ってことで、この曲が流れているのを聴いてたくらいだからさ、よく分かんなかったのも当然なんだけど。。。

きちんと聴いたのは、「筒美京平BOX」に収録されていたのを聴いてからだから、かなり後になってからですねぇ。

あー、この曲が、ベストテンで最初にランクインされた曲か・・・なんて、ちょっと感激したような気がする。

ただ、それでもパッと聴きは、よく分かんなかったんだけどさ。

当時の野口五郎氏の曲って、言ってみれば、当時の「歌謡ポップス」の王道みたいなもんだったじゃん。「THAT'S 70'S」って感じでさ。
まあ、この曲の頃が、歌謡ポップスの完成度が一番高かった・・・と思うんだけどね。 この曲の頃、ヒットしてた曲は、どの曲も完成度が高いと思うわ。

その中で筒美京平氏の曲って、当時、個人的に最初に引っかかった曲は、もっと洋楽・・・というかバタ臭かったんだけどね。例えば、庄野真代さんの「飛んでイスタンブール」とか、大橋純子さんの「たそがれマイラブ」とか。

でも、こと、野口五郎氏の筒美作品ってあんまり、そういうバタ臭さを感じなかったんだよな。
まあ、野口五郎氏の、いわいるビブラート唱法が、どうしても歌謡曲っぽさを感じさせちゃったしてたってのも大きいんだけどさ。

この曲もパッと聴き、まさにそんな感じだったからねぇ。 「あ、70年代」っていう引っかかりはあっても、でも、「あ、これは自分の時代の曲じゃない」っていうところも感じちゃったりしてね。

うん、「自分の時代」っていうのは、自分でリアルタイムで聴いた以降の音楽ってことですね。

でもね、それでも、パッと聴き、この曲がヒットしていた当時・・・だから、1977年の今頃ですね・・・の風景、匂いが、一瞬のうちに甦って来るんだから、ヒット曲って不思議なんだよな。うん、当時、まだ、ヒット曲なんて聴いてなかったっちゅうのにさ。


ただね、パッと聴き、あんまり引っかからなかったこの曲ではあるけども、聴きこんでくると、だんだん味が出てきたんだよなぁ。
 そもそも、イントロのストリングスの動きからして、「風の駅」っていうタイトルにピッタリしてるじゃん。
16分音符で動く、ストリングスのフレーズが、いかにも「風の中」の風景を現してるしさ。

でね、個人的に一番、「らしさ」を感じるのが、サビの部分のストリングスのハーモニーなんだよな。

うん、サビの♪ ただ 君の 髪の毛の香り〜 この指が覚えてるだけさ〜 ♪ でバックで流れているストリングスのハーモニー。

ま、単純に、「シロタマ」(全音符)で、ハーモニーを奏でてるだけなんだけど、このハーモニーが切ないんですよ。

そう、♪ 遠い風の音〜 ♪って歌詞にあるように、本当に遠くで鳴ってる風の音のように感じたりして。

この曲、歌詞の内容としては「過去」を振り返っている内容じゃん。そんな切なさが、このストリングスのハーモニーと重なるんだよね。

そんな仕掛けに、なるほど流石は筒美氏だな・・・なんて思わず納得しちゃうワタシだったりするんだよね。





ちなみに、この曲が、野口五郎氏としては、最後の売り上げ25万枚オーバーの曲だったんだよね。
↑は、「夜ヒット」だけど、こと、ベストテンは、売り上げが全体的に下降線に入った時にスタートだから、野口五郎氏としては、ちょっとタイミングが悪かったんですよね。
その辺、新御三家の他の人、郷ひろみ氏、西城秀樹氏と比べると、ちょっと可哀想だったかな。


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さよならをいう気もない / 沢田研二

1977_02_さよならをいう気もない_沢田研二








今回の1曲セレクトは、「さよならをいう気もない」沢田研二です。

まずはデータです。

・タイトル     さよならをいう気もない
・アーティスト   沢田研二
・作詞       阿久悠
・作曲       大野克夫
・編曲       船山基紀
・リリース日   1977年2月1日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 8位
・売上げ枚数  21.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1977年2月28日〜3月7日付

