かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて約40年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

沢田研二

酒場でDABADA / 沢田研二

1980_11_酒場でDABADA_沢田研二

今回の1曲セレクトは、「酒場でDABADA」沢田研二です。

まずはデータです。

・タイトル     酒場でDABADA
・アーティスト   沢田研二
・作詞       阿久悠
・作曲       鈴木キサブロー
・編曲       沢健一
・リリース日    1980年9月21日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数   14.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1980年11月3日付

一気に寒くなりましたね。
寒くなって来ると、「あー、年末も近くなってきたよなぁ」・・・なんてシミジミと感じてしまうワタシだったりしますが。。。
 でもねぇ、ここ何年も、この時期なると「音楽祭」だよなぁ・・・っていう感覚はすっかり無くなりましたねぇ。
昔はさあ、11月ともなると、各局こぞって「音楽祭」を開催してたじゃん。大晦日の「レコード大賞」を筆頭に、「歌謡大賞」だぁ、「FNS音楽祭」だぁ、「有線放送大賞」だぁ、なんだぁ、かんだぁ・・・とさ、各テレビ局とタイアップして。
だからさ、この時期ともなると、毎週、どこかしらの局で「音楽祭」の特番をやってしましたよね。

かく言う、ワタシも一時は、毎週毎週、ほとんど全部の音楽祭を見てた事があるなぁ。
で、そんな「熱」が上がっていたのが、1980年前後じゃ無かったかな・・・振り返ると、そう思うな。 

今思うと「アホらし・・・」とか思ったりもするんだけど、当時は、それだけ「エネルギー」があったんだよな、ワタシも。

ま、実際、1980年はいわいる「五・八戦争」とか言われて、各音楽祭で五木ひろしと八代亜紀との熾烈な大賞争いを繰り広げてたしな。加えて松田聖子、田原俊彦を筆頭に新人も勢いがあったんで、歌謡祭としての賞レースも見てて面白かったんだよね。

今回は、そんな1980年の各賞レースで歌ってた、ジュリーのこの曲をセレクト!

「酒場でDABADA」

・・・っつかさ、正直言ってこの年のジュリーの賞レースは、この曲だったのか・・・っていうのは、今思うと不思議だったんだよなぁ。
どう考えても、この年のジュリーっていったら、「TOKIO」の筈だったんだけど・・・。

まあ、この時点で最新曲だったから・・・って事なんだろうけど。。 

ただね、音楽祭向きの曲だったか・・・っちゅうと、ちょっと頭をひねりたくなるんだよな。

悪い曲ではないんだけど、ちょっと難しい・・というかひねり過ぎているっていうか・・・。 まあ、簡単に言えば、ソングフェスティバル向けの、誰が聴いても分かりやすい曲・・・では無いって感じだったんだよな。

当時、小学5年生で、何でもかんでも手当たりしだいに聴いて、聴いたそばから吸収して行ってたワタシも、この曲は、正直分かりにくかった。

ジュリーっていうと、キザ、モテ男、奇想天外(なファッション)・・・っていうところが真っ先に頭に来てた訳でさ。

この年にしても、件の「TOKIO」では、例の「電飾衣装」に落下傘背負って来てたり、この曲の前の「恋のバッド・チューニング」では、色が変わるカラーコンタクトしてきてたり、70年代にもまして奇想天外というかね奇抜なフッションを前面に、表に出て来てましたよね。

この曲では、そう言った、奇想天外なところも、エンターテイメント的なモテ男っていうのも見られなかった。

楽曲的にも、「勝手しやがれ」や「サムライ」、「LOVE(抱きしめたい)」で大ヒットを飛ばしていた頃に比べても、スケール感を感じ無くなって来ていたし・・・。

そう言うところから、なんで、この曲をわざわざ「音楽祭」に持ってきたんだろ・・・って言う疑問は、まだ11才のクソガキだったワタシも感じてたんだよね。


でもやっぱその辺りは、一般的にも感じられていたのかなぁ、オリコンではベストテン入り出来なかったし、売り上げも14万そこそこ。奇しくもこの曲のちょうど1年前にリリースされた「ロンリーウルフ」と同じように「低迷」しちゃったんだよなぁ。

ま、「ロンリ―ウルフ」とちがったのは、この曲では「ザ・ベストテン」ではベストテン入りしたし、上記のように各音楽祭で毎週のように流れていたんで、「ロンリーウルフ」よりは一般的な認知があったことだったろうね。

個人的にも「分かりにくい曲」だなぁ・・・と思いながらも、毎週のように聴いてたら流石に覚えちゃったし、80年秋のジュリーといったら、この曲って言うイメージはしっかり付いちゃったしね。




上で書いたように、前曲まで見られていた奇想天外なエンターテイメント性が無かったこの曲だったから、ついにそろそろ「ネタ」切れだったのかなぁ・・・なんても思えたりもしたんだよね。
いや、当時は、圧倒的にそう感じてた。

まあ、阿久悠氏の詞は別にしても、そもそも作曲者に鈴木キサブロー氏を持ってきたっていうのもちょっと意味が分かんなかったし。。。
ましてや、アレンジャーの沢健一氏ってダレ? って感じだったりもしたし・・・。

でね、今、これを書くに当たって、ちょっと調べてみた。 

沢健一氏、当時バックバンドの「Always」でリードギターをやられていた方だ。 そそそ、この「酒場でDABDA」のイントロでもラフで派手目なギターを披露していた方だ。 
でね、さらに辿って行くと、その昔、「4・9・1(フォーナインエース)」という「GS」のリードボーカルだったとのこと。

まあ、「4・9・1」といっても、これと言ったヒット曲も無いし、いわいるB級、C級のGSだったようだけど、沢氏の前は、ジョー山中氏がボーカルをやっていたと言う事だから、ヒットは無かったものの、いわいるクロウト受けするようなグループだったんじゃないかとは思う。

でも、それを知って、思わずなるほどぁ〜・・・なんて思えたなぁ。

 考えてみたら、この曲の後に、ジュリーも「G.S I LOVE YOU」なんてアルバムをリリースし、その先行として「おまえがパラダイス」なんて、もろ50'Sを意識した3連ロッカバラードをこの曲の次にシングルリリースしたりさ。

