かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

筒美京平

スニーカーぶる〜す(別テイク) / 近藤真彦

1982_04_ふられてBANZAI_近藤真彦


今回の1曲セレクトは、「スニーカーぶる〜す」近藤真彦です。

まずはデータです。

・タイトル     スニーカーぶる〜す
・アーティスト   近藤真彦
・作詞       松本隆
・作曲       筒美京平
・編曲       戸塚修
・リリース日   1982年3月31日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 -  位
・売上げ枚数     - 万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 - 位

・・・と書いて、ちょっと待て〜〜  って普通思いますよね。 少なくとも80年代を知ってる方なら。

そもそも、まっち先生の「スニーカーぶる〜す」のリリースは「1980年12月12日」であり、↑のリリース日も違ってるじゃん。
それ以前に、なに? オリコン最高位も売り上げ枚数も 「−」になっているのは

もっと、細かい所を指摘するなら、アレンジャーが「馬飼野康二」氏ぢゃないじゃん。。。

・・・なんて、あたりがクレームが来そうな所かなぁ。。

But But 、間違ってないですから。

うん、当時の事をちょっと知ってる方なら、このタネあかしは、知ってますよね。

これは、まっち先生のデビューシングルとして、公式にリリースされたテイクとは別テイクの「スニーカーぶる〜す」のことを指している訳です。
そそそ、シングル「ふられてBANZAI」のB面に収録されているバージョンの「スニーカーぶる〜す」。

いや、正式に言えば、元々・・・というか、最初に出来あがったテイクの「スニーカーぶる〜す」は、こちらの戸塚修氏がアレンジしたテイクであり、世に出ている「スニーカーぶる〜す」は、このテイクからさらに手を加えた「後発」テイクということになる。

ちなみに、このバージョンを「スニーカーぶる〜す Part2」って言ってるヒトもいるけど、これは間違い。
「スニーカーぶる〜す」の大ヒットからの続編作って訳じゃないんだよね。

たしかにこのテイクは、歌詞も違えば、もちろんアレンジも違う。メロディはほぼ同じではあるけどメロディ進行も違うし、尺も違う。
まあ、続編⇒Part2と勘違いするしてもおかしくは無いけど・・・。

こちらのテイクの方が、尺が長い。歌詞も ♪ Buzのレコード聴いてた寒い夜明けが懐かしい〜 ♪ とか、大人っぽいし、これ生かすようなドライブがかかったアレンジは、ほとんどニューミュージックなんだよね。
少なくともアイドルのデビュー曲とは到底思えないような・・・。

ただし、音楽的にはほとんど完成された仕上がりにはなっている。 うん、まっち先生のボーカルも、「通常」の「スニーカーぶる〜す」よりも数段上手いしさ。


こんな音楽的に見てほぼ完成されたテイクを、当時のまっち先生のプロデューサーだった、小杉理宇造氏は切ったわけだ。

で、今、普通に聴かれるテイクの「スニーカーぶる〜す」に作り替えた。

今普通に聴かれる「スニーカーぶる〜す」は、当初のテイクから比べると、正直言ってダサい。 まっち先生のボーカルもシロウトっぽい。

ただ、初めのテイクに比べ、余計なフレーズが削られメロディ進行もシンプル。

当初のテイクと詞、メロディとも全く同じなのはCメロの ♪ 街角は雨 ぶるーすのようさ・・・♪ の部分のみだ。


ぢゃ、なぜ当初の音楽的に完成されたテイクを切って、「ダサい」テイクに作り替えたのか?

この辺は、ネット上で他の方も大分書かれてるけど、1981年11月号の月刊「明星」の歌本「Yong Song」の「'81 MUSIC PEOPLEインタビュー」と言う連載企画での小杉氏へのインタビューによると、

「アイドルにとって、最初からクオリティが高すぎるのは危険だから」と言ってる。

つまりさ、デビュー曲であまりにクオリティが高い所まで持って行ってしまうと、2作目以降の行き場が無くなるってことなんだよね。
駄作でいいと言う訳ではないんだけど、デビュー曲は音楽的にはある程度のところでよく、2作目以降徐々にクオリティを上げて行けばいい。

そういう考えのもと、敢えてダサいテイクに変えたって言う訳だ。



ただ、「スニーカーぶる〜す」の場合は、他にもしがらみがあった。ジャニーズ側からのとんでもなく高いハードル要請だ。

「オリコン初登場1位。 売り上げ枚数ミリオンセラー」

これが、小杉氏に求められた絶対条件だったと言う。

オリコン初登場1位。 たしかにハードルが高い条件であったものの、当時のまっち先生の人気の超沸騰度から考えれば、楽曲のクオリティどがえしでも、これはある程度は予測できたかもしれない。
その保険のために、オリコン集計期間とレコード店頭販売時期を考慮して、店着日とオリコン集計期間を最大限生かしきるために12月12日なんていう、当時の通常のリリース日ローテーションから外し、敢えて「臨発」扱いにした訳で。

しかしながら、 売り上げ枚数ミリオンセラー、 この条件は当時の「アイドル」のレコード売り上げ傾向から見ると、めっちゃ高いハードルだったわけだ。

いつかも書いたけど、1980年当時、レコードは今に比べると高価なものだったんだよね。 シングル1枚、700円。 今のCDシングルよりも安いじゃんと思われがちだけど、相対的な物価が約40年前とは違う訳で・・・。

1980年の大卒初任給の平均は11万5千円。 ここから現在の価値に変換すると、シングルレコード1枚、1250円程度となる。

しかも、当時のアイドル・・・特にまっち先生のファン層の中心は、当時の小〜中学生(つまりは我々の世代ですわな)。 小学生、中学生が、例え1250円でもシングルレコードを買うっていうのは、それ相応の「覚悟」が必要だったんだよね。

そのため、当時のレコードの購買中心層は大学生から上の世代。 

それいえに、当時、オリコンでのミリオンセラーは演歌、ニューミュージックで占められてあり、アイドルでそれまでミリオンセラーを記録していたのは、ピンク・レディーだけだ。

当時すでに伝説的なアイドルであった、山口百恵、西城秀樹、沢田研二、岩崎宏美、太田裕美・・・だれもミリオンセラーを達成していない。

つまり、アイドルでミリオンセラーを記録するのは、超至難の業。しかも、それをデビュー曲で達成させるなど、一見すると無謀なハードルだったんだよ。まさに「鬼」のジャニーズと思える条件。

ただ、ジャニーズとしては、絶対にクリアできないハードルとは思っていなかったらしい。 
・・というのも、トシちゃんのデビュー曲「哀愁でいと」の売り上げが70万枚を記録。
で、当時、まっち先生のファンレターは、トシちゃんの1.5倍はあったとのこと。 
それから考えれば、まっち先生のデビュー曲でミリオンセラーは可能であるんじゃないか。そう言う考えだったようだ。実際、70万の1.5倍って言ったら105万になるから・・・。

うむ、確かに机上の数字ではそうだ・・・。
でも、実際はそんな単純なもんじゃない。

そこで引き下がらなかったのが、小杉氏が根っからのプロデューサーだったところなんだよな。

デビューを12月にしたのも一つの作戦であったと思う。
お年玉狙いって訳ですわ。 いつものお小遣いではなく、正月、お年玉使えば700円のシングルも買いやすくなるって言う狙い。

もう一つは、楽曲を分かりやすく、より多くのヒトに刺さりやすくするっていう狙い。 これが↑で書いた最初のテイクを切ったという所につながる。

この当時、より売れる楽曲にするためには、より大衆的な音楽にするのが一番の命題だったんだよね。
「音楽的にクオリティが高い」っていうのは、2の次だったんですよ。

以前NHKで放送された、「名盤ドキュメント、井上陽水「氷の世界」」で、70年代陽水氏のプロデューサーであった多賀英典氏も、「心もよう」と「帰れない二人」、どちらをシングルのタイトル曲に切るか・・・という問題で、音楽的完成度が高い「帰りない二人」ではなく、寄り大衆的な「心もよう」をタイトルシングルに切ったと言う話をされている。

つまりは、「大衆性」というのが一番だったわけだ。

結果、それらの狙いが全て嵌まり、「スニーカーぶる〜す」は、ミリオンセラーを達成する。

奇しくも、売り上げ104.8万枚っていうのは、ジャニーズが当初考えていた、トシちやんのデビュー曲「哀愁でいと」の約1.5倍だったっていうのは、事後の結果から見ると偶然であったのか目論見通りだったのか・・・・

いずれにしろ、ジャニーズのそういうところがコワイところなんだろうし、だれも文句が言えないところなんだろうな。

逆に言えば、最初のテイクでリリースされていたら・・・・、複雑な曲進行、アイドルとしては長い曲調と言うところがネックとなり、果たしてどれだけ大衆的に刺さったのか・・というのはギモンなところだ。当然、ミリオンセラーまでは行かなかっただろう。



プロデューサー感覚。 一時流行ったコトバではあるが、今プロデューサーと呼ばれる方で、本来の意味でのプロデューサーと言える方はどのくらいいいるのだろう?
確かにセルフプロデュース的なヒトは、今や業界人に限らず一般のヒトにもたくさんいる。 プロデューサーは、1から100を生み出すヒトではある。
ただ、ビジネスにおいての真のプロデューサーはヒット作を生み出し、それによって「会社」や依頼主への利益を生み出すヒトでもあるんだよね。ココが一番難しいところなんだよ。
自分へのプロデュースは出来ても、第三者をプロデュースするってことは並大抵では出来ない。

