かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

都倉俊一

あなたの心に / 中山千夏

1969_10_あなたの心に_中山千夏



今回の1曲セレクトは、「あなたの心に」中山千夏です。

 まずはデータです。

・タイトル     あなたの心に
・アーティスト   中山千夏
・作詞       中山千夏
・作曲       都倉俊一
・編曲       大柿隆
・リリース日    1969年9月1日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    42.1万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1969年10月27日〜12月22日付

今回の1曲セレクトは、一気に54年前の「今ごろ」まで時代を遡ります。
久々の60年代。  
いや、深い意味はないんですよ。資料の為にいつも広いている、オリコンデータブックを見てたらたまたま「中山千夏」さんに目が留まったの。

 で、ちょいちょい、見てたら、「あ、そういえば、この曲も、今ごろのヒットだったよな・・・」ってことで引っ張ってきたまでです。

いつか、書こうとは思ってたんだけどね。去年も書こうと思ってて、時期を逸しちゃって。。。



 この曲、ベストテンランクインは、10週間なんだけど、当時としては、それでも短い部類だったんですよ、最高2位まで行った曲としては。
 あっという間に火がついて、あっという間に落ちていった・・・っていう感じの曲なんですよね。

 もちろん、当時は、今のような「初動型」なんていうのは、ありえないから、下から上がって、ピークを迎え、下がるっていう「山型」チャートアクションではあるんだけど、上昇と下降のカーブが他の曲に比べると、急なわけなんですわ。

 手元に当時の、オリコンの50位内のランキングがあるんだけど、それによると、1969年9月1日リリースで、

1969年9月30日 30位、以降 ⇒16位⇒12位⇒7位⇒7位⇒4位⇒4位⇒2位⇒3位⇒2位⇒3位⇒8位⇒8位⇒12位⇒18位⇒23位⇒36位⇒48位⇒50位圏外

 うーん、これでも、当時としては、急勾配型のチャートアクションだったわけだから、当時のヒットの仕方が、いかに「ゆっくり」だったかが、分っていただけるんじゃないかなぁ。


 なんて、この曲のチャートアクションを説明する前に、中山千夏さん自体、みなさん、ご存知ですよね!?
 あれ? 、もしかして知らない? 

 その昔、アニメ「ドロロンえん魔くん」の主題歌、歌ってたヒトですよ〜。

 ♪ドロロン ドロロン でろでろばー〜 ♪ って・・・


・・・・え? 余計にわかんないって?。。。。。


↓ コレ




ぢゃ「じゃりんこチエ」の「チエ」の声やってた方・・・って言えば、これ読んでくれてる大概の方にはわかってくれるんぢゃないかなぁ。

 こう書いちゃうと、声優さん? って思われちゃうかもしれないけど、女優さんでもあり、作家でもあり、いまでいう、マルチタレントですよね。
 1980年には、参議院全国区選挙から立候補して当選。1期6年、参議院議員も勤めてたりする。党派には属しない、いわば無所属議員の走りのような方ですね。

 だそくだけど、・・・ということは、「じゃりんこチエ」の声優やりながら、方や参議院議員もやってたってことになるね。(82年〜84年放送)

 文字通り、マルチな才能をいまも発揮されていらっしゃる方ですね。


 まあ、この曲も、そのひとつの「タレント」性を発揮した「一部分」ってところかな。
 作家ということもあり、作詞はご自身で書いた曲でもあり、シンガーソングライターの走りでもありますね。

 そういう関係で、この曲を「ニューミュージック」の走りとして、ニューミュージックに分類される方も多い。
 うん、ワタシもそういう解釈している一人ですが。。。

 ただ、曲は、当時、まだ慶応の学生だった、都倉俊一氏。この曲が実質の都倉氏の初のヒット・・ということになっている。

 曲調は、全然、後年の山本リンダやピンクレディーに書いたような、「攻撃的」な曲では全くないんだよね、これが。

 一聴すると、歌謡フォークですね。当時はフォークと言えば、カレッジフォーク、社会派フォークっていうのが、比較的アンダーグラウンド(今でいうインディーズね 略して「アングラ」)の主流だったんだけど、対して、オーバーグラウンド(いまでいうメジャーね)での流行歌としての「フォーク」っていう感じかな。

 同じ時期に、千賀かおるの「真夜中のギター」が大ヒットしてたけど、丁度同じような傾向な曲ですね。

↓ コレ




 千賀かおるの「真夜中のギター」がコロムビアから、そして、この中山千夏の「あなたの心に」がビクターから、対抗馬のような位置としてリリースされた、2大歌謡フォークって感じですかねぇ。

 ちなみに、売上げ枚数も、「真夜中のギター」が46万枚に対して、この「あなたの心に」が42万枚と、ほぼ、同じような売上げを残している。



 時は昭和44年(1969年)、もちろん、ワタシャ、まーったく知りませんよ。
 とりあえず、生まれてはいました。。。

この曲のリリースが9月1日でしょ? ワタシ生まれたのが、この年の8月19日だから、生後半月でしたわあ

 そりゃ、タイムリーで知るわけないがな〜。


 でも、なぜか、聴くと、ものすごく懐かしく感じる。うーん、これってなんでなんですかねぇ〜。

 自分ではもちろん、物心ついてないから認識してないけど、当時、テレビかなんかで、耳にしてたんでしょうかねぇ。


 初めて、認識して聴いたのは、1989年1月1日放送のフジテレビ「19××、僕たちの思い出のメロディ」かなぁ。

 これで聴いたのが最初なんだけど、ほんとに上記のように、とても懐かしい気分になっちゃったんだよね、これが不思議。

 ♪ あなたの心に 風があるなら そして それが 春の風なら〜 ♪

っていう、とっても優しいフォーキーなウタは、恐らく、タイトル知らないだけで、大抵の方は知っていると思うんだけどなぁ。

 以前、なんかのCMでも使われてたよね。

 ワタシだったら、カバーに使いたくなるな・・・って思うんだけど、そう考える方は、他にもたくさんいらっしゃるようで、いままでも結構、カバーされているんだよね。

2002年には、声優の林原めぐみ までがアニメのエンディング曲にカバーしてたりしてるもの。

 まあ、それだけ、未だにキャッチーで一般性あふれる曲であるってことだよね。

 いい曲は、いつまでたっても、世代を越えても、エバーグリーンだってことですよ。。。






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狙いうち / 山本リンダ

1973_03_ねらい撃ち_山本リンダ


今回の1曲セレクトは、「狙いうち」山本リンダでする。

まずはデータでする。

・タイトル    狙いうち
・アーティスト  山本リンダ
・作詞      阿久悠
・作曲      都倉俊一
・編曲      都倉俊一
・リリース日   1973年2月25日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数   17.7万枚

WBCが感動のうちに終わりましたな。
いやいや、「日本野球」は強かった。正直、準決勝の対メキシコ戦では「負けた・・・」と思って途中で中継見るのやめちゃったワタシだったり。。。

最後まであきらめない心、がむしゃらさ、ひたむきさ。。。

ワタシねぇ、今回のWBCがこんなに注目集めたのって、ゲーム展開とかチームワークもそうだけども、ココが一番だったと思うのよ。
最近のニッポン人が忘れかけたモノを改めて気づかせてくれたような気がしたんだよね。

さてさて、WBCが終われば、プロ野球が開幕までは高校野球ですかね。春の選抜。

高校野球と言ったら、応援合戦がつきものなわけで。。。

特にブラスの応援だよね。

最近は、市立習志野の「美爆音」とか、とかくクローズアップされていますな。

かくいう、中学、高校と吹奏楽やってたワタシも、やりましたねぇ、野球応援。

あれ、結構大変なんだよね。うちらの高校は春の選抜まで出られるほどではなかったので、夏の大会中心だったけども。。。

とにかく暑い。まあ、のどは乾くは、汗びっしょりになるわ。。。

そういう意味では、文化系じゃなくて、体育会系だったよなぁ吹奏楽も。

一番つらいのは、なんせ常に大音量でやるもんだから、唇が大音量用に固まっちゃって、pとかmpが出なくなっちゃうのよ。なんちゅうのかな、ブラスオリジナル曲の微妙なニュアンスを出しにくくなる。 

特に私らが高校2年の時の夏の大会は、千葉大会でノーシードからベスト4まで勝ち上がったもんだから。。。あの夏は5回くらいやったのかなぁ、野球応援。

高校野球と、全国吹奏楽コンクールって大体、日程が重なっているし、野球応援やってすぐにコンクールっていう訳にもいかなくて、この年は出場辞退したんだよなコンクール。

高校はワタシらの代が開校3期生っていう、ワタシらが入学してやっと3学年が揃ったっていう、まだ新設校に数えられていたし。。 だから、部活も手策りしながらの活動だったのよ。
部員も少なかったしさ。 野球応援用とコンクール用、2つの編成に分けられるくらいの部員がいるならばコンクール辞退ということにならなかったんと思うんだけども、新設校で、しかも名目上は「進学校」となっていて、全体的に部活動は低調だったんでねぇ。そういうわけにもいかなかったしな。

