かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

荒井由実

「いちご白書」をもう一度 / バンバン

1975_12_いちご白書をもう一度_バンバン


今回の1曲セレクトは、「「いちご白書」をもう一度」バンバンです。

まずはデータです。

・タイトル     「いちご白書」をもう一度
・アーティスト   バンバン
・作詞       荒井由実
・作曲       荒井由実
・編曲       瀬尾一三
・リリース日    1975年8月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   75.1万枚
・ベストテンランクイン期間:1975年9月22日〜12月29日付

さて、暫くアイドル系が続いたんで、今回は久しぶりに70年代のニューミュージックに行きましょうかね。
まあ、アクセス数を稼ぐ・・・って言う意味ではアイドルの方が良いんだけどね。やっぱアクティブなユーザーって言う点で見ると新しい、古い問わずアイドルファンの方がアクティブだからさ。

でも、やっぱ「偏り」という点でアイドルばっかも書いてられないんからさ。

・・・ということで、今回は、バンバンの「「いちご白書」をもう一度」。

期せずして、昨日某FM聴いてたら、この曲が流れて来て、「そうだ、書こう」・・・と思ったのもあるけど、少し前から書こうとは思ってたんだよね。
でも、なぜか、この曲、書きだしのとっかかりが難しくてねぇ・・・。なかなか腰が上がらなかったのよね。うん、本当なら、一昨日書いてなきゃいけなかったんだけども。。

この曲といったら、やっぱり、今の50代後半から60代の方にとっては、「青春のバイブル」って方が多いんだろうな。
うん、今の40代後半のワタシらの世代から見るとちょっと世代が早いんだよね。なんせ、当時ワタシゃ、また6才だったからして。。。

だから当然、この曲リアルタイムでは聴いてない。 でもですねぇ、思い浮かぶのは75年の景色なんだよなぁ。
遠い昔の雨の日の景色。当時住んでた家は、借家なんだけども、東向きのため午後、ほとんど日が入らない部屋が一つあって、雨の日の午後は薄暗い部屋だったんですよ。
どこか、色味が薄れて白黒の世界のような感じがして。。。個人的に75年っていうと、雨の日のあの薄暗い部屋を感じるんだよな。
 それは、やっぱり、この曲の印象が一番強いたらなんだろうな。 いや、この曲の他に、甲斐バンドの「裏切りの街角」とかさあ、75年後半のフォーク・ロック系の曲には、そういう匂いがする曲が多いんだよね。

例えば、当時のドラマとかさあフィルムが多かったじゃん。ちょっと光度が落ちた、ちょっと薄暗い感じの・・・だから曇りの日は、余計暗く感じちゃうような・・・。そんな世界を感じるんだよね。


ま、個人的な印象はどうでもいいとして・・・・。

この曲と言ったら、やっぱり、タイトルにもなっている「いちご白書」って言う映画と、この曲をユーミンが作っているって言うことに尽きるだろうな。

「いちご白書」っていうのは、68年のアメリカのコロンビア大学で、実際に起こった学園紛争を描いた映画ですね。この当時、まだ高校生だったユーミンが見て、その印象をモチーフに、この曲を書いたというのは有名な話。

「学園紛争」と、その後の大人になる過程・・・これが、当時の20代のへヤング(⇒死語!)に大きな共感を得たんだよね。

特に 2番の ♪ 就職が決まって 髪を切ってきた時 もう若くないさと 君に言い訳したね〜 ♪ って言う部分。

この曲のキモは、この部分に集約されているのかもしれない。

学生運動で無茶をやってた時代。体制なんかに取り込まれてたまるか・・・と思っていたあの頃
自由に生きていきたいと思っていたあの頃。

でも、実際は、「就職」と言う体制への従順。 もう若くないんだと実感する現実。

若さのへの喪失感・・・っていうのかな。そんな現実社会が如実に表れた曲なんですよね。

それは、今も昔も変わらない部分であると思うけど、実際70年代安保闘争から、シラケ世代へっていう、70年代当時の方がリアリズムは大きかったんだろうな。

うん、悔しいかな世代的には、個人的には、そこまでリアルタイムで感じることが出来なかったからなぁ。

でもそういう、現実とリンクしたというか、世相と密着していたヒット曲があった・・・というのはよく分かるんだよな。リアルタイムで経験してなくても。
だからこそ、それだけ、多くのヒトに浸透したし、40年以上たった今でもエバーグリーンで残る曲になったんだろうな。


ちなみに、この曲は、オリコンでは6週連続1位。 2週置いて、ユーミンの「あの日に帰りたい」が1位獲得。

・・・・とユーミン人気が頂点だった頃ですわ。 うん、80年代に起こる第2次ユーミンブームに先んじた、第1次ユーミンブームね。
もちろん、まだ結婚前で、旧姓の「荒井由実」名義だけど。

そんなユーミンに曲制作を依頼したバンバンサイドも目が高かったんだろうな。 
ま、それまで泣かす飛ばずで、この曲が売れなかったら解散という覚悟で、ユーミンに依頼したシングルだったらしいけど。。。

ボーカルの ばんばひろふみ氏は、この曲からちょうど「4年後」、ソロとして「Sachiko」を大ヒットさせたけど、ヒットが4年間隔だったことから、オリンピックアーティストなどと自分で言ってましたよね。
(ただし、「Sachiko」から4年後、83年のシングル「速達」はコケたけど。。。)
 しかも、この「「いちご白書」をもう一度」と「Sachiko」の売り上げ枚数が、ほぼ「同じ」・・という。

