かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1973年

とん平のヘイ・ユウ・ブルース / 左とん平

1973_12_とん平のヘイユウブルース_左とん平


今回の1曲セレクトは、「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」左とん平です。

まずはデータです。

・タイトル    とん平のヘイ・ユウ・ブルース
・アーティスト  左とん平
・作詞      郷伍郎
・作曲      望月良造
・編曲      深町純
・リリース日   1973年11月21日
・発売元     トリオ
・オリコン最高位 73位
・売上げ枚数  2.1万枚

1曲セレクトを書いてると、時々ヘンな曲を書きたくなる時があるんだよな。・・・なんてゃおら書いてみる
それが、今回だったりしてね。 うん、最近、結構「マジメ」にヒット曲を書いてきたからなぁ。。って言うのもあってね。

なんて、今回の曲のマクラをどう書こうか・・なんて全然思い浮かばなかったんで、なんか訳分かんない書きだしになってしまいましたが・・・。

なにを引っ張って来たかって   この曲デス。。

左とん平「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」。

果たして・・・、こう書いても、この曲でどの位の方が反応していただけるか・・・めちゃくちゃ不安だったりして。

左とん平さんって言ったら、ワタシらの世代からすると、コメディタッチの役をやっていた俳優・・、そうね、今で言えばバイプレイヤー的立ち位置の俳優さんって言うイメージの方ですよね。

いやバイプレイヤーなんてかっこいいもんじゃなくて、やっぱコメディータッチの俳優って言う方が強いかなぁ。

そんな方の曲・・しかも、タイトル「とん平の・・・」なんてついたあかさきにゃ、俳優が余力で出した「お笑い系の曲」か なんて素通りしちゃう方も多いかもなぁ。

いや、おそらく、この曲がリリースされた当時もそんな感じだったんじゃないかなぁ・・・なんて思えたりしてね。

なんせ、オリコン最高位73位。 売り上げ枚数2.1万枚ですからねぇ。 業界用語で言えば「左ページ」にも入らなかった訳で、ヒットと呼べるかどうかも微妙な売り上げだった訳ですわ。

つまりは、本当に知ってる人しか知らないって言う曲だった訳ですわね。


BUT BUT BUTですよ。 そんなじゃ、なんでそんな曲をワタシが知ってるの って事ですわな。 
当時、ワタシゃ、4才。 「大人」の曲なんぞ、まーったく知らなかった・・というよりも、まだ物心もついたか付いてないか・・・って頃ですわ。、そんなワタシが、当時は、当然この曲を聴いたって言う記憶も無い。

でも、知ってるんだよね。

まあ、タネあかしは簡単で、90年代中ごろ、いわいるクラブで、この曲が注目された事があるんだよね。

wikipediaによると、スチャダラパーがサンプリングしたことで再注目、一躍脚光を浴びた事になっている。

個人的にも、その時ですね、この曲を初めて聴いたのは。

タイトルからして、個人的にも、当然、「お笑い系」の軽いノリの曲が出てくるんだろう・・・と思ってたら・・・

ビックリしましたねぇ、イントロからして、めちゃくちゃ本格的なR&Bで。 

まあ、♪ 祇園精舎〜 ♪ っていう出だしの詞にもずっこけましたが・・。というか、その辺はとん平氏らしいなっていうところなんだけど。。

兎も角、ビックリしたのが、その黒っぽいサウンドなんだよね。 これは、完全に「歌謡曲」っていう範疇を超えてるよなぁ、本格的なR&Bですよ。

当時で言えば、ゴッドねぇちゃんの和田アキ子様が好んで歌っていたような。

そんな本格的R&Bのサウンドに、とん平氏のここの内面を叫んだ歌詞が、妙にマッチしてたりする。 こんな本格的な曲が70年代にあった・・・っていうのが凄いな・・・っていうのが、まずもっての感想でしたねぇ。

個人的に言うと、70年代前半のヒット曲って、やっぱりどうしても歌謡曲が中心であり、しかもまだまだ曲のクオリティ自体も発展途中でありって言うイメージがあったんだよね。

この辺は、70年代前半のヒットポップスを聴くと、今でも感じるんだけど、メロディにしてもコード進行にしても、どっかヘンなんだよね。 自然体じゃないっていうか、不自然と言うか・・・、前時代の歌謡曲の王道だった4-7抜きのメロディからの脱却がウマくいって無い・・というかさ。メロディのフレーズ自体まだまだ少ないし。。。
結局は、発展途上の時代だったんですよ、70年代前半のヒット曲って。

でも、この曲はといえば、そんな、発展途上のヒットポップスからみても、遥か先を行っている・・・そんな感じを受けたんだよなぁ。

ま、歌ってるヒトがヒトだし、「トリオ」っていう歌謡曲専門レーベルからのリリースってこともあるんで、一般的に言っちゃうと、歌謡曲なんだろうけどさ。

でも、個人的に言うと、この曲を単純に「歌謡曲」って一括りされちゃうと、やっぱ違和感を感じますね。

いずれにしても、当時としては楽曲的にハイパー過ぎて売れなかったってところはあるかもな。
日本でもこんな本格的な曲があったんだ。しかも70年代前半に。それがまずびっくりなところなんだろよね。
90年代でも通用した訳だから、20年後位にリリースしていれば、もっと売れただろうに。

プロデュースは、ミッキーカーチス氏。 
その昔は、ロカビリー3人男として、ウエスタンカーニバルのスター。最近では、テレ朝のドラマ「やすらぎの郷」に出演されたり、完全な俳優となった氏は、音楽プロデューサーとしての手腕も凄かった訳なんだよね。
この「ヘイ・ユウ・ブルース」の前年には永ちゃんの「キャロル」をプロデュースしデビューさせたり。

こんなハイパーな曲が当時リリースされたのは、確かにアレンジャーの深町氏のアレンジ力っていうのもあるけど、やっぱりミッキーカーチス氏の力量のおかげなんだろうなぁ。







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わたしの青い鳥 / 桜田淳子

1973_09_わたしの青い鳥_桜田淳子


今回の1曲セレクトは「わたしの青い鳥」桜田淳子です。

まずはデータです。

・タイトル     わたしの青い鳥
・アーティスト   桜田淳子
・作詞       阿久悠
・作曲       中村泰士
・編曲       高田弘
・リリース日    1973年8月25日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 18位
・売上げ枚数   15.9万枚

えー、前回は山口百恵さんの「最初期」のヒットということで、デビュー第2弾の「青い果実」を持ってきたんだけど、そこでも「対比」として桜田淳子さんを書いたんで、今回の1曲セレクトは、そこをちゃんと書かないと行けないよなぁ・・・。

・・・っちゅうことで、またまた1973年(昭和48年)の今頃のヒットです。 

曲はモチロン、桜田淳子さんの「わたしの青い鳥」ですね。 そそそ、先週書いた「青い果実」とこの曲は、「同時期」だったんですよね、ヒットしたのが。

個人的には、この「わたしの青い鳥」の方が先・・・だとばっか思っていたんですよねぇ。 ・・・というか、この曲がデビュー曲だと思ってたもの、昔は。

実際は、デビュー第3弾シングルなんですよねぇ、この曲は。

やっぱり、最初期の桜田淳子さんといえば、この曲だったんですよね、イメージが。

だってさ、当時4才だったワタシでさえ、この曲は知ってたもの。 うん山口百恵さんの「青い果実」はずっと後だったけどさ、知ったのは。

そのくらい、当時、テレビで流れてたのかしらん  うーむ、その辺、確実に分からないのがちょっと悔しいところなんだけど。

個人的に、この曲を知ったは、恐らく・・・だけど、日本テレビの「おはようこどもショー」だった・・・・んじゃないかなぁ。

今の40代後半、50代の方には懐かしいですよねぇ、ロバくんが出てた(着ぐるみの「中身」は愛川欽也さんでしたよね)、こども番組。 
そそそ、ウラのフジテレビでは「ピンポンパン」をやってたっけ。 こども番組多かったんだよね当時は。
まあ、それだけ、こどもの数が多かったって事なんだろうけど・・・。