第三者へのヒット作品を生み出すにはどうするべきなのか? 
・・と言われた時、ココまで書いたように大衆的感覚が大事な訳なんだけど、ヒット作を生み出せないプロデューサーはこの感覚が欠けてるんだと思うな。独りよがりというか・・
たしかに拘りというのは大事だけど、それがどの程度大衆的なのかというところを客観視するのも大事なんだよね。


時に、ワタシも一時、某着メロサイトでプロデューサーの真似事をしてた時期があったけど、やっぱり一番心がけてたのは、「大衆的感覚」だったな。
・・・というか、実は、今回の「スニーカーぶる〜す」の小杉氏の精神っていうのが根底にあったんだよね。

当初、業界経験者がゼロ、しかも、業界でも後発のサイトでもあったため、会員数100万人突破なんて、到底夢物語といわれた某着メロサイトが、最終的に数百万人の会員数を集められた事・・・まあ、ワタシだけの力ではなく、多くのヒトの力の結集によってなんだけど・・・・なぜ達成できたのか・・・といえば、ココを最も大事にした事に尽きる・・・と今でも思ってるなぁ。
当時、第三者からは「奇跡」とか言われてたけど、当時者としては奇跡ではなかったと思っています。





ちなみに、通常版の「スニーカーぶる〜す」は↓ コチラ
http://kajiyan-net2.blog.jp/archives/52049707.html



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時代遅れの恋人たち / 中村雅俊

1978_12_時代遅れの恋人たち_中村雅俊


今回の1曲セレクトは、「時代遅れの恋人たち」中村雅俊です。

まずはデータですよ〜

・タイトル     時代遅れの恋人たち
・アーティスト  中村雅俊
・作詞       山川啓介
・作曲       筒美京平
・編曲       大村雅朗
・リリース日   1978年11月1日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 18位
・売上げ枚数   17.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 26位
・タイアップ:日本テレビ系ドラマ「ゆうひが丘の総理大臣」主題歌

私事なんだけど、先週知り合いが主催する「イントロクイズ」参加しましてね

↓ コレなんですけど
https://peatix.com/event/455948?fbclid=IwAR21C4P1k-sIGHo0Kre4tXxvAX2PbFFDb2YAs_fNeP4annMv2jInavc0gEA

「80年代 イントロ十番勝負」   

サザン

じつは、6月に別主催のチーム戦のイントロクイズにも出たんですけど、そんとき優勝したんですよ。
で、今回もその時の優勝メンバーで出ましょうよ・・・というお誘いがありまして。。

まあ、80年代縛りなら良いかな・・・と思いーの参加したんですが・・・

結果・・・・

なんとなんと、まさかまさかで「優勝」してしまいました  

今回は総勢100名の「歌謡曲・イントロクイズ」フリークが参加・・と言う本格的なイベント。 
今回も5人1組、20組でのチーム戦だったんですけどね。 6月で一度組んだ、気心の知れた仲間でチーム組んだのが良かったのか抜群のチームワーク功を奏したのか、予選、準決勝と圧倒的な強さを発揮
でも決勝戦は崖っぷちでした。
他の組にリーチをかけられ、絶体絶命の危機から、ワタシ以外のメンバーの猛烈な追い上げで劇的逆転優勝!... 盛り上がりましたねぇ!

僕ですか・・・僕ぁ、よかったのは準決の時だけですね。決勝戦は1問も答えられませんでしたよ〜。 優勝できたのはホント僕以外のメンバーのおかげですっ

分かる問題は何問かあったけど、悉く押し負けるんだよね。まだまだ未熟なワタシデス・・・。

と言っても、ワタシ的には特段、イントロクイズ対策はやっては居ないんだよね。
あくまで、昔の曲を頻繁に聴くくらいかなぁ。

とりあえず、60年代以降のヒット曲を、ヒット順に並べた音源をウォークマンに入れてあるからさあ。 それは、通勤時の帰りにほぼ毎日のように聴いてはいるんだけどね。 そのくらいですね。

ただ、今はあんまりやってないけど、昔、小学〜中学生の頃、明星の付録の歌本(Youn Song)とか月刊・歌謡曲の楽譜を見ながら曲聴くのが好きでさあ。 
その頃は自分で音源あんまり持ってないからラジオのベストテン番組を聴きながら譜面を見る訳ですよ。
で、出来るだけ曲の最初から譜面見たいからさ、イントロが出た瞬間、当該の曲ページを猛然と探すのよ。 そんな事をやってたら自然とイントロに強くなっちゃったんだよね。
中学生の頃は「ドレミファドン」のイントロクイズも回答者より先に大体分かっちゃってたし。。。25年くらい前にアーケードゲームで対戦型のイントロクイズがあったのよ。 それでも負けたこと無かったな。

とは言うものの、あれから30年近く経ってる訳で、流石にあの時に比べると頭の回転も反射神経も悪くなってるのは自覚としてあるんからさ。 
うん、瞬間的に曲としては分かるんだけども、曲名が出てこない・・とかさ
プラス、最近はクイズとして「イントロクイズ」専門に対策を立ててる方も多いんでね。
そんなわけで、今自分がどれだけ実力があるのか・・・って言うのは全く自身が無かったんだよね。
だから、今回の優勝はホント嬉しかったわ。 もっともワタシだけの実力ではないけどさ。



・・・ということで、今回の1曲セレクト、そんな「イントロ」のまつわる曲を持って来たい・・・っちゅうことで。。。

中村雅俊「時代遅れの恋人たち」

なんで、この曲がイントロクイズと関係あるの? ・・・って感じなんだけども。

いや、実はさあ、つい昨日なんだけども、買い物行く時に、いつものようにカーステで昔の曲を聴いてたのよ。
たまたま78年の今頃のヒットの並びだったんだけども・・・。 自分で曲順を並べたんで次はどの曲・・・って分かるはずなんだけども・・・・。
この曲のイントロが出た瞬間・・「あれ?」って考えちゃったんだよね。

そそそ、曲が分かんなかったの。 自分で入れた曲なのにねぇ。。。

ま、たしかに、曲がマンネリ化してきたんで、少し前に新たに曲を足したんだけどさ、その中にこの曲が含まれていた事を忘れてたんだよなぁ・・・。

いずれにしても、イントロが出た瞬間、曲が分かんなかった事で、「未熟」とか思っちゃったりして、引っ張ってきちゃいました。。。


あー、前振りが長っ

この曲は、日本テレビ系ドラマ「ゆうひが丘の総理大臣」の主題歌でしたねぇ。 

そそそ、中村雅俊氏主演の学園ドラマっすよ。 一時、柳沢慎吾がマネしてたよなぁ。

ワタシ、このドラマ好きだったぁ。 ・・・とは言っても、本放送の時はまだ小学3〜4年だったからさ、本放送では見てない。 後年、夕方4時ごろから頻繁に再放送してたじゃん。 「太陽にほえろ!」とかと繰り返しで。
そん時だよね、見てたのは。 中学生の頃だったかなぁ・・・。

なんか羨ましかった、青春してるんで。 高校生になったらこんな青春出来るんか なんて思っちゃりして。。

まあ、実際的に、あんな生徒思いの「熱い」先生なんて、そうそうは居ない訳でさ。。。

で、この曲は、そのオープニングテーマですね。

↓ コレ


オープニングフイルムでも気がついた方も多いと思うけど、いろんな「才能」が集まっているんですよね。
ドラマ脚本の畑嶺明氏は、後にTBS系ドラマの「うちの子にがきって」「毎度おさわがせします」の脚本で大ブレイク。
劇中曲 作曲の小六禮次郎氏は、後にNHK大河ドラマのオープニングテーマや、吹奏楽のオリジナル曲作曲を手掛けるなど、今や劇番作曲の大御所ですわ。


そんな今や大御所となられた才能の若かりし頃、てがけられたドラマってわけですね。


で、肝心の主題歌の「時代遅れの恋人たち」はというと・・・

詞は山川啓介氏。 まあ、これはなんとなくわかるんですけどね。 後年、火曜サスペンス劇場の件の「聖母たちのララバイ」など、日テレ系のドラマテーマ曲の詞を何本か書いてたし。

ただ、意外だったのは、作曲が筒美京平氏なんだよね。 いや、これは全くの意外だった。
ぱっと聴き、筒美京平氏っぽくないしさ。 時代的には、大橋純子さんの「たそがれマイラブ」とか、庄野真代さんの「飛んでイスタンブール」「モンテカルロで乾杯」など一連のヒットの頃ですわ。
つまりは、あの頃の筒美氏の曲ってバタ臭かったんだよね。 この曲のように「汗飛び散る」っていう青春群像な曲のイメージは無かったからさ。

それ以上に意外だったのは、、アレンジが大村雅朗氏なんだよね。 そそそ、時期的には八神純子さんの「みずいろの雨」と同じ頃ですわ。
 つまりは、アレンジャーとして大ブレイクした、丁度そのこのろって言う訳なんだけども。。。 
だからなのか、後年、松田聖子さんや、一連のニューウェイブ系作品を手がけた80年代の、あの洗練されたイメージはまだない。
そもそも、大村氏の、こんなカントリーミュージック的なアレンジってのも、80年代の一連の大村作品からすると、想像つかないしなぁ。 ちょっと雑っぽいアレンジが初々しいっちゃ、初々しいんだけどね。
だから、近年までこの曲のアレンジが大村氏だったことは、全く気がついて無かったんだよね。

