かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1968年

神様お願い! /ザ・テンプターズ

1968_03_神様お願い!_ザ・テンプターズ






今回の1曲セレクトは、「神様お願い!」ザ・テンプターズです。

 まずはデータです。

・タイトル     神様お願い!
・アーティスト  ザ・テンプターズ
・作詞       松崎由治
・作曲       松崎由治
・編曲       クレジットなし
・リリース日   1968年3月5日
・発売元     フィリップス
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   43.1万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1968年3月25日〜6月10日付

 えー、昨日47年前にタイムスリップしたら、戻れなくなってしまいまして・・・あせあせ ・・・というのは方便でして、幅広いGSっていうジャンルを1曲で折り返しちゃうのは、ちょっと目先が狭いかな・・・ってことと、やっぱし、47年前の今ごろがGSの「最盛期」ってこともあるかな。。

・・・っていうことで・・・、昨日は、GSのなかでも「お坊ちゃま」系のヴィレッジシンガーズを持ってきましたが、今日は、縦軸に不良⇔お坊ちゃま、横軸に音楽系⇔ゲーノー系 って持ってきたら、対抗軸上にあると思われる、テンプターズを持ってきましたぞ。

 テンプターズ。そーそー、ショーケンですわ。萩原健一氏がボーカルね。
 GS広といえど、人気の上でNO.1だった、ジュリーこと沢田研二のタイガースと競り合ったグループって言えば、やっぱしテンプターズでしょう。

 なにせ、当時の「セブンティーン」とか「明星」っつう雑誌を見ると、大々的にタイガース VS テンプターズっつう特集が毎月号のように組まれてたりして・・・。

 今で言えば、ジャニーズ系な扱いですよ。

 他方では、貴公子のビートルズをタイガースに置き換え、ワイルドなローリングストーンズをテンプターズに置き換えて、完全に対バン扱いしたりして。

 あたかも、大阪出身のタイガースに対して、埼玉出身のテンプターズということで、「東西対決」のような様相もあったりして、何かと比較の対象になってしまった、両バンドなんだよね。

 音楽性的にも、そのイメージの通り、完全にヨーロッパの貴公子をイメージしたタイガースに対して、R&B寄りの黒っぽい、骨のある曲で出てきたテンプターズと、これまた、完全な対抗的な位置にあったりしてね。

 それは、今日持ってきた、テンプターズの「神様お願い!」で、一番よく現れてるんじゃないかなぁ。

 この曲、今聴いても、黒っぽいんだよね。骨があるっていうか、ちょっと不良ぽい雰囲気がかっこいい。

 対して、同じ時期にタイガースが放った曲は、最大のヒットとなった「花の首飾り」ですよ。
 もろ、ヨーロッパのノーブルな王子様・・・っていう雰囲気じゃん。

 これは、マスコミのみなさん、いろいろ煽って下さい・・・と言わんばかりの徹底した対抗作。。。

 っていうか、まあ、作為的なものではなく、たまたま、そうなっちゃったんだろうけどね。

 なにせ、テンプターズは、この曲が「初のヒット」だったわけで。。。

 それがたまたま、マスコミが喜びそうな構図だったわけで。。。


 ちなみに、オリコンでは、タイガースの「花の首飾り」が1位を獲得したのに対して、テンプターズのこの「神様おねがい!」は、「直接対決」の末、タイガースの前に2位に甘んじてたりする(1968年5月13日付)。

 次のテンプターズ最大のヒットとなった「エメラルドの伝説」では1位を獲得したんだけどね。
 ただ、自分たちのオリジナルの「神様お願い!」に対して、作られた「エメラルドの伝説」で1位を獲得したのは、当時の心中としては、如何ばかりのものだったんでしょうねぇ。
(ちなみに「タイガース」は、当時は、すべてプロの作家が作ったものでオリジナルはシングルとしては後期までなし)

 そういう意味では、完全なるゲーノー系だったタイガースに対して、テンプターズは本意的には、音楽系をめざしていたのかもしれない。

 上で書いたように、ショーケンっていう、目玉のボーカリストがいたから、たまたまタイガースの好敵手にされてしまっただけで。。。


 個人的に言っても、今聴く分には、タイガースよりテンプターズだなぁ。
 タイガースの曲って、なんか、気恥ずかしいんだよなぁ。だいたい、王子様ってガラぢゃないしふらふら
 テンプターズは、今聴くと、カッコいいんだよね。いまでも通用するよ。
 特に、この「神様お願い!」なんて、下北沢系あたりのコアメロ系バンドなんて、やったら、絶対いまでも受けるって。3ピースで充分に雰囲気出るもの。


