かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1969年

長崎は今日も雨だった / 内山田洋とクールファイブ

1969_05_長崎は今日も雨だった_内山田洋とクールファイブ


今回の1曲セレクトは、「長崎は今日も雨だった」内山田洋とクールファイブです。

まずはデータです。

・タイトル     長崎は今日も雨だった
・アーティスト   内山田洋とクールファイブ
・作詞       永田貴子
・作曲       彩木雅夫
・編曲       森岡賢一郎
・リリース日    1969年2月1日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  72.8万枚
・ベストテンランクイン期間:1969年5月19日〜5月26日 6月9日〜9月8日付

なんか久々の1曲セレクトだなぁ・・・と思うのもその通りで、ゴールデンウィーク「初日」に書いて以来なんだよな。
本当は、先週の土日も書こうと思ってたんだけども、どうも疲れちゃってねぇ。。。このゴールデンウイークは年がいもなく、連日、長距離ドライブなんてしちゃったもんで。。。

おかげで今週1週間は仕事にも全く身が入らず。。。。  正直言って未だに疲れが残ってるんだけど、さっすがにねぇ、そろそろ1曲書かなきゃな。。。

・・・・と思いーの、これ書こう・・・って昨日から決めてた曲のヒット時期をさっき調べ直したら、今の時期はまだヒット前・・・というかリリース前だった。。。

うーむ、こういう時困るんだよな。。。  


・・・と思いーの、、、数分。

外は雨ですよ。 うん、関東地方・・・っちゅうかワタシの自宅周辺では、結構なザンザンぶり。 さっきテレビで広島vs巨人戦みてたら、広島はいい天気のようでしたけどねぇ。。

これは、雨の曲でも書きますか。。。

・・・と思ったらいい曲がありましたわ。


内山田洋とクールファイブ「長崎は今日も雨だった」

ざざん 思いっきりのムード歌謡ですっ

いやいやっ、アイドルポップス、ロック・ニューミュージックだけじゃないですよん、「1曲セレクト」は。
こういう、モロ歌謡曲も書きますよん。

っつうか、以前、mixiに書いてた頃は書かなかったんだけどね
ワタシ周辺で、この手の曲に興味がある人が少なかったんで。

でも、今は「ワタシ周辺」と言う垣根をはずして書いてるんでね、この手の曲も個人的に書ける曲は書きたいのね。
まあ、どれだけ読んでいただけるかは分かんないけど。。。


この曲は、今も(一応)「現役」のクールファイブのレコードデビュー曲ですわ。

レコードデビューってことは、結成、活動開始はもっと古く、wikipediaによると67年に長崎のキャバレー「銀馬車」の専属バンドとして結成とありますね。

なんかさあ、キャバレーっていうと、めちゃくちゃ時代を感じる響きだけど、まあ、今でいえば「クラブ」だよね。
クラブで演奏するために結成するバンドなんて今でもいるし、それの先駆けと思ってもらっていいんじゃないかな。

リリースは2月だけども、それから3ヵ月過ぎた、丁度今頃ベストテン入り・・・ってわけだから、ヒットまでに結構時間がかかったよな・・・なんていう印象が強いんだけどさ、今の感覚で言えば。。。

ただ、リリースから、いわいるベストテン入りまで数カ月かかるのは、当時は「ザラ」だったわけでさ。 ましてや、それまでヒット実績もない新人の「デビュー」曲だからさ、この程度は当たり前だった訳ですわ。
それ以前に、デビュー曲にしてベストテン入りするっていうのが快挙な訳でさ。

まあ、それだけ当時は、「ムード歌謡」っていうのが、ヒット曲界では全盛期であり需要があったんだろうね。

「〜だろうね」っちゅうのは、完全に個人的には分からない世界なんでさ。 なんせ、この曲がベストテン入りしている最中の「69年8月」に生まれたもんでさ、ワタシゃ

観月ありさの「伝説の少女」の歌詞じゃないけど、♪ママの時代の〜♪ って曲なわけなんだよね、ワタシにとっちゃ。

でも、最初に書いたように「キャバレー」とか「ムード歌謡」っていう、如何にも昭和な「響き」は、ワタシにとっても音楽の原点の一つって感じなのは確かなんだよな。

この曲のイントロにも挟まっている、むせび泣くテナーサックスの響きとかさあ、あれが聴こえてくると「昔昔」の記憶が甦って来るのよ。

いつかも書いたかもしれないけど、オヤジ、オフクロの共通の友人が、当時スナックをやっててさ、まだワタシが物心着くかつかないかの頃、そこのスナックにしょっちゅう出入りしてたからさ。
この手の、むせび泣くテナーサックスを聴くと、当時、そのスナックの「有線」から流れてたムード歌謡と、コーヒーでいぶされたようなスナックの匂い、そして、隅っこで飲んでたソーダ水の「緑色」が鮮やかによみがえってたりしてね。

個人的に、そんな空間がキライじゃなかった・・・と思う。 だってさ、この手のムード曲を聴いて、いやな感情はしないし、第一、後年この世界・・・ヒット曲の世界・・・にのめりこんで行けたのは、そん時の記憶・・というか下地があったからだと思うしね。


