かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

鈴木邦彦

愛する君に / ザ・ゴールデン・カップス

1968_09_愛する君に_ザ・ゴールデンカップス


今回の1曲セレクトは、「愛する君に」ザ・ゴールデン・カップスです。

まずはデータです。

・タイトル    愛する君に
・アーティスト  ザ・ゴールデン・カップス
・作詞      なかにし礼
・作曲      鈴木邦彦
・編曲      村井邦彦
・リリース日   1968年9月1日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 13位
・売上げ枚数   14.8万枚

先週のことになりますが、元ザ・ゴールデン・カップスのマモル・マヌー氏が亡くなってしまいましたね。
G.S全盛期の実力派R&Bバンド、ゴールデンカップスのドラマーとしてドラムをたたきながらのボーカルがトレードマークだったですね。このところは長いこと体調を崩しドラムも叩かなくなっていましたが。。。
もちろん、ワタシが生まれたころ絶頂だったわけで、現役バリバリの頃は知る由もないですが、2004年、カップスの自伝的映画「ゴールデンカップス・ワン・モア・タイム」完成記念で渋谷公会堂で行われたライブ。
このライブで、カップスの生演奏に触れることができたのが、個人的には唯一の救いかなぁ。
たしか、あの時はマモル氏もドラムを叩いていたような気がするが。。。
あの後、何年も経たないうちにメインボーカルのデイブ平尾氏も亡くなってしまいましたしね。。。
最大のヒット曲「長い髪の少女」。 こんな歌謡曲歌うのヤダ・・とメインボーカルを固辞したデイブ氏の代わりにメインボーカルを張ったマモル氏。71歳での死去は若すぎましたよ。

そういうことで、今回の1曲セレクトは、カップスのこの曲をチョイス。

「愛する君に」

この曲は、「長い髪の少女」の次のシングル。
↑で書いたように「長い髪の少女」は、もろ歌謡曲色の強い1曲。
でも、もともとカップスは、日本のバンドでありながら唯一外国のバンドであると言われたくらい、洋楽オンリー。しかもテクニックも他の日本のバンドに抜きんでていたという程の本格R&Bバンド。
それいえに、本来のこの人たちの持ち味との乖離はデカかったわけで。

確かに歌謡曲寄りにしたことで、認知は全国区となり一般的なファンは急増した。
ただ、それまでのカップスを支持していた、R&B志向が強いコアなファンからは懐疑的な意見が続出したんですよね。

そんな一般的なファンと、コアなファンとのギャップを埋めるべく、リリースされた曲が、この「愛する君に」だったんじゃないのかと思う。

・・・・「思う」って信憑性が低いな・・なんて思われてしまうかもしれないけど、如何せん、ワタシ、この曲がリリースされた時点では、まだ生まれていないんで、実際的なところがよくわからないもので。。。

ただ、これを書くにあたって、先ほど家にある映画「ゴールデンカップス・ワン・モア・タイム」を見直したんだけど、内田裕也氏、忌野清志郎氏、鈴木ヒロミツ氏・・などカップスを愛し、尊敬する名だたるロック・ミュージシャンの方たちも、この「愛する君に」は許せると証言している。

ネットを見ていても、先日のマモル・マヌー氏の死去の書き込みをされている方が数多く居られましたが、「長い髪の少女」よりも「愛する君に」を推している方の方が多いんですよね。

このことからも、1968年のヒット当時も、この「愛する君に」によって、「長い髪の少女」で生まれたギャップっていうのは、解消したんじゃないかとは思えてくるんですよね。

実際この「愛する君に」は、「長い髪の少女」と打って変わって、洋楽的な匂いが強い。

ま、確かに、本来カップスが演ってきていた向こうのR&Bには、まだまだ遠くはあるけど、1968年という時代を考えると、この程度が先端だったんじゃないかと思えますね。

個人的には、洋楽的というよりも、どことなくマカロニウエスタン的に聴こえちゃったりもするんだけど。。。 
イントロとか、チャールズ・ブロンソンが出演してたマンダムCMの「男の世界」っぽく聴こえちゃったり、ヒデとロザンナっぽく聴こえり。。。。

でも、ヒデとロザンナは別にして、「男の世界」は洋楽か。。。。そうなるとやっぱり向こうの曲っぽいと言えるんだよな。

この曲も、「長い髪の少女」に続いて鈴木邦彦氏の作曲ではあるんだけど、アレンジが村井邦彦氏に代わっているんですよね。

村井邦彦氏。 この後アルファミュージックを設立し、ユーミンや赤い鳥などのアーティストを発掘する、作曲家、音楽プロデューサーですわ。
洋画の映画音楽をベースに、洋楽的センスに長けていた村井氏がアレンジしたことによって、歌謡曲的なメロディラインを残しつつも、より洋楽的なサウンドに仕上がったんでしょうね。

いずれにしても「歌謡曲なんて歌えねぇ」と「長い髪の少女」ではメインボーカルを突っぱねて歌わなかったデイブ平尾氏、この曲ではボーカルに復帰しているところから見ても、洋楽的な妥協点をクリアしていたんだろうな。

