かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

近藤真彦

スニーカーぶる〜す(別テイク) / 近藤真彦

1982_04_ふられてBANZAI_近藤真彦


今回の1曲セレクトは、「スニーカーぶる〜す」近藤真彦です。

まずはデータです。

・タイトル     スニーカーぶる〜す
・アーティスト   近藤真彦
・作詞       松本隆
・作曲       筒美京平
・編曲       戸塚修
・リリース日   1982年3月31日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 -  位
・売上げ枚数     - 万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 - 位

・・・と書いて、ちょっと待て〜〜  って普通思いますよね。 少なくとも80年代を知ってる方なら。

そもそも、まっち先生の「スニーカーぶる〜す」のリリースは「1980年12月12日」であり、↑のリリース日も違ってるじゃん。
それ以前に、なに? オリコン最高位も売り上げ枚数も 「−」になっているのは

もっと、細かい所を指摘するなら、アレンジャーが「馬飼野康二」氏ぢゃないじゃん。。。

・・・なんて、あたりがクレームが来そうな所かなぁ。。

But But 、間違ってないですから。

うん、当時の事をちょっと知ってる方なら、このタネあかしは、知ってますよね。

これは、まっち先生のデビューシングルとして、公式にリリースされたテイクとは別テイクの「スニーカーぶる〜す」のことを指している訳です。
そそそ、シングル「ふられてBANZAI」のB面に収録されているバージョンの「スニーカーぶる〜す」。

いや、正式に言えば、元々・・・というか、最初に出来あがったテイクの「スニーカーぶる〜す」は、こちらの戸塚修氏がアレンジしたテイクであり、世に出ている「スニーカーぶる〜す」は、このテイクからさらに手を加えた「後発」テイクということになる。

ちなみに、このバージョンを「スニーカーぶる〜す Part2」って言ってるヒトもいるけど、これは間違い。
「スニーカーぶる〜す」の大ヒットからの続編作って訳じゃないんだよね。

たしかにこのテイクは、歌詞も違えば、もちろんアレンジも違う。メロディはほぼ同じではあるけどメロディ進行も違うし、尺も違う。
まあ、続編⇒Part2と勘違いするしてもおかしくは無いけど・・・。

こちらのテイクの方が、尺が長い。歌詞も ♪ Buzのレコード聴いてた寒い夜明けが懐かしい〜 ♪ とか、大人っぽいし、これ生かすようなドライブがかかったアレンジは、ほとんどニューミュージックなんだよね。
少なくともアイドルのデビュー曲とは到底思えないような・・・。

ただし、音楽的にはほとんど完成された仕上がりにはなっている。 うん、まっち先生のボーカルも、「通常」の「スニーカーぶる〜す」よりも数段上手いしさ。


こんな音楽的に見てほぼ完成されたテイクを、当時のまっち先生のプロデューサーだった、小杉理宇造氏は切ったわけだ。

で、今、普通に聴かれるテイクの「スニーカーぶる〜す」に作り替えた。

今普通に聴かれる「スニーカーぶる〜す」は、当初のテイクから比べると、正直言ってダサい。 まっち先生のボーカルもシロウトっぽい。

ただ、初めのテイクに比べ、余計なフレーズが削られメロディ進行もシンプル。

当初のテイクと詞、メロディとも全く同じなのはCメロの ♪ 街角は雨 ぶるーすのようさ・・・♪ の部分のみだ。


ぢゃ、なぜ当初の音楽的に完成されたテイクを切って、「ダサい」テイクに作り替えたのか?

この辺は、ネット上で他の方も大分書かれてるけど、1981年11月号の月刊「明星」の歌本「Yong Song」の「'81 MUSIC PEOPLEインタビュー」と言う連載企画での小杉氏へのインタビューによると、

「アイドルにとって、最初からクオリティが高すぎるのは危険だから」と言ってる。

つまりさ、デビュー曲であまりにクオリティが高い所まで持って行ってしまうと、2作目以降の行き場が無くなるってことなんだよね。
駄作でいいと言う訳ではないんだけど、デビュー曲は音楽的にはある程度のところでよく、2作目以降徐々にクオリティを上げて行けばいい。

そういう考えのもと、敢えてダサいテイクに変えたって言う訳だ。



ただ、「スニーカーぶる〜す」の場合は、他にもしがらみがあった。ジャニーズ側からのとんでもなく高いハードル要請だ。

「オリコン初登場1位。 売り上げ枚数ミリオンセラー」

これが、小杉氏に求められた絶対条件だったと言う。

オリコン初登場1位。 たしかにハードルが高い条件であったものの、当時のまっち先生の人気の超沸騰度から考えれば、楽曲のクオリティどがえしでも、これはある程度は予測できたかもしれない。
その保険のために、オリコン集計期間とレコード店頭販売時期を考慮して、店着日とオリコン集計期間を最大限生かしきるために12月12日なんていう、当時の通常のリリース日ローテーションから外し、敢えて「臨発」扱いにした訳で。

しかしながら、 売り上げ枚数ミリオンセラー、 この条件は当時の「アイドル」のレコード売り上げ傾向から見ると、めっちゃ高いハードルだったわけだ。

いつかも書いたけど、1980年当時、レコードは今に比べると高価なものだったんだよね。 シングル1枚、700円。 今のCDシングルよりも安いじゃんと思われがちだけど、相対的な物価が約40年前とは違う訳で・・・。

1980年の大卒初任給の平均は11万5千円。 ここから現在の価値に変換すると、シングルレコード1枚、1250円程度となる。

しかも、当時のアイドル・・・特にまっち先生のファン層の中心は、当時の小〜中学生(つまりは我々の世代ですわな)。 小学生、中学生が、例え1250円でもシングルレコードを買うっていうのは、それ相応の「覚悟」が必要だったんだよね。

そのため、当時のレコードの購買中心層は大学生から上の世代。 

それいえに、当時、オリコンでのミリオンセラーは演歌、ニューミュージックで占められてあり、アイドルでそれまでミリオンセラーを記録していたのは、ピンク・レディーだけだ。

当時すでに伝説的なアイドルであった、山口百恵、西城秀樹、沢田研二、岩崎宏美、太田裕美・・・だれもミリオンセラーを達成していない。

つまり、アイドルでミリオンセラーを記録するのは、超至難の業。しかも、それをデビュー曲で達成させるなど、一見すると無謀なハードルだったんだよ。まさに「鬼」のジャニーズと思える条件。

ただ、ジャニーズとしては、絶対にクリアできないハードルとは思っていなかったらしい。 
・・というのも、トシちゃんのデビュー曲「哀愁でいと」の売り上げが70万枚を記録。
で、当時、まっち先生のファンレターは、トシちゃんの1.5倍はあったとのこと。 
それから考えれば、まっち先生のデビュー曲でミリオンセラーは可能であるんじゃないか。そう言う考えだったようだ。実際、70万の1.5倍って言ったら105万になるから・・・。

うむ、確かに机上の数字ではそうだ・・・。
でも、実際はそんな単純なもんじゃない。

そこで引き下がらなかったのが、小杉氏が根っからのプロデューサーだったところなんだよな。

デビューを12月にしたのも一つの作戦であったと思う。
お年玉狙いって訳ですわ。 いつものお小遣いではなく、正月、お年玉使えば700円のシングルも買いやすくなるって言う狙い。