当然、野球応援用の曲も決まってなかったし。。。 あんときは、音楽の先生がプロ野球の応援歌を耳コピで譜面に興してきてくれて、それでやってたんだよな。

でも9人分もなくて、急遽、ワタシが、ポーターサウンド片手に、テレビの前に座り込んで野球中継を見ながら足りない分の曲を耳コピーして譜面に興したりして。。。それで結構曲数はそろったんだけども。。。

ただ、今回引っ張ってきた、高校野球の野球応援では、切っても切れないこの曲は、まだ含まれてなかったなぁ。


山本リンダ 「狙いうち」

この曲って、いつから高校野球とかプロ野球の応援曲に使われてたんだろ?

wikipediaによると作詞の阿久悠の母校、明治大学の野球応援で使われ始めたってことになっているけども、ワタシらが高校の頃は、高校野球の応援では、まだ使われてなかったような気がする。

うーん、もしかすると使ってたところもあるんだろうけども、今ほど大々的には使われてなかったよな。

でも、今はいいよね、この「狙いうち」にしろ、真心ブラザーズの「どかーん」にしろ、野球応援にぴったり嵌るような曲がいっぱいあってさ。

ちなみに、やっぱり、野球応援で頻繁に使われている「アフリカンシンフォニー」。あれは、ワタシらの頃は吹奏楽オリジナルの曲だったんだよね。吹奏楽の定期演奏会では、大抵の学校でやってたよな。
ただ、野球応援に持ち込むっていう発想はまだなかったと思うんだよね。あれを野球応援に持ち込むっていう発想した人はすごいよね。


ということで、山本リンダさんの「狙いうち」。

この曲さあ、おそらく、私の中では、「リアルタイム」で聴いた記憶がある最古に近い曲だと思うんだよなぁ。

1973年2月リリースでしょ。 わたしゃ3歳6か月。 

うわっ、今年でちょうど50年になるんか、リリースから。。。。


ワタシなんかでは、この曲とか、桜田淳子さんの「わたしの青い鳥」とか、仮面ライダーV3とか、あの辺とゴッチャになって記憶しているのよ。

♪ うらら〜 うらら〜 ♪ なんて、ちゃぶ台の上で踊ってたかすかな記憶があるんだよなぁ。

そそそ、「ちびまる子ちゃん」と同じ世界ですよ。

まあ、当然、歌詞の意味なんて、全く理解せずにやってたんだけどさ。

それにしても、あの当時の阿久悠氏って、「擬音」を取り入れた歌詞って多いんだよね。

この「狙いうち」の ♪ うらら〜 うらら〜 ♪ 、↑にちょろっと出した、桜田淳子さんの「ワタシの青い鳥」の ♪ クッククック〜 ♪ 

ちょっと後になると、78年の「林檎殺人事件」の ♪ フニフニ フニフニ〜 ♪ とかさ。

極めつけは、フィンガー5の「恋のダイヤル6700」の ♪ リンリンリリン リンリンリリンリン〜 ♪
だよね。

これらの曲って、曲先なのか、詞先なのかは、よくわかんないんだけども。。。 いや、あの時代だから、曲先なのかなぁ・・・。

例えば、「恋のダイヤル6700」の  ♪ リンリンリリン リンリンリリンリン〜 ♪ のメロディがあるとしたら、通常ならばコトバを入れたくなるってもんじゃないですか

それなのに、あえて ♪ リンリンリリン リンリンリリンリン〜 ♪ なんて、擬音を入れてしまうっていうのが、阿久悠の阿久悠たる仕事だと思うんだよなぁ。

場合によっては、なんだ? コノ手抜きの仕事は・・・ なんて思われちゃう可能性もあるわけじゃん。それなのに堂々と使ってくる。

でも、これらの「擬音」を使うことによって、インパクトは大きくなるよね。

「恋のダイヤル6700」の  ♪ リンリンリリン〜 ♪ だって、これがあるから、「なんだ? コレ?」って思いたくなるし。。。
今回の「狙いうち」にしてもそう。 ♪ うらら うらら〜 ♪ なんて、本編の歌詞とは全く関係ない、意味不明のフレーズがあるから、「なんだこれ?」って引っかかるわけでさ。
本編の歌詞だけだと、いまひとつインパクトが弱いわけで。

当時3歳のガキんちょだった、ワタシみたいなコドモも引っかかったわけだからさ。

こんな感じで、歌詞っていう文字通りのコトバだけでなく、擬音っていう「音のコトバ」から、それらの曲に引っかかりを持つようなヒット曲を「開発」した阿久悠氏ってやっぱ偉大だと思うんだよね。

すくなくとも、これ以前には、こんな「擬音」を多用した曲ってあんまりなかったと思うのよ。


あとは、本編の歌詞だよね。

最後の ♪ 世界中の贅沢を どれもこれも身にまとい 飾り立てた王宮で かしずく男を見てみたい〜♪

ってのは、すげえ歌詞だよなぁ。

まるで劇画の世界だよね。  いまは、こんな劇画チックで、かつ2.5次元な歌詞の曲ってあんまないからさあ。 もっとも、今は、アニメであったり、ゲームであったり・・この世界観はそっちに移行されてしまい・・・。ウタは、より「リアル」な世界に終始しているっていうような感じになっちゃっているような気がするんだけどね。

まあ、この「狙いうち」って曲の歌詞の世界観は、ばかばかしいっちゃばかばかしいんだけども、こういうばかばかしい世界観の曲っていうのも、もっとあってもいいと思うのよ。
日常のリアルの世界を表現するだけがウタじゃないと思うし。。。

もっとも、見方を変えれば、この曲の歌詞の世界観は、70年代前半の「ウーマン・リブ」、女性解放運動の時代を反映したものともいえるんだけども。

うん、それまでの女性って、男に尽くすものだったわけじゃん。 

うたの世界だったら、男に尽くし、すれてられ、 酒場の隅で「ヨヨヨ」・・と泣き崩れる ・・・なんて、まるで「演歌」の世界・・・っていうのが世の中の常識だったわけじゃん。

それが「ウーマン・リブ」によって、女性ももっと自立を・・・っていう考え方が世界的にひろがってきたのもこの頃だったしさ。

まあ、この曲の場合は、いささかドラスティックな世界ではあるんだけども、それでも、そんな時代を象徴した曲の一つではないんかなぁ・・・ なんて思ったりしてね。


そんな「狙いうち」だけども、ヒットチャート成績は思ったほどでもなかったんだよね。

↑のデータを見てもわかるように、オリコンではベストテン入りを逃している。

1965年の「こまっちゃうな」から低迷を続け、前年1972年の「どうにもとまらない」で再ブレイクしてから、3曲連続でベストテンをキープした山本リンダさんだったけども、この曲はベストテン入りから外れたわけで。。。これが意外でね。

だって、↑でかいたように、「ちびまる子ちやん」にも出てくるほど、ワタシらの世代(少なくともワタシもそうだけど)、 この「狙いうち」のイメージの方が強い山本リンダさんだからさあ。

当然、オリコンでも上の方にいた・・・ようなイメージが強かったんでねぇ。

まさか、ベストテン入りもしてなかったとはね。。。。

イメージと、現実ではちがう。 オリコンの過去のランキングを見てると、そんな曲がいろいろと出てきたりするんだけどね。

まあ、それがオリコンの面白いところではあるんだよね。



うわっ、めっちゃ速い「狙いうち」。
これ紅白だよね。1973年。第24回紅白歌合戦。
おそらく「巻いてた」と思うんだけども。。。
紅白って時々、こんな感じで「超高速」なテンポの時があるんだけども、この頃すでにあったんだな。

それにしても、この曲のジャケ写、インパクトあるよねぇ〜、
いかにも1970年代前半。

ザンバラの長髪に、めっちゃ長いつけまつげにパンタロン。

今見たら、「あばずれ」って感じだけども、あのころは、これがトレンドだったわけね。

かくいう、ワタシの母親も、こんな感じの「ファッション」だったの覚えてるわ。


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カメレオン・アーミー / ピンク・レディー

1979_01_カメレオンアーミー_ピンク・レディー


今回の1曲セレクトは、「カメレオン・アーミー」ピンク・レディーです。

まずはデータです。

・タイトル    カメレオン・アーミー
・アーティスト    ピンク・レディー 
・作詞     阿久悠
・作曲     都倉俊一
・編曲     都倉俊一
・リリース日  1978年12月5日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  70.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1978年12月18日〜1979年2月19日付