いずれにしても、ドラマのヒットもあって、この曲自体もそこそこのヒットとなりましたよね。オリコンでは最高18位ながらも、売り上げが約18万枚のスマッシュヒット。
累積の売り上げだけ見たら、瞬間的にベストテン入りしてもおかしくなかったですからね。


動画・・・どうもうまく貼れなかったんで、ようつベのサイトの直リンク
https://www.youtube.com/watch?v=_6qEYiRV8x4



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最後の一葉 / 太田裕美

1976_11_最後の一葉_太田裕美


今回の1曲セレクトは、「最後の一葉」太田裕美です。

まずはデータです。

・タイトル     最後の一葉
・アーティスト   太田裕美
・作詞       松本隆
・作曲       筒美京平
・編曲       萩田光雄
・リリース日   1976年9月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数  30.6万枚
・THE HITCHARTHOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1976年10月11日〜11月15日付

つい1ヶ月くらい前まで、「暑い〜」なんて騒いでいたように思うけど、いつの間にか季節は「冬」支度ですわな。
ウチも朝晩は「ストーブ」が欠かせくなっちゃいましたわ。 ・・・ってか、今もストーブ、ガンガン効かせた部屋でこれ、書いてるんだけど。。。

ふむ、個人的にはエアコンの暖房風がダメなんで、未だに「石油ストーブ」ですわ。 石油ストーブのちょっと灯油臭い独特の温もりがいいんだよね。 ストーブの上にやかんのせれば乾燥はバッチリ防げるし。腹減ったらモチ焼けるし、やっぱストーブは冬の万能の暖房アイテムなのです。
まあ、最近は灯油代が高いのが痛いけど・・・・。

で、こんなストーブの季節になると、やっぱ「晩秋」なイメージの曲が聴きたくなるよなぁ。 今回は、そんな晩秋な1曲を一つ。

太田裕美「最後の一葉」。

秋は「別れ」の季節。 誰が言ったか分からないけど、そういうシミジミとした季節な訳です。特に冬まぎわの、「晩秋」ともなると、一段とシミジミとした気分になるものです。

最近・・というか、特に2000年代以降は、曲に「季節感」なんぞ、とんと無くなっちゃったけど、昔は、この時期、特に10月、11月ともなると、そんなシミジミとした別れの曲・・・、まあ、端的に言えば「失恋ソング」ですわな・・・、そんな曲、多かったよなぁ。

そんな失恋ソングを聴いて、よよよよ・・・と泣き崩れる方も多かったんでしょうか。

今回のこの曲も、タイトルからして、そんな分かれを予感させるということは、すぐにお分かりになると思いますが・・。
・・・というか、この曲はO・ヘンリーの「最後の一葉」をモチーフにされた・・っていうのは、よく知られた事実ですわね。

失恋というよりも、この詞の主人公の女性は病気なんでしょうね。
もうすぐ、死にゆく運命の自分、そんな自分であるとは別れた方が彼氏にとっては幸せなんじゃないか と思い悩む自分。

そして、冬、そんな自分に生きる勇気をくれた、林檎の木の枝葉も、最後の一枚になりました・・。

そんな悲しい内容を訥々と歌い上げる太田裕美さん、渾身の1曲・・・と言えるんじゃないのかなぁ・・この曲は。

なんて、如何にもヒット当時、この曲に入れ込んだように書いてるワタシなんですが・・・。

実は、ヒット当時は、まったくこの曲の存在すら知らなかったんだよね。

・・・と言うように、今となっては殆ど、埋もれてしまっている太田裕美さんの1曲じゃないのかなぁ。

いや、その前の2曲の存在感が、あまりにも大きいんだよね、1976年の太田裕美さんは。

なんせ、2曲前が太田裕美さんの「代名詞」と言うべき存在の「木綿のハンカチーフ」であり、次が「赤いハイヒール」ですからねぇ。  それを受けてのこの曲。

曲調としても、ポップな1曲ではない、ミディアムバラード。 どうしても存在感的としては、前2曲には勝てなかったわけです。

それは、チャートアクションにも如実に出て、前2曲がオリコンで連続最高2位だったのに、この曲では5位止まり。 売り上げも前曲「赤いハイヒール」の48.7万枚から、この曲では30.6万枚に落ちてしまっている。

30万枚売れれば大ヒットと言われた時代、それでも30万枚オーバーとしているということは、当時の太田裕美さんの人気を証明している訳なんだけども、チャートアクション的にはベストテン内には1カ月ほどしか留まれなかったし、だから、売り上げも急激に落ちたしね。

その辺りの最大の理由としては、この曲の存在感って言うのが大きかったんだろうね。


ちなみに、この曲は1976年9月リリース。 当時の感覚から言えばリリース時期として、ある意味「賞取り」用の曲とも言えたんですよね。 例えば、秀樹のこの年1976年の賞レース用の曲は、やっぱり9月リリースの「若き獅子たち」であったように。

そういう風潮もあって、太田裕美さんも、この年の賞取りレースは、この「最後の一葉」で行くものと思っていたらしい。 まあ、「木綿のハンカチーフ」は確かにヒットは76年だけど、リリースは前年の75年暮れって事もあり、「木綿〜」は前年の曲・・・って言う意識もあったようで・・・。

なので、どうも、今一つ76年の賞取りレースのノミネート曲も、紅白も「木綿のハンカチーフ」であることに納得がいかなかったらしく、だから、せめてもの反抗として、衣装は、この「最後の一葉」の衣装で出演したようですね。


たださ、あくまで、楽曲としての存在感の話であって、だから「駄作」であるのかと言うと、そうじゃない。

楽曲的には、デビュー曲の「雨だれ」の続編のようなイメージですね。 ショパンのエチュードを彷彿させるような美しくソフトなメロディラインとピアノ。

レコードでは、羽田健太郎氏が弾いていたようだけど、テレビでは、太田裕美さん自身が弾いてましたよね。
でも、「雨だれ」はそうでもなかったようでずか、この「最後の一葉」のピアノは相当難しかったらしく、かなり練習したとか。

・・・というか、本来がギターが本職で、ピアノを弾いた事が無かった萩田氏が、このピアノアレンジをしたっていうのが、スゴイんだけど。。。

でさ、アイドル曲の変遷を年代を下って聴いてると、この辺り(1975後半〜1976年)を境にサウンドが変わって行く事に気がつくんだよね。

なんていうのかなぁ、歌詞で言えば七五調の脱却、メロディラインでいえば四七調の脱却ってやつですよね。
いわい。それまでの「歌謡曲」臭からの脱却っていうのかなぁ。

より洋楽的・・とくに70年代中盤あたりは、ヨーロッパ系の匂いですよね、それにより近くなってきたような印象が強い。 特にサウンド面・・・実際の音質だよね、それはこの頃が劇的に変わったような印象が強いなぁ。

まあ、実際の録音面で、それまでの8チャンネルから16チャンネル、さらに24チャンネルへ・・・と日々進化して行ったのも大きいだろうけど。

特に、この「最後の一葉」あたりを聴くと、そんな印象があるなぁ。

もっともCBSソニーは、それ以前から音質面は、他のいわいる「老舗」メーカーに比べると良かったけど。。


それにしても、このピアノっていうアイテムは太田裕美さんの存在をワンランクグレードアップさせていたよなぁ。当時、ピアノを弾きながら歌う・・っちゅう、いわいるシンガーソングライタータイプの「アイドル」って居なかったから。

いや、正直、アイドルって言う範疇に入れてもいいんだろうか・・・なんて悩むんだよね。 かといってシンガーソングライターって言う訳じゃ無いしさ。

いずれにしても、ピアノが弾ける、清楚でかわいらしいお姉さんタイプの太田裕美さんって好きだったんだよなぁ、ワタシ。

キャンディーズも好きだったし・・。  

うーむ当時はナベプロ派だった・・・って言えるかもしれないな。


蛇足だけど、萩田氏は太田裕美さんをモチーフに、後年、南野陽子さんのアレンジを施したんじゃ無いのかなぁ。
その辺、自身の著書「ヒット曲の料理人」には記されていないけど、ヨーロッパ系の清楚なお嬢様タイプの曲調は、太田裕美さんの、この「最後の一葉」や「雨だれ」あたりが下敷きになってるんじゃないかな・・・なんて思えますねぇ。
特に、ナンノさんの「秋のIndication」とか「秋からもそばにいて」辺りを聴いてるとさ。。




この動画の番組、TBSの「トップスターショー〜歌ある限り〜」じゃ無いのかなぁ。
あの「ザ・ベストテン」の前番組。 ベストテンと同じく、木曜21時〜21時55分で放送してた。

いつも思うんだけど、よくVTR残してた方いらっしゃいますよねぇ。 1976年当時、もちろん、既に家庭用ビデオデッキはあったけど、ビデオテープはかなり高価だったはず。 よく取ってた方がいらっしゃるなぁ。普通は、上から被せちゃって残ってないですよ。
ホント、残してた方に感謝



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モンテカルロで乾杯 / 庄野真代

1978_09_モンテカルロで乾杯_庄野真代


今回の1曲セレクトは、「モンテカルロで乾杯」庄野真代です。

まずはデータです。

・タイトル     モンテカルロで乾杯
・アーティスト   庄野真代
・作詞       ちあき哲也
・作曲       筒美京平
・編曲       筒美京平
・リリース日    1978年7月10日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数   31.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1978年8月28日〜9月25日付

