かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1971年

わたしの城下町 / 小柳ルミ子

1971_07_わたしの城下町_小柳ルミ子


今回の1曲セレクトは「わたしの城下町」小柳ルミ子です。

まずはデータです。

・タイトル    わたしの城下町
・アーティスト  小柳ルミ子
・作詞      安井かずみ
・作曲      平尾昌晃
・編曲      森岡賢一郎
・リリース日   1971年4月25日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  134.3万枚
ベストテンランクイン期間:1971年6月28日〜11月15日付

 ネットニュースでも話題になっていますが、作曲家の平尾昌晃氏が死去されたとのこと。
70年代を中心に数々のヒット曲を飛ばしたし、ゆえに、昭和を代表する大作曲家一人と言う事は間違いない訳で。作曲家別の売り上げを見ると、最も売り上げが高かったのは1974年で、この年の作家別売り上げランキングは、巨人・筒美京平氏の4連覇を阻止すべく、売り上げ1位を記録してたりする。

今回の1曲セレクトは、そんな平尾昌晃氏追悼と言う意味も込めて、セレクトすべきだよな・・・って言う思いが真っ先に頭を駆け巡りーの、本当は90年代の曲を持ってこようと思ってたんだけど、急遽変更・・・。

たださ、正直言うと平尾昌晃氏っていうと、個人的には「一世代前」の作曲家って言うイメージもあるんだよね。
まあ、リアルタイムとして自身と畑中葉子さんのデュエット「カナダからの手紙」があるけど、これは「冬」のヒットだしさ。

それに、筒美京平氏のような完全ポップス系というよりも、少々「和」のテイストがかった「歌謡曲」が多かったからさあ、完全な好みとはちょっとズレでるな・・・って言う思いもある。。
なので、意外と平尾氏の曲って個人的な持ち音源が少ないんだよね。

だからさあ、どの曲にすべーかな・・・と迷ったんだけど。。。

こういうときは、やっぱ直球勝負だよね・・・・。 とセレクトしてきた曲がこの曲。


小柳ルミ子「わたしの城下町」

うわっち、めちゃくちゃ「有名な曲」。 でもさグッドタイミングというか、46年前のちょうど「今頃」、オリコンで1位を獲得、これは書き頃だわ・・・と言うことで、持って来ました。。。。

 まあねぇ、ここまで大ヒットな曲となるとセレクトとは言わないだろうし、だから普通の「セレクター」な方は持ってこないだろうけどさぁ。うむ、セレクターとして恥ずかしいもんな。

But、ワタクシは持って来ますよー。

って言うくらい、誰でも知ってる曲だし、現に売り上げ130万枚強っていうミリオンセラーだもんね。
オリコンでは1971年7月26日〜10月11日付まで12週連続1位なんていう超ロングセラーだったりしてさ。
しかも、これが小柳ルミ子さんの「デビュー曲」だって言うんだからビックリだぁ。

ちなみに、デビュー曲としていきなりのミリオンセラー、ヤマハポプコン系などいわいる「一発屋」と世間で言われる、単発ヒットの方々には他にも居たりするんだけども、その他多数ヒットを持ちしかも長年第一線で活躍してるアーティストとすると、この後、81年のまっち先生の「スニーカーぶる〜す」まで無かったんじゃないかなぁ。

それだけ「スゴイ」ことなんだよね、デビュー曲ミリオンセラーっていうことは。

後に、天地真理さん、南沙織さんとともに「3人娘」として、70年代アイドルのトップバッターを切った小柳ルミ子さんだけど、こと売り上げ枚数だけを見ると、他の2人の比じゃなかったんだよね。

先日天地真理さんの「ひとりじゃないの」の時、70年代アイドルの売り上げは「50万枚」が壁って書いたんだけども、小柳ルミ子さんには、そんな壁なんて心配は全く無用だったわけよ。

その最大の要因は、やっぱ「曲調」なんだろうなぁ。うん「和」テイストの歌謡曲だったって事が良かったのよ。

・・・なんて書くと、80年代以降の「ポップス・ロック」優勢なヒット曲を聴いてきたワタシらの世代には信じられないけどさあ、結局、70年代、特に70年代前半っていうのは「歌謡曲」が絶対的な人気を持っていたって事。

結局さ、ポップス系を支持していたのは当時のティーンエイジャー。 それに対して、それ以上の世代は「歌謡曲」だったってことなんだよね。
 言うまでも無く、当時の歌謡曲の支持は、人口比として圧倒的だった訳さ。

だから歌謡曲路線でひとたび火が付けば、ミリオンセラーもいとわない「超大ヒット」になり得たって事なんですわな。
ま、これは、例えば、72年のぴんからトリオの「女のみち」が300万枚セールスとか、殿さまキングスの「おんなの操」が200万枚近いセールスだったとかを見ても分かる事なんだけどさ。

そんなこともありーの、この「わたしの城下町」がミリオンセラーとなったっていうのも、当時のヒット曲界の「趨勢」をみれば、ある意味では必至だったのかもしれないんだよな。
逆を言うと、この曲のミリオンヒット曲をきっかけに、「歌謡曲」のメガヒットの拡大が加速したとも言えるかもしれないけどさ。

まあ、それだけじゃなく、当時の「ワタナベプロ」の力が巨大だったとも言えるんだけどさ。
元ワタナベプロの「番頭」格だった松下治夫氏の「芸能王国渡辺プロの真実」によると、兎に角、小柳ルミ子さんは、ナベプロ総帥の渡辺晋氏の「お気に入り」だったとのこと。

そんな小柳さんのデビュー曲ということは、力の入れようもハンパじゃなかったと思うしさ。
アイドルというカテゴリーに入れながら、ポップスではなく「和テイスト」の歌謡曲路線だったのは、そんな渡辺晋氏の思い入れの部分が相当強かったからなんだよね。

そんなデビュー曲な訳だから、まあ売れないわけがない・・っていうのも確かにある。
なんせ、当時の渡辺プロの力があまりにも巨大だったため、この曲の翌年に日テレの「スター誕生」が生まれたっていうくらいだからさ。

ただし、等の小柳ルミさん本人は、この曲のような「歌謡曲路線」には抵抗があったよう。
なにせ当時19才のティーンエイジャーだったわけで、歌謡曲よりもポップスだよな・・・とも思うし、なにより宝塚音楽学校出身という経歴からして、もっと華やかなミュージカル風の曲が歌いたかったとのこと。

ま、そこは、巨人・渡辺晋氏のまえでは口が裂けても言えなかった訳でさ・・・。
後年、派手派手な路線に行ってしまったのは、この当時からのうっぷん晴らしもあったようですね。


