かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1973年

コーヒーショップで / あべ静江

  1973_09_コーヒーショップで_あべ静江


今回の1曲セレクトは、「コーヒーショップで」あべ静江さんです。

まずはデータです。

・タイトル     コーヒーショップで
・アーティスト  あべ静江
・作詞       阿久悠
・作曲      三木たかし
・編曲      馬飼野俊一
・リリース日   1973年5月25日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数 28.0万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年9月10日付


 今でこそCDデビューの「形態」って千差万別ですよねぇ。 ま、ほとんどの方は最初から「歌い手」を目指してその末にCDデビューって形だけど、最近だったら「声優」からCDデビューっていうヒトも多いし、お笑い芸人からCDデビューって言う人も多い。
そんな感じで、CDをリリースしているヒトでも、必ずしも「歌い手」を目指していた訳じゃなかった・・ってヒトも珍しくなくなったって訳ですな。

今回の1曲セレクトは、そんなもともとは「別の職業」からレコードデヒューした方のあの曲を一つ。

あべ静江「コーヒーショップで」。

うーん、あべ静江さんといっても、少なくともワタシの年代より下の方は、あんまりピンと来ない方が多いのかなぁ。
昔、エバラの「浅漬けの素」のCMをやってたヒト・・・とかさ そのくらいの認知しかないかもしれない。

でも、今の50代、60代の方にとってはアイドルでしたよね・・・とか言いきってみる

なんて「あいまい」に書いちゃったのは、ワタシにとっても「浅漬けの素」のCMのヒトって側の世代だからなんですけど・・・。 そそそ、70年代前半の「アイドル」時代はリアルタイムじゃなかったからさあ、実際にどの位人気があったのか・・・ってのは肌で感じてなかったからなぁ。

で、初めの主旨である「別の職業」からレコードデビューって事なんだけど、元々、あべ静江さんってラジオの女子アナだったんですよね。

ま、当時の事をご存じの方には有名だと思うけど、元々はFM愛知でDJをやられてた訳ですわ。
DJっっても、クラブでお皿回す訳ぢゃないですよ。ラジオの「ディスクジョッキー」ね。ま、最近で言えばラジオのパーソナリティですね。

当時これらの番組を聴いてた方にとっては、「当たり前」の事なんでしょうけど、個人的には初めはなんか信じられなかったなぁ。やっぱり、「浅漬けの素」のCMのイメージが強いもので。。。

でもね・・・。今手元に1973年1月号の月刊・明星の歌本「Young Song」がある。この号の巻末特集として、「全国DJガイド」っていう、この当時の全国ラジオ局のプライムタイム〜深夜放送の番組タイトルとパーソナリティの表が載ってたりする。

このFM愛知に載ってますねぇ、「あべしずえ」さん月曜〜土曜0:00 〜0:15 YOU AND ME TOSHIBA パーソナリティって紹介が・・・。

東海地区「かわいこちゃんNO.1 DJ」(うわっ、時代だわぁ。この表現) なんて紹介されてたり。。。

・・・となるとやっぱり、正真正銘だったんですねぇ・・・。

蛇足だけど・・・このリストを見てて今も放送しているFM東京の「ジェットストリーム」って73年のこの時代から深夜枠であったんだよなぁ・・・。長い番組だよなぁ・・・。 なんて先日放送開始から50周年っちゅうことで、当時からあったことは当然なんだけど、やっぱ活字で見ちゃうと歴史を感じるよな・・・。

・・・蛇足でした。。。

でね、さすがに当時としてはラジオの女子アナからレコードデビューっていうのは異色の経歴だったんじゃないかなぁ。 いや、今も異色かもしれない。 まあ、フジテレビとか日テレの女子アナがCDだしたりしたこともあったけどさ。

ま、あべ静江さんの場合は、当時、まだ「短大生」ということもあり、「局アナ」ではなかった訳ですけど。。。

80年代初頭に文化放送で、ミスDJって事で、女子大生がパーソナリティをしていた番組があったけどさ、そう言う意味ではその魁だった訳なんですよね。



あーーー、長い前振りになっちまった。。。曲について書いてなかったなぁ。

とりあえず、いろんなメディアで言われてるし、当時「かわいこちゃんDJ」ってことでデビューしたわけなんで、当時の扱いとしても「アイドル」だったと思えるんで、ここでもアイドルとして紹介したいんですが。。

でも、実際曲を聴いてみると、アイドル曲っていうイメージではないですよね。なんて言うのかなぁ、アイドルの曲って言うと、もっと「ポップ」なもんじゃん。 でも、この曲は落ち着いてるしさ。より歌謡曲なんだよね。

ま、そもそもが作曲の三木たかし氏が、より歌謡曲路線のヒトだったりしたし、なによりあべ静江さん、当時22歳だったからなぁ。当時のまわりの70年代アイドルのヒトたちと比べると、絶対的に年上でしたからねぇ。  

今は22才でアイドルやってるヒトも、全く珍しくなかった訳だけど、当時は20歳を過ぎると「大人のオンナ」でしたからねぇ。アイドルというよりは一人の「ナオン」って言うイメージなんだよね。

詞のイメージも「大人」をイメージしてるな。 そもそも「コーヒーショップ」っていう喫茶店を題材にしてるところって、前年に大ヒットしたガロの「学生街の喫茶店」ですよねぇ。

 まあ、この曲の場合は、「学生街」っていうより具体的な部分は無く、単に「コーヒーショップ」っていう大衆性にとどめているところが、より歌謡曲的と言う部分が強いんだけども。 でも、他の方のブログを見たりすると、作詞の阿久悠氏は、明治大学出身であり、「学生街の喫茶店」もお茶の水っていう明治大学周辺をモチーフにしていることは間違いないことから、この曲に触発され明大周辺の喫茶店イメージしていることは間違いないようなんだよね。

いずれにしても、この時代で喫茶店っていうのは、やっぱある種文化の発信基地だったんだろうなぁ・・・っていうのが分かるなぁ。ま、リアルタイムじゃないんで、なんとなくなんだけど。。

いや、でも、なんとなくは分かるんだよね。リアルタイムじゃなかったけど、コーヒーの香りが染み付いているような喫茶店って言うイメージから、浮かぶ風景って、個人的にもこの時代だからさあ。



ところで、あべ静江さんって言えば、この動画のような変わったマイクの持ち方がトレードマークになっていたみたいだけど、本人いわく、マイクにすがって歌っていたってことで、マイクにすがったいたら、こういう一見変わったマイクの持ち方になったようですね。

