かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

西城秀樹

薔薇の鎖 / 西城秀樹

1974_03_薔薇の鎖_西城秀樹

今回の1曲セレクトは「薔薇の鎖」西城秀樹です。

まずはデータです。

・タイトル     薔薇の鎖
・アーティスト   西城秀樹
・作詞       たかたかし (原案 斎藤優子)
・作曲       鈴木邦彦
・編曲       馬飼野康二
・リリース日    1974年2月25日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   33.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年3月11日~4月29日付

春と言うのに昨日は一時雪が舞ったりして季節が逆戻りした感じですわな。 一転今日は快晴ではあったけど風が冷たい1日でしたわ。
でも、陽の光は完全に「春」ですね。ついこの間までは陽の光も「冬模様」だったけど、季節は確実に進んでいる訳ですね。
そうだよな、3月も今週いっぱいなわけで、来週から4月だもんな。

でもさ、やっぱり、こういう時期になると、いくら「寒の戻り」ちゅうても、「春っぽい」きょくが聴きたくなるもんですわ。

・・・・ということで、今回の1曲は「春っぽい」曲を1曲。

西城秀樹「薔薇の鎖」。

うーむ、この曲は「春」っていうか、個人的には「初夏」っぽい匂いを感じたりするんだけど・・・。

でも、実際リリースは、2月の終わり・・・春を感じる時期だったし、Bメロの

♪空には明るい春の光が~ ♪ 

ってあるように、間違いなく「春」の曲ではあるんだけどさ。

それでも「初夏」を感じるのは、全体的なサウンドからなんでしょうかねぇ。

ミニコミ誌「よいこの歌謡曲」編集長の梶本学氏が絶賛している、ぶりぶりなサックスで始まるイントロからして、春っていうよりも初夏の温度感を感じたりするしな。

なんちゅうのかな、湿度感を感じるんだよな。 

春っていうと、もっとすっきりとしたストレートに「ポップ」を感じる曲調って言う頭があるんだけども、この曲は、ポップスというよりもロックだからさ。匂いは。

ニッポン放送ののサイト内にある「大人のミュージックカレンダー」によると、シンプルなオールデイズスタイルのロックンロールとある。

確かにこの表現に異存はない・・んだけど、でも、やっぱり、個人的にはちょっとイメージが違うんだよな。

え? 何が引っかかるか・・・っちゅうと、シンプルなロックンロールとウタっている点。

どうも、ロックンロールっちゅうと、個人的にはどうしても、横浜銀蝿的なスタイルを想像してしまう。

けど、この曲は横浜銀蝿っぽくないよなぁ。

ロックンロールというよりは、イタリアンツイストってイメージがあるんだよね。

まあ、ベースラインがそんな感じだから・・・って言うところからなんだけど。

80年代で言うと、三原順子の「セクシー・ナイト」とか、あの感じのベースライン。

でも、「セクトーナイト」ほど濡れた感じがしないのは、この曲がメジャー系だからか。 その点から言えば、同じ秀樹81年のヒットの「セクシーガール」に近いのか。。。

いや、まてよ「セクシーガール」は横浜銀蝿が作ってるんだよな・・・。

・・・とすると、やっぱ↑の「大人のミュージックカレンダー」でロックンロールと言及しているのは間違いないのか・・・。

なんか、堂堂巡り。。。。。。


この曲といったら、ヒデキのマイクスタンドのパフォーマンスって言われてたりする。
マイクスタンドを蹴りあげて歌うっちゅう、派手なアクションがキモっていう。

まあ、そんな風に文章で書くと、さぞド派手なアクションがあるんだろうな・・・・なんて、想像しちゃったりするんだけど。

いや、この曲をリアルタイムでは聴いて無かったワタシも、昔、そう聴いて、めっちゃ派手なアクションを想像した上で、実際の映像を見たら、思ったりも派手さがなくて、ちょっと調子抜けしたような記憶がある。

たしかに、マイクスタンドを蹴りあげるシーンはあったりするんだけど、そんな「伝説的」に言われるほどの事なのかいな  ってな感じで。  もっと派手なマイクアクションって他にもあったよなぁ、世良公則氏がツイストでみせてたマイクアクションとか 

でもさ、これでも74年当時としては画期的だったんだろうね。

それまでは、マイクスタンドを蹴りあげて歌う・・なんてアクションは、少なくとも日本のヒット曲ではなかった訳だから。。

・・・というか、蹴りあげたくても蹴りあげられなかったんだよね、重くて。

それまでのマイクスタンドって「鉄製」だったんだよね。 

ワタシ、小学生の時、放送委員で、学校にも鉄製のマイクスタンドがあったんで覚えてるけど、足の部分がスタンドが倒れないように丸い重しのようになってて、これがめちゃくちゃ重いのよ。とても、蹴りあげアクションなんでできない。 蹴りあげた途端、捻挫ですよ確実に。

ぢゃ、なんでヒデキは、こんなパフォーマンスが出来たのか・・・

っちゅうと、「大人のミュージックカレンダー」出来言及しているように、直前に見たロッド・スチュワートのショーからヒントを得て、アルミ製の軽ーいマイクスタンドを特注したからなんだよね。

・・・っつか、上に書いた事って ↓ で言及してたりするんで、今さらココで書くことでもないんだけど・・・



(ココでは再生が無効になってるんで、「この動画はYou tubeでご覧ください」。リングをクリックしてみてね)

いずれにしても、この曲の前後が、派手なアクションを魅せてたヒデキの「第1次」全盛期だったんだよね。
前年の「ちぎれた愛」から、5作連続で30万枚以上の売り上げを記録。

当時の水準では、特にアイドルでは30万枚が大ヒットの境界線って言われてた時代、5作連続で30万枚っていうのは、文字通りのスターだった訳ですわ。

ただ、個人的に言えば、ヒデキと言ったら、馬飼野康二氏の曲って言うイメージなんだよなぁ。
まあ、この曲もアレンジは馬飼野氏ではあるけど、作曲は鈴木邦彦氏なわけでさ。

鈴木邦彦氏時代の曲は、メロディライン今一つしっくり来ないんだよなぁ。 どうも前時代というか古さを隠せないと言うか・・・。 洋楽的なサウンドの中に、どこか「日本人気質」を感じちゃったりね。
これは、同じ70年代前半に一世を風靡していた森田公一氏もそう。

だからなのか、ヒデキの曲でもこの辺りは、一つ前の時代の・・・って言うイメージなんだよね、個人的には。




ちなみに、↑のデータで作詞に「原案」っていれたのは、この曲、もともと「平凡」読者から公募で募集され選考された歌詞を参考に、作詞家のたかたかしさんが詞を付けた曲なんですよね。

当時は、こんな「平凡」とか「明星」から歌詞の公募選考されたヒット曲ってあったんだよね。 タイガースの「花の首飾り」もそうだったしね。




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情熱の嵐 / 西城秀樹

1973_06_情熱の嵐_西城秀樹


今回の1曲セレクトは、「情熱の嵐」西城秀樹です。

まずはデータです。

・タイトル    情熱の嵐
・アーティスト  西城秀樹
・作詞      たかたかし
・作曲      鈴木邦彦
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1973年5月25日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数 24.6万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年6月25日〜7月23日付