ちなみに、当時、小柳ルミさんはワーナーパイオニア所属。
外資のワーナーが、なぜにこんなあからさまな歌謡曲路線? っていうのもちょっと不思議だったんだけどさ、ま、それは日本法人設立の際、渡辺プロが出資したからなんだわな。
ま、それは、ナベプロ「自身」のレーベル「SMS」が設立するまで続く訳だけど、当時のワーナーパイオニアが「歌謡曲」色が強かったのは、当初のそんな所からの「文化」が引き継がれていったんだろうね。



ウーム、ながながとした文章をかいたけど、この曲の「説明」は、この動画を見てもらうだけで十分かも。。。。


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雨がやんだら / 朝丘雪路

1971_05_雨がやんだら_朝丘雪路


今回の1曲セレクトは、「雨がやんだら」朝丘雪路です。

まずはデータです。

・タイトル     雨がやんだら
・アーティスト   朝丘雪路
・作詞       なかにし礼
・作曲       筒美京平
・編曲       筒美京平
・リリース日    1970年10月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数  32.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1971年3月29日〜5月17日付

自分が記憶に残る「最古」の曲って何でしょうかねぇ〜。
あー、また、訳分かんない出だしにしてしまった。。。  うーむ、前も同じような疑問を投げかけた事があったような気がするけど、その時は確か、フィンガー5の「恋のダイヤル6700」って書いたような気がする。

うん、確かにね、「物心」ついた後の最古の記憶としては、フィンガー5だったような気がするんだけどさ。
でもね、死んだ母親にしてみると、そうじゃなかったらしい。。。

昔、「あんた、よく歌ってたんよ」って聞かされた曲が、五木ひろしの「よこはまたそがれ」と、もう1曲が今日セレクトしてきたこの曲だったんだよな。 うーん、ワタシゃ、全く記憶にありません・・・なんだけどなぁ。。

・・・ということで、今回の1曲セレクトは、そんな「物心」つく前によく歌ってた曲。

朝丘雪路さんの「雨がやんだら」。

うむ、昨日書いた、クールファイブの「長崎は今日も雨だった」が「雨」の曲だたんで、そのアンサーソングではないけど、雨上がりの曲もいいかな・・・なんておもってたら、丁度目にとまった・・・こともありまして。。。

でもねぇ、この曲、ホント記憶になかったんですよね、母親に言われるまでは。

・・・というか、初めはタイトル見て、全然曲が思い浮かばなかったモノ。 いわんや誰が歌っていたのかも全く記憶にあらず。。。。

実際に、「あーこの曲かぁ」って思ったのは、88年に放送された「レコード大賞30周年記念」で過去の各賞受賞で流れたVTRを見てですよ、確か。

うん、この曲は、1971年第13回レコード大賞で、「作曲賞」をとったんだよね、確か。 作曲は筒美京平氏ですよ。
ちなみに、筒美氏は、この年、尾崎紀世彦氏の「また逢う日まで」でレコード大賞。南沙織さんの「17才」で新人賞・・・と、レコード大賞の主要3部門受賞と・・・当たり年だったんだよね。

たださ、いまこの曲を聴くと、「え? これ、筒み京平氏?」なんて思うような曲調なんだけどさ。 うん、完全なる「歌謡曲」。
個人的には、70年代後半以降の日本の「キング・オブ・ポップス」といえるような「ポップス」な筒美京平氏しかリアルタイムでは知らないからさ。 この完全なる「歌謡曲」な曲想にはかなり違和感を感じたりしたもんなんだよな。

ただ、メロディライン、特に

♪ 雨がやんだら お別れなのね 二人の想い出 水に流して〜 ♪ っていうAメロの部分。 ココですよね。

普通の「歌謡曲」とは違うところは。

出だしの ♪ 雨がやんだら〜 ♪ っていうメロディラインからして、「うむ、これは違うぞ」っちゅう、とっかかりを感じるけど、 その後の ♪ 二人の想い出〜 ♪ っていう「半音ずつ」上がって行くメロディラインだよなぁ。

この2つのフレーズだけで、「作曲賞」を取ったっていってもいいんじゃない? って言うくらい印象深いんだよな。

兎に角、♪ 二人の想い出〜 ♪って言う部分のメロディラインのグルーヴ感が堪らないんだよな。 なんて言うのかな思わず背中が「ゾクゾクッ」とくるような。。。。 いい意味で。

これと同じように「半音階」をウマく使った曲としては、78年の大橋純子さんの「たそがれマイラブ」なんかもそうなんだけどね。 うん、この曲も同じように、いい意味で背中に「ゾクゾクッ」としたものが走ったもんなぁ。

まあ、最初に書いたように、この「雨がやんだら」の時は、ワタシ的にはまだ物心が付いてなかったんで、意識的な事ではなかったけど、結局は同じような所に引っかかったんだろなぁ。 


ただ、それにしてもやっぱり、歌謡曲なんだよなぁ、この曲は。 一体どこが、ポップスではなく、歌謡曲なのか・・・っちゅうと、やっぱアレンジなんだよね。
「むせび泣く」テナーサックスで始まるイントロ。 これを聴いちゃうと、昨日の「長崎は今日も雨だった」ぢゃないど、いやがおうにも「ムード歌謡」な印象が出てきちゃう訳でさぁ。 バックも、いかにも「ワワワワ〜」なんてコーラスが入りそうな3連ぽいリズムだしね(実際は「ワワワワー」なコーラスは無いけど)

うーん、これは、アレンジャーの森岡賢一郎氏の世界だなぁ〜・・・・と思ってたら。。。。

ありゃりゃ、この曲、アレンジも筒美京平氏なんだ。。。。

うーむ、これにはちょっとビックリ。 筒美氏がこんなモロ「歌謡曲の王道」のようなアレンジをしていたとは。。。

まあ、それだけ、当時のヒット曲界といったら、ムード歌謡な世界観が一番のヒット頭だったってことなんだろうね。筒美氏が常々言ってる事だけど、ヒット曲作家の使命はいかに「ヒット」する曲を書くかだったわけで、自分の趣味嗜好とは違ってますからね。 そう言う意味でも、この手のムード歌謡が、当時のヒットの王道だったってことなんだよね。

ちなみに、この曲の半年前にリリースされた、いしだあゆみさんの「あなたならどうする」って言う曲も、同じく 作詞 なかにし礼、作曲 筒美京平っていうコンビで書かれてるけど、この曲もモロ歌謡曲だしね。 まあ、ムード歌謡というよりは、少しタイプは違うけど。

まあ、これが昭和45年(1970年)っていう時代だったのかもな。 うん、この「雨がやんだら」は1971年のヒットということになってるけど、リリースは1970年だったしね。
そうなんだよね、リリースからベストテン入りするまで半年もかかってるんですよ、この曲。
ただね昨日の「長崎は今日も雨だった」でも書いたように、この当時は、リリースからベストテンヒットになるまでに時間がかかるって言うのはザラだったわけでさ、逆に言えばベストテン入りするような曲は、ほとんどがロングヒットと言う時代だったんだよね。 まあ、だからそれほど驚くことでもないんだけど、今のヒットパターンを中心に見ると、全く違うからなぁ、違和感は感じるところなんだよね。

