かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

荒木とよひさ

時計をとめて / わらべ

1985_01_時計を止めて_わらべ






今回の1曲セレクトは、「時計をとめて」わらべです。

 まずはデータです。

・タイトル    時計をとめて
・アーティスト  わらべ
・作詞      荒木とよひさ
・作曲      三木たかし
・編曲      松武秀樹
・リリース日   1984年12月12日
・発売元     フォーライフ
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   15.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1985年1月14日付
・タイアップ:テレビ朝日系「欽ちゃんのどこまでやるの」より

 えー、今回もマクラ無しでいきなり本題。
今回引っ張ってきた、わらべの「時計をとめて」。これかなり自分でも記憶の外にあった曲なんですよね。たまたま昔の「今頃」のランキングょ見てたら目に飛び込んできてしまったんで、引っ張って来ました。

・・・といいつつ、実は、ワタシこの曲、よく知らなかったりしますあせあせ 何分、音源も持ってなかったりするもので・・・ふらふら

 サビの部分だけかな、覚えてるの。

 ♪時計をとめて このままそっと 夜空の星も見つめてるから〜 ♪

で、「掛け合い」コーラスになるのだけ覚えてたりするんだよね。


 うーん、内容、サウンド的には、「クリスマスソング」なのかなぁ。 でも、実際ヒットのピークは、年明けの今頃だったんだよね。

 何分、「わらべ」の曲としては、あっという間にいなくなっちゃったからねぇ、細かいところまで記憶に残ってないんだよなぁ。

 そんな無責任な・・・なんて声が聴こえてきそうだけどあせあせ・・・、選曲屋は無責任なものなのですexclamation 書いてしまえばこっちのもの・・・なんてね。

 ところで、「わらべ」の曲って今まで、書いてなかったんだな。いや、書いてなかったんでなくて、書かなかったってのが、正解ですね。これまた、どう書いたらいいのか、ちょっと悩むんだよね。超正統派、文部省唱歌とも言えそうだし・・・。 

ちなみに、このころのアイドル系の曲は、結構メルヘンチックな曲が多かったんだよなぁ。超正統派なメルヘンチックな曲では、この曲の他では、富田靖子の「さびしんぼう」かなぁ。まあ、こちらはショパンの「別れの曲」のカバーでしたけどね。
 

そう言えば、この曲、松武秀樹氏がアレンジなんだ。これ知らなかった、今まで。松武秀樹氏といえば、その昔、Y.M.Oのコンピュータープラグラミングとマニュピレーターで活躍された方ですね。


 実は、昔、松武氏とは、仕事で直接やり取りしてた時期があるんですよ。
 昔、着メロにかかわり始めた直後ですね。松武氏にmidi音源を作ってもらってたことがあるんですわ。

 某大手着メロサイトのピンクレディーとかX-JAPANの一部は松武氏に作ってもらったものです。
 何分、7年前だから未だに、その音源使ってるかどうか知らんけど・・・。

 でも、やりとり楽しかったな。ワタシも着メロって全然知らない頃で、ワタシが曲の取り位置を指定して、松武さんに制作依頼するんだけど、「これループしないよ」「45秒超えちゃうけど大丈夫?」とか、いろんなやり取りしたな。すべて「いいです、それで作っちゃって下さい」で流しちゃったから、あとあと、45秒越えで問題になっちゃうんだけどさ・・・。知らないからこそ出来た、大胆技ですね。
 今では、怖くてできましぇん。

 その中でも一番の出来だったのは、Xの「紅」の間奏ギターソロバージョンだろうな。
 これは、取りどころ指定したワタシも、我ながらいいとこ取ったなって納得(自画自賛 あせあせ)  
 松武氏のmidiの出来も抜群で、暫く人気あったもんなぁ。今は、midiファイル壊しちゃったから、別のに挿し変わってるけど・・・。


・・・なんて、思わず、松武氏で話が思い切り脱線してしまいました。。。バッド(下向き矢印)


 ちなみに、わらべって、「めだかの兄妹」「もしも明日が・・・」両曲共に「12月21日」リリースなんだよね。で、この曲が12月12日リリース。と3年連続して年に1枚。12月リリースだったんだよね。
 でも、この曲以降は、レコードリリースしてません。割りきりが良いと言うか・・・、欽ちゃんファミリーって、そういうパターンが多いんだよね。
 風見慎吾も「泣き虫チャチャの物語」が最高15位まで行きながら、それ以降、一切レコード出してなかったりするもんね。