秀樹逝去報道から1カ月近く過ぎて、ようやく落ち着いてきたという感じがしますね。一時は、この「1曲セレクト」もアクセスは秀樹一色って感じでしたから。
まあ、そう言う状況だったんでこういう時にこそ、秀樹の曲を持ってくるべきなんじゃないか・・・なんて、一瞬考えたんだけど。。。

ただ、あの時のタイミングで、同じ時期にヒットしていて、かつ、まだ書いてなかった曲が無かった・・ということで、あえて、書かなかったんだけどね。 

でも、あれから若干時間が過ぎ、ようやく、この時期にヒットしていた、まだ書いてない曲が出てきたんで、今回は、改めて引っ張って来たわけですね。

「情熱の嵐」。

1973年の今頃、デビュー5作目のシングルとして、リリースされ、初めてオリコンでベストテン入りした曲ですわ。
今回の秀樹の逝去によってこの曲もテレビから、大分流れて来てましたよね。

ただね、今回この曲を書くにあたって、改めてオリコンの資料を調べ直したんだけど、ちょっと誤って覚えてたなぁ・・・っていう印象が強かったりして・・・。

そもそも、この曲オリコン最高6位っちゅうところから、誤って覚えてたし・・・。

ま、確かにね、初めてベストテン入りした曲って言うのは間違ってなかったんだけども、順位は、もうちょっと上まで行ってたよな・・・っていうイメージだったしなぁ・・・。

それより何より売り上げ枚数ですよ、 24.6万枚  少なっ 。

いや〜、この曲の売り上げは、長年35万枚って覚えていた・・・っちゅうか、そのくらいのイメージだったんだよな、ワタシ。。。

いわいる「大ヒット」って言うイメージですよ。 うん、昔は大ヒットラインって、30万枚ラインって言われてたしね、それは、上回っていた・・・って覚えてたの。

それよりも、10万枚も少なかったか・・・・。 しかも、ベストテン入りしてたのは1カ月あまりだったんだよね。

そんなチャートアクションから見ても、お世辞にも大ヒット・・・とは、なかなか言いにくい・・・まあ、そんな感じなんだよね。

売り上げだけ見ると、秀樹的には「並」・・・って言う感じなんだよね。


それでも、 「大ヒット」してたって言うイメージが、この曲にあるのは、やっぱ、初めて「ベストテン入り」した曲って言うところが大きいのかなぁ。 やっぱり、「上り調子」って言う時の曲は、ことさらヒットしたって言うイメージが強いからな。

それとなんと言っても、この曲の曲調だろうな。 インパクトが強いブラス・ロック。 ワイルドな秀樹って言うイメージが定着したのも、この曲からといっても過言じゃないからなぁ。

兎に角、ブラス・ロックなこの曲はかっこいいんだよね、あれから45年も経った今聴いても、アクの強さは感じるもの。 ・・というか、下敷きはチェイスの「黒い炎」だよね、っていうのはミエミエなんだけどさ。 でも、これがいいのよ。 当時、日本のポップスで、ここまでブラス・ロックがキマってた曲って、少なくとも当時のヒット曲には、無かったしねぇ。

いや、確かにブラスを使ってた曲は、それ以前にもあった。 でも、ダサい使われの曲が多かったんだよね。
いわいる4,7抜きの演歌、歌謡曲の流れを汲んだようなチープなフレーズが多かったりして。

でも、この曲は、当時、流行ってたブラス・ロックをより意識したフレーズが、より洋楽的だったしな。 

今でこそ、より洋楽的って言う曲は、逆に当たり前過ぎてツマンなく思うワタシだったりするけど、当時は、全くの逆で、より洋楽的な曲の方が断然かっこいいんだよね。 70年代くらいまでの曲で4,7抜きのチープな歌謡曲的フレーズの曲って言うのは、やっぱ、耳に障るんだよなぁ。 まあ、昔ほどの生理的拒絶感っ中のは無いんだけど、やっぱ気にはなんだよね、未だに。

ただ、欲を言えば、もっとエゲツさかあっても良かったかな・・・とも思う。 本家のチェイスの「黒い炎」って、もっともっとエゲツだし、スピード感もあったじゃん。 それがより強いインパクトとなって帰ってきてたし。

それを考えると、もっともっと踏み込んでも良かったんじゃないかなぁ・・・とは個人的には思う。

まあ、70年代の歌謡ポップスのレベル・・・これは、作り手というよりは、リスナーレベルを考えると、この曲のように、実際は、まだ、ちょっと余力があるくらいの抑えめ感があって良かったのもかもしれないけど。。。

それは、秀樹の、この先の伸びしろを考えた上でも、最初からマックスであるよりも良かったのかもしれないけど・・・。



ぷぷぷぷ、この動画も直リンが無効にされてる。。。最近多いなぁ。
お手数なのですが、動画が見たい方は「この動画はYou Tubeでご覧下さい」リンクをクリックしてね。。。


うーむ、曲を聴くと、やっぱり秀樹は、アッパーなロックチューンがカッコイイよなぁ。
馬飼野康二氏の功績がでかいよね。 うん、初期の曲は馬飼野氏があってこその秀樹だもんね。

昔、明星のインタビューで馬飼野氏が、自らのメロディは絶叫型が得意って語っていたけど、これには秀樹が最も嵌まってたもんね。
 まあ、後年の松崎しげる氏の大ヒットナンバー「愛のメモリー」も馬飼野氏。うん、絶叫型ですねぇ。まあ、あれはあれで、初期の秀樹の一連のヒット曲とは別の意味でスゴミがあるんだけどさ。

それと、再三書いたようにブラス・ロックですねぇ。これ、また流行んないかなぁ・・・なんて、個人的には思ってたりするんだけどなぁ。 まあ、ワタシがブラスやってたからって言うのが大きいんだけど、カッチョ良いんだもん。
兎角、ロックっいうとエレキ中心のバンドサウンドなわけだけど、ブラスが入って来ると、エレキサウンドとは、また違って華やかだしさ。
まあ、これだけシンセが広がっちゃうと、今後はほぼ不可能な形態なんだろうけどさ。ブラス・ロックは兎角、人数が居るし、人数が居るって事はそれだけ人件費がかかる訳だし。。。


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この愛のときめき / 西城秀樹

1975_03_この愛のときめき_西城秀樹


今回の1曲セレクトは、「この愛のときめき」西城秀樹です。

まずはデータです。

・タイトル    この愛のときめき
・アーティスト 西城秀樹
・作詞      安井かずみ
・作曲      あかのたちお
・編曲      あかのたちお
・リリース日  1975年2月25日
・発売元    RVC
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数 27.7万枚
・ベストテンランクイン期間:1975年3月10日〜4月14日付

久しぶりの1日2曲書き。いわいる「ダブルヘッダー」ってやつですわな。
ま、明日書いてもいいんだけども、最近、平日は腰が重くなって筆を上げたくなくなるんでねぇ、今日のうち書いてしまおうか・・・とPCに向かってたりします。。。。

ここでも何回も書いたような気がするけど、ワタシがヒット曲の世界に足を踏み入れたのは1978年11月。
だから、それ以前の曲は基本、リアルタイムでは聴いてない事になるわけだけど。。。

無論、全てではないけどね。 ピンク・レディーもキャンディーズもそれ以前からテレビでは見てたし、初めてカラオケで歌ったのは、77年の年末ごろに石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」だったしね。
ま、どこで曲を覚えたのかは、記憶にないんだけども。。。。。