あの番組、こども番組だったけど、週末は、「こどものどじまん」とかやってましたよね

あれで、この曲、よく歌われてたのを覚えてるんだよなぁ。 それで覚えちゃったんですよ、この曲。
この曲とか、伊藤咲子さんの「ひまわり娘」とか、小坂明子さんの「あなた」。 この3曲は、よく歌われていたのが、なんか妙に記憶に残ってたりするんだよね。

まあ、それだけ、ちびっこにも人気だったんでしょうね、デビュー当時の桜田淳子さんは。

先週も書いたけど、正統派中の正統派でしたもんね。70年代アイドルの最優等生にも言われてたもんなぁ。

そう事もありーの、この年1973年の各音楽祭の最優秀新人賞は、当然のごとく、桜田淳子さんの一人勝ちって感じだったもんなぁ。

かく音楽祭でもこの「わたしの青い鳥」が歌われていたし・・・、だからね、当然のようにこの曲、ベストテン入りのそれなりの大ヒットだったんだろうな・・・・。

なんて思ってたんだけどさぁ・・・。 オリコンで「チャートブック」が発売されるまでは。。

でも、実際は、この曲ベストテン入りしてないんだよね。 最高18位。
初めて、この事実を知った時は、「えっ」って言う感じだったなぁ。 しかも、売り上げも16万枚弱でしょ。 これも意外だったんだよね。

当時、テレビから頻繁に流れていたっていう感覚から、それなりの大ヒットだった・・・っていう印象があったからさあ。

まあ、当時の感覚・・・と言っても、まだ物心が付き切っていない頃の感覚だからさあ、あてにならないっちゃ当てにならないんだけど。。。




曲については、何も言う事はないんだよなぁ・・・。
まあ、当時を知ってる方だったら、みなさん知ってるだろうしなぁ、この曲は・・・っちゅうくらい有名な曲だもんね。

ただね、今聴くと、やっぱオーソドックスだったかなぁ・・・とも思えるんだよね。

いや、あの当時は、このオーソドックスさが良かったんだけどさ、でもちょっと当たり前だったかなぁ・・って事は今聴くと感じたりするんだよな。

例えば、先週書いた、山口百恵さんの「青い果実」は、刺激的だったわけじゃん歌詞がさ。 そこが良かったんだよね。 革新的というかさ、それまでのタブーを破った曲だった訳だから。

そこから比べると、この曲は平和なんだよね。保守的・・・って言っちゃ言いすぎかもしれないけど、めちゃくちゃ安心感があるじゃん。

蛇足だけど、この曲の作曲は、中村泰士氏なんだよねぇ。 あのひげ面の中村氏が、この曲を書いたっていうのも、ちょっと想像もつかないんだけどさ 

まあ、そんな曲調の違いはあったかなぁ。 その辺は、老舗のビクターに対して、後発のCBSソニーって言う違い、それぞれのレコード会社の考え方の違いもあったんだろうね。

ただ、その後、革新路線を行った、百恵さんが時代の寵児となり、保守路線だった淳子さんが、意外と伸び悩んだっていうのは、この曲の時点からすると時代のいたずらって感じだったのかな。

でも、兎に角、明るさが売りだった淳子さんは、この路線で行くしかなかったんだろうな。


どーでもいいことだけど、ジャケ写に描いてある「青い鳥」は、「twitter」のマークにも通じるところがあったりして。。。。



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青い果実 / 山口百恵

1973_09_青い果実_山口百恵

今回の1曲セレクトは、「青い果実」山口百恵です。


まずはデータです。

・タイトル    青い果実
・アーティスト  山口百恵
・作詞      千家和也
・作曲      都倉俊一
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1973年9月1日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数 19.6万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年10月1日、10月15日〜10月22日付

この間書いた安室奈美恵さんの人気がある中での電撃引退。 まあ、人気がある中電撃的に引退を発表なんてのは、歌い手以外、女優であったりアスリートであったり人気者って言うところから見れば、これまでもいくつもあった訳なんで、そうそう衝撃的な事実でもないんだろうけどさ、ここまでニュースが広がって来たってことは、やっぱり衝撃的なニュースだったんだろうね。
 今週のレコチョク週間ダウンロードランキングをみても、ベスト3すべてが安室の曲で占められているって事から見てもさ、やっぱり衝撃的な事実だったんだわなぁ・・・って事が良く分かるわな。

やっぱり一時代を築いた「ディーパ(歌姫)」の引退って言うのは、いつの時代も衝撃的なんですねぇ。
でぇ、もって・・・・。振り返ってみれば「ディーパ」の人気最高潮での電撃引退って言えば、やっぱ山口百恵さんは外せないところだよなぁ。

79年の結婚発言、それに伴う電撃的な引退発表・・・。そして80年10月の引退。 あれから来月で丁度38年ですわ。

・・・ということで、今回の1曲セレクトは、久々に山口百恵さんの曲を持って来ましょうか。。。

でもねぇ、百恵さんの曲の主だったところは、もうすでに書いてるぞよ・・・。 と思ったんだけども。。。
個人的にタイムリーで聴いてたのは、77年頃からだからさ、それ以後の曲はほぼ書いちゃってるんだけども、それ以前の曲は、逆に、まだほとんど書いてないんだよな。。

なんで、丁度いい機会ですわ、「最初期」のヒットを持って来ましょうか。

「青い果実」

いや、でもねぇ、タイトルを持ってこられても、もしかするとちょっと「ピン」と来ない方もいらっしゃるかもしれない。
実際、ワタシも曲を聴くまでは「ピン」と来なかったヒトの一人でして。。。

ま、曲を聴けばね、「あ、あれね〜」っていうのは一目瞭然なんだけどさ。

いや、正直言うと70年代前半の曲って、未だに意外とそう言う曲が多いんだよな。タイトルだけだと「?」なんだけど、曲を聴けば「あ、あれねー」ってやつ。アイドルでもニューミュージックも問わずさ。

やっぱ、まだ物心ついてなかった頃なんでねぇ、70年代前半は。

あー、話がずれた。

で、「青い果実」ですわ。 この曲は歌詞が刺激的・・・ってことで、当時話題になった曲ですわ

そそそ、Aメロ出だしの 

♪ あなたが望むなら 私何をされてもいいわ〜 いけない娘だと噂されてもいい〜 ♪

ってところですね。

ま、今、活字かくと、全くピンと来ないところもあるんだけど・・・。 当時はこれでもコペルニクス的な衝撃だったわけです。

つまりさ、あなた(彼氏)が望んでるなら、ワタシはSEXでも、なんでもやるわ〜 って事ですわな。

ここでは、これまでも何回も書いた事だけど、当時「アイドル」ってヒトたちは、本当の意味でのアイドル⇒偶像 だったわけですわ。 そそそ崇拝に値するお方ですわ。

最近、ネット上ではよく「ネ申」っていうでしょ。 当時のアイドルってある意味、本当の「神」だったわけですわ。
そんな「神」なお方は世俗的で汚らわしい態度は取らない・・・って訳ですわな