えー、以前書いた、西城秀樹の「ラストシーン」の時も同じようなことを書いた気がするんだけど、トータル的な売り上げ枚数や、チャートアクションでは派手な動きをしなかったものの、ことコアなファンには、めっちゃ人気な曲っていうのが、時々あるんだよね。
 今回も、また、そんなファンには人気があるけど、一般的にはあまり知られていない曲を引っ張って来ましたぞ。

沢田研二「さよならをいう気もない」

うーん、どうですかねぇ、タイトルをあげて、「あー、あの曲ね」って浮かんできた方は、昔からのジュリーファンか、通なヒット曲ファンだと思いますねぇ。
大体の方は、「え? いつの曲?」って感じじゃないのかなぁ。

リリースタイミングでいえば、前曲が「コバルトの季節の中で」、で、1曲後が、あの超大ヒット曲「勝手にしやがれ」なんだよね。大ヒットと大ヒットの間に挟まれた、なんとやら・・・っていうところですかね。

 今は、素晴らしい曲だろうが、イモな曲だろうが、大体、同じような売り上げ傾向を示すでしょ? 同じようなヒトしかCD買わないから。

でも、昔は、長くヒット曲を出し続けているジュリーのような「一流」のアーティストでも、その全てが同じように大ヒットしてたわけじゃないんだよね。
 つまり、「勝負曲」と「つなぎ曲」ってのがあってさ。年に1枚か2枚が「勝負曲」で、後の1枚、無いし2枚は「つなぎ曲」って事が多かったですよね。

まあ、パターンはアーティストによってまちまちだったけどさ。

で、「つなぎ」曲の場合、本当にリリースする気があったのかどうか・・・って感じの本当の意味での「つなぎ」曲の場合もあれば、少なくともファンには受けたいという思いの曲の場合もありましたよね。

この曲の場合は、完全に後者なんだろうな。

ただ、意図的に計算してそうなったのか、それとも、たまたまファンには熱狂的に支持されたのかどうかは良く分かんないんだけどさ。


 そもそも、ワタシがこの曲を知ったのは、たまたま購入した「沢田研二ベスト」の「カセット」にこの曲が入ってたから・・・なんだよね。

「ベスト」って言うくらいだから、きら星のごとく・・・っていう大ヒット曲が収録されていたんだけど、その中にこの曲がちょこんとあったんだよね
全く知らなかったのよ、この曲については。 最初は なんだ? この曲は? って感じだったな。

ただ、考えてみると、そんな大ヒット曲群の中に収録されたってことは、それだけこの曲を支持してたヒトが当時から多かった事なんだろうな。うむ、レコードはそれほど売れなかったけど。

実際、この曲を聴いてみると、たしかに一般受けはしないだろうなって感じの「地味」な曲なんですよ。
とても、次の「勝手にしやがれ」と全く同じ作家陣が作ったとは、全然思えない。

なんて言うのかな、シングルのB面の・・・って感じなんだよね。

でもねぇ、何回も聴いてると味が出てくるんだよな、これが。 ワタシもいつの間にか、この曲のファンになってたもんね。

こういう、ジミな感じの曲になったのは、やっぱ季節的なところもあったんでしょうかねぇ。
奇しくも同じくファンには熱狂的なに支持されていたけど、一般的にはあまり受けなかった西城秀樹の「ラストシーン」も、この曲とほぼ同じ頃のヒットだったんだよな。
 1977年の2月っていうのは、そう言う時期だったのかなぁ。。。
まあ、個人的には、当時7歳ということで、まだリアルタイムでヒット曲を聴いてなかったんで、リアルな時代背景っていうのは、良く分かんないんだけどさ。

 そういえば、死んだオヤジもこの曲、気に入っててねぇ。カラオケで歌いたいから教えてくれ・・・なんて言ってたこともあったなぁ。





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しあわせ未満 / 太田裕美

1977_02_しあわせ未満_太田裕美








今回の1曲セレクトは、「しあわせ未満」太田裕美です。

まずはデータでーす。

・タイトル     しあわせ未満
・アーティスト   太田裕美
・作詞       松本隆
・作曲       筒美京平
・編曲       萩田光雄
・リリース日    1977年1月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   31.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1977年2月7日〜4月4日付

