かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

野口五郎

甘い生活 / 野口五郎

1974_11_甘い生活_野口五郎


今回の1曲セレクトは、「甘い生活」野口五郎です。

まずはデータです。

・タイトル    甘い生活
・アーティスト  野口五郎
・作詞      山上路夫
・作曲      筒美京平
・編曲      筒美京平
・リリース日   1974年10月20日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   49.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年11月4日〜1975年1月20日付

筒美京平氏が亡くなって1か月余り。
ヒット曲を聴き始めて42年が過ぎた私にとっても、切っても切り離せない存在だっただけに、やっぱりデカい出来事でしたね。
そういう影響もあってか、ここ1か月余り1曲セレクトがなかなか書けない状況にあったんですが、引きずってばかりいてもいけない・・・と徐々に思えるようになり、ようやっと筆を上げる気分になりました。

そうは言っても、今回はやっぱり、筒美京平氏の曲で行きたいわけで、この曲を引っ張ってきました。

野口五郎 「甘い生活」。

テレビの筒美氏追悼番組を見ていると、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」、ジュディ・オングさんの「魅せられて」・・といった。筒美氏の代表曲ばかり扱われていたようで、この曲なんかはついぞ出てこなかったような気がするけど。。。

それでも、オリコン1位を獲得したれっきとした大ヒットなんだよね。

いや、そればかりではなく、野口五郎氏の初のオリコン1位獲得曲であり、しかも、野口五郎氏のシングルの中で最高売り上げを記録した曲でもある。

そう書くと、今となっては意外かもしれないな。

野口五郎氏といったら、どうしても「私鉄沿線」が最も「売れた」曲のような印象が強い。
「懐かし番組」で野口五郎氏の曲として取り上げられるのも、大体が「私鉄沿線」だしな。

確かに「私鉄沿線」もオリコン1位を獲得してはいるものの、売り上げ枚数はこの甘い生活よりも4万枚ほど少ない45.3万枚にとどまっている。

つまりさ、野口五郎氏は50万枚ヒットを出せなかったんだよね。

同じ新御三家として、西城秀樹氏も郷ひろみ氏もクリアした50万枚の壁を唯一クリアできなかったわけだ。

「50万枚の壁」。 これについてもいつか書いたんだけども、70年代アイドルにとって、売り上げ50万枚っていうのは壁だったんだよね。
郷ひろみ氏も50万枚の壁をクリアしたと言っても、70年代で50万枚を突破したのは、この「甘い生活」と同時期に大ヒットした「よろしく哀愁」だけだ。しかも50.6万枚とギリギリのクリア。
いや、西城秀樹氏も79年の「YOUNG MAN」が出るまでは、50万クリアは「激しい恋」の1曲だけだった。
新御三家に対して、中3トリオの森昌子さんはデビュー曲の「せんせい」、桜田淳子さんは、「甘い生活」と同時期にリリースした「はじめての出来事」、ともに1曲のみが50万枚クリアしている。

つまりあの時代アイドルにとって、売り上げ50万枚っていうのはとてつもなく大きな壁だったわけだ。

そういう意味では、50万枚を5枚出している山口百恵さんの偉大さが際立つし、逆に新御三家、中3トリオの中で唯一、50万枚をクリアできなかった野口五郎氏は無念だったろうな・・なんて思えたりするんだけど。

ただ、こうしてみると、1974年の今頃から明けて1975年の冬にかけて、

・郷ひろみ「よろしく哀愁」
・野口五郎「甘い生活」
・山口百恵 「冬の色」
・桜田淳子 「はじめての出来事」

と、続けざまにオリコン首位を獲得し、併せてすべて売り上げ50万枚前後を記録していたわけで、今から考えると、新御三家、中3トリオ共に全盛期だったんだよね。

そんな新御三家全盛の1974年〜1975年にかけて新御三家の中で売り上げ的に一番安定した居たのが
実は野口五郎氏だったりするんだよね。
この「甘い生活」を皮切りに、5作連続でオリコン2位以上を獲得してたりする。

ベストテン世代で、「ザ・ベストテン」でともに1位を獲得した郷ひろみ、西城秀樹氏を見てきた私なんかは、いまひとつイメージがわかないんだけど、実はそうだったんだよね。

「甘い生活」。

いわいるフォークソングでいう「四畳半フォーク」的な、いかにもしみったれた、心の隅の一場面を切り取ったような、いかにもミニマムな世界観の詞の世界を、大げさすぎるほどのドラマティックな曲調で歌う。
いかにも1974年と言う時代を写し取っているような曲だよなぁ。

この曲と全く同じよう曲想であった、布施明氏の「積木の部屋」も同じ1974年の大ヒットだったし。

ただ違ったのは、筒美氏の曲調だったろうな。 「積木の部屋」は、もっとフォークに近かった。

けど、この「甘い生活」は、もろカンツォーネ的だった。 いやヨーロッパ的と言った方がいいかな。

でも、ヨーロッパ風曲調は、この時代のいわいる、ポップス系ヒットの一つの流行りだったんだよね。
73年の「魅せられた夜」に始まる、ジュリーのいわいるフランス系の一連のヒットでもそれは顕著だったし、同じ74年のヒットとしてヒデキの「傷だらけのローラ」にしてもそうだったわけじゃん。

そういう時代の流れを的確につかみ取り、四畳半フォーク的な日本人特有なしみったれた心情とうまく融合させた筒美氏の技が光る1曲だと思うなぁ。

この頃5歳で、物心つき始めたころの私にとっても、この時代の曲調って記憶の根底に残ってるしさ、だからなのか、ヨーロッパ系の曲調って懐かしさがこみ上げるんだよなぁ。
アメリカンなサウンドよりも、ヨーロッパ系、特にフランス系、イタリア系、北欧系のメロディラインであったり、サウンドは、個人的にはやっぱ好きなんだよね。

ま、もっとも、この次の年の1975年にポールモーリアっていう、もろヨーロッパ系の人に心酔しちゃったからねぇ。

そんなこともあってか、個人的にもこの「甘い生活」って曲は懐かしさがこみ上げたりするんだよなぁ。
もちろん、5歳だったんで意識して聴いてたわけじゃないんだけど。




1974年「第16回日本レコード大賞」作曲賞を受賞した熱唱の場面ですわ。
筒美京平氏自ら指揮を執ったという、昨今話題になった動画ですね。
当時、マスコミやテレビには一切出なかったいう筒美氏の超貴重な一場面ではないでしょうか。

