かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

船山基紀

編曲家という仕事 vol.2〜歴代のヒット曲を中心に辿る船山基紀の世界〜

先日の台風15号の千葉での被害もあり、書くのを延ばし延ばしになってしまっておりましたが、9月8日(日)、ケモノディスクさん主催、「編曲家という仕事 vol.2〜歴代のヒット曲を中心に辿る船山基紀の世界〜」に参加してきました。

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場所は、今年1月に開催された「編曲家という仕事 vol.1」同様、東京・三軒茶屋のライブハウス「グレープフルーツムーン」。

vol.1については

編曲家という仕事〜男性アイドルの楽曲を中心に辿る船山基紀の世界〜


今回も前回に引き続き、70年代以降のヒット曲には欠かせないアレンジャーの一人である編曲家の「大御所」、船山基紀氏の、これまでの大ヒットアレンジ曲をについて、他では聞けない()秘話をご本人を交えたトークライブ。

前回は、ゲストMCとして、NONA REEVESのボーカリスト・西寺豪太氏ということで、アーティスト視点から見た、船山氏のアレンジについてのトークが中心。

それに対して、今回はゲストMCとして、元キャニオンレコードのディレクター、羽島亨氏を迎えてのトーク。
レコード会社のディレクターということで、今回は楽曲制作側から見たアレンジャー・船山基紀氏の魅力が中心のトークライブでした。

羽島氏といえば、キャニオンレコードで、トシちゃんのデビュー時からのディレクターとして、いわば「歌」の面でのトシちやんの育ての親的存在。

船山氏もデビュー第2弾の「ハッとして!Good」からトシちゃんのアレンジャーとして関わってきた訳で、、もちろん、トシちゃんの関連の「秘話」が楽しみだった。

実際、最初にお二人がトシちゃんの楽曲で関わることになる「ハッとして!Good」の制作については、いろいろ興味深い話が聞けましたね。

それらを含めた、トーク内容の詳細は「けものでぃすく」さんのサイト

編曲家という仕事 vol.2〜歴代のヒット曲を中心に辿る船山基紀の世界〜

に詳しく記載されているので、参考にしていただけばと思います。
(※えー、参加者全員で撮影した集合写真がありますが、ワタシは写真右端の壁傍にいたため映ってません。。。。)


個人的に、今回のトークライブで印象に残ったのは、個々の楽曲についてのアレンジについてもそうなんですが、レコードメーカーディレクターとしての、楽曲制作過程の話についてですね。

もちろん、レコード会社での楽曲制作の経験は無いワタシですが、昔、某着メロサイトで着メロの楽曲配信ディレクターをやってたんだよね、ワタシ。

実際の楽曲制作過程と、着メロ制作配信過程の流れ・・・、話を聴いてるとめちゃくちゃ似てるなって言う印象。

もちろん、レコード会社での楽曲制作は、全く「ゼロ」から楽曲を制作するという仕事。 対して着メロは既にリリースされている曲をmidiに興して配信するという、いわば楽曲2次利用の仕事。

そんな違いはあるものの、「音」を制作して、より多くのユーザーに楽曲を届けると言う流れには変わりが無いんだよね。

レコード会社のディレクターは、「売れそうな」曲をゼロから企画し、作詞・作曲者に発注、出来あがった「デモ」ノアレンジャーに楽曲装飾してもらいレコーディング⇒リリースと言う大まかな流れがあると思う。

それに対して楽曲配信ディレクターっていうのも、次「売れそうな」曲を掘り起こし、それらをmidiを制作する楽曲制作チームに制作を発注、 出来あがってきたものをリリースという大まかな流れがある。

もちろん、プロとしての仕事なんで、当初、どの曲をいつ、どのタイミングで配信するか、どういう見せ方(サイトページ構成)で配信するかというのも、予め決定した上での発注となる。

つまりは、制作期限付きでの発注ですね。

こういった制作の流れの話を聞くうちに、「あ、同じだ!」と言うシンパシィが湧いて来たのは言うまでもなかったなぁ。

特に
・「売れる曲」とはどういう曲か、直近のヒット曲の傾向、オリコン上位曲の楽曲傾向の研究の話
・レコーディングまでギリギリの時間の中でも船山氏し、きっちりアレンジを仕上げてくれた

って言う話は、めっちゃ、ワタシの経験とリンクしていて、思わず頷いてしまった。

オリコン上位の楽曲傾向の研究については、まあ、ここのブログを読んでくれてる方にはお馴染みの事だけど、今でもワタシの「ライフワーク」になっている事。

ただ、「レコーディングまでギリギリの時間の中でも船山氏し、きっちりアレンジを仕上げてくれた」に思わず頷いてしまった・・・っていうのは、これは実際に着メロ配信ディレクターをやった方ぢゃないと、ピン と来ないかもしれない。

いや、着メロの「配信ディレクター」でもバックにレコード会社が付いていて、早くから新曲のCD音源が手に入る様なサイトをやられていた方にはこんな必要が無かったかもしれない。

でもワタシが関わっていた着メロサイトは、今はニコニコ動画で超有名になった某IT会社なんだけど、元々はゲーム会社であり、当時はその中でも弱小の後発会社だった。 つまりは、バックにレコード会社などついてる訳もなく、全て「手作り」で「音」(midi音源)を制作し配信するしかなかった。

一番大変だったのが「新曲」のリリース。 新曲はCDリリース日の午前10時から配信を開始する・・って言うポリシーの元、配信運用していた。
今でもそうだけど、新曲は大方水曜日にリリースだから、新曲「音」配信は毎週水曜日、CDショップの開店時間に合わせて配信って訳ですね。
これをユーザー側も熟知していて、CDリリース日の午前10時を1分でも新曲配信が遅くなると、たちまちユーザーサポートはクレームの嵐となる。 それはそれはシヴィアなんですよ。

一番のネックは、毎週水曜日に規定時間に新曲が配信できるよう音制作の時間を如何に取れるか・・と言う事になる。

でも、うち等はレコード業界とつながりが無かったんで、予め新曲音源を手に入れるのは無理。
結局は市販のCDから、「耳コピ」でmidi音源を制作することになる。 これは、新曲のみならず全ての曲でそうだったのだが・・・。

そこで採用したのが、公式のリリース日と実際CDショップにCDが並ぶ時間差。 水曜日リリースと言っても、実際にCDショップにCDが並ぶのは、大体前日火曜日。だから、毎週火曜日、前週の木曜日に「選曲会議」で決定していた配信楽曲のCDをショップでまとめて購入。いわいる「フラゲ」を大量に行うんだよね。
 購入後、即、midi音源の制作に取り掛かってもらい、翌水曜日の午前9時30分までにmidiファイルを納品してもらう、
おおよそ20数時間で仕上げてもらうと言う強行スケジュールを毎週毎週行っていた。

これがかなりスリリングなんですよ。 10時近くになってもmidiが納品されてこないこともあれば、こちらが指定した曲と違っていた事もあったな。兎も角、毎週がスリリングだった。

羽島氏の話のなかで、船山氏が作ってきたイントロが、一度使ったイントロ全く同じ事があった・・って言う話からは、そんな、こちらが指定したいた曲と違った曲が納品されてきたときの戸惑いを思い出してしまいましたよ。

苦労続きで胃が痛くなるような仕事ではあったんだけども、不思議とそんな仕事が楽しかったんだよね
苦労続きでも、物をクリエイトとしているって言う充実感っていうのかなぁ、この充実感は実際に体験してみないと分からない感覚なんだなぁ。
羽島氏も全く同じ事を言っておられ、ますます、シンパシィを感じてしまったな。


・・・etc、ほとんど、私の体験談とリンクしながらのトークイベントでしたが、今回も貴重な話がいろいろ聞け勉強になりました。

このイベントはぜひ続け欲しいなぁ。 前回も同じことを書いたんですが、第3弾は「女性アーティスト編」を是非。 

今回も、山口百恵さんの「パールカラーにゆれて」が取り上げられましたが、他にも秘話を聞きたい曲があるなぁ。
来月、船山氏も出演される渡辺真知子さんのライブが東京国際フォーラムで行われるとのことですが、こちらのイベントでも是非行っていただけないでしょうかねぇ。

最後に、今回もトークライブを企画していただいた「けものでぃすく」の皆さま、ありがとうございました。また、参加させていただきたいです

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ちなみに、来月10月に船山氏の著書「ヒット曲の料理人 編曲家・船山基紀の時代」がリリース。
こちらにも、今回のトークライブで話された内容が含まれてる・・・かも。