もう一つは、楽曲を分かりやすく、より多くのヒトに刺さりやすくするっていう狙い。 これが↑で書いた最初のテイクを切ったという所につながる。

この当時、より売れる楽曲にするためには、より大衆的な音楽にするのが一番の命題だったんだよね。
「音楽的にクオリティが高い」っていうのは、2の次だったんですよ。

以前NHKで放送された、「名盤ドキュメント、井上陽水「氷の世界」」で、70年代陽水氏のプロデューサーであった多賀英典氏も、「心もよう」と「帰れない二人」、どちらをシングルのタイトル曲に切るか・・・という問題で、音楽的完成度が高い「帰りない二人」ではなく、寄り大衆的な「心もよう」をタイトルシングルに切ったと言う話をされている。

つまりは、「大衆性」というのが一番だったわけだ。

結果、それらの狙いが全て嵌まり、「スニーカーぶる〜す」は、ミリオンセラーを達成する。

奇しくも、売り上げ104.8万枚っていうのは、ジャニーズが当初考えていた、トシちやんのデビュー曲「哀愁でいと」の約1.5倍だったっていうのは、事後の結果から見ると偶然であったのか目論見通りだったのか・・・・

いずれにしろ、ジャニーズのそういうところがコワイところなんだろうし、だれも文句が言えないところなんだろうな。

逆に言えば、最初のテイクでリリースされていたら・・・・、複雑な曲進行、アイドルとしては長い曲調と言うところがネックとなり、果たしてどれだけ大衆的に刺さったのか・・というのはギモンなところだ。当然、ミリオンセラーまでは行かなかっただろう。



プロデューサー感覚。 一時流行ったコトバではあるが、今プロデューサーと呼ばれる方で、本来の意味でのプロデューサーと言える方はどのくらいいいるのだろう?
確かにセルフプロデュース的なヒトは、今や業界人に限らず一般のヒトにもたくさんいる。 プロデューサーは、1から100を生み出すヒトではある。
ただ、ビジネスにおいての真のプロデューサーはヒット作を生み出し、それによって「会社」や依頼主への利益を生み出すヒトでもあるんだよね。ココが一番難しいところなんだよ。
自分へのプロデュースは出来ても、第三者をプロデュースするってことは並大抵では出来ない。

第三者へのヒット作品を生み出すにはどうするべきなのか? 
・・と言われた時、ココまで書いたように大衆的感覚が大事な訳なんだけど、ヒット作を生み出せないプロデューサーはこの感覚が欠けてるんだと思うな。独りよがりというか・・
たしかに拘りというのは大事だけど、それがどの程度大衆的なのかというところを客観視するのも大事なんだよね。


時に、ワタシも一時、某着メロサイトでプロデューサーの真似事をしてた時期があったけど、やっぱり一番心がけてたのは、「大衆的感覚」だったな。
・・・というか、実は、今回の「スニーカーぶる〜す」の小杉氏の精神っていうのが根底にあったんだよね。

当初、業界経験者がゼロ、しかも、業界でも後発のサイトでもあったため、会員数100万人突破なんて、到底夢物語といわれた某着メロサイトが、最終的に数百万人の会員数を集められた事・・・まあ、ワタシだけの力ではなく、多くのヒトの力の結集によってなんだけど・・・・なぜ達成できたのか・・・といえば、ココを最も大事にした事に尽きる・・・と今でも思ってるなぁ。
当時、第三者からは「奇跡」とか言われてたけど、当時者としては奇跡ではなかったと思っています。





ちなみに、通常版の「スニーカーぶる〜す」は↓ コチラ
http://kajiyan-net2.blog.jp/archives/52049707.html



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一番野郎 / 近藤真彦

1984_04_一番野郎_近藤真彦

今回の1曲セレクトは、「一番野郎」近藤真彦です。

まずはデータです。

・タイトル    一番野郎
・アーティスト  近藤真彦
・作詞      売野雅勇
・作曲      筒美京平
・編曲      松下誠
・リリース日   1984年3月1日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 29.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1984年3月12日〜4月23日付

この前も書いたけど、やおら、1週間ぶりのご無沙汰でした・・・っとていう挨拶から始まってしまった「1曲セレクト」です。
土曜日と言えど「4月1日」。新年度の始まりですわな。ウチの会社は「零細」企業で支店もなにもないんで、転勤や部署移動何ぞは無いんで、いままでの業務を引き続き淡々とこなす生活が続く訳ですわ。
ただ、某"みんなから嫌われてる"著作権管理団体から「出向」って言う形で、何人か来ていて、その方たちはこの春も異動がありーの、なんで、ここ何日は送別会やら何やらでバタバタ。
そうでなくても4月早々「繁忙期」がやってくると言うのに。。。。
暫くは、このバタバタが続きそう。 なんで、1曲セレクトも暫くは「週末のみ」更新になりそうな予感ですね。

・・・・ということで、今回は、そんなバタバタしていた4月初めの頃ヒットしていたこの曲をセレクト。

まっち先生の「一番野郎」。

この曲は1984年(昭和59年)の今頃ヒットのピークを迎えていた曲だけど、昭和59年って言ったらワタシャ中学3年になった年ですわ。
なので、正直、そんなにバタバタしていた訳じゃないんだけどね、個人的には。
いや、それでも高校受験に向けてカウントダウンは始まっていた頃かなぁ。受験対策で地元の進学塾、某K学院に入ったのもこの頃でしたわ。

あ、個人的には「オリコンウイークリー」を毎週買い始めたのもこの頃。なんで、ヒット曲の「付き合い」方としては、今に続く「革新」的な出来事が始まった頃なんだけどさ。

そんな頃ヒットしていた。この曲。

いや、正直、それほどヒットしていた・・・って言う実感を感じなかった・・・って言った方が正解なのかなぁ、この曲の場合。

確かにこの曲もオリコンでは1位を獲得し、81年の「ブルージーンズメモリー」以来続けてきた、連続1位獲得記録も更新出来た訳なんだけども、手ごたえからすると1位を獲得⇒ヒットしたっていう印象を感じないんだよね。

1位獲得が初登場の週1週だけだったっていうのもあるんだろうけど、決定的な印象は、やっぱ「ザ・ベストテン」で、ベスト3に入れなかったって事が大きかったよな。
 そそそ、この曲は、ザ・ベストテンでは最高4位でしたからねぇ。ついで言えば、僭越ながらワタシのチャートでは最高5位。 ま、ベストテンでも4位は1週だけで、5位に居座っていた事が多かったですからね。

たしかにこの曲がヒットしていた当時のベストテンの得点は、4位、5位、6位あたりが概していつも以上に高く、いつもなら7500〜7900点程度が4位であったのが、8700点で4位と言う週もあった。
通常で言えば8700点ってのは、2位か3位、状況によっては1位が取れてもおかしくない得点でしたから。
そう考えれば、充分「大ヒット」に値したのかもしれない。

だけども、今一つヒットした印象が薄い・・・っていうのは、「時代の流れ」っていうのもあったんだろうな。
1984年の今頃と言えば、吉川晃司が「モニカ」でヒット戦線に踊りだし、チェッカーズが「涙のリクエスト」で本格ブレイク。また、安全地帯が「ワインレッドの心」がヒットのピークを迎えたりしていて、ベストテン内の上位を見ると、1年前と比較してかなりメンバーが入れ替わっていた頃ですわ。

時代は常に動いている。 っていうのを実感できた・・・って言うかさ、ヒット曲の傾向も大きく変わってきていた時期なんだよな。
やっぱ、吉川の「モニカ」、チェッカーズの「涙のリクエスト」、安全地帯「ワインレッドの心」なんかからは、勢いも感じたし、なにより新鮮さを感じたからなぁ。 それまでのヒットチャートの曲になかったような新しい息吹って言う感覚ですよね。

逆に言えば、それまでヒットチャートを牽引して来ていた、まっち先生、トシちゃんなどのジャニーズ勢、その他の、いわいる80年デビュー組アイドルにヒット戦線での「陰り」の色が顕著になったのもこの時期ってわけでさ。

