かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

永井真理子

ZUTTO / 永井真理子

1990_11_ZUTTO_永井真理子


今回の1曲セレクトは、「ZUTTO」永井真理子です。

まずはデータです。

・タイトル    ZUTTO
・アーティスト  永井真理子
・作詞      亜伊林
・作曲      藤井宏一
・編曲      根岸貴幸
・リリース日   1990年10月24日
・発売元     ファンハウス
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   54.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1990年11月12日〜1991年2月11日付
・タイアップ:フジテレビ系「邦ちゃんのやまだつてないテレビ」エンディングテーマ


この間から、書こう書こうと思って、なかなか筆が進まない曲がある。
自分では、理解していたつもりなんだけど、いざレビュろうと思うと、なかなか頭の中で整理が付かない。
結局は、まだ消化しきれていないんだろうな・・・。

それが今回引っ張ってきた曲。永井真理子さんの「ZUTTO」。

この曲は、今から31年前 1990年のちょうど今頃のロングヒット。 そして永井真理子さんにとっての最大のヒットでしたわね。

まあ、あの時代大人気だった、フジテレビ系バラエティ「邦ちゃんのやまだつてないテレビ」のエンディングテーマだったことも大きかったんだろうね。

なんせ、この曲と、ほぼ同時にこの番組からKANの「愛は勝つ」なんていう、ダブルミリオンが出たくらいだから、あの頃の番組の人気がうかがえる。

それなのにいまだに消化しきれていないっていうのは、31年前の今頃、個人的にあんまり真剣にヒット曲聴いてなかったっていうのもあるんだろうな。

31年前の今頃と言えば、大学1年の秋。大学生活も落ち着いてきて、ちょうど千葉の中央郵便局で深夜の仕分けのバイトを始めたころだ。
・・・それとともに、半ば昼夜逆転の生活サイクルになり始めた頃かなぁ。

朝方寝て、昼から学校に行って、夜バイト・・・なんていう生活サイクルの中で、ヒット曲まで頭が回んなかったんだよな、あの頃。

ただ、バイト先では、夜中ずっとラジオが流れてたんだよな。 覚えているのは3時ごろまで地元のbay fmで、3時過ぎるとオールナイトニッポンの2部が流れてた。
水曜日の真璃子さんと、木曜日の渡瀬マキさんのオールナイトは、よく覚えてますわ。

そんな真璃子さんとは、今facebookでつながっていたりして、なんか不思議な感覚なんだけどさ。

ただ、今回引っ張ってきた、永井真理子さんの「ZUTTO」も、あの頃よくラジオでかかってたんだよ。

だから、この曲を聴くと、あの時のバイトの風景がフラッシュバックするし、自分の中で消化していたつもりだったんだけどなぁ・・・。


ただ、今から思うと、音源はずっと手元に持ってなかったのね。 もちろん、今は、手元に音源持ってるけど。。。

なんせ31年前の事なんで記憶が不鮮明なんだけども、結局は、手元に音源を置いておきたいと思う程は刺さらなかったのかもしれない、当時は。

確かに、あの当時、この曲のようなミディアムバラード系の曲には、あまり触手が伸びなかった。

この曲だけでなく、同じごろヒットしていた森高千里さんの「雨」。この曲も当時の森高さんにしては珍しく、同じような正統派のミディアムバラードだったけど、触手が伸びなかったし、辛島美登里さんの「サイレントイブ」にも触手が伸びなかった。

うーん、どうなんだろうねぇ。

考えてみれば、当時のカラオケブームというのが、一つのネックになっていたのかもしれないな。

この手のミディアムバラードの曲って、あのころ、みんな競うように歌ってたじゃない? いや、みんなに歌われていたからこそ、ヒットしていたわけでさ。

そそそ、あの頃は、ヒットの最大の条件は、カラオケで歌われることだったからさあ。
その一番の条件として、キャッチーなミディアムバラードだったんだよね。

なんか業界の戦略に乗せられているような気がしてさあ。
天邪鬼なワタシは、そんな風潮に背を向けて、だから、あんまり積極的に聴けなかったのかもしれないな。

ただ、これを書くにあたって、譜面を見ながら再度聴いてみた。

たしかに、サウンド、特にエレピは、いかにも90年代前半な音色なんだよね。
なんていうのかなぁ、オルゴールのようなチャイムのようなコロンとした音色。 うーん、うまく言葉で言い表せないけど、最近だとJRの電車接近チャイムで使われているような。
そんなサウンドからして、紛れもなく90年代前半を彷彿とさせる。