「アイドルはウンコしない」って本気で思われてたところがあるんだから  

バカヤロー、ウンコしなきゃ人間死んじまいまっせ・・・なんて、今では幼稚園のクソガキでも誰でもそう思うでしょ。でもさ、当時はそうじゃなかったんだよね。

ま、言ってみれば、今の「2次元」的な捉え方だったんですかねぇ。アニメではなく生身の人間なんだけども「2次元」的っていう・・・。 それだけ「テレビの中の世界」っていうのは遠かったって事ですね。

最近NetflixのCMで、さんまが「俺らの頃はテレビに出てるって凄かったから・・・」って語ってるでしょ。 あれですわ。

そんな別世界な「偶像」であるお方が、「あなたが「したい」と思ってるなら、ワタシはSEXでもなんでもボロボロにされてもいいんだから」なんて「世俗」な事をテレビから語って来る。 これは衝撃的だったんですわ、当時としては。 「SEX」なんて少なくともアイドルの世界ではタブーでしたからねぇ。

「青い性」って言われましたよね。

山口百恵さんは当時15才。中学3年。 桜田淳子さん、森昌子さんとともに「中3トリオ」って言われ始めてた頃ですわ。


でもね、山口百恵さんも初めからこういう「青い性」を売りにしていた訳ではない訳で。。。

この「青い果実」は、デビュー2弾シングルですわ。 デビュー曲は、この曲の4か月前にリリースされた「としごろ」って曲

↓ コレ


これが、健全でめっちゃ明るい曲なんですわ。 70年代アイドルの王道ていうかね。
ただ、これが売れなかった。 

なぜか? 同じスタ誕出身で、デビューが3ヵ月先行していた桜田淳子さんに曲のタイプが似ていたってのが゜、おおよそ言われている事なんだけどね。

桜田淳子さんって、後年こそ某宗教に走ってしまい、「宗教的」「小難しい」っていう「陰」のイメージが強くなっちゃったけど、デビュー当時は太陽な明るさ、スマイルっていう、めっちゃ「陽」なイメージだったんですよね。
現にそれで「人気を獲得」した部分も強かった訳でさ。 アイドルとしては超優等生タイプだったわけです。

山口百恵さんは、それを凌ぐだけのキャラクターを持っていなかった。しかも、デビュー時期が淳子さんより後発だったしね。
 だから同じ「陽」の部分をいくら強調しても桜田淳子さんを超えられないし、なにより百恵さん自身にとっても曲がしっくり来てない。。。

・・・そういうことで、第2弾シングルは、路線変更をせざるを得なかったってわけですわ。

で、行き着いたところが、当時はアイドルのヒトたちにはタブーとされていた「性」を売り物にするって言う路線ですわな。
「陽」とは正反対の「陰」の部分を強調する事。 まあ、百恵さん自身、見た目華やかなルックスではなかったし、逆に言えば、どこか「影」がある印象だったしね。だから「陰」を強調するしかなかったって事でもあるんですよね。 

まあ、結果ここまで大変身なくても・・・とも思えたりもするんだけど、結果、これが「当たった」ってことでさあ。
やっぱやるからには大胆にってわけですわな。何事も中途半端はダメってわけなんだろうねぇ。

第2弾のこの「青い果実」で、初のオリコンベストテン入り。

当初、人気と言う面では、先行デビューしていた、森昌子さん、桜田淳子さん、を追いかける立場だったんだけど、この曲のヒットでかなり追い付いたんですよね。

しかも同じアイドルポップ路線ということで、最大のライバルだった桜田淳子さんよりも、ベストテン入りと言う面では「先行」しちゃったわけでさ。

そそそ、この曲がベストテン入りした時点では、桜田淳子さんは、まだベストテンヒットを出してなかったんですわ。

うーん、73年の新人賞を総ナメにし、この年の新人王間違いなしの桜田淳子さんから見ると、もしかすると、これは意外な事実かもしれないけどさ。

まあ、この年の12月には桜田淳子さんの第4弾シングル「花物語」がベストテン入りし、僅か2ヶ月で追いつくんですけどね。

いずれにしても「中3トリオ」の人気が「ホンモノ」になり始めて来ていた頃のお話ってわけです。


 
この曲、都倉俊一先生の曲だけど、この曲の頃は、まだピンク・レディーの匂いは感じないんだよね。
個人的に都倉俊一氏っていうと一連のピンク・レディーの匂いを感じちゃうんだけどねぇ。

いずれにしてもこの曲の成功で、この先も「青い性」路線が続き、次の年の「ひと夏の経験」で、この路線が「大爆発」。伝説の歌姫への道を辿ることになる百恵さんです。

ちなみに、デビュー第2弾シングルでブレイクした女性アイドルは「大物」になるっていうジンクスは、この「青い果実」の百恵さんから始まり、後に松田聖子さん、中森明菜さん・・・と引き継がれることになるんですわ。



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コーヒーショップで / あべ静江

  1973_09_コーヒーショップで_あべ静江


今回の1曲セレクトは、「コーヒーショップで」あべ静江さんです。

まずはデータです。

・タイトル     コーヒーショップで
・アーティスト  あべ静江
・作詞       阿久悠
・作曲      三木たかし
・編曲      馬飼野俊一
・リリース日   1973年5月25日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数 28.0万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年9月10日付


 今でこそCDデビューの「形態」って千差万別ですよねぇ。 ま、ほとんどの方は最初から「歌い手」を目指してその末にCDデビューって形だけど、最近だったら「声優」からCDデビューっていうヒトも多いし、お笑い芸人からCDデビューって言う人も多い。
そんな感じで、CDをリリースしているヒトでも、必ずしも「歌い手」を目指していた訳じゃなかった・・ってヒトも珍しくなくなったって訳ですな。

今回の1曲セレクトは、そんなもともとは「別の職業」からレコードデヒューした方のあの曲を一つ。

あべ静江「コーヒーショップで」。

うーん、あべ静江さんといっても、少なくともワタシの年代より下の方は、あんまりピンと来ない方が多いのかなぁ。
昔、エバラの「浅漬けの素」のCMをやってたヒト・・・とかさ そのくらいの認知しかないかもしれない。

でも、今の50代、60代の方にとってはアイドルでしたよね・・・とか言いきってみる

なんて「あいまい」に書いちゃったのは、ワタシにとっても「浅漬けの素」のCMのヒトって側の世代だからなんですけど・・・。 そそそ、70年代前半の「アイドル」時代はリアルタイムじゃなかったからさあ、実際にどの位人気があったのか・・・ってのは肌で感じてなかったからなぁ。

で、初めの主旨である「別の職業」からレコードデビューって事なんだけど、元々、あべ静江さんってラジオの女子アナだったんですよね。

ま、当時の事をご存じの方には有名だと思うけど、元々はFM愛知でDJをやられてた訳ですわ。
DJっっても、クラブでお皿回す訳ぢゃないですよ。ラジオの「ディスクジョッキー」ね。ま、最近で言えばラジオのパーソナリティですね。

当時これらの番組を聴いてた方にとっては、「当たり前」の事なんでしょうけど、個人的には初めはなんか信じられなかったなぁ。やっぱり、「浅漬けの素」のCMのイメージが強いもので。。。

でもね・・・。今手元に1973年1月号の月刊・明星の歌本「Young Song」がある。この号の巻末特集として、「全国DJガイド」っていう、この当時の全国ラジオ局のプライムタイム〜深夜放送の番組タイトルとパーソナリティの表が載ってたりする。

