かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

馬飼野康二

水の星へ愛をこめて / 森口博子

1985_08_水の星へ愛をこめて_森口博子


今回の1曲セレクトは、「水の星へ愛をこめて」森口博子です。

まずはデータです。

・タイトル    水の星へ愛をこめて
・アーティスト  森口博子
・作詞      NEIL SEDAKA
・作曲      NEIL SEDAKA
・日本語詞   売野雅勇
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1985年8月5日
・発売元     キング
・オリコン最高位 16位
・売上げ枚数  7.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 21位
・タイアップ:テレビ朝日系アニメ「機動戦士Zガンダム」主題歌

 前回のスターダスト・レビュー「夢伝説」に引き続き、今回もちょこっと変化球な曲かなぁ。
まあ、前回に比べれば、まだマシかな 

ハイ今回の1曲セレクトは、森口博子さんの「デビュー」シングル、「水の星へ愛をこめて 」ですわ。

まあ、この曲の場合、機動戦士「Z」ガンダムのオープニングテーマと言った方がしっくりくるヒトの方が多いかもなぁ。
かくゆう、ワタシも当初は、森口さんのデビュー曲というよりも、ガンダムの主題歌っていう認識が強かったような気がするなぁ、この曲に関しては。

アニメはあんまり見ないワタシだけど、当時「ガンダム」は見てたからねぇ。この「Z」は、ファーストガンダム「1年戦争編」の続編と言う位置づけだったじゃん。「ファーストガンダム」は、再放送や劇場版でセリフまでそらんじるほど見てたからなぁ、もちろん、続編となる「Z」も見なきゃなぁ・・・と意気込んでたからなぁ、当初は。

ただね、放送時間が確か、土曜日の17時30分〜だったんだよね。
当時、高校で部活をやってた身からして、土曜日と言えど、夕方はまだ帰ってなかった事が多かったからねぇ。最初の10話くらいまでは、毎週見てたんだけど、だんだんと見れなくなってきて、この「水の星へ愛をこめて 」で主題歌になったくらいはほとんど見れなくなっちゃってたんだよな、そう言えば。

この曲が主題歌になる前は、鮎川麻弥の「Z・刻をこえて」って曲が主題歌だったじゃん。たがら、ある日、久しぶりに「Zガンダム」を見たら、この曲が主題歌に代わってて、ちょっと違和感を感じたのを覚えてるなぁ。

違和感・・・ってのも変だけど、それまでの主題歌がスピード感があって、戦隊モノ的なイメージが強かったからさあ、この曲は、戦隊モノの主題歌にしては、大人しい感じがするからさあ、その辺に当初は違和感を感じてたんだよね。

ただ、アニメの主題歌・・・というところを離れて、いちアイドルとしての曲というと、やっぱり、なんか今一つ寂しかったのを覚えてるなぁ。
 やっぱり、当時のアイドルの曲は、もっと尖がった曲が多かったからさあ、メロディラインももっとキャッチーだったし、華やかさがあったからね。

そこから比べると、この曲は、アイドルの曲にしては「大人」っぽさがあったからなぁ。
メロディラインも他のアイドルの曲に比べると難易度があったしな。まあ、作曲者が、あの有名なニール・セダカ氏でしたからねぇ。
 日本のアイドルのことなど、考えてはいらっしゃらなかっただろうし、だから、難易度があったのは当然だったろうけどね。
ただ、そういう難しい曲を、いともさらりと歌う、森口さんもまたアイドルらしさから無かったんだけどさ。

・・・でも、ルックスはアイドルそのものだったんだよね。聖子ちゃんカットだったしさ

そそそ、まだ「バラドル」に行く前、正統派アイドルとして売り出したんですよ、当初は。

この曲こそ、そこそこ売れたんでね、85年デビュー組のアイドルとして出足は良かったんだけど、後が続かなかったからねぇ。

まあ、アイドル的なルックスではあったものの、今一つ華やかさがなかったからなぁ。ウタが達者だったっていうのも、当時のアイドルとしては、マイナスだったかもしれない。まあ、ヘンな話ではあるんだけども。。。
 例えば、やっぱりウタがウマかった、本田美奈子さんよりも「パンチ」は無かったからなぁ。そそそ、達者ではあるけどもインパクトは薄い・・・って言うかね。
それらの面でアイドルとしては、インパクトが弱かったんだろうなぁ。

うん、その後、やっぱり85年デビュー組の井森美幸とともに「バラドル」っていう新たなフロンティアを開拓して、成功するんだけどさ。
ま、当初の「既存」のアイドルとして成功できなかったからこそ、新たな道に行けたんだと思うし、それはそれでよかったんだよね。

・・・・ということで、「聖子ちゃん」カットの頃の森口さんのウタを。。



うーん、やっぱり、当時のアイドルの水準からするとウタ、達者だったんだよなぁ。
高音部の声の伸びがきれいだったしね。
ただ、やっぱりバラドルとして成功した後に比べると、今一つ線が細いよね。
個人的にも、この曲の後は、消えるだろうなぁ・・・とは思ってたよなぁ、当時。

ちなみに、今回のデータには、作詞・作曲者ともに「ニール・セダカ」氏とし、日本語詞を売野雅勇氏と記載しました。
ネット上見ると、作詞者は、売野氏になっているところが多いんだけども、JASRACの作品データベースを見ると、作詞・作曲者共にニール・セダカ氏になっているので、それに合わせました。

ちなみにちなみに、この曲のオリジナルタイトルは、「FOR US TO DECIDE」って言うんだよね。それは、知られていないかな?