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三枚の写真 / 三木聖子

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今回の1曲セレクトは、「三枚の写真」三木聖子です。

まずはデータでやんす。

・タイトル     三枚の写真
・アーティスト   三木聖子
・作詞       松本隆
・作曲       大野克夫
・編曲       船山基紀
・リリース日   1977年1月25日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位  ランクインせず
・THE HITCHART HOT30  ランクインせず


えー、2カ月ぶりの「1曲セレクト」でやんす。
前々から、毎週のように「書きたくないよー」病が勃発・・とか書いてたけど、こうなったら書きたくなるまで書くのやめようか・・・っちゅうことで、お休みしてました。
まあ、リアル仕事が1月超繁忙期だったことと、ココんところ週末、毎週のようにライブとかトークライブに行ったりして、PCに向かう時間が取れなかったっていうのが、実際のところであり、まあ、いいわけの「口実」だったりするんだけどね。。

でも、ここに来て、やっとリアル仕事も区切りがつき、久々に持ち帰りの仕事も無いんで、久々にPCに向かっております。

でねぇ、「復帰」の第1弾は、この曲を書こう・・・と思ってた曲があるんだよね。 
ま、今日、再び1曲セレクトを書いてるのは、それの時期を待ってたってのもあるんだけどさ。

三木聖子さんの「三枚の写真」。

この曲、前々から引っ張ってこようと思ってたんんだよね。 ただ、リリース時期をずっと間違えてたんだよなぁ。

秋リリースだと、ずっと思ってたんだよね。

石川ひとみさんが、この曲カバーしてたじゃん。 そのカバーバージョンのリリースが10月だったんだけど、オリジナルの三木聖子さんも、同じ頃の時期リリース・・・って思ってたんだよなぁ。

でも、調べてみたら、実際は1月リリースってことで、ずっと待ってた訳ですわ。


なんて、書いたりして・・・、気がつく方は気がつくんだけど・・・ 石川ひとみさんと三木聖子さんっていったら、「まちぶせ」が超有名なんだけど・・・。

そそそ、オリジナルが三木聖子さんで、カバーが石川ひとみさんっていう曲としてね。 

でもさ、石川ひとみさんの「まちぶせ」の次のシングルも、やっぱり、三木聖子さんの、この「三枚の写真」のカバーだったんですよね。

・・・っつか、これは全く知られていない事ではなく、70年代、80年代フリークの方にとっては「常識」的な出来事なんだけどね。

石川ひとみさん側としては、「まちぶせ」の大ヒットで色気づいたんでしょうかねぇ。全く同じ戦法って行った訳なんだけども、結果は・・・・。

歴史が物語っていますわな。 世の中、そんな甘いもんじゃありません・・・っつう訳ですわ。
オリコン最高位37位。売り上げ6万枚。 「まちぶせ」が約40万枚の売り上げだったから、1/6程度のセールスヒットだったんだよね。

まあ、、オリジナルの三木聖子さんも、 それほど売れた訳ではなかったんだけども。それでも100位には入ってたよな・・・と思いきや。。。

あらららら、うっちょ 100位に入ってな〜い

うーん、そうだったかなぁ。 その割には、これまで何度も聴いてきたなぁ・・。 そもそも、この曲リリースされた頃、ワタシ、まだ小学1年生で、当然ヒット曲の世界には足を踏み入れていなかったんだけども・・・。

それでも知ってた訳だから・・・。

ま、確かに、個人的に、最初にこの曲を聴いたのは、石川ひとみさんバージョンだったけど・・。 
確か「8時だヨ 全員集合」だったと思う。

「まちぶせ」のような、小悪魔的なインパクトは無かったんだけども、 純真かつ素朴な世界に、なんか引っかかったのを覚えてる。

特に♪ 16の頃〜 あなたは18〜 ♪ っていう出だしの歌詞だよなぁ。 ワタシに対して、2歳年上の彼氏と言う設定で物語が進んでいく。 2番が ♪ 18の頃 あなたは20〜  3番が ♪ 20の私 あなたは22〜 ♪
・・と自ずから、ワタシと2歳上の彼と言う流れで話が進んでいく。

そんな状況というか場面設定っていうのかなぁ・・・そこが面白かったし、引っかかったんだろうな。

こういう時間軸の流れのなかでの物語の場面設定は、流石は松本隆氏だよな・・・って言うところなんだけどさ。

そそそ、太田裕美さんの大ヒット「木綿のハンカチーフ」とか「赤いハイヒール」と物語の流れは似てるところがありますよね。

その辺り、やっぱ、太田裕美さんと三木聖子さん、同じナペプロってことで、スタッフ側がらのリクエストがあったんでしょうかねぇ・・・。 まあ、その辺はを良く分かんないけども・・・。

ちなみに、石川ひとみさんもナベプロだったわけで、一連のカバー劇も、結局は「内輪」の話な訳ですわな。

ただ、この「三枚の写真」については、どう転んでも、オリジナルの三木聖子さんバージョンに軍配を上げたくなる。そんな印象が強いんだよな、個人的には。

アイドル色が、より強い石川ひとみバージョンに対して、どことなくフォーキーな匂いがする三木聖子さんバージョン。 より大人の香りがするんだよね、三木聖子さんのバージョンは。

歌いだしが「16と18」っていうティーンの頃を歌って入るけども、最終的には「20と22」って言う「大人」の恋にまで昇華するこの曲は、やっぱり、より大人っぽい方がしっくり来る。

その違いなんじゃないかな。

ちなみに、作曲は大野克夫氏で、 三木聖子さんバージョンのアレンジは船山基紀氏。

時代的に船山氏も、まだアレンジャーとしては駆け出しの頃で、中島みゆきさんの後の仕事だと思うし、だから、こういうどこかフォークの匂いがするアレンジだったのかもなぁ。

で、気がつくヒトは気がつくだろうけど、大野克夫氏と、船山基紀氏といえば、この曲のすぐ後に、件のジュリーで、「勝手にしやがれ」を初めとする大ヒット曲群を手掛ける事になる。

この曲は、そのきっかけともなっているんですよね。 まあ、やっぱりナベプロつながりではあるんだけど・・・。



動画・・・ さすがにオリコン100位にも入ってない曲がある訳ないか・・・と思ったら、あったんです。



ぷぷぷ・・・・ようつべ以外からはブロックされてる・・・。
見たい方は、ようつべに飛んで見てくださいね。

動画は、母親が本人には内緒でスタジオに現れ、涙で歌えなくなった「夜ヒット」のシーンなんだけど・・・。

三木聖子さんって、この「三枚の写真」の後、程なくして電撃的にゲーノー界から姿を消したんだけども、この時の夜ヒットに母親を呼んだ事が、そのきっかけだったとも言われてますね。

いずれにしても1975年のデビューから約2年間の芸能活動、そのうち歌手としての活動が10カ月。シングル3枚。アルバム1枚 のみのリリース。
「幻のアイドル」と呼ばれるのも分かります。





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編曲家という仕事〜男性アイドルの楽曲を中心に辿る船山基紀の世界〜

ココんところ、1曲セレクトも書かずに、ライブイベントの事ばっか書いてるよなぁ・・・。

・・・なんて言われそうだけど、今回もトークイベントについてです。。。。

先日27日(日) 東京・三軒茶屋のライブハウス「グレープフルーツ・ムーン」で行われた、ケモノディスクさん主催「編曲家という仕事〜男性アイドルの楽曲を中心に辿る船山基紀の世界〜」に参加してきました。

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タイトルにもあるように言うに及ばず、70年代以降のヒット曲には欠かせないアレンジャーの一人である船山基紀氏のライブイベント。

ゲストMCは、NONA REEVESのボーカリストであり、音楽プロデューサーでもある西寺郷太氏。

結果から言うと、めっちゃ楽しいイベントだったぁ

船山氏の気さくなトークと、ジャニーズ愛にあふれた西寺氏の絡みあいがめちゃくちゃよかった。

ま、イベントタイトルにも「男性アイドル」とあるように、ジャニーズ、特に船山基紀氏が深くかかわってきた、田原俊彦氏以降のジャニーズの楽曲について、アレンジャーという船山氏の立場から考察して行くって言うトークライブだったんですけどね。