ただ、大多数のヒット曲は「後付」で聴いた曲って言う事になる訳ね。
中には生理的に合わないなぁ・・・なんて思う曲もあったりするけど、逆に、「あ、これは掘り出し物だ」なんて自分でナットクしちゃう曲もあったりしますね。

今回は、そんなヒット当時は聴いてなかった(ハズ)だけど、後年、聴いて「これは!」って思えた、個人的"当たり"曲をひとつ。

西城秀樹「この愛のときめき」。

うーむ、秀樹の曲って、曲調が似たようなものも結構あるけど、タイトルも似たようなのがあるんだよな。
78年の丁度今頃のヒットで、「あなたと愛のために」ってあるけど、この曲は、それより3年前。75年の今頃のヒットですわ。

当時、ワタシはと言えば5才。

当然、ヒット曲なぞ、また聴いてませんでした。。。 ってか、能動的には・・・っていう注釈が入ってしまうけど。。。
もちろん、テレビで流れてた曲のの中には、進んで聴いてた記憶は無いけど、体のどこかで覚えてる曲もあるんだけどさ。

このヒデキの12枚目のシングル、「この愛のときめき」も、当然、当時は「能動的」には聴いてなかった訳でね。
初めて聴いたのは、大人になってからですね。90年代にリリースされた秀樹のベスト盤でだったと思う。

イントロを聴いただけで、これは「ビンゴ!」で閃いたなぁ。

それ以前の秀樹と言ったら、「情熱の嵐」や「激しい恋」などのプラスロック調のアッパーチューンか、はたまた「傷だらけのローラ」のような、超大げさな激情型バラードか・・・って言うイメージが強かったんだけどさ。

この曲は、そう言う激しさがない。ミディアムバラードチューン。

すこしゴスペル調のコーラス。その後の流れも、ゴスペルのようなコーラスを生かした曲調でね。 それまでのヒデキの曲ではなかったような曲調が新鮮なんだよな。

まあ、全体的に「歌謡曲」というよりも、洋楽にコミットしたような曲調が多かったけども、この曲もそんな流れを汲んではいる。
 けども、コーラスを多用した曲の切り口は、それまでの曲には無かったような切り口なんだよね。

特にサピノメロディラインとコード進行が印象的。

♪ どんなふうに 愛したら わかってくれるだろう〜 ♪ の♪ わかってくれるだろう〜♪ でメジャーからマイナー調に転調するコードの響きがねぇ、個人的にグッときたりしてね。

曲を聴いてると、結構難しいコード進行のようにも感じるんだけども、今、ネットでこの曲のコード進行を調べてみると、意外にもかなりシンプルなコード進行なんだよな。

ゴスペル風に聴こえるところから、テンション系のコードも多いか・・・と思いきや、メジャーコードが多いな。
ちょっと意外。
音源聴いてると、結構複雑な響きに聴こえたりするんだけどもね。

でもね、上で書いたようにベスト盤で初めて聴いた・・・・はずなんだけどねぇ、なんか、懐かしい気分にさせてくれるんだよな、この曲。
もうね、何回も書いてるけど、ヒット曲って、そういうノスタルジーな気分にさせてくれるから不思議。

初めて聴いた時は、75年の今頃の曲・・・なんて分かんなかった筈なのに、浮かんでくる絵面は、ちゃんと75年頃の風景なんだよな。
当然、まだ福島の「いわき」に居た頃だ。まだ幼稚園だったころ。送り迎えのスクールバスから見えた風景。
この曲を聴くと、そんな風景が見えてきたりする。

上でも書いたように曲調が、優し目なミディアムチューンなんでね、見えてくる風景も穏やかの風景なんだよな。

もしかしたら、知らず知らずのうちに、当時、この曲耳にしてたのかなぁ・・・なんて疑いたくなるほど、鮮明な風景が脳裏に浮かぶ。

やっぱ、そう言う曲ってどうしても引っかかるんだよね。 曲聴いて情景が浮かばない曲は引っかからないんだよね。

ちなみに、当時、ワタシ、幼稚園の送迎バスの中から、電柱についてる「番号」を数えたり、家でも電話帳読んだり、ロードマップが好きだったり、ヘンなガキだったんだよな。
 なんかね、ロードマップ見てると、絵が浮かんできたり、電話帳の数字の羅列とか、住所から絵が上んできたり・・・ちょっと危ないところがあったガキだったのよ。
よく言えば、「空想好き」だったんだよな。

ま、今でもヒトがやらないような事をやるっていう「変」なところは、当時から変わってないんだけども。。。


・・・・動画、流石に42年も前の曲の動画はそうそうないかなぁ。少なくともYou Tubeには適当な動画がなさそう。。。
・・・と思ったら、他のサイトにあった

http://www.dailymotion.com/video/x1yvjse_%E8%A5%BF%E5%9F%8E%E7%A7%80%E6%A8%B9-%E3%81%93%E3%81%AE%E6%84%9B%E3%81%AE%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%82%81%E3%81%8D-1975_music

75年のレコード大賞の時のもんだけどね。
一番気になったのは、曲の前に挟まった、秀樹の「セリフ」なんだけどさぁ。 なんじゃこりゃ、この気持ち悪いセリフは。 これ、いつも言ってたのかな? 当時の他の歌番組の動画が無いんでよく分かんないんだけど。。。

小川哲哉氏の歌紹介のアナウンスは流石にうまいっすね。イントロ部分できっちり収まってる。


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聖・少女 / 西城秀樹

1982_07_聖・少女_西城秀樹


今回の1曲セレクトは、「聖・少女」西城秀樹です。

まずはデータでする。

・タイトル     聖・少女
・アーティスト   西城秀樹
・作詞       松本隆
・作曲       吉田拓郎
・編曲       瀬尾一三
・リリース日    1982年6月21日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数  17.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1982年7月12日〜19日、8月9日付

今日は雨降りの1日だったなぁ。今年は雨が少ない関東地方な訳で、1日中雨が降ってた土曜日っていうのも久しぶりって感じだったよなぁ。しかも肌寒い1日で・・・。まあ、梅雨っちゃ、梅雨らしい1日だったんかな。
 こう、1日どんよりとした薄暗く肌寒い梅雨の7月・・・というと、福島の田舎から千葉に出てきた時の事を思い出す。

あれ? 今日って7月9日だったっけ  そうか、気が付かないうちに35年目に突入したんだよな、福島から千葉に出て来て。。。 あれは、確か昭和57年(1982年)7月6日だったはず。
 やっぱり、今日のような「どん曇り」な1日だったよなぁ、雨は降ってなかったけど。

・・・とは言っても、まあ千葉に居る期間の方が、福島に居た頃よりも、すでに3倍近くなっちゃった私なんで、いまやすっかり千葉県民なんですが。。。。。


・・・・というわけで、今回は、ワタシが福島から千葉に出てきた頃にヒットしてた曲を持って来ますか。

西城秀樹「聖・少女」。

うわっ、「知らないわ、こんな曲」・・・なんて言う方の方が多いよな、きっと。。。

まあ、そんな今となっては、完全に死角に入ってしまっているような曲ですわな。でも、これでもれっきとしたオリコンベストテンランクイン曲だったりするんだけどね

↑で、34年前の今頃ヒットしてた・・・って書いたんだけども、正確には7月第3週目・・・だから、今年で言えば週明けの週にベストテン入りして来たって感じだったんだけどさ。

