かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1968年

おかあさん / ザ・テンプターズ

1968_11_おかあさん_ザ・テンプターズ


今回の1曲セレクトは、「おかあさん」ザ・テンプターズです。

まずはデータです。

・タイトル     おかあさん
・アーティスト   ザ・テンプターズ
・作詞       松岡弘子
・補作詞      松崎由治
・作曲       松崎由治
・編曲       川口真
・リリース日    1968年9月25日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位  4位
・売上げ枚数    28.0万枚
・ベストテンランクイン期間:1968年10月14日〜11月11日 11月25日付

少し時間が過ぎてしまいましたが、作・編曲家の川口真氏が亡くられてしまいましたね。
享年83才。
東京芸大出身だから、深町純氏や坂本教授、King Gnuの常田大希の先輩にあたるわけだけど、左記の各氏が、ポップス界とは言え前衛的な音楽が特徴であるのに対して、川口氏の音楽は、純粋に「歌謡」音楽だったんですよね。
 もっとも「歌謡」音楽については、あくまでアルバイト感覚で活動していたようですが。。。 この点は業界に入りたての頃の坂本教授に近いのかなぁ。

個人的に、川口氏を意識したのは、河合奈保子さんの「愛してます」を聴いてからかなぁ。
そそそ、この曲の作曲が川口氏でしたね。
それまで、作詞、作曲者のクレジットなんて、まったく気にしてなかったけど、ちょうど、このころ月刊「明星」を買うようになって、付録の「歌本」みると、必ず作詞、作曲、編曲者がクレジットされているわけじゃん。 そこからですねぇ、ヒット曲の作家を意識するようになったのは。

歌本も何か月か見てれば、大体ヒット曲作家の面々って分かってくるじゃん。 80年代初頭だったんで、作曲家だったら筒美京平氏、馬飼野康二氏、 作詞家だったら、松本隆氏、なかにし礼氏、三浦徳子氏、編曲家だったら船山基紀氏あたりはすぐに覚えたなぁ。

川口氏は、その中の作曲家として覚えたんだけども、氏は編曲の方が多いんだよね。それを意識するようになったのは、もう少し後だったか・・・。

で、氏の曲を80年代から遡って聴くようになって、一番特徴的に思ったのは、ベースラインかなぁ。
一番特徴が出ているのは、由紀さおりさんの「手紙」だったりするんだけども、16ビート的に「動く」ベースラインがさあ刺さるんだよね。
↑の河合奈保子さんの「愛してます」もそうなんだけども。。。 (もっとも「愛してます」のアレンジは船山基紀氏ですが・・・)
  それに気が付いてからは、川口氏が作・編曲した曲はベースラインに気を付けて聴くようになったりしてね。


おっととっと またもや「マクラ」が長くなっちまった。。。。

・・・ということで、今回の1曲セレクトは川口真氏が「関わった」曲を持ってきましたわ。

ザ・テンプターズ 「おかあさん」

ワタシさあ、これまで気にして来なかったんだけども、件の「エメラルドの伝説」以降のテンプターズの一連のヒット曲って、川口氏がアレンジしてたんだねぇ。

もっと前から気にしてても良かったものの、昔、少なくとも70年代以前のヒット曲って、例えば上記の明星の歌本みても、アレンジャーの記載ってなかったし、どうも薄い存在ではあったんだよね。

そんなこともありーの、ワタシとしても、少なくともG.S時代のヒットのアレンジャーには、あまり注意してなかったこともあるな。

まあ、だからこそ、逆に新鮮ではあるんだけどさ。。。。

で、「おかあさん」。

この曲は、テンプターズ最大のヒットである「エメラルドの伝説」の次シングルということで、1968年9月にリリースされている。

当時ワタシゃ、-1才。

はい、まだこの世に生まれておりませぬ。 

なので、当然リアルタイムで聴いていないわけで、本当は知らないはずなんだけども・・・。

でも、なぜか知ってたんだよねぇ。。。。

個人的にG.Sを意識し始めた1986年。初めて買ったG.SのオムニバスCDにこの曲が収録されていたんだけども。。。

あの時点で、テンプターズの曲では、この曲の2曲前の「神様お願い」は、Kuwata Bandがカバーしてたんで知ってた。 うん、あくまで「カバー」してたからと言う意味で。
1曲前の「エメラルドの伝説」は、タイトルは知ってたものの、実際の曲は知らなかったんだよなぁ。。。このCDを聴いて・・「あ、初めて聴いた」っていう感覚だったから。。

で、件の「おかあさん」。 CDを聴いて、「あ、この曲か〜」っていう感覚になったんだよなぁ。

もっともフルで知っていたわけではなく、イントロ冒頭の  ♪ オー ママ ママー ♪っていうフレーズとか、切れ切れの記憶ではあったけど。。

どうなんだろうなぁ・・。個人的に、まだ物心が付かない頃、意識していないところでどっかで聴いてたのかもしれないなぁ。。。

この曲の ♪ オー ママ ママー ♪ と言うフレーズと、ホット・トップスの「マミーブルー」だっけ   ♪ Oh    Mammy   Mammy〜 ♪ っていう曲。

あれとごっちゃになって覚えてた感覚があるなぁ。 「マミーブルー」は1971年のヒットで、ワタシが2才の頃なんで、もしかすると、その頃、ごっちゃに聴いてたのかもしれない。。

この曲のボーカルは、ショーケンではなく、リーダーで、この曲を作曲した松崎由治氏。
デビュー曲の「忘れえぬ君」も氏のボーカルだけども、ショーケンと声質が似てるんで、ちょっと聴き、ごっちゃになってしまうんだけども・・・。

でも、この「おかあさん」での泣きのボーカルは、松崎氏ならではと言うところなんだろろうなぁ。

ちなみに、「忘れえぬ君」でもそうだけど、この「おかあさん」でも、ショーケンはバッキングのブルースハープを披露していたりする。

この曲の前の「エメラルドの伝説」もそうだったけど、ばっと聴き、「なんでぇ・・・歌謡曲じゃねえか」と思えてしまうんだけども、 ショーケンのこのブルーハープが効いてるんだよね、やっぱり。

大げさに言えばサザンロック的な匂いを感じてしまう。 そこがヨーロッパの貴公子のイメージだった、ライバル「タイガース」との最大の違いなんだろうな。 アウトローという匂いを感じさせる点で。

個人的にも、少なくとも今となっては、「タイガース」よりは「テンプターズ」なんだよね。
たしかに、ややもすれば「タイガース」のほうが知名度はあるし、曲も取っつきやすいんで、G.Sの超入門としては入りやすい。

それに比べると、テンプターズは、やや匂いがありますからねぇ。貴公子のタイガースに対して不良の匂い。
「エメラルドの伝説」なんかは、歌謡曲的でとっつきやすい。だから最大のヒットにもなったんだろうけどね。

でも、この「おかあさん」っていうタイトルは、やっぱ気恥ずさが立っちゃうよなぁ。
アウトローなテンプターズが「おかあさん」っていうタイトルはどうなのよ? ・・って印象も個人的には受けるんだけども。

実際、大人のミュージックカレンダーというコラムでの、ドラムの大口広司氏の証言によると、この曲のリリースにあたっては、メンバー間でも「埼玉のストーンズと呼ばれたテンプターズが、この曲は無いだろう」と「言い争い」になったようだ。




特に、ボーカルをとった松崎氏とショーケンの間に溝が出てきたことは間違いなかったらしい。

この曲の歌詞は、当時週刊「平凡」で、一般読者に呼び掛けて行った、テンプターズの曲の歌詞募集キャンペーンで選ばれたものが原型なんだよね。

まあ、月刊「明星」でのタイガースの曲の歌詞募集キャンペーンの末リリースされたのが、件の「花の首飾り」だったことに対抗してのキャンペーンだったことは、明白なんだけどさ。

テンプターズは、どこまでもタイガースのライバルだったのか。。。
本人たちから見れば、本心だったのかは分からないけども、少なくとも、「明星」VS「平凡」っていうのは、ガチガチのライバル誌だったわけだから、こういう後追いキャンペーンの図式になったんだろうけどね。