大きな森の小さなお家 / 河合奈保子

1980_06_大きな森の小さなお家_河合奈保子


今回の1曲セレクトは、「大きな森の小さなお家」河合奈保子です。

まずはデータです。

・タイトル     大きな森の小さなお家
・アーティスト   河合奈保子
・作詞       三浦徳子
・作曲       馬飼野康二
・編曲       馬飼野康二
・リリース日    1980年6月1日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位 36位
・売上げ枚数 7.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 41位

あー、今週は仕事がきつかったわい。 普段使わない「脳みそ」を使った1週間だったんで、仕事終わりゲソッと疲れたわ。。。今はそんなキツかった1週間の余韻に浸っている時間だったりして。。。

などと、「1曲セレクト」とは全く関係ない「マクラ」になってしもたな。


さて、今回のセレクトしてきた曲は、河合奈保子さんのデビュー曲、「大きな森の小さなお家」。

うーむ河合奈保子さんの曲は大分書いてきたけど、まだ残ってた曲があったんだな。しかも「デビュー曲」を書いてなかったか。。。

この曲はねぇ、当時、なんか、こっぱずかしかったんだよな、聴いてて。

詞の内容が子供っぽかったでしょ。 タイトルからして「大きな森の小さなお家」でもんね。まるでメルヘン童話な世界って感じだったじゃん。
 当時、オリコンウイークリーで「1980年デビュー組」の比較対決っていう企画がありまして、河合奈保子評としては、「アイドルらしいアイドル」なんてなってたりしたんだけどさ。
 たしかに、今の感覚からすると、如何にも「アイドル」 っていう曲だったりするんだけど、当時、同じ1980年組の他のアイドルの曲って、得てしてもっと大人っぽかったんだよね。
岩崎良美にしかり、鹿取洋子にとかり・・・  松田聖子だって、当初は、子供っぽいなぁ・・・っていう印象があったけど、それでも、もう少し上の年齢・・・そうね、高校生とか大学生向きって感じだったじゃん。
 それに対して、河合奈保子さんのこの曲は、どう聴いても「小学生」向きだよな・・・っていうイメーシが強くてねぇ・・・。

・・・・なんて、当時小学5年だったワタシが言うのもおかしな話だけど。。。

この曲は、作詞は三浦徳子さん。 うーむ、奇しくも松田聖子さんのデビュー曲「裸足の季節」と一緒だったんですねぇ。
でも・・・やっぱり、比較しちゃうんだよね「裸足の季節」の詞の内容と。。。なんか、大人と子供・・・って言うくらいの違いを感じちゃったりね。
 曲は、馬飼野康二氏。 この間、西城秀樹氏の「激しい恋」を書いた時、「絶叫系」な曲こそ馬飼野氏らしい・・・なんて書いたんだけども、この曲では、そう言う世界は全く感じられないもんね。
 硬派、軟派・・っていえば、思いっきりナンパな訳じゃないですか。まあ、そんなレンジの広さも馬飼野氏ならではといえば、そうなんだけどさ。
でも、その後の河合奈保子さんのヒット曲を考えると、馬飼野氏との相性が一番良かったような気がするな。
まあ、後年の筒美京平氏の起用により、河合奈保子さんの新たな一面を引き出せたのは別として。

兎も角も、人前で堂々と聴くのは、今一つ気が引ける曲だな・・・っていう感覚があったのは確かだよなぁ。

ただね、アイドル嫌いだった、ウチのオヤジが、当時、河合奈保子さんだけは認めてたのは、印象的だったんだけどなぁ。松田聖子さんに対してはボロカスだったもんね。
 やっぱね、ぽっちゃりとした童顔なルックスに対して、揺れる「ちち」っていう、アンバランスな容姿が、男心くすぐった訳だったんだろうな・・・・なんて今になって思うけどさ。

もちろん、ワタシも、当時は松田聖子さんよりは、断然、河合奈保子派だったんだけどさ。

曲は別として、やっぱり、上で書いたように、名前の通りの可愛さだったしさあ、まあも今もそうだけど、スレンダーなコよりも、ぽっちゃりしたコの方が好きだからさあ。

それに性格も良さそうだったじゃん。裏表がなさそう・・・っていうかさ。 それまでのアイドルには無かったというか・・・、より親近感は感じたよね。

ま、その「親近感」っていうキーワードが、その後、80年代アイドルの最大の特徴になってくるんだけどさ、そう言う意味では、80年代なアイドルのフォーマットは、河合奈保子さんが元祖と言ってもいいかもしれないな。



いやいや、初々しい奈保子さんですね。デビュー直後高々1コーラスしか歌わせてもらえないのに、一生懸命歌っているのが印象的。
でもさ、36年前は、聴くのが恥ずかしかったこの曲だけど、今聴くと、普通に聴けるんだよなぁ。
それだけワタシも年をとったのか、それとも、最近の曲が全体的に子供っぽくなって、何とも感じ無くなったのか・・・・どっちかだろうなぁ。
 


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

激しい恋 / 西城秀樹

  1974_06_激しい恋_西城秀樹


今回の1曲セレクトは、「激しい恋」西城秀樹です。

まずはデータでする。

・タイトル     激しい恋
・アーティスト   西城秀樹
・作詞       安井かずみ
・作曲       馬飼野康二
・編曲       馬飼野康二
・リリース日    1974年5月25日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   58.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年6月10日〜7月22日付

えー、野口五郎、郷ひろみ・・・と来たら、最後はヒデキを書かないわけにゃいけませんよね。うむ、新御三家。
というわけで、今回は西城秀樹氏の曲を持って来ましたわ。

と言っても、やっぱり、ヒデキもこの時期のヒットって意外と多いんだよね。 じゃ、何を持ってこようか・・・とおもったんだけど、今回は、この曲を。

「激しい恋」

うーむ、初期のヒデキの代表曲といってもいい曲ですよねぇ。
そそそ、例の ♪ やめろと言われても〜 (ハー ハー)♪ ですよん。ちびまる子ちゃんにも出て来ている

 この曲は1974年、昭和49年の今頃のヒットなんで、ワタシは5才になる前、4才10ヶ月でしたねぇ。
やっと物心がついた頃・・・って感じかなぁ。

 でも、この曲は歌ってましたねぇ、当時。 たしかドリフ、「8時だヨ 全員集合」でカトちゃんがパロってたんじゃなかったかなぁ。 それで覚えちゃったような気がするな。
 まあ、「曲」としてちゃんと聴いてたわけじゃないけどね。 個人的に、この曲となぜか「仮面ライダーV3」がセットになって覚えてるんだよな。

 なぜかっていうのは、よく分かんないんだけどさ 曲だって、全然関連性が無いんだけどさ。。
まあ、推測なんだけど、この「激しい恋」のイントロの「笛」みたいな音があるじゃん。 これが、「仮面ライダー」が出てくる時の音に聴こえたような・・・気もするんだよなぁ。
 