この曲をプロデュースしたのが、CBSソニーの酒井政利氏で、いしだあゆみさんの「あなたならどうする」を聴いて、アダルト路線を思いつき、この曲の誕生となったようですね。

ただ、翌71年リリースの曲になると、ヒットのタイプががらりと変わってくる。そそそ歌謡曲の王道路線から、「ポップス」って言うキーワードが入って来るんだよな。 それによって筒美氏の曲調もガラッと変わってくる。

こんな時代の変化を追いかけるのもヒット曲をクロニクル的に聴く時の面白さだったりするんだけどさ。



↑で、この曲では ♪ワワワワー♪コーラスは使ってなかったけど、・・・ってかいたけど、使ってましたね。。。
スミマセヌ。。。


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あの素晴しい愛をもう一度 / 加藤和彦 北山修

1971_06_あの素晴らしい愛をもう一度_加藤和彦 北山修


今回の1曲セレクトは、「あの素晴しい愛をもう一度」加藤和彦 北山修です。

まずはデータです。

・タイトル    あの素晴しい愛をもう一度
・アーティスト  加藤和彦 北山修
・作詞      北山修
・作曲      加藤和彦
・編曲      葵まさひこ
・リリース日   1971年4月5日
・発売元     東芝音工
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数 23.9万枚
・ベストテンランクイン期間:1971年6月21日付

どうもPCの調子が今一つ良くない。立ち上げると長い時間HDDをガリガリガリ・・・と。どうも、OSのシステムのどこかにエラーが発生しているようだ。ちょっこっと調べなきゃいけんな。。。
ここ数日、そんな状態が続いていて、一昨日少しイラッと来たので、昨日は、なんも書かずに寝ちゃいましたが、流石に2日空けるのは「痛い」と思いーの、本日はPCを立ち上げましたわ。

ま、昨日1日間をあけたのは、ここのところアイドルが続いたんで、ちょっと傾向を変えようと思い、1日クールダウン日を作ったってのもありますけどね。

・・・ということで、今回は、前回のキョンキョンからは、また、かなり傾向が違う曲です。
しかも90年代から、一気に時代を20年遡り70年代初頭です。

加藤和彦 北山修「あの素晴しい愛をもう一度」

うーむ、どうだろう? この曲と言ったら、やっぱし、学生時代の音楽の教科書の・・・っていうイメージになっちゃうのかなぁ。
 いや、正直言うと、ワタシもそうだったからねぇ。 この曲っていったら、中学校の時の音楽の時間に「合唱」曲としてやった・・・っていうイメージがあったしな。
 まさかね、オリコンでベストテン内入りしてた「ヒット曲」だったっていうのは、知らなかったんだよねぇ、昔は。

オリコンでベストテン入りしてた、オリジナルは、元フォーククルセダースの加藤和彦氏と北山修氏のディオだったって知ったらのは、実は高校生の頃だったんだよな。

この曲と言ったら、イントロでも象徴されるように、アコースティックギターでのスリーフィンガー。

最近のヒット曲では、ほとんど聴かなくなった、アコギのピッキングテクニックの一つだよね。
・・というか、最近は、「プロ」のギター弾きでもスリーフィンガーもアルペジオも出来ないヒトも多いって言うからなぁ。 最近は、ジャカジャカ、ストロークしてるだけっていうバンドマンも多いしさぁ。
情けないよなぁ。

最近は、ギターテクニックを売りにしているギターマンも少なくなったしなぁ。MIYABIくらいか、若手で超絶ギターテクニックを売りにしているのは。

でも、この曲を最初に聴いた時は、一体どうやって弾いてんだろう? なんて思ったもんですわ。

まあ、ワタシ自身、ギターは全然ダメなんで、弾けもしないんだけど。

でも、やっぱり、アコギでのスリーフィンガーやアルベジオを聴くと、「自分の時代」の曲っていう感じがするんだよなぁ。安心する。

ジャンル的にはフォークに分類されるんだろうけど、この時代70年代に入った頃のフォークは、この後歌謡曲方向へコミットする流れと、ニューミュージック方向へ流れ、その後ロックと融合するフォークの2つに分類させて来ていたように感じるんですよね。

この曲はどっちだろう? 

やっぱり後者ですよね。、後にニューミュージックへ発展するフォーク。まあ、個人的な見解だけど、この後、加藤和彦氏は、サディスティック・ミカ・バンドで本格的にロックに向かいましたしね。
 なにより、少なくともこの少しあとにブームとなった「四畳半フォーク」のようなジメッとした閉鎖的な空気感が無いんだよね。解放感がいっぱいじゃん。
 そんな解放感・・というか自由な空気感が、後のニューミュージックに繋がっているような気がするな。

・・気がするな・・っていうのはいささか説得力が無いけど、如何せん、個人的にはまだ、リアルタイムに経験した訳じゃないからなぁ。
 この曲のヒットが1971年の今頃でしょ。ワタシゃまだ2才になる少し前だしさあ。

ただ、時代背景的には、この頃って好きなんだよな。もちろん、2才とは言え、すでに生まれていた訳だから、この時代は空気は吸っていた訳だけど、なんせ記憶にないからなぁ。 後5年は早く生まれたかったですねぇ。




トノバン(加藤和彦)氏も亡くなってしまった今、この曲も加藤和彦氏の生演奏では聴けなくなってしまいましたね。
時代と言えばそうなんだろうけど、加藤氏には、もっと長生きして欲しかったですよねぇ。



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家をつくるなら / 加藤和彦

1971_10_家をつくるなら_加藤和彦








今回の1曲セレクトは、「家をつくるなら」加藤和彦です。

 まずはデータです。

・タイトル    家をつくるなら
・アーティスト  加藤和彦
・作詞      松山猛
・作曲      加藤和彦
・編曲      不明
・リリース日   1971年10月5日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 60位
・売上げ枚数   0.6万枚

 えー、今日の1曲セレクトは、「古典」でございます。。。
時は、今から44年前の今ごろ・・・。

・・・となると、まあ、これ、読まれている方の中にも、ほとんど記憶にございません・・・な方もいらっしゃるんじゃないかなぁ。
 ワタシも当時2歳。もちろん、この曲がリリースされたころに、タイムリーで、この曲を聴いた記憶はございません。

 でも、きっとみんな知ってるはずなんだよね、この曲。

 だってさ、何年か前まで「パナホーム」のCMで頻繁に流れてたもん、この曲。

 ♪ 家をつくるなら〜 (家を建てるなーらばー)
   家をつくるなら〜  (どーしよーかなー) ♪

って曲、覚えてません?