 ところで、タイガースの「花の首飾り」は、後年いろんなヒトがカバーしてるけど、テンプターズの、この「神様お願い!」は、あんまりカバーされないな。

 うんにゃ、一人だけいた。ぬわんと、KUWATA BANDがカバーしてたのよ。うん、シングル「MERRY X'MAS IN SUMMER」のC/W。

 で、参考にちょっと聴いてみた。



 うーん、桑田氏には申し訳ないけど・・・、これは、完全にオリジナルのテンプターズの方がいいわ。

 イントロの ♪ アー アアアー アー アアアー〜♪の部分が、ショーケンの方がセクシーだすよ。

 ギターは、完全にガレージっぽいし、↑の♪アー アアアー〜♪の部分でうねうねうねるベースもかっちょいいしね。

まあ、桑田氏も、ショーケンに対するオマージュってことで、カバーしたまでて、対抗意識は全くなかったんでしょう。

 桑田氏って、今もそうだけど、結構GSの影響受けてるんだよね。で、なかったら「チャコの海岸物語」なんて書かないって。
 
 それにドラムの松田氏が完全なGSフリークだったりするからなぁ。

 まあ、それを抜きにして、この曲のカバーおすすめだす。



 なお、タイトルからして、なーんかチェッカーズの「神様ヘルプ!」と類似性を感じちゃうんだけど・・・・ふらふら
 チェッカーズの方がパクリだよね、きっと。。。。
 曲も、パクリではないけど、かといって、雰囲気は遠からず・・・というか。。。。あせあせ




是非、聴いてみてくだされ。
 最近、ガレージっぽいバンドってたくさんいるけど、今のバンドに全然引けを取ってないよね。
47年も前に、このグルーヴと、音圧を出していたテンプターズって圧巻だと思うなぁ。



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亜麻色の髪の乙女 / ヴィレッジシンガーズ

1968_03_亜麻色の髪の乙女_ザ・ヴィレッジ・シンガーズ

 




今回の1曲セレクトは、「亜麻色の髪の乙女」ヴィレッジシンガーズです。

 まずはデータです。

・タイトル      亜麻色の髪の乙女
・アーティスト  ヴィレッジシンガーズ
・作詞      橋本淳
・作曲      すぎやまこういち
・編曲      すぎやまこういち
・リリース日   1968年2月25日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数  18.6万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1968年3月18日〜4月22日付

 今回の1曲セレクトは、一挙に時代を遡りますぞ。今から47年前へタイムスリップ!
 
 ハイ、時は1968年3月。オリコンもまだ、創刊して間もない頃ですね。
 時はGS全盛期。なに? ガソリンスタンド? ・・・なんて、思うヒトは、よもや、ここに来ている方にはいないでしょ。。あせあせ
 グループサウンズね。

 まあ、グループサウンズといっても、そのジャンルは幅広うございまして、ひとことでは、なかなか言い表せないんだよね。まあ、今でいう「バンド」ですよ。
 その中には、ゲーノー系なのもいれば、反対に、もろ音楽系もいる。
かつ、歌謡曲系もいれば、ロック系もいる。 不良系もいれば、おぼっちゃま系もいる。。。

・・・・と、なかなか、これだ〜exclamation ×2 といえないのも、GSっていう「ジャンル」の面白さの一つなんだよね。


 そういうことで、今日は、上の書き方で言えば、おぼっちゃま系のグループの一つであるねヴィレッジシンガーズ最大のヒット、「亜麻色の髪の乙女」を引っ張ってきたりしましたぞ。

 まあ、日本のポップス史を振り返ると、1960年代までは、「おぼっちゃま系」は、欠かせない存在だったのですよ。
 ハイ、慶応、青学、立教、学習院あたりの、いいとこの「ご子息」です。

 なんせ、バンドやるには「金がいる」っちゅうことは、今も昔も変わらないわけで・・・。
 ましてや、楽器が今ほど、ぜんぜん普及していない60年代。まだまだ、一般家庭はビンボーだった時代に、音楽なぞに「ウツツ」を抜かせるのは、いいとこの「おぼっちゃま」ぐらいなもんだったわけですよ。