 ま、大人の今となっては「全然違うじゃん」って感じだけど、なにせ42年も前の話だし、まだ物心ついたばっかの頃だからねぇ。

ところで、今、この曲を聴くと、さっすがに古さは隠せないし、プラスセクションがダサいな・・・なんて思ったりもするんだけど、これでも当時はカッコ良かったんだよねぇ。ヒデキのアクションとかさあ。
 ま、今からすれば、もろ「70年代」っていうサウンドだったりするんだけどさ。御三家の中でヒデキの立ち位置は「ワイルドさ」ってことだったけど、この曲んなんかは、そんなワイルドさが良く出てたんじゃないかなぁ。

基本は、ブラスロックでしたよね。ヒデキの場合。底辺に、当時のシカゴとかチェイスあたりのブラスロックの匂いは微かにするんだけど、それでもまだ70年代の解釈・・・というかテクニック・・というかさ、70年代前半の歌謡ポップスの匂いが抜け切れない訳で、表面的には、まだまだ垢ぬけてないんだけどね。
 でも、そんな「歌謡曲」が抜けきれなかったのが、売り上げ的には良かったのかもな。 この曲は58万枚強も売り上げて、ここまでのヒデキの最高売り上げとなったわけなんだよね。
それでもオリコンでは最高位が2位。

うーむ、ヒデキの初期の代表曲なんだけどなぁ、それでも1位取れなかったんだよね。 まあ、それだけ当時のオリコン1位っていう地位の重さを表している訳なんだけどねぇ。

それと売り上げに反してベストテン入りが1月半ほどと、当時としては意外と短かったんだよね。これはちょっと意外だったな。 最高位2位と言っても週間売り上げは、そこそこ良かったようだね。
「ようだね・・・」っていうのは、当時の週間売り上げの資料が手元にないんでさあ、推測なんだけどさ。

ただ、それまで、僅かな例外はあったけど、アイドル系は50万枚が壁・・っていうのが通説だったんだけど、この曲は軽く、それをも破ってきたからねぇ、それだけ人気があった訳なんだよね。

ちなみに、この曲の次が「傷だらけのローラ」だったんだよね。 そそそ絶叫系の名曲ですわ。

馬飼野康二氏といえば、「絶叫系」っていうイメージがあるのは、やっぱり当時のヒデキとか、松崎しげる氏の「愛のメモリー」のイメージが強烈だったからだと思うんだけど、それに比べると、この「激しい恋」は、そこまでは絶叫系じゃなかったよね。まあ、サビの最後は、少し叫びきみなメロディになってるけどさ。

それでも、「傷だけらのローラ」の売り上げは34万枚と、この「激しい恋」に比べると、大分下がっちゃったからねぇ。 前回、郷ひろみ氏の「タブー」でも書いんだけど、牛乳も濃すぎると飲みづらいのと同じで、名曲でも曲自体が「濃すぎる」と、売り上げも伸びづらい・・・って言う傾向はあるよな(今でもあるかもしれない)





よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

艶姿ナミダ娘 / 小泉今日子

1983_12_艶姿ナミダ娘_小泉今日子






今回の1曲セレクトは、「艶姿ナミダ娘」小泉今日子です。

 まずはデータです。

・タイトル    艶姿ナミダ娘
・アーティスト  小泉今日子
・作詞      康珍化
・作曲      馬飼野康二
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1983年11月1日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   34.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1983年11月14日〜1984年1月30日付

 気がついてみれば、今年もあと1週間も無いんだよな。来週の今頃はお正月ですわ。いやー、ここにきてバタバタですわ。この週末は大掃除やって、年賀状書いて・・・・。そろそろ正月の食材も買っておかなきゃな。。。

 そんな年末、やっぱり、暗ーい曲で締めるより、おもっいきり「明るい」曲で締めたいよね・・・ってことで、小泉今日子の「艶姿ナミダ娘」なんぞ、引っ張ってきましたぞ。

 それにしてもズコいタイトルだよね、この曲。
 最初タイトル聞いた時、なんやねん? 小泉今日子が演歌転進? なんて思いませんでした? まあ、当時からお決まりの文句なんだけどさ。ワタシも単純に「演歌」に行っちゃったのかいな? なんて、一瞬思いましたねぇ。

 でも、曲は、おもっきりポップで、タイトルとのギャップが面白かったね。

 83年のキョンキョンは、「地」が出せた年かなぁ。それまでの「作られた」アイドルから本音のアイドルに脱皮した年。それと共に、レコード売上げも右肩あがりだった年ですね。

 この曲の34.8万枚っていうのは、ここまでのキョンキョンでは最高売上げ。

 この勢いは止まらず、次の年はもっと伸びるんだけどね。

 兎に角、中森明菜に続いて、82年組ではぬきんでた人気を獲得してたよなぁ。

 まずもって、曲が面白いんだよね。いい悪いを超越して「面白い」んですよ。

 この「艶姿ナミダ娘」にしたって、おもちゃ箱ひっくり返したようないろんな展開が次から次へとでてくるでしょ。
 この展開のめまぐるしさが、当時としては「画期的」だったんだよね。

 当時、この曲を「口笛」でどこまで表現できるか・・・って、随分練習したもんですよ。
 メロディだけでなく、バックの対旋律を含めてどこまで、休符なしで吹き続けられるか・・・。
 これがね、やってみると、イントロの最初の音からインストの最後の音まで全く休符無しで吹けるのですよ、この曲。

 つまり、イントロの最初から、インストの最後の音まで、全編を通して音の隙間がないんだよね。

 その辺がおもちゃ箱をひっくり返したような、めまぐるしい展開って言うのとリンクするんだけどさ。

 その代わり4分18秒、吹き続けるのは意外と体力いるんだけどさ。音細かいし、この曲。

 ちなみに、この曲の次の「渚のはいから人魚」も同じように「音の隙間」がないんだよね。
「音の隙間を埋める」ってのが、このころの曲の特徴でもあるんだけど、これは筒美京平氏も言っておられることなんですよね。特にアイドルの場合は、メロディとメロディの間を面白い音で埋める事で面白みがアップするんですよ。
 そこは、筒美門下の一人の馬飼野氏だけあって抜け目が無いですね。ほんとに音の隙が無かったよなぁ。
 