まあ、そんなキャンペーンが、メンバー間の溝に発展するということは、「平凡」側としても予測してなかったんだろうけど、なんとなくやるせない気分になってしまいますね。





前曲「エメラルドの伝説」では、オリコン1位の大ヒットになったのに比べると、オリコン最高4位、30万枚弱の、いわいるスマッシュヒットで止まってしまったのは、多分にこの曲のイメージが災いしてしまったんだろうなぁ。

↑の大人のミュージックカレンダーのコラムにもあるように、不良性が売りだったテンプターズの一般的なイメージとの乖離。加えて、メンバー同士での軋轢の発生。
さいしょは些細な溝だったのもかもしれないけど、その修復が出来ないまま、人気も下がって行ってしまったわけで。

タイガースが、すぎやまこういち氏を中心としたブレーンの作詞、作曲だったのに対して、松崎氏を中心としたオリジナルも出来たテンプターズは、より音楽性も高かったし、人気も高かった。
それゆえに「エメラルドの伝説」ただ1曲のオリコン1位獲得で終わってしまうようなグループではなかった思うんだけどもね、それだけに残念だし、1曲ではあるけど、その1曲がグループ内の軋轢の原因になりうるという点では、、リリースする楽曲の意味合いも考えされられますね。

後年の「チェッカーズ」がメンバーで曲を作るようになって以降、 もし、1曲のオリコン1位獲得で終わってしまったら、同じような印象になったのかもしれないな。



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海は恋してる / ザ・リガニーズ

1968_09_海は恋してる_ザ・リガニーズ


今回の1曲セレクトは、「海は恋してる」ザ・リガニーズです。

まずはデータです。

・タイトル     海は恋してる
・アーティスト   ザ・リガニーズ
・作詞       垣見源一郎
・作曲       新田和長
・編曲       ありたあきら
・リリース日    1968年7月1日
・発売元      東芝音工
・オリコン最高位 37位
・売上げ枚数   5.7万枚

昨日、車を飛ばしつついつものように、FM東京「山下達郎・サンデーソングブック」を聴いてたら、The Amarriesの「From A Distance 」がかかった。

「From A Distance 」、邦題では、「孤独の世界」。 P.Fスローンが歌って、日本でもヒットした曲ですね。

でも、何? 「The Amarries」って。。。 またまた、ヤマタツお得意の、超マニアックバンドですか?

なんて思われがちだけど・・・。実は日本人なんだよね。 

「ジ・アマリーズ」。 68年当時、早稲田の学生だった3ピースフォークグループ。彼らがP.Fスローンの「孤独の世界を」日本語でカバーしてた曲だ。

・・・ってサンソンで邦楽がかかるのもあまりないんで、思わず聴き入ってしまったんだけども、正直「ジ・アマリーズ」なんてグループ知らなかったぞ。

調べたら、早稲田から出てきた「ザ・リガニーズ」の弟分のグループだったんですね。

ああ、「ザ・リガニーズ」なら知ってるぞ・・


・・・っちゅうことで、今回はザ・リガニーズのこの曲を持って来ましたわ。

「海は恋してる」

いや、ザ・リガニーズっつったらこの曲でしょ。。っちゅう、代表曲ですね。

まあ、今から51年も前の曲なんでねぇ、タイトルだけ見たら、「え? 知らなーい」って思う方もいらっしゃるかと思うけど、

♪ 君はきれいな 海の恋人 やさしく抱かれて 夢をごらんよ〜 ♪ 

って言うお馴染みのサビのフレーズ。
曲を聴いたら、「あー、この曲ね」って思うんじゃないかな。 

リリースは1968年 昭和43年7月。 

当然、ワタシゃ、まだ、この世に居ない。「-1才」 だったからねぇ。。

そんなワタシなんだけど、この曲は、結構早くから知ってたんだよな。 恐らく小学生の頃から知ってたと思う。

たしか、何かのコマーシャルのCMで使われてたのかなぁ。 何のコマーシャルだったのかは忘れたけど。。
当時、まだ福島のいわきに住んでたんで、もしかしたら福島のローカルCMだったかもしれない。

あ゛、でも、完全に覚えてるのは、小学6年の夏ですね。

1981年夏、かつてのG.Sでの人気グループ、ワイルド・ワンズとザ・ジャガーズが相次いで再活動を始めてたんですよね。
ジャガーズの「君に会いたい」は、たしか「サントリー・生ビール」のCMに使われたんじゃなかったっけな。

それぞれのグループとも、60年代〜70年代初頭のG.Sブームの終息から丁度10年ってことで、再活動の動きが活発になったんだけどさ。

ま、この時の再活動開始は、それほど大きな「波」にはならなかったんだけども、でも、これが呼び水となって、この年の年末の「ザ・タイガース」の再結成に繋がったのは、間違いないところだよね。

で、そんなG.Sグループ再結成の動きに併せて、この「海は恋してる」も再発されたんだよね。

いや正確に言えば、再発ではなく、当時人気俳優だった、広岡瞬が、この曲のカバーをリリースしたんだよね。
個人的には、その印象が色濃いんだよなぁ。

オリジナルの「ザ・リガニーズ」の音源を手に入れたのは、確か高校生の頃だった。
まあ、それでも年齢的に早かったかな・・とは思うけど、高校の頃、時代を遡ってヒット曲を追いかけてたんでね、このころ60年代、70年代の音源も大分取得してたんだよね。

それで、音源を整理する上で、ヒット順に曲に整理番号(ID)を振って並びかえるって言う現在に続く音源整理を始めたんだけど、ヒット順に曲を聴いて来ると、この「海は恋してる」って言う曲は、G.Sとはちょっと違うな・・って思えるようになったんだよね。

逆に言えば、それまでは当時のグループの曲って、全部G.Sなんだろうって言う認識でいたんだけども。

ちょっと毛色が違う。 そもそも、サイケ、ガレージ感が無いし、健全なイメージ。 少なくとも夜に向かった音楽ではない。

そそそ。当時は、慶応、早稲田、青学、成城・・・と大学のサークルから出てきたグループが多かったんだけども、それら大学から出てきたグループのうち、東芝からリリースしたグループは「カレッジフォーク」と呼ばれるようになった訳なのよ。

 これは、当時の東芝音工の名物ディレクターだった、高嶋弘之氏(高嶋ちさ子のお父さん、故・高島忠夫の実弟)が名付けた・・というかシリーズの呼称なんですよね。

まあ、当時の大学生は知的エリートだし、そもそも音楽なんぞやってるのは、そのなかでもいいとこのおぼっちゃまだった訳で、いわいるG.Sのサウンドとは違ったんだよねぇ

やっぱり、育ちが音が出る・・・っていうかねぇ、 上で書いたようなガレージ感、というか不良性が無い訳よ。

だから、サウンド的にG.Sとは異なるんだよね。 その辺を高嶋氏は見抜き、G.Sとは一線画した「カレッジフォーク」というシリーズを立ち上げんだろう。

でも、それは正解だったんじゃないかなぁ。 

後年、ニューミュージックと呼ばれるようになった音楽は、70年代初頭に突然出てきたかのように、ものの本には書かれる事があるけど、実際は、このカレッジフォーク路線が基盤になって発展した音楽なんだよね。

はっぴいえんどだって、ティンパンアレイだって、それ以前に、ユーミンを発掘した村井邦彦氏だって、早稲田・慶応閥な訳じゃないですか。 結局はカレッジフォークからの流れなんですよね。

それを考えると、今のJ-POP、特に今をときめく、米津玄師や、あいみよん、髭ダンなどのシンガーソングライター系アーティストの流れを辿って行くと、源流の一つはココにたどり着くと思う。そういう意味ではJ-POPの「祖」と言うべき音楽だったんじゃないかなぁ。

もちろん、G.Sからの流れも、亜流となってではあるけど、今のJ-POPに繋がっているんだけどね。




この曲のキモは、サビのメロディラインもさることながら、Interludeでのセリフだよね。

「海も失恋するのかな? 涙をいっぱいためるかな? でも、溢れだしたら困っちゃうな 
だって俺 泳げないんだもん 」

なんて、間抜けなセリフなんでしょ 。今だったら、バカヤロッ って思わず張倒したくなっちゃうような

でも、結局こういうところがG.Sとは異なるんだよな。いいとこのおぼっちゃまって言う感じじゃん。


ちなみに、件の「ザ・リガニーズ」、メンバーは

・新田和長(VO. G)
・武藤敏史(G)
・内山修(B)
・吉田光夫(G)
・常富喜雄(G)