 ・・・と言う事もあり、当時は「おぼっちゃま」が流行の先端をいけたわけですね。

 もちろん、ヴィレッジシンガーズも「成城大」出身の「おぼっちゃま」グループ。

 育ちのよさは、やってる音楽には、もろ反映されたりするわな。

 だってさ、曲のタイトルからして、品のよさを感じるぢゃないの。
「亜麻色の髪の乙女」だものね。「乙女」なんて、一般庶民は、なかなか使わない単語ですぞ。

 曲は・・・・、みなさん、ご存知でしょう。 ハイ、あの曲ですね〜。

島谷ひとみが、2002年にカバーして、大ヒットしたアレ・・・です。

フォト 


・・・と、書くと、「え〜、あんなハイパーな曲、47年前にあったの?」なんて、いわれそうだけど、島谷バージョンは、かなーり、今風にアレンジさせてるわけですよ。

 オリジナルは、あんなにbpmも早くないし、ビートもきつくないですよ。
 グループサウンズだもんね、もともとは。
 オリジナルは、もっと、今で言えばガレージっぽいアレンジなんですわ。

 ボーカルの清水氏も、今で言えば歌謡曲っぽい歌い方だしね。そんなところも、おぼっちゃまの片鱗なんですかねぇ。

・・・・書くと、ヴィレッジシンガーズが、この曲のオリジナルって思われがちだけど、それが違うんですねぇ。
ヴィレッジシンガーズも、実はカバーなんですよ。

オリジナルは、ヴィレッジシンガーズからさらに遡ること2年前。青山ミチさんって方が1966年11月にリリースしたシングル。
 もっと、こちらは「風吹く丘で」というタイトルらしいですけどね。
しかも、すぐに発売中止になって、回収されちゃった(本人が覚せい剤で捕まった)らしいので、一般には広まらないうちにお蔵入りになったようです。


 ところで、この曲は、林哲司氏著の「歌謡曲」っていう本にも、取り上げられているんだけど、どうも、ボーカルメロディが、作曲した、すぎやまこういち氏のイメージと違う部分があるらしい。

Aメロの部分の出だし

♪ 亜麻色の 長い髪を 風がやさしく包む〜 ♪

の部分の ♪ やさしく包む ♪ の部分。

 この「やさしく」の部分、島谷ひとみさんの場合は、完全に「同じ音」で歌ってるけど、じっさい、すぎやまこういち氏は、「〜しく」の部分を半音上げて・・・っていうイメージだったらしい。

 まあ、オリジナルのヴィレッジシンガーズの清水氏のボーカルもやや、怪しいんだけど・・・。

 それでも、作曲のすぎやまこういち氏は、あれから47年経った今でも、ここの「音」の違いにこだわっているそうですね。

 うーん、作曲者の感性っていうのかなぁ、コダワリだよね。単純に聴いてる方からすると、言われて見ないとわかんないんだけどさ。

 それでも、すぎやま氏らしい、こだわりかな・・・とも思えるね。

 なんせ、ファイナルファンタジーの着メロの音を、全社分、丹念に確認して「ダメだし」したりしてる方だったりするから。。。ふらふら

 でも、作者の「こだわり」っていうのは、いくら「商業音楽」でも必要だと思うのよ。だからして、面白いわけで。。。

 これ、画一になっちゃったら、面白くもなんともなくなっちゃいますよ。硬ーくいえば、「著作人格権」ね。

 まあ、2次使用する側とすれば、これがあるから、厄介なんだよな。。。って部分もあるんだけどさ〜。。。 





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帰ってきたヨッパライ / フォーククルセダース

1968_01_帰ってきたヨッパライ_フォーククルセイダース






今日の1曲セレクトは、「帰ってきたヨッパライ」フォーククルセダースです。

 まずはデータでーす。

・タイトル     帰ってきたヨッパライ
・アーティスト   フォーククルセダース
・作詞       フォーク・パロディ・ギャング
・作曲       加藤和彦
・編曲       クレジット無し
・リリース日    1967年12月25日
・発売元      東芝EMI(東芝音工)
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    131.3万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1968年1月11日〜3月18日付

 えー、長年ランキングってもんを見てくると、ヒットが出る日、時期って案外まとまっていることに気付いてくるもんなんですよね。
 まあ、昔から、レコード会社の慣例なのか、四半期毎の最終月(3月、6月、9月、12月)っつうのは、そのころの「旬」といえる、アーティスト、あるいは楽曲をリリースする傾向にあるみたいですね。
 もちろん、これは、制作側、その他、云々の絡みがあるわけで、一概にこれが全てとは言えないけど、大まかの傾向を見ると、こんな傾向が見られるんだよね。

特に12月っていうのは、昔から結構、大ヒットの曲が多いように思えるね。
 冬ってのは、いつの時代でも、家の中で、静かに音楽でも・・って考えるのは、時代を問わずなんでしょうねぇ。
 ま、忘年会、新年会シーズンでもあるし、ガキんちょは、クリスマス、お年玉っていう季節で、他の季節よりレコードを買ってくれる率が高いんで、各社、力を入れるんでしょうけど・・。

 でもって、今日も昨日に引き続き、12月25日、クリスマスリリースでの、ミリオンヒットです。

 帰ってきたヨッパライ / ザ・フォーククルセダース

 実に46年前の曲なので、曲はご存知でも、タイムリーに聴いてた方は、さすがに少ないかなぁ。
 実際、ワタシもまだ、生まれてないっすからねぇ、もちろん、タイムリーには聴いておりません!