ちなみに、オリコン最高位は、「長い髪の少女」が14位だったのに対して、この曲は13位。 売り上げ枚数は届かなかったけど、グループのシングル最高位を記録したのはこの曲だったりするんだよね。



東京12チャンネルで当時放送されていた「ジャポップス・トップ10」(日曜19時30分〜20時)という番組のVTRらしいです。
よく保存していた方がいらっしゃったな・・と感心するばかりですが。。。
ちなみに、映画「ゴールデンカップス・ワン・モア・タイム」でも、このVTRが使用されています。

マモル・マヌー氏が亡くなって、この動画へのコメントもすごいことになっていますね。。。

この時のメンバーは、Vo デイブ平尾、G エディ潘、B ルイズルイス加部、Dr マモル・マヌー、Key ミッキー吉野。
オリジナルメンバーの、ケネス伊東氏は抜けていましたが、代わりにキーボードにミッキー吉野氏が加入していたころですね。
ミッキー吉野氏は、いわずとしれた後年のゴダイゴのキーボーディストですわ(なんてわざわざ書かなくても分かるか)

Aメロでのデイブ平尾氏のボーカルに加えて、サビからドラムのマモル・マヌー氏のボーカルにチェンジ、ここにエディ潘氏のサイドボーカルが絡んでくるという強力なボーカル体制でしたね。

画面を見ても変わるように当時のマモル・マヌー氏、イケメンなんですよね。 デイブ平尾氏曰く、68年当時最強のイケメンだったということで横浜、湘南地区では知らない人がいなかったとか。

でも、ミッキー吉野氏曰く、めちゃくちゃ「不良」。あんなに悪さしてたやつはいないというほど、かなりのやんちゃ者だったようです。

そもそも、カップスのメンバー全員、当時の本牧地区では曰く付きのやんちゃ者が集まったグループでしたからね。
当時の本牧地区は、まだ大半が米兵居住地区であり、金網を一つ隔てれば「アメリカ」という環境。
それいえに常にトラブルや喧嘩が絶えない場所だったわけですわ。 そんなところで曰く付きの不良だったってわけで、半端なワルじゃなかったんですよね。

そういう不良なことは私には絶対できないけど、どこか憧れはあるんですよね。
そもそも、ワタシの死んだ父親も母親も、若い頃はそこそこのヤンチャしてたようで、ワタシがまだ幼稚園とか小学校に入るか入らないかの頃、夜な夜なスナックによく連れてかれていたんだよね。
酒の匂いとそれとコーヒーの香りとタバコの煙が充満しているような・・・。
あの独特な不良な匂いと、煮えたぎったような熱気、そんな光景がいまだに脳裏残ってるし。
だから、G.Sの中でもそういう匂いの特に強いカップスにはついつい惹かれちゃうんところがあるんだよね。


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薔薇の鎖 / 西城秀樹

1974_03_薔薇の鎖_西城秀樹

今回の1曲セレクトは「薔薇の鎖」西城秀樹です。

まずはデータです。

・タイトル     薔薇の鎖
・アーティスト   西城秀樹
・作詞       たかたかし (原案 斎藤優子)
・作曲       鈴木邦彦
・編曲       馬飼野康二
・リリース日    1974年2月25日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   33.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年3月11日~4月29日付

春と言うのに昨日は一時雪が舞ったりして季節が逆戻りした感じですわな。 一転今日は快晴ではあったけど風が冷たい1日でしたわ。
でも、陽の光は完全に「春」ですね。ついこの間までは陽の光も「冬模様」だったけど、季節は確実に進んでいる訳ですね。
そうだよな、3月も今週いっぱいなわけで、来週から4月だもんな。