昨日も「暑ーね」ってことで、森口さんの「恋はタヒチでアレアレア」なんて引っ張ってきたんだけども、あれは、自分の中では「前座」のつもりだったのね。
で、本来ひっぱって来たかった曲が、別にあって本当は昨日2曲書くつもりだったんだけども・・・。萎えた。

うーむ、最近はダメっすねぇ、1日2曲書くのかなりキツイですわ〜。 以前は湯水のごとく文章が浮かんできてたんだけども、最近は結構、考えながらじゃ無いと文章浮かんでこないんだよな。うん、昔は「右脳」でかいてたけど、今は「左脳」で書いてるようで。。。だからねぇ、疲れるのよね。 ワタシ、考える力が無いんで・・・。

ま、愚痴はこの辺にしといて、本来引っ張ってきたかった曲。

庄野真代「モンテカルロで乾杯」

そそそ、庄野さんのブレイク曲「飛んでイスタンブール」の次なんだけども、連続で大ヒットした曲ですわ。

タイミングが良かったんだよね。 ・・・というか「飛んでイスタンブール」がロングヒットだったんだけどもね。
「〜イスタンブール」は、リリースがこの年の4月1日だったわけだけども、 得てしてブレイクには時間がかかるってことで、ベストテン入りするまで3カ月かかってましたからねぇ。

ベストテン入りまで3カ月かかったってことは、この「モンテカルロで乾杯」がリリースされた頃に、「〜イスタンブール」がベストテン入りした訳なんですわ。

まあ、そんなヒットタイミングだったことで、「〜イスタンブール」のヒットが落ち着いてきた頃に、入れ替えでこの曲がベストテン入りしてきた・・・。

っつうことで、見た目には、まさに「連続ヒット」っていう形になった訳なんだよね。

ま、いずれにしても、庄野さんにとっては、78年の夏っていうのは「大当たり」だったわけだよね。


個人的にも、もちろん「〜イスタンブール」も、ヒット当時から知ってはいた。 けど、なぜか、この「モンテカルロで乾杯」の方が記憶が深いんだよな。

・・というか、長い事音源持って無かったんで、正直言うとずっと忘れてたんだよね、この曲。
でも、いつだったか、おそらくラジオで流れてるのを聴いて、めっちゃ、懐かしい気分になったのを覚えてるなぁ。

まあ、この曲がヒットしてた頃が、ワタシがヒット曲に足を踏み入れた頃の原点って言うこともあるかもしれない。

でも、それ以上に、記憶の奥深くに留まっていたものがあるような気がするんだよなぁ。

恐らくね、当時、この曲を聴いて、その曲調に刺さったんだろうなぁ。 

なんていうんだろうねぇ、なかなかコトバで表すのが難しいんだけど、筒美京平氏独特のバタ臭さっちのうかなぁ、筒美氏ならではのグルーヴ感、独特の温度感なんだよな。 夏場に聴くとかなり湿度が高いよな・・・っていうウェット感。 そうそうそう、常磐ハワイアンセンターの内部の、あの独特のジメッとした湿度感。 それなんだよ。

1曲前の「飛んでイスタンブール」との違いは、そこなんだろうなぁ。 うん、「〜イスタンブール」のアレンジは、船山基紀氏でしたからね。
 ここまでウェットじゃないんだよね。 カラッとしてる。 まあ、そこが地中海性気候の「イスタンブール」っていう地名にフィットしてるんだけどさ。

でも、この独特の湿度感が、意外と日本の夏場のフィットするんだよな。 サウンド的にはバタ臭いんだけども、日本の夏場特有のウェットな感覚もあるっちゅうかさ。

そそそ、同時期に同じような感覚になった曲が、もう1曲。 大橋純子さんの「たそがれマイラブ」。この曲も、筒美京平氏だったじゃん。
しかも、アレンジも筒美氏っていうのがミソなんだよね。

この独特のウェット感は、どこから来るんだろう・・・って思うけど、きっと楽器の使い方が独特なんだよね、筒美氏自身のアレンジって。特に弦楽器の使い方がおおよそ「歌謡曲」って言う感じじゃ無いんだよね。オーケストラに近いっちゅうかさ。

まあ、77〜78年頃の筒美氏は、一方ではフィラデルフィアサウンドに傾倒して居たりね かと思えば一方では、ポールモーリアに傾倒して居たり・・って感じでしたからね。
 ただ、いずれにしてもストリングスの使い方に特徴があった訳でさ、そんな影響も、この辺の曲には出て来てるんだろうな・・・と思うわけでさ。

でも、だからこそ、個人的には刺さったともいえるんだよね。 っちゅうのも、ここでも何度も書いてるけど、当時のワタシャ、ポールモーリアに超ハマリの、マセガキだったからさあ。この曲のようなサウンドには、親和性があったんだよね。

まあ、そういうところが記憶の奥底に未だに深く刺さっているんだろうなぁ。


ところでさ、インタンブールの時もそうだったけど、モンテカルロってのも、一体どこにあるねん・・・なんて、調べたりしませんでした

ワタシは調べたなぁ。 当時はインターネットなんてもちろん無かったし、頼りは、ウチにあったでっかい地球儀。
うん、小学校に入学する時、勉強机は近所の兄ちゃんのお下がりをもらってきたくせに、なぜか地球儀はめっちゃデカイのを買ったのよ。 それで、調べたの覚えてるわぁ。

ちなみに、モンテカルロも、インタンブールと同じく地中海に面してるんだよね。 
・・・ということは、地中海性気候であり、この曲のようなウェットな感じじゃないんだけどなぁ・・・・。

・・・なんて今になって思ったりして。。。






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夏のクラクション / 稲垣潤一

1983_08_夏のクラクション_稲垣潤一


今回の1曲セレクトは、「夏のクラクション」稲垣潤一です。

まずはデータです。

・タイトル     夏のクラクション
・アーティスト      稲垣潤一
・作詞       売野雅勇
・作曲       筒美京平
・編曲       井上鑑
・リリース日    1983年7月21日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位 25位
・売上げ枚数   8.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 27位

個人的な「夏のイベント」が終わっちゃったなぁ・・・。そう、「ROCK IN JAPAN」っすね。
毎回参戦する度に終演後、「ああ、終わっちゃったなぁ」って言う脱力感に襲われたりするんだけど、今回は大トリのサザンがめっちゃ凄かったからさあ、例年以上に脱力感がきたりしてね。

今は、夏の終わり・・・

そんな気分ですね。

今回は、そんな「夏の終わり」を感ずる1曲を一つ。

稲垣潤一「夏のクラクション」

夏の終わりを彷彿させる曲は、多々あるけど、個人的には、この曲もその一つだなぁ。

1983年の夏の終わり間近。 当時、ワタシは中2。 自由だった、あの夏。

この曲を聴くと、決まってあの夏の光景が夢想される。 自由だった、あの夏・・・って↑では書いちゃったけど、実際、自由だったのは2週間ぐらいだったんだけどさ。 

うん、部活やってたからなぁ。、吹奏楽部。 ワタシが通っていた中学校は夏のコンクールは出てなかったものの、毎年9月に定演(定期演奏会)をやってたんで、全く練習が無い日は夏休み中でもそんなに無かった。

それでもお盆前後の2週間位、部活も休みがあった。 それだけでも、とてつもなく自由を感じた夏の終わり近くだった夏休み。

8月の午後の白い光、乾いた空気、独特の夏の匂い。 その下で描いてた夏休みの宿題の風景画。 

そんな光景がフラッシュバックする。

不思議なもので、夏休みのカラーって、7月と、8月ではガラッと変わる。 7月はもっと色が夏色でももっと色が濃いイメージ。 でも、8月に入った途端、そのカラーが白っぽく感じるんですよ。

そうだなぁ、1日に例えると、7月は午前中の日差し。 8月は午後の白っぽい日差し・・・そんなイメージかな。

この曲は、後者なんだよね、午後の陽ざしを感じるんだよね。 まあ、実際ヒットのピークは、今頃8月の中旬過ぎだったわけで、ヒットの時期的にそう言うイメージが強かったんだろう。


個人的に、この曲好きだったんだよな。 ↑のデータのように、必ずしも大ヒットした訳でもない。いわいるスマッシュヒットで終わった曲なんだけど・・・。

シャレてたんだよね。 それまでのニューミュージックとは、ちょっと違った空気感。 うーむ、今一ついいコトバが出てこないんでまどろっこしいんだけど・・・。

いや、確実に、前年の1982年までには感じられなかった、カラッと乾いた空気感っていうのかなぁ・・・。

そうそう、例えば、扇風機で暑さをしのいだ1982年、それに対して、クーラーの中で過ごす1983年・・・っていう違いかなぁ。

つまりさ、1982年の夏の曲って、めっちゃ湿気感があったんだよね。そそそ、熱帯感っちゅうのかなぁ。 まあ、実際、82年の夏は「長雨と冷夏」だったんだけとも、ヒット曲のイメージね。

対して83年夏、特にニューミュージック界に於いては、カラッとした空気感の曲が多かった。 そう感じたのは、この曲のイメージが大きかったから・・・って言っても過言じゃないんじゃないかなぁ。