つねに「一等賞」狙いだったジュリーだったけど、ヒットどがえしでも、いわいる原点回帰って言う兆しがあったんだよね、この頃ジュリーには。 
まあ、これは次の年の年頭に閉鎖が決まってた、日劇での最後の「ウエスタンカーニバル」出演という布石でもあったんだけどさ。

そこに持って行くための「橋渡し」だったんじゃないのかなぁ、この曲は・・・なんて思えてきたりして。。。



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背中まで45分 / 沢田研二

1983_01_背中まで45分_沢田研二   


今回の1曲セレクトは、「背中まで45分」沢田研二です。

まずはデータです。

・タイトル    背中まで45分
・アーティスト  沢田研二
・作詞      井上陽水
・作曲      井上陽水
・編曲      白井良明
・リリース日   1983年1月1日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 20位
・売上げ枚数 8.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 18位

明けましておめでとうございます。 ことしもよろしくお願いします。
目ぼしい曲もだいぶ少なくなってきちゃいましたが、今年も行けるところまで行ってしまおうと思いまする。
今年も一つお付き合いいただけると幸いです。

さて、毎年新年の1発目は、「1月1日」リリースの曲を書き続けてきたんだよね。
そんな事を何年やってきたのかなぁ、「1月1日」リリースのヒット曲ってのも、大分書いて来ちゃったんだよなぁ。だから、めぼしい曲が・・・・・。

・・・と困ってしまうんだけども。。。

でも、前々から気にはしてたんだけども、ずっと書いて来なかった「1月1日」リリースの曲があるんだよな。

今回は、その曲をセレクト。

沢田研二 「背中まで45分」

この曲は1983年1月1日リリース。 時代的に言えばこの曲の前が「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」。
そそそ、 ♪ 毎日ボク 眠れない やるせない Ha Ha Ha〜 ♪ とデビットボウイよろしく、右手を突き上げてたあの曲ですわ。

 この「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」は覚えてらっしゃる方も多いですよね。もちろんオリコンでもベストテン入りし、26万近くうれましたしね。「ザ・ベストテン」では3位まで行ったしね。

でも、さすがにこの「背中まで45分」を覚えてる方は、少ないんじゃないかなぁ。 なんせオリコンで20位までしか行かなかったし、売り上げも、いきなり8万枚強に急降下しちゃったからなぁ。

当時の感覚から言って、まあ、初めから、これは売れないだろうな・・・とは思った。 ただね、いくら売れないと思っても、ベストテン入り出来ないほどの急降下になるとは、正直思わなかったんだけどね、個人的には。
 ジュリーほどのスーパースターともなれば、楽曲パワーが弱くても、それまでの実績・・・余熱でベストテン位はキープ出来るはず・・・・っていうのは、当時13歳のクソガキだったワタシでも生理的に分かってたんだよね。

生理的っていうのはおかしいか。。。 人気の尺度っていうのかなぁ。

でも、実際は、予想をはるかに下回る結果だったからさあ、正直ちょっと焦ったな。

ま、結局さ、それくらいパワーが弱い曲だったんだよね。 うーん、これも表現がよろしくないかなぁ。
パワーが弱い・・・というか、「大衆」的に求心力が弱いんだよね、楽曲的に。

うん、簡単に言えば「難解」過ぎるんですわ。

曲は、作詞、作曲共に井上陽水氏。 正直、これにも面を食らったんだけどもね。

井上陽水氏の曲は、70年代の当初から、正直、凡人のワタシニャ、よく理解できない世界の歌詞だったわけじゃん。でも、曲が素晴らしかったこともあり、理解が難しい詞の世界でも、なぜか自分の中に入ってくる。
うん、引っかかる・・・という生易しいものではなく、入って来るんだよね、まるで心霊現象のように。

80年代に入ると、さらにエスカレートしたというかねぇ、81年の「ジェラシー」は、まだいいとしても、82年夏の「リバーサイド・ホテル」はさあ、これは難解の局地だったもんな。
 いや、13歳のクソガキには、全く理解できない世界だった。すくなくとも身近には存在しえないような別の世界の物語のような・・・。 それに、それまではメロディ自体は理解しえたけど、「リバーサイド・ホテル」っていうのは、メロディでさえも、理解できなかったしなぁ。
いや、理解できなかったっていうのは、メロディを楽譜に置き換えた時、理解できないような譜面の羅列が想像できたからかもしれない。
言ってみれば、曲を左脳で理論的に聴いた場合、理解できないって事だったんだろうな。

それが、そのまんま、ジュリーのこの「背中まで45分」でも感じたんだよなぁ、きっと。

例えば、クラシックでジュゼッペ・タルティーニの「悪魔のトリル」っていう、超絶難関の曲があったりするでしょ。
でも超絶難関に思えるのは、おそらく、理論的な部分で左脳で考えてしまった場合に起こり得るんじゃないか・・・なんて思うんだよね。

ま、個人的にこの曲を弾いたことないから、あくまでも「想像」でしかないんだけどさ、例えとしてね。

でも、「悪魔」と言う部分では、共通してたかなぁ。陽水氏自信の「リバーサイド・ホテル」もそうだったけど、共通して、悪夢の世界というかねぇ、悪魔的なイメージがあったんだよね。
少なくとも、色鮮やかな世界の曲ではないじゃん。かといって暗黒の世界でもない。そうだね、暗いセピア色の世界と言うか。

実際に、当時の月刊・明星の付録の「ヤンソン」で、この曲の楽譜が掲載されてたけど、中1の自分からみても、正直、難解な譜面だったんだよね。で、譜面から感じる世界も、どこかモノクロや、ダークなセピア色の世界だったんだよな。

おそらく、そこから始まっているんじゃないかなと思うんだよな、この曲との付き合い方として。
やっぱり、そんなダーク世界の曲は積極的に聴きたいとはあんまり思わないからさ。 だから、ずっと、この曲を封印してきてたんですよ。 今の今まで。。。。


でも、これを書くにあたって、ひっさびさに聴いてみた。

うん、音源は持ってるんだよね、この曲の。。。 ま、ジュリーのベスト盤持ってるからさ。 でも、ずっと聴いて来なかったの。

でも、おや、当時感じた印象とは全く違うな。 そもそもイントロ最初のシンセの音からして、こんなに軽かったか
ま、たしかに、メロディライン自体は、変わらず難解だけど、でも、当時感じた悪魔的なセピアな世界は感じない。
うん、当時感じたダークな世界ではないな、今聴くと。 軽いんだよね、イメージが。