でもさ、やっぱり、こういう時期になると、いくら「寒の戻り」ちゅうても、「春っぽい」きょくが聴きたくなるもんですわ。

・・・・ということで、今回の1曲は「春っぽい」曲を1曲。

西城秀樹「薔薇の鎖」。

うーむ、この曲は「春」っていうか、個人的には「初夏」っぽい匂いを感じたりするんだけど・・・。

でも、実際リリースは、2月の終わり・・・春を感じる時期だったし、Bメロの

♪空には明るい春の光が~ ♪ 

ってあるように、間違いなく「春」の曲ではあるんだけどさ。

それでも「初夏」を感じるのは、全体的なサウンドからなんでしょうかねぇ。

ミニコミ誌「よいこの歌謡曲」編集長の梶本学氏が絶賛している、ぶりぶりなサックスで始まるイントロからして、春っていうよりも初夏の温度感を感じたりするしな。

なんちゅうのかな、湿度感を感じるんだよな。 

春っていうと、もっとすっきりとしたストレートに「ポップ」を感じる曲調って言う頭があるんだけども、この曲は、ポップスというよりもロックだからさ。匂いは。

ニッポン放送ののサイト内にある「大人のミュージックカレンダー」によると、シンプルなオールデイズスタイルのロックンロールとある。

確かにこの表現に異存はない・・んだけど、でも、やっぱり、個人的にはちょっとイメージが違うんだよな。

え? 何が引っかかるか・・・っちゅうと、シンプルなロックンロールとウタっている点。

どうも、ロックンロールっちゅうと、個人的にはどうしても、横浜銀蝿的なスタイルを想像してしまう。

けど、この曲は横浜銀蝿っぽくないよなぁ。

ロックンロールというよりは、イタリアンツイストってイメージがあるんだよね。

まあ、ベースラインがそんな感じだから・・・って言うところからなんだけど。

80年代で言うと、三原順子の「セクシー・ナイト」とか、あの感じのベースライン。

でも、「セクトーナイト」ほど濡れた感じがしないのは、この曲がメジャー系だからか。 その点から言えば、同じ秀樹81年のヒットの「セクシーガール」に近いのか。。。

いや、まてよ「セクシーガール」は横浜銀蝿が作ってるんだよな・・・。

・・・とすると、やっぱ↑の「大人のミュージックカレンダー」でロックンロールと言及しているのは間違いないのか・・・。

なんか、堂堂巡り。。。。。。


この曲といったら、ヒデキのマイクスタンドのパフォーマンスって言われてたりする。
マイクスタンドを蹴りあげて歌うっちゅう、派手なアクションがキモっていう。

まあ、そんな風に文章で書くと、さぞド派手なアクションがあるんだろうな・・・・なんて、想像しちゃったりするんだけど。

いや、この曲をリアルタイムでは聴いて無かったワタシも、昔、そう聴いて、めっちゃ派手なアクションを想像した上で、実際の映像を見たら、思ったりも派手さがなくて、ちょっと調子抜けしたような記憶がある。

たしかに、マイクスタンドを蹴りあげるシーンはあったりするんだけど、そんな「伝説的」に言われるほどの事なのかいな  ってな感じで。  もっと派手なマイクアクションって他にもあったよなぁ、世良公則氏がツイストでみせてたマイクアクションとか 

でもさ、これでも74年当時としては画期的だったんだろうね。

それまでは、マイクスタンドを蹴りあげて歌う・・なんてアクションは、少なくとも日本のヒット曲ではなかった訳だから。。

・・・というか、蹴りあげたくても蹴りあげられなかったんだよね、重くて。

それまでのマイクスタンドって「鉄製」だったんだよね。 

ワタシ、小学生の時、放送委員で、学校にも鉄製のマイクスタンドがあったんで覚えてるけど、足の部分がスタンドが倒れないように丸い重しのようになってて、これがめちゃくちゃ重いのよ。とても、蹴りあげアクションなんでできない。 蹴りあげた途端、捻挫ですよ確実に。

ぢゃ、なんでヒデキは、こんなパフォーマンスが出来たのか・・・

っちゅうと、「大人のミュージックカレンダー」出来言及しているように、直前に見たロッド・スチュワートのショーからヒントを得て、アルミ製の軽ーいマイクスタンドを特注したからなんだよね。

・・・っつか、上に書いた事って ↓ で言及してたりするんで、今さらココで書くことでもないんだけど・・・



(ココでは再生が無効になってるんで、「この動画はYou tubeでご覧ください」。リングをクリックしてみてね)

いずれにしても、この曲の前後が、派手なアクションを魅せてたヒデキの「第1次」全盛期だったんだよね。
前年の「ちぎれた愛」から、5作連続で30万枚以上の売り上げを記録。

当時の水準では、特にアイドルでは30万枚が大ヒットの境界線って言われてた時代、5作連続で30万枚っていうのは、文字通りのスターだった訳ですわ。

ただ、個人的に言えば、ヒデキと言ったら、馬飼野康二氏の曲って言うイメージなんだよなぁ。
まあ、この曲もアレンジは馬飼野氏ではあるけど、作曲は鈴木邦彦氏なわけでさ。

鈴木邦彦氏時代の曲は、メロディライン今一つしっくり来ないんだよなぁ。 どうも前時代というか古さを隠せないと言うか・・・。 洋楽的なサウンドの中に、どこか「日本人気質」を感じちゃったりね。
これは、同じ70年代前半に一世を風靡していた森田公一氏もそう。

だからなのか、ヒデキの曲でもこの辺りは、一つ前の時代の・・・って言うイメージなんだよね、個人的には。




ちなみに、↑のデータで作詞に「原案」っていれたのは、この曲、もともと「平凡」読者から公募で募集され選考された歌詞を参考に、作詞家のたかたかしさんが詞を付けた曲なんですよね。

当時は、こんな「平凡」とか「明星」から歌詞の公募選考されたヒット曲ってあったんだよね。 タイガースの「花の首飾り」もそうだったしね。




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情熱の嵐 / 西城秀樹

1973_06_情熱の嵐_西城秀樹


今回の1曲セレクトは、「情熱の嵐」西城秀樹です。

まずはデータです。

・タイトル    情熱の嵐
・アーティスト  西城秀樹
・作詞      たかたかし
・作曲      鈴木邦彦
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1973年5月25日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数 24.6万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年6月25日〜7月23日付