だから、この「一番野郎」だけじゃないんだよね。ヒットの印象が薄かったのは。 トシちゃんの「チャールストンにはまだ早い」(84年2月リリース)だって、「ザ・ベストテン」では最高4位と、ベスト3入り出来なかったし、だから「一番野郎」と同じような印象もあったしな。


いや、それ以前にこの「一番野郎」っていう曲自体に新鮮味を感じなかったんだよなぁ。
当時、トシちゃんよりまっち先生派だったワタシは、毎回新曲が楽しみだった。
ま、十中八九、文化放送「全日本歌謡選抜」で、一番最初に新曲は聴いてたんだけどね。 

でもねぇ、この曲は初めて聴いて、なんかガッカリしたんだよな。 まずもって新鮮味を全く感じなかった。
新曲って感じがしなかったんだよな。 去年か一昨年あたりの「お蔵入りしてた曲?」って感じがしてさ。

当時は、いつも斬新かつ新鮮な切り口な新曲を聴かせてくれていた、筒美京平氏らしからぬ曲って言うのがまずもって感想だったし、それは、今でも変わらないな、この曲に関しては。

確かにそれまでの「やんちゃ」な所も継承しているけども、加えて、この曲から「硬派」「男臭さ」っていうところも見え始めて居たじゃん。
どうもね、その部分がピンとこなかったんだよな。 まっち先生には、もっと「やんちゃ」だけを続けて欲しかったんだろうな。

だから、この曲の次にの「ケジメなさい」ってぶっ飛びなまっち先生を見せた時は、逆に嬉しかった部分はあるんだよね。 以前書いたように確かに「頭がおかしくなったのか」とも思ったところもあったけど。

いずれにしても、この「硬派」「男臭さ」って言う路線は、この曲から、後年の「大将」「愚か者」と続く事になる訳で。。。 その点から傍から見れば、ここから後の「歌謡大賞」そして、「レコード大賞」に繋がる訳で、結局はよかったんじゃないか・・・とも思えるけど、でも、やっぱり個人的には、その曲以前のような「やんちゃ」路線をもう少し続けて欲しかった・・・っていうのは大きいな。



ベストテンですね。 得点にご注目。本文でも書いたようにこの頃得点高いんだよね。
7位で7900点ですから。。。
えー、ただ、この動画はおそらく、「速攻」で消されると思うんで、もし消されてたら ↓を見てみてください

http://www.dailymotion.com/video/x20ugan_%E4%B8%80%E7%95%AA%E9%87%8E%E9%83%8E-%E8%BF%91%E8%97%A4%E7%9C%9F%E5%BD%A6_music

まあ、こっちもいつまで上がってるか分かんないですけど。。。
なんせ天下のジャニーズですから。。。


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大将 / 近藤真彦

1985_11_大将_近藤真彦


今回の1曲セレクトは、「大将」近藤真彦です。

まずはデータです。

・タイトル    大将
・アーティスト  近藤真彦
・作詞      売野雅勇
・作曲      鈴木キサブロー
・編曲      松下誠
・リリース日   1985年10月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数 12.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1985年11月4日〜11月18日付

この前に書いた、山下久美子さんの「DRIVE ME CRAZY」は、ちょっとアクセスが少なかったなぁ。
やっぱ「引き」が弱かったかなぁ。まあ、ベストテンに入らなかったし、今から22年も前の曲だしな。覚えていないヒトの方が多いのも自然な事だったかもな。

・・・と言う事もあったから・・・と言う訳でもないんだけども、今回は「まっち」先生の曲をひとつ。

ま、まっち先生の曲。ちょっと前に84年の「永遠に秘密さ」を書いてるんで、少し間が狭くなってるけどまあ良いよね。
まっち先生の曲も初期の「大ヒット」曲群は、既にほぼ書いちゃったんだけども、こと、CBSソニーに移籍した85年以降の曲は、まだ、あんまり書いてないんだよね。

ま、理由は一つで、ソニーに移籍してから大ヒット曲が少なくなったから・・・なんだけどさ。

今回セレクトしてきた「大将」は、この年の2月にCBSソニーに移籍後、第3弾のシングルになる訳だけど・・・・。
オリコン最高6位だもんね。 あの絶好時の初登場1位常連、「ザ・ベストテン」では「9時半の男」と言われる位、ベストテン上位常連だった、まっち先生も見る影もなかったもんなぁ。
 売り上げ枚数も、ようやっと10万枚越えの12万枚強だもんね。82年までは50万枚が当たり前だったわけだし、それから見ると、寂しさだけが漂っている訳ですわ、ヒット実績を見ると。

じゃ、なんでこうなっちゃったの?

・・・といえば、ま、一つはデビューから5年が過ぎ、「アイドル」としての旬が過ぎた事。 それと、なんと言っても曲だよね。

どうもCBSソニーに移籍してから掴みどころがない曲が続いたからなぁ。
悪ガキまっちを地のままで行っていたRVCの頃のマッチはどこへ行った・・・って感じでさ。

強いて言えば、この「大将」はまっち先生らしい・・と言えば、そうだったかもしれない。 軟派のトシちゃん、硬派なマッチ・・・という時代からすれば、タイトルからして硬派なイメージがあったしな。

ただ、すこし時代錯誤な所はあったかもな。 あの頃、時代はもっとポップになって来ていたからなぁ。

軽薄短小っちゅうかねぇ、すでにおニャン子がデヒューしていたわけだし、ジャニーズでは、ちょうど少年隊がレコードデビュー間際だった頃だ。

そこに来て、「大将」と言われてもね・・・って感じだったんだよな。 ポップな時代背景を逆行するかのように、時代を遡っちゃったような印象だったよな。

うん、この曲のイメージは、「70年代」以前なんだよな。 そもそも ♪男は誰も大将 嵐のように生きる〜♪っていう時代ではなかった訳だしさ。 その辺が、今一つピントがずれてしまったような気はする。

ま、楽曲そのものは、まずまずだったんだけどね。

・・・というか、この曲聴くと、個人的には当時の情景が浮かぶんだよな。RCサクセションの「トランジスタラジオ」じゃないけど、授業をサボって学校の屋上でダベってた高校1年の頃の情景とかさ。そう言えば、よく晴れた午後の景色がきれいだったな・・・とかさ

そそそ、情景だけじゃなく、あの時の匂いまでくすぶってきたりする。 

そう、あの時、頭の中でヘビーローテーションしてた曲がこの曲だったんだよな。

ま、なんだかんだ言っても、個人的にはキニナル曲ではあったんだよな、当時。



夜ヒットだわな。丁度、85年の「歌謡大賞」を取ったすぐ後、ファンをスタジオに入れて・・・ってやつですね。
 しかし、この夜ヒットもそうだけど、まっちって、ファンをスタジオに入れて・・・って事が割と多かったよなぁ。
「ベストテン」でも同じようにファンの前で・・・ってことが何回かあったもんね。
それにしても、ファンコールが、「80年代」丸出しデス。。。。
MCの古館氏。報道ステーションから解放されて、最近復活してきたけど、この当時の軽薄なノリが復活してきたよな。

それよか、85年は、まっちだったんだよな。「歌謡大賞」。
賞レースっていうのも陳腐化が本格的になってきた頃ですね、この頃。
まあ、今は無くなっちゃったけどさ、「歌謡大賞」も。


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永遠に秘密さ / 近藤真彦

1984_09_永遠に秘密さ_近藤真彦


今回の1曲セレクトは、「永遠に秘密さ」近藤真彦です。

まずはデータです。

・タイトル      永遠の秘密さ
・アーティスト    近藤真彦
・作詞        松本隆
・作曲        山下達郎
・編曲        山下達郎
・リリース日    1984年9月13日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   23.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1984年9月24日〜10月22日付