当時、個人的にヒット曲の情報を仕入れてたのは、ラジオしかなくてさあ。
福島から千葉に出て来て、一番嬉しかったのは、ラジオで東京キー局の音楽番組が1日中聴けるようになったことかなぁ。
福島に居た頃も、一応電波は届いてたんだけども、昼間は電波障害が酷くて、ほとんど聴こえなかったんだよね。夜、電波障害がやや改善される時間帯に、それでも雑音越しで聴いてたのが精いっぱいでさ。

そんな中、真っ先に確認したかった曲の一つが、実は、この「聖・少女」だったんだよなぁ。

・・・・・というのもね、月刊「明星」の付録の歌本には、6月発売の1982年8月号には、この曲、新曲として掲載されていたから、新曲としての情報は知ってたんだよね。

でさあ、気になったのが、この曲の作家が、 作詞 松本隆、作曲 吉田拓郎、編曲 瀬尾一三・・・っておおよそそれまでの秀樹の曲ではなかったような組み合わせだったじゃん。

まあ、作曲の吉田拓郎氏と、アレンジャーの瀬尾一三氏と組み合わせは、それまでも吉田拓郎氏自身の曲で、コンビを組んでいた訳で、珍しい訳じゃないけどさ、 そこに、作詞の松本隆氏が絡んできて・・・・。

しかもタイトルが「聖・少女」でしょ。

どうもねぇ、「聖・少女」っていうタイトルと吉田拓郎氏っていうのが、想像できなかったんだよな

この曲のちょっと前に吉田拓郎氏がリリースした曲が「唇をかみしめて」でさあ。。。
そそそ、♪ええかげんなやつじゃけ〜 ♪ってあの全編「広島弁」で歌っていた、男臭〜い曲ですわ。
それがあったもんだから、余計「聖・少女」って言うタイトルの曲が想像できなくてさあ・・・

時に秀樹も、出身は広島だったし、やっぱり、「唇をかみしめて」のような。タイトルとはミスマッチな男臭いメロディなのかねぇ・・・なんて思ったりして。。。

だからね、ラジオのベストテン番組で、この曲がかかるのを期待してたわけですわ。

で、千葉に越してきて、翌週のベストテン番組ですわ。確か文化放送の「全日本歌謡選抜」だったと思う。
雑音が全く入らないクリアな音で「歌謡選抜」が聴けるようになったのが嬉しくてさ。
期待通り、この曲がかかって聴いてみたら・・・・・

あ〜ら、予想してた様な雰囲気とは、ぜーんぜんちがう、軽いタッチのポップスじゃないですか。

・・・というかね、メロディを辿って行くだけでは、吉田拓郎氏の匂いを全く感じない。

それまで拓郎氏が、他のヒトに提供した曲、例えば、キャンディーズの「やさしい悪魔」にしても、森進一氏の「襟裳岬」にしても拓郎氏の匂いは感じた訳じゃないですか。

でも、この曲はそういう匂いを感じさせないんですよね。


なるほど、それはそれで凄いな・・・と思うと度もに、ちょっと期待外れ・・・だった部分もあったりね。

当初予想していたような、男臭い「聖・少女」ってところが無かったんでさ・・・。

特に、サビの ♪ Say it〜〜 少女 ♪ って部分、実は、明星の新曲情報で掲載されていた楽譜で、あそこが一番気になっていたんだよね。
 これ、男臭い曲だったら、どう歌ってんだろ とかさ

でも、実際は、軽く歌ってたじゃん。 瀬尾氏が、ここまでポップに仕上げたアレンジってのも、それまでは聴いた事無かったんだけどさ。やっぱりフォーク、ニューミュージック畑のヒトですからね。
だから、なんか拍子抜け・・・っていうのも否めなかったんだけどさ。でも、やっぱり吉田拓郎氏の臭いは感じなかったなぁ。

 一体、吉田拓郎氏は、一体どういう感じでこの曲書いたんだろう とかさ、逆に謎が深くなっちゃりして。。。


・・・なんて思ってたら、ようつべに、アルフィーの坂崎氏との「オールナイトニッポンゴールド」で、この曲について語ってた時の模様が落ちてたね

↓ コレ


ぷぷぷ、余計な話だけで、曲についてはほとんど言及してないワwwww
でも、冒頭、アコギでこの曲を演ってるけど、アコギでやると、なんか急にフォークソング・・・否、拓郎節っぽく聴こえますね、やっぱり。。。

坂崎氏とのバカ話を聴いてると、この曲、それほど深く考えて書いてなかったような。。。


・・・ということで、本家、秀樹で曲をひとつ。。。






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激しい恋 / 西城秀樹

  1974_06_激しい恋_西城秀樹


今回の1曲セレクトは、「激しい恋」西城秀樹です。

まずはデータでする。

・タイトル     激しい恋
・アーティスト   西城秀樹
・作詞       安井かずみ
・作曲       馬飼野康二
・編曲       馬飼野康二
・リリース日    1974年5月25日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   58.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年6月10日〜7月22日付

えー、野口五郎、郷ひろみ・・・と来たら、最後はヒデキを書かないわけにゃいけませんよね。うむ、新御三家。
というわけで、今回は西城秀樹氏の曲を持って来ましたわ。

と言っても、やっぱり、ヒデキもこの時期のヒットって意外と多いんだよね。 じゃ、何を持ってこようか・・・とおもったんだけど、今回は、この曲を。

「激しい恋」

うーむ、初期のヒデキの代表曲といってもいい曲ですよねぇ。
そそそ、例の ♪ やめろと言われても〜 (ハー ハー)♪ ですよん。ちびまる子ちゃんにも出て来ている

 この曲は1974年、昭和49年の今頃のヒットなんで、ワタシは5才になる前、4才10ヶ月でしたねぇ。
やっと物心がついた頃・・・って感じかなぁ。

 でも、この曲は歌ってましたねぇ、当時。 たしかドリフ、「8時だヨ 全員集合」でカトちゃんがパロってたんじゃなかったかなぁ。 それで覚えちゃったような気がするな。
 まあ、「曲」としてちゃんと聴いてたわけじゃないけどね。 個人的に、この曲となぜか「仮面ライダーV3」がセットになって覚えてるんだよな。

 なぜかっていうのは、よく分かんないんだけどさ 曲だって、全然関連性が無いんだけどさ。。
まあ、推測なんだけど、この「激しい恋」のイントロの「笛」みたいな音があるじゃん。 これが、「仮面ライダー」が出てくる時の音に聴こえたような・・・気もするんだよなぁ。
 
 ま、大人の今となっては「全然違うじゃん」って感じだけど、なにせ42年も前の話だし、まだ物心ついたばっかの頃だからねぇ。

ところで、今、この曲を聴くと、さっすがに古さは隠せないし、プラスセクションがダサいな・・・なんて思ったりもするんだけど、これでも当時はカッコ良かったんだよねぇ。ヒデキのアクションとかさあ。
 ま、今からすれば、もろ「70年代」っていうサウンドだったりするんだけどさ。御三家の中でヒデキの立ち位置は「ワイルドさ」ってことだったけど、この曲んなんかは、そんなワイルドさが良く出てたんじゃないかなぁ。