秀樹逝去報道から1カ月近く過ぎて、ようやく落ち着いてきたという感じがしますね。一時は、この「1曲セレクト」もアクセスは秀樹一色って感じでしたから。
まあ、そう言う状況だったんでこういう時にこそ、秀樹の曲を持ってくるべきなんじゃないか・・・なんて、一瞬考えたんだけど。。。

ただ、あの時のタイミングで、同じ時期にヒットしていて、かつ、まだ書いてなかった曲が無かった・・ということで、あえて、書かなかったんだけどね。 

でも、あれから若干時間が過ぎ、ようやく、この時期にヒットしていた、まだ書いてない曲が出てきたんで、今回は、改めて引っ張って来たわけですね。

「情熱の嵐」。

1973年の今頃、デビュー5作目のシングルとして、リリースされ、初めてオリコンでベストテン入りした曲ですわ。
今回の秀樹の逝去によってこの曲もテレビから、大分流れて来てましたよね。

ただね、今回この曲を書くにあたって、改めてオリコンの資料を調べ直したんだけど、ちょっと誤って覚えてたなぁ・・・っていう印象が強かったりして・・・。

そもそも、この曲オリコン最高6位っちゅうところから、誤って覚えてたし・・・。

ま、確かにね、初めてベストテン入りした曲って言うのは間違ってなかったんだけども、順位は、もうちょっと上まで行ってたよな・・・っていうイメージだったしなぁ・・・。

それより何より売り上げ枚数ですよ、 24.6万枚  少なっ 。

いや〜、この曲の売り上げは、長年35万枚って覚えていた・・・っちゅうか、そのくらいのイメージだったんだよな、ワタシ。。。

いわいる「大ヒット」って言うイメージですよ。 うん、昔は大ヒットラインって、30万枚ラインって言われてたしね、それは、上回っていた・・・って覚えてたの。

それよりも、10万枚も少なかったか・・・・。 しかも、ベストテン入りしてたのは1カ月あまりだったんだよね。

そんなチャートアクションから見ても、お世辞にも大ヒット・・・とは、なかなか言いにくい・・・まあ、そんな感じなんだよね。

売り上げだけ見ると、秀樹的には「並」・・・って言う感じなんだよね。


それでも、 「大ヒット」してたって言うイメージが、この曲にあるのは、やっぱ、初めて「ベストテン入り」した曲って言うところが大きいのかなぁ。 やっぱり、「上り調子」って言う時の曲は、ことさらヒットしたって言うイメージが強いからな。

それとなんと言っても、この曲の曲調だろうな。 インパクトが強いブラス・ロック。 ワイルドな秀樹って言うイメージが定着したのも、この曲からといっても過言じゃないからなぁ。

兎に角、ブラス・ロックなこの曲はかっこいいんだよね、あれから45年も経った今聴いても、アクの強さは感じるもの。 ・・というか、下敷きはチェイスの「黒い炎」だよね、っていうのはミエミエなんだけどさ。 でも、これがいいのよ。 当時、日本のポップスで、ここまでブラス・ロックがキマってた曲って、少なくとも当時のヒット曲には、無かったしねぇ。

いや、確かにブラスを使ってた曲は、それ以前にもあった。 でも、ダサい使われの曲が多かったんだよね。
いわいる4,7抜きの演歌、歌謡曲の流れを汲んだようなチープなフレーズが多かったりして。

でも、この曲は、当時、流行ってたブラス・ロックをより意識したフレーズが、より洋楽的だったしな。 

今でこそ、より洋楽的って言う曲は、逆に当たり前過ぎてツマンなく思うワタシだったりするけど、当時は、全くの逆で、より洋楽的な曲の方が断然かっこいいんだよね。 70年代くらいまでの曲で4,7抜きのチープな歌謡曲的フレーズの曲って言うのは、やっぱ、耳に障るんだよなぁ。 まあ、昔ほどの生理的拒絶感っ中のは無いんだけど、やっぱ気にはなんだよね、未だに。

ただ、欲を言えば、もっとエゲツさかあっても良かったかな・・・とも思う。 本家のチェイスの「黒い炎」って、もっともっとエゲツだし、スピード感もあったじゃん。 それがより強いインパクトとなって帰ってきてたし。

それを考えると、もっともっと踏み込んでも良かったんじゃないかなぁ・・・とは個人的には思う。

まあ、70年代の歌謡ポップスのレベル・・・これは、作り手というよりは、リスナーレベルを考えると、この曲のように、実際は、まだ、ちょっと余力があるくらいの抑えめ感があって良かったのもかもしれないけど。。。

それは、秀樹の、この先の伸びしろを考えた上でも、最初からマックスであるよりも良かったのかもしれないけど・・・。



ぷぷぷぷ、この動画も直リンが無効にされてる。。。最近多いなぁ。
お手数なのですが、動画が見たい方は「この動画はYou Tubeでご覧下さい」リンクをクリックしてね。。。