たださ、この曲・・・というか、クールファイブはちょっと違うな・・・なんて子供の頃は思ってたなぁ。
正当なムード歌謡というよりは、ちょっと演歌よりに感じたんだよね。 
まあ、後年の「東京砂漠」なんかは、完全に歌謡曲だけど。 うーん、なんだろうね、この曲の「ソリッド」さなのかなぁ。それとも、演歌特有の「4、7抜き」のメロディラインのせいなのか・・ちょっと違うな・・・なんて子供心に思ったのもかもしれない。 ま、メロディラインに古さがあったってもあるけどね。 件の「ママの時代の〜」ぢゃないけど、これは、完全にワタシが生まれる以前のメロディだよなぁ・・・っちゅうのが生理的に分かってたような気がするんだよね。

個人的にクールファイブの曲をきちんと注目したのは、以前書いた「そして神戸」だったんだよね。
たってさ、あれはファンキーな曲だもん。ソウルでありファンクですよ、日本の。
その上さ、サザンの桑田氏の音楽のルーツのひとつが「クールファイブ」だった・・・なんてカミングアウトを読んじゃうとさ、なんか急に親近感がわいてきたりしてさ。。。  現金なもんですよ。

しかも、曲にしてもムード歌謡にとどまらず、ジャパニーズ・ブルース、これぞ日本の「ブラックミュージック」みたいなさ、そんな感じを受けちゃったりね

でもさ、逆に言えば、後年、本場の向こうのブルースとかR&B、ゴスペルなんかのブラックミュージックを聴いて、なんか懐かしい気分になれて、すんなり受けいけられたのは、物心つくかつかないかの頃、この手の曲を聴いた記憶が、自分の奥底にあったからなんだろうな。

そう言う思いが、もしかしたらワタシよりちょっと年上のミュージシャン連中の多くにもあるのか、クールファイブの曲をカバーしてるヒトって意外と多いんだよね。それは、YOU TUBE見ても分かるんだけどさ。

その中でも一番ドギモ抜かれるのは、自らファンだったって公言してるサザンの桑田氏が歌ってるバージョンだろうねぇ

↓ コレ


これ86年のクリスマスに放送された「Merry X'mas Show」に放送された奴だけどさ。
ファンクというかビーチボーイズ風にアレンジされた「長崎は今日も雨だった」。 桑田氏がマジに前川清風に歌っているのが笑える
でも、それを抜いても、今に繋がるサザンの一部に受け継がれているよな、このメロディライン。






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青年は荒野をめざす /ザ・フォーク・クルセダース

1969_01_青年は荒野をめざす_ザ・フォーク・クルセダース






今回の1曲セレクトは、「青年は荒野をめざす」ザ・フォーク・クルセダースです。

 まずはデータです。

・タイトル    青年は荒野をめざす
・アーティスト  ザ・フォーク・クルセダース
・作詞      五木寛之
・作曲      加藤和彦
・編曲      川口真
・リリース日   1968年12月5日
・発売元     東芝音工
・オリコン最高位 17位
・売上げ枚数   12.6万枚

 昨日のSIAM SHADEをから時代は、一気に29年さかのぼりまする。 今回はひっさびさの「60年代」の曲です。 

ザ・フォーク・クルセダース  「青年は荒野をめざす」

この曲とは直接関係は無いけど、EAGLESのオリジナルメンバー、グレンフライ氏が亡くなりましたね。
先日のデビットボウイといい、年明けそうそうから大物アーティストが次々と亡くなる年となってしまいましたねぇ。

 イーグルスといえば、どうしても「ホテル・カリフォルニア」。 その「ホテル・カリフォルニア」の歌詞に

「あいにくながら 1969年のスピリットが切れまして・・・・」

と言う部分がある。

そう、「ホテル・カリフォルニア」って言う曲は、内容的にいろいろ言われてたりするけど、大雑把にいえば、1969年⇒カウンターカルチャーの時代が終わった後の、喪失感、いわいる「シラケ時代」を歌った歌なんだよね。

そんな1969年って言う時代。 世界的に見ればベトナム反戦熱が最高潮に達し、その熱がカルチャーにも及んだ年。方や日本では、ベトナム反戦にプラスして、70年安保阻止にむけて学生運動が最高潮に達した年。

 そう言えば、一昨日1月18日は、「東大安田講堂」が陥落した日だ。1969年1月18日。今から47年前ですね。

そんな世間全般が、いろんなところでグラグラと煮えたぎっていた年なんだよね。

今回、セレクトしてきた、「青年は荒野をめざす」は、まさにそんな時代を象徴した様なウタですね。


 この曲は、フォークルにとっては、デビュー第4弾であり、ラストシングルでもある。
 いや、正確に言えば、すでに、解散した後にリリースされたラストシングルと言ったほうがいいかなぁ。

 フォークルの解散は、1968年10月。 で、この曲がリリースされたのは同年12月だから、そういうことになるね。

 曲調は、タイトルからも、ある程度は想像できるかもしれないけど、もろ、マカロニウェスタン風。そこにストリングスを中心としてオーケストラを絡ませて、さらに雄大なイメージに仕上げている。