いやいや、聞けましたよ、天下のジャニーズがゆえに、ここでは詳細をかけないような事を。。。

まあ、確かにモノノの本にも書かれているようなこともありましたけど、実際に音楽の面から直接ジャニーズと関わってきた船山氏ならではの生の声は、やっぱ文章で書かれているよりも現実味と説得力がありましたねぇ。

そりよりも、実際に曲を聴きながらの解説にも説得力があったなぁ。 なんせ、トシちやんの話題だけで1時間も費やしましたから。。。 そんなイベント、今までなかったよなぁ。

今まで、モノの本では書かれてなかったようなことも初めて聞けたしな。

例えば・・

・トシちゃんとは、デビュー第2弾の「ハッとして!Good」ので初めてアレンジをしたが、ディレクターの羽島亨氏から、この曲のアレンジの注文は特になかったんで好き勝手に作った。
踊れる曲って言うことを前提に考えたら、グレンミラーが浮かんできて、それをモチーフにアレンジを考えた。
レコードのプレイヤーは、Dr 林立夫(ニッポンの編曲家では山木秀夫氏となっていたが・・・)、G 矢島賢 キーボード 矢嶋マキ、Sax ジェイク・H・コンセプション だったそう。

・同じくトシちやんの作家ブレーンだった、作曲家の宮下智さん。 上記の「ハッとして!Good」や「ブギ浮ぎI love you」「キミに決定」の作曲で、この曲のアレンジを船山氏が手掛けたけど、一度も会った事が無い。
もしかすると、架空の人物じゃないか・・・と思っていたそう。

・・・これについては、結構、そう思われてた方が多いようで、一種の「都市伝説」的になっていますね。
でも、宮下智さんって実在するんですよね。 明星の付録の「ヤンクソング」、1981年10月号にインタビューが載ってるし。。。

・少年隊のデビュー曲「仮面舞踏会」のイントロ。 ジャニーさんからはなかなかOKが出ず、半ばヤケクソで作ったのが、イントロの冒頭の、インパクトが強い全音階を使ったシンセ。 あれは、大谷和夫氏が手弾きしていたそう。 
・・・いやいや、これはいままで全く知りませんでしたね。 あのシンセはシーケンサーで自動演奏しているものと思ってました。まさか大谷氏が手弾きしてたとは・・・。 ただ、大谷氏も腕が攣りそうになりながら弾いてたとか。

・同じく少年隊の「ABC」は、ドラム、ギター、ベース、ブラス・・・etc全ての楽器をシンセと生で演奏したものを同期させたもの。 音の圧のかかり方が違うんで、そうしたとのこと。
ただ、使用したチャンネルが当時48チャンネルだったマスターテープ3本分・・・っていうから100CH以上ですね・・を気が遠くなりながら編集したのが、このオケだったそう。
おかげで、スタジオじゅう機材だらけ、めちゃくちゃ金がかかった1曲だったそう。 まあ、ジャニーズっていうブランドのおかげもあるけど、当時は湯水のごとくお金をかけれたようですから・・・。今じゃ、まず無理だよな。

・・・などなど、面白い話がてんこ盛りでした。

それにしても、船山さんの話をまさか目の前で聞けるとは・・。 初めて明星のヤンソンで船山氏の存在を知ってから38年。 まさか、こんな日が来るとは夢にも思わなかったなぁ。

たしかに件の「ニッポンの編曲家」で、アレンジャーやディレクターなど、ウラ方だった方々にスポットライトが当たり、ちょっと前までは考えられなかった流れになってきた・・とは言え、1年前でも考えられなかったですから・・。
今回の企画を考えていただいたケモノディスクの方々に感謝

次は第2弾として「女性アーティスト編」のトークイベントを是非   ・・・なんてね。。

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ブルー / 渡辺真知子

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今回の1曲セレクトは、「ブルー」渡辺真知子です。

まずはデータです。

・タイトル     ブルー
・アーティスト   渡辺真知子
・作詞       渡辺真知子
・作曲       渡辺真知子
・編曲       船山基紀
・リリース日    1978年8月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数   33.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1978年9月18日、10月2日〜10月30日、12月4日付


ここんところ、リアル仕事が忙しくてねぇ。 FBには書いたんだけども、上役に挟まれ、下にも挟まれ・・っちゅうサラリーマン中間管理職の悲哀(?)っちゅうかねぇ、金曜日はガタガタニ疲れた頭で中森明菜の「難破船」を聴いてたらシミジミとなったことをグチグチと書いたりしてさ。。。

まあ、そんな事ですっかりと忘れていたんだけども、週末の11月2日で、ワタシが、ヒット曲の世界に足を踏み入れて、丸40年となったんですねぇ。

なんで、そんな事が分かるのか? って思われる方もいらっしゃるかもしれないですが、その辺の経緯は、ワタシのサイトのプロフィールに書いてたりするんだけどね。

忘れもしない、1978年11月2日ですよ。 この日は木曜日だったんですねぇ。 次の日が文化の日で祝日じゃ無いですか。 なんで、ワタシ、同級生の友達の家に泊まりに行ったんだよね。 ほら、ガキのころ、やったヒトも多いと思うけど、いわいる「お泊まり会」ってやつね。 当時ワタシは9才。小学校3年だったな。

その当時、ワタシ、ヒット曲なんて聴いて無くてさ、もちろん歌番組も見たこと無かった。 

いつか、ここでも書いた事があったと思うけど、オヤジが歌謡番組がキライでさあ。 「8時だよ!全員集合」なんかもコントのところは見るんだけども、歌が始まると、チャンネルまわしちゃったりね。 

うん、当時はテレビは当然、家に1台、チャンネル権はオヤジが持ってたからなぁ。

だから、むしろヒット曲には同級生に比べると疎かった。

でもさ、泊まりに行った友達には2つ上のアニキがいて、当時から歌番組見てたんだよ。 で、木曜って事は「ザ・ベストテン」も当然見てて、付き合いがてらについつい見ちゃったんだよなぁ。

これが今に続く「顛末」の始まりだったんだ。

衝撃でしたねぇ。 世の中にこんなに面白い番組があるんか・・・ってぐらいの衝撃。  まあ、当時ランクインしてた曲も良かったんだよね。 サザンもそうだったけど、ツイストとかさ。 歌謡曲とは明らかに一線を画した、それまで聴いた事が無いような曲だったから。

ワタシねぇ、それまではヒット曲は聴いたなかったけど、ポールモーリアはずっと聴いてたんだよね。ガキのくせして。 オヤジも歌謡曲は嫌いだったけど、ポールモーリアは好きだった。 っつか、誰かからポールモーリアの「8トラ」のテープ譲ってもらって来たのも、オヤジだったし。 その他、当時の洋楽ヒットも聴いてたな。 その頃流行りだった、フィラデルフィアサウンドな洋楽ヒットね。 その辺はオヤジも好きだったんだよ。

いわいる、ストリングスありーの、ブラスサウンドありーの、分厚いサウンドな音楽ですわな。

まあ、そんな影響で、そう言うサウンドがワタシ的も好きだった・・というか、ワタシの原点なサウンドですね。特にストリングスが好きだったんですわ。 フィラデルフィアサウンドでは、高音系のさんざめくような、それていて澄んだストリングスの動きが特徴だったじゃん。 これははポールモーリアでも共通してたしね。

こういう音は、日本のヒット曲には無いと思ってたんだよな。日本の曲の音はもっとチープだと思ってたの。

でもねぇ、件のベストテンを見て、目からうろこでしたねぇ。 自分が思ってたようなサウンドとは全く違ってたし。
特にツイストの、分厚い音と、独特のグルーヴ感だよね。 これに参っちゃたんだよな。

以来・・というか、次の週から自分の家でも見まくりましたよ〜、ベストテン。 

それまで家では、ウラ番組のドラマ見てたのかなぁ、ワタシは夜9時には寝てたし。 
でも、ワタシが「ベストテン」見たいっていったらシブシブ見せてくれたな。 恐らく、オヤジもその1回だけだと思ったんじゃないかなぁ。 でも、毎週毎週見るようになって、それまで自分が見てたドラマが見れなくて、ブーブー言い始めたんだけども、オヤジも久米さんと黒柳さんのやり取りが気に入ったんだろうね、シブシブだけど、ベストテンを見せてくれるようになったんだよね。

