かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

浜圭介

雨 / 三善英史

1972_11_雨_三善英史


今回の1曲セレクトは「雨」三善英史です。

まずはデータでする。

・タイトル      雨
・アーティスト    三善英史
・作詞        千家和也
・作曲        浜圭介
・編曲        近藤進
・リリース日     1972年5月25日
・発売元       ビクター
・オリコン最高位 2位
・売り上げ枚数  58.8万枚
・ベストテンランクイン期間:1972年10月2日〜1973年1月8日付

先月の台風15号に加え、先週の台風19号と、雨風に悩ませ続けている今日この頃。被災した皆様にはお見舞い申し上げます。
かくいう私も、家は「千葉」なんで、この間から雨風の影響を受けて来ているんですが、ウチは台風15号の「暴風」でカーボネイト製のベランダ屋根が飛ばされたのと、それが飛ばされた時に当たった見とられる雨どい1つが壊れただけで済みました。
ベランダの屋根と言っても、日よけ屋根なんで、飛ばされたからと言って雨漏している訳ではなく、生活に支障をきたしていないのが幸いと言うところなんですが。。。

で、また今週も昨日、土曜日が雨。

秋の長雨のシーズンといえば、そうなんだけども、もう雨はいいわ っていう気分にどうしてもなりますね。

そんな気分が大半を占めている今日このごろ。 頭の中でグルグルとヘビロテで流れている曲も自然と雨の曲が多くなっていたりして。。。

・・ということで、今回は、そんな昨今頭の中でヘビロテで流れている中の1曲を一つ。

三善英史さんの「雨」。

個人的に、この曲いつ覚えたんだろ? リリースが1972年なんで、当時、ワタシは3才。 

いつ、どこで、初めて聴いたのか・・・全く記憶にありません。 まあ、当然なんですけどね。

3才にして、初めて聴いたのはいつ、なんの番組でした・・・なんて言える方が怖いわけで。。。

でも、後年1980年代終盤、TBSの「テレビ探偵団」を初めとして、「懐かし番組」を振りかえる特番や、レコ大30周年記念、 日本歌謡大賞特別企画で、この曲が紹介された時には、既に、この曲知ってたんだよね。

まあ、1コーラスまるまる覚えてた訳ではなく、断片的に知ってたんで、恐らくはヒット当時、どっかで聴いてたんだろうな。

特に、出だしの ♪ 雨に濡れながら〜 ♪ っていう高音から下る、キャッチーなメロディライン
それに併せ Em → C とマイナーからメジャーに転換するサウンド 

この独特のサウンドがキモ中のキモだと思うんだけど、あのメロディラインは一度聴いたら忘れられないんだろうしな。

必然的に雨の情景が浮かんでしまう。 

このフレーズだけを切り取ってみるとフレンチポップスと言っても過言じゃ無いよね。

いやこのフレーズだけではなく、イントロの2小節のガットギターのアルペジオも如何にもフレンチポップスっぽい。

 雨・・と言っても、この間の台風のような「豪雨」と言う訳ではなく、シトシトと降る優しい雨って言うイメージですね。如何にも日本的な情緒漂う雰囲気の。

そう言う意味では、同じくフレンチポップスである、ジリオラ・チンクェッティの「雨」とは好対照的なイメージですね。
(ちなみにジリオラ・チンクェッティの「雨」は、後年、まっち先生の「スニーカーぶる〜す」の下敷きになった曲だが。。)


そう言うイメージが強いからか、この曲、リリースは1972年5月なんだけども、実際的にはランキングの上昇スピードは遅く、ベストテン入りしたのが、秋の長雨のシーズンの10月とリリースから5カ月も要している。
いわいるジワリ型のヒット。

まあ、当時はこういう曲が当たり前のようにあった訳で、この曲特有のと言う訳ではない。ただ、ベストテン入りしたのが秋の長雨シーズン。
この時期にヒットが加速したのは、やはりシトシトと降る秋の長雨っていう曲のイメージが、多くのヒトの心をつかんだんでしょうかねぇ。

 実際、リアルタイムでこの曲のヒットを追いかけていた訳ではないんで、その辺の詳しい経緯は想像するしかないんですけどね。
チャートアクションとして順位が上がってきたのが、今頃だったからって言う後付の部分が大きいからねぇ。

