かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

芹澤廣明

俺たちのロカビリーナイト / チェッカーズ

1985_08_俺たちのロカビリーナイト_チェッカーズ



今回の1曲セレクトは、「俺たちのロカビリーナイト」チェッカーズです。

まずはデータです。

・タイトル     俺たちのロカビリーナイト
・アーティスト   チェッカーズ
・作詞       売野雅勇
・作曲       芹澤廣明
・編曲       芹澤廣明
・リリース日   1985年7月5日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  44.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1985年7月15日〜9月16日付

果たしていつ以来の1曲セレクトだろうか・・・なんて、この前書いたのが忘れてしまった位、間が空いてしまいましたわ。。暫くは「土日」に書いてたけど、その間隔も崩れちゃっいましたねぇ。。。
うーむ。書く曲が無くなってしまった訳ではないんだけど、7月は「生業」が繁忙期ということもありーの、それが終わった・・・と思ったら、持病の「痛風発作」が再発。。。。
 今度は「膝」に来ちゃいましてねぇ。。。 これが辛いんですわ。膝関節に激痛が走り、パンパンに腫れちゃったんで膝は曲がらないし。。。。 まあ、こりゃアカン・・・っつうことで、いざという時にしか飲まないように隠しておいた、最後の切り札「ボルタレン」が効いたのか、今日になって、腫れはまだあるものの、ようやっと痛みが引いてきた。

・・・・つうことで久々に筆を進ませてたりしまする。。。

ところで、今日は8月12日。 ニュースでも頻繁に流れているけど8月12日というと、「日航機墜落事故」の日なんだよな。
まあ、これについては、以前にも85年8月12日、あの日はこうだった、ああだったって書いてるんだけども、個人的にはどうしても1985年のあの日を思い出してしまう。

なので、今回の1曲セレクトも1985年8月12日にヒットしていた曲を持って来たい・・・・と真っ先に思い浮かんだ訳なんだけども。

でもねぇ、流石に85年の今頃のヒットって大分書いちゃったんだよな・・・。 

さてどうするベか・・・とおもってたら、まだ書いて無い曲があった。

チェッカーズ「俺たちのロカビリーナイト」

コレは不覚だったなあ。 こんな大ヒット曲をまだ書いたなかったんだ。。。。。

いい機会だから、今回はこの曲に決定!


だけど、今までチェッカーズの曲は随分書いてきたのに、なんでこの曲はずっと書いてこかなかったんだろう

うーん、タイミングのずれだったのかなぁ。 ヒット当時も決してこの曲がキライだった訳じゃない。


ただ、チェッカーズのリーダーの武内氏もコメントしているように「印象に薄い」曲だったっていえば、確かにそうだったかもなぁ。

84年に「涙のリクエスト」で大ブレイクしてから1年半。 この曲の半年前の「ジュリアで傷心」でブームの頂点を迎えたチェッカーズだけども、その後は・・と言えば、徐々にではあるけど一時のブームも「沈静化」に向かっていたんだよね。ちょうど、そんな頃のヒットだったわけだ、この曲は。

その証拠に、「涙のリクエスト」以来、「大ヒット」の目安である50万枚を切った事が無かったチェッカーズだけど、この曲ではオリコンで1位は取ったものの、50万枚割れ。

そんなチャートアクションに、個人的にも「あー、落ちてきたなぁ」って言う印象が強かったな。 丁度さ、安全地帯の人気が最高潮の頃だったからさ。余計時代の流れを感じちゃったりしてね。

まあ、元々バンド系の人気は「水もの」であり、「絶頂期」は1年、長くて2年っていうのが、それまでの「ルーティーン」だったからねぇ、さしものチェッカーズもそんな時代の流れには逆らえないよな・・・っていう思いもあったな。

ただね、個人的に言うと、この頃のチェッカーズ曲って意外と好きなんだよな。やっぱさあ「涙のリクエスト」とか前年の「チェッカーズブーム」の頃の曲に比べると、なんとなしに手垢が少ないからかなぁ。。

曲調はモロ50年代だよね。それまでもオールディーズっぽいところを前面に出していたチェッカーズだけど、この曲あたりから「50's」って言う部分をより強調してきたように思えるんだよな。

まあ、音自体ダークなんだけども。 うん暗いよね。 まあ、フミヤも以前からカミングアウトしているように、この頃はチェッカーズ自体精神的に追い込まれていた頃で、ゲ―ノー界に対して「反感」を抱いていた頃なんだよな。

それがストレートに「音」にも出ていたような気がする。 この曲にしても、次の「神様ヘルプ!」にしても。

音がさあ、粗いんだよな、この頃のチェッカーズって。 まあ、その辺が当時の個人的の気分とシンクロしてたのかもしれない。

うん、今思うと、当時、どこかいつもモヤモヤしてたんだよな精神的に。 個人的には16才になるかならないかの頃で、まあ大人への階段を上り出していた頃なんだろう。なんて勝ってに書いたりして・・・。 でも、そうだったんだよな。いつもモヤモヤ、気分がすっきりしない日が続いていた・・・ような気がする、この曲の当時は。

少なくとも、前年・・、まだ中学3年生だった頃・・・の夏休みの「純」な気分ではなかったんだよな、この年の夏休みは。

そんな当時の気分と、この粗くダークな「音」とシンクロしたんだろうな、きっと。

たださ、当時のチェッカーズのメンバーの心情を、いま考えれば同情も出来たりね。 
もともと「アイドル」として出てきた訳じゃないわけじゃん。ヤマハのライトミュージックコンテストから出てきたヒトたちだったけだからさ。

それがアイドルバンドとして「頂点」を極めてしまったばっかりに、本来自分たちがやりたかった音楽が出来ない。 それが2年近く続いた訳なんだから精神的ストレスも溜まるよな。

・・・なんてことは、あれから32年経ちーの、個人的にも色々と人生経験を積んできたからこそ理解出来る事なんだけどさ。






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Song for U.S.A / チェッカーズ

A_チェッカーズ


今回の1曲セレクトは、「Song for U.S.A」チェッカーズです。

まずはデータです。

・タイトル    Song for U.S.A
・アーティスト  チェッカーズ
・作詞      売野雅勇
・作曲      芹澤廣明
・編曲      芹澤廣明
・リリース日   1986年6月5日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 32.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1986年6月16日〜8月4日、8月18日付
・タイアップ:映画「Song for U.S.A」主題歌