以来、木曜夜9時と言ったら、何があってもずーっと「ベストテン」だったし、 終了後もずーっとヒット曲を追い続け、あれから40年も経っちまったって訳だね。

あー、またまた、前置きが長くなっちまった。

で、今回の1曲セレクトは、そんな、ワタシがヒット曲の世界に足を踏み入れた頃、丁度ヒットしてた曲を一つ。

渡辺真知子「ブルー」。

ウム? この曲、まだ書いて無かったんだ。。。   ワタシがヒット曲に足を踏み入れた頃のベストテンヒットな曲って、すでに書いた・・とばかり思ってたし、個人的に、それ以前から渡辺真知子さんの曲って好きだったから。

いや、個人的に好きだった・・・っていうか、オフクロが好きだったんだよね。 真知子さんのデビュー曲の「迷い道」。 これ、まあ、良く、よく口ずさんでたもの。 で、知らず知らずのうちに覚えちゃったんだよな、ワタシ。

次の「かもめが翔んだ日」もそう。オフクロ好きだったんだよな。 だから、知らず知らずのうちに覚えちゃってたし・・・。

でもさ、今回引っ張ってきた「ブルー」って曲は、口づさんでなかったんだよね。

だからなのかなぁ・・・今まで、1曲セレクトで書いて無かったの。

オフクロがこの曲、口づさんでなかったのは、きっと、この曲が難しかったからなんだと思う。

特に ♪ あたなは 優しい目〜 ♪ っていう出だしのところ

♪あたなは〜♪ がウラから、変拍子気味に入るメロディじゃん。 入るタイミングが難しいんだよね。  

それにも増して、 ♪ とりとめのない心〜 ♪から先に続く、ファルセットの部分。

きっと、なかなか口づさみづらかったんだろうね、オフクロも。

そんなこともあって、家で、あんまり流れていなかったことありーの、個人的にも長い事記憶の外のところがあったような気がする。

決して、この曲がキライだったんじゃないんだよ。  いや、むしろ個人的には、この曲の方が好きだった。

前2曲よりも手垢が少なかった・・・ってのもある。 けど、難しい曲だからこそ引っかかるってのもあったな。

オフクロが口づさめなかった、ウラから入るAメロ出だしも変わってて面白かったし、 それよりもサウンドだよね。

北風が吹きこむような冷たいサウンドっていうのかなぁ。秋から冬へって言う温度感にマッチしてたし。 まあ、リリースしたのが8月だった訳で、だから、リリース当時は暑苦しかったのかもしれないけど、 ヒットのピークだった、今頃にはピッタリの温度感と重量感だったように思う。

そうそう、この冷たい温度の手触りと重量感が、ポールモーリアの「雪が降る」と類似してるような感じがしたんだ、この曲。 

いや、イントロの駆け上がりから出てくるチェンバロ。

Bメロの ♪ 呼びたしたのに〜 ♪ から絡んでくるストリングスなどを含め、 どこかホールモーリアサウンドを彷彿としたんだよね。

でね、だから、こういう曲だったら、日本の曲でも聴いてもいいな〜。 なんて、当時9歳のガキだったワタシは、クソ生意気にも思ったんだよな。


いずれにしろ、インパクトはあるものの、前2曲に比べると華やかさと言う点では劣るのは否めないところですね。 まあ、楽曲のテーマがテーマなんで、「華やか」部分を前面に出すのは難しんだけど。。。

でも、「華やか」ではないからこそ、長い間、より多くの方に支持される・・・っていう場合もある。
これは、今年の米津玄師の「LEMON」が超典型的な例だと思うけど、 この曲もそうだったんだよね。

オリコンでは最高10位に留まったものの、「ザ・ベストテン」では2回、僭越ながらワタシメのランキングでも2回、ベストテンに返り咲き、と言う感じで、約3ヵ月間もベストテンギリギリでのチャートアクションを維持している。

いつまり、楽曲内容同様、華やかなチャートアクションではなかったものの、ジミに、その分、息の長いヒットとなった訳なんだよね。


 


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騎士道 / 田原俊彦

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今回の1曲セレクトは、「騎士道」田原俊彦です。

まずはデータですよ〜。

・タイトル     騎士道
・アーティスト   田原俊彦
・作詞       阿久悠
・作曲       つのだひろ
・編曲       船山基紀
・リリース日    1984年5月23日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   25.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1984年6月4日〜7月9日付

えー、平日の1曲セレクトですら。
本当はねぇ、昨日書こうかと思ってたんだけども、ここんところ、持ち帰りの仕事が終わんなくてねぇ、結局、昨日は書けなかったのよね。 ま、そんな事で、平日の月曜日に書いてたりします。

今回引っ張ってきた曲は、初めから決めてたんだよね。

トシちゃんの「騎士道」

トシちゃん・・・なんて懐かしい響きやなぁ、いつ以来なんだろう、トシちゃんの曲を引っ張って来たのは・・・・。
一連のヒット曲の大半は、もう、とっくの昔に書いちゃったからねぇ。

でも、そんなヒットを続けていた最中の84年のこの曲、まだ、書いてなかったとは・・・・。

まあ、理由はいくつかあるんだけどね。

一つは、個人的にヒット時期を間違えて記憶していた事。。。 うーむ、これは厳密に言えば間違えては無かったんだけども、若干ズレてたんだよなぁ、記憶が。
うん、個人的には、この曲、「5月1日リリース」って記憶してたの。だからさ、ヒットは、ゴールデンウイークの頃だよなぁ・・・なんて長年勘違いしてたんだよな。
実際は、リリースは5月23日だったんだよね。 ベストテン入りしたのは6月だ。 

うーん、そうだったかなぁ・・・・。 34年も経つと記憶もあいまいになるわなぁ。

いや、間違いなく84年のゴールデンウイークには、この曲聴いてた記憶がある。 そそそ、文化放送の「全日本歌謡選抜」で聴いてた記憶が鮮明に残ってるだよな。

いつぞやも書いたけど、この番組、新曲紹介がやったらと早くて、リリースの1か月前には、既に、いまでいうヘビーローテーションだったんだよな。そのおかげで、リリース時になるとすでに、聴き飽きて、「もういいよ」・・・って感じだったりもしたんだけども。。。

まあ、そんな影響で、リリース時期を1ヶ月くらい早いものと間違って記憶してたんだよ。

で、この曲を今まで書いて来なかった理由、その2は、書こうと思うと、動画がようつべに落ちてなかったりね。。。
破門になったとはいえ、曲がりなりも元ジャニーズっすからねぇ、意外と動画も落ちてなかったりするんだよね。

ここんところ、今まで書いて来なかったのは、ヒット当時、あまり好きぢゃ無かったから・・・って曲が多いけど、この「騎士道」に関しては、決してそうじゃ無かったんだよね。

むしろ、個人的には気に入ってたな、当時。

トシのこの曲の前が「チャールストンにはまだ早い」っちゅう、文字通りチャールストンをベースにしたダンスチューンだった訳だけども、どっちかというと、ナンパ的な曲だったじゃん
だけどもこの曲は、打って変わって、久々に硬派なトシちゃんだったしな。 

そそそ、トシちゃんを書くたびに言及しているような気がするけど、トシの場合、1曲1曲の曲の変化が大きいんだよね。あんまり同じような曲調が続く事が無い。そこが「まっち先生」とは大きく違うところであり、トシも魅力の一つなのよ。
変化大きいってことは、飽きないって事でもあるしね。

この曲、硬派な曲と言っても、それまでのトシ には無かったような曲調だったしな。 タイトルからも想像できるようにスパニッシュ。 そそそ、「闘牛士」なあのイメージですな。
このイメージには、当初はちょっとビックリだった。 まあ、この曲で初めて阿久悠氏が詞を書いたっていうのも、
ビックリだったけどね。

でも、トシにはあってたような気がするなぁ。 この曲の後86年に、本格的に阿久悠氏とタッグを組むようになるトシだけど、ジュリーとは別な角度でトシを大人に導いたような気がする。

だってさ、この曲には、「ニンジン娘」なイメージはかけらも見えないじゃん。

それと、船山基紀氏のアレンジですねぇ。 まあ、タイトルからスパニッシュなイメージっていうのは、「モロ」っていうところは強いんだけども。

でも、トシには、船山氏のアレンジがいちばんフィットするって感じるんだよなぁ。 トシのもつナイーブさを最も引き出すようなアレンジっていうのかなぁ。
 
トシのアレンジャーブレーンのもう一人、大谷和夫氏とは、違った角度からトシを引きだすっていうのかなぁ。
大谷氏のアレンジからは、よりソフィケートされたトシ、船山氏のアレンジからは、時には少年っぽく、時にはダイナミックにトシをサポートしていた訳なんだよね。