正直、個人的に、この曲って「梅雨」って言うイメージがずっとあったんだよね。 ヒットのピークも梅雨の長雨シーズンかなって思っていたぐらいだったし。。

全体的に優しくソフトなイメージがある曲だけど、温度感としては梅雨の頃のそれなんだよね。 決して秋の長雨の肌寒さは感じると言う訳ではない。


ただ、言える事はチャートが上昇傾向を見せた時期と、各音楽祭と重なったって言うのは、ヒットをさらに大きくしたって言う部分がるあるんじゃないのかなぁ。

この曲、三善英史氏のデビュー曲なんですよね。 
デビュー曲にしてチャート上位進出ということで、この年の各音楽祭の新人賞を総なめにしてたんでね。

・・と言う事は、自ずからテレビ露出が増える。 それがさらにヒットへ拍車をかけたともいえるんですよね。

少なくとも当時のオリコンのランキング推移を見ると、そんな事が想像できるんだよね。

ちなみに、オリコンでは1972年11月6〜13日付で2位まで上がったこの曲だけど、ついぞ1位にはなれなかった。

丁度、この頃、1位を驀進していたのが、宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」。 そそそ、売り上げ枚数320万枚。「〜たいやきくん」が出てくるまでの3年間、オリコンシングル売り上げ1位を記録。 しかも16週連続1位っていうのは、あれから47年経った今でも破られていない金字塔。

そんなモンスター曲の、2週目、3週目の1位というもっとも「アブラ」がのった時期のパッティっんぐということで首位獲りとはならなかった訳なんですよね。



最近、70年代、 特に70年前半の曲のときに「4-7抜き」のメロディラインって言う事を良く書くんだけども、この曲も件にもれず、「4-7抜き」だよなぁ。
いや、逆に、だからこそ如何にも70年代を彷彿させる・・というか、あの頃特有のメロディラインなんだよな。

邦楽特有の情景感というか、洋楽っぽいところは、↑の出だしのメロディラインを除いては、全般的にあまり感じられない。
曲全般を俯瞰してみれば、日本的な「和」を感じさせる部分の方が強い。

・・かといってコブシが強烈に唸る、ド演歌と言う訳でもない、これがまぎれもない「歌謡曲」の王道なんだよね。
和でもない洋でもない楽曲。それが歌謡曲。

それでも「和」を感じさせる部分が強いだけに今だったら、100%「演歌」って言うジャンルに入れられるだろうけど、 当時は、これでも一応はポップスの部類だったんだけどさ。

当時、ゴリゴリの正統派ロックに対して、 ちょっと優しい雰囲気のロックにソフト・ロックというジャンルがあった。後年のAORとではも言いますかね。

そういう概念に当てはめれば、ド演歌に対して、ソフト・ポップスとも言えなくもない。 かなりゴーインな見方ではあるけども。

でも、この手のメロディ、サウンドは70年代前半、少なくともニューミュージック的なサウンドがヒットチャートを席巻するまでは、日本のヒットチャートのメインストリーム、そそそ「ウレ線」だったで、これでも立派なポップスだった訳なんだよね。

・・とは言うものの、実際的には、↑で書いたように「ぴんからトリオ」のような「ド演歌」の方がレコード売り上げ的には上だったんだけどもさ。。。。



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石狩挽歌 / 北原ミレイ

1975_08_石狩挽歌_北原ミレイ


今回の1曲セレクトは、「石狩挽歌」北原ミレイです。

まずはデータです。

・タイトル     石狩挽歌
・アーティスト   北原ミレイ
・作詞       なかにし礼
・作曲       浜圭介
・編曲       馬飼野俊一
・リリース日    1975年6月25日
・発売元      ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 70位
・売上げ枚数   4.5万枚

いつもは主に「ベストテン級」の大ヒット曲をセレクトしてきている1曲セレクト。
まあ、無条件でできるだけ多くの方に過去の曲を紹介するには、やっぱり大ヒット曲の方が分かりやすいしって居のが第一だと思うしさ。それに大ヒットしたって事は、それだけたくさんのヒトがその曲を知ってる・・・うんにゃ、今は記憶の外でも、昔は好きだった・・・って曲も多いと思うしね。