昨日、このブログのタイトル表記修正を行いまして。。
現在の表記は、例えばこの「1曲セレクト」の場合、タイトル表記は「作品タイトル / アーティスト名」で統一しているんですね。
これまでのアクセス解析をすると、どうも検索いただく方々もこの方が検索しやすいような動きが見えたので。
でも、初期の頃は「作品タイトル」のみだったんですよ、表記が。

ちょっと乱暴な表記だったのね。・・というのも、同名異曲っていうのがあるわけでさ。
例えば「卒業」なんてタイトルはいっぱいあるわけじゃないですか。 なので、まあ、書いた当時はだれの「卒業」なのかという事を覚えていても、時間が経っちゃうと、書いた本人でさえわかんなくなっちゃったりしてね

それは、そのまま、検索していただく方も感じる事と思いまして、現在の表記に統一すべく、タイトル表記を統一しました。

おかげで、昨日から今日にかけて、これまであんまり検索されてこなかった曲まで検索されてきているようで成功でした。  
これならもっと早くやっておくんだったな。。。


ただね、逆に、すでに書いていても全然おかしくない曲をまだ書いてない・・・なんてのも判明しちゃったりして。。。。

その中の1曲が、幸か不幸か、ちょうど、「今頃」のヒットだったもんで、引っ張ってきちゃいました

ピンク・レディー「カメレオン・アーミー」

じゃじ〜ん

60年代以降のヒット曲、これまで1600曲ほど書いたっちゅうのに、ピンク・レディーなんて、スーパースターの大ヒット曲をまだ書いてなかったとは。。。。。ぷぷぷぷ


この曲のリリースは、1978年12月。
ワタシが、ヒット曲の世界に足を踏み入れたのが1978年11月なんで、ヒット曲の世界に足を踏み入れた直後、まともに接した、最初のピンクレディーの曲がこの曲になる。

ま、もっともそれ以前の曲も、もちろん知ってましたよ。

さすがにピンク・レディーくらいのモンスター級スーパーアイドルともなると、いくら当時小学3年生でも、曲知らない方が「もぐり」だったわけじゃないですか。

ただ、知ってたとはいえ、学校でクラスの仲間外れにされないくらいに知っていただけで、きちんと聴いてたわけじゃない。

いつかもここで書いたように、ワタシゃ、ピンク・レディー派ではなく、キャンディーズ派だったんでさぁ。

あの当時、みーんなピンク・レディー踊ってたじゃないですか。 でも、ワタシは、興味無いから、外で見てた類なんだよね。 まあ、それ以前に運動音痴だったワタシにゃ、ピンク・レディーは踊れなかったんだけども。。。

あ、だから、キャンディーズ派だったっていうのが、もしかすると正解だったかもしれない

ま、いずれにしろ、ヒット曲としてキチンと聴いた、ピンク・レディーの最初の曲が、ワタシにとってはこの曲だったわけです。


イントロが「およげたいやきくん」のパクリだとか、いろいろいわれたこの曲ですが、ピンクレディーとして、まさか最後のオリコン1位獲得曲になるとはねぇ。。。
「ザ・ベストテン」でこの曲を聴いてた頃は、全くそんなことも考えては居なかったわけで。。。

ただ、いま、ヒット曲マニアとしてオリコンの売り上げ枚数を見るようになると人気下降は予想される動きではあったんだよね。
この曲の累積セールスは70.8万枚。 それでも当時のアイドルからすると高水準な売上げ枚数ではある。

でも、2曲前の「モンスター」が110万枚、3曲前の「サウスポー」が146万枚、4曲前の「UFO」が155万枚。。。

・・と当時の売り上げ枚数からするとそれこそモンスター級売り上げを立て続けに出していたところから見ると、この曲では急激に売り上げが下がってきていたわけでさ。

丁度1年前にリリースされた「UFO」から見ると半分以下ですからね。

まあ、今から考えると、ピンク・レディーのブームって、一種のバブルだったんでしょうね。
でなきゃ、あんな、気違いじみたブームはなかなか起こりませんよ。
そんなバブルが破裂する瞬間の曲・・・。それがこの「カメレオン・アーミー」だったんじゃないかな。
 
なにせ、この次の「ジパング」の売り上げが70万から27万枚に急落。オリコン1位獲得も途絶えるといった、バブル崩壊が起こったわけなんでね。

まあ、他にも、例えば、1978年の「レコード大賞」を受賞したことで、ピンク・レディーは昇華したとか、紅白に出演拒否したことで干されたとか、いろいろ言われたりしましたけどね。

でも、一番の要因は、曲の題材だったんじゃなかいんですかねぇ。 
いわいるネタ切れってやつですわ。

「カメレオンアーミー」ね〜。。。随分苦しんでんなぁ・・と。
今では、そんな風に感じたりするんだよね。
兎も角、
曲の題材としてはちょっと頭をひねりたくなる内容だったんだよなぁ。直感的にわかんないんですよ。そもそも、当時9歳の私には「アーミー」っていう意味が分かんなかったし。。。

 たしかに、ピンクレディーの場合、作詞者の阿久悠氏曰く、近くにありそうで、じつは「影」になっている言葉や風景を題材に、とにかく走れるところまで走ろう・・と言うところから始まったプロジェクトだったわけだけど、さすがに「カメレオン」っていうのはどうなの? って感じだったしなぁ。 それまでの「UFO」とか「サウスポー」に比べるとインパクトに欠けるというか。。
まあ、1曲前の「透明人間」なんてのは、いい題材だったと思うけどね。直感的にわかったじゃん。

それと、あまりにも子供相手という風になってしまったのも、どうなんだろう? ってところがあったしね。。
当初は、あの当時の他のアイドル同様、高校生や大学生をターゲットにしていたわけじゃん、ピンク・レディーも。 だから、適度なお色気があった。

でも想定外に「コドモ」に受けてしまったというのがピンク・レディーだったわけで・・・。
それとともに、急激に子供相手のようなプロモーションになっていくんだよね。
例えば、「ザ・ベストテン」とかでも、「モンスター」とか、この「カメレオン・アーミー」では、後ろで着ぐるみが踊ってたりさ。

当時は、まさにピンク・レディーの世代真っ只中の「おこちゃま」だったワタシは、あの着ぐるみを見て、かわいいなんて思ったことなくて、逆に「あ、ナメられてる」なんて思ったもんですよ。もっと大人扱いしてくれよ・・・と。

大人になると忘れちゃうけど、子供の感性って、大人以上に鋭いものなんだよね。
それとともに興味が移るのが速い。
79年になると、コドモの興味はピンク・レディーから、「銀河鉄道999」に急激にシフトしていく。

ピンク・レディーのパブル崩壊→失速の一番の要因はこれらにあったんじゃないのかなぁ・・・なんて今になって思うわけですわ。

ちなみに、ベストテンでは、この「カメレオン・アーミー」は最高4位止まり。 ピンク・レディー、ベストテンでは全然ダメだったんですよね。

調べてみると有線とハガキリクエストが弱わかったのね。

まあ、有線が弱いというは、アイドル特有の現象でそれほど珍しい事ではなかったけど、ハガキが弱い、そんなバカな。あんなに人気あったじゃん・・・って感じですよね。
でも、これは、ベストテンの当時の視聴者層を完全に物語っているんだよね。

 当時は高校、大学生がベストテン視聴者の中心だったんですよね。なんせ木曜21時〜っていう時間設定は、当時の小学生にはちょっと遅い時間帯だったわけです。
当時、小学3年、9歳だったワタシも、木曜以外は21時なんて言ったら寝る時間だったしね。
そそそ、ベストテンは親にねだりこんで特別に見させてもらっていたんだよね。
それが、普通だった当時としては、小学生、中学生のアイドルだったピンクレディーは、ベストテンでは全くだったわけですわ。

ベストテンでのチャートアクションと、実際のレコード売り上げの乖離。これがピンク・レディーの本来の姿であり、実はネックだったんだよね。
出し手側は、そこをちゃんと見るべきだったんですよ、本来は。

まあ、今となっては何とでもいえることだけど。。。






しっかし、「激務」がたたって、2人ともこのころが一番「ヤセテ」たらしいですよー。
 たしかに、たまーにVTRをみると、このころ、2人とも骨と皮だけって感じで、今見るとイタイタしいっす。。。
 それとは逆に、踊りの方は、この曲がもしかしたら、一番動いてたんではないかと思うほど、かなり激しかったですよね。