昨日、東京FM「五線譜の解体新書」の船山基記特集で紹介されていた「ハッとして!Good」は別格として、個人的には、81年の「悲しみ2ヤング」が一番好きなんだけどさ。この「騎士道」もいいんだよね。 

この頃の船山氏といえば、どうしても柏原芳恵さんとか、キョンキョンなどのフェアライトを駆使したシンセサウンドの新たな地平的な曲っていうイメージが強いんだけども、それよりもこの曲「騎士道」のようなアナログサウンドもいいのよ。 なんて言ってもダイナミックなストリングスとブラスが織りなす調和。そこから引きだされるトシのナイーブなボーカル。このコントラストが、この曲のキモなんじゃないかなぁ。

正直言って、この曲はそこそこ、売れるんじゃないかなぁ・・・・とは、リリース当初は思いましたよ。
実際のところオリコンでも1位獲れたしね。 でも1位取った後が続かなかったんだよな。 シングルでは初めての売り上げ30万枚割れ。
・・・って書くと、83年の「ラブシュプール」も30万に届いてないじゃんって突っ込まれそうだけども、あれは「30万枚限定」だったしな。
結局のところ、シングルの右肩下がりの売り上げは、この曲でも止まらなかった・・・って訳なんだよな。




むむむむ、動画の直リンがはじかれてしまったわい。。。。 
申し訳ないんですが、動画を見たい方は「この動画はYou Tubeでご覧下さい」をクリックしてくだされ。。。。

ところで、この曲、作曲は「つのだひろ」氏なんだよね。
・・・って、この間から、つのだひろ氏作曲の曲を何曲か書いてきたんだけども、とどのつまりは、この曲に繋げたいがためだったんだよねぇ・・・
そそそ、つのだひろ氏作曲の曲って、なぜか5月、6月頃にヒットした曲が固まってる・・・ってことでさ。 


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ジェットコースター・ロマンス / KinKi Kids

1998_05_ジェットコースター・ロマンス_Kinki Kids


今回の1曲セレクトは、「ジェットコースター・ロマンス」KinKi Kidsです。

まずはデータです。

・タイトル    ジェットコースター・ロマンス
・アーティスト  KinKi Kids
・作詞      松本隆
・作曲      山下達郎
・編曲      船山基紀
・リリース日   1998年4月22日
・発売元     ジャニーズエンタテインメント
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  93.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1998年5月4日〜6月1日付
・タイアップ:ANA沖縄キャンペーンCM曲

前回の1曲セレクトはちょこっと時代を遡った曲だったんで、今回は逆に時代を下ってみますか。

KinKi Kidsの「ジェットコースター・ロマンス」なんぞ、どうでしょうね。

1998年の今頃の大ヒットっちゅう訳だけど、98年なんてーのは最近だもんね、ワタシの中では。 いや、今まで書いてきた1曲セレクトの中でも、かなり「最近」の部類に入ると思う。

でも、それでも気が付いてみれば、もう20年も経ってるんだよな。 以前も書いたけど98年っちゅうたら、既にインターネット使って、自分のランキングを作ったりして、ほとんど今と変わらないような事をやっていた訳でさ。

そう言う意味でも、ワタシの中では全然、「昔」って言う感覚は無いんだけどさ。

まあ、まだ、自分のサイトは開いてなかったし、仕事も大学から新卒で入った会社に居たりしたし、そう言う意味では、(ワタシ自身の)周辺環境では時間が経ったなぁ・・・っていう感覚でもあるんだけどさ。

なによりも音楽、ヒット曲への向きあい方は、今とは違いましたねぇ、この頃は。

以前も書いたけど、当時は音楽とは全然接点のない会社だったし、仕事だったからさあ、音楽との向き合い方も、普通の一般の方と変わらなかった訳よ。

年も27才だったのかなぁ、この頃。 まあ、既に20代も後半だったし、やっぱアイドルを正面から聴くって言うと歳でもなかったからさ。 

だから、このKinKi Kidsの「ジェットコースター・ロマンス」なんてのも、正面から聴く事は無かった。
まあ、「Mステ」は当時も見てたからさ。KinKiがMステに出演した時、聴いてたくらいだったのかなぁ。
あとは、会社の営業車の中で移動の時にラジオで流れてきた時くらいだったのかなぁ。

それでもね、全く無視していた訳じゃない。「理性」としてアイドル聴く年でもないよなぁ・・・と思いながらも、やっぱ、気になったりしてね

いやKinKi Kidsってヒトたちの曲は、キライじゃ無かったんだよ、当時。 むしろ、本当だったらちゃんと聴きたかったんだよね。

このヒトたちの曲って、ヒット曲らしい曲だったしさ。簡単に言えばキャッチー、分かり易い。変な仕掛けがないんだよね。
それでいて音楽志向の人が聴いても受け入れられるっちゅうかさ。

まあ、それはジャニーズの中でも音楽志向が強い2人だったからこそだったのかもしれんけど、KinKi Kidsって。逆に言えば、だからこそ、この曲の作曲である山下達郎氏であったり、この曲の次の「全部だきしめて」の吉田拓郎氏であったり、モノホンのミュージシャンが、このヒトたちの周辺に付いてきたんだろうしさ。

うん、ここまで大物のミュージシャンが周辺に付いてるジャニーズって他には無かったからねぇ。

ビジュアルというよりも「音楽」として聴けたんだよね、このヒトたちの曲って。 

正直言うと、この曲も好きだったんだよ、個人的には。

 この如何にも初夏的な温度感と疾走感。如何にも「達郎」っぽかったしなぁ。

KinKi Kidsと山下達郎っちゅうと、どうしてもデビュー曲の「硝子の少年」なんだけども、この曲は、あくまで仮想「筒美京平」としての曲なんでさ、達郎氏って言う匂いは薄い印象だった。 個人的にも筒美京平氏って思ったしさ初めは。

いや、ジャニーズの場合、たのきん・・・、いや、それ以前にもジャニーズ時代の郷ひろみ氏って頃から、筒美京平って言う看板があった。 あのSMAPにもごく初期にシングルを書いてたしね。

だから、山下達郎氏が筒美京平氏を意識するのも分かる。 

でも、この曲に関して言えば、そう言った「しがらみ」を一切断ち切ったような達郎ワールド的な曲を持ってきたって言うのが、むしろ良かったんだよな。

うん、この手の疾走感、爽快感がある初夏向けの曲っていうのは、筒美氏の曲ではそうそうなかったしね。達郎節ならではなんだよね。 そこが良かったと思う。

ただ、それでもデビュー曲から2作連続で続けたミリオンセラーは、この曲では突破できず。 

うーん、そこは個人的にはちょっと「誤算」だったかなぁ。 この曲こそ、ミリオン行っても全然おかしくない・・・っておもったんだけどなぁ。





この曲、今まで書いてなかった理由が、なんとなく分かったわ。この曲、動画が落ちてないんだよね。
なんで、本当はもっと早く書くつもりだったんだけども、いままで書いて来なかったんだ。
今も、目ぼしい動画落ちてないもんなぁ。
唯一落ちてたのが、コレ。
音も画像も悪いけどさ、まあ、どうぞ・・・ってことで。。


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愛よ甦れ / 野口五郎

1978_03_愛よ甦れ_野口五郎


今回の1曲セレクトは、「愛よ甦れ」野口五郎です。

まずはデータです。

・タイトル     愛よ甦れ
・アーティスト   野口五郎
・作詞       藤公之介
・作曲       平尾昌晃
・編曲       船山基紀
・リリース日    1978年2月21日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位   9位
・売上げ枚数   15.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1978年3月13日、3月27日

えー、昨日に引き続きいての1曲セレクトです。 えー、今度いつ書くか・・っていうのもちょっと不安なんで、書ける時に書いておこうか・・と思い、連ちゃんで筆を取りましたわ。

今回セレクトしてきた曲は、野口五郎「愛を甦れ」。

この曲ねぇ、ちょっと前に目に留まって、「あ、書こう」・・・と思ってたんだけど、ちょっと間空いちゃったんだよね。その間に「ヒット期間」が進んじゃいまして、今書かないと、ヒット期間が過ぎちゃう・・・って事もありまして、昨日に引き続いて筆を取った・・・っていのうが、一番の理由かなぁ。

うん、今書いとかないと、また来年まで書けないんでねぇ・・・。

なんで、この曲が目にとまったか・・・って言うと、新御三家の一人として、長らくトップアイドルの座についていた野口五郎氏だけど、この頃からちょっとパワーダウンし始めるんだよね。