 はい、あの曲です。

 いい感じのペダルギターの音色のイントロで始まる、とってもカントリーな3/4拍子の曲ですね。

 もちろんさ、それまでは、ワタシも、この曲の存在を全く知らなかったんですよ。ましてや、あのフォークルの加藤和彦氏が、オリジナルで、ソロでリリースしてたことなんかも全く知らなかったし。

 でもさ、なぜか、家にあったんだよねぇ〜 音源が・・・。
昔、まだLPの頃買った、通販のニューミュージックオムニバス全集に、この曲が収録されてたの。

 いや、この曲なんだ、ってわかるまで、ずっと、そこには針落としてなかったんだね〜。

 うん、結構、買った当時は聴いてない曲が結構あって、今、聴きなおしてみると、なんだ、持ってたんじゃん・・・っていう音源が結構あるんだよね。

 ちなみに、そのオムニバスアルバムは、1983年に購入した、CBSソニーファミリークラブっていう通販から販売されてた「フォーク、ニューミュージック大全集」っていうアルバム集。全12枚セットなんだけどさ。
(もちろん、今はすでに販売しておりません)


 この曲、全編聴いてても、けっこういい感じなんだよね。心和むっていうか、やさしい気持ちになれるっていうかさ。

 1971年ってヒット曲界は、ひとつのターニングポイントを迎えた年だと思うんだよね。ひとつが筒美京平氏の大活躍。ひとつがGSの終焉。ひとつがフォーク全盛。

 そのフォーク全盛の中でも、2つの流れに分かれる。一つが社会派フォーク。もうひとつが和み系フォーク。

 前者は、70年代安保の流れを引きずったまま人生を語っているようなフォーク。71年前後は、岡林信康が一種の「教祖」のような存在だったけど、この年の8月に行われた、第3回中津川フォークジャンホリーを境に、その座は「よしだたくろう」に交代する。
 よしだたくろうも、「結婚しようよ」「旅の宿」など、いわいる「ヒット曲路線」を走る前で、インディーズレーベル「エレック」から、「人間なんて」なんかをリリースしてたころだ。

 もう一方の「和み系」は、その前身は、いわいるカレッジフォークの亜流で、どちらかと言えば、関西フォーク(URC)がその中心にいたような存在だったんだよね。

 その教祖ともいえるのが、加藤和彦氏だったわけだけどさ。

 かたや、「人間なんてララララララララ」なんて、生きるってなんだ? なんていう、哲学的な思想下のフォークであったのに対して、「家をつくるなら〜、こうしたいな ああしたいな〜」みたいな、とっても夢があるフォークを展開してたのが、このころの加藤和彦氏。

 どうなんだろう? その辺の「社会の空気」はよくわかんないんだけどさ。社会派フォーク派からしてみれば、当時の用語ていうところの「日和見主義」的に見えたのかなぁ・・・。

 ただ、そんな社会派フォーク派だった、よしだたくろう氏が、商業主義に転じて、非難を浴びながらも、後年まで「フォークロック」にこだわったのに対して、これを境に、あっさり「フォーク」というものに見切りをつけて、サディステッィク・ミカバンドっていう、全く新しい形のロックに行ってしまった加藤和彦氏っていうのも、あの時代から見れば、皮肉な結果になってしまったのかも知れないけどさ。

 まあ、関西フォークは、フォークとは名乗っているけど、あくまで自由主義なんだよね。音楽の形式はこだわらなんだよね。そこが、あの後すぐに衰退した社会派フォークとちがって、あとあとまで生き延びてこられた、大きな要因かもしれないし、後のニューミュージックやAOR系にも大きな影響を残すんだけどさ。

 この曲もその片鱗はちょこっと見えるんだよね。カントリーフォークでありながら、どこか、それまでのフォークとは違うっていうかなぁ。
 どことなくソフトロックっぽいんだよね。ソフトロックは、次の年72年あたりから、音も手舞台には必ずしも出てきてなかったけど、陰ながら時代を席巻したりする。うん、いまでいう、ジャパニーズオルタナの起源は、このあたりから続いてる系脈な曲なんだよね。

 この曲は、いわば、その「祖」となるような曲の1曲ぢゃないかな。


 でもさ、「家をつくるなら」・・・・ああしよう、こうしよう・・なんて夢があっていい曲じゃん。
 まあ、この曲の場合、「草の香りがするカーペット」とか「天体観測が出来る透明な屋根」とか「花が咲いてるベッド」とか・・・大工さんに注文したら、「そんなのできねぇよ」なんて言われそうな歌詞なんだけどさ。

 ワタシだったら・・・・どうしよかなぁ・・・・。、地下に完全防音のスタジオがあって、でっかい水槽が置けて、遠くに太平洋が望める家がいいな。


・・・なんて、すでに家もってるんだけどさ・・・築35年の中古物件だけど・・・。

 夢だよね、夢。


動画・・・You Tubeにもこの曲あるんだけど、リンクを貼るとはじかれちゃうんで、直接You tubeにリンク

https://www.youtube.com/watch?v=YNhqeSwfx7Q



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真夏の出来事 / 平山三紀

1971_09_真夏の出来事_平山三紀






今回の1曲セレクトは、「真夏の出来事」平山三紀です。

 まずはデータです。

・タイトル     真夏の出来事
・アーティスト   平山三紀
・作詞       橋本淳
・作曲       筒美京平
・編曲       筒美京平
・リリース日    1971年5月21日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位  5位
・売上げ枚数    27.9万枚
・ベストテンランクイン期間:1971年9月6日〜10月11日付

 昨日書いたサザンの「真夏の果実」もそうだったけど、音楽の世界では、9月に入ったら、「秋の歌」がヒットして・・・って、事は意外と言い切れないんですよね。

 例えば、今日引っ張ってきた、平山三紀さんの「真夏の出来事」。

 タイトルのとおり、内容は「真夏」の出来事について・・なんだよね。

 ♪ 彼の車に乗って 真夏の夜を走り続けた
   彼の車に乗って さいはての町 私は着いた 〜 ♪

って感じでさ。

 全く秋の様相は感じない曲なんですよね。なにしろタイトルからして「真夏の出来事」ですから。


 でも、ヒットのピークは、その年の9月〜10月だったりする。

 う〜ん、ちょっと季節はずれ。。。

 そんなわけで、必ずしも曲内容とヒット時期は重ならないこともあるわけなんですよね。

 しかしさ、詞の内容もそうだけど、この曲の場合、メロディラインとアレンジも凄いんだよね。

 この曲、今から44年前の曲だけど、全くそれまでの「歌謡曲」らしくない味付けなんですよ。

 大体においてメロディラインが、かなり複雑ですよね。あの当時としては。ただ、平坦なメロディを追いかけて行けばいい・・・っていう、当時の歌謡曲のメロディラインに対して、この曲は、バックのリズムにのって、メロディラインを追いかけていかなきゃいけない。