うむ、オリコンを調べると、両者で450枚しか売り上げが違わない。。。 これも奇跡的な売り上げと言うか・・・。

まさか、ほぼ同じ人しかレコード買わなかった・・・って言う訳じゃなかろろうにねぇ 



たまに出てくるけど、フジテレビで70年代後半不定期でやってた「ニューミュージックスペシャル」ですな。
この時の、ギターはメンバーの今井氏のようですが、レコードでは後のSHOGUNのギタリスト、芳野藤丸氏。
「泣き」のギターに藤丸氏ありって感じでしたね。

ちなみに、90年代「心凍らせて」を大ヒットさせた高山厳氏も、元バンバンのメンバー。
・・・・だったけど、全く売れないのでメンバーから脱退した後、この曲が大ヒット。悔しい思いをした・・・っていうのは、有名な話ですわね。



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冷たい雨 / ハイ・ファイ・セット

1976_10_冷たい雨_ハイ・ファイ・セット


今回の1曲セレクトは、「冷たい雨」ハイ・ファイ・セットです。

まずはデータです。

・タイトル    冷たい雨
・アーティスト  ハイ・ファイ・セット
・作詞      荒井由実
・作曲      荒井由実
・編曲      松任谷正隆
・リリース日   1976年4月20日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位 30位
・売上げ枚数  15.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 34位

土曜日も別途書いたんだけども、週末、ワタクシの不注意で、自サイトを置いてあるレンタルサーバーの契約が切れて、アクセス出来ないって事になっちゃったんだけどさ。
 まあ、すぐにサーバー屋に電話して、対応してもらったんで、アクセス不可も半日強で解消したんだけどもね。
ただ、すぐに対応するには、素早い代金振り込みと、振り込み完了の証明が必要・・ということでさ、通常平日なら振り込んだらすぐに振り込み確認が出来るものの、なにせ土曜日だったんでね、銀行ATMで振り込んで、振り込みの領収をファックスで送ってくれ・・・ということで。。。

雨の中街中を駆けずり回ってしまいましたわ。 土曜日は先週の暑さが嘘のように涼しくてさあ、まるでハイ・ファイ・セットの「冷たい雨」のごとく・・・。

そそそ、 ♪ 冷たい雨に打たれて 街をさまよったの〜 ♪  

・・・ってあれですわ。

そんな光景から、やっぱ、今回の1曲セレクトは、これしかないよな・・・

・・・っつうことで、 ハイ・ファイ・セット「冷たい雨」 

なんか、安直な考え・・と言う感じがしないでもないが。。。。

うん、丁度と言うかタイミングよく・・というか、今頃がこの曲のヒットのピークだったんだよね。
リリースは1976年(昭和51年)だから、今から丁度40年前ですわ。

当時、ワタシは7才。もちろん、まだヒット曲の世界には入ってきていない訳で、この曲をしったのも、実際に聴いたのも、かなり後になってからですけどね。

それでも不思議なもので、後年、初めて聴いた時も1976年の「匂い」が感じられたんだよなぁ。いつも書いてるように、そこが音楽の不思議なところでさ、音と時代性って、意外と一致するんだよね。
 まあ、1976年の匂いってどんな匂い・・・って言われると困っちゃうんだけどね。1976年のカラーっていうのかなぁ、個人的には、この年のイメージは、透明なんだよな。白っぽいっていうのかなぁ、はっきりとした鮮明な色ではなく、少し靄っているような・・・っていうイメージなんですよね。

そんなイメージと、この曲のイメージがシンクロするんだよなぁ。 そんな所から、後年、この曲を聴いた時、1976年っていうイメージがすぐ浮かんだんだと思う。

以前、大ヒット曲である「フィーリング」を書いた時に、元々、「赤い鳥」から分裂して、再編成した3人が「ハイ・ファイ・セット」・・・なんて書いたかもしれないけど、もともとはフォークグループの「赤い鳥」だったんだよね。
 そこから分裂して、ハイ・ファイ・セットは、フォークからポップス系のコーラスグループに変貌した・・と。

まあ、普通のポップス系コーラスグループなら、それまでも多くいただろうし、それほど注目されなかったんだろうけど、このヒト達の場合は、ハイソサエティーな匂いがしましたからねぇ。 そんな匂いが、丁度盛り上がってきた、ニューミュージックっていう新たなジャンルの音楽とマッチしたんだよね。

その最初が、この「冷たい雨」だった・・と。

まあ、この曲がデビュー曲という訳ではなく、これ以前にもユーミンの「卒業写真」をカバーしたりとユーミンに近いところで活動を始めて来ていたんだけども、初めてヒットチャート的なヒットになったのが、この「冷たい雨」だった訳なんだよね。

・・・と言っても、この曲もオリジナルではなく「カバー曲」なんだけども。。。

そそ、もともとオリジナルは、ばんばひろふみ氏が居た「バンバン」のあの大ヒット曲「いちご白書をもう一度」のB面だったんだよね。

うーむ、なんかイメージわかないけどな。。。。

ま、いずれにしても「いちご白書をもう一度」も、ユーミンの作詞作曲だったわけだしね。そのユーミン自身も、「冷たい雨」はセルフカバーしてるし、結局は、この曲もまだユーミン周辺の活動の一環から抜けていなかった訳なんだよね。

でもこの曲のヒットをきっかけに、独り立ち・・・って感じでしたねぇ、ハイ・ファイ・セットも。
この曲の次が、あの「フィーリング」。そそそモーリスアルバートのカバー。 そして、その曲を含むアルバム「ラブ・コレクション」が、オリコンアルバムチャートで1977年の年間1位・・・・と、人気もピークでしたよね。

いや、アルバムが1977年の年間1位だった・・・ってことは、意外と知られていないかもしれないけど。。。
1977年のヒット曲相・・というと、どうしても沢田研二、ピンク・レディー、山口百恵・・・って感じで、シングル重視になっちゃうかもしれないけどさ、実際的には、このヒトたちもそんな77年の顔だった事は知られていないかもしれないな。