ただ、メロディラインだけをとると、どことなく昭和な匂いがするんだよなぁ。

いつかも書いたと思うんだけども、90年代って、92年頃までは昭和へのオマージュなんだよね。全体的なヒット曲の傾向は。

チャゲアス、小田和正、サザン、ユーミン、中島みゆき、浜田省吾、長渕剛・・・・とあの頃のミリオンセラーを見ても、ずらりと「昭和」からの「大御所」アーティストが並んでいるわけで、まだ「平成」という匂いは薄かったわけじゃない?

そもそもこの頃、時代を仕掛けたビーイング系だって、90年のB・Bクーインズからして昭和的だったし、そこから派生したMI-KEは、もろ昭和のオマージュだったわけじゃん。

全体的なヒット曲のメロディラインにしてもしかりだったんだよね。 まあ、その走りは竹内まりやさんの89年の「シングル・アゲイン」あたりだったかもしれないけど。。。


昭和時代のミディアムバラード的なメロディライン。そうね。例えば欧陽菲菲さんの「ラヴ・イズ・オーヴァー」のような・・と言えばわかりやすいかなぁ。 あの手の昭和のエンターテイメント歌謡を彷彿させるような、メロディラインの曲。

それがこの90年あたりから復活しだしたのよ。 いわば平成の「昭和なエンターテイメント歌謡」的な曲。

今回引っ張ってきた「ZUTTO」にしても、そんなメロディラインに近いような気がするんだよね。

その根底は、やっぱりカラオケなんだろうな。

昭和のエンターテイメント歌謡は、飲み屋やスナックでのカラオケが主流だった。 だから、酒の匂いとタバコの匂いがきつかった。 それは大人の匂いでもあった。

90年代前半、カラオケの主流はカラオケボックスに変わった。カラオケと言う文化は同じだったけど、飲み屋から、カラオケボックスに変わったことで、カラオケはよりカジュアルになったんだよね。

カジュアルになったカラオケに合わせて、同じミディアムバラードのサウンドもよりカジュアルになった。 それが森高千里さんの「雨」であり、この「ZUTTO」だったんじゃないのかなぁ。

今思うとそんな風にも思えるんだよね。

その後、同じような、平成の「昭和なエンターテイメント歌謡」は、「会いたい」、「最後の雨」、「ロード」と受け継がれ、いずれも大ヒットを記録。
いずれの曲もカラオケではなくてはならない曲という点では共通だったしね。

そんな流れの最後の大ヒットが藤谷美和子・大内義昭の「愛が生まれた日」あたりだったんじゃないかなぁ・・。

でも、これを最後に平成の「昭和なエンターテイメント歌謡」は下火になる。
時は1994年。 結局、これを最後に、ヒット曲界は本当の「平成」の時代に入ったってことだったんじゃないかな・・・と個人的には思うんだよね。





↑では、この曲は昭和歌謡的だ〜・・・と何回も書いちゃったけど、 

♪ あなたがいれた エスプレッソ〜 ♪ っていう歌詞には、新時代・・というか90年代の香りを感じたな。

 少なくとも80年代には、まだエスプレッソと言うコトバは「イマく」なかった・・というか、メジャーじゃなかったよね。
個人的に知らなかっただけかもしれないけど。。。

ちなみに、スタバが日本で初めて出店したのは1992年。この曲の2年後ですわ。
当然、1990年の今頃はエスプレッソもカフェ・ラ・テも、一般的にはまだあまり馴染深い飲み物ではなかったんだよね。カフェ・ラ・テは、カフェ・オ・レだったし。。。



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ミラクル・ガール / 永井真理子

1989_11_ミラクルガール_永井真理子






今回の1曲セレクトは、「ミラクル・ガール」永井真理子です。

まずはデータです。

・タイトル    ミラクル・ガール
・アーティスト  永井真理子
・作詞      亜伊林
・作曲      藤井宏一
・編曲      根岸貴幸
・リリース日   1989年10月1日
・発売元     ファンハウス
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数   17.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 12位
・タイアップ:日本テレビ系アニメ「YAWARA!」オープニングテーマ曲


 その昔、ガールズポップなるジャンルがあった事を覚えてるでしょうか?
 