基本は、ブラスロックでしたよね。ヒデキの場合。底辺に、当時のシカゴとかチェイスあたりのブラスロックの匂いは微かにするんだけど、それでもまだ70年代の解釈・・・というかテクニック・・というかさ、70年代前半の歌謡ポップスの匂いが抜け切れない訳で、表面的には、まだまだ垢ぬけてないんだけどね。
 でも、そんな「歌謡曲」が抜けきれなかったのが、売り上げ的には良かったのかもな。 この曲は58万枚強も売り上げて、ここまでのヒデキの最高売り上げとなったわけなんだよね。
それでもオリコンでは最高位が2位。

うーむ、ヒデキの初期の代表曲なんだけどなぁ、それでも1位取れなかったんだよね。 まあ、それだけ当時のオリコン1位っていう地位の重さを表している訳なんだけどねぇ。

それと売り上げに反してベストテン入りが1月半ほどと、当時としては意外と短かったんだよね。これはちょっと意外だったな。 最高位2位と言っても週間売り上げは、そこそこ良かったようだね。
「ようだね・・・」っていうのは、当時の週間売り上げの資料が手元にないんでさあ、推測なんだけどさ。

ただ、それまで、僅かな例外はあったけど、アイドル系は50万枚が壁・・っていうのが通説だったんだけど、この曲は軽く、それをも破ってきたからねぇ、それだけ人気があった訳なんだよね。

ちなみに、この曲の次が「傷だらけのローラ」だったんだよね。 そそそ絶叫系の名曲ですわ。

馬飼野康二氏といえば、「絶叫系」っていうイメージがあるのは、やっぱり当時のヒデキとか、松崎しげる氏の「愛のメモリー」のイメージが強烈だったからだと思うんだけど、それに比べると、この「激しい恋」は、そこまでは絶叫系じゃなかったよね。まあ、サビの最後は、少し叫びきみなメロディになってるけどさ。

それでも、「傷だけらのローラ」の売り上げは34万枚と、この「激しい恋」に比べると、大分下がっちゃったからねぇ。 前回、郷ひろみ氏の「タブー」でも書いんだけど、牛乳も濃すぎると飲みづらいのと同じで、名曲でも曲自体が「濃すぎる」と、売り上げも伸びづらい・・・って言う傾向はあるよな(今でもあるかもしれない)





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南十字星 / 西城秀樹

1982_04_南十字星_西城秀樹








今回の1曲セレクトは、「南十字星」西城秀樹です。

まずはデータです。

・タイトル    南十字星
・アーティスト  西城秀樹
・作詞      竜真知子
・作曲      水谷公生
・編曲      佐藤準
・リリース日   1982年3月25日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  22.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1982年4月19日〜5月10日付
・タイアップ:映画「南十字星」主題歌


新年度が始まって半月ほどが経ちましたねぇ。 今年新入学、新社会人になられた方々は、新しい環境に慣れましたでしょうかねぇ。
 ヒトによっては、新しい環境に順応するのが早い方もいらっしゃったりしますが、ワタシはどうも、その辺が苦手でねぇ、新しい環境に慣れるには、時間がかかるヒトなんだよね。

なんて考えてたら、そう言えば、新たな環境に慣れてなかった頃の曲を、今回は持ってこようか・・・と思の、今回はこの曲をセレクト。

西城秀樹「南十字星」

この曲は、1982年のちょうど「今頃」ヒットしてたんだけど、ワタシ的には、この時中学1年だったな。
中学生っていう新しい環境に慣れなくてねぇ、かなり戸惑ってた頃の曲ですわ。

この曲を聴くと、あの時の「戸惑い」っていうのかなぁ、かんな地に足がついてなかったような頃を思い出んだよな。
 そういえば、新しく友達になったばかりのやつと、山の上の公園に遊びに行った帰り、その友達が下り急斜面で自転車のハンドルを取られて転倒、頭に数針縫うけがをしたっけ・・・とかさ。
なんか、そんなマイナスな事が、この曲を聴くと思いだされたりするんだよなぁ。

まあ、それも、この曲自体、淋しい曲だから・・・って事もあるのかなぁ。

この曲、映画「南十字星」っていう、戦争モノの映画の主題歌だったんだってねぇ。。。うーん、それは覚えてないなぁ。 たしかに、なんかのタイアップがついていたような気はしてたけど。。。
 
淋しい曲調ななのは、戦争映画っていうところから来ているようですね。

 ただ、かといって、ガチガチの戦争系の曲・・・と言う事もない。

 「ガチガチの戦争系」・・・なんてかいてもよく分かんないですよね。。

いや、あの頃はさあ、毎年終戦記念日近くなると、戦争モノの映画って毎年のように作られていたんだよね。
1980年は「二百三高地」、前年の1981年は「連合艦隊」、この年1982年は「大日本帝国」・・・なんて具合にさ。

で・・それぞれの主題歌が、さだまさし「防人の詩」、谷村新司「群青」、五木ひろし「契り」だったするんだけど、それぞれの曲をごぞんじなら、どんな感じかわかりますよね、「ガチガチの戦争系」の曲調って。
 文部省のお役人が泣いて喜ぶような・・・感じ・・・といったらいいでしょうか。

ま、そういう、ガチガチに真面目な曲調・・・と言う訳ではなく、程良くポップス系な味付けは残っているって感じですね。

それでも、前曲の「ジプシー」っていう激しい曲からすると、かなり落差があった訳で、最初は、ちょっと戸惑ったような気がするな。

あ、そうそう、その時の戸惑いが、中学生になったばかりの戸惑いとリンクしてたんだ、ワタシの場合。

ただ、それでも、この曲、売り上げは20万枚オーバーと、当時の秀樹としては80年12月の「眠れぬ夜」以来、1年数か月ぶりの20万枚越えだったりしたんだよなぁ。
 うむ、結構、支持はあったんだよね、この曲。 ただ、それ以来30数年、今の今まで20万枚オーバーの曲は出てないんで、実質これが最後の20万枚オーバー の曲って事になるのかな。

 ちなみに、この曲の途中で、デビュー以来の累積売り上げが、1000万枚を突破したんだよね。

今でこそ、オリコンも50年近くの歴史をかさねたんで、累積売り上げ1000万枚のアーティストも数多く出ているけど、当時はまだ、数少なくてね、 ピンク・レディー、森進一、山口百恵、沢田研二に続いて、オリコン史上5組目の1000万枚突破アーティストでしたね。

そんな記念の曲でもあったんだよな、この曲は。



この曲というと、なぜかバックが「カラオケ」って事が多かったんだけど、珍しく「生演奏」だったんで、
この動画をセレクト。



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あなたと愛のために / 西城秀樹

1978_03_あなたと愛のために_西城秀樹








今回の1曲セレクトは、「あなたと愛のために」西城秀樹です。

まずはデータです。

・タイトル     あなたと愛のために
・アーティスト   西城秀樹
・作詞       東海林良
・作曲       大野克夫
・編曲       水谷公生
・リリース日        1978年3月5日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  21.4万枚
・THE CHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1978年3月20日〜5月1日付

西城秀樹さんの曲も、ついこの間書いたばっかりなんだけど、また今週も持ってきちゃいました。
アルフィーも「今頃」のヒットが多いんで、ここのところ毎週のように書いてるんだけど、秀樹も今頃のヒットが意外と多いんだよね。