 最近、太田裕美さんってテレビでよく見かけるなぁ。ここのところ大瀧詠一氏のニューアルバムリリースもあって、大瀧詠一特集とか組まれてるし、去年は松本隆氏の作詞家生活45周年なんかもあったからなぁ。
で、このお二人というと、必ず太田裕美さんなんだよね。
まあ、大瀧詠一氏は例の「さらばシベリア鉄道」もあるし、いわんや松本隆氏は、初期の太田裕美さんの一連のヒット曲をずっと書いてたしね。切っても切れない縁というわけですわね。

で、そんな時歌う曲と言ったら、まあ、大体はほとんどが ♪ 恋人よ〜 僕は旅立つ〜 ♪ でしょ。そそそ「木綿のハンカチーフ」。 で、少し変化球な曲を持ってくるとしたら、「赤いハイヒール」か「九月の雨」って感じだよなぁ。

だからね、今回の1曲セレクトは、わざとらしく、これらの代表曲は、素通りして、別の曲を持ってきたりして。。

「しあわせ未満」

うーむ、太田裕美さんのヒット曲の中では、今となっては、ほぼ「死角」に入っちゃってる曲でしょう。

でもね、リリースされた1977年当時は、オリコン最高4位。売り上げも30万枚オーバーの大ヒット曲だったんだよね。

・・・と書いてるワタシもヒット当時は、良く覚えてないんだけど。。。

大学生の時、自分のランキングをシコシコ作っているときに、この曲にぶち当たって、なんか気になって音源を買ってみたのよ。

最初の感想。  わあ、めちゃくちゃ古い曲調。 もろ70年代・・・って感じだったなぁ。

太田裕美さんの曲って当時としては、意外と斬新な切り口の曲が多かったんだけどね。例えば「九月の雨」なんて、モロ、ポールモーリアを意識した、壮大なオーケストレーションが特徴だったし、いわんや「木綿のハンカチーフ」は、当時としては歌詞が長いのが特徴だったじゃないですか。

でも、この曲は、そういう特徴は、なーんも感じなかった。

ただ、もろ70年代って思わせる、今となっては古い曲調だよね、そこにダサさを感じたりしてね。 いやいやもろ77年当時のヒット歌謡ですよ。

それと、歌詞のシチュエーションだよね。 「しあわせ未満」って言うくらいだから、少なくともリッチな生活はしていない。この主人公は。

なんせ ♪あばら家に住むきみが哀しい〜♪ だもんね。

いやー、今や死語ですよ、「あばら家」なんていうコトバは。 ・・・っつうか、今の若いコに「あばら家」なんて言っても、なんのこっちゃ? ですよね。

まあ、ポロポロの家の事だよね。屋根は雨漏りしてそうだし、トイレと台所は共同だし・・・みたいなポロアパート。

でも、当時は、まだそういうボロアパートって結構あったんですよ。
ワタシ、当時7歳だったけど、記憶にあるなぁ。
当時、福島のいわきに住んでたんだけど、炭鉱が閉山したばかりの頃で、まだ炭鉱アパートって呼ばれる長屋があちこちに残ってる頃でさあ。いや、それこそあばら家ですよ。

そういう光景を見てきてるだけに、意外と、こういう曲のシチュエーションって脳裏に浮かぶんだよね。

そういうシチュエーションを絶対に経験してそうもない、「慶応」出のおぼっちゃま、松本隆氏が書くってのも面白かったりしてね。 なんかリアリティがありそうで、なさそうでさ。

ただ、そんな一見、哀しそうなシチュエーションだけと、曲は全く哀しそうじゃない、明るいポップスっていうのは救いだったりもするかもなぁ。
太田裕美さんも、当時の年齢相応の溌剌さを感じる曲だったりもするしね。




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S.O.S / ピンク・レディー

S_ピンクレディー






今回の1曲セレクトは、「S.O.S」ピンクレディーです。

 まずはデータです。

・タイトル    S.O.S
・アーティスト  ピンクレディー
・作詞      阿久悠
・作曲      都倉俊一
・編曲      都倉俊一
・リリース日   1976年11月25日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   65.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1977年1月17日〜3月28日付