 それでいて、ラストのギターのアルペジオが哀愁をさそう。

 まあ、ゆうなればラストシングルとしてはぴったりの曲かもしれない。

 ただ、終わりは、また次の始まり・・・っていう言葉もあるように、フォークルとしては終わった・・・けど、次のステップの始まりともとれそうな曲調なんだよね。
 つまり、そこで、プッツリ切れていないようなイメージもあるんですよ。まあ、それは、その後の展開を既に知っているからそう感じるのかもしれないけど。。 もし、1968年12月の時点でこの曲を聴いていれば、また、別の感じもあったかもしれない。

 ・・・けど、あいにく、1969年1月では、ワタシは、まだ生まれていなかったもので。。。

 とにかく、あの時代の空気感は感じる事が出来る曲ですね。
 ま、たしかに、売上げ的にはそれほど伸びなかったけどさ。。。



 ウタと、画像は直接的に関係は無いけど、あの時代を知っている方は、懐かしい風景がたくさんあるんじゃないかなぁ。
 こういう画像とウタがリンクしていると、やっぱりウタっていうのは、世相を反映しているもんなんだなぁと思いますね。まさに歌は世につれ世は歌につれなんだすよね。
 個人的には、都電がねえ。。。道の真ん中を都電を走っている風景って知らない世代なんでねぇ。



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白いサンゴ礁 / ズーニーブー

1969_07_白いサンゴ礁_ズーニーブー







今回の1曲セレクトは、「白いサンゴ礁」ズー・ニー・ヴーです。

 まずはデータです。

・タイトル     白いサンゴ礁
・アーティスト   ズー・ニー・ヴー
・作詞       阿久悠
・作曲       村井邦彦
・編曲       村井邦彦
・リリース日    1969年4月1日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位  18位
・売上げ枚数    17.7万枚

 えー、昨日松田聖子の「青い珊瑚礁」を引っ張ってきたばかりなんですが、そう言えば、似たようなタイトルの曲があったよな・・・・。。

 そんなわけで、今の気分は、60年代・・・っつうこともあり、古ーい曲を引っ張って来たい・・・っちゅう衝動にかられて、今回の1曲セレクトは、「古ーい」曲を引っ張ってきましたわ。


 えー、ズー・ニー・ヴーの「白いサンゴ礁」。


 でもさ、ここ読んでくれてる方は、かなーりの歌謡曲マニアの方もいるんで、この位の曲じゃ、おどろかないですかねぇ。

 でもね、逆に、まーったくしらなーい・・・って方もいらっしゃると思うんで。。ふらふら


 昨日書いた、松田聖子の「青い珊瑚礁」なら知ってるぞ・・・ってヒトは、かなりいると思うけど。。。ふらふら
 

 サウンド的には、モロ、オルタナティブだねぇ。 なんて言っても、イントロ部分のオルガンだよね。
 恐らく、プロコルハルムの「青い影」あたりからヒントを得てるんだろうけど、このいかにも「オルタナ」を雰囲気を醸し出してる、サウンドが、いかにも「夏」なんだよねぇ。。

 なんでなんだろう? って思うんだけど、このオルタナサウンドの自由なイメージが「夏」の自由な空気と共通してるからかなぁ・・・とか、ゴーインに結論付けたりして。。ふらふら

 でも、この自由な雰囲気が夏なのよ、絶対に。


 詞の方は、阿久悠氏。うん、阿久氏の初期の代表曲の一つとして、テレビでも、よく流されるんだよね、この曲。 だから、ヒット規模の割には、結構知ってるヒトも多いと思うんだけど。


 ・・・で、歌っている、ズー・ニー・ヴーってヒトタチ。 なんか、ヘンな名前だよなぁ・・・とか、思っちゃうんだけど。。。
 コミックグループじゃないのよ、れっきとした、バンドですわ。

 当時からすると、一応は、GSに入るんかねぇ。 でも、元々は成城大学っちゅう、「おぼっちゃま」な方々の集まりでして。。。

 まあ、当時の典型ですか。。。うん、音楽に興じられるのは、私学の「おぼっちゃま」ぐらいなもんよ・・・っていう訳でしたから、この辺は当然なわけです。

 当時、カレッジフォークっちゅう、ムーヴメントがあったわけだけど、その亜流というべき、GSの中でも、カレッジ系のバンドが、総じて、「品がいい」サウンドを醸し出しているのは、その影響が多分にあるだろうなぁ。

1969年夏のヒット曲と言う事で、丁度、ワタシが生まれた頃ヒットしてたんだけども、G.Sが下火になり始め、代わりに上記の、カレッジフォークがムーブメントとなっていたころなんだけど、だから、この曲の立ち位置って言うのが意外と難しいんだよね。
 形態としてはバンドだし、それからするとG.Sなんだろうけど、サウンド自体は、それまでの「ガレージ」なG.Sではない。 ・・かといって、ガツガツのフォークでもない。

 そう言うところから考えると、意外と、そう言う立ち位置、サウンドから、次世代のニューミュージックっていう音楽が生まれるきっかけになったんじゃないかなぁ・・・なんて思うんだよね。

まあ、この曲を作曲した、村井邦彦氏は、後年、ユーミンを発掘したり、後のニューミュージックを発展された立役者でもあるわけで、この曲の頃も、当然、そういう次世代の音楽をすでに考えていたんだろうな・・・っていうのは、この曲からも分かりますね。