まあ、秀樹の場合、昨年も「今頃」に何曲か書いてるんだけど、今年も去年書かなかった曲を、この先頻繁に書いていくことになりそうな気配。。。。

今回は、1978年の「今頃」のヒットであった、「あなたと愛のために」をひとつ。

正直言うと、個人的にはこの曲、大人になるまで知らなかったんだよな。
「存在」は知ってた。「ベストテン」で昔の曲を振り返っているとき、何回か出てきてたし。しかもベストテンでは、最高2位まで行ってるんだよね。

ただ、曲は良く知らなかったんだよな。

この曲って、今となってはヒデキの曲の中でも、完全に「死角」になっちゃってるでしょ。 今となっては、ラジオでもまずかからない曲だよな。
 1978年の秀樹というと、どうしても、1曲前の「ブーツを脱いで朝食を」か、この曲の後の「炎」か、そのまた1曲後の「ブルースカイブルー」か・・・って感じで、この曲を上げるヒトは、ほとんど居ないだろうしなぁ。

大体において、この曲を挟んでのリリース間隔が、通常よりも短いんだよね。この時期の秀樹って。

1月 ブーツを脱いで朝食を
3月 あなたと愛のために
5月 炎

・・・・と、2カ月間隔でリリースしている。

当時のリリースパターンは、3ヵ月ローテーションっていうのが、基本だったから、1月に「ブーツを脱いで朝食を」をリリースしたら、この曲は4月リリースっていうのが、基本のはずなんだけど、でも、1か月前倒しでのリリースなんだよね。

でさ、当時の3ヵ月ローテーションリリースっていうのは意味があってさ、つまり、曲のリリース⇒ヒットのピーク⇒ヒットの終焉 っていう曲のヒット寿命が、当時は大体3ヵ月だったんですよね。
だから、3ヵ月ローテーションで曲をリリースすることによって、そのアーティストは1年中ヒットチャートの上位に顔を出すことになり、如何にも「売れてる」って言うイメージになる訳ですよ。

まあ、出す曲出す曲、同じように売れるかどうか・・・というのは、曲の出来にもよるし、売る側の戦略にもよるんで、一概には言えないんだけど。。。

そういうわけで、この「あなたと愛のために」は2カ月間隔でリリースだったことで、どうも、まだ前曲の「ブーツを脱いで朝食を」のヒットのイメージが残ったの時期のリリースだったんじゃないのかなぁ。。。

なんで、今となっては、今一つ印象に薄い曲・・・繋ぎ曲っぽいイメージになっちゃったんじゃないかなぁ・・・なんて思ったりするんだよね。

たださ、印象が薄いイメージの割には、実際の曲は、かなり濃い口な味付けなんだよなぁ。
タイトルからして、如何にも「ロマンス」的な愛の曲・・・そうだなぁ、秀樹だったら、この曲の3年前、1975年の「この愛のときめき」あたりの曲調を想像しちゃったりもするんだけど、そうじゃない。

イントロからして、激しくさんざめくストリングスと、シンセドラムから始まったりするもんね。

実は、個人的には、この曲は一度も聴いたことない状態で、中古レコード屋からシングルを買って、聴いたんだよね。
いや、個人的にも、↑で書いた、「ロマンス」系の曲だとばっかり想像してたんで、激しいイントロにびっくりこいたんだよなぁ。 想像していたイメージと全然違うんだもの。

でも、曲のメロディ的には、正直言って、あまり「ココ」だっていうところは感じなかったなぁ。それまでのヒデキからの新しい面も感じなかったしね。 逆に言えば、当時から見て、すこし古めかしいような感じもあったね。
純粋なポップスというよりも、「歌謡曲」よりって言うのかなぁ、「歌謡ポップス」なんだよね。
うん、70年代の「歌謡ポップス」といったら、「これだ」っていうお手本のような曲って言うのかなぁ。

ただ、イントロのストリングに絡んでくる、シンセドラムの「ポコポコポコ」って言う音は、やっぱり新しいかったんじゃないのかなぁ。
・・・なんて推定で書いてるけど。。。そそそ、ワタシがこの曲を聴いたのは、かなり後になってからだから、シンセドラムなんてのは、全然目あたしくなかったしさ。 
でも、当時の「歌謡ポップス」では、この手のシンセドラムを使ってたっていう前例はあんまりなかったはずだしね。だから新鮮だったはずだしな。
 だから、この曲の「キモ」は、メロディラインかじゃなくて イントロのこのシンセドラムなんじゃないかなぁ・・・なんて思ったりもするんだよね。

ちなみに、このシンセドラム、この曲と同時期の、ピンク・レディーの「サウスポー」にも使われてたりするな。
、当時の流行りだったのかなぁ・・・。なんて思っちゃったり。。。まあ、それだけ当時は斬新だったんだよねシンセって。







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君よ抱かれて熱くなれ / 西城秀樹

1976_03_君よ抱かれて熱くなれ_西城秀樹








今回の1曲セレクトは、「君よ抱かれて熱くなれ」西城秀樹です。

まずはデータでする。

・タイトル     君よ抱かれて熱くなれ
・アーティスト   西城秀樹
・作詞       阿久悠
・作曲       三木たかし
・編曲       三木たかし
・リリース日    1976年2月25日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   33.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1976年3月8日〜5月3日付

70年代の曲の面白さの一つは歌詞だろうね。現実のものとは到底思えないような、超デフォルメした大げさな内容の歌詞とかさ。
 最近は、そんなデフォルメした内容の歌詞ってほとんど見かけないからなぁ。大体が等身大な内容じゃないですか。あとは英語で逃げるとかさ。

 まあ、その要因の一つは、自分たちで詞を書いてる曲がかなりの割合になったからだろうな。いわいるシンガーソングライターってやつでさ。シンガーソングライターの方たちは、どうしても自分が経験してきた事、考えてき来た事っていう、割と狭い範疇の話を縦に深く掘り進めていく詞がほとんどで、「架空」の話をクリエイトするって言う作業は、あんまり見られないですからね。

でも、昔、70年代は、まだ「職業作家」が大活躍していた時代だったしさ。 職業作家の方々は、あくまで「プロ」だからさ、物事をいろんな角度からこねくり回したり、それこそデフォルメした世界で「詞」を書くってていう作業が多かったですからね。

・・・とは言っても基本は、「惚れた腫れた」の色恋ものが、そのほとんどなわけだけど。。。

今回の1曲セレクトは、そんな70年代の「デフォルメ」した色恋世界を歌った曲を持って来ましょうか。

西城秀樹「君よ抱かれて熱くなれ」。

うーむ、いまでもこの曲を覚えている方がどのくらいいるのか? っていうのは、ちょっと不安ではあるんだけどね。
なにせ、ヒットしたのが、今から丁度「40年前」の今頃。 1976年の「春」だったからなぁ。

だったからなぁ・・・なんて、如何にもリアルタイムで聴いてきたような書き方しちゃったけど、当時ワタクシは6才。
あ〜、ちょうど幼稚園を卒園して、小学校へ入学する頃だ。