ネットニュースを見てたら、「「放送禁止用語」の厳しすぎる自主規制」なんてのがあった。

http://www.oricon.co.jp/news/2066437/full/

最近は、ほんの些細なことで放送自粛、あるいは放送禁止に陥る番組、あるいは音楽の類が増えてきている。言論、表現の自由はどこに?  と憂れいている記事ですわ。

 もちろんそこには、放送禁止曲も含まれているわけで。。。

 一時期、「放送禁止」曲は無いに等しくなった時期があった。 大昔は、民放連が発足させた「要注意歌謡曲指定制度」なるいわいるブラックリストが存在してしており、このリストに載った曲は、放送できない、あるいは放送自粛・・といういわいる「放送禁止」曲だったんだよね。
 リストに載せる基準としては、表向きは、体制批判、被差別部落、天皇批判、風紀凌辱・などなど、まあ、「ニッポン国民」として清く正しく生きている、清廉潔白なお方たちから、すぐクレームが来そうな内容が含まれている曲・・・と言う事ではあったんだけどね。

 たしか、その基準が1983年に改正になり、だから、それ以後リリースされた曲で「放送禁止」になった曲はないはずだし、以前、「放送禁止」扱いになっていた曲でも、1983年以降、現在でも放送しても、特におとがめは無い筈なんだけどね。

例えば、最近は、紅白でも堂々と歌われ、それこそ時の曲となった、美輪明宏の「ヨイトマケの唄」も、昔は放送禁止扱いだったわけだから。。。40年前のNHK会長が昨今の紅白を見たらひっくり返るだろうね。
 歌詞に出てくる「土方」っていうコトバや、タイトルにもなっているヨイトマケが差別用語、あるいは部落差別に当たるってことで放送禁止ですよ。

 昔はさ、それこそ、放送禁止、発売禁止の嵐ですよ。なにせ、「放送禁止曲」なんて、本もあるくらいだからさ。ふらふら
 詳しくはさ、この本に詳細な事情は載ってるから、興味がある方は読んでみてくだされ。

でも、そんなブラックリストが存在しているっていうのは、当時のアーティストだったら誰でも知っていたことだし、それでも、「放送禁止」曲を量産していたアーティストが存在していたわけだから、昔はもっと体制に対して大らかだったんだよね。いつからだろうね、こんな些細なことにギスギスした空気が流れるようになったのは。。。。

だから、最近の曲は、当たり障りのない内容の曲しか出てこないんですよね。


 で、もって、今回の1曲セレクトは、ピンクレディーの「S.O.S」。


え? 放送禁止曲とピンクレディーの「S.O.S」ってどんな関係があるの? 一見、放送禁止曲とは、全く関係なさそうな曲なんですけどねぇ・・・。なんて言われちゃいますかねぇ。


・・・・つか、当時 頻繁にかかってましたよ。今でも、地方局にいけば、たまにかかるんぢゃないですか。

 そんぢゃ、放送禁止ぢゃないじゃん・・・・。

・・・ってことなんだけど、これがですねぇ、オリジナルに入ってる、イントロ最初の「モールス信号」音の部分「のみ」が放送禁止なんですねぇ。

 まあ、ちょっと歌謡曲に詳しい方だったら、これは、「常識、常識」ってレベルかな?

 うん、たしかに、レコードは、イントロは、モールス信号音で始まるんですよ。
 でも、放送局用に配布した、サンプル盤は、このモールス信号音を抜いたバージョンなの。

 だから、有線放送やラジオでは、このモールス信号の部分はかからない。

まあ、本物のモールス信号と紛らわしい・・・ってことで「放送禁止」なんだよね。


 でも、これは、作り手側が「わざと」モールス信号を入れたんだよね。
 
 モールス信号音を入れれば、そこは「放送禁止」になるだろう・・・ってのは、前々から分っていたの。

 だから、それを売り出す戦略にしよう・・・っていう逆転の発想からなんだよね。

 この曲はピンクレディーの第2弾シングルなんだけど、この曲をリリースする段階・・・というか、制作する段階では、まだ、ピンクレディーってマイナーな存在だったんですよ。

 そそそ、デビュー曲の「ペッパー警部」もベスト100の下のほうでくすぶっている状況で・・・。

 だから、第2弾を制作する段階では、何か、話題づくりが必要だったんだよね。ま、そういうこともあって、ワザと放送禁止にするように仕組んだ・・・って訳ですわ。
(ちなみに、今は規制は無し・・・というか、当時も「問題なし」だったらしいんだけど、レコード会社側が自主的に放送禁止にしたらしい)

 でも、それも、杞憂だったんだよね。なぜならさ、この曲は1976年11月25日リリースなんだけど、その頃になって、急にフィーバーし始めたわけなんですわ、ピンクレディーが。。。