ちなみに、当時の愛称は「しーちゃん」でしたね。そーいえば、小学校の時の同級生にも「静江」って名前の子がいて、そのコも「しーちゃん」って呼ばれてたな。

最初「しーちゃん」ってのがあべ静江さんの愛称って分かんなくて、小学校のときの同級生の事だと思ってたもの。。。


では、改めて曲を



イントロ頭のドラムのフィルイン。如何にもアレンジが馬飼野俊一氏って感じだよなぁ。
ややチューニングが外れたような音のタムのフィルがさ。
これ聴くと如何にも70年代だなぁ・・・なんて思ったりしてね。チェリッシュの「てんとう虫のサンバ」でも同じように思ったりして。。



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小さな恋の物語 / アグネス・チャン

1973_12_小さな恋の物語_アグネス・チャン


今回の1曲セレクトは、「小さな恋の物語」アグネス・チャンです。

まずはデータでする。

・タイトル    小さな恋の物語
・アーティスト  アグネス・チャン
・作詞      山上路夫
・作曲      森田公一
・編曲      馬飼野俊一
・リリース日   1973年10月25日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 58.0万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年11月12日〜1974年2月11日付
・タイアップ:映画「大事件だよ全員集合」劇中歌

アーティストの中で一番売れた曲・・・・、長年ヒット曲を見てくると、大体予想が付くし、実際のその通りなんだけど、時々、「予想外」な曲が、そのアーティストの中で一番売れた曲だったりする事ってあるんだよね。
今回のそんな曲をひとつセレクト。

アグネス・チャン 「小さな恋の物語」

アグネス・チャンというと、どうしても、デビュー曲の「ひなげしの花」だったり、3枚目の「草原の輝き」に注目が集まっていたし、だから、それらの曲が一番売れたんだよな・・・なんて思われがちなんだけど、違うんですねぇ。

そそそ、今日の「趣旨」でいうと、今回セレクトしてきた「小さな恋の物語」が、アグネス・チャンの中で一番売れた曲なんだよねぇ・・・。

・・・なんていうと「え?」なんて思われちゃうかもしれないけどさ。  実際、ワタシも初めてその事を知った時、「え?」って感じだったしなぁ。

その前に、その事を知った当時、この曲知らなかったのよね。。。。 中学生の頃だったかなぁ。

やっぱり、個人的にも、アグネスといえば、「ひなげしの花」であり、「草原の輝き」って頭だったわけでさ、その他の曲って記憶になかったんだよなぁ。だからね、めちゃくちゃ意外だった事を覚えてる。

実際、この曲を聴いたのも、それからかなり後になってからでしたね。

今から24年前の1992年の秋から、翌93年春に、ニッポン放送の日曜18時〜20時で放送していた「オリコンベストヒット500」だったと思う。
 あ、メンゴ、番組の正式なタイトルは違ってるかもしれない・・・。ちょっとど忘れ。。。

でもね、その当時のオリコン歴代売り上げ、上位500位を半年かけてカウントダウンして行った番組。毎週20曲ずつ、25週かけてカウントダウンしていく、なんか画期的な番組だったんだよな。
まあ、野球休止期間の繋ぎ番組と言う感じでもあったんだけどね。


あ、ちょっと話がすれたね。

いずれにしても、この番組で初めてこの「小さな恋の物語」を聴いたんだよね。 売り上げ枚数58.0万枚なんで、当時のランクで歴代250位くらいだったかなぁ・・・。

あ、これかぁ・・・・と思うと同時に、やっぱり、それ以前に聴いた記憶がなかったんだよなぁ。初めて聴いた・・・と言っても、何分、ワタシが4才の頃のヒットだからさ、まだ、充分物心も付いてなかったし、だから、もしかするとどこかで聴いてたかもしれない訳でさ。もし、どこかで聴いてた・・としたら、眠ってた記憶が甦る・・・って事もよくある話でさ。

 でも、そう言う記憶が一切なかったんで、やっぱり聴いたことなかったんだろうな。。。

・・と、同時に、今一つ、良く分かんなかったんだよね。この曲が、「ひなげしの花」や「草原の輝き」よりも売れていた・・・っていう事実が。

まあ、曲として、そんな感じの、いまひとつピンと来なかった・・・んだよな、その時は。

ただね、如何にも70年代前半のイメージだなぁ・・・ってことは印象に残ったんだけどね。 例えば主旋律に対してのストリングスの対旋律の流れだったりさ。
そそそ、それが一番耳に残ったんだ、この曲。70年代のヒット曲って、まだシンセが充分浸透していなかった時代なんで、ほぼ全部生楽器だったわけじゃん。だから、ブラスとかストリングスで、耳に残るフレーズの曲って多いんだよな。

例えば、74年のジュリーの「追憶」とかさ。

この曲の特にサビの部分のストリングスのフレーズも、耳に残るんだよね。

この曲、メロディ形式としては、A-B-A の今からするとめちゃくちゃ単純な流れで、Aの部分が若干、マイナー気味の「弱」メロなんだけど、サビのBメロは、Aメロとは対照的に、いきなりメジャー系の「強」メロになるじゃん。
その対比・・・というか急な変化の仕方が、今となっては笑える・・・っちゅうか、余りのいきなりの変化にビックリするんだけどさ 
 その強メロのサビの部分で、主旋律に対して絡んでくる対旋律のストリングスがね、これまた大げさで印象に残るんだよね。

まあ、大げさってのは言いすぎかもしれないけど、生理的に気持ちいい。

当時のきょをくは、そんな生理的に気持ちいいストリングスの対旋律の曲っていうのも多かったんだよな。

なんて言うのかなぁ、例えばパーシーフェイスオーケストラの「夏の日の恋」のような生理的に気持ちいいストリングスのフレーズのような。

まあ、その辺は、当時の流行りとしてイージーリスニング系があったことも大いに関係してるんだろうな。


ところで、この曲と言えば最初に買いように、アグネス・チャンで最大のヒット曲であると同時に、オリコンで、唯一「1位」を獲得した曲なんだよね。 しかも、1973年12月17日付、たった1週のみ。  

え? 初登場の時かって?