うーむ、曲を聴くと、やっぱり秀樹は、アッパーなロックチューンがカッコイイよなぁ。
馬飼野康二氏の功績がでかいよね。 うん、初期の曲は馬飼野氏があってこその秀樹だもんね。

昔、明星のインタビューで馬飼野氏が、自らのメロディは絶叫型が得意って語っていたけど、これには秀樹が最も嵌まってたもんね。
 まあ、後年の松崎しげる氏の大ヒットナンバー「愛のメモリー」も馬飼野氏。うん、絶叫型ですねぇ。まあ、あれはあれで、初期の秀樹の一連のヒット曲とは別の意味でスゴミがあるんだけどさ。

それと、再三書いたようにブラス・ロックですねぇ。これ、また流行んないかなぁ・・・なんて、個人的には思ってたりするんだけどなぁ。 まあ、ワタシがブラスやってたからって言うのが大きいんだけど、カッチョ良いんだもん。
兎角、ロックっいうとエレキ中心のバンドサウンドなわけだけど、ブラスが入って来ると、エレキサウンドとは、また違って華やかだしさ。
まあ、これだけシンセが広がっちゃうと、今後はほぼ不可能な形態なんだろうけどさ。ブラス・ロックは兎角、人数が居るし、人数が居るって事はそれだけ人件費がかかる訳だし。。。


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天使の誘惑 / 黛ジュン

1968_07_天使の誘惑_黛ジュン


今回の1曲セレクトは、「天使の誘惑」黛ジュンです。

まずはデータです。

・タイトル    天使の誘惑
・アーティスト  黛ジュン
・作詞      なかにし礼
・作曲      鈴木邦彦
・編曲      鈴木邦彦
・リリース日      1968年5月1日
・発売元     東芝音工
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数 46.8万枚
・ベストテンランクイン期間:1968年5月27日〜8月12日付

えー、只今部屋の室温計は32.0℃を指しておりまする。。。うヴぇ〜暑ちぃよー。 これでまだ梅雨明け前だって言うんだから。。。。梅雨が明けたらどうなってしまうんでしょ・・・。って連休を過ごして居たりして。。。。

今年は「老体」にムチうって 2年ぶりに「ROCK IN JAPAN」と、超地元の「氣志團万博」 2つの夏フェスに参戦する予定なんで、今から「暑さ」に慣れておきたい・・・と、出来るだけクーラーを使わないで2日過ごしてたんだけどね。。。

ちなみに、件の痛風の痛みは今日になって、大分引けまして・・・おかげ様で通常の生活に戻れましたわ。
あとは、ぶり返さないように留意しないと・・・。高い金を払った夏フェス参戦が・・・・。。。

で、流石にこの暑さの中では「1曲セレクト」書けないよ〜・・・とクーラーを入れて書いてまする。

さて、今回の1曲セレクトは、どうするベか・・・。 ここんところヒット当時、「好きぢゃなかった」80年代アイドルの曲が続いたからなぁ。。。

今回は時代を一気に飛び越えて「60年代アイドル」の「夏」の曲と行きますか。。。

黛ジュン「天使の誘惑」なぞどうだ!


なんか勢い誤って「60年代アイドル」なぞと表現してしまいましたが・・・。 うむ、60年代には、まだ「アイドル」などと言う表現のコトバは、少なくとも「音楽界」では使われていなかった訳で・・・。

いや、idol⇒偶像という単語は昔からある訳で、厳密に言えば使わけていたかもしれないけど、現在の音楽ジャンルとしての「アイドル」と言うカテゴリーは、まだ無かったって事なんですけどね、60年代には。

でも60年代にも10代の「歌手」は居た訳でね、弘田三枝子さんにしろ、伊東ゆかりさんにしろ、そうそう忘れてはいけない、吉永小百合さんにしろ・・・みんな最初は、今でいえばアイドルだったわけじゃん。

まあ、今のように「アイドル」と言うカテゴリーが当時あったならの話なんだけど・・・。


で、黛ジュンさんは今回セレクトしてきた「天使の誘惑」の前年1967年にデビュー・・・。

・・・・なんて書くとクレームが来るよな、きっと。。。 そそそ、実は16才だった64年に一度本名の「渡辺順子」でデビューしてるんだよな。でも、その時は全く売れず・・・、19年になった前年67年に再デビュー・・・という経歴を持ったアーティストなんだよね。 
ちなみに、亡くなった作曲家の三木たかし氏は実兄・・・ってことは有名? うむ、でもそうなんだよね。


どーでもいいことだけど、この曲、作詞がなかにし礼氏で、作曲が鈴木邦彦氏だけど、ワタシが通ってた千葉の某私立S高校の校歌も、作詞、なかにし礼氏、作曲 鈴木邦彦氏・・・ そそそこの曲の組み合わせと全く同じなんだよなぁ。。だれがいつ依頼したのか分かんないけどさあ。
 だからという訳じゃないけど、この曲を聴くと、どうも高校の校歌を思いだしちゃったりして・・・因果なもんだわぁ・・・。
あ、曲想は全く違うけど。。。。


