かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

萩田光雄

萩田光雄さん、船山基紀さん、及川眠子さんトークライブ

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15日、70〜80年代ヒット曲アレンジャーの巨匠、萩田光雄さん、船山基紀さん、80年代終盤〜 Winkをはじめ数々のアイドル作品からアニソンまで幅広く手がられている作詞家、及川眠子さんのトークライブにお邪魔しました。

場所は、渋谷Take Off 7。

クラブ・クアトロの隣。こんなところにライブハウスがあったんだ。。。クアトロまでは、これまでも何回かライブを見に来ているんだけども、いままで、全く気が付かなかった。

このトークライブ開催については、結構前から知ってたんだけども、この御三方ならすぐチケットなくなるだろうなと思いーの、スルーしてたのですよ。
でも、先週、意外にも、まだチケット余っていると知り、急遽購入。有休も取りーの、参加したわけです。

これまで船山さんのトークライブには、何度か参加したことがありましたが、萩田さん、及川さんは初めて。
書籍には書かれていないレアな「業界ウラ話」的な話が聴けるかな・・と期待していたところはあった。
ただ、正直、あまりレア話にはならなかったですが・・・。

ところで、この御三方ってどういう繋がりなんだろう・・と思ったりもしたんだけどね。
共通して手掛けたアーティストっていうのも、今一つピンとこなかったし。。。
Winkの一連の大ヒット曲は、作詞 及川眠子、 編曲 船山基紀 っていう組み合わせだったのは、すぐに浮かぶんですけどね。
御三方もどうも、今一つピンとこなかったようで、恐らく中森明菜さんだけじゃなかったか・・というお話。
「スローモーション」→ 編曲 船山基紀
「少女A」〜「禁区」 → 編曲 萩田光雄
「原始、女は太陽だった」→ 作詞 及川眠子
確かに、御三方が「ヒット曲作家」としてもっとも脂がのっている時期(特に80年代終盤頃)って、かぶってそうで、微妙にずれてたりしますから。。。

ただ、中森明菜さん以上に、一昨年亡くなられた広谷順子さんとは、御三方とも深いかかわりがあり、思い出話に花が咲きました。
広谷順子さん・・・・80〜90年代にかけて主に女性アイドルのレコーディングのための、仮歌(ガイド)ボーカリスト。
譜面が読めないアイドルのために、「仮」でレコーティングされる曲を歌い、曲のイメージを伝えるためのボーカリストですね。
それぞれのアイドルは、広谷さんのガイドボーカルで曲を覚えてレコーディングに臨んでいたわけですわ。
ボーカリストとしては、表には出てこない、完全な裏方の存在だけども、アイドルのレコーディングには欠かせない方だったわけです。

特に、浅香唯さん、Wink、南野陽子さんなどの80年代終盤以降のアイドルには深くかかわっており、したがって、萩田、船山、及川、御三方とは繋がりも深かったわけですね。

それと印象的だったのは、御三方とも、もっとも忙しい時期は、これ以上やったら死ぬという、ある種極限状態のなかで仕事をこなしていたこと。(松本隆氏いわく、いまよりずっとブラックな世界だったという事)
それでもこれまで仕事をこなせてきたのは、極限状態でも、どんなに時間的な制約があっても穴をあけずに「出来てしまったから」・・・という。

まあ、それだけ、御三方ともに才能の塊だったといえるエピソードなんだけども。。。

たださ、これは個人的に、片足「業界」に足を突っ込んでいるクリエイティブな仕事をしてきていたから、特に実感できることなんだと思うんだけども・・・・、「ディレクションする立場」から言えば、どんなに忙しくても、どんなに時間的な制約があっても、不平を言わずにきっちりと仕事を仕上げるクリエイターとは、仕事がやりやすいんですよ。
だから、仕事が手いっぱいだとわかっていても、次の仕事を頼みたくなる。

よくいるでしょ、仕事が手詰まりになってくると、不平不満ガラガラで、時間が足りないとか、酷いとギャラあげろとか文句言うひと。 ディレクションする側からとしては、こういう人とは仕事がやりにくいし、仕事を振りたくないわけですよ。時間が足りないならば、足りないなりに、自身で旨く時間調整するのがプロだろと思うんだけどね。
特に、ある程度実績を上げると、自分は偉い、才能がある・・と勘違いして、えらそうな態度に出るヒトっているからさあ。そういう人に限って期待するほどの仕事は出来ないからさ。

それに最近は、ギャラに見合った仕事しかしないヒトとか、時間外の仕事をやりたがらないサラリーマン的なヒトが増えてきたからさぁ。やりにくくなってきたわけよ。

長年、ヒット曲界の第一線で活躍されてきた御三方なので、才能あふれるというのは、言うに及ばずだけども、数々のヒット曲を手掛けた実績があるにも関わらず、謙虚で黙々と仕事をこなし、それぞれのディレクターの期待に応え続けてきたからこその今なんだろうなぁ・・・というのは、ライブ全般の話から感じましたね。

まあ、これって、どんな仕事でも通じることだとは思うんだけどさ。


終始、ゆるーい・・・うんにゃ、和やかな雰囲気のトークライブではあったけども、話の節々に、上記のような話もあり、個人的には楽しめた、2時間半余りのトークライブでしたね。

晴れ、ときどき殺人 / 渡辺典子

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今回の1曲セレクトは、「晴れ、ときどき殺人」渡辺典子でする。

まずはデータから

・タイトル    晴れ、ときどき殺人
・アーティスト  渡辺典子
・作詞      阿木燿子
・作曲      宇崎竜童
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1984年4月21日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 11位
・売上げ枚数   15.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 17位
・タイアップ:角川映画「晴れ、ときどき殺人」主題歌

久々に1日に2曲目の「1曲セレクト」。
まあ、本日は1日雨だったし、久しぶりになーんにもやる事のない1日だったんでもたまには複数曲書く日もあっていいかな・・・・と。 ここんところ、あんまり1曲セレクトも書いてなかったしな。

本当は初め違う曲を書こうと思っていたんだけどさ、84年の今頃のオリコンチャート見てたら、まだ書いてなかった曲があったのに気が付いて、急遽、曲変更。

当初書こうと思ってた曲は、今の時期、すでにランクも下降しちゃってたんで、またいずれ・・・ということで。

で、引っ張ってきた曲が

渡辺典子「晴れ、ときどき殺人」

なんとも物騒なタイトルだけど、これは、同名映画の主題歌ということで、もともとは赤川次郎の小説のタイトルですわな。

・・・と、さも小説も読んだように書いたけど、実際小説は読んでない。映画も見てない・・・ということで、一体どういうストーリーなのかも分からなかったりして。。。。

当時、薬師丸ひろ子さん、原田知世さんにつぐ、角川三人娘の一人であった、渡辺典子さんだっただけに、もちろん、これも角川映画であったわけで、その主題歌だったわけだけども。。。

正直、この頃になると、個人的には角川映画にも「飽き」が来てたんだよね。

いや、実を言えばこれ以前にも、角川映画はあんまり見てなかったんだよな。 自分で進んで映画館に見に行ったのは、81年薬師丸ひろ子さん主演の「ねらわれた学園」だけだったような気がする。

83年原田知世さん主演の「時をかける少女」は、大林宣彦監督、尾道三部作第2弾ということで、この後テレビで見たし。
薬師丸さんの「セーラー服と機関銃」や「Wの悲劇」なんて、実は最近BSで見たのが初めてだったの。

当時、邦画にはあんまり興味がなかったというのと、そもそも千葉まで行かないと映画館がなかった時代、そうそう映画を見に行くってこともしなかったというのが、一番大きかったな。

