かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

都倉俊一

青い果実 / 山口百恵

1973_09_青い果実_山口百恵

今回の1曲セレクトは、「青い果実」山口百恵です。


まずはデータです。

・タイトル    青い果実
・アーティスト  山口百恵
・作詞      千家和也
・作曲      都倉俊一
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1973年9月1日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数 19.6万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年10月1日、10月15日〜10月22日付

この間書いた安室奈美恵さんの人気がある中での電撃引退。 まあ、人気がある中電撃的に引退を発表なんてのは、歌い手以外、女優であったりアスリートであったり人気者って言うところから見れば、これまでもいくつもあった訳なんで、そうそう衝撃的な事実でもないんだろうけどさ、ここまでニュースが広がって来たってことは、やっぱり衝撃的なニュースだったんだろうね。
 今週のレコチョク週間ダウンロードランキングをみても、ベスト3すべてが安室の曲で占められているって事から見てもさ、やっぱり衝撃的な事実だったんだわなぁ・・・って事が良く分かるわな。

やっぱり一時代を築いた「ディーパ(歌姫)」の引退って言うのは、いつの時代も衝撃的なんですねぇ。
でぇ、もって・・・・。振り返ってみれば「ディーパ」の人気最高潮での電撃引退って言えば、やっぱ山口百恵さんは外せないところだよなぁ。

79年の結婚発言、それに伴う電撃的な引退発表・・・。そして80年10月の引退。 あれから来月で丁度38年ですわ。

・・・ということで、今回の1曲セレクトは、久々に山口百恵さんの曲を持って来ましょうか。。。

でもねぇ、百恵さんの曲の主だったところは、もうすでに書いてるぞよ・・・。 と思ったんだけども。。。
個人的にタイムリーで聴いてたのは、77年頃からだからさ、それ以後の曲はほぼ書いちゃってるんだけども、それ以前の曲は、逆に、まだほとんど書いてないんだよな。。

なんで、丁度いい機会ですわ、「最初期」のヒットを持って来ましょうか。

「青い果実」

いや、でもねぇ、タイトルを持ってこられても、もしかするとちょっと「ピン」と来ない方もいらっしゃるかもしれない。
実際、ワタシも曲を聴くまでは「ピン」と来なかったヒトの一人でして。。。

ま、曲を聴けばね、「あ、あれね〜」っていうのは一目瞭然なんだけどさ。

いや、正直言うと70年代前半の曲って、未だに意外とそう言う曲が多いんだよな。タイトルだけだと「?」なんだけど、曲を聴けば「あ、あれねー」ってやつ。アイドルでもニューミュージックも問わずさ。

やっぱ、まだ物心ついてなかった頃なんでねぇ、70年代前半は。

あー、話がずれた。

で、「青い果実」ですわ。 この曲は歌詞が刺激的・・・ってことで、当時話題になった曲ですわ

そそそ、Aメロ出だしの 

♪ あなたが望むなら 私何をされてもいいわ〜 いけない娘だと噂されてもいい〜 ♪

ってところですね。

ま、今、活字かくと、全くピンと来ないところもあるんだけど・・・。 当時はこれでもコペルニクス的な衝撃だったわけです。

つまりさ、あなた(彼氏)が望んでるなら、ワタシはSEXでも、なんでもやるわ〜 って事ですわな。

ここでは、これまでも何回も書いた事だけど、当時「アイドル」ってヒトたちは、本当の意味でのアイドル⇒偶像 だったわけですわ。 そそそ崇拝に値するお方ですわ。

最近、ネット上ではよく「ネ申」っていうでしょ。 当時のアイドルってある意味、本当の「神」だったわけですわ。
そんな「神」なお方は世俗的で汚らわしい態度は取らない・・・って訳ですわな

「アイドルはウンコしない」って本気で思われてたところがあるんだから  

バカヤロー、ウンコしなきゃ人間死んじまいまっせ・・・なんて、今では幼稚園のクソガキでも誰でもそう思うでしょ。でもさ、当時はそうじゃなかったんだよね。

ま、言ってみれば、今の「2次元」的な捉え方だったんですかねぇ。アニメではなく生身の人間なんだけども「2次元」的っていう・・・。 それだけ「テレビの中の世界」っていうのは遠かったって事ですね。

最近NetflixのCMで、さんまが「俺らの頃はテレビに出てるって凄かったから・・・」って語ってるでしょ。 あれですわ。

そんな別世界な「偶像」であるお方が、「あなたが「したい」と思ってるなら、ワタシはSEXでもなんでもボロボロにされてもいいんだから」なんて「世俗」な事をテレビから語って来る。 これは衝撃的だったんですわ、当時としては。 「SEX」なんて少なくともアイドルの世界ではタブーでしたからねぇ。

「青い性」って言われましたよね。

山口百恵さんは当時15才。中学3年。 桜田淳子さん、森昌子さんとともに「中3トリオ」って言われ始めてた頃ですわ。


でもね、山口百恵さんも初めからこういう「青い性」を売りにしていた訳ではない訳で。。。

この「青い果実」は、デビュー2弾シングルですわ。 デビュー曲は、この曲の4か月前にリリースされた「としごろ」って曲

↓ コレ


これが、健全でめっちゃ明るい曲なんですわ。 70年代アイドルの王道ていうかね。
ただ、これが売れなかった。 

なぜか? 同じスタ誕出身で、デビューが3ヵ月先行していた桜田淳子さんに曲のタイプが似ていたってのが゜、おおよそ言われている事なんだけどね。

桜田淳子さんって、後年こそ某宗教に走ってしまい、「宗教的」「小難しい」っていう「陰」のイメージが強くなっちゃったけど、デビュー当時は太陽な明るさ、スマイルっていう、めっちゃ「陽」なイメージだったんですよね。
現にそれで「人気を獲得」した部分も強かった訳でさ。 アイドルとしては超優等生タイプだったわけです。

山口百恵さんは、それを凌ぐだけのキャラクターを持っていなかった。しかも、デビュー時期が淳子さんより後発だったしね。
 だから同じ「陽」の部分をいくら強調しても桜田淳子さんを超えられないし、なにより百恵さん自身にとっても曲がしっくり来てない。。。

・・・そういうことで、第2弾シングルは、路線変更をせざるを得なかったってわけですわ。

で、行き着いたところが、当時はアイドルのヒトたちにはタブーとされていた「性」を売り物にするって言う路線ですわな。
「陽」とは正反対の「陰」の部分を強調する事。 まあ、百恵さん自身、見た目華やかなルックスではなかったし、逆に言えば、どこか「影」がある印象だったしね。だから「陰」を強調するしかなかったって事でもあるんですよね。 

まあ、結果ここまで大変身なくても・・・とも思えたりもするんだけど、結果、これが「当たった」ってことでさあ。
やっぱやるからには大胆にってわけですわな。何事も中途半端はダメってわけなんだろうねぇ。