えー、久々()の1曲セレクトです。
ここ数日、「書きたくないよー」病が出まして 、ちょっとセーブさせていただいていました。
・・と言うかね、この先も、少しセーブして行きたいなぁ・・・なんて思ってるんですよね。
 最初のうちは、やっぱねブログを広げたい一心でガツガツと書いてきたんだけども、書き始めて1400曲過ぎるとねぇ、流石にちょっと文章書くことに疲れが出てきましたね。

・・・・というわけで、これまでは1日1曲を目標に続けてきたんだけども、この先は、もう少しペースを下げて行きたいなぁ・・と思っている次第です。

まあ、書く曲が無くなってきたんで書くの止めるって訳ではなくてね、逆に言えば、出来るだけ長く続けていきたい・・・って思いからのペースダウンと思っていただけたら幸いですね。

・・・というわけで、今回の1曲セレクトは、まっち先生ですわ

「永遠に秘密さ」

うーむ、この曲も、今となっては少し「死角」に入りかけている曲なのかなぁ。

少なくとも「まっち」先生」の曲としては、メジャーな曲ではないですよね、今となっては。

まっち先生独特の破天荒なインパクトが無いんだよね、この曲は。 その点、今となっては忘れられかけている曲となっているんだと思うけど。

だけんどねぇ、この曲は、山下達郎氏のプロデュースなんだよね。 あ、その点は有名なのかな。

作詞、松本隆  作・編曲、山下達郎 ・・・っていう布陣は、この曲の2年前の「ハイティーン・ブギ」以来ですね。

初め、2年ぶりでヤマタツがまっち先生の曲をやる・・・って事を知った時、また「ハイブギ」の再来を期待してたんだけどね。
 当時、まっち先生も曲に恵まれていた・・・って感じじゃなかったしなぁ。デビュー5年目を迎え、そろそろ行き詰ってた感が見えてきてたんだよな。

そんな状況を打破するためにも、再度「ハイブギ」路線で原点回帰を・・・なんて期待してたんだけども、出てきたた曲がこの曲で・・・・しかも、ミディアムバラードだったしなぁ。。。

正直ね、完全に期待外れだったんだよな、個人的には。

それでも、ヤマタツの独特のテイストは、この曲の方が感じられましたけどね。

「ハイブギ」は、ヤマタツの作曲ではあったけども、あくまで、仮想・筒美京平・・・ってな感じで、筒美氏を意識したような曲だったからな。
 その点は、後年作曲することになる、KinKi Kidsの「硝子の少年」と同じような感じなんだけどもね。

でも、この曲は、そんな「くびき」は一切感じられない。純粋にヤマタツを感じさせる曲だよなぁ。

その点では、ヤマタツファンも安心して聴ける曲かもしれない。

ま、そもそもバックコーラスでヤマタツ自身が歌っているのがミエミエの曲だったりもするけどね。


で、まっち先生は、この曲を最後に長年所属してきたRVCから、CBSソニーへ移籍することになるんだよね。
RVCの時は、ヤマタツと同じレーベルメイトだったし、当時のディレクターだった、小杉理宇造氏との繋がりもあって、ヤマタツ自身から曲の提供・・・ってのも可能だった訳だけど、CBSソニーへ移籍となるとそうも行かなくなりますからね。

そんなこともあり、移籍前にヤマタツの曲を・・・ってことで、このタイミングでヤマタツの曲を持ってきたんだろうけどね。
いわば、RVCレコードとの惜別って言う意味だったんだろうな。


ただ、今から思えばRVCからの移籍はどうだったんだろう  なんて疑問符なんだよな。
まあ、確かにレコード売り上げも下がって来ていたし、この辺で方向転換を・・・と言うのも分からないではなかったけど、結局のところCBS移籍後の路線も良く分かんなかったしね。
・・・というか楽曲自体、良くなったとは思えない。RVC時代の方があかぬけていたんだよな。






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た・め・い・きロカビリー / 近藤真彦

1983_08_ためいきロカビリー_近藤真彦


今回の1曲セレクトは、「た・め・い・きロカビリー」近藤真彦です。

まずはデータです。

・タイトル    た・め・い・きロカビリー
・アーティスト  近藤真彦
・作詞      松本隆
・作曲      筒美京平
・編曲      松下誠
・リリース日   1983年7月15日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 33.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1983年7月25日〜9月12日付
・タイアップ:映画「嵐を呼ぶ男」主題歌 

お盆休みを控え、暑さも極限ですね。
まあ、今日は昨日ほどではなかったけど、昨日はアホでしたもんね、暑さが。地元では38℃越えだったらしく、ネットニュースの気温ランクに誇らしげに載ってましたが。。。
そんな「気温38℃」を見て、「あ、しまった。昨日はあの曲を書くんだった・・・」なんて後悔しきりなワタシだったりするんだけど・・・。 ま、この先も暑さが続きそうなんで、また「猛暑日」になったらに置いときましょ。。

・・・ということで、今回も「暑かったあの頃」って感じで、曲をセレクトしてきたんだけどね。

まっち先生の「た・め・い・きロカビリー」。

いやいや、この曲、まだ書いてなかったんだね〜。 

ちょっとうっかり・・だったかもしれないけど、じつは、去年も今頃書こうと思ってたんだけど、どうも筆が進まなくてね、ペンディングにしてたんだよね。

この曲と言ったら、まずは、やっぱ、たのきん映画「嵐を呼ぶ男」の主題歌ってことで、33年前の今頃、ガンガンかかっていた曲ですわ。
でも、往年のオールドファンにとっちゃ、「嵐を呼ぶ男」っていったら、やっぱ石原裕次郎になるんだろうね。
なんて、書いてるワタシも石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」は見たんだけども、たのきん映画の方は見てないんだよな。 
 たのきん映画も、本作で何作目? 6作目? ・・・最初の頃は、毎作のように映画館で見てたたのきん映画も、この頃にはすっかり興味が無くなってたからなぁ。

たださ、この曲は、当時、マジでよく聴いてた。

以前、杏里の「CAT'S EYE」の時も書いた事なんだけども、恐らく、この曲あたりの頃がラジオのベストテン番組を聴いてた頃でさあ、当時関東エリアでは、土日中心に7本くらいベストテン番組やってたのかなぁ。
ワタシ、全部聴いてたんだよね、当時。
 
時期的には、丁度夏休みだったじゃん。 まあ、夏休みともいえど部活はあったんだけども、夏休みだったんで土曜日は早めに終わるし、日曜日は休みだったからさ。
 だけど、今考えるとエネルギーあったよな。今だったら、1本聴けば充分だけどね。。。。

ただ、当時あまりにもヘビーローテーション聴いてたんで、正直言って、この辺りの曲って食傷気味な曲が多いんだよな。 「もういいよ・・・・・」って感じでさ  
 この曲もそうだったんだよなぁ。それに加えて、この曲は、当時シングル(レコード)も買って、普段から聴いてたからなぁ。 
もうね、イントロの最初の音から、インストの最後のSEの音まで1音のこらず「ソラ」で覚えてますわ・・・ってくらい聴き倒してたな。

ま、それだけ、当時はこの曲、気に入ってたんだろうな。

でもね、それだけ聴いてたんで、やっぱり、未だに食傷気味なところがあるんだよなぁ。。 
昨年、書くの見送ったのは、そんな所があったからなんだよね。


この曲の「キモ」は、タイトルに「ロカビリー」ってあるのに、実際のところ、ロカビリーでもなんでもないところかもなぁ。正直、それまでのまっち先生の曲と、大きく変わったところも無い、歌謡ロックだったしね。
 