野口五郎氏のブログによると、歌唱賞候補に落選、ただ筒美氏がこの曲で作曲賞を受賞という知らせを聞いたとき、スタッフからは出演するのを辞退しようという話が出たとか。

でも、筒美先生が受賞したんだから僕出ます・・と。

で、元々出演の予定がなかった京平先生が突如「五郎ちゃんが出るなら僕も出て指揮するよ!」とリハーサル無し、ぶっつけ本番で指揮をしてくれたのが、この時だったとか。


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泣き上手 / 野口五郎

1978_06_泣き上手_野口五郎


今回の1曲セレクトは、「泣き上手」野口五郎です。

まずはデータです。

・タイトル     泣き上手
・アーティスト   野口五郎
・作詞       岡田冨美子
・作曲       佐藤寛
・編曲       クニ河内
・リリース日    1978年5月10日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数  17.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1978年5月29日〜6月12日付

えー、今回はマクラなしで、のっけから行きますね。

野口五郎 「泣き上手」

先週、秀樹の曲を書いたんで、次も「新・御三家」の曲だよね・・・って、自分の中では決めてたんだよね。なんで、郷ひろみか、野口五郎か・・・ってなる訳だけど、ちょっと前から時期が来たら引っ張って来るか・・・って考えてた曲があったんで・・・・

それが、今回引っ張ってきた「泣き上手」ですわ。

考えてみれば、最近、野口五郎氏の曲、頻繁に書いてるような気がするんだけどさ・・・ このきょくの1曲前の「愛よ甦れ」もちょっと前に書いたしなぁ〜。

いや、逆に言えば、これまで殆ど書いて来なかったんだよな、野口五郎氏の曲は。
新・御三家の中でも、ワタシがまだヒット曲世界にのめりこむ前に、一番早く少し落ち目になっちゃったのが、野口五郎氏で、だから、正直言うと、タイムリーで聴いてた曲ってのが少ない・・・っちゅうこど、これまであんまり書いて来なかった一番の理由なんだけどさ。

ときに、今回引っ張って来た「泣き上手」も、まだ「ヒット曲」の世界に足を踏み入れる前のヒットなんですわ。

うん、ほんのちょっと前なんだけどね。この曲の次の「グッド・ラック」からだからさ、ワタシがタイムリーで聴いた野口五郎氏の曲って。

でもさ、「泣き上手」の頃は、既に「ザ・ベストテン」は始まっていたし。だから、ベストテンの「懐かしの名場面」とかでも、ダイジェストでは見たことはあったし、どんな曲なのか・・・ってのも興味はあった。

ただ、実際に曲を耳にするまでは、大分かかっちゃったんだよなぁ。 ホント最近なんだよね、この曲ちゃんと聴きだしたのは。

個人的に所有している、昔のヒット曲の音源。とりあえず70年代以降のクロニクル的な流れはとりあえず出来ているんだけど、まだまだちょぼちょぼ抜けてる曲があるんですわ。

その一人が野口五郎氏、もう一人が桜田淳子さんだったりするんだよね。 だ、もんで、最近、このお二人の音源を重点的に集めてたりしたわけなんですわ。

で、最近集めた音源の一つが、前回書いた「愛よ甦れ」だったり、今回ひっぱってきた「泣き上手」だったりするんだですわ。

そんな流れでここんところ、頻繁に引っ張ってきてるところが大きいかな。 

でも、とりあえず、「ベストテン」が始まって以来の、音源はこれで一応は集まったんでね、以前ダイジェストでしか聴いてなかった曲もちゃんと聴けるようになったんだけどさ。


そんな中でのこの曲の第一印象・・・・ うーん、「もろ歌謡曲ですねぇ」っちゅう印象。

「愛よ甦れ」の時も書いたような気がするんだけど、これがさ70年代中盤・・・そうだなぁ、75年くらいまでであれば、これはこれで「アリ」だと思うんだけどさ。この曲がリリースされたのは78年だったわけでさぁ。

うん、これも以前書いたんだけども、ヒット曲の曲調って、78年くらいから劇的に変わってくるんだよね。
ヒット曲でも、洋楽的なメロディやサウンド色が俄然強くなってきた訳なのよ。 その中で「歌謡曲」的なサウンドっちゅうのは、ひと時代前の・・・っていうイメージが出てきた頃なんだよね。

保守的、いわいる「アナクロ」的な色合いだよね。  この曲を聴くと、まずはそこに耳が行ってしまう。

つまりは78年っていう時代の色合いに合っているのか・・・っちゅうと、やっぱりズレてるんだよなぁ。
78年のヒット曲の先端は、もっとバタ臭いからさあ。こういう「醤油」系の匂いじゃないんだよね。

だから、うーん、どう考えても「大ヒット」な曲って言う感じではないよね・・・ってなっちゃうんだよね。

まあ、実際、前曲「愛よ甦れ」で落ち込んだ売り上げ枚数が、V字回復にはなっていないし、オリコンでの最高位も前曲同様に「9位」とベストテン入りギリギリのラインで落ち着いてしまってたりする。

だから、全般的にダメな曲なのか・・っちゅうと、正直最初はねそう思ったの。  メロディに字足らずの歌詞があったりして、なんとなしにアンバランスに感じちゃったりもしてさ。

でもさ、何回か聴いてると、どうも引っかかってくるフレーズがあるんだよな。

うん、サビの ♪ そこがいい そこがいい〜 ♪ って部分。

なんちゅうのかなぁ、「そこがいい」っていうコトバが纏わりついて来るんだよねぇ。 

なるほど、この曲の「キモ」はここか・・・・。 なんて、いうのを最近気が付いてきたりしてね。


それとさ、レコード音源で聴くのと、「ようつべ」なんかで動画で見るのと、印象が大分違うんだよな。
動画で見ると、レコード音源で聴くよりも良いんだよ。 音がしっかり1978年のサウンドになってるし。。。

っちゅうか、そりゃ1978年の歌番組の動画なんだから、当時のサウンドであって当たり前なんだけど。。。

なんちゅうのかな、「ウタ番組」ありきで作られた曲っちゅうのかなぁ。 そそそ、テレビの「ウタ番組」で歌われるのを「前提」で作られた曲っちゅうのかなぁ。 そういう印象が強い。

いや、でも、当時のヒット曲ってそう言う曲って多いんだよな。 レコードで聴くとなんかイメージが違う曲って。

うん、テレビの方が断然かっちょいいの。 音が太くて華やかで独特のグルーヴ感があって。。。

そそそ、この「独特のグルーヴ感」、ここにやられちゃったんだよな、当時のワタシは。 それが「ヒット曲の道」に嵌まった最大の要因なんだよなぁ。

いつか、ツイストの「燃えろいい女」を書いた時も同じような事書いたんだけどさ。あの曲もテレビとレコードじゃ、大分イメージが違うんだよな。ワタシは、テレビ、特に「ベストテン」で歌ってた時の「燃えろいい女」が一番好きなんだよな。

もしかすると、この曲もヒット当時例えば「ベストテン」で聴いてたら同じような印象があったんぢゃないか・・・そんな風に思える1曲ですねぇ。




「夜ヒット」、毎度毎度の事ですが、演奏がねぇ・・・やっぱ下手なんだよねぇ。 とりあえずはミストーンをなんとかして欲しい・・・っては、いつも書いてるような気がするんだけど。。。。