サビの部分 ♪見えつ隠れつ変幻自在 スパンコールのカメレオンアミー ♪ の部分とかさ。。

蛇足だけど、この曲と言うと、90年代に活動していた「オリコンチャート研究会」と言う自主サークルのリーダーだった松永さんを思い出す。
超ピンク・レディーフリークだった彼は、ピンク・レディーの他の曲はいつも完璧に踊っていたのに、この曲だけやりたがらなかったんだよね。
曰く「あんまり覚えてないから」と言ってたけど、本音は、この曲の踊りがきつくてあまり踊りたくなかったみたいだったなぁ。

ちなみに、この曲の踊りという部分では ↓の動画の方がよくわかるかな。
最近の動画だけど。。。






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コスモス街道 / 狩人

1977_09_コスモス街道_狩人


今回の1曲セレクトは、「コスモス街道」狩人です。

まずはデータです。

・タイトル     コスモス街道
・アーティスト   狩人
・作詞       竜真知子
・作曲       都倉俊一
・編曲       都倉俊一
・リリース日    1977年8月25日
・発売元       ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数   42.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1977年9月12日〜11月28日付

結局、この3連休はどこへも出かけず、家でグダグダ過ごしちゃいましたね〜。
夏の疲れが出てきたのかなぁ、腰に痛みが出て来てね〜、ちょっと出かける気が起きなかったんだよな。 まあ、天気もピーカンって言う感じでもなかったしな。

 でも、今年は3連休って言うのが多く、さ来週、また3連休なんだよな。 うーむ、今度はどっか出かけたいですねぇ。

最近は家にいる時は、ロードマップとにらめっこなんだよな。 8月山形行った時もそうやってロードマップとにらめっこしててドライブに出かけちゃったし、今度は、国道254号を使って信州に行きたいな〜。

あーら、今回の1曲セレクトで引っ張ってきた曲の前振りですか〜 

そーです、前振りです〜 

狩人「コスモス街道」

最近は、水森かおりさんが、各地名をタイトルにもってくる「ご当地ソング」を毎年リリースしてますが、そんな水森さんに繋がるような、「元祖」ご当地ソング、アーティスト。 それが、狩人ですわなぁ。

デビュー曲の「あずさ2号」が甲州・松本。 それに続く、デビュー第2弾シングルが、今回の「コスモス街道」。

え? 「コスモス街道」って本当にあんの とか聞かれそうだけど、実際にあるんだよね。 長野県佐久市。

この曲の歌詞にもあるじゃん

♪ 右は越後に行く北の道 左は木曽まで続く中山道〜 ♪ ってさ。 これは、歌詞の中のフィクションではなく、実在してるんだよね。 長野県佐久市の国道254号線。ここ、実際に「コスモス街道」って名称がついてるんだよね。
実際に路の両脇にはコスモスが並んでいて、今頃(9月頃)が見ごろだそう。

「あずさ2号」同様、実在する場所、名称がタイトルについてるだけに、曲にリアリティを感じるんだよな、このヒトたちの、特にこの最初の2曲はさ。

ただ、個人的には、コスモス街道って、国道18号の事だと思ってたんだよ、長い事。

曲出だしに ♪ 日よけを下した白いレストラン 〜 秋の避暑地 ♪ ってあるじゃん。 どう考えてもこれって軽井沢の事だよな。 国道254号は軽井沢通ってねぇぞ・・・とか思っちゃったりしてさ 

それ以前に、この曲、今から41年前の1977年(昭和52年)の曲なんだけどさ、果たして41年前の国道254号って、まだ道悪かっちゃんじゃねぇかな・・とかさ。

今でこそ、片側1車線の「舗装道」で路面もいいけど、41年前の「幹線国道」ではない、特に地方の「一般国道」なんて、そりゃ酷いもんだったんよ。離合困難なほど狭かったり、舗装されてなかったり・・・。

41年前の国道254号はどうだったんだろう? さすがに当時の実際の道路状況を知る由もないけど、ネットを検索してみると、コスモス街道と言われている地区の手前、群馬長野県境の旧国道254号、内山峠は、狭くヘアピンカーブ連続の「酷道」だったようだ。

・・とすれば、そんな所をわざわざ、曲のタイトルに持ってくるかなぁ・・・なんてさ。  

でも国道18号は幹線国道だけに、当時もそれなりに整備されていたはず。 それならこの曲のイメージに合ってたんじゃないかなぁ
もっとも、現在の軽井沢バイパスはまだなく、旧碓氷峠越えの片側1車線道だったはずだけど・・・。

・・・・なんてさ、どーも、穿った見方をしちゃうところは、ワタシの悪癖ですわな〜。


ちなみに、狩人って、長野県が好きで、デビュー曲の「あずさ2号」、この「コスモス街道」もそうだけど、80年には「白馬山麓」なんてシングルも出してたりする。
でも、本人たちは長野出身・・と言う訳ではなく愛知県出身だったりするんだよね。 




この曲、都倉俊一氏の作・編曲なんだよね。
それにしては、かなり「和」が入った作風だよなぁ。 はじめは、おおよそ都倉氏の作品とは思えなかったんだよね。 平尾昌晃氏? っても思える様な作風だったし。

 都倉氏の作品って、もっとバタ臭い、洋楽的な作品が多かったからさ。 この曲が77年の8月25日リリースで。その10日後に、ピンク・レディの「ウォンテッド」がリリースされている。

うん、この「ウォンテッドこそが都倉氏らしい作品だと思えるしさ。 プラス、どこかに似たようなフレーズが隠れいたんだよ、都倉氏の作品って。 これで、「あ、これ、都倉氏」って分かるんだけど、この曲は、都倉氏らしいフレーズが出てこないんだよなぁ。 あ、「あずさ2号」もそう。

それは、メリハリって言う部分でもそう。 都倉氏の曲ってリズム体がはっきりしてる分、メロディラインは意外と平坦な曲が多い。 だからなんだろうけど、曲にメリハリが少ないんだよ。

でも、この曲は別。 mpっていう、優しい感じの出だしから始まって、サビに向かって追い込むようにグワッと盛り上がって行く。
カンツォーネ的な手法って言うかさ。 これは、デビュー曲の「あずさ2号」でもそうでしたね。 ただ、この曲は、「あずさ2号」よりも、スピード感があっただけにサビに向かっての追い込みは迫力がありましたね。

そう言う意味でも、狩人の曲って、通常の都倉氏の曲に比べると、かなり特殊な作り方だったんじゃないかなぁ。

で、こういうカンツォーネ型の盛り上がりは、1977年当時のヒット曲の一つの流行りだったんだろうね。 それがもっとも顕著だったのが、この曲と全く同時期に大ヒットしてた、松崎しげる氏の「愛のメモリー」だったしさ。 



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ブルドッグ / フォーリーブス

1977_07_ブルドッグ_フォーリーブス


今回の1曲セレクトは、「ブルドッグ」フォーリーブスです。

まずはデータです。

・タイトル     ブルドッグ
・アーティスト   フォーリーブス
・作詞        伊藤アキラ
・作曲        都倉俊一
・編曲       都倉俊一
・リリース日    1977年6月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 40位
・売上げ枚数   6.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 33位


さて、本日2本目の1曲セレクト。 本来だったら1日1本書くのが基本で、2本は書かないんだけどさ。この先の事を考えてとりあえずは書いとこうか・・・と思い立ちーの、またまたPCに向かっておりまする。

いや、この先の自分の「予定」を考えると、今日書いとかなきゃ、またずっと先だな〜・・・と言う思いもあったりしてさ。

そう思って引っ張ってきた曲が、 フォーリーブス「ブルドッグ」

いやー、予定調和的な書き方だなぁ・・・って予定調和です  いや、前々から書こうと思ってたの、この曲。

というか、本当は去年書こうと思ってたんだよね。 たださヒット時期間違ってたんだよな、この曲の。

この曲のリリース、1977年9月だと勘違いしてたんだよね。なので、秋に書こうとしてたの。 で、いざ、書こうと資料調べたら、リリースは1977年6月なんじゃんか・・・。 うーむ77年「夏」のヒットだったのね。。。。

・・・っつうことで、1年待ってたのよね。

何分、77年は、まだヒット曲の世界に足を踏みいれてなかったもので・・・。 勘違いが多いのよね。

ただ、曲自体は、大分昔からしってたな、この曲。 まあこの曲の「存在」を知ってたってだけで、実際の曲を聴いたのはだいぶ後だったけどさ。 

「存在」っていうのは、この曲、ジャニーズでは脈々と歌い継がれてきている曲だからなぁ。今でも、まだオリジナルが少ない時期は、この曲歌う、ジャニーズの面々って多いんでしょ? 
個人的にはトシちゃんがステージで良く歌っているって言うのを「明星」でしったのが、最初だったかもしれない。