中流階級志向。 これは70年代にユーミンが言った言葉だけど、このコトバに現実味があらわてきたのが83年頃だったと思う。 
まだバブルな時代ではなかったけど、確実に生活のステータスは上がったよね・・・って実感できた頃って言うのかなぁ。
そんな時代感覚に間髪をいれず、ヒット曲にも変化があったんだよね。 いわいるシティポップス的なオシャレ感覚な音への変化、それが83年だったんだよね。

いや、個人的にはそう感じてたりするんだよな。

兎も角、70年代の残像が完全に払拭され、完全に80年代のカラーに移行された年、それが83年だったんですよ。

まあ、それとなんと言っても、ワタシは中2だったからさあ。 いわいる「中2病」って言われる年代だったじゃん。大人っぽく背伸びしてみたい年頃でもあったんだよな。
 本当に意味が分かってんだか分かってないんだか、この曲シャレてんじゃん・・・なんて、リリース早々、シングル買っちゃったりしたもんなぁ。 



この曲と言ったら、 ♪ 夏のおうおうお〜 ♪っちゅうサビの譜割りだったするんだろうな。やっぱり、このメロディラインはどうしても耳に行っちゃったりするもんね。

一見、歌詞とメロディがシンクロしてないんじゃん・・・なんても思えたりするけど、そうじゃない。やっぱりこのメロディラインありきだったんだろうなと思えるもんね。

ただ個人的には、ここもそうだけど、 この後の ♪ ベイビィ もう一度〜 ♪ の ♪ ベイビィ〜 もう一度〜 ♪から ♪ In my Heart〜 ♪ のメロディラインに、ピンと来ちゃったんだよな。 なんて事無い譜割りだし、コトバなんだけどセクシィなんだよね。 
このフレーズだけで、シングル買っちゃった・・と言っても過言じゃ無かったりして・・・。

ちなみに、さっき、ラジオ日本の「続きの続き」で、売野氏が出演されていて、この曲について言及してたけど、この曲のモチーフは、湘南の国道134号沿いだとか。

出だしの ♪ 海沿いのカーブを きみの白いクーペ〜 ♪ って部分だよね、モロ。

ああ、やっぱりそうなのか・・・。 ナットク。

このオシャレな感覚は、やっぱりあのあたりのイメージだよなぁ。 
チバにも、例えば内房沿いの127号にも海沿いのカーブはあるけど、 チバの海じゃ、こうオシャレにはならんもんなぁ。。。

そもそもチバの海に「白いクーペ」なんてアイテムはねぇ・・・・。 なんて書いたら元も子もないが・・・千葉県人のワタシとしては。。。



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元気なブロークン・ハート / C-C-B

1986_05_元気なブロークンハート_C-C-B


今回の1曲セレクトは、「元気なブロークン・ハート」C-C-Bです。

まずはデータなのら。

・タイトル    元気なブロークン・ハート
・アーティスト  C-C-B 
・作詞      松本隆
・作曲      筒美京平
・編曲      大谷和夫、C-C-B
・リリース日   1986年4月9日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数 17.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1986年4月21日〜5月26日付

えー、ここのところのいつものごとく・・・。久っさしぶりーの、1曲セレクトどぇす。。
まあ、ここ10年ばかし毎年の事なんだけども4月は「生業」の繁忙期でもあり、いつものごとく忙しっちゃ、忙しかった訳なんだけどもね。ゴールデンウイーク直前にも、「予期せぬ」程の仕事量が舞い込んで来まして、ゴールデンウイーク前半は、3日間とも家で「持ちかえり」の仕事をこなす・・・という。。。

うん、全部、古巣の某D社が悪い・・・。 なぞと、他人のせいにしたりする。。。やつあたり

 ゴールデンウイーク後半は仕事なし。 と言っても、本当は仕事残ってるんだけども4連休の間は会社の・・というか某Jさんのデータベースが止まってるんで仕事が出来ず・・・ってところの「仕事なし」なんだけどさ。

まあ、そんな訳で、ひっさびさに「1曲セレクト」を書いてたりしまする。

さてさて、久々に書く今回も「80年代」の曲を持って来たい・・・。とは思っていたものの、いつものごとくなかなか曲が浮かばない。
 いや、ホント、もうね80年代のヒット曲って、書いてない曲、あんまり残ってないのよ。・・・といつものごとく昔のオリコン引っ張りだして、あーでもないこーでもない、とやっていたら、ありましたわ、まだ書いてない曲が・・・。

しかもベストテンヒットやないの

C-C-B 「元気なブロークン・ハート」。

C-C-Bかぁ、かなり久々に書くような気がするけど、この曲はねぇ、うーむ、正直、忘れてました。。 
とは言わないものの、当時、あんまり引っかからなかったのよね。なので、ずっと自分の中でも「死角」の中にあった・・って感じなんだよな。

件の「Romanticかとまらない」で大ブレイクから、前曲の「空想KISS」までは、当時レコード買ってたんだけどさ、この曲から買わなかったんだよ。 それ以後ずーーっと、約30年、この曲の音源が手元になかったっていうのも死角に入った一因ではあるんだけどさ。

なぜ、当時、このシングルから買わなくなってたんだろう

まあ、簡単に言えば上で書いたように引っかからなかったんだけど。。。どうもね、新鮮味を感じなかったって言うのもあるんだろうな。

当時C-C-Bって、チェッカーズの2番煎じだの、所詮はアイドルバンドだのって言う見方をされていたところもあるけど、個人的には好きだった。

確かに元々コーラスグループであった割りにはコーラスは上手くなかったし、演奏力よりも、あの強烈な変色ヘアーっていうビジュアルで売っていたところも強かったしな。

それでも、テクノ寄りのバンドとしては、キャッチーだし、なによりめっちゃ分かりやすい曲調だったからねぇ。
そんな点になぜか新鮮味を感じてたところもある。

でもねぇこの曲はねぇ、前曲の「空想KISS」まで感じていた、そんな新鮮味が感じられなかったんだよな。
それは、ビジュアルとして↑の「ジャケ写」でも分かるように、突飛押しも無いようなあのカラーヘアをやめ、全員「黒髪」に戻したってところもそんな要因の一つではあった。

うん、なんかさ、カラーヘアから黒髪に戻したら、まったく普通のジミーな「あんちゃん」集団になっちゃったって感じだったし。。。

でもまあ、それ以前にこの曲の曲調ですねぇ。
リュウ氏のドラムがシモンズ(あの「ビシバシ」ってる電子ドラム)から、通常のドラムセットに変わったってところからも分かるように、テクノ歌謡から、普通のロックベースの歌謡ポップス風に変わったってところがねぇ、どうも個人的にはいただけなかったんだよなぁ。

 あの頃はさ、アイドル全盛期ではあったけど、一方ではバンド系でいえばいわいるニューウエーブ系の台頭もあったわけでさ、間がいなりにも時代は先へ進んでいるような印象は強かった。

そこに来て、時代を逆行したようなこの曲だったんでね、一層新鮮味を感じなかったんだろうな。

いつもは、どこかしらに「ココ」って言うポイントがある筒美氏のメロディラインも、どうも垢抜けない。
この曲を聴いてて浮かんでくる絵ヅラっていうのが、筒美氏自らアレンジも行っていた70年代の〜っていう感じなんだよね。86年当時から見てもアナクロなのよ。

それまでC-C-Bに新しい風を吹き込んできていた筒美氏も、この曲以後は、どこか試行錯誤的なところに陥っちゃったかなぁ、なんて感じちゃったりするんだよな、C-C-Bに対しては。

その辺はもっと端的に感じる別なシングル曲があるんで、またいずれ書こうと思うけど。。。


でもさ、その辺の曲想・・というか空気の変化っていうのは、聴いてるコチラも敏感に感じるもんなんだろうねぇ。

それまでC-C-Bのシングルってランク上位に比較的留まる傾向にあったんだけど、この曲から、いわいる「初動」型に変わっていくんだよね。
つまりさ固定ファンしかレコード買わなくなってくる傾向。 その分売り上げ枚数も減って来る。 前曲「空想KISS」の25.6万枚に対して、この曲では17.3万枚と20万枚割れ。以後20万枚を超えるヒットって出なかったんだよね。

ま、この頃からCDへの移行が顕著になってきてアナログシングルは売れなくなってきている傾向が強くなっては来ていたけどさ。それを差し引いても、それまでのシングルのように、いわいる浮動票は巻き込まなくなって来ていたことは確かなんだよね。

今考えると、ここがこのヒトたちの「人気」の分岐点だった事は間違いないんだけど、併せてグループとしての方向性もちょっと見失ってくるような分岐点だったのかもしれないな。
そう言う意味では、この曲がこのヒトたちにとっての「終わりの始まり」だったのかもなぁ。



ぷぷぷぷぷ・・・ようつべで直リンがブロックされてる。。。。。
動画見たい方は、お手数だけど、直接ようつべに飛んで見てね。


・・・黒髪で、ぶち眼鏡をかけたベースの渡辺英樹氏とドラムのリュウ氏が瓜二つやん。 
初め、この動画のサムネイルを見た時は、リュウかと思ったもの。

しかし、そんな英樹氏も、若くして鬼籍に入られてしまいました。 その後「クスリ」で捕まったキーボードの田口氏を草葉の陰からどう思ったんでしょうねぇ。

このヒトたちも永遠にオリジナルメンバーでの再結成が出来ない、80年代の超人気グループとなってしまいましたね。その辺も「チェッカーズ」と同じなんだよな。数奇の運命とでもいいましょうか。