 しかし、当時、こういう展開の早い曲でも着いていけたんだから、やっぱし若かったんだよね。もし、今だったら・・・。着いていけないかもしれんふらふら この展開のめまぐるしさには。。。





よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

哀愁のシンフォニー / キャンディーズ

1976_12_哀愁のシンフォニー_キャンディーズs






今回の1曲セレクトは、「哀愁のシンフォニー」キャンディーズです。

 まずはデータです。

・タイトル    哀愁のシンフォニー
・アーティスト  キャンディーズ
・作詞      なかにし礼
・作曲      三木たかし
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1976年11月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 12位
・売上げ枚数   22.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 12位

 ひっさしぶりにキャンディーズをセレクトしてきました。うーん、いつ以来だろう?
もう主要な曲は大分書いたような気もするんだけど、まだ、書いてなかった曲もあったんだよね。

今回は、その中の1曲。

「哀愁のシンフォニー」

でもさ、この曲が、オリコンでベストテン入りしてなかったんて、ちょっとショックだわぁ。
時々、今でも有名な曲が、思ったより意外と売れてないことってあるんだけど、この曲もそんな曲の1曲かなぁ。

 この曲は76年リリース、・・・ということは、私は小学1年だったわけだけど、この曲、当時から知ってたんもんねぇ。

 まだ、まともにヒット曲に接してなかった頃、知ってたぐらいだから、ベストテン入りしててもしかり・・・と思ってたんだけどねぇ。


あ、逆に、この曲の前々曲の「夏が来た!」なんてぇ、当時、知らなかったぞよ。でも、オリコンでは5位まで行ってたりして。。。あせあせ

 なかなか、当時の記憶と実際とでは、ギャップがあったりするんだよねぇ。

 ちなみに、この曲のTOP100入りは18週。なぜか、「春一番」の16週よりも長かったりして。。。あせあせ 
 うん、爆発的には売れなかったけど、地道に売れた曲の典型ですね。

 で、もって、キャンディーズで一番、長くTOP100入りしてたのは「わな」の23週。あの「微笑がえし」が22週で、それより1週長かったりするんだよね。
 その辺のチャートの「アヤ」っていうのも、面白いわなぁ。。


 この曲、記憶にあったのは、やっぱ、曲のインパクトのせいじゃなかったかなぁ。
 キャンディーズが大人っぽさをイメージした最初の曲じゃないかしら?
 それまでの穂口雄右氏のポップなイメージから、詞 なかにし礼、曲 三木たかし っていう、歌謡曲の王道路線を持ってきたってところからも、大人っぽさを演出したかったんじゃないかなぁ・・・って言うのが分りますよね。

 特にサビの

 ♪ こっちをむいて 涙をふいて あなたのこと 愛せるかしら 何となく、コ・ワ・イ〜 ♪

 って、あの一文のところは、一度聴いたら耳から離れないインパクトがあるよねぇ。

 それと、ユニゾンが、あっても、2音のコーラスが多かったキャンディーズで、三人バラバラのフレーズが出てくるのも印象的

 ♪ ワタシの 胸の奥の 湖に あなたは〜 ♪

 からのBメロの部分ね。

 あ、いやいや、イントロの ♪ ダバダー 〜 ♪の部分から3音のコーラスになってたか。。。

 これらに絡まってくる、馬飼野康二氏らしい、大げさなオーケストレーションが、また、曲を印象的に盛り上げてくれるんだよね。
 ま、タイトルに「シンフォニー」って付いてるくらいだからね、この位の大げさなオーケストレーションで丁度いいかなとも思うんだけど。

 なんつぅのかな、この季節、木枯らしが舞っている様な印象的なオーケストレーションで・・・。
 これが、また、一度聴いたら、なかなか耳から離れないような見事さで。。。

 いや、まてよぉ・・・今、聴くと、あの頃のキャンディーズって都会っぽい曲が少ないんだ。

 どっちかと言うと、田舎の風景の中の・・・って曲が多いんだよね。「春一番」なんて、もろそうじゃん。

 この「哀愁のシンフォニー」もどっちかというと、都会の喧騒の・・というより、郊外の木枯らしで枯葉が舞っている風景・・・が似合うような曲想だもんね。

 そういう意味では、当時、福島の田舎に居た、ワタシにとっては、身近に感じる印象が強かったのかもしれないなぁ・・・。

 その辺が、都会的な「ピンクレディー」との差だったのかもしれないわ。


 それにしても、「全キャン連」なんて、全国組織のファンクラブを持ってたのって、キャンディーズが最初なんだよね。
 今でこそ、ファンクラブって言ったら全国規模が当たり前だけどさ。

 でも、結束は非常に硬くて、「ザ・ベストテン」で、解散後、一度2位に落ちた「微笑がえし」を、我々の手でもう一度「ベストテン」の1位を取らせようってことで一致団結、次の週、再度1位を獲得させたっていうのは、有名な話だよね。

 まあ、こういう組織が、その後の「親衛隊」に繋がっていくんだけど、キャンディーズの場合、ファン層に「大学生」が多かったので、後の80年代アイドルの親衛隊のような「ヤンキー」な兄ちゃんが少なかったのも、印象的かな。
 だから、何か、キャンディーズっていうと、クリーンなイメージがあるんだよなぁ。個人的には。

 だから、個人的にも好きだったのかも。。。

スニーカーぶる〜す / 近藤真彦

1980_12_スニーカーぶる〜す_近藤真彦 






今回の1曲セレクトは、「スニーカーぶる〜す」近藤真彦です。

 まずはデータです。

・タイトル   スニーカーぶる〜す
・アーティスト 近藤真彦
・作詞     松本隆
・作曲     筒美京平
・編曲     馬飼野康二
・リリース日  1980年12月12日
・発売元    RVC
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  104.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1980年12月29日〜1981年3月16日付
・タイアップ:映画「スニーカーぶる〜す」 主題歌


 最近は過去にどの曲書いたか、分かんなくなってきちゃったからさあ、書く前に必ず、過去の日記を検索してみるのね。
 で、過去に書いたか書いてないか、一応はチェックしてみるんだけど、時どき、この曲は、既に書いただろう・・・っていうか、書いてて当然・・・のように思ってた曲が、実はまだ書いてなかったりして。。
ふらふら 
 なんかねぇ、それを見つけたときが至福の時だったりして。。ふらふら