 しかも、そのリズムも、単純な8ビートではないんだよね。
これ、なんていうリズムっていうのかなぁ。。。。

 うーーん、この頃流行ってたシェークって感じなのかな。 8分音符とのシンコペーションが延々と続く・・と言った。今で言う、「ハネ」系の走り的なリズムなんだけど、いずれにしても、この曲以前には、こういうバタ臭い、モダンなリズムの曲って言うのは、そうそうなかったよね。 少なくとも、カバーではなく、邦楽オリジナル曲としては。

 同じ年のレコード大賞を受賞した尾崎紀世彦の「また逢う日まで」も、リズム体にシェークを使ってましたしね。

 作曲は、同じ筒美京平氏なんだけど、あのころは、筒美氏って、作曲と同時にアレンジもやられてましたからね。 だから、曲の手法としては、ほとんど同じなんですよね。

 ただ、この「真夏の出来事」の方がより、リズム強調型で、メロディラインも複雑だったんですけどね。

 今は、言葉を詰め込めるだけ詰め込んだメロディラインなんで、必然的に譜割が複雑になった曲が多いけど、あの時代、1971年っていう時代においては、これだけ複雑な譜割の曲はなかったんじゃないかなぁ。

 確かに、前年の1970年にオリコン1位を記録した、森山加代子さんの「 白い蝶のサンバ」なんかは、16分音符に歌詞を詰め込んだ・・・なんて斬新な作りになってたけど、この曲のメロディはもっと複雑なリズムだったしなぁ。

 ただ、その複雑なメロディラインにのっかった、このヒトの「鼻から抜ける」独特の声質が、めっちゃマッチしてるんだよね。
 なんていうのかな、独特の世界観って言うかさ、絵が浮かんでくるんだよなぁ。

 まあ、ジャンルとしては「歌謡曲」だけど、よりバタくさいっていうのかなぁ、それまでの日本の歌謡曲にはなかったようなポップさを感じるんだよね。


 だけど、筒美京平っていうヒトは、ホントに「鼻から抜ける」声質の方の曲をつくるのはうまいですね。
 うまく、魅力を引き出すのに長けているって言うのかなぁ。

 この曲を応用した曲が、松本伊代の「センチメンタルジャーニー」ですよ。
 この曲も、意外と譜割は複雑でしょ。で、独特のあの鼻声だし。。。

 まあ、まちがいなく、筒美氏は、松本伊代を第2の平山三紀にしようと思ってたんだろうなぁ。

 ただ、「センチメンタルジャーニー」の頃はすでに自分でアレンジはやられてないので、ぱっと聴き、似てないんだけどさ。曲全体のイメージは。
 でもね、「センチメンタルジャーニー」のB面の「マイブラザー」って曲は、あのころとしては珍しく、筒美氏自身がアレンジも担当してて、これが、ホントに「真夏の出来事」っぽいの。ピアノでのリズムを強調主体にしているアレンジとかさ。

 だから、この曲を聴けば、ああ、なるほどなぁ・・・ってなりますね。

 ちなみに、1971年、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」でレコード大賞を受賞した、筒美京平氏ですが、この「真夏の出来事」では作曲賞を受賞しているんですよね。

 まさに、筒美京平、第一次黄金期な年だったんですよね。




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雨のバラード / 湯原昌幸

1971_09_雨のバラード_湯原昌幸






今回の1曲セレクトは、「雨のバラード」湯原昌幸です。

 まずはデータです。

・タイトル     雨のバラード
・アーティスト   湯原昌幸
・作詞       こうじはるか
・作曲       植田嘉靖
・編曲       玉木宏樹
・リリース日    1971年4月1日
・発売元      テイチク
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    61.9万枚
・ベストテンランクイン期間:1971年9月6日〜11月29日付

 一昨日、昨日と2日間、ずっと雨でしたわな。一時は土砂降りを超えて、少し怖いくらいの豪雨でしがな。
そんな天気なので、折角の遅い夏休みだっちゅうのに、どこにも行けず、家の中でまんじりと過ごしてたりね。

 そんな天気なわけで、今回の1曲セレクトは、やはり雨の曲だよなぁ・・・と思ってたんだけど。。。
 
ありましたわ、ピッタンコの曲。

 湯原昌幸の「雨のバラード」

 もうね、タイトルから、シチュエーションから、オマケにヒット時期から、これほど、ドンピシャな曲はないっ・・・って曲だね。
 昨日のように、9月のこの時期の雨降りの日は。。。

 なになに? それより太田裕美の「九月の雨」の方がピッタンコだって
 ふにゃふにゃ、そうなんだけどさぁ・・・。「九月の雨」は、既に以前書いちゃったからねぇ。。あせあせ

↓ コレ
http://kajiyan-net2.blog.jp/archives/52012684.html


 うーん、でも、そういうところから考えると、九月の「秋の長雨」シーズンには、それなりに、「雨」の曲があるのかなぁ。
 意外と「梅雨」の時期っていうのは、ないんだけどね。
 やっぱり、同じ雨の季節でも、九月の雨は「哀愁」を感じるのかなぁ。それが「歌謡曲」の世界に嵌るのかもしれないな。
 同じ雨のシーズンでも「梅雨」の「ジトジトッ」とした雨では、ウタになりづらいのかも。。

 まあ、でも、この「雨のバラード」は、リリースが4月だから、あんまり「九月の雨」に固執した曲ではないんだけどね。


 いや、もっと言うと、この曲は、もともと、湯原昌幸が所属していた、「GSグループ」の「ザ・スウィング・ウエスト」が1968年に放ったヒット曲ですよ。

 そそそ、後年、バラエティなんかで「笑い」をとってた、ワタシなんか信じられないんだけどさ、その昔は「グループサウンズ」で、女の子をキャーキャー言わせていたんですよね。

 この時は、リリースが5月1日で、オリコン最高位50位。売上げ枚数10万枚を記録していたりする。
 まあ、「スウィング・ウエスト」の代表曲ですな。

 で、ソロになった、湯原昌幸が、1971年にセルフカバー。 オリコンで「1位」を獲得するほどの大ヒットを記録したってわけなんだけどね。


 なんで、G.Sの時は、10万枚売ってはいたけど50位止まりだったのが、ソロでセルフカバーしたら、60万枚、オリコン1位ほどの大ヒットになったか?
 