 まさに「ブレイクスルー」な時期が、このころ。

 だから、こんな工作も、結果的には全くの無駄足だったの。。。

 でも、モールス信号音を入れたことで、「S.O.S」っていうタイトルがそれらしくなったのは確かだよね。

 何分、曲自体は、デビュー曲の「ペッパー警部」に比べたら、全然大人しかったからねぇ。
 
・・・・というか、「ペッパー警部」がハイパー過ぎたんだよね、当時としては。

 だから、当時のアイドルのレベルに落ち着いた・・・って言えるのが、「S.O.S」なんじゃないかなぁ。

 で、まあ、この曲を挟んで、次の「カルメン'77」から怒涛のピンクレディー旋風が始まるわけなんだけどさ。

 その間の、つかの間の「息抜き」だったのが、この曲なんぢゃないかな?


 あ、個人的には、当時は、この曲のほうが「ペッパー警部」より好きだったんだ。なんか、等身大っぽかったじゃん。アニメの主題歌っぽいというか・・・。子供向けというか。
 「ペッパー警部」が当時7歳のコドモだったワタシにとっちゃ、オトナっぽ過ぎたんだよね。。。




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わかれうた / 中島みゆき

1977_12_わかれうた_中島みゆき






今回の1曲セレクトは、「わかれうた」中島みゆきです。

 まずはデータです。

・タイトル    わかれうた
・アーティスト  中島みゆき
・作詞      中島みゆき
・作曲      中島みゆき
・編曲      福井峻 吉野金次
・リリース日   1977年9月10日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   76.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1977年11月21日〜1978年3月13日付

 どーして、秋も終わり、冬の足音が近づくと、淋しい曲が聴きたいなるんでしょうかねぇ。これも、年を取った証拠なんですかねぇ・・。
 いや、これも、日本人ならではの「侘び寂びの文化」と考えたいですな。

 ・・・ということで、今回は、そんな、中島みゆきの「わかれうた」を持ってきたりしましたわ。

 いやー、くらいですねぇ〜、淋しいですねぇ〜・・・。

 でも、なんで、同じ、暗黒フォーク系だった、山崎ハコは売れなくて、中島みゆきは売れたんでしょうねぇ・・・。 これが不思議でねぇ。
 ま、「暗黒系」といっても、その濃淡の差・・・なんだろうな。山崎ハコの場合、暗黒のなかの暗黒、真っ暗系・・・だったのに対して、中島みゆきの場合は、セピア系というかねぇ・・。♪ドツボにはまってトッピンシャン〜♪ っていうほどの暗さではなかったからねぇ。

 それに、より「個人的」なところが良かったのかもしれん。なんちゅうかねぇ、詞の内容が、よりパーソナル的というかねぇ、あそそそ、あのころ、なんか知らないけど、ノートとかおいてあって、自由に好きなこと書けたりした喫茶店とかあったじゃん。
 そんなノートの隅っこに書いてあるような詞を読んでいるような世界観・・・っちゅうのかなぁ。。

 ま、大体、そういとこに書いてるヒトって、めっちゃ楽観的なヒトか、めっちゃクライヒトかのどっちかって感じだったじゃん。
 で、めっちゃ楽観的なのが、当時のユーミンタイプだとしたら、その逆のクライコタイプが中島みゆきのその世界観タイプだったと思うのよ。

 そういういみで、結局、等身大な自分を反映しているような曲だったんだろうな・・・とか思ったりしてね。

 さすがに山崎ハコまで行くと、等身大の世界観・・・って言う感じではないからなぁ。。

 で、まあ、この曲の売れ方からして、やっぱ、どっちかと言うと、クライコが多かったんだろうなぁ・・・とか思ったりして。。

  だってさあ、76万枚も売れたっちゅうのは、ちょっとやそっとのことぢゃないよ、うん。

 ま、最初に書いたように季節的なところもあったんだろうけどねぇ。

 特に今日のように、ヒューヒュー北風が鳴いてたりする日曜日の夜、電気を暗くして、机の電気スタンド一つの下で、この曲をAMラジオなんかから、聴いたりしたら、まー、哀愁タップリ・・・。
 もーね、月曜から仕事したくなくなること請け合いですねふらふら 