このFM愛知に載ってますねぇ、「あべしずえ」さん月曜〜土曜0:00 〜0:15 YOU AND ME TOSHIBA パーソナリティって紹介が・・・。

東海地区「かわいこちゃんNO.1 DJ」(うわっ、時代だわぁ。この表現) なんて紹介されてたり。。。

・・・となるとやっぱり、正真正銘だったんですねぇ・・・。

蛇足だけど・・・このリストを見てて今も放送しているFM東京の「ジェットストリーム」って73年のこの時代から深夜枠であったんだよなぁ・・・。長い番組だよなぁ・・・。 なんて先日放送開始から50周年っちゅうことで、当時からあったことは当然なんだけど、やっぱ活字で見ちゃうと歴史を感じるよな・・・。

・・・蛇足でした。。。

でね、さすがに当時としてはラジオの女子アナからレコードデビューっていうのは異色の経歴だったんじゃないかなぁ。 いや、今も異色かもしれない。 まあ、フジテレビとか日テレの女子アナがCDだしたりしたこともあったけどさ。

ま、あべ静江さんの場合は、当時、まだ「短大生」ということもあり、「局アナ」ではなかった訳ですけど。。。

80年代初頭に文化放送で、ミスDJって事で、女子大生がパーソナリティをしていた番組があったけどさ、そう言う意味ではその魁だった訳なんですよね。



あーーー、長い前振りになっちまった。。。曲について書いてなかったなぁ。

とりあえず、いろんなメディアで言われてるし、当時「かわいこちゃんDJ」ってことでデビューしたわけなんで、当時の扱いとしても「アイドル」だったと思えるんで、ここでもアイドルとして紹介したいんですが。。

でも、実際曲を聴いてみると、アイドル曲っていうイメージではないですよね。なんて言うのかなぁ、アイドルの曲って言うと、もっと「ポップ」なもんじゃん。 でも、この曲は落ち着いてるしさ。より歌謡曲なんだよね。

ま、そもそもが作曲の三木たかし氏が、より歌謡曲路線のヒトだったりしたし、なによりあべ静江さん、当時22歳だったからなぁ。当時のまわりの70年代アイドルのヒトたちと比べると、絶対的に年上でしたからねぇ。  

今は22才でアイドルやってるヒトも、全く珍しくなかった訳だけど、当時は20歳を過ぎると「大人のオンナ」でしたからねぇ。アイドルというよりは一人の「ナオン」って言うイメージなんだよね。

詞のイメージも「大人」をイメージしてるな。 そもそも「コーヒーショップ」っていう喫茶店を題材にしてるところって、前年に大ヒットしたガロの「学生街の喫茶店」ですよねぇ。

 まあ、この曲の場合は、「学生街」っていうより具体的な部分は無く、単に「コーヒーショップ」っていう大衆性にとどめているところが、より歌謡曲的と言う部分が強いんだけども。 でも、他の方のブログを見たりすると、作詞の阿久悠氏は、明治大学出身であり、「学生街の喫茶店」もお茶の水っていう明治大学周辺をモチーフにしていることは間違いないことから、この曲に触発され明大周辺の喫茶店イメージしていることは間違いないようなんだよね。

いずれにしても、この時代で喫茶店っていうのは、やっぱある種文化の発信基地だったんだろうなぁ・・・っていうのが分かるなぁ。ま、リアルタイムじゃないんで、なんとなくなんだけど。。

いや、でも、なんとなくは分かるんだよね。リアルタイムじゃなかったけど、コーヒーの香りが染み付いているような喫茶店って言うイメージから、浮かぶ風景って、個人的にもこの時代だからさあ。



ところで、あべ静江さんって言えば、この動画のような変わったマイクの持ち方がトレードマークになっていたみたいだけど、本人いわく、マイクにすがって歌っていたってことで、マイクにすがったいたら、こういう一見変わったマイクの持ち方になったようですね。

ちなみに、当時の愛称は「しーちゃん」でしたね。そーいえば、小学校の時の同級生にも「静江」って名前の子がいて、そのコも「しーちゃん」って呼ばれてたな。

最初「しーちゃん」ってのがあべ静江さんの愛称って分かんなくて、小学校のときの同級生の事だと思ってたもの。。。


では、改めて曲を



イントロ頭のドラムのフィルイン。如何にもアレンジが馬飼野俊一氏って感じだよなぁ。
ややチューニングが外れたような音のタムのフィルがさ。
これ聴くと如何にも70年代だなぁ・・・なんて思ったりしてね。チェリッシュの「てんとう虫のサンバ」でも同じように思ったりして。。



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小さな恋の物語 / アグネス・チャン

1973_12_小さな恋の物語_アグネス・チャン


今回の1曲セレクトは、「小さな恋の物語」アグネス・チャンです。

まずはデータでする。

・タイトル    小さな恋の物語
・アーティスト  アグネス・チャン
・作詞      山上路夫
・作曲      森田公一
・編曲      馬飼野俊一
・リリース日   1973年10月25日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 58.0万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年11月12日〜1974年2月11日付
・タイアップ:映画「大事件だよ全員集合」劇中歌

アーティストの中で一番売れた曲・・・・、長年ヒット曲を見てくると、大体予想が付くし、実際のその通りなんだけど、時々、「予想外」な曲が、そのアーティストの中で一番売れた曲だったりする事ってあるんだよね。
今回のそんな曲をひとつセレクト。

アグネス・チャン 「小さな恋の物語」

アグネス・チャンというと、どうしても、デビュー曲の「ひなげしの花」だったり、3枚目の「草原の輝き」に注目が集まっていたし、だから、それらの曲が一番売れたんだよな・・・なんて思われがちなんだけど、違うんですねぇ。

そそそ、今日の「趣旨」でいうと、今回セレクトしてきた「小さな恋の物語」が、アグネス・チャンの中で一番売れた曲なんだよねぇ・・・。

・・・なんていうと「え?」なんて思われちゃうかもしれないけどさ。  実際、ワタシも初めてその事を知った時、「え?」って感じだったしなぁ。

その前に、その事を知った当時、この曲知らなかったのよね。。。。 中学生の頃だったかなぁ。

やっぱり、個人的にも、アグネスといえば、「ひなげしの花」であり、「草原の輝き」って頭だったわけでさ、その他の曲って記憶になかったんだよなぁ。だからね、めちゃくちゃ意外だった事を覚えてる。

実際、この曲を聴いたのも、それからかなり後になってからでしたね。

今から24年前の1992年の秋から、翌93年春に、ニッポン放送の日曜18時〜20時で放送していた「オリコンベストヒット500」だったと思う。
 あ、メンゴ、番組の正式なタイトルは違ってるかもしれない・・・。ちょっとど忘れ。。。

でもね、その当時のオリコン歴代売り上げ、上位500位を半年かけてカウントダウンして行った番組。毎週20曲ずつ、25週かけてカウントダウンしていく、なんか画期的な番組だったんだよな。
まあ、野球休止期間の繋ぎ番組と言う感じでもあったんだけどね。


あ、ちょっと話がすれたね。

いずれにしても、この番組で初めてこの「小さな恋の物語」を聴いたんだよね。 売り上げ枚数58.0万枚なんで、当時のランクで歴代250位くらいだったかなぁ・・・。

あ、これかぁ・・・・と思うと同時に、やっぱり、それ以前に聴いた記憶がなかったんだよなぁ。初めて聴いた・・・と言っても、何分、ワタシが4才の頃のヒットだからさ、まだ、充分物心も付いてなかったし、だから、もしかするとどこかで聴いてたかもしれない訳でさ。もし、どこかで聴いてた・・としたら、眠ってた記憶が甦る・・・って事もよくある話でさ。