・・・すげぇメンバーだって思う方は、「業界」通ですね。

そそそ、新田和長氏は、グループ解散後、東芝EMIに入社し、チューリップ、甲斐バンド、長渕剛、稲垣潤一らを育てた名ディレクターとして活躍後、ファンハウス社長
武藤敏史氏も東芝EMIに入社後、オフコースを育て上げ、寺尾聰の件の「Refrections」をプロデュースした名ディレクター。 

いや、「ザ・リガニーズ」に限らず、この当時のカレッジフォーク、G.Sには、後にレコード会社の名ディレクターになられた方が実に多い。
カレッジフォークからは、その他に、「ザ・ランチャーズ」の渡辺有三氏(元キャニオン名ディレクター)が有名ですよね。

結局さ、そういう流れから見ても、この頃のカレッジフォークから、今のJ-POPに繋がってる部分って言うのも大きいんだよね。

ちなみに、ベースの内山氏とギターの常富氏、最初に書いた「ジ・アマリーズ」の田口氏は、後に「猫」と言うグループを結成し、「雪」「地下鉄にのって」「各駅停車」などのヒットをとばしましたよね。

ついでに、後にワイドショーのリポーターになった所太郎氏もグループに在籍。でも、本人はあまり語らなかった見たいですが。。。



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小さなスナック / パープルシャドウズ

  1968_08_小さなスナック_パープルシャドウズ

今回の1曲セレクトは「小さなスナック」パープルシャドウズです。

まずはデータです。

・タイトル     小さなスナック
・アーティスト   パープルシャドウズ
・作詞       牧ミエコ
・作曲       今井久
・編曲       林一
・リリース日   1968年3月25日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  47.0万枚
・ベストテンランクイン期間:1968年6月24日〜9月9日付

いやー、今日は最高に暑い。 昼間の家のダイニングの室温計は35℃を指しておりましたわ。。。。
チケケチ生活のワタシは、クーラーは自分の部屋しか入れてないんで、自分の部屋以外、他の部屋は熱帯なのよ。そんな訳で、今日は1日部屋でダラダラ。。。。 外になんか全く行く気無しですわ。。。
まあ、考える事はみんな同じなのか、日中、外を歩いてるヒトもほとんど居なかったし。。。静かな日曜でしたわ。

それはそうといつまで続くんですかね〜、この暑さ。 来週末はもう9月なんですけど。。。。
「夏の終わり」の兆しが見えないですねぇ。

本当はね、そろそろ夏の終わりを想定して1曲セレクトを書きたかったんだけど、そんな雰囲気じゃねーよなー。


・・・っつうことで、曲を変更。

で、引っ張ってきた曲がこの曲。


パープルシャドウズ「小さなスナック」。

しかし、なんで、この曲が「夏の終わりの兆しが見えない」曲なんやねん ってところなんたけど・・・。

先週、ビリーバンバンの「さよならをするために」の時に、ヒットまで時間がかかった曲って言うお題で書いたんだけど、この曲もそうなんだよね。

リリースは1968年3月25日。 ・・・っちゅうことはちょうど50年前ですわ。 半世紀前になるんですねぇ。
ワタシもまだ生まれてない。。。。

だけど、ヒットのピークは、50年前の丁度今頃、8月だったんですねぇ。 リリースから約5カ月かけてのヒットと言う訳ですわ。

まあ、今のヒットチャートからすれば、ちょっと考えられないようなロングヒットなチャートアクションではあるけど、当時は、こういったヒットまで時間を要した曲なんてザラにあった訳で、この曲が特段珍しいヒットの仕方と言う訳ではないんだけどさ。

結局さ、50年前は、日本の隅々まで曲が認知されるまで、それだけ時間を要したって事でもあるんだよね。
まだ、インターネットがある訳じゃないし。。。日本全国即時に情報が広まる・・・って言う時代じゃ無かったんだよね。

ちなみに当時のテレビの普及率は、白黒テレビが96%に対し、カラーテレビは5.4%っていう数字が残ってたりする。 

そんな時代なんですよね50年前は。 


ところで、この「小さなスナック」は、いわいるG.Sに分類されている訳だけどさ。。うむ、パープルシャドウズ自体、ギター2本、ベース、ドラムっていう、今でいえば4ピースバンドだったわけで、立派にグループサウンズだった訳なんだけども。

ただ、立ち位置としては、他のG.Sと比較してもかなり特殊だったんだよね。

・・・というのも、G.Sではあっても、やってる音楽は、もろ「歌謡曲」だったから・・・なんだけど。

G.Sは、現在に続くロックの源流・・っていうのが、一般的な見方だろう。 そりゃそうだ、G.S⇒グループサウンズ、いわば「バンド」であり、エレキを掻きならすような音楽であった訳だから。

でも・・・ですよ。実際は、その裾野はめっちゃ広いんだよね。 その名の通り、もろ・ロック系統のグループもいれば、アイドルバンドなグループもいる。 その中でも歌謡曲系の最右翼だったのが、このパープルシャドウズだったんじゃないか。

だったんじゃないか・・・って、ワタシ、まだ生まれる前の話なんでさあ、、実際に体験した訳じゃないんで、はっきりとは言えないんだけどモノの本からすれば、そんなイメージですよね。

ちなみに、G.Sを体系的にまとめた、黒沢進著「日本の60年代ロックのすべて」によると、ロック的な観点から見ると、G.S史上、最も「駄作」だった曲がこの「小さなスナック」・・・と言われていたようだ。

70年代初頭のころが一番顕著だった事なんだけど、ロック側の人間からすると、「歌謡曲」は最もダサい音楽だった訳ですよ。 いわいる「体制側」(⇒あっち側)の音楽ってことで。 ロックの精神は自由だ・・・これこそがナウイ音楽だ・・見たいなところがあったんだよね。

たださ、歌謡曲っぽかったからこそ、売れたともいえるんだよな。
↑のデータによると、この曲の売り上げ枚数は47万枚となっている。 この売り上げ枚数って、1968年当時のG.S全体の売り上げ枚数でも、トップクラスなんだよね。 この曲を上回っているのはタイガースくらいなんですよ。

さしもの、テンプターズの「エメラルドの伝説」でさえ、これより下回っていた訳で。

1968年っていうのは、G.Sブームが最高潮の年だった訳なんだけども、とは言っても、やっぱり歌謡曲の時代なんだよね一般的な傾向は。

そもそも個人的に言っても、G.Sと言われる曲で一番最初に覚えたのは、この曲だったと思う。 
いや、まだG.Sとかなんとか、そう言うしがらみが全然分かんなかった頃。 恐らくまだ物心がつくかつかないかの頃から知ってましたねぇ。

どこで覚えたのか、最初はどこで聴いたのかは全然覚えてないけど、いつの間にか知ってたもんなぁ。

「スナック」っていうタイトルが如何にも昭和40年代を彷彿させるんだよね。 

いつかも書いたんだけど、当時(昭和40年代)、ワタシの幼馴染で家族ぐるみで付き合ってたオヤジさんが、(常磐線)湯本駅前で「スナック」をやってて、夜な夜な、ウチのオヤジ、オフクロがここに入り浸ってたんだよね。
とうぜん、ワタシもよく連れてかれてた。 で有線から流れていたのが、当時の歌謡曲でさあ。 恐らくこの曲もそこで初めて聴いたんだと思う。

兎も角、この曲のタイトルもそうだけど、曲自体を聴くと、あの「スナック」の匂いが鼻腔に漂ってくるんだよな。
お酒とコーヒーが入り混じったような独特の匂い。ジントニックを始め、いろいろな種類のお酒の瓶。 緑色のソーダー水と浮かんでる真っ赤なチェリー。

ワタシの物心つくかつかないかの頃の「昭和の原風景」がこれなんだよな。

いまリアル仕事で働いているのが神田神保町。 今はだいぶ少なくなっちゃったけど、ごく僅かに、こんな昭和40年代の原風景そのままの一角があるんだよね。
それこそ、この曲のタイトルちゃないけど、小さなスナックが数件並んでいる一角。 昭和40年代にタイムスリップしたようでね、個人的にこの一角が大好きなんだよな。
そこを通るたびにどこからとなく浮かんでくるのが、この「小さなスナック」だったりもするんですよね。 