で、この「天使の誘惑」は、この年1968年のレコード大賞、大賞受賞曲。 

・・・ということはデビュー2年目、若干20歳の時に、既にレコード大賞を受賞してるんですねぇ。

そう、60年代も終盤に差し掛かった当時は押しも押されぬ「トップアイドル」だったわけですわ。

当時、ライバルとされていた「アイドル」には、伊東ゆかりさん、弘田三枝子さん、いしだあゆみさん、奥村チヨさん・・・等々のトップアイドルがひしめいていた中でも、特にレコード売り上げに於いてはトップクラスだったんだよね。・・というか安定していたと言うかね。

やっぱ曲調なのかなぁ。特に今回セレクトしてきた「天使の誘惑」って曲。今聴いても「ポップ」でしたからねぇ。

当時の曲といえば、どこかジャズの影を引きずっていたり、歌謡曲のを引きずっていたり・・・って兎角「夜に向かった」と言う匂い・・・つまりはティーンエイジャーが歌っても「大人」向けの曲が圧倒的に多い中、この曲は、あくまで「昼間の」・・・って言うイメージなんでね。そこに安心感があるって言うのかなぁ。

アイドルと言うジャンルが確立された70年代以降、アイドルソングといえば、夜の匂いから、遅くとも「門限」は夕方までと言われるように「昼」に向かった曲が基本、つまりさ「健全さ」がアイドルソングの基本・・・ということであれば、この曲なんてのは、その「元」と言ってもいいんじゃないかな。

まあ、その辺が、その後、70年代、80年代、90年代、それ以後も、この曲が多くの「アイドル」たちによってカバーされているところなんだろうね。

ちなみに個人的には、やっぱ、牧瀬理穂がCMで歌ってた、あのバージョンかなぁ

↓ コレ (後半の30秒のバージョンのやつ)


そそそ、タケダの「HI-C」のCMね。 最後に自らスカート、 ばひょーんとめくるやつ。

とは言うものの、これより前にオリジナルの黛ジュンさんバージョンの方を知ってたんだけどね。





これ、1968年当時の画像ですよね?
それにしては、画質も音もめちゃくちゃ良いんですけど。。。 とても49年前・・・約半世紀前の画像とは思えないわぁ。 
もちろん当時はステレオ放送もしてるはずが無く・・・。でも、ちゃんとハイファイになってるじゃないですか。。。
どうもBS-TBSで放送されたやつのようだけど・・・。

・・・・とおもったら、リンク弾かれちゃってる。 申し訳ないですが、みたい方はYou Tubeのサイトに飛んでくだされ。。。。

ちょっと調べてみたら、当時TBSは、他の局のように2インチのビデオテープを使って無かったんで、かさばらずに済み、その後も当時のビデオテープを上書きせずに保管出来たようですね。
でもって、最近TBSは、当時の画像のデジタルリマスターを行っていますから。。。
ベストテンもデジタルリマスターを行っているらしいですね。
なんで、こんなに画像も音もきれいに残っているようなんですよね。

しかしさあ、20歳にしては大人っぽいよね。10才位サバよんでんじゃね? なんて言われてもおかしくないような・・・。
でも、当時はみんな大人っぽかったんだよな、今から比べると・・・。いや、逆に言えば今がコドモっぽくなっちったんじゃないのかねぇ。

まあ、実際曲を限り、ジャケットにもクレジットがあるように、「ハワイアン・ロック」ですねぇ、この曲。
バックのバンドにスチールギターの人もいたりして。
ってか、ハワイアン・ロックってなんじゃらほい? ・・・って感じなんだけどワタシら世代からすると・・・。
根がハワイアンだけど、リズム体はロックってことでしょうか。 ま、ロックというよりも完全なポップスなんですけどね。今からすると。
当時としては、「エレキ」を使われるとロックってというイメージだったんだろうなぁ。 

でもさ、パーカッションを多用しているところから、ハワイアンというよりはラテンだよね・・・なんても思ったりしてね、個人的には。


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長い髪の少女 / ザ・ゴールデン・カップス

1968_06_長い髪の少女_ザ・ゴールデンカップス


今回の1曲セレクトは、「長い髪の少女」ザ・ゴールデンカップスです。

まずはデータです。

・タイトル     長い髪の少女
・アーティスト   ザ・ゴールデンカップス
・作詞       橋本淳
・作曲       鈴木邦彦
・編曲       鈴木邦彦
・リリース日        1968年4月1日
・発売元      東芝音工
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数  19.2万枚