 でも、そう言う記憶が一切なかったんで、やっぱり聴いたことなかったんだろうな。。。

・・と、同時に、今一つ、良く分かんなかったんだよね。この曲が、「ひなげしの花」や「草原の輝き」よりも売れていた・・・っていう事実が。

まあ、曲として、そんな感じの、いまひとつピンと来なかった・・・んだよな、その時は。

ただね、如何にも70年代前半のイメージだなぁ・・・ってことは印象に残ったんだけどね。 例えば主旋律に対してのストリングスの対旋律の流れだったりさ。
そそそ、それが一番耳に残ったんだ、この曲。70年代のヒット曲って、まだシンセが充分浸透していなかった時代なんで、ほぼ全部生楽器だったわけじゃん。だから、ブラスとかストリングスで、耳に残るフレーズの曲って多いんだよな。

例えば、74年のジュリーの「追憶」とかさ。

この曲の特にサビの部分のストリングスのフレーズも、耳に残るんだよね。

この曲、メロディ形式としては、A-B-A の今からするとめちゃくちゃ単純な流れで、Aの部分が若干、マイナー気味の「弱」メロなんだけど、サビのBメロは、Aメロとは対照的に、いきなりメジャー系の「強」メロになるじゃん。
その対比・・・というか急な変化の仕方が、今となっては笑える・・・っちゅうか、余りのいきなりの変化にビックリするんだけどさ 
 その強メロのサビの部分で、主旋律に対して絡んでくる対旋律のストリングスがね、これまた大げさで印象に残るんだよね。

まあ、大げさってのは言いすぎかもしれないけど、生理的に気持ちいい。

当時のきょをくは、そんな生理的に気持ちいいストリングスの対旋律の曲っていうのも多かったんだよな。

なんて言うのかなぁ、例えばパーシーフェイスオーケストラの「夏の日の恋」のような生理的に気持ちいいストリングスのフレーズのような。

まあ、その辺は、当時の流行りとしてイージーリスニング系があったことも大いに関係してるんだろうな。


ところで、この曲と言えば最初に買いように、アグネス・チャンで最大のヒット曲であると同時に、オリコンで、唯一「1位」を獲得した曲なんだよね。 しかも、1973年12月17日付、たった1週のみ。  

え? 初登場の時かって?

・・・んな訳はない。当時「初登場1位」なんて曲は無かった訳で。。。当時のチャートをひも解いてみると、ベストテンランクイン後6週目で1位を獲得していたりする。

でも、次の12月24日付で、いきなり5位に転落。。。

そそそ、マニアックなオリコンチャートファンにとっては、常識かもしれないけど、「1位から次の週に5位以下にランクダウン」した初めての曲が、この曲だったりするんだよね 。。

ま、これも、1位から平気で、次の週30位以下に転落するのも珍しくない今となっては、どうという事のない記録かもしれないけど、当時としては「珍事」だった訳なんだよね。


なぜ、1位から5位にランクダウンしたのかって言う詳細は、当時の週間売り上げデータが手元にないんで何とも言えないんだけど、ランキングだけ見てみると、12月24日付の、上位4曲は全てランクアップして来ていた曲なんだよね。

1位←7位 愛の十字架(西城秀樹)
2位←5位 モナリザの秘密(郷ひろみ)
3位←4位 魅せられた夜(沢田研二)
4位←34位 恋のダイヤル6700(フィンガー5)
5位←1位 小さな恋の物語(アグネス・チャン)

おーっと、当時のスーパースター勢ぞろいっていうランキングですな
でも、推測できることは、上位4曲が全てランクアップ来ていた曲って事は、それだけ売り上げレベルも前週に比べて上がって来ていただろうってこと。

そのあおりを食った形での1位から5位への転落だったんだろうな。

しかもこの曲が底力があったのは、1位から5位に転落した、2週後に再度3位に再上昇し、4週間3位をキープしたことだろうね。

昨今のヒットとの違いは「ココ」なんだよね。「持続力」っ言う点。

でも、それで、売り上げ58万枚かよ・・・なんて、思う方も居るかもしれない。なんせ、今じゃ、1週間で50万枚、100万枚なんて珍しくない訳だから。

でもね、例え最初に100万枚売れても、次の週ぱったりと売れなくなるんじゃ、意味ないんだよね。
曲が大衆的に浸透し広がりを見せるって言う点ではさ。

よく、ヒット曲メーカーの作家の方が、10万枚しか売れなくてもいいから、100万人が知ってる曲を作りたいっていうけど、そういうことなんだよね。




どうでもいいことだけど、この曲、ドリフターズ主演の「大事件だよ全員集合」っていう映画の中で歌われていたんだってね。
・・・wikipediaの受け売りなんで、どんな映画だったのかは、知らないんだけどさ
まあ、いわば「ナベプロ」主導映画ってわけですな。
でも、この曲がアグネス最大のヒットになったのも、その辺にあるのかなぁ・・・。


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赤い風船 / 浅田美代子

1973_05_赤い風船_浅田美代子








今回の1曲セレクトは、「赤い風船」浅田美代子です。

まずはデータです。

・タイトル    赤い風船
・アーティスト  浅田美代子
・作詞      安井かずみ
・作曲      筒美京平
・編曲      筒美京平
・リリース日   1973年4月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 48.1万枚
・タイアップ:TBS系ドラマ「時間ですよ」劇中歌

今でこそアイドル全盛・・・っちゅうか1億総アイドル時代のような感じになっているけど、その源流を遡って行くと、70年代アイドルに行きつく訳ですわね。
まあ、それ以前にも今でいう「アイドル」に相当する歌手は居た訳だけどさ。
例えば60年代の弘田三枝子とか、当時のローティーン、ミルクティーンな歌い手は、今でいえばアイドルな訳だからさ。
でも、「呼称」として「アイドル」と言われたのが70年代に入ってからなんだよね。 南沙織、天地真理、小柳ルミ子の、いわいる「3人娘」が、その起源中の起源ですかねぇ。これが1971年だけど、本格的に70年代アイドルが花開いたのが1973年頃だろうな。

今回は、そんな1973年の今頃のアイドルヒットをセレクト。

浅田美代子「赤い風船」

歌い手はウタが上手くて当たり前・・・っていう常識を根底から覆して、しかもオリコン1位なんて「大ヒット」を飛ばしてたのが、このヒトのこの曲からだろうなぁ。
 アイドルはウタがヘタでも許される・・・っちゅう不文律がまかり通ったのが。 うん、少なくともそれ以前、小柳ルミ子は別格にしても、南沙織にしても、天地真理にしても、ウタはそれなりに歌えてましたからねぇ。

でも、このヒトは、「おんち」っていうのが、キャラクターになっちゃまして、しかも、それが受け入れけられたわけだからねぇ、これは、今からしてみれば画期的なことだったんだろうね。

画期的といえば、この曲、オリコンでは初登場から3週目で1位を獲得・・・っていうチャートアクションも画期的だったんだよな。

当時のチャートアクションをひも解いてみると 1973年4月30日付 32位初登場⇒2位⇒1位

・・・・と、初登場1位が当たり前の今では、全くなんてこたぁ無いチャートアクションに映るかもしれないけど、当時としてはこれは画期的なチャートアクションだったのですよ。
 
