かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

見岳章

恋はくえすちょん / おニャン子クラブ

1986_11_恋はくえすちょん_おニャン子クラブ


今回の1曲セレクトは、「恋はくえすちょん」おニャン子クラブどぇす。

まずはデータどぇす。

・タイトル     恋はくえすちょん
・歌い手     おニャン子クラブ
・作詞       秋元康
・作曲       見岳章
・編曲       見岳章
・リリース日    1986年11月1日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   12.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1986年11月17日〜11月24日付
・タイアップ:フジテレビ系アニメ「あんみつ姫」主題歌

今回の頭のコトバ使い、ふざけてんな〜。  
・・・・っつうのも、今回セレクトしてきたのが、「久々」の「おニャン子クラブ」だからだったりして

だからね、↑のデータも、いつもは「アーティスト」て書く所を「歌い手」にしちゃったりして

だってさあ、「アーティスト」って感じじゃないじゃ〜ん、おニャン子クラブ。よく見積もって「歌い手」だよねぇ〜・・
ってことで。。

で、もって、今回セレクトしてきたのが、「恋はくえすちょん」。

「おニャン子」としては6枚目のシングル。リリースが1986年11月だから、ちょうど「30年」なんだよな、あれから。。。。なんか信じらんないわ〜。昨日・・・・うんにゃ、一昨日って感じだもの。

しかしね、おニャン子の曲を書くときってタイミングが難しいんだよな。・・・・と言うのも、おニャン子関連って、ヒット期間が「瞬間風速」的に短かったじゃん。ま、発売週は売れるけど、2週目ともなるとぱったりと売れなくなる。
まあ、「今」と同じような売れ方だよな。

そんな風に書くと、今の若いコなんか、「ちゃ昔は、違った売れ方してたの?」とか「時代を先取りしてたんじゃない?」とか言われそうだけども、こういう売れ方はヒット曲とは呼べないよね。ま、発売週に瞬間風速的に売れるからオリコン1位なんてとってるけどさ。。。

 ちなみに、この曲の初登場週の売り上げが6.6万枚で、最終的に12.3万枚の累積だから、累積に占める1週目の売り上げ割合が53%。 
この曲なんかはまだ良かった方だけど、曲によっては60%、70%占めてたたもんね。
まあ、最近のAKBなんかは、1週目の売り上げ割り合いは、もっと酷いけど。。。。うむ、今は1週目・・・ぢゃなくて、「1日目」なんてことになってけど。。。

とにかくね、こういう瞬間風速的な売り上げ傾向、この頃から、オリコンでも賛否両論を展開されてきてたよなぁ。もう少し後だけど、「オリコン質問箱」っていうコーナーでは、当時の社長、小池聰行氏も、こういう売れ方については各人考えて欲しい・・・っていう感じで反対に読者に問いかけしてたしな。
(まあ、そう言う口ぶりからして、こういう瞬間風速的な売れ方が良しとは思っていなかったんだと思うが)

そんな瞬間風速的ヒットの陰、うんにゃヒットチャートをダメにする現場には、いつも秋元康氏が居る・・・ってわけだわな


とか書いたりするけど、正直、個人的には、既に「おニャン子」から卒業してたんだねぇ、「あーら、またやってるわ〜」ぐらいしか、売れ方に関しては思わなかったなぁ。
 それよか、そんな瞬間風速的な売れ方の曲が多くなってきた中、逆にロングヒットの兆しを見せていた、荻野目ちゃんの「六本木純情派」とか、きょんきょんの「木枯らしに抱かれて」の方が曲的には好きだったしな。

・・・というかね、この曲ねぇ、あまりにも「コドモ」っぽ過ぎさあ、聴いてて恥ずかしくなったもの。
少なくとも、当時高校生だったワタシが聴く曲じゃないよなぁ・・・・とかさ

だってさ、しょっぱなから ♪ く く く く くえすちょん〜 ♪ だぜ〜。。。。

思いっきり「アホか〜って言いたくなる世界だったもの。

まあ、「あんみつ姫」っていう子供むけ「アニメ」の主題歌だったこともありこうなったのかもしれんけど。。。。


しかしさ、客観的に見て、「アイドル」の曲って、この頃からまーったく変わってないよねぇ。そもそも、この曲、そこらへんのアイドルグループの今度の新曲・・・なんて言っても、まーったく疑わないような・・・・。