リードギターで、この曲の作曲者の今井氏は、もともとハワイアン・バンド出身なんで、
この曲のイントロのギターソロは、如何にもハワイアンっぽいですよね。
G.Sっていうと、イコール、ガレージロックって言う印象が強い。
この曲も、まあ、サウンド的にはガレージ的なんだけど、そんなガレージなサウンドとハワイアン的なギターソロのマッチングが結構新鮮だったりするんだよね。
この曲に引っかかるのは、その辺なのかもしれないな。

・・・というか、後年、G.S的な・・・っていうとこのイメージだったりするんだよね。

80年代中盤、ネオG.Sブームってことで一時ワタシもこの手の音に嵌まった事があったし、その頃、堀ちえみのシングルで「夏咲き娘」って、もろガレージな曲があったんだけども、結局はこんな感じだったもんね


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天使の誘惑 / 黛ジュン

1968_07_天使の誘惑_黛ジュン


今回の1曲セレクトは、「天使の誘惑」黛ジュンです。

まずはデータです。

・タイトル    天使の誘惑
・アーティスト  黛ジュン
・作詞      なかにし礼
・作曲      鈴木邦彦
・編曲      鈴木邦彦
・リリース日      1968年5月1日
・発売元     東芝音工
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数 46.8万枚
・ベストテンランクイン期間:1968年5月27日〜8月12日付

えー、只今部屋の室温計は32.0℃を指しておりまする。。。うヴぇ〜暑ちぃよー。 これでまだ梅雨明け前だって言うんだから。。。。梅雨が明けたらどうなってしまうんでしょ・・・。って連休を過ごして居たりして。。。。

今年は「老体」にムチうって 2年ぶりに「ROCK IN JAPAN」と、超地元の「氣志團万博」 2つの夏フェスに参戦する予定なんで、今から「暑さ」に慣れておきたい・・・と、出来るだけクーラーを使わないで2日過ごしてたんだけどね。。。

ちなみに、件の痛風の痛みは今日になって、大分引けまして・・・おかげ様で通常の生活に戻れましたわ。
あとは、ぶり返さないように留意しないと・・・。高い金を払った夏フェス参戦が・・・・。。。

で、流石にこの暑さの中では「1曲セレクト」書けないよ〜・・・とクーラーを入れて書いてまする。

さて、今回の1曲セレクトは、どうするベか・・・。 ここんところヒット当時、「好きぢゃなかった」80年代アイドルの曲が続いたからなぁ。。。

今回は時代を一気に飛び越えて「60年代アイドル」の「夏」の曲と行きますか。。。

黛ジュン「天使の誘惑」なぞどうだ!


なんか勢い誤って「60年代アイドル」なぞと表現してしまいましたが・・・。 うむ、60年代には、まだ「アイドル」などと言う表現のコトバは、少なくとも「音楽界」では使われていなかった訳で・・・。

いや、idol⇒偶像という単語は昔からある訳で、厳密に言えば使わけていたかもしれないけど、現在の音楽ジャンルとしての「アイドル」と言うカテゴリーは、まだ無かったって事なんですけどね、60年代には。

でも60年代にも10代の「歌手」は居た訳でね、弘田三枝子さんにしろ、伊東ゆかりさんにしろ、そうそう忘れてはいけない、吉永小百合さんにしろ・・・みんな最初は、今でいえばアイドルだったわけじゃん。

まあ、今のように「アイドル」と言うカテゴリーが当時あったならの話なんだけど・・・。


で、黛ジュンさんは今回セレクトしてきた「天使の誘惑」の前年1967年にデビュー・・・。

・・・・なんて書くとクレームが来るよな、きっと。。。 そそそ、実は16才だった64年に一度本名の「渡辺順子」でデビューしてるんだよな。でも、その時は全く売れず・・・、19年になった前年67年に再デビュー・・・という経歴を持ったアーティストなんだよね。 
ちなみに、亡くなった作曲家の三木たかし氏は実兄・・・ってことは有名? うむ、でもそうなんだよね。


どーでもいいことだけど、この曲、作詞がなかにし礼氏で、作曲が鈴木邦彦氏だけど、ワタシが通ってた千葉の某私立S高校の校歌も、作詞、なかにし礼氏、作曲 鈴木邦彦氏・・・ そそそこの曲の組み合わせと全く同じなんだよなぁ。。だれがいつ依頼したのか分かんないけどさあ。
 だからという訳じゃないけど、この曲を聴くと、どうも高校の校歌を思いだしちゃったりして・・・因果なもんだわぁ・・・。
あ、曲想は全く違うけど。。。。


で、この「天使の誘惑」は、この年1968年のレコード大賞、大賞受賞曲。 

・・・ということはデビュー2年目、若干20歳の時に、既にレコード大賞を受賞してるんですねぇ。

そう、60年代も終盤に差し掛かった当時は押しも押されぬ「トップアイドル」だったわけですわ。

当時、ライバルとされていた「アイドル」には、伊東ゆかりさん、弘田三枝子さん、いしだあゆみさん、奥村チヨさん・・・等々のトップアイドルがひしめいていた中でも、特にレコード売り上げに於いてはトップクラスだったんだよね。・・というか安定していたと言うかね。

やっぱ曲調なのかなぁ。特に今回セレクトしてきた「天使の誘惑」って曲。今聴いても「ポップ」でしたからねぇ。

当時の曲といえば、どこかジャズの影を引きずっていたり、歌謡曲のを引きずっていたり・・・って兎角「夜に向かった」と言う匂い・・・つまりはティーンエイジャーが歌っても「大人」向けの曲が圧倒的に多い中、この曲は、あくまで「昼間の」・・・って言うイメージなんでね。そこに安心感があるって言うのかなぁ。

アイドルと言うジャンルが確立された70年代以降、アイドルソングといえば、夜の匂いから、遅くとも「門限」は夕方までと言われるように「昼」に向かった曲が基本、つまりさ「健全さ」がアイドルソングの基本・・・ということであれば、この曲なんてのは、その「元」と言ってもいいんじゃないかな。

まあ、その辺が、その後、70年代、80年代、90年代、それ以後も、この曲が多くの「アイドル」たちによってカバーされているところなんだろうね。

ちなみに個人的には、やっぱ、牧瀬理穂がCMで歌ってた、あのバージョンかなぁ

↓ コレ (後半の30秒のバージョンのやつ)


そそそ、タケダの「HI-C」のCMね。 最後に自らスカート、 ばひょーんとめくるやつ。

とは言うものの、これより前にオリジナルの黛ジュンさんバージョンの方を知ってたんだけどね。





これ、1968年当時の画像ですよね?
それにしては、画質も音もめちゃくちゃ良いんですけど。。。 とても49年前・・・約半世紀前の画像とは思えないわぁ。 
もちろん当時はステレオ放送もしてるはずが無く・・・。でも、ちゃんとハイファイになってるじゃないですか。。。
どうもBS-TBSで放送されたやつのようだけど・・・。

・・・・とおもったら、リンク弾かれちゃってる。 申し訳ないですが、みたい方はYou Tubeのサイトに飛んでくだされ。。。。

ちょっと調べてみたら、当時TBSは、他の局のように2インチのビデオテープを使って無かったんで、かさばらずに済み、その後も当時のビデオテープを上書きせずに保管出来たようですね。
でもって、最近TBSは、当時の画像のデジタルリマスターを行っていますから。。。
ベストテンもデジタルリマスターを行っているらしいですね。
なんで、こんなに画像も音もきれいに残っているようなんですよね。

しかしさあ、20歳にしては大人っぽいよね。10才位サバよんでんじゃね? なんて言われてもおかしくないような・・・。
でも、当時はみんな大人っぽかったんだよな、今から比べると・・・。いや、逆に言えば今がコドモっぽくなっちったんじゃないのかねぇ。