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愛よ甦れ / 野口五郎

1978_03_愛よ甦れ_野口五郎


今回の1曲セレクトは、「愛よ甦れ」野口五郎です。

まずはデータです。

・タイトル     愛よ甦れ
・アーティスト   野口五郎
・作詞       藤公之介
・作曲       平尾昌晃
・編曲       船山基紀
・リリース日    1978年2月21日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位   9位
・売上げ枚数   15.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1978年3月13日、3月27日

えー、昨日に引き続きいての1曲セレクトです。 えー、今度いつ書くか・・っていうのもちょっと不安なんで、書ける時に書いておこうか・・と思い、連ちゃんで筆を取りましたわ。

今回セレクトしてきた曲は、野口五郎「愛を甦れ」。

この曲ねぇ、ちょっと前に目に留まって、「あ、書こう」・・・と思ってたんだけど、ちょっと間空いちゃったんだよね。その間に「ヒット期間」が進んじゃいまして、今書かないと、ヒット期間が過ぎちゃう・・・って事もありまして、昨日に引き続いて筆を取った・・・っていのうが、一番の理由かなぁ。

うん、今書いとかないと、また来年まで書けないんでねぇ・・・。

なんで、この曲が目にとまったか・・・って言うと、新御三家の一人として、長らくトップアイドルの座についていた野口五郎氏だけど、この頃からちょっとパワーダウンし始めるんだよね。

そのターニングポイントとなった曲が、実は、まさにこの曲だったりするんだよなぁ。

この曲の1曲前が、77年10月にリリースされた「風の駅」って曲。 そそそ、「ザ・ベストテン」フリークだった方には、お馴染みの曲ですな、「ザ・ベストテン」第1回の10位だった曲。 つまりは初めてあのミラーゲートをくぐって歌った曲が「風の駅」だったわけですわ。

あ、ちょっと話が本題と外れてきたね。。。  でね、この「風の駅」まで4年近く、野口五郎氏ってリリースする曲でオリコンベスト5を外してなかったんだよね。
 以前も、何かの折で書いたかもしれないけど、新御三家で一番売り上げが安定していたのは、実は野口五郎氏だったんですよ。

 この辺は、ヒット曲をリアルタイムで経験したのが78年以降なワタシにとっては、ちょっと信じがたい感覚なんだけど、昔の資料からすると事実は事実なんだよね。 個人的な感覚ではヒデキが一番売れてたような感覚があるんだけどさ。

「風の駅」にしても、オリコン最高5位、売り上げが25万枚。

で、そこから次の、この「愛よ甦れ」では、売り上げが15万枚と、いきなり10万枚近くも減。オリコン最高位も9位とベストテンギリギリまで落ちてしまう。
 ちなみに、五郎氏で売り上げ15万枚そこそこだったのは、デビュー3作目の「雨に消えた恋」以来6年ぶりだったわけなんだよね。


なぜに、いきなり売り上げが下がったのか・・・。

 この曲、野口五郎氏にしては珍しく、平尾昌晃氏なんだよな。調べてみると、シングルのA面としては、この曲が初めてなんだよね。 野口五郎氏と平尾昌晃氏の組み合わせは。 野口五郎氏というと、どうしても筒美京平氏と、そのブレーンって言うイメージが強いからさ。

で、本来ならば、新鮮味を感じるところなんだけど、どうも、この曲に関して言えば新鮮味が感じない。

やっぱり曲調なんだろうなぁ。 平尾昌晃氏って、丁度この曲がヒットしている時に、並行して自身が歌った、「カナダからの手紙」が大ヒットしてたんだけども、どうも曲調が78年って言う時代にしてみると古いんだよね。

この時点で、5年前の・・・・っていうイメージだったんだよな。 うん、どうしても70年代前半の匂いが取れないって言うかさ。ポップスではあるんだけども、より「和」の匂いがするっていうかね。 そそそ、より「歌謡曲」の匂いが強いんですよ。 
78年、時代のメインストリームはロック・ミュージックでしたからね。

歌謡曲の匂いっていうのは、ボーカル中心の曲って感じなんだよね。 ちょっと前に太田裕美さんの「雨だれ」の時も書いたんだけども、70年代前半までのヒット曲は「ボーカル中心」。でも、時代を下るごとにボーカル以外のサウンドも重要になりトータルで聴ける音楽が中心変わっていく・・・って書いんだけど℃、そう言う意味では、この曲なんかは、その流れに逆抗して行くような曲だったんだよね。そんな時代の流れどのギャップっていうのが、この曲ではモロ出ちゃったんじゃないか・・・。 そんな印象が強いんだよな。 

ちょうどこの78年の前半って、ヒット曲においては、サウンドの変化の流れがより加速して来ていた時代でしたからねぇ。

 丁度、78年の春ごろの曲って、ここの曲を聴き比べてみると、一時代前のサウンドの曲と、先端サウンド曲の差っていうのが、かなりでかいんだよね。 で、この流れに乗り切れなかったヒトたちは、ヒットのメインストリームからも置いてけぼりを食らってしまう・・・そんな流れが出てきた、ヒット曲って言う側面から見ると結構厳しい時期だったんだよね。

野口五郎氏の他にも、桜田淳子さんも、そんな時代の流れの時流に乗りきれず、人気が後退してきたヒトの一人ですね。



個人的には、この「愛よ甦れ」がヒットしていた時期は、まだ、ヒット曲の世界に足を踏み入れていない。 ほんの少し前ですね。
 だから、実は最近までこの曲、よく知らなかったんだよね。 ま、オリコンなんかで存在は知ってたけどさ、実際に聴いことは無かった。

 で、これを書くにあたって、ちょこっと掘り返して曲を聴いてみたら・・・、 うーむ、本音を言うと、 ↑で書いたように78年って言うイメージじゃないんだよなぁ。 75年って言うか・・・その位のイメージ。

 そそそ、ジュリーがフレンチポッフプスというかヨーロッパ系ノの曲をやっていた頃の・・・って言うイメージなんだよな。 うん、いわいるカンツォーネなんだよね。ひしひしと真面目に歌い上げる形式の。
そこからしてギャップなんだよね。78年っていう色合いとのギャップっていうかなぁ。

 たしかに、この曲のちょっと前に、松崎しげる氏の「愛のメモリー」っていう超絶的なカンツォーネ系の歌い上げる曲が大ヒットしてたりする。
 でも、両者のリリース間隔はたかだか半年くらいだけど、この半年の間でも時代とヒットの色合いっていうのは、大分変わってきてたしな。
 なにより、同じカンツォーネ系といっても、「愛のメモリー」の絶唱とも言える盛り上がりはインパクトの塊だったからなぁ。 この「愛よ甦れ」はそこまでのインパクトはない。 その差が大きいんだよね。
 