 今回引っ張ってきたのは、まっちのデビュー曲「スニーカーぶる〜す」よ。

 いや、この曲は、ずっと書いたと思ってたの。っつうか、ミリオンセラーの曲だもんねぇ、既に書いてて当然・・と思ってたんだけどねぇ。。
 さっき、過去に書いたアーカイブを調べたら、これが、まだ、書いてなかったんだよねぇあせあせあせあせ

 いや、でも、グッドタイミングよ。なんせ、今日12月12日が、この「スニーカーぶる〜す」のリリース日だったんだから。
35年前ですよ〜。  まっちもレコードデヒュー35年経つんだよねぇ
なんかねぇ、昨日のように覚えてるんだけどねぇ。 生意気でやんちゃ坊主だったころのマッチをさ〜。
 

 いまでこそ、ジャニーズ批判派のワタシだけど、あのころは「たのきん」って好きだったよなぁ。

 やっぱ、ワタシャ、当時は、まっち派だったよなぁ、どっちかといえば。。。
まっちのね、破天荒・・っちゅうか、おちゃめな悪ガキなところが良かったねぇ。

 ヨッちゃんは別としてふらふら、あの頃って言えば、ナンパのトシちゃんに、硬派なマッチみたいな、「色分け」されてたじゃん。月刊「明星」とかの雑誌ではさ。

 もちろん、硬派な「まっち」の方がワタシゃよかったのよねぇ。具体的にって言われると困っちゃうけどさあ、土臭そうなところだったりしてね。
まあ、当時は、まだ、福島の田舎の小僧でしたから、ワタシも。 そんなまっちの方が親近感があったんだよね、きっと。

 だからね〜、行きましたよ、同名映画の「スニーカーぶる〜す」。田舎の映画館にさあ。2回くらい行ったような気がする。
 ・・・といっても、すでに内容なんて覚えてないけどさあ。

 だけど人気あったよな、当時は。

 考えて見れば、「ピン」でデビューして、いきなりデビュー曲がミリオンセラーになったのなんてマッチぐらいじゃん。
 今の嵐とか関ジャニ∞がいくら人気あるって言っても、あくまでグループでの人気であって、「ピン」の人気じゃないからさぁ。
 その辺で、当時の人気のすごさが分かるんじゃないかなぁ。


 たしかに曲も良かったんだと思う。今にして思えば、かなりクサいんだけとさ、当時は、これはこれでよかったんだよね。
 まあ、あくまで「青春歌謡」っていう路線だったからさあ、まっちの場合は。

 いや、当時は良い悪いなんてものを超えてたような気がする。気がついてみれば、みんなで歌ってたような・・・。
 だってさあ、お楽しみ会で、仲のいい3人で「たのきん」だぁ・・・とか言って、この曲とか、トシちゃんの「哀愁でいと」とか歌ってたもんねぇ。

 そーそーそー、そん時の「おたのしみ会」のために、「歌本」っちゅう存在を知って、月刊「明星」買うようになったんだよね。
 考えて見れば、あん時の「おたのしみ会」が今に繋がってたりするんだよなぁ、ワタシ。

 ・・・・っつうことは、「スニーカーぶる〜す」は、今に直でつながる「原点」の曲の1曲・・・って言えるかもしれんなぁ。


ちなみに、デビュー曲で、いきなり初登場1位なんて、いうヒトは、今では珍しくもなんともないけど、この曲が初の快挙どえす。

1980年12月22日付ですね。 

 ちなみに、この時のベスト3は

・1位 スニーカーぶる〜す /近藤真彦  101,360枚
・2位 恋人よ   /五輪真弓  70,830枚
・3位 大阪しぐれ /都はるみ  69,960枚

 いかにも重みがあるランキングですねぇ。
もちろん、デビュー曲が初登場で10万枚オーバーなんてのも、この曲がはじめてですわ。

 そんな現象にも、度肝を抜かれたところはありますね。 
っていうか、当時は純粋だったんだよなぁ。






よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

ひとり街角 / 小泉今日子

1982_11_ひとり街角_小泉今日子






今回の1曲セレクトは、「ひとり街角」小泉今日子です。

まずはデータです。

・タイトル       ひとり街角
・アーティスト     小泉今日子
・作詞         三浦徳子
・作曲         馬飼野康二
・編曲         竜崎孝路
・リリース日      1982年9月21日
・発売元        ビクター
・オリコン最高位   15位
・売上げ枚数     15.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 12位

・・・・ということで、久しぶりのキョンキョン。

「ひとり街角」です。

 ただねぇ、この曲、しらないヒトも多いかなぁ。デビュー3枚目のシングルなんだけど、この頃の小泉今日子の曲ってジミなんですよね。

 たしかに、オリコンでは、最高ランクは少しずつ上がってきていたし、売上げ枚数も少しずつ上がってきていたわけで、当時の人気も少しずつあがってはきていたんだけど、何分、曲がジミなんだよね。

 詞は、当時売れっ子の三浦徳子女史。曲は馬飼野康二氏。とヒットメーカーとしては申し分ないんだけど、うーん、この曲に関してはどうも、馬飼野氏の曲がどうも、いまいちなんじゃないかなぁ。どうも、イマイチいつもの、大げさな抑揚がないんだよね。

 それにもまして、ちょっと・・・なのは、やっぱり、竜崎氏のアレンジじゃないかねぇ。
 どーも、古臭いんだよね。この当時にしても・・・。80年代というよりは70年代の・・・っていうイメージなんだよなぁ。
 どうしても、ストリングスとラッパがヒョロヒョロなってると、そういうイメージになりますな。

 ましてや、当時、音が古臭かったビクターだからか、余計なんだよね。

ちなみに、デビュー曲と、第2弾と、続けて「カバー」曲だったけど、この曲で初めてオリジナル曲となったわけなんだけどね。
 でも、この曲、次の「春風の誘惑」と、はっきりしない曲が続いているところを見ると、どうも、キョンキョンの路線を測りかねていたんじゃないですかねぇ。・・・というか、個性が見えてなかったというか。。。
 そんなこともあって、この曲の頃は、まだ人気という点では、同じ82年組の堀ちえみ、石川秀美とそれほど大きく抜きんでてなかったもんね。