だから、この「晴れ、ときどき殺人」って映画も見てなかったわけですわ。

しかも、その主題歌だった、この曲さえ、ヒット当時は、まともに聴いてなかったんですよ、実は。

この曲オリコン最高位11位ってことで、ベストテン入りしてなかったしね。

当時のラジオのベストテン番組でも、ベストテン入りしていた番組は少なかったと思う。

唯一ベストテン入りしていない曲も、たくさんかけていた文化放送の「決定!全日本歌謡選抜」も、
高校受験対策で通い始めた「塾」の時間がかぶっちゃって、じつは、84年4月〜85年2月にかけては、ほとんど聴けなかったんだよね。 
塾が終わってチャリを飛ばして、ベストテン発表に何とか間に合うような状態だった。 

だから84年ってベストテン内の曲は、よく覚えてるんだけども、ベストテンに入らなかった曲って、あんまり覚えてないんだよな。

この曲なんかは、その「割を食った」1曲だったろうな。

サビの ♪はーれ ときどき キルミー〜 ♪ って部分は知ってたけどさ。 
だから、この曲も曲全体を改めて聴いたのは、 実はごく最近だったりするのよ。

いつぞや、ラジオでこの曲が流れてて、最初は全然、何の曲だか分かんなかったの。

まさかこの曲が、フルオーケストラのミュージカル風な楽曲だったなんて、知らなかったんだもの。

完全にタイトルに騙されてましたね。 ↑で書いたように「晴れ、ときどき殺人」なんて物騒なタイトルが付いてるじゃん。 もっとオドオドロシイ曲かと思ってたの。ずっと。

渡辺典子さんのこの曲の次の曲で「いつか誰かが」って少しサスペンスががった曲があるんだけど、そういうイメージがあったんだよな。全くイメージと違うんだもの。

 イントロだけ聴くと、「ゴールデン洋画劇場」か なんて思っちゃうし。 その後も全編にわたって、まるでディズニー映画の音楽の世界だよな。

当時の日本映画の映画音楽のイメージからするとちょっと驚きな曲調ではあるな。

そもそも特に薬師丸さんが出てきた以後の角川映画の主題歌って、たしかに曲そのもののクオリティは、普通のアイドル映画よりは高かったものの、どうしても通常の「ヒット曲」の曲想からは離れなかったし、これ以後もそうだったしな。

だから、この曲って、今に至ってもかなり特殊な曲調の主題歌だったといえると思う。 

この曲がミュージカル映画だった・・というならば、分からなくもないけど、特段そういうわけでもなかったわけですよね。
まあ、実際見てないんで、何とも言えないんだけども。

それとちょっとビックリなのは、 作詞 阿木燿子、 作曲 宇崎竜童、 編曲 萩田光雄 っていう、もろ山口百恵な作家陣ですよね。

そんな、もろ山口百恵な作家陣でありながら、このミュージカル風な楽曲だもんね。まったく想定つかない・・・というか、この作家陣を見ると、どうしても山口百恵さんのような曲想をイメージしてしまう。

いや、「出し手」側も、このお三人に曲を発注するときは、それまでは端から山口百恵さんのイメージで発注したんだと思う。 
例えば83年の柏原芳恵さんの「ちょっとなら媚薬」とかさ。 この御三方でもろ百恵さんアゲインだったわけじゃん。

でも、この曲には、そんな山口百恵さん「臭」がかけらも感じない。 ここがいいですね。

まあ、たしかにこの曲の前の「少年ケニア」にもそれに近いところは感じてはいたけど、ここに来て、完全に山口百恵さんの「残像」が消えましたよね。 
そんなところからも、80年代と言う時代がさらに深まった感がある1曲ともいえるかもしれないな。






しかしさ、角川三人娘の中でも渡辺典子さんって、どうもジミだったんだよなぁ。 口悪く言えば「パッ」としなかったというか。。。。
3人の中では一番「美人」だったんだけどねぇ。

美人ではあったけど、なんていうのかなぁ、華やかさっていうのが今一つだったのかもなぁ。

それと、歌唱力っていう点ですね・・・・。

・・・なんて、原田知世さんも当時の歌唱力はどっこいどっこいだったんだけどもね。 

ただ原田さんの場合、この後、曲ごとに彼女ならではの「味」が出てきてましたからね。そのあたりが強みだったんだと思うけど、渡辺典子さんの場合は、彼女ならではの味っていう所があんまり感じなかったのも弱点だったかもな。

結局、そういうところが、レコード売り上げにも、もろ反映してたんだよな。
結局オリコンベストテン入りしたのは1曲目の「少年ケニア」だけだったわけで、2曲目のこの曲では早くもベストテン入りできなかったですから。



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アンサーソングは哀愁 / 早見優

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今回の1曲セレクトは、「アンサーソングは哀愁」早見優です。

まずはデータでする。

・タイトル      アンサーソングは哀愁
・アーティスト    早見優
・作詞        阿久悠
・作曲        馬飼野康二
・編曲        萩田光雄
・リリース日     1982年10月19日
・発売元       トーラス
・オリコン最高位  29位
・売上げ枚数   4.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 34位


あー、今回セレクトしてきた曲は、どう捉えたらいいんだろう? って言う曲なんですよね。
どうも、出だしのマクラがなかなか思いつかない。
そのくらいヒット当時、関わり合いが薄い曲だったんだよね。 ・・・うーん、関わり合いっていうのも変な表現だな。。。
単純に、あんまり聴いて無かったと言った方がいいのかな。

早見優さんの「アンサーソングは哀愁」。

花の82年組の1人っていうのは、ここ読んでくださってる殆どの方は周知の通りだと思うけど、そんな82年組の早見さんのデビュー第3弾がこの曲ですね。

「花の82年組」ということで、たくさんのアイドルが華々しくデビューを飾った訳だけど、第3弾シングルともなると、順調に伸びトップアイドル街道をまっしぐらのグループと、すでにネタ切れ・・・というか息切れ気味のグループと大きく分かれて来てたような印象があるな。

その中で、早見さんはというと、・・・・ 正直、82年組のトップグループの中でも、とりわけ存在感が薄いな・・・82年の秋も深まる今頃は、そう言う感じに今頃はなって来ていたような印象が強い。

それもこれも、第3弾シングルであるこの曲がジミ過ぎたっていうのが大きかったよなぁ。

確かに、同期の同い年くらいの他のアイドルよりも、見た目年上、やや大人っぽくは見えた。 
だから、少し子供っぽさが残るデビュー曲、「急いで初恋」はちょっとイメージと違うな・・って言う印象はあった。でも、第2弾の「Love Light」は、その辺りを修正してきたように思えたし、だから、個人的には「Love Light」って曲は好きだったんだよね。

そして第3弾のこの曲ですよ。たしかにミディアムの落ち着いた佇まいの曲調は、さらに大人っぽさを前面に出したような曲調ではあるけど、これはちょっと背伸びが過ぎるんじゃないか。

当時13歳のワタシでも、そう感じたな。

まあ、実際は、そんなオヤジっぽいストレートな批評感はさすがになかったけど、、なんか違うなって言う違和感は大きく感じてたんだよね。

曲だけ見るとこれがデビュー第3弾の曲とは思えない、デビュー5年目くらい、すでに20歳を過ぎた女性歌手が歌うような落ち着きがあるんだよな。

・・・なんか回りくどい書き方になっちゃったけど、簡単に言えば、ポップじゃないのよ、この曲。

同期の82年組の、少なくともトップグループの人たちは、みんなポップだっじゃん、曲調が。 
それなのに、この落ち着きだからさ。 まるで、早くもアイドル路線を諦めて歌謡曲路線の路線変更したかのような・・・。