そのターニングポイントとなった曲が、実は、まさにこの曲だったりするんだよなぁ。

この曲の1曲前が、77年10月にリリースされた「風の駅」って曲。 そそそ、「ザ・ベストテン」フリークだった方には、お馴染みの曲ですな、「ザ・ベストテン」第1回の10位だった曲。 つまりは初めてあのミラーゲートをくぐって歌った曲が「風の駅」だったわけですわ。

あ、ちょっと話が本題と外れてきたね。。。  でね、この「風の駅」まで4年近く、野口五郎氏ってリリースする曲でオリコンベスト5を外してなかったんだよね。
 以前も、何かの折で書いたかもしれないけど、新御三家で一番売り上げが安定していたのは、実は野口五郎氏だったんですよ。

 この辺は、ヒット曲をリアルタイムで経験したのが78年以降なワタシにとっては、ちょっと信じがたい感覚なんだけど、昔の資料からすると事実は事実なんだよね。 個人的な感覚ではヒデキが一番売れてたような感覚があるんだけどさ。

「風の駅」にしても、オリコン最高5位、売り上げが25万枚。

で、そこから次の、この「愛よ甦れ」では、売り上げが15万枚と、いきなり10万枚近くも減。オリコン最高位も9位とベストテンギリギリまで落ちてしまう。
 ちなみに、五郎氏で売り上げ15万枚そこそこだったのは、デビュー3作目の「雨に消えた恋」以来6年ぶりだったわけなんだよね。


なぜに、いきなり売り上げが下がったのか・・・。

 この曲、野口五郎氏にしては珍しく、平尾昌晃氏なんだよな。調べてみると、シングルのA面としては、この曲が初めてなんだよね。 野口五郎氏と平尾昌晃氏の組み合わせは。 野口五郎氏というと、どうしても筒美京平氏と、そのブレーンって言うイメージが強いからさ。

で、本来ならば、新鮮味を感じるところなんだけど、どうも、この曲に関して言えば新鮮味が感じない。

やっぱり曲調なんだろうなぁ。 平尾昌晃氏って、丁度この曲がヒットしている時に、並行して自身が歌った、「カナダからの手紙」が大ヒットしてたんだけども、どうも曲調が78年って言う時代にしてみると古いんだよね。

この時点で、5年前の・・・・っていうイメージだったんだよな。 うん、どうしても70年代前半の匂いが取れないって言うかさ。ポップスではあるんだけども、より「和」の匂いがするっていうかね。 そそそ、より「歌謡曲」の匂いが強いんですよ。 
78年、時代のメインストリームはロック・ミュージックでしたからね。

歌謡曲の匂いっていうのは、ボーカル中心の曲って感じなんだよね。 ちょっと前に太田裕美さんの「雨だれ」の時も書いたんだけども、70年代前半までのヒット曲は「ボーカル中心」。でも、時代を下るごとにボーカル以外のサウンドも重要になりトータルで聴ける音楽が中心変わっていく・・・って書いんだけど℃、そう言う意味では、この曲なんかは、その流れに逆抗して行くような曲だったんだよね。そんな時代の流れどのギャップっていうのが、この曲ではモロ出ちゃったんじゃないか・・・。 そんな印象が強いんだよな。 

ちょうどこの78年の前半って、ヒット曲においては、サウンドの変化の流れがより加速して来ていた時代でしたからねぇ。

 丁度、78年の春ごろの曲って、ここの曲を聴き比べてみると、一時代前のサウンドの曲と、先端サウンド曲の差っていうのが、かなりでかいんだよね。 で、この流れに乗り切れなかったヒトたちは、ヒットのメインストリームからも置いてけぼりを食らってしまう・・・そんな流れが出てきた、ヒット曲って言う側面から見ると結構厳しい時期だったんだよね。

野口五郎氏の他にも、桜田淳子さんも、そんな時代の流れの時流に乗りきれず、人気が後退してきたヒトの一人ですね。



個人的には、この「愛よ甦れ」がヒットしていた時期は、まだ、ヒット曲の世界に足を踏み入れていない。 ほんの少し前ですね。
 だから、実は最近までこの曲、よく知らなかったんだよね。 ま、オリコンなんかで存在は知ってたけどさ、実際に聴いことは無かった。

 で、これを書くにあたって、ちょこっと掘り返して曲を聴いてみたら・・・、 うーむ、本音を言うと、 ↑で書いたように78年って言うイメージじゃないんだよなぁ。 75年って言うか・・・その位のイメージ。

 そそそ、ジュリーがフレンチポッフプスというかヨーロッパ系ノの曲をやっていた頃の・・・って言うイメージなんだよな。 うん、いわいるカンツォーネなんだよね。ひしひしと真面目に歌い上げる形式の。
そこからしてギャップなんだよね。78年っていう色合いとのギャップっていうかなぁ。

 たしかに、この曲のちょっと前に、松崎しげる氏の「愛のメモリー」っていう超絶的なカンツォーネ系の歌い上げる曲が大ヒットしてたりする。
 でも、両者のリリース間隔はたかだか半年くらいだけど、この半年の間でも時代とヒットの色合いっていうのは、大分変わってきてたしな。
 なにより、同じカンツォーネ系といっても、「愛のメモリー」の絶唱とも言える盛り上がりはインパクトの塊だったからなぁ。 この「愛よ甦れ」はそこまでのインパクトはない。 その差が大きいんだよね。
 

とはいうものの・・・これ書くのに何回もこの曲を聴いてたら、どうも引っかかっちゃうんだよな。 耳に残ってしまう。 まあ、個人的にこの手のカンツォーネ系の、いわいる「歌い上げる」タイプの曲って嫌いじゃないからさ。



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パールカラーにゆれて / 山口百恵

1976_11_パールカラーにゆれて_山口百恵
 


今回の1曲セレクトは「パールカラーにゆれて」山口百恵です。

まずはデータです。

・タイトル    パールカラーにゆれて
・アーティスト  山口百恵
・作詞      千家和也
・作曲      佐瀬寿一
・編曲      船山基紀
・リリース日   1976年9月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  47.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1976年10月4日〜12月6日付

うーむ、今日は他に「キニナル曲」も2本書いたからなぁ・・・、一体何文字書いてるんだろう? 
・・・っつうくらい、1日中パソコンの前に座っている・・・ような気がするなぁ。
さてと、もう一息ですぞ。

・・・ということで、今回の1曲セレクトはどうするべーな・・・と。。。 まあ、いつものことながら、昔のオリコンひっくり返したり、明星の歌本ひっくり返しながら、うんうん唸っていた訳なんだけど・・・。
76年のYoung Songをひっくり返してた時に目に入った曲が・・・。

「あ、これでいいや」・・・とひっぱってきた曲がこれ。。

山口百恵「パールカラーにゆれて」。

この曲は、中期の山口百恵さんの代表曲でもある、あの大ヒット曲「横須賀ストーリー」の次の曲だったりする。

なにせ、オリコンで7週連続1位っていう百恵さんの楽曲の中で、最長1位だった「横須賀ストーリー」を受けての曲。 そんな大ヒットの余熱もあって、この曲も全曲に引き続きオリコン1位を記録。

しかもですヨ、いま手元に残る当時のオリコンチャートをひも解く限りでは、「初登場」で1位になってるけど・・・。

あれ? そうだったかなぁ。。。。 なんか自信ない。。。

オリコンチャート史上、初の「初登場1位」っていうのは、76年1月の「およげ!たいやきくん」であることは、間違いないんだけど、それに次ぐ初登場1位楽曲っていうことか。。。

今でこそ、初登場1位なんて、毎週のように当たり前に起こっている現象な訳で、全く珍しくもなんともない現象だけど、41年前の76年当時は、とんでもない記録だった訳ですわ、初登場1位なんて。

当時は、チャートは、下位からジワリジワリとランクアップさせ、苦労した末にトップに立つっていうチャートアクションが常だったわけでさ。

それは、当時「スター」の地位にあった、百恵さんでさえそうだったんだよね。

それいえに、この初登場1位っていうのは「珍事」であったことは間違いないところなわけでさ。

もっと、当時のオリコンチャートの集計期間は、今とは異なっていたし、発売日もオリコンの集計期間に合わせて・・・なんてことは皆無だったから、リリース後、1日集計で下位にチャートイン、次の週にジャンプアップっていうこともままあった。