それが良いか悪いか・・・・っつたら、やっぱ悪いな。だってさ、30年も全く進化してない・・ってことじゃん。超保守的な世界。
 ま、確かに「ビジュアル」的には3次元から、2次元へ・・・ってところも含めて変わってきたんだろうけど、こと音楽的には全く変化がない超保守的な世界。 そんなところは「演歌」と変わらないんだよね。
演歌っていつの時代も同じような節回しの曲ばっかじゃん。それと同じ。

どうしてなんだろうねぇ、もっと個性的に、いろんなジャンルの音楽を取り入れて、いろんな曲調の曲があっても良いと思うんだけどねぇ、アイドルの曲も。

まあ、「音楽」的に実験的に、いろんな音楽をやろうって言うヒト・・・これは、アイドル自身も、曲を作る作家、出し手であるレコード会社を含めて・・・が居なくなっちゃったからだろうな。

考えてみれば、この曲がリリースされた86年・・・あたりの80年代後半以降、新たな職業作家ってそれほど出て来ていないんだよね。
80年代中盤くらいは毎年のように、新たな職業作家のヒトたちがブレイクして来ていたのに。 そのあたりもアイドルの曲に進化が見られない要因なんだろうな。

やっぱり新しい血が入って事無いと進化は期待できないもんね。 しかも「音楽」を知ってる新たなヒト。
・・となるとやっぱりミュージシャン。うん、ミュージシャンでなくても少なくとも(生)楽器を通して音楽を理解している様なヒトだよね。そそそ「生」楽器を通して・・・ってところが重要。コンピューター(DTM)だけぢゃだめなんだよね、音楽の「本質」の部分は見えないよね、コンピューターでは。

この時代、今考えると勿体ない位の一流ミュージシャンがアイドルの音楽に関わっていたじゃん。この曲だって、作曲と編曲はも見岳章氏。元一風堂ですわ。
おニャン子クラブに曲を提供とは勿体ない位だったよなぁ・・・。ま、もう一人のおニャン子のサウンドブレーン、後藤次利氏もそうだけどさ。

そんな「音楽」をよく知ってるヒトが関わってきてから、80年代のアイドルの曲は毎年進化してきてたんだよね。

ちなみに、レコーディングの時のスタジオミュージシャンすごかったんだよね、おニャン子も。
超一流のスタジオミュージシャンの演奏をおニャン子がダメにする・・・・と





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あじさい橋 / 城之内早苗

1986_06_あじさい橋_城之内早苗


今回の1曲セレクトは、「あじさい橋」城之内早苗です。

まずはデータです。

・タイトル     あじさい橋
・アーティスト   城之内早苗
・作詞       秋元康
・作曲       見岳章
・編曲       見岳章
・リリース日    1986年6月11日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   15.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1986年6月23日〜6月30日付

この間、ここんところアイドル続きだったんで・・・ってことでロック系な曲を暫く書こうと思ってたんだけど、つい挫折しちゃいましたわ。。。 今回もアイドルの曲です。
まあ、アイドルと言っても、ちょこっと「?」が付きそうな曲ではあるんだけど。。。

城之内早苗 「あじさい橋」

城之内早苗さん、今でも現役ですねぇ。現役の「演歌」歌手ですねぇ。。
でも、アイドルなんですよね。

・・・・なんて白々しく書いたりして。。。 はっきり「おニャン子」でした・・・って書けよ・・・って事なんだけど

まあ、そんな事わざわざ書かなくても、ココ読んでくださって要る方には、百も承知の事実ですわね。

うむ、おニャン子だけど、「演歌」でソロデヒューしました・・・っちゅうわけで、AKBの岩佐美咲さんと全く同じだったわけですわ。

違うのは、この曲がオリコン1位を獲得していることだろうなぁ。しかも初登場1位。 うむ、演歌界初めての初登場1位・・・なんて騒がれてましたな、当時。
 でもねぇ、正確に言えば、「反則」なんだけどさ。 だって、曲は演歌っぽいかもしれないけど、あくまで「おニャン子」だったわけで。。。。

うむ、もっと正確に言えば、上で書いたように「演歌っぽい」曲ではあったものの、本当に演歌なの? って言う感じの「歌謡曲」なんだよね。
 時代が80年代も中盤だったから「演歌」で通じちゃったんだろうけど、これが70年代の前半だたら、おそらく「歌謡ポップス」に入れられていただろう・・・・って感じなんだよね。
 