・・・んな訳はない。当時「初登場1位」なんて曲は無かった訳で。。。当時のチャートをひも解いてみると、ベストテンランクイン後6週目で1位を獲得していたりする。

でも、次の12月24日付で、いきなり5位に転落。。。

そそそ、マニアックなオリコンチャートファンにとっては、常識かもしれないけど、「1位から次の週に5位以下にランクダウン」した初めての曲が、この曲だったりするんだよね 。。

ま、これも、1位から平気で、次の週30位以下に転落するのも珍しくない今となっては、どうという事のない記録かもしれないけど、当時としては「珍事」だった訳なんだよね。


なぜ、1位から5位にランクダウンしたのかって言う詳細は、当時の週間売り上げデータが手元にないんで何とも言えないんだけど、ランキングだけ見てみると、12月24日付の、上位4曲は全てランクアップして来ていた曲なんだよね。

1位←7位 愛の十字架(西城秀樹)
2位←5位 モナリザの秘密(郷ひろみ)
3位←4位 魅せられた夜(沢田研二)
4位←34位 恋のダイヤル6700(フィンガー5)
5位←1位 小さな恋の物語(アグネス・チャン)

おーっと、当時のスーパースター勢ぞろいっていうランキングですな
でも、推測できることは、上位4曲が全てランクアップ来ていた曲って事は、それだけ売り上げレベルも前週に比べて上がって来ていただろうってこと。

そのあおりを食った形での1位から5位への転落だったんだろうな。

しかもこの曲が底力があったのは、1位から5位に転落した、2週後に再度3位に再上昇し、4週間3位をキープしたことだろうね。

昨今のヒットとの違いは「ココ」なんだよね。「持続力」っ言う点。

でも、それで、売り上げ58万枚かよ・・・なんて、思う方も居るかもしれない。なんせ、今じゃ、1週間で50万枚、100万枚なんて珍しくない訳だから。

でもね、例え最初に100万枚売れても、次の週ぱったりと売れなくなるんじゃ、意味ないんだよね。
曲が大衆的に浸透し広がりを見せるって言う点ではさ。

よく、ヒット曲メーカーの作家の方が、10万枚しか売れなくてもいいから、100万人が知ってる曲を作りたいっていうけど、そういうことなんだよね。




どうでもいいことだけど、この曲、ドリフターズ主演の「大事件だよ全員集合」っていう映画の中で歌われていたんだってね。
・・・wikipediaの受け売りなんで、どんな映画だったのかは、知らないんだけどさ
まあ、いわば「ナベプロ」主導映画ってわけですな。
でも、この曲がアグネス最大のヒットになったのも、その辺にあるのかなぁ・・・。


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赤い風船 / 浅田美代子

1973_05_赤い風船_浅田美代子








今回の1曲セレクトは、「赤い風船」浅田美代子です。

まずはデータです。

・タイトル    赤い風船
・アーティスト  浅田美代子
・作詞      安井かずみ
・作曲      筒美京平
・編曲      筒美京平
・リリース日   1973年4月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 48.1万枚
・タイアップ:TBS系ドラマ「時間ですよ」劇中歌

今でこそアイドル全盛・・・っちゅうか1億総アイドル時代のような感じになっているけど、その源流を遡って行くと、70年代アイドルに行きつく訳ですわね。
まあ、それ以前にも今でいう「アイドル」に相当する歌手は居た訳だけどさ。
例えば60年代の弘田三枝子とか、当時のローティーン、ミルクティーンな歌い手は、今でいえばアイドルな訳だからさ。
でも、「呼称」として「アイドル」と言われたのが70年代に入ってからなんだよね。 南沙織、天地真理、小柳ルミ子の、いわいる「3人娘」が、その起源中の起源ですかねぇ。これが1971年だけど、本格的に70年代アイドルが花開いたのが1973年頃だろうな。

今回は、そんな1973年の今頃のアイドルヒットをセレクト。

浅田美代子「赤い風船」

歌い手はウタが上手くて当たり前・・・っていう常識を根底から覆して、しかもオリコン1位なんて「大ヒット」を飛ばしてたのが、このヒトのこの曲からだろうなぁ。
 アイドルはウタがヘタでも許される・・・っちゅう不文律がまかり通ったのが。 うん、少なくともそれ以前、小柳ルミ子は別格にしても、南沙織にしても、天地真理にしても、ウタはそれなりに歌えてましたからねぇ。

でも、このヒトは、「おんち」っていうのが、キャラクターになっちゃまして、しかも、それが受け入れけられたわけだからねぇ、これは、今からしてみれば画期的なことだったんだろうね。

画期的といえば、この曲、オリコンでは初登場から3週目で1位を獲得・・・っていうチャートアクションも画期的だったんだよな。

当時のチャートアクションをひも解いてみると 1973年4月30日付 32位初登場⇒2位⇒1位

・・・・と、初登場1位が当たり前の今では、全くなんてこたぁ無いチャートアクションに映るかもしれないけど、当時としてはこれは画期的なチャートアクションだったのですよ。
 
当時はロングヒットが当たり前の時代。チャートは、下の方がジワリと上昇しし、その末に1位になるって言うのがデフォルトなチャートアクションでしたからね。

まあ、物資流通も情報も今のように瞬時に日本全国に行きわたる訳ではなく、東京と地方では時間差があった時代だったわけでさ。これでもかなりのスピード1位獲得だったわけです。

ちなみに、wikipediaにも書いてあるけど、このチャートアクションが、80年12月にまっち先生の「スニーカーぶる~す」が初登場1位を獲得するまで、デビュー曲での最短1位獲得記録だったようですね。
(ただし、wikipediaでは「初登場2位」となっているけどこれは間違い。 初登場は↑で書いたように32位です)

売り上げ枚数の48.1万枚っていうのも、当時のアイドルの売り上げ水準から考えるとマックスに近い数字。
当時のアイドルは、50万枚が一つの「壁」になっていて、50万枚を突破した曲って少ないんだよね。
 それを考えると、この売り上げ枚数は、アイドルとしてはかなりのもんだったんだよね。それを考えると、人気あったんだよなぁ、この曲・・・ってのが良くわかりますねぇ。


ところで、この曲も昨日書いたC-C-B同様、筒美京平氏の作品だけど、今聴くと、アイドル曲っぽくないなぁ・・・っていう感じがするなぁ。
 京平氏の曲ってアイドルも、もっと垢ぬけている感じがするんだけど、この曲はアイドルポップスというよりも歌謡曲に近いイメージなんだよね。めっちゃ素朴だしね。

当時のアイドルの存在は、「アイドルはうんこしない」なんて言う都市伝説があったように、そのネーミングの通り「偶像」であったわけでさ、このヒトからだよね、となりの「○○ちゃん」っていう素朴さがまかり通ったのは。
 それが、そのまま曲にも出てきてる・・・・そんな感じの1曲だったよな。まあ、その辺の素朴さも人気あったんだろうけどね。