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雨だれ / 太田裕美

1975_03_雨だれ_太田裕美


今回の1曲セレクトは、「雨だれ」太田裕美です。

まずはデータです。

・タイトル    雨だれ
・アーティスト  太田裕美
・作詞      松本隆
・作曲      筒美京平
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1974年11月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数  18.1万枚


またまたお久しぶりーな、1曲セレクトどぇす。
もうね、こんな書きだしのマクラが定番になっちゃいましたね、最近は。
相変わらず、書こう書こうと思ってなかなか筆が上がらない自分だったりしてなぁ・・・。

ここ暫くは「時代の転換点」な曲って言う感じで曲をセレクトしてきたりしてるけど、今回の曲も、そんなヒット曲の転換点な時代の1曲って言えるのかなぁ。

太田裕美「雨だれ」

そそそ、太田裕美さんの「デビュー曲」ですね。 リリースは1974年(昭和49年)11月っていうから、ワタシャ5才。
当然、リアルタイムではないよなぁ、この曲は。

でも、11月リリースなのに、なんで今頃書いてるの? とも思う方もいらっしゃるかなぁ。うん、この「1曲セレクト」は原則、「ヒットしていた時期」に書いてるからさ。
But But、ご安心あれ、この曲のヒットのピークは、1975年の丁度今頃なんですねぇ。(オリコン最高位14位を記録したのは、1975年3月3日付)。なので、リリースからヒットのピークまでは4カ月要した、いわばロングヒットでもあるんだよね。

ただ、ワタシらの世代と、太田裕美さんっていうと、どうしても次の年の「木綿のハンカチーフ」だったりするんだけどさ。。
いや、恐らくこれ読んでいただいている多くの方が、そうじゃないのかなぁ。

個人的にも、後年、時代を遡ってこの曲を聴いた訳なんだよね。

で、ちょっと迷ったのが、果たしてこの曲は、単純に「アイドルポップス」っていうカテゴリーに入れていいのだろうか・・って事なんだよなぁ。

たしかにこの曲では太田裕美さん本人がピアノの弾き語りで歌っていたこともあった。 そのスタイルからしてアイドルポップスって言う範疇では無かったように感じたところも大きい。

けどさ、それ以上に、甘美なピアノのイントロから始まるこの曲は、やっぱりアイドルポップス・・・って言うイメージじゃないんだよねぇ。どちらかと言えば、当時、広がりを見せつつあったニューミュージックの世界観に近い。
あ、これは、その時点までの一連のアイドルポップスと比べると・・・と言う事だけど。

「雨だれ」っていうとショパンのプレリュードを思い浮かべる方もいらっしゃるかと思うけど、そんな世界観を想像してしまうようなイントロのピアノの旋律は、流石は萩田光雄氏のアレンジだよなとは思わずにいられなかったりしてさ。

それまでの70年代アイドルポップス・・・いや、アイドルポップスに限らず、いわいるヒット歌謡って言う部類の曲、全般的にですね、どちらかと言えばメロディライン優先で、バックのサウンドは添え物って言うところがあった。 まあ、大まかに見るとよ。

でも、この曲あたりから、メロディラインだけではなく、バックのサウンドのクオリティも上がってきているんだよね。トータル的に音楽を感じるられる曲って言うのかなぁ

それは日本独自の流れというよりは、ヨーロッパを初め世界的にそんな流れになってきては居たんだけどね、当時は。
リズム重視というよりもサウンド重視っていうのかなぁ。そんな流れに日本のポップスも追いつきつつあった。

この曲はそんな流れの象徴の一つなんじゃないかなぁ・・・なんて思ったりするんですよね。

そんな世界的な流れのトレンドにいち早く移行したのが、後のニューミュージック勢の方たちであり、歌謡ポップスでは筒美京平氏なんじゃないのかなぁ。

筒美氏一人で・・というよりもそれを支えたブレーン達の才能って言うのもあるんだろうけどね。そのトップバッターだったのが、この曲のアレンジをした萩田光雄氏ですよね。

まあ、丁度ヨーロッパ・・特にクラシックの流れを汲んだような曲調のフレンチポップスが流行っていたって言うのも追い風だったのかもしれない。
以前も何回か書いたような気がするけど、フレンチポップスと日本の土着的なメロディって相性が良いからさあ。

なんで相性がいいのか・・・正確では無いかもしれないけどさ、日本の方言、特に東北地方の方言ってフランス語的って言われてるじゃん。
寒くてあんまりはっきりとしゃベれないんで、ボソボソっとした発音と省略語が多いところがフランス語の発音に似てるってさ。

そんなフランス語に似てる発音で歌われる民謡・・・これってやっぱりフレンチ的になるんじゃないのかなぁ・・・なんて思う訳なんだよね、個人的には。

ゆえに、フレンチソングと日本の土着的な音楽って相性がいいのも、ある意味必然的なんじゃないのかな・・・なんて勝手に思ってたりするんだけどさ。

ま、蛇足と言う事で・・・

あ〜、話が脱線した。。。。元に戻す。

それらの「いいところどり」・・っていうかさ、上手い具合に融合し発展し始めたのがこの頃の曲だと思うし、その1曲が、この「雨だれ」なんじゃないのかなぁ・・・なんて思ったりするんだよね。

筒美氏もこの曲に関しては、納得する出来だったのかもしれない。 何年か前にNHK BSの「筒美京平」ご本人が出演された特集の最後に、筒美氏本人がピアノ弾き語りで演奏した曲がこの曲だったわけだから。

ヒット曲は、納品した瞬間から自分の手を離れるって自ら語っていた本人なわけだから、その本人が自ら弾き語りで選んだ曲っていうことは、それほど納得が行って愛着を持っている曲なんじゃないのかなぁ。

そう言う意味でも印象的な曲なんだよね、この曲は。

まあ、売り上げ的には大ヒットと呼べるほどではないんだけどさ。




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バラードのように眠れ / 少年隊

  1986_12_バラードのように眠れ_少年隊


今回の1曲セレクトは「バラードのように眠れ」少年隊です。

まずはデータです。

・タイトル    バラードのように眠れ
・アーティスト  少年隊
・作詞      松本隆
・作曲      筒美京平
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1986年11月28日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 23.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1986年12月8日〜1987年2月16日付

いつもの事だけど、ここにたどり着くまでが長いんだよなぁ・・・

・・・なんて、これじゃ意味分かんないですよねぇ 

いやいや、この1曲セレクトの文章を書き出すまでが長い・・・って事なんですけどね。

頭では、いつも「あー、書かなきゃ書かなきゃ〜」って思ってるんだけども、なかなかPCに向かえない。別に後でもいいのにゴミ捨てに行っちゃったり、時にはドライブに出かけちゃったり、買い物に行っちゃったり・・・
そうじゃなくても、いざPCに向かって「よし、書こう」と思っても、他のサイトが気になっちゃったりして、気が付いたら2時間〜・・・とかさあ。。。

まあ、今に始まった事じゃないんだけどね。昔からそう。お尻に火が付かないと全く動かないタイプ。物事を計画的に進められないタイプ。
夏休みの宿題は最後の1日で・・・いや、最後は面倒になってやらないで明日廊下に座らせられればいいや・・・なんて開き直るタイプ。

ただ一旦尻に火がつくと、物事を進めるのは、めっちゃ早い。自分でも制御できなくなったりしてさ。。。早すぎ途中の過程をすっとばす事も多いけど。。
ここもね、一旦書き始めると30分もあれば書いちゃうんだけどねぇ。
その代わり、以前からここ読んでくださってる方は大かた気が付いてると思うけど、ワタシ「誤字脱字」が多いのよ。   書き始めると、かっとばして書くからなぁ。。。

でも、なっかなか尻に火が付かないんだけどね。

サラリーマンとして、否、社会人として出世できないタイプですな  


あー、訳の分かんない「マクラ」になっちまった。。。

少年隊の「バラードのように眠れ」でしたねぇ〜。。

ちょっと前に別の曲を書いた時に、リリース日を間違えて覚えてた・・・ってことで、書く曲を差し替えた事があったんだけども、そん時元々書こうと思ってた曲が、実はこの「バラードのように眠れ」だったんだよね。

いや、つい最近まで、この曲86年の「11月1日」リリースだった・・・ような気がしてたんだよなぁ。。。。「11月28日」だったか。。。

ということで、今まで書くの先延ばしにしてたんだけど、ヒット時期にも合ってきたんで「満を持して」引っ張って来ましたわ。

うー、「満を持して」っていうのは、ちょっと大げさか。 なんせこれまで1500曲ほど書いてきたのに、まだ書いてなかった曲だからなぁ。
忘れてた訳じゃないんだけど、今一つとっかかりが難しくて書けないでいた曲って感じなんだよね、この曲。


この曲、少年隊としては、デビュー第4弾シングル。 結成以来5年待って満を持してレコードデビューした「少年隊」。ま、デビューシングル「仮面舞踏会」は、その期待を裏切らないヒットとなった訳だけど、その後が今一つだったんだよねぇ。