・・・なんで、当然、リアルタイムじゃ聴いてないんだけどさ。。。

うん、この頃聴いてた曲って言ったら ♪1年生になったら〜 友達100人できるかな? ♪ っていうあれ・・・。
そそそ「1年生になったら」・・・は聴いてたけどな


あ〜、話がずれた。。。。

まあ、そんな時期のヒット曲なんだけど、ともかく歌詞が凄いんだよね。

しょっぱなから  

♪ 君は今 僕の胸で 蝶に変わるよ〜 
  蒼ざめたその羽をバラ色に染め
  これが幸せと泣きながら飛んでいける 〜 ♪ 

だもんね。 

いきなり凄い世界・・・っちゅうか、結局はリアルな話、「アレの最中」のストーリーな訳ですね。 
でも、ストレートに「あれ」やってまっせ・・・とは流石に、当時、トップアイドルであったヒデキは歌えない訳で。。
でも、流石は阿久悠氏。ウマくかわしたコトバで、恰も架空の世界の話のようにデフォルメさせる訳なんですよね。
しかも、そうすることで、めちゃくちゃファンタジックな世界に変わる訳だから、流石はコトバの魔術師の阿久悠氏だな・・・なんて感心したりしてね。

ただ、この曲に関しては、全てが飛躍しているかというと、そうではなく、それに続くBメロでは比較的、現実的なコトバが並んでいたりする。

でも、そうすることで、よりファンタジックな世界に引きずり込まれるような錯覚を感じるんだよなぁ。うん、ファンタジックな「エロ」な世界。

いや、あの時代、歌詞の世界だけじゃなく、例えば小説にしても、マンガにしても、かなり飛躍した内容のモノって多かったですよね。
 今は、情報多過なこともあり世間一般擦れたヒトが多くなっちゃったんで、そんな架空の世界はみんな「ケッ」と思うようになっちゃたけど、40年前は擦れてないヒトの方が多かったんだよね。純真のヒトが多かった・・というか。
 だから、こういうめちゃくちゃ大げさに飛躍したような歌詞でも、多くのヒトは受け入れていたんだろうな。


この曲は、歌詞だけじゃなく、メロディを初めてサウンド全般的にデォルメしたような、かなり大げさな展開だったよな。
 全般的には、ヨーロッパ系。 イントロはスパニッシュな展開で、そのまま進むのかななんて思いきや、実はカンツォーネに近いんだよね。
Aメロ、Bメロは、マイナー系なやや大人しめなメロディ展開、なんだけど、サビで、いきなり転調してヒデキお得意の「歌いあげ」系のメロディに変わる。

まあ、こういう「大げさ」な展開なメロディを歌える・・・というか、歌って「サマ」になるのは、ヒデキぐらいしかいなかったからなぁ。だから、ヒデキにピッタリな曲ではあったと思う。

ま、その辺は、聴いてる側にも伝わるもので、この曲は、前年の「恋の暴走」以来、1年ぶりで30万枚を突破。
その間、暫く、やや低迷気味だったヒデキだったけど、この曲で息を吹き返した・・・そんな1曲でもあったんだよね。

それにしても、やっぱヨーロッパ系のメロディは、聴いててグッと来るよなぁ。
まあ、ワタシだけかもしれないけど、やっぱりアメリカ的な乾いたメロディよりかは、このテのメロディの方が好きなんだよなぁ。
三木たかし氏は、その後の「歌謡曲」路線の方が一般的になっちゃったけど、70年代のポップスがいいんだよな。それこそヨーロッパ系なメロディが哀愁をそそる・・・というかさ。


動画、いきなり削除されちゃったじゃんか〜  むぅ



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抱きしめてジルバ / 西城秀樹

1984_11_抱きしめてジルバ_西城秀樹






今回の1曲セレクトは、「抱きしめてジルバ」西城秀樹です。

 まずはデータです。

・タイトル   抱きしめてジルバ
・アーティスト 西城秀樹
・作詞     GEORGE MICHAEL , ANDREW J RIDGELEY
・作曲     GEORGE MICHAEL , ANDREW J RIDGELEY
・日本語詞   森田由美
・編曲     丸山恵市
・リリース日  1984年10月15日
・発売元    RVC
・オリコン最高位 18位
・売上げ枚数  15.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1984年12月10日付

 クリスマスシーズンですなぁ。 
クリスマスシーズンとなると、毎年決まってクリスマスソングが話題になるんだけど、今年はbuck numberの「クリスマスソング」が一人勝ちって感じでしょうかねぇ。
 その昔、ワタシが着メロの配信楽曲の選曲をやってた10数年前は、まあ毎年この時期になるとクリスマスソング一色になって、ちょこっと食傷気味だったんだよなぁ。
・・・・っつうのも、皆に支持される、ほぼ決まってるじゃん。クリスマスソングといったら、コレヨ・・・って言う定番ソングがさあ。

 そんなクリスマス定番ソングの1曲といったら、ワム!の「ラストクリスマス」だよなぁ。 まあ、何年定番のクリスマスなんじゃい っうくらい、この季節になると毎年必ず流れるもんなぁ。

ところで、今や、ワム!っていったら、「ラストクリスマス」って言うイメージになっちゃってるけど、実際は、もっといろいろとヒット曲があるんだけどねぇ。本家イギリスだけじゃなく、日本でも84年〜85年にかけては、ものすごい人気だったもんなぁ。
 この当時にリリースされたアルバム「メイク・イット・ビッグ」は、LPだけで50万枚以上の売り上げ。
あ、当時の売り上げ規模から言うと、LPで50万枚以上となると、年間チャートで5位には入れるっていうくらいだったのよね。

その中でも人気があったのは、やっぱ、ジョージマイケルのソロ名義だった、「ケアレス・ウイスパー」だろうなぁ。

いや、個人的にも、ワム!といったら、「ラストクリスマス」じゃなくて、「ケアレス・ウィスパー」なんだけどもねぇ。


・・・おっと前置きが長くなっちまった・・・

・・・ということで、今回は、そんな「ケアレス・ウィスパー」のカバー。

西城秀樹の「抱きしめてジルバ」


その前に、最近は洋楽カバーヒットって少なくなったような気がするな。 
うーん、そうでもないのかな? まあ、ここのところ、日本においての洋楽の大ヒットってのも少ないからねぇ。 それと、昔ほど日本人も洋楽コンプレックスってのも少なくなってきたような感じはするしね。つまりさ、洋楽聴かなくても、邦楽だけで事足りるんだよね。
  だいたいアーティスト本人たちも、洋楽で育った・・・というより日本のアーティストを聴いて育ってきたって言うほうが多い時代だからねぇ。昔じゃ考えられないような時代だよな、今は。

 ワシが子供の頃じゃ、ちょっと考えられなかったかもなぁ。大人・・・少なくとも音楽好きな大人ともなれば、洋楽は当たり前のステータスだったし、逆に、大人にもなって邦楽聴いてるのも肩身が狭かったような感じもしたけどなぁ。

 まあ、それでもワタシは邦楽派だったろうけど・・・ふらふら

 ま、それくらい洋楽ヒットっていうのも普通にあったんだよね、昔は。


 1984年。この年は日本のヒットチャートでも、特に洋楽ヒットが多かったような気がする。やっぱ、当時流行りだした、MTVの影響も大きかったんだけどね、曲的にも思わず食いつきたくなるような曲が多かったんだよね、あの年は。