個人的な事だけど、G.S(グループサウンズ)の勉強がしたくてねぇ、少し前にG.S研究の第一人者であった、故黒沢進氏が書いた「日本の60年代ロックのすべて」(シンコーミュージック刊)っちゅう本を買って読んでたんだよね。
 G.Sについては、いわいる「A級」って言われた、超有名ところなバンドについては以前から聴いては居るんだけども、G.Sは「B級」「C級」が面白い・・・なんて、まるで80年代アイドルのような事を言う人もいてさ、流石にそう言うマイナーとバンドは知らないんで、この本を買ってちょっと勉強してたわけなんだよね。
 この本、G.S研究の第一人者である黒沢氏が書いただけあって、マイナーなバンドまで、かなり詳しい解説があるからさ。

で、その中の「ザ・バロン」っていうグループの解説と、リーダーであった若子内悦郎氏のインタービューを読んでて、思わず「なに?」と思ってしまったのよね。

うん、このバンドで、サイドギターをやってたのが、何を隠そう、80年代にヒットメーカーとなる芹澤廣明氏だったんですよね。

うーむ、なるほどそうだったのか。。。と思わず唸ってしまったですわ。

芹澤氏といえば、確かに中森明菜の「少女A」が有名だけど、やっぱしチェッカーズ初期の一連のヒット曲ですわな。

・・・うーみゅ、前置きが超長くなってしまったけど、そんな事で、今回の1曲セレクトは、チェッカーズの「Song for U.S.A」をば。。。

↑でも書いたように、チェッカーズの初期の作品・・・。そう、デビュー曲の「ギザギザハートの子守唄」から、全てのシングルのタイトル曲は芹澤氏が作曲、プロデュースを行ってきた訳だけども、その蜜月の最後となった曲が、この「Song for U.S.A」・・・と言う訳ですわ。
そそそ、この曲の次が「NANA」になる訳だけど、「NANA」から後はメンバーの自作曲と言う事になるわけで。。

デビューから3年余り、ずっと続いてきた芹澤氏との蜜月が、突然切れた訳なんだけども、なぜ、このタイミングで切れたのか・・・っていうのは、まあ、30年経った今でも公式に公にはなっていないだけど・・・。
以前、有名になった高杢氏の暴露本「チェッカーズ」によると、藤井兄弟と芹澤氏との確執って事が書かれてはいたけど、どこまでが事実なのかは、よく分かんないしさ。

ま、確かに、この頃のチェッカーズの曲って、少し迷走して来て感があったのも事実だったけどね。
この曲の前の「OH!! POPSTAR」では、60年代のマージービートっぽい曲だったじゃん。正直ね、なぜに、このタイミングでこの曲なんだろう? ・・・とは当時から感じてたりしてね。チェッカーズもそろそろ、曲のネタが尽きてきたのかなぁ・・・っていう印象が強くてさ。

・・・それとともに、シングルの売り上げもジリ貧になってきてたしね。
「OH!! POPSTAR」が、おニャン子に負けて、オリコン1位獲れなかった・・・っていうのも、ちょっとインパクトあったしなぁ。

この「Song for U.S.A」でも売り上げのジリ貧は続き、売上げは32.6万枚。 この時点でのチェッカーズのシングルで「一番売れなかった」シングルになっちゃったわけだけどさ。


まあ、曲的な問題もあったのかもれしないけどね。
最初に書いたように芹澤氏って、G.Sのバロンっいうグループに居た訳だけども、このグループ、R&B志向が強かったようですから。まあ、チェッカーズ自体、R&B臭が強いかと言えば、そうではないけど、少なくとも50年代〜60年代の香りは、それまでのどの曲でも感じる訳だよね。
 でも、そういうオールディーズな傾向から、脱却したかったのかもな。そういう「縛り」がなく、もっと自由に音楽を作りたいって言う気持ちの方が強かったんだろう。

芹澤氏との蜜月の解消・・・っていうのは、その部分が強かったのかもしれないな。


たださ、個人的には、この「Song for U.S.A」っていう曲は、キライじゃなかったんだよな。
まあ、個人的に「3連」の曲が好きだってこともあるけど、曲自体切ないんだよね。
こういう切ない曲をチェッカーズがやってくれるんだったら、それはそれで歓迎だな・・・と。

ま、それよりも、前年の「神様ヘルプ」から、公然的に口にしてた「ゲ―ノー界」にたいしての反抗期っていう感じが、曲を聴く限りでは感じ無かったんだよね、この曲では。

音の荒みとか感じ無かったしさ、なにより曲を聴いて切なく感じるってことは、それだけ精神的に安定していたとも言えるしね。

でも、実際は、芹澤氏との蜜月解消が進んでいたって言う訳だからねぇ。
いや、逆言えば、そういう腹積もりを決心していたからこそ、音にも出て来ていたのかもな。




ちなみ、「Song for U.S.A 」とは、関係ない話だけど、芹澤氏との関係が解消し、50年代〜60年代縛りが無くなった頃、ネオG.Sって言う形で、G.Sにまたスポットが当たったのは、チェッカーズにとってはなんか皮肉だったよな。
 それと、芹澤氏の他にも、G.S・・・特にB級、C級のG.Sの元メンバーだった方が、この頃80年代の(音楽)業界にはホント多かったんだよね。売れる音楽とは何なのか・・・ってことを自分たちで体感し、分かっていたからこそ、80年代くらいの音楽は面白かったのかもしれないな。 その辺については、追々と言及して行きたいですね。


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ギザギザハートの子守唄 / チェッカーズ

1984_05_ギザギザハートの子守唄_チェッカーズ








今回の1曲セレクトは、「ギザギザハートの子守唄」チェッカーズです。

まずはデータです。

・タイトル    ギザギザハートの子守唄
・アーティスト  チェッカーズ
・作詞      康珍化
・作曲      芹澤廣明
・編曲      芹澤廣明
・リリース日   1983年9月21日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 8位
・売上げ枚数  39.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1984年5月7日〜5月28日、6月11日付