まあ、実際曲を限り、ジャケットにもクレジットがあるように、「ハワイアン・ロック」ですねぇ、この曲。
バックのバンドにスチールギターの人もいたりして。
ってか、ハワイアン・ロックってなんじゃらほい? ・・・って感じなんだけどワタシら世代からすると・・・。
根がハワイアンだけど、リズム体はロックってことでしょうか。 ま、ロックというよりも完全なポップスなんですけどね。今からすると。
当時としては、「エレキ」を使われるとロックってというイメージだったんだろうなぁ。 

でもさ、パーカッションを多用しているところから、ハワイアンというよりはラテンだよね・・・なんても思ったりしてね、個人的には。


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恋の季節 / ピンキーとキラーズ

1968_10_恋の季節_ピンキーとキラーズ


今回の1曲セレクトは、「恋の季節」ピンキーとキラーズです。

まずはデータなのだ。

・タイトル    恋の季節
・アーティスト  ピンキーとキラーズ
・作詞      岩谷時子
・作曲      いずみたく
・編曲      いずみたく
・リリース日   1968年7月20日
・発売元     キング
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 207.7万枚
・ベストテンランクイン期間:1968年9月16日〜1969年2月24日付

昨日の中村雅俊の「ふれあい」で、オリコン史上、初のデビュー曲ミリオンセラー・・・とか書いたんだけど、よくよく考えてみると、それ以前にも居たんだよな。デビュー曲ミリオンセラーを達成したヒトって。
 その辺の事情を知ってる方だったら、もしかしたら、クレームが来るかと思ったんだけども、とりあえず来ませんでしたねぇ・・・と胸をなでおろしているところだったりします

ネットの住人は、厳しいからねぇ・・・。ちょこっと間違えたりでもしたら、鬼の首を取ったようにクレーム入れてくる「輩」も多い訳で。。。
 普段から「誤植」が多い、ワタシとしては、そんなクレーム攻撃に耐えて、はや20年近く・・・。。。なんて感じだったりするんだけどさ。
 それでも、未だに誤植が治らないのは、これは性格ですね〜 ケケケケケ と、自分の間違いを、全く反省しないワタシだったりします。。。

ウム、オリコン最初のデビュー曲ミリオンセラー達成は、ザ・フォーククルセダースの「帰ってきたヨッパライ」ですわな。 ちなみに、これがオリコン最初のミリオンセラー達成曲でもある訳で。。。

次にデビュー曲で、ミリオンセラーを達成したのが、今回引っ張ってきた、ピンキーとキラーズの「恋の季節」と言う訳なんだけど。。

・・・と書いておいて、ここで、「ははんまた誤植してやがる」・・とピンと来た方は、かなりの歌謡曲通ですな。

ふむ、ピンキーこと今陽子さんは、ピンキーとキラーズ、結成前に「ピン」(ソロ)で既にレコードデビューしてたんですよね。だから、厳密に言えばデビュー曲ではないんだけど、「ピンキーとキラーズ」としては、この曲がデビュー曲というわけで、一応「デビュー曲ミリオンセラー」っていう記録には含むんだろうな、恐らく。

ただね、この曲の場合は、そう言う記録の他にも「オリコン記録」を持ってるからなぁ。
まずは、オリコン史上初の「ダブルミリオン」達成曲。そそそ200万枚を突破したのはこの曲がオリコンでは初めてなのですわ。

ま、とは言っても、オリコンがチャート発表を開始してから、1年も経っていない頃の出来事なんでね。それ以前にもダブルミリオンはあったはずですけどね。

それとなんと言っても、シングル1位獲得週記録ですわな。1位獲得週が17週。 これは48年経った今でも破られていない空前絶後な記録になっていますね。
 ま、もっとも17週連続ではなく、1968年9月23日付から、12週連続1位を獲得したのち、1週、12月16日付で2位に後退。 ただ、その次の12月23日付に返り咲き、再度5週連続で1位を獲得というチャートアクション。計17週1位獲得した訳ですわ。

ちなみに、「連続」1位は、72年〜73年にかけての宮史郎とぴんからトリオ「女のみち」の16週連続・・っちゅう記録が、こりも未だに破られずに君臨してますな。

さらに、ちなみに、アルバムを含めた、全作品でのオリコン1位獲得週記録は、井上陽水のアルバム「氷の世界」の35週。なんせ1位返り咲きが5回なんて「アホ」としか思えないチャートアクションを展開した訳で。。。


チャートまにあとしては、どうしても、そういう「記録」の面でこの曲を見てしまいがちなんですが。。。

ま、個人的には、この曲がヒットしていた頃は、まだ生まれていないんで、もちろん「後付」で聴いた曲になってしまうんだけど、でも、この曲を聴くと、どうしても60年代後半の混沌としたような世相を感じるなぁ。

なんて言うのかな、サイケデリックな気分になるんだよな。
・・・てか、サイケデリックってどういう気分? って言われてもコトバではウマく説明できなんだけど、うーむ、兎に角、あの60年代終盤の空気感ですよ。
なんて言うのかなぁ、あの時代って、良い意味でも悪い意味でも、どこかグツグツと煮えたぎったような空気感がありましたよね。猥雑というか、ベトナム反戦、安保反対っていう世相の中で、すくなくともクリアな空気感ではなかったと思う。

そんな雑然とした猥雑とした匂いを感じるんだよな。この曲からは。

特にサビの ♪ 恋は ワタシの恋は〜 ♪ からは特にサイケデリックを感じるなぁ。

まあ、悪い意味で書いている訳ではなく、ある意味憧れなんだよね、この時代の空気を吸えなかったモノにとってはさ。

作曲は、いずみたく氏。 奇しくも昨日書いた中村雅俊の「ふれあい」も同じ、いずみたく氏の作品だったけど、このヒトは、この時代・・・60年代後半から70年代にかけて、ヒット曲の顔でしたよね。象徴って言うのかなぁ。

で、この曲もそうだけど、次年の由紀さおりの「夜明けのスキャット」も、やっぱりサイケデリック感満載でしたよね。

なんかね、この方の作品を聴くと、不思議な・・奇妙な気分になる曲が結構あるんだよなぁ。

そうだ、サイケデリック感って、ウマくコトバでは表せない・・・ってかいたけど、敢えてコトバで書くと、「奇妙で不思議な感覚」なんだ。空調に浮遊しているような・・・。
 なんでいうのかなぁ、ちょっとワルいクスリを飲んでハイになった気分・・って言うかね。

そそ、個人的に60年代終盤というと、こんな感覚なんだよな。 そう言う意味でも、いずみたく氏っていうのは60年代終盤の象徴的な存在だったような感じが強いなぁ。




ピンキーとキラーズって、コーラスグループっていう印象が強いかもしれないけど、れっきとした「バンド」なんだよね。ま、それは、この動画でも分かると思うけど。
そそそ、三枚目キャラだった「パンチョ(加賀美)」さんがドラム叩いてたのよ。
 ソロ時代の今陽子さんは、全く売れなかった訳だけども、「ヒンキーとキラーズ」になった途端、大ブレイク・・・って言う流れは、後年のLINDBERGの渡瀬マキさんと同じ・・と見てもらえれば分かりやすいかな。

 ちなみに、今陽子さん、当時17才。 うーむ、高校生には見えないよなぁ。
どう見ても20歳は超えてるような・・・・ってくらい大人っぽい・・というか色気があるよな。

 
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エメラルドの伝説 / ザ・テンプターズ

1968_07_エメラルドの伝説_ザ・テンプターズ


今回の1曲セレクトは、「エメラルドの伝説」ザ・テンプターズです。

まずはデータでする。

・タイトル    エメラルドの伝説
・アーティスト  ザ・テンプターズ
・作詞      なかにし礼
・作曲      村井邦彦
・編曲      川口真
・リリース日   1968年6月15日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 46.2万枚
・ベストテンランクイン期間:1968年6月24日〜9月9日付