あ〜、アイドル路線から脱落したか、残念だけど・・・

率直なところ、そう感じた部分が大きかったんだよ、個人的には。


それ以上に、この曲自体の問題ですよね。

今、手元に月刊明星付録の歌本「Young Song」の1982年12月号がある。

この「アンサーソングは哀愁」が新曲として掲載された号ですね。 

当然、お決まりの近田春夫氏の「新曲激評」の対象曲となっていたんだけど、こんときの近田氏のコメント


「あ、モロ「カサブランカ」と同じメロ。堂々としてるなァ。そもそも「アンサーソングは哀愁」ってタイトル、悪ふざけじゃん。これは日本歌謡界への皮肉だよね。こういう作家としてのメッセージがハッキリ出た曲を歌うのって、早見さんしんどいだろうねぇ」 (原文ママ)


そうなんだよね、 この曲、ジミとかポップではなく歌謡曲っぽい・・・と言う前に、Bertie Higginsの「Cassablanca」、まんまなのよ、曲調が。

あ、「Cassablanca」で分かんなかったら、郷ひろみ氏の「哀愁のカサブランカ」

近田氏が「アンサーソングは哀愁」ってタイトル、悪ふざけじゃんって言っているのは、曲調が似てる上に郷ひろみ氏の「哀愁のカサブランカ」をもじったようなタイトルだったからなんだけどさ。

いや、はっきり言ってワタシもこの近田氏のコメント通りと思ってたのよ。 これは、ちょっと悪ふざけじゃんっていう・・・。

ただ、当時・・・いや、最近まで意味が分かんなかったのは、「これは日本歌謡界への皮肉だよね。こういう作家としてのメッセージがハッキリ出た曲」っいう後半の部分。

これってどういう意味だったんだろう?   っていうのがずーっと引っかかってたのよ。
まあ、深い意味はないのかもしれないけど・・・。


でさ、この機会に、再度、自分なりにちょっと考えてみた。

で、浮かんできたのが・・・。

もしかしてさ、Bertie Higginsの「Cassablanca」って、郷ひろみ氏のカバーが決まる前に、早見さんサイドがカバーするつもりでいたんじゃないか・・・ってこと。

そう考えれば、1曲前の「Love Light」が外人の作曲だった意味も分かる。つまりさアイドルの王道路線ではなく、より洋楽ポップに向かうって言うベクトルだよね。

そう言う路線を画策していた時に、郷ひろみ氏のカバーが決まってしまった。
(ちなみに、郷氏のカバーは、当時ニッポン放送のアナウンサーだった、はたえ金次郎氏が郷氏サイドに売り込んで決まったとなっている)

相手はアイドルの大先輩でありアイドル界のスーパースター。こちらは一介の新人。
当然だけどダイレクトに抗議も出来ない。

そんな事があったがための抗議と言う意味をこめての「アンサーソングは哀愁」って曲でありーの、近田氏のコメント。

もちろん、これは、ワタシの妄想でアリ、事実であるかどうかは全く分からないんだけどさ。

でも、こう考えれば、 

・タイトルからして悪ふざけな事 
・メロディがモロ、「カサブランカ」な事
・近田氏が「日本歌謡界への皮肉だよね」と言ってる意味 
・そういう皮肉を込めた曲を派手にする訳にも行かず、ジミな曲にするしかなかった事

・・・など全ての流れの辻褄が合うような気がするんだよなぁ。


ただ、タイトルとしては、近田氏が言うように「悪ふざけじゃん」ってダイレクトに分かるんだけど、歌詞内容は正直良く分かんない。

大御所・阿久悠氏の作詞だけど、正直、最近まで阿久悠氏が作ったとは思わなかったもの。

♪ 奪われる 奪えない 奪うもの 奪え〜 ♪とかさ、国語文法の五段活用か  なんて思える、なんじゃこりゃ・・って言う歌詞だったりするし。。。

この曲を「リリース」する事が前提で、歌詞の内容はさほど重要じゃない・・・って言っているようにも思えたりしてさ。

尤も、阿久氏は、フィンガー5の「恋のダイヤル6700」の♪ リンリンリリン〜♪ などのように「擬音」を歌詞に多用したりするところもあったりするんで、五段活用的な歌詞も、ある意味阿久氏らしさと言えるのかもしれないけど。。。



この曲のような地味な展開もあり、一時はアイドルとして死んだ・・・と思えた早見さんだっただけに、次の年の「夏色のナンシー」は、アイドルとして起死回生、一発逆転ホームラン的なインパクトがありましたね。

洋楽路線とはならなかったものの、そんな早見サイドの方向性を感じ取り、第2の南沙織にしようとした、筒美京平ってヒトは、やっぱり天才なんだな・・・と思わずには居られなかったよな。


ちなみに、当時は、ジミーで触手が伸びなかった、この「アンサーソングは哀愁」も、今はいいんだよね。
ワタシもそれだけオヤジになり、ポップな曲よりもシブい曲の方が安心できるようになったって事なのか。。

いや、その前に、今となっては完全に忘れ去られている、この曲は手垢が少ないってことで、それだけ、未だに新鮮に聴けるって事が大きいんだろうな。
早見さんって言ったら、みーんな判を押したように「夏色のナンシー」とか「誘惑光線クラッ!」などばっかなんだもん。 今となっては、この曲なんかセレクトするヒトってほとんど居ないから。。。。


あ、それから、どーでもいい事なんだけど、↑で引き合いに出した、「Young Song」1982年12月号の新曲激評には、同じく当時新人だった原田知世さんの「ときめきのアクシデント」の近田氏の評があるんだけど、この時の評が「ひでぇ下手な歌だな。これじゃ作家のヒト怒るぜ。」とバッサリ。
今だったらネットで炎上ざたのようなコメントだけど、当時は、これはこれで見方の一つとして「アリ」だったんだよね。


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曼珠沙華 / 山口百恵

 
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今回の1曲セレクトは、「曼珠沙華 / 山口百恵」です。

まずはデータです。

・タイトル     曼珠沙華
・アーティスト   山口百恵
・作詞             阿木耀子
・作曲       宇崎竜童
・編曲       萩田光雄
・リリース日   1978年12月21日
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数   13.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1979年1月8日〜2月12日付
※データは同名アルバムタイトルのもの

今回の1曲セレクトは、ちょっと毛色を変えて行きたいと思いまする。
引っ張ってきた曲は、 山口百恵さんの「曼珠沙華」。

え? 百恵さんのシングルでそんな曲あったっけ? 