のっけから・・・・・眠いっス!  昨夜は自分のサイトのトップページに「アクセスカウンター」を設置するのに、久々にCGIと格闘しつつ、気がついてみたら「あさ〜っ」ってのをやってしまいまして。。。。
いや、昔、レンタルサーバーを借りてた時も付けてたんだけど、一時、お金が無くてやむなく無料のレンタルサーバーに引っ越しした時に外しちゃったんだよね。
 でも、昨年、再度、「有料」のレンタルサーバーを借りて独自ドメインを復活させたんで、ちょっと遅くなっちゃったけど、アクセスカウンターを復活させようと思ったんたけど。。。。

 うーむ、久々にCGIのプログラムや、ファイルのパーミッション設定なんかと格闘したんだけどねぇ。 最終的には表示できるようになったんだけど、どうも、数字がランダムになっちゃってウマく表示できなかったんだよね。

・・・なんで、結局、徹夜までしたのに破棄。 ネットに落ちてた無料カウンターをつけたら、ものの5分でついた。。

むー、最初からそうすりゃよかった。。。。 眠いっス。頭が回らなっス。。。。

なんで、早く書いちゃいますね。


さて今回セレクトしてきた曲は、チェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」。

うむ、栄えあるチェッカーズのデビュー曲ですわな。
・・・・ってことは、ここ読んでる方はみなさんご存知ですよね  まさか「涙のリクエスト」がデビュー曲って思ってる方は、よもやいらっしゃいませんよね 

うーむ、まあ、今となっては「栄えある〜」なんて書けちゃいますけど、リリースから暫くの間は、まったくヒットしなくて、泣かず飛ばずの状態が続いた・・・っていうのは、当時、リアルタイムでこの曲聴いてた方なら、良くご存知ですよね。

ちなみに、この曲のオリコン初登場って何位だったかご存知でしょうか。 

168位だったんですねぇ。(1983年10月3日付)。。。

168位ですわ〜。っつか、詳細はワタシも今、知ったんですけどね。。。
当時のオリコン(ウイークリー)ってシングルは200位まで掲載してあったんで、当時のオリコンをひっくり返してみましたわ〜
 そそそ、当時のオリコンを所有しておられる方ならご存知だと思うけど、今でこそYOU大樹では200位まで売り上げ枚数は記録されているものの、当時は、101位以下は集計「誤差」が大きいという理由から、あくまで「参考」ランクであり、売り上げ枚数も出してなかったんだよね。

当時からすると、オリコン100位以下の曲は、そのアーティストの余程のファンで無い限り、一般的にはほとんど誰も知らない曲であり、ほとんど注目もされなかったんで売り上げ枚数があろうが無かろうが、影響はなかったんだけどさ。

だから、つまりは、当初は、この曲は、ほとんど見向きもされなかった曲だった訳無なんですよね。
 そんな状況下の中、当時、デビューキャンペーンで各地を回った際は、観客もほとんどおらず、「リンゴ箱」の上で歌ったこともあったとか。。。 

まあ、当の本人も、もともと「こんな演歌歌えるか」って言う気持ちだったようなので、仕掛けた側には「それみたことか」っと言う気持ちだったようなんですが。。。


 そそそ、もともとチェッカーズって、件のアイドルバンドなんかじゃなくて、ヤマハのライトミュージックコンテストのジュニア部門、後の「YAMAHA TEENS' MUSIC FESTIVAL」に相当するコンテストで優秀賞を受賞した実績のあるバンドだったんだよね。
 なので、当然、バリバリのバンド系、とくに当初はシャネルズのようなドゥアップなど黒人系音楽をやっていたので、そちらの方向でデビューすると思っていたところ、いきなり「アイドルバンド」にさせられ、しかも「演歌・歌謡曲」みたいな曲でデビュー・・・ということで、少し「ふてて」たところもあったようだ。

だから、当初、売れなかったときは「それ見た事か」・・・と思ったようなんだよね。


BUT、年が明け第2弾の「涙のリクエスト」がラジオでヘヴィーローテション的にかかるようになって、状況が変わる。
 オリコン初登場168位なこの曲もジワジワジワとランクを上げ、100位内に初登場したのが、1983年12月19日付(81位初登場)。その後も、ノラリクラリと、業界用語でいうところの「右ページ」(51位〜100位)を少しずつランクアップしていたところ、「涙のリクエスト」リリースと同時に、「左ページ」に躍進。
以後も、ジワリジワリとランクアップし続け、1984年5月14日付でついにベストテン内に到達。。。とまさにシンデレラストーリーを字で行くようなチャートアクションを展開しましたよね。

うん、その間に、第2弾の「涙のリクエスト」、第3弾の「哀しくてジェラシー」の大ヒットもあり、一躍「時の人」な存在になってしまった訳なんだけども、チャートマニアからすれば、この曲のようなジワリ型ヒットっていうのが、一番見応えがあったわけなんだよね。
ま、確かに3曲中では、一番ジミーな存在であることは確かなんだけどさ。

ちなみに、この曲がベストテン内に到達した、1984年5月14日付チャートは、チェッカーズが、それまで前人未到の3曲同時にベストテン入りさせた・・・なんていう歴史的なチャートなんだけどさ。

1位 哀しくてシェラシー
5位 涙のリクエスト
9位 ギザギザハートの子守唄

いや、まさにチェッカーズ旋風が吹きまくっていたころですね。

でも、これよりホンの半年前のことを考えると、上で書いたようにほとんど客もいない前でデビューキャンペーンを行っていたなんて、まったく信じられない状況だったよな。
 っか、逆に、1983年の大晦日の時点で、次の年にチェッカーズ旋風が来るなんて、全然予想もしてなかったことだったもんな。

たださ、そんな予感がしてたのかどうかは分かんないんだけども、当時、月刊明星付録の「YOUNG SONG」の1984年2月号(年末特大号)。楳図かずおと近田春夫の「年末対談」って言う企画の中で、「来年はハデハデグループが出てきて欲しいな」なんていう件があるんだよね。
 あとからすると、いや、まさにその対談内容が「図星」で当たっちゃったわけなんだけども、すでに業界内では、チェッカーズが爆発する・・・っていう噂はあったんでしょうかねぇ。 まあ、今となっては全く分からないことなんですが。。。。



うわうわ、チェッカーズヘアのフミヤや。
当時、この髪型にしようとすると、ガッコの頭髪検査で、絶対引っかかった・・・という。
ちなみに、オートバイを生産していたYAMAHAにおいて、YAMAHA所属のチェッカーズが、♪ 仲間がバイクで死んだのさ〜♪ とは何事だ〜・・・って言う事もあったようですね。
 それでもリリースしちゃったんだから、いい時代だったよね。 いまだったらコンプライアンスがなんじゃらかんじゃらで、もっと問題になったろうけどね。
 だいたい、こういうエンターテイメントに「まともな意見」が絡んでくるとツマンナクなるのよ。

サザンのアルバム「NUDE MAN」の1曲目の「D.Jコービーの伝説」にあるように 「オリコウなやつぁGET OUT、アーパーならC'MON」って行く方がいいのよね、エンタテイメントは。



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OH!! POPSTAR / チェッカーズ

1986_03_OH!!POPSTAR_チェッカーズ








今回の1曲セレクトは、「OH!! POP STAR」チェッカーズです。

まずはデータどぇす!