とはいうものの・・・これ書くのに何回もこの曲を聴いてたら、どうも引っかかっちゃうんだよな。 耳に残ってしまう。 まあ、個人的にこの手のカンツォーネ系の、いわいる「歌い上げる」タイプの曲って嫌いじゃないからさ。



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風の駅 / 野口五郎

1977_11_風の駅_野口五郎


今回の1曲セレクトは、「風の駅」野口五郎です。

まずはデータです。

・タイトル     風の駅
・アーティスト   野口五郎
・作詞       喜多条忠
・作曲       筒美京平
・編曲       筒美京平
・リリース日    1977年10月25日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数  25.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1977年11月14日〜12月26日付

ここのところ90年代中心に書いてきた1曲セレクトだけど、ちょこっと偏り気味なんで、今回は70年代へ遡ってみますか。。。

野口五郎 「風の駅」なんてどうでしょうかねぇ。

この曲と言って、真っ先に「ピン」と来た方は、「ザ・ベストテン」フリークですよねぇ。
そそそ、「ザ・ベストテン」が放送開始後、第1回目のチャート発表で、一番最初に登場したのが、この曲だったんですねぇ。
 つまりは、第1回ランク発表の時の、第10位がこの曲だったって事ですわね。 それが1978年1月19日放送分の事。

うむ、「ベストテン」フリークだったら、常識中の常識なんだけどね。

でもね、実際78年の1月第3週で、オリコンではどうだったのか・・・・というと、この曲、すでに40位にランクダウンしてたんですねぇ。
まあ、、ベストテンの場合、実際はランク発表の前週分のチャートを使用・・・ということは、1月19日放送分については、1月第2週のランクを使用していた訳だから、40位までは下がっていないまでも、オリコンでは1月第2週は、30位だったんだけどね。。。。

・・・となると、「え? なにこのランキングの差は・・・」って事になるだろうけどねぇ。

うむ、ベストテンの順位はレコード売り上げだけで決まるのではなく、その他、有線、ラジオ、ハガキリクエストの4要素の順位の総合ランクだったんでね。
 だから、レコード売り上げは如何に下がっていても、他の要素で補てん出来れば、おのずからランクは上になる仕組みだったんだよね。

ちなみに、この時の各要素の順位は、レコードの他、有線もラジオもベストテン外だったんだけども、ハガキリクエストだけは「4位」・・・とハガキリクエストが圧倒的に強かった事が分かるんだよね。

加えて、ベストテンって、放送開始当時は、4要素の中で、ハガキリクエストの得点比率が一番高かったからさ、だから、他の3要素でベストテン入りしていなくても、ハガキが強かったらベストテン入りも十分可能だったんだよね。

そんな恩恵もあって、レコード売り上げは既に下降線を辿っていたこの曲が、「ザ・ベストテン」ではベストテン入り出来たって訳なのよね。

五郎だけではなく、当時は秀樹もハガキが強かったからねぇ。 この「風の駅」がダウンしてすぐ後、秀樹の「ブーツを脱いで朝食を」がベストテンでは1位になってるんだけど、これは完璧にハガキリクエストの効果だったもんな。 なんせ、オリコンでは、この曲最高8位だったわけで。。。

まあ、この当時だけでなく、ベストテンが終わるまで、アイドル系は得てしてハガキリクエストが良かったんだけどもね。 ただ、これもだんだんエスカレートしてきて、ファンクラブぐるみでリクエスト・・・いわいる「組織票」の割合が酷くなって行ったんで、ハガキの得点比率は、年ごとに下がって行ったんだけどさ、「ベストテン」も。



ところで、肝心の曲の方だけど、正直言って、当時はよく分かんなかったんだよな、この曲。
まあ、この曲の頃は、個人的には、まだ「ベストテン」は見てなかったし、・・・・というか、まだヒット曲の世界に足を踏み入れてなかったし、だからリアルタイムでは聴いてなかったからねぇ。

後年、ベストテンとかで、第1回放送での最初のお客様・・・ってことで、この曲が流れているのを聴いてたくらいだからさ、よく分かんなかったのも当然なんだけど。。。

きちんと聴いたのは、「筒美京平BOX」に収録されていたのを聴いてからだから、かなり後になってからですねぇ。

あー、この曲が、ベストテンで最初にランクインされた曲か・・・なんて、ちょっと感激したような気がする。

ただ、それでもパッと聴きは、よく分かんなかったんだけどさ。

当時の野口五郎氏の曲って、言ってみれば、当時の「歌謡ポップス」の王道みたいなもんだったじゃん。「THAT'S 70'S」って感じでさ。
まあ、この曲の頃が、歌謡ポップスの完成度が一番高かった・・・と思うんだけどね。 この曲の頃、ヒットしてた曲は、どの曲も完成度が高いと思うわ。

その中で筒美京平氏の曲って、当時、個人的に最初に引っかかった曲は、もっと洋楽・・・というかバタ臭かったんだけどね。例えば、庄野真代さんの「飛んでイスタンブール」とか、大橋純子さんの「たそがれマイラブ」とか。

でも、こと、野口五郎氏の筒美作品ってあんまり、そういうバタ臭さを感じなかったんだよな。
まあ、野口五郎氏の、いわいるビブラート唱法が、どうしても歌謡曲っぽさを感じさせちゃったしてたってのも大きいんだけどさ。

この曲もパッと聴き、まさにそんな感じだったからねぇ。 「あ、70年代」っていう引っかかりはあっても、でも、「あ、これは自分の時代の曲じゃない」っていうところも感じちゃったりしてね。

うん、「自分の時代」っていうのは、自分でリアルタイムで聴いた以降の音楽ってことですね。

でもね、それでも、パッと聴き、この曲がヒットしていた当時・・・だから、1977年の今頃ですね・・・の風景、匂いが、一瞬のうちに甦って来るんだから、ヒット曲って不思議なんだよな。うん、当時、まだ、ヒット曲なんて聴いてなかったっちゅうのにさ。


ただね、パッと聴き、あんまり引っかからなかったこの曲ではあるけども、聴きこんでくると、だんだん味が出てきたんだよなぁ。
 そもそも、イントロのストリングスの動きからして、「風の駅」っていうタイトルにピッタリしてるじゃん。
16分音符で動く、ストリングスのフレーズが、いかにも「風の中」の風景を現してるしさ。