第2弾のこの「青い果実」で、初のオリコンベストテン入り。

当初、人気と言う面では、先行デビューしていた、森昌子さん、桜田淳子さん、を追いかける立場だったんだけど、この曲のヒットでかなり追い付いたんですよね。

しかも同じアイドルポップ路線ということで、最大のライバルだった桜田淳子さんよりも、ベストテン入りと言う面では「先行」しちゃったわけでさ。

そそそ、この曲がベストテン入りした時点では、桜田淳子さんは、まだベストテンヒットを出してなかったんですわ。

うーん、73年の新人賞を総ナメにし、この年の新人王間違いなしの桜田淳子さんから見ると、もしかすると、これは意外な事実かもしれないけどさ。

まあ、この年の12月には桜田淳子さんの第4弾シングル「花物語」がベストテン入りし、僅か2ヶ月で追いつくんですけどね。

いずれにしても「中3トリオ」の人気が「ホンモノ」になり始めて来ていた頃のお話ってわけです。


 
この曲、都倉俊一先生の曲だけど、この曲の頃は、まだピンク・レディーの匂いは感じないんだよね。
個人的に都倉俊一氏っていうと一連のピンク・レディーの匂いを感じちゃうんだけどねぇ。

いずれにしてもこの曲の成功で、この先も「青い性」路線が続き、次の年の「ひと夏の経験」で、この路線が「大爆発」。伝説の歌姫への道を辿ることになる百恵さんです。

ちなみに、デビュー第2弾シングルでブレイクした女性アイドルは「大物」になるっていうジンクスは、この「青い果実」の百恵さんから始まり、後に松田聖子さん、中森明菜さん・・・と引き継がれることになるんですわ。



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バイブレーション / 郷ひろみ

1978_05_バイブレーション_郷ひろみ








今回の1曲セレクトは、「バイブレーション」郷ひろみです。

まずはデータです。

・タイトル     バイブレーション
・アーティスト   郷ひろみ
・作詞       島武実
・作曲       都倉俊一
・編曲       船山基紀
・リリース日    1978年3月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  21.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1978年4月3日~5月15日付

今回の1曲セレクトは、ここ暫く70年代の「アイドル」な曲を書いてなかったんで、久々に70年代アイドルへ遡ってみますかね。
 まあ、70年代と言っても、個人的に「リアルタイム」な曲となると、70年代後半になっちゃうんで、どうしてもその時期になっちゃうんだけど。。。

はい、今回は郷ひろみ「バイブレーション」

この曲は1978年の今頃のヒット・・・・とずっと記憶してたんだけども、実際は、ヒットのピークは「4月」で、ゴールデンウイーク明けの今頃は、ランクも下降線だったんだよね。
 どうもね、リリース時期を1カ月間違えて記憶していたようなんだよなぁ。 そそそ、この曲のリリースばずっと、1978年の4月21日だとばっかり思ってたの。
だから、5月に入って書けば、ちょうどヒットのピーク時期だな・・・なんて思ってたんだけどねぇ。

どうも、1978年の今頃の曲ってヒットの時期を「ズレ」て記憶している曲が多いんだよな。
例えば、西城秀樹氏の「炎」も、「5月」のヒットだとばっかり記憶してたんだよねぇ。 だから、この「バイブレーション」と、「炎」はヒットの時期が被ってた・・・なんて思ってたんだけど、実際はちょこっとズレてたんだよね。

まあ38年も前の事なんで、記憶もあいまいになるよなぁ・・・なんて言うのは自己弁護だったりするんだけど。。。
 やっぱ、リアルタイムで聴いてた曲と言っても、正確に言えば、ヒットのピークの時期は、まだ「ヒット曲」の世界に入ってなかったからなぁ。記憶も曖昧になっちゃうんだよな。

ところで、以前から、個人的には、昔、郷ひろみ氏の曲はあんまり好きじゃなかった・・・と書いてるワタシですが、当然この曲についても、当時は、あんまり興味なかった・・・と思う。

なぜなのかなぁ? まあ、ガキの頃には生理的には合わなかった・・・としか言いようが無いのかもしれないけど。。。でも、西城秀樹氏の曲は好きだったんだよね。 

恐らくガキの頃は生理的にヨーロッパ系なイメージの曲が好きだったのかもしれない。

この「バイブレーション」もそうだけど、このころの郷ひろみ氏の曲って、カラッとしたイメージでヨーロッパ的な匂いがしないからさあ。
 ・・というか「○○的」っていう匂いがあんまりしないんだよね、都倉氏の曲って。かといって無国籍的でもないし。。。
 ま、ともかく、この時期の都倉氏の曲って、どの曲もかなり似てましたよね。温度感・・・というか湿度感がカラッとして、メロディラインもどこかピンク・レディーで聴いたような・・・っていう独特の都倉カラーで。
 ま、それが都倉氏の作るメロディの特徴だったかもしれない。当時、ピンク・レディーの曲に積極的な興味がわかなかったのも、そう言うところからだったんだろうなぁ。
 郷ひろみ氏の曲も、もう少し前の時期の筒美京平氏が作ってた頃の曲は、もっとヨーロッパ的・・というか、これも当時の筒美氏の特徴である、バタ臭いイメージだったんだけど、個人的には、こちらの方が生理的にはあってたんだよね。

どうなのかなぁ、歌謡ポップスの王道というか、この間も使ったコトバで恐縮なんだけども、軽薄短小なイメージだったりしたのも、当時は今一つしっくりこなかったのかもしれない。
 そう言う意味では、80年代のトシちゃんの曲も、もう少しリアルタイムで聴くのが遅かったら、そんなイメージだったのかもしれないなぁ。

 そう言う意味では「立ち位置」として、新御三家の中の郷ひろみと、たのきんトリオの中の田原俊彦って似たようなポジョンって見られていたのはあながち間違いじゃなかったような気もするんだよね。

楽曲のバリエーションとしても、郷ひろみ氏、田原俊彦氏も、「3人組」の中では一番バリエーションに富んでて、
今聴き返すと、一番飽きが来ないしね。

もちろん、当時は生理的にあんまり受け入れられなかったこの曲も、今では好きですよ。音源も持ってるしね。 


ちなみに、ランキング的には、オリコン(レコード売り上げ)では、それほど目を見張る所はなく、最高位も6位にとどまっているんだけども、その他の要素を含めた総合チャートでは軒並みベスト3入り果たしているんだよね。
 これは、当時のラジオチャート、有線でも結構人気があったのよ、この曲。 「ザ・ベストテン」でも、最高3位まで行ってるしね。

 今は、アイドルといえば、レコード(CD)売り上げがメインのヒットチャートではあるけども、当時は、レコード売り上げは、今ほどは重要なファクターじゃなかったんだよね、アイドルは。
1年に一度、「勝負曲」でバシッと売れれば、「つなぎ曲」ではそこそこ売れればいい・・・と。 その辺が当時と今との意識の違いだろうな、売り方としての。
 まあ、当時は「国民的」な大ヒット曲が多く、A級アイドルといえども、簡単にオリコンの上位に立てなかった・・・ってくらいランキングに重みがありましたからね。
 もちろん、ピンク・レディーは別格として。。。なんせ1978年のオリコンのレコード売り上げシェアには邦楽、洋楽っていう大別ジャンルの中に「ピンク・レディー」っていうジャンルが存在してましたんで。。。。