今回の1曲セレクトは、またまた時代を遡り、昭和43年、1968年の今頃の大ヒットを持って来ましょうか。

ザ・テンプターズ「エメラルドの伝説」。

少し前にゴールデンカップスの「長い髪の少女」を書いたんだけども、今一つアクセスが伸びなかったんですよね。
G.Sの中でもカップスは「A級」と呼ばれるG.Sグループではあるし、「長い髪の少女」も有名な曲ではあるけども、こと実際のレコード売り上げとなるとそれほどの大ヒットと呼べる訳じゃなかった訳で、アクセスが伸びないのもしょうがなかったかなぁ・・・とは思うとこがあったんたけどもね。
 今回セレクトしてきた、テンプターズの「エメラルドの伝説」は、レコード売り上げ的にも大ヒットの域に達している曲出し、なにより、オリコンで1位を獲得してますからねぇ。
さすがにもこの曲くらいになるとコアなG.Sファンじゃなくても、みなさんご存知ですよねぇ。

ちなみに、当時「G.Sブーム」と呼ばれていたなかで、オリコン1位を獲得しているグループってさ、このテンプターズの他では、ザ・タイガースしかいないんだよね、実は。
 当時、業界を席巻していた一大ブームだった「G.S」だけども、その割にはオリコン1位を獲得するくらいの超大ヒット曲と言える曲は意外と少ないんだよね。
それだけ当時のオリコン1位は、獲得自体が難しかった訳で、特別な順位だった訳なんですよね。

だからこそ、ザ・タイガースとテンプターズは、G.Sの中でも「東西の雄」と呼ばれるくらい超A級なグループだった訳なんだけどもさ。
 京都出身、西の雄「タイガース」に対して、大宮出身、東の雄「テンプターズ」っていう構図でしたよね。
さらに言えば、タイガースのジュリーこと沢田研二氏に対して、テンプターズの萩原健一氏って言う人気争いって言うの構図でもあったかなぁ。

ただし、オリコンって、この1968年に始まっているんで、例えば、150万枚売れたって言われるブルーコメッツの「ブルーシャトウ」なんかは、ヒットのピーク時は対照外になっているから、あくまでも暫定的な見方なんだけどもさ。

ちなみに個人的な好みから言えば、正直、タイガースよりはテンプターズのかなぁ。 うん、音楽的な好みという点ではね。
 例えば、この曲の前の「神様お願い」なんてさあ、アウトロー的な雰囲気があったじゃん。

よく、タイガースvsテンプターズの構図を、ビートルズvsローリングストーンズになぞる事があるんだけども、その点からしてみれば、個人的にはローリングストーンズなんだよね。

 どちらも「黒っぽい」点が似てるって言うかさあ、やっぱり、なんか「品がある」ダイガースに比べれば、アウトローな方が好きなんだよなぁ。

ただね、この「エメラルドの伝説」については、そんなアウトローな雰囲気からは離れ、どちらかと言えばメルヘンチックな「歌謡曲」寄りになってしまいましたよね。

まあ、当時のウレ線と言うかね、G.S的な「大衆路線」が、この路線だったんだよね。
だからこそオリコン1位を獲得出来んだろうし、テンプターズにとって最大のヒットになったんだろうけどさ。

前曲で見せたようなアウトローな雰囲気は陰を潜め、一転してヨーロッパ系なイメージでしたよね。

そそそ、当時はこのヨーロッパ系っていうのが、一番のトレンドだったんだよね。北欧系とかフレンチポップス的な雰囲気の曲ですね。

 いつかも書いたような気がするんだけども、北欧系とかフレンチポップスって、日本の歌謡曲と相性がいいんだよね。一番相性がいいのは、どちらともメロディ的にも、サウンド的にも喜怒哀楽がはっきりしてるじゃん。
そのメリハリの良さが日本人って好きだからなぁ。
 それと、北欧的なイメージの一種の憧れって日本人にはあるからなぁ。少なくともエスニックなアジアにはないメルヘンの世界を感じるじゃん。
 今でこそネットでもテレビでもヨーロッパ的な風景はすぐ見られる訳で、当時に比べれば全然身近になったと思うけど、60年代当時は、遠い世界でしたからね、今とは比べ物にならないくらいの憧れはあったんだよね。

そんなメルヘンの世界が、この曲でも展開されている訳ですわ。

でも、曲的にも、この曲いいよなぁ・・って感じたりするんだよね。

タイガースには、すぎやまこういちっていう天才コンポーザーがサウンドプロデューサーとして付いていた訳で、だから、音楽的には良かったんたげども、同様にテンプターズには、村井邦彦氏っていう、こちらも天才プロテューサーが付いてましたからねぇ。

 村井氏は、この辺りを起点に、70年代に向かってニューミュージックを展開していくことになる訳で。
もともと、ヒット曲の世界にはニューミュージックをきっかけに入ってきたワタシなんで、だからね、個人的に音楽的には村井氏の音楽の方が、すぎやま氏よりは、馴染みが深いし、好きなんだよなぁ。

タイガースより、テンプターズの方がしっくりくる・・・っていうのは、その辺りも大きいかもしれないな。

それと、この曲のアレンジャーは川口真氏。 川口氏が作曲・編曲の時には、ベースラインを聴け・・って言うけど、この曲のベースラインも然りですねぇ。

Bメロの ♪ 遠い日の 君の幻を〜 ♪ の部分のシェイク気味に細かく動くベースライン、サビの ♪ あいたい 君に会いたい〜 ♪ の高音でのシンコペーションなベースラインは、流石に川口氏だよな・・・なんて感じ入っちゃたりね。

そんな音楽的にも面白い1曲だな・・・と感じてしまう、テンプターズの最大ヒット曲だったりするんだよね。






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長い髪の少女 / ザ・ゴールデン・カップス

1968_06_長い髪の少女_ザ・ゴールデンカップス


今回の1曲セレクトは、「長い髪の少女」ザ・ゴールデンカップスです。

まずはデータです。

・タイトル     長い髪の少女
・アーティスト   ザ・ゴールデンカップス
・作詞       橋本淳
・作曲       鈴木邦彦
・編曲       鈴木邦彦
・リリース日        1968年4月1日
・発売元      東芝音工
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数  19.2万枚

本来やりたいと音楽と、売れるための音楽のせめぎ合い。
プロのバンドマンにとっては、ここが一番頭が痛いところだろうね。本当はもっとマニアックな音楽をやりたいのに、「食うため」には、「大衆音楽」もやらなくちゃいけない・・・と。
 ま、最初から売れなくていいから自分たちのやりたい音楽を・・・と腹くくって、ずっとインディーズでやれる人たちはいいけど、こと、メジャーレーベルの「売れっ子」になればなるほど、その辺りがネックになってくるんじゃないかなぁ。
それは、今だけの話じゃなく、昔からある事なんだよね。 

今回は、そんな本当はやりたくなかったんだけど・・・・っていう、G.Sの曲をひとつ

ザ・ゴールデンカップス「長い髪の少女」。

G.Sでもっとも「硬派」なポジションに君臨し、こと、音楽についても「ホンモノ」を追求してきたカップスの、3枚目のシングルであり、一番売れたこの曲。。。

・・・だけど、本人たちは当初、かなり渋ったらしいですね。この曲をリリースするの。

なぜか・・・というと、最初に書いたように、本来自分たちがやりたかった音楽とのギャップが大きいから。

メンバーのほとんどがハーフであり、向こうの特にR&Bを得意とし、演奏テクニックも他のG.Sに比べ抜きんでてた「本物志向」の彼らにとっては、「歌謡曲」イズムなこの曲は、どうしても陳腐に映ったんだろうねぇ。

 当時、東芝音工の意向もあったのか、オリジナルのシングル曲は、基本、歌詞は日本語だったけど、どうも、それも陳腐に映る一つだったのかもね。

当時は、まだ、ロックに日本語は乗らない・・・って言うのが通説で、本物志向を目指すミュージシャンにとっては日本語ってたけで「ニセモノ」っぽん感じられたんだよね。
 だから、当のゴールデンカップスも、ステージではほとんどオリジナルのヒット曲はウタをなかったっていうんだからさ。

そそそ、シングルはあくまでTVなどのプロモーション用。本当の自分たちの音楽は別にあるって感じだったんだよね。


まあ、確かに聴いてみるとギャップを感じるんだよな。本来、このヒトたちのテクニックって、当時のレベルからすれば、超絶的だったんたけど、そんなテクニックも必要ない平坦な曲だし、なんと言っても歌謡曲テイストっていうのがね。。。バックにストリングが絡んでくる・・・っていうのは、R&Bをやってる彼らを聴いてると、ちょっと違うよなぁ・・・って思わずには居られないんだよね。
 