でも、時々、「数字上」ではとても大ヒットとは言えないような、完全に陰に隠れた曲を引っ張ってきたくなるんだよな。

今回は、そんな曲をひとつ。

北原ミレイ「石狩挽歌」。

うーむ、きっと知ってる方は知ってる・・・って曲かなぁ。 
でも、恐らく、曲を聴けば、1度は耳にした事があるって方も多いんじゃないのかなぁ。

まあ、一般には単純に「演歌」のジャンル分けされてしまうこの曲なんで、「演歌・歌謡曲」っていうコトバ、文字をみただけで「スルー」してしまう方は、あまりきちんと聴いていなかったかもしれない。

ま、個人的にも、「演歌」ってジャンルの曲をこのんで聴く人じゃないんで、そっち方向の曲にめちゃくちゃ詳しい訳じゃないんだけど、それでも、時々、「引っかかっちゃう」事があるんだよな。

じつは、この曲もそんな曲の一つだったりするんですわ。

この曲がリリースされたのは、1975年6月。今から41年前の今頃の曲ですな。
・・・・と言う事は、ワタシは5才だった訳で・・・。

うーむ流石に、自ら「石狩挽歌」を聴いていたような世代ではないよな。

実はねぇ、この曲、オヤジがどっかからもらってきた、「杉良太郎全集」とかのカセットの中に入ってたんだよな。
そそ、ワタシの場合、オリジナルの北原ミレイさんじゃなくて、杉良太郎氏のカバーの方が先だったんですわ。

当時、うちのオヤジ、車の中でこのカセット、よくかけてたんだ。

ワタシ的に、最初はヤだったんだけどさ、でも、何回も聴かさせているうちに、なんて気になっちゃってねぇ。

ストリングスのトリルから、トランペットの哀愁漂う、あの旋律のイントロからして、まず、やられちゃいましたね。
どうしても耳に残るんですよ。つまり引っかかっちゃうんだよね。

ソーラン節をモチーフにした暗く重たい歌詞、それ歌詞を引き立てるような、ストリングスの対旋律。
否が応でも、絵が浮かんでくるんだよね。

もちろん、当時はPVもMVもない時代な訳だから、絵が浮かんでくる・・・といっても、脳裏に浮かんでくるってことだけど、それでも、この曲独特の世界観ってある訳じゃないですか。

そう言う意味ではもいわいる「はやり歌」と言われる曲の要素は全て揃っているような曲なんだよね。

気がついてみれば、カラオケでこの曲を歌っているワタシが居たりしてね

うん、最近はあんまり歌ってないけど、カラオケボックスが出たての頃は、結構歌ってたなこの曲。

ただ、そう言う曲ではあっても、残念ながら、レコードセールスは行きませんでしたねぇ。
オリコン最高70位だもんね。とても一般的なヒットとは言えない訳で。

結局のところ、曲は良くてもなかなか浮上するきっかけが無かったんだろうね。 
オリジナルの北原ミレイさんも、この曲がリリースされるまで5年近く、いわいるヒットチャートからは遠ざかっていた方でしたし。
 
 当時はネットがあるわけでもないし、テレビの歌番組に出るような超一流の歌手以外は、地道な営業と口コミにより曲を広げていかなくてはいけない時代。
結局は、広がり切れなかった・・・というわけだよね。

この曲が、表に出てきたのは、90年代終盤、この曲の作詞者である、なかにし礼氏が、自分の兄貴の事をつづった私小説「兄弟」のヒットによってと言うところが大きいよね。
その小説から、この曲は、子供の頃の実体験から浮かんだ曲・・・っということをカミングアウトしてからですよね。だから、表に出るまで20数年かかったわけなんだよね。

個人的には、それよりも10数年前には曲自体、知ってた訳なんだけども、ただ、それは、あくまでオヤジ゛持ってたカセットから知った・・って事でさ、偶然なんだよな。

ちなみに、ワタシが中学校に入学して吹奏楽部にはいったのは、この曲のイントロのトランペットを聴いて・・・って言うのが、意外ときっかけだったんだよな。
 だって、かっこいいんだもん。 ワタシもこんなのトランペットで吹けたらなぁ・・・とかさ。