 ちなみに、ボーカルの町田義人氏は、後年「戦士の休息」っちゅう、ヒット曲もだしておりまする。


ちなみにちなみに、90年代初めに、Mi-keが、「白い白い白いサンゴ礁」なんて曲を歌ってたけど、アレはこの曲のパロディですね。


えー、動画。You tubeには、この曲なかったんで、他のサイトにリンク。

http://www.dailymotion.com/video/xr710e_%E3%82%BA%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%B4-%E7%99%BD%E3%81%84%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B4%E7%A4%81_music




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或る日突然 / トワ・エ・モア

1969_06_ある日突然_トワ・エ・モア






今回の1曲セレクトは、「或る日突然」トワ・エ・モアです。

 まずはデータです。

・タイトル    或る日突然
・アーティスト  トワ・エ・モア
・作詞      山上路夫
・作曲      村井邦彦
・編曲      小谷充
・リリース日   1969年5月14日
・発売元     東芝音工
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   35.1万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1969年6月23日〜9月1日付


 さてと、今回は「温故知新」ぢゃないけどふらふら、現代ヒット曲の「古典」的な曲を引っ張ってきましょ。。
 
 なんて、自虐的に書いてみる。。。そんじゃ、わたしゃ、古典時代に生まれたんかい・・・ってことになっちゃったりして。。

 はい、今回は、ワタクシが生まれる直前にヒットしてた曲どぇす。

 トワ・エ・モア「或る日突然」。

 えー、「46年前」のヒット曲どえす。 46年ですぞ、46年。。 ・・・ちゅうことは、ワタクシも46年ですねぇ、生まれてから。。。いやだねぇ・・・、完璧にオヤジだーねー。痛風にもなるってもんですわ。。ふらふら


 まあ、「古典」と自ら書いたくらいだから、今では、このテのヒット曲は完全に絶滅しましたわな。今では、音楽の教科書あたりにひっそりと載ってるくらいだよねぇ。
 いや、すでに音楽の教科書にも載ってないかもしれない。。 ワタシらの時代には、この手の曲は載ってましたけどね。

 言ってみれば、文部科学省の方々が喜びそうなウタといいましょうか。うん、「毒」がないヒット曲ですよ。どこまでもさわやかで、澄んだ青空のようで。。ふらふら
  でも、実際、46年前には、このテの曲が「ヒット」してたわけだから、時代は変わるもんだよね。それだけ、ピュアだったんですよ、時代が。

 自分でも、後になって、昔のオリコンにランクインしてたってことがわかって、結構、不思議な気分だったもんなぁ。 教科書に載ってる曲が、一般のヒット曲ということで。。
 なんかさ、ヒット曲っていうと、どっか「汚れてる世界」の曲のような気がするわけよ。それが「音楽の教科書」なんてね、「聖職的」な本に載ってたりするとさあ。。

 まあ、簡単に言えば、教科書作ってるヒトたちが、リアルタイムで聴いてて、「毒」が無い・・・って感じた曲を取り上げているんだろうけどさ。

 それにしても、今の時代、このテのようなヒトたちっていうのは、詣でてこないんでしょうかねぇ。 ま、でてくるこないの前に、こういう、どこまでもピュアなヒトたちが、今、日本人にいるんかい? ってところから疑問的だけどさぁ。

 あ、でもさ、今は、この手の曲は皆無・・・ってかいたけど、実際は、この当たりを「基本」として、後々にニューミュージックっていうジャンルが開けてくるんだよね。
 ジャケットには、「これがニューフォークだ」なんて、コピーがついてるけど、特段、フォークでもないわけで。。。当時は、まだニューミュージックっていうジャンルが確立されてなかったからね。(ただし、ニューミュージックってコトバは、すでに使われだしていた)
 サウンドプロデュースも、のちに、赤い鳥を育て、ユーミンを発掘した、村井邦彦氏っていうところもミソね。



イントロ初めの「A7」のコードが印象的。この頃は、こういう、イントロ初めに「ジャーン」と鳴らすのが効果的だったのかなぁ。いしだあゆみの「ブルーライトヨコハマ」のイントロあたまの「A7」のコードの響きも印象的だったもんなぁ


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夜明けのスキャット / 由紀さおり

1969_06_夜明けのスキャット_由紀さおり






今回の1曲セレクトは、「夜明けのスキャット」由紀さおりです。

 まずはデータです。

・タイトル    夜明けのスキャット
・アーティスト  由紀さおり
・作詞      山上路夫
・作曲      いずみたく
・編曲      渋谷毅
・リリース日   1969年3月10日
・発売元     東芝音工
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   109.0万枚
・ベストテンランクイン期間:1969年3月31日〜7月7日付


 えー、今回の1曲セレクトは、前置き無し!
 かなり久しぶりに、1960年代のヒット曲を持ってきましょうか。 

 由紀さおり「夜明けのスキャット」

 この曲、今ごろのヒットだったんだねぇ。てっきり、ワタシが生まれた、「夏ごろ」のヒットだと思ってた。

・・・というのも、ワタシとしては、もちろん、知らないはずなんですよ、この曲。まだ、生まれてなかったから。。あせあせ

 えーと、おかんのおなかの中にいましたね。ふらふら 

 8月生まれだから、仮にベストテンギリギリ、ランクインの頃は、妊娠9ヶ月目か・・・。

・・・なので、知らないはずなのに、なぜか、知ってたりして。ふらふら


 いや、初めて聴いた・・・ハズ・・・・の時に、既に、この曲知ってたんだよね。
 どっかで、聴いたことあるぞ・・・・と。

 この辺って、生命の神秘なのですかねぇふらふら


 しかし、この曲は実験的な曲ですよ。何分、1コーラス、全部スキャットで通す・・とは。。。

 そそそ、例の ♪ ルールールルルー ♪ ですね〜。


 それと、この独特のサイケデリックさでしょ。 なんて言うのかなぁ、原色が入り混じった猥雑さとエロティズムっていうのかなぁ。 ちょっとクスリをやってたかのような幻影さ。
これが60年代終盤の独特の、猥雑的な時代背景を物語っていたりして。