本来やりたいと音楽と、売れるための音楽のせめぎ合い。
プロのバンドマンにとっては、ここが一番頭が痛いところだろうね。本当はもっとマニアックな音楽をやりたいのに、「食うため」には、「大衆音楽」もやらなくちゃいけない・・・と。
 ま、最初から売れなくていいから自分たちのやりたい音楽を・・・と腹くくって、ずっとインディーズでやれる人たちはいいけど、こと、メジャーレーベルの「売れっ子」になればなるほど、その辺りがネックになってくるんじゃないかなぁ。
それは、今だけの話じゃなく、昔からある事なんだよね。 

今回は、そんな本当はやりたくなかったんだけど・・・・っていう、G.Sの曲をひとつ

ザ・ゴールデンカップス「長い髪の少女」。

G.Sでもっとも「硬派」なポジションに君臨し、こと、音楽についても「ホンモノ」を追求してきたカップスの、3枚目のシングルであり、一番売れたこの曲。。。

・・・だけど、本人たちは当初、かなり渋ったらしいですね。この曲をリリースするの。

なぜか・・・というと、最初に書いたように、本来自分たちがやりたかった音楽とのギャップが大きいから。

メンバーのほとんどがハーフであり、向こうの特にR&Bを得意とし、演奏テクニックも他のG.Sに比べ抜きんでてた「本物志向」の彼らにとっては、「歌謡曲」イズムなこの曲は、どうしても陳腐に映ったんだろうねぇ。

 当時、東芝音工の意向もあったのか、オリジナルのシングル曲は、基本、歌詞は日本語だったけど、どうも、それも陳腐に映る一つだったのかもね。

当時は、まだ、ロックに日本語は乗らない・・・って言うのが通説で、本物志向を目指すミュージシャンにとっては日本語ってたけで「ニセモノ」っぽん感じられたんだよね。
 だから、当のゴールデンカップスも、ステージではほとんどオリジナルのヒット曲はウタをなかったっていうんだからさ。

そそそ、シングルはあくまでTVなどのプロモーション用。本当の自分たちの音楽は別にあるって感じだったんだよね。


まあ、確かに聴いてみるとギャップを感じるんだよな。本来、このヒトたちのテクニックって、当時のレベルからすれば、超絶的だったんたけど、そんなテクニックも必要ない平坦な曲だし、なんと言っても歌謡曲テイストっていうのがね。。。バックにストリングが絡んでくる・・・っていうのは、R&Bをやってる彼らを聴いてると、ちょっと違うよなぁ・・・って思わずには居られないんだよね。
 
 どうも、当時のキャバレーとか、大衆酒場的な下世話な感じがしちゃってさあ。

でも、これが当時のウレセンだったからさあ、ウレセンを狙うとしたら、この路線に行くしかなかったんだろうなぁ。
だから当たった・・・って言うのもあるんだよね。

それでも、本来はメインボーカルだったはずのデイブ平尾氏は、どうしようもなく抵抗があったのか、この曲、メインボーカルじゃないんだよな。
 サビの部分で、 ♪ どうぞ〜 ♪ とか ♪ つらい〜 ♪とか掛け声的なコーラスを歌ってるだけ。
メインボーカルは、ドラムスのマモル・マヌー氏でしたね。

まあ、当たったと言っても、オリコンでベストテン内に入った訳じゃない訳で、超がつく程の大ヒットではなかったのは数字が表しているかな。
 
後の80年代アイドルと同じで、A級、B級、C級といった相対的な格付けがあるG.Sだけど、もちろんゴールデンカップスは、A級なG.Sな訳だよね。
 それでも、実際の売り上げ的には、こんなもんだったんだよね。 この曲がリリースされた1968年はG.Sブームの頂点の年だった訳だけども、相対的なレコード売り上げとしては、「歌謡曲」路線が絶対的だったけでさ、G.Sは、ほとんどが売り上げ枚数的には意外に少ないんだよね。

もっともアイドル的な人気だった、タイガースやテンプターズは別として。

ただ、カップスの場合、あくまで音楽的な本格志向として、こののち本格的にニューロック路線に移行。その後の日本のロック路線の礎となっている訳だよね。 


本当はヒット当時の映像があれば、リンクしたかったんだけど、なんせ50年近く前の曲だからなぁ、ある方が奇跡か。。。後年の再結成後の「オヤジ」になったころのは結構あるんだけどな。
でも、なんか違う・・・んで、レコード音源にリンク

http://www.dailymotion.com/video/x82qss_%E3%82%B6-%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%B3-%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%B9-%E9%95%B7%E3%81%84%E9%AB%AA%E3%81%AE%E5%B0%91%E5%A5%B3_music

やっぱりバックにストリングが絡んでくるアレンジは、彼らの曲としてはちょっと違うよなぁ・・・っていう感じがしますね。
まあ、だからこそ聴きやすいって言うのもあるし、60年代っていう時代背景的な匂いがするんだけど。。。


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いとしのジザベル / ザ・ゴールデン・カップス

1967_06_いとしのジザベル_ザ・ゴールデンカップス







今回の1曲セレクトは、「いとしのジザベル」ザ・ゴールデン・カップスです。

 まずはデータです。

・タイトル    いとしのジザベル
・アーティスト  ザ・ゴールデン・カップス
・作詞      なかにし礼
・作曲      鈴木邦彦
・編曲      鈴木邦彦
・リリース日   1967年6月15日
・発売元     東芝音工
・オリコン最高位 まだ創立してません。。。
・売上げ枚数   ? 枚