 だから・・というわけでもないけど、わらべにしても風見慎吾にしても、ベスト20を外さないアーティストとして、未だに続いております。




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めだかの兄妹 / わらべ

1983_04_めだかの兄妹_わらべ






今回の1曲セレクトは、「めだかの兄妹」わらべです。

 まずはデータです。

・タイトル     めだかの兄妹
・アーティスト   わらべ
・作詞       荒木とよひさ
・作曲       三木たかし
・編曲       坂本龍一
・リリース日    1982年12月21日
・発売元      フォーライフ
・オリコン最高位  3位
・売上げ枚数    88.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1983年1月31日〜5月2日付
・タイアップ:テレビ朝日系「欽ちゃんのどこまでやるの」より

 さてさて、今回セレクトしてきた曲は、わらべの「めだかの兄妹」ですわ。
昨日は、イモ欽トリオをセレクトしたんで、2日続けて「欽ちゃん」ファミリーからのセレクトって訳ですが、80年代前半は、欽ちゃんは強かったですからね。視聴率100%男とか言われて、各キー局で冠番組をもってたけど、いずれも軒並み、視聴率20%以上、時には30%以上も稼いていたわけですから。

うーん、でも、時期的にちょっと、引っ張ってくるのが遅くなっちゃったですかねぇ。
 本来は2〜3月が、この曲のヒットのピークだったんだよね。

 でも、ベストテン内に4ヶ月もいすわったっていう、ロングランヒットな曲だったから、4月の中旬でも、まだ、ベストテン内に居たんだよね。

 この曲は、いわずとしれた「欽どこ」の挿入曲として、番組で歌われていたんだけど、当初はここまでヒットするとはなぁ。

 「童謡」だもんね。 でも、まあ、わらべ3人のキャラクターをかんがえると、ピッタリだったのかもなぁ。。

 あ、高部知子は例外として・・・って書いたら怒られちゃうかしら・・・。

 いやいや、ちょうど、この曲と平行して「積木くずし」やってたじゃん。ギャップが激しいんだよね。。。

 まあ、そのあとの「例の事件」もあったし。。。

 それでも、あとの2人には、ピッタリだったと思いますよ。

 童謡系って時として、大ヒットすることがあるじゃん。「だんご3兄弟」とかさ。
 それが、たまたま、あの時代は、この曲だったって訳だよね。

 まあ、4ヶ月ベストテン入りしてたって言うのも、「童謡」っていうところも大きかったんだろうな。

 なにせ、いろんなヒトが聴くもんね。このテの曲は。
わらべファン(なんていたのか?)のみならず、ガキンチョにしても、おじいさん おばあさんにしても・・・。

 まあ、幅広い人たちから支持を受けたことは間違いないですわ。

 加えて、この曲、坂本龍一がアレンジを担当した・・・っていう話題性もあったからなぁ。

 坂本氏は、このすぐ後に「君に胸キュン」で大ヒットを飛ばし、くしくも わらべと共演することになるんだけどさ。

 そういう話題性もあったよね。そんなことが、より、この曲をロングヒットさせたんぢゃないですかねぇ。



えー、毎度毎度の「ザ・ベストテン」。
わらべとは関係ないけど、サザンの桑田氏がメダカ掬いやってる図は、いまぢゃ1000%見られないよなぁ。
ベストテンならではの光景ですわね。



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涙のtake a chance / 風見慎吾

1985_01_涙のtake a chance_風見慎吾






今日の1曲セレクトは、「涙のtake a chance」風見慎吾です。

まずはデータでーす

・タイトル    涙のtake a chance
・アーティスト  風見慎吾
・作詞      荒木とよひさ
・作曲      福島邦子
・編曲      小泉まさみ
・リリース日   1984年12月21日
・発売元     フォーライフ
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数   22.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1985年1月28日〜3月11日付

 さてさて、今日の1曲セレクトは、「風見慎吾」氏の登場でーす。
 風見慎吾氏なんて、改まって書いちゃいましたけど、最近では、そんな感じだよねー。すっかりレポーターとなってしまって、30年前、「ダンスパフォーマー」としてのアイドルだったとは、思えないもんね。

 へへへへ、わざわざ、ダンスパフォーマーとか、「ふり」を入れちゃいましたが、この曲っていったら、どうしても、アレですよね。アレ。。。えーと・・・「ブレイクダンス」

 これ、流行ったよねぇ・・・当時。あの、頭でクルクルまわるやつですよ・・・。
 え? もうしらないヒトの方が多い? うーん?