・・・なんてぇ方は、ここ来てる方には、よもや居ませんよねぇ・・・。

元々はあの大ヒット曲「いい日旅立ち」の1か月後にリリースされたアルバムの「タイトル」曲ですわ。

まあ、シングルのタイトル曲ではなくても、「後期」の百恵さんの曲では有名な曲ではあるんで、知らない方はいらっしゃらないとは思うんだけど・・・。


なぜ、ココに来て、この曲なのか・・・。

ランキング的に見ると、上のデータでも分かるように、最初に収録されたアルバムでは、79年の初頭にアルバムチャートではあるけどベストテン入りして、今時期にはすでにアルバムチャートもランクダウンしてたんだけども。。

いやいや、個人的にこの曲を知ったのが、、シングル「美・サイレント」のB面・・・って事からだったんだよね。

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そそそ、「美・サイレント」は丁度今頃のヒットだったわけで、個人的にはこの曲というと、春先の曲って言うイメージが強い。

「曼珠沙華」とは、仏教用語で「彼岸花」のことであり、だから、本来は「秋」の曲であるはずなんだけど。。。
やっぱり、最初のイメージっていうのが強く残りますね。

アルバム曲をシングルに切るってことは、いかにこの曲がシングル的だったか・・って事なんだけども、シングルはシングルでも、表題曲ではなくB面だったのは、この曲が放つ輝き、色合いってところがあるんじゃないかなぁ。

あの頃のシングル曲って、尖がっていて、ダイヤモンドのような眩く光る色合いの曲が多かったじゃん。
特にテレビ露出が全てって言うアイドルではなおさらのことで・・・。

でも、この曲は、確かにアルバム曲としては尖がっているけど、色合いがシブいんだよね。光輝いては居てもダイヤモンド様な眩く光る・・というよりは、白金のような渋い光っていうのかなぁ。
その辺が、シングル表題曲としては、今一つ弱かったのかもしれない。

まあ、それ以前に、尺が6分近くありますからねぇ。 当時6分近いシングルなんて少なかったしね。特にアイドルはテレビ露出が多い。テレビでは尺はせいぜい2分半〜3分がいいところ。だからテレビサイズに削られても意味合いが通るように3分台の曲が多かった。6分なんてシングルは考えられなかったんだよね。
あの頃といえば、さだまさしさん位じゃないですかねぇ。 6分もあるシングルなんて。


でも、それ以前に、なぜか、最近、この曲に引っかかってるんだよなぁ、ワタシ。 それも引っ張ってきた理由かな。

もちろん、個人的にも、かなり昔からこの曲自体は知っていた。 でも、以前は引っかからなかったんだよ、この曲には。

どういう心境の変化なのかねぇ・・・なんて、自分でもよく分かんないんだけど。。。

それだけ年を取ったって事なのか、この曲の日本的な暖かさを感じるAメロに心情が揺らぐワタシがいたりもする。

でも、一番、この曲で引っかかっているのは、バックで延々に流れている、矢島賢氏のめっちゃプレグレって言うようなエレキのフレーズなんだよな。

まあ、この曲だけでなく、それ以前から百恵さんのシングルでは、矢島賢氏のエレキは無くてはならない存在だし、それだけに耳馴染んでいるフレーズも多いんだけど、この曲の矢島氏のエレキは、他の曲にもまして強烈に耳に残るんだよな。

特に、最後のインスト部分の強烈なフレーズは耳から離れない。頭の中でぐるぐると流れ続けていたりする。
それだけ神がかってるんだよな、この曲。

そもそも、百恵さんも神がかってるんだけどさ、この曲のボーカルは。

なんなんだろう、この大人びた、堂々としたサビの歌いっぷり。 それでいてAメロでの日本情緒的な暖かさ。 

そう、出だしのAメロが日本的な匂いが強いんで、この曲は「演歌」なんて言うヒトも、若干いるんだけどさ。
そう追うヒトは、ちゃんと耳を闊歩じって聴いてくだされ。
この曲は、ジャパニーズプログレの傑作ですぞ。

この曲がリリースされた時、百恵さんは20才の誕生日間際、実質はまだ19才だった訳なんだけども、到底19才がウタっている歌とは思えないんだよな。

今の19才のアイドルのコの歌を思い浮かべてみて下さいよ、完璧にガキじゃん。

本当に19才のコが歌ってるの? ってくらい信じられないような、神ががった歌唱なんたよね。


「山口百恵は菩薩である」

この曲がリリースされた翌年1979年に、こんな本が刊行されたけど、この曲を聴くと、まさにこの本のタイトル通りに思えてきたりする。 そんな印象が強烈な1曲ですね。

確かに、「曼珠沙華」タイトルからして仏教的であり、ま、そんな所からしても、「百恵は菩薩である」と言う印象も出てくる訳だけど、そんな事を抜きにして、この曲の歌唱を聴く限りでも「菩薩である」って真実だよな そう思えてしまうんだよね、この曲は。



アルバム曲をシングルに切るってことは、いかにこの曲がシングル的だったか・・って事なんだけども、シングルはシングルでも、表題曲ではなくB面だったのは、この曲が放つ色合いってところがあるんじゃないかなぁ。






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最後の一葉 / 太田裕美

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今回の1曲セレクトは、「最後の一葉」太田裕美です。

まずはデータです。

・タイトル     最後の一葉
・アーティスト   太田裕美
・作詞       松本隆
・作曲       筒美京平
・編曲       萩田光雄
・リリース日   1976年9月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数  30.6万枚
・THE HITCHARTHOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1976年10月11日〜11月15日付

つい1ヶ月くらい前まで、「暑い〜」なんて騒いでいたように思うけど、いつの間にか季節は「冬」支度ですわな。
ウチも朝晩は「ストーブ」が欠かせくなっちゃいましたわ。 ・・・ってか、今もストーブ、ガンガン効かせた部屋でこれ、書いてるんだけど。。。

ふむ、個人的にはエアコンの暖房風がダメなんで、未だに「石油ストーブ」ですわ。 石油ストーブのちょっと灯油臭い独特の温もりがいいんだよね。 ストーブの上にやかんのせれば乾燥はバッチリ防げるし。腹減ったらモチ焼けるし、やっぱストーブは冬の万能の暖房アイテムなのです。
まあ、最近は灯油代が高いのが痛いけど・・・・。

で、こんなストーブの季節になると、やっぱ「晩秋」なイメージの曲が聴きたくなるよなぁ。 今回は、そんな晩秋な1曲を一つ。

太田裕美「最後の一葉」。

秋は「別れ」の季節。 誰が言ったか分からないけど、そういうシミジミとした季節な訳です。特に冬まぎわの、「晩秋」ともなると、一段とシミジミとした気分になるものです。

最近・・というか、特に2000年代以降は、曲に「季節感」なんぞ、とんと無くなっちゃったけど、昔は、この時期、特に10月、11月ともなると、そんなシミジミとした別れの曲・・・、まあ、端的に言えば「失恋ソング」ですわな・・・、そんな曲、多かったよなぁ。

そんな失恋ソングを聴いて、よよよよ・・・と泣き崩れる方も多かったんでしょうか。

今回のこの曲も、タイトルからして、そんな分かれを予感させるということは、すぐにお分かりになると思いますが・・。
・・・というか、この曲はO・ヘンリーの「最後の一葉」をモチーフにされた・・っていうのは、よく知られた事実ですわね。

失恋というよりも、この詞の主人公の女性は病気なんでしょうね。
もうすぐ、死にゆく運命の自分、そんな自分であるとは別れた方が彼氏にとっては幸せなんじゃないか と思い悩む自分。

そして、冬、そんな自分に生きる勇気をくれた、林檎の木の枝葉も、最後の一枚になりました・・。

そんな悲しい内容を訥々と歌い上げる太田裕美さん、渾身の1曲・・・と言えるんじゃないのかなぁ・・この曲は。

なんて、如何にもヒット当時、この曲に入れ込んだように書いてるワタシなんですが・・・。

実は、ヒット当時は、まったくこの曲の存在すら知らなかったんだよね。

・・・と言うように、今となっては殆ど、埋もれてしまっている太田裕美さんの1曲じゃないのかなぁ。

いや、その前の2曲の存在感が、あまりにも大きいんだよね、1976年の太田裕美さんは。

なんせ、2曲前が太田裕美さんの「代名詞」と言うべき存在の「木綿のハンカチーフ」であり、次が「赤いハイヒール」ですからねぇ。  それを受けてのこの曲。

曲調としても、ポップな1曲ではない、ミディアムバラード。 どうしても存在感的としては、前2曲には勝てなかったわけです。

それは、チャートアクションにも如実に出て、前2曲がオリコンで連続最高2位だったのに、この曲では5位止まり。 売り上げも前曲「赤いハイヒール」の48.7万枚から、この曲では30.6万枚に落ちてしまっている。