当時はロングヒットが当たり前の時代。チャートは、下の方がジワリと上昇しし、その末に1位になるって言うのがデフォルトなチャートアクションでしたからね。

まあ、物資流通も情報も今のように瞬時に日本全国に行きわたる訳ではなく、東京と地方では時間差があった時代だったわけでさ。これでもかなりのスピード1位獲得だったわけです。

ちなみに、wikipediaにも書いてあるけど、このチャートアクションが、80年12月にまっち先生の「スニーカーぶる~す」が初登場1位を獲得するまで、デビュー曲での最短1位獲得記録だったようですね。
(ただし、wikipediaでは「初登場2位」となっているけどこれは間違い。 初登場は↑で書いたように32位です)

売り上げ枚数の48.1万枚っていうのも、当時のアイドルの売り上げ水準から考えるとマックスに近い数字。
当時のアイドルは、50万枚が一つの「壁」になっていて、50万枚を突破した曲って少ないんだよね。
 それを考えると、この売り上げ枚数は、アイドルとしてはかなりのもんだったんだよね。それを考えると、人気あったんだよなぁ、この曲・・・ってのが良くわかりますねぇ。


ところで、この曲も昨日書いたC-C-B同様、筒美京平氏の作品だけど、今聴くと、アイドル曲っぽくないなぁ・・・っていう感じがするなぁ。
 京平氏の曲ってアイドルも、もっと垢ぬけている感じがするんだけど、この曲はアイドルポップスというよりも歌謡曲に近いイメージなんだよね。めっちゃ素朴だしね。

当時のアイドルの存在は、「アイドルはうんこしない」なんて言う都市伝説があったように、そのネーミングの通り「偶像」であったわけでさ、このヒトからだよね、となりの「○○ちゃん」っていう素朴さがまかり通ったのは。
 それが、そのまま曲にも出てきてる・・・・そんな感じの1曲だったよな。まあ、その辺の素朴さも人気あったんだろうけどね。

その辺はTBS系ドラマ「時間ですよ」っていう当時の国民的ドラマの劇中曲っていうこともあったんでしょうかねぇ。良く分かんないけど。。。

いずれにしても、この曲をきっかけにして、アイドルのイメージってがらっと変わったのは間違いないだろうなぁ。
そそそ、「アイドルは、かわいけりゃ、歌が下手でも許す」・・・っていう今に通じるフォーマットが出来上がったのも、このヒトのこの曲があったからだろうしね。




あー、これは73年の「歌謡大賞」の新人賞のときのだ。
でも、テロップが間違ってんだよね。 このヒトは、「東芝EMI」じゃなくて、「CBSソニー」だっちゅうの。
 
それにしても、このヒト「クリクリッ」とした目が良かったんだろうなぁ。
今の指原にも若干似てるかもしれん・・・・。 まあ、かなり譲歩してだけど。。。

↑でさんざん、ウタがヘタだ・・・って書いちゃったけど、最近はこの程度の歌唱力のヒトがいっぱいいるんで、そんなに違和感感じなかったりして。。。。 




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ひなげしの花 / アグネス・チャン

1973_01_ひなげしの花_アグネス・チャン








今回の1曲セレクトは、「ひなげしの花」アグネス・チャンです。

まずはデータです。

・タイトル     ひなげしの花
・アーティスト   アグネス・チャン
・作詞       山上路夫
・作曲       森田公一
・編曲       馬飼野俊一
・リリース日    1972年11月25日
・発売元      ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数  32.8万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年2月12日〜4月16日付

いつだったか、フィンガー5を書いた時、自分の中で一番古い記憶の「ヒット曲」は・・・って書いて事があるんだけど、これ読んでくださってる方々の、一番古い記憶の「ヒット曲」って何でしょうねぇ。

 個人的には、↑で書いたようにフィンガー5であり、そしてもう1曲あげるとしたら、今回セレクトしてきた、アグネス・チャンの「ひなげしの花」だろうなぁ。

ふむ、まあ、この曲に関しては、さすがにここ読んでくださっている大半の方は曲自体、よくご存知ですよね。

あの ♪ おっかの上 ひなげしのはなげ〜 ♪ ですわね。

アグネス・チャンとしては、「日本」でのデビュー曲がこれになるわけですね。

そそそ、元々は、香港で、お姉さんと歌っていたアグネスですが、そのお姉さんからの「推薦」でナベプロにスカウトされてデビューしたって言う経緯があるけど、もともとは、ナベプロ側としては、お姉さんのアイリーン・チャンをスカウトしたかったらしいですね。
 でも、自身はシンガーとしてではなくプロデュース側をやりたい気持ちが強く、妹のアグネスを推したようですね。
ただ、この曲を聴いても分かるように、必ずしも歌が上手い訳ではなかったアグネスを最初は、ナベプロは渋ったらしいですね。

それまでのナベプロと言えば、こと「音楽」については厳しい事で有名であり、歌は人並み以上歌えて当たり前でしたから。

まあ、その辺りは、同じ70年代アイドルで一歩先にデビューしていた天地真理さんを見れば一目瞭然って所でしょうかねぇ。

ただ、時代が求めていたアイドルはそうじゃなかったんですよね。歌のうまさよりもビジュアル先行。それとたどたどしい日本語が良かったんでしょうね。
 初めデビューに渋っていたナベプロ側を尻目に、デビュー曲のこの曲で、いきなりオリコン5位、32万枚を記録しちゃったわけだから。。。。

出し手側と、ユーザー側、求めているもののズレ・・・うーん、感覚のズレっていうのかなぁ、60年代あれだけの隆盛を誇り、ゲ―ノー界の絶対的勢力だったナベプロも、この頃を境に「新しい」アーティストがなかなか出てこなくなってくるんですよね。


ところで、↑で書いたように、この曲については、まあ、みなさんよくご存知ですよね。
でもさ、今聴くと、めちゃくちゃメロディが簡単なんだよなぁ。 まずもって、AメロとBメロしかないんだよね。

そそそ、例の ♪ おっかのうえ〜 ♪ のAメロと、 ♪ 愛の〜 涙は〜 ♪ っていうBメロだけなんだよね。

いや〜、昔の曲は、めちゃくちゃ「簡素」でしたよねぇ。 今みたいに、ごちゃごちゃと物語の「説明」がない。

この曲なんて、2分半ですよ。フルで流しても。 それでいて、未だにしっかりと、多くのヒトの記憶に残ってるでしょ。

 複雑なメロディと、説明的な歌詞にすりゃいい・・・ってもんじゃないんだよね、ヒット曲って。

ただ、やっぱ、メロディ自体は古臭いかなぁ・・・って言うのは拭えないかなぁ。
この曲の作曲は、森田公一氏。 森田氏のメロディラインって古臭いんだよなぁ。・・・なんて80年代から本格的にヒット曲を聴き始めたワタシなんかはそう感じるんだよなぁ。

森田氏のメロディラインって特徴的で、前強、後弱・・・つまりさ、4分の4拍子の曲で、1拍目と3拍目が強で、2拍目と4拍目が弱っていう、80年代の主流の逆のパターンなんだよね。 それと、「強」に合わせた、シンコペーションを多用したメロディラインね。

これを聴くと、「あー、70年代前半だよなぁ」っていう気分になったりしてね。うん、ワタシ的には、一時代前の・・・って感じなんですよね。
ま、実際は、そんな曲を物心つくかつかないかのころ聴いてたわけで、自分の中の音楽の原点なんだけどさ。