ま、その影響で一番有名なチャートアクションは、ピンク・レディーの「カメレオン・アーミー」の88位初登場⇒1位ってジャンプアップ1位獲得記録だったりするんだけどさ。

裏を返せば、この曲は、オリコンの集計期間にピッタリ嵌まったリリース日だったって事なんだろうな。

まあ、そう言うチャートアクションがなされたのも、前曲「横須賀ストーリー」の大ヒットの余熱が冷めやらぬころのリリースだったってことは、多分にあるんだけどさ。

でも、そんなノリにのっっている頃の曲としては、ちょっと売り上げがタンパクじゃないかなぁ・・・っていうところはあった。

たださ、残念ながら、この曲、実際の曲ってどんな曲なのか・・・ってずっと知らなかったんだよね、ワタシ。

76年でしょ、ワタシ、当時、まだ小学1年生で、ヒット曲聴いて無かったからなぁ・・・。

実際に聴いたのは、大人になってからでしたねぇ、たしか。 そそそ、いつかも書いたけど、92年にオリコン歴代ベスト500をカウント形式で放送していた、ニッポン放送の番組で聴いたのが最初だったかもしれない。

でねぇ、その時感じたのが、「あ、やっぱりな」って感じだったんだよね。 つまりさ、「あ、やっぱり売れそうにないや」っていう印象だったわけよ。

なんか、ちょこっと、「中華風」の、いわいる4、7抜き音階のような曲調でさ。 やすっぽいブラスとストリングスが前面に出て来ているような。。。「ザ・70年代歌謡ポップス」っていう・・・。

実はさ、当時、歌謡ポップスを全く聴いてなかった訳じゃないんだよね、ワタシ。耳にはしていた。

毛けど、それよりも「ポールモーリア」の方が好きでねぇ。 歌謡曲ってなんか安っぽく感じてたんだよな、その安っぽさっていうのが、チープなプラスとストリングスのサウンドっていうのかなぁ・・・。 ま、ともかくポールモーリアよりもグレードが下に思えたんだよね。 その辺が今一つのめりこめなかった要因かもしれない。

ま、それがいつの間にやら、のめりこみ―の、仕事にしているんだから、ワタシもかなり現金な性格なんだけどさぁ。。。

いずれにしろ、この曲は、言ってみれば「つなぎ」的な曲なんだよね。 そんな曲がオリコン1位を5週間も獲得し、47万枚も売ったっていうんだから、やっぱ、当時の百恵ちゃん人気は「ホンモノ」だったって事ですよね。

ただ47万枚も・・・ってかいたけど、チャートアクション的には、当時のチャートチャートアクションからみるとかなり淡白な動きだったんだよね。
1位からランクダウンしてからは、あっという間にランクを転げ落ちていたりする。

これはさ、この年の11月下旬に、次の「赤い衝撃」をリリースしたからに他ないんだけどさ。。 そそそ、76年リリースの曲としては「横須賀ストーリー」に次ぐヒットとなった、例の「赤いシリーズ」の主題歌ですわ。
そっちに注目が行っちゃったんだよね。 

あ、「赤い衝撃」もまだ書いてなかったんだよな。 この曲については、後日改めて書こうと思いまする。 

たださ「赤い衝撃」は、この「パールカラー〜」よりも未だに幅広く人気があるし、売り上げも上だったりするんだけど、オリコンで1位獲得には至っていない。

うーん、この辺が当時のヒットチャートの難しいところなんだよねぇ。 累積の売り上げだけでは、瞬間的ともいえる週間のランキングは必ずしも測れないってところがさ。

ま、だからこそランキングそのものに重みがあった訳だし、面白さがあったんだけどさ。



ちなみに、作曲の佐瀬寿一氏は、あの「およげ!たいやきくん」の作曲者としても有名。 佐瀬氏にとってこの年はホントに「当たり年」だったわけですわね。


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生意気 / 中山美穂

1985_11_生意気_中山美穂


今回の1曲セレクトは、「生意気」中山美穂です。

まずはデータです。

・タイトル    生意気
・アーティスト  中山美穂
・作詞      松本隆
・作曲      筒美京平
・編曲      船山基紀
・リリース日   1985年10月1日
・発売元     キング
・オリコン最高位 8位
・THE HITCHART HOT30最高位 16位

松本隆氏が今年の紫綬褒章受章というニュースが広がってますねぇ。
まあ、松本氏くらいの「実績」であれば、受賞して当然であるとは思いますけどね。むしろ、遅いくらいではないのかなぁ。
同じく70年代、80年代のヒット曲界を席巻したもう一つの2大作詞家、阿久悠氏は99年62才で受賞していたりする。ユーミン、桑田佳佑氏、中島みゆき女史は50代でしたからねぇ。
松本氏は今年68才だったそうで、それを考えるとやっぱ遅かったよね。長年の盟友である作曲家の筒美京平氏が、2003年に受賞しているけど、その時でも良かった位かもなぁ。

いずれにしても70年代、80年代の音楽界を「作って」来た方も、「国」から認められる賞を受賞する年代になって来たわけなんだよねぇ。

それをかんがえると、やっぱ、自分も年を取るわけだよなぁ・・・などと考えずにはいらなかったりして。。


・・・ということで、やっぱ、今回は松本隆氏の曲を持って来ましょうかねぇ。。。

と思って、考えてた曲があったんたけども、今リリース日を調べてみたら、もうちょっと「後」だった。。。

うーむ、「11月1日」リリースだとばっかり思ってたんだけどなぁ。。。。。「あの曲」

まあしょうがない、他にもあるさ〜・・・などと軽く思ってたんだけど、浮かんでくる曲が悉く、これまでに書いてるんだよな。。。  

で、絞り出してきた曲がこの曲。

中山美穂「生意気」。

なあ、「絞り出してきた」っていうのは大げさかもしれないけどさ、ミポリンのデビュー第2弾シングルですわな。

この曲、まだ書いてなかったんだな、ワタシ。

ま、確かに、当時から印象に薄い曲ではあった。 もちろん音源はかなり昔から持ってたし、だから知らなかった訳じゃないんだけども。。。

なんかね、知らない間に「ヌルッ」とチャートの上位に居た・・・。 そんなイメージなんだよな、個人的には。

それは、恐らく個人的な事情もあるかもなぁ・・・いや、多いにあると思う。

・・・というのもね、この曲がヒット当時・・・1985年10月から今頃にかけてだよね、 当然、毎週のようにオリコンウイークリーを買いーの、ヒット曲情報を集めていたワタシだったけど、「唯一」このころのオリコンが欠けてるんだよなぁ・・・。

なぜか・・・っちゅうと、このころオリコン手に入らなかったんだよ、個人的に。

この頃と言えば、毎週、高校があった木更津の駅前の某書店に、毎週月曜日(オリコンウイークリー発売日)になると、足しげく通ってたんだけど、85年の10月頃から、発売日当日にも関わらず売り切れになっちゃう事が多くなったんだよなぁ。置くのをやめた訳ではなく売り切れ。

それ以前からそれほど多数冊置いてあった訳ではなかったけど、この時期、ホント、手に入らないようになっちゃったんだよな。
 
原因はね、まあ、恐らくは「おニャン子」の影響だったんだろうな、きっと。 うん、絶対そう。

この当時、オリコンウイークリーでかなり扱ってたからなぁ、おニャン子。 

だからね、それまでヒットチャートなんか興味が無かった人まで買うようになっちゃったんだよオリコン。 その挙句、取り合いになっちゃったのよ。もともと入荷数少なかったから。。。
 ワタシは部活やってたからさあ、書店に行く時間も遅かったからねぇ、必然的に「帰宅部」の連中には後れをとっちゃう訳よ。。。

そんな訳で、何回涙をのんだ事か。。。

だからね、このころ、85年、10月〜12月にかけては、未だに所有欠になってる号が多いんだよなぁ。

この「生意気」って曲は、そんな個人的にオリコンの所有が「欠号」してたころリリースされたからさあ、事前の情報を得損ねたって感じだったんだよな。 

だからさ、個人的には、ホント気が付いたらリリースされてたって感じだったんだよ。

それ以前に、曲自体もそれほどインパクトが強かった訳ではないんだけどさ。 

デビュー曲の「C」のように、思わず引き込まれるようなイントロでもないし、疾走感があった訳でもない。

そもそもシンガポールを舞台にした恋愛劇っていうのも、当時の「ミポリン」からしてちょっと背伸びし過ぎって言う感じだったしなぁ。 うん、確かに大人っぽいルックスではあったけど、まだ15才だった訳だし、やっぱりリアル感が感じられないんだよね。