動画、めぼしいのはこれしかなかったんだけど、少し前だったら、これすらなかったようなんで、今回かいて正解だったかもな。。。。


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S.O.S / ピンク・レディー

S_ピンクレディー






今回の1曲セレクトは、「S.O.S」ピンクレディーです。

 まずはデータです。

・タイトル    S.O.S
・アーティスト  ピンクレディー
・作詞      阿久悠
・作曲      都倉俊一
・編曲      都倉俊一
・リリース日   1976年11月25日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   65.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1977年1月17日〜3月28日付

ネットニュースを見てたら、「「放送禁止用語」の厳しすぎる自主規制」なんてのがあった。

http://www.oricon.co.jp/news/2066437/full/

最近は、ほんの些細なことで放送自粛、あるいは放送禁止に陥る番組、あるいは音楽の類が増えてきている。言論、表現の自由はどこに?  と憂れいている記事ですわ。

 もちろんそこには、放送禁止曲も含まれているわけで。。。

 一時期、「放送禁止」曲は無いに等しくなった時期があった。 大昔は、民放連が発足させた「要注意歌謡曲指定制度」なるいわいるブラックリストが存在してしており、このリストに載った曲は、放送できない、あるいは放送自粛・・といういわいる「放送禁止」曲だったんだよね。
 リストに載せる基準としては、表向きは、体制批判、被差別部落、天皇批判、風紀凌辱・などなど、まあ、「ニッポン国民」として清く正しく生きている、清廉潔白なお方たちから、すぐクレームが来そうな内容が含まれている曲・・・と言う事ではあったんだけどね。

 たしか、その基準が1983年に改正になり、だから、それ以後リリースされた曲で「放送禁止」になった曲はないはずだし、以前、「放送禁止」扱いになっていた曲でも、1983年以降、現在でも放送しても、特におとがめは無い筈なんだけどね。

例えば、最近は、紅白でも堂々と歌われ、それこそ時の曲となった、美輪明宏の「ヨイトマケの唄」も、昔は放送禁止扱いだったわけだから。。。40年前のNHK会長が昨今の紅白を見たらひっくり返るだろうね。
 歌詞に出てくる「土方」っていうコトバや、タイトルにもなっているヨイトマケが差別用語、あるいは部落差別に当たるってことで放送禁止ですよ。

 昔はさ、それこそ、放送禁止、発売禁止の嵐ですよ。なにせ、「放送禁止曲」なんて、本もあるくらいだからさ。ふらふら
 詳しくはさ、この本に詳細な事情は載ってるから、興味がある方は読んでみてくだされ。

でも、そんなブラックリストが存在しているっていうのは、当時のアーティストだったら誰でも知っていたことだし、それでも、「放送禁止」曲を量産していたアーティストが存在していたわけだから、昔はもっと体制に対して大らかだったんだよね。いつからだろうね、こんな些細なことにギスギスした空気が流れるようになったのは。。。。

だから、最近の曲は、当たり障りのない内容の曲しか出てこないんですよね。


 で、もって、今回の1曲セレクトは、ピンクレディーの「S.O.S」。


え? 放送禁止曲とピンクレディーの「S.O.S」ってどんな関係があるの? 一見、放送禁止曲とは、全く関係なさそうな曲なんですけどねぇ・・・。なんて言われちゃいますかねぇ。


・・・・つか、当時 頻繁にかかってましたよ。今でも、地方局にいけば、たまにかかるんぢゃないですか。

 そんぢゃ、放送禁止ぢゃないじゃん・・・・。

・・・ってことなんだけど、これがですねぇ、オリジナルに入ってる、イントロ最初の「モールス信号」音の部分「のみ」が放送禁止なんですねぇ。

 まあ、ちょっと歌謡曲に詳しい方だったら、これは、「常識、常識」ってレベルかな?

 うん、たしかに、レコードは、イントロは、モールス信号音で始まるんですよ。
 でも、放送局用に配布した、サンプル盤は、このモールス信号音を抜いたバージョンなの。

 だから、有線放送やラジオでは、このモールス信号の部分はかからない。

まあ、本物のモールス信号と紛らわしい・・・ってことで「放送禁止」なんだよね。


 でも、これは、作り手側が「わざと」モールス信号を入れたんだよね。
 
 モールス信号音を入れれば、そこは「放送禁止」になるだろう・・・ってのは、前々から分っていたの。

 だから、それを売り出す戦略にしよう・・・っていう逆転の発想からなんだよね。

 この曲はピンクレディーの第2弾シングルなんだけど、この曲をリリースする段階・・・というか、制作する段階では、まだ、ピンクレディーってマイナーな存在だったんですよ。

 そそそ、デビュー曲の「ペッパー警部」もベスト100の下のほうでくすぶっている状況で・・・。

 だから、第2弾を制作する段階では、何か、話題づくりが必要だったんだよね。ま、そういうこともあって、ワザと放送禁止にするように仕組んだ・・・って訳ですわ。
(ちなみに、今は規制は無し・・・というか、当時も「問題なし」だったらしいんだけど、レコード会社側が自主的に放送禁止にしたらしい)

 でも、それも、杞憂だったんだよね。なぜならさ、この曲は1976年11月25日リリースなんだけど、その頃になって、急にフィーバーし始めたわけなんですわ、ピンクレディーが。。。

 まさに「ブレイクスルー」な時期が、このころ。

 だから、こんな工作も、結果的には全くの無駄足だったの。。。

 でも、モールス信号音を入れたことで、「S.O.S」っていうタイトルがそれらしくなったのは確かだよね。

 何分、曲自体は、デビュー曲の「ペッパー警部」に比べたら、全然大人しかったからねぇ。
 
・・・・というか、「ペッパー警部」がハイパー過ぎたんだよね、当時としては。

 だから、当時のアイドルのレベルに落ち着いた・・・って言えるのが、「S.O.S」なんじゃないかなぁ。

 で、まあ、この曲を挟んで、次の「カルメン'77」から怒涛のピンクレディー旋風が始まるわけなんだけどさ。

 その間の、つかの間の「息抜き」だったのが、この曲なんぢゃないかな?