・タイトル    OH!! POP STAR
・アーティスト  チェッカーズ
・作詞      売野雅勇
・作曲      芹澤廣明
・編曲      芹澤廣明
・リリース日   1986年2月21日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  35.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1986年3月3日〜4月28日付

えー、今回は久々にチェッカーズを持ってこようかな。
チェッカーズも、大分書いたようなつもりでいたんだけど、意外とまだ書いてない曲が多いんだよな。なので、この先もチョクチョク書くことになるか・・・と思いまする。

そんななかで、今回は1986年の今頃のヒット。 

「OH!! POP STAR」

でもさ、この曲、今となっては結構存在感薄いんだよな。 当時、チェッカーズファンだった方ならいざ知らず、そうじゃない方は、忘れてる方も多いんじゃないかなぁ。

まあ、曲自体、前曲の「神様ヘルプ!」の♪神様ヘルプ! ヘルプ!・・・・♪と絶叫してたのに比べたら、ミディアムテンポで大人しいし、インパクトも少ないからなぁ。当時から存在感が薄かった気がする。

そもそも、ワタシからして、この曲が35万枚も売れてた・・・ってことを忘れてたくらいだから。。。

なんかね、印象としては、この曲で30万枚割ってた様な気がしてたんだよな。 
たださ、売り上げ的には前曲「神様ヘルプ!」と同じくらいは確保したものの、オリコンでは、ここまで7作続けてて来ていた連続1位も、この曲で途切れてしまいましたね。

まあ、初登場の時の相手が、おニャン子クラブの「じゃあね」で、これに1位を阻止されちゃったわけだけども、

1位 じゃあね        12万9610枚
2位 OH!! POP STAR   12万8370枚

・・・と僅か1240枚差で、涙を飲んだ訳なんだけどさ。。。。


しかしねぇ、デビュー以来、一貫して、芹澤廣明氏プロデュースで、芹澤氏の曲を歌ってきたチェッカーズだったけど、曲的にはそろそろネタが尽きてきたんじゃないか・・・っていうイメージは拭えなかったんだよな。

曲自体は、マージービートというか、50年代、60年代を彷彿させる様なガレージっぽいロックだったけど、それもなんか「今更」っていう感じもしたんだよなぁ。
 チェッカーズ自体、もともと50年代、60年代のオールディーズナンバーをもともとやってたグループだったわけだけど、メジャーデビュー以降は、そこをあえて封印しているような動きをして居たわけじゃん。

 でも、なんで、今さらオールディーズなんだろ? っていうのもどこか不可解だったんだよね。 あたかも、芹澤氏が、メンバーのご機嫌を取っているような感じにも思えたし。。

第一、本人たち・・・というか、特に藤井兄弟は・・・これまでの路線に、不満がたまって来ていたらしく、フミヤ曰く、この時期はゲーノー界に対しての反抗期だった・・・って後年か語ってたりするもんね。

そういうところって、見てる方も意外と感じたりするんだよね。だから、「ゲ―ノー界への反抗期」って言った時は、「ああ、やっぱりな」なんて思ったもんですわ。

まあ、それらの不満が、この年、芹澤氏と決別し、自分たちでの作詞作曲に移行する事になるんだけどさ。





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ジュリアに傷心 / チェッカーズ

1985_01_ジュリアに傷心_チェッカーズ

 





今回の1曲セレクトは、「ジュリアに傷心」チェッカーズです。

まずはデータです。

・タイトル    ジュリアに傷心
・アーティスト チェッカーズ
・作詞      売野雅勇
・作曲      芹澤廣明
・編曲      芹澤廣明
・リリース日  1984年11月21日
・発売元    キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  70.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1984年12月3日〜1985年2月18日付

 前も何回か書いたことなんだけど、昨年までこの1曲セレクトに出していた楽曲って言うのは、ほとんど6年前までmixiで書いていた内容の「再録」でして、それが1000曲あまりだったんですよね。
 なので、80年代を中心に「めぼしい」ヒット曲については、大体書いてきたりしたんだけど、よくよく確認してみると、その時書いてなかった「大ヒット」曲も、まだあったりするんだよね。

いや〜、「大ヒット」と呼ばれる曲は大体書いたぞい・・・・なんて6年前は思ってたんだけどさ。

じつは、今回セレクトしてきた曲も、そんな曲だったりして。。。。

チェッカーズ「ジュリアに傷心」

わあ、大チョンボだよね。 なにせ、1985年のオリコン年間1位の曲ですよ。。。。数あるチェッカーズのヒット曲の中でも「涙のリクエスト」に並ぶ代表曲なのにねぇ。。。

なぜに書いてなかったか・・・・今となっては良く覚えてないんだけど、C/Wの「チャッカーズのX'mas Song」き書いてたんだよね。 おそらく、それで、この曲も書いた・・・なんて勘違いしてたんじゃないかなぁ・・・とか思ったりして。。。 でも、いい機会なんでね。

 チェッカーズと中森明菜の年・・・といっても過言じゃな買った1984年だけど、その最後にリリースしたのが、この曲でしたね。
 まあ、この曲の頃のチェッカーズ人気はめちゃくちゃ凄かったもんなぁ。うん、ピークでしたよね。