でも、どっかで聴いたようなイメージはある。 そうだ、ヒッキーの「Beautiful World」に似たイメージなんだ。
モノクロなんだけども、薄い靄がかかったような湿った感覚。

そうだ、その感覚から言うと、 当時のUKロックなんだよなこの曲は。 例えばイントロのシンセの音色なんてカルチャークラブっぽいし。。

そうだとすると、この曲も前曲の「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」の延長線上にあったと言えなくもないのかもな。前曲はデビットボウイだったわけじゃん。ただ、前曲がグラムロックだとしたら、この曲は、もっと軽い小悪魔的軽いロックのイメージだったのかねしれない。
ただ、その根っこには、「UK」っていうのがあったわけで。

世界的な音楽の流れで言えば、ちょうど、この頃からアメリカ発よりもイギリス発のUKポップスやロックが、アメリカンポップスやロックを凌駕し始めていた頃だ。

だから、当時のジュリーは、そんな世界的な音楽の流れに乗っかってたとも言える。

でもね、当時は、まだ、そこまで日本のオーディエンスは、ついて行けるような状況ではなかったんだよね。
あまりにも先を行き過ぎていたんですよ。 

時代よりも半歩進んだ感じ。 ヒットの条件としては、これが大事だと言われるんだよね。
時代よりも「1歩」進んでも、1歩遅れてもダメ。 時代の潮流に乗り遅れるヒトのためにも「半歩って言うのが大事なんですよ。

それからいうと、この曲は時代よりも1歩も2歩も進んじゃっていたのかもしれないな。




当時の画像がなくてスンません。 まあね、34年前でベストテン入りしていない曲だからねぇ。


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OH!ギャル / 沢田研二

1979_07_OH!ギャル_沢田研二


今回の1曲セレクトは、「OH!ギャル」沢田研二です。

まずはデータです。

・タイトル    OH!ギャル
・アーティスト  沢田研二
・作詞      阿久悠
・作曲      大野克夫
・編曲      船山基紀
・リリース日   1979年5月31日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数 27.1万枚
・ベストテンランクイン期間:1979年6月11日〜7月23日付

えー、前回は山口百恵さんの「横須賀ストーリー」をセレクトしてきましたが、70年代、百恵と並ぶスーパースターといったら、やっぱ、ジュリーですよね。
・・・ということで、今回はジュリーの曲に決まり!

・・といってもね、ジュリーもここまで大分書いてきたからなぁ、今回は少し変化球で行きますかね。

「OH!ギャル」

「勝手にしやがれ」にはじまったジュリーにとっての「第2期」黄金期の最後に当たる、この曲だけど、「最後」と書いたようにそれまでの大ヒット曲に比べると、やや売り上げもダウン。少し忘れられた、ジミな存在の曲・・・って言う感じなのかなぁ、今となっては。

うん、第2期黄金期、ずっとジュリーを支えてきた、阿久悠、大野克夫と言うコンビでの最後のシングルでもあり、やはり「勝手にしやがれ」などの大ヒット曲でアレンジを担当してきた船山基紀氏も、この曲がジュリーのシングルのアレンジャーとしては最後の曲でしたね。

79年と言う時代の分かれ目と言う事もあってか、ジュリーにとってもターニングポイントだったんだろうけど、そんな「最後」づくしの曲としては、ちょっとジミ目な曲だった・・・っていうのも否めないかもなぁ。
 「勝手にしやがれ」以来、新曲をリリースするたびに、「次は何をやる?」みたいな話題を常に提供してきたし、曲にしても、毎回、新しさとインパクトを出し続けてきたジュリーだけど、この曲は曲自体ちょっとインパクトに薄い曲だよなぁ・・・っていうのは、否めなかったしな。

そもそも、「OH!ギャル」っていうタイトル自体、あの当時としてもアナロク的だったしなぁ。 それまでの曲のタイトルは斬新さがあったんだけどもさ。

ま、今となっては「ギャル」なんてコトバ自体、完全に「死語」だしさあ、今の若いコにとっちゃ、なんのこっちゃ だよね、きっと。 うん、「ワカイ女の子」の事ですね。

そそそ、79年⇒時代の分かれ目・・という点では、この曲と、ピンク・レディーの「波乗りパイレーツ」が、なんかリンクしてるように感じるんだよな・・・
・・というか、当時もそんな感じがあったな。

沢田研二と、ピンクレディーといえば、前年の1978年、レコード大賞を争った同士ですわ。

その2組、それから半年余り経っただけなのに、それぞれ元気が無かったでしょ。

当時、小学4年のクソガキだったワタシでも、そんな状況から時代の転換点・・・っていうような変化は感じてよなぁ。

でもね、個人的に言えば、この曲決してキライじゃなかったんだよな。むしろ、それまでのジュリーの曲に比べると「手垢」が少ない分、好感度があったような気がするんだよね。

恐らくそれは、本格的にヒット曲の世界に足を突っ込んで、本気でヒット曲を聴き始めた頃と重なっていたからなのかもなぁ。

まあ、そんなこともあってか、この曲を聴くと1979年の今頃の風景がはっきりと脳裏に浮かんでくるんだよね、今でも。

そそそそ、この曲がヒットした、ほんの少しあと、この年の夏休みに初めて「ブルートレイン」に乗って博多まで行ったんだよな。 その時、頭ん中でヘビーローテーションでながれてたのが、この曲だったんですよ、それも良く覚えてる。
 
だからね、この曲を聴くと、あん時の初めて乗ったブルートレインとか、博多の中州のネオンサインの光景とか思い出すんですわ。

そんなことも個人的に、好感度がある1曲なのかもしれないな。

ただ、この曲に関して、それまでの曲のような話題性が無かったか・・・というと、そんなことなかったよね。
そそそ、この曲で初めて、「化粧」したんだよなジュリー。 今見ると、最近のビジュアル系ほどの化粧ではないけど、当時は、かなり話題になりましたよね。 男が化粧とは、何事  みたいな