まあ、トランペットって言う希望が破れて、トロンボーン担当になっちゃったんで、その夢は叶わなかったんだけど。。。。






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そして、神戸 / 内山田洋とクールファイブ

1972_12_そして、神戸_内山田洋とクールファイブ






今回の1曲セレクトは、「そして、神戸」内山田洋とクールファイブです。

 まずはデータです。

・タイトル     そして、神戸
・アーティスト   内山田洋とクールファイブ
・作詞       千家和也
・作曲       浜圭介
・編曲       森岡賢一郎
・リリース日    1972年11月15日
・発売元      RVC
・オリコン最高位  6位
・売上げ枚数     30.7万枚
・ベストテンランクイン期間:1972年12月11日〜1973年1月29日付

 また、変な曲持ってきたな・・と思われちゃうかなぁ。

 そして、神戸   / 内山田洋とクールファイブ

またまた演歌? うんにゃ、演歌ではないですゾ。
なんて、書いているワタシも、昔は、このテの曲は完全に「演歌」だと思ってたの。
 でもさ、いろいろものの本を読んでいくと、必ずしも、このヒトたちは演歌ではないんだよね。 うん、ミュージシャンヒトたちでは、このテの曲は演歌と分けていないヒトが多いんだよね。
 近田春夫氏しかり、小西康陽氏しかり、桑田佳祐氏しかり・・。

 桑田氏なんて、中学〜高校のころは、このヒトたちの大ファンで、レコードを買いあさっていたなんて逸話まであったりして・・・
桑田氏、自伝の「ロックの子」では、前川清はブルースロックの異端児って言い切っちゃってるし・・・。
 どうも、ミックジャガーと同一線上に合ったらしいですわ

 そう、クールファイブは、ジャパニーズブルースロックあるいはR&Bなのですよね。

 本来演歌ってさ、前にも書いたけど、「浪曲」が起源でしょ? 三味線の世界に安っぽい太鼓がからんでくる世界が演歌な訳で・・・。

 それを考えるともムード歌謡はどう考えても演歌ぢゃない。だってさ、もとを辿ればハワイアンじゃん、ムード歌謡って。

 それが、何で「演歌」にカイゴライズされちゃったのかは、ワタシャよくわかんないんだけどさ。
 
 特に、前川清っていうヒトの歌い方は、これは、ゴリオシのロッカーですよ。このアクの強さは・・。 そう思いません?

 まあ、直立不動な歌い方は、東海林太郎だけど・・・。


 さてさて 「そして、神戸」。

 ワタシは、個人的には、このヒトたちの曲の中では、この曲が一番好きなんだよね。

 どうしなんだろう? うーん、もしかすると、歌謡曲度が高いからかなぁ。
 ほら、ロックなアーティストでも、もろロックっていう曲よりも、やや「歌謡曲」に近いほうがキャッチーだったりすることがあるじゃん。まあ、あれと同じ。


♪ああああ〜〜〜 ながさきぅわぁ〜〜〜 今日も〜〜あめだった〜〜〜♪

よりも、ややソフトに

♪そして一つが終わり そして一人が生まれ〜 ♪

っていわれた方がよりキャッチーなんぢゃないかなぁってところなんだね。

 あ、たしかに、出だしの

♪こうべぇ〜〜 泣いてどうなるのくわぁ〜〜 ♪ 

はアクが強いけど・・


なんて、いろいろ御託並べてきたけど、単純に言うとね、この曲、ガキの頃、カラオケとかに行くと、必ずだれかうたっててさ、そんなで好きになっちゃったんだよね

 あ、だれか歌ってて・・っていっても、私の友達ぢゃないですよ・・・。オヤジの友達とか知り合いだよね。
 そのむかし、うちのオヤジもオフクロも、飲みに行くの好きだったからさぁ、よくスナック(て言葉も最近きかないよね)連れまわされてさぁ、スナック行くと8トラのカラオケセットで歌ってるヒトが多かったもんね。

 だからね、ワタシ意外とこの手の曲も抵抗なく聴けるんだよね。

 ただ、この手の曲を聴くと、あのころのスナック独特の匂いとか、ダバコの匂いを鼻腔から仄かに漂ってきたりしてね。


うーん、なんか、わけわかんないかきこになっちゃったけど、要するに、これまで「演歌」ってみんな思ってきた「ジャンル」曲も、よくよく聴いてみると、ホントは違うんだよってことですね。
 よくよく聴いてみると、ファンキーだし、単に表面だけに留まらない深さもあるし。。。