 あ、個人的には、当時は、この曲のほうが「ペッパー警部」より好きだったんだ。なんか、等身大っぽかったじゃん。アニメの主題歌っぽいというか・・・。子供向けというか。
 「ペッパー警部」が当時7歳のコドモだったワタシにとっちゃ、オトナっぽ過ぎたんだよね。。。




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ペッパー警部 / ピンク・レディー

1976_12_ペッパー警部_ピンク・レディー






今回の1曲セレクトは「ペッパー警部」ピンク・レディーです。

まずはデータです。

・タイトル    ペッパー警部
・アーティスト  ピンク・レディー
・作詞      阿久悠
・作曲      都倉俊一
・編曲      都倉俊一
・リリース日   1976年8月25日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   60.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1976年11月29日〜1977年1月31日付


えー、唐突ですがピンク・レディーでっす。
なぜに、このタイミングでデビュー曲の「ペッパー警部」なのか・・と言うと、ピンク・レディーが「初」のベストテン入りを果たしてから、丁度、39年なんですねぇ。
そそそ、オリコンで、初めて「ベストテン」入りしたのが、1976年11月29日付チャートなんだよね。 

あれから39年。ここから、ピンク・レディー伝説の始まったといっても過言ではないですな、

いや、逆に言うと、この「ペッパー警部」ってリリースは8月25日だから、リリース後3ヶ月も経ってからのベストテン入りのわけですよね。

 そう、後々、モンスター現象をおこすピンク・レディーも、最初は意外と泣かず飛ばずだったのですヨ。
ま、そもそもリリースしたビクターも最初は、売れるとは全く思っていなかったらしく、イニシャルは3千枚。当時としては最低ラインでのリリースだったようですね。

そんな訳なので、プロモーション費も潤沢に出る訳もなく、火が付くまで3ヵ月もかかったという訳なんだよね。

ま、逆に言えば、そんな状態で、よく火が付いたな・・・って感じもするんだけどさ。

 当初、ターゲットはあくまで「大人」だったんですよね。踊って歌えるっていうコンセプトはあったけど、最初から「子ども」向けに狙ったわけではないんだよね、ピンク・レディーって。

 この「ペッパー警部」だって、曲調からして、子どもを狙ったって言う感じではないもんね。

 でも、意外にも「火」をつけたのは、当時の子供だったんだよなぁ。そそそ、今のアラフィフ世代ですね。丁度ワタシ達の世代ですわ。 これは飯田久彦氏を初め、仕掛け側は、全くの意外だったようですけどね。

 ただ、言えることは、この当時のほかのアイドルからすると、曲の発想は斬新だった気はするなぁ。
 今からすると、そんな感じはあまりしないけど、まず、曲のスピード感があるんだよね。16ビートで流れるサビなんて、めっちゃスピード感を感じるもんね。 この当時のほかのアイドルの曲と比べるとさ。
 大体、16ビートを持ってきてたアイドルなんて、他にいなかったし・・・・。

 でもまあ、このスピード感とビジュアル感っていうのが、大人というより、新しい感覚をもった当時の「子ども」に受けたのは間違いないよねぇ。 仕掛けた側は、全く意外だったようなんだけどさ。

 でも、子どもに受けると、あっという間にブームになる。 うん、まあ、子どもというよりもティーンエイジャーに受けるとっていうことなんだけど、これは、昔も今も変わんない傾向ではあるよなぁ。兎に角アクティブ性は高いからさぁ。

 いやいや、子どもに受けるってことはアクティブ性が高いっていうのが見えたのは、このピンク・レディーからではないかなぁ。

 まあ、このあとのヒット曲界にいろいろな意味で影響を与えたのは周知のごとくだけど、その伝説は、39年前のオリコン11月29日付けランキングから始まったといってもいいんではないかなぁ。

 そして、イニシャル3千枚だった、この曲は、最終的には60万枚の売り上げに化けることになったわけで。。。これも伝説だろうな。


 ちなみに、当時、ワタクシはというと、ヒット曲には全く「無縁」な生活でしたねぇ。もちろんピンク・レディーなんぞ、まったく興味を示さない、「ポールモーリア命」のませガキ、というか、いやなガキでしたわ。 いま思うと。。。
 



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ハリウッド・スキャンダル / 郷ひろみ

1978_11_ハリウッドスキャンダル_郷ひろみ






今回の1曲セレクトは、「ハリウッド・スキャンダル」郷ひろみです。

まずはデータです。

・タイトル    ハリウッド・スキャンダル
・アーティスト  郷ひろみ
・作詞      阿木耀子
・作曲      都倉俊一
・編曲      都倉俊一
・リリース日   1978年9月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 13位
・売上げ枚数   13.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位

 メインPCのハードディスクの寿命⇒交換⇒システム再セットアップで、ここ数日間、きちんと1曲セレクトが書けなかったんですが、ようやく、新しいハードディスクの交換が済んだので、いつも1曲セレクトに戻ろうかと思います。

 でぇ、その1曲目なんですが。。。。これもちょっと悩んだんですよね。
 うん、で、どうしようか・・・と。1979年、1982年当たりは、まだ書きたい曲があるけど、困った時の・・・だからさ。ちょっと、外して、1978年の曲を持ってきましたわ。

 郷ひろみ「ハリウッド・スキャンダル」 

 時代的に言うと、この間大橋純子「たそがれマイラブ」の時にも書いたんだけど、丁度、ワタシが「ヒット曲」の世界にドップリつかり始めた頃ですね。

 でも、この曲、かなり後まで、記憶になかったんだよなぁ。・・・というか、タイトルを聞いても曲が浮かんでこなかったの。 曲を聴けば、「あ、そういえば、こんな曲があったな」って思い出したんだけど。。。

 何度も書いてるけど、新御三家の中では、かなり西城秀樹派で、野口五郎も郷ひろみも、あんまりあのころ興味がなかったっていうのもあったかもしれない。

 証拠に、初めて「ザ・ベストテン」を録音した時(1979年2月8日放送分)、10位の「地上の恋人」(郷ひろみ)と8位の「送春曲」(野口五郎)は、録音してなかったりする。。。
 ちなみに、9位の「遥かなる恋人へ」(西城秀樹)は、きちんと録音してある。。。あせあせ


 だから、当時は、この曲もあんまり、関心なかったのかもしれないな。


 改めて、「あ、いい曲だな」と思ったのは、大学に入った頃かなぁ。当時、フジテレビの月曜深夜に放送してた「19××」の「1978年」特集の時だ。

 まず、タイトルと中身に、ずげぇ「ギャップ」があるなぁ・・とは思ったんだけど・・。
 「ハリウッド・スキャンダル」? ・・・ってことで、「ダイバード」とか、あの辺のアクションもののイメージが浮かんでくるんだけど、全く違うんだよね。

 なんつぅうの? タキシードが似合いそうな大人のムード。一昔前だったら、尾崎紀世彦が歌いそうな・・・。エンターテイメントの局地のような曲。ただ、会場の真ん中にミラーボールが回っているような・・・。
 わりゃりゃ・・・それこそキャバレーやないか!? じゃなくて、もうちょっと高貴なホールってイメージやね。


 ジャケ写が「サタデーナイトフィーバー」のジョントラボルタのパクリで、いかにも時代を象徴してるけど、だからと言って、ディスコ物でもない。

 そんな矛盾だらけの曲なんですよ。でも、そこが面白かったね、逆に。

 これで、曲も「サタデーナイトフィーバー」だったりしたら、それこそパクリじゃんで終わりそうなんだけど、ワザとはぐらかしてる様な気もする。

 それとも当時の「ハリウッド」のイメージってこんな、エンターテイメントな感じだったのかしらん? いや、さすがにそれはなかったとは思うけどねぇ。。


 このころの都倉氏といったら、ピンクレディー一色だったけど、全くピンクレディー色が出てこないところがいいんだよね。
 完全にピンクレディーより一段高いところのエンターティナーを意識したつくりになってるもの。
 