 今回の1曲セレクトは、一足飛びに時代を駆け上がりますぞ。
 「1曲セレクト」を書き始めて、初めてのオリコン創設前の曲だったりして・・・。

 ザ・ゴールデン・カップス 「いとしのジザベル」

・・・と書いて、果たして、どのくらいの方が「おお〜」と言ってくるかどうか、ちょっと不安。
うん、それも承知で書いていきますね。

 実際、初めは、ワタシと同年代の友達が多いmixiに書いたんで、この曲、どのくらいのヒトが知ってるかどうか不安だったんだけど、年代の境が無い、こちらのブログでは、ご存じの方は多いですよね。


 いや、もちろん、ワタシもタイムリーで聴いてたわけじゃないっすよ。1967年の曲でしょ。。。何分、まだ、生まれてないし。。。ふらふら

 この曲の存在を知ったのは、1980年代も後半の頃ですね。今まで何回か書いたけど、1986年〜1987年にかけて、一時期「ネオGS」っていうG.S回帰の兆しがあったんですよ。

 三多摩地区から火が付いた・・・って言われてるけど、それが新宿あたりに飛び火してたんだよね。

 丁度、テレビでも「テレビ探偵団」とか、「ナツカシ」モノが流行りだしてた頃で、丁度、ワタシも、時代を遡って、ヒット曲を掘り返してたことと一致して、GSモノの音源を物色してて、この曲に当たったんだよね、

 ちなみに、1987年に、とんねるず が「大きなお世話サマー」ってGSっぽい曲をリリースしてるけど、これは、この時の「ネオGS」ブームの影響なのよ。全くのぽっと出の曲ではないんだよね。その辺はあざとい、秋元康氏。。。あせあせ ・・・あ、ちがった・・・アルフィーの高見沢氏だ・・・。


 ところで、この「いとしのジザベル」を初めて聴いた時は、いい意味でショックだったねぇ・・・。
 タイトルがちょっと、こっぱずかしいけど・・・。いやいや、60年代は、これも「いかして」たんだよね。

 問題は、曲の中身ですわ。 いま聴くと、うわー、もろ「ガレージ」な入りなんだけどね。リバーブをいっぱい効かせた、スローな流れで・・・。典型的なGSな雰囲気の曲。


 BUT、Bメロ冒頭で、ドライブの効いたドラムスネアが入り、いきなりテンポアップになる、展開がドラマティック。
 プラスのメロディのウラでの、ディストーションの効いたエレキが刺激的・・・。
 ・・・というか、その前に、この時代、早くも、ディストーションペダルを使ってるあたりが、さすがにゴールデンカップスだよなって感じだよね。

 GSって、元々は、ビートルズorベンチャーズから派生したところが大きいから、バードロック系な音は、通常は使わない・・・っていうのが一般的だったんだよね。

 でも、ゴールデンカップスの出現によって、より「ロック」に近い音も出現してきて、GSの幅がより大きくさせてることに成功している。

 まあ、その辺から、日本のロックの起源は「ゴールデンカップス」から・・・っていわれる所以なんだけどね。
 (ヒトによっては、「はっぴいえんど」が日本のロックの起源ってなるヒトもいるけど、この辺は解釈の違いだね)

 とにかく、個人的には、ガーンと頭を打たれたような衝撃をうけた1曲ですねぇ。

 それから、カップス、かっちょいいなぁ・・・と、いろいろと追いかけるようになったんですよね。
10年前に上映された、「ザ・ゴールデンカップス・ワンモアタイム」も見ちゃったしね。

 兎に角、ワイルドな「不良性」がよい。

今の時代、音楽業界も品行方正になり、昔のようなモノホンの「不良」っていうバンドって、少なくなったよね。
でも、カップスは、やばい匂いがプンプンするじゃん。実際、その周辺も、かなりヤンチャなボーイズ&ガールズが集まっていた様だしさ。
 今の時代には無い、キケンな匂いっていうのかなぁ。なにか、そう言うのに憧れるんだよなぁ。個人的にも、幼少期の頃は、それに近い匂いがする周辺に居たんで。

蛇足だけど・・・・、作詞 なかにし礼  作曲 鈴木邦彦 って書くのなんとなく、恥ずかしいねぇ・・・。
 ワタシが出た、某S高校の校歌の作詞、作曲者のコンビなんですよねぇふらふらふらふら

 えー、そんなに有名なヒトが作ってんの? なんて、いわれそうだけど、そうなんですわ。。。
(ちなみに、なかにし礼氏の長男も卒業生だったな・・たしか・・・後輩になるんか。。)

 ちなみにちなみに、こんな風な「ヒット曲」な校歌ぢゃないっすよん。ふらふらふらふら  普通の校歌です。。。





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