その辺はTBS系ドラマ「時間ですよ」っていう当時の国民的ドラマの劇中曲っていうこともあったんでしょうかねぇ。良く分かんないけど。。。

いずれにしても、この曲をきっかけにして、アイドルのイメージってがらっと変わったのは間違いないだろうなぁ。
そそそ、「アイドルは、かわいけりゃ、歌が下手でも許す」・・・っていう今に通じるフォーマットが出来上がったのも、このヒトのこの曲があったからだろうしね。




あー、これは73年の「歌謡大賞」の新人賞のときのだ。
でも、テロップが間違ってんだよね。 このヒトは、「東芝EMI」じゃなくて、「CBSソニー」だっちゅうの。
 
それにしても、このヒト「クリクリッ」とした目が良かったんだろうなぁ。
今の指原にも若干似てるかもしれん・・・・。 まあ、かなり譲歩してだけど。。。

↑でさんざん、ウタがヘタだ・・・って書いちゃったけど、最近はこの程度の歌唱力のヒトがいっぱいいるんで、そんなに違和感感じなかったりして。。。。 




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ひなげしの花 / アグネス・チャン

1973_01_ひなげしの花_アグネス・チャン








今回の1曲セレクトは、「ひなげしの花」アグネス・チャンです。

まずはデータです。

・タイトル     ひなげしの花
・アーティスト   アグネス・チャン
・作詞       山上路夫
・作曲       森田公一
・編曲       馬飼野俊一
・リリース日    1972年11月25日
・発売元      ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数  32.8万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年2月12日〜4月16日付

いつだったか、フィンガー5を書いた時、自分の中で一番古い記憶の「ヒット曲」は・・・って書いて事があるんだけど、これ読んでくださってる方々の、一番古い記憶の「ヒット曲」って何でしょうねぇ。

 個人的には、↑で書いたようにフィンガー5であり、そしてもう1曲あげるとしたら、今回セレクトしてきた、アグネス・チャンの「ひなげしの花」だろうなぁ。

ふむ、まあ、この曲に関しては、さすがにここ読んでくださっている大半の方は曲自体、よくご存知ですよね。

あの ♪ おっかの上 ひなげしのはなげ〜 ♪ ですわね。

アグネス・チャンとしては、「日本」でのデビュー曲がこれになるわけですね。

そそそ、元々は、香港で、お姉さんと歌っていたアグネスですが、そのお姉さんからの「推薦」でナベプロにスカウトされてデビューしたって言う経緯があるけど、もともとは、ナベプロ側としては、お姉さんのアイリーン・チャンをスカウトしたかったらしいですね。
 でも、自身はシンガーとしてではなくプロデュース側をやりたい気持ちが強く、妹のアグネスを推したようですね。
ただ、この曲を聴いても分かるように、必ずしも歌が上手い訳ではなかったアグネスを最初は、ナベプロは渋ったらしいですね。

それまでのナベプロと言えば、こと「音楽」については厳しい事で有名であり、歌は人並み以上歌えて当たり前でしたから。

まあ、その辺りは、同じ70年代アイドルで一歩先にデビューしていた天地真理さんを見れば一目瞭然って所でしょうかねぇ。

ただ、時代が求めていたアイドルはそうじゃなかったんですよね。歌のうまさよりもビジュアル先行。それとたどたどしい日本語が良かったんでしょうね。
 初めデビューに渋っていたナベプロ側を尻目に、デビュー曲のこの曲で、いきなりオリコン5位、32万枚を記録しちゃったわけだから。。。。

出し手側と、ユーザー側、求めているもののズレ・・・うーん、感覚のズレっていうのかなぁ、60年代あれだけの隆盛を誇り、ゲ―ノー界の絶対的勢力だったナベプロも、この頃を境に「新しい」アーティストがなかなか出てこなくなってくるんですよね。


ところで、↑で書いたように、この曲については、まあ、みなさんよくご存知ですよね。
でもさ、今聴くと、めちゃくちゃメロディが簡単なんだよなぁ。 まずもって、AメロとBメロしかないんだよね。

そそそ、例の ♪ おっかのうえ〜 ♪ のAメロと、 ♪ 愛の〜 涙は〜 ♪ っていうBメロだけなんだよね。

いや〜、昔の曲は、めちゃくちゃ「簡素」でしたよねぇ。 今みたいに、ごちゃごちゃと物語の「説明」がない。

この曲なんて、2分半ですよ。フルで流しても。 それでいて、未だにしっかりと、多くのヒトの記憶に残ってるでしょ。

 複雑なメロディと、説明的な歌詞にすりゃいい・・・ってもんじゃないんだよね、ヒット曲って。

ただ、やっぱ、メロディ自体は古臭いかなぁ・・・って言うのは拭えないかなぁ。
この曲の作曲は、森田公一氏。 森田氏のメロディラインって古臭いんだよなぁ。・・・なんて80年代から本格的にヒット曲を聴き始めたワタシなんかはそう感じるんだよなぁ。

森田氏のメロディラインって特徴的で、前強、後弱・・・つまりさ、4分の4拍子の曲で、1拍目と3拍目が強で、2拍目と4拍目が弱っていう、80年代の主流の逆のパターンなんだよね。 それと、「強」に合わせた、シンコペーションを多用したメロディラインね。

これを聴くと、「あー、70年代前半だよなぁ」っていう気分になったりしてね。うん、ワタシ的には、一時代前の・・・って感じなんですよね。
ま、実際は、そんな曲を物心つくかつかないかのころ聴いてたわけで、自分の中の音楽の原点なんだけどさ。




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神田川 / かぐや姫

1973_12_神田川_かぐや姫






今回の1曲セレクトは、「神田川」かぐや姫です。

 まずはデータでーす。

・タイトル      神田川
・アーティスト    かぐや姫
・作詞        喜多条忠
・作曲        南こうせつ
・編曲        木田高介
・リリース日     1973年9月20日
・発売元       クラウン
・オリコン最高位   1位
・売上げ枚数     86.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年10月8日〜12月31日付

 最近は、世代を超えたヒット曲ってほぼ「皆無」になっちゃいましたね。世代の断絶を意識しているわけじゃないだろうけどさ、あるターゲットにピンポイントにあたるヒットしかなくなった。
これねぇ、長くヒット曲を聴いてきてる者にとっては淋しい事ですね。昔はヒット曲は世代を超えた共通のモノだったんだけどねぇ。