例えば、森昌子の「せんせい」とか、小柳ルミ子の「わたしの城下町」とか、こんな感じだったわけじゃん。

だからさ、「演歌初の〜」っていう冠がつくのは、なんか違うよなぁ・・・っとは、当時も思ってたなぁ。

まあ、その前に、以前も書いたように、1986年4月以降、おニャン子は、今のAKBグループ同様、音楽業界をダメにする仮想敵のように思ってたからさあ、正直言うと、ヒット当時はまともに聴いても無かったんだけどね。

なんとか聴けるようになったは、おニャン子が解散した後、1988年にベスト的アルバム「家宝」を買ってからかなぁ。
 
だからね、この曲を聴くと、1986年というよりも、1988年の匂いがするんだよな個人的には。

でも、やっぱり当時の時代感と、この曲がもってる匂いにズレを感じちゃったりしてね。
だって、どう聴いても、この曲、70年代前半なんだよなぁ。色合い的にも、曲の雰囲気も。80年代というには古臭すぎるっていうか。。。。
 上で書いた、デビュー当時の森昌子的な匂いなんだよなぁ。だから、曲として評価のしようが無いって感じたのが正直なところだったかもしれないな。

ちなみに、この曲と全く同じ、作詞 秋元康  作曲 見岳章 っていう布陣で、この2年半後、美空ひばりの不朽の名作、「川の流れのように」を作ることになるって言うのは、この時点では、全く考えても無かったわけだけどさ。

 そーいえば、「私は里歌ちゃん」ちゃんなんていう、ヒット曲界に超ド級の「バクダン」を落としたのも、この2人だった。。。。。。。

なんだ、このギャップはwwwwwwww




それにしても、あれから丁度30年、まさか、本格的演歌歌手として、今も現役で歌っている・・・なんてことは、当時は考えても無かったけどな。
たしかに、おニャン子の中では歌はしっかりしていたし、コブシも廻せてたけど、それと、「プロ」の演歌歌手として通用するのか・・・ってのは、また別の話だしさ。

ちなみに、このシングルのB面が、「おニャン子クラブのあぶな〜い捕り物帖」って、タイトル通り今となっては「あぶない」曲だったんだけど、そっちが人気だったんだよな当時は。
オリコン1位とれたのは、そのおかげだった・・・ってところが強かったかもな。。。


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すみれSeptember Love / 一風堂

1982_10_すみれSeptember Love_一風堂






今回の1曲セレクトは、「すみれSeptember Love」一風堂です。

 まずはデータです。

・タイトル    すみれSeptember Love
・アーティスト  一風堂
・作詞      竜真知子
・作曲      土屋昌巳
・編曲      土屋昌巳
・リリース日   1982年7月21日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   45.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1982年10月4日〜12月6日付
・タイアップ:カネボウ82年秋のキャンペーンソング

 少し前に竹内まりやの「September」を書いた時、タイトルが「September」なのに、ヒットは10月って書いたんだけども、本命は、今回セレクトしてきた曲だよね。

すみれSeptember Love /一風堂

久しぶりに、今はなき、某K社(・・・って、上に書いてるじゃんふらふら)のキャンペーンソングです。


 衝撃的でしたね。この曲。最初聴いた時は何ていったらいいのかな、わかんなかったもん。

 シンセの細かなリズムから始まるイントロの部分からして、言葉にならなかった・・・っていうか言葉にして表現できないような、それまで聴いたことなかったサウンドだったことは確かですね。

 おなじシンセサウンドでも、Y.M.Oの無機的なテクノサウンドとは、全く違う、東洋的なそれでいて、ちょっと濡れた感じのUKロックテイストも織り込んでいて・・・。はたまた、間奏部分では、カントリー的なバイオリンが流れてきたりして・・・。

 この曲は、このジャンルの曲だ! ・・・・って言い切れないサムシングがあったんだよなぁ。

 一言で言うと、難解であり、かつキャッチーな曲。

 なんて、よくわかんない表現なんだけど・・・。譜面に興すと、この曲、当時としてはかなり、「真っ黒」な譜面になっちゃうの。当時の明星「ヤンソン」に譜面が掲載された時、なんじゃこりゃ・・・と思ったもん。16分音符と、16分休符、プラス、音の上下動の高さで、譜面が真っ黒なの・・・。