 どうも、当時のキャバレーとか、大衆酒場的な下世話な感じがしちゃってさあ。

でも、これが当時のウレセンだったからさあ、ウレセンを狙うとしたら、この路線に行くしかなかったんだろうなぁ。
だから当たった・・・って言うのもあるんだよね。

それでも、本来はメインボーカルだったはずのデイブ平尾氏は、どうしようもなく抵抗があったのか、この曲、メインボーカルじゃないんだよな。
 サビの部分で、 ♪ どうぞ〜 ♪ とか ♪ つらい〜 ♪とか掛け声的なコーラスを歌ってるだけ。
メインボーカルは、ドラムスのマモル・マヌー氏でしたね。

まあ、当たったと言っても、オリコンでベストテン内に入った訳じゃない訳で、超がつく程の大ヒットではなかったのは数字が表しているかな。
 
後の80年代アイドルと同じで、A級、B級、C級といった相対的な格付けがあるG.Sだけど、もちろんゴールデンカップスは、A級なG.Sな訳だよね。
 それでも、実際の売り上げ的には、こんなもんだったんだよね。 この曲がリリースされた1968年はG.Sブームの頂点の年だった訳だけども、相対的なレコード売り上げとしては、「歌謡曲」路線が絶対的だったけでさ、G.Sは、ほとんどが売り上げ枚数的には意外に少ないんだよね。

もっともアイドル的な人気だった、タイガースやテンプターズは別として。

ただ、カップスの場合、あくまで音楽的な本格志向として、こののち本格的にニューロック路線に移行。その後の日本のロック路線の礎となっている訳だよね。 


本当はヒット当時の映像があれば、リンクしたかったんだけど、なんせ50年近く前の曲だからなぁ、ある方が奇跡か。。。後年の再結成後の「オヤジ」になったころのは結構あるんだけどな。
でも、なんか違う・・・んで、レコード音源にリンク

http://www.dailymotion.com/video/x82qss_%E3%82%B6-%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%B3-%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%B9-%E9%95%B7%E3%81%84%E9%AB%AA%E3%81%AE%E5%B0%91%E5%A5%B3_music

やっぱりバックにストリングが絡んでくるアレンジは、彼らの曲としてはちょっと違うよなぁ・・・っていう感じがしますね。
まあ、だからこそ聴きやすいって言うのもあるし、60年代っていう時代背景的な匂いがするんだけど。。。


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花の首飾り / ザ・タイガース

1968_05_花の首飾り_ザ・タイガース








今回の1曲セレクトは「花の首飾り」ザ・タイガースです。

まずはデータです。

・タイトル    花の首飾り
・アーティスト  ザ・タイガース
・作詞      菅原房子
・補作詞     なかにし礼
・作曲      すぎやまこういち
・編曲      すぎやまこういち
・リリース日   1968年3月15日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 67.6万枚
・ベストテンランクイン期間:1968年4月8日~7月8日付

G.Sの曲についても書きたい・・・なんて前々から書いてたりするんだけど、これまでなかなか足を踏み入れられなかったんだよな。
個人的にヒット期間とかリリース日が曖昧な曲があったりしてちょっと躊躇してた部分と、悔しいけど、自分がリアルタイムで経験してこなかった時代なんでどうしても腰が遠のいてしまっていた部分とがあったりするからかなぁ。
 そそそ、G.Sの曲って、自分の中では「後付」な曲が多いからねぇ。やっぱりリアルタイムで聴いてきた曲の方が筆が進みやすい訳でね。

今回セレクトしてきた曲、ザ・タイガースの「花の首飾り」。

言わずと知れた、タイガースの中で最もヒットし、売り上げ枚数も多かった曲な訳で、ほとんどの方は曲をご存じだと思いますが、この曲も、個人的には「後付け」に聴いた曲なんだよなぁ。
 1968年のヒットだからねぇ、ワタクシは「-1」才。 そそそ、まだ生まれてなかった訳ですよ~。生まれる1年前の話ですね。だからし、リアルタイムで経験したくても経験できないわけですよ~。

でも、この時代を経験できなかった・・・っていうのは、個人的には、ちょっと悔しいんだよなぁ。
昭和元禄っていうコトバが広まり、70年安保に向けて良しにつけ、悪しにつけ、世の中がグラグラと沸き立っていた時代。「後付け」世代にとっては、なんかワクワクしちゃうんですよね。
音楽業界では、66年頃から火がついてきた「G.S」がブームの頂点になった年ですね。

そんな「G.S」ブームも頂点を迎える中、この「花の首飾り」がリリースされた訳なんですよね。
売り上げ枚数67.6万枚は、タイガースの中でも最高売り上げを記録した訳でさ。

え? そんなもんなの? なんて思われるかもしれないけど、そんなもんだった訳です。
何分、時代が時代だった訳でさ、まだレコードプレイヤー持っていた人は限られていた訳でさ、しかも、タイガースといったら、今のジャニーズ以上のアイドルだったわけじゃん。
 アイドルなだけにファンの中心は低年齢層な訳でさ、余計レコードプレイヤーを持っていたヒトなんて限られていたに違いないですよね。
 そんな中での67万枚と、当時からいえばかなり売れた曲と言えるんだよね。
現に、オリコンのチャートアクションで言えば、当然のごとく最高1位を獲得。しかも4/15~5/27付まで、7週連続でロングラン1位獲得。ベストテン内には3ヵ月間ランクインと、G.Sの中でも段違いなヒット傾向を見せていたりする。だからこそ、G.Sの雄とも言えたタイガースな訳だけどさ。

ま、とは言っても、オリコン自体は、この年1968年からスタートした訳なんで、前年までの曲については「未調査」なんだけどさ。
 だから、G.Sの中で一番売れたと言われる、ブルーコメッツ「ブルー・シャトウ」の正式な売り上げ枚数も分からないんですけどね。

それでも、オリコン開始以降では、この曲が、G.Sの中では段違いな売り上げを見せていた事は間違いない訳なんですよね。

それじゃ曲の方は・・・昔はさあ、個人的には好きだったんだよね。
でも、今聴くと、なんか違うんだよなぁ。決してキライになった訳ではないんだけど、どこか違和感を感じるんですよ。

それは、やっぱり、曲自体が歌謡曲に近いからなんだろうね、きっと。 グループサウンズと言っても守備範囲はめちゃくちゃ広い訳で、それぞれのグループの個性によって、歌謡曲系、ロック系、ポップス系、演歌系・・・とかなりはっきりとマトリックス区分けが出来るんだけどさ。
 個人的には、最近では、この後70年代のはっぴいえんどに続く、ニューロック系的なG.Sに興味がシフトしちゃったからさあ。
 歌謡ポップス系のG.Sはちょっと違うな・・・なんて最近は思えるようになっちゃったんだよね。だから、、このタイガースとか、同68年ではオックスとかさあ、歌謡ポップス系なG.Sのサウンドはちょっと違うんだよなぁ・・・なんて思っちゃったりするんだよね。
 同じ、歌謡ポップス系でも、タイガースと人気を二分した、テンプターズは良いんですよ。品行方正なタイガースより、ちょっとヒネテルようなところや、なにより音が黒っぽいところが、よりロックを感じるしね。

それから見ると、特にこの曲なんかは、より「アイドル」を感じちゃったりするんだよなぁ。 まあ、楽器をやりながら歌っている訳で、G.Sなんだけどさ、本質的にはアイドル。
 その後、70年代のレイジー、80年代のチェッカーズ、C-C-Bと続く系譜だよね。
昔は、この手のサウンドが一番安心できたんだけどねぇ、最近は。。。。

でも、この手の、よりアイドルに近い音楽の方が、売り上げ的には一番売れてる訳でさ。そう言う意味では、今も昔も日本人ってアイドル好きなんだよね・・・なんて言うのが分かりますねぇ。






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水虫の唄 / ズートルビー

1968_08_水虫の唄_ズートルビー






今回の1曲セレクトは、「水虫の唄」ザ・ズートルビーです。

 まずはデータです。

・タイトル     水虫の唄
・アーティスト   ザ・ズートルビー
・作詞       山田真一 
・作曲       山田真一 
・編曲       ありたあきら
・リリース日    1968年7月1日
・発売元      東芝音工
・オリコン最高位  30位
・売上げ枚数    6.9万枚