 まあ、いろいろ要因はあるだろうけどな。一番の要因は、セルフカバーバージョンの「クサさ」だろうなぁ。

 イントロ頭のオーケストレーションによる ♪ ンジャジャ〜〜〜 ♪ っていう、「如何にもっ」っていうような、「超クサッ」っていう、フレーズが、この71年って言う時代にマッチしてたんだろうな。

 1971年っていうのは、「歌謡曲の時代」だとおもうのね、純然たる。 で、あんまりナチュラルな曲って少ないんですよ。

 大体が、クサッっていう、大げさな展開が多いのが特徴。 尾崎紀世彦の「また逢う日まで」を頭にした一連の大ヒット曲を見てもわかると思うけどさ。

 この曲も、「その気」の雰囲気は、持ち合わせているよね。

ストリングスの超大げさなイントロの入りなんて、今じゃ絶対に考えられないよね。「クサッ」の一言で一蹴されて終わり・・・って感じだろうしな。
でも当時は、そう言う時代だったんだよね。時代性とうまくマッチングした・・・っていうのが、一番大きかったんだろうな。

ま、そういう、今となっては「クサッ」と思える展開が生理的にダメなヒトは、「歌謡曲」とは縁がない方なんだと思うけど。。。


 ちなみに、ワタシャ、当時、リアルタイムでは、知りませんよ。 うん、もちろん、すでに生まれてたけどね。2歳くらいだったのかな? 

 初めて聴いたのは、20才くらいかなぁ。大学生の頃だね。
 丁度、「オリコンウイークリー600号」記念と連動して、「オリコンオールタイムランキングTOP500」って番組が、ニッポン放送で、半年にわたってオンエアーしてまして。。。
 うん、歴代売上げランキング500位までをカウントダウンしていく、大型番組ですよ。

 えーと、1週分は、50位分カウントダウンしていったんだっけな。。
500位⇒451位、450位⇒401位・・・・って感じで・・・。

 ま、その番組で、それまで聴いたことなかった、過去の上位曲を一気に、仕入れてたワタシだったけど、この曲も、この番組で初めて、知ったんだよな、たしか。

 まあ、単純に感動したんだよね。 で、まだ、知らない過去のいい曲って、いっぱいあるんだよな〜っ・・・なんて、思って、過去曲の掘り起こしを始めたきっかけだったと思うな。 


しかし、それにしても、湯原昌幸っていうヒトは、ウタがうまいね。
上記のように、バラエティで「笑い」をとってる姿しか知らないんでさ、ワタシャ、もともと、コメディアンかと思ってましたもん、。。ふらふら

昔、せんだみつおと、このヒトと、コンビでよくテレビ出てたじゃん。 

さすがは、実力者揃いでその歴史も長い、スウィング・ウェスト出身だけあって、ウタの実力はだてじゃないんだよね。

 もちろん、湯原昌幸氏は、今でも現役バリバリのシンガーですわね。





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今日までそして明日から / よしだたくろう

1971_09_今日までそして明日から_よしだたくろう






今回の1曲セレクトは、「今日までそして明日から」よしだたくろうです。

まずはデータです。

・タイトル    今日までそして明日から
・アーティスト  よしだたくろう
・作詞      よしだたくろう
・作曲      よしだたくろう
・編曲      よしだたくろう
・リリース日   1971年7月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 59位
・売上げ枚数   3.0万枚

1曲セレクトを書くときに、いつも動画のリンクを入れてるんだけど、時々、書いてる曲と全然違う曲に見入っちゃう時があるんだよな。
 ・・なんて、今回セレクトしてきた曲の「前フリ」なんだけどさ。

2006年9月に行われた、吉田拓郎の「つま恋」コンサート。 いくつもに区切った動画をついつい見ちゃうんだよなぁ。
ライブ見に行ったよなぁ、これ。ついこの間と思ってたけど、もう9年前にもなるんだよねぇ。

 以前 NHK-BS2で放送された「吉田拓郎&かぐや姫inつま恋2006」を動画にしたもんなんだけどね。

 いやいや、あの現場にいたなんて、今となったら信じられないな。

 現場だと、なんていう曲なのか、わからない曲がほとんどだったんで 動画だと、ちゃんと曲名テロップ入ってるんで、改めて、なるほどそうなんだ・・と思いながら見ちゃってます。

 ワタシ指定場所が、一番後ろのゾーンだったから、ほとんどステージなんて直接見えなかったのよ。

 もちろん、オーロラビジョンが3台あったから、全く見えないわけではないんだけど・・・。
 テレビはいいね。ちゃんとステージ映してくれるもんね


・・・で、今日引っ張ってきた曲は、あの時のステージの最後の最後に歌った曲を持ってきました。

 今日までそして明日から

 哲学的なタイトルですね。

 ♪ 私は今日まで生きてきました 私は今日まで生きてきました 私は今日まで生きてきました そしてわたしは思っています 明日からもこうして生きていくだろうと〜 ♪


 多分、「今」だったら、ファンからケリを入れられているでしょう。
 あたりまえやんけ・・・・と。

 でも、それがいいんですよね。

行間を読む。

 この曲は、それができるんですよ。

 いまの曲は、説明が多すぎるんですよ。今、どこどこでだけと何々をしている〜 ような、場面が限定される曲が多い。

 この曲はどう取ってもいいんですよ。一人ひとり、それぞれの考えを感じ取ってもらえればいいんだよね。
正解なんて無くて良い。逆に言えば、不正解も無いんですよ。

 だから、曲のBメロ

♪ 私には私の生き方がある それはおそらく自分という物を
知るところから始まるものでしょう ♪

っていうところからもわかりますよね。

 でも、歌って本来、そういうものなんじゃないですかねぇ。
 ヒトそれぞれで感じ方、そこから派生する考え方は違うものなんですよ。


 まあ、今の時代と、この曲が書かれた時代では、あまりにも生活環境が変わりすぎているところがあるから、ちょっとピンと来ない方もいらっしゃるかも知れないですが・・・。


 でも、個人的には、物はまだまだ豊かな時代ではなかったかもしれないけど、この時代の自由に物を考え、自由に生きていくことも出来るというような風潮があったことは、羨ましく思うんだよなぁ。
 自分が、体験できなかっただけに。。。

 なお、この曲は、CBSソニーからリリースされていることになっているんだけど、実際、よしだたくろうは、このころはまだ、エレックに所属してたはず・・・。これはいかに。。?