 でもまあ、84年〜85年にかけて大ブレイクだったもんなぁ。みんな、よく、マネしてたよねぇ。マネして、首おかしくしちゃったりして。。。
 ワタシは、生まれつきの「運動ウンチ」なんで、やんなかったですけどねぇ。。

 ダンスパフォーマーって、あの当時の一種の流行だったわけだけど、けっこう、いろんな形態があったよねぇ。
 まずは、ジャイケルマクソン・・・うんにゃ、マイケルジャクソンでしょ。当時は「スリラー」が超大ヒットだったもんね。
 日本では、一世風靡セピアとか。 で、まあ、あとは、ブレイクダンスだわね。
 なんか、いろんなヒトがやってた気がするけど、曲の中にタイレクトに取り込んじゃったってことで、どうしても風見慎吾のこの曲っていうイメージが強いよね。
 あれ? ワタシだけかなぁ??

 しかしね、そう書くと、どうしても、この曲って言ったら、パフォーマンスの部分だけかと思われがちだけど、サウンドの部分でも、この当時としては、新しかったな。
 少なくとも1984年っていうイメージは全くなかったな。その時点では、未経験の音っていうかね、新たに「1985年」っていうイメージを植えつけた曲だったな。まあ、私にとってはですけどね。

 サウンド的に軽いんだよね。これは、悪い意味ではなくて、身軽っていうかね、いかにもダンスパフォーマンスするぞっていういきこみが感じる曲っつうの? 
 なんか、変な表現だけど・・・。

 で、サウンドは、そういう感じなんだけど、風見慎吾が歌うと急に「歌謡曲」になるっていうかね〜。
 この辺の、バランスの按配が、なんか変なんだけど、心地いいんだよね。 うーん、うまく表現できんね。。

 まあ、もともと、アイドルといっても、歌うと「歌謡曲」になっちゃうタイプのヒトだったからね。

 それと、作詞の荒木とよひさ氏って言ったら、どうしても「歌謡曲」っていうイメージのヒトだったからかもしれん。
 こういうアップテンポの曲書くのなんて、そんなになかったもんね。

 サビの部分

♪ 涙のtake a chance take a chance〜 ♪

なんて、「横文字」つかった、詞なんて、まーったくイメージなかったもんなぁ。

 そういう部分もあったかもしれないなぁ。

 件の風見慎吾氏。この頃は、例のTBS系「週刊欽曜日」にレギュラーだったわけだけども、この曲も毎週、歌ってたなぁ。
週刊欽曜日」で。ワタシは、そのイメージがどうしても強い。

 で、そのあと、もう一発、「BEAT ON PANIC」っつう、さらにダンサブルな曲を出した後、「泣き虫チャチャの物語」って曲を出したんだよね。
 これが、ダンサブルとは、かなり「無縁」なダサダサ青春歌謡で、ワタシは、どっちかといえば、「BEAT ON PANIC」よりは好きだったんだけども、この曲をもって、以後、まーったく曲を出さなくなっちゃったんだよね。

 ちなみに、この「泣き虫チャチャ〜」も最高位は15位。だから、オチメってわけでもなかったんですよ。
 そのあと曲出しても、ある程度はまだ、行けたとは思うんだけどね。

 これは如何に?? 実は、これが謎でねぇ、「オリコンチャート研究会」からの「課題」の一つですねぇ。

 いずれにしろ、風見慎吾って、レコードに関しては、「オチメ」を知らず、今日までやってきたっていう、珍しいパターンのタレントさんですね。
 普通は、レコードで落ち目になったんで、タレントに移行するってのが、圧倒的なんだけど・・・。




※2006年1月に書いたものを再掲載しました。
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