 「なんじゃ?、これ」って思う曲ってあるよねぇ、時々。最近でこそ、業界の体質も「マジメ」・・・っていうか、かなり「常識」が通じる業界になったんで、あんまり「遊びゴコロ」な曲って、少なくなってきたんだけど、昔は、それこそ、いい意味で無法地帯でしたから・・・ふらふら 音楽業界って。

 だから、「なんじゃ? これ・・・」っていう曲もアリだったんだよね。「潮吹き小唄」とかさふらふらふらふらダッシュ(走り出す様)衝撃


 今日引っ張って来た、曲も、そんな曲の1曲じゃねーのかなぁ。。

 「水虫の唄」・・・・・・・・・・・・・なんじゃ〜こりゃ〜exclamation ×2



 BUT、れっきとした、オリコン30位までランクした、ヒット曲なのでございます。。ふらふら


 しかも、歌っているのが、「ザ・ズートルビー」・・・・と。 なんじゃ〜こりゃ〜exclamationふらふら


 内容はといいますと、「夏になるとうずきだす水虫は、僕とあなたの愛のしるし・・・」なんていう、とってもラブロマンスな曲ですふらふらダッシュ(走り出す様)衝撃 どこがや〜exclamation ×2ふらふらあせあせ(飛び散る汗)


 メロディはですねぇ・・・・、イントロは、ベートーベンの交響曲第6番「田園」第1楽章の冒頭部分、サビはメンデルスゾーン「春の歌」のあの、めっちゃ有名なメロディ、そのまんまです。

 しらなーいっていう方は、えーとー、よくさ、文化放送とかの「百万人の英語」とか、「大学受験講座」・・みたいな教育番組に流れている奴・・・って余計わかんないか。。。ふらふら



 うん、今風に書けば、完全な「MAD」物だね、これは。 パクリではなく、そのまんまのメロディに「おちょくり」を入れて、勝手に編曲しちゃったんだから。。ふらふら


 いや、それもありだったのよ、この1968年っていう時代では。
 当時は学園紛争の真っ只中だったでしょ。大学はロックアウトされちゃってた時代、行き場を失った、暇人学生たちが、遊び感覚で作った曲が、時代を作ってた・・・そういう時代だったんだよね。


 ちなみに、歌っているのは、「帰ってきたヨッパライ」の「ザ・フォーククルセダーズ」の方たちどえす。
 え? ビートルズじゃねーよ。 これも「MAD」なの、一種の。

 フォークルって、ビートルズと同じ東芝レコードだったでしょ。だから、こんなおふざけも通ったのよね。


 この位の、軽いおふざけなら、いまの時代もいいんじゃないかねぇ。 
 でも、今のMADものって、おふざけを通り越してるものも多いからなぁ。それは、やっぱ自主規制もんだと思うよ。
 少なくとも、もともと作った著作者の借り物だしね、MAD物は。 その辺は、考えて作るべきだね、やるほうも。
 もしかすると、オリジナルに対しての2次利用だって主張する輩も出てくるもしれないけど。。今の時代、やたらと重箱の隅をつつきたがるヒトが多いからなぁ。JASRACのデーベース上では立派な「オリジナル」曲となってるけど。。。。


ちなみに、個人的にこの曲知ったのは、中学校の時に音楽の時間に配られた合唱曲集だったと思う。音楽の時間に歌うような「マジメ」な曲の混じって、60年代後半のフォークソングも掲載されてたやつ。
 でもさ、初めは、ギャグだと思ってたんのよ。こんな曲、実際にあるなんて知らなかったからさあ。
実際にこの曲があって、しかもオリコンにランクしてたくらいの曲だって知った時は、ちょこっとカルチャーショックだったけどさぁ。




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キサナドゥの伝説 / ザ・ジャガーズ

1968_07_キサナドゥの伝説_ザ・ジャガーズ






今日の1曲セレクトは、「キサナドゥの伝説」ザ・ジャガーズです。

 まずはデータです。

・タイトル    キサナドゥの伝説
・アーティスト  ザ・ジャガーズ
・作詞      ALAN TUDOR BLAIKLEY, KENNETH CHARLES HOWARD
・作曲      ALAN TUDOR BLAIKLEY, KENNETH CHARLES HOWARD
・日本語詞    なかにし礼
・リリース日   1968年6月15日
・発売元     フィリップス
・オリコン最高位 20位
・売上げ枚数   7.6万枚

 しかし、昨日も暑い日が続きましたのぅ。ただ、風があった分、ややすごしやすかったかな。
ま、いずれにしても、まとわり付くようなベタベタ湿気が、すこぶる気分が悪い・・・って事には変わりなかったけど。。。ふらふら まるで、「熱帯」やね。


・・・・っつうことで、今回は、気分は「熱帯」って気分にさせる1曲を持ってきますか。。。

 ザ・ジャガーズの「キサナドゥの伝説」


 どーだ〜、大概の方は知らないだろう〜 わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

 47年も前の曲だもんね。。 知らなくてとーぜんといえば、とーぜんなんだけど。。

 歌っている、ジャガーズ。。こっちも、みんな知らないかなぁ。


 6年前にお亡くなりになっちゃったけど、岡本信さんって方がリーダー兼ボーカルをつとめてた、いわいる「G.S」(グループサウンズ)ですわ。


 で、この「キサナドゥの伝説」は、もともと、あちらの曲のカバーでして。。。
 ふむ、イギリスのディブディ・グループって人たちが歌ってたんですな。

 それが コレ ↓



原題は「The Legend Of Xanadu」・・・・。ま、そのまんまですな。
曲的には、もろ「ラテン」っていうのは、ジャガーズと同じなんだけど、温度感的には、「熱帯」というよりは、「スパニッシュ」に近いかなぁ。。

 ジャガーズで感じるような、今日のような「熱帯」的な温度感はあんまり感じない。
 うーん、どーしてなんだろうねぇ、ジャガーズのは、しょっぱなから「OLE!」なんて叫び声が入ってたりして、もろ「スパニッシュ」を意識しているように装っていて、そのイメージがまるでない。。。

 ここが面白っていえば、面白いところかもしれない。

 それでも、イメージ的には「南太平洋」なんだよなぁ。

 この熱帯感は、やっぱ、この曲のサウンド的なもんなんだうなぁ、まずもって、しっぱなのギターの音色とか、エレクトーンの感じね。ここで、一気に気分は熱帯・・・な世界に引き込まれちゃうもんなぁ。 


 ところで、「キサナドゥ」ってどこのことよ・・・・って、素直な疑問。。

 いや、てっきり、曲のイメージどおり、南太平洋の・・・って思ってたら、中国のことなんだってねぇ・・・。
「上都」っちゅう、モンゴル自治区にある都のこと。いわいる「桃源郷」のことなんたけど、マルコポーロが「東方見聞録」であらわしたのが起源らしい。
 日本語では、「キサナドゥ」だけど、英語読みでは「ザナドゥ」。
そーいえば、オリビアニュートンジョンにも、そんな曲がありましたな。


 だけんどぉ、どう聴いても、この曲のイメージは「中国」ぢゃねーよなぁ。。
 百歩譲っても、「南太平洋」ですよ〜・・個人的なイメージでは。

・・・・っつうことで、ジャガーズの「キサナドゥの伝説」を聴いてみますか



ねねね。やっぱし、熱帯なイメージでしょ。

 ちなみに、この曲、オリコンでは、最高20位だったのに対して、オリジナルのディブディ・グループは、最高位11位。売上げ枚数16.7万枚と、オリジナルの方が全然売れたのよね。。。。

 ちなみに、ディブディ・グループの方は、自国、本家UKチャートでは、68年に1位を取ってたりします。。。
 
 まあ、オリジナルの方が、ぜんぜん有名なわけで。。。。


 しかし、このてのラテン系の曲って、今は絶滅しちゃったねぇ。
個人的には、それこそ、とぉーーい昔、ワタシの根っこにあるようなタイプの曲だよなぁ。
 とおーーい昔、身の回りにこのテの曲、よく流れてたんだよ。オヤジが好きだったんだろうな、このテのラテン系の曲が。


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