 あのさ、実を言うと、今、ワタシが再認識を目指しているのは「ココ」なんですよね。 

年代を超えた楽曲の見直しっていうのかなぁ。

 結局さ、いい曲っちゅうもんは、世代を超えていいんだよね。
 だからさ、こういう、ヤング世代には「いい音楽の再紹介」を、ちょっと上のエルダー層には「なつかしいっ」って言ってもらえる曲を再度、掘り起こして提示する・・・っていう事をこの先もやって行きたいなぁと思っているんだよね。

 まあ、ワタシ的にも、そこそこ長い間ヒット曲見てきてるからさぁ、そろそろ若いコたちにも、こういういい曲があったねんって伝えたいし、逆にこれまで通り、同じ年代や、タイムリーに聴いてきた年代の方たちとは一緒に共有したいしね。

 さてさて、神田川ですが・・・・。

 まあ、この曲については、みなさん、ご存知だろうしなぁ、いまさら、ワタシのレビューもいらないかなぁとも思うんですが・・・。

 兎に角、この曲の大ヒットによって、「フォーク」っちゅうジャンルは完全にオーバーグラウンド的な存在になったって言えますよね。

 あ、オーバーグラウンドなんていう表現も死語かなぁ。要は今でいう「メジャー」ですね。
 反対の言葉として「アンダーグラウンド」、略して「アングラ」があるんだけど、これは、いまでいう「インディーズ」だよね。

 それまで、フォークは、商業は抜きにして・・・いわいるアングラが中心に成り立っていたわけだけど、まず、吉田拓郎がこれに風穴を開け、続いて井上陽水、そして、かぐや姫が、完全にフォークをオーバーグラウンドに押し上げたっていう、図式なんだよね。

 今でいえば、この人たちの功績によって、インディーズシーンで活躍していた人たちが一斉ににメジャーで大成功したってことだよね。

 で、そのなかでも影響があったのが、この「神田川」ということですわ。
 この曲の86.5万枚っていうセールスは、当時のフォーク系のシングルでは、圧倒的に群を抜いていますしね。

 まあ、それだけ当時のヤング、いまの団塊の世代には、絶大な影響を与えた曲だったわけですわ。

 まあ、この曲は同時の「ヤング」の生活観がそのまま曲に現れていたわけで、だから、ダイレクトに共感を得たんでしょうね。いわいる「四畳半フォーク」なんだけど。
 (でも実際歌詞では♪3畳一間の小さな下宿〜♪ なですけどね)

 いまでまは、ほとんど体験すること出来ない世界がそこにはあるわけで、これは、どの世代にとっても今ではノスタルジーなんですよね。
 この世知辛い世の中だからこそ、共感できるというか、一種憧れる部分があったりして、だから、今の若い世代にも共感される部分があるのかもなぁ。


 ちなみに、この曲、もともとはシングル曲ではないんだよね。もともとは、この73年7月にリリースされたアルバム「かぐや姫さあど」のB面の1曲目に収録されていた曲に過ぎなかったんですよ。
 うん、B面の1曲目っていうのが、如何にも時代を感じるでしょ

 ・・・で、そんな曲を自分たちがDJをしていたラジオ番組でOAしたところ、大反響で、急遽、73年9月20日に臨発扱いでシングルに切った曲だったんですよね。
 
 大反響っていうのは、当時のオリコンのチャートアクションにもされていて、73年9月20日リリースで、10月1日付ランキングでは早くも21位初登場。

 えー、最近のランキングしか知らない方には「ふーん」で終わっちゃうかもしれないけど、これは、当時としてはかなりの「ハイペース」なのですよ。
何せ「初登場1位」なんて、まだ1曲もなかった時代、それどころか「初登場10位」でさえ、ほとんどなかった時代ですから・・。

 そのあと、

21位⇒4位⇒2位⇒1位 ・・・と登場4週目、10月22日付では早くも1位を獲得。これも、当時としては異例の速さででしたね。
 ここから、6週連続で1位獲得したあと、1度2位へ転落したあと1位返り咲き、計7週1位を獲得したりしてます。
 この当時、73年って第1次アイドルブームで1位の入れ替わりも結構激しかったんだけど、「神田川」は異例に1位ロングランだったんだよね。

 それだけ、この曲の当時の人気の高さが分かりますね。


 なにをともあれ、この曲によって、そのあとのヒット曲界の流れは随分変わっていきましたよねぇ。いよいよニューミュージックの台頭が始まるわけですよ。
 その「狼煙」にもなった曲っていえるだろうなぁ。




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色づく街 / 南沙織

1973_10_色づく街_南沙織






今回の1曲セレクトは、「色づく街」南沙織です。

 まずはデータです。

・タイトル     色づく街
・アーティスト   南沙織
・作詞       有馬三恵子
・作曲       筒美京平
・編曲       筒美京平
・リリース日    1973年8月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位  4位
・売上げ枚数    29.6万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1973年9月17日〜10月29日付

 最近は、秋だというのに「秋っぽい」曲がめっきり少なくなりましたねぇ。
 ・・・・というか、もう10月も、もうすぐ半ばだというのに、今日も上着なしで外出したりしてるものふらふら
やっぱり、なんだーかんだーいうて、「温暖化」は確実に進んでいるんだろうね。
ウチらが子供だった頃から考えても、1ヶ月は季節のめぐりが遅くなっているような気がするな。

 今回引っ張って来た、曲は、南沙織の「色づく街」ですわ。
 これ、今ごろ丁度、ヒットのピークだったんだけど、それでもって「色づく街」ですよ、タイトルが。

 うーん、なんとなく、今、そう言われても、いまひとつ「ピン」と来ないかもしれないよなぁ。。。なんて思ったりして。。。

 最近、♪ 街は色づくのに〜 ♪ なんて言ったら、11月終わりから、下手したら12月に入ってから・・・なんて、感じだもんなぁ。

 この曲、今から42年前(exclamation ふらふら)の曲なんだけど、42年も経つと、大分、気候も変わったもんだよね。

 だってさ、この曲、リリースが、「8月21日」よexclamation ×2 

 たしかに、当時は、今に比べたら、ヒットのピークに乗っかるまで時間がかかったんで、季節先取りでリリースするのが、通常だったとは言え、8月に「色づく街」って言われてもなぁ・・・って感じだよね。今の感覚だと。。
今年だったら、まだまだ真夏日だったもんね。