この曲、リリースは1984年11月21日だったけど、オリコン初登場した12月3日付では初登場1位は勿論の事、週間売り上げ枚数が、13万6千枚。
・・・って書くと、今の感覚だと、「なんでぇ、大したことないじゃん」なんだけど、当時、週間売り上げが10万枚以上なんてのは、年に何回あるか・・・ってくらいの「珍事」でしたからねぇ。
しかも、チェッカーズは、「哀しくてジェラシー」「星屑のステージ」に続いて3作連続して、週間10万枚以上を記録し、しかも、リリース事に売り上げを伸ばしてたりしたんだよね。
いやぁ、飛ぶ鳥を落とす勢いってのは、この事なんだなぁ・・・なんて思ったりしてましたねぇ当時は。

 しかもですよ、得てして週間売り上げが高い作品は、「初動のみ」で勢いが落ちるのも早い・・・っていうのが、当時も今も「常」の傾向なんだけど、この曲は違ったんだよね。
 なんせザ・ベストテンでは8週連続、ワタシのランクでも7週連続1位・・・とロングラン1位も記録したりしてたからなぁ。 兎に角、向かうところ敵なしのチェッカーズだった訳ですよ。

 個人的には、曲も好きだったんだよな、この曲。
「傷心」って言うくらいだから、「失恋ソング」なわけだと、マイナーな曲調の中にもスピード感があったじゃん。前曲の「星屑のステージ」がスローバラードだったのけど、それに対比した感じだったし。
 なにより分かりやすかった。でも、この曲までのチェッカーズのシングルなは無かったような新鮮もあったしなぁ。なんだろ、スピード感なのかなぁ。
 まあ、サウンド的には、それまでのチェッカーズを彷彿させる50's〜60'sって言う路線は変わって無かっただけどさ、でも、新鮮さがあったんだよな当時は。

 だから、最初に聴いた時から当然のように売れると思ったし、まあ、実際そうなったんだけどね。

 でも、結局は、この曲が「ピーク」でしたね。 ま、そんなにそんなに人気が続くもんじゃない・・・っていうのは、ヒット曲史の常なんだけどさ、やっぱし、84年から85年へ・・・っつう年またぎの瞬間、なんか変ったんだろうねぇ、雰囲気が。 
 いや、これが不思議なんだよね、長年ヒット曲を追いかけてると、前年、あんなに飛ぶ鳥を落とす勢いだったのが、年をまたいだ瞬間、前年の勢いが感じられなくなるってことがあるんですよ。

やっぱ、その年、その年のカラー・・・・雰囲気・・・ってのが、あるんですかねぇ。
 
ちなみに、↑で書いたように、この曲が、オリコンでは85年の年間1位だったけど、売り上げ70万枚で1位だったのは過去最低だったんだよね。
 本格的に「レコード」が売れなくなってきた頃ですね。 まあ、ヒット曲界も変革期だったことは間違いないんだけど、レコードが売れない時期にゃ、アイドル勢が元気っていうのは、あの時も、今も同じなんだよな。
 で、しかも、そのアイドルも「壊れ」てたってのも同じ。なんせ85年は、例の「おニャン子クラブ」が出てきた年ですから。地盤沈下した年だよなぁ。

・・・ということは、今のCD売り上げ不況を脱出するには、あの時、売り上げ不況を脱出したのはどうやったんだっけ・・・って言うのを思い出せはいいんじゃないですかねぇ。・・・なんて思ったりして。





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神様ヘルプ! / チェッカーズ

1985_11_神様ヘルプ!_チェッカーズ






今回の1曲セレクトは、「神様ヘルプ!」チェッカーズです。

 まずはデータです。

・タイトル     神様ヘルプ!
・アーティスト   チェッカーズ
・作詞       康珍化
・作曲       芹澤廣明
・編曲       芹澤廣明
・リリース日    1985年11月1日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    35.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1985年11月11日〜12月23日付

 音楽ってさ、そもそも「音を楽しむ」ものなんだよね。なんて、わけのわからない出だしで始めちゃったんだけどさ、音楽って、音を楽しむと同時に、その時その時の感情を写し出す、鏡でもあるんだよね。

 うん、これが不思議なもんで、気持ちが心から楽しいときは、音も「楽しげ」になり、逆に、気持ちが荒んだ時は、音も「荒んで」しまう。

 プロのアーティストは、ライヴやステージでは大概は、ニコニコ、爽やかにしてるもんでしょ。

 これは、「ブスッ」としてると、音まで「ブスッ」としてしまうのが、アーティストは生理的に分っているからなんだよね。

 音が荒むと、それは聴いてる人・・・特にファンにはダイレクトに伝わり、やがてファンは離れていってしまう。
 ってことになるんだよね。誰も荒んだ音楽なんて聴きたいと思う人は居ないだろうから。
 どんなに大音響な音でも、心地いいからそのヒトの音楽を聴くわけでしょ? プロの評論家とかライターでもない限りは。


 あ、いや、これは、プロに限らないんですよ。アマチュアだって、同じことが言えるんだよね。音の「表情」にはプロもアマも関係ないんですよ。

 昔さ、中学校で、ブラスバンドを始めた時の顧問の先生、千葉では有名な先生だったんだけど、そのかわり、練習は厳しい人でさ。
 特に生活態度まで、厳しく言われたよ。
 「惰性で生きるな」って。惰性な生活してると、音楽も「惰性になるから」ってさ。最初は、意味がわかんなかったんだけど、2年もやってると自然と意味がわかってくるもんなんだよね。
 要は、中学生らしい「みずみずしい音」を出したかったら、普段の生活態度から、みずみずしくなきゃダメってことなんですよね。




 さてさて、今回ひっぱってきた、チェッカーズの「神様ヘルプ!」っていう曲。

 後日のチェッカーズのフミヤの談では、このころは、一番グループが荒んでたっていう時期だったらしいね。

 ゲーノー界全体、音楽に対しても、反抗してた時期だって。


・・・あ、やっぱそうなんだ!・・・・

って、すぐ思ったな。 だってさ、このころのチェッカーズの音って、荒んでるもの。荒い、っていうか、雑っていうかさ。
 フミヤのボーカルにしても怒ってるよね。それまでのグループとしての田舎育ち特有の明るさとか朗らかさ、・・・って言うのが、消えかかってたんじやないかな・・・って、すぐ感じましたよ。この曲聴いた時。