 自分が生まれた年ってこともあるけど、このころの時代背景は、個人的には好きなんですわ。
  まだ、みんな貧しかったけど、毎日「何かあるぞ」・・・みたいな前向きな期待感とエネルギーを感じ取れたり・・・。

 まあ、今から思うと 現実の世界というよりは、夢の世界にいるような感覚に囚われるんだけどね。
それは、ワタシがまだ、おかんのおなかの中にいたからですかねぇ。 そういう感覚を感じるんだよね。この曲には。


 でも、時代性を感じる曲だから、100万枚なんてミリオンセラーになったんだろうな。
 当時も、ミリオンセラーなんて、年に1枚か、2枚しか出なかったからねぇ。
 もちろん、固定ファンなんて無きに等しい時代だったから、全浮動票な時代だったわけで、それこそ、一般性(大衆性)がなきゃ、売れない時代でしたからねぇ。


 だけど、 東芝さんって、昔は、実験的なレコード会社だったよなぁ。 レコード会社としては、後発の「強み」で、伝統に縛られない、自由さが当時はあったからだろうな。

 60年代〜70年代にかけては、一番「垢抜けた」レコード会社だったものなぁ。
近年の没落、そして、ユニバーサルへの吸収・・と昔の栄光を考えると信じられないですよね。




最近は、ピンクマティーニとの共演ですっかり時のヒトとなった由紀さおりさんですが、この曲の頃は21才。
ただ、この曲がリリースされるまでは、全くヒット曲が無く、そろそろ歌手として完全引退か? ・・と言う時にこの曲に出会う。人生どこでどうなるかなんて分かんないもんだよねぇ。

 ちなみに、この曲は、元々、ラジオの深夜番組のオープニングBGM用に書かれた曲で、だから、もともとスキャットしかなかったんだよね。なにせBGMなので。。。
 でも、その時のこの曲に対する反響が凄くて、急遽、歌詞をつけてレコード化したという経緯も残ってたりするんだよね。

この当時は、深夜ラジオ放送の黄金期。深夜放送の聴取率が5〜6%もあった時代なわけで、今とは比べ物にならないほど影響力があった時代。 当時の「若者の解放区」と言われたラジオの深夜放送から、たくさんのヒット曲が生まれたわけなんだけども、この曲もそう言うヒット曲の1曲なんですよね。


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ブルーライトヨコハマ / いしだあゆみ

1969_03_ブルーライトヨコハマ_いしだあゆみ






今回の1曲セレクトは、「ブルー・ライト・ヨコハマ」いしだあゆみです。

 まずはデータです。

・タイトル     ブルー・ライト・ヨコハマ
・アーティスト  いしだあゆみ
・作詞       橋本淳
・作曲       筒美京平
・編曲       筒美京平
・リリース日   1968年12月25日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   100.3万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1969年2月3日〜5月19日付


 イントロの最初のコードの音で、強烈にインパクトを感じる曲ってあるよね。
 例えば、ビートルズの「A HARD DAY'S NIGHT」の最初の1音⇒Dmsus4-7
のコード一発「ジャーン」

 コレだけで、もう、この曲の世界に引き込まれないでいられなくなっちゃうじゃん。

 そういう意味でも、出だしの1発目の音って大切なのよ。

 もちろん、邦楽にだってありますよ、そういう曲。
 例えば、トワ・エ・モアの「或る日突然」なんか、そうだよね。イントロの出だし、A7のコード一発からイントロに入る。
 この曲も印象的だな。 個人的には、この手の出だしは生理的にすき見たいね。

 なに? トワ・エ・モアの「ある日突然」なんて曲、知らない?


 ぢゃ、これはどうだ! って感じで、引っ張ってきたのが、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」ですわ。

 さすがに、この曲しらなーい、っていう方は、これ読んでくれてる方の中には、あんまり居ないでしょexclamation & questionふらふら

 うん、いしだあゆみさんの超大ヒット曲でもあり、橋本淳−筒美京平っていう、歌謡史に残る、名コンビが放った、ミリオンセラーでもあるわけで。

 うん、この曲も、出だし1発目は、A7のコードの響き「ジャーン」で始まるんだよね。

 まあ、恐らく筒美氏のことだから、ビートルズの「A HARD DAY'S NIGHT」の出だしを意識してないことはなかろうて・・・。
 でも、意外とシンプルなコードで収めてあるな。完全にビートルズを意識してたら、A7-5とかでも良かったわけで。。。ふらふら