でね、個人的に一番、「らしさ」を感じるのが、サビの部分のストリングスのハーモニーなんだよな。

うん、サビの♪ ただ 君の 髪の毛の香り〜 この指が覚えてるだけさ〜 ♪ でバックで流れているストリングスのハーモニー。

ま、単純に、「シロタマ」(全音符)で、ハーモニーを奏でてるだけなんだけど、このハーモニーが切ないんですよ。

そう、♪ 遠い風の音〜 ♪って歌詞にあるように、本当に遠くで鳴ってる風の音のように感じたりして。

この曲、歌詞の内容としては「過去」を振り返っている内容じゃん。そんな切なさが、このストリングスのハーモニーと重なるんだよね。

そんな仕掛けに、なるほど流石は筒美氏だな・・・なんて思わず納得しちゃうワタシだったりするんだよね。





ちなみに、この曲が、野口五郎氏としては、最後の売り上げ25万枚オーバーの曲だったんだよね。
↑は、「夜ヒット」だけど、こと、ベストテンは、売り上げが全体的に下降線に入った時にスタートだから、野口五郎氏としては、ちょっとタイミングが悪かったんですよね。
その辺、新御三家の他の人、郷ひろみ氏、西城秀樹氏と比べると、ちょっと可哀想だったかな。


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グッド・ラック / 野口五郎

1978_09_グッド・ラック_野口五郎


今回の1曲セレクトは、「グッド・ラック」野口五郎です。

まずはデータです。

・タイトル    グッド・ラック
・アーティスト  野口五郎
・作詞      山川啓介
・作曲      筒美京平
・編曲      高田弘
・リリース日   1978年9月1日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 4位
・売り上げ枚数  22.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1978年9月16日〜10月9日付

心情的に「あー、書きたいわぁ」と思っても、なかなか腰が上がらない曲ってあるんだよね、個人的には。
ま、大体が、ヒット当時は、それほど「真剣」に聴いてなかったんだけど、後年になって「お、良いぞ」と心変わりした曲なんだけどさ。

そう言う曲が、最近溜まってきてるんだよなぁ。

まあ、自分本位でセレクトして行くと、どうしても自分の中でずっと引っかかりが強い曲を最初に書いちゃう訳で、逆に、あんまり引っかかりが少ない曲、あるいは、ヒット当時、引っかからず接点が少なかった曲って残ってきちゃいますからねぇ。

・・・なんて、今回は愚痴っぽいマクラで初めちゃいましたが。。。

今回は、そんな「当時」は、引っかからなかったんだけど・・・今は引っかかってますよ〜・・・って曲をひとつ。

野口五郎「グッド・ラック」

なんて書くと、「え?」なんて思う方も多いかなぁ。

この曲は1978年(昭和53年)の今頃ヒットのピークを迎えていた、野口五郎として、78年の「勝負曲」とも言える1曲ですね。

オリコンチャート的に言えば、前年10月の「風の駅」(ザ・ベストテンの第1回ランキングでの第10位。つまりはベストテンで最初に出演した曲として有名ですね)以来、3作ぶりにベスト5入りさせ、同時に20万枚オーバーを記録した曲。

ま、そんな所からも78年の勝負曲だったってことは覗える訳なんだけども、逆に、この曲が最後のオリコンベストテンランクイン曲だったんだよね。

・・・なんて書くと、うそやん、その後も「ザ・ベストテン」じゃ、ランクインしてたやん・・・とか、言われる方もいらっしゃると思いますがね。。。

まあ、ベストテンの場合、オリコンなどのレコード売り上げだけじゃなく、他にも有線、ラジオ、はがきの要素を合算した総合チャートでしたからねぇ。
 レコード売り上げが低くても、他の要素で上位に来れば、充分にベストテン入り出来るまでの得点を補えたわけですわ。

とりわけ、野口五郎氏は、西城秀樹氏と並んで、「はがきリクエスト」がめっぽう強かったからなあ。

ちなみに、80年の「コーラスライン」なんて、オリコンじゃ、最高24位までしか行かなかったけど、「ザ・ベストテン」では、はがきリクエストと、ラジオチャートでベストテン入りさせていたんで、総合でもベストテン入りさせていたりします。


・・・・ととと、少し話がずれた。

というわけで、「グッド・ラック」ですが、この曲、大人っぽかったよなぁ。当時流行りだった、AOR(Adult Oriented Rock)、、つまりは大人向けのアダルトな雰囲気のロックって事なんだけど・・・。

まあ、当時の日本でのジャンルでいえば、「ニューミュージック」に当たるような音楽といったほうが簡単なんだろうけど、向こうじゃこういう名称か、あるいはアダルトコンテンポラリーって言われてましたからねぇ

ただ、日本的なAORと言うと、ニューミュージックよりも、もっと「大人びた」音楽だったような気がする。

例えば、この曲と同時期のAORだと、大橋純子の「たそがれマイラブ」とかね。とりわけ、「大人向け」の音楽でしたよね。

そんなAORに、当時はまだアイドル的な存在だった、野口五郎が挑戦する・・・ってことで注目されたんだろうな。この曲が当時売れた要因なのは。

なんて、推測的に書いちゃいましたけど、実は、個人的には、この曲の時点では、まだヒット曲の世界に入ってきていない。。。
・・・っちゅうのは、「ウソ」で、実は、既に片足入れてたんだけどね。

うん、初めて「ベストテン」を見た週の、第10位がこの曲だったんですよ

でーも、全く記憶が無いんだよな。。

ピンク・レディ、山口百恵、西城秀樹・・・あたりは記憶にあるんだけどなぁ。。。

・・・というのも、当時、ワタクシ、新御三家ではビテキ派でして、野口五郎氏も、郷ひろみ氏も、全く眼中になかったもので。。。。

まあ、それでなくても、この「大人」びたAORな1曲を、当時9歳のワタシが「ひっかかった」か・・っていうのは自信が無いな。

うん、曲としては、あんまり引っかかりが少ない曲でしたからね。 

♪ ごめんよ〜 どうやら〜 別れの時間だ〜♪ からのサビの部分にしても、それほど強烈なフックとなる部分を感じないし。 そうね「歌謡曲」としてのフックとなるような部分ね。
だから、全体的は「ツルン」とした印象なんだよな、この曲は。 まあ、個人的な印象ではあるけど、当時の歌謡ポップスって、エグいくらいのフックがある曲が多かったですからね。 まあ、それがインパクトとなった訳なんだけどね、それから比べると、この曲は、大きなインパクトの部分は無かったからなぁ。

ただね、だからこそ、より洋楽的に聴こえたんだろうね。

考えてみれば、同時期、郷ひろみ氏は、「ハリウッド・スキャンダル」で、初めて洋楽的な「ショービス」にアプローチした曲を歌っていた訳だし、新御三家の3人はそれぞれ、より洋楽にアプローチしていた時期なのかもしれない。

↑で書いたように、郷ひろみ氏が「ショービス」な世界、西城秀樹氏は歌唱力を生かしたワールドワイドな世界、そこからみると、野口五郎氏がAOR路線を選んだのは、そのキャラクターを考えると正解だったのかもしれないな。