 ある意味、都倉氏にとっても気分転換で書いているようなラフさもところどころ見られる。


 だけど、郷ひろみにとっては、この曲と出会ったことによって、エンターテイメントっていう世界を一段階、高いところから見れるようになったんではないですかねぇ。

 まず、それまでの筒美京平氏に曲を提供されていた時代とは、全く異なるようなチャレンジ曲でしたからね。

 まあ、ファンは、それによって戸惑ってしまったのか、この曲から暫く、売上げは低迷してしまう。

 ただ1年後、やっぱり、エンターテイメント感いっぱいの「マイ・レディー」で復活するわけだから、やっぱり、この曲を経験することによって、郷ひろみってエンターテイメントの考え方が変わったんじゃないかなぁ。

 それ以降は、より、ストイックにエンターテイメントを追及して行く方向に向き、孤高の人になっちゃったもんね。


 まあ、いい意味でも悪い意味でも一つのターニングポイントになった曲でしょうね。郷ひろみにとって。





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透明人間 / ピンク・レディー

1978_10_透明人間_ピンク・レディ






今回の1曲セレクトは、「透明人間」ピンク・レディーです。

まずはデータでーす。

・タイトル     透明人間
・アーティスト   ピンク・レディー
・作詞       阿久悠
・作曲       都倉俊一
・編曲       都倉俊一
・リリース日    1978年9月9日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位  1位
・売り上げ枚数   88.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1978年9月25日〜12月4日付

 この間、「ウォンテッド」を書いたばっか・・・って感じなんだけど、またまたピンク・レディーどえす。
ま、丁度、ヒット時期が被ってる・・・・ってことで。。。

ピンク・レディーの曲も、大分書き進んできたからねぇ。そろそろ残りも少なくなってきたかな?


 この曲がヒットしたのは、1978年9月から11月かけて・・ちょうど、ワタシがヒット曲界に足を踏み入れた時にヒットしていた曲ですヨ。
 その割りに、あんまり強烈な記憶がないんですよねぇ。。

 ♪消えますよ〜 消えますよ〜 ♪ で本当にピンク・レディーの2人が消えちゃう演出がベストテンでは話題を呼びましたけどねぇ。

 たしかに、それまでの何作に比べると、軽いポップなロックンロール(なんか意味わかんない。。)で、強烈なインパクトっていうものが薄れた曲だったもんね。

 いやね、上で「軽いポップなロックンロール」なんて、わけのわかんない表現をしたのは、今になってピンクレディーを聴くと、1曲の中でもいろんなジャンルの要素が使われているんだよね。リズムもころころ変わるんだよねぇ。
 だから、リズムを取るのは、結構大変なんだよねぇ。
 ピンクレディの2人もリズムをキープするのは、さぞかし大変だったんではないかなぁ。
 この曲あたりになると、踊りもさらにハデになってきましたからねぇ。

 個人的には、この曲で気になるのはリリース日なんですよねぇ。1978年9月9日リリース。

 ま、今だったら、水曜日だろ? で片付く場合があるんだけど、残念ながら1978年9月9日は土曜日になっている。

 そんじゃ。オリコンチャート対策? 要するに集計期間をにらんで、少しでもランキングを高い位置に来るようにわざわざこの日を選んだ?

 というのもちょっと違いそう。上に書いたようにこの日は土曜日だったかにねぇ。 たしか、このころの集計期間は月曜日〜翌日曜日だったとおもうから、土曜発売のメリットがない。


 ということで、なぜに9月9日リリースなのかっいうのは、謎なんだよね。
 ま、当時のリリースパターンからすると普通は9月5日とか9月10日ならしっくりと来るんだけどね。

 単純に週末にいっぱい売ろうっていう読みだったのですかねぇ。

 同じように「ジパング」でも1979年3月9日リリースと変則リリースになっている。 この時も金曜リリースと、チャート対策とはいいがたい。

 まあ、当時から「チャート対策」でリリース日を設定するのかどうかっていう考えがあったかどうかは良くわかんないんだけども。
 
 ちなみに、チャート対策での、今と同じようなリリース日設定が目に見えて行われるようになってきたのは1981年ごろですわ。 それに関しては、またいずれ。

 ま、いずれにしても、当時としてはかなり珍しい日程でのリリース日設定になっていますね。

 それと、5作連続で達成したミリオンセラーがこの曲でついに途切れた・・っていうのも印象的。
 曲の中身より、なんか、そういう「記録」の方が話題になってしまった感があるよね、この曲の場合。
 

 個人的には、この曲よりもC/W曲の「スーパーモンキー孫悟空」の方がよく覚えてたりしてね。
 そう、こちらは、毎週火曜日にTBS系19時〜19時30分で放送していた「飛べ!孫悟空」の主題歌でしたよね。

 ♪ スーパーモンキー あっ 孫悟空 ♪
 ♪ 冒険 冒険 また 冒険・・・・♪

 ってやつ。要は「西遊記」ですよね。 これは、毎週見てたからなぁ。。

↓ コレ


はっきりいって、タイトル曲の「透明人間」と、瓜二つな感じなんだよなぁ。こっちも軽いロックンロールタッチでさ。


動画・・・タイミングが悪いのか、You Tubeに適当な動画がおちてない。。。しょうがないんで、他のサイトにリンク

http://www.dailymotion.com/video/x2of2a6_%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC-%E9%80%8F%E6%98%8E%E4%BA%BA%E9%96%93_music

やっぱ、ベストテンで♪消えますよ〜 消えますよ〜♪で、2人が消える時の動画は落ちてないのね。
もし、おちてたら、絶対リンクしたかったんだけど。。。

 まあ、この曲をきっかけに、この先、一気に人気が崩れてくることになる、「前夜」という感じの雰囲気の中でリリースでしたもんね。
 実際に、崩れるのは、かなーりスピードが早かったったわけで。。。。 まさかまさかって感じだったよなぁ。


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ウォンテッド / ピンク・レディー

1977_09_ウォンテッド_ピンク・レディー






今回の1曲セレクトは、「ウォンテッド」ピンク・レディーです。

 まずはデータです。

・タイトル     ウォンテッド
・アーティスト   ピンク・レディー
・作詞       阿久悠
・作曲       都倉俊一
・編曲       都倉俊一
・リリース日    1977年9月5日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    120.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1977年9月19日〜1977年12月26日付

 さてさて、1ヶ月ぶりのピンク・レディーですが、今回は、ピンク・レディー旋風真っ只中の1曲です。

 「ウォンテッド」。

 毎度毎度、ピンク・レディーの曲を書くときはこんなこと書いてるけど、この当時は、ホント、ピンク・レディー旋風はものすごかったですよね。

 手前味噌だけど、ワタシのランキング(THE HITCHART HOT30)では、1977年8月15日〜9月12日付で「渚のシンドバッド」、9月19日〜12月5日付まで、この「ウォンテッド」が1位を獲得。
 つまーり、この年の8月15日から17週間連続で、ピンク・レディーが1位独占だったわけ。