 でも、この曲でA7のコードは、意外と重要なファクターを占めてるんだよね。


Aメロの部分
  Dm     Gm         Dm     A7
♪ 街の灯りが とてもきれいね ヨコハマ  ブルーライトヨコハマ〜♪

 そう、この曲キーはDmなんだよね。だけど、一番インパクトにのこるメロディラインはやっぱし、

 ♪ ブルーライトヨコハマ〜 ♪ の所でしょ。

 ここで、いきなり「C♯」からのメロディで入ってくるのが、とっても意外なんだよね。っていうか、「ブルーライト」の「C♯」の音の響きが一番インパクトに残り、かつ曲全体を引き締めてたりする。

 このフレーズがあるから、その先のサビの

 ♪歩いても 歩いても 〜 ♪ の部分が引き立つんだよね。


 こんな感じで、全体的に見るとメッチャ、シンプルなんだけども、聴いてる方をグイッと引き込ませてくれる「ツボ」なフレーズが筒美京平氏の真骨頂だよね。

 ところで、この曲から筒美氏が、バート・バカラック好きだってことが分かる・・・ってことなんだけど、個人的には、それは、よくわからないんだなぁ。

 たしかに、イントロのトランペットの使い方が、後年のカーペンターズの「遥かなる影(Close To You)」を彷彿されるものもあるけど、どっちかと言うと、この当時の「歌謡曲」の延長にも聴こえるしなぁ。


 ところで、当時、いしだあゆみさんは21歳。 今で言えばアイドル的な年齢だったわけだけども、それにしても大人っぽいよなぁ。
 よく、南沙織が出てくるまでは、歌謡曲は「夜に向かって」歌われていたって言われるけど、この曲を見ると、よく分かるわな。
 明るい太陽の下で〜 って感じの曲はあんまりない。当時では黛ジュンの「天使の誘惑」くらいか。

 それだけ、歌謡曲に「お水」を印象させるのが常だったってことかいな。

 なんて、書いてるワタシは、当時、まだ生まれてましぇーん。母親の腹の中に居りました。妊娠5ヶ月ごろ・・かふらふら

 観月ありさの「伝説の少女」の一節じゃないけど、「ママの時代のラブソング」ですわふらふら




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1969_01_風_はしだのりひことシューベルツ






今回の1曲セレクトは「風」はしだのりひことシューベルツです。

まずはデータデス。

・タイトル      風
・アーティスト    はしだのりひことシューベルツ
・作詞        北山修
・作曲        端田宣彦
・編曲        青木望
・リリース日     1969年1月10日
・発売元       東芝音工
・オリコン最高位   2位
・売上げ枚数     58.3万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1969年3月3日〜6月2日付

 昨日は北風が冷たい1日だったなぁ。今日も寒い日ですわ。風も冷たい。
ようやっと、今回引っ張ってきた、はしだのりひことシューベルツの「風」が似合う日がやってきましたね。

 ♪人は誰もただ一人旅に出て 人は誰もふるさとを振り返る
 ちょっぴり寂しくて 振り返っても そこにはただ風がふいているだけ〜 ♪


 哲学的な詩だよね。正直、今の「一人身」のワタシにとっては殊更ジーンと来る詩ですわ。


 どうして、今の時代、こういう哲学的な詞の曲ってないんだろう?

 まあ、時代性といえばそれまでかもしれないけど、この1960年代後半っていう時代、「恋愛物」の曲以外に、このテの哲学的な内容、社会性がある内容の曲っていうのは多かったんだよね。

 特に、この曲のようなフォークには、その手の曲が多かったよね。上でも書いたように時代が時代。この曲がリリースされた1週間後の1月18日には、東大安田講堂事件が勃発してたりする。大学生が政治や社会について真剣に考えていた時代。 ま、いまでは、まず考えられない時代だよね。

 そういう時代背景からして、音楽もこの曲のような哲学的な内容の詩っていうのも「あり」だったわけですわ。

 これもいまでは、まず考えられないことだよね。

 音楽が世の中を変える力をなくして、かなり久しいけど、この時代っていのうは、まだ、音楽が世の中を動かす力ってあったんぢゃないかなぁ。

 もちろん、ワタシにとっては想像の世界だけど。。。。
そそそ、この曲がヒットしてた1969年2月〜3月の時点では、ワタシはまだ、この世に産まれていない。まだ、オフクロのお腹の中にいる頃の話ですわ。

でもですよ、なぜか聴いたことがあるんだよね。不思議なんだよね音楽って。
物心がついて、初めて意識してこの曲を聴いた時、「あ、これ・・・」って思ったもの。
まあ、まだ物心がつかない頃、曲名も知らないで、聴いた記憶が、記憶のどこか奥深くに残っていたのかもしれないけど。。

 ちなみに、はしたのりひこ氏は、元フォーククルセイダースのメンバー。フォーククルセイダースを解散して、結成したグループが、このシューベルツって訳ですね。
 メンバーは、はしだのほかに杉田二郎(G)、越智友嗣(G)、井上博(B)の純粋なフォークグループでしたけど、70年に井上氏が急逝されて解散したんですよね。
 杉田二郎氏は、その後ジローズを結成して、今はソロ活動・・と。