 まあ、恐らくオリジナルの、石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」の頃の時代背景を意識して、その当時流行ってた「ロカビリー」をモチーフに使ったんだろうけどね。
 それを含め「ロカビリー」っていうタイトルから、実際の「ロカビリー」を想像してた方は、肩透かしだったろうけど、ワタシは、まだロカビリー知らなかったからなぁ、この曲の頃は。

 この事は、この曲が新曲リリースの時に、明星の歌本に掲載していた、近田春夫氏の「新曲激評」コーナーにも、同じ事が書かれてるんだけど、当時は「そんなもんかなぁ」・・・なんてくらいしか思わなかったな。


だけど、まっち先生も、この曲の頃になると、ちょっと先々に窮屈な所を感じるようになってきてましたよね。
まあ、ワタシなんかはこの曲については、まだ当時は好きだったけど、それでも、売り上げは落ちてきてたからなぁ。 前年までの平均50万枚なんて言うハイペースに比べると、6割程度まで落ちてましもんね。
やっぱり、まっち先生の曲調自体に飽きられて来ていたことは間違いないよね。

でも、トシちゃんのように、器用に幅広い曲調をこなせなかった、まっちだったからなぁ。
82年の頃のように「絶頂」の頃はよかったんだけども、一つ人気が落ち着いてくると、次の展開に行きづらい・・・っていうのが、見え始めてきたのが、この曲の頃じゃなかったのかなぁ。

その辺の迷走は、この曲の次の「ロイヤルストレートフラッシュ」あたりから出てくるんだけどさ。



ヤンヤン歌うスタジオ? なんか、この回は見てたような気がするな。
このセット、かすかに記憶にあるんだよね。


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夢絆 / 近藤真彦

1985_07_夢絆_近藤真彦


今回の1曲セレクトは、「夢絆」近藤真彦です。

まずはデータです。

・タイトル     夢絆
・アーティスト   近藤真彦
・作詞       売野雅勇
・作曲       鈴木キサブロー
・編曲       チト河内
・リリース日    1985年6月5日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  16.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1985年6月17日〜7月8日付

あー、あちいよあちいよ〜・・・・なんて、何日続けて書いてますかね〜。
気温は猛暑日にはならないんだけども湿度がねぇ・・・・、ジトジトジト・・・・と纏わりつく様ですこぶる気持ちが悪いですわ。そんな中、今日はクーラーを付けずに扇風機一つで書いておりまする

さて、今回の1曲セレクトは、久々に「まっち」先生を持ってまいりましたわ。
・・・と言っても、初期のRVC時代の曲は、大分書いちゃったからなぁ、今回はCBSソニーに移籍後の曲ですね。
RVC時代とは対象的に、CBSソニーに移籍後の曲は、まだあんまり書いてないんだよね。
今回は、そんな1曲。

「夢絆」。

夢絆・・・とかいて「きずな」と読む。 まあ、ここ読んで下さってる方には、こんな注釈は無用だと思いますが

CBSソニーに移籍してからの曲はあんまり書いてない・・・っていうのは、ま、はっきり言うと「まっち」先生らしくない曲が続いたからだよなぁ。
 まっち先生といったら、やっぱり、ハチャメチャで押しの一手の硬派な曲・・・って言うのが定番だったと思うけど、移籍してからは、その辺の「ハチャメチャ」さが陰を潜めたからなぁ。
 
 大人っぽさら前面に出した・・・といえば聞こえがいいけど、ただ、実際には今一つ中途半端さが表に出ちゃったような曲が多いんだよね。まあ、レコード大賞をとった「愚か者」とかは別としてさ。

今回引っ張ってきた「夢絆」。これなんかは中途半端な感じを受けたなぁ。
なぜに、まっちガこの曲のようなミディアムテンポを歌わなゃいけないのか・・・というのが、理解出来なかったんだよなぁ。
その前にまっちらしくないんだよね、この曲。 その辺に戸惑いを感じるような曲だったんだよなぁ。

やっぱり聴く方としては、↑のようにハチャメチャまっち期待していた訳で・・・そしたら思いっきり期待してた曲と違う曲が来たんでさあ・・・。

その辺の戸惑いは、チャートにも如実に出まして・・・。 まあ、売り上げが16.5万枚なんて、、それまでのまっち先生からは、想像も出来ないような「低レベル」だったのもそうだけど、 なによりオリコン連続1位記録が、この曲で途切れた・・・ってのは、やっぱ大きかったよね。
 前曲「ヨイショ!」も変な曲だったけど、それでも1位は確保した。 だから、この曲でも1位は行けるんじゃないか・・・と思っていたのに、これまた予想外な最高2位。
 81年の「ブルージーンズメモリー」から続いていた連続1位は14曲で途切れた訳ですわ。
ちなみに1位を阻止したのは、松任谷由実・小田和正・財津和夫の「今だから」っていうのも正直言って意外だったんだけどさ。

まあ、そのくらい、戸惑った曲だったんだよな、この曲は。

ただ、今となっては、それも遠い昔で、これはこれでよかったのかも・・・なんて思えるようになったりしてるんだけどね。
少なくとも、1985年の今頃を感じる1曲ではあるんだよね、個人的には。


あ、いや、正直言うと、ワタシねぇ、この曲もヒット時期を間違っていたんだよね。今頃ぢゃなくて、5月の終わりから6月頃・・・って記憶してたんだよなぁ・・・。
 まあ、細かく言えば、7月の第3週目はすでにヒットのピークは過ぎ、ベストテンからは墜ちちゃってたんだけどさ

でも、この曲聴いてた時期って、もっと肌寒かったような記憶があったんだよなぁ・・・。だから、5月の終わりごろだったかな・・って思ってたんだけども。。。。

ま、たしかに85年も、以前書いたような88年程ではなかったけど、涼しい夏だったんだよね。どん曇りの日が続いて・・・。 だから、あの年は「ギンギンギラギラ」っていう太陽の下で・・・っていう印象は薄いいんですよね。
この曲がリリースされた6月の初めっていうのもまだ涼しかった・・・ような気がする。
その辺の季節感が、今とはまるで違う・・ってことで、ちょっと誤って記憶してたのかもな。


ちなみに、レコードジャケット、今回、これを書くにあたって初めて見ましたわ
うーむ、なんかインパクト弱いなぁ・・・。コレの辺からも売れそうな感じがしないよなぁ・・・・。


動画・・・・うーむ、やっぱね、この位ジミな曲ともなると、You Tubeにも適当な動画がないなぁ・・・
・・・ってかジャニさんの動画対策なんだろうとげさぁ・・・
 しょうがないんで、「海外」のサーバーにリンク

http://v.youku.com/v_show/id_XMjYzNzQ3ODY0.html

一応、こちらからは繋がりましたが、繋がらなかったらスミマセン。



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スニーカーぶる〜す / 近藤真彦

1980_12_スニーカーぶる〜す_近藤真彦 






今回の1曲セレクトは、「スニーカーぶる〜す」近藤真彦です。

 まずはデータです。

・タイトル   スニーカーぶる〜す
・アーティスト 近藤真彦
・作詞     松本隆
・作曲     筒美京平
・編曲     馬飼野康二
・リリース日  1980年12月12日
・発売元    RVC
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  104.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1980年12月29日〜1981年3月16日付
・タイアップ:映画「スニーカーぶる〜す」 主題歌


 最近は過去にどの曲書いたか、分かんなくなってきちゃったからさあ、書く前に必ず、過去の日記を検索してみるのね。
 で、過去に書いたか書いてないか、一応はチェックしてみるんだけど、時どき、この曲は、既に書いただろう・・・っていうか、書いてて当然・・・のように思ってた曲が、実はまだ書いてなかったりして。。
ふらふら 
 なんかねぇ、それを見つけたときが至福の時だったりして。。ふらふら