 そんな1曲だったけど、チャート的にみると、やっぱ、ピンクレディーの連続1位記録を阻んだ・・・っていう、功績はあったんだろうなぁ、この曲。

 そそそ、ピンクレディーの「ウォンテッド」と「UFO」の間、1977年12月12日付に1週だけ、1位を取ったのが、この曲なのよ。
それまで、「ウォンテッド」が12週連続、で、1週この曲を挟んで、次の週から10週連続で「UFO」が1位だったりしたから、もしよ、この曲がなかったりしたら、23週連続でピンクレディーが1位・・・・なんて、空前絶後の記録になってただろうねぇ・・・。

 そういう意味で、そんな記録を阻んだ、この曲はエライのですexclamation

・・・とか書いて見たりして・・・




さてさて、いつものように動画を・・

え? そんなのあるわけがない・・・って。。


うーん、そーだよねぇ、当時、中島みゆきってテレビに出なかったんだもんねぇ・・・。

でもね、あったんですふらふらふらふらふらふら



そうか、「夜ヒット」には出てたのか。「ベストテン」は出演拒否してたのになぁ。
いずれにしても、当時は、松山千春、井上陽水と並んでテレビには出ない、ビッグアーティストだったんですけどねぇ。あれから約40年が経過して、いまでは、みなさん普通にテレビに出てますねぇ。
 まあ、それだけ長く第一線で活躍されていること自体、大変なことなんですが。。。


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人間の証明 / ジョー山中

1977_11_人間の証明_ジョー山中






今回の1曲セレクトは、「人間の証明」ジョー山中です。

 まずはデータです。

・タイトル     人間の証明
・アーティスト   ジョー山中
・作詞       西条八十、角川春樹、ジョー山中
・作曲       大野雄二
・編曲       大野雄二
・リリース日    1977年8月10日
・発売元      ワーナーパイオニア
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    51.7万枚
・タイアップ:映画「人間の証明」主題歌
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1977年10月10日〜11月21日付

 この曲、一度書いたような気もしたんで、ちょっと過去のトピックスを漁ってみたんだけど、どうも、まだ書いてないようなので、改めて引っ張ってきて見ました。
 もし、書いてたら、ゴミンネ。

 さてさて、この曲ですが、ワタシと同年代以上の方には、とっても懐かしいんではないですかねぇ。

 「母さん、ボクの麦藁帽子どうしたでしょうね・・・」

・・の例のCM、当時はめっちゃ頻繁に流れてましたよね。
そう、この曲は、角川映画の同名映画「人間の証明」の主題歌だったんですよね。
 映画の宣伝PRとして、テレビCMでの大量OAという手法は、このこのろ角川映画からと言う感じだったんですが、兎に角、よく見ましたもんねCM。

 角川映画の躍進は、完全にTVスポット戦略の勝利って感じだよねぇ。
 まあ、後の傲慢経営の魁となったとも思えるんだけど、とにかく、この戦略は当たったわけですわ。

 そして「母さん、ボクの麦藁帽子・・・」は、流行語にもなったもんなぁ。ドリフでも志村がこのCMギャグってましたもんね。

 当時8歳のワタシは、意味はまーったくわかんなかったんだけども、キャッチーなコピーは、ガキもマネするんだよね。

 それと、「母さん 僕の麦藁帽子・・・」の後ろで流れていた、この曲がとっても、キャッチーでさ。高々15秒スポットのCMだけども、つい引き込まれちゃうんだよね。
 
 ♪Mama Do you remember ? 〜 ♪ ですよね。

 当然、当時はこの英語の歌詞、何言っているのかさっぱり意味はわかんなかったんだけども、単純に例のセリフ「母さん 僕の麦藁帽子〜 」を英訳してあるだけなんだよね。
 今からおもうと・・・。 それ考えると、あららら、ダサダサとか思っちゃうんだけど、そんなことどうでもいいようなキャッチーさを感じるんだよね。