 このヒトたちが演歌で、和田アキ子が演歌じゃないってのは、やっぱ、おかしいじゃん。





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舟唄 / 八代亜紀

1979_11_舟唄_八代亜紀






今回の1曲セレクトは、「舟唄」八代亜紀です。

 まずはデータデス。

・タイトル     舟唄
・アーティスト   八代亜紀
・作詞       阿久悠
・作曲       浜圭介
・編曲       竜崎孝路
・リリース日    1979年5月25日
・発売元      テイチク
・オリコン最高位  15位
・売上げ枚数    38.4万枚

 タイトルをみてどうしちゃったの? と思われる方もいらっしゃるでしょうけど、先ほどの山本譲二に続いて、演歌です。

 はい〜 八代亜紀 の「舟唄」。

 でもさ、冗談抜きで、八代亜紀の唄が「染みる」年頃になってきちゃいましたよ、ワタクシも。
 この「舟唄」なんて聴いてシミジミしちゃう、お年頃ですよ。30代も半ばを過ぎると・・・。 あ、これ冗談ぢゃなく・・。

 大体において、酒を飲むにも、みんなとワイワイというよりも、この唄のように場末の酒場で、ぬるめの熱燗と肴にスルメで一人酒・・・っていう雰囲気の方が最近はいいんだよね。

 そういう雰囲気には演歌ですよ。でもさ最近の演歌はダメよ。雰囲気がない。やっぱし、八代亜紀でなくては。

  ほら、昔、とんねるずも「迷惑でしょうが・・・」で歌ってぢゃん。あの雰囲気ですよ。

 この曲は79年の今ごろから、80年の頭にかけて大ヒットしたんだけど、考えてみたら、当時から、この曲、臆することなく聴いてたよなぁ。高々の10歳のガキでも。。

 いや、あのころは、演歌は普通に耳に入ってきてたし、子どもながらにも普通にうけとめていたよねぇ。
 ま、それが、普通の歌謡曲とうけとめていたし・・・。

 だから、個人的には必ずしも演歌も生理的にダメでは本来はないはずなんだよね。
 でも、最近の演歌はダメなんだよなぁ・・・。なんでだろ?
時代的にシックリこないって言うのもあるかもしれん。 それと、聴いてる環境もあるかもしれん。

 やっぱし、演歌はド田舎で聴くべし。少なくとも都会のど真ん中できく音楽ではないもんなぁ。

 そそ、この「舟唄」がヒットしてたころは、私ゃ、福島のド田舎におりましたしね。
 田舎の、さらに、「大衆食堂」とか「そばや」のAMラジオから流れてくる演歌っちゅうもんが、本当の演歌なんぢゃなかろうかねぇ。
 NHKBSで「ステレオ」できく音楽ぢゃないですよ。。。 やっぱ、「モノラル」ラジオから流れてくるシケた音じゃなきゃ、グッと来ないですね。 
 うーん、この辺の感覚は、「平成」生まれの若い方には分かんないかもなぁ。やっぱ、昭和の産物なんでしょうねぇ、これは。

 おっとっと、「舟唄」からずれましたね。

この曲ってすごく、視覚的な唄ですよね。
 しょっぱなの

 ♪ お酒はヌル目の燗がいい 肴はあぶったイカでいい ♪

・・・ってとこで、すでに曲の中の情景が立体的な視覚となって浮かんでくるぢゃないですか。
 しかも、浮かんでくる絵は、とっても貧乏臭い。 これですよ、演歌の世界は。人間の心の隅にあるしみったれた世界。

 時に年取ってくると、なぜか、このしみったれた世界が恋しくなってくるんだよね。

 ま、それでも気分的なところもつよいから、いつも、そういう気分になっているわけではないですけど・・・・。
 
 たまには演歌もいいよね・・というところで・・。




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雨の慕情 / 八代亜紀

1980_06_雨の慕情_八代亜紀






今回の1曲セレクトは、「雨の慕情」八代亜紀です。

 まずはデータです。

・タイトル    雨の慕情
・アーティスト  八代亜紀
・作詞      阿久悠
・作曲      浜圭介
・編曲      竜崎孝路
・リリース日   1980年4月25日
・発売元     テイチク
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数   56.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 
・ベストテンランクイン期間:1980年6月9日〜7月14日 8月11日〜9月1日付