・・・・なんて、また、唐突な書き出しにしちゃいました。まあ、正式な「ジャンル」として認められてるわけではないんだけどね。
 この89年から90年代初頭にかけて、ロックでもない、アイドルでもない、堅苦しく言えば「亜流」なタイプの女性アーティストをひとまとめにして「ガールズポップ」で一括りするような動きがあった・・って言う程度なんだけどね。

 この永井真理子なんかは、そんなアーティストの一人ではなかったかなぁ。

 時は平成元年。 うーん、今から思うと、この昭和から平成に変わったっていうのは、意外と音楽界に大きな影響があったんではないかなぁ・・と思うんだよね。 今にして思えば。

 そのひとつがJ-POPっちゅうジャンルの誕生だよね。少なくとも、「昭和」の時代には「J-POP」なんつう呼び名は無かったぞよ。
 ちょうど、この「ミラクル・ガール」がリリースされた89年前後に、「J-WAVE」「bay fm」「NACK5」「FM802」など、第2世代の新興FMが開局したころでさ。
向こうの曲に対して、日本のロック&POPSを「J-POP」として、積極的に紹介しようって言う流れが、これら第2世代の新興FM局を中心にムーブメントを起こし始めていた頃ですね。
(それ以前、FMで日本の曲を流すことは「ダサい」という考えがあった)

それまでの日本のいわいる邦楽は、アイドル、ニューミュージック、ロックに別れてたよね。
 そういうムーブメントもありーの、、平成になったとたん、その垣根がとっぱわれて、演歌以外は全て一括りで「J-POP」っていうジャンルに「統括」されてしまったわけですわ。

 まあ、今からして思えば、それまでのジャンルもそれぞれ融合が始まってて、境界線がかなり曖昧になってきてたってことはありますけどね。

 特に、女性のポップスの場合、アイドルと(それまでの)ニューミュージックの境界っていうのがかなり曖昧になってきてたんだよね。まあ、その境界にいたアーティストが「ガールズポップ」ってわけだけど・・。

 例えば、この永井真理子って言うのヒトも、考えてみれば、かなりジャンルは曖昧なんだよね。
 
 ニューミュージック系のアーティストのようでもあり、アイドルのようでもある。
 また、逆に、ニューミュージックでもアイドルでもないともいえるんだよね。

 厳密に言えば、本来はニューミュージックに属するんだろうけど、限りなくアイドルに近づいた存在っていうかね。

 その逆を行ったのが森高千里だろうね。 つまーり、本来はアイドルなんだけど、限りなくニューミュージックに近づいた存在。それは、自分で作詞もしてたからねぇ。

 すくなくとも昭和の時代には自分で作詞するアイドルなんて、そーそーいなかったわけで・・・。


 でも、時代はそういう垣根を越えて、壁がとりはらわれていたんだよね。

 それがたまたま、この平成元年に集中してきたっていうのかなぁ。

 だから、J-POPっていうジャンルはしっかり的を得てたんだよね。このジャンルができたことによって、完全に、アイドル、ロック、ポップス(ニューミュージック)の境がなくなったもの。


 ただ、もちろん、以前のそれらのジャンルに、よく言えば留まった、悪く言えば固執したヒトたちもいるわけで・・・。
 そのなかでアイドルっていうジャンルに固執してたヒトたちは、どんどん「オタク化」が進んでいったわけで・・・。


・・とまた、話がされちゃったんで、修正。。。


 この曲は、アニメ「YAWARA!」のオープニングテーマとして有名だから、みなさんご存知ですよね。

 そう、あの明るいポップスですよ〜。 ま、この曲を思い出せば、↑に書いたことも、まずまず理解してもらえるかなぁ。


 兎に角、個人的には時代は変わったなぁ・・・と思える瞬間だったんだよね。





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