 だけど、曲は永久不滅、エバーグリーンですよね。

 だからこそ、タイムリーに知らないワタシらでも、興味があるわけで、とりあえず、私なりの解釈している事を、今日は書いていきましょう。。。(←自慢げ??)

 歌っているのは、フォーククルセダースっていう、京都発の3人組。加藤和彦氏、はしだのりひこ氏、北山修氏。

 ただ、この3人組、オリジナルのメンバーではないのよね。もともとは京都の学生中心のフォークサークルで、コピーを中心に活動していたらしいですワ。

 で、大学卒業を前にフォークルを解散することになり、その解散記念に、自主制作LP「ハレンチ」を制作することになり、この「帰ってきたヨッパライ」は、その中の1曲だったんですよね。
 今、調べたら、このアルバムのリード曲でもなかったみたいで、アルバムB面の2曲目に「ひっそり」収録されています。

 それだけに、全く自由な発想で、曲が作れたっわけですねぇ。まあ、そもそもが「自主制作盤」なわけで、営利を目的にしているわけではなかったわけで、全てが自由な発想なわけですが、とくに、この曲は、「プロ」では思いも着かないような、コペルニクス的発想の転換な曲だよねー。

 「テープの早回し」

 こんなの、いつも「まとも」に音楽作っている、プロには、「絶対」というほど、思いも着かない発想だわなぁ。
 いや、当時は、まだ、「アーティスト絶対主義」の時代。アーティストの「声」にエフェクトをかけるなんて、「タブー」だったんじゃないかねぇ。発想したくても発想できない状況ではなかったかな。 
 美空ひばりのボーカルトラックにエフェクトなんぞかけたら、まず間違いなく「切腹」だったでしょ? あの時代。

 そういう時代に、なんの疑いもなく、こういう発想をし、実際に曲にするってのが、とんでもない発想の転換だったんだよね。 まさに実験音楽の局地。
 まあ、これも、営利主義外の自主制作盤だったから出来た「技」だけどねぇ。

 ちなみに、この発想、あの時代、普及し始めた「カセットテープ」では思いつかなかったって言われているんですよね。
 「オープンリール」ならではの発想。

 え? また、ジェネレーションギャップ? オープンリールテープねぇ。。。
 2つの円盤の間に磁気テープをまいた、カセットよりでっかいテープですよー。
 46年前は、まだ、こっちのほうが主流だったのよね。

 そうねぇ、いまだったら、CD-Rがオープンリールで、MDがカセットって感じかなぁ?

 ワタシらの年代は、すでにカセットが主流だったけど、実は、ワタシは、オープンリールも扱ったことあるんだよね。
 小学生の頃、ワタシ、放送部でさぁ、なにせ、田舎の学校だったからさぁ、機器が古かったんだよね。
 で、カセットなんてなくて、テープはオープンリールだったのよ。
 片方のディスクに巻き戻した磁気テープを「にゅー」と手動で引っ張って、ヘッドに通して、もう片方のディスクにテープを固定して再生するんだよね。
 結構な手間なんだ、これが。その手間の時間を考えててないと、放送時間に遅れちゃったりしてね。

 でも、今の「選曲」っていうお仕事と、「サイト運用」っていうお仕事は、意外とあの時代の経験が「ベース」になっていることが多いですね。


 ありゃりゃりゃ、またまた、話がそれた。。。。

なんで、オープンリールで早回の発想ができるかっていうと、このオープンリールっていう代物、テープの進行速度を変えて録音できたんだよね。
 テープの進行速度、通常の速度と、半分の速度だったかな ぁ。半分の速度で録音すると、当然、より長くテープに録音できるってことだよね。
 これは、当時、まだ、磁気テープが高かったための手段だったようだねぇ。