ハイ・ファイ・セットの「冷たい雨」っていうと、今や、やっぱり、この動画になっちゃうんだろうな。
そそそ、当時、フジテレビで不定期に放送されていた「ニューミュージック・スペシャル」。
ここまでも何度も書いてきたけど、後年「19×× 僕たちのなつかしのメロディー」で使われてたVTRですね。
実際の所、ワタシもこの番組から、この曲を意識して頻繁に聴く様になったんだけどね。

中央が、紅一点、メインボーカルの山本潤子さん。右隣が旦那の故、山本俊彦氏 左隣が 大川茂氏。

この時のバックバンドも豪華で、キーボードが松任谷正隆氏、ギターが松原正樹氏。
まあ、この曲のアレンジャーが、松任谷氏なんで、キーボードが松任谷氏と言うのは分かるんだけども、ギターの松原氏は、この曲のリードギターが評価されて、超一流のスタジオミュージシャンへのステップを踏んだんですよね。
この曲が無かったら、後年の「カナダからの手紙」、松山千春「長い夜」、中森明菜「北ウィング」、まっち「愚か者」・・・などなど数々のヒット曲のギターワークも聴けなかっ訳ですね。
 そんな松原氏も、既に鬼籍に入られしまった訳で・・・。40年って言う月日は長いんだなぁ。


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やさしさに包まれたなら / 荒井由実

1974_04_やさしさに包まれたなら_荒井由実








今回の1曲セレクトは、「やさしさに包まれたなら」荒井由実です。

まずはデータです。

・タイトル    やさしさに包まれたなら
・アーティスト  荒井由実
・作詞      荒井由実
・作曲      荒井由実
・編曲      松任谷正隆
・リリース日   1974年4月20日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 ランクインせず
・売上げ枚数  −枚
・タイアップ:映画「魔女の宅急便」より

先日、ユーミンの「ルージュの伝言」を書いたばかりなんだけど、またまた、ユーミンを引っ張ってきてしまいましたわ。
 しかも、同じ「魔女の宅急便」で使用されていたこの曲ですっ。

「やさしさに包まれたなら」

「魔女の宅急便」で使われていたっていうのが、「ルージュの伝言」とおなじなら、実はヒットしてた「時期」も同じなんだよね。
リリースは、1974年4月20日。 今から42年前の「今頃」ヒットしていた訳ですわ。

・・・とはいうものの、上のデータを見ても分かるように、オリコンでは100位内にランクインしてなかったのよ。だから、売り上げ枚数もカウントされず。実際どのくらい売れたのかもよく分かんない。

「魔女の宅急便」以来、今でこそ、頻繁にCMで使われ、多くのアーティストがカバーしていたるこの名曲も、リリースされた当初は、そう言う存在だったんですよね。

「ルージュの伝言」もそうだったけど、この曲も当時は「知る人ぞ知る」っていう隠れた名曲だった訳なんですよね。

1974年というと、オリコンのシングル年間ランキングで4枚のミリオンセラーが誕生した年。これはオリコンがスタートした1968年以来年間最多のミリオンセラーが出た年で、だから、概してレコード売り上げは好調な年だったんだよね。
 
それでも、この曲のチャートアクションがこういう状況だった・・・っていうのは、やっぱり、当時はまだ「歌謡曲」の天下だったって事なんですよねぇ。

ユーミンなどの、いわいる後のニユーミュージックって言う音楽は、少なくともシングルではインディーな存在だったって事ですよね。

ただ、ニューミュージック勢もアルバム売り上げは好調だった訳でね、ユーミンの場合、この「やさしさに包まれたなら」が収録された、2ndアルバム「ミスリム」の売り上げは26.8万枚(アルバムチャート最高位8位)なんて言う売り上げが記録されていたりします。

 ま、一口に26.8万枚と言っても今とは時代が違い、なんせ「LP」の時代ですからね。10万枚売れれば大ヒットと言われていた時代の26.8万枚ですから、充分に大ヒットだったわけですね。

つまりは、アルバムを通して、この曲は広まっていったいて訳で、もしかすると、シングルだったって事は知らない方も多かったんじゃないかなぁ。

でも、当時は、他のニューミュージック系アーティストの曲では、そんな感じでアルバム先行で実はシングル曲でもあった・・・って曲は随分多いんじゃないのかなぁ。


この曲、個人的に聴いたのは、いつだったろう? 「ルージュの伝言」多少覚えているんだけど、この曲は全然覚えてない。もしかすると件の「魔女の宅急便」だったかもしれない。
 
でも、なんか、不思議な気分になる曲ですよね。童心に帰っちゃう・・というか。 この曲がリリースされた1974年というと、ワタシは5才になるかならないかの頃ですわ。

でも、その当時の気分に戻る・・・っていうかさ、文字通り「やさしさ」に包まれたような気分になる。 まあ、だから、これだけ多くの方に支持されている曲になったんだろうけどさ。

ちなみに、この曲のレコーディングアーティストのメンバーは

・ドラム 林立夫
・アコースティックギター 吉川忠英
・12弦ギター  瀬戸龍介
・ベース 細野晴臣
・スチールギター 駒沢裕城
・キーボード 松任谷正隆

という面々。 まあ、基本当時のユーミンのレコーディングメンバーは、林、細野、松任谷、鈴木(茂)っていうキャラメル・ママを中心だったわけだけども、この曲の場合は、加えて、アコギで吉川、12弦ギターで瀬戸、スチールギターで駒沢・・・っていう面々が参加していたって訳ですわね。
(ギターの鈴木茂氏は、この曲での参加は無し)