まあ、向こうでは既に、デビットボウイが化粧してたりしてたわけで、ま、言ってみればジュリーもそれを取り入れただけに過ぎなかった訳なんだけども、まだ保守的・・・というか、伝統的な日本文化な思想が残ってた70年代でしたからねぇ、それでも話題になってしまう訳だったんですよね。


ちなみに、ジュリー自身は・・・というと、どうも、この曲は気に入ってなかったようで、あるツアーで、この曲を歌った後、「この曲大嫌いなんや」なんて暴露してた様ですね
当時は、そんな感じしなかったんだけどねぇ。。。



うーん、タバコを持ちながら曲を歌う・・・っていうのも当時としては斬新だったかなぁ。
この後、、これマネして、タバコ持ちながら歌うヒトは、ちょくちょく出てきたけどさ。


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さよならをいう気もない / 沢田研二

1977_02_さよならをいう気もない_沢田研二








今回の1曲セレクトは、「さよならをいう気もない」沢田研二です。

まずはデータです。

・タイトル     さよならをいう気もない
・アーティスト   沢田研二
・作詞       阿久悠
・作曲       大野克夫
・編曲       船山基紀
・リリース日   1977年2月1日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 8位
・売上げ枚数  21.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1977年2月28日〜3月7日付

えー、以前書いた、西城秀樹の「ラストシーン」の時も同じようなことを書いた気がするんだけど、トータル的な売り上げ枚数や、チャートアクションでは派手な動きをしなかったものの、ことコアなファンには、めっちゃ人気な曲っていうのが、時々あるんだよね。
 今回も、また、そんなファンには人気があるけど、一般的にはあまり知られていない曲を引っ張って来ましたぞ。

沢田研二「さよならをいう気もない」

うーん、どうですかねぇ、タイトルをあげて、「あー、あの曲ね」って浮かんできた方は、昔からのジュリーファンか、通なヒット曲ファンだと思いますねぇ。
大体の方は、「え? いつの曲?」って感じじゃないのかなぁ。

リリースタイミングでいえば、前曲が「コバルトの季節の中で」、で、1曲後が、あの超大ヒット曲「勝手にしやがれ」なんだよね。大ヒットと大ヒットの間に挟まれた、なんとやら・・・っていうところですかね。

 今は、素晴らしい曲だろうが、イモな曲だろうが、大体、同じような売り上げ傾向を示すでしょ? 同じようなヒトしかCD買わないから。

でも、昔は、長くヒット曲を出し続けているジュリーのような「一流」のアーティストでも、その全てが同じように大ヒットしてたわけじゃないんだよね。
 つまり、「勝負曲」と「つなぎ曲」ってのがあってさ。年に1枚か2枚が「勝負曲」で、後の1枚、無いし2枚は「つなぎ曲」って事が多かったですよね。

まあ、パターンはアーティストによってまちまちだったけどさ。

で、「つなぎ」曲の場合、本当にリリースする気があったのかどうか・・・って感じの本当の意味での「つなぎ」曲の場合もあれば、少なくともファンには受けたいという思いの曲の場合もありましたよね。

この曲の場合は、完全に後者なんだろうな。

ただ、意図的に計算してそうなったのか、それとも、たまたまファンには熱狂的に支持されたのかどうかは良く分かんないんだけどさ。


 そもそも、ワタシがこの曲を知ったのは、たまたま購入した「沢田研二ベスト」の「カセット」にこの曲が入ってたから・・・なんだよね。

「ベスト」って言うくらいだから、きら星のごとく・・・っていう大ヒット曲が収録されていたんだけど、その中にこの曲がちょこんとあったんだよね
全く知らなかったのよ、この曲については。 最初は なんだ? この曲は? って感じだったな。

ただ、考えてみると、そんな大ヒット曲群の中に収録されたってことは、それだけこの曲を支持してたヒトが当時から多かった事なんだろうな。うむ、レコードはそれほど売れなかったけど。

実際、この曲を聴いてみると、たしかに一般受けはしないだろうなって感じの「地味」な曲なんですよ。
とても、次の「勝手にしやがれ」と全く同じ作家陣が作ったとは、全然思えない。

なんて言うのかな、シングルのB面の・・・って感じなんだよね。

でもねぇ、何回も聴いてると味が出てくるんだよな、これが。 ワタシもいつの間にか、この曲のファンになってたもんね。

こういう、ジミな感じの曲になったのは、やっぱ季節的なところもあったんでしょうかねぇ。
奇しくも同じくファンには熱狂的なに支持されていたけど、一般的にはあまり受けなかった西城秀樹の「ラストシーン」も、この曲とほぼ同じ頃のヒットだったんだよな。
 1977年の2月っていうのは、そう言う時期だったのかなぁ。。。
まあ、個人的には、当時7歳ということで、まだリアルタイムでヒット曲を聴いてなかったんで、リアルな時代背景っていうのは、良く分かんないんだけどさ。

 そういえば、死んだオヤジもこの曲、気に入っててねぇ。カラオケで歌いたいから教えてくれ・・・なんて言ってたこともあったなぁ。





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麗人 / 沢田研二

1982_01_麗人_沢田研二








今回の1曲セレクトは、「麗人」沢田研二です。

まずはデータでする。

・タイトル    麗人
・アーティスト  沢田研二
・作詞      阿久悠
・作曲      沢田研二
・編曲      後藤次利
・リリース日   1982年1月10日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数  22.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1982年2月1日〜3月15日付

 えー、1曲セレクトを長く書いていると、どーしても書きやすい曲とか、大ヒットでみんな知ってる曲から書いていくんで、後々には、取っつきにくい曲が残ってしまったりするんだよね。

 今回もそんな曲の1曲だっりして。。。

沢田研二 「麗人」

ジュリーの曲も、これまで随分書いてきた・・・つもりなんだけとさ、この曲はどうしても書けなかったんだよな。
年代的には、一番「ヒット曲」を聴いてた頃の曲なんだけどな。

 そそそ、ここでも以前言及した事があったけど、ちょうどこの頃、82年の年明けから、当時TBSラジオの夜9時から毎日放送してた、「ザ・ヒットパレード毎日がベストテン」を聴き始めた頃ですわ。
 ちなみに、今回セレクトした「麗人」も、初めて聴いたのは「ザ・ヒットパレード」だった・・・と思う。