 当時、ブラスバンドで、これは絶対に吹けないと思ってた「熊蜂の飛行」(リムスキー=コルサコフ)の譜面を想いおこさせるような譜面だったもん。

 それだけ、細かで緻密な音の作りになっていたんだよね。

 それでいて、実際聴くと、キャッチーで、一度聴いたら、絶対に忘れられない「何か」があったよね。
 うん、なにか妖しい匂いがするような・・・・。


 まあ、それは、土屋昌巳氏のいでたちから、そう感じたのかなぁ。細身で妖艶な感じだったし・・・・。

 そそそ、あの年大ヒットした、「E.T」のような、または研ナオコの男版のような・・・ふらふら(うわー、稚拙な表現。。。)


 それでも、ギターテクニックと音楽性は、ズバ抜けた才能があったヒトだよね。
 Y.M.Oの坂本教授とは、別の意味で天才ですもんね。

 まあ、遡れば、坂本教授も土屋氏も近しい音楽人脈出身なんだけど・・・。(りりィのバックバンド、りりィセッションバンドのギターが土屋氏、キーボードが坂本教授・・・。今考えたら、なんて豪華なバックバンド!)


・・・で、一風堂を結成する前は、大橋純子のバックバンド「美乃屋セントラルステーション」のギタリストとして活躍してたんですよね。
(ちなみに、「美乃屋〜」っていうバンド名は、土屋氏が命名したそうで・・・)

 あ、これすごい・・・と思う曲、アーティストは、やっぱりバックバンドのレベルからして違うんだよね。

・・・で、美乃屋〜を脱退して、結成したのが一風堂。(たしか、東京の雑貨屋から名前を頂戴したんだよね。博多の有名ラーメン屋ではないです)

 メンバー :土屋昌巳 (ギター)
       見岳章  (シンセサイザー)
       藤井章司 (ドラム)

今風に言えば3ピースバンド。

 でも、ヒット曲といえるのは、この「すみれSeptember Love」1曲のみ。
 まあ、世間で言う「一発屋」なんだけど、もともと、このヒトたちは、「ヒットさせよう」と思ってバンド組んでたわけぢやないからね。
 あくまで、自分たちの音楽を模索するためのバンドだったわけで・・・。

 土屋氏は、一風堂やりながら、UKの大御所バンド「JAPAN」のギタリストとしても、平行して活躍してたもんね。
(その関係でベストテンは、毎回「ロンドン」からの中継出演だったよね)

 でもさ、そんなヒト達を、みっけて、CM曲として起用するっていう、眼力は、当時のカネボウのキャンペーンソングにはあったと思うなぁ。
 この人たちに目をかけて、引っ張ってきたヒトは凄いと思う。

 あ、これは、84年の「中原めい子」の時も思ったんだけどね。


 まあ、見た目神経質そうな、土屋氏が、実は意外に出たがりだったっていうこともありますけどね。

 だって、後年、「夕焼けニャンニャン」に出てたじゃんふらふら

 ・・・考えて見れば、おニャン子、とんねるず系の、秋元ファミリーの音楽ブレーンって、今考えると、結構すごいヒトたちが担当してるんだよね。

 後藤次利(ベース)、土屋昌巳(ギター)、見岳章(シンセサイザー)、佐藤準(キーボード)

あわわ、これで、あと、ドラムがいれば、見事にバンドになるわ。

 ドラムは、土屋人脈で、村上ポンタ氏にやってもらえれば、超強力バックバンドになってたね。

 いや、この豪華メンバーで、「おニャン子クラブ」っていう、超シロート集団の楽曲づくりと、バックバンドサポートって言うのも、ありだったかも。。。

 ホラ、このあいだ書いたような、ビーイングの長戸大幸氏が当時考えていた、アイドルに本物のサウンドをぶっつける・・・っていうやつ。

 さすがに、そこまでは、考え付かなかったんだろうな。

ちなみにキーボードの見岳章氏は、その後、秋元康氏と組んで、美空ひばりの「川の流れのように」を作ることになる。。。
この曲の頃は、そんな未来は、全く予測できませんでしたねぇ。


 蛇足だけど、「すみれSeptember Love」と聴いて、「SHAZNA」を思い浮かべる方、目を覚ましてくださいexclamation ×2 あれは「ニセモノ」ですexclamation ×2