 こんな現象は、あれから38年経ちましたが、同一アーティストで17週連続、1位獲得を抜かした記録なんてのは、現在までない。恐らく、もう、今後も出てこないでしょうね。


 いやいや、そのくらい、38年前の、丁度今ごろのピンク・レディー旋風って凄かったんですよね。

 ちなみに、1977年12月12日付の中島みゆき「わかれうた」を挟んで、翌12月19日付〜1978年2月27日付まで、またもやピンクレディーの「U.F.O」が9週連続で1位獲得してるから、もし、1977年12月12日付で「ウォンテッド」か「U.F.O」が1位だったら、27週連続1位独占・・・ってこともあったかもしれない。。。。

 そのくらい、凄かったんです、あのころのピンク・レディー旋風は。


で、まあ、売上げ的には、「U.F.O」が155万枚で、ピンク・レディーとしては最高売上げを記録したんだけど、上り調子の「パワー」っちゅうのかなぁ・・・。「勢い」は、この「ウォンテッド」の方が上だったんじゃないかなぁ。
 うん、オリコン含めて、12週連続1位獲得・・・ってわけで、連続1位週数は、この曲が、ピンク・レディーの中では最長なんだよね。 ふむふむ、売り上げがトップの「U.F.O」でさえ、オリコンでは10週でしたから1位は。

 いやいや、ワタシと同世代の方々は、みーんな、踊ってたもんねぇ。
 レコードとか、月刊「明星」なんかの雑誌には、新曲が出るたび、踊りの分解図とか、載せちゃったりしてさ。

 あのころの小中学生は、ほとんど、みーんな踊ってた。

 いやいや、だから、これだけの社会現象にまで昇華しちゃったんだと思うんだけどさ。
 
 うん、あの頃の人口分布図ではさ、レコード購入メイン層である、10代後半〜20代前半の人口よりも、10代前半の方が人口多かったんだよね。

 うん、第2次ベビーブーム世代。それがワタシたちの世代。

 だから、ワタシたちの世代に火が付きゃ、異常なブームが起きる・・・ってこともある程度は予測付くんじゃないかなぁ。

 それが現実に起きたのが、ピンク・レディー旋風だったわけですよね。


 余談だけど・・・、これと同じ事が、実は1990年代前半にも起きているんですワ。

・・・・・メガヒットブーム。あれって、丁度、ワタシら第2次ベビーブーム世代が、10代後半〜20代前半のCD購入メイン層に入ってた時期なんだよね。

・・・・ということは、カラオケの影響とか、いろいろ言われてるけど、実は、起きるべくして起こった現象なんではないかな・・・とも考えられるんだよね。

 だからさー、今の音楽業界ってバカだよなーって思うんだよね。なんで、いつまでも10代後半〜20代前半ばっかり、狙ってないで、ウチらの第2次ベビーブームの世代を本気で狙ってこないのかなぁ・・・・ってさ。

 なんか、10代後半〜20代前半を狙わなきゃいけないなんていう、昔からの暗黙のルールのようなもんがあるんですかね〜。

 それでなくても今の20代以下は、年々人口が減ってってんのにさ。。。ミスミス、お客さん逃がしてるようなもんじゃん。



 さてさて、この「ウォンテッド」では、ワタシは苦い想い出がありまして・・・。

 ワタシ、このころは、まだ、「歌謡曲」に興味がなかったんだよねぇ。なんせ「ませガキ」だったから・・・。
 ポールモーリアばっかし聴いてたのですわ。

 もちろん、ヒンク・レディーくらいはしってたけど、ろくに曲は知らなかったし、もちろん、踊りなんても踊れなかった。

 たぶん、当時の小中学生の中では、かなり珍しい人間だったと思う。

 でさ、そのころ、幼稚園から一緒で友だちだった、ワタシより1つ上のワタル君ってのがいてさ。
 親同士が仲良かったから、ほんとガキの頃からしょっちゅう、遊んでた。

 そのワタル君が、大のピンク・レディーファンでさ。親とかと集まったときに、得意げにやるわけですよ。振りいりで歌を
 うん、忘れもしない、この「ウォンテッド」だった。

 で、ワタシが知らない・・っていうと、バカにされてさ〜。
よく子ども同士だと言うでしょ、「え〜知らないのぉ〜」とかさ。

 で、強制的に振りを教えてくるわけですよ。でも、ワタシ、極度の運動音痴でさ、ぜんぜん覚えられなくてねー。

 そうすると、また、コバカにしてくるわけですよ。

 そのうちに、「ピンク・レディー、なんか キライだもんexclamation ×2」なんて、すねちゃったりして。。。

 はい、ワタシのダンス系ギライは、この時から始まったわけなのです。うん、一種の軽いトラウマだね。

 そういうこともあって、誰がなんと言おうと、あの時から、ワタシャ、キャンディーズ派になったのですexclamation ×2


 まあ、それでも、あのころって言ったら、同年代では「ピンク・レディー派」が大多数だったけどさぁ。



 蛇足だけど、90年代、ワタシらが結成していた自主サークル「オリコンチャート研究会」のリーダーだった、松永さんって方が、これまた、「超」が付くほどのピンク・レディーフリークでさ。
 よく、カラオケ屋で踊ってたよなぁ。十八番がこの「ウォンテッド」だったりして・・・。

 ちなみに、彼はオリコンでは、当時、邦楽、洋楽に混じって「ヒンク・レディー」っていうジャンルがあるって言うだけで、六本木のオリコン本社まで、「オリコン年鑑」買いに行ったなんて、ヒトでしたからねぇ。かなり気合が入ったファンだったな。
 ワタシより3つ上だったから、当時、中学1年かな。
どれだけ、ピンク・レディーが好きだったか・・・って訳ですね。


 ちなみに、そのオリコン年鑑1979年版の「レコード購買層調査」っていうデータを見ると、邦楽ポップス、邦楽ロック、洋楽ポップス、洋楽ロックっていうジャンルに混じって、ほんとにヒンク・レディーっていうジャンルがあるんだよね。

 それによると、1978年のデータでは、レコード売上げ全体に占めるピンク・レディーの売上げの割合は17.7%になってたりする。。。
 いかに、この時期のピンク・レディーのレコード売上げが凄かったか・・・ってことですよね。

 で、そのうち、小学生の購入比率が42.0%、中学生が25.0%。 つまり6割強は、小中学生で占められてた・・・・ハイ、私たちの世代に占められてた・・・ってことだよねぇ。 やっぱ第2次ベビーブーム前後世代の購買力はでかいわけです。




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ひと夏の経験 / 山口百恵

1974_08_ひと夏の経験_山口百恵

 






今回の1曲セレクトは、「ひと夏の経験」山口百恵です。

まずはデータです。

・タイトル     ひと夏の経験
・アーティスト   山口百恵
・作詞       千家和也
・作曲       都倉俊一
・編曲       馬飼野康二
・リリース日    1974年6月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 3位
・売り上げ枚数  44.6万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年6月17日〜9月2日付