 あれ? 文化放送の「全日本歌謡選抜」だったかな?   ま、どっちかですね。

最初の印象・・・・なんかよく分かんない曲・・・だったなぁ。 これまで文章として書きにくかったってところに結びつくんだけど、兎に角取っつきにくかったんだよなぁ、当時は。

この曲の前の「ス・ト・リ・ッ・パー」がああいう、バリバリの「インパクト」の塊のような曲だったんじゃん。それに比べると、なんか今一つ、引っかかるところも少ない様な感じだったし。。。

・・・っていうのは言い訳かなぁ。 今聴くと、かなりインパクトは強い曲なんだけどね。

そもそも「麗人」っていう意味も、当時はよく分かんなかったしさ。

ただ、ひとつ、♪ 恋は もともとそういうもの〜 ♪ っていうサビのメロディは、引っかかったな。 それまでのジュリーにはなかったサムシングを感じたんだよね。

「ス・ト・リ・ッ・パー」がストレイキッツばりの、ロカビリーロック(っていういい方があるかは不明)だったのに対して、この曲あたりから俄然、ニューウェイヴ色が強くなったわけで、その変化について行けなかったのかもなぁ、当時は。
 個人的に、当時は、どうもニューウェイブ系の曲が今一つ取っつきにくかったんだよね。 なんせ、ダサイ曲が好きなもんださ。 結局、この曲が取っつきにくかったのは、そこのところが一番大きかったのかもなぁ。 


ジャケ写。なんか凄いよね。っつか、さっき初めて見たんだけど、この曲のジャケ写って。
当時、レコード屋に通ってたんだけど、どうもこの曲のジャケ写って記憶に無かったんだよなぁ。
まさに大正ロマンそのものっつうか、初期の横尾忠則っつうか。曲のイメージとはまるで違いますよね。


動画・・・あ、これいいな・・・と思った動画が、直リンクじゃなきゃ、弾かれちゃう設定になってたんで、
ようつべに直リンク

https://www.youtube.com/watch?v=tImje11mSMA

ま、なんだかんだ言うても、今聴くと、いいんだな、これが。  最近、こういうアクの強い曲って少ないからさ。
いやいや、その前にかっこいいよね、ジュリー。
この動画は94年のものだけど、雰囲気は、82年のヒット当時、そのままだな。
バックでドラム叩いてるのは、村上ポンタ氏で、ベースは、確か後藤次利氏。
やっぱり、一流ミュージシャンが脇を固めると、曲が締まりますね。



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ス・ト・リ・ッ・パ・− / 沢田研二

1981_11_ストリッパー_沢田研二






今回の1曲セレクトは、「ストリッパー」沢田研二です。

 まずはデータです。

・タイトル    ス・ト・リ・ッ・パ・−
・アーティスト  沢田研二
・作詞      三浦徳子
・作曲      沢田研二
・編曲      伊藤銀二
・リリース日   1981年9月21日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   36.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1981年11月2日〜1982年1月11日付

 ここでも何回か書いてるんだけど、最近「エロエロ」な歌って少ないよなぁ。なんでなんだろうねぇ。やっぱりPTAがウルサイんでしょうかねぇ。いわいるモンスターペアレントって言うヒト達。でもさあ、自分たちだってエロエロやってたから子供が生まれたわけじゃんか・・・なんて思うんだけどねぇ
 まあ、その反動か、ここでもエロエロな曲を書くと意外とアクセス数が良いんだよね。

 いやいや、そんなに「エロエロ」ソングが人気あるんなら、「エロエロ」ソングを持って来ようじゃん・・・・っつうことで、沢田研二の「ストリッパー」を持ってきました。

 あ、正確には表記は「ス・ト・リ・ッ・パ・−」のようですね。間に「・」が入る・・・と。

 まあ、それはどうでもいいんだけど、↑で書いたほど、実際は「エロエロ」ソングではないです。

 たしかにタイトルを見ると、衝撃的ですけどね。作詞は、三浦徳子さん。

 しかし、前、シブがき隊の「処女的衝撃」の時も書いたけど、女の作詞家としては、野太いよねぇ。「ストリッパー」ですよ。
 普通、女の作詞家では、こんな衝撃的なタイトルの曲、書かないですよねぇ。

 まあ、タイトルはもともと決まってたのかもしれないけど、タイトルに負けないほど、内容的にも野太いものねぇ。

 ♪ ヒールを脱ぎ捨て ルージュを脱ぎ捨て 全てを脱ぎ捨てたらおいで 裸にならなきゃ 始まらないショーの始まりさ〜 ♪

だもの。

 これなんですよ〜、ヤバさって。詞を読んだだけでもドキッとするヤバさを感じるじゃん。

 これが「歌謡曲」の醍醐味なんじゃないかと思うわけです。

 きっと、最初から「オトナ」のマーケットを意識した作りに徹してるから、この位ヤバい曲でも大丈夫っていう読みもあるから、作れるんだろうね。

 この曲、今から34年前の曲だけど、まだ、あの頃は、聴き手(ユーザー)にもオトナが居たんだよね。


 ・・・かと思えば、松田聖子の「青い珊瑚礁」のような、ソフトな詞も書くし、早見優の「夏色のナンシー」のような、キラキラした詞も書くし、このヒト一体、何者? って思うくらい、変幻自在な幅広いイメージの詞を書くヒトだったよなぁ。


 この曲に関しては、曲も詞に負けないくらいスリリングだし、久々に「勝負」をかけてきたジュリーだったよなぁ。ジュリーは、こうじゃなくちゃ!