30万枚売れれば大ヒットと言われた時代、それでも30万枚オーバーとしているということは、当時の太田裕美さんの人気を証明している訳なんだけども、チャートアクション的にはベストテン内には1カ月ほどしか留まれなかったし、だから、売り上げも急激に落ちたしね。

その辺りの最大の理由としては、この曲の存在感って言うのが大きかったんだろうね。


ちなみに、この曲は1976年9月リリース。 当時の感覚から言えばリリース時期として、ある意味「賞取り」用の曲とも言えたんですよね。 例えば、秀樹のこの年1976年の賞レース用の曲は、やっぱり9月リリースの「若き獅子たち」であったように。

そういう風潮もあって、太田裕美さんも、この年の賞取りレースは、この「最後の一葉」で行くものと思っていたらしい。 まあ、「木綿のハンカチーフ」は確かにヒットは76年だけど、リリースは前年の75年暮れって事もあり、「木綿〜」は前年の曲・・・って言う意識もあったようで・・・。

なので、どうも、今一つ76年の賞取りレースのノミネート曲も、紅白も「木綿のハンカチーフ」であることに納得がいかなかったらしく、だから、せめてもの反抗として、衣装は、この「最後の一葉」の衣装で出演したようですね。


たださ、あくまで、楽曲としての存在感の話であって、だから「駄作」であるのかと言うと、そうじゃない。

楽曲的には、デビュー曲の「雨だれ」の続編のようなイメージですね。 ショパンのエチュードを彷彿させるような美しくソフトなメロディラインとピアノ。

レコードでは、羽田健太郎氏が弾いていたようだけど、テレビでは、太田裕美さん自身が弾いてましたよね。
でも、「雨だれ」はそうでもなかったようでずか、この「最後の一葉」のピアノは相当難しかったらしく、かなり練習したとか。

・・・というか、本来がギターが本職で、ピアノを弾いた事が無かった萩田氏が、このピアノアレンジをしたっていうのが、スゴイんだけど。。。

でさ、アイドル曲の変遷を年代を下って聴いてると、この辺り(1975後半〜1976年)を境にサウンドが変わって行く事に気がつくんだよね。

なんていうのかなぁ、歌詞で言えば七五調の脱却、メロディラインでいえば四七調の脱却ってやつですよね。
いわい。それまでの「歌謡曲」臭からの脱却っていうのかなぁ。

より洋楽的・・とくに70年代中盤あたりは、ヨーロッパ系の匂いですよね、それにより近くなってきたような印象が強い。 特にサウンド面・・・実際の音質だよね、それはこの頃が劇的に変わったような印象が強いなぁ。

まあ、実際の録音面で、それまでの8チャンネルから16チャンネル、さらに24チャンネルへ・・・と日々進化して行ったのも大きいだろうけど。

特に、この「最後の一葉」あたりを聴くと、そんな印象があるなぁ。

もっともCBSソニーは、それ以前から音質面は、他のいわいる「老舗」メーカーに比べると良かったけど。。


それにしても、このピアノっていうアイテムは太田裕美さんの存在をワンランクグレードアップさせていたよなぁ。当時、ピアノを弾きながら歌う・・っちゅう、いわいるシンガーソングライタータイプの「アイドル」って居なかったから。

いや、正直、アイドルって言う範疇に入れてもいいんだろうか・・・なんて悩むんだよね。 かといってシンガーソングライターって言う訳じゃ無いしさ。

いずれにしても、ピアノが弾ける、清楚でかわいらしいお姉さんタイプの太田裕美さんって好きだったんだよなぁ、ワタシ。

キャンディーズも好きだったし・・。  

うーむ当時はナベプロ派だった・・・って言えるかもしれないな。


蛇足だけど、萩田氏は太田裕美さんをモチーフに、後年、南野陽子さんのアレンジを施したんじゃ無いのかなぁ。
その辺、自身の著書「ヒット曲の料理人」には記されていないけど、ヨーロッパ系の清楚なお嬢様タイプの曲調は、太田裕美さんの、この「最後の一葉」や「雨だれ」あたりが下敷きになってるんじゃないかな・・・なんて思えますねぇ。
特に、ナンノさんの「秋のIndication」とか「秋からもそばにいて」辺りを聴いてるとさ。。




この動画の番組、TBSの「トップスターショー〜歌ある限り〜」じゃ無いのかなぁ。
あの「ザ・ベストテン」の前番組。 ベストテンと同じく、木曜21時〜21時55分で放送してた。

いつも思うんだけど、よくVTR残してた方いらっしゃいますよねぇ。 1976年当時、もちろん、既に家庭用ビデオデッキはあったけど、ビデオテープはかなり高価だったはず。 よく取ってた方がいらっしゃるなぁ。普通は、上から被せちゃって残ってないですよ。
ホント、残してた方に感謝



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1ダースの言い訳 / 稲垣潤一

1986_03_1ダースの言い訳_稲垣潤一


今回の1曲セレクトは、「1ダースの言い訳」稲垣潤一です。

まずはデータです。

・タイトル    1ダースの言い訳
・アーティスト  稲垣潤一
・作詞      秋元康
・作曲      林哲司
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1986年2月21日
・発売元     ファンハウス
・オリコン最高位 20位
・売上げ枚数  7.6万枚
・THE HITCHARTHOT30最高位 18位
・タイアップ:三洋電機「SANYO CDミニコン」CM曲

いやー、いい天気ですねぇ。こういう日は「出かけたいっ」って気分になるんだけど、なぜに家に閉じこもって「1曲セレクト」を書いてるんでしょう ワタシャ。
やっぱ、根っからの「出不精」なんでしょうかねぇ。

でもね、気分は良いんだよね。うん、前回書いたトモちゃんの「I'm proud」のアクセスが割といいんで
キライキライといいながら、やっぱ「小室系」サマサマというてころでしょうか・・・あー、天邪鬼。。。

しかしねぇ、こう気持ちよく晴れると、浮かんでくる曲っていうのもあるな・・・

・・・っつうことで、今回引っ張ってきた曲はこれ。

稲垣潤一「1ダースの言い訳」。

いやぁ、たださ、こう、ざざん・・・とタイトルを書いて、果たしてどの程度の方がこの曲を覚えていて下さっているかっつうのは、ちょっと不安だけど。

なんせ32年前の、しかもオリコン最高20位の曲だかんねぇ。今となっては死角に入っていて当然といえば当然なんだけどさ。

でもね、個人的にはこの曲好きだったんだよなぁ、当時。

それまでの稲垣氏には無かったようなメジャー系でよりポップな曲調で。 如何にも「春先」のカラッとした晴天の明るさを感じたりして。
使い古されたコトバで言えば、ウエストコーストの風を感じる様な。。。っていうのは、ちょっとオーバーか。。。

まあ、そのくらい春を感じた1曲だったんだよな。

80年代ってさ、まだ曲に季節感があったじゃない だから、当然今頃の時期には「春」・・・そうだね「春の陽光」を感じる曲ですね・・・も毎年あった。

例えば83年だったら、epoの「う・ふ・ふ・ふ」だったり、84年だったら河合奈保子の「微風のメロディー」だったり・・・。

で、86年はこの曲・・・だったんだよなぁ。 まあ、あくまでワタシの中での話だけどさ。
うん、この曲と、レベッカの「ガールズブラボー」・・・そそそ「フレンズ」のc/wでドラマ「ハーフポテトな俺たち」の主題歌だったあの曲。