 その間を縫って、中森明菜が頭角を現していたんだけどさ。


 だけど、このヒトのスタッフは、エライよね。ちゃんと、これではイカン・・・と次の年、きっちりとイメージチェンジしてきたもんね。
 本来のキョンキョンのイメージを全面にだした、トッポイ作りの「真っ赤な女の子」。これで、このヒトの運命は決まったんぢゃないかしら。。。
 まあ、半分は、キョンキョン自らの「反乱」のお陰で、イメージチェンジせざるを得なくなったんだけども。

 でも、この「ひとり街角」路線が続いたら、このヒトの「今」はなかったろうなぁ。

・・・とまあ、そんなことを思い起こさせるような1曲ですね。

ただ、ジャケ写に関しては、個人的には「○」ですね。



 このころは遠目に見ると、キョンキョンって分かんないよなぁ。石川秀美とか堀ちえみにそっくりなんだもの。
あのころ、みんな同じ「聖子ちゃんカット」(レイヤードカット)だったからねぇ。没個性だったんだよね。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

剣の舞 / 光GENJI

1988_11_剣の舞_光GENJI






今回の1曲セレクトは「剣の舞」光GENJIです。

まずはデータだっぺ

・タイトル    剣の舞
・アーティスト  光GENJI
・作詞      康珍化
・作曲      馬飼野康二
・編曲      椎名和夫
・リリース日   1988年10月10日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   60.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1988年10月24日〜1989年1月23日付

 久々に光GENJIです。
 どうもね、長年、この「剣の舞」って言う曲が気になっていたのね。
 うん、クラシックのあの「剣の舞」と同タイトルっていうのもあるけど、この曲、CD、レコードの類で聴いた事がずっと無かったんですよ。

 まえにも書いたけど、この88年って、ワタシ浪人してたからさぁ、CDとかレコードとか、ほっとんど聴いて無かったし、テレビのウタバングミも「ベストテン」しか見てなかったから。

 うん、この当時の情報源は唯一「ベストテン」だけだったわけね。

 だから、何気にずっと素通りしちゃってたんだけどさ。

 で、先日、ラジオ聴いてたら、たまたまこの曲がかかったんだよね。

 最初は、「おー、剣の舞か なっつかしいね〜」とか、思いながら聴いてたんだけど、聴いてるうちに、ちと違和感が・・・・。

「ん、なんか違うぞ・・・・・・・」


・・・と・・・・。そう、この曲、テレビバージョンと、レコードでは、まるで曲構成が違うんだよね。

 で、ワタシは、レコードバージョンをそれまで聴いてなかったわけで、テレビで歌ってた曲の構成がそのままオリジナルだと思ってたから、違和感じたんですよ。

 でね、率直な感想。 

 レコードのバージョンは曲構成がつまんない。


 なんか、流れていっちゃう・・というか、盛り上がりに欠けるんだよなぁ。

 この曲は、やっぱテレビの曲構成あってこそだと思うんだよね。


 でもさ、冷静に考えてみると、これ、ジャニーズの戦略じゃねーかな。

 要するに、光GENJIってテレビあってこそ、テレビで歌ってこそだったんじゃないかってことですよ。
 だから、テレビで歌う事を前提に曲が構成されていたんぢゃないかってことですね。

 レコードはさ、添え物なんですよ。 うーん、一アイテムって感じですか。
 そそ、うちわとかステッカーと同じ類なんじゃないですかね、このヒトたちにとっては・・というか、ジャニーズサイドの見かたとしては。

 なんか、そんな感じを受けたなぁ。 そういえば、次の「地球をさがして」もレコードバージョンとテレビバージョンでは、曲構成が違うけど、やっぱり、レコードバージョンの曲構成はツマンナイだよね、これが。
 それを考えると確信犯的にそんな感じにしたんぢゃないかなぁ。

 テレビで歌う事を前提に・・・っていう証拠にさ、89年〜90年にかけて、この時代の代表的な歌番組って相次いで消えていったじゃん。
ベストテンしかり、夜ヒットしかり、トップテンしかり・・・・。
 それにしたがって、光GENJIって急激に失速してったもんね。パワーが。
 ようは、テレビで歌うことが前提なのに、その「場」がなくなっちゃったんじゃ、これはどうしようもないわな。


で、その「テレビ」が前提っていうのは、この曲が一番示しているんじゃないかなというわけですね。


 あの時代は、そういうことは考えなかったんだけどね。個人的には。いつまで続くんだ? この人気は・・としか考えなかったなぁ。
 
 この曲もかなり粘ってたしね、上位で。 考えてみれば、年末にかけて、テレでの露出が多かったからだろうなぁ。
 そういうところからも、光GENJIってテレビっていうメディアの「最後にして一番親和性があった」申し子だったんだよね。きっと。


えー、動画・・・。サイトに直リンクじゃないとはじかれちゃうんで、直リンク

https://www.youtube.com/watch?v=u040Hy_3HUs


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

誘惑スレスレ / 田原俊彦

1982_10_誘惑スレスレ_田原俊彦






今回の1曲セレクトは、「誘惑スレスレ」田原俊彦です。

 まずはデータです。

・タイトル    誘惑スレスレ
・アーティスト  田原俊彦
・作詞      宮下智
・作曲      網倉一也
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1982年10月15日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   38.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1982年10月25日〜12月20日付

 今回、持ってきたのは、田原俊彦の「誘惑スレスレ」なんだけど、この間から、書こう書こうと思って、なかなか出せなかったんだよな。

 ・・・っつうのも、この曲は、どう書いたらいいのか、ようわからんのですわ〜。

 ・・・なんて、だんだん、曲が少なくなってきたのに、贅沢も言ってられん・・・と、思ったりして、今回、もってきたんだけどさぁ。。

 うーん、とりあえず、あの「NINJIN娘」っちゅう、それこそ、「何じゃこれ・・・」っていう、世間を「苦笑の渦」に巻き込んだふらふら、次・・・ってことで、一転して、「硬派」路線で攻めてきた・・っていうのは、分かるんだけどね。

 まあ、「硬派路線」と言っても、トシちゃんの場合は、マッチに比べれば、まだ柔らかいもんなんだけど、それでも、久々に、正統的な「DISCO」で攻めてきたあたりは、ファンだけでなく、ある程度一般のヒトも巻き込んだヒットになったんだよね。