 今回引っ張ってきたのは、まっちのデビュー曲「スニーカーぶる〜す」よ。

 いや、この曲は、ずっと書いたと思ってたの。っつうか、ミリオンセラーの曲だもんねぇ、既に書いてて当然・・と思ってたんだけどねぇ。。
 さっき、過去に書いたアーカイブを調べたら、これが、まだ、書いてなかったんだよねぇあせあせあせあせ

 いや、でも、グッドタイミングよ。なんせ、今日12月12日が、この「スニーカーぶる〜す」のリリース日だったんだから。
35年前ですよ〜。  まっちもレコードデヒュー35年経つんだよねぇ
なんかねぇ、昨日のように覚えてるんだけどねぇ。 生意気でやんちゃ坊主だったころのマッチをさ〜。
 

 いまでこそ、ジャニーズ批判派のワタシだけど、あのころは「たのきん」って好きだったよなぁ。

 やっぱ、ワタシャ、当時は、まっち派だったよなぁ、どっちかといえば。。。
まっちのね、破天荒・・っちゅうか、おちゃめな悪ガキなところが良かったねぇ。

 ヨッちゃんは別としてふらふら、あの頃って言えば、ナンパのトシちゃんに、硬派なマッチみたいな、「色分け」されてたじゃん。月刊「明星」とかの雑誌ではさ。

 もちろん、硬派な「まっち」の方がワタシゃよかったのよねぇ。具体的にって言われると困っちゃうけどさあ、土臭そうなところだったりしてね。
まあ、当時は、まだ、福島の田舎の小僧でしたから、ワタシも。 そんなまっちの方が親近感があったんだよね、きっと。

 だからね〜、行きましたよ、同名映画の「スニーカーぶる〜す」。田舎の映画館にさあ。2回くらい行ったような気がする。
 ・・・といっても、すでに内容なんて覚えてないけどさあ。

 だけど人気あったよな、当時は。

 考えて見れば、「ピン」でデビューして、いきなりデビュー曲がミリオンセラーになったのなんてマッチぐらいじゃん。
 今の嵐とか関ジャニ∞がいくら人気あるって言っても、あくまでグループでの人気であって、「ピン」の人気じゃないからさぁ。
 その辺で、当時の人気のすごさが分かるんじゃないかなぁ。


 たしかに曲も良かったんだと思う。今にして思えば、かなりクサいんだけとさ、当時は、これはこれでよかったんだよね。
 まあ、あくまで「青春歌謡」っていう路線だったからさあ、まっちの場合は。

 いや、当時は良い悪いなんてものを超えてたような気がする。気がついてみれば、みんなで歌ってたような・・・。
 だってさあ、お楽しみ会で、仲のいい3人で「たのきん」だぁ・・・とか言って、この曲とか、トシちゃんの「哀愁でいと」とか歌ってたもんねぇ。

 そーそーそー、そん時の「おたのしみ会」のために、「歌本」っちゅう存在を知って、月刊「明星」買うようになったんだよね。
 考えて見れば、あん時の「おたのしみ会」が今に繋がってたりするんだよなぁ、ワタシ。

 ・・・・っつうことは、「スニーカーぶる〜す」は、今に直でつながる「原点」の曲の1曲・・・って言えるかもしれんなぁ。


ちなみに、デビュー曲で、いきなり初登場1位なんて、いうヒトは、今では珍しくもなんともないけど、この曲が初の快挙どえす。

1980年12月22日付ですね。 

 ちなみに、この時のベスト3は

・1位 スニーカーぶる〜す /近藤真彦  101,360枚
・2位 恋人よ   /五輪真弓  70,830枚
・3位 大阪しぐれ /都はるみ  69,960枚

 いかにも重みがあるランキングですねぇ。
もちろん、デビュー曲が初登場で10万枚オーバーなんてのも、この曲がはじめてですわ。

 そんな現象にも、度肝を抜かれたところはありますね。 
っていうか、当時は純粋だったんだよなぁ。






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ロイヤル・ストレート・フラッシュ / 近藤真彦

1983_11_ロイヤル・ストレート・フラッシュ_近藤真彦






今回の1曲セレクトは、「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」近藤真彦です。

 まずはデータです。

・タイトル   ロイヤル・ストレート・フラッシュ
・アーティスト 近藤真彦
・作詞     松本隆
・作曲     筒美京平
・編曲     松下誠
・リリース日  1983年11月1日
・発売元    RVC
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  29.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1983年11月14日〜12月19日付

 今年の紅白の出場歌手が決まりましたね。それにしても白組は、ジャニーズが多いのう。今年はジャニーズは7組ですか。昔は、最高でもジャニーズ枠は「3組」までだったんだけどねぇ。
 たしかに、昨今はジャニーズ無しじゃ、紅白も成り立たなくなってきたりしてるけど、ちょこっと多くない?

その中で、「まっち先生」が20年ぶりで復帰ですか。え? 今年なんかヒット曲があったっけ? なんていいたくなるけど、まあいいじゃないの。 今月でレコードデビュー35年っていう節目でもあるし、なにより、総合司会の黒柳さんとの相性もいいしね。
 
・・・と、言うことでもないけど、今回は、まっちでも持ってきますか。

83年の「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」。

 タイトルだけみると、わあ、ゴージャス〜・・・って感じなんだけど、実際、聴いてみると、ゴージャスでもなんでもなかったりして・・。あせあせ
 うーん、一言で言えば、つかみ所がない曲なんだよね、この曲。

 よくさ、この曲、ものまねすると、

 ♪ ポーカーフェイス  ふにゃにゃにゃにゃ〜 ♪

とかやったりするじゃん。 いや、出だしの「ポーカーフェイス」っていうのはわかるんだけど、その後、何いってんのか分かんない? 見たいな。あせあせ

 まあ、そうい感じの曲なんだよね。

 この頃、まっちは、詞−松本隆、曲−筒美京平 っていうゴールデンコンビが続いてたんだけど、この曲に関しては、ちょっと、そのゴールデンコンビをもってしても、クオリティが下がってたよなぁ・・・って感じがしたなぁ、当時も。
 いや、ネタ切れだったよね、まっちは、この頃には。 硬派路線一筋も3年も経てばねぇ・・・って感じで、その通り、デビュー、丸3年での苦悩だったよなぁ。

 当時は、そこまでは考えてなかったけど、今聴くと、この先、一体どこへ向かって言ったらいいんだろう? まっちは・・・っていう苦悩を感じだりして。。。

 まあ、その最大の妥協案が、この感じだったんだろうね。
前曲の「ためいきロカビリー」のような、硬派路線の延長で行けば、売り上げ枚数もそこそこ行ったんだろうけど、ちょこっと中途ハンパな路線を行ってしまったためか、初めて30万枚を割っちゃったしさ、この曲。

 でもまあ、なんか、この曲聴くと、秋っぽい空気感は感じる。まっちノ歌い方も硬くてさ、その硬質感に冷たい空気を感じだりしてあせあせ
 
 ま、それだけ当時は、この辺の曲は聴いてたってことだろうな。文化放送の「決定!全日本歌謡選抜」を中心に、週末のラジオのベストテン番組は、ほぼ制覇して聴いてたころだなぁ、この曲の頃は。




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ホレたぜ!乾杯 / 近藤真彦

1982_10_ホレたぜ!乾杯_近藤真彦






今回の1曲セレクトは、「ホレたぜ!乾杯」近藤真彦です。

 まずはデータです。

・タイトル    ホレたぜ!乾杯
・アーティスト  近藤真彦
・作詞      松本隆
・作曲      筒美京平
・編曲      後藤次利
・リリース日   1982年9月30日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   50.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1982年10月11日〜12月20日付