いずれも、メジャー系でポップで、いかにも「春」の温度感を感じる気曲だったしさ。 ま、もっとも「ガールズブラボー」のリリースは「冬」だったけど・・・。

いずれにしろ、当時、個人的な気分にはピタッと嵌まったって言うかねぇ、リリースされてすぐにシングル買ったんだよな、この曲。 で、もうね、ヘビーローテーションで聴きまくってたなぁ。 この曲とチャゲアスの「モーニングムーン」。
この2曲を聴くと、「86年の今頃」になっちゃうんだよ、ワタシの脳みそは。。そのくらい聴いてたな。

たださ、あまりにも聴き過ぎで、食傷気味・・・いや、完璧に「食傷」してたりもするんだけども
うん、今この曲と「モーニングムーン」を聴くと、思わず胃もたれのような気分になるもの


この曲、作詞は「秋元」氏なんだよね。 当時を知らない方にとっては意外な関係に見えるかもしれないけどさ。
なんせ、昨今「アイドル」のプロデューサーって言う色合いの方が断然つよい秋元氏なんで。。。

でもまあ、稲垣氏と秋元氏と言えば、稲垣氏のブレイク曲となった「ドラマ・ティックレイン」(1982年)の詞が秋元氏だったわけで。 奇しくも秋元氏も、「ドラマディック・レイン」で作詞家としてブレイクしたわけで、言ってみれば切っても切れない関係だったんだよね。

そこに、当時一番の売れっ子だった、作曲家・林哲司氏が絡んでくるって言う図式・・・ってくれば、やっぱ菊池桃子さんを連想しちゃう訳なんだけども。

でも、桃子さんの1連の曲調は、ここまでカラッとしたポップさは無く、もっとウェットだったからさ。ぱっと聴き、両者の曲だとは分かんなかったんだよなぁ。 その辺はアレンジャーの萩田氏が上手く切り分けた感じだよなぁ。
まあ、内容が表面的で薄っぺらさを感じる歌詞は当時の秋元氏っぽいな・・・ってところだけど。。。



すっかり忘れられてるかもしれないけど、ドラムを叩きながら歌うっていうのが稲垣氏のスタイルだったんだよね。
いや、このスタイルが、当時、カッコ良かったんだよなぁ。

当時、ワタシも「ドラム」やってたんだけど、そのきっかけの一つは、ドラムをたたきながら歌うって言うこのスタイルに魅せられたって言うのも大きいんだよね。
まあ、ドラムやってたっていっても「我流」でやってたんで全然うまくないんだけど。。。


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雨だれ / 太田裕美

1975_03_雨だれ_太田裕美


今回の1曲セレクトは、「雨だれ」太田裕美です。

まずはデータです。

・タイトル    雨だれ
・アーティスト  太田裕美
・作詞      松本隆
・作曲      筒美京平
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1974年11月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数  18.1万枚


またまたお久しぶりーな、1曲セレクトどぇす。
もうね、こんな書きだしのマクラが定番になっちゃいましたね、最近は。
相変わらず、書こう書こうと思ってなかなか筆が上がらない自分だったりしてなぁ・・・。

ここ暫くは「時代の転換点」な曲って言う感じで曲をセレクトしてきたりしてるけど、今回の曲も、そんなヒット曲の転換点な時代の1曲って言えるのかなぁ。

太田裕美「雨だれ」

そそそ、太田裕美さんの「デビュー曲」ですね。 リリースは1974年(昭和49年)11月っていうから、ワタシャ5才。
当然、リアルタイムではないよなぁ、この曲は。

でも、11月リリースなのに、なんで今頃書いてるの? とも思う方もいらっしゃるかなぁ。うん、この「1曲セレクト」は原則、「ヒットしていた時期」に書いてるからさ。
But But、ご安心あれ、この曲のヒットのピークは、1975年の丁度今頃なんですねぇ。(オリコン最高位14位を記録したのは、1975年3月3日付)。なので、リリースからヒットのピークまでは4カ月要した、いわばロングヒットでもあるんだよね。

ただ、ワタシらの世代と、太田裕美さんっていうと、どうしても次の年の「木綿のハンカチーフ」だったりするんだけどさ。。
いや、恐らくこれ読んでいただいている多くの方が、そうじゃないのかなぁ。

個人的にも、後年、時代を遡ってこの曲を聴いた訳なんだよね。

で、ちょっと迷ったのが、果たしてこの曲は、単純に「アイドルポップス」っていうカテゴリーに入れていいのだろうか・・って事なんだよなぁ。

たしかにこの曲では太田裕美さん本人がピアノの弾き語りで歌っていたこともあった。 そのスタイルからしてアイドルポップスって言う範疇では無かったように感じたところも大きい。

けどさ、それ以上に、甘美なピアノのイントロから始まるこの曲は、やっぱりアイドルポップス・・・って言うイメージじゃないんだよねぇ。どちらかと言えば、当時、広がりを見せつつあったニューミュージックの世界観に近い。
あ、これは、その時点までの一連のアイドルポップスと比べると・・・と言う事だけど。

「雨だれ」っていうとショパンのプレリュードを思い浮かべる方もいらっしゃるかと思うけど、そんな世界観を想像してしまうようなイントロのピアノの旋律は、流石は萩田光雄氏のアレンジだよなとは思わずにいられなかったりしてさ。

それまでの70年代アイドルポップス・・・いや、アイドルポップスに限らず、いわいるヒット歌謡って言う部類の曲、全般的にですね、どちらかと言えばメロディライン優先で、バックのサウンドは添え物って言うところがあった。 まあ、大まかに見るとよ。

でも、この曲あたりから、メロディラインだけではなく、バックのサウンドのクオリティも上がってきているんだよね。トータル的に音楽を感じるられる曲って言うのかなぁ

それは日本独自の流れというよりは、ヨーロッパを初め世界的にそんな流れになってきては居たんだけどね、当時は。
リズム重視というよりもサウンド重視っていうのかなぁ。そんな流れに日本のポップスも追いつきつつあった。

この曲はそんな流れの象徴の一つなんじゃないかなぁ・・・なんて思ったりするんですよね。

そんな世界的な流れのトレンドにいち早く移行したのが、後のニューミュージック勢の方たちであり、歌謡ポップスでは筒美京平氏なんじゃないのかなぁ。

筒美氏一人で・・というよりもそれを支えたブレーン達の才能って言うのもあるんだろうけどね。そのトップバッターだったのが、この曲のアレンジをした萩田光雄氏ですよね。

まあ、丁度ヨーロッパ・・特にクラシックの流れを汲んだような曲調のフレンチポップスが流行っていたって言うのも追い風だったのかもしれない。
以前も何回か書いたような気がするけど、フレンチポップスと日本の土着的なメロディって相性が良いからさあ。

なんで相性がいいのか・・・正確では無いかもしれないけどさ、日本の方言、特に東北地方の方言ってフランス語的って言われてるじゃん。
寒くてあんまりはっきりとしゃベれないんで、ボソボソっとした発音と省略語が多いところがフランス語の発音に似てるってさ。