 「NINJIN」では、取れなかった1位を、この曲では奪還してたりするし、売上げ枚数も、巻き返したしね。

 ま、考えれば、「NINJIN」で落としておいて、ここで巻き返す・・っていう路線は、ある程度、戦略だったのかもしれないけどさぁ。

 そういう意味では、トシちゃんのマネージメントサイドは、結構、計算して出してきたと思うなぁ。

 うん、ウタは下手だけど、とりあえず、どんな路線も、そつなくこなれた、トシちゃんならではの、毎回、変化をつけた曲をリリースしてきたってところだろうね。

 毎度、書いてるけど、その点、マッチは、野球に例えると、ストレート一本だったからさあ。

 うん、今、振りかえって、印象に残っているのは、トシちゃんの曲の方なんだけどね。


 ただ、この曲だけは、個人的には、よくわかんないんだよねぇ。
「ハッ!としてGood」「NINJIN娘」を作詞した、宮下智女史にしては、めずらしく、まともな歌詞だったりするし、曲の網倉氏にしても、いつもの「刹那」的なメロディではないし。。。

 
 でも、ファンしてみれば、たまらないんだろうね。

 あの

 「愛しているのさ・・・・好きだよ」

って、セリフが入るところは。。。ふらふら


 うん、うしろで「親衛隊」が「キャーーー」って騒ぐところよ。。

 あのころ、親衛隊についてた、女の子たちは、今はどうされているんでしょうねぇ〜・・・って、まあ、いいお年になっているはずだけど・・・。

 きっと、多くの方たちは、 それなりにお年を召されて「韓流」に流れているんだろうなぁ。
ミーハー癖は、そうそう治るもんではないからさぁ。。




よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

ギンギラギンにさりげなく / 近藤真彦

1981_10_ギンギラギンにさりげなく_近藤真彦






今回の1曲セレクトは、「ギンギラギンにさりげなく」近藤真彦です。

 まずはデータでーす。

・タイトル    ギンギラギンにさりげなく
・アーティスト  近藤真彦
・作詞      伊達歩
・作曲      筒美京平
・編曲      馬飼野康二
・リリース日  1981年9月30日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   81.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1981年10月12日〜1982年1月25日付

えー、今回は、まっちの「代表」的な大ヒット曲をひとつ。

ギンギラギンにさりげなく。

この曲はデビュー第4弾シングルなんだけど、 まっちのそれまでの3曲同様、この曲も不思議なリリース日なんですねぇ。

 1981年9月30日 リリース。

 なんですか、このめっちゃくちゃ中途ハンパなリリース日は。。。しかも月末ぢゃん。
 当時のリリースパターンからすると、翌10月1日リリースっていうのが当時の通常パターンだったわけで・・・。

 まあ、それまでの3曲同様、ちゃんとした理由があったですけどね。
 そそそ、オリコンチャート対策ってやつですよ。

 ハイ、1981年9月30日は 「水曜日」なんですねぇ。

 つまり、今と同様に考えると、お店には前日には、品物が届くわけで、オリコンの週間の集計期間をフルに使えるっていうメリットがあるんですねぇ。

 つまり、堂々と、「初登場1位」っていうのを鼻から狙っていたって訳ですわ。この曲の場合。

 今でも同じだけど、オリコンの場合、月曜〜翌日曜日という週間集計期間にあって、この集計期間外、1日でも前に店頭に並んでしまうと、その1日分の消化セールス分は、前週のチャートに反映されてしまうんだよね。

 この集計期間のしくみをもろにかぶった曲・・・っていったら、ピンクレディーの「カメレオンアーミー」。
 1978年12月5日リリースなんだけど、この日は「火曜日」。
 で、流通の関係で一部のお店・・・都心部の量販店・・・には前々日の「日曜日」に並んでしまったところもあって、その1日分セールス分がチャートに反映されちゃった。

 これが、この曲の初登場ランクが「88位」だった所以ですわね。で次の週は当然のごとく1位。
 今でも残るジャンプアップ1位獲得、88位⇒1位 っていう記録は、こんなカラクリがあったわけですわ。 

 ま、こういうカラクリもあって、「初登場1位」って言うのを狙うためには、「水曜日発売」とするのが、一番、効果的なんですわね。
 「水曜日」としておけば、流通上、間違っても3日前の「日曜日」に店頭に並ぶことは、まずないわけで。。
 「初登場1位」を獲得するには、一番適した曜日といえるわけだよね。

 もちろん、そのためには、それだけのアーティストパワーがなくちゃダメなわけで・・・。
 1981年当時では、こんな売り方をするのは、本当にトップのトップ・・・両手で余るくらいの人くらいしかやってなかったけど・・・。
 だから、リリースとしては、定期リリースというわけにもいかず、いつも「臨発(臨時発売)」扱いだったんですよね。当時は。

 ちなみに、同じ月・・1981年9月2日にリリースした、田原俊彦「悲しみ2ヤング」も同じパターンなんだよね。
 ただ、この曲の場合はイモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」っていう、超ド級な人気に押され、初登場2位だったけど・・。

 時は流れ・・・・34年後の今日は、猫も杓子も、おおよそチャートの1位争いに関わりそうもない曲まで「水曜リリース」っていうのが通常っていのうは、当時はまったく予想もできなかったけどさ。

 まあ、まっちにしてもトシにしても、やっぱりジャニーズなわけで、考えようによっては、当時からジャニーズっていうのは、それまでの常識を打ち破るような型破り・・というか前衛的な発想でリリースを行っていたとはいえますけどね・・。


 でも、どうして、まっちの場合、そこまで初登場1位にこだわる必要があったのか・・・ってところが、まず、引っかかるんだよね。

 デビュー曲の「スニーカーぶる〜す」からして、「初登場1位ぢゃなきゃ失敗だった」っていう、担当ディレクターだった小杉理宇造氏のコメントにもありますけどね。
 これは、小杉氏の自発的な考えからなのか、ジャニーズからの圧力なのか・・・っていうのは、わかんないですけどね。

 でも、たしかに「初登場1位」にこだわっていたのは、まっちの場合確かなんだよねぇ。

 ただ、理由動向以前に、具体的にリリース日にこだわっていたの、たしかだと思うなぁ・・・。

 というのも、この「ギンギラギンにさりげなく」って、シングル第4弾だけど、それまでの3作は全て「12日」発売なんだよね。

 なんで、12日発売だったのかはさだかぢゃないけど・・

・スニーカーぶる〜す   1980年12月12日リリース
・ヨコハマチーク     1981年3月12日リリース
・ブルージーンズメモリー 1981年6月12日リリース

・・・と、ここまで、「きっちり」と3ヶ月ローテーションっていうのをまもっていたわけで、このローテーションからすると

・ギンラギラギンにさりげなく 1981年9月12日リリース

っていのうのが定番だったわけだけど・・・。

 なぜに9月30日にずらしたんだろ?