実際、フォーリーブスのオリジナルを聴いたのはかなり後になってからだったと思う。大学生の頃だったかなぁ・・・確実に90年代に入ってからだったと思うけど・・・。

なるほど、大分ヘヴィーな曲だなっていうのが、率直な感想。 イントロからしてヘヴィ。かつ、16分音符の細かいフレーズが続くイントロっていうのも、当時としては珍しかったんじゃないかなぁ。

ただ、とこを切っても「都倉節」だよね・・・っていうのは感じちゃっりね。 そそそ、当時の都倉氏の流れから言って、どうしてもピンク・レディーなフレーズからは切っても切り離せないんだよなぁ。

例えば、 サビ前のBメロのメロディラインとかリズム隊は、次年、78年の「透明人間」を予感されるようだしさ。

まあ、今となっては後出しジャンケンではあるけど、イントロからして、「あ。これって都倉氏」だよね・・・っていうのが一聴してわかっちゃう。 そんな曲なんだよなぁ。

ただ、↑でも書いたように、ここまでへヴィーで、かつ暑苦しい温度感の曲って言うのも珍しいけどね、都倉氏の曲では。
うん、曲想からしても、「真夏」・・それも熱帯夜、あのジトーッっとして湿気感を感じるところからして、「夏曲」たわな。っていうのは分かりそうなもん。 なんで、個人的に9月リリースだと勘違いしてたんだろ?


曲調的には、いいのか悪いのかと良く分からないんだよなぁ、この曲。77年って言う時代感は充分に感じるけど、それ以上のモノは特段感じないし・・・。 あ、これは曲調的なところね。 
おそれらくは、だからこそ、長年ジャニーズで歌い継がれているとは言っても、オリコンでは最高40位に留まったのかもしれない。

そそそ、オリコン最高40位ですよ。 いまのジャニーズじゃ、絶対に考えられないような結果だよなぁ。

フォーリーブスのオリコン最高位は71年7月リリースの「夏の誘惑」の10位。ベストテンギリギリなのよ。

レコード売り上げだけを見ると、そんなもんだったのよね、フォーリーブスって。

・・・・なんて書くと、長年のジャニーズファンから袋叩きにあいそうだけど・・・。


ただ、言える事は、そんなオリコンのチャートアクションから見て、当時はジャニーズもまだまともだったと言えるでしょうね。  いや、逆に言うと、そこまでの力は無かったんだろうね。 だからこそ、郷ひろみ氏がジャニーズを抜けるのを止められなかったんだろうし、その後たのきんが出てくるまでの期間は、低迷期が続く訳でさジャニーズも。

当時はジャニーズより「怖い」ゲ―ノー事務所は他にいっぱいあったと言う訳よ。

たからね、70年代、ジャニーズに圧力をかけられてメジャーになれなかったアイドルとかさwikipediaに書かれてる事があるけど、それは間違いだと思うんだよね。 まあ80年代以降はそうであってもさ。


あ、話が少し脱線した。。。
フォーリーブスがレコードが売れなかった訳。
まあ、今とレコードに対する価値観が違うからなぁ・・・・・。 つまりさ、フォーリーブスって、当時の10代に熱狂的に支持されていたアイドルだった訳だけど、当時、アイドルを標榜としていたファンのコ達が果たしてどの程度レコードを求めていたかっていうと、それほどでもなかったんじゃないかって思えるんだよね。

今と同じで、レコードを買って聴くと言うよりは、テレビだった、雑誌だったり、コンサートに行ったりもっとビジュアル的に応援していた人たちが圧倒的だったんじゃないかなぁ・・って思える訳さ。

だから、レコード売り上げはこの程度でも紅白に7回も出てたりするしさ。



うーむ、でも、改めて聴くと↑で、「良く分かんない」って書いたのは、ちょっと間違いだったかなぁ。
間違いなくインパクトはあるわな。 逆に言えば、なぜにもっと売れなかったのか・・っていうのが不思議なくらい。

前回書いた、シブがきの「月光淑女」は、シンク゜ルとしては今一つまとまりが感じられないって書いたけど、この曲は、どう聴いてもシングル的な曲だよなぁ。曲としての尖り具合、まとまり、インパクトどれをとってもアルバムの中の1曲とは思えない。

やっぱ、それだけでは売れない・・・って言うところなんだろうね。

それにしても、曲のインパクトな比べると、歌詞の方はやっぱし意味不明なんだよな。 「歌謡曲完全攻略ガイド」にもあるように、 なんで、「にっちもさっちもどうにも ブルドッグ」なのか。 っていうのが、良く分かんないし。。。  その部分のゴムベルトを使っての踊りも良く分かんないし・・・。

まあ、深く考えない方が良いのかもしれないけど・・・・。


ところでフォーリーブスって、今のジャニーズの源流となっているグルーブには間違いないんだけど、そのグループ構成って、今は変わんないんだよねぇ。

つまりさ、リーダータイプが居て、顔がキレイな二枚目が居て、普通な奴がいて、風来坊(ヤンチャ)タイプが居て・・・ってさ。
フォーリーブスでは、二枚目タイプのおりも政夫氏が居て、やんちゃな北公次が居て、優等生タイプの青山孝氏氏が居て、普通タイプ(と書いたら失礼か)の江木俊夫氏がいる・・・って感じてさ。

グループ内の性格構成は、このころから、最近のSMAP、嵐・・・にいたるまで変わってないんだよな。 まあ、最近のジャニーズグループには、三枚目というか「ボケ」役的なメンバーがいるっていうところは、当時はちょっと変わっているところではあるけどさ。

まあ、こんなところもジャニーズに脈々と受け継がれている歴史と言うところでしょうかね。



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青い果実 / 山口百恵

1973_09_青い果実_山口百恵

今回の1曲セレクトは、「青い果実」山口百恵です。


まずはデータです。

・タイトル    青い果実
・アーティスト  山口百恵
・作詞      千家和也
・作曲      都倉俊一
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1973年9月1日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数 19.6万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年10月1日、10月15日〜10月22日付

この間書いた安室奈美恵さんの人気がある中での電撃引退。 まあ、人気がある中電撃的に引退を発表なんてのは、歌い手以外、女優であったりアスリートであったり人気者って言うところから見れば、これまでもいくつもあった訳なんで、そうそう衝撃的な事実でもないんだろうけどさ、ここまでニュースが広がって来たってことは、やっぱり衝撃的なニュースだったんだろうね。
 今週のレコチョク週間ダウンロードランキングをみても、ベスト3すべてが安室の曲で占められているって事から見てもさ、やっぱり衝撃的な事実だったんだわなぁ・・・って事が良く分かるわな。

やっぱり一時代を築いた「ディーパ(歌姫)」の引退って言うのは、いつの時代も衝撃的なんですねぇ。
でぇ、もって・・・・。振り返ってみれば「ディーパ」の人気最高潮での電撃引退って言えば、やっぱ山口百恵さんは外せないところだよなぁ。

79年の結婚発言、それに伴う電撃的な引退発表・・・。そして80年10月の引退。 あれから来月で丁度38年ですわ。

・・・ということで、今回の1曲セレクトは、久々に山口百恵さんの曲を持って来ましょうか。。。

でもねぇ、百恵さんの曲の主だったところは、もうすでに書いてるぞよ・・・。 と思ったんだけども。。。
個人的にタイムリーで聴いてたのは、77年頃からだからさ、それ以後の曲はほぼ書いちゃってるんだけども、それ以前の曲は、逆に、まだほとんど書いてないんだよな。。

なんで、丁度いい機会ですわ、「最初期」のヒットを持って来ましょうか。

「青い果実」

いや、でもねぇ、タイトルを持ってこられても、もしかするとちょっと「ピン」と来ない方もいらっしゃるかもしれない。
実際、ワタシも曲を聴くまでは「ピン」と来なかったヒトの一人でして。。。

ま、曲を聴けばね、「あ、あれね〜」っていうのは一目瞭然なんだけどさ。

いや、正直言うと70年代前半の曲って、未だに意外とそう言う曲が多いんだよな。タイトルだけだと「?」なんだけど、曲を聴けば「あ、あれねー」ってやつ。アイドルでもニューミュージックも問わずさ。