そんなフランス語に似てる発音で歌われる民謡・・・これってやっぱりフレンチ的になるんじゃないのかなぁ・・・なんて思う訳なんだよね、個人的には。

ゆえに、フレンチソングと日本の土着的な音楽って相性がいいのも、ある意味必然的なんじゃないのかな・・・なんて勝手に思ってたりするんだけどさ。

ま、蛇足と言う事で・・・

あ〜、話が脱線した。。。。元に戻す。

それらの「いいところどり」・・っていうかさ、上手い具合に融合し発展し始めたのがこの頃の曲だと思うし、その1曲が、この「雨だれ」なんじゃないのかなぁ・・・なんて思ったりするんだよね。

筒美氏もこの曲に関しては、納得する出来だったのかもしれない。 何年か前にNHK BSの「筒美京平」ご本人が出演された特集の最後に、筒美氏本人がピアノ弾き語りで演奏した曲がこの曲だったわけだから。

ヒット曲は、納品した瞬間から自分の手を離れるって自ら語っていた本人なわけだから、その本人が自ら弾き語りで選んだ曲っていうことは、それほど納得が行って愛着を持っている曲なんじゃないのかなぁ。

そう言う意味でも印象的な曲なんだよね、この曲は。

まあ、売り上げ的には大ヒットと呼べるほどではないんだけどさ。




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カム・フラージュ / 柏原芳恵

1984_01_カム・フラージュ_柏原よしえ

今回の1曲セレクトは、「カム・フラージュ」柏原芳恵です。

まずはデータです。

・タイトル     カム・フラージュ
・アーティスト   柏原芳恵
・作詞       中島みゆき
・作曲       中島みゆき
・編曲       萩田光雄
・リリース日    1983年12月1日
・発売元      フィリップス
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  19.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1983年12月19日〜1984年1月23日付

1曲セレクトを書くとき毎回困るのが、ま、確かに「どの曲を書くか」っていう曲選びもそうなんだけど、いざ、書こうと思った時の文章の出だしがね〜、これが困るのよね。
何か「引っかけるモノ」があればいいんだけど、なーんも引っかけるものが無い曲の時が困る。

実は、今回引っ張ってきた曲もそうなんだよなぁ。

柏原芳恵「カム・フラージュ」。

いや〜、困ったねぇ。。。。困ったんで、↑のような出だしになってしまったんだけど。。。

そんなトピックスに困る位、ヒット当時のこの曲のエピソードっていうのが無いんだよなぁ・・・。というか、思い出せないって言うかねぇ・・・。 まあ、思い出せないっていうのは、個人的な事で、もしかすると人によってはこの曲で忘れられない想い出がある方もいらっしゃるかもしれない。

でも、個人的には・・・・う〜ん、何もないんだよなぁ。。 

まあ、だから、約20万枚も売れたこの曲を今まで書いてなかったのかもしれないけど・・・。

この曲、作詞、作曲が中島みゆき女史なんだよね。 いや、もしかすると、そんなことすら今となっては忘れ去られた事実かもしれない。 いや、考えて見れは、ヒット当時も、それほどの話題にならなかったんだよな。

中島みゆきさんと、柏原さん・・・といえば、この年(1983年)頭に大ヒットした「春なのに」であり、 翌年1984年にヒットした「最愛」であり・・・ってとろこが話題だったからねぇ。

だからね、この年1983年の柏原さんは、中島みゆきさんに始まり、中島みゆきさんで終わった年だったんだよね。

まあ、ほんのちょっとヘビーなサウンドと、アップテンポな曲調からして、中島みゆきさんっぽくなかったからなぁ、確かに。
で、当の柏原さんにしても、そんな上記のような曲調が柏原さんっぽくなかったってところはあったしね。

当時の柏原さんと言えは、上記の「春なのに」もそうだけど、「夏模様」「タイニーメモリー」など、ちょっとスローな落ちついた曲って言うイメージが定着してたしね。

 確かにこの年の春に出した「ちょっとなら媚薬」は、完全に山口百恵さんを意識したアップテンポだけったけど、正直、柏原さんにあっているとは、あんまり思えなかったしなぁ。
それが証拠に、その前曲の「春なのに」があんなに大ヒットだったのに対して、売れなかったからねぇ、それほど。
この曲の場合は、曲調があまりに山口百恵さんだったんで、「狙い過ぎ」なんていう酷評もあったわけなんだけどもね。 
ただ、個人的に言えば、柏原さん自身にそんなにあってたとも思わなかったなぁ。 メロディライン、サウンド云々というよりも、アップチューンな柏原さんがねぇ、どうもイメージとずれるんだよね。

だから、この曲にしても。そんなに売れるとは思わなかったんだよな、だから、そんなに注目してなかったところもあったんだと思う、当時は。

そもそも、♪ 悪い噂隠すために ワタシを呼び出させないで〜 ♪ っていう出だしAメロの部分、 特に♪ ワタシ〜 ♪って言う部分がさあ、ぶっきらぼうなんだよ、歌い方が・・・。

当時としては、「あー、そんなに歌いたくないか・この曲」なんて思っちゃってたんだよな、ワタシ。

でも、フタを明けたら、前曲「タイニーメモリー」を上回る、売り上げ約20万枚。 

いやいや、正直、これは予想外だったんだよなぁ。

でもねこの曲の場合は、曲調云々・・というよりも歌詞の深さが良かったんだろうねぇ・・・って言うのは今になって思えばの話なんだけどね。
中島みゆきさん独特の、男間における心理をついた歌詞。これが売り上げに結びついたんだろうなぁ。

サウンド重視、歌詞内容は深いところまで見てないワタシだからさ、当時はそう言う深いところまでは見てなかったんだよね。
 もしかすると、この曲は女子受けは良かったんじゃないかなぁ。まあ、はっきりとした資料がある訳ではないんだけどさ、そんな気がする。

でも、この曲あたりの男女間における、女性から見た心理戦をついた歌詞っていうのは、その後の工藤静香さんに提供した一連のヒット曲に結実しているよね。
逆に見れば、工藤さんの一連のヒット曲の歌詞のもとを辿れば、この曲あたりに行きつくんじゃないかなぁ。



うーん、やっぱり、この曲も所々、百恵さんの面影がチラリチラリと見えたりするんだけど、それはやっぱ、アレンジャーの萩田氏っていうのも多分にあるんだろうなぁ。エレキのフレーズとかさ、どうしても百恵さんなんだよね。


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16粒の角砂糖 / 西村知美

1987_01_16粒の角砂糖_西村知美


今回の1曲セレクトは、「16粒の角砂糖」西村知美です。

まずはデータです。

・タイトル    16粒の角砂糖
・アーティスト  西村知美
・作詞      松本隆
・作曲      辻畑鉄也
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1987年12月17日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数  7.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1987年1月12日付

2018年、明けましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いします。
さてさて、年明け1発目の「1曲セレクト」。いつもながら曲、どーしようかなぁ・・・やっぱり年明け早々は「アイドル」で行きたい・・と思ったものの、どうも、コレといっ曲が浮かんでこない。
1月っていうのは昔からリリースって薄いんだよなぁ。だからね、1月に新曲を書こうと思うと、意外と苦戦する。これはアイドル系にもいえることでさ。確かに1月1日リリースって言うもある事はあるんだけど、これまで結構書いてきたからなぁ・・・。

・・・と思ったら、1月1日リリースではないものの、「年末リリース」だった曲が1つあったぞ。

西村知美「16粒の角砂糖」

うーむ、最近、なんやかんやで西村知美さんの曲ちょくちょく書いてるような気がするけど・・・。でも、まだあるんだよねぇ、書いて無い曲が。 

この「16粒の角砂糖」なんて曲。どの位の方が覚えてるだろ? その方が心配。

この曲は、西村知美さん5枚目のシングル。 でもね、ここまでがデビューした年、1986年のリリースなんだよね。 っつうことは、デビュー1年目は、5枚もシングルだしてたりするんだよな、西村知美さん。