 うん、先日、別途紹介した「日本の編曲家」っていう本にも登場してくる、トップスタジオミュージシャンの面々ですわ。

 兎に角も、駒沢氏のスチールギターが、この曲のキモだろなぁ。 基本、カントリー形式なこの曲に、あのスチールギターのフレーズが絡んでくると、獨独の物悲しさというか、情緒感が出てくる。

 まあ、こういう曲想は、当時はこの曲だけじゃなかったですけどね。例えば、カーペンターズの「TOP OF THE WORLD」はなんかは、もろそうだったじゃん。
そそそ、なんかね70年代前半って言う匂いがするんだよね。 

ちなみに、この曲リリース当時は、不二家の「ソフトエクレア」のCM曲だったんだってねぇ。 今、この曲を聴くと、70年代前半の匂いがするとか、当時の気分になるっていうのは、もとかすると、そのCMの記憶が残っているのかなぁ・・・、なんて思ったりして。
 まあ、4〜5才の頃のことなんで、まだきちんと物心も付いていない頃なんでさ、今となっては表だって記憶はないんでけどさぁ。





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ルージュの伝言 / 荒井由実

1975_04_ルージュの伝言_荒井由実








今回の1曲セレクトは、「ルージュの伝言」荒井由実です。

まずはデータです。

・タイトル    ルージュの伝言
・アーティスト  荒井由実
・作詞      荒井由実
・作曲      荒井由実
・編曲      松任谷正隆
・リリース日   1975年2月20日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 45位
・売上げ枚数  6.9万枚
・タイアップ:映画「魔女の宅急便」挿入曲

えー、久しぶりに70年代に遡りまする。
シングルでは、ほとんど売れなかったけど、でも、有名な曲、時々ありますよね。
特に70年代〜80年代の「ニューミューシック系」のヒトたちには、そう言った曲が結構あるかな。

当初、ニューミュージック系のヒトたちってシングルよりもアルバムを中心にレコード制作を行っていた人たちが多かったですからね、おのずから、そう言う傾向になった人たちが数多くいたってことですよね。
逆に言えば、アイドルとか歌謡曲系のヒトタチは、アルバムよりもシングル重視だったわけで、から、アルバムは、申し訳程度にしか売って無かった・・と言ってもいいかもしれない。

今回は、そんな当時はアルバム重視だったこのヒトの曲を。

荒井由実「ルージュの伝言」。

はいはいはい、今となってはほとんどの方が、この曲をご存じでしょう。

やっぱり、89年に公開されたジブリ映画「魔女の宅急便」の劇中曲として使われたのが大きかったですよね。

でも、それ以前は・・・と言えば、知る人ぞ知る・・・って感じじゃなかったかなぁ。 もちろん、古くからのユーミンファンの方々や、それ以外でも70年代からのラジオ小僧の方々には浸透していたかも知れないけど、「大衆的」な広がりは無かった・・・様な気がするな。

なにせ、この曲、シングルでは、オリコン最高位45位。売り上げ6万枚強ですからねぇ。
現在までの、この曲の認知度からしたら、全く信じられないかもしれないな。

少なくとも、ワタシらの世代では、ユーミンといえば、「魔女の宅急便」よりも少し前の、原田知世主演の例の「私をスキーにつれてって」で使われた、「サーフ天国 スキー天国」「恋人がサンタクロース」あたりっていうのが、より一般的だし、さらに遡って、81年の「守ってあげたい」の大ヒットっていうイメージが強かったですからね。

それ以前、70年代の「荒井由実」時代となると、世代が一つ上になるからなぁ・・・。

でも、そんな70年代のユーミンを、死んだウチの母親が、注目してたって言うんだから、先物買いだったよな、ウチの母親も。
なんでも、70年代のユーミンのファッションに触発されて居たらしいんだよね。

とくに、今回、セレクトしてきた「ルージュの伝言」の頃のユーミンのファッションはオシャレでしたからねぇ。まだ前衛的というかね、少なくとも「歌い手」でああいう、時代の超最先端なオシャレなファッションだっひとも少なかったんじゃないかなぁ。

そんな私も、この曲を実際に聴いたのは、「魔女の宅急便」で誓われるほんの少し前だった・・・様な気がする。

いや、音源はかなり前から持ってたんだけどね。

83年に初めて通販で買った、ニューミュージック大全集。 それに既に、「ルージュの伝言」って収録されていたんだけど、曲自体知らなかったんで、長い事、針を落とさずにいたんだよねぇ。

でもね、何かの拍子で、初めて聴いた時は、ちょっとショックだったなぁ。 なんてオシャレな曲なんだ ってさあ。
長い事、針を落とさずにいた事を後悔しましたね。

、ここでも何回も書いてきたことだけど、個人的には「ダサい」曲が好きなんだけどさ、この曲は、ちっともダサくないし、逆に当時としては洗練された曲だよなぁ。
 当時のユーミンの言葉を借りれば、「中産階級」なヒトのための音楽っていうかね。 そそそ、ワタシはブルーカラー的な音楽が好きだったし、そう言う曲を中心に聴いてたからさあ、この曲は、凄く新鮮に映ったんだよな。

まあ、今思えば、50年代〜60年代あたりの、もろオールディーズそのまんまな曲風なんだけどさ。
今では、そうだよな・・・なんて、すぐ分かるんだけど、この曲を始めて聴いた当時は、まだ知らなかったからさ、オールディーズの頃の音楽は。 だから、新鮮に映ったんだろうな。

ところで、この曲のバックコーラスをやってるのは、大貫妙子、吉田美奈子、伊集加代子なんていう錚々たるメンバー。いわいるシュガーベイヴ系の面々なんだけど、「白」一点で、男性コーラスをやってるのが、山下達郎氏。
 そそそ、この曲のバックで、ルペッツの「シュガーヘイビーラブ」よろしく、♪woh woh woh〜♪ってファルセットで声を張り上げてるのは、今をときめく山下達郎氏ですわ。
シュガーヘイヴのあの「SONGS」をリリースする2か月前ですね。