やっぱ、まだ物心ついてなかった頃なんでねぇ、70年代前半は。

あー、話がずれた。

で、「青い果実」ですわ。 この曲は歌詞が刺激的・・・ってことで、当時話題になった曲ですわ

そそそ、Aメロ出だしの 

♪ あなたが望むなら 私何をされてもいいわ〜 いけない娘だと噂されてもいい〜 ♪

ってところですね。

ま、今、活字かくと、全くピンと来ないところもあるんだけど・・・。 当時はこれでもコペルニクス的な衝撃だったわけです。

つまりさ、あなた(彼氏)が望んでるなら、ワタシはSEXでも、なんでもやるわ〜 って事ですわな。

ここでは、これまでも何回も書いた事だけど、当時「アイドル」ってヒトたちは、本当の意味でのアイドル⇒偶像 だったわけですわ。 そそそ崇拝に値するお方ですわ。

最近、ネット上ではよく「ネ申」っていうでしょ。 当時のアイドルってある意味、本当の「神」だったわけですわ。
そんな「神」なお方は世俗的で汚らわしい態度は取らない・・・って訳ですわな

「アイドルはウンコしない」って本気で思われてたところがあるんだから  

バカヤロー、ウンコしなきゃ人間死んじまいまっせ・・・なんて、今では幼稚園のクソガキでも誰でもそう思うでしょ。でもさ、当時はそうじゃなかったんだよね。

ま、言ってみれば、今の「2次元」的な捉え方だったんですかねぇ。アニメではなく生身の人間なんだけども「2次元」的っていう・・・。 それだけ「テレビの中の世界」っていうのは遠かったって事ですね。

最近NetflixのCMで、さんまが「俺らの頃はテレビに出てるって凄かったから・・・」って語ってるでしょ。 あれですわ。

そんな別世界な「偶像」であるお方が、「あなたが「したい」と思ってるなら、ワタシはSEXでもなんでもボロボロにされてもいいんだから」なんて「世俗」な事をテレビから語って来る。 これは衝撃的だったんですわ、当時としては。 「SEX」なんて少なくともアイドルの世界ではタブーでしたからねぇ。

「青い性」って言われましたよね。

山口百恵さんは当時15才。中学3年。 桜田淳子さん、森昌子さんとともに「中3トリオ」って言われ始めてた頃ですわ。


でもね、山口百恵さんも初めからこういう「青い性」を売りにしていた訳ではない訳で。。。

この「青い果実」は、デビュー2弾シングルですわ。 デビュー曲は、この曲の4か月前にリリースされた「としごろ」って曲

↓ コレ


これが、健全でめっちゃ明るい曲なんですわ。 70年代アイドルの王道ていうかね。
ただ、これが売れなかった。 

なぜか? 同じスタ誕出身で、デビューが3ヵ月先行していた桜田淳子さんに曲のタイプが似ていたってのが゜、おおよそ言われている事なんだけどね。

桜田淳子さんって、後年こそ某宗教に走ってしまい、「宗教的」「小難しい」っていう「陰」のイメージが強くなっちゃったけど、デビュー当時は太陽な明るさ、スマイルっていう、めっちゃ「陽」なイメージだったんですよね。
現にそれで「人気を獲得」した部分も強かった訳でさ。 アイドルとしては超優等生タイプだったわけです。

山口百恵さんは、それを凌ぐだけのキャラクターを持っていなかった。しかも、デビュー時期が淳子さんより後発だったしね。
 だから同じ「陽」の部分をいくら強調しても桜田淳子さんを超えられないし、なにより百恵さん自身にとっても曲がしっくり来てない。。。

・・・そういうことで、第2弾シングルは、路線変更をせざるを得なかったってわけですわ。

で、行き着いたところが、当時はアイドルのヒトたちにはタブーとされていた「性」を売り物にするって言う路線ですわな。
「陽」とは正反対の「陰」の部分を強調する事。 まあ、百恵さん自身、見た目華やかなルックスではなかったし、逆に言えば、どこか「影」がある印象だったしね。だから「陰」を強調するしかなかったって事でもあるんですよね。 

まあ、結果ここまで大変身なくても・・・とも思えたりもするんだけど、結果、これが「当たった」ってことでさあ。
やっぱやるからには大胆にってわけですわな。何事も中途半端はダメってわけなんだろうねぇ。

第2弾のこの「青い果実」で、初のオリコンベストテン入り。

当初、人気と言う面では、先行デビューしていた、森昌子さん、桜田淳子さん、を追いかける立場だったんだけど、この曲のヒットでかなり追い付いたんですよね。

しかも同じアイドルポップ路線ということで、最大のライバルだった桜田淳子さんよりも、ベストテン入りと言う面では「先行」しちゃったわけでさ。

そそそ、この曲がベストテン入りした時点では、桜田淳子さんは、まだベストテンヒットを出してなかったんですわ。

うーん、73年の新人賞を総ナメにし、この年の新人王間違いなしの桜田淳子さんから見ると、もしかすると、これは意外な事実かもしれないけどさ。

まあ、この年の12月には桜田淳子さんの第4弾シングル「花物語」がベストテン入りし、僅か2ヶ月で追いつくんですけどね。

いずれにしても「中3トリオ」の人気が「ホンモノ」になり始めて来ていた頃のお話ってわけです。


 
この曲、都倉俊一先生の曲だけど、この曲の頃は、まだピンク・レディーの匂いは感じないんだよね。
個人的に都倉俊一氏っていうと一連のピンク・レディーの匂いを感じちゃうんだけどねぇ。

いずれにしてもこの曲の成功で、この先も「青い性」路線が続き、次の年の「ひと夏の経験」で、この路線が「大爆発」。伝説の歌姫への道を辿ることになる百恵さんです。

ちなみに、デビュー第2弾シングルでブレイクした女性アイドルは「大物」になるっていうジンクスは、この「青い果実」の百恵さんから始まり、後に松田聖子さん、中森明菜さん・・・と引き継がれることになるんですわ。



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バイブレーション / 郷ひろみ

1978_05_バイブレーション_郷ひろみ








今回の1曲セレクトは、「バイブレーション」郷ひろみです。

まずはデータです。

・タイトル     バイブレーション
・アーティスト   郷ひろみ
・作詞       島武実
・作曲       都倉俊一
・編曲       船山基紀
・リリース日    1978年3月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  21.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1978年4月3日~5月15日付

今回の1曲セレクトは、ここ暫く70年代の「アイドル」な曲を書いてなかったんで、久々に70年代アイドルへ遡ってみますかね。
 まあ、70年代と言っても、個人的に「リアルタイム」な曲となると、70年代後半になっちゃうんで、どうしてもその時期になっちゃうんだけど。。。

はい、今回は郷ひろみ「バイブレーション」

この曲は1978年の今頃のヒット・・・・とずっと記憶してたんだけども、実際は、ヒットのピークは「4月」で、ゴールデンウイーク明けの今頃は、ランクも下降線だったんだよね。
 どうもね、リリース時期を1カ月間違えて記憶していたようなんだよなぁ。 そそそ、この曲のリリースばずっと、1978年の4月21日だとばっかり思ってたの。
だから、5月に入って書けば、ちょうどヒットのピーク時期だな・・・なんて思ってたんだけどねぇ。

どうも、1978年の今頃の曲ってヒットの時期を「ズレ」て記憶している曲が多いんだよな。
例えば、西城秀樹氏の「炎」も、「5月」のヒットだとばっかり記憶してたんだよねぇ。 だから、この「バイブレーション」と、「炎」はヒットの時期が被ってた・・・なんて思ってたんだけど、実際はちょこっとズレてたんだよね。

まあ38年も前の事なんで、記憶もあいまいになるよなぁ・・・なんて言うのは自己弁護だったりするんだけど。。。
 やっぱ、リアルタイムで聴いてた曲と言っても、正確に言えば、ヒットのピークの時期は、まだ「ヒット曲」の世界に入ってなかったからなぁ。記憶も曖昧になっちゃうんだよな。

ところで、以前から、個人的には、昔、郷ひろみ氏の曲はあんまり好きじゃなかった・・・と書いてるワタシですが、当然この曲についても、当時は、あんまり興味なかった・・・と思う。

なぜなのかなぁ? まあ、ガキの頃には生理的には合わなかった・・・としか言いようが無いのかもしれないけど。。。でも、西城秀樹氏の曲は好きだったんだよね。 

恐らくガキの頃は生理的にヨーロッパ系なイメージの曲が好きだったのかもしれない。

この「バイブレーション」もそうだけど、このころの郷ひろみ氏の曲って、カラッとしたイメージでヨーロッパ的な匂いがしないからさあ。
 ・・というか「○○的」っていう匂いがあんまりしないんだよね、都倉氏の曲って。かといって無国籍的でもないし。。。
 ま、ともかく、この時期の都倉氏の曲って、どの曲もかなり似てましたよね。温度感・・・というか湿度感がカラッとして、メロディラインもどこかピンク・レディーで聴いたような・・・っていう独特の都倉カラーで。
 ま、それが都倉氏の作るメロディの特徴だったかもしれない。当時、ピンク・レディーの曲に積極的な興味がわかなかったのも、そう言うところからだったんだろうなぁ。
 郷ひろみ氏の曲も、もう少し前の時期の筒美京平氏が作ってた頃の曲は、もっとヨーロッパ的・・というか、これも当時の筒美氏の特徴である、バタ臭いイメージだったんだけど、個人的には、こちらの方が生理的にはあってたんだよね。