 いや、この曲の前の「俺たちのロカビリーナイト」あたりから、そういう兆しは見えたかな。

 うん、グループとしても、一時的に「ヤバイ」時期だったらしい。

 その辺は、ベースボーカルだった高杢氏の「チェッカーズ」っていう著書に詳しくでてるから、興味がある方は読んでみてくだされ。

 まあ、全然性格が違う、人格が違う大の大人、7人集まるわけだからねぇ、初めの1年、2年は楽しくやれても、3年、4年と続くと、だんだんと、メンバー間に溝が出来てくる、派閥も出来てくる・・・っていうことは自然なことなんだろうけどね。

 グループが長期間続かないって言うのは、まず、これが原因なのは、致し方ない所だろうし、必然なんだろうけどね。


 なんかさ、この曲の

♪ 神様ヘルプ! ヘルプ! ヘルプ! ヘルプ! ヘルプ! ヘルプ! ヘルプ! ♪

って叫んでる様は、歌詞の男の子の叫び・・・というよりも、彼ら自身の叫びに聴こえてきちったりするんだよね。

 もし、あのころ、明星ヤンソンの近田氏の新曲激評コーナーが続いてたら、どんな評になってただろう?

 きっと、「辞めたいんでしょ? じゃ辞めれば・・・」ってなってたような気がするなぁ。

 なんとなく、そこまでグループとして行っちゃってた気がする。特に高杢氏の「チェッカーズ」っていう著書を読んで、改めて曲を聴くとさ。

 その辺の心情は、チェッカーズの師匠である、作曲家の芹澤廣明氏にも重々伝わってたんだろうしね。
 だから、この時期に、まさに「神様ヘルプ!」なんて曲を書いたんだろうけど・・・。

結局さ、藤井兄弟が、芹澤氏に対抗するようになっていたらしいんだよね。このころから。

 つまりは、自作で曲を作りたくなってきてたってこと。

 もちろん、アルバムでは、それまでも、自作の曲を収録されていたけど、シングルのA面になった曲はない。

 全て、芹澤氏プロデュースの曲なわけで・・・。それに反感を覚えてきてた時期らしいんだよね、このころ。

結局さ、この1年後に、藤井兄弟の意見で、一方的に芹澤氏との縁を切って、自作の「NANA」って曲を出すことになるんだけどさ。

 でも、「NANA」を境に、一気に売上げが下がったのも、また事実。

 その辺の不満、焦り、奢り・・・・etc etcもあり、最終的には収集が着かないところまでになって、今に至る・・・ってことらしいね。

 もちろん、ドラムのクロベェ氏の若くしての夭折・・・っていうこともあり、オリジナルメンバーでの再結成は永遠に不可能になってしまったわけなんだけど、あまりにもメンバー間の亀裂が大きいだけに、これは、今後ともありえないだろうね。

 あるとしたら、まずは、高杢氏と藤井兄弟との「和解」からだろうけど、今となっては、それも不可能だろうな。

 そんな、不協和音が聴こえ始めてきたのが、今回ひっぱってきた、「神様ヘルプ!」ってわけですわ。




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クレイジーラブ / 堀ちえみ

1984_11_クレイジーラブ_堀ちえみ






今回の1曲セレクトは「クレイジーラブ」堀ちえみです。

まずはデータでする。

・タイトル    クレイジーラブ
・アーティスト  堀ちえみ
・作詞      三浦徳子
・作曲      芹澤廣明
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1984年10月17日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   16.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1984年11月5日〜11月12日

 このあいだ、友達と話してて、そういえば、堀ちえみの代表曲って何? っていう話になったんだけど、はて? と困っちゃったんだよね。

 うーん、まあ、前々から同じようなこと書いてきたんだけど、一般に「82年組」アイドルって、たしかにそこそこに売れてるヒトが多くて、アイドル大豊作の年って言われてるけど、そんじゃ、それぞれのヒトの代表曲は? って言われると、はて? なんじゃらほい? ・・・・とこまっちゃうヒトも多いんだよね。

 中森明菜のように、アイドルの頂点に上り詰めちゃったヒトとか、松本伊代の「センチメンタルジャーニー」のように1曲ずば抜けた売上げの曲を持っているヒトなら別だけど、こと、この堀ちえみとか石川秀美っていうのは、困っちゃうんだよね。

 まあ、だいたいの曲がそこそこの売り上げだったじゃん。でも飛びぬけて売れた曲がないし。。。。
 うん、今で言ったら、それこそレコード買ってたのは固定ファンだけって感じなわけで、まあ、だからゲーノー系的な売れ方っていうのは、今に始まったことではなくて、このころから始まっていたんだよね。

 だってさあ、この曲、オリコンで2位まで行ってるんだよねー。
 あのころのチャートみてたヒトなら「そーそー」と言うことになるかもしれないけど、今からしてみれば、そんな印象ってまるでないじゃん。
 それは、あくまで初動偏重な売れ方だったからだよね。

 そう、兎角、チャートが壊れたのはおニャン子以降っていうのが、通常な見方に今では見られているキライもあるけど、実際は、このころから、初動型な曲がジワジワと増えていってたんですよ。
 それに伴って、印象にのこる曲も減っていったわけだよね。
 それを考えると、あと20年もしたら、「今」の曲なんて、ほとんど印象に残んないんだろうなぁ。


 さてさて、曲の方は、この曲から、いわいる「挑戦物」が始まったんですかねぇ、堀ちえみの。
 それまで、このヒトにはほとんど見られなかった、マイナーでアッパーなハードナンバーっていうんですかね。最近の言い方だと。
 この曲からだよね、単純に軽いアイドルポップスから徐々に脱皮を始めてきたのは。

 うん、この曲に関しては、売上げから言って、それも成功だったんだろうね。
 やはり、耳新しかったからね、このヒトのこのテの曲は。

 たとえ、それが、あのころ流行のボニータイラーの「ヒーロー」っぽくてもさ。
っつうかさ、この頃の曲って、ボニータイラーの「ヒーロー」を下敷きにした曲って多いんだよね。大体マイナー系の曲だと、「ヒーロー」ってぽいイメージだったりしてさ。