この間、twitterに別途、「78年のベストテンVTR」持ってるヒトっているんだ・・・って書いたのは、実は、この動画の事なんだよね。
「グッド・ラック」、2本入ってるけど、2分40秒過ぎからの画像は「ベストテン」になるんだよな。
この時、第10位なんだけど、実は、個人的に「ベストテン」を初めて見たのが、まさに「この週」なのよ(1978年11月2日放送分)。
だらね、うーむ、フルで見てみたい

でもねぇ、ホントよく、こんなVTR取ってたヒトがいるもんなんだよねぇ。
どうやって取っておいたんだろ? その前に当時、ビデオデッキって高かったんだよな。一般家庭に、まだそんななかったもの。 さらにそれ以前にビデオテープがねぇ、めちゃくちゃ高かったのよ。
以前、国会図書館で、当時の新聞に掲載されていた広告を見てたんだけど、120分テープで1本3000円くらいしてたんだよな。だから、そう何本も買えなかっただろうし、普通は1回見たら、上からダビングしちゃうのが常だったと思うんだよね。
だからねぇ、こんなふうに40年ちかくも画像を取ってあると思うと頭が下がる訳ですわ。


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真夏の夜の夢 / 野口五郎

1979_06_真夏の夜の夢_野口五郎


今回の1曲セレクトは、「真夏の夜の夢」野口五郎です。

まずはデータです。

・タイトル    真夏の夜の夢
・アーティスト  野口五郎
・作詞      阿久悠
・作曲      筒美京平
・編曲      筒美京平
・リリース日   1979年4月21日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 16位
・売上げ枚数 10.9万枚

あー、蒸し暑い夜ですわ。
まあ、梅雨って言うこの時期らしい・・・っちゃ、この時期らしい気候なんだけども、ベタベタと蒸し暑い夜は不快ですねぇ。
 それに、こういう夜は、ワタシが嫌いな「ムカデ」が出没することもあるしなぁ・・・。ウチは田舎なんでさあ、ムカデが出るのよ。一度なんて、夜の間にクツの中に忍びこんでた10cm近くもあるムカデに気がつかなくて、そのまま履いたら、案の定気がつかなくて、刺されたことがあるのよ。
もうね、ムカデ恐怖症よ。。。 今夜も出そうな気候なんで、明日の朝は気をつけんと。。。。

さてと、こんなジトーッと蒸し暑い夜になると、頭の中を駆け巡る曲って何曲か出てくるんだけどさ。
例えば、少し前に書いた寺尾聰の「出航」のC/Wだった「ダイヤルM」とかね。うん、あの曲もイメージとしては、蒸し暑い夜なんだよな。

で、もう1曲思いつく曲を、今回はセレクト。

野口五郎 「真夏の夜の夢」。

うーむ、「真夏の夜の夢」なんてタイトルを書くと、松任谷由実の93年の大ヒット曲であり、同タイトルの「真夏の夜の夢」を思い起こす人の方が今となっては多いのかもしれないけど、こちらの「真夏の夜の夢」は1979年のヒット。
もちろん、松任谷由実とは別曲ですよ。

タイトルが「真夏の夜の夢」なんてなっているんで、如何にも「真夏」の曲かと言うと、さにあらず、リリースは4月21日だったりして、全然「真夏」じゃなかったりするんだよな。
 それでも、今頃の蒸し暑い時期を思い出すっていうのは、100%曲調のせいだよなぁ。
まあ、兎に角、イメージが蒸し暑いんだわ、これが。
そんなイメージだからか、個人的にもいっつもヒット時期を間違えるんだよね。
「これから」の季節のヒットだったけな・・・なんて勘違いしちゃうんですわ。 去年も、それで「夏」まで待って書こうとしてたら、すでにヒット時期を逸してしまって、昨年は書けなかったんですわ。

今年も、あわやヒット時期を見逃すところだった。。。うん、厳密に言えば、この6月第3週って言う時期は、すでにヒットのピークは、過ぎて下降線をたどり始めてた時期なんだけどね。。。

そんな感じで、少し前にTUBEの「Beach Time」の時も書いたように、楽曲タイトル&楽曲のイメージが、実際の「気候」とずれてしまっていたために、今一つヒットしなかったって言う曲の1曲と言えるだろうねぇ、この曲も。

いや、たとえばさ、もう1カ月リリースが後ろにずれていて、梅雨から梅雨明けにかけての本格的にジットリした蒸し暑い時期がヒットの兆しとシンクロとしていれば、もっと売れても良かったんじゃないかなぁ・・・なんて思ったりするんだよな。

この時期の野口五郎氏って、すでに往年のアーティストパワーも陰をひそめ、チャート的にもオリコンではベストテンに入れなくなってた時期なんだよね。
 その要因として、楽曲そのもののパワーが陰をひそめて来ていた・・・というか、時代に合わなくなってきていたようなところもあったからなぁ。その辺が人気という指標にダイレクトに出て来ていたような気がする。

時代は、ロック・ニューミュージックだったんだよね。

でも、この曲は、そんな時代を見透かしたようにロック系統の曲だったもんね。

五郎本人もエレキを抱えていたし、バックバンドも従えたりしてたしな。

作詞 阿久悠、作曲 筒美京平 ・・・という超ヒットメーカーのお二人の作品なんで、ワタシなんかが曲そのものについてあーだこーだ言うなんてのはおこがましいんだけど、このお二人の布陣で、しかもアレンジが筒美氏本人と言うと、前年の大橋純子「たそがれマイラブ」を思い浮かべちゃうけど、それと比べてもロック系に傾倒して来ているよな・・・っていうのは、良く分かる訳だわね。

流石は時代を読む筒美氏らしい曲調の変化・・・なんてことも感じたりするんだけども、筒美氏のコトバを借りると、ニューミュージックは脅威でしたからね・・・ということで、やはり、常に「ヒット」を要求される筒美氏としては、
この系統に行かざるを得なかった・・・っていうところもあったのかもしれないですね。

ただ、この曲を足がかりに・・・と言う感じで、このすぐ後に、桑名正博氏の「セクシャル・バイオレッドNO.1」っちゅう、「ロック」系統の曲でオリコン1位を取っちゃう訳だから、やはり筒美氏はただもんじゃない訳なんだよなぁ。。。


・・・と、思いつくがままに筆を走らせているワタシだったりするんだけども、 実を言えば、当時は、この曲、良く分かんなかったんだよな、個人的には。
 いや、曲は聴いてた。オリコンではベストテン入りしなかったけど、「ザ・ベストテン」では、ベストテン内にランクインしてたからなぁ。
・・・って書くと、ベストテンを知らない世代にしてみれば、なんでなの? ・・・なんて思われちゃうかもしれないけど、この曲、ラジオリクエストとハガキが強かったからなぁ。
 やっぱり、「固定ファン」の組織票が強かったんだよね。当時の新御三家はさあ。 その分、レコード売り上げと有線チャートの不利を補てん出来たって訳ですわ。