 ウン、ワタシに言わせりゃ「カバー」にも値しないですヨ。オリジナルのいいところが全然ないんだもん。
 オリジナルのアレンジは難しすぎるから、適当にメロディなぞってるだけじゃん。

 オリジナルにあった、あの妖しい「妖艶さ」が全くない。

 いやー、当時も、ワタシかなり怒ってたんだよね。97年。 いまからもう10年前だ。

 正直、97年当時、あんまりヒット曲を聴かなくなってたのも、こういう、安易な「ニセモノブランド」的な音楽がまかり通っていた・・・っていうところもあるんだよね。




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私は里歌ちゃん / ニャンギラス

1986_04_私は理歌ちゃん_ニャンギラス






今回の1曲セレクトは、「私は里歌ちゃん」ニャンギラスです。

 まずはデータです。

・タイトル     私は里歌ちゃん
・アーティスト   ニャンギラス
・作詞       秋元康
・作曲       見岳章
・編曲       見岳章
・リリース日    1986年4月1日
・発売元      ワーナーパイオニア
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    17.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1986年4月21日〜4月28日付

えー、よく、ある物事の以前と以後では、まったく状況が異なるってことがありますが、かつてヒット曲界にも、この曲の以前と以後では、状況が全く異なるって曲が存在ました。

私は里歌ちゃん  ニャンギラス

 「私は里歌ちゃん」バクダン・・・という、かつてないほど超メガトン級核爆弾がありまして、それまで築き上げてきた、80年代アイドル界ばかりでなく、ヒット曲界すべてを木っ端微塵に吹き飛ばしたんだよなぁ。。。

 いや、間違いなく、この曲がリリースされた後と前では、状況が変わったと思いません? あのころヒット曲聴いてた御仁。

 まあ、それほど影響力があった曲ですわ。もうね、今となっては、80年代アイドルの「最終兵器」といわれてますからねぇ、このヒトたちの存在は。。

 なにがって、あまりにも「ウタがヘタ」すぎて、もうね、存在自体全部が間違ってるの。。。ふらふらふらふら
 だってさあ、肯定できるところがないんだもーん。

 個人的に、それまでは、おニャン子クラブには、肯定的だったんですよ。でも、この曲で完全に見切りましたねワタシャ。

 だからさあ、あのころって、まぢでクレイジーな時代だったと想うのよ。今、思えば。
 だってさあ、そんな曲がオリコンで当たり前のように1位とったりして、しかも17万枚も売れちゃうっていう事実からして、めっちゃ「クレイズィー」だったじゃん。
 ちなみに、初動は10万枚・・・・。

 今にして想えば、いったい、1週間に10万枚も誰が買ったんだろうなんて、首を傾げたくなったりして。。。

少なくとも、それまでヒットチャートマニアを語っていた方の何割かは、この曲のお陰でヒット曲界に愛想を尽かして、確実にヒットチャート界から去りましたからねぇ
 いや、それまで純粋にチャートを追いかけ、プラス、それらの曲を追いかけ、ヒット曲を楽しんでいた方の何割かは、確実にこの世界から去ったのよ、あまりにもヒットチャートが安っぽくなりすぎて。

 うん、現に私の周りにも、そういうヒトが何人かいた。

 実際さあ、あのころオリコンウイークリーって、ヒットチャートの雑誌というより、アイドルおたく様ご用達な雑誌になっちゃってたしなぁ。。チャートに興味がないヒトが読んでたりして。

 いやいや、純粋にヒットチャートとヒット曲を追いかけていたヒトたちにとっては、つらい時期だったよねぇ、あのころ。


っつかさあ、なんか、今って、あのころの状況に似てねぇ? あのころレコード不況があったように、今はCD不況じゃん。
 音楽の状況がつまんねーって、一般の人たちがそっぽ向いてしまっていたのも、あのころと同じだぁ。

 
 そんな状況を「打破」すべく、純粋にヒットチャートとヒット曲を楽しむ人たちで「オリコンチャート研究会」を結成するのは、これから4年後ですわ。

ま、実際は、反面教師というか、この曲によって80年代アイドルが安っぽくなったおかげで、その後のバンドブームやカラオケブームが加速し、CD売り上げが急速に伸びることになるんだけどね。

 果たして、この先、あの時と同じように、音楽業界も立ち直れる時期が来るんですかねぇ。

そんじゃ、最終兵器な曲を聴いてみますか。。。みなさん耳栓のご準備を。。。




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