 耳新しかったというよりは、そのミスマッチ感が耳新しかったといった方がいいかなぁ。

 たださ、このヒトの場合は、このあとの展開がねぇ、ちょっとやりすぎたよね。次の「リボン」まではよかったんだけどねぇ、そのあとが・・・。
 まあ、「ちえみの挑戦シリーズ」がエスカレートして、羽目をはずしすぎたってところかなぁ。そのあたりは、後日追々とね。

 それにしても、たしかに、この曲、メロディラインは別として、曲として焦点がハッキリしていると思ったら、アレンジャーは萩田光雄氏だったんですね。
 これ、今知った   あれから31年も経つというのにね

・・・・っつか、31年も経ったって方が不思議。ワタシの中ではつい最近・・・っていうイメージなんだけどねぇ、未だに。

でも、さすがは萩田氏というていうところなのかなぁ。ただ、このヒトならではの「技」は見られなかったですよね。
 あくまで「シングル」としての焦点合わせに終始していたアレンジというかねぇ。

 そのへんが、アッパーでハードな曲なのにちょっとこじんまりと地味目な印象になっちゃったんですかねぇ。
 



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東京Sugar Town / 堀ちえみ

1984_07_東京Sugar Town_堀ちえみ







今回の1曲セレクトは、「東京Sugar Town」堀ちえみです。

 まずはデータでーす。

・タイトル     東京Sugar Town
・アーティスト   堀ちえみ
・作詞       三浦徳子
・作曲       芹澤廣明
・編曲       大谷和夫
・リリース日    1984年7月18日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位  3位
・売上げ枚数    14.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン日 1984年8月6日付

ここのところ、アイドルが続きすぎかなぁ・・と昨日も書いたけど、ゴメン、この曲だけ書かせてくだされ。

 東京Sugar Town   堀ちえみ

 えーとね、ワタシこの曲大好きなのよ。
  
 へへ、完璧な個人的趣味で申し訳ないんだけど、タマにはお許しあれ。



でも、どーしてなんだろうねぇ、この曲を聴くと、しんみり、胸がキュンとしてくるんだよね。

 別に曲がしんみりとしたバラードでもなく、ちょっとイタリンアンツイストがかった、正統派のポッフスなんだけどねぇ。

♪ 夏の終わりを告げるような そんな一日が今日ね〜 人影まばらなビーチ〜 ♪

ってところが、シンミリきちゃうのかなぁ。
そうそう、夏の終わりのあのシンミリ来ちゃう雰囲気って言うのかなぁ。

 でも、この曲リリースされたのは、夏休みが始まる直前だったんだよね。
 その時期に、既に「夏の終わりの〜」っていうのも、考えてみれば、ちょっちヘンなんだけど、たしかに、この時代、季節を「先取り」してた曲も多かったからなぁ。。。。

 まあ、そういうこともあったのかもしれんね。


 しかし、堀ちえみも、この頃が最も「勢い」って言う点ではもろピークだった頃だよね。
 82年組の中では、石川秀美とならんで、「事務所」の力でトップアイドルの地位にはいたものの、それまで今ひとつ「つかみ所」が無かったのが、前年の「ドジでのろまなカメさん」がモロはまって、これで、一気に勢いづいたもんなぁ。

 ちなみに、この曲はオリコンで最高3位までランクアップしたけど、ベスト3入りしたのは、この曲が初めてなんだよね。

 ま、それだけ。このころの勢いを物語っているわけだけども、その割りに売上げ枚数が伸びていないっちゅうのは、言わずと知れた、もろ「初動型」なヒットだったからだよね。

 うん、まあ、今の初動型ヒットっていうのも、もとを正せば、このころから顕著になり出してたわけですわ。


 曲はといえばね最初に書いたように、サウンド自体は、ベースラインは、ちょっとイタリアンツイストっぽいけど、全体的にはいかにも夏向けのさわやかなアイドルポップス。

 ただ、歌詞がやや、夏の終わりの〜 って感じだったから、全体的にちょっと淋しく感じるんだよね。

 ボーカル的には、サビの

 ♪ とうきょーーーーう Sugar Town ♪

の「う」の部分ですこし、声が上ずるところが個人的にはよかったです (⇒この表現、小学生の作文みたいね


 たださ、そもそも「東京Sugar Town」っどういう意味なんだろ? 考えてみれば、これ意味がわかんない。
 東京って甘い街なんですかねぇ?? なんてとぼけてみたりして。。。

 
 でもまぁ、
 
 ♪ 朝のバルコニーから街を見下ろすのいつ〜 ♪

って言うところからして、アイドルポップスからは、やや脱皮させようっていう気持ちも現れてきたんだろうね、このころから。

 で、ここから延長して、次の「クレイジーラブ」で結構、飛躍した内容になると。。。。。

 堀ちえみとしてもターニングポイント的な時期であり、局だったんだよねぇ、きっと。


しかし、ジャケ写は、遠めで見目と、松田聖子に似てるなぁ。。当時って、みんなこんな感じだったのよね。
 ストレートパーマが流行ってた頃かしら?

 なんか、「直毛」のヒトが多かった気がするな。。




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あの娘とスキャンダル / チェッカーズ

1985_04_あの娘とスキャンダル_チェッカーズ






今回の1曲セレクトは、「あの娘とスキャンダル」チェッカーズです。

 まずはデータです。

・タイトル     あの娘とスキャンダル
・アーティスト   チェッカーズ
・作詞       売野雅勇
・作曲       芹澤廣明
・編曲       芹澤廣明
・リリース日    1985年3月21日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    51.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1985年4月1日〜6月3日付
・タイアップ:映画「CHECKERS in TANTAN たぬき」主題歌


 今回も4月1日リリース曲で行こう・・・と思って、この曲を用意してたんだけど、この曲、リリース日3月21日だったんだねぇ・・・。

 いやいや、発売日を勘違いしてた。。 ランキング初登場が4月1日付だったんだ・・・。

 その曲とは、

 あの娘にスキャンダル  /チェッカーズ

 この曲で、なんで4月1日にこだわったか・・・っていうと、確かにベストテン入りしたのが4月1日付だったって言うのもあるけど、この曲、↑では、タイアップを映画「CHECKERS in TANTAN たぬき」の主題歌と書いたんだけど、実は、あの「夕焼け!ニャンニャン」のオープニングテーマ曲でもあったんだよね。