あ、エレックっていうのは、いまでいうインディーズレーベルの事ね。あくまで自主制作で、契約特約店のみで販売していたわけです。

 まあ、レーベルも今同様、雨後の竹の子のようにたくさんあったようですが、東のエレック、西のURCが代表的なレーベルでした。

 伝説の第3回中津川フォークジャンボリーで、商業主義粉砕を叫んだ左派グループがメインステージを占拠していたにも関わらず、PAが壊れたサブステージで2時間永遠と「人間なんて」を歌い続けてたのは、この曲がリリースされた直後の1971年8月8日のことだ。

 2006年のつま恋で残念だったことは、「人間なんて」をやらなかったことだよなぁ。
 代わりにこの「今日までそして明日から」を持ってきた。

 60歳まで走り続けてきた、吉田拓郎氏のあの時の心境がこの曲だったんだろうね。




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17才 / 南沙織

1971_07_17才_南沙織









えー、今回の1曲セレクトは、南沙織さんの「17才」です。

・タイトル    17才
・アーティスト  南沙織
・作詞      有馬三恵子
・作曲      筒美京平
・編曲      筒美京平
・リリース日   1971年6月1日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   54.2万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1971年7月19日〜10月4日付

森高バージョンの「17才」を持ってくるんだったら、本家本元、オリジナルの「17才」を持ってこないわけにはいかないよな。
 奇しくも、森高と、ヒットの「時期」がほぼ同じなんだよね。 

ま、もちろん、森高の方は、ヒットが1989年。 こちらは、1971年だから、時代は違いますけどね。

 ちなみに、この曲は、南沙織がリン・アンダーソンの「ローズガーデン」が得意だってことで、そこからヒントを得て、筒美京平氏が作った曲なんだよね。

・・・・っていうかさ、ちょこっと「ローズガーデン」に似すぎてやないかい? ・・・っていう気もするんだけどさ。

↓コレ




ウーーーーーーン。。。

イントロの3小節のストリングスの使い方にしても、出だしの

♪だーれもいない海〜 ♪

のアーフタクトからの入り方にしても、これって絶対に確信的だよね・・・・っていう作りじゃん。

 今だったら、これ盗作騒ぎになりかねないよなぁ、きっと。
 しかも、「ローズガーデン」って、この「17才」とほとんど同じ時期にヒットしてるんよ。

 うーん、まあ、それだけ平和な時代だっていうことなんだろうね。みんな心が広かったっていうか、そのまえに、洋楽聴いている層と歌謡曲を聴いている層がほぼ分離してたって言うのもあるだろうな。

 うん、洋楽聴いてるヒトはほとんど歌謡曲の世界には眼中がなかったっていうヒトのほうが多かったっていうのもあるかもしれない。

 まだまだ、歌謡曲は洋楽よりクオリティ的に下に見られてた時代なんだよね。
 だから、真似があってもそんなに騒ぎにならなかったんだろうな。っていうか、洋楽を真似することで邦楽のクオリティを挙げていこうということが容認されてた時代なんだよね。

 いい時代だったのかもしれないなあ。あの時代タイムリーに音楽に接するには、ちょっと早すぎたワタシ的には、口惜しい時代なんだよなぁ・・・。このころって。




まあ、この曲に限らず、筒美氏の曲って、必ず下敷きにした「元歌」があるんで、どの曲を下敷きにしたかっていうのを探すのも、また興味をそそるところなんですけどね。



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また逢う日まで / 尾崎紀世彦

1971_05_また逢う日まで_尾崎紀世彦






今回の1曲セレクトは、「また逢う日まで」尾崎紀世彦です。

まずはデータでーす。

・タイトル     また逢う日まで
・アーティスト   尾崎紀世彦
・作詞       阿久悠
・作曲       筒美京平
・編曲       筒美京平
・リリース日    1971年3月5日
・発売元      フィリップス
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    95.6万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1971年5月3日〜8月9日付

 10年くらい前に、PE'Zっていうグループがカバーアルバムをリリースする際に、カバー曲の選曲を担当したことがあるんですよね。
 ま、リアルな仕事の知り合いを通して、依頼があったものなんだけど。。。その時に100曲ぐらいの候補曲を出したんですが、打ち合わせの際に、先方のプロダクションの社長さんと意気投合したのが、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」と八神純子の「みずいろの雨」だったなぁ。
 結果的に、2曲とも採用されて、実際カバーアルバムにも収録されまして。。
 一応、「Special Thanks」ということで、ワタクシの名前もクレジットしていただだいたんだよなぁ。
あれから10年ですか。早いもんだよなぁ。
 ちなみに、そのPE'Zバージョンの「また逢う日まで」ですが、現在、ニッポン放送の日曜日12:00〜14:00で放送されている、「土田晃之 日曜のへそ」って番組のエンディングに使われていて、この番組を聞くたびに、なぜかくすぐったい気分になるワタシだったりするんですよね。。(ワタシがプロデュースした訳じゃないんだけどさ。。。

・・ということで、今回の1曲セレクトは、尾崎紀世彦「また逢う日まで」です。

 ・・とは言うモノの、まあ、ヒットチャートの1位。この年、第13回レコード大賞、第2回日本歌謡大賞受賞・・・・っていう、1971年の年度代表曲でもあり、文字通りの「大衆曲」っていえる曲を、恥じらいもなく選曲するのは、数多くいる選曲屋の中でも、私くらいなもんだよね、きっと
 
 普通、選曲屋っていったら、誰も知らないような重箱のすみのすみをつついて、ひっぱり出して来ることにエクスタシーを感じるところってあるじゃないですか。ワタシ、みんなが知らないと落ち着かないんですよね〜。大衆的というか。。そういう意味では変わった選曲屋ですよ。


でもさ、なんで選んだって言うのは別として、それまでの「演歌・歌謡曲」っていう純日本風音楽とはまったく違った角度の音楽、いわいる「ポップス」でここまで大衆性があった曲っていうのは、この曲が最初なんじゃないかとも思うんですよね。

 まあさ、たしかに、この曲以前に、ピーナッツの宮川泰氏とか、坂本九の中村八大氏などなど、それまでもポップス系で大衆性を発揮した曲を作った方って既にいたんだけど、それは、いろいろな曲を通してのポップス性で、「1曲にかける」っていう意味では、この曲が最初だったんではないかなぁと思うんだよね。

 ま、この曲の場合、上記で書いた曲よりも、たしかにそれだけのセールスはあげているんですけどね。何分、ミリオンセラー近くまで行っている訳だし。

 あ、この時代の状況を知らない方も多いと思うので、ちょっと書いときますが、このころはまだまだミリオンセラーっていうのは、年に1枚出るか・・という時代だったんですよね。
 ミリオンセラーっていうのは別次元のもの。いまだったらダブルミリオンくらいの「インパクト」はあったんだよね。

 ちなみに、オリコンの年間チャートでは、この年1971年のミリオンセラーは、小柳ルミ子の「わたしの城下町」と、加藤登紀子の「知床旅情」の2枚のみ。(アルバムはミリオンセラーなぞ夢のまた夢の時代)
 この「また逢う日まで」は年間3位でした。

 だけど、チャート的な面を除いても、やっぱり、この曲のインパクトはでかいんだよねぇ。

 まあ、尾崎紀世彦の日本人離れな超ワイルド、かつダイナミックな歌唱力もさることながら、やっぱり曲そのものだよね。

 それまでのポップスって、ポップスでありながらどっか日本人的なんだよねぇ。
 どちらかというと「演歌」から派生してきたようなポップスというか。 まあ、それを俗に「歌謡曲」っても言うんだけどさ。
 
 この曲には、その要素っていうのが、ほとんど見られないんですよね。どちらかというと洋楽的っていうかね。
 少なくとも1970年にはなかったような曲であることは確かだとおもいますよ。