 まずもって、イントロ最初のドラムのスタタタタタタタタタタタタっていう力強いスネアからして、インパクト大だったもんなぁ。

 サウンドはギンギンギターの悪夢路線。エロくていいんだよね、さすがにストリッパーというだけあって。。。

 この前の年の「TOKIO」から、バックバンドは、長年連れ添った井上尭之バンドから、オールウェイズを経て、この年81年から、吉田健氏率いるエキゾティクスに変わったけど、恐らくこのバンドの魅力が、あのころでは一番引き立った曲なんぢゃないかな。

 曲はジュリー自身。このころは、前曲の「渚のラブレター」、この曲、次の「麗人」と3曲連続で自身作曲でいってたけど、ソングライターとしても、かなりいけるよねジュリーって。

 本人の言葉を借りると、たまたま自分で書いた曲が選ばれたっていう話だけど。

 まあ、今となっては、最期の力を「振り絞って」に入ってた時期でもあるんだけどね。
 この曲が現在まで、最期の30万枚突破曲となってしまったわけで・・・。

 でも、コノヒトが年末のレコード大賞に居ると、それだけでステージが華やいでた時期ですよね。

 改めて「スター」だと思いますわ。最近は「スター」っていうほど存在感があるヒトも少なくなっちゃいましたからねぇ。


 ちなみに、エロエロ・・・だったら「時には娼婦のように」の方が、もっとスリリングだったかな?
 だけど、残念ながら、時期が合わないんだよね。。。




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憎みきれないろくでなし / 沢田研二

1977_11_憎みきれないろくでなし_沢田研二






今回の1曲セレクトは、「憎みきれないろくでなし」沢田研二です。

 まずはデータでする。

・タイトル    憎みきれないろくでなし
・アーティスト  沢田研二
・作詞      阿久悠
・作曲      大野克夫
・編曲      船山基紀
・リリース日   1977年9月5日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   62.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1977年9月19日〜1978年1月16日付

 ここまで1000曲以上書いてきた「1曲セレクト」。。なので、すでに大ヒットと言われる曲も大分書いてきた感があるけど。。。
 しかーし、よーく、調べてみると、まだまだ「抜けてる」曲もあるっ・・・たしかに。。

 今回、引っ張ってきた、ジュリーの「憎みきれないろくでなし」。

 あの「勝手にしやがれ」の流れを汲んだ、超大ヒット曲なのに、まだ、書いてなかった。。。あららら、これは、完全に見逃してたね、今まで。。

 でも、今の状況を考えると、こういう曲があってくれて、よかったんだけどさ。。

 ・・・ということで、引っ張ってきましょ。。


 上でも書いたように、この曲は、前の曲が、あの「勝手にしやがれ」だったわけで、その流れを汲んだ1曲ですな。
 昨日のアリスでも、当時「キザ」っていう言葉がナウかった・・とかいたけど、「キザ」といったら、やっぱジュリーの他においてなかったでしょ、当時は。

 それにしても、当時のジュリーは勢いあったよねぇ。この曲も、ベストテンに4ヶ月も居座る、ロングヒットですわ。ジュリーが一番勢いがあった頃ですな。
なんせ、当時、小2だったワタシでも、この曲はタイムリーで聴いてたもん。
 当時、ピンクレディーより好きだったな、こっちのほうが。なんか、大人の世界でさ。

 ただ、それはやっぱ、前曲の「勝手にしやがれ」があったから・・・っ言うのは否めないんだけどさ。なにせ、それまで暫くは、大ヒットがでなくて、あえいでた時期だったもんね、さしものジュリーも。


 で、曲のほうなんだけど、作曲者の大野克夫氏談によると、この曲、「豆腐屋」のラッパの音から連想して書いたそう。
 
 そそそ「パーーープーーー」ってラッパ音があるじゃん。

 うーん、そういわれてみればそうなのかなぁ。

 たしかに、イントロの部分とかのトランペットの使い方とか、そんな感じがしなくもない。。 けど、なんで、キザなジュリーの曲が豆腐屋のラッパの音なんだ?

・・・とか思ったりもするけど、ま、そこが面白いっちゃ、面白いですな。
 実際は、それくらい、当時、忙しかったんだよね、大野克夫氏、なにせ、曲をつくって、ジュリーのバックバンドでテレビに出て、コンサートで地方に行く・・・なんて、活動をしてたわけだから。

 個人的に言えば、もうね、歌われつくされた「勝手にしやがれ」よりも、この「憎みきれないろくでなし」の方が好きだったりするんだよね。
 もちろん、かっこいいのは「勝手にしやがれ」よ。これは、異論がないところ。
 でも、「かっこよさ」だけでなくて、なんとなく頼りない部分もあるじゃん、この曲。そこがいいのよね。

 まあ、当時、ジュリーの大ファンだった母親の受け売りも多分にあるんだけどさ。。。
 なんせ、当時、ラジカセに録音した、この曲を何度聴いたことか。。
もうね、完全に刷り込みですよ。

 昔は、そうやって、1曲を何度も何度もねちっこく聴いたもんだよね。そうやって、1曲を体の中へ刷り込んでいったもんよ。

 ほんと、この曲聴くと、小学2年の今のごろの時期よ、頭の中は。



 セットも何もない、ジュリーだけしか映っていないとこでの歌唱だけど、でも、これでも充分なんだよなぁ。逆に余計なセットが無いだけにウタに集中できる。
右手にもったタバコ。。ウタの最後まで燃え尽きないのかな・・・なんて思ってたら、途中で吐き捨てましたね  バッチイけど、ジュリーがやると絵になるんですよね。流石はスーパースター。
 

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コバルトの季節の中で / 沢田研二

1976_10_コバルトの季節の中で_沢田研二






今回の1曲セレクトは、「コバルトの季節の中で」沢田研二です。

 まずはデータです。

・タイトル    コバルトの季節の中で
・アーティスト  沢田研二
・作詞      小谷夏
・作曲      沢田研二
・編曲      船山基紀
・リリース日   1976年9月10日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数   23.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1976年10月4日〜11月15日付

 運動会の季節ですね。今日は、近所の小学校で、近隣地区の運動会が行われておりましたわ。
 今は小学校も児童が少ないせいか、他校と合同でやることが多いみたいですね。ワタシたちの頃は考えられなかったけどね。
 午前中、散歩がてら、小学校の前を通りかかったんだけど、最近は、競技のBGMも普通の「ヒット曲」使うんだなぁ。これにはちょっと驚き。 ワタシが通りかかった時には、嵐の「Happiness」が延々とかかってました。

 ちょっとまてよ〜、運動会のBGMに「嵐」かい? なんか変なの。。。
・・・とともに、なんかセンスねぇなぁ。ワタシだったら、おなじヒット曲使うんでも、競技にあわせて、もうちっとましな選曲すっけどな、時代に関係なく。。。

 ワタシたちが小学生の頃は、行進曲とか、リレーの時のBGMってある程度決まってたもんだけどね〜。

 かくいう、ワタシ、小学校の4年〜6年まで3年間、放送委員だったのよ。で、5年、6年の時は、運動会、学芸会の放送係で効果、BGM担当だったんですわ。 運動会の時はねエラソーにテントの中でふんぞり返ってた・・・・というわけでぢゃくなくて、お皿回し(レコードかけね)してたんですわ。