 あー、もうすぐ夏が終わる・・・というのに、なんか書き忘れてる曲があるな・・・っていうモヤモヤがここんところあったんだよね。で、昨日1日考えてて、思いだしましたよ。

そうだ、山口百恵の「ひと夏の経験」ですよ。

 この曲、これまで書いてて当然・・・っていうくらいインパクトがあるはずなのに、10年前にmixiに書いてた時代から書いてなかったんだよね。
そう言う事もあってか、ついつい書き忘れてた1曲ですわ。

↑のデータからも分かるように、8月終わりのこの時期は、すでにヒットのピークを過ぎつつあったんだけど、兎に角、夏が終わる前に書いておこうか・・・と、本当は別の曲をセレクト使用と思ったんだけど、急遽、予定変更してきました。


この曲と言ったら、なんと言っても出だしの

♪ あなたに 女の子の 一番大切なものをあげるわ〜 ♪

っていう部分ですよね。

女の子の一番大切なものをあげる  ・・・っていったい何をあげるのか  なんて、真面目に議論していたりもするんだけど、まあ、率直に考えれば「アレ」ですよね

本人は「まごころ」とか、うまく交わしてたりもするけど、 サビの最後に

♪ 誰でも一度だけ経験するのよ〜 ♪ って言う文句に繋がるなら、「アレ」しかないよなぁ・・・。80年代風に言えば「B」とか「C」とか

でもですよ。やっぱり衝撃的だったんですよ。この歌詞は。

ここでも何回か書いたけど、、それまでの70年代アイドルって言ったら文字通り「偶像」だったわけじゃん。
そそそ、もともと「idol」って言う意味は「偶像」とか「聖像」っていうことですから。
 それこそ、今で言う「ネ申」ですよ。 よく、アイドルは「ウンコしない」とか「霞食って生きてる」とか、この世の人じゃないような「神」のような存在でしたから、「下ネタ」を連想するような曲は、一種のタブーだったわけですね、それまでは。

 まあ、間接的にとか、よりソフトな「A」的な歌詞はあったにせよ、この曲ほど直接的なっていうのはさ。

あ、でも、山口百恵の場合、この曲の1年前にリリースした「青い果実」も近いものがあったか。

♪ あなたが望むなら、ワタシ 何をされてもいいわ〜 ♪ ってあったからなぁ。

 それを考えたら、このヒトの場合は、当時としてはキワドイ路線の曲を歌っていたわけですよね。 
よく、「青い性」とかのコトバで表現されていたりしたしね。

それでも、「青い果実」の時、それほど衝撃的に扱われずに、この「ひと夏の経験」でセンセーショナルなあつかいになったのは、間の1年で、かなり大人びたからじゃないかなぁ、山口百恵って。
 
今VTRを見ると、「青い果実」の時は、まだあどけなさが残ってたし、ウタもたどたどしさがあったりしたしな。その上で、「青い性」を歌っていても、それほど現実性って感じなかったと思うんだよね。
 でも、この「ひと夏の経験」を歌う頃には、アイドルとして、大分成長してたしね。歌も1年で大分達者になってたからなぁ。まあ、後年の「凄み」っていうのは、まだ、感じなかったけど、この時、中学3年でしょ。中3のアイドルとしては、達者だったと思いますよ。

 そう言うところから、この曲の歌詞に現実味が感じられたんだよね。 もちろん、歌詞だけじゃなく、この曲独特の、緊張感漂うメロディもアレンジも良かったんだけどさ。

 この曲の作曲は都倉俊一氏。 都倉氏っていうと、どうしても、70年代後半のピンクレディーとか、70年代前半でも山本リンダとか、とかく、テーマパーク的なメロディって言うイメージが先行しちゃうんだけども、こえいえシリアスなメロディも書けたんだよね。
だから、ここまで話題になったし、実際大ヒットにつながったんだと思いますね〜。

 ちなみに、この曲の44万枚の売り上げっていうのは、ここまでの山口百恵で、ダントツに売れた曲であり、この曲によって実質的な大ブレイクを果たした訳なんだよね。 この曲以降は、一部の曲を除いては、軒並み30万枚以上をコンスタントに続けていくことになるわけだから。

 そう言う意味でも、後年の「菩薩・山口百恵」を形作った、1曲でもあるんじゃないかなぁ。




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波乗りパイレーツ / ピンク・レディー

1979_08_波乗りパイレーツ_ピンクレディー






今回の1曲セレクトは、「波乗りパイレーツ」ピンク・レディーです。

 まずはデータです。

・タイトル   波乗りパイレーツ
・アーティスト ピンク・レディー
・作詞     阿久悠
・作曲     都倉俊一
・編曲     都倉俊一
・リリース日  1979年7月5日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数  24.2万枚
・ザ・ベストテン最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1979年7月26日、8月16日〜9月13日放送分


 蒸し暑い日が続いてますな。休みの日は1日中扇風機を回しっぱなしや。
 でも、さすがにこの暑さにはまいってクーラーを交換することにしましたわ。設置工事までは半月ほどかかるけど。。。
 それにしても、毎年のこととはいえ、このベタベタな蒸し暑さはたまりませんのぉ。

 やっぱ、この時期は、「ナッツ〜」な曲をもって来たくなるもんです。いや、少なくとも気分だけでも涼しくなりたいからねぇ。

 っつうことで、ピンク・レディーの「波乗りパイレーツ」なぞ、ひとつ。


 え? この曲、まだ、書いてなかったんだ。。。。 と、自分でもちょこっと驚いてみたりして。。
 ピンク・レディーの曲は、少なくとも「ベストテン入り」してた曲は、すでに全部書いたもんだと思ってたんだけど・・・。ま、こらとしては、都合が良いんだけど〜。。。

 うん、この曲が、ピンク・レディーにとっては、「最後」のベストテン入りした曲でございますよ〜。
 絶頂期から1年。まっさかねぇ、この前の年の78年には、1年後に最後のベストテン入りになるとは、まーったく予想もしなかったけどねぇ。
でも、これもヒット曲の歴史が辿ってきた、事実なんだよねぇ。


 ま、いろいろ原因はあったと思うんだけどさあ、いちばんのネックだったのは、やっぱ、「ネタ切れ」だろうなぁ。
 とっぴ押しもないことで押し切ろう・・・っていうコンセプトのもとで、兎に角突っ走ってきた、ピンク・レディーだけど、「とっぴおし」もないことなんて、そうそうネタがゴロゴロ転がっているわけでもないしねぇ。
 まあ、とっぴ押しもないことって、それこそ、当たればデカイんだよね。それまで誰もやってないことだからさあ、それだけ食いつきもデカイ分けだし。
 その反面、飽きられるのも早いわけで・・・。食いつきが良いほど、飽きられやすい・・・っちゅうのは、これはマーケティング上の鉄則ですな。人間の心理を考えても。
 まあ、その前にピンク・レディーの場合は、ネタ切れ・・・って言うこともあって、二重のマイナス要因が重なったわけなんだよね。
 だから、絶頂期を好きで、一気に落っこちたわけだ、人気が。