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神田川 / かぐや姫

1973_12_神田川_かぐや姫






今回の1曲セレクトは、「神田川」かぐや姫です。

 まずはデータでーす。

・タイトル      神田川
・アーティスト    かぐや姫
・作詞        喜多条忠
・作曲        南こうせつ
・編曲        木田高介
・リリース日     1973年9月20日
・発売元       クラウン
・オリコン最高位   1位
・売上げ枚数     86.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年10月8日〜12月31日付

 最近は、世代を超えたヒット曲ってほぼ「皆無」になっちゃいましたね。世代の断絶を意識しているわけじゃないだろうけどさ、あるターゲットにピンポイントにあたるヒットしかなくなった。
これねぇ、長くヒット曲を聴いてきてる者にとっては淋しい事ですね。昔はヒット曲は世代を超えた共通のモノだったんだけどねぇ。

 あのさ、実を言うと、今、ワタシが再認識を目指しているのは「ココ」なんですよね。 

年代を超えた楽曲の見直しっていうのかなぁ。

 結局さ、いい曲っちゅうもんは、世代を超えていいんだよね。
 だからさ、こういう、ヤング世代には「いい音楽の再紹介」を、ちょっと上のエルダー層には「なつかしいっ」って言ってもらえる曲を再度、掘り起こして提示する・・・っていう事をこの先もやって行きたいなぁと思っているんだよね。

 まあ、ワタシ的にも、そこそこ長い間ヒット曲見てきてるからさぁ、そろそろ若いコたちにも、こういういい曲があったねんって伝えたいし、逆にこれまで通り、同じ年代や、タイムリーに聴いてきた年代の方たちとは一緒に共有したいしね。

 さてさて、神田川ですが・・・・。

 まあ、この曲については、みなさん、ご存知だろうしなぁ、いまさら、ワタシのレビューもいらないかなぁとも思うんですが・・・。

 兎に角、この曲の大ヒットによって、「フォーク」っちゅうジャンルは完全にオーバーグラウンド的な存在になったって言えますよね。

 あ、オーバーグラウンドなんていう表現も死語かなぁ。要は今でいう「メジャー」ですね。
 反対の言葉として「アンダーグラウンド」、略して「アングラ」があるんだけど、これは、いまでいう「インディーズ」だよね。

 それまで、フォークは、商業は抜きにして・・・いわいるアングラが中心に成り立っていたわけだけど、まず、吉田拓郎がこれに風穴を開け、続いて井上陽水、そして、かぐや姫が、完全にフォークをオーバーグラウンドに押し上げたっていう、図式なんだよね。

 今でいえば、この人たちの功績によって、インディーズシーンで活躍していた人たちが一斉ににメジャーで大成功したってことだよね。

 で、そのなかでも影響があったのが、この「神田川」ということですわ。
 この曲の86.5万枚っていうセールスは、当時のフォーク系のシングルでは、圧倒的に群を抜いていますしね。

 まあ、それだけ当時のヤング、いまの団塊の世代には、絶大な影響を与えた曲だったわけですわ。

 まあ、この曲は同時の「ヤング」の生活観がそのまま曲に現れていたわけで、だから、ダイレクトに共感を得たんでしょうね。いわいる「四畳半フォーク」なんだけど。
 (でも実際歌詞では♪3畳一間の小さな下宿〜♪ なですけどね)

 いまでまは、ほとんど体験すること出来ない世界がそこにはあるわけで、これは、どの世代にとっても今ではノスタルジーなんですよね。
 この世知辛い世の中だからこそ、共感できるというか、一種憧れる部分があったりして、だから、今の若い世代にも共感される部分があるのかもなぁ。


 ちなみに、この曲、もともとはシングル曲ではないんだよね。もともとは、この73年7月にリリースされたアルバム「かぐや姫さあど」のB面の1曲目に収録されていた曲に過ぎなかったんですよ。
 うん、B面の1曲目っていうのが、如何にも時代を感じるでしょ

 ・・・で、そんな曲を自分たちがDJをしていたラジオ番組でOAしたところ、大反響で、急遽、73年9月20日に臨発扱いでシングルに切った曲だったんですよね。
 
 大反響っていうのは、当時のオリコンのチャートアクションにもされていて、73年9月20日リリースで、10月1日付ランキングでは早くも21位初登場。

 えー、最近のランキングしか知らない方には「ふーん」で終わっちゃうかもしれないけど、これは、当時としてはかなりの「ハイペース」なのですよ。
何せ「初登場1位」なんて、まだ1曲もなかった時代、それどころか「初登場10位」でさえ、ほとんどなかった時代ですから・・。

 そのあと、

21位⇒4位⇒2位⇒1位 ・・・と登場4週目、10月22日付では早くも1位を獲得。これも、当時としては異例の速さででしたね。
 ここから、6週連続で1位獲得したあと、1度2位へ転落したあと1位返り咲き、計7週1位を獲得したりしてます。
 この当時、73年って第1次アイドルブームで1位の入れ替わりも結構激しかったんだけど、「神田川」は異例に1位ロングランだったんだよね。

 それだけ、この曲の当時の人気の高さが分かりますね。


 なにをともあれ、この曲によって、そのあとのヒット曲界の流れは随分変わっていきましたよねぇ。いよいよニューミュージックの台頭が始まるわけですよ。
 その「狼煙」にもなった曲っていえるだろうなぁ。




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色づく街 / 南沙織

1973_10_色づく街_南沙織






今回の1曲セレクトは、「色づく街」南沙織です。

 まずはデータです。

・タイトル     色づく街
・アーティスト   南沙織
・作詞       有馬三恵子
・作曲       筒美京平
・編曲       筒美京平
・リリース日    1973年8月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位  4位
・売上げ枚数    29.6万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1973年9月17日〜10月29日付

 最近は、秋だというのに「秋っぽい」曲がめっきり少なくなりましたねぇ。
 ・・・・というか、もう10月も、もうすぐ半ばだというのに、今日も上着なしで外出したりしてるものふらふら
やっぱり、なんだーかんだーいうて、「温暖化」は確実に進んでいるんだろうね。
ウチらが子供だった頃から考えても、1ヶ月は季節のめぐりが遅くなっているような気がするな。

 今回引っ張って来た、曲は、南沙織の「色づく街」ですわ。
 これ、今ごろ丁度、ヒットのピークだったんだけど、それでもって「色づく街」ですよ、タイトルが。

 うーん、なんとなく、今、そう言われても、いまひとつ「ピン」と来ないかもしれないよなぁ。。。なんて思ったりして。。。

 最近、♪ 街は色づくのに〜 ♪ なんて言ったら、11月終わりから、下手したら12月に入ってから・・・なんて、感じだもんなぁ。

 この曲、今から42年前(exclamation ふらふら)の曲なんだけど、42年も経つと、大分、気候も変わったもんだよね。

 だってさ、この曲、リリースが、「8月21日」よexclamation ×2 

 たしかに、当時は、今に比べたら、ヒットのピークに乗っかるまで時間がかかったんで、季節先取りでリリースするのが、通常だったとは言え、8月に「色づく街」って言われてもなぁ・・・って感じだよね。今の感覚だと。。
今年だったら、まだまだ真夏日だったもんね。

 でも、考えてみたら、ワタシが子供の頃っていったら、10月中旬ってね、下手したら、もう寒かったもんね。
 まあ、田舎に居たからかもしれないけど・・・。体育の日あたりに、「いもに会」とか、山の川原でやったり。。そーいえば、そのころって言ったら、すでに紅葉も始まってたし・・・うん、すでに、秋まっさかりの頃・・・なんだよね、昔なら。。