 まあ、そんなわけで、洋楽カバーヒットも多かったのよ、この年は。
代表的な曲としては、ボニータイラーの「ヒーロー」でしょ。うん、例の「スクールウォーズ」の主題歌。 この曲のフレーズは、歌謡曲にも良く使われたしなぁ。 そいから、ガゼボの「アイ・ライク・ショパン」。うむ、いわれと知れた、小林麻美の「雨音はショパンの調べ」のオリジナル。
 そいからムービングピクチャーズの「NEVER」ですかね。これもいわずと知れた、MIEがカバーして大ヒット。

 うむ、ボニータイラーの「ヒーロー」も、ムービングピクチャーズの「NEVER」も映画「フットルース」のサントラからのカバーなんだけど、フットルースもヒットしたよなぁ。

そんな84年の洋楽カバーとして、ヒットを飛ばしたもう1曲は、やっぱ、ワム!の「ケアレス・ウィスパー」でしょ。

↓ コレ


この曲スケベだったよなぁ。なんつっても、イントロのサックスのブリブリ感がいかにもスケベでねぇ、当時、色づきはじめた、ニキビ仮面だった15歳のワタシャ、イントロを聴いただけで、思わず股間が熱くなったもんよ。
息子が「コンニチハー」なんてさ 

 でぇ、スケベなこの曲を、元「新御三家」だった、郷ひろみ、西城秀樹、2人とも同時期にカバーしてたっていうのは、今となっちゃ、知ってるヒトしか知らない事実かなぁ。

 郷ひろみの方は、「どこまでもアバンチュール」っていうシングルと両A面扱いだったんだけど、これは、当時もそれほど話題にならなかったような気がする。まあ存在感が薄かったのよ。 実際、聴いてもなんか今ひとつパッとしない・・・っうか、歌詞が無理やり感がいっぱいなのよね。


 で、もう一方が西城秀樹ですよ。こっちは、タイトルからして「抱きしめてジルバ」なんてのにしちゃったりして。
 これがねぇ、タイトルもそうなんだけど、詞もこれまた無理やり感だらけなんだよなぁ。洋楽カバーにありがちなマヌケな感じというかねぇ・・・。
 
 それでも、なぜか、こっちの方はヒットしたんだよなぁ。オリコン最高18位ながらも、売上げは15万枚強も行ったしねぇ。 これがまた不可解だったりするんだけどふらふら

 当時も邦楽派だったワタシでも、この曲に関しては、どう考えても、ワム!のオリジナルだよなぁ・・・・なんてゆずらなったんだけどねぇ。
 まあ、いい塩梅に歌謡曲になっているのが良かったのかもしれない。無理やりに書けばふらふら
 
 それにしても、タイトルはどう考えてもマヌケだよねぇ。どっから「抱きしめてジルバ」ってのが出てきたんだろ? なんて今でも思うもん。
 っていうか、今となっては、高田みづえの「涙のジルバ」だっけ? それと思わず間違えちゃうんだけど。。。ふらふら

 そういえば、昨日、ちょうど当時のオリコンよんでたら、マヌケな邦題とか言うのがあった。
 シンディーローパーの「ハイスクールダンステリア」(原題 Girls Just Want to Have Fun)がマヌケな邦題上位にあったけど、個人的にはいい邦題だと思ってるんだけどなぁ。。。
 少なくとも、「ケアレス・ウィスパー」を「抱きしめてジルバ」にしちゃうよりはさあ。。。
 まあ、「ハイスクールはダンステリア」って邦題は、シンディローパー側からクレームが来て、今は使わないんだけど。。


動画・・・、ようつべで適当なものがあったんだけどここに張るとリンクが弾かれちゃうんで、ようつべへ直接リンク

https://www.youtube.com/watch?v=69w3_wRXLJQ

えー、うたは1分過ぎから入ってます。。。



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サンタマリアの祈り / 西城秀樹

1980_11_サンタマリアの祈り_西城秀樹






今回の1曲セレクトは、「サンタマリアの祈り」西城秀樹です。

まずはデータです。

・タイトル    サンタマリアの祈り
・アーティスト  西城秀樹
・作詞      なかにし礼
・作曲      川口真
・編曲      服部克久
・リリース日   1980年10月5日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 13位
・売上げ枚数   11.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 14位

 昔は、今ごろになると、大体の有力アーティストは、いわいる「賞レース」とか「紅白」を見据えたような曲をリリースしてくるのが定番だったんだよね。
 特に70年代〜80年代初頭にかけては、一番顕著だったんじゃないかなぁ。 まあ、そのまんま「歌謡曲黄金期」と言えるんだけど、やっぱ「賞レース」ってもの自体、「歌謡曲」の総決算的イベントだったしな。

 まあ、そう考えると、今、すでに賞レースが「廃れて」しまったのも納得いくって感じかな。今は既に歌謡曲の時代じゃないからさあ。


 で、そんな賞レースで見栄えするのが、やっぱエンターテイメント性の高い曲よ。いわいる勝負曲っていうのかなぁ、曲のグレードが高い曲をリリースしてくるような傾向があったよね。

 さてさて、今日の1曲セレクトもそんな「賞レース」を見据えたような曲を引っ張ってきますか。

 西城秀樹の「サンタマリアの祈り」

 まあ、タイトルからして、すごいんだけどさふらふら いわいるヨーロッパ系だよね。そのなかでも極めつけのカンツォーネ風の絶叫型ですわ。
 西城秀樹って、それまでも「愛の十字架」「白い教会」と教会を舞台にした曲を歌ってきてたけど、この曲は、それに続く教会をモチーフにした曲。
 
 たしかに、曲を聴く限り、完全にそれっぽい曲なんですわ。 まあ、コレ以前から、この季節になると、後半絶叫型のヨーロッパ系ミディアムバラード系の曲を歌ってきた西城秀樹だったけど、ことに、この曲は気合入りまくりな曲だったようなきがするな。

 ただ、あんまりにも気合が入りまくりだったのが、仇となったか、この曲、あんまり売れなかったのよねぇ。
 オリコンではベストテン入りもできなかったし、売り上げ枚数11万枚と、ギリギリ10万枚を越えた程度と、長く第一線を張ってきた、西城秀樹にとっても、当時の最低ラインの売上げに留まっていたりする。

 だからですかねぇ、今となっては、印象に薄い曲だろうな、一般の方たちにとっては。

 うん、まあ、それだけ気合が入った曲だったんで、たしかに、賞レースとか、紅白などのフォーマルな舞台では、見ごたえが充分にあった、この曲だけど、普段、聴く分にはちょっと、気恥ずかしいよな・・・って感じで、お客さんも引いちゃったんだろうねぇ。

 まあ、その辺の按配は難しいところだけどさぁ。せめて、この前の年の「勇気があれば」くらいの気合の入り方が丁度いいのかもしれないけどねぇ。。。



毎度「夜のヒットスタジオ」から。

 いやいや、これが、また、スゴイ気合の入り方をしてたりするのよ。大熱唱よ。しかも、フルサイズだったりして。。
 なんせ、テレビでフルサイズなのは、夜ヒットだけでしたからねぇ。

 だけど、当時、あんまり売れなかった曲だけど、YOU TUBEから見ると、この曲にたいしてのコメントが結構、多いんですわ。

 うーん、やっぱ、今は、こういう「大熱唱」な曲って少ないからねぇ。まあ、ここまで熱唱できるアーティストもいなくなったけど。
 いや、だからこそ、新鮮なんだろうね、今にしてみれば。


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