・・・あ、ちょっと話が脱線したね。

ま、兎に角も当時「ベストテン」ではこの曲聴いてたわけだけども、良く分かんなかったんですわ。どこが良いのか・・・っていうのが。
 いつかも書いたと思うけど、個人的に、新御三家っていうと、「ヒデキ」派だったからなぁ。 だから、郷ひろみ氏も長らく、良く分かんなかった訳ですわ。
今なって時代的背景を考えて聴けば、この手の曲が必然だったんだろうなぁ。 なんては思えるようになりましたね。
 とりあえず、1979年の匂いがする曲かなぁ。





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コーラスライン / 野口五郎

1980_06_コーラスライン_野口五郎







今回の1曲セレクトは、「コーラスライン」野口五郎です。

 まずはデータです。

・タイトル   コーラス・ライン
・アーティスト 野口五郎
・作詞     麻生香太郎
・作曲     東海林修
・編曲     東海林修
・リリース日  1980年5月1日
・発売元    ポリドール
・オリコン最高位 24位
・売上げ枚数  8.8万枚 
・THE HITCHART HOT30最高位 20位

 「みんなのうた」系のうたっていうと、童謡的な曲っていうのが、真っ先に浮かんでくるんだけど、必ずしも、そればっかじゃないんだよね。
 例えば、財津和夫の「切手のないおくりもの」とかさ。

 ♪ わたしからあなたへ この歌を届けよう〜 ♪ ってやつね。


 でさ、この曲と瓜二つの曲を今日は引っ張ってきたりしましたふらふら


 野口五郎 「コーラス・ライン」


 いやいや、この曲がヒットした当時は、考えも付かなかったんだけど、今になって聴いてみると、「むむむむ、切手のないおくりもの じゃん・・・」とか思ったりしてふらふら


 Aメロの

 ♪ 唇から唇へ 愛をとどけよう〜 ♪

 ってところから、そのまんま、「切手のないおくりもの」の 

♪ 広い世界にたった一人の 私の好きなあなたへ〜 ♪ 

って、違和感もなく歌えちゃうのは、ワタシがひねくれてるからですかねぇ・・・ふらふら

 あ、ひねくれてますよねふらふら 普通は、そんなこと思わないって。。


 なんて、ちょっと天邪鬼な内容を書いたけど、この曲、野口五郎の曲としては、異例・・・といっちゃ失礼か・・のメロディアスな1曲だねぇ。

 メロディもAメロとBメロしかなくて、至極簡単。

 まあ、タイトルどおり、「みんなで歌える」って事を目的にした曲だからね。

 もともとは、「U.S.A.STUDIO CONNECTION リサイタル」を記念してリリースされたもののようだね。


 この曲、一番、印象に残っているのは、「ザ・ベストテン」だなぁ。

 出だしは、野口五郎、一人だけで歌って、徐々にファンのヒトのコーラスが入っていて、最後は全員で大合唱になったシーン・・・。  いわいるシングアウトってやつなんだけどさ。これが結構、感動もの演出だったんだよな。

 ってあったよな・・・。あれれれ、なかったっけ?

 うーん、この曲はそういうイメージがあったんだけど・・・。


 調べてみた・・・・。あー、やっぱりありましたよ。1980年6月5日放送のときだ。

 どーも、この曲は、その時のイメージが色濃く残ってるんだよなぁ。


 ちなみに、オリコンでは、最高位24位止まり。。。

 えーーーーーーーー、なんで、オリコンで24位止まりの曲が、ベストテンでは、10位以内にランクインしてるの?????

 っていうのが、未だに、謎だったりして・・・。調べてみたら、各要素では「ハガキリクエスト」しか10位以内に入ってないぞ。。。

 うーん、これで10位以内に入るもんかねぇ・・・。 ま、たしかに、得点は異様に低かったんだけど・・・。

 このころは矢沢のエーちゃんの「This is a song for COCA-COLA」といい、山下達郎の「RIDE ON TIME」といい、どうも、「怪しい」ベストテンの時期だったねぇ・・・。今考えれば。。。ふらふらふらふら



本当は、↑でかいた「ベストテン」の感動場面が良かったんだけど、当然落ちてないんで、落ちてる動画で。。。




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19:00の街 / 野口五郎

1983_03_19時の街_野口五郎






今回の1曲セレクトは、「19:00の街」野口五郎です。

 まずはデータです。

・タイトル   19:00の街
・アーティスト 野口五郎
・作詞     伊藤薫
・作曲     筒美京平
・編曲     川村栄二
・リリース日  1983年1月25日
・発売元    ポリドール
・オリコン最高位 16位
・売上げ枚数  17.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1983年4月4日〜4月25日付

 それまで、紅白に連続出場してて一度落選すると、再び紅白に戻ってくることは、ヒット曲を出すよりも難しいって言われてた時代があった。
 まだ、紅白の視聴率が60%以上あって、文字通り大晦日の「国民的行事」といって憚らなかった時代の事だけど・・・。

 今日は、そんな「紅白落選」から見事復帰させた、1曲を持ってきましたぞ。

 19:00の街  /野口五郎

 1982年、野口五郎は、それまで1972年から10回連続で出場してた紅白から漏れた。

 当時の記事を見ると、本人はかなりショックだったようだね。

で、そんなショックを振り切るかのようにリリースされたのが、この「19:00の街」だったんだよね。

 ぢゃ、さぞかし、気合を入れてこの曲にかけたのか? ・・・って思って、当時のオリコンウイークリーをひっくり返してみた。

 1983年4月1日号(表紙:松任谷由実)のオリコンウイークリーにインタビューが載ってたりする。

 それを読むと、意外にも、まったくヒットを意識せずに、肩の力を抜いて、この曲をリリースしたようなんだよね。
 それが、結果的にいい方向に向かったっていうのかなぁ。

 たしかに、野口五郎独特の「ビブラート唱法」は、この曲では、影を潜め、ストレートに歌ってる印象が強いな(それでもビブラートがかかってるけど。。。)。

 作曲は、筒美京平氏。 久々の野口五郎−筒美京平っていう、デビュー当時のコンビがタッグを組んだ曲だけど、正直言って、筒美氏らしい、洋楽的な匂いは、この曲に限って言えば、あんまりしないんだよね。むしろ「歌謡曲」的な匂いが強いな。
 これは、アレンジの川村栄二氏の影響かねぇ。川村氏といえば、今も堀内孝雄のアレンジとかやってるし、そっち方向のヒトだからねぇ。

 ただ、バックのコーラスが「気持ち悪く」て、これが、この曲を引き立ててるよねぇ。

 バックコーラスはBUZZっていうコーラスグループ プラス 女性コーラスを絡めているらしいけど、最初はなかったらしいね。
 でも、あまりにもさっぱりしすぎてるんで、アクセントにコーラスをつけたようだけど、その気持ち悪さが、かえってアクセントになった・・・と。