 この時代からのこのテの人脈系統図を追っていくと面白いですよねぇ。


最後に

♪ 振り返らずただ一人一歩ずつ 振り返らず泣かないで歩くんだ 何かを求めて振り返っても そこには風が吹いているだけ ♪

 ガンバレ!! ミンナ。  ガンバレ!! ワタシ。 



なつかしいなぁ・・・って思う方も多いんじゃないかなぁ。
手前の、及川光博に似てるギターのヒトが、若き日の杉田二郎氏です。



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別れのサンバ / 長谷川きよし

1969_11_別れのサンバ_長谷川きよし






今日の1曲セレクトは、「別れのサンバ」長谷川きよし です。

まずはデータでーす。

・タイトル    別れのサンバ
・アーティスト  長谷川きよし
・作詞      長谷川きよし
・作曲      長谷川きよし
・編曲      川口真
・リリース日   1969年7月25日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 8位
・売上げ枚数   31.1万枚
・ベストテンランクイン期間:1970年1月5日〜1月12日、1月26日〜2月16日付


 うわー、もうこんな時間ぢゃ・・・。寝る時間が・・・
・・ということで、今日は、ちょっと簡単めにさせていただけますか?・・・

 えーと、今日セレクトしてきた曲は、長谷川きよしさんの「別れのサンバ」です。
 
 うーん、ご存知の方いらっしゃいますかねぇ? 多分、あんまりいないと思いますが、あえて、承知の上で引っ張って来ました。
 なぜかっていうと、今日、長谷川きよしさんのライヴを見に行ってきたんですね。それだけのことなんですが・・。

 新宿の曙橋、昔、フジテレビがあった近くなんですが、「BACK IN TOWN」という、「大人」向けのライヴハウスがありまして、私もたまに行くんですね。
 「大人」向けとあって、出演アーティストは、60年代後半から70年代に活躍された方ばかりでして、お酒と、軽い食事をしながら安価な料金で、昔、憧れだったアーティストを身近に楽しむというようなコンセプトのライヴハウスなんですよね。
 
 ぢょうど、お世話になっている方が、長谷川きよしさんのライヴを一度見たいということだったので、今日、出演される事を事前にチェックしておりまして、一緒に見に行ったというわけです。

 うん、私もちょっと興味ありましたしね。

お目当ては、やっぱり、「別れのサンバ」ですね。

 この曲は、1969年7月25日のリリースだから、丁度ワタシが生まれた頃のヒットなんですよよね。
 だから、当然、ヒットしてたころについては、全く分かりません。 
 ネットで調べると、当時の文化放送の「セイヤング」、ニッポン放送の「オールナイトニッポン」と並んで、深夜放送の老舗ですわな、に、パーソナリティに抜擢されたのをきっかけに、リリース後、半年たった、この年の暮れからいきなりヒット街道を驀進したらしいですねぇ。

 私は、後年、例のフジテレビで放送してた「19××」で、この曲を知ったんですよね。

 曲調は、ボサノバですよ、ボサノバ。 え? しらない?
うーん、ちょっとシャンソンのノリににてるんだよね。
 要はヨーロッパ系のリズムなんだけど、タイトルが「サンバ」となっているからも分かるように、若干テンポアップした、ボサノバという、独特のクセのあるノリの曲なわけです。
 特徴としては、曲の出だしの2小節のコード進行を基本として、Aメロ、Bメロ、サビとほとんどの大きな変化がないわけです。
 それでいて、あとに残るメロディ。あとを引くっていうのかなぁ。 兎に角メロディの流れが印象的です。

 それと、リズム隊がほとんどないに等しい。ほぼ、全編にわたって、ギター1本の弾き語りで曲が進んでいく。
 レコードでは、間奏に申し訳程度にトランペット1本入ってくるけど、それだけ。あとは、ガットギターと、肉声だけ。

 いまは、こんな編成の曲は、まず、ないよね。 時代といってしまえば、時代なんだけど、本当に「歌」を聴いている気にさせてくれます。
 今は、これだけ自分の肉声に自信・・・というか、勝負をかけてるアーティストなんているんだろうかねぇ?
 たいていは、ノリだけじゃないかなぁ。 大体において、これだけシンプルな曲もないし・・・。
 だから、逆に新鮮なんですよね。 これは、若いコだけでなく、ワタシたちの年代でも新鮮なんだよね。
 ワタシたちの世代も、すでにボサノバ調の曲ってあんまりヒット曲シーンになかったしね。


 兎に角、いろいろ勉強になったライヴでしたわ。





※2005年11月に書いたものの再掲載です。

真夜中のギター / 千賀かほる 

1969_09_真夜中のギター_千賀かおる







今日の1曲セレクトは、「真夜中のギター」千賀かほる です。


まずはデータから

・タイトル     真夜中のギター
・アーティスト   千賀かほる
・作詞       吉岡治
・作曲       河村利夫
・編曲       クレジットなし
・リリース日    1969年8月10日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位  4位
・売上げ枚数    44.8万枚
・ベストテンランクイン期間:1969年10月20日〜1970年1月5日付