 うん、なんていうかね〜、たしかにリズム体はゆったりとしていながらもシェイクっぽいノリなのも新しかったし。
 サウンドがややジャズっぽく聴こえるのは、プレイに参加しているミュージシャンがベースの江藤勲氏を始め、もともとジャズプレイヤーだったからでしょうね。

 そこに、和製トムジョーンズ(見た目はエルヴィス)っていわれる尾崎紀世彦がからむわけだから、これは、「和風」の要素は入り込む余地はないんだよね。きっと。

 でも、こういう曲⇒洋楽的要素が全面的に出てきた曲 がヒットするようになった1971年っていうのは、やっぱし日本音楽史の中でもターニングポイントの年だよなぁ。

 ここを境にして、より洋楽的でポップな曲が常にヒット曲の先端を行って、ま、これは、今でも変わんないですよねぇ。

 逆に、より「和風」な曲はどんどん時代に取り残されていく
っていう感じで・・・。
 その「逆転現象」がはっきり目に見えたのが、この1971年なんでしょうね。

 だけど、最近、こういうね天文学的というか、無限にスケールがでかい「エンターテイメント」性が強い曲ってないなぁ。
 
 まあ、ここまで「スケールがでかい」曲を歌いこなすだけの「正攻法でパンチのある歌唱力」をもったアーティストもいないってところが大きいですけどね。

 また、出てきて欲しいなあ、そういうアーティスト。そして、また、こういう曲を歌って欲しいですよ〜。




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戦争を知らない子供たち / ジローズ

1971_05_戦争を知らない子供たち_ジローズ






今回の1曲セレクトは、「戦争を知らない子供たち」ジローズです。

 まずは、データから

・タイトル      戦争を知らない子供たち
・アーティスト    ジローズ
・作詞        北山修
・作曲        杉田二郎
・編曲        馬飼野俊一
・リリース日     1971年2月5日
・発売元       東芝EMI
・オリコン最高位   11位
・売上げ枚数     19.6万枚

 プロテストソング、あるいは社会派ソング。最近の曲では、そんな単語は、ついぞ聞かなくなりましたね。
 もう完全に死語ですよね。

 だけど、70年代中盤くらいまでは、そのような「社会」を風刺した、時には皮肉った曲があちこちに存在してたんですよね。
 まあ、それだけ、今と比べると生活も豊ではなかった、便利ではなかった時代であり、だから、それらのはけ口を音楽に委ねたという部分も少なからずあったんだろうねぇ。

 そんな当時、時には闘争心を掻き立たせるために音楽を使った時代もありましたよね。
 70年代安保の時代。もちろん、ワタシは、タイムリーには経験はしていないんだけど。。。
 よく、物の本なんかで、読んだりはするんだけど、新宿西口のフォークゲリラなんかは、まさにそうだよね。

 闘争心を掻き立たせる、いわば、怒りの捌け口のための音楽。
 だからさ、この時代⇒70年前後の曲って暗い曲が多いのかもしれない。世間の風潮が重く混沌としてた時代だから。
 そういう意味では、この間書いた、藤圭子の「夢は夜ひらく」なんてのは、世間の風潮にはあってたんですよね。
 
 藤圭子が70年に大ブレイクを果たしていたっていうのは、そういう世の中の動きの中ではある意味必然だったのかもしれないですね。

 だけども、あれだけ混沌とした闘争劇がつづいた70年安保は何事もなく批准。

 そこで、ある意味、一旦、時代は終わったんだよね。
ベトナム戦争、沖縄返還闘争は続いていたものの、ほぼ怒りの捌け口を社会に向けるという闘争劇は、ここで終結したんですよね。それが70年の後半。

 モーレツからビューティフルへ

 これ、もうちょっと時代は下りるけど、あのころに流行ったキャッチコピー。
 (ワタシ、一体何歳?・・・・(爆))

 そのキャッチコピーに並行するように、音楽傾向は随分変わったんですよねぇ。
 まずもって、「明るい」サウンドに人気が出るようになった。
 もう、怒りの音楽はダサくなってしまったわけさ。
 と同時に、ブルース、ムード歌謡も衰退傾向。夜に向かった音楽からお日様の下で聴く音楽へ。

 それが1971年初頭。 だから、1970年と1971年ではヒット曲のサウンド傾向がまるで違うんですよ。

 考えてみれば、世の中の動き一つで音楽の傾向も変わるということは、それだけ当時は、生活と音楽って密接に結びついていたんですねぇ。


 この曲、「戦争を知らない子供たち」は、まさにそんな時代の端境期にリリースされたんだよね。


 まあ、みなさん、曲はよくご存知ですよね。

 メンバーは、いまでも現役バリバリのシンガー、杉田二郎と森下次郎の男性デュオ。だからジローズ。

 この曲はサウンド的に健康で穏やかなんですよね。まさに、この時代では、「これから」を見据えたサウンドとでも言いましょうかね。
 上で書いたように、もう「暗い曲」「怒りの曲」はダサいといわんばかりの曲調ですよね。


 でも、実際はプロテスタントな歌詞なんですよ。「戦争を知らない子供たち」・・・つまりは、「私たちは戦後うまれなんだ。だから、戦前生まれの「大人」たちとは価値観が違うんだ」っていう内容ですよね。

 当時の「若者」が、当時の「大人」たちに向けた、痛烈な皮肉。それがこの曲なわけですわ。
 
この辺の心情は

♪若すぎるからと許されないなら、髪の毛が長いと許されないなら 今の私に残っているのは 涙をこらえて歌うことだけさ ♪

 によく出てますね。

 それは、まだ、ちょっぴり溜まってた怒りの捌け口を「新しい」切り口で音楽にぶつけてみました・・・
というところではないんでしょうかね。


 まあ、ワタシらの年代では、もちろん、タイムリーにこの曲は聴いていないから、どうしても「音楽」の教科書で知った、っていうヒトが多いですよね。

 でもさ、冷静に考えてみると、この曲を音楽の「教科書」に選んだヒトは偉い。
 なぜなら、この曲が教科書に選ばれたのは、30数年前だよね。
 ということは、「団塊の世代」より上のヒト・・・、つまりは、この曲で痛烈に「批判されてたはず」の世代、当時の「大人」のヒトが選んで教科書に載せたわけだから。


 だけど、これだけ、「だれでも」知っている曲だというのに、オリコン最高位11位。 売上げも19.6万枚っていうのは、かなり意外と思いません?

 よく作詞、作曲家が、10万枚しか売れなくてもいいけど、その何十倍のヒトが口ずさめるような曲を作りたいといったりしてるけど、もう、そんな曲は出ないでしょうかねぇ。


 ちなみに、コノ曲、リリースは、2月5日だけど、ヒットのピークは、「今ごろ」だったので、あえて、今、引っ張ってきました。




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