この「バラードのように眠れ」の前の「ダイヤモンド・アイズ」なんて、オリコン1位を獲得したものの、「あっという間」にヒットチャートから転げ落ち・・・。
いや、この曲のチャートの転げ落ち方には、逆な意味で「意表」を突かれたんだけどさ。 
たしかにね、曲自体、よく分かんない曲だったんだけどね。 これで大ヒットはない・・・よな・・・って言う感じで。

そんなわけでね、「少年隊」は意外と短命かも・・・なんて個人的には思いつつあったときに、この「バラードのように眠れ」がリリースされた訳ですわ。

前曲が前曲だっただけに、ある意味、少年隊にとっての「勝負曲」だったわけですわね。

でもまあ、そこは作詞 松本隆、 作曲 筒美京平、編曲 馬飼野康二  80年代ポップスに於いての超黄金トリオですわ。 この3人で「駄作」の訳が無いですよ。

この曲を皮切りに、次の「Stripe blue」、3曲先の「ABC」へと続く、 松本-筒美コンビによる、いわいる少年隊ユーロビート「3部作」と呼ばれるようになった、その最初の曲がこの曲って訳だけどさ。

でも、この曲は大まかに見てユーロビート感は薄かったような気がするな。

一聴して、どちらかと言うとショービス系の匂いが強いよね。 イントロにかぶさってる、ストリングスのサウンドは、完全にショービス風だしさ。 その昔のトム・ジョーンズとか、そうじゃなくても70年代のフィラデルフィアサウンドを彷彿させるしさ。 
ま、確かに、リズム的にはユーロビートなんだけどさ。 強烈にユーロビートを感じせる訳ではない。

でも、そう考えると、ヨーロッパとしてのユーロビートと言うリズムの上に、フィラデルフィアって言うアメリカンなサウンドを纏わせ、日本の少年隊が歌う・・・なんていう図式にもとれるんだよね。

大げさに言えば「ワールドワイド」な曲・・・ってさ。 

そういえば、少年隊のデビューキャッチは「日本発、世界行き」だったよな。 

もしかして、このキャッチコピーを意識した曲だったのか、この曲は  

なんて考えると、松本、筒美、馬飼野・・・っちゅう超ゴールデントリオ、さすがにタダ者じゃないな・・・。

まあ、考えすぎかもしれないけどさ。。。 (なんて書くと身も蓋もない 


いずれにしても当時は、ユーロビートな時代だったんだよね。古今東西猫も杓子もユーロビートだったもんな。

まあ、日本の曲の場合、大体は向こうの曲のカバーだった訳だけどさ。
これは当時の日本のソングライティングレベルでは、なかなか自前でユーロビートを作るのも難しかったからなのかもな。

以前、近田春夫氏も「リズム体を車のシャーシに例えると、80年代の向こうの曲のシャーシは難しいんで・・・」ってな事を言ってたしね。

そんな中、それでも「自前」でユーロービートサウンドを持ってきたっていう、この曲からの少年隊、ユーロビート3部作はやっぱ画期的だったんだよね。 それを考えると、やっぱ筒美京平って言うヒトと、そのプレーンだった馬飼野康二氏や船山基紀氏の凄さを改めて感じたりするんだよなぁ

 そして当の少年隊も、ランキング的にも、この曲を皮切りに息を吹き返しましたよねぇ。ただ、レコード売り上げ枚数は、それほどでもなかったんだけどね。この曲が23万枚だったし。。。
いや、それでも当時は、結構な大ヒットに感じたんだけど。。。実感的には、実際の売り上げ +5万枚位の感覚がありましたね。 この曲にしたって30万枚前後っていう感覚があったしさ。
それだけアナログレコードの売り上げが落ちてたんだよな。この頃が「底」でしたからねぇ。



「邦楽としてのポップス」と見た時、やっぱり、この時期の曲の完成度って高いんだよなぁ。
それだけ各作家陣がこのころが一番成熟してたって言う証拠なんですよね。
洋楽的だけども日本の土着的な匂いが強いっていう独特のグルーヴ感は、端から「外人」が書いてる最近のジャニーズの曲では全く感じられなくなったよな。


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生意気 / 中山美穂

1985_11_生意気_中山美穂


今回の1曲セレクトは、「生意気」中山美穂です。

まずはデータです。

・タイトル    生意気
・アーティスト  中山美穂
・作詞      松本隆
・作曲      筒美京平
・編曲      船山基紀
・リリース日   1985年10月1日
・発売元     キング
・オリコン最高位 8位
・THE HITCHART HOT30最高位 16位

松本隆氏が今年の紫綬褒章受章というニュースが広がってますねぇ。
まあ、松本氏くらいの「実績」であれば、受賞して当然であるとは思いますけどね。むしろ、遅いくらいではないのかなぁ。
同じく70年代、80年代のヒット曲界を席巻したもう一つの2大作詞家、阿久悠氏は99年62才で受賞していたりする。ユーミン、桑田佳佑氏、中島みゆき女史は50代でしたからねぇ。
松本氏は今年68才だったそうで、それを考えるとやっぱ遅かったよね。長年の盟友である作曲家の筒美京平氏が、2003年に受賞しているけど、その時でも良かった位かもなぁ。

いずれにしても70年代、80年代の音楽界を「作って」来た方も、「国」から認められる賞を受賞する年代になって来たわけなんだよねぇ。

それをかんがえると、やっぱ、自分も年を取るわけだよなぁ・・・などと考えずにはいらなかったりして。。


・・・ということで、やっぱ、今回は松本隆氏の曲を持って来ましょうかねぇ。。。

と思って、考えてた曲があったんたけども、今リリース日を調べてみたら、もうちょっと「後」だった。。。

うーむ、「11月1日」リリースだとばっかり思ってたんだけどなぁ。。。。。「あの曲」

まあしょうがない、他にもあるさ〜・・・などと軽く思ってたんだけど、浮かんでくる曲が悉く、これまでに書いてるんだよな。。。  

で、絞り出してきた曲がこの曲。

中山美穂「生意気」。

なあ、「絞り出してきた」っていうのは大げさかもしれないけどさ、ミポリンのデビュー第2弾シングルですわな。

この曲、まだ書いてなかったんだな、ワタシ。

ま、確かに、当時から印象に薄い曲ではあった。 もちろん音源はかなり昔から持ってたし、だから知らなかった訳じゃないんだけども。。。

なんかね、知らない間に「ヌルッ」とチャートの上位に居た・・・。 そんなイメージなんだよな、個人的には。

それは、恐らく個人的な事情もあるかもなぁ・・・いや、多いにあると思う。

・・・というのもね、この曲がヒット当時・・・1985年10月から今頃にかけてだよね、 当然、毎週のようにオリコンウイークリーを買いーの、ヒット曲情報を集めていたワタシだったけど、「唯一」このころのオリコンが欠けてるんだよなぁ・・・。

なぜか・・・っちゅうと、このころオリコン手に入らなかったんだよ、個人的に。

この頃と言えば、毎週、高校があった木更津の駅前の某書店に、毎週月曜日(オリコンウイークリー発売日)になると、足しげく通ってたんだけど、85年の10月頃から、発売日当日にも関わらず売り切れになっちゃう事が多くなったんだよなぁ。置くのをやめた訳ではなく売り切れ。

それ以前からそれほど多数冊置いてあった訳ではなかったけど、この時期、ホント、手に入らないようになっちゃったんだよな。
 
原因はね、まあ、恐らくは「おニャン子」の影響だったんだろうな、きっと。 うん、絶対そう。

この当時、オリコンウイークリーでかなり扱ってたからなぁ、おニャン子。 

だからね、それまでヒットチャートなんか興味が無かった人まで買うようになっちゃったんだよオリコン。 その挙句、取り合いになっちゃったのよ。もともと入荷数少なかったから。。。
 ワタシは部活やってたからさあ、書店に行く時間も遅かったからねぇ、必然的に「帰宅部」の連中には後れをとっちゃう訳よ。。。

そんな訳で、何回涙をのんだ事か。。。

だからね、このころ、85年、10月〜12月にかけては、未だに所有欠になってる号が多いんだよなぁ。

この「生意気」って曲は、そんな個人的にオリコンの所有が「欠号」してたころリリースされたからさあ、事前の情報を得損ねたって感じだったんだよな。 

だからさ、個人的には、ホント気が付いたらリリースされてたって感じだったんだよ。

それ以前に、曲自体もそれほどインパクトが強かった訳ではないんだけどさ。 

デビュー曲の「C」のように、思わず引き込まれるようなイントロでもないし、疾走感があった訳でもない。

そもそもシンガポールを舞台にした恋愛劇っていうのも、当時の「ミポリン」からしてちょっと背伸びし過ぎって言う感じだったしなぁ。 うん、確かに大人っぽいルックスではあったけど、まだ15才だった訳だし、やっぱりリアル感が感じられないんだよね。

曲も、この頃の筒美氏としては、新鮮さを感じなかったしなぁ。 85年頃の筒美氏の曲って、いろいろ新たな事を試しているような、新鮮さを感じさせる曲が多かったんだけど、この曲にはその辺が感じられなかったしさ。

まあ、今にして思えば、次の「BE-BOP HIGH SCHOOL」への「つなぎ」的な位置づけだったんだろうけどね。




たださ、そんな「つなぎ」的な曲であったにせよ、そんな曲でもオリコンで「ベストテン」入りさせてきたのは、やっぱり大きかったんだよね。 うん、この曲がミポリンにとって、初のオリコンベストテン入り曲だったのよね。
 デビュー曲の「C」は、ベストテン入り出来なかったからさ(オリコン最高12位)。 大型新人と期待されながらもベストテン入り出来なかったからなぁ。