 今回は、思い切って、時代を遡ってみた。1969年8月リリース。丁度、ワシが生まれた頃の曲で、69年秋から冬にかけてヒットした曲ですね。
 当時のフォークブームを反映した、「歌謡」フォークの代表的な曲です。
 もちろん、リアルタイムで、この曲を聴いた、なんていう記憶は全くない。
 このオリジナルから11年後、1980年に高田みづえが、この曲のカバーを出したのね。それをたまたま、ラジオで聴いたんだよね。
 でも、ガキながらいい曲だと思ったナ。たしか、明星の付録のヤンソンにものっけられてたしね。
で、それから、しばらく忘れてたんだけど、1980年代後半〜1990年代前半は「ナツメロ」ブームだったわけで、そのときにもう一度めぐり合ったわけです。この曲に。そのときは、オリジナルの千賀かほるで。
 高田みづえとイメージが随分違ったのを覚えてるな。高田みづえバージョンは、もっとソフトだった記憶があるんだけど、オリジナルの方は、もっとはっきりしたボーカルなんですよね。千賀かほるさんのボーカルって。
 それに、コブシが結構聴いてるから、フォークというより、「歌謡曲」ってイメージが強いっていうのが、強烈な印象だったな。

 あ、この曲、当時はフォーク、それもフォークギターの入門曲として有名な曲だったんですよね。
Key=C。 もちろん、コードもC、G7、Dm、Amなど、ごく基本的なコードと、コード進行の入門曲としては最適な曲な訳です。
 
 やさしいのは、メロディ、コード進行だけではなく、詞もやさしい曲ですね。 いやこの場合は「優しい」といった方がいいかなぁ。
 
 今回このきょくを引っ張ってきたのは、この曲の詞が、今の自分の心境に似ているってところもあるからなんだよね。
 
 ♪街のどこかに さみしがりやが一人 今にも泣きそうに ギターを弾いている♪

 ♪愛をなくして 何かを求めて さまよう 似たもの同士なのね ♪

 なんかね、今の自分の心境をダイベンしてもらっているようでさ・・。
 本当は、仕事だったら、こういう部分って見せちゃ行けないと思うんだけど、ここは、あくまで個人としての日記なので、こんな心境な部分も見せちゃっていいのかな・・・と思ったわけです。今回、引っ張ってきた訳って、そういう心境が今の時分では大きな部分占めてるからってところが一番大きいですね。

 ダメだねー。夏も終わり、涼しくなってくると、ついつい、シンミリしてしまう私デス。


 ところで、この曲の作詞をされた吉岡治氏は、のちに演歌の作詞家とした、大成された方です。
都はるみの「大阪しぐれ」、大川栄策「さざんかの宿」などが有名ですね。
 このころは、コロムビア専属の若手作詞家で、このようなフォーク調の曲も書かれていたわけですね。
 
 さらに、作曲の河村利夫さんもおなじく、コロムビアの専属作曲家だったんですよね。
 まだ、このころは、レコード会社の専属制度が残っている時分で、こういうみょうちくりんなリリースの仕方しかできなかったわけです。
 
 演歌のイメージが強い、コロムビアなんで、フォーク調の曲を? なんですが、まあ、それだけ、時代はフォークだったわけですね。カレッジフォーク。 当時の大学生を中心となったムーブメントなわけです。
 そうしたカレッジフォークを核としたレコード会社の中心は、東芝EMIだったわけですが、1969年ごろにもなると、コロムビアも手をこまねいている訳にはいかなかったんでしょうねぇ。

 この辺の時代の流行や社会の流れって個人的には大好きなんですよね。高度成長社会と70年安保、なんか混沌としたグツグツと煮えたぎったエネルギーがあたっていうかね。
 ほんど、この時代の空気にじかに触れたかったって思うんだよね。 まあ、実際、じかに触れてるんだけどさ。まだ、「0歳」だったからなぁ。 あと10年早く生まれてたら・・って本気で思いますもんね。


 話を戻しますね。 この「専属制度」、今、音楽(ストリーミング含む)配信の思わぬネックなんだ。
 というのも、これ、各レコード会社が曲の権利を管理しているわけでね。ジャスラー(JASRAC)が「いい」といっても、レコード会社が「ダメ」ならダメなのよ。逆に言うと、これでけっこう、レコード会社、小銭稼いでるんだよね。 あくまで小銭だけどさ。
 でも、これのおかげで、音楽配信業者は、これらの曲を自由に使えないっていうジレンマがあるんだよね。
放送局にはほとんどないでしょ。専属曲だからっていちいち、レコード会社と許諾契約結ぶなんてこと。せいぜい放送倫理規定に触れる曲(いわいる放送禁止曲)が流せないくらいで・・。
 1970年の著作権法改正以前の曲が対象なんだどさ。(1970年の著作権法改正以降は専属制度は廃止)
 まあ、専属曲の多くは、今となっては、需要がほとんどゼロの曲が多いけど、なかには、この「真夜中のギター」のような名曲も多数含まれているわけです。
(そのほか、有名どころでは「六甲おろし」、「自動車ショー唄」などなど。ちなみに、今年はじめにドラマの「ごくせん」で有名になった、北島三郎の「兄弟仁義」もそうです。 それらの曲、JASRACはOKだけど、各所属レコード会社の専属曲なんで、レコード会社の許諾なしには配信できません) 
 これについては、mixiに他にコミュニティが立ってるから、ここでは言及しないけど、いまだに「放送業界」には優しいけど、「ネット業界」には厳しい「音楽業界」の権利関係なんだよねー。 


 えー、曲の年代が年代なんで、多分、コメントないだろうな・・と見越して、いろいろくどくどと、ヤバメのことも含めて書いちゃったかな?

 単なる日記だからして・・まあいいか。





※2005年9月に書いたものの再掲載です。
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