 この曲のころなんて、正直、なんか「あわれ」の様な印象も、個人的にはあったんだけどねぇ・・・当時は。ま、なんとなくだけどさ。
 世はニューミュージック全盛期。当時10歳だった、ガキの目からみても、なーんかね、ピンク・レディーの曲が時代遅れだよなぁ・・・っていう感じに見えた・・・様な気がする。 いや、口を酸っぱくしてもさあ。
あ、子どもだから、逆に、そういうところって敏感なところってあるじゃん。

 少なくとも、前の年にあれだけ、ピンク・レディーの振り付けのマネしてたのが、この曲の「振りまね」してたコなんて、いなかったよなぁ・・・。
 いや、考えてみると、子どもって残酷だよな〜。。。たった1年しかたってないのにねぇ・・・。

・・・・っつか、その中心にいた張本人たちが、ワタシら、今の「アラフィフ」世代なんだけども。。。。ふらふらふらふらふらふら


然るに、そんじゃ、曲としてもダメダメだったのか・・・っちゅうと、うーん、まあ、確かに当時としては、なんとなく、「二線級」っていうか、ジミーーーに感じてた、この曲だけど、36年たった今聴くと、これが、なかなか良い。

 ま、下敷きは、ビーチボーイズの「サーフィンU.S.A」だってことは、見え見えなんだけども、それでも「サーフィンU.S.A」のスカスカのノリから比べると、また違った「絵」が浮かんできたりして。
 まあ、歌謡曲的なテイストを織り込んだ・・・って感じなんだけど。。
 やっぱ、カレーに醤油かけて食ったりする国民ですから〜、やっぱ、曲のどっかに「和」のテイストが織り込んでいたりすると、なんとなく落ち着くって訳ですな。

 この曲の場合は、やっぱ、バックの安っぽいストリングスとかブラスなんか、そんな感じに感じたりするんだろうな。
 今だったら、完全にシンセで処理しちゃったりするだろうから、こういう味付けはでない・・・っちゅうか、完全に「洋楽」になっちゃったりするんだろうけど、当時は、それが出来なかったらからさ。
 でも、その安っぽさが良かったりするのよ、考えてみたら。


えー、You Tubeに適当な動画がなかったんで、別のサイトにリンク

http://www.dailymotion.com/video/xm17lz_%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%AF-%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3-%E6%B3%A2%E4%B9%97%E3%82%8A%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%84_music


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モンスター / ピンク・レディー

1978_07_モンスター_ピンクレディ






今日の1曲セレクトは、「モンスター」ピンク・レディーです。

 まずはデータです。

・タイトル    モンスター
・アーティスト  ピンク・レディー
・作詞      阿久悠
・作曲      都倉俊一
・編曲      都倉俊一
・リリース日   1978年6月25日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   110.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1978年7月3日〜9月11日付

 あ〜 暑ぃよ、暑ぃよ、夜になったのにムシムシとしてて寝らんねぇよ・・・って言いたくなるような夜だなや。

 ぢゃ、クーラーつければいいじゃん・・・と言われそうだけど、夏はやっは、こうでなくては・・・。
 ジトーっと、汗をかく中で、ウチワで扇ぎながら、PCに向かうあせあせ
 これがオツってもんです・・(どこが?)   

・・・と強がりを書いてますが、正直、クーラーのガスが抜けてて、クーラーが使えないのです。。。。

 まあ、こんなムシムシとした夜は、それ相応の曲を持ってきましょうかねぇ・・・。


 ピンクレディー「モンスター」


 この曲って、今夜みたいな、こんな、ムシムシッとしたイメージがないっすか?

 え? ない?  ワタシはあるんだなぁ・・・。

 イメージ的に暑苦しいじゃん、この曲。とりあえず、おどおどろしくて。

 あ、それと、この曲がリリースされた、1978年の夏の「猛暑」っていうのも、やっぱし、脳裏にこびり付いてるんだと思う。。

 この年の夏の曲を聴くと、往々にして、「あちぃ〜」っていうイメージがあるんだよなぁ、ワタクシは。

 1978年の夏か。。ワタシは小学3年。・・・ちなみに、この年の夏は、まっくろけっけに日焼けしてた・・・って記憶してるな。

 ムシ採りと魚採りと海水浴に明け暮れた夏休み・・・自然児だったのよ。。
 勉強ですか? ワタシャ、小学生の頃、勉強した記憶がないのですわ。へぇ、強制的な勉強がキライなコドモだったので。。ふらふら

 最近、モンスターペアレントなんて、問題になってるけど、考えて見れば、あのころ、ワタシもモンスターチルドレンだったかもふらふらふらふらふらふら



・・・・おっとっと、話がズレた。。。

 まあ、このころっていったら、ピンクレディーの絶頂期っていうのは、いわずとしれず・・・ところなんだけど、「数字的」なところからみると、既に「絶頂期」は、過ぎてたんだよね。
 レコード売上げとしても、とりあえず、この曲もミリオンセラーを突破して、これで5作連続のミリオンセラーを達成してるんだけど、前曲の「サウスポー」の146万枚に比べると、30万枚のマイナスとなってたりする。
 さらにさらに、この曲が、ピンクレディーとしての最後のミリオンセラーだったんだよね。

 さすがのピンクレディーにも翳りが忍び寄ってたわけなんだけど・・・。


 でも、まあ、そういえるのは、その後の「事実」を知っている今だから言えることなんだろうけどね。

 当時は、まさか、ピンクレディーが失速するなんて、信じられなかったもの。このまま永遠にフィーバーが続くもの・・・なんて錯覚もあったりして。。。

 あの当時は、まだマーケティング的なことは、確立されてなかったし、何分「どんぶり勘定」な業界だったから、「いけいけドンドン」な売り方をしてたんだろうけどねぇ。

 今考えると、そのマヌケな・・・と言っちゃ失礼か・・・、いやいや、素朴な売り方がよかったんだろうね、まだ、人間的で・・・。

 今だったら、過去の事例がたくさん集積してるから、こういう売り方は、まずしないだろうし、こういう売れ方もしないんだろうな。

 古い人間にとっては、どうも、そこに人間的なマヌケさを見出せないわけで、だから、イラッとするんだよなぁ。。。

 まあ、客観的に見れば、やっぱりこの頃になると、「子供相手」になりすぎてたところがあったなんだろうな。
この曲から、バックに今で言うキャラクター人形が登場したじゃん。 いくらなんでもあれはちょっとタサかったんじやないかなぁ・・・なんて思うんだよな。

・・・なんて、ピンクレディーっていうと、どうも、曲の内容より、その売れ方に、ついつい、目が行っちゃうワタシだったりします。。


という事で動画なんだけど、どうもYOU TUBEには適当なのが落ちてないんで、他のサイトにリンク

http://www.dailymotion.com/video/x2oesss

音がポコポコで、画像も鮮明じゃないけど、お許しあれ。
でも、1978年当時の画像と音ってこんなもんだったんだよね。



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