 でも、考えてみたら、ワタシが子供の頃っていったら、10月中旬ってね、下手したら、もう寒かったもんね。
 まあ、田舎に居たからかもしれないけど・・・。体育の日あたりに、「いもに会」とか、山の川原でやったり。。そーいえば、そのころって言ったら、すでに紅葉も始まってたし・・・うん、すでに、秋まっさかりの頃・・・なんだよね、昔なら。。



 まあ、そーいうことで、42年前は、既に秋真っ盛りの今ごろに、ピッタリの曲だったんだよね。

 もちろん、42年前っつうたら、ワタシャ4歳・・・ってことで、リアルタイムでは、この曲聴いてませんけど。。。

 うん、この曲の存在を知ったのは、実は、82年の「三田寛子」のカバーバージョンだったりするんだよね。。ふらふら

 ↓ これこれ
フォト 

ついでに音源



 三田寛子の3枚目のシングル。
 もちろん、カバーなんて知らなかったから・・・あせあせ、最初は、三田寛子のオリジナルだと思ってたんだよなぁ。
 
 こちらは、もう、何年も聴いてないから、すでに忘れちゃったけど、兎に角、独特のメロディラインが魅力的だったんだよね。

 うん、「筒美京平」って、意識したのは、多分、この曲からだとおもう。実を言うとさ。

 ま、一言でいえば、ポップス歌謡なんだけど、「歌謡曲」って一言で、済ましてはいけないような、独特のフィーリングがあるのよ。
 まあ、言ってみれば、「バタ臭い」っていうか、「日本的」な匂いだけではない、何か・・・。
 歌謡界の「文明開化」っていうか、和洋のいいところをミックスした、そそそ「和洋折衷」なメロディラインなのよ。

 なんか、そこにゾクゾク感じるもんがあったんだよね、ワタシは。


 で、そのあと、オリジナルの、この南沙織バージョンを聴いて、音源も手に入れたんだけど、一言で言って、堂々としてるんだよね。
 南沙織のボーカルって。三田寛子のは、こんなにボーカルが太くなかったよな。もっと「か細い」感じがしたな。
 だから、最初は、ちょっと違和感があったのを覚えてる。 まあ、こっちがオリジナルだから、本当は、三田寛子の方が違和感を感じるんだろうけどさ、本来なら。

 でも、今考えたら、82年のあの時期のカバーブームで、70年代アイドルの主要曲を覚えたようなもんだったなぁ。
 あれから、時代をさらに遡って、曲を掘り下げていくきっかけになってたんだよね、ワタシの場合。
 だから、本来は、そーいう、感じで、底辺を広げるためにも、カバーっていうは、必要だとは思うんだけど、何分、最近のカバーは、あまりにも安易なデキなもので、昨日の「ヒットチャートフラッシュ!」で書いたようになっちゃうんだよなぁ・・・気分的には。。




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わたしの彼は左きき / 麻丘めぐみ

1973_09_わたしの彼は左きき_麻丘めぐみ








今回の1曲セレクトは、「わたしの彼は左きき」麻丘めぐみです。

まずはデータなのだ。

・タイトル    私の彼は左きき
・アーティスト  麻丘めぐみ
・作詞      千家和也
・作曲      筒美京平
・編曲      筒美京平
・リリース日   1973年7月5日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 1位
・売り上げ枚数 49.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年7月23日〜10月1日付

昔はさあ、月刊明星とか読んでると、よく、好きなアイドル対決なんてやってたよなぁ。「○○ VS ××」とか。
ワタシなんかは、世代的に80年代アイドルの「はしり」の頃だから、よく見かけたのが、「松田聖子 VS 河合奈保子」だったよなぁ。

 で、ワタクシは性格的に捻くれているんで、いつも「トップ」アイドル軽視なんだよね。だから当時も、松田聖子よりも、河合奈保子の方が全然好きだった。
 ま、それよりももう少し遡って、「ピンク・レディー VS キャンディーズ」の時も、断然キャンディーズ派だったしね  そそそ、いつも「2番手」が好きなんですよ。

それを考えたら、もっと遡って70年代前半、「天地真理 VS 麻丘めぐみ」ってなった時も、きっと麻丘めぐみ派だったんだろうなぁ・・・。 って絶対そうだと思うなぁ。
 うん、世代的に70年代前半は、まだアイドルは誰が好き? ってのは無かった・・・・・うんにゃ、「アグネス・チャン」が好きだったような。。。。。たしか。。。

でも、今だったら、断然、麻丘めぐみ派だよなぁ。

やっぱりね、このヒトの場合は、声質にうるうるきちゃうんだよね。少し鼻にかかった声がさあ。 まあ、生理的なことだけど、ここが「許せん」って言う方は、どこまでも「ダメ」だと思うんだけど、ワタシは好きなんだよね。

 で、もって「わたしの彼は左きき」ですよ。

この曲は、麻丘めぐみさんにとって最大のヒット曲であり、唯一の、オリコン1位獲得曲。 まあ、当時は「天地真理」さんの人気が絶大でしたからねぇ。それはヒットチャート上でも如実に出ていたわけで、1位獲得も難しかったわけで。この曲も天地真理さんの「恋する夏の日」と、バッティングする形でチャート争いを繰り広げてきたわけだけども、3週早くリリースしたアドバンテージで、僅か1週だけども1位を獲得出来たんだよね。ちなみに、次の週からは「恋する夏の日」の独壇場だったわけで。。。
(ただし、トータルの売り上げでは「わたしの彼は左きき」の方が上)

 曲調的にも「攻め」の天地真理さんにたいして、この曲は、あくまでも「大衆的」っていうイメージが強いですね。
その都度時代の先端の曲調を行っていた筒美氏の曲にしては珍しく、それほど「攻め」って言う感じではなく、おとなしい展開ですしね。
 まあ、その辺は、麻丘めぐみさん自身のキャラクターに合わせて・・・って感じだったんだろうな。

・・・かといって「駄作」かというと、そうじゃない、きっちり印象に残る・・・ってところが、ただじゃ転ばない筒美らしい曲調なんだけどさ。
 ベースラインなんか聴くと、若干、ジャジーな展開だし、いつもながらの「バタ臭さ」っていうのは、しっかり感じちゃったりして。。

 まあ、この曲は曲調もさることながら、やっぱり歌詞だよね。 「左きき」にスポットあてた曲っ、それまではそうそうなかったと思うしなぁ。
 いや、当時は、左ききって確実に「マイナー」な存在だったんですよ。いや、ワタシも「根」は左ききで、字を書く以外はほとんど左ききなんだけど、当時は、いろいろ苦労したのを覚えてるわぁ。