 さて、まっちです。
 いままで、まっちの曲って何曲書いたかいな? だけども、まだ曲が残ってる・・・っつうことは、やっぱし、ヒット曲たくさん持ってる「スター」ですわなぁ。

 でも、どうも、まっちの曲って、今となっては「受け」がイマイチ良くないんだよなぁ。
 書くたび思うんだけど、アクセス数が、いつもイマイチなの。

 この辺、難しいんだよねぇ見極めが。。。

 いや、当時のあの驚異的な人気を直に見てきた世代だからさあ、・・となれば、未だに書けば、ヒトが集まってくると思うじゃん。。 でも、実際はそうじゃないんだよねぇ。

 うーん、やっぱ、一時的に人気が出ちゃうと、その時に人気が「昇華」しちゃって、あとあと残らないんだろうねぇ。。
 いや、これって、今、ネットを使った実際的な「マーケティングの検証」になると思うんだよね。

 まあ、その辺のプロモーションの仕方は、実際のマネージメントする方の考えしだいなんだけどさ。
 要は、後々まで「残る」曲を作るのか・・、その場限りの曲をつくるのか・・。

 個人的には、いままで書いてきても分かるように、断然、前者支持な考えが強いんだけどさ。
 でも、これまた、難しくてさ、「後々まで残る」曲って、往々にして、その当時は、あんまり売れがよくない曲が多いんだよね。
 要はジワリ型な曲が多いからさ。 逆に、「その場限り」っていう曲は、そのときはバカみたいに売れるのよ。まあ、その辺は「文字通り」なんだけどさ。

 どっちがよいか・・・、まあ、それは、一概には言えない部分もあるっちゃあるけど。。 各々のマネージメントサイドの考え次第だから。

 個人的に「断然、前者」っいいうのは、あくまで、「ヒット曲も文化」って考えだからさあ。
 それが、ヒット曲は、あくまで「商業音楽」となると、後者的な考えに傾くのよ。



・・・なんて、マジメな話に行きかけちゃったけど、えー、気は御気楽に。。あせあせ


 何分、「まっち」の曲ですから。。あせあせ

 うん、でも、まっちの曲が今になって、あんまり、「うけ」がよくない・・っていうのも、実際、曲を聴いてみれば、わかるっちゃ、わかるきがするんだよねぇ。

 つまーり、「変化」が少ないのよ。

 うん、今、聴くと、特に82年のまっちの曲って変化がすくないんだよなぁ。

 考えによっちゃ、この「ホレたぜ!乾杯」と2曲前の「ふられてBANZAI」と、どう違うんだ?  ってことになっちゃうとも取れるし。

 いや、もし仮に、当時のワタシが、今ぐらいの年齢だったら、絶対、そうなってたと思うわ。
 そして、バカ怒りしてるんだろうね、きっと。

 結局、そういうことなんだよね。この曲も、いつものマッチの通り、松本隆−筒美京平っちゅう「黄金コンビ」の作品だし、だからして、ワタシごときが批評するなんて、おこがましいんだけどさぁ、でも、いま聴くと、ちょっと、いくらなんでも「飽きるよなぁ」っていう、印象が強いんだよね。

 ・・・っちゅう事は、一般の人はもっと飽きるわけで、だから、いま、あんまり「まっち」の曲のウケがイマイチ・・・っていうのも、ナットクなんだよなぁ。


 結局さ、なんで、そういう路線を当時とったか・・・っちゅうと、やっぱ、当時のマッチの人気がそうしたんだろうねぇ。あれだけの人気があればさあ。
 特に82年ごろまでのマッチの人気は凄まじかったもんなぁ。ベストテンに37週連続ランクインは並みじゃなかったよ。

 だから、「力おし」っていう路線を取ったんだろうね、マッチのマネージメントサイドは。
 つまりさ、曲も「変化球」を投げないで、「ストレート」1本で勝負っていう路線よ。

 ま、結局、当時を考えると、それがうまく行ったんだろうけどね。売上げが、との曲も50万枚以上で「安定」してたって事はさあ。

 でも、「力押し」っていうのは、得てして、落ちるのも早いのよ。。
ふらふら

 この曲まで50万枚以上で安定してた、売上げが、この次の「ミッドナイトステーション」でいきなり39万枚にダウンするんだから。。

 いや、曲のデキからすると、この曲の時点から、いつ、売上げが下がってもおかしくなかったんだよな。
 正直、そんな感じの曲のデキじゃなかったかなぁ。 でも、1曲前の「ハイティーンブギ」の余波もあって、この曲までは、50万枚を「確保」したって訳でね。
ただ「力技」で押してこられたのもこの辺までで、次の年、売り上げは一気に下がる・・・って事になるんだよね。 




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ギンギラギンにさりげなく / 近藤真彦

1981_10_ギンギラギンにさりげなく_近藤真彦






今回の1曲セレクトは、「ギンギラギンにさりげなく」近藤真彦です。

 まずはデータでーす。

・タイトル    ギンギラギンにさりげなく
・アーティスト  近藤真彦
・作詞      伊達歩
・作曲      筒美京平
・編曲      馬飼野康二
・リリース日  1981年9月30日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   81.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1981年10月12日〜1982年1月25日付

えー、今回は、まっちの「代表」的な大ヒット曲をひとつ。

ギンギラギンにさりげなく。

この曲はデビュー第4弾シングルなんだけど、 まっちのそれまでの3曲同様、この曲も不思議なリリース日なんですねぇ。

 1981年9月30日 リリース。

 なんですか、このめっちゃくちゃ中途ハンパなリリース日は。。。しかも月末ぢゃん。
 当時のリリースパターンからすると、翌10月1日リリースっていうのが当時の通常パターンだったわけで・・・。

 まあ、それまでの3曲同様、ちゃんとした理由があったですけどね。
 そそそ、オリコンチャート対策ってやつですよ。

 ハイ、1981年9月30日は 「水曜日」なんですねぇ。

 つまり、今と同様に考えると、お店には前日には、品物が届くわけで、オリコンの週間の集計期間をフルに使えるっていうメリットがあるんですねぇ。

 つまり、堂々と、「初登場1位」っていうのを鼻から狙っていたって訳ですわ。この曲の場合。

 今でも同じだけど、オリコンの場合、月曜〜翌日曜日という週間集計期間にあって、この集計期間外、1日でも前に店頭に並んでしまうと、その1日分の消化セールス分は、前週のチャートに反映されてしまうんだよね。

 この集計期間のしくみをもろにかぶった曲・・・っていったら、ピンクレディーの「カメレオンアーミー」。
 1978年12月5日リリースなんだけど、この日は「火曜日」。
 で、流通の関係で一部のお店・・・都心部の量販店・・・には前々日の「日曜日」に並んでしまったところもあって、その1日分セールス分がチャートに反映されちゃった。

 これが、この曲の初登場ランクが「88位」だった所以ですわね。で次の週は当然のごとく1位。
 今でも残るジャンプアップ1位獲得、88位⇒1位 っていう記録は、こんなカラクリがあったわけですわ。 

 ま、こういうカラクリもあって、「初登場1位」って言うのを狙うためには、「水曜日発売」とするのが、一番、効果的なんですわね。
 「水曜日」としておけば、流通上、間違っても3日前の「日曜日」に店頭に並ぶことは、まずないわけで。。
 「初登場1位」を獲得するには、一番適した曜日といえるわけだよね。