どうなのかなぁ、歌謡ポップスの王道というか、この間も使ったコトバで恐縮なんだけども、軽薄短小なイメージだったりしたのも、当時は今一つしっくりこなかったのかもしれない。
 そう言う意味では、80年代のトシちゃんの曲も、もう少しリアルタイムで聴くのが遅かったら、そんなイメージだったのかもしれないなぁ。

 そう言う意味では「立ち位置」として、新御三家の中の郷ひろみと、たのきんトリオの中の田原俊彦って似たようなポジョンって見られていたのはあながち間違いじゃなかったような気もするんだよね。

楽曲のバリエーションとしても、郷ひろみ氏、田原俊彦氏も、「3人組」の中では一番バリエーションに富んでて、
今聴き返すと、一番飽きが来ないしね。

もちろん、当時は生理的にあんまり受け入れられなかったこの曲も、今では好きですよ。音源も持ってるしね。 


ちなみに、ランキング的には、オリコン(レコード売り上げ)では、それほど目を見張る所はなく、最高位も6位にとどまっているんだけども、その他の要素を含めた総合チャートでは軒並みベスト3入り果たしているんだよね。
 これは、当時のラジオチャート、有線でも結構人気があったのよ、この曲。 「ザ・ベストテン」でも、最高3位まで行ってるしね。

 今は、アイドルといえば、レコード(CD)売り上げがメインのヒットチャートではあるけども、当時は、レコード売り上げは、今ほどは重要なファクターじゃなかったんだよね、アイドルは。
1年に一度、「勝負曲」でバシッと売れれば、「つなぎ曲」ではそこそこ売れればいい・・・と。 その辺が当時と今との意識の違いだろうな、売り方としての。
 まあ、当時は「国民的」な大ヒット曲が多く、A級アイドルといえども、簡単にオリコンの上位に立てなかった・・・ってくらいランキングに重みがありましたからね。
 もちろん、ピンク・レディーは別格として。。。なんせ1978年のオリコンのレコード売り上げシェアには邦楽、洋楽っていう大別ジャンルの中に「ピンク・レディー」っていうジャンルが存在してましたんで。。。。




動画、めぼしいのはこれしかなかったんだけど、少し前だったら、これすらなかったようなんで、今回かいて正解だったかもな。。。。


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S.O.S / ピンク・レディー

S_ピンクレディー






今回の1曲セレクトは、「S.O.S」ピンクレディーです。

 まずはデータです。

・タイトル    S.O.S
・アーティスト  ピンクレディー
・作詞      阿久悠
・作曲      都倉俊一
・編曲      都倉俊一
・リリース日   1976年11月25日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   65.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1977年1月17日〜3月28日付

ネットニュースを見てたら、「「放送禁止用語」の厳しすぎる自主規制」なんてのがあった。

http://www.oricon.co.jp/news/2066437/full/

最近は、ほんの些細なことで放送自粛、あるいは放送禁止に陥る番組、あるいは音楽の類が増えてきている。言論、表現の自由はどこに?  と憂れいている記事ですわ。

 もちろんそこには、放送禁止曲も含まれているわけで。。。

 一時期、「放送禁止」曲は無いに等しくなった時期があった。 大昔は、民放連が発足させた「要注意歌謡曲指定制度」なるいわいるブラックリストが存在してしており、このリストに載った曲は、放送できない、あるいは放送自粛・・といういわいる「放送禁止」曲だったんだよね。
 リストに載せる基準としては、表向きは、体制批判、被差別部落、天皇批判、風紀凌辱・などなど、まあ、「ニッポン国民」として清く正しく生きている、清廉潔白なお方たちから、すぐクレームが来そうな内容が含まれている曲・・・と言う事ではあったんだけどね。

 たしか、その基準が1983年に改正になり、だから、それ以後リリースされた曲で「放送禁止」になった曲はないはずだし、以前、「放送禁止」扱いになっていた曲でも、1983年以降、現在でも放送しても、特におとがめは無い筈なんだけどね。

例えば、最近は、紅白でも堂々と歌われ、それこそ時の曲となった、美輪明宏の「ヨイトマケの唄」も、昔は放送禁止扱いだったわけだから。。。40年前のNHK会長が昨今の紅白を見たらひっくり返るだろうね。
 歌詞に出てくる「土方」っていうコトバや、タイトルにもなっているヨイトマケが差別用語、あるいは部落差別に当たるってことで放送禁止ですよ。

 昔はさ、それこそ、放送禁止、発売禁止の嵐ですよ。なにせ、「放送禁止曲」なんて、本もあるくらいだからさ。ふらふら
 詳しくはさ、この本に詳細な事情は載ってるから、興味がある方は読んでみてくだされ。

でも、そんなブラックリストが存在しているっていうのは、当時のアーティストだったら誰でも知っていたことだし、それでも、「放送禁止」曲を量産していたアーティストが存在していたわけだから、昔はもっと体制に対して大らかだったんだよね。いつからだろうね、こんな些細なことにギスギスした空気が流れるようになったのは。。。。

だから、最近の曲は、当たり障りのない内容の曲しか出てこないんですよね。


 で、もって、今回の1曲セレクトは、ピンクレディーの「S.O.S」。


え? 放送禁止曲とピンクレディーの「S.O.S」ってどんな関係があるの? 一見、放送禁止曲とは、全く関係なさそうな曲なんですけどねぇ・・・。なんて言われちゃいますかねぇ。


・・・・つか、当時 頻繁にかかってましたよ。今でも、地方局にいけば、たまにかかるんぢゃないですか。

 そんぢゃ、放送禁止ぢゃないじゃん・・・・。

・・・ってことなんだけど、これがですねぇ、オリジナルに入ってる、イントロ最初の「モールス信号」音の部分「のみ」が放送禁止なんですねぇ。

 まあ、ちょっと歌謡曲に詳しい方だったら、これは、「常識、常識」ってレベルかな?

 うん、たしかに、レコードは、イントロは、モールス信号音で始まるんですよ。
 でも、放送局用に配布した、サンプル盤は、このモールス信号音を抜いたバージョンなの。

 だから、有線放送やラジオでは、このモールス信号の部分はかからない。

まあ、本物のモールス信号と紛らわしい・・・ってことで「放送禁止」なんだよね。


 でも、これは、作り手側が「わざと」モールス信号を入れたんだよね。
 
 モールス信号音を入れれば、そこは「放送禁止」になるだろう・・・ってのは、前々から分っていたの。

 だから、それを売り出す戦略にしよう・・・っていう逆転の発想からなんだよね。

 この曲はピンクレディーの第2弾シングルなんだけど、この曲をリリースする段階・・・というか、制作する段階では、まだ、ピンクレディーってマイナーな存在だったんですよ。

 そそそ、デビュー曲の「ペッパー警部」もベスト100の下のほうでくすぶっている状況で・・・。

 だから、第2弾を制作する段階では、何か、話題づくりが必要だったんだよね。ま、そういうこともあって、ワザと放送禁止にするように仕組んだ・・・って訳ですわ。
(ちなみに、今は規制は無し・・・というか、当時も「問題なし」だったらしいんだけど、レコード会社側が自主的に放送禁止にしたらしい)

 でも、それも、杞憂だったんだよね。なぜならさ、この曲は1976年11月25日リリースなんだけど、その頃になって、急にフィーバーし始めたわけなんですわ、ピンクレディーが。。。

 まさに「ブレイクスルー」な時期が、このころ。

 だから、こんな工作も、結果的には全くの無駄足だったの。。。

 でも、モールス信号音を入れたことで、「S.O.S」っていうタイトルがそれらしくなったのは確かだよね。

 何分、曲自体は、デビュー曲の「ペッパー警部」に比べたら、全然大人しかったからねぇ。
 
・・・・というか、「ペッパー警部」がハイパー過ぎたんだよね、当時としては。

 だから、当時のアイドルのレベルに落ち着いた・・・って言えるのが、「S.O.S」なんじゃないかなぁ。

 で、まあ、この曲を挟んで、次の「カルメン'77」から怒涛のピンクレディー旋風が始まるわけなんだけどさ。

 その間の、つかの間の「息抜き」だったのが、この曲なんぢゃないかな?