ちなみに、この曲以外にも、初期のユーミンのアルバムでは、山下達郎氏をはじめ、シュガーヘイヴの面々、コーラスで参加してたりしてるんですよね。

 あの当時は、まだニューミュージック系のメンバーの裾野が狭かった・・というか、今、巨匠といわれる人たちが、互いにいろんなアーティストに参加してたりして、面白いんだよなぁ。

でも、それだけ音楽の才能があるヒト達が参加しあってたわけたがら、当時のニューミュージック系の曲のクオリティが高かったって言うのも、当たり前だったのかもしれないですね。



これ70年代中盤、この曲がリリースされた当時のVTRですよね。
コレ録画したヒト、当時からビデオ持ってたんでしょうかねぇ。すごいなぁ、当時は、まだビデオなんて一般的じゃなかった訳だから。
 ちなみに、途中で、ムッシュかまやつ氏が乱入してくるけど、ちょうど、この「ルージュの伝言」をリリースした頃、大瀧詠一氏や細野晴臣氏などのいわいる「はっぴいえんど」系のヒトたちが、ムッシュのレコーディングに参加してたんですよね。 細野氏といえば、はっぴいえんど後、キャラメル・ママでユーミンを手掛けた訳でさ、そんな人脈繋がりで、ムッシュ氏が乱入してきてた様ですね。
 件の山下達郎氏は、大瀧詠一門下だしさ。そう言う訳で、いろんな才能が集結してたんだよね。


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あの日に帰りたい / 荒井由実

1975_12_あの日に帰りたい_荒井由実








今回の1曲セレクトは、「あの日に帰りたい」荒井由実です。

まずはデータです。

・タイトル    あの日に帰りたい
・アーティスト  荒井由実
・作詞      荒井由実
・作曲      荒井由実
・編曲      松任谷正隆
・リリース日   1975年10月5日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   61.5万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1975年11月24日〜1976年2月19日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「家庭の秘密」主題歌

さて、今回はマクラ無しでいきなり行きます。
ユーミンの「あの日に帰りたい」でしっとりとひとつ・・・。

 最近の曲で、めっきり見かけなくなったのがボサノバ。あ、これはヒット曲の世界では・・という意味で。もちろん、今でもボサノバっていうリズムは生きているわけで全くなくなったわけではないですわね。

 でも、、どうしちゃったんろうね。 やはり、このテの人間ならではの感覚で作り上げる自然なリズムっていうのは、いくらDTMが発達したといっても、やはり「コンピュータ」で作り上げるのは難しいからですかね。

 でもさ、この「あの日が帰りたい」がヒットした、1975年〜76年あたりって、結構、日本のヒット曲でもボサノバな曲って多いんだよね。いつか紹介した丸山圭子の「どうぞこのまま」なんてのは、その代表的な存在でしょ。

 で、あのユーミンでさえ、この曲でボサノバってたんだものね。やはりこのての曲は流行の先端を行ってたんですよ。

 当時のユーミンの曲って、今のように音の輪郭、エッジがきつい曲調というよりは、この曲のように音の輪郭がぼやけたソフトな曲が主流でしたよね。

 この曲なんかはその代表でしょう。

まあ、まだ、ニューミュージックっていう音楽が広がりだしたころの音楽だったし、曲の外見とはうらはらに、サウンドは、みずみずしさがあるよね。

 でも、まあ、やはり、この曲のある種の暗さがね、75年当時の不況の暗さをイメージさせるんだけどさ。
 
 それでも、当時の音楽を意識してダイレクトには聴いていないワタシからすると、この曲のイメージはセピア色なんだよなぁ。 どこか懐かしい。

 ちなみに、この曲を完全に意識して聴いたのは、ヒットから6年後の1981年。ペンタックスのカメラのCMで流れてたの覚えているかなぁ。まだ、デビュー前の早見優が出てたCM。

↓ コレ


このCM、81年の「守ってあげたい」がヒットした直後で、ワタシね、この曲がユーミンの新曲だと思ってたんだよね。
ちょうど、「夕闇にひとり」って曲が「守ってあげたい」に続く新曲って決まってた頃で、ワタシ、この曲が新曲の「夕闇にひとり」だと思ってたんだよなぁ。

まさか、それから5年前の曲なんて知らなかったからさあ。

あとで、全くの別曲ってしって、じゃ一体、いつの曲だったんだ? となって、調べたのが本格的に知るきっかけになったのかなぁ。

 でも、オリジナルヒットの頃にも、この曲はドラマの主題歌として使用されていたんだよね。
 当時はまだまだドラマタイアップもそれほど多くない時代だけど、こういうところも時代の先端を行ってたんだよなぁ、ユーミンは。

 ジャケ写・・・・ちょっと古いんで、それこそセピアがかって見にくいんだけど、これ、ユーミン本人なんだよね。若いっちゃ若いんだけど、今とイメージがまるで違うよねぇ。言われなきゃわかんないかも。


ランキング的にいえば、ユーミンにとって初の1位獲得曲。 これはシングル、アルバムを通してなんだけどね。
ま、それまではアルバムは、1位は獲得できなかったにせよ売り上げは好調だった訳だけども、シングルは売れないって感じだったのよね。 今でこそ有名になった「ルージュの伝言」なんて、オリコン最高45位だしさ。
 「アルバム」がジワジワ売れてたんで、そこそこ知名度は上がってきていたユーミンだけど、やっぱりこの曲がドラマの主題歌に使われたって言うのは大きかったんだろうね。一気に知名度が全国区になったという点ではさ。