 まあ、今風に言えば「ディレクター」ですわ。担当の先生がさしずめ「プロデューサー」かな。(お年を召してて、おっかない先生だったんだ)
 6年の時は放送委員長やってて、今で言えば「チーフディレクター」って所か。

 これがね、結構大変なんですよ。大体、運動会とか学芸会・・・って予行演習ってやるぢゃない? こん時にレコード大量に持ち込んで、競技にあわせてBGM選曲したり、タイミングを計ったりするの。

 この競技にはこの曲ね・・・とか、入退場から競技開始のタイミング計ったりさ。ただ、ダラダラ音楽流してれば良いってわけぢゃないなだよね。じゃないと、運動会全体の雰囲気がダラダラになってメリハリつかないでしょ。(幸いアナウンスは、同級生の女の子がやってくれたんで、アナウンス原稿は書かなくて済んだんだけど。。。。)
 本番は、ターンテーブル(レコードプレイヤーです。。)2台とカセットレコーダーを用意して、それぞれのターンテーブルに次に使うレコードのっけといて、曲の頭に針のせて置いて、前のBGMをフェイドフウトさせながら、タイミング見計らって、次のターンテーブルスタンバイしたりさ。もうそりゃ戦場なのよ。
 うん、クラブのDJと同じよ、基本は。BGMで場を盛り上げなきゃいけないからさ。

 みんなは、テントにふんぞり返っていいな・・・なんて言ってたけどさ。こっちだって、命張ってたんですぞ。

 運動会はまだいいけど、学芸会の時は、ほんとに戦場だったな。劇だと使う曲は多いし、効果音も入れなきゃいけないし・・・。運動会より、タイミングが細かいし・・・。プログラム内容も全部覚えなきゃいけないんですよ〜。
 おまけに緞帳の上げ下げ、照明効果などのPAも全部、ワタシらのチームでやってたんだもん。舞台裏の放送室は、まさに戦場ですよ。

 でも、なぜか、それがワタシ的には楽しかったんですよねぇ〜。性にあってんのかな?

 小学校の謝恩会では、全部自分たちで企画して、選曲、効果、照明、全部自分たちでやったもん。この時が、さしずめ選曲プロデューサーデビューだったのかな・・・。なんてね。

 だから、のちのち仕事で着メロ、着うたサイトの楽曲運用統括の仕事してた時は、実際は楽しかったんだよね。まあ、やっぱり現場は戦場なんだけどさ。



あららら、今回もセレクトとは、全然違う方向に話がいっちったな、、、反省。

 でも、今回引っ張ってきた、ジュリーの「コバルトの季節の中で」ってまさに、運動会シーズンの今ごろ聴くにはピッタリの曲ですわ。

 メジャー系の、爽快でやさしいポップスでさ。秋のさわやかな温度感いっぱいの曲だよね。

 コバルトっていうと、なんとなく、金色に輝いた秋の陽光っていうイメージがあるけど、これは、秋の空の高い青空のことですね。コバルトって、実際は淡いブルー色だから。

 でも、なんとなく、個人的には、秋の日の金色に輝く陽光を思い浮かべちゃうんだよなぁ、この曲。


 でもさ、実際、このころののジュリーって、低迷期に当たってたんだよね。
 75年8月の「時の過ぎゆくままに」でジュリーで最高の91万枚のセールスを記録してから、77年5月の「勝手にしやがれ」の間の約2年間は、ジュリーにとっては「壁」の時期だったんですわ。
 76年はスマッシュ級のヒットは出ていたものの「大ヒット」は出てない。
現に、この年はレコード大賞のノミネートから外れている。

 そんな76年の中でも、最もスマッシュヒットになったのが、この「コバルトの季節の中で」なんじゃないかな。

 この前の「ウィングでさよなら」では、ユーミンを作詞に起用したりね実験的なことはやってたんだけど、必ずしも成功とはいえなかったし。

 いい意味での開き直りが、素直の曲調に結びついて、結果、まずまずの結果を残せたんではないですかねぇ。

 この曲、作曲は、ジュリー本人なんだよね。後年81年〜82年にかけては3曲続けて、ジュリー本人の曲が採用されて本人が歌ってたけど、
自作の曲は、シングルでは、この曲が初めてだったんだよね。それまでは、加瀬邦彦(元ワイルドワンズ)っていう強力なブレーンがいたし。。

 で、この曲をはさんで、大野克夫(元スパイダース)っていう、強力な助っ人が現れて、第2次ジュリー黄金期に突入することになるんだけど。

 アレンジもこの曲から船山基紀氏が担当することになって、それまでのフレンチポップス色が一掃されたんだよね、この曲から。
 どちらかといえば、ロック色に近いストレートなポップスに変化していったと・・・。で、この先は、いわいる「キザ路線」に突入していくわけだけども、

 ジュリーにとっても転換期になった1曲なんじゃないかなぁ。



 ちなみに、この曲の作詞の小谷夏は、演出家の「久世光彦」氏のペンネームです。
 まっちの「ギンギラギンにさりげなく」の作詞の伊達渉が同じ様に、演出家の伊集院光のペンネームであるように、結構、演出家がペンネームで作詞家として副業してた例って意外とあるんですよね。

 久世氏とジュリーは、ドラマ「悪魔のようなあいつ」で、主人公と演出家としての接点があり、そのつながりで、この曲の作詞をしたんでしょうね。




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6番目のユ・ウ・ウ・ツ / 沢田研二

1982_10_6番目のユウウツ_沢田研二






今回の1曲セレクトは、「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」沢田研二です。

 まずはデータです。

・タイトル   6番目のユ・ウ・ウ・ツ
・アーティスト 沢田研二
・作詞     三浦徳子
・作曲     西平彰
・編曲     白井良明
・リリース日  1982年9月10日
・発売元    ポリドール
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  25.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1982年9月27日〜11月8日付