曲も、この頃の筒美氏としては、新鮮さを感じなかったしなぁ。 85年頃の筒美氏の曲って、いろいろ新たな事を試しているような、新鮮さを感じさせる曲が多かったんだけど、この曲にはその辺が感じられなかったしさ。

まあ、今にして思えば、次の「BE-BOP HIGH SCHOOL」への「つなぎ」的な位置づけだったんだろうけどね。




たださ、そんな「つなぎ」的な曲であったにせよ、そんな曲でもオリコンで「ベストテン」入りさせてきたのは、やっぱり大きかったんだよね。 うん、この曲がミポリンにとって、初のオリコンベストテン入り曲だったのよね。
 デビュー曲の「C」は、ベストテン入り出来なかったからさ(オリコン最高12位)。 大型新人と期待されながらもベストテン入り出来なかったからなぁ。

今思えば、「つなぎ」的なこの曲でベストテン入り出来た事で、その後の本格ブレイクの可能性が見えたわけでさ。 うん、確実にファンは付いてきてたって言う証拠にもなったしね。

もし、この曲でもコケてたら、その後のミポリンも無かったかもしれないな。


ところで、↑件の「オリコン」が売り切れ状態になった件だけどさ、あまりにも解消しないんで、この年の年末にオリコンと「定期購読」の契約をしたんだよね。 そそそ、当時1年契約で定期購読が出来たからさ。
だから、1986年からは、本屋で「売り切れ」を心配することも無くなったんだよね。


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追いかけてヨコハマ / 桜田淳子

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今回の1曲セレクトは、「追いかけてヨコハマ」桜田淳子です。

まずはデータです。

・タイトル     追いかけてヨコハマ
・アーティスト   桜田淳子
・作詞       中島みゆき
・作曲       中島みゆき
・編曲       船山基紀
・リリース日    1978年2月25日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 11位
・売上げ枚数   16.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1978年3月20日〜4月3日付

それぞれのアーティストにはターニングポイントってあるんだよなぁ。
特にビックヒットを連発していた、いわいるトップアーティストになればなるほど、そのターニングポイントっていうのは顕著になってくるんじゃないかなぁ。
あれがあったからトップアーティストにブレイクした。逆に、あれを境にヒットから遠ざかった・・って言う境ですね。

要因としては、特によく見られるのが時代との折り合いですよね。 楽曲が時代と折り合わなくなったとかさ。それと、単純にアーティストパワーが弱くなってきたっていうのかな。 まあ、この2点が複合的に絡み合うっていところが一番多いかもしれない。

ヒット曲クロニクルの時代的なターニングポイントとして、振り返ってみると、その一つとして1978年って言うのがある。
 70年代アイドル時代の終焉と、反面、ニューミュージックの台頭って言う時代の流れですね。 その中間的な役割として「ザ・ベストテン」があったもするんだけどさ。

今回は、そんな1978年がターニングポイントとなった方の曲をひとつ。

桜田淳子「追いかけてヨコハマ」。

この曲覚えてる方、いらっしゃいますかぁ〜。 いや、あの時代を知ってる方は、まだ、知ってらっしゃる方も多いかな。

この曲の前が、「しあわせ芝居」っていう中島みゆき、作詞作曲で話題になった曲。 それまで暫く「中だるみ」的な売り上げとなっていた、桜田淳子さんだけど、この「しあわせ芝居」で、再び息を吹き返した・・・という。

で、今回の「追いかけてヨコハマ」それにつづく、中島みゆきさん作詞作曲の第二弾シングルですね。

でもですね、約36.5万枚の売り上げを記録し、オリコンで3位まで行った「しあわせ芝居」に対して、この「追いかけてヨコハマ」は、売り上げ16.4万枚。オリコンではベストテン入りも逃す・・・という、トップアイドルの座について以後、初めてと言ってもいいほどの低レベルの売り上げに終わってしまう。

まあ、要するに「柳の下にドジョウは2匹」居なかった・・・って事になる訳なんだけどもね。

だけんども、なぜに、急にこれだけ売り上げが下がったのか・・・って言うのもあるんだよね。

なにせ、前作からいきなり半分以下の売り上げ。 それだけでなく、オリコンではベストテン入りも出来なかった・・・と。

ま、そこが最初に書いたような時代の流れ、時代のターニングポイントだったんじゃないか・・・そんな風に感じる訳なんだよね。

同じような傾向にあったトップアイドルが、もう一人。 そそそ野口五郎氏もそうなんだよな。

まあ、桜田淳子さんも、野口五郎氏も、オリコンは別として、「ザ・ベストテン」では、78年中はベストテン入りしてたし、野口五郎氏なんかは、78年秋に「グッドラック」のヒットで息を吹き返したように思えたんで、あの時点では、それほどのダメージは感じなかったかもしれない。

でもさ、今振り返ってみると、それ以前、数年の「全盛期」に比べると、確実に売り上げは下がってきてたからなぁ。
その傾向が富に現れたのが78年なんだよね。

特に桜田淳子さんは、この「追いかけてヨコハマ」を皮切りに、次の「リップスティスック」でぎりぎり、オリコン10位に食い込んだものの、それが「最後」のベストテン入りとなってしまう。
明らかなアーティストパワーダウン・・・そう言う傾向の時期だったんですよね。


まあ、上で再三書いたように時代の流れとアーティストパワーというのは大きな要因ではあるんだけども、曲調の変化っていうのも大きかったんじゃないかなぁ。

この「追いかけてヨコハマ」って曲。 今聴くと、ほぼ「歌謡曲」なんだよね。前年まで見られた「ポップス」的な曲調とは明らかに違う。

ま、その過渡期となった、前曲の「しあわせ芝居」もそれまでの曲調とは違った。 けど、この曲はそれまでのアイドルには無かったような曲調が新鮮だったんだよね。
 メロディラインがクラシック的でさ。 いや伝統的なクラシックというよりは、イージーリスニング的というかね。そんなメロディラインが新鮮だった。それに加えて中島みゆきさんがアイドルに曲提供したっていう話題性も加わったしね。 

でも、この「追いかけてヨコハマ」って言う曲は、おなじ中島みゆきさんの曲でも、それほど新鮮味がないんだよね。もろ歌謡曲的。
 時代は歌謡曲からニューミュージックへ・・・っていう曲調の変革期。いかにそれまで無かったような新しい楽曲が出てくるか・・・って言う期待があった中、時代を逆行して行ったかのような感じが強いんだよな、今聴いても。
そそそ、78年の曲と言うよりは、75年くらいの匂いがするんだよね。

当時、桜田淳子さんはまだ19才だったはずなんだけど、それにしては大人びた・・・いや、老けた感じの曲だよな・・・って言う印象も拭えなかったりもしてさ。

まあ、それらの要因が色々と絡み合っての売り上げだったんだろうな。

ただね、色々と書いたけど、個人的には、意外とこの曲印象に残ってたりするんだよね。 
当時、まだ、ヒット曲の世界には足を踏み入れてなかったワタシだけど、この曲は覚えてたりしたもんな。
むしろ、この曲の次の最後のオリコンベストテン入りとなった「リップスティック」の方が印象に無い。

本来なら、松本隆−筒美京平っていう、個人的に大好物路線である「リップスティック」の方が印象に残りやすそうに思えるんだけどね。

やっぱ、中島みゆきさんの曲っていうのは、時代性を超えたアクの強さっていうのがあるんだろうな。 だから、それが洋楽的だろうと、歌謡曲的だろうとアクの強さで印象に残ってしまう・・・と。

そんな所を感じさせる1曲だったりしてね。



ちなみに、この曲と全く同時期にヒットしていたのが、木之内みどりさんの「横浜いれぶん」。
奇しくも、同じ「横浜」を舞台にしたヒット曲だったしたけど、印象としては、やっぱこの「追いかけてヨコハマ」がひとつ上だったかな。

それにしても、この後も「横浜」を舞台にしたヒット曲って多いよね。
「歌謡曲」っていう音楽のイメージが、横浜と合うんだろうねぇ。
どこか異国情緒を感じる趣と、日本的な趣が交差する街って言う雰囲気が差。 
歌謡曲も、向こうの音楽の官能的な部分と、日本情緒が交差した音楽だからさ。そんな異種交流的な雰囲気がシンクロするんだろうな。


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