  やっぱり、梅雨ですから、「雨の曲」が季節的には似合ってくるもんですわな。
 このあいだ、FACE BOOKで参加している「昭和時代」っていうグループで「雨の唄というば?」って言うトピックスが立ってまして、そこでもこの曲を上げられてましたけどね。

 八代亜紀 「雨の慕情」

 しかし、以前、ネット上のアンケートでも、同じようなアンケートがやってた事があって、並み居る「ポップス系」アーティストを抑えて、この曲が1位を取ってた事があったなぁ。この曲の印象っていうのが、かなり強いんだねぇ・・・なんて思ったな。

 ・・・・というワタシも、「雨」とつく曲は? なんて聞かれたら、やっぱ、八代亜紀のこの曲を投じちゃいそうだな。。ふらふら

 いや、なんか、それだけ、結構、強烈な印象があるのよ、この曲。

 オリコンでは9位までしか上がらなかったこの曲だけど、うーん、やっぱ、ベストテンでのきれいな「雨のセット」の印象と、それよりなにより、この年1980年の年末の賞レースでの、会場が一体になっての

 ♪ あめあめ ふれふれ もっとふれ〜 ♪

の大合唱が印象に残ってるんですかねぇ。

 うむ、もちろん、大合唱といっても、あの年はさあ、いわいる「80年代アイドル」の最初の当たり年だったわけで、会場のお客の大半が、各アイドルの「親衛隊」だったわけじゃん。
そんな各親衛隊連中がひしめく中で、各親衛隊の「垣根」を越えての大合唱だったわけだからさあ。一種、「異様」の光景っちゃ失礼だけど、かなり壮観な光景でしたよね。ま、それだけ、「世代」を超えて支持された曲だったんだよね。
 特に、この年の「日本歌謡大賞」での、「雨 雨 降れ 降れ もっと降れ」コールは凄かったからなぁ。

 まず、今じゃ信じられないもんね。演歌にワカモノが応援コール送るのって。
AKB とか EXILE とか、嵐 のファンが水森かおりに向かって、応援コールを送ってるようなもんだから。
そんなの考えられないじゃん、今では。

 だからこそ、この年の賞レースは、「五八戦争」なんていわれた、五木ひろしと八代亜紀の熾烈な大賞争いを演じたわけだけど、レコード大賞も歌謡大賞も、最終的にはこの曲が受賞したんでしょう。
五木ひろしが、この年「大賞」取れなかったのは、「若者」の支持があったかなかったかの差・・・だよね、きっと。
 特に歌謡大賞は、如何に幅広く「大衆支持」されているかってところが強かったから、あの頃は。
 あの「雨 雨〜」の大コールがあって、この曲、大賞とらなかったら、それこそ、ブーイングの嵐だったろうしなぁ。。。
そう言う意味では、あの頃は、大方のヒトが見ても、まだ「納得」がいく、賞レースだったんだよね。

で、もって、この曲が当時の若者に支持があったっていうのは、あの頃の歌番組の影響が絶大だったよね。
「夜ヒット」しかり、「ザ・ベストテン」しかり。
 特にベストテンでの、綺麗なセットをバックにした演出効果は大きかったと思うなぁ。
あのころ演歌で、セットをつけた演出なんてベストテンくらいしかありませんでしたからねぇ。しかも、唄を引き出すをライティング効果も考えた、綺麗な演出効果とかさぁ。
 
それに加えて、サビの「雨 雨〜」のところの振りでしょ。
 ま、今見たら、なんてことない振りなんだけど、それらの演出が当時の若者の心を取られるには充分だったんだよね。

そんな「若者」側にいたワタシとかさあ、、当時は、演歌とか普通に聴いたもんね、当時は。
今みたいに特定のジャンルとかアーティストの曲しか聴かないではなくて、「ベストテン」なら「ベストテン」っていう番組自体を楽しみにしてたからさあ。
 だから、当時は演歌だから、イヤ・・とかいう発想はなかったし、同世代でも、みんな普通に知ってましたよね、この頃のヒット演歌は。

 当たり前だけど、賞レースだけで、あれだけのコールをもらえたわけではないわけで、それまでに若者の心をとらえるサムシングがあったわけなんだよね。





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