 なんて、おもいっきり持ち上げちゃったけど、この曲知っているヒトは分かっていると思うんだけど、例の

 ♪Mama Do you remember ? 〜 ♪

にしても、クイーンの「ボヘミアンラプソディ」のパクリ、まんまってかんじで、まあ、もとネタが分かっちゃうと、なんとなく興ざめしちゃうんだけどさぁ。

 いや、でも、この曲の作曲者の大野氏も大胆だよなぁ。あのとうじの人気ナンバーワンのクイーンをそのまま引っ張ってくるとは。。。
 
 ちなみに、大野氏は、当時「ルパン三世」のオープニングテーマを手がけたりして、このテのアウトロー的なドラマ主題歌では一番手だったのは、ご存知の通りですわね。

 いやいや、でも、やっぱり、この曲で光るのは、ジョー山中の歌いっぷりだろうね。
 この気合の入ったボーカルは、まず、そんじょそこらのボーカリストでは真似できないですよ。
 まるで日本人離れした・・というか、正真正銘のハーフなんだけども、このグルーヴ感は、純正日本人ではちょっと難しいだろうなぁ。

 なにせ3オクターブの音域と、並外れた声量の持ち主なわけだし。


 当の本人は、この曲のリリースされる直前に覚せい剤でパクられて、この曲のヒットは「塀の中」で知ったそうだ。
 とうぜん、当時、ウタバングミ等では、この曲は一度もうたわれていない(ハズ)。

 ちょっと普通では考えられない事実だけども、逆に、実に「ザ・ゲーノー界」的なエピソードでもありますよね。




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憎みきれないろくでなし / 沢田研二

1977_11_憎みきれないろくでなし_沢田研二






今回の1曲セレクトは、「憎みきれないろくでなし」沢田研二です。

 まずはデータでする。

・タイトル    憎みきれないろくでなし
・アーティスト  沢田研二
・作詞      阿久悠
・作曲      大野克夫
・編曲      船山基紀
・リリース日   1977年9月5日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   62.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1977年9月19日〜1978年1月16日付

 ここまで1000曲以上書いてきた「1曲セレクト」。。なので、すでに大ヒットと言われる曲も大分書いてきた感があるけど。。。
 しかーし、よーく、調べてみると、まだまだ「抜けてる」曲もあるっ・・・たしかに。。

 今回、引っ張ってきた、ジュリーの「憎みきれないろくでなし」。

 あの「勝手にしやがれ」の流れを汲んだ、超大ヒット曲なのに、まだ、書いてなかった。。。あららら、これは、完全に見逃してたね、今まで。。

 でも、今の状況を考えると、こういう曲があってくれて、よかったんだけどさ。。

 ・・・ということで、引っ張ってきましょ。。


 上でも書いたように、この曲は、前の曲が、あの「勝手にしやがれ」だったわけで、その流れを汲んだ1曲ですな。
 昨日のアリスでも、当時「キザ」っていう言葉がナウかった・・とかいたけど、「キザ」といったら、やっぱジュリーの他においてなかったでしょ、当時は。

 それにしても、当時のジュリーは勢いあったよねぇ。この曲も、ベストテンに4ヶ月も居座る、ロングヒットですわ。ジュリーが一番勢いがあった頃ですな。
なんせ、当時、小2だったワタシでも、この曲はタイムリーで聴いてたもん。
 当時、ピンクレディーより好きだったな、こっちのほうが。なんか、大人の世界でさ。

 ただ、それはやっぱ、前曲の「勝手にしやがれ」があったから・・・っ言うのは否めないんだけどさ。なにせ、それまで暫くは、大ヒットがでなくて、あえいでた時期だったもんね、さしものジュリーも。


 で、曲のほうなんだけど、作曲者の大野克夫氏談によると、この曲、「豆腐屋」のラッパの音から連想して書いたそう。
 
 そそそ「パーーープーーー」ってラッパ音があるじゃん。

 うーん、そういわれてみればそうなのかなぁ。

 たしかに、イントロの部分とかのトランペットの使い方とか、そんな感じがしなくもない。。 けど、なんで、キザなジュリーの曲が豆腐屋のラッパの音なんだ?

・・・とか思ったりもするけど、ま、そこが面白いっちゃ、面白いですな。
 実際は、それくらい、当時、忙しかったんだよね、大野克夫氏、なにせ、曲をつくって、ジュリーのバックバンドでテレビに出て、コンサートで地方に行く・・・なんて、活動をしてたわけだから。

 個人的に言えば、もうね、歌われつくされた「勝手にしやがれ」よりも、この「憎みきれないろくでなし」の方が好きだったりするんだよね。
 もちろん、かっこいいのは「勝手にしやがれ」よ。これは、異論がないところ。
 でも、「かっこよさ」だけでなくて、なんとなく頼りない部分もあるじゃん、この曲。そこがいいのよね。