 あ、蛇足だけど、荒井由実っていうのが、今の松任谷由実の「旧姓」っていうの、知らない人は・・・・いないよね。。




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中央フリーウェイ / 荒井由実

1976_11_中央フリーウェイ






今回の1曲セレクトは、「中央自動車道」・・・・もとい! 「中央フリーウェイ」荒井由実です。

まずはデータです。

・タイトル    中央フリーウェイ
・アーティスト  荒井由実
・作詞      荒井由実
・作曲      荒井由実
・編曲      松任谷正隆
・リリース日   1976年11月20日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   30.7万枚

※オリコン最高位と売り上げ枚数は、この曲が最初に収録されたアルバム「14番目の月」のもの。
 シングルはリリースされていないので念のため。。


 はいー、今回の1曲セレクトは、「中央高速」ですよ〜。東京近郊に住んでて車持ってるヒトは、通った事ない・・・なんてヒトは、もしや居ないでしょう。それほどメジャーな高速道路です。
 
あー、そう言えば、今日は3連休の最終日。今頃、中央高速の渋滞に嵌っている方もいらっしゃるんだろうなぁ。


 え? 違うって? 「中央フリーウェイ」

 オシャレぢゃありませんか。。。フリーウェイですよ。

 うーん、そういえば、たしかに高速道路って、出来て何十年後には、文字通り「フリーウェイ」になるはずだったですよね。。。。

 それって、そろそろなはずぢゃなかったでしたっけ。。。。

 いつまで、制限速度100Kmで、高い高速料金払わなきゃいけないの?

・・・・なんてヒニクを書いたりして。。。 でもまあ、ETCなんてもんが出来た限りは、当分は「フリーウェイ」にはならんのでしょうね。


 文字通り、ユーミンの初期の代表曲の1曲であります。
 うん、実は、先日の薬師丸ひろ子の「Woman〜Wの悲劇〜」の作曲がユーミンだった・・・っていう繋がりがあったりするふらふら

 でも、この曲、シングル化はされていないんだよね。これ、意外かな?
 4枚目のオリジナルオルバム「14番目の月」のA面の最後に収録されたのが、初めとなります。

 うーん、今で言えば、アルバムのリード曲って存在かな。だけど、なぜか、この曲だけ独り歩きして、今でも代表曲として君臨しているわけですね。

 アルバムのリリースは、上記のように1976年11月20日。39年前の丁度今ごろになるわけですね。

 でも、曲を聴く限りは、イメージが秋頃じゃないよなぁ。ワタシてっきり初夏頃の曲かと思ってたの、ずっと。

 だって、曲のイメージ、爽快感、温度感、全部ひっくるめても、どう考えても「秋」というよりは、「初夏」だよなぁ。

 だいたい、「秋」に

 ♪ 町の灯がやがてまたたきだす 二人して流星になったみたい〜 ♪

とは、秋の曲ではかかないですよぉ。キモは「やがて」ですね。秋の日はつるべ落とし・・・ってぐらいだから「やがてまたたきだす」とはならないよね。

 ・・・なんて、もっともらしく分析してみたりして。。。ふらふら(違ってたらゴメン)

 証拠に、この曲、アルバム「14番目の月」のリリースの半年前、1976年3月14日のTBS「セブンスターショー」で歌われている。。。ってwikipediaには書かれてある。

 まあ、ワタシも実際見てたわけではないから、どのくらい信憑性があるのかは、よく分らないけど、その通りだとすれば、既にアルバムリリースから半年前には、曲が出来てたってことだよね。

 それにしても、やっぱり、ワタシが考えてた時期とはちょっとずれるな。
 76年に結婚することになる、松任谷正隆氏とは、1975年12月に正式に婚約しているから、これは、きっと「彼」とは松任谷氏のことで、ユーミンの実家は八王子だから、東京から八王子に車でおくっていってもらう時に出来たんだろうね・・・と類推してみるふらふら


 だけど、この曲で、有名なのは、

♪調布基地を追い越し 山に向かっていけば〜 右には競馬場、左はビール工場 〜♪

って部分だよね、やっぱ。うん、「競馬場」は東京(府中)競馬場、「ビール工場」はサントリーの府中工場の事なんだけどさ。
 うん、フィクションじゃないんだよね、ホントのこと。

 だから、中央高速にのると、ころあいを見て、この曲をかけようと思うんだけど、なかなかタイミングが合わないんだよなぁふらふら

 実際に、高井戸ICから八王子方面に向かうと、程なくして、「右に競馬場、左はビール工場」が見えるんだけどさ。

 たださ、微妙なのは「調布基地」っていうところなのよね。
今は、「調布基地」はなくなって、単に住宅地になってるから、いつも、どこだ? ・・・って思うんだけど、調べてみたら、1974年に米軍から返還されてる・・・・ってことだから。。。(だから今はもう基地は無い)

 もしかして、この曲って、それ以前にすでにあったってこと?  うんにゃ、これは、今の調布飛行場の事ですね。

 うーんたしかに、ユーミンって既に、中学生のときに六本木人脈(のちのアルファレコード人脈)に出入りし、14歳でレコーディングに参加、15歳のときに加橋かつみ(元タイガース)に曲を提供なんて、早熟少女だったからねぇ。

 たしかに、1974年以前にすでに、この曲の詞のモチーフは出来ていてもおかしくはないですね。



 でも曲は、難しいんだよね。初期のユーミンの曲では、いちばん難しいっていわれてる曲がこの曲。

 出だしがFコードから始まってるからKey=Fだろうとおもったら、実際は、Key=A♭だったりさ、なにより、16ビートの曲って、それまで日本のロック&ポップスで使われたってことは、この当時としてはほとんどない。

 使われてない・・・・というより、16ビートを叩けるドラマーがまず居なかったってことと、もちろん16ビートを刻めるギタリストがまず殆ど居なかった・・・ってのが大きいんじゃないですかねぇ。