 ウチは両親とも右ききだったから、例えば「おはし」の使い方とかさあ、左じゃ出来ないんで、まともに教わらなかったし。。。それとハサミね。 今でこそ左きき用のハサミって普通にあるけど、当時は、あんまりなくってさあ。幼稚園の時も、左じゃまともに切れない、右きき用のハサミを使わされてたよなぁ。
 よく、左ききは「ぶきっちょ」とか言われてたけど、単純に左きき用の道具が少なかったんで、「不器用」に見えるんだよね。

そんな時代に「左きき」にスポットをあてた、この曲は、やっぱ「救世主」てき存在だったんだよね、「左きき」にとっては。
 
 で、まあ、この曲は「私の事か」・・・と単純なことで喜んでしまう、「左きき」のワタシなわけですわ。(→ありきたりなコメント


ちなみに、この曲、81〜82年頃のカバーブームに乗っかって、82年に新井薫子さんが第4弾シングルとしてカバーしたんだけど、これが全く売れなくてねぇ。 個人的にも、全然刺さらなかったことを覚えてるよぁ。
 やっぱし、この曲はオリジナルの麻丘めぐみさんのイメージがでかいんだよね。

 
  

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心の旅 / チューリップ

1973_08_心の旅_チューリップ






今回の1曲セレクトは、「心の旅」チューリップです。

まずはデータでーす。

・タイトル    心の旅
・アーティスト  チューリップ
・作詞      財津和夫
・作曲      財津和夫
・編曲      チューリップ
・リリース日   1973年4月20日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   51.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年7月30日〜10月15日付

 さて、今回セレクトした、この「心の旅」、まあ、もう、知らないヒトはほとんどだれれもいないですよねぇ?
 それだけ、すでに日本のヒット曲史上としてもスタンダードだと思うし。

 おもわず口ずさんじゃいますもんね。

♪ あー、だから今夜だけは君を抱いていたい
  あー 明日の今ごろは僕は汽車の中 〜 ♪


この8小節のサビは、すでに永遠のものですわ。


でも、本人たちは、これが出るまでは結構苦労したようですよね。この曲はチューリップにとって3枚目のシングルなんだけど、前2枚は期待されていた割には、ほとんどパッとせず、リーダーの財津和夫は、この曲が売れなかったら、故郷の博多へ帰ろうと思ってたらしいですしね。

 最後のヤケクソではないけど、一か八かでリリースしたのがこの曲らしいですわ。
 ある意味「賭け」だったようだけど、そのあとの活動が物語っているように、その「賭け」に勝ったわけだよね。

 ただ、火がつくまではかなり時間がかかったわけで・・・。

 この曲のリリースは、1973年4月20日。もちろん、当時は売れっ子アーティストなんかではなかったチューリップだったから、充分なプロモーション宣伝費が付くわけでもなく、全国キャンペーンを展開して、足で稼いだヒットだったようですね。

 ・・・ってかくと、とても浪花節のせかいなんだけど、昔も今も売れるまでは大変だったようなんでよねぇ。

 それいえ、ヒット傾向も自ずからジワリ上昇型ヒットとなるわけだけども。

 でも、その成果が実って、リリースから約5ヵ月後の9月10日〜17日付で1位獲得の大ヒットになかったんだよねぇ。

リリース後5ヶ月かかっての1位だからねぇ。。ま、いまではあんまり考えられないパターンだよね。

 でも、これもヒットチャートの醍醐味のひとつなんだけどねぇ。


 その後の、チューリップの活躍は、これまで何回か書いてきた通りなんですわね。

 それでも、やっぱり原点はこの曲に行きつくという事には絶対に変わりえないことなんだけどさ。



テレビ神奈川の伝説的なミュージックプログラム「ヤングインパスル」から。
この曲は、他にも動画、結構落ちてるんだけど、ヒットの「原点」を考えると、ヤングインパルスは、外せないよな・・・ということで、この動画を。
 それにしても、よく、こんなVTR保存してましたよねぇ。 前から書いてるように日本のロック、ニューミュージックシーンの歴史を語るには欠かせない番組なわけで、是非、VTRは保存して欲しいなぁ。



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てんとう虫のサンバ / チェリッシュ

1973_08_てんとう虫のサンバ_チェリッシュ






今回の1曲セレクトは、「てんとう虫のサンバ」チェリッシュです。

 まずはデータです。

・タイトル   てんとう虫のサンバ
・アーティスト チェリッシュ
・作詞     さいとう大三
・作曲     馬飼野俊一
・編曲     馬飼野俊一
・リリース日  1973年7月5日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数  40.0万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1973年8月6日〜10月8日付

 今回は懐かしい曲をひとつ。。

 チェリッシュの「てんとう虫のサンバ」

 え? 懐かしくない? 今でもしょっちゅう聴いてる?

 そーだよねぇ、この曲、結婚式の披露宴の「余興」では、未だに必ずといっていいほど、誰か歌うし。。。
 もーね、やめりゃいいのに・・・って思うんだけどさ。それでも、だれか歌うんだから〜。

 ワタシの結婚式の時は、この歌は「禁止令」を出しますっ。。

・・・ってか、結婚っていつの話だ?

それでも、昔に比べたら最近は歌われなくなったのかなぁ。流石に、この曲をタイムリーで聴いてたヒトも結婚式周辺では少なくなったと思うしねぇ。

 ま、ともかくも。。。 そもそも、この曲って、別に結婚式用に作られた曲ぢゃないんだけどね。たまたま

 ♪ あなたとわたしが夢の国 森の小さな教会で結婚式を挙げました〜 ♪

 ってあるんで、以来、結婚式で歌われるようになって、今に続く・・・ってことなんだよね。
 ま、リリースから、今年で42年経ってるわけだから・・・ってそんなに経ってるのかぁ〜 逆に驚き。。。
それだけ歌われ続けているってことは、それだけポピュラーで、しかも歌いやすいってことがあるからだろうなぁ。

 タイトルに「サンバ」とありながら、ぜーんぜん「サンバ」ぢゃないのは不思議な曲なんたげとさ。

 今にして思えば、やっさしいメロディに、童話の国のようなやっさい歌詞なわけで、小学生でも簡単に歌えるしね。
 やっぱね、世代に捕らわれず、だれにでも受け入れられるって言うことは、ヒット曲の命題の一つだしねぇ。