 1985年4月1日 月曜日。 

 この日から「夕焼けニャンニャン」は始まった訳だけど、番組の一番最初に流れた曲は、もちろん、おニャン子の曲でもなく、実は、この曲だったわけだ。


 ♪ あの娘と  スキャンダル  ♪

っていう、イントロなしの出だしから、タヌキのイラストの夕ニャンのオープニングタイトルが流れたのを、一体、どのくらいの方が覚えてるだろうな。

 後々、視聴率が20%を越えた、この番組だけど、もちろん、第1回放送なぞ、たいした視聴率が取れたわけでもなく・・・。

 もちろん、おニャン子など、ほとんど、知られているわけでもなく・・・。

 無論、ワタシも見てなかったですわ。

 そんな、タイアップに使われていた、この曲だけど、確かに、「企画物」っぽい曲ではありましたね。

 その前の「ジュリアに傷心」が、涙、涙の失恋ソングで北風ピューピューの叙情感と緊張感いっぱいであったのに比べると、ちょっと、緊張感ないんぢゃないの? っていう軽いポップな曲調。

 確かに「春」らしいポップな曲といえば、聞こえはいいけど、ちょっと「アイドル」しすぎぢゃないの? っていうキライは強かったよなぁ。

 まあ、確かに、このころのチェッカーズは完全なアイドルでしたけどね、ロックアーティストというよりかは。

 そういう雰囲気に個人的には、当時はどうも、なじめなかったなぁ。

 ギリギリのところでロックアーティストとしてのサムシングをとどめる・・って言うところにチェッカーズのよさを感じてたんだけど、この曲は、その境界線を越えてたんぢゃないかって思えたんだよねぇ、当時は。

 よく、思えてきたのは、ホンと、最近なんですよ。今、この当時の曲を聴くと、やっぱり、この曲がないと、なんか寂しいんだよね。

 表面上はキラッて居たんだけど、どっかでは、認めてたんだよね。

 ただ、さすがに、曲調がぬる過ぎたのかなぁ? レコードの売上げは、前曲の「ジュリアに傷心」から20万枚もダウン。
 ヒット期間も縮小・・・と。チェッカーズも一つのピークを過ぎた・・・っていう印象が残った1曲だったよなぁ。

 まあ、いつまでもブームは続かないわけで、チェッカーズもそろそろ、勢いだけでなく試行錯誤の時期だったんだろうけど、それで、勢いをキープしていくのは、難しいことなんだよね。

 そんな、曲がり角を迎えた、チェッカーズ、85年第1弾の曲がこれでしたね。




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脱・プラトニック / 桑田靖子

1983_03_脱・プラトニック_桑田靖子






今日の1曲セレクトは、「脱・プラトニック」桑田靖子です。

まずは、データですー。

・タイトル     脱・プラトニック
・アーティスト   桑田靖子
・作詞       売野雅勇
・作曲       芹澤廣明
・編曲       萩田光雄
・リリース日    1983年3月21日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位  50位
・売上げ枚数    4.0万枚

 昨日のカキコでは、暫く「82年3月21日」デビューの方を引っ張ってきます。。。。
 とか、書いたんだけど、どうも今日になって気が変わりまして・・・(^^;;;;;;;;
考えてみれば他の年にも「3月21日」リリースの曲はいっぱいあるし、それに、この時期って他にも紹介したい曲は結構あるんですよね。
 ・・・ということで、予定変更!

 今日は次の年の83年3月21日リリースの桑田靖子「脱・プラトニック」を引っ張ってまいりましたわ。

 ハハ・・・・またまた、「売れなかった」曲を
知らない方はスイマセン。

 いや、実はさっき帰宅の時に電車の中で聴いてたんですわ、この曲。(爆爆)

 で、丁度「3月21日」リリースなので、「安直」にも引っ張ってきたわけです! (爆爆爆)


 とりあえず、桑田靖子ってさ、歌はうまかったよね。だけど、その歌のウマさがかえって、「アイドル」としてはジャマしてたんぢゃないかなぁ・・と思うわけです。
 たしか、この時15歳だったよなぁ。俺より2つ上だから。

それにしては、歌の安定さ、歌唱力・・ともに、これがデビュー曲のアイドルとは思えなかったもんね。
 あの時代、逆だったんだよね。歌唱力は「不安定」の方が母性本能(?)をくすぐるっていのうかなぁ、「母性本能」をくすぐるところがあったんだけど、どうも、あんまりウタがうますぎてもね・・・・って感じだったし・・・・。
 かといって、ルックスも、めちゃめちゃいいって訳でもなかったしね(失礼)。

 ウタがうまいことで、結局、かえって「中途半端」っていう烙印を押されちゃった感じだよね。
 まあ、これが、あと5年も早ければ、高田みづえのように「歌謡曲」の世界ドップリに進めたかもしれないけど、時代が時代だったしな。

 それと、この「脱・プラトニック」という曲、完璧な「ネライ」だよね。
 だってさ、中森明菜「少女A」と全く同じ作家陣だもん。
狙ったんでしょうなぁ、「第2の少女A」を・・・・。

 ただ、めちゃくちゃ狙いすぎだよね。狙いすぎて中途半端になつちゃった・・・・っていう見本のような曲だなんだよねぇ。

 まあ、デビュー直後のコにはいえないだろうけど、本人はキツかったろうねぇ。

 果たして、出し手はどこまで、本気で考えていたのかはよくわかんないけど、大体において、第2、第3のだれそれ・・で売れた試しはないんだけどなぁ・・・・・。

 まあ、そういうことで、売り出し戦略で失敗した一例ですな、この曲の場合。。
 まあ、それでも、左ページの50位に入っただけでもよしとするべきか・・・。

 ・・ということで、結局、ぱっとしなかった、桑田靖子さんですが、その後は「たけしの元気が出るテレビ」などにも出てましたよね。バラエティに進出するも、されでもパッとせず・・。バラドルにもなれなかった・・・ってかんじですか。
 うーん、性格も真っ直ぐだったんだろうなぁ・・。

 ともまあ、随分書いちゃったけど、個人的には、そのあとの「マイジョイフルハート」なんかは好きでしたね。
 それでも違和感は、少しあったけど・・。



うーん、やっぱり、「ウタ」は達者だったんだよね。
 いずれにしても、82年デビュー組が、あまりにも華々しかったんで、その反動で83年デビュー組は地味なんだよねぇ。



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