 もちろん、そのためには、それだけのアーティストパワーがなくちゃダメなわけで・・・。
 1981年当時では、こんな売り方をするのは、本当にトップのトップ・・・両手で余るくらいの人くらいしかやってなかったけど・・・。
 だから、リリースとしては、定期リリースというわけにもいかず、いつも「臨発(臨時発売)」扱いだったんですよね。当時は。

 ちなみに、同じ月・・1981年9月2日にリリースした、田原俊彦「悲しみ2ヤング」も同じパターンなんだよね。
 ただ、この曲の場合はイモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」っていう、超ド級な人気に押され、初登場2位だったけど・・。

 時は流れ・・・・34年後の今日は、猫も杓子も、おおよそチャートの1位争いに関わりそうもない曲まで「水曜リリース」っていうのが通常っていのうは、当時はまったく予想もできなかったけどさ。

 まあ、まっちにしてもトシにしても、やっぱりジャニーズなわけで、考えようによっては、当時からジャニーズっていうのは、それまでの常識を打ち破るような型破り・・というか前衛的な発想でリリースを行っていたとはいえますけどね・・。


 でも、どうして、まっちの場合、そこまで初登場1位にこだわる必要があったのか・・・ってところが、まず、引っかかるんだよね。

 デビュー曲の「スニーカーぶる〜す」からして、「初登場1位ぢゃなきゃ失敗だった」っていう、担当ディレクターだった小杉理宇造氏のコメントにもありますけどね。
 これは、小杉氏の自発的な考えからなのか、ジャニーズからの圧力なのか・・・っていうのは、わかんないですけどね。

 でも、たしかに「初登場1位」にこだわっていたのは、まっちの場合確かなんだよねぇ。

 ただ、理由動向以前に、具体的にリリース日にこだわっていたの、たしかだと思うなぁ・・・。

 というのも、この「ギンギラギンにさりげなく」って、シングル第4弾だけど、それまでの3作は全て「12日」発売なんだよね。

 なんで、12日発売だったのかはさだかぢゃないけど・・

・スニーカーぶる〜す   1980年12月12日リリース
・ヨコハマチーク     1981年3月12日リリース
・ブルージーンズメモリー 1981年6月12日リリース

・・・と、ここまで、「きっちり」と3ヶ月ローテーションっていうのをまもっていたわけで、このローテーションからすると

・ギンラギラギンにさりげなく 1981年9月12日リリース

っていのうのが定番だったわけだけど・・・。

 なぜに9月30日にずらしたんだろ?

今から考えると、いくつか、考えられるけどね。
まあ、全て主観なんだけど、

▼ブルージーンズメモリーが予想外にロングセラーになった。「ザ ベストテン」で9月17日までランクインするという3ヶ月を越えたベストテン入りをキープしたかんね。

 ・・・まあ、これは、次の「情熱 熱風 せれなーで」を考えるとあんまり現実的ではないけどね。


▼イモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」っていう目の上のたんこぶがあった

 ・・・・こちらが現実的なんぢゃないかなぁ・・と穿った考え方があったりして・・・。
 事実、そのまえの週、「水曜日」リリースだったのにも関わらずトシちゃんは負けてますかんね、「ハイスクールララバイ」に。
 ちなみに、この時期が「ハイスクールララバイ」のヒットのピークで3週連続で10万枚セールスを突破してたりします。

 ま、今では週10万枚セールスなんてのは、たいしたことはないんだけど、当時としては週10万枚セールスなんてのは、夢の数字に近かったですから、それが3週連続で続いたなんてのは、ホントの「お化け曲」だったわけね。

 そこまで、セールス動向を見極めていて、欲しかった、初登場1位・・・。

 うーん、なんでかなぁ・・と思うんだけど、今、考えると、この「ギンギラギン〜」に関しては、他の曲に比べて、また、特別な思いがあったのかもなぁ・・。

 時期的に丁度、各局の音楽祭と重なる時期。そこから、歌謡大賞、レコード大賞・・・と兎角、エンターテイメントなイベントが多い時期でしたからね。
 しかも、このころは、各音楽祭の全盛期。これらの音楽祭で最優秀新人賞を狙っていた、まっちとしてみれば、この曲で是が非でも初登場1位をとって「箔付け」したいっていう考えもあったんぢゃないかなぁ・・・。

 だとしたら、不用意に、当時全盛だった、薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」にぶつけて1月7日(木曜)リリースとし、初登場1位をのがしている「情熱 熱風 せれなーで」の存在もありますしね。

 ただ、この曲以降、まっちの場合 「暫く」は「末日」リリースっていうのが定番になりましたけどね。

・ふられてBAMZAI 1982年3月31日リリース
・ハイティーンブギ  1982年6月30日リリース
・ホレたぜ!乾杯   1982年9月30日リリース

「ふられてBANZAI」「ハイティーンブギ」では件の通り水曜日発売。
「ホレたぜ乾杯」と次の「ミッドナイトステーション」は、木曜日発売になったんだけども、これは、木曜日発売でも敵なし・・と踏んだからでしょうかね・・・。現に木曜発売でもどちらの曲とも初登場1位だったけど・・。

 逆に、超難関であった、次の「真夏の一秒」では、1983年4月27日と水曜リリースに戻してたりする。
 まあ、この時は敵の松田聖子「天国のキッス」も同じく4月27日リリースなんてことになってしまったのだけど・・・。
 まあ、当然、いつものパターンだったら、4月30日リリースになるところを、これでは勝てないと踏んだからでしょうけど・・・。

・・・とまあ、穿った見方ではあるけど、こんな感じで、なんでこのリリース日になったのか・・っていうのをいろいろ「想像」してみるのもヒットチャートを見る上での、面白さの一つではありますね。



なんて、曲と全くかんけーない話が続きましたが・・・この曲は、デビュー第4弾にして、初めての「ディスコ」調の、ハデハデな曲になったよね。

 それまで、「ヨコハマチーク」は別として、「スニーカー」も「ブルージーンズ」も、暗いダサめなロックだったけどさ。

 まあ、これも、上で書いたような音楽祭対策な一環ぢゃなかったのかなぁ。
 いくらなんでも、「ブルージーンズメモリー」では、いまいち、華やかではないしね。

・・・・とはいいつつ、夏に行われたいた「日本テレビ音楽祭」は、「ブルージーンズメモリー」歌ってたけど・・・。

 まあ、その辺はいろいろ考えていたんだとは思うけど、それがピタリとはまったような気がしますね。

 まあ、たしかにディスコとしては、ダサめな感じもするけど、華やかだしエンターテイメント性は、それまでの曲よりは格段にうえだったと思う。
 さすがに筒美京平、馬飼野康二コンビだけとあって、その辺はしっかりと考えていたんでしょうけどね。

ちなみに、下敷きにした曲は、イントロがロッドスチュワートの「I'm Sexy」、メロディラインは、クインシージョーンズあたりを参考にしたらしいですね。

でも、やっぱり、一般性・・・という事を考えると、この曲が一番的を得ていたんだろうな。売り上げ枚数では「スニーカーふる〜す」がダントツだけど、総合的な「ヒット」と言うところを見ると、この曲がダントツに抜きんでてるんだよね。レコード売り上げは、「スニーカー・・・」よりも20万枚以上も低いけどさ。
 
 最近は、ネットなんか見てると、「CDが売れれば勝ち」なんて、如何にもヒット曲について全て知ってる風に言ってるヒトが居るけど、そう言う事書いてるの見ると、コイツは分かってねぇなぁ・・・と思いますね。CDの売り上げ枚数と、一般浸透性を測るヒットとは違うんだよね。CD買ってるヒトだけが、その曲を支持してるとは限らないわけじゃん。
 この曲は、そのいい見本だと思いますわ。


・・・・うわ、今回は、いい気になって、ちっと書きすぎたわ。。読んでる方スイマセン。。




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