 ただ、半分の速度で録音した音を通常の速度で再生すると、当然、倍速で音が聴こえるってことだよね。
 なんで、あんなふうな、へんちくりんな声になっちゃうわけ。

 ここから、来てるんだよね。この「帰ってきたヨッパライ」って。


 逆に、通常の速度で録音した音を、半倍速で再生すると、逆にとんでもなくゆっくりに聴こえる。音も下がって聴こえるんだよね。
 これを利用したのが、昔、東京12ch(現テレビ東京)で放送していた「プレイガール」のタイトルバック音声ぢやないかなぁ。

 「プレイガ〜〜〜ル」って、とんでもなく低い声のタイトルバック効果音。


  だからねー、おそらく、加藤和彦氏って、発想がめっちゃ鋭いんだろうなぁ。普通だったら「速度が間違ってら」で終わりですよ。

 でも、曲としては、通常のBPMだよね、この曲。 だから、逆に考えると、もともとは、めっちゃ「ゆっくり」録音したことになる。

 まだ、4チャンネルの時代だろうから、レコード聴くと、ボーカルトラックと、もう1チャンネル、多分ギタートラックと、ピアノなのかな? のトラックを半倍速で録音して、そのまた上に通常の速度でバックボーカル(コーラス)やら、他の楽器のトラックをかぶせて、この曲が出来てるんだよね。

 しかも、テンポが変わらないようにしようしたメトロノーム
の音まで、オマケに入ってたりして・・(^^;;;;;

 当時のアマチュアが考えたにしては、かなり緻密な作りになっているわけです。

  この曲が収録されたアルバム「ハレンチ」は、最初に書いたように「自主制作盤」なので、当然、全国の放送局には回っておらず、関西の放送局のみに配布されたようなんだよね。
 で、最初に書けたのは「関西ラジオ」。
 ところが、1度かけたところで、リクエストが爆発的に押しかけたワケです。

 まあ、そうでしょうなぁ、それまで、全く「耳にしたこと」もない「音楽」だったわけですから・・・。

 ここに目をつけた、大手レコード会社が、こぞって、この曲の原盤権を買い付けて、結局、東芝音工(今の東芝EMI)が獲得し、その年の暮れ、12月25日に「臨発」状態でリリースされたようですね。

 だから、この曲のジャケットは、本人たちは写ってない。アルバム「ハレンチ」のジャケットをそのまま使ってるんですわ。

 逆に、それも、この曲同様、謎めいてて良かったんだろうねぇ。

 そして、「オールナイトニッポン」でのOA。これが、この曲の超大ヒットを決定付けたっていうかね。

 だから、このタイムラグもあり、チャート上では、最初からベストテン入りではなかったんだよね。

1968年1月4日付、記念すべきオリコン第1回ランキングでは、33位初登場
 翌週1月11日付3位、翌18日付も3位、翌25日付で1位。ここから4週連続の1位となっている。

 でも、いえることっていうのは、無欲の勝利って言うかねぇ。とにかく、面白く、興味深く曲を見せるっていうかね。
 固定観念外の勝利だと思うんだよね。

 これは、今でも通じることなんだよね。特にアマチュア、インディーズの方々に言いたいのは、オリジナリティを作れって事ですね。
 自分で曲をつくるから、詞をつくるから、いわいるシンガーソングライターだからオリジナリティっていうのは、絶対に違うと思うのよ。これは、完全な履き違い。

 自分(達)にしかできない、音(色)であったり、メロディラインであったり、詞であったり、するのを表現できるから、オリジナリティなわけで・・。
 既存のものにとれられずに発想の転換・・、しかも、大事なのは、時代に即した発想の転換っていうのかなぁ・・。
 それまでの流れとは全く超越した発想の転換っていうことは、時にはそれもありだけど、大抵は、「奇人変人」で片付けられちゃう。
 大事なのは、いかにオーディエンスをふりむかせることが出来る発想の転換なんだよね。
 これは、かなり難しいこと。

 それは、意外と足元に転がってかもしれないわけ。
上で書いたように「帰ってきたヨッパライ」だってそうぢゃない? テープの早回しなんてのと、当時、オープンリールを使っていた方なら、ほとんど誰でも知ってたと思う。そこに気付くか気付かないかの差だよね。

 要はいつも見慣れてる風景なんだけど、みんなの死角になっている部分の風景ってあると思うんでよね。ある方向からは陰になっている部分っていうの?
 そういう部分を、うまく引き出すことだと思うのね。

 いまヒット曲界に必要なことは、その部分ぢゃないかなぁ。
サウンドにしても、メロディにしても、だれだれ風とかぢゃなくてさ。「元祖」っていう部分。


 この曲聴くと、いつもそう思いますわ。





※2006年1月に書いたものを再掲載しました。
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