 村上ポンタ秀一氏の著書、「自暴自伝」によると、日本で初めて16ビートが叩けるようになったドラマーは、何を隠そう、村上ポンタ氏だったらしいですけどあせあせ(眉唾??)、ポンタ氏は、ユーミンとは、比較的遠い位置にいたミュージシャンなので、レコーディングには参加してない。(ただ、旦那の松任谷正隆氏のキャラメルママとは親交が深かったようですが・・・)
 
 だから、この曲では、ドラムは外国人が叩いてる。アレンジャー兼キーボードはもちろん、松任谷正隆氏ですが、ハーフトーン系の音色のエレピでテンションコードをいっぱいに使った曲アレンジは、このヒトの真骨頂といったところでしょう。

 兎に角、コード進行が複雑なんだよね。

  Fmaj7        F#dim D7 Gm7    Edim C7 Fm7
♪ 中央フリーウェイ 調布基地を追い越し 山に向かっていけば〜 ♪

なんて、出だしからいきなりFmaj7なんてテンションコードからはじまり、F#dimに行くコード進行の曲なんて、このころ、無かったよ。 めちゃくちゃ斬新だったんだよな、この頃のユーミンは。

 のちのテンションコードの嵐だった、寺尾聰のアルバム「Refrections」もビックリな曲だよなぁ。

 だから、サウンドのノリは、すっかりカリフォルニア気分なんだよねぇ。アメリカには20年遅れてるなんて言われてた時代だけど、なんのなんの、この曲の存在は、すでに日本でもアメリカさんに負けないだけのクオリティのAORサウンドを作れるんだぜ・・・と言わしめた曲・・といっても過言ではないですぞexclamation ×2

 いやいや、これこそプロの作品ですよ。2000円払っても全然惜しくないもんねぇ。バックコーラスアレンジには山下達郎氏、パーカッションは斉藤ノブ氏まで参加してたりして、バックのスタジオミュージシャンは至極豪華。
 本当にウマイミュージシャンがセッションすれば、日本でもこのくらいの高クオリティの曲もできるっていう、いい見本ですよ、この曲は。



 なお、↑のデータでは、アーティスト表記を荒井由実にしちゃったけど、これ、どちらとも取れるんだよね。

 このアルバムがリリースされたのは、上記でも書いたように1976年11月20日。結婚式を挙げ松任谷由実になったのは、9日後の1976年11月29日。

 だからか、オリコンでは、このアルバムから松任谷由実表示になってたりする。
 でも、JASRACの作品データベース上では、この曲は「荒井由実」名義で登録されているみたいなので、便宜上、荒井由実にしました。
 




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翳りゆく部屋 / 荒井由実

1976_04_陰りゆく部屋_荒井由実






今回の1曲セレクトは、「翳りゆく部屋」荒井由実です。

 まずは、データです。

・タイトル    翳りゆく部屋
・アーティスト  荒井由実
・作詞      荒井由実
・作曲      荒井由実
・編曲      松任谷正隆
・リリース日   1976年3月5日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数   25.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1976年4月19日〜26日付

 今回の1曲セレクトは、久々に時代をグンと遡り、1976年、今から39年前のヒット曲です。
 
 荒井由実の「翳りゆく部屋」。

 はい、今の松任谷由実ですねぇ。よもや知らない方はいないと思いますが、結婚前の本名が、荒井由実。 このあと、この年の11月に松任谷正隆氏と結婚して松任谷由実となったわけですね。
 そんなこともあって、シングルとしては、最後の「荒井由実」名義の曲がこの曲となります。

 さてさて、タイトル読めない人もいるかもしれないけど、

 翳りゆく部屋  かげりゆくへや   ですね。

 文字通り、西日が沈んで日翳りになっていく情景をモチーフにした曲です。

 幻想的なパイプオルガンと、波打つドラムのフィルイン。それに加わるコーラスではじまる、この曲のイントロは
荘厳の一言ですね。こういう幻想的なJ-POPって最近、富に無くなったもんなぁ。
 
 でだしの

 ♪窓辺においたイスにもたれ あたなは夕陽みてた〜 ♪

いかにも、「翳りゆく部屋」の情景をあらわした光景ですよね。瞬時に脳裏に絵が浮かんできますわ。

 ここまでだと、単に夕暮れの部屋で夕陽を見てたのか・・としか思わないけど、これは、別れの曲なんだよね。

 ♪どんな運命が愛を遠ざけたの 輝きは戻らない 私が今 死んでも ♪

 愛が終わった、あの輝きは戻らない・・っていうのと、夕暮れっていうのとかけてあるんだよね。

 うん、今から思うと単純といえば単純なシチュエーションなんだけど、でも、変わりやすいよね。
 だからして、絵が浮かぶんですよ、ビジュアルになるんですよ。

 たしかにユーミンの曲は、サウンドはいろいろ変化しているけど、一貫してわかりやすい、シチュエーションの曲が多いですよね。この曲以外でも。

 でも、サウンドは当時の最先端。土臭いところがないんだよね。このサウンドには。 洗練された「都会型」サウンド。一時はシティポップスとももてはやされた音楽の先取り方というかね。
 まあ、それを当時はニューミュージックっていうネーミングでカテゴライズされてたわけだけどもね。

 いつしか、自作自演の音楽はみんな、ニューミュージックってなっちゃって、自爆しちゃうのか、このあと数年後ですわ。

でも、もともとはもっとオシャレな音楽の事をさしてたんだよね。 
 ただ、ユーミン自身は、「ニューミュージック」っていうネーミング、「ダサい」といって嫌ってたようですけど・・・。

 でも、ロックでもない、フォークでもない、新しい音楽がこのころに完全に確立されたのは、間違いないところですね。

 音楽もオシャレなら、ファションもおしゃれ・・ということで、当時のユーミンは、ファションも随分、注目を浴びてましたね。 
 そのへんは、この曲のジャケ写見てもらえれば、ある程度わかるかなぁ。さすがは多摩美大出身。
 教会ミサ風の衣装は、この曲のイントロのパイプオルガンとかけてあるのかなぁ!?