今思えば、「つなぎ」的なこの曲でベストテン入り出来た事で、その後の本格ブレイクの可能性が見えたわけでさ。 うん、確実にファンは付いてきてたって言う証拠にもなったしね。

もし、この曲でもコケてたら、その後のミポリンも無かったかもしれないな。


ところで、↑件の「オリコン」が売り切れ状態になった件だけどさ、あまりにも解消しないんで、この年の年末にオリコンと「定期購読」の契約をしたんだよね。 そそそ、当時1年契約で定期購読が出来たからさ。
だから、1986年からは、本屋で「売り切れ」を心配することも無くなったんだよね。


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さよならの果実たち / 荻野目洋子

    1987_07_さよならの果実たち_荻野目洋子


今回の1曲セレクトは、「さよならの果実たち」荻野目洋子です。

まずはデータです。

・タイトル     さよならの果実たち
・アーティスト   荻野目洋子
・作詞       売野雅勇
・作曲       筒美京平
・編曲       武部聡志
・リリース日        1987年6月21日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   16.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1987年6月29日〜7月27日付

3月にリリースされた「ニッポンの編曲家」の続編とも言える「作編曲家 大村雅朗の軌跡」を読んでるのね。
まあ、いわいる「業界本」ともいえるアレンジャーにスポットを当てた1冊ですね。 楽曲作成の上でウラ方の要でもあり、かつ、これまでほとんどスポットが当たって来なかった、アレンジャーに初めてスポットを当てたって言うだけでも画期的な1冊であり、だからこそ、ここに来ても売れてる1冊なんだけどさ。
(いまや業界的には「必携」の1冊どぇす 業界の方で読んでなかったらモグリよ

その続編とも言える、今回の「作編曲家 大村雅朗の軌跡」。ま、読んで字のごとく97年に若くして夭折された、ヒット曲アレンジャーとして超一流だった大村雅朗氏にスポットを当てた1冊。

まあね、内容詳細は事は別トピックスを立てるとして、率直な感想としては、そうだな、亡くなられて今年で20年ということで、こういう企画だったんだろうけど、どうしてもあの時を振り返る・・・のような感じなんだよな全体的に。
とくに、アレンジャーとしてだけでなく、コンポーザー(作曲者)として、未だに業界内外にも一目をおかけている松田聖子さんの「SWEET MOMERIES」についての記述割合が多くなってしまう。 
それはそれで仕方が無い事なのかもしれないけど、どうしても「後ろ向き」な内容であるのは、どこか引っかかってしまったワタシなんですよね。

じゃーよ、昔の曲ばっか書いてる、この「1曲セレクト」はどーなんだよ、後ろ向きの内容ばっかじゃんかよ・・っていわれれば、元も子もないんだけど。。。

ただ、現在も御健在であり、現在進行形なアレンジャーやプレイヤーの紹介の部分が多い、「ニッポンの編曲家」と比べると、どうしても後ろ向きに感じてしまった。って言うところは否めなかったですね。


あー、前置きが長くなった・・・。

今回の曲セレクトは、そんな「大村雅朗」氏がアレンジをしてたもの・・・と勘違いしてた1曲をひとつ。

荻野目洋子「さよならの果実たち」。

先週まで、ヒットしてた当時は、あんまり好きじゃなかった曲ということで80年代アイドル曲を書いてきたけど、今回の「さよなららの果実たち」も、そういう中の1曲になるのかなぁ・・・。

ま、少なくとも今まで残っていた・・・ってことは、進んで聴いてた曲ではなかったんだよな。

この曲は荻野目ちゃん自身、初のオリコン1位獲得。 あれから丁度30年。今となっては完全に忘れ去られてるような事実だけど、そうなんだよね。
大ブレイクとなり自身の代表曲でもある「ダンシング・ヒーロー」も、ロングヒットとなった「六本木純情派」もオリコン1位とはなっていない。
この曲が初の1位獲得なんですよ。 まあ、チャート上のあやと言ったらそれでおしまいなんだけど、今となってはそれほど有名ではない、この曲が初の1位獲得曲っていうのも不思議な感じはするけどさ。

ちなみに、荻野目ちやんは、この曲を含め、88年の「ストレンジャーTonight」「スターダスト・ドリーム」と3作のオリコン1位曲をもっているけど、それも今となっては忘れ去られた事実かもなぁ。

当時も今と同じように、ヒットチャートの「1位」の重みはほとんど無くなっていたからさ。そう言う時期のヒットチャートなんて、時間とともに忘れ去られるのが一般的ですからね。


↑で、当時、この曲を進んで聴いてなかった・・というのは曲の好みもある。 当時、大学受験を控え精神的に不安定でヒット曲どころではなかったこともある。
たださ、ヒットチャートの重みの無さから、楽曲自体に魅力を感じ無くなっていたってのもあるな。

不思議なもので、ヒットチャート時代に重みがあるときっていうのは、ヒット曲自体に面白さを感じるんだよね。
まあ逆に言えば、ヒット曲時代が面白いからヒットチャートに重みが出るんだろうけどさ。

それとは全く、真逆的な現象 、それは、今もそうなんだけど、当時も曲自体に魅力を感じ無くなっていたんだよね。

いつかもかいたけど、それはワタシだけではなく、古くからのチャートマニアの間でそう感じる方も少なくなく、それの時期にチャートマニアから離れて行った方も少なくない。
それは、楽曲自体に魅力を感じ無くなったからたと思うんだよな。

それは、この曲からも感じてたんだよなぁ。
正直言って、色合いが良く分かんなかったんだよね、この曲。 当時、荻野目ちゃんのシングル曲って、ちょっとドギツクなってきてたんだよな、全体的に。 それはこの曲からも感じた。

昨日書いた、黛ジュンさんの「天使の誘惑」の「昼間に向かったポップス」という表現を借りれば、この曲は、真逆に「夜の」匂いがプンプンしてたりね。
 それを考えると、おおよそ「ポップス」って言う匂いを感じなかったんだよね。 ポップスというよりはより歌謡曲の匂いを感じていた・・・というかさ。

そんな「夜の匂い」に、夏の暑さが余計堪えた・・・、そんなイメージがあるんだよなぁ、この曲には。

この曲、筒美京平さんなんだよね、作曲は。

うーむ、全体的に見て、87年・・・特にこの年の夏から秋にかけての京平さんの曲って、未だによく分かんない曲が多いんだよなぁ。
 この曲に然り、C-C-Bの「2 Much I love U」に然り、守谷香の「予告編」にしかり、マッチ先生の「泣いてみりゃいいじゃん」に然り・・・・。

今ひとつスコンと「抜けた」生理的に気持ちいい曲が少ない。 どこかにモノが挟まっているような不快感のようなものを感じたりね。
 あ、少年隊の「君だけに」は別・・・。この曲だけはこの時期としても良かった。 パワーが落ち気味でもちゃんと結果を残すところが筒美京平氏の凄さなんだよな。


メロディラインはよく分かんなくても、サウンドだけは、やけにはっきりしていたりするんだよね、この曲。
その辺が、この曲のアレンジが、大村雅朗氏と勘違いしてたところなんだけどさ。
作詞 売野氏、作曲 筒美氏ね アレンジ、大村氏っていうと、どうしても音の輪郭がはっきりした「濃い」味付けの曲を連想しちゃうからさ。
例として、河合奈保子さんの「エスカレーション」「UNバランス」とかさ。

この曲も、それらと同じような匂いを感じたんだよね、初めは。

だから、この曲のアレンジが、武部聡志氏って知ったときは、かなり意外に感じたけどなぁ。

武部氏のアレンジというと、どうしても斉藤由貴さんの、あの「ふんわり」としてやさしく上品なアレンジを想像するからさぁ。 そそそ、松任谷正隆氏の流れを汲む、いわいるハーフトーン系ってやつね。 山の手のお嬢さん的な上品さ。

それがこの曲では一切感じられないからさ。 この曲は下町の猥雑さなんだよね、感じるのは。

きっとね、その辺りもこの曲に、今一つ魅力を感じなかったひとつなのだと思う。

おニャン子以降の一連のアイドル曲に感じてたのは、猥雑さなんだよな。 下町的な猥雑さだったからこそ、ある種のパワーがあったのかもしれない。 けど、個人的に当時、欲していたのは、もっと音楽的な上品さだったのかもしれない。 その辺がのギャップがヒット曲から一歩引いてた部分があるっていのは否めないんだよね、当時振り返ると。


動画・・・昨日に引き続き、どうもリンクが弾かれちゃうなぁ・・・・っつうことで、ようつべへ直リンク

https://www.youtube.com/watch?v=VugGgZsF8xw



そーいえば、昨日書いた黛ジュンさんって、初めは本名の「渡辺順子」でデビューしたけど売れずに、のちに黛ジュンとして「再デビュー」・・って書いたんだけど、荻野目ちゃんも「再デビュー」だったんだよね。

ってか、その辺は有名か・・・。 そそそ、初めは「ミルク」っていう小中学生3人ユニットでデビュー。
荻野目ちゃんが小学5〜6年の頃って言うから1979〜1980年ですね。

↓ コレ


小学生なのに、妙に歌がしっかりしてたりして・・・。
どうりでアイドル時代も歌はしっかりしてた訳でね。


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