今から考えると、いくつか、考えられるけどね。
まあ、全て主観なんだけど、

▼ブルージーンズメモリーが予想外にロングセラーになった。「ザ ベストテン」で9月17日までランクインするという3ヶ月を越えたベストテン入りをキープしたかんね。

 ・・・まあ、これは、次の「情熱 熱風 せれなーで」を考えるとあんまり現実的ではないけどね。


▼イモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」っていう目の上のたんこぶがあった

 ・・・・こちらが現実的なんぢゃないかなぁ・・と穿った考え方があったりして・・・。
 事実、そのまえの週、「水曜日」リリースだったのにも関わらずトシちゃんは負けてますかんね、「ハイスクールララバイ」に。
 ちなみに、この時期が「ハイスクールララバイ」のヒットのピークで3週連続で10万枚セールスを突破してたりします。

 ま、今では週10万枚セールスなんてのは、たいしたことはないんだけど、当時としては週10万枚セールスなんてのは、夢の数字に近かったですから、それが3週連続で続いたなんてのは、ホントの「お化け曲」だったわけね。

 そこまで、セールス動向を見極めていて、欲しかった、初登場1位・・・。

 うーん、なんでかなぁ・・と思うんだけど、今、考えると、この「ギンギラギン〜」に関しては、他の曲に比べて、また、特別な思いがあったのかもなぁ・・。

 時期的に丁度、各局の音楽祭と重なる時期。そこから、歌謡大賞、レコード大賞・・・と兎角、エンターテイメントなイベントが多い時期でしたからね。
 しかも、このころは、各音楽祭の全盛期。これらの音楽祭で最優秀新人賞を狙っていた、まっちとしてみれば、この曲で是が非でも初登場1位をとって「箔付け」したいっていう考えもあったんぢゃないかなぁ・・・。

 だとしたら、不用意に、当時全盛だった、薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」にぶつけて1月7日(木曜)リリースとし、初登場1位をのがしている「情熱 熱風 せれなーで」の存在もありますしね。

 ただ、この曲以降、まっちの場合 「暫く」は「末日」リリースっていうのが定番になりましたけどね。

・ふられてBAMZAI 1982年3月31日リリース
・ハイティーンブギ  1982年6月30日リリース
・ホレたぜ!乾杯   1982年9月30日リリース

「ふられてBANZAI」「ハイティーンブギ」では件の通り水曜日発売。
「ホレたぜ乾杯」と次の「ミッドナイトステーション」は、木曜日発売になったんだけども、これは、木曜日発売でも敵なし・・と踏んだからでしょうかね・・・。現に木曜発売でもどちらの曲とも初登場1位だったけど・・。

 逆に、超難関であった、次の「真夏の一秒」では、1983年4月27日と水曜リリースに戻してたりする。
 まあ、この時は敵の松田聖子「天国のキッス」も同じく4月27日リリースなんてことになってしまったのだけど・・・。
 まあ、当然、いつものパターンだったら、4月30日リリースになるところを、これでは勝てないと踏んだからでしょうけど・・・。

・・・とまあ、穿った見方ではあるけど、こんな感じで、なんでこのリリース日になったのか・・っていうのをいろいろ「想像」してみるのもヒットチャートを見る上での、面白さの一つではありますね。



なんて、曲と全くかんけーない話が続きましたが・・・この曲は、デビュー第4弾にして、初めての「ディスコ」調の、ハデハデな曲になったよね。

 それまで、「ヨコハマチーク」は別として、「スニーカー」も「ブルージーンズ」も、暗いダサめなロックだったけどさ。

 まあ、これも、上で書いたような音楽祭対策な一環ぢゃなかったのかなぁ。
 いくらなんでも、「ブルージーンズメモリー」では、いまいち、華やかではないしね。

・・・・とはいいつつ、夏に行われたいた「日本テレビ音楽祭」は、「ブルージーンズメモリー」歌ってたけど・・・。

 まあ、その辺はいろいろ考えていたんだとは思うけど、それがピタリとはまったような気がしますね。

 まあ、たしかにディスコとしては、ダサめな感じもするけど、華やかだしエンターテイメント性は、それまでの曲よりは格段にうえだったと思う。
 さすがに筒美京平、馬飼野康二コンビだけとあって、その辺はしっかりと考えていたんでしょうけどね。

ちなみに、下敷きにした曲は、イントロがロッドスチュワートの「I'm Sexy」、メロディラインは、クインシージョーンズあたりを参考にしたらしいですね。

でも、やっぱり、一般性・・・という事を考えると、この曲が一番的を得ていたんだろうな。売り上げ枚数では「スニーカーふる〜す」がダントツだけど、総合的な「ヒット」と言うところを見ると、この曲がダントツに抜きんでてるんだよね。レコード売り上げは、「スニーカー・・・」よりも20万枚以上も低いけどさ。
 
 最近は、ネットなんか見てると、「CDが売れれば勝ち」なんて、如何にもヒット曲について全て知ってる風に言ってるヒトが居るけど、そう言う事書いてるの見ると、コイツは分かってねぇなぁ・・・と思いますね。CDの売り上げ枚数と、一般浸透性を測るヒットとは違うんだよね。CD買ってるヒトだけが、その曲を支持してるとは限らないわけじゃん。
 この曲は、そのいい見本だと思いますわ。


・・・・うわ、今回は、いい気になって、ちっと書きすぎたわ。。読んでる方スイマセン。。




よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村
記事検索
QRコード
QRコード
読者登録
LINE読者登録QRコード
livedoor プロフィール

かじやん