 ちなみに、当時はワタシは、♪ピッカピッカの1年生〜♪っというわけで小学1年生。
 もちろん、この曲なぞ、タイムリーで聴いてるわけも無く・・・。
 かなり大人になってから聴いたんだけど、それでも新鮮だったなぁ。 いい曲は、いつまでも色褪せないってことですね。

 このころのユーミンは、80年代後半以降の「どぎつさ」もないし、素直だし・・とくに、この曲は個人的にはオススメですね。


この曲は、絶対に動画のリンクを張りたかったんだけど、YOU TUBEにユーミンのオリジナルがなーい。
でも、諦めませんよ〜。 音源がリンクしているページをみっけました。

https://www.tumblr.com/search/%E7%BF%B3%E3%82%8A%E3%82%86%E3%81%8F%E9%83%A8%E5%B1%8B

このページのどこかに、音源が聴けるリンクがありまする。 意外と音はいいので、是非リンクを見つけて聴いてくだされ。


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卒業写真 / 荒井由実

1975_03_卒業写真_荒井由実






今回の1曲セレクトは、「卒業写真」荒井由実です。

 まずはデータです。

・タイトル     卒業写真
・アーティスト   荒井由実
・作詞       荒井由実
・作曲       荒井由実
・編曲       松任谷正隆
・リリース日    1975年6月20日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    43.6万枚
※データは、この曲が最初に収録された、アルバム「コバルトアワー」のものです。

 
 卒業シーズンですな。ということは、やっぱし「卒業」に関する曲をもって来たくなるのが、選曲屋の悲しい性かなぁ。
 まあ、この季節、どのメディア見ても、「卒業」とか「別れの曲」っていう特集をやるのを分かっていながらさぁ。

 ところで、レミオロメンに「3月9日」っていう曲があるくらいだから、今は、卒業式って「3月9日」にやるのが普通なんですかねぇ。
 ワタシたちの頃は、以前も書いたけど「3月10日」だったな、卒業式は。
 まあ、その年の曜日によっても変わるだろうから、やっぱり、3月10日前後が一番多いんだろうね。

 たださあ、1曲セレクトはじめて、これで3回目の卒業シーズンなのですわ・・・。となると、卒業に関する曲も随分と書きつくしてしまってまして。。。ふらふら

 さてと、困ってたら、まだ、肝心なこの曲を書いてなかった。

 卒業写真  /荒井由実

 うーん、なんで今までこの曲書いてなかったんだ? ・・と思ったんだけど、意外な事実からからなんだよね。。。

 ハイ、この曲のリリースが、卒業シーズンぢゃなかったから。。。だったりして。。。あせあせ

 上のデータを見ていただければ、お分かりのように、この曲のリリースは、ぬわぁんと、6月20日だったのですよ。卒業シーズンとは、全く関係がない。。。

 しかーも、これだけ有名な曲にも関わらず、シングルリリースはされていなーい。
 ハイ、荒井由実(ユーミンね)のサードアルバム「コバルトアワー」の2曲目に収録されている曲に過ぎない。

 まあ、ユーミンの場合、シングルリリースされてなくても「有名」な曲はたくさんあるならねぇ、それはそれで、特に珍しいことではないんだけど。。。


 それじゃ、まるっきり、「卒業シーズン」には無縁な曲なのか・・というと、さにあらず。。。
 
 フォト

ふむ、ハイ・ファイ・セットの「卒業写真」。これがですねぇ、リリース日が1975年2月5日。
 
 つまーり、ユーミンバージョンより4ヶ月「早く」リリースされているんですねぇ。
 
 つまーり、元祖「卒業ソング」は、ハイ・ファイ・セットバージョンの方の「卒業写真」なのでっす。

 ただし、こちらは、オリコンのランキングにランクインせず。。。

 まあ、こんなものかのかねぇ・・・。うーん、まだ、このころの。ハイ・ファイ・セットって、一般的に認知されてなかったからかもなぁ。
 「赤い鳥」を解消して、ハイ・ファイ・セットっていうコーラスグループになったばかりの頃だし。。

 ユーミンバージョン、ちょっと、ハネ系気味のくせの入った変形アレンジなんだけど、ハイ・ファイセットの方は、コーラスグループらしく、完璧なストレートなAOR調・・・っていう違いもあるんだけどね。

 一般的には、どっちが馴染み深いんかなぁ。

 個人的に最初に、この曲をきちんと認識したのは、1989年元旦に放送された、「僕たちの想い出のメロディ1966〜1984」だとおもう。

 ここでは、毎度毎度、お馴染みのフジテレビ系で「不定期」に放送されていた、「ニューミュージックスペシャル」のVTR。




一説によると1979年12月8日OAのVTRらしいけど、ハイ・ファイ・セットと共演して、4人で、この「卒業写真」をハモってる、、今にして思えば結構、レアな構図の組み合わせの時の。

 だから、はじめて、ユーミン単独の「卒業写真」を聴いた時は、やや、違和感を感じた記憶があるなぁ。


 曲の内容・・・は、まあ、もはや、ここで書くべきことではないよね。みなさん、ご存知でしょう。

 だけど、後年の菊池桃子の「卒業」ではないけど、この時期になると、悲しくないのに、卒業アルバムを開きたくなるのは、なぜですかねぇ。やっぱり、春は別れの季節だからですかねぇ。。。

今日は1970年代スペシャルって感じだったかな。


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