 ・・・とはいえ、売上げ枚数はちょうど40万枚・・・と。

 これが、みんな知っている割には少ないと思うか、いやこんなもんだろう・・と思うかと、人それぞれだと思うけど、ワタシは、最初、売上げを知ったときは、思ったより少ないと思ったなぁ。
 うむ、ほんと誰でも知ってるのにねぇ・・・。ちなみに、チェリッシュで、一番「売れた」曲は、この曲ぢゃなくて、1年前の「ひまわりの小径」だったりする。 これが41.2万枚。 わかんないもんなんだよねぇ。

 ただ、やっぱし、曲の作り手としては、40万枚しか売れなくても、何千万人に知られている曲・・・って言うほうが作家冥利に尽きるところなんだよね。
 その辺、本音を言えば、レコード会社との思惑の違いになるところであり、ジレンマなところなんだろうねぇ。
 個人的には、どちらかといえば、前者(作家側)の考え支持なのかなぁ。だから、個人的なランキングは、「売上げ枚数」っていう考えは、全く含めていないわけだしぃ。



ちなみに、この曲の次が「白いギター」っちゅう曲だったわけですからねぇ(全然かんけーないが。。。)

 個人的には、「白いギター」のほうが好きだったなぁ。・・というか、遠い記憶でタイムリーな記憶があるのは「白いギター」なんだよね。「てんとう虫のサンバ」は、タイムリーで歌っているころの記憶がないんだよなぁ。。。

 ま、いずれにしてもチェリッシュとしては、人気がピークに達している頃の曲ですわな。


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恋する夏の日 / 天地真理

1973_08_恋する夏の日_天地真理

 






今回の1曲セレクトは、「恋する夏の日」天地真理です。

まずはデータです。

・タイトル     恋する夏の日
・アーティスト   天地真理
・作詞       山上路夫
・作曲       森田公一
・編曲       馬飼野俊一
・リリース日    1973年7月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売り上げ枚数  50.2万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年7月16日〜9月17日付

 過去に書いた1曲セレクトをちまちま検索してたら、当然書いてて然るべき曲な筈なのに、まだ、書いてなかった曲ってあるなぁ。 特に今月8月はそう言う曲が多そう。

ま、以前も書いたけど、昔、mixiに書いてた時は、あくまで「マイミク」さん向けに書いてたんで、マイミクさんの年齢に沿ったセレクトがメインでしたからね。少しターゲットが外れた70年代前半とか、逆に90年代後半以降は、意外と書いてない曲がまだあったりするんだよね。

これは、丁度いい機会だから、書けるときに、改めて書いてみるか・・・と1曲セレクトしてきましたわ。


 天地真理さんの「恋する夏の日」。

めちゃくちゃメジャーな曲じゃないですか。でも、まだ書いてなかったんだよね。 その前に、以前mixiに書いてた時は、天地真理さんの曲は1曲も書いてなかったと思う。

これは、前も書いたと思うんだけど、個人的に70年代前半は、アグネスチャンとかフィンガー5が最古な感覚で、天地真理さんとか麻丘めぐみさんって、それよりも1段階以前の人たちっていうイメージなんですよね。
 だから、書いてなかったのかもしれないな。

もちろん、この曲なんかは、音源も持ってるし、よく聴いてた曲ではあるんだけどね。

・・・とは言っても、実際に音源を購入したのは、大人になってからなんだけどさ


でね、音源を購入して、初めて聴いた時、まず驚いたのが、その音質の良さ。
多分、アナログのシングルだった思うんだけど、それでもその音質の良さにびっくりしたな。中古品だったんで、それまでの保存状態が良かったのかもしれないし、盤の状態もよくノイズが少なかった・・・ということもあるのかもしれないけど、それらを差し引いても、元々の録音の音質の良さには、びっくりしたんだよね。

 ダイナミックレンジというか、その音の広がり、音のきめ細かさが、同年代の他の曲と比較しても、良いんですよ。音が迫って来るような感覚。当時はまだ3Dなんていう発想はなかったわけだけど、恰も3D感覚があったかのような立体的な音っていうか。。。

 当時のCBSソニーの録音技術のよさなのかなぁ。例えば、ビクターとかコロムビアとかさ、かなり音がボコボコなんだよね。あ、これは、80年代初頭までそんな感じだったのよ。
 さすがは世界のソニーだけのことはあるか・・・なんて妙に感心したりしてね。

 音も良いと、俄然曲も良く聴こえてきたりして・・・不思議なもんだよね。

兎に角、文句のつけようがないんだよね、今聴いても、完成度が高い曲だと思う。 これはヒットして当然だよなぁ・・・なんてね。
 まあ、音質の事も含めて、かなり、お金はかけてたんでしょうね。 事務所も天下のナベプロだったし。
お金をかければ、当時の最先端の音で曲ができますよ・・・っていう良い見本だと思う。


それにもまして、当時の天地真理さんの人気のすごさだよね。おそらく、この曲前後が、人気が最高潮だったと思う。

 手元に当時のオリコンチャートがある。 それを見ると、この曲もそうだけど、前曲「若葉のささやき」にしても登場2週目で早くも1位を獲得している。

初登場1位が当たり前の現在では、なんてことないチャートアクションに思えるんだけども、初登場から何週間もかかって1位まで到達するのが当たり前だった70年代前半。登場2週目で1位獲得出来るアーティストは、天地真理さんの他、誰も居なかったわけだから、その人気ますさまじさが分かるもんです。

 ちなみに、この曲は、初登場42位⇒1位 という、41ランクアップで2週目で1位獲得というとんでもないチャートアクションを見せている。
 ピンクレディの「カメレオンアーミー」が78年に88位⇒1位っていうとんでもないチャートアクションをみせたが、それ以前、ジャンプアップ1位獲得曲は、この曲だったんじゃないかなぁ。ま、ちゃんと調べてみないと分からないけど。

ただね、この曲1973年7月1日リリースなんだけど、1973年7月1日は日曜日なんだよね。 オリコンの週間ランキング集計期間が、月曜日〜日曜日と考えると、リリース日7月1日の1日集計だけで、42位まで行ったことになるわけで、これが、もし、今のようにオリコンチャートの集計期間に合わせたリリース日設定にしてたら、余裕で初登場1位になってただろうな・・・って言うのは明白ですわね。

 当時は、オリコンチャートに合わせたリリース日設定なんてしてなかったわけで、、1日 5日 10日 15日・・といった5 10日リリースってのが一般的だったからね。 だから、チャート上のアヤとも言うか、初登場はそれほどランクが行かなくても2週目以降でジャンプアップした曲が多かったんだよね。






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