 まあ、そーいうことで、42年前は、既に秋真っ盛りの今ごろに、ピッタリの曲だったんだよね。

 もちろん、42年前っつうたら、ワタシャ4歳・・・ってことで、リアルタイムでは、この曲聴いてませんけど。。。

 うん、この曲の存在を知ったのは、実は、82年の「三田寛子」のカバーバージョンだったりするんだよね。。ふらふら

 ↓ これこれ
フォト 

ついでに音源



 三田寛子の3枚目のシングル。
 もちろん、カバーなんて知らなかったから・・・あせあせ、最初は、三田寛子のオリジナルだと思ってたんだよなぁ。
 
 こちらは、もう、何年も聴いてないから、すでに忘れちゃったけど、兎に角、独特のメロディラインが魅力的だったんだよね。

 うん、「筒美京平」って、意識したのは、多分、この曲からだとおもう。実を言うとさ。

 ま、一言でいえば、ポップス歌謡なんだけど、「歌謡曲」って一言で、済ましてはいけないような、独特のフィーリングがあるのよ。
 まあ、言ってみれば、「バタ臭い」っていうか、「日本的」な匂いだけではない、何か・・・。
 歌謡界の「文明開化」っていうか、和洋のいいところをミックスした、そそそ「和洋折衷」なメロディラインなのよ。

 なんか、そこにゾクゾク感じるもんがあったんだよね、ワタシは。


 で、そのあと、オリジナルの、この南沙織バージョンを聴いて、音源も手に入れたんだけど、一言で言って、堂々としてるんだよね。
 南沙織のボーカルって。三田寛子のは、こんなにボーカルが太くなかったよな。もっと「か細い」感じがしたな。
 だから、最初は、ちょっと違和感があったのを覚えてる。 まあ、こっちがオリジナルだから、本当は、三田寛子の方が違和感を感じるんだろうけどさ、本来なら。

 でも、今考えたら、82年のあの時期のカバーブームで、70年代アイドルの主要曲を覚えたようなもんだったなぁ。
 あれから、時代をさらに遡って、曲を掘り下げていくきっかけになってたんだよね、ワタシの場合。
 だから、本来は、そーいう、感じで、底辺を広げるためにも、カバーっていうは、必要だとは思うんだけど、何分、最近のカバーは、あまりにも安易なデキなもので、昨日の「ヒットチャートフラッシュ!」で書いたようになっちゃうんだよなぁ・・・気分的には。。




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わたしの彼は左きき / 麻丘めぐみ

1973_09_わたしの彼は左きき_麻丘めぐみ








今回の1曲セレクトは、「わたしの彼は左きき」麻丘めぐみです。

まずはデータなのだ。

・タイトル    私の彼は左きき
・アーティスト  麻丘めぐみ
・作詞      千家和也
・作曲      筒美京平
・編曲      筒美京平
・リリース日   1973年7月5日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 1位
・売り上げ枚数 49.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年7月23日〜10月1日付

昔はさあ、月刊明星とか読んでると、よく、好きなアイドル対決なんてやってたよなぁ。「○○ VS ××」とか。
ワタシなんかは、世代的に80年代アイドルの「はしり」の頃だから、よく見かけたのが、「松田聖子 VS 河合奈保子」だったよなぁ。

 で、ワタクシは性格的に捻くれているんで、いつも「トップ」アイドル軽視なんだよね。だから当時も、松田聖子よりも、河合奈保子の方が全然好きだった。
 ま、それよりももう少し遡って、「ピンク・レディー VS キャンディーズ」の時も、断然キャンディーズ派だったしね  そそそ、いつも「2番手」が好きなんですよ。

それを考えたら、もっと遡って70年代前半、「天地真理 VS 麻丘めぐみ」ってなった時も、きっと麻丘めぐみ派だったんだろうなぁ・・・。 って絶対そうだと思うなぁ。
 うん、世代的に70年代前半は、まだアイドルは誰が好き? ってのは無かった・・・・・うんにゃ、「アグネス・チャン」が好きだったような。。。。。たしか。。。

でも、今だったら、断然、麻丘めぐみ派だよなぁ。

やっぱりね、このヒトの場合は、声質にうるうるきちゃうんだよね。少し鼻にかかった声がさあ。 まあ、生理的なことだけど、ここが「許せん」って言う方は、どこまでも「ダメ」だと思うんだけど、ワタシは好きなんだよね。

 で、もって「わたしの彼は左きき」ですよ。

この曲は、麻丘めぐみさんにとって最大のヒット曲であり、唯一の、オリコン1位獲得曲。 まあ、当時は「天地真理」さんの人気が絶大でしたからねぇ。それはヒットチャート上でも如実に出ていたわけで、1位獲得も難しかったわけで。この曲も天地真理さんの「恋する夏の日」と、バッティングする形でチャート争いを繰り広げてきたわけだけども、3週早くリリースしたアドバンテージで、僅か1週だけども1位を獲得出来たんだよね。ちなみに、次の週からは「恋する夏の日」の独壇場だったわけで。。。
(ただし、トータルの売り上げでは「わたしの彼は左きき」の方が上)

 曲調的にも「攻め」の天地真理さんにたいして、この曲は、あくまでも「大衆的」っていうイメージが強いですね。
その都度時代の先端の曲調を行っていた筒美氏の曲にしては珍しく、それほど「攻め」って言う感じではなく、おとなしい展開ですしね。
 まあ、その辺は、麻丘めぐみさん自身のキャラクターに合わせて・・・って感じだったんだろうな。

・・・かといって「駄作」かというと、そうじゃない、きっちり印象に残る・・・ってところが、ただじゃ転ばない筒美らしい曲調なんだけどさ。
 ベースラインなんか聴くと、若干、ジャジーな展開だし、いつもながらの「バタ臭さ」っていうのは、しっかり感じちゃったりして。。

 まあ、この曲は曲調もさることながら、やっぱり歌詞だよね。 「左きき」にスポットあてた曲っ、それまではそうそうなかったと思うしなぁ。
 いや、当時は、左ききって確実に「マイナー」な存在だったんですよ。いや、ワタシも「根」は左ききで、字を書く以外はほとんど左ききなんだけど、当時は、いろいろ苦労したのを覚えてるわぁ。

 ウチは両親とも右ききだったから、例えば「おはし」の使い方とかさあ、左じゃ出来ないんで、まともに教わらなかったし。。。それとハサミね。 今でこそ左きき用のハサミって普通にあるけど、当時は、あんまりなくってさあ。幼稚園の時も、左じゃまともに切れない、右きき用のハサミを使わされてたよなぁ。
 よく、左ききは「ぶきっちょ」とか言われてたけど、単純に左きき用の道具が少なかったんで、「不器用」に見えるんだよね。

そんな時代に「左きき」にスポットをあてた、この曲は、やっぱ「救世主」てき存在だったんだよね、「左きき」にとっては。
 
 で、まあ、この曲は「私の事か」・・・と単純なことで喜んでしまう、「左きき」のワタシなわけですわ。(→ありきたりなコメント


ちなみに、この曲、81〜82年頃のカバーブームに乗っかって、82年に新井薫子さんが第4弾シングルとしてカバーしたんだけど、これが全く売れなくてねぇ。 個人的にも、全然刺さらなかったことを覚えてるよぁ。
 やっぱし、この曲はオリジナルの麻丘めぐみさんのイメージがでかいんだよね。

 
  

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