 あ、個人的には、当時は、この曲のほうが「ペッパー警部」より好きだったんだ。なんか、等身大っぽかったじゃん。アニメの主題歌っぽいというか・・・。子供向けというか。
 「ペッパー警部」が当時7歳のコドモだったワタシにとっちゃ、オトナっぽ過ぎたんだよね。。。




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ペッパー警部 / ピンク・レディー

1976_12_ペッパー警部_ピンク・レディー






今回の1曲セレクトは「ペッパー警部」ピンク・レディーです。

まずはデータです。

・タイトル    ペッパー警部
・アーティスト  ピンク・レディー
・作詞      阿久悠
・作曲      都倉俊一
・編曲      都倉俊一
・リリース日   1976年8月25日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   60.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1976年11月29日〜1977年1月31日付


えー、唐突ですがピンク・レディーでっす。
なぜに、このタイミングでデビュー曲の「ペッパー警部」なのか・・と言うと、ピンク・レディーが「初」のベストテン入りを果たしてから、丁度、39年なんですねぇ。
そそそ、オリコンで、初めて「ベストテン」入りしたのが、1976年11月29日付チャートなんだよね。 

あれから39年。ここから、ピンク・レディー伝説の始まったといっても過言ではないですな、

いや、逆に言うと、この「ペッパー警部」ってリリースは8月25日だから、リリース後3ヶ月も経ってからのベストテン入りのわけですよね。

 そう、後々、モンスター現象をおこすピンク・レディーも、最初は意外と泣かず飛ばずだったのですヨ。
ま、そもそもリリースしたビクターも最初は、売れるとは全く思っていなかったらしく、イニシャルは3千枚。当時としては最低ラインでのリリースだったようですね。

そんな訳なので、プロモーション費も潤沢に出る訳もなく、火が付くまで3ヵ月もかかったという訳なんだよね。

ま、逆に言えば、そんな状態で、よく火が付いたな・・・って感じもするんだけどさ。

 当初、ターゲットはあくまで「大人」だったんですよね。踊って歌えるっていうコンセプトはあったけど、最初から「子ども」向けに狙ったわけではないんだよね、ピンク・レディーって。

 この「ペッパー警部」だって、曲調からして、子どもを狙ったって言う感じではないもんね。

 でも、意外にも「火」をつけたのは、当時の子供だったんだよなぁ。そそそ、今のアラフィフ世代ですね。丁度ワタシ達の世代ですわ。 これは飯田久彦氏を初め、仕掛け側は、全くの意外だったようですけどね。

 ただ、言えることは、この当時のほかのアイドルからすると、曲の発想は斬新だった気はするなぁ。
 今からすると、そんな感じはあまりしないけど、まず、曲のスピード感があるんだよね。16ビートで流れるサビなんて、めっちゃスピード感を感じるもんね。 この当時のほかのアイドルの曲と比べるとさ。
 大体、16ビートを持ってきてたアイドルなんて、他にいなかったし・・・・。

 でもまあ、このスピード感とビジュアル感っていうのが、大人というより、新しい感覚をもった当時の「子ども」に受けたのは間違いないよねぇ。 仕掛けた側は、全く意外だったようなんだけどさ。

 でも、子どもに受けると、あっという間にブームになる。 うん、まあ、子どもというよりもティーンエイジャーに受けるとっていうことなんだけど、これは、昔も今も変わんない傾向ではあるよなぁ。兎に角アクティブ性は高いからさぁ。

 いやいや、子どもに受けるってことはアクティブ性が高いっていうのが見えたのは、このピンク・レディーからではないかなぁ。

 まあ、このあとのヒット曲界にいろいろな意味で影響を与えたのは周知のごとくだけど、その伝説は、39年前のオリコン11月29日付けランキングから始まったといってもいいんではないかなぁ。

 そして、イニシャル3千枚だった、この曲は、最終的には60万枚の売り上げに化けることになったわけで。。。これも伝説だろうな。


 ちなみに、当時、ワタクシはというと、ヒット曲には全く「無縁」な生活でしたねぇ。もちろんピンク・レディーなんぞ、まったく興味を示さない、「ポールモーリア命」のませガキ、というか、いやなガキでしたわ。 いま思うと。。。
 



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ハリウッド・スキャンダル / 郷ひろみ

1978_11_ハリウッドスキャンダル_郷ひろみ






今回の1曲セレクトは、「ハリウッド・スキャンダル」郷ひろみです。

まずはデータです。

・タイトル    ハリウッド・スキャンダル
・アーティスト  郷ひろみ
・作詞      阿木耀子
・作曲      都倉俊一
・編曲      都倉俊一
・リリース日   1978年9月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 13位
・売上げ枚数   13.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位

 メインPCのハードディスクの寿命⇒交換⇒システム再セットアップで、ここ数日間、きちんと1曲セレクトが書けなかったんですが、ようやく、新しいハードディスクの交換が済んだので、いつも1曲セレクトに戻ろうかと思います。

 でぇ、その1曲目なんですが。。。。これもちょっと悩んだんですよね。
 うん、で、どうしようか・・・と。1979年、1982年当たりは、まだ書きたい曲があるけど、困った時の・・・だからさ。ちょっと、外して、1978年の曲を持ってきましたわ。

 郷ひろみ「ハリウッド・スキャンダル」 

 時代的に言うと、この間大橋純子「たそがれマイラブ」の時にも書いたんだけど、丁度、ワタシが「ヒット曲」の世界にドップリつかり始めた頃ですね。

 でも、この曲、かなり後まで、記憶になかったんだよなぁ。・・・というか、タイトルを聞いても曲が浮かんでこなかったの。 曲を聴けば、「あ、そういえば、こんな曲があったな」って思い出したんだけど。。。

 何度も書いてるけど、新御三家の中では、かなり西城秀樹派で、野口五郎も郷ひろみも、あんまりあのころ興味がなかったっていうのもあったかもしれない。

 証拠に、初めて「ザ・ベストテン」を録音した時(1979年2月8日放送分)、10位の「地上の恋人」(郷ひろみ)と8位の「送春曲」(野口五郎)は、録音してなかったりする。。。
 ちなみに、9位の「遥かなる恋人へ」(西城秀樹)は、きちんと録音してある。。。あせあせ


 だから、当時は、この曲もあんまり、関心なかったのかもしれないな。


 改めて、「あ、いい曲だな」と思ったのは、大学に入った頃かなぁ。当時、フジテレビの月曜深夜に放送してた「19××」の「1978年」特集の時だ。

 まず、タイトルと中身に、ずげぇ「ギャップ」があるなぁ・・とは思ったんだけど・・。
 「ハリウッド・スキャンダル」? ・・・ってことで、「ダイバード」とか、あの辺のアクションもののイメージが浮かんでくるんだけど、全く違うんだよね。

 なんつぅうの? タキシードが似合いそうな大人のムード。一昔前だったら、尾崎紀世彦が歌いそうな・・・。エンターテイメントの局地のような曲。ただ、会場の真ん中にミラーボールが回っているような・・・。
 わりゃりゃ・・・それこそキャバレーやないか!? じゃなくて、もうちょっと高貴なホールってイメージやね。


 ジャケ写が「サタデーナイトフィーバー」のジョントラボルタのパクリで、いかにも時代を象徴してるけど、だからと言って、ディスコ物でもない。

 そんな矛盾だらけの曲なんですよ。でも、そこが面白かったね、逆に。

 これで、曲も「サタデーナイトフィーバー」だったりしたら、それこそパクリじゃんで終わりそうなんだけど、ワザとはぐらかしてる様な気もする。

 それとも当時の「ハリウッド」のイメージってこんな、エンターテイメントな感じだったのかしらん? いや、さすがにそれはなかったとは思うけどねぇ。。


 このころの都倉氏といったら、ピンクレディー一色だったけど、全くピンクレディー色が出てこないところがいいんだよね。
 完全にピンクレディーより一段高いところのエンターティナーを意識したつくりになってるもの。
 
 ある意味、都倉氏にとっても気分転換で書いているようなラフさもところどころ見られる。


 だけど、郷ひろみにとっては、この曲と出会ったことによって、エンターテイメントっていう世界を一段階、高いところから見れるようになったんではないですかねぇ。

 まず、それまでの筒美京平氏に曲を提供されていた時代とは、全く異なるようなチャレンジ曲でしたからね。

 まあ、ファンは、それによって戸惑ってしまったのか、この曲から暫く、売上げは低迷してしまう。

 ただ1年後、やっぱり、エンターテイメント感いっぱいの「マイ・レディー」で復活するわけだから、やっぱり、この曲を経験することによって、郷ひろみってエンターテイメントの考え方が変わったんじゃないかなぁ。

 それ以降は、より、ストイックにエンターテイメントを追及して行く方向に向き、孤高の人になっちゃったもんね。


 まあ、いい意味でも悪い意味でも一つのターニングポイントになった曲でしょうね。郷ひろみにとって。





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