 それと、この曲は「絵」が浮かんでくるんだよねぇ。出だしの2行。

♪ 霧雨降る ガラス越しに19:00の街 低い雲 立ち込めて 摩天楼つつんで〜 ♪

うん、完璧に、新宿の高層ビル街だよなぁ。

・・・でもって、あれから32年たってるけど、今でもこの曲を聴いた時に浮かんでくる、風景は32年前の西新宿の高層ビル街の情景だったりする。

 うん、まだ、都庁もない、オペラシティータワーもない、NTTビルもない頃の高層ビル街。
 今の都庁が建っているところは「空き地」で、高層ビル街の一番外側は、新宿NSビルだった頃の風景。

 なんか、個人的には、新宿の「高層ビル」街っていったら、その頃の印象が強くて、逆に、いまの風景が戸惑うね。
 うん、この曲の頃の高層ビル街の風景。

 ちょうど、福島から千葉に出てきて、その環境変化に順応した頃だ。人間、やっぱし、環境に最初に順応した頃の風景がいつまでも脳裏に焼きつくのかなぁ。。。
 鳥の「刷り込み」のようにさ。

 この曲を聴くと、なんか、そんな24年前の今ごろの風景が、妙に脳裏に思い出されたりするんだなぁ。
 そんな意味もあって、個人的には、「THAT'S 1983」な曲です。


 ところでさ、この曲、オリコンでは最高16位までしか行かなかったのに、「ザ・ベストテン」では最高5位まで行ってる。

 この「差」は何? と思いまして、調べてみましたよ。

 参考として、1983年4月14日放送分。この週が最高の5位を記録した週なんだけど、各要素、レコード売上げは10位外。有線8位、ラジオ6位、ハガキ3位。

・・・と、やっぱしハガキが強かったんだよね、この曲に限っては。
 新御三家では、西城秀樹のハガキランクが強かった印象が強いけど、この曲はハガキに限っては、ハガキが強かったのが、ベストテンでは5位まで行った大きな要因になってるねぇ。

 ちなみに、ワタシのランクでも7位まで行ってます。レコード売上げが必ずしも「絶対条件」ではないのですぞ。ヒットは、いろいろなメディアに広く支持されてこそ・・・なんだよね。

 まあ、それがプラスとなって、この年の紅白に返り咲けたんだしさぁ。
 




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私鉄沿線 / 野口五郎

1975_02_私鉄沿線_野口五郎 






今回の1曲セレクトは「私鉄沿線」野口五郎です。

 まずはデータです。

・タイトル    私鉄沿線
・アーティスト  野口五郎
・作詞      山上路夫
・作曲      佐藤寛
・編曲      筒美京平
・リリース日   1975年1月20日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   45.3万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1975年2月3日〜3月31日付

 歌謡曲の一番の特徴ってさ、世界の音楽の「ごった煮」状態な音楽であるってことだよねぇ。まあ、よく言われることだけど、世界の音楽の「おいしい部分」だけを取り出して、よく言えば「サンプリング」して、順列組み合わせしたものが歌謡曲だってさ。
 いわば一種の無国籍音楽。まあ、よく言えばだけど・・。 でもよくよく考えてみれば、これだけ無節操で、一種、へんちくりんな音楽っていうのも、世界広しといえど、こういう音楽って日本の歌謡曲くらいぢゃないですかねぇ。


 それが一番、「うまく」表現されていたのが、70年代ぢゃないかなぁ。いわば、歌謡曲が一番歌謡曲らしかった時代っちゅうわけですわ。特に、超おおげさな「カンツォーネ」と、四畳半フォークが組み合わさった、70年代中盤くらいの歌謡曲は、もっとも「歌謡曲」らしい時代だったんぢゃないですかねぇ。


 ・・・っちゅうわけで、今日は、野口五郎の「私鉄沿線」なんぞ、引っ張ってきたんだけどね。

 この曲にしたって、詩の内容からして、「私鉄沿線」といえど、どっちかといえば、「下町」っぽい情景が浮かんで来ません?

♪ 改札口で君のこと いつも待ったものでした 電車から降りてくる君を探すのが好きでした〜 ♪

っていうところから、少なくとも、渋谷とか新宿とか池袋とか・・いわいるターミナル駅ではないよなぁ・・・ってのが、まず浮かんできたりして。改札とホームくっついてて、すぐ、商店街があるような、「下町」っぽいところが浮かんで着そうだよなぁ。
 東武線沿線とか、京成線沿線とか・・ふらふら ま、山の手・・・といっても、東急池上線とか目蒲線とかの「庶民的」な匂いがするようなさ。

 そんな、今から考えると、もろ「神田川」的な匂いがする、内容なのに、大げさな盛り上げ方

♪ 僕の町で もう一度だけ あついコーヒー飲みませんか〜 ♪

 うん、なんで、これだけのことを伝えるのに、こんなにも、大げさに盛り上げなきゃいけんの? なんて、冷静に考えてみれば思っちゃうわけなんだけど、ココが歌謡曲が歌謡曲である所以なんですねぇ。

 こーんなちっちゃなことを、こーんな大きく大げさに表現するってやつさぁ。

 まあ、ちょうど、時代がフォークブームで、「四畳半フォーク」が時代を作っていたころなんで、歌謡曲もこんな感じになったんだろうけどさ。それでも、70年代前半の「夜」の匂いがプンプンする、一時代前の歌謡曲から比べると、ずいぶん「ポップ」になったわけで、完全に「歌謡ポップス」っていうのが確立したって感じはするわな。うん、「歌謡曲」っていう、もともと日本の音楽のジャンルだったわけだけど、ちょうどいい塩梅に「バタ臭く」なったっていう。


 ところで、新御三家のなかで、70年代中盤ごろは、野口五郎が一番、人気があったんだよね。 なんか、今となっては信じられないけどさぁ。それでも、この頃、もっとも安定して、ランキングの上位に定着してたのは、野口五郎だったわけだからさぁ。
 もっとロックよりだった西城秀樹でもなく、もっとアイドル的だった郷ひろみでもなく、一番「歌謡曲」的だった、野口五郎が、一番受けてた・・・っていうところからしても、やっぱ、この時代が、一番「歌謡曲」な時代だったってわけですよ。

 ちなみに、一見するとこの曲が、野口五郎の中で一番売れた曲って思われがちなんだけど・・、うん、今でも、ちょくちょくテレビでも歌われたりするからさあ。
 でも、実際は、この曲の一つ前の「甘い生活」の方なんだよね。これって意外ですかねぇ。
 うん、「甘い生活」と、この「私鉄沿線」が連続して、オリコンで1位をマーク。そのあと3曲連続で最高位2位っていうところから見ても、このころが、野口五郎最高時っていうのが、よくわかるわね。




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