ここでは何回も書いてるけど、当時は3ヶ月ローテーションリリースが通常。 つまりさ年4枚リリースっていうのが、普通だたんだよね。 そそそ、季節ごとに1枚っさて感じかな。

だからさ、それから見ると、年に5枚リリースっ、しかもデビューの年に5枚っていうのは、当時から見てもハイペースなリリースだったんだよね。

まあ、この曲の前曲「君は流れ星」は、アニメの主題歌っつうこともありーの、通常のリリースローテーションから外れた、いわば「臨時発売」的なリリースであった訳で、 通常であればこの「16粒の角砂糖」がローテーションにのったリリースになるんだけどさ。

だけど、当時は、あまりのリリース間隔が早くて、どちらかといえば、この曲が「臨時発売」のような感覚になってたことは確かだな。


だけんどねぇ、前も書いたかもしれないけどこのヒトの曲って、デビュー以来どの曲を取っても、いまひとつ良く分かんない曲が多かったんだよなぁ。
まあ、ウタがね。。。。あれなんで。。。

その中でも一番分かんなかったのが、この「16粒の角砂糖」だったりするんだよなぁ。 ま、個人的な話って言うでなんだけど・・・。

この曲、西村知美さんにしては・・・いや、当時のアイドル全般からに見ても珍しい3連のドゥ・ワップ調だったりするんだよな。
だからさ、本当だったら、「へぇ・・めずらしいなぁ」なんて引っかかってもおかしくないんだけど、なにせ、ウタが素晴らしい西村さんだからさあ、逆に余計分かんなくなっちゃっただよなぁ。

聴いた後で、一体何だったんだろう? なんて思っちゃったりして。。。 なにが「16粒の角砂糖」なの? 言いたい事がさっぱり分かんなかったんだよな、当時のワタシは。

今でもこの当時の曲を通しで聴くと、やっぱり浮くんだよなぁ。 86年から87年って言う時代からみても逆行しているような・・・。

そうだ、当時分かんなかったのは歌詞の内容云々の前に、曲として時代性が良く分かんなかったんだよ、この曲。だから、理解できなかったのかもなぁ。

いやいや、正直いうと今でも良く分かんないんだよ、この曲は。 ただ、ヒット当時は全く引っかからなかったこの曲も、30年経った今は、なんとなしに引っかかるようになったけど。。。




うーん、改めてVTR見ながら曲を聴くかぎり、当時ひっかからなかったのは、曲のインパクトの薄さもせいってのもあるな。
確かに曲調的には面白いんだけども、如何せん流れて行っちゃうような感じなんだよな。西村さんも今一つ消化しきれてなかったんじゃなぁのかなぁ・・・。改めてそんな印象を感じたな。


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あなたを愛したい / 南野陽子

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 今回の1曲セレクトは、「あなたを愛したい」南野陽子です。

まずはデータです。

・タイトル    あなたを愛したい
・アーティスト  南野陽子
・作詞      田口俊
・作曲      萩田光雄
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1988年6月18日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  25.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1988年6月27日〜7月18日付
・タイアップ:映画「菩提樹 リンデンバウム」主題歌

 現在4時30分・・・。なぜにこんな時間にワタシャ、1曲セレクトを書いてるんでしょうねぇ・・・。
歌の文句じゃないけど、「眠れぬまま 夜が白々明ける〜」っていうところでしょうか。 クーラー一晩中つけると体が冷え切るんで寝てから2〜3時間で切れるようにしてるんだけど、切れたら切れたで暑いでしょ。
目が覚めちゃうんですよねぇ〜・・・・。 今頃は4時前には明るくなってくるし・・・。 そうすると眠れない。。。
・・・ってわけで、こんな時間に書いてたりする訳なのよ。。。。

今回セレクトしてきた曲は、そんな白々夜が明ける時の曲・・・だったりして

南野陽子 「あなたを愛したい」

え? この曲が白々夜が明け時の曲なのかって

だって、曲の出だしがさ、 ♪ あなたの夢でふと目覚めた夜明け 葡萄色の空に またたく星が揺れてた〜♪ってあるじゃん。

あー、まさに今の時間帯だわぁ。  ま、先週から書こうと思ってた曲なんで偶然なんですけどね

ところで、先週の河合奈保子さん、中森明菜さんは、ヒット当時、個人的な好みじゃなかったんでずっとほったらかしにしてた曲ってことで、両者殆どの曲は既に書いちゃったのに、今頃書いてる曲・・・って事だったんだけども、 今回の南野さんも、既にほとんどの曲は書いちゃったんだよな。

なのに今頃書いてるって事は・・・、そうなんですねぇ、この曲もヒット当時は、個人的な好みじゃなかったんですねぇ。 

・・・というか、今となっては知ってる人しか知らない曲って感じがしません? この曲。

うーむ、ワタシだけかなぁ、そう思えるのは。

今から29年前の1988年の今頃、オリコンじゃ1位とったし、売り上げだって、前曲の「吐息でネット」の30万枚までは行かなかったものの、25万枚セールスっていうのは、当時の南野さんにしちゃそこそこの売り上げだったのにねぇ。

でも、どうも印象に薄いんだよな、この曲。  

当時の南野さんのシングル曲の音源はほとんど持っているのに、この曲だけは未だに持ってないから・・・なんて、個人的な理由からなのかなぁ。

いや、当時から印象が薄かったから、当時音源買わなかったような気がするな。

この曲の前の「吐息でネット」が良かったからさあ、新鮮だったし。 それに比べると・・・って感じだったんだよね。

確かにナンノさんらしい曲ではあった。けど、逆に当たり前過ぎたような気もするんだよね。そう言う意味で新鮮みを感じなかったんだよな。当時の感覚から言って「2〜3年前の・・・」って感じで。
そうだなぁ、86年頃の・・・って言う感覚なんだよね、この感じは。 でも実際は88年だったわけじゃん。 そのギャップをねぇ、どうしても感じちゃうんだよね。

 プラス、インパクトもさほどなかったしなぁ。 このテの曲は、比較的静かなAメロから始まってサビに向かって盛り上がって行く感じなんだけど、サビも今一つ盛り上がりに欠けるんだよね。 なので、どうも淡々と流れて行っちゃうような感じがしてさぁ。 簡単に言えば引っかかりが少ないって言うのかなぁ。

まあ、当時、「ロウニン」生活の真っただ中にあったワタシとしては、ヒット曲どころじゃなかったっていうのも正直なところだったんだけど・・・。 

あー、そう言えば、この曲がちょうどヒットしてた頃、酷いジンマシンにかかった事があったな。
なにか悪いもんを食ったのかどうなのか、原因が良く分かんないんだけど、全身に蕁麻疹が出来てさあ、夜中に市の救急センターに行ったっけ。
久々に、この曲を聴いてたら思い出したわ。

 今は・・というと、これまでも書いてきたように先月以来の痛風発作が、大分良くはなって来たんだけど未だに鈍い痛みを発してたりね。
 何年かに一度、健康面でマイナスな時期でもあるんだよな、個人的に。 まあもともとクーラーがあんまり得意じゃないし、かといって、このジメジメとして蒸し暑さも得意じゃない。 天気もはっきりしない日か続く
・・なんていう気候的な疲れに加え、メンタル的な疲れが溜まってくる時期なんだよな。




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