 まあ、当時、ジュリーの大ファンだった母親の受け売りも多分にあるんだけどさ。。。
 なんせ、当時、ラジカセに録音した、この曲を何度聴いたことか。。
もうね、完全に刷り込みですよ。

 昔は、そうやって、1曲を何度も何度もねちっこく聴いたもんだよね。そうやって、1曲を体の中へ刷り込んでいったもんよ。

 ほんと、この曲聴くと、小学2年の今のごろの時期よ、頭の中は。



 セットも何もない、ジュリーだけしか映っていないとこでの歌唱だけど、でも、これでも充分なんだよなぁ。逆に余計なセットが無いだけにウタに集中できる。
右手にもったタバコ。。ウタの最後まで燃え尽きないのかな・・・なんて思ってたら、途中で吐き捨てましたね  バッチイけど、ジュリーがやると絵になるんですよね。流石はスーパースター。
 

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秋桜 / 山口百恵

1977_11_秋桜_山口百恵






今日の1曲セレクトは、「秋桜」山口百恵です。

 まずはデータです。

・タイトル    秋桜
・アーティスト  山口百恵
・作詞      さだまさし
・作曲      さだまさし
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1977年10月1日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   46.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1977年10月17日〜12月26日付

 歌謡曲って、今では、ほんとにアナクロなものになっちゃったけど、なんだかんだ言っても、やっぱ、ワタシらの世代には、一番安心する音楽なんだよなぁ、考えて見れば。

 うん、もちろん、ロックだぁ、なんだぁかんだぁ・・っていうのもいいんだけどさ、やっぱ、子ども頃、ちまたに流れてた音楽は、歌謡曲だからさぁ。

 そういうところを考えると、やっぱ、今の若いコたちとは、音楽に関しては一線画すようなぁ、どーしても。
 だってさ、歌謡曲が、普通に流れていたのは、せいぜい83年〜84年くらいまでだったもんなぁ。

 それを考えると、そーだなぁ、少なくとも、今の30代より若いコたちとは、音楽の「起源」については、そりが合わないわけですよ。


 なんて、わけわかんないこと書いてますが、今回の1曲セレクトは、「歌謡曲」ですあせあせ

 山口百恵の「秋桜」。


 いやー、これを歌謡曲と言わなくてはいけないのか・・・とか思われちゃうかもしれないけど、「今の基準」から考えると、充分「歌謡曲」だろうなぁ、この曲調は。

 当時は、ニューミュージックとアイドルの合体って感じに言われてたけど。。
 「合体」ね〜、まだ、「コラボレーション」なんてコトバは日本にはなかったもんで。。。

 うん、この曲は、作詞、作曲が、さだまさしなんだよね。

 80年代に入ると、ニューミュージックのヒト達がアイドルに曲を提供するっていう図式は、全く普通になるんだけど、こと70年代では、まだ、珍しい形式だったんだよね。

 なんせ、ニューミュージック界と、アイドル界は、まるで水と油なせ界だったわけだから。 うん、いわいる、あっち側、こっち側構造ですわ、ゲーノー界の。

 まあ、その間に「壁」があったわけですな。

 その壁をあえて破って、新しい形の音楽を作って、それがヒットしちゃった・・・ってことで、この曲は、当時としては、画期的な曲だったわけです。

 うん、まあ、今だと普通の歌謡曲だけど。。。

 でも、、まあ、手始めにさだまさしを選んだっていうスタッフ側も手堅いですよな。
 ま、さだまさしなら、ヘンな事をやってこないだろう・・・っていう読みなんだろうけど。。

 ただ、当のさだまさしは、随分苦労したようだけどね。なんせ、前例がないことなんで。。

 でも、まあ、それでも、こんな名曲に仕上げて来るわけだから、やっぱ、さすがなわけです。

 で、この曲の成功が、次の年の「いい日旅立ち」につながっていった訳だからね。うん、こちらは谷村新司・・・と。ニューミュージックシリーズ第2弾というわけで。。



いや、それにしても、このオトナっぽさはなんだexclamation & question この時18歳だったのよ、山口百恵。
 加えて、歌のうまさは・・・・。言うことありませぬ。

 昨日の西城秀樹もそうだけど、歌に「ココロ」があるよね。歌い方が丁寧だし。 だから響いてくるのですわ。 口先だけの歌じゃないってことですね。


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