 昨日も書いたんだけども、今、仕事が繁忙期でさあ、大変なんだわ。もうね、毎日が「ユ・ウ・ウ・ツ」。
うんにゃ、今の気分にちょうどいい曲があったわ。

 沢田研二の「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」

 いや〜、この曲聴くと、ほんとに気分が憂鬱になるから不思議だ。

 まあ、この曲がヒットしてたころの個人的な生活環境云々の事もあるんだけど、それにしても、この曲の力っていうんですかねぇ、ほんとに聴いてるとユウウツになるのよ、この曲。

 全体的に見てもキモチワルサがあるでしょ。イントロのなんたら言ってるボイスにせよ、バックの幽霊でそうなシンセだったり。悪夢の世界だよね。

 ・・・かと思うと、サビで ♪ 毎日、僕 眠れない やるせない はっはっはっ ♪

 と自虐的なフレーズが入ってきたりして。。。 それが余計に憂鬱な気分にさせる。

 音楽ってさあ、気分を楽しくさせるもんじゃない? 基本的には。。
 それが、逆にユウウツな気分にさせるっていうんだから、めずらしいっちゃめずらしいパターンの曲だとは思う。

 今だったら、ビジュアル系のヒトたちがやりそうな・・・。ポップス系ではあんまし見かけなくなったよな、このテの曲も

 まあ、この曲の時のジュリーがデビットボウイを意識してたこともあるように、下敷きは、濡れたUKサウンド、ま、そこまで過激ではないけどグラムロックってのも考えにはあったんでしょう。


 ただ、ちょっとネタ切れ気味ではあったのかなぁ、ジュリーとしても。当時としては、曲構成がちょっと不安定だったのよね。

 Aメロがあって、サビにいくまでに、遠回り風のBメロあったりして。。当時の近田春夫氏によれば、なんでこんな分かりにくい曲をシングルに切ったんだろう・・・って事だったんだけど。。。 今聴くと、全然そんな感じはしないけどねぇ、当時はシングルといえば、もっとシンプルで尖がった曲・・・って言うことだったんだよね。

ま、いずれにしろ、この曲が ジュリーにとっては「最後」のベストテン入り曲となってしまいましたな。

 あれから33年。。。。といえども未だに現役でやっているというのは、やっぱしスーパースターである所以ってところかしらねぇ。




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時の過ぎゆくままに / 沢田研二

1975_09_時の過ぎゆくままに_沢田研二






今回の1曲セレクトは、「時の過ぎゆくままに」沢田研二です。

 まずはデータです。

・タイトル    時の過ぎゆくままに
・アーティスト  沢田研二
・作詞      阿久悠
・作曲      大野克夫
・編曲      大野克夫
・リリース日   1975年8月21日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   91.6万枚
・ベストテンランクイン期間:1975年9月1日〜12月1日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「悪魔のようなあいつ」主題歌

 えー、約1カ月ぶりでジュリーです。
 
だけど、ジュリーの曲も大分書いてきたからなぁ〜、今ごろのヒットか〜・・・・と一瞬、考えたものの、 あるじゃないの、取っておきの曲が・・・。

 そう、「時の過ぎゆくままに」。

 初期のジュリーといったら、この曲は外せない。 なんせ、今に至るまで、ジュリーで最も売れたシングルよ。 
なに? 「勝手にしやがれ」ぢゃ、ないのかって?

 ♪ノンノノノン〜 ♪(←渡辺美奈代の「TOO ADULT」の節で)

 「勝手にしやがれ」の売上げ枚数は89.3万枚。 この「時の過ぎゆくままに」は91.6万枚。

 この曲の方が僅かだけど、売れてるんだよねぇ。。

 ちなみに、この曲、初登場3位なんだけどさ、「初登場3位」っていうのは、この曲がリリースされた当時としては、オリコン史上、「初登場最高位」だったんだよね。

「初登場1位」が当たり前な今では、まったく想像つかないことだけど。。ふらふら

 
 長い間、第1戦を張ってたジュリーなわけで、幾つかの黄金期が存在するんだけど、大まかに分けると、3つかな。

 第1の黄金期が、72年からこの曲まで、第2の黄金期が77年の「勝手にしやがれ」から、一連の阿久−大野コンピの大ヒット期、第3の黄金期が80年の「TOKIO」からの、いわいるニューウェーブ系での大ヒット期・・・とね。

 第1黄金期、は、どちらかといえば、ヨーロッパ系の曲が主体。うん、フレンチポップスっぽい曲がメインだった頃。

 そこから考えると、この曲は、「異色」なんだよな。

 まあ、それまでのフレンチポップス路線も、そろそろ下火になってきた頃に、いきなり、初の阿久−大野コンビによる、アウトロー路線への路線変換だったからなぁ。

 ただ、この意外性が、いい方向に受けたんだろうな。 いや、マジで、この曲の前の「巴里にひとり」から比べると、180度の路線変更だもの。 全く、虚を付かれたような感じだよな。


 上に書いたように、この曲から、阿久悠−大野克夫っていう、のちの「キザ」路線で一時代を築くことになるコンビと初めて組んだんだけど、まだ、この曲に関しては、「キザ」っていうところまでは、入り込んではいない。
 ただ、アウトローだよな、この雰囲気は。 でも、いいタイミングでいい感じでイメチェンに成功した感じだよな。

 でも、なぜか、この曲の後、また、元の路線に戻ろうとして失敗、1年半ばかりのブランク期間を作ってしまう。

 この辺が、よくわかんないんだけどね。

 まあ、この「時の過ぎゆくままに」は、もともと、ドラマ「悪魔のようなあいつ」の企画のために書かれた曲っていうのもあったんだろうけど・・・。

 あ、「悪魔のようなあいつ」っていうのは、当時、刑事事件として時効を迎えようとしてた、例の「3億円事件」をモチーフにしたドラマだったよね、たしか。。
 だったよね・・って、ワタシャ、見てないけど・・・。(まだ6才だったもので。。ふらふら



やっぱさ、当時の画像がいいなぁ・・とおもいまして。。 でも、いっぱい落ちてるねぇ、当時の画像が。。
まあ、それはさておき、テレビなのに、フルコーラスだねぇ。しかも、かなりスローペースだったりして・・

なんと言っても、サビの ♪ 時の〜 すぎゆく ままに〜 ♪  の♪すぎゆくままに〜♪ で半音上がるメロディラインだよね、この曲は。
この特徴